森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

「私を見つけてくれて有難う」・・・アニメ・この世界の片隅に

348641_001[1]

  アニメ映画「この世界の片隅に」を観に行った。アニメを劇場で観るのは初めてだ。正直言って、アニメは漫画本の延長みたいに思っていたので、余り関心がなかった。しかしそれはとんでもない認識不足だった。アニメにしか出せない味わいがあり、すごく面白かった。

 この作品は、「キネマ旬報」で日本映画作品賞に選ばれ、片渕須直監督はアニメ作品では史上初となる映画監督賞も受賞した。これは後から知ったことで、私は主役「すず」の声を演じた「のん」(能年玲奈)さんの大ファンであり、彼女を応援する気持ちで劇場に足を運んだのだ。

 彼女が主演したNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」は、毎朝欠かさず観ていた。後日の再放送をすべて録画し、そのDVDは私のちょっとした宝物である。女房がいない時、こっそり観たりしている。何が原因か知らないが、「のん」さんは芸能界から冷遇されている。稀にみる豊かな才能を摘んでしまう芸能界に義憤を感じているのだ。

 片渕須直監督は、何かのインタビューで「主人公すずの声を演じるのは、のんさん以外に考えられなかった」と語っていた。私ものんさんの才能に改めて驚嘆した。スクリーンに映し出される絵も素晴らしかったが、この映画に魂を吹き込んだのは、間違いなくのんさんだった。

 映画は、広島市内で屈託なく暮らす浦野すずの幼少期から始まる。絵を描くのが得意で、友だちに瀬戸内海の白波をウサギのように描いて見せた。やがて軍港に近い呉に嫁いだ。夫は鎮守府の書記官で、思いやりのある優しい人だったが、小姑のお小言に耐えなければならなかった。

 やがて呉も戦争に巻き込まれて行く。戦況の悪化で配給が乏しくなり、野辺で野草を摘んだり、4匹のめざしを分け合ったりしながら、不器用ながらもささやかな暮らしを懸命に守っていく。しかし昭和20年6月の空襲で時限爆弾が爆発し、一緒にいた姪の少女が死亡し、自らも右手を失った。

 8月6日には広島に原爆が投下され、15日に天皇陛下の玉音放送によって終戦となった。ラジオ放送を聞いたすずは外に飛び出して号泣した。翌年、夫ともに広島を訪ねたすずは、廃墟の中で夫に「この世界の片隅で自分を見つけてくれて有難う」と語りかけた。そして、この世界の片隅で出会った戦災孤児の少女を連れて呉に帰った。

 この映画は、戦争に翻弄される家族を描いているが、グリグリと反戦を押し付けるような映画ではない。主人公のすずは、どこかぼんやりとした性格で、少女をそのまま大きくしたような人物だ。すずは、戦争を鼓舞するような当時の風潮に疑問を持つこともなく、ちっちゃな体でその苦難の時代を受け入れていた。

 のんさんのほんわかとした独特の語りによって、すずを血の通う生身の人間として生き返らせた。これはもう見事である。もちろん絵も素晴らしかった。中でも、冒頭の絵のように、食事の足しにと野草を摘むシーンは健気さが溢れていて印象的だった。市井のどこにでもいる普通の人間を、けれんみなく描いた良い作品だった。
スポンサーサイト
   16:30 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 

日米首脳会談・・・国益か対米追従か

 安倍首相とトランプ米大統領の首脳会談が終わり、その後二人はフロリダに移動し、ゴルフをしながら交流を深めたようだ。それに合わせるかのように北朝鮮がミサイルを発射し、冷水を浴びせた。

 日本共産党の志位委員長は首脳会談についてさっそく「トランプ大統領への追従が際立つ」と批判した。さらに今回の会談は「海外で戦争をする国を作ろうと約束したことにほかならない」ともこき下ろした。

 対米追従を唱えるのは志位委員長だけでなく、民進党や社民党など野党も「トランプべったり」と批判した。日本としての主体性がなく、米国の意向を重視する外交姿勢だと言うのだが、右翼団体も同じような主張をしていることを思うと、少し笑えた。

 東西の冷戦が終わり30年ほどになるが、従来の親分子分の関係もまた崩壊した。国益も安全保障も複雑化し、どの国を相手にしても一筋縄でいかない時代になった。日本は「アメリカのポチだ」という自虐的な批判は、一面的で時代遅れだろう。

 対米追従への非難とは別に、日本の「抱き付き戦術」を批判する人もいる。変な例えだが、誰かと喧嘩する時、相手に抱き付いてしまえば身動きできず、殴られることもない。外交でも同じように、相手国の懐に飛び込んでしがみ付くと、相手はなかなか反撃しにくくなる。

 昨年12月、安倍首相が世界の首脳に先駆けてトランプタワーを訪問したことを、野党は「アメリカに抱き付き、みっともない」と批判した。政権側は意に介さず、金のドライバーまでプレゼントした。そして愛娘のイバンカさんからも褒められた。

 抱き付き戦術は確かに成功したかに見える。トランプさんは尖閣諸島の防衛に協力すると明言し、自動車の輸出、為替操作などの懸案も余り口にしなかった。日本側は胸をなで下ろし、ゴルフまで付いた首脳会談は100点満点と胸を張った。

 ところがどうした訳か、逆にアメリカが日本に抱き付いたのだ。

 トランプさんは大統領選中、在日米軍の駐留経費について日本側の負担を増やせとまくし立て、応じなければ米軍は撤退するとまで言っていた。しかし今回、「この機会に言っておきたいが、日本の国民が米軍駐留を受け入れてくれていることに感謝する」と語りかけたのだ。

