森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

はさ掛けの米・・・炊きたては懐かしい味

 郷里の兄から新米が送られてきた。新米の季節になると毎年送ってくれるが、今年は「はさ掛け」の米だと言う。兄嫁は電話で「はさ掛けは風味があるので、早く食べてね」と言った。

 早速、袋を開けてその日のうちに食べた。炊飯器の蓋を開けると、立ち上がる湯気から懐かしい匂いが鼻腔をくすぐった。子供の頃、母親がかまどで炊いたご飯をお櫃(ひつ)に移す時に漂ったあの香りである。

 ついでに思い出したのは、鍋の底にこびりついたおこげをよく母親によくせがんだことだ。今どきの炊飯器はよく出来ていて、おこげが出来ることはまずないだけに、あの香ばしい味を思い出すと郷愁が押し寄せてきた。

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 郷里の実家では、知り合いの農家から新米をまとめて買い、親類や子供たちに送っている。今年は、その農家が自然乾燥させた「はさ掛け」の米を販売するようになったという。米農家も競争が激しく、付加価値を付けるなど知恵をしぼっているようだ。

 はさ掛けと言えば、昔は田んぼの畦に背の高い樹木が植えられ、美しい田園風景をかもしていた。木と木の間に木材や竹を渡し、これに刈り取った稲を掛けていた。「稲架」と書いて「はさ」と読むらしい。ちなみに、刈り取った稲をはさ掛けすれば光合成が続き、それが米の美味しさになっていると言う。

 そう言えば、郷里の北陸の田舎道を車で走っていると、田んぼに植えられていた樹木が姿を消していることに気付く。農家は手間のかかるはさ掛けをやめ、機械乾燥をするようになったためだろう。あの田園風景を懐かしがるのは、郷里を離れた人間の勝手な郷愁なのだろう・・・。

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アサギマダラの旅の無事を願う・・・

 今日も雨が降っている。これで3日連続だ。しかもひどく寒い。
 
 下の写真は5日前に撮影したものだ。秋の深まりとともに、放射冷却によって雲海が発生し、家のデッキからしばしば見られるようになった。標高800mのわが家から紀淡海峡を見下ろすと、雲海は海峡に向かって連なる山と山の間に発生し、その雲の帯は大河のようにも見える。

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 NHKの朝の連続ドラマが終わると、愛犬ぴーを連れて散歩に出るのが日課である。ぴーは家の階段を駆け下りると、駐車してある軽トラのタイヤにおしっこをするのが習慣だ。ぴーとの散歩は、生石高原の方向に1キロほど歩いて帰ってくるのだが、これ以上歩くとぴーは足を踏ん張って動かない。

 今の時期、散歩の途中に、あの美しい蝶アサギマダラと出会うのも楽しみである。私のブログにしばしばアサギマダラが登場するが、「またかいな」と笑われそうだ。この蝶は人の心を癒す不思議な力があると思う。

 散歩コースの高原への道には、アザミやノコンギク、シシウドが咲いており、アサギマダラが羽を開閉させながら蜜を吸っている。最近では、多い時で10匹以上、少ない時でも2、3匹は見かける。

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 他の蝶のようにせわしく羽を動かすことはなく、グライダーが滑空するような飛び方をする姿は実に優雅だ。何よりも羽が美しいし、人にまとわりつくような人懐っこい性格もいい。

 しかしそれよりも、あの小さな体で1000キロも2000キロも旅する健気さに、私は心を打たれる。蝶の羽に捕獲場所と年月日を書き込むマーキング調査で、台湾や香港にまで飛んでいたことが分かっているのだ。

 気取った言い方だが、われらの人生もまた旅である。しかも片道切符である。アサギマダラは寿命が4、5か月と言われ、旅の途中で寿命を全うするから、こちらも片道切符の旅人なのだ。わが人生を、アサギマダラの途方もない旅路と重ね合わせると、何がしかの感慨がある。

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アオリイカ、そして鮎・・・2連戦の釣り

 女房が友達と旅行をするため、4日ほど留守にしている。この間、自分で毎日3食作らなければならないのが辛い。近くにスーパーでもあれば惣菜を買うことが出来るが、なにしろここは山の中。カップ麺で3日も4日も食いつなぐ訳にはいかない。

