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やはり白内障・・・

 昨年夏、メガネ店へレンズ交換に行った。夜に車を運転していると、前を走る車の赤いテールランプがにじんで見えるし、昼でも道路標示がよく見えない。近視が進んでいると思った。

 新しいメガネに作り替えると、両目とも0・7程度は見えるようになった。この視力は、運転免許を取得できるギリギリのライン らしいが、これ以上レンズの度数を上げると、却って気分が悪くなるなど弊害もあるという。

 3か月ほどすると、またぼやけて見えるようになった。そこで、かかりつけの和歌山の医療センターで診察を受けた。検査の結果、医師は「白内障です」と言い、「日常生活に支障をきたすようなら、手術した方が良い」と話した。

 4月の初旬までは例年通り大津の自宅で過ごしたが、その間にも視力は悪化するばかりだ。近所の人と出会っても、それが誰か判別できず、失礼があってはいけないので、とりあえず頭を下げ、愛想笑いをしておくことにした。

 車の運転も危ないので、家内に任せるようになった。山小屋から眺める紀淡海峡は春霞がかかったようにぼやけている。天気のいい日はまぶしくて仕方ないし、テレビの画面はやや黄色味を帯びて見えるようになった。白内障の典型的な症状だそうだ。

 このように、まさしく日常生活に支障をきたし、医療センタの医師に手術お願いした。しかし白内障の患者は多く、夏まで手術の空きがないという。「そこを何とか」と拝み倒し、5月下旬に左目、6月中旬に右目の手術を受けられるようにしてくれた。

 すでに手術をした人の話を聞くと、一様に「大したことない。15分ほどで終わる」と言っていた。麻酔は目薬を使い、痛くないとも聞いた。日帰り、入院の両方あるらしいが、心配するような手術ではないとのことだ。

 先日、手術前の検査をした。その際、担当医師はパネルのようなもの示しながら手術の概要を説明してくれた。麻酔は、まぶたの下から針を刺し、眼球の裏側へと挿入するとのことだ。目薬による麻酔と聞いていたので、これでは話が違う。私は5歳児並みの注射恐怖症であり、その場から逃げ出したくなった。

 手術時間も40分、早くて30分くらいかかるというから、ネットで調べた内容とはかなり違っていた。手術をしてくれる医師にこんなことを言って申し訳ないが、ひょっとしたら経験が浅いのではないかと疑ってしまった。

 医師による手術のリスクについての説明はその後も続いた。いわゆるインフォームドコンセントで、医師は患者に十分な情報を伝えなければならない。それはよく分かるが、小心な私には不安がつのるばかりだ。もはや引き返すことは出来ないので、覚悟を決めて手術に臨みたいと思う。
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昭和の魔法瓶が語る

 令和という新しい元号が始まって2週間ほどが経ち、ようやく令和の響きが耳になじんできた。はからずも昭和、平成、令和の三代を生きてくると、この世に生まれた昭和の時代が一層懐かしくなる。

 ところで、山小屋の囲炉裏端には赤紫色の卓上魔法瓶が置かれている。これは昭和40年代、家内が嫁入り道具の一つとして持ってきたものだ。魔法瓶の形も色合いも昭和の風情が漂い、これぞレトロという感じだ。

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 魔法瓶の側面には、英語で「How about asking yorself what is really inportant」と書かれいる。「本当に重要なことは何か。自分に問うてみてはどうだろう」という意味だ。人間の生き方、文明との関わりについて問いかけているのだと思う。

 普通の日用品に、このような哲学的とも言える英語が書かれているのは、実に面白いし、おしゃれでもある。60年代から70年代は高度成長期で、モノ作りの飛躍の時代だった。魔法瓶もJAPANブランドの一つとして世界に輸出されていた。

 製品にこのような英文が添えられているのも、そのような時代を反映していたのだろう。少し時代が異なるかもしれないが、ラジカセやウォークマンなど日本製品が世界を席巻し、90年代初頭にバブルが崩壊するまで日本は絶頂期だった。

 このレトロな魔法瓶は、長らく大津の自宅の押し入れに眠っていたが、10年ほど前、山小屋に持って来ると、再び活躍してくれるようになった。私は晩酌を欠かさず、おもに焼酎のお湯割りを楽しんでいるのだが、この魔法瓶からお湯を注いでいる。