 唐突の感謝に日本側は「ウソだろう」と思ったかもしれない。確かに日本負担の駐留経費は75%ほどで、ドイツや韓国などに比べてダントツに高いけれど、この手のひらを返すような発言は何だろう。そう言わせた安倍さんも偉いが、アメリカ側の抱き付き戦術にも魂胆があるかもしれない。

 西洋人は思ったことをズケズケと言い、自己主張も強い。今回の入国禁止措置についてイギリスやフランス、ドイツなどは遠慮せずに批判をしている。日本は難民をほとんど受け入れていないので偉そうなことは言えず、無言を貫くしかないし、首脳会談でも発言を控えた。

 日本は、他を批判したり非難したりするより、褒めるのが伝統的に得意なのだ。仮に抱き付き戦術が失敗した場合は、「褒めて褒めて喜ばせる」戦法がある。褒め殺しは右翼の戦術で逆効果だが、褒めて喜ばせるのだから罪はない。トランプさんには案外この戦法は効くかもしれない。

 とにもかくにも、日米首脳会談は平穏に終わった。うまく行き過ぎたので、これからを心配する声もある。トランプさんは平気で手のひらを返す人でもある。「一つの中国」問題では台湾の肩を持ったが、先日には一転して中国の習近平に微笑んで見せた。

 さて、これからの日米関係はどのように展開していくのだろう。フロリダ招待の費用はトランプさん持ちだそうだが、「ただより怖いものはない」という言葉もあるのだが・・・。


   14:08 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 

五輪ゴルフ問題・・・小池知事の発言に???

5AC24E36425244A4B3D3E436077BF6A6_LL[1]
      ↑ 洞川温泉の結界門

IMG_2555.jpg
      ↑ 吉野山から山上ケ岳への途中にも結界が

 山岳信仰の大峰山系(奈良県)を代表する 山上ヶ岳。その頂上には大峯寺があり、一帯の山とともに平安時代以来、厳しく女人禁制が守られている。天川村洞川(どろがわ)温泉の登山口や千本桜の吉野山の登山道にも「女人結界」の石碑が建てられ、女性の立ち入りを禁じている。

 女性差別だと言う人もいるにはいるが、これまで大きな問題になったことはない。平安時代の昔から女人禁制と決まっているので、しようがないとみな思っている。修行の山で男と女が一緒にいるとろくな事がないから、女人禁制という伝統には一理も二理もある。

 いや、女人結界のことを書きたいのではなく、2020年の東京五輪から正式競技になったゴルフの問題だ。会場は、埼玉県の名門ゴルフ場・霞ヶ関CCで、ここは女性の正式会員を認めていない。とは言っても、会員同伴であればプレーができるから、全面的に女性を排除している訳ではない。

 そこで東京都の小池百合子知事は「女性が正会員になれないことには違和感を覚える。ぜひ一考していただきたい。逆に言えば(女性の正会員を認める)いいチャンスではないか」と発言した。私に言わせれば、小池知事のご親切な進言は、余計なお節介である。

 霞ヶ関CCでの開催については、会場決定のプロセスが不透明であるとか、真夏に埼玉県の内陸部でゴルフをやるのは選手にとって酷ではないかという意見はもっともである。そして、霞ヶ関CCでの開催が五輪憲章に照らしておかしいのであれば、他の会場で実施すればいいだけの話だ。

 しかし会員でもない小池知事が、クラブ運営についてしゃしゃり出るのは越権行為だと思う。そもそも、会員制クラブは会員の自治や総意が尊重されるのだ。もちろん、霞ヶ関CCの理事会で女性会員を認めることになり、その結果として五輪会場に決まればそれはそれでいいと思う。

 自身のことを書いて恐縮だが、私はかつてシングルとしてプレーし、ゴルフ場の委員に推挙されて運営に携わったことがあった。その経験から言えば、どこもクラブの自主自尊は強い。ゴルフ場の規律や品位を守るため、来場時はブレザーを着用すること、入れ墨を入れている人の来場を拒否することなど、エチケットにいたるまでこまごまと定め、より良い環境作りに努力している。

 ゴルフ場には伝統を重んじる気風が強く、霞ヶ関が女性会員を認めないのもその表れだろう。聖地と呼ばれる英国セントアンドリュースは2015年に7人の女性会員を認めるまで女人禁制だった。米国男子ツアー・マスターズが開催されるオーガスタGCでも2012年に女性2人を正会員にしただけだ。

 世界の潮流は女性にも門戸を開こうというもので、歓迎すべきだと思う。しかし、小池発言のように外圧で改めるのではなく、本来、会員の総意で決められるべきものだ。どうも小池さんという人は、時々見当違いのことをおっしゃる。女性の社会進出や活躍を後押しするのはいいが、ゴルフ場の運営にまで口出しするのは、言葉が走り過ぎた感じがする。

 生前の社会党首土井たかこさんの口癖だった「駄目なものは駄目」、会津の「ならぬものはなりませぬ」というのも、ある意味で一つの見識であり、この世には理屈が通じない場合だってある。まさか大峯寺に「そろそろ女人禁制を解いてはいかが」とは言えまいし、女性が無理やり大相撲の土俵に上がることも出来はしない・・・。
   09:20 | Comment:0 | Trackback:0 | Top
 
 

エジプト・・・ピラミッドは想像を絶した

 エジプト旅行記の最終章は念願だったピラミッドの見学で締めくくりたいが、その前に余り愉快ではない話から始めたいと思う。

 砂漠の中にそびえるギザのピラミッド群を見上げながら、ぶらぶら歩いていた。石をまたいで通路に戻ろうとすると、首から身分証明書のようなものをぶら下げた肥満男が近づいてきて、「そこを歩いてはいけない」と身振り、手振りで先に進むよう促した。