 それより困るのは、話し相手の女房がいないことだ。 この山中で暮らしているのは数人いるが、こちらから訪ねない限り、まずしゃべる事はない。せいぜい、新聞を配達してくれる郵便屋さんに「ご苦労さん」と声を掛ける程度だ。

 そんな訳で、家に一人いるのは退屈するので、暇つぶしに釣りへ行くことにした。天気予報では、ここ数日好天が続くとのことである。そろそろ少し大きくなったアオリイカが釣れるだろうと、10月10日、ボートを積んで由良湾に向かった。

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 昨年、秋のイカ釣りを始めたのは10月2日で、釣果は9杯だった。今年は鮎釣りが忙しく、スタートがだいぶ遅れた。それだけに何とか二桁は釣り、冷凍庫をにぎやかにしたいと意気込んだ。

 イカ釣りは、生きたアジの尻尾に針を打ち、泳がせながら食いつくのを待つ。リールから糸が出て食い付いたのが分かれば、ヤエンという掛け針を道糸に装着してイカに近付け、引っ掛けるという独特の釣法だ。それなりに熟練が必要だ。

 ボートを走らせ、半時間ほどで岩礁地帯のポイントに着いた。アンカーでボートを止めて驚いたのは、潮が澄み切っていて海底の岩の起伏がきれいに見えるのだ。これではイカの警戒心を強め、釣れるかどうか疑心暗鬼になった。

 しかし10分ほどするとリールから糸が出た。しばらくして引き寄せにかかったが、それほど引っ張っていないのにイカはアジを離した。その次も同じように、ヤエンを投入する前にアジを離してしまった。イカはかなり小さく、警戒心が強いのだろう。

 次はやっとヤエンに掛かった。小型のようだが、生意気にも引きは強い。さすがアオリイカだ。タモを差し出すと、墨を吐きなら何回も潜ろうとする。一度はまともに頭から墨をかぶった。とりあえず今夜の酒の肴をゲットした。

 2時間ほどで場所替わりした。このポイントもよく来る場所だ。ここも海水が澄んでおり、底が丸見えである。それでもぼちぼち当たりがあり、3杯釣れた。この時期、二桁釣りは珍しくないが、どうも調子が上がらなかった。小さなイカにアジの首根っこを何回もかじられ、生きアジがなくなったので正午前に帰港した。計4杯の釣果だった。

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 家に帰り、小さなイカ1杯を刺身にし、残りは冷凍保存にした。刺身は透き通っていて盛り皿の模様が透いて見えるほどだ。甘くて美味しかったが、一人で飲む酒はどこか侘しい。テレビの天気予報を見ていると、翌日の11日もいい天気のようだ。どうせ一人だから、鮎釣り行こうと思った。

 海へ川へ、2日連続の釣りはどうかと思うが、まだ行こうという気力があるのはいいことだ。近くの有田川に向かい、オトリを買うためなじみの店に立ち寄ると、オヤジさんは「客が多くて釣り荒れている」と、多くを期待するなという口ぶりだった。

 川を見渡すと、上流に2人、下流に3人の先客がいたが、その間のトロ場がぽっかり空いていた。先客に声をかけると「さっぱりや」という答えが返ってくる。

 しかし大きな石のあるトロ場でオトリを泳がすと、10分ほどでいい鮎が釣れた。オトリが石の頭をなめるように通り過ぎた時、後ろから鮎がオトリを追い、針に掛かった。その瞬間をしっかり見た。釣果を左右するのは、元気なオトリがうまく循環することだ。その後は中型の鮎が次々と掛かった。

 この日は小さな虫が飛び交い、うっとしい。これにさされると物凄く痒くなる。帽子で払いのけるがキリがなく、釣りをするのに嫌気がさし、少し早かったが午前11時過ぎに竿をたたんだ。釣果は予想以上の19匹。釣り始めてすぐにオトリを確保したのが好釣果につながったのだろう。

 もちろん晩酌の肴は鮎。20cmほどの良型3匹を塩焼きにした。焼くとよく分かるが、腹の付近がオレンジ色の婚姻色になっており、落ち鮎の季節である。焼いた鮎の尾をちぎり、背中をほぐして頭から背骨を引き抜く。丸かじりすると、クリーミーな味が口に広がった。腹に子がいっぱい詰まっているのだ。落ち鮎は格別の味わいだった。

