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人の褌・・・野党のふがいなさ

 「人の褌で相撲を取る」・・・。昨今の国会を見ていると、そんな言葉が思い浮かぶ。

 今は安倍首相の「桜を見る会」が物議をかもしているが、ちょっと前は、安倍内閣の閣僚二人が相次いで辞任したことが問題になっていた。河井克行・前法相は、妻の参議院議員が自分の選挙運動のウグイス嬢に法定以上の報酬を支払っていたという公選法違反の疑いを指摘された。
 
 もう一人の菅原一秀・前経済産業相は、選挙区内で秘書が有権者に香典を手渡していたほか、メロンやカニ、タラコを贈っていたという疑惑。これが本当なら、これも公選法違反になる。

 閣僚二人の疑惑は、週刊文春が報じたものだ。立憲民主党など野党は、二人に対する疑惑追及に躍起になっているが、あくまでも文春報道に基づいたもので、野党の独自調査で明らかになったものではない。

 冒頭の「人の褌」は、自分に褌の持ち合わせがないので、他人に褌を出させて相撲を取るという意味だが、要するに、他人の褌でちゃっかり自分の目的に役立てることをあざ笑っているのだ。

 国会議員には、国政に関して調査を行う「国政調査権」が与えられている。しかし今回の件については、野党が調査権によって得た情報ではない。人の褌で相撲をとっているに等しいのだが、それでも閣僚の責任を追及することに難癖をつけている訳ではない。ただ週刊誌片手に追及するのは、どこか滑稽であり、ちょっと情けない。

 ただ、日本共産党は独自の情報網を駆使して疑惑を追及し、そこそこ成果を上げている。安倍首相による「桜を見る会」も共産党が火を付けた。

 野党の議員は関係省庁の役人を一室に呼び付けて追求するが、ややもすると吊るし上げに見えなくもない。そして、一その室の正面にはいかにも仰々しい「追及チーム」なる貼り紙が掲げられているのはお馴染みの光景である。「追及」したのは文春であり、野党は二番煎じである。

 昔、野党の国会議員に楢崎欣弥という人がいた。またの名を「国会の爆弾男」と言われた。 ロッキード事件やリクルート事件など数々の疑惑を国会の場で暴いたため、こんな異名が付けられた。このような議員に様々な情報が集まるのは当然で、週刊誌報道に頼る野党の皆さんは、現状をどう考えているのか知りたい。

 新聞記者をしていた私の現役時代、稀ではあったが、政治スキャンダルを取材することもあった。記者は臨機応変に国会議員とタッグを組み、議員がまず疑惑について国会で質問し、時を同じくして大々的にスキャンダルを報道するのだ。そうすればニュース価値は高まるし、新たな展開も期待できる。議員も大いに顔が立つ。

 文春と野党の構図に似ていなくもないが、ただ決定的に違うのは、野党に調査能力が欠如していることだ。そこが情けない・・・。 

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執念の干し柿作り

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家内による干し柿作りが始まった。すっかり友達になった農家おじさんに電話し、ひらたね柿を100個ほど収穫してほしいと頼んでおき、取りに行った。おじさんは1000円でいいと言ったが、家内は毎年お世話になっているので、2000円を渡し、帰って来た。

 ひらたね柿はもともと山形が産地だったらしいが、やがて和歌山でも栽培されるようになり、山形に次いで2番目の収穫量だという。和歌山では「紀の川柿」とも呼ばれている。そのほとんどは、柿渋抜きをして出荷されているが、硫黄で燻蒸した干し柿「あんぽ柿」も作られている。

 家内はあんぽ柿を参考に燻蒸ではなく、普通の干し柿を作っているが、これが甘くて美味しい。しかも、ひらたね柿は種がないので食べやすく、ボリュームもある。

 ただ、作るのに手間がかかる。皮をむいたら熱湯で殺菌し、干す。表面が少し柔らかくなったら、揉んでさらに柔らかくした後、焼酎を霧状にして噴射し、寒風にさらす。これを何回も繰り返すと、柔らかくて甘い干し柿が出来上がる。

 いつも思うことだが、家内が毎年続ける干し柿作りの情熱は一体何だろうと思うし、感心もする。食い気というより、ある種の創作活動の一環であり、いい作品を作って得心したいのだろう。
 