 ここのスタッフと思い、仕方なく前に進むと、男はまた近寄ってきて自分を指差して「ナゴヤ、ナゴヤ」と言った。どうやら、名古屋に行ったことがあると言いたかったようで、盛んに握手を求めた。余りにしつこいので、男を不審に思うようになった。

 すると今度は別の男がやって来て、私からカメラを取り上げると肥満男とのツーショット写真を撮った。私は男から無理やりカメラを取り上げ、ツアーの仲間がいる場所に戻ろうとしたが、「チップ、チップ」と言って執拗についてきた。

 私は相手にせず、ツアー仲間の所に戻った。ここには現地ガイドや添乗員もいたので、男たちは諦めて姿を消した。実は、われらにはツアーポリスが同行していたが、その時は姿が見えなかった。ポリスは政府が派遣した私服の警察官だ。
    
IMG_0208.jpg
   ↑ 周囲に目を光らる私服のツアーポリスだが・・・
 
 別の場所では、同じツアーの年配の女性がアラブ人からこれまた「チップ」を取られそうになっていた。男は頼まれもしないのに砂漠の砂をすくってきて押し付け、チップを執拗に要求したのだ。気丈な女性は撃退したので良かった。

 ガイドの話によると、ラクダを引く男たちが一番悪質らしい。10ドルほどでラクダに乗せるが、砂漠の遠くまで行き、帰るならもっと金を出せと吹っかけるそうだ。ネックレスや絵葉書を売る男たちもしつこく付きまとう。途上国の観光地に何度か行ったことがあるが、これほどひどい物売りはいなかった。

 今思えば、ツアーポリスは物売りとグルかもしれない。物売りがたくさんいる所に肝心なポリスがいないのだ。政府にすれば、トラブルが多いという理由でツアー会社にポリスを雇わせる。雇用が生まれ、確実な収入源になるのだ。ポリスも物売りも同じエジプト人なので、そこは持ちつ持たれつの関係だろう。

IMG_0218.jpg

 文句はこれくらいにして、いよいよピラミッドへの大接近である。ピラミッドは遠くから見るより、近寄って見上げて初めて巨大さが分かる。まずはギザ三大ピラミッドで最大のクフ王のピラミッド。底辺の長さが230メートル、高さは138・8m。頂上部分が崩れているので、本来は146・6mあった。崩れた頂上に避雷針が立っていた。

 ピラミッドに使われた石は石灰岩で、1個平均2・5トン、全部で300万個が積み上げられたという。紀元前2000数百年ごろの建造だ。当初はピラミッドの表面に化粧石が施され、すべすべしていたが、今はそれらが崩落し、底辺の部分に残されているだけだ。

 これだけの石をどうして積み上げたのか。傾斜した道を作って運び上げ、徐々に道を延ばして高度を上げていくのだ。完成まで2、30年かかったらしい。この途方もなく大きなピラミッドを目の当たりに、ただ「おお」という感嘆の声を上げるのが精一杯だった。その存在感は想像をはるかに超えていた。

IMG_0216.jpg

IMG_0229.jpg

IMG_0227.jpg
      ↑ 基部に残っている化粧石。すべすべしていた

 このピラミッドの中にチケットを買って入った。入場制限があるらしいが、すんなり入れた。入場制限を強調するのもエジプト人のはったりだろう。入り口は底辺から5、6mほど上にある穴まで巨石を越えて行かねばならない。手で石を触り、ピラミッドの大きさを実感することが出来た。

 内部に設けられた通路は人がすれ違うのがやっとの狭さで、しかも急傾斜だ。石の天井が低いので、かなり腰をかがめても頭をぶつけてしまう。最後の急な階段を登ると、20畳か30畳ほどの空間があり、ここが棺を納めた「王の間」である。天井が高く、石棺が一つ置かれただけの殺風景な場所だ。ここへ来るまでに、汗びっしょりになった。

IMG_0224.jpg
     ↑ 黒くなった穴から内部に入る

クフ王通路
     ↑ 内部の構造

 次はバスに乗ってギザ三大ピラミッドが一望できる場所に行った。カフラー王のピラミッドは、父クフ王のピラミッドよりも少しだけ低く、頂上部分に化粧石が残っている。化粧石は自然に剥がれたのではなく、カイロ市街の舗装用に使われたと聞いた。棺が納められた王の間は、ピラミッドの基部にあったらしい。

 このピラミッドの右にある小ぶりなピラミッドが、クフ王の孫にあたるメンカウラー王のピラミッドだ。他のピラミッドの半分ほどの大きさだ。財政難で縮小されたらしい。19世紀、ここから発見された棺は船で大英博物館に運ばれたが、転覆して海に消えた。ツタンカーメンの墓の発掘に関わった多くの人が死んだと言われるが、どちらも墓を掘り返したため呪わたという風説が流れた。

IMG_0091.jpg
       ↑ カフラー王のピラミッド

IMG_0251.jpg

 人間の頭とライオンの胴体をくっつけたスフィンクスは、カフラー王のピラミッドの守り神だ。紀元前2500年ごろ、ピラミッドと同時期に作られたらしい。日本の神社の狛犬のようなものだろう。全長73・5m、高さ20m。この世界最大の彫刻の前には大勢の観光客がいたが、不思議と物売りの姿は見られなかった。