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   09:42 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 

真鯛に大型の太刀魚・・・紀淡海峡で

 西の空に中秋の名月の名残りを留める10月5日、紀淡海峡で釣りをした。和歌山市の小さな港に船を係留しているイレグイ号さんからの招きである。毎年、大きな太刀魚が釣れ出すとお呼びがかかる。その代わりと言うか、生石高原が山菜の季節を迎えると、ワラビやコシアブラ、山ウドなどを採りに来てもらっている。

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 午前5時半に出港した。日が短くなり、この時間はまだ暗い。船は大きな漁船仕様で、快調なエンジン音を響かせながら紀淡海峡の友ヶ島を目指す。この日は、真鯛と太刀魚のダブルヘッダーだ。以前、イレグイ号さんの船で真鯛を狙ったが、腕が未熟なためか釣れなかった。それだけに、今回は内心期するものがあった。

 鯛の仕掛けは通称「タイラバ」というもので、大きな飴玉ほどの錘にヒラヒラした赤いゴムと10本ほどの糸を垂らすシンプルなものだ。腐っても鯛というが、その気位の高い鯛がどうしてこのヒラヒラに食いつくのか不思議でならない。

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 実は先日、 NHKテレビを見ていたら、シマウマはなぜ縞模様なのかという疑問を取り上げていた。縞模様がたくさん集まれば、ライオンなどに脅威を与えるのではないかというのが定説だったらしい。

 しかし最近の研究によると、ライオンの目にはそんなにはっきりと縞模様が見えていないのだという。ということは、縞模様には別な意図があるらしいのだが、要するに私が言いたいのは、動物の目には人間が見た通りには見えていなということなのだ。鯛にとってヒラヒラは、美味しそうな小魚に映るのだろう。

 この仕掛けを40mほどの海底に落とし、ゆっくりリールを巻き上げる。10mほど巻いたらまた海底に落とす。この繰り返しだが、当たりがあっても巻き続け、竿先が大きく引き込まれたら合わせを入れる。はやる気持ちを我慢するのがこの釣りの難しいところだ。

 1時間ほど経った頃、コツン、コツンという当たりがあった。やがて竿先が海中に引き込まれた。合わせを入れると、強い引きが伝わってきた。タモを持って駆けつけたイレグイさんは、「多分、鯛でしょう」と言う。しかし、やっと姿を見せたのは嫌われ者の外道のエソだった。蒲鉾の材料くらいにしかならない。

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 鯛が釣れないまま3時間ほどが経過した。イレグイさんは「もう少しで潮が緩むので、鯛釣りはそろそろ終わりにしましょう」と言った。やはり鯛釣りは難しく、今回も空振りのようだ。私にとって残念なのは言うまでもないが、イレグイさんの心中はいかばかりか・・・。彼は、何としても私に鯛を釣らせたいと思っていたはずだ。

 残された時間はあとわずか。竿先の変化を捉えるため集中した。ゆっくりリールを巻いていると、グイッ、グイッと竿先が沈んだ。次の瞬間、竿が海中に舞い込んだ。「来た!」と叫んだ。イレグイさんがタモを持って駆け寄る。ゴンゴンという節のある引きが伝わってきた。

 40m近く巻き上げるのに長い時間がかかったように思う。海を覗き込んでいたイレグイさんが「鯛や、鯛や」と言った。私もしっかりピンク色の魚影を見た。イレグイさんがタモですくってくれたのは、30cmを超す正真正銘のブランド鯛だった。まさに最後の最後だった。

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 「あぁ、良かった」・・・。船上を跳ねる鯛を見ながら、イレグイさんがボソッとそう言ったのを聞き逃さなかった。決して多弁ではない彼だけに、私に鯛を釣らせたいという思いがその言葉に滲んでいた。私も女房をボートに乗せて釣りをするが、女房が釣ってくれる方がうれしい。船頭とはそういうものなのだ。

 大物の太刀魚を狙い、淡路島の洲本市沖に向かうと、大きな波が待ち受けていた。水深が100m近くもあるので、太刀魚の当たりが取りづらい。それでも釣り始めてすぐ、魚体の幅が指4本半の大きな太刀魚が釣れた。波に翻弄されながらの釣りだったが、クーラーには8本の良型が収まった。その何本かはイレグイさんが入れてくれたものだが・・・。