加太の鯛にはコブがある

 「イレグイ号クロニクル」というブログを書いているイレグイさんは、週に一度や二度、紀淡海峡に愛艇を浮かべて釣りを楽しサラリーマンである。そんな彼に誘われ、友が島の近くで船釣り楽しんだ。まさに「満喫」という言葉にふさわしい1日だった。釣果を先に書くと、この後の文章を読んでもらえないので、ひとまず朝の出航から順番に・・・。

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 朝の5時半、イレグイさんが操船する船で和歌山市内の小さな港を出航した。船は漁師が乗る漁船仕様のもので、8人乗り。結構大きい。少し北寄りの風が吹いていた。朝一番は太刀魚を狙うので、ポイントへ向かうには、友が島の狭い海峡を北に抜けなければならない。

 島の近くにさしかかると意外に波が高く、イレグイさんはここでUターンを決断した。友が島の南側で鯛とハマチを狙おうという作戦だろう。そこには、たくさんの遊漁船が集結していた。

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 私の竿にセットしてくれた仕掛けは全長10mと長く、サビキの枝素が六つか七つ付いている。イレグイさんの自作で、サビキは様々な自治体の家庭用ごみ袋のビニールを切って加工したものだ。サビキの長さは7、8㎝、下の写真のように小魚に似せて切ってある。

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 これまで色々な自治体のごみ袋を試したそうで、ネットでも情報を交換した結果、三重県鈴鹿市の薄茶色が最高、次に広島県福山市のものが続くという。その日によって魚が何色に反応するか、どこの自治体のごみ袋にするかも重要な要素になるという。なぜゴミ袋なのかは、釣り人の知恵の蓄積なのだろう。

 それにしても、細いビニールのヒラヒラになぜ魚は食いつくのか。私は魚の気持ちがまったく分からない。海の中では、ヒラヒラが小魚に見えるに違いない。その日によって魚が好む色も違うというから、魚はちゃんと色も識別できるのだ。

 いよいよ釣りの開始だ。オモリを海底に落としたら、ゆっくりリール巻き上げる。これを繰り返すのだが、竿先に当たりがあってもそのまま巻き上げるのがコツだ。第1投で早くも当たりがあったが、思わず合わせてしまった。失敗かと思ったが、幸い魚はついていた。強い引きをかわして魚を寄せると、丸々太ったハマチだ。幸先が良い。

 この後、竿先をブルブル震わせる当たりがあった。慌てずゆっくり巻いていると、竿先が海中に没するほどの引きだ。「来た、来た」と叫ぶと、イレグイさんがタモを持って駆け付けてくれた。海中に目をこらしていたイレグイさんは「赤い。鯛ですよ」と言い、タモですくってくれた。33㎝。

 ハマチに真鯛、もうこれで大満足だ。しかし釣りの楽しいドラマはこれで終わらない。次の当たりはそれほど強いものではなかったので、ドラッグを締めて魚を寄せていると、中層のあたりで猛然と走った。ドラッグを緩めようとしたが、間に合わない。竿が伸びて道糸の途中から切れた。イレグイさんは「多分、メジロでしょう」と言った。メジロなら70㎝前後はあるだろう。

 長い仕掛けを操ることに少し慣れてきた。それまではイレグイさんが世話を焼いてくれ、「釣りは自己完結」を信条にしている私は、忸怩たる思いであった。仕掛けを引き上げる時は、いくつかの針を磁石板に固定して糸がもつれるのを防ぐなど、何とか自立するよう心掛けた。

 この日のクライマックスがやって来た。当たりは水深30mほどの海底近くから伝わって来た。教えられた通り、リールをゆっくり巻き続けた。ほんの数秒後、竿が海中に突き刺さった。魚が針に掛かったのだ。緩めておいたリールから「シュー」という音をたてて糸が出る。親指で糸を押さえながら竿をあおり、その間に巻いて距離を縮める。

 しかし、また糸が出る。竿先をゴンゴンと叩くような引きだ。素人ながら、ハマチとは違うと思った。私のやり取りを見ていたイレグイさんは、ただ事ではないと思ったのか、タモを手に駆け付け、「大きな鯛でしょう」と言った。糸を出したり、巻いたりの攻防が続いた。そして海中に赤い魚影が反転した。

 イレグイさんがすくってくれたのは、これぞ全国ブランド、正真正銘の「加太の鯛」だ。全長43㎝。桜色に輝いていた。私はこれほど大きい鯛を釣ったことがない。有頂天である。

