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生石高原_森に暮らすひまじん日記
 
第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。
  「お前はアユのことしか書かないのか」と言われそうだが、はい、今回も・・・。実は、わが山小屋に東京から遊びに来る友人に、冷凍のアユを塩焼きにして食べてもらうおうと思っていた。しかし、よく考えてみると、これは少し気の毒であるし、失礼ではないか。

 そこで、冷凍アユでもほとんど味が変わらない燻製を作ることにした。自慢ではないが、これ絶品、逸品、極上の珍味である。決して眉唾ではない。

 燻製器を使うほどでもないので、ダッチオーブンで燻すことにした。ストッカーから取りだしたアユ16匹を解凍し、塩を塗りこんで陰干しにすること2時間余り。その間に豆炭をいこしておく。

 オーブンの下は中火、蓋の上は強火にし、チップはまろやかな味がするブナを使うことにした。25分ほど燻す。1度に5、6匹しかスモーク出来ないので、3回これを繰り返す。

 出来上がったアユの燻製は、黄金色に輝いている。「ちょいと味見しよう」と言って、女房と1匹ずつ食べた。身には脂がしっとり張り付いていて、クリーミーだ。女房からは「今回の出来はいいねえ」と珍しくおほめいただいた。

 このブログに毎回コメントをいただいている亀丸さんと明日ボート釣りに行くので、ぜひ味わってもらいたいと思う。2、3匹という訳にもいかないので、5匹持って行こう。すでに味見しているので、残りは9匹である。

 すると、私たちと同じ生石山に暮らしているご夫婦がやって来た。ご主人は野鳥や山野草に詳しく、いろいろと教えてもらっている。奥さんは当ブログの常連さんだ。自慢の燻製を味見してもらういい機会である。1匹ずつというケチなことになったが、お二人とも頭からかぶりつき、好評をいただいた。

 燻製の残りは7匹となった。私たちも食べたいので、友人へは3匹くらいしか出せない。「なーんや、たったの3匹か」。気の置けない友人だから、皮肉の一つも飛び出すかもしれない。ならば彼が滞在中、アユ釣りに行かねばならんなあ・・・。

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  歌手の八代亜紀が歌っている。「雨、雨、降れ、降れ、もっと降れ」・・・。「うるさい!」と叫びたくなるほどの連日の雨だ。彼女の顔を見ていると、子供のころ読んだ絵本に出てくる魔法使いのおばあさんを連想してしまう。そんな憎まれ口のひとつもたたきたくなる今日このごろだ。

 まあ、梅雨だから仕方がないが、アユ釣りのホームグラウンド有田川の水位の行方にやきもきしているのだ。昨夜から今日の朝にかけて激しく雨が降ったので、本流は一段と増水し、濁流が渦巻いているだろう。これではアユ釣りは当分出来ない。

 実は7月5日の日曜日、友人がわが山小屋にやって来る。8日間の長期滞在である。本人は「居候だから気を遣わないで」と遠慮がちだが、遠来の友人にはアユをたらふく食べさせようと思っていた。

 だから早めに手を打っておこうと、先日、増水する前の有田川に出かけた。あいにく、しとしと小糠雨が降っていたが、釣らねばならないのだ。

 幸運にも初っ端からいいアユが掛った。「追い星」と呼ぶ黄色い胸のマークが鮮やかで、肩が張ってよく肥えている。そんなアユが20数匹釣れた。

 ただ、この新鮮なアユを日曜日まで保存できないので、冷凍するしかない。ストッカーのスイッチを急速冷凍にしたが、それでも冷凍のアユは風味も食味も落ちてしまう。

 しかし、市販されている養殖アユに比べれば、味は雲泥の差があるだろう。先日、スーパーで売られていた養殖物は2匹298円だった。有田川のアユ漁師によると、友釣りで釣ったアユは大阪の料亭で1匹350円で買ってくれるという。だから、皿に盛られて出てくると、1000円くらいはするのだろう。