IMG_0256.jpg

IMG_0267.jpg

IMG_0276.jpg

IMG_0289.jpg

 スフィンクスでこの日の見学が終わった。夜はオプショナルツアーになっており、ナイル川をクルーズしながらディナーを楽しむ。料金は一人9000円。アフリカ大陸を二分するナイル川、しかもここから人類最古の文明が起きた。世界に冠たるナイルのクルーズは土産話にもなる。ただし、川は相当汚染していた。

 100人以上は入れるフロアで、ショーが始まった。まずはフランクシナトラのような甘い歌声が流れる。映画007シリーズに出てくるようなシチュエーション。ジェームズボンドが、妖しく美しい女性から色目を使われているシーンを想像してしまった。

IMG_0309.jpg

 なんたって、私の密かな楽しみはベリーダンスだ。エジプトが本場だそうだ。腰、腹、お尻を扇情的に回し、激しく震わせる。腰の蝶つがいが外れるのではないかと心配した。下腹部の筋肉、これはもう芸術的で、今もまぶたに焼き付いている。ダンサーは各テーブルを回り、濃厚なダンスを延々と続けた。そしてナイルの夜は更けた・・・。

IMG_0312.jpg

IMG_0324.jpg

 翌日は、まず古代王朝時代の首都メンフィスへ向かった。カイロからバスで1時間ほどの距離だ。バスは、ナツメヤシの林が延々と続く運河沿いの道を走った。私は人々の営みや生活の匂いが伝わってくる農漁村が大好きで、ずっと窓に顔をくっ付けていた。

IMG_0350.jpg

 やがてメンフィス博物館に着いた。小さな博物館で、紀元前14世紀ごろのファラオ・ラムセス大王に関連する文化財が多く展示されていた。大王は90歳まで生き、息子111人、娘69人の子宝に恵まれた。王妃や側室がたくさんいたとしても、よくぞこれだけ産ませたものだ。絶倫・・・。

IMG_0393.jpg
      ↑ メンフィス博物館はこじんまりしていた

IMG_0395.jpg

IMG_0398.jpg

IMG_0400.jpg
 
 昼食のため立ち寄った食堂で、婆さんと孫娘(?)がパンを焼いていた。石窯で焼くので、外はカリッとして、中はふんわり。パンにスパイスのきいたマヨネーズのようなものを挟むが、そのまま食べた方が美味しかった。エジプトは総じてパンが美味しい。

IMG_0403.jpg

 次は、ピラミッドの原型となった「階段ピラミッド」を見に行った。ここはギザから10km南のサッカラという場所だ。紀元前27世紀に建造された最古のピラミッドで、6層になっている。高さは62m、東西125m、南北109m。階段状になっているのは、ファラオが天に昇るためだそうだ。

IMG_0422.jpg

 ミイラを作るときに取り出された内臓は壷に入れられ、ピラミッドから少し離れた場所の地下深くに安置された。穴の底を覗いたが、10m以上あった。これは盗掘用の穴だそうだ。

IMG_0424.jpg

 ピラミッド見学は大詰めだ。屈折ピラミッドと赤いピラミッドがあるダハシュールの町へ。カイロから40km南にある。ここも見渡す限りの砂漠。この二つのピラミッドは紀元前2500年代、クフ王の父が建造したという。

 赤いピラミッドは、使われた石が赤味を帯びていたのでそう呼ばれた。高さは104m、エジプトのピラミッでは3番目に高い。傾斜は緩く、底辺は220メートル。

IMG_0384.jpg

IMG_0390.jpg

 エジプト旅行の最後に現れたのは、何とも奇妙な形をした「屈折ピラミッド」だ。高さ105m、底辺189m。どうしてこのような形になったのだろう。

 同じ時期に建造していたピラミッドが崩壊してしまったので、途中で建造方法を変更し、傾斜を緩くしたという説。また、建造中に王が病気になったので、完成を急ぐため高さの目標を下げたという見方もある。

 いずれにしても、完璧な造形美を見せるピラミッドの中にあって、この異色のピラミッドはどこか親しみを感じる。そこには、古代人の挫折、悔しさが滲んでいると思った。「誰だって間違いはあるよ」・・・。そんな言葉をかけたい気分になった。このピラミッドに、クフ王の父が埋葬されることはなかった。

IMG_0358.jpg

IMG_0363.jpg

IMG_0367.jpg

IMG_0368.jpg

                                                           (終わり)

   11:34 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 

エジプト・・・5000年の歴史にため息が出た

 エジプト旅行の2日目は、いよいよ古代エジプト5000年の歴史に足を踏み入れる。観光への出発まで時間があったので、ホテルからピラミッドに向かって散歩することにした。10分ほど歩くと鉄柵のようなものがあり、そこから格子越しに巨大なピラミッドが見えた。

 砂ぼこりのためか、少しかすんでいた。エジプトは国土の90%が砂漠らしく、砂ぼこりは日常的な光景なのだろう。ピラミッドの背後にも砂漠が広がっており、アラビアのロレンスがラクダにまたがり、疾走する映画のシーンと重なった。

IMG_0087.jpg

 そのラクダについてだが、ちょっとした余談がある。関西空港に帰ると、入国審査カウンターのあたりに「ラクダに乗った人、触った人は申し出て下さい」という貼り紙があった。ラクダと一緒に夫婦で写真を撮ったが、それほど親密な接触はなかったので、そのまま外に出た。

 しばらくして、気になることを思い出した。1ドル払ってラクダと写真を撮った際、私のカメラは性能が悪いので、添乗員がシャッターを押すまで少し時間がかかった。するとラクダが鼻先を私の首のあたりに押し付け、「ブル、ブル」と変な音を出した。思えば、その時鼻水が飛んだかもしれず、あれはヤバイかもしれない。