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 この後も釣れ続いた。38㎝の真鯛を追加し、真鯛3匹、ハマチ4匹の計7匹がこの日の釣果だった。風が弱まる気配はなく、午前11時前に終了。波が静かな湾内でイレグイさんが魚を締めてくれた。魚の脳天に針を突き刺して即死させるなど手際がいい。美味しく魚を食べるには、このように上手に締めなければならない。

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 船上でイレグイさんが話した。「加太の鯛の肋骨にはコブがあるんですよ。急流を泳いでいるので、肋骨が折れてコブになると言われています」。半信半疑で聞いていたが、本当にコブがあったのだ。鯛めしを炊き、骨に付いた身をせせっていたら、直径5ミリほどのコブが二つ付いていた。

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 鯛めしは、上品な脂が乗っていて実においしかった。京都に行列の出来る鯛めしの店があるが、そんな名店より美味しい気がした。やはり自分が釣った魚は格別である。大きい鯛は刺身にし、家内はカルパッチョして食べた。4日間、魚尽くしだった。

アンコールワットは荘厳だった

 世界遺産「アンコールワット」観光のため、タイからカンボジアのシェムリアップ空港に到着したのは深夜だった。赤い菩薩(?)像が迎えてくれた。大型のリゾートホテルにチェックインし、クメール料理の遅い夕食を食べた。眠りについたのは午後11時を過ぎていた。

    ↓ 観光の玄関口シェムリアップ空港に深夜到着。
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    ↓ クメール料理
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 翌日はアンコールワットから朝日を鑑賞するツァーに参加することにしていた。ツァーの出発時間を午前4時と思い込んでいたので、3時半に起きた。実際の出発は5時なので、早く起き過ぎたため家内からチクチク文句を言われた。近年、年のせいか、思い違いが少なくない。

 暗闇の中をバスで走った。遺跡の駐車場に到着すると、少し空が明るくなった。お堀(環濠)の橋を渡り、しばらく歩くと、目の前にアンコールワットが迫ってきた。テレビや観光パンフレットで見たあの石塔だ。午前6時過ぎ、朝日が昇ってきた。「荘厳」とはこういう光景を言うのだなあと思った。

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 正面からは塔が三つ見え、この光景が国旗などに描かれているが、見る角度を変えると下の写真のように塔が五つ見える。これが本来の姿だ。改めてあたりを見渡すと、物凄い数の観光客だ。アジア人より欧米人の方が多かったように思う。池に逆さに映る石塔の写真に撮った。

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 朝日を見学した後、一旦ホテルに帰り、朝食を食べた。「クイティウ」はカンボジアを代表する麺料理という。ラーメン好きだから、食べたかった一品だ。あっさりした味付けで、日本の豚骨、醤油、煮干しラーメンとは違うし、麺はそうめんに似ていた。麺の量は少な目だ。

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 これから見学するのは、アンコールワットの北側に位置する「アンコールトム」という遺跡で、世界遺産に登録されている。遺跡は3キロ四方に及ぶ大きなもので、9世紀以降に建設された。東西南北に石の門が築かれ、それぞれに観世音菩薩の彫像を戴いている。下の写真は南大門。

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 城さいは巨大だから、入り口で小型のマイクロバスに乗り換え、下の写真のような道路を走る。沿道には、ベニヤ板で知られるラワンの大木が林立していた。

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 アンコールトムの代表的な寺院「バイヨン」は、美しい塔という意味らしい。ここには数えきれないほどの観世音菩薩が彫られており、最も慈悲深いとされる菩薩が下の写真。「クメールの微笑」と称され、写真スポットだ。人々に安心感を与えるような笑みを浮かべている。寺院の回廊には、精緻なレリーフで埋め尽くされていた。

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 1186年の創建と言われる「タ・プローム」寺院を訪ねた。仏教とヒンドゥー教の二つの宗教が入り混じる寺院だ。あちこちで大蛇のような木の根っこがのたうち回っていた。この根が長い年月をかけて石の寺院を破壊してきた。わが家も庭の木の根が伸びて、玄関のタイルが盛り上がった。どうでもよいことだが・・・。

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 午前の観光を終え、昼はレストランで焼きそばを食べた。そばは長さが7、8センチで、モヤシのような形。焼きうどんの味付けだった。「Ankor」という銘柄のビールを注文したが、近年、ビールはどの国に行っても美味しいと思う。