 天然アユは川の石に付く珪藻類をはんで大きくなる。だから、ウリやスイカの香りが漂い、内臓はほのかな苦みがある。しっとりとした脂が乗っているので、身がぱさぱさの養殖と大違いなのだ。

 訪ねてくる友人は高校時代の同級生で、大学を出るとM商事に入り、世界を飛び回る絵に描いたような商社マンだった。海外生活が長いから天然のアユを口にするのは久しぶりだろう。冷凍であることは隠しておいて、「どや、うまいだろう」と食べさせよう。

 彼がどのような反応示すか興味があるが、いかんせん、彼も私もアユの本場琵琶湖の水で産湯につかった者同士。多分、冷凍を見破られるだろうなあ・・・。

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  鬼の居ぬ間の洗濯という訳ではないが、女房が東京の娘の所へ遊びに行っている間に、一人でボート釣りに行った。ガシラなどそこそこ釣ったので、ダメ元でアジのサビキ仕掛けを下ろしたところ、24、5センチもある大きなアジが入れ食いになった。

 帰ってきた女房にそのアジの一夜干しを食べさせながら、事のいきさつを話したところ、目が光った。この時季は10センチにも満たない豆アジは良く釣れるが、このような良型が釣れるのは珍しい。女房が「ほんまに釣れるの?」と聞くので、「可能性は大やねえ」と気を持たせる返事をしておいた。

 案の定、女房がアジを釣りたいと言い出し、夫婦でボート釣りに出かけることに相成った。結論から言うと、私に大アジが1匹釣れただけで見事な空振りに終わった。しかし、この後にドラマが待っていたのだから、釣りは面白い。

 海水浴場の沖でキスを狙っていると、女房がすかさず小型を釣り上げた。このキスに針を付けて泳がせ、コチかヒラメを釣ってやろうと思ったが、女房は「折角釣ったのだから、釣れるかどうか分からない釣りに使うなんて・・・」と渋っている。

 石橋をたたいても渡らない女房にしてみれば、私のハイリスク、ハイリターンの釣りは理解できないだろうが、この場合はたかだかピンキス1匹を犠牲にするだけだ。女房の手からキスを奪い取り、大物への期待を込めて仕掛けを10メートルほど潮下に投げた。

 キスは元気に海底を泳ぎ、竿先がリズミカルに動いている。10分ほど経った時、フリーにしておいたリールから「ジーッ」という音が鳴り、糸が引き出されていく。何かがキスをくわえたのだ!

 早合わせは禁物だ。焦りを静めるため、煙草に火を付けたが待ちきれず、竿をあおった。「グィーン」と強烈な引きが手元に伝わってくる。間違いなく針掛かりしている。

 さあ、それからが大変。リールを巻いて寄せるが、たちまち糸を引き出される。何回もそれを繰り返していると、悪いことにアンカーロープをくぐり抜けて反対側に逃げようとする。竿をロープの下にくぐらせて何とかしのいだ。

 敵はすでにボートを1周して、激しく抵抗している。ようやく海中に姿が見えた。大きな灰色の影である。蒲鉾にしかならない嫌われ者のエソか?正体を見極める前にまた潜られた。

 そんなことを繰り返し、やっと浮いてきた。玉網を構える女房が「わ!、大きい!」と叫びながら魚をすくってくれた。紛れもなくマゴチである。頭が大きいグロテスクな姿をしているが食味は最高で、鍋に良し、刺身に良しである。

 「キス1匹の投資だから、100円が1万円になったような気分や」と女房に胸を張ってみせる。尾を曲げてもクーラーに入らな大物だ。60センチ近いだろう。

 夫婦だけで食べきれないし、ドイツ人ピーターら山の仲間にも食べさせたい。さあ、明日は鍋を囲んで盛大に宴会だ・・・。

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  笹ユリが咲いた。なんと美しいのだろう。花は夜来の雨を受けて重くなり、少しうつむき加減だ。霧にかすむ雑木林の中で、風に吹かれて揺れている。けがれを知らない少女のような趣がある。