 最後に、鯛の味に触れない訳にはいかない。その晩、刺身にして食べたが、身の弾力といい、甘みといい、これはもう最高だった。大袈裟ではなく、これまで最も美味しい鯛だった。さすが、紀淡海峡の潮流に鍛えられただけはある。

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薪ストーブのメンテ、鉄板がはめられない・・・

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 このところめっきり秋らしくなり、朝の気温が10度を下回る日が多い。朝起きるとまず、薪ストーブに火を入れるのが日課である。ダウンジャケットを羽織り、暖かくなるのを待つ。

 ストーブのメンテは例年、梅雨明けごろに行うが、今年はずぼらしてつい先日行ったばかりだ。炉内を解体し、排煙口からブラシを突っ込み、下から上へとブラシを突き上げて煤を落としていく。茶碗に2、3杯ほどの煤がバラバラと落ちてきた。

 普通、煙突掃除は上からブラシを入れるが、高所恐怖症のため屋根に登ることが出来ず、下から掃除するのは苦肉の策だ。以前は女房に屋根に登ってもらっていたが、近年は「それ、男の仕事やろ」と、拒まれるようになった。

 毎年苦労するのは、炉内の煙を逃がす2枚の湾曲した鉄板を外した後、元に戻す作業だ。今年も手こずっている私を見かね、女房が手伝ってくれた。女房は「鉄板の形状を頭に入れ、全体像を把握しないといけない」と偉そうに言うが、反論できない。

 ともかく、炉内の煤をきれいに落とし、作業は完了した。言い訳がましいが、鉄板を元に戻せないのは、私の持病が原因だと思っている。ブログでも度々書いているが、私は重度の方向音痴であり、頭の中に地図とか立体図を描くことが出来ないのだ。

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 どういうことかと言うと、例えば案内板の地図を頭に入れても、角を2、3回曲がると、東西南北も左右も分からなくなってしまう。ゴルフの時もそうだ。グリーンでキャディーから右に曲がると言われても、とっさにどっちが右か分からないことがある。電車が逆に走っていると錯覚することさえある。

 女房も含めて人はこの病気を理解しようとしない。それが一番悲しい。薪ストーブの鉄板を元に戻せないのも、方向音痴という障害のため、仕組みの全体像が把握できず、どこにはめ込めばいいのか分からないのだ。

 しかし女房は、「鉄板を外す時、どちらの板が右か左か、上下がどっちかを覚えておく。それが出来ないならテープなどで目印を付けておく。方向音痴とは何の関係もない」と手厳しい。しかし方向音痴は、失敗を何度重ねても次はきっとうまくいくと確信しているのだ。厄介な病気である・・・。
   07:40 | Comment:4 | Trackback:0 | Top
 
 

生ハムは生ハムでも、手作りは別物

 私たち夫婦が通う蕎麦打ち教室は、紀の川のすぐ近くにある。教室を主宰するのは、この一帯で収穫される果物の撰果場を経営する社長さんで、教室の建物や蕎麦打ち道具一式を提供している太っ腹の人である。

 この社長さんは私のブログを読んでくれていて、先日教室で一緒になった時、「あなたのブログを読んでいたら、燻製のことが書かれていた。私も燻製をしているんですよ」と言い、「生ハム、作ったことがありますか」と訊ねられた。

 私は色々な食材を燻製にしているが、生ハムは作ったことがない。燻製には「熱燻」「温燻」「冷燻」の3種類があって、「熱燻」は一番簡単で、鍋を使ってでも簡単にスモーク出来る。その代表格がベーコンだ。「温燻」は本格的な燻製作りで、手間隙がかる。これからシーズンを迎えるカキなどは最高の味になる。

 生ハムは「冷燻」で作るが、この燻製方法を習得すれば免許皆伝と言われるほど難易度が高い。燻製器内の温度を30度くらいに保たなければならないので、寒い季節しか作れない。その代わり、保存がきくし、味も格別と言う。例の社長さんは「手作りの燻製生ハムは別物」と胸を張る。

 その「別物」という言葉に釣られ、作り方を教えてもらった。彼は「ピチット」という商品名で売られている脱水シートで豚肉を包み、熟成させるのだ。「これあげる」と業務用のシートを箱ごとくれたのも、さすが太っ腹である。このシートは臭みを取り除き、旨みを濃縮する効果があるらしい。