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 午後は、今回旅行の本命、アンコールワットだ。9世紀初頭、クメール王朝によってヒンドゥー教寺院として建設されたが、16世紀後半に仏教寺院に改修された。ここでも回廊のレリーフなどからヒンドゥー教を消し去る痕跡が見受けられた。

 遺跡に足を踏み入れ、その象徴の五つの塔を見上げると、高さは60mもの石の芸術に圧倒される。塔の上層部へは入場が制限されているが、高所恐怖症の私には行くことが出来ない。下から階段を見上げると、スキーのジャンプ台をはるかに凌ぐ急こう配だ。

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 長い回廊には、様々な石のレリーフが光彩を放っていた。これらには、ヒンドゥ教の神話や説話、道徳律などがを書かれており、アンコールワットの貴重な遺産だ。五つの石塔にばかり目を奪われていたが、レリーフが現代に語りかけているのもまた、世界遺産にふさわしい。

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 アンコール観光の翌日は、午前中がフリータイムだ。そこで私たち夫婦は、ティクティクという三輪車でシェムリアップ市内のオールドマーケットに行った。ホテルへの帰りも同じティクティクを利用し、料金は3時間の待ち時間を入れ9ドル。風を切って走るので、涼しかった。

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 旅先の市場を見て回るのは楽しい。買い物客の装いと表情、売られている品物、市場の臭い・・・。その土地柄を映し出す。マーケットは規模が大きく、食料品から民芸品、レストランまで何でもあった。ガイドから、半分くらいなら値を切れることが多いと聞いていたので、ゲーム感覚で値切り、色々と買った。時々、店員を気の毒に思うこともあった。

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 マーケットでは、ぜひドリアンを食べたいと思い、探し回ったが売られていなかった。諦めてホテルに帰り、道路の向かいを見ると、荷車にドリアンらしきものが載せられているのが見えた。ただし、そこへ行くには、2本の道路を渡り、さらに二つの堤を下って湿地を踏み越えなければならない。

 家内は引き留めたが、行くことにした。やっと荷車にたどり着き、値段を聞くと9ドルと言う。ドリアンは中国が買い占めているとのことで品薄なのだろう。それにしても高い。食べたくて仕方がないような私の表情を見て、足元を見たのだろう。しかし、ここまで来たのだから買うしかない。臭いはきついが、美味しかった。ただし、湿地のぬかるみで靴が泥だらけになった。

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 アンコール観光のすべて終え、シェムリアップ空港(下の写真)に到着、ここで乗り換えてバンコクに向かった。振り返れば、今回の旅行では、各地で好奇心を刺激された。年はとってもまだまだ好奇心だけは旺盛だ。しかし家内は「そろそろ海外旅行はおしまいね」と冷や水を浴びせた・・・。    (終わり)

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    ↑ シェムリアップ空港

破壊された仏頭・・・アユタヤの寺院

 二つの旅行社から、海外旅行の案内パンフレットがひっきりなしに送られてくる。それぞれの旅行社のツアーに何度か参加したことがあり、これが縁で郵送リストに登録されたのだろう。言ってみればお得意様ということになるが、年金生活の私たちはそれほどの上客ではない。

 パンフレットに目を通すのは家内の役目であり、楽しみにもしている。お得な旅行があれば、「これどう?」と家内から提案があるが、年に一度か二度、海外旅行に行ければいい方である。世界遺産を巡るなどという旅のテーマがある訳ではなく、安くて面白そうであればそれでいい。

 家内が提案したのは、阪急交通社の「アンコールワットとバンコク・アユタヤ周遊6日間」という旅行である。アンコールワットと言えばベトナムとセットになっているのが定番だが、バンコクからカンボジアに入るのは珍しく、代金も10万円を少し上回るだけだから旅行は即決である。

 肌寒い晩秋の日本から、熱帯への旅が始まった。家内のタイ旅行は二度目だが、私は初めて。まずはバンコク市内のワットポーというお寺で、金ピカのお釈迦さんの寝姿を見学した。全長49m、高さ12m。家内は私の足裏を見て「偏平足!」と嘲笑するが、このお釈迦さんの足裏は私以上で、「偏平足は悟りを開いた者のしるし」として敬われているそうだ。偏平足は偉いのだ・・・。