IMG_0250.jpg

 ピラミッド付近がかすんでいたため、予定が変更になり、先にエジプト考古学博物館を見学することになった。ホテルはナイル川の西岸、博物館は東岸にあり、バスでの移動には渋滞でかなり時間がかかる。カイロは慢性的な渋滞で、クラクションの音がすさまじい。

 やっと辿り着いた博物館の展示は「凄い」の一語に尽きた。ここはツタンカーメンの博物館としても有名で、誰でもが知っている黄金のマスクが展示されているほか、歴代ファラオ(王)たちの彫刻、棺、ミイラなど古代エジプトの全容を伝える文化財が所狭しと展示されている。

Tutanchamun_Maske[1]

 博物館の前庭には、紀元前の古代エジプトの彫刻があちこちに置かれいた。日本人からすれば無防備、無造作と思えるほどの展示で、手で触るのも自由だ。

IMG_0115.jpg

 館内に入ると、まず1階には「これでもか」というほど彫刻が展示されている。ツタンカーメンの部屋を除き、全館で写真撮影が許されている。日本の博物館では、カメラを構えたら係員が飛んできて怒られる。

IMG_0190.jpg

IMG_0183.jpg

IMG_0179.jpg

 古代エジプトについてまったくの無知だから、あれこれ偉そうなことは書かない。ただ、下の写真3枚のように、左足を前に出している像は生きている人物、両足がそろっているのはすでに亡くなっている人だそうで、これは古代エジプト入門のイロハらしい。

IMG_0120.jpg

IMG_0122.jpg

 IMG_0126.jpg

 ツタンカーメンの黄金マスクもそうだが、ファラオたちはみなアゴに奇妙なものをぶら下げている。あれは何だろうと思っていたが、年末に京都で開かれていたエジプト展に行き、それが付け髭であることを教えてもらった。神はアゴ鬚を生やしていたと信じられており、神を真似することで「神の永遠の支配力」にあやかりたいという表れなのだ。

IMG_0148.jpg

IMG_0133.jpg

IMG_0151.jpg

 1階の中央あたりに「ロゼッタストーン」の複製が置かれていた。ファラオたちの付け髭のことも知らない私だが、ロゼッタだけはそれなりに知っている。吉村作治というエジプト博士のテレビ番組で知ったのだと思う。ロゼッタは1800年ごろ、古代エジプトの首都メンフィスで発見された石版だ。紀元前200年ごろに文字が刻まれたものという。
 
 つまりその頃、古代エジプト文字を読み書きできる人物が存在していたのだ。石版には、同じ内容の文章が古代エジプト文字、ギリシャ文字など三種類の言語で書かれていた。もしこれが見つかっていなければ、古代エジプト文字を解読することが出来なかったと言われる。エジプトの至宝だが、イギリスの大英博物館に収蔵、展示されている。

 ところで、旅行から自宅に帰り、たまっていた新聞に目を通していると、韓国の地方裁判所が韓国人窃盗団によって対馬の寺から盗まれた仏像について、日本側に引き渡さなくてもよいとの判決が載っていた。理由は「盗難や略奪などの不正な方法で対馬に安置された」というものだが、その証拠は何ひとつ示されていない。

 法律より国民感情を優先させるとんでもない判決で、反日色の強い韓国マスコミでさえ疑問を投げかけていた。国連で文化財の返還をめぐり様々な論議がなされており、エジプトもロゼッタの返還を求めているかもしれない。しかし、韓国裁判所のような奇妙な判決が出たという話は聞かない。もし、大英博物館が外国の文化財の返還に応じれば、収蔵庫は空っぽになるだろう。

IMG_0124.jpg
      ↑ ロゼッタストーンの複製

 次は博物館の2階を見学しよう。ツタンカーメンの別室には、未盗掘の墓から見つかった若きファラオの黄金マスクや棺、遺品の数々が展示されており、ここだけ写真撮影が禁止されていた。

 ツタンカーメンは紀元前14世紀のころの王で、幼くして即位し、統治期間は9年とされている。ミイラが残っているのでDNAや血液型、さらには足の病気を患っていたことが分かっている。使用の形跡がある杖が130本も見つかっており、ツタンカーメンは杖にすがり、足をひきずっていたのだろう。死因には諸説あるらしいが、毒殺が有力との事。王位をめぐる権力闘争が熾烈だったのかもしれない。

IMG_0160.jpg
       ↑ ミイラが納められていた純金の厨子のようなもの

IMG_0174.jpg

IMG_0177.jpg

IMG_0185.jpg

IMG_0187.jpg

IMG_0193.jpg

IMG_0196.jpg

 何年か前、台湾の故宮博物院に行き、最も人気のある「翠玉白菜」を見た。高さが20cm足らずの小さな彫り物だが、形といい、色合いといい、白菜そっくりだ。これを見るためには長い列に並ばなければならず、やっとガラスケースの前に辿り着いても後ろから押され、わずか10秒か20秒くらいしか見ることが出来なかった。

 それに比べ、ツタンカーメンの黄金のマスクの前には人だかりがなく、ぐるり四方からゆっくり見ることが出来た。ケースの前に誰も人がいない時さえあった。マスクの知名度は、台湾の白菜よりは数段上だと思うが、要するに観光客が少ないので混雑しないのだ。テロの脅威や政情不安を象徴的に表す光景だと思った。

                                                          (続く)
   13:38 | Comment:8 | Trackback:0 | Top
 
 