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 何度も足を運び、飽きることなく見続けている。鼻をこすりつけるようにして香りも楽しむ。まずは六株が花を付けたが、これから順次咲き始め、全部で四十ほどの花が咲くだろう。
 
 私たちが暮らす山小屋の周囲にはさまざまな花が咲き出し、にぎやかである。紫陽花はこれからだが、山紫陽花は今が見ごろだ。薄暗い藪の中で咲くこの花は控え目で、楚々とした姿に味わいがある。

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 シモツケも咲き出したた。下野国で最初に発見されたことからそう名付けられたという。小さな花が密集し、その集まりが一つの花のように見える。ピンクと白の花は、妙に心を穏やかにしてくれる。これに似た京鹿子も綿菓子のようなふわふわした花を咲かせている。

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 ユキノシタはユーモラスな花だ。豊かな白いヒゲを蓄えた紳士のようにも見えるし、想像力を働かすとみんなそろって「ワッ、ハハ」と笑っているいるようにも見える。

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 さまざまな山野草が身の周りにいっぱいあるが、名前はよく知らない。女房から教えられ、何度も名前を反芻して覚えようとするが、1時間もすると忘れてしまう。

 植物の名前や由来など知識が豊かであれば、花を見る楽しみも格別だろう。万葉の歌に詠まれていたりすると、その花からいにしえの世界が垣間見えるような気分になる。そうありたいものだが、どうも物忘れがひどくて・・・。

 山小屋にひまじん夫を残し、ひとりで東京に行ってきました。節約のため高速を使わず下道を四時間かけて大津の自宅に帰り、翌日、京都からJRバス「昼特急中央道東京行」に乗り八時間かけて東京へ・・・。新幹線を利用すると早くて楽ですが、時間がたっぷりある私は、いつも安い料金のバスです。

 二階バスなのに乗客はわずか四人でした。八王子に帰られるお茶の先生と話が弾み、立川までご一緒させてもらいました。東京ではファミリーセールに出かけたり、吉祥寺でお茶したりで久しぶりの娘との時間を楽しんできました。

 帰途もJRバスでしたが、疲れと退屈で京都は遠かった。

 大津の自宅でゆっくりしたかったのに、「ジャガイモがイノシシにやられた」とひまじん夫からです。
 
 翌日、大津での用事を済ませ、あたふたと山小屋へ。和歌山の桃山町では、早くも「あらかわの桃」の販売が始まっていました。産直のお店に寄ると、いつものおばあさんが「まだこんなにこまいの。でも甘いよ」とおっしゃって・・・。なんとこれが¥500なんです。 

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 山小屋に戻ると、「ゆきのした」の花が笑顔で迎えてくれました。どうです? 笑っているように見えるでしょう?

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 裏庭のおナスが心配で畑を見に行くと、まるで一面雪化粧のよう。エゴの花のじゅうたんです。

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 山小屋に入ると、うわぁー、ビワです。出荷用の甘い、甘いビワなんですって。夫が知人から「好きなだけ取っていい」と言われ、コンテナ山盛り取ってきました。食べきれないので、あちこちにおすそ分けしたそうです。これだけあれば、お腹いっぱい食べれます。買えばお高いんでしょうねえ・・・。

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  女房が山小屋を出て行って8日になる。逃げ出した訳ではない。東京で一人暮らしをしている末娘の所へ遊びに行ったのだ。女房がいないと気楽であはるが、食事や掃除など何もかも自分一人でしなければならないので、面倒だ。

 昨夜、一人でつましく侘しい食事をしていると、電話が鳴った。「やられた、やられたよ!」。女房が生石山中腹に借りている畑のボスからだった。イノシシが畑を荒らしたとのことだ。恐れていたことが、ついに起きてしまった。

 ボスによると、他の人のジャガイモは全滅したが、女房のジャガイモは被害が半分で済んでいるいるという。残りを今夜中に収穫しておかないと、全部やられてしまうだろう。

 外は細い雨が降っている。しかも真っ暗だ。しかし、女房が手塩にかけて育てたジャガイモを助けなければならない。釣り用のヘッドランプを付けて畑に急いだ。畑は有刺鉄線で囲んでいるが、どこから入ったのか、ジャガイモの畝の半分が掘り返されている。