 わが人生の友は酒であり、魔法瓶のお湯もまた晩酌の友である。魔法瓶の手触り、色彩、無数の傷、どれをとっても妙に安らぎを感じるのだ。ちなみに、これと全く同じの魔法瓶がネットで売りに出されていた。お値段はたったの400円也・・・。

山菜採り・・連日の来客

 山菜の季節になると、たくさんの人がわが山小屋を訪ねてくれる。先日は、東京、名古屋、滋賀の総勢7人が山菜採りに来たついでに立ち寄ってくれた。その翌日には、ブログが縁で交流が続くイレグイ号さんが、今年3回目の山菜採りで山小屋に来てくれた。連日の大賑わいだった。

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 7人グループが初めて山小屋に来てくれたのは、2010年の春だったからもう10年になる。何回か中断もあったが、常連さんである。折角来てくれるのだから、昼ご飯にはここ和歌山の海の幸、山の幸を振る舞いたい。

 いつもは私が釣ったアオリイカの刺身に天ぷら、加えて旬の麦わらイサギの刺身を食べてもらってきた。しかし昨年はアオリイカ釣りには1回しか行けず、しかも釣果がゼロ。せめてイサギの新鮮な刺身と思ったが、紀伊水道に面した漁師の所へ買い出しに出向くと、近海にイサギは回って来ていないという。

 こんなこともあろうかと思い、保険としてベーコンを仕込んでおいた。豚のばら肉の塊に塩、砂糖、黒コショウなど何種類かのスパイスを擦り込み、1週間ほど冷蔵庫で熟成させる。これを取り出して水道水を出しながら塩抜きしたら、燻製器で4時間ほどクルミのチップでスモークをかける。

 煙がもったいないので、塩と砂糖で味付けしたゆで卵も同時にスモークした。ただの燻製卵だが、これが存外美味しいのだ。

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 ベーコンによく合うのが、ジャガイモである。ダッチオーブンで作るベイクドポテトという料理で、焼き上がったジャガイモに穴を開け、その中にベーコン、バター、チーズを入れ、再び焼き上げる。チーズに程よい焦げ目がついたら出来上がりだ。鉄の遠赤外線効果と密閉性によって食材がよりおいしくなる。

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 これに、ワラビのマヨネーズ和え、山ウドのサラダと天ぷら、コシアブラも天ぷらにし、、山蕗の佃煮を添えた。ベーコンのスライス、燻製卵、ベイクドポテトを味わってもらい、お世辞かもしれないが好評を得た。メインディシュは一行が持ち込んだ近江牛のバーベキューだ。森に香ばしい煙が漂い、旺盛な食欲を満たしていた。

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 次の日に来られたイレグイ号さんには私も同行、ワラビ、山ウド、イタドリなどをたくさん採った。山小屋裏のテーブルで歓談し、ベーコンのスライス、燻製卵を試食してもらった。燻製をする彼からもお墨付きを得たので、ホッとした。早いもので、生石高原の山菜はもう終わりに近い・・・。

森の秘密

 山の猿が狂喜しながら食べるというサルナシ。その果実酒を作ったのは昨年10月5日だった。ちょうど半年が経ったので、満を持して瓶の封を切った。琥珀色の原液に氷を入れ、水で薄めて飲んでみた。

 その味は飛び上がるほどではないが、「幻の珍果」と言われるだけに野生の味と香りがし、十分に美味しいものだった。食前酒にしたり、喉が渇いた時に飲んだりしたいと思う。

 「スーパーフルーツ」のひとつに挙げる本もある。様々な栄養素が含まれており、例えばビタミンCがレモンの約10倍、ビタミンEがアボカドの約2倍などとされている。疲労回復や生活習慣病の予防、免疫力を高める効果もあるという。

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 私は北陸の田舎生まれで、生家の裏には山が連なっていた。だから様々な山の幸に恵まれていたが、サルナシという果実のことは知らなかった。随分昔のことだが、京都の奥地に広がる京大の演習林を歩いていたところ、サルナシの実をつけた枝を手にした老人に出会い、このスーパーフルーツのことを教えてもらった。