エジプト・・・初めてのアラブ世界に触れて

 ナイル川のほとりにヤシの木が数本、その木陰で旅するラクダが体を休め、砂漠の向こうにピラミッドが天を衝いている・・・。エジプトと言えばこんな風景をいつしか頭に刻んでいる。多分、幼少期に見た絵本の残影だろう。

IMG_0423.jpg

 そんなピラミッドの国に行ってみたい思っていたが、女房から格安のエジプトツアーがあると聞いた時、一瞬戸惑った。関西空港を飛び立つ飛行機はトルコのイスタンブールに向かい、ここで乗り換えてエジプトのカイロに行くが、トルコもエジプトもテロの多発地帯だ。外務省はレベル1の渡航情報を出し、注意を呼びかけている。

 しかし、行くことにした。危険はあるが、まさか自分たちに限ってという安易な気持ちがある。災難というものは天から降ってくるもので、旅行に行かずとも、道を歩いていてビルから外壁が落ちてくるという運命的なものもある。もう、わが人生それほど思い残すこともないし、万一の時に備えて旅行保険にも入った。

 深夜に関西空港を飛び立ったトルコ航空は、一路イスタンブールへ向かった。トルコまでは13時間半ほどの長旅だ。そこからカイロまでさらに2時間余り。計16時間近くかかるが、エジプトは一見の価値があるから、多くの日本人がピラミッドの国を目指すのだろう。

 実は、関空のトルコ航空カウンターに衝撃的な貼り紙があった。関空-イスタンブールは週7便運行されていたが、2月からすべてを運休するという告知である。テロの続発で旅行者が減り、採算に合わないのだろう。その証拠にわれらが搭乗した飛行機は空きが目立ち、3席を独占して寝る人もいた。

IMG_0021.jpg
        ↑ 今月いっぱいで関西空港からこの翼が消える(トルコ上空)

 カイロ市内を歩いていていると、添乗員がリッツカールトンホテルの高層ビルを指差し、「ごく最近、売却されたらしい」と言った。これも観光客の減少が引き金になったのだろう。観光地の各所では自動小銃を手にした警官が警戒しており、人が集まるショッピングモールでもセキュリティーチェックが行われていた。厳戒態勢は観光立国としては当然のことだろう。

IMG_0203.jpg
       ↑ リッツカールトンも売却されたらしい

IMG_0296.jpg

IMG_0349.jpg

 中東のアラブの国に入るのは、今回が初めてだ。まったくと言っていいほどアラブ人のことを知らないし、イスラム過激派ISのように怖いイメージがあるだけだ。エジプトで見た彼らは大きな声でしゃべり、まるで喧嘩しているみたいである。でも、肩を叩き合い、握手を繰り返し、笑い声は闊達で、笑顔は人懐っこい。

 スカーフで頭髪を隠すヒジャブをまとうアラブの若い女性は、目が大きく、顔の彫りが深い。世界の事情にうとい私が感想を言うのはおこがましいが、どんな民族よりも美しいと思った。肩が触れた時に見せた笑顔もこれまた見たことのない艶っぽさで、卒倒しそうになった。ただ、中年以上の女性の下半身はズバリ偉大であった。

 目だけを出すニカーブという服装は何度もテレビで見ているが、実際にすれ違うとドキッとする。テロの切迫に怯えるフランスやドイツでは、メッシュで目元を隠すブルカという服装を禁止する風潮が強い。女性たちはお洒落もしたいだろうが、それよりも信仰という精神性を重んじるのだ。敬虔な彼女たちを目の当たりにして、不気味と思ったことを恥じた。

 現地ガイドに連れられてカイロの町を歩いた。

IMG_0043.jpg

落花生

IMG_0051.jpg

IMG_0093.jpg

 どこからかコーランの祈りの声が聞こえてきた。あのくぐもった大音響こそ、イスラム圏に足を踏み入れた実感だ。名前は忘れたが、二つのモスクを見学し、二つ目のモスクの中に入った。3、400人ほどの人たちが聖地メッカの方向にひざまずき、礼拝していた。

 女性が中に入るには、スカーフを頭からかぶるか、すっぽり体を覆う緑色のマントのようなものを借りなければならない。女房は持参のピンク色のスカーフをかぶった。夜鷹などとふざけたことは言わないが、怪しげであった。緑色のマントをまとった女性たちもまた、魔法使いの女のいでたちだ。

IMG_0067.jpg

IMG_0074.jpg

IMG_0075.jpg

IMG_0080.jpg
      ↑ 女房のピンクのスカーフは怪しげ・・・

 時間を数時間前に戻す。イスタンブールからカイロに向かう機中で、窓際に座っていた女房が「見えた、見えた。カメラを」と私の体をつついた。首を捻じ曲げて後方を見ると、確かにピラミッドが三つ見えた。下の写真では分かりにくいが、画像の右下に陰影のある正四角錐のピラミッドがある。

 生まれて初めて見るピラミッドだ。なるほど向こうに砂漠が広がり、手前には市街がすぐ近くにまで迫ったいる。事前に学習した通りのロケーションだ。これを見るために13時間半の旅を続けてきた。

IMG_0030.jpg

 その夜は、ナイル川西岸のギザにある大きなホテルに泊まった。中庭にはプールがあり、部屋も広い。ベランダに出ると、ピラミッドが二つ見えた。砂ぼこりのためか少しかすんで見えるが、ともかく大きい。うれしくなってビールを買いに行き、女房と乾杯した。明日はもっと近くで見ることが出来るのだ・・・。

IMG_0108.jpg

IMG_0100.jpg

IMG_0105.jpg

                                                           (続く)
   13:13 | Comment:4 | Trackback:0 | Top
 
 