 教えてもらった作り方は下記の通りだ。まずは新鮮で品質の良い豚の肩ロースを1キロ用意する。これに、塩と砂糖を擦り込む。その割合は塩7、砂糖3。肉の塊をシートでくるみ、タコ糸か輪ゴムで縛り、冷蔵庫で1日寝かせる。さらにシートを取り替えて3日寝かせる。

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 次は1週間後、さらに10日後を3回繰り返す。その度にシートは交換する。熟成が完成するまでに40日ほどかかるので、かなり面倒だが、美味しいものを食べるにはそれなりの手間と忍耐が必要なのだ。

 燻製は、棒状のスモークウッドを使う。冷燻の場合は、チップを燻すと温度が上がり過ぎるので、スモークウッドがいい。ひと晩かけて燻すが、温度が上がらないよう気をつけねばならない。

 私が作り始めた生ハムは、まだ4日目だ。出来栄えを紹介できるのは11月初旬である。失敗しても成功しても、報告したいと思っている。私は安い生ハムしか食べたことがなく、塩辛いという印象しかない。社長が言う「別物」が作れるかどうか、期待と不安が交錯している・・・。
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秋色求め、生石高原を歩く

 ここ生石高原は、めっきり秋らしくなってきた。その様子を写真に撮るため、高原を歩くことにした。わが山小屋の階段を下る途中、敷地の斜面に目をやるとホトトギスが咲いていた。紫のまだら模様がかわいらしい。

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 高原までは500mほどの距離で、木々に囲まれた沿道には様々な花が咲いている。目に付いたのはアザミだ。あの美しい蝶アサギマダラが好んで蜜を吸うらしく、その姿を見かけたことがある。花には棘のようなものが生えており、花に触れるのがためらわれる。

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 ノコンギクも咲き始めている。ノコンギクではなく、そっくりのヨメナかもしれない。背筋をピンと伸ばして咲いている。その姿勢がいい。今、花の色は白っぽいが、本来は薄い紫色で、自然でしか生み出せない鮮やかな色彩だ。

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 道端には、背の低い草が葉を赤く染めており、そこはかとなく秋を感じさた。私はそれらを「雑草」と呼んでしまうが、昭和天皇は「雑草なんていう草はない。みんな名前が付いている」とおっしゃった。崩御されて間もなく30年。月日は光陰矢の如しだ。私の昭和は遠くなりにけり・・・。

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 見上げると、山桜が色付き始めていた。もうしばらくすると赤い葉がはらはらと宙を舞う。この森で暮らしていると、紅葉の女王は何と言ってもウリハダカエデだと思う。ここにはたくさん自生しており、秋の深まりとととに黄色から深紅に染まり、そのグラデーションは見事だ。

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 歩いて10分ほどで生石高原に着いた。名物のススキは、つい先日まで穂が赤味を帯びていたが、今はもう銀色になりつつある。風になびくススキは海原のようだ。

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 高原の最高峰・生石ケ峰(870m)をバックにススキの写真を撮っていると、高齢の男性から声をかけられた。ご婦人2人を連れておられ、奥さんとお友達のような感じだった。

 和歌山県内の人で、ススキの季節になると毎年ここを訪れているという。この見知らぬ御仁もなかなかの話好きで、草の上に座って話をした。山でぽつんと暮らしていると、何日も女房としか話をしないことが多く、この日はいつになく長話になった。

 男性は82歳だそうだ。私はそれよりはうんと若いが、「元気そうですね。それにしてもお若い」とおだてられ、肛門のあたりがむずむずした。

 「どうしてここに住んでいるの?」「退屈しないの?」「奥さんは喜んでいますか?」などと次々と質問され、山の暮らしについて色々と話をした。最初は風采の上がらない私をいぶかるようだったが、「お元気で」と言って別れる時にはすっかり旧知のような仲になっていた。秋に向かう草原での一期一会だった。

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豪雨の前に鮎の大漁・・・燻製を作る

 天気はままならないものだ。有田川では鮎が本格的に釣れるようになったと思ったら、12日に大雨が降り、濁ってしまった。幸いその前日の月曜日には大釣りすることが出来たが、今度は台風18号が追い打ちをかけ、またまた釣りが不能になりそうだ。