 そして昨年10月、家内と一緒に山小屋近くの森を散歩し、たまたま見上げた木の枝にナツメほどの大きさの果実が鈴なりになっていた。蔓性の植物だ。遠い昔、演習林で見たあの果実を覚えていたので、即座にサルナシと確信した。

 多分、この森ではなかなかお目にかかれないはずだ。これからもずっと果実酒を作りたいので、この場所を人に知られてはならない。私は家内に「誰にも言うな」と釘を刺した。栄養価の高い「珍果」であり、人に知られれば熟すまでに取られてしまうだろう。

 何もサルナシに限ったことではなく、山の幸がある場所は、古来、秘密である。松茸やシメジなどキノコが自生する場所は、それが貴重なだけに親兄弟の間でも秘密なのだ。

 山菜でも同じである。私の知人に「山菜名人」と言われる人がいる。ここ生石高原よりもうんと早く、立派なワラビをたくさん採ってくるのだ。ある時、「どこで採れるの?」と質問してみた。

 すると知人は表情を曇らせ、「教えてもいいけど、そこは蛇の巣のような所で、マムシも多い」と言った。蛇が大嫌いなので、そこへ行くのを断念し、それ以上は聞かなかった。

 後から考えてみると、蛇やマムシを持ち出せば、私が行くことはないと考えたのだろう。なかなかの妙案である。もし誰かに秘密の場所を聞かれたら、「蛇、マムシ」を持ち出すのは効果的である。秘密の場所から人を遠ざける殺し文句と言ってもよい・・・。

令和元年 5月1日

  令和という新しい時代を迎えた。何か気の利いたことでも書きたいが、何も浮かばない。10年以上もブログを書き続けているが、このように何も書けないのは珍しいことだ。

 時代の節目となるうねりが、私が考えるような文字や言葉を圧倒しているのだろう。だから、何かを書けば、すべてが陳腐になってしまう。上皇への感謝の言葉や、令和時代に平和を希求する言辞も同じである。

 皇位継承の国事行為はつつがなく執り行われ、わが国の伝統と文化を目の当たりにすることが出来た。世界にはイギリスやスウェーデン、タイなど多くの王室があるが、万世一系の皇統と長い歴史を持つ日本の皇室は、奇跡のような存在とも言える。

 人々の気持ちや世相の雰囲気によって、時代はしばしば揺らぎ、危うくなることもあった。それは、幾多の歴史が証明している。どうか、穏やかな時代になるよう願うばかりである。
 

 

干しゼンマイを作る

 この春は、気まぐれな気候に翻弄された。寒の戻りに震えていたら、一転して初夏の陽気である。山桜が咲いても、パッと散ってしまった。わが山小屋前の道路は、散った花びらで雪が降ったようになった。今は、モミジのように赤い葉桜がそれはそれで美しいのだが・・・。

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 山菜も一気に食べ頃を迎えている。つい最近まで遅れ気味と思っていたが、自然はちゃんと帳尻を合わせてくる。山菜の食べ頃は、ワラビ、ゼンマイ、コシアブラ、山ウドの順でそれぞれ多少のタイムラグがあるが、今年はドーンと一斉に芽を出し、食べる方の都合を考えてくれない。

 山菜の季節を迎えると、いつも保存方法が気になる。旅先で美味しいワラビの塩漬を食べることがある。長野県の妻籠宿の蕎麦屋、小谷温泉、戸隠の宿でも春に漬け込んだワラビを食べさせてくれ、その度に女将から塩漬けの方法を教えてもらった。毎年のように試しているが、やはりプロの技には到底かなわない。

 保存方法がそれなりに出来ているのは、ゼンマイだけである。ただ、子供の頃の見様見真似で、素人の域を出ないが、ワラビの素朴な味わいがあり、それなりに上手に出来ていると思う。

 ところで先日、散歩がてら、高原でゼンマイを探してみた。少し早いかなぁと思っていたが、すっかり大きくなっていた。レジ袋に半分くらい採り、干しゼンマイを作った。参考になるかどうか分からないが、私は次のように干しゼンマイを作る。

 ゼンマイの綿を取ったら、大きな鍋で沸かした熱湯の中に入れる。茹で時間は、長年の経験から約7分。お湯が赤紫色になる。お湯を流したら、薪ストーブの灰を振りかける。熱いので軍手をはめて軽く揉み、水洗いしたあと天日干しにする。時々、手のひらで転がすように揉んでおけば、柔らかい干しゼンマイが出来上がる。晴天なら2、3日で完成だ。