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 宿泊先のホテル近くにある屋台の通り行った。屋台や市場の表情は、その国、その街の雰囲気を如実に表している。全長100mほどの通りの両側にぎっしり屋台が建ち並び、活気に満ちていた。それは経済成長を続けるバンコクの姿に思えたし、特有の臭いはまだ十分発展していないお国柄の一面とも受け取れた。

 ある屋台が目に留まった。ココナツと黄色い果物(名前が分からない)だけを売る小さな屋台で、ココナツを割ってもらって飲んだ。屋台を開いている女性は3、40歳。見るからに純朴そうで、郊外の農家の主婦かもしれない。様子を見ていると、この店には不思議に客が集まって来る。その女性の正直そうな雰囲気が客を呼び寄せるのだろうか。旅行中に味わったココナツの中で、ここが一番甘かった。

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 翌日は、バンコクから80キロほど北上し、14世紀から400年栄えた王朝の首都アユタヤを訪ねた。仏教文化が花開き、遺跡群は世界遺産に登録されている。アユタヤ王朝時代を代表する寺院3か寺を見て回ったが、その一つ「ワット・マハタート」は、木の根に埋もれた仏頭が有名だ。

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 この寺院の石仏はことごとく首から上が切り取られ、徹底的に破壊しようとした強い意図が感じられた。例の木の根に埋もれた仏頭も、長い年月の間に頭だけが木の根に取り込まれたものらしい。仏像を破壊したのは、アユタヤを滅亡させた隣国ビルマ軍だった。

 現地ガイドの女性は「ミャンマーとタイの間では26回もの戦争が起き、ミャンマーが24勝し、タイは2勝しただけでした」と悔しそうに話した。国境を接する国々は紛争が多く、この両国も例外ではない。

 頭のない仏像を見ていて、思わず難しい日韓関係を思い起こした。韓国に限らないが、隣人とは動かすことの出来ない厄介な関係である。1995年、金泳三大統領は日本統治時代の象徴でもあった朝鮮総督府を爆破し、日本統治の痕跡を消し去った。仏像の首を切り落としたミャンマー王朝の意図と似ていなくもない。

 今の文政権が進める「積弊清算」も、長年にわたって積もった悪しき弊害を清算しようというものであり、「親日」もまた積弊清算の対象である。現在も保守政権時代に権力の中枢にいた多くの人たちを拘束し、裁判にかけている。

 韓国では、戦犯企業の日本製品を買わない運動が起きており、文政権を忖度した自治体までもが率先している。これに対し、タイはミャンマーに攻められ放題だったが、タイによるミャンマー製品の不買運動が起きているとは聞かない。だが、韓国が持ち続ける恨みの感情は根深い。アユタヤで見た首なし石仏が、そんなことを連想させた。

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 その後、夫婦でゾウに乗った。ゾウ使いは、ゾウの耳の裏を足先でつつき、方向や速度をコントロールしているよに見えた。巧みなものでる。様々なタイ料理も食べた。旅行に行く前、家内からタイ料理の独特の味を聞かされていたが、それは北部チェンマイのことで、日本人が多いバンコクやアユタヤでは何を食べても美味しかった。

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 アユタヤの翌日はアンコール遺跡の観光だ。夜遅く、遺跡に近いカンボジアのシェムリアップ空港に到着した。乗った飛行機はプロペラ機で、少し不安だったが、無事着陸した。空から見える地上の明かりはまばらで、密林に囲まれた空港のようだった。     (続く)
 

柚子は大馬鹿

 桃栗3年、柿8年、梅はすいすい13年・・・。桃や栗が実を結ぶまでの歳月のことだ。これに続く果実は色々あるが、枇杷や梨などは梅より長く、柚子も「大馬鹿18年」と皮肉られている。小説「二十四の瞳」で知られる壺井栄の文学碑(小豆島)にも、「柚子十八年」と刻まれているそうだ。

 確かに柚子は、実を付けるまで長い歳月が必要だ。家内が、大津の自宅の庭に柚子の苗木を植えたのは14年前。初めて実を付けたのは2016年に3個、翌年には5個だった。今年はまだ収穫していないが、17個も実を付け、やっと本格的に収穫出来るようになった。苗に成長するまでの期間を入れると、「大馬鹿18年」はそれほど大げさな話ではない。