 その月曜日だが、実に好調だった。大きな岩が沈むトロ場に入り、退屈しない程度に釣れた。ただ思ったように釣果は伸びず、物足りなかった。この場所には連日多くの釣り人が入っているため、釣り場が荒れているようだ。

 このポイントを見切り、300mほど上流に移動した。ここには釣り人がおらず、腰を落ち着けて攻めることにした。下流から順に石の周りにオトリを泳がせると、次々掛かった。22cmを超す大物も釣れるが、13、4cmの小型もかなり混じった。午前中だけで32匹の釣果に欲が出て、午後も1、2時間釣ることにした。

 車で下流に移動し、長い瀬に入った。すでに5人の先客が竿を出しており、これでは釣れるポイントが限られるはず。盲点とも言える足元の石を攻めると、順調に掛かった。入れ掛かりの時もあり、1時間余りで11匹釣れた。このころから腰が痛くなり、やむなく釣りを止めることにした。

 釣果は計43匹で、今シーズン最多だった。おすそ分けしても結構手元に残るので、燻製を作ることにした。実は私の姉が色々と世話を焼いてくれるので、たまにはお礼をしたいと思い、鮎の燻製を作って送ることにした。参考になるかどうか分からないが、鮎の燻製の作り方を書いておこう。

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 私はダッチオーブンを使うが、普通の鍋でもよい。まず水洗いして鮎のぬめりを取り、腹に切れ目を入れて内臓を取り出す。手に塩をまぶし、鮎の表面と腹の内側にすり込む。この塩加減が味を左右するが、慣れればそれほど難しいことではない。扇風機で乾燥させれば手っ取り早く、表が乾けば裏返し、合わせて2時間ほどで乾く。

 その間に炭を熾しておき、オーブンを五徳の上に置き、熱しておく。鍋の底にアルミホイールを敷いて、その上にチップをひとつかみほど載せる。鮎を載せる網はチップから5cmほど離しておくといい。私は、廃棄するガスレンジの五徳を敷き、その上に網を置いている。

 網には乾燥させた鮎を6、7匹載せ、スモークを始める。ダッチオーブンは鉄に厚みがあるので、チップが煙を出し始めるまで時間がかかる。スモークの時間は半時間ほどだが、火力によって違いが出る。

 時々、蓋を開けてスモーク具合を確かめる。鮎が美しい黄金色になっていれば、出来上がりだ。鮎は塩焼き、天麩羅、甘露煮が定番料理だが、燻製は別格の美味しさがある。クリーミーな味わい、燻製の風味が何とも言えない。手間隙がかかるので、燻製に挑戦する人はごく少ないと思う。

 姉からお礼の電話があり、「美味しかった。今でも燻製の匂いが部屋に漂っている」と言っていた。

     ↓ 鮎を洗い、塩をすり込む
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     ↓ あらかじめ炭を熾し、五徳を置く
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     ↓ 鮎を扇風機で乾燥させる
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     ↓ ダッチオーブンを五徳の上に置き、熱しておく
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     ↓ 少し黄色く色付いてきた
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     ↓ 出来上がった鮎の燻製
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   06:41 | Comment:3 | Trackback:0 | Top
 
 

旧友と北アルプスの涸沢に行く(後編)

 北アルプス登山の二日目は、上高地から2時間ほどの徳沢「氷壁の宿」で朝を迎えた。朝日が峰々を赤く染めるモルゲンロートを見ようと、夜明け前から外に出て、その時を待った。カレー男はすでに来ており、さすがアウトドア派として要点を押さえている。

 この日も晴天だ。午前5時30分、朝日が顔を出した。明神岳(主峰2931m)はみるみる赤味を帯び、次第にモルゲンロートは峰の中腹へと広がっていく。登山でしか味わえないドラマチックなひと時だ。

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 7時半ごろ、涸沢に向かって歩き出した。涸沢は氷河が削り取った日本最大級のカールだ。奥穂高岳や北穂高岳に登る人たちで賑わうが、カールの絶景を写真に撮ったり、絵を描くためだけに来る人も多い。上高地から涸沢へのルートは、北アルプス登山の初心者コースである。