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 わが家では貴重な保存食だ。水で戻したら、甘辛く煮付ける。白和えにも入れれば、乙なものだ。日本酒の熱燗によく合う。混ぜご飯に入れれば、野趣万点である。岡山県のお寺で食べた精進料理には、極太のゼンマイの一品が添えられ、甘辛いその味はどこのゼンマイよりも美味しかった。

 私は北陸の生まれで、法事や祝い事のお膳に欠かせないのはゼンマイだった。冬の長い村々では、保存食のゼンマイは貴重品だった。私がこのように毎年干しゼンマイを作るのは、懐かしい味へのノスタルジーなのだろう。家内が作ってくれるゼンマイの手料理を食べる時、故郷を想う・・・。
 

ゴーンさんの寄付は・・・

 朝起きるとまず、デッキに置いている野鳥のための餌台に、ひと握りのヒマワリの種を置く。そして、口笛を数回吹いてみる。これを合図に野鳥のヤマガラが次々と飛んできて餌をついばむ。居間の椅子に座ってその様子を楽しむのが日課である。

 ここ生石高原の森には、カケスというカラス科の野鳥が多い。餌台には、このカケスがひっきりなしにやって来て、ヤマガラの餌を横取りするのだ。ヤマガラは一粒ずつ行儀よく食べるが、カケスは一度に五つも六つも口に入れる強欲さである。カケスは美しい野鳥だが、目は鋭く、頭は白黒のまだら模様で、どこか性格が悪るそうに見える。

 招かざる客カケスが餌台に来ると、元日産会長カルロス・ゴーンさんの風貌が重なって見えてしまう。荒唐無稽と分かっていても、一旦頭に焼き付いた先入観はなかなか払拭できない。ゴーンさんに対する4回もの逮捕は、人権侵害だと憤慨する人たちも少なくないが、率直に言って私は同情しない。

 ところで、下の2枚の写真を見比べていただきたい。目の鋭さが実によく似ている。人の容貌をけなしてはいけないのは百も承知だが、つい筆が走ってしまう。ゴーンさんには悪い。

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 さて、先日パリのノートルダム大聖堂が焼けた。高さ90mという尖塔が焼け落ちる映像は、キリスト教の信者でもない私もショックを受けた。マクロン大統領は再建を約束しているが、アメリカのIT企業からは何百億円もの寄付の申し出があり、世界中の人たちから続々と義援金が寄せられているそうだ。

 さて、もう一度ゴーンさん。彼の国籍はフランス(ベイルートやブラジルも?)であり、本来ならルノーのトップとして当然ながら寄付すると思う。まして、寄付文化が根付く欧米人の一員であり、成功者というステータスもあるので、ケチなことは出来ないだろう。ただ、拘留中のため善意を表明することが出来ないが、こういう時こそ奇特な心があるかどうか試されるはずだ。

 寄付と言えば、ゴーンさんについて仏誌がこんな記事を掲載していた。息子が通っていたアメリカン・スクールに対し、ルノー・日産グループから寄付金を拠出し、この学校には「ゴーンルーム」があると報じている。また、娘が通う大学へも寄付し、そのお金は日産に出させていたというのだ。

 自分の懐が痛まず、こうした寄付金を会社に出させるのであれば、善意も随分と色あせて見える。要するに、日産という会社は、ゴーンさんの財布みたいなものだったのだろうか。最初はゴーンさんを擁護していたルノーも、ヴェルサイユ宮殿での結婚披露宴の費用を払わせていたことが分かり、日本の検察批判を言わなくなった。

 ゴーンさんの弁護団は無実を訴えているが、不正送金や私的流用などの事実がなかったということなのか。それとも、それらの行為が犯罪に当たらないという法律の解釈の問題なのか。報道を見ていると、どうも後者のように思う。今から居丈高に無実を叫べば、後で引っ込みがつかなくなるのではないか・・・。

ふっくら・・・タラの芽

 ここ生石高原の森にもやっと本格的な春が訪れ、木々が芽吹き始めている。標高800を超すこの森はまだまだ気温が低く、朝夕はストーブの世話にならねばならないが、それでも確実に春の鼓動が聞こえてくる。