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 わが家の食卓に柚子は欠かせない。6月から10月までは鮎を釣り、塩焼きや天ぷらにして食べるが、鮎に柚子をしぼれば食味は一気に増す。昔、クリープのないコーヒーなんて・・・というテレビCMが流れていたが、柚子は鮎になくてはならない脇役である。クリープとなんて、えらく古い話で、恐縮・・・。

 先日、紀の川河畔に暮らす友人が、自分の畑で採れた柚子をレジ袋にいっぱい入れて持って来てくれた。うれしいお土産である。家内は、柚子は捨てる所がないという。無骨な柚子と言っては失礼だが、大きな種がいっぱい入っている。家内は種を日本酒に漬け込み、化粧水を作るのだ。肌に刷り込むと、しっとり、つるつるする。

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 家内は他にも色々作る。柚子をスライスして蜂蜜に漬け込めば、ちょっとしたおやつになる。種を漬け込んだ醤油は風味万点だ。さっぱりした味の柚子大根は朝食の友である。ブログ仲間のイレグイ号さんからは、自家製の柚子胡椒をいただいたが、なかなか乙な味だった。

 柚子酢は各地の道の駅などで売られているが、味はピンキリだと思う。私のイチ押しは、南紀古座川に「ゆず平井の里」という農事組合があり、ここで売られている「しぼりゆず」は美味しい。有名な料理研究家によると、日本料理はたった二つの食材で四季を表現できるそうだ。その二つとは、柚子と山椒・・・。

竿が返る・・・鮎1匹の恩義

 鮎釣りのホームグラウンド有田川は、台風19号の影響で大雨が降り、1m以上も増水した。このところ好天が続いたので、そろそろ川の水が引き、釣りが可能になるかもしれない。そこで釣りの再開に備え、車のトランクに入れたままにしていた竿を手入れしようと、取りに行った。

 ところがトランクはもちろん、座席も探したが竿は見つからなかった。家に持ち帰っていたのかもしれず、家のあちこちを探してみたが、やはりなかった。最後に鮎釣りに行ったのは10月9日だ。それ以来、川が増水して川には行っていない。ということは、その日の釣りを終え、車を駐車していたオトリ店に置き忘れたことになる。

 ところで、鮎釣りをする人は、中に悪い人がいる。過去2回、盗難に遭ったことがある。20年ほど前、南紀の日置川に釣りに行った時、釣った鮎をオトリ缶に入れ、民宿の水槽に入れておいたが、夜のうちに鮎もろとも盗まれた。

 もう一度は5年ほど前だ。有田川の河原に軽トラを止め、すぐ近くで釣りをしている間に、荷台に載せておいたオトリ缶を盗まれた。わざわざ荷台のカバーを外して盗むという大胆さだった。オトリ缶は数万円するし、鮎を生かすためのエアポンプも外付けしてあった。ただし、鮎は入れていなかった。

 私の竿は真っ赤で、川ではよく目立つ。値段は10数万円と高価なものである。もしオトリ店の野外に置き忘れていたら、盗まれる可能性は高い。しかも、あれから1週間も経っている。覚悟はしていたが、念のためオトリ店に電話を入れると、店のオヤジは「ちゃんと預かっているで。赤い竿やから、あんたの竿だとすぐ分かった」と言い、鍵のかかる部屋に保管してくれていた。

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 実は、10月9日の昼頃、鮎釣りを終えて川を歩いていたところ、下流から来た50歳くらいの人と出会った。「釣れた?」と話しかけると、「いや全然釣れない。オトリは2匹買ったが、1匹は根掛かりで失ってしまった。残りの1匹も弱っているので、午後の釣りは期待できませんわ」と弱々しく笑っていた。

 ここのオトリ店はすでに閉店しており、オトリを買うことが出来ない。そこで私は「よかったら1匹あげますよ。このオトリで午後頑張って」と言い、オトリ店の前の水槽で元気のいい鮎を選んで進呈した。京都から来たという彼はホッとした様子で、私にオトリ代として500円玉を渡そうとしたが、受け取る気はなかった。

 そう言えば、水槽でオトリを選んでいる時、竿を壁際に立てかけていたことを思い出した。彼は恐縮し、何回もお金を渡そうとするのだが、そんな謙虚な気持ちを気の毒に思い、あわてて車を発進し、自宅に向かった。すっかり、竿をのことを忘れていたのだ。