 鍬で掘った。あちこちに食い散らしたジャガイモの破片が出てくるが、畝の半分は無傷だ。満腹になったイノシシは、今夜食べる分として残しておいたのだろう。計算高い奴である。

 泥だらけになって、収穫した。まだ十分成長していないので、小さなイモが多い。ヘッドランプの光だけなのでよく見えず、取り残したイモもあるだろうが、大小100個くらいは収穫出来た。留守を守る夫の責任は果たせた。

 女房がジャガイモを植える時、ボスから「イノシシにやられるよ」と反対された。ところがイノシシはやって来ない。これを見て、他の人もジャガイモを植えた。何事もなくすくすくと成長し、収穫を目前に控えたこの絶妙のタイミングで荒らされたのだ。

 狡猾なイノシシは雑木林の中から、じっとジャガイモの成長を見守っていたに違いない。当初から甘く見ていた訳ではなく、女房は食べられて元々と腹をくくっていた。それでも、無残に荒らされた畑を目の当たりにすると、無念の思いがふつふつと湧いてくる。

 標高700メートルの高地で、しかもイノシシと背中合わせで野菜を栽培するのは難しいことだ。しかし、出来る限り野菜は自給しようという生活スタイルだから、作り続けねばならない。それに女房は根っから畑好きで、日々、野菜の成長に目を細めている。

 私たちがこの畑を耕すずっと前から、イノシシはここに住み続けている。荒らされると腹は立つが、この先住民とうまくやっていくしかない。被害を防ぐ知恵が必要だし、覚悟を決めておくことも大切だろう・・・。

       ↓イノシシに荒らされたジャガイモの畝
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       ↓イノシシはネットの下をこじ開け侵入したらしい
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       ↓これだけ収穫出来たから不幸中の幸い
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  怒髪天を衝く−−。私のおつむに天を衝くほど豊かな髪の毛がないのが悔しいが、それはともかく、私は本気で怒っているのだ。ただ、何に、どうして怒っているのかは、しばらくお待ちを・・・。

 新聞やテレビで伝えられる世の中の出来事には人並みに思うところはある。しかし、それらが理不尽な事柄であってもそれほど怒りが込み上げてこないのは、何故だろう。

 世の中を達観するほど枯れているとは思わないし、喜怒哀楽の感情が希薄になった訳でもない。そもそも私は、この目で見たこと、直接人から聞いたことはともかく、映像や伝聞は信用ならないという思いがあり、だから喜んだり、悲しんだり、怒ったりすることに多少の抵抗と躊躇があるのだ。

 しかし今回の怒りは、この目で見たので怒髪が天を衝くのである。

 怒りの矛先に向かう前に、書いておかなければならないことがある。私たちが暮らす山小屋の周囲に群生する笹ユリのことである。

 数日前から花が膨らみ始め、薄い桃色に色づいている。それはまるで少女が娘へと成長するように、ほのかな色香を漂わせているのだ。あと数日もすれば、最初の開花が見られるだろう。細い幹の先っぽに凛と咲く笹ユリは、えもいわれぬ香りを楽しませてくれるはずだ。

 さて、ブログといえどもその人物を特定するようなことは避けたいので、紀伊山地に暮らす「Aさん」としておこう。実は数日前、Aさんの敷地に笹ユリが生えているのを見て奇異に感じた。先日前まで、1本もなかったのだ。ざっと40株ほどもあるではないか。

 どう考えてみても、どこからか盗掘してきたに違いない。近くの山には笹ユリが自生しているが、花を引っこ抜いたり、球根ごと持ち去ったりする不届き者が後を絶たず、随分と少なくなっている。笹ユリは、種が落ちて花が咲くまでに6年も7年もかかる。絶滅危惧種にまで至っていないが、保護しなければならない貴重な植物なのだ。