年は取っても純愛はいい・・・三島由紀夫の潮騒

 私の部屋の壁紙を張り替えるため、別室に運び出していた書籍を本棚に戻す作業をしている。思い出のある本を手にすると、ページをめくったり、読み返したりして、作業は遅々として進まない。

 そんな時、ふと手にした本が「三島由紀夫全集」だった。昭和46年12月の発行だから、30歳前後に買った本だろう。「潮騒」「金閣寺」「憂国」など代表作10編が収められている。多分、そのうちの3、4編くらいしか読んでいないと思う。

 そもそも純文学というのは、肩が凝ってどうも苦手である。しかし「潮騒」は、すらすら読めたような記憶がある。齢を重ね、あの甘酸っぱい青春の純愛小説がやけに懐かしく、その場に座り込んで読みふけった。

 小説の舞台は、伊勢湾に浮かぶ歌島(実際は神島)という小さな島である。漁業を手伝う18歳の青年は、父親の都合で養女先から島に帰された少女と出会う。やがてお互いは惹かれ合い、恋仲となった。いじらしいほどの純愛物語である。

 改めて読み返すと、三島由紀夫の美学の何たるかが少し分かった。青年が外航船に乗った時、台風の海を泳いで船をロープで固定し、危機を救ったことがある。それは強靭な肉体がもたらした結果であり、彼の心はかつてない誇りに満たされた。

 強く美しい肉体にこそ三島の美学があり、自らもボディービルで肉体を鍛え上げていた。実は学生時代、同じような男がいた。彼は、部室が並ぶ中庭でひとり黙々と木刀を振っていた。寒い日でも、上半身裸のことがあった。

 彼は熱烈な三島ファンだった。いや、ファンなどという軽いものではなく、教祖のような存在だったらしい。当時は学生運動全盛の時代で、皇国を崇めていた彼は、あの時代の異端だった。ふらふら生きていた私に対し、彼はいつも「理屈などどうでもいい。体こそ鍛えよ」と手厳しく批判していた。

 あれから何十年も経った。久しぶりに三島文学に接し、あの男はどうしているだろうと懐かしく思った。大学卒業と同時にぷっつりと消息を絶ったが、きっとどこかで師の教えに従い、国を憂いているに違いない。

 先日、全国紙の1面トップで「三島由紀夫の肉声テープ」の発見が報じられていたが、彼はこの記事を読んだだろうか。三島はテープの対談で「平和と言えばその内容は問わない。これこそが偽善だ。その偽善の根本は平和憲法にある」と語っている。あの男はさぞや得心していることだろう。

 ところで間もなくトランプ氏が米大統領に就任するが、三島由紀夫の名言を付記し、祝意を表しておこう。「現代では崇高なものが無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある」。滑稽も野蛮も、トランプ氏の辞書にはないかもしれないが・・・。
   15:15 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 

女房の深謀遠慮・・・

 春に和歌山の山小屋に戻るまで、例年のことだが、大津の自宅で過ごし、その間私は玄関脇の10畳間に引きこもっている。この10畳間は当初、お客を招き入れる部屋にしていたが、いつの間にか私の書斎にしてしまった。ホーム炬燵やソファーベッド、座椅子、テレビなどを運び込んで、これはもはや独身時代の下宿部屋である。

 女房はこれが気に入らない。「友達が来ても、お茶するのは台所。2階の部屋に移ってほしい」と、追い出しを画策しているのだ。その手始めに、部屋の壁紙が汚れているので、知り合いの業者に張り替え工事を発注。その間は2階に移らなければならず、それを既成事実化しようという魂胆である。

 確かに、壁紙の汚れはひどい。客人が来れば恥ずかしい。この家を建築してから30年になるが、その大半はこの部屋でタバコを吸っていた。友人が集まればタバコを吸って談論風発、北京の大気汚染を笑えないほどの視界不良になる。このニコチン部屋に女房が我慢ならなかったのも分からない訳でない。

 張り替え工事のため、本箱の本を移動させたが、本を立てていた所とそうでない所との汚れ具合は一目瞭然。改めて「これはひどい」と驚いた。

IMG_0006.jpg

IMG_0012.jpg

 タバコの話になるが、今はタバコを吸っていない。2012年1月に禁煙を始めて丸4年になるが、わが人生で最も自慢できる決断だったと思っている。大学生の頃吸い始め、以来この年になるまで禁煙に挑戦したのは5回や6回でない。最も長く続いたのは1週間くらいで、後は朝に決断し、夕方には禁を破った。文字通りの朝令暮改・・・。

 意志薄弱な私が禁煙に成功したのは、ひとえに薬のお陰である。禁煙にあれほど苦労していたのに、あっけないくらい簡単に止められた。薬は3、4週間ほど飲み続けるのだが、最初の1週間くらいはタバコを吸ってもよい。次の週あたりから本数を減らし、私の場合は3週目に男らしく決然と禁煙した。もし薬がなければ、今も吸い続けていると思う。

 ニコチンや煙で汚れた壁紙を見ていると、肺の中も同じように汚れていると思う。禁煙に挑戦していた時、口の悪い人たちは言った。「肺の中は真っ黒。今更もう遅い」。確かに、何十年もタバコを吸い続けた肺は死ぬまできれいにならないと、聞いたことがある。禁煙したことに後悔はないが、今なお、心のどこかにタバコの誘惑に負けそうな自分がいることも確かだ。

 壁紙の張り替えが終わり、部屋は見違えるように美しくなった。早く2階の部屋からここへ移りたいが、そのためにはもっともらしい理屈をこねる必要がある。どうなるやら・・・。