 前夜、酒を飲んだ割にはさわやかな気分だ。みんなの足取りも軽い。しかし登山では、勢い余って早足になるのは禁物だ。「ゆっくり歩こう」と呼びかけたが、材木商は終始先頭を歩いた。彼は関西弁で言う「いらち」であり、ゴルフをしていてもチンタラ歩く私の尻を叩くのだ。

 カレー男も材木商に遅れまいと後を追い、一番後ろを歩く私と近江商人との差は広がるばかりである。あれは10年以上前、薬師岳(2926m)に登った時だった。高齢の女性二人が実にゆっくりと前を歩いていた。追い抜いたけれど、太郎平小屋に先に到着したのはあの女性たちだった。彼女たちは休憩しないのだ。

 われらは1時間後、横尾に着いた。吊り橋を渡れば涸沢、そのまま直進すれば槍ヶ岳方面で、この三叉路は多くの登山者がリュックを下ろして休む。ここから本谷橋という吊り橋までは1時間ほどで、余り起伏のない楽な道だ。左手にそびえる垂直の屏風岩を眺め、谷川のせせらぎを聞きながら歩く。

      ↓ 屏風岩
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 本谷橋に到着し、橋のたもとの岩に腰掛けて休んだ。ここから先が本格的な登山道で、段々に組まれた石を踏みしめて登るのだ。この夜泊まる涸沢小屋までのコースタイムは2時間ほどだが、高齢のわれらはもっとかかるだろう。

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 次第に、元気が良かった材木商とカレー男の調子が落ちてきた。手ごろな岩があると、腰掛けて休むことが多い。逆に、近江商人は意外としっかり歩いている。一応登山に慣れている私は順調で、いつの間にか先頭に立っていた。登山道脇には遅咲きのハクサンフウロが咲いていたが、彼らの目には入っていないだろう。

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 やがて、前方に涸沢カールの全貌が見えてきた。そしてその上に、前穂高岳、吊り尾根、奥穂高岳が圧倒的な姿を見せている。右手前方には今夜泊まる涸沢小屋が見えてきた。標高は2000mを超え、空気も薄い。このあたりからが胸突き八丁だ。彼らの悪戦苦闘ぶりを撮影しようと、先回りして悪意ある写真を撮った。

       ↓ 右手に涸沢小屋。ここからが遠い。
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       ↓ 重い足取り。後ろの2人の姿は見えない。 
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 まさに青息吐息・・・北アルプス登山が初めての3人は、何とか涸沢小屋に到着した。彼らににぜひ絶景を見てもらいたいと、私は天気予報を小まめにチェックし、登山日を決めた。それが的中し、今その絶景が目の前に迫っている。宿泊手続きをしたあと、標高2350mの展望デッキに出て生ビールで乾杯した。

 絶景なら映像でも写真でも見られるが、自分の足でそこに到達し、そこに漂う空気感とともに絶景を自分のものにする。これが登山の魅力であり、えもいわれぬ達成感がある。その場に立てば、非日常の世界をひしひしと感じるはずだ。

 カールを見上げれば、ゴジラの背中のようなごつごつした前穂高岳、そこから弓なりに続く吊り尾根、そして日本第4位の高峰・奥穂高岳。友人は3人とも饒舌ではないが、「凄いなぁ」という短い言葉で感激を表現した。登山を計画した私にとって、そんな簡潔な言葉から十分感動が伝わってきて、うれしかった。

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       ↓ ゴジラの背中のような前穂高岳
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       ↓ 三角形の百名山の常念岳
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 そして次に、意外な人との出会いが待っていた。日本百名山と二百名山を一筆書きで踏破したプロアドベンチャーレーサー田中陽希さんが、デッキに現れたのだ。実は前日の午後、宿泊した徳沢園で彼を見かけ、彼は横尾山荘で泊まると言い残して走り去った。
  
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 その後どうしたのか気になっていたが、彼はこの日、横尾山荘から一気に槍ヶ岳の頂上を踏み、さらに凄いのは、そこから南岳を経て大キレットを踏破して北穂高岳に立ち、涸沢小屋に下りてきたのだ。ベテランでもどこかで1泊するが、午後の早い時間に涸沢に達していたのだ。もはや超人としか言いようがない。