 そのような笹ユリを何十株も引っこ抜いてくるとは如何なる料簡だろう。一輪、二輪の花なら出来心という言い訳も出来ようが、その数から言っても申し開きはできまい。土地には所有者がいるのだから、明らかに窃盗罪に当たる。実際、貴重植物を盗んで処罰されたケースは少なくない。

 Aさんは現役時代、取締役として人の上に立って働いてきてたと聞いた。普通に考えると、社会の常識も見識も持ち合わせていると思うが、私はそうは思わない。人の土地に入り、貴重な植物を根こそぎ盗むのは分別ある人間の仕業と思えない。常識云々以前の問題なのだ。

 この山に住む限り、過去の社会的地位など何の意味もない。自然と向き合う心のあり方が問われるのだ。自然への尊敬、あるいは畏敬の念と言えば大袈裟としても、自然への思いやり、親しみが欠如している。それは山の暮らしの最低条件だ。

 私と思いを同じくする仲間のドイツ人ピーターと一緒にAさんの山小屋を訪ねた。私たちはどうしてもこの一件を見過ごすことが出来なかったのだ。ピーターが口火を切った。「これ、ドロボーよ。罰金30万円よ」と詰め寄った。Aさんは「山で採ったのだから・・・」と言い訳したが、明らかにうろたえていた。

 少し厳しすぎる口調だったかもしれないが、見て見ぬ振りをしていれば、Aさんはまた同じ過ちを繰り返すだろう。本人のためにも、自然のためにも、これでよかったのだと思う。

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  山小屋裏のベンチに座って煙草をくゆらせていると、めっきり薄くなった頭にポトリと何かが落ちてきた。大よその見当はついていたが、やはりエゴの花である。ベンチの真上にエゴの枝が張り出しているのだ。

 3、4日前から、エゴの花が散り始めた。ここ生石山はいたる所にエゴが繁っていて、散り落ちる花で地面や道路、屋根など雪が降ったように白くなっている。花は直径1・5センチほど、花びらは5、6枚。純白と言っていいほどの白さで、清楚な感じがする。

 桜の花は散り際が最も美しいと言われる。花びらがハラハラ、ヒラヒラと宙に舞う風情が喜ばれるのだろう。しかし、エゴは花びらが一枚、二枚と散るのではなく、花ごとポトリと散るのだ。いや、垂直に「落ちる」と言った方がいい。それは、牡丹雪が降る様に似ている。

 「桜散る」−−。昔、大学受験の不合格を知らせる電報にそう書かれていて、受験生たちは肩を落としたものである。武士道にも通じているのか、桜の花の散る様を「潔さ」になぞらえる。日本人の死生観と結びついていると言う人もいる。桜をこよなく愛した西行は「願わくは花の下にて春死なん・・・」とも詠んでいる。

 総務大臣を辞めた鳩山さんは、しきりに「潔さ」を強調していたが、どうみても花の散り際のようには見えない。盟友麻生さんに言われて渋々辞めたようにも見える。本当に潔ければ、「麻生さんから手紙をもらっていた」などと後でとごちゃごちゃ言わないものである。男は黙って・・・が美しい。

 鳩山さんはどうでもいいが、私は桜の散り方にはまだ咲いていたいという未練があるように見える。それよりも、ポトリと落ちるエゴの花の方がはるかに潔い散り方だと思う。

 まだまだ死にたくはないが、その時が来たらエゴの花のように、あっけなく、ポトリと落ちてあの世に旅立ちたいものだ。桜の花は惜しまれて散るが、私なんぞはそんな風に思われることはないだろう。「おっ、死んだか、そうか」。うん、それでいい・・・。

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  まずは冒頭の写真をとくとご覧いただきたい。テーブルの上で寝そべっている愛犬ピー助を撮ったものではない。背後にある奇妙な形をした丸太だ。木の枝がバッファローの角のように伸びている。 なかなか面白い形だと思う。