 少し大げさかもしれないが、私が進呈したオトリ鮎は、彼にしてみれば「地獄で会った仏」のようなものだったかもしれない。実際私も同じような境遇になっていたら、追い詰められてやる気を失っていただろう。たった1匹の鮎だが、これでやる気が起きるのが鮎釣りでもある。鮎釣りは一にオトリ、二にポイント、三に腕前・・・なのだ。

 私はこの日、鮎をたくさん釣った。嫌らしい話、もし釣果が数匹だったら、進呈をためらっていたかもしれない。でも彼は、オトリ店のオヤジが店に帰ってくる夕方まで待ち、私が置き忘れた竿を預けてくれた。きっと、恩義の1匹だったのだろう。

       *       *      *

 なお17日、竿を取りにオトリ店に行ったが、有田川は泥濁りで、増水したままだった。オヤジは「鮎のシーズンは終わったな」と寂しそうにしていた。もちろん、私の今年の鮎釣りも終わった。 

科学24人目のノーベル賞

 今年もまた、日本人がノーベル賞を受賞した。リチウムイオン電池の開発に貢献した化学賞の吉野彰さんだ。科学分野で日本人が受賞したのは24人目。昨年には、がんの治療薬オプジーボを開発した京大の本庶佑教授が受賞したばかりで、まだ記憶に新しい。

 さて、そのリチウムイオン電池についてだが、私はまったくの無知だった。つい最近まで、リチウム電池やニッカド電池、アルカリ電池の違いがよく分かっていなかった。

 私はブログに写真をアップするため、カメラをいつも持ち歩いている。日本アルプスの風景や高山植物の写真を撮るのも趣味である。カメラは1万円か2万円の安物だが、それで十分きれいに撮れる。カメラの電源は単3のアルカリ電池2本である。

 登山では山小屋で3泊、4泊するので、最低でも電池を6本持って行く。標高2000m、3000mに建つ山小屋では電気を自家発電と太陽光に頼っており、節電のためカメラやスマホに充電することが出来ない。だから、あえてアルカリ電池のカメラを使っていたのだ。

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 しかし、私は電池の進歩から完全に取り残されていた。そもそも、リチウムイオン電池の性能を信じていなかった。登山の途中で電気切れしたらどうしようと思っていた。この春、写真に異物が映るのでカメラを買い替えたが、店員の勧めで買ったリチウムイオン電池のカメラは、一度の充電で軽く500枚以上の写真を撮ることが出来たのだ。これはもう驚きだった。

 今回のノーベル賞報道で、電気自動車から人工衛星、潜水艦の動力源としてリチウム電池が使われていることを知った。小型化によってスマホが爆発的に普及し、しかも蓄電能力がさらにアップすれば環境問題の切り札になるとのことだ。吉野さんのノーベル賞は、電池が新たな歴史を切り開いた快挙であることが分かった。

 そこで、お隣韓国の人たちには申し訳ないが、ちょっと一言・・・。日本製品の不買運動である。韓国がスマホの輸出大国であることは承知しているが、その高性能化、小型化に貢献しているのはリチウムイオン電池である。元はと言えば、日本発の技術なのだ。韓国でも電池を生産しているが、その周辺部材は日本から輸入しているらしい。韓国は都合よく不買運動と輸入を使い分けているのだ。

 植民地という歴史問題があるにせよ、不買運動で留飲を下げるなんて、立派な先進国としていかがなものか。韓国の得意分野の半導体製造についても、フッ化水素酸など3品目は日本に依存していた。もちろん韓国にも誇るべき技術がたくさんあるので、姑息に日本を自慢している訳ではない。

 要するに、不買運動はポピュリズムの最たるものだ。他国の国旗を燃やしたり切り裂いたりするのも同じである。国民の愛国心に火をつけても、何の解決にもならない。買いたい物があっても、他人の目を気にして買えない。日本旅行したくても、行く先を言えない。やはりおかしいと思う・・・。

終盤の鮎は婚姻色・・・有田川

 鮎の別名は「年魚」である。釣ってすぐ手にすると、ぷーんと瓜の香りがするので、「香魚」という別名もある。今回は、わずか1年で生涯を終える「年魚」という鮎についての話である。

 人生100年時代と言われ、人間は長生きするようになった。これに対して鮎は1年しか生きられないが、それをもって一概にかわいそうとか、はかないなどとは言えない。途方もない宇宙の時間からすれば、人間の100年も、鮎の1年も、星のまばたきの程度に過ぎないのだ。