 春は、山菜の季節でもある。山菜の走りはフキノトウで、3月中旬に摘み取ってフキ味噌にして食べた。山菜の二番手はコゴミだ。1週間ほど前、山を下りてコゴミの自生地に行くと、新芽が出ていた。柔らかく、独特のぬめりがある。胡麻和え、天ぷらにした。

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 そしてやっと、タラの芽が膨らんできた。山菜の王様と呼ばれており、都会のスーパーでは早くからハウス栽培のタラの芽が売られている。15本ほど入ったパックが1500円とお高い。

 タラの芽は、根元が赤紫色で、まだ葉が出かけの頃が食べごろだろう。昨日、そのようなタラの芽を採って天ぷらにした。もっちりした食感が何とも言えず、本当に美味しかった。栽培物とは違い、ポリフェノールが豊富に含まれ、健康にいい。

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          ↑ ↓ 山小屋に自生するタラの老木

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 山小屋の敷地には、20本以上のタラの木が自生している。実は以前、これほど多く自生していなかった。ところがここ3、4年で急に増え出したのだ。

 なぜだろう。山小屋の正面に老木があり、山小屋を建てた24年前の当時から生えていたように思う。この木を中心に新しい木が育っているところからすると、老木と根がつながっているのではないか。

 と言うことは、老い先短いと悟った老木が、子孫を残すため力を振り絞っているのではないかと思えるのだ。そんな老木が愛おしく、健気である。今、老木にたくさんの芽が出ており、有難く戴くことにしよう・・・。
 

母の手紙

 大阪市立美術館で開催されていた「フェルメール展」が先日、閉幕した。フェルメールは17世紀オランダの謎多き画家だ。現存する作品は35点しかなく、これが一層謎を深めている。写実的な絵画は、私のような絵の素養のない者にも分かりやすい。

 今回展示されている作品は6点だ。寡作の画家だけに、これだけまとめて鑑賞できる機会は、私が生きている間にまずあり得ない。だから、何としても行きたかった。天王寺公園にある美術館を訪ねたのは、生石高原の山小屋に引っ越しする直前の4月上旬だった。

 会場は思っていたほど混雑していなかった。同じ17世紀の作家による風景画や静物画、風俗画など40点が同時に展示されており、なかなか見応えがあった。

 最後のコーナーにフェルメールの作品が展示されており、さすがそこだけはオーラが立ちのぼっていた。中でも異彩を放っていたのは、1657年に描かれた「取り持ち女」で、143×130㎝の大作だ。売春宿を描いた風俗画で、男が売春婦のお乳をまさぐり、その左にいるのが取り持ち女だ。その野卑な表情が何とも言えず、味がある。

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 フェルメール6点のうち3点が「手紙」にまつわる作品である。後で書こうと思うが、私の母親はしばしば私に手紙を書いてくれたので、こうした絵画に何となく心を引かれるのだ。17世紀の時代、コミュニケーションのツールは手紙であり、思いを寄せる人に自分の心を伝えるのも手紙だった。

 絵を解説するのはおこがましいので、素人の他愛もない感想に留めたい。まず、「手紙を書く婦人と召使」。夫人の右肩に力が入っており、強い筆圧で書いているように感じる。きっと恋人に大切なことを書いているのだろう。窓の外に目をやる召使の様子が面白い。召使はこの女性の恋愛に「やれやれ」とうんざりしているようにも見える。

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 手紙の2作目は「恋文」。召使が楽器を練習をする女性に手紙を届けた場面だ。果たして誰からの手紙だろう。のぞき見趣味をくすぐられる作品である。手紙を受け取り、差出人を見て驚く女性の表情がどこか初々しい。召使の笑顔は吉報に違いない。手紙の差し出し人が待ちに待った人からだったのだろう。

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 3作目は「手紙を書く女」である。衣服や髪飾り、調度品などから裕福な女性に見える。よく見ると、左手の先に真珠のネックレスが置かれている。下種の勘繰りかもしれないが、手紙を書いている相手からの贈り物なのだろうか。宙を泳ぐ女性の視線。自分の気持ちをどう表現しようか、思案しているようにも見える。