 さて、女房の趣味の一つは草木染めである。私たちが暮らす生石山の様々な草木を採取し、ショールやスカーフなどを染めている。草木の種類によって色合いや風合いが異なり、その自然がもたらしてくれる変化を楽しんでいるのだ。

 染めたもののほとんどは、友人や知人にプレゼントしているが、それでも染物が少しずつ手元に残ってくる。そこで、生石高原の「山の家」で働いている知人から「お店がにぎやかになるので、染めを置いて欲しい」と頼まれ、何枚かを並べている。素人の染めなのでお金を儲けようなどとは思っていない。

 生石高原はススキの名所で年間50万人が訪れるが、素人作品を買ってくれる奇特な人はほんのわずかだ。しかし女房は「買ってくれなくても、見てくれるだけでいい」と達観している。しかし、亭主としては、女房が工夫を凝らして染めているので、何とか力になれないかと思っていた。

 衣料でも食料品でも、展示の仕方によって売れたり、売れなかったりするらしい。実演販売もその手の一つだろう。書店だって、大手出版社や売れっ子作家の本は平積みにして目立たせている。女房の染めを目立たせるいい方法はないものか・・・。

 そこで作ったのが冒頭の木工なのだ。薪を作る雑木の中に、枝が突き出た丸太があったので、何かに使えるのではないかと残しておいた。木は仏像などにも使われる木肌の美しい槇である。

 張り出した枝に染めを巻きつければ、人目につきやすいし、見栄えもするのではないかという発想である。「おや?」と染めに目を留めてくれる人がいるだけで、私も女房も本望だ・・・。

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  朝5時半、山小屋のベランダに出て、煙草に火を付ける。「プーン、プーン」という蜂の羽音が聞こえてくる。やかましいほどである。満開のエゴの花に群がり、蜜を吸っているのだ。

 エゴの花が咲き出すと、ここ紀伊山地もやっと暖かくなる。つい先日まで薪ストーブに火を入れる日もあったが、最近ではセーターを着込むだけでいい。そろそろ、半年にわたって働き続けたストーブの煙突掃除をしなければならない。

 私は高所恐怖症である。だから屋根に突き出ている煙突の所まで行けない。梯子をかけてひさしに足をかけることは出来るが、そこからどうしても一歩踏み出せないのだ。決して意気地がない訳ではない。恐怖で体が硬直してしまうのだ。

 2年前のことだ。煙突の塗料がはげてきたので、高所をそれほど苦にしない女房に懇願して屋根に登ってもらった。女房が耐熱塗料のスプレーを使っているところへ、山の仲間のドイツ人ピーターが軽トラで通りかかった。

 ピーターが叫び声を上げている。「兄貴!なんてことしているの。奥さんをそんな所に登らせて、落ちたらどうするのよ!」。彼は女性に優しいので、亭主が女房に危ないことをさせるのが我慢ならないのだ。「二度とダメよ」と釘を刺された。

 だから、煙突掃除は屋根からではなく、ストーブのダンパーからブラシをねじ込み、下から上に煤を落としていくのだ。煙突に張り付いている煤の塊がバラバラと落ちてくる。冬には時々、煙突をたたいて煤を落としてきたので思ったより煤の量は少なかったが、それでもバケツに半分くらいになった。

 ストーブ本体もきれいに掃除した。灰を取り、本体に油を塗り、ガラスを磨いた。もう15年も使っている老いたストーブだが、見違えるようにきれいになり、若返った。

 最新のストーブに比べて無骨な姿だが、山小屋の牢名主のように威張っていて、大きな存在感を漂わせている。一度もダダをこねることなく薪を燃やし続けてくれ、程よい暖かさで私たち夫婦を包み込んでくれた。厳寒の冬を過ごせるのもこのストーブのお陰である。

 再びストーブに火を入れるのは10月下旬ごろだろうが、多分、炎が恋しくなって真夏でも燃やすことがあるだろう。ストーブの炎は、不思議なほど安らぎを与えてくれる。感謝、感謝・・・。

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     ↓ おお、きれいになった!
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