IMG_0015_2.jpg
   15:28 | Comment:0 | Trackback:0 | Top
 
 

中国映画「山の郵便配達」・・・

 中国湖南省の少数民族が暮らす山岳地帯。その長く険しい道を郵便配達の父と息子が歩いて行く。父は長い間郵便配達を勤めたが、足を痛めたため一人息子に跡を継がせた。息子は最初の配達の旅に出発し、父が道案内として同行する・・・。

 これは、1980年代の寒村を描く中国映画「山の郵便配達」の場面である。つい先日、往年の名作を順次上映している「午前十時の映画祭」で女房と一緒に観た。1999年の制作で、海外の映画祭にもノミネートされた作品だ。

郵便配達

 郵便配達は、3泊しながら村々を巡回する過酷な旅であり、父親はこれを40年も続けてきた。村人との温かい交流が味わい深い人間模様として描かれていく。そんな旅のシーンには、日本の原風景に似た美しい農村風景が映し出され、心を打たれた。

 二人はある村で一人暮らしをしている老婆の家を訪ねた。老婆は目が見えず、都会に出て行ったただ一人の肉親の孫が帰る日を待ち続けている。父親は老婆を訪ねる前、息子に配達に来れば必ず立ち寄ってやってほしいと頼んだ。

 父親は、老婆宛ての封書を手渡した。彼女は封を開き、同封されていた1枚の紙幣を胸にしまうと、手紙を読んで欲しいと頼んだ。父親は「お婆さん、元気ですか。僕も元気です。なるべく早く村に帰ります」などと読んで聞かせた。

 そして息子に手紙の続きを読むよう促した。息子は手紙を見て困惑した。手紙は白紙なのだ。息子は父親の秘めた思いを悟り、続きを口にした。老婆を不憫に思った父親は長年、お金を同封して孫からの手紙のように装って届け続けてきたのだろう。

 このシーンの中ほどから、私たち夫婦は涙をこらえ切れなくなった。館内からは嗚咽の声も漏れた。中国の映画やドラマと言えば、乱暴狼藉を働く旧日本兵が登場し、しまいに人民によって撃ち殺されるというお決まりの反日映画である。悪意に満ちた反日映画があふれる中にあって、郵便配達の人情に救われる思いがした。

 この映画の主題は、父と息子の関係にスポットを当てることだ。出張や転勤で家を留守にすることが多かった父に対し、息子はずっとなじめずにいた。素直に「お父さん」とも呼べず、日本語なら「あんた」に等しい言葉を使っていた。

 そんな父と子の関係は、ともに1本の遠い道を歩く中でほぐれて行った。父は自分の人生や仕事について語り、息子は遠く離れた集落から嫁いだ母の苦労などを語る。ある時は、息子が父を負ぶって川を渡った。焚き火をして濡れた体を暖めるうち、二人の気持ちが通じ合い、息子は生まれて初めて「お父さん」と呼んだ。

 下手な文章でこのように書くと、安っぽい人情物語になってしまうが、人々は豊かな自然に抱かれてこそ寛容になれることを暗示している。中国の沿海部は工業化が進み、拝金主義がはびこっているが、内陸には美しい自然が残り、穏やかな人間社会が営まれているのだ。

 作家開高健に私の好きな言葉がある。「遠い道をゆっくりと、けれど休まずに歩いて行く人がある」。郵便配達の父と子の姿が、この短い言葉と重なり合う。この映画で、「歩く」ことの意味を考えた・・・。
   10:35 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 

「お父さん、顔が引き締まったみたい」

 つつがなく、正月三が日が過ぎた。年末から娘二人が帰省し、正月には息子夫婦と孫がやって来た。みんなが女房の手料理を楽しみ、潮が引くように帰って行った。そして再び、私たち夫婦にいつもと変わらない静かな日常が戻った。

 平成29年の新しい年を迎えても、改まって誓いや目標を立てることはない。若い頃は、禁煙を誓ったり、何か勉強しようと思ったりしたが、何一つ叶えることは出来なかった。この年になるともはや、日々の平穏を願うだけである。

 新年早々、一つ良いことがあった。帰省したばかりの息子の嫁さんが、ホーム炬燵に足を入れるなり、「お父さん、顔が引き締まりましたねぇ」と言った。嫁さんはお世辞を言うようなタイプではなく、多弁でもない。

 それだけに、「顔が引き締まった」はうれしかった。「それなら前はどうだった?」と聞くと、「うーん、どこかぼやけていたというか・・・」と率直過ぎる感想だった。「ぼやけていた」には少し落胆したが、この年になってキリッと見えるのはまことにめでたいことだ。

 彼女が私の表情や顔つきに変化を感じてくれたのはなぜだろう。女房にこのことを話すと、腹を抱えて笑い、相手にしなかった。夕食の時、私は彼女に「さっき言ったことを、みんなに聞かせてやってほしい」と言うと、娘たちは身をよじって笑った。

 苦笑なのか、嘲笑なのか、はたまたせせら笑いなのか。どれでも良いが、笑う門に福来る。正月早々、まことにめでたい・・・。

               *        *        *

      ということで、元気に新年を迎えました。今年もどうぞよろしくお願いします。




 
   07:17 | Comment:4 | Trackback:0 | Top
 
 
カレンダー
 
01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
 
月別アーカイブ
 
 
カテゴリー
 
 
ブログ内検索
 
 
全記事表示リンク
 
 
 
訪問者数
 
 
ランキング参加中!
 
 
リンク
 
 
PR
 
 
PR
 
 
PR