 鮎は晩秋に川を下り、河口で産卵すると、死んでしまう。生まれた小さな命は、早春、川を遡上し、初夏には成魚に成長する。そして落ち鮎となって命のバトンタッチを繰り返す。短命だからと言って同情するのは、人間の勝手な思い違いだろう。

 さて、マンネリで恐縮だが、鮎釣りのレポートを少々・・・。すでにブログに書いたが、9月27日の釣行では入れ掛かりもあって午前中に16匹だった。その1週間後の10月4日も有田川の中流域で竿を出した。釣果は同じ16匹で、22㎝ほどの良型が混じった。そして3日後の7日も有田川で釣りを楽しみ、昼までに19匹釣れた。

 ↓ 10月4日の釣果、下は10月7日の釣果
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 このところ1週間に2回くらいは釣りに行っているので、鮎が食卓に上らない日はないくらいだ。鮎は毎日でも食べても飽きのこない魚である。手の込んだ料理をするよりも、シンプルな塩焼きか天ぷらにする方が、鮎本来の味を楽しむことが出来ると思う。

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 秋の深まりとともに、鮎の下腹はオレンジ色になり、産卵に向けた準備が進んでいることを知らせてくれる。これを婚姻色といい、塩焼きにすればオレンジ色が際立って見える。そして身をほじると、腹に小さな卵や白子を抱いているのもこの時期だ。

 有田川では10月1日を迎えると、川の浅瀬のような所に鮎をせき止める刺し網のようなものが何か所も設置される。河口に下る落ち鮎をここで止め、投網で一網打尽で捕えようというもので、全国の河川で行われている「瀬張り網漁」である。

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 川に刺し網が設置されると、あぁ、もうこんな季節になったのかと寂しい気持ちになる。他の釣りと比べて、鮎釣りは特別だと思う人は少なくない。自らを「鮎師」と呼ぶ人がいるし、鮎を魔性の女性になぞらえる人もいる。釣りの戦略性もまた魅力なのだ。

 私に鮎釣りを教えてくれた師匠のMさんは、押しも押されぬ名人であり、とことん魔性に取りつかれた一人である。彼の奥さんからよくお小言を聞かされたものだ。「鮎のシーズンが終わると、腑抜けになり、ひと月は寝込むんですよ」。師匠が腑抜けになる日は近い・・・。

タラの木の盛衰

 道路からわが山小屋を見上げると、すぐ正面にタラの木が生えている。幹の直径は14、5㎝ほどあり、おそらく10年以上の古木だと思う。それなりの存在感があり、わが家のシンボリックな樹木だ。

 春になると、四方に広げた枝からタラの芽がたくさん採れる。山菜の女王などとも呼ばれ、天ぷらにするとほのかな苦みが何とも言えず、春を感じさせてくれる。

 実は、この古木に異変が生じ始めたのは、梅雨明けの頃だった。葉がしおれ、次第に茶色になった。原因はまったく分からず、病気が伝染しては困るので、枯れた枝を何本か切った。しかし、その後も枯れる現象は続き、健全な枝は2本しか残っておらず、古木の命はもはや風前の灯火である。

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 これだけには留まらなかった。ここ、2、3年の間に生えた背丈1m以上の幼木も次々と枯れ、その数は4本にも上った。それらの根元を見ると、虫に食われたように黒くなり、樹液のようなものも垂れていた。やはり害虫が原因かもしれない。

 ただ、悪い事ばかりではなく、新しいタラの木が次々と芽を出した。全部で10本くらいはある。山の伐採地などにいち早く生育するパイオニア的な樹木は、タラの木や山漆、アカメガシワなどが知られるが、わが家の敷地では樹木を伐採しておらず、この例に当てはまらないと思う。

 老木の命が尽きようとしている時に、その一方で新しい幼木が育っている。地中に伸びた老木の根から芽が出てきたのだろうか・・・。人間社会に栄枯盛衰があるように、樹木にも命のバトンタッチが繰り返される。

 わが家のタラの木を見ていると、「輪廻」という柄にもない難しい言葉を思い浮かべる。古い樹木が枯れ、その分身の新しい命が芽生えるように、生命が無限に転生を繰り返すさまは、人間の飽くなき願望だろう。死んだらハイ終わりと分かっていても、老境に入るとなかなか潔くなれない。往生際が悪い・・・・。

 

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