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 唐突に話は飛ぶが、私はこれまでに11回の引っ越しをしている。大学の下宿先に始まり、新聞記者時代の地方勤務を経て、今の自宅までである。引っ越しの度に不要の物を捨ててきたが、ニッカウヰスキーの箱だけは大切に持ち歩いている。この箱には、母親からの手紙がぎっしり入っているのだ。

 家内は、箱を手放さない私をマザコンだと思っている。こんな年寄りにマザコンもないだろうが、しかし何と思われようが、大切な手紙の束だから手元に置いておきたい。

 母は私を産んでしばらくしてリウマチを患い、ほぼ寝たきりになった。「痛い」「死にたい」が口癖で、幼心に切ない思いをした。母の指はリウマチで奇妙に曲がり、ペンを持つのも痛々しかった。しかし、私に宛てた手紙には、小さな文字で便箋に2枚以上もびっしりと書かれていた。

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 手紙の束から1通を取り出して、読んでみた。私の大学2年のころである。「あなたの将来のために貯金をしてやりたいと思って居るのですが、中々思うようになりません。ところで靴を買いましたか。ちっとも手紙をくれないので、いらん心配ばかりしています。母の日にでも手紙をくれれば安心しますのに」・・・。

 そして2枚目。「あなたの無精者には困ったものですが、下着位は自分で洗濯するよう、なまけていてはきりがありません。散髪もしないとあれでは困ります。食事に注意し、勉強に励んで下さい。手紙を待っています。母より」。指の痛みをこらえ、青色のボールペンで書かれている。しっかりした筆圧に、母の思いが滲んでいた。

 確かに私は無精者だった。心配してくれる母に手紙を書かず、パンツも靴下も表を裏に替えて使い回していたし、ヒッピーのように髪を伸ばし、滅多に風呂にも入らなかった。そんな息子にせっせと手紙を書き続けた母の姿。あり得ない発想だが、フェルメールならどんな風に描いたのか・・・。

いいコゴミが採れた

 3月の初旬だったか、知り合いから私が暮らす生石高原でいつごろ山菜が採れるか問い合わせがあった。今年は例年になく暖冬だったので、山菜の季節は1週間ほど早まるのではないかと、自信ありげに答えておいた。

 それは間違いだった。例年、4月10日前後には日当たりの良い所でワラビが採れ始め、順次、コシアブラやタラの芽、山ウドなどが採れるのだが、今年はなぜかワラビが出ず、タラの芽もまだ親指ほどの大きさである。コシアブラが食べられるのは1週間以上も先だろう。

 暖冬だったのに、なぜ山菜の生育が遅れているのか不思議だった。実は先日、テレビで桜の開花のメカニズムについて気象予報士が説明していたことを思い出し、少し納得した。それによると、冬の寒さが厳しければ、桜の花の目覚めが促され、開花は早くなるというのだ。

 と言うことは、今年はその逆という訳である。つまり山菜も暖冬をいいことに惰眠を貪っていたので、芽を出すのが遅れているのだろう。しかも、4月上旬には「寒の戻り」があり、高原では雪も降った。山菜はびっくりして首をすくめたに違いない。

 そんなところへ、いつも船釣りに誘ってくれるイレグイ号さんからメールが届いた。「そろそろコゴミの季節ですが、採りに行きませんか」・・・。確かに昨年コゴミ採りに行ったのは今頃で、少し遅かったもののたくさん採れた。

 今年は山菜も遅れているので、コゴミも少し早過ぎるかもしれないと思いつつ車を走らせた。ダム沿いの沿道はサクラが満開で、青い湖面とのコントラストが実に美しい。30分ほどで現地に着いた。見回してみても、コゴミの緑色の株が見えない。

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 もっと近づいてコゴミの株を見ると、10センチほどの芽が出ているではないか。今シーズン最初に出てきた芽で、柔らかいプレミアム級である。イレグイさんは「デパートで買えば、10本ほどで500円はする」と言い、夢中で採った。二人でレジ袋に四つ分も採れた。

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 私は友人におすそ分けし、残りを天ぷらと胡麻和えにして食べた。ほんのりとした春の味が口の中に広がった。シャキシャキとした歯ごたえの中にもぬめりを感じる。フキノトウに続く山菜の味である。この後に、ワラビやコシアブラ、タラの芽などが続く。さぁ、山菜採りが忙しくなる・・・。

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