 陽希さんの番組をいつも見ていたから、何やら初対面のように思えず、いろいろと話をした。今回はSONYの依頼で、登山の時に装着するビデオカメラの宣伝用に登山の様子を撮影したという。ファンを大切にする気さくな対応に、一層好感を持った。

 ひと息ついたので、カールをもう少し登ってみようと提案したが、「行く」と言ったのはカレー男だけだった。材木商と近江商人は「疲れた」「足が痛い」と泣き言を並べ立てた。カレー男と一緒に半時間ほど登ると、三角形の涸沢槍が間近に見え、涸沢の景色は大きく変貌した。雪渓を渡り、岩を越え、2時間ほどアルペン気分を味わった。

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       ↓ ナナカマドが涸沢を赤く染めるのは間近
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 涸沢での一夜が明けると、朝から強い雨が降っていた。滑らないよう慎重に下ったが、近江商人は疲れのためか、3回も尻餅をついた。一気に上高地へ下り、シャトルバスで平湯へ。ここから新穂高温泉の旅館に直行し、プールのように広い露天風呂に体を沈め、至福の時間を過ごした。かくして年寄りの大冒険は終わった・・・。

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                                                (終わり)

 

 
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旧友と北アルプスの涸沢に行く(前編)

 今回のブログに登場する人物は4人。いずれも私の高校時代からの友人である。食品会社でカレーの開発一筋の「カレー男」。商社マンとして海外で木材の買い付けをしていた「材木商」。高層のビジネスホテ2軒を保有する「近江商人」。暇人を名乗る私はマスコミのクズ。

 一人を除いて現役を退き、おおむね大人しく第二の人生を歩んでいる。10年ほど前、同級会で何十年かぶりに再会した。高校時代はいつもつるんでいたので、たちまち意気投合し、年3、4回、泊りがけでゴルフをするようになった。

 今年6月、ゴルフを終えて雑談していると、カレー男が「お前の趣味の山に連れて行ってもらえないか」と言った。近江商人は「俺も行く」と同調したが、材木商は「あんな苦しい登山なんか行きたくない」と断固拒否の姿勢だ。「じゃ、3人で行こう」となり、計画を始めた。

 私は、ぜひ北アルプスの絶景を見せてやりたいと思った。山の初心者だから、比較的楽に登れる涸沢カールを目指すことにした。涸沢は日本最大のカールであり、ナナカマドなどの紅葉の名所でもある。シーズンになれば、紅葉と登山者のテント村の写真が新聞の1面を飾る。

 登山計画は随時メールで送った。情報を共有するため、念のため登山拒否の材木商にも送信しておいた。すると、彼から「やっぱり俺も行くわ」というメールが届き、一同のけぞった。絶景に興味を引かれたのか、のけ者にされるのが嫌だったのか分からないが、ともかく4人がそろった。

 9月初旬、名神の養老サービスエリアで合流した。新品の登山靴にリュック姿。まぁ、それなりに登山者の装いだ。運転手役は近江商人で、車は彼のレクサス最高級車だ。乗り心地は暇人の軽トラとは雲泥の差である。東海北陸自動車道で高山を経由、上高地への玄関口平湯温泉に向かった。

 平湯のあかんだな駐車場に車を止め、シャトルバスに乗り込んだ。すると、近江商人のスマホに「車の窓が開いている」とのメールが送られてきた。高級車はこんなシステムが装備されているのだ。出発直前だったので、近江商人は80キロの巨体を揺らしながら全力疾走で駐車場を往復した。登山のいい練習になったことだろう。

     ↓ 上高地行きシャトルバスの向こうに笠ケ岳
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 上高地は晴天だった。河童橋に立つと、穂高の峰々が美しい姿を見せていた。明神までは梓川の右岸を行き、清流を泳ぐ岩魚などを見ながら歩いた。暇人はここぞとばかり知ったかぶりを披露し、日本アルプスを海外に知らしめた宣教師ウェストン卿のことを語り、彼を山に案内した上條嘉門次の小屋に案内したが、3人はさも興味なさそうに聞いていた。

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     ↓ よく見れば岩魚が泳いでいる         
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 垂直に切り立つ3000m近い明神岳を見上げながら、その夜泊まる徳沢園までゆっくり歩いた。この宿は井上靖の小説「氷壁」の舞台となった山小屋で、「氷壁の宿」として有名だ。主人公が荒天の穂高を登り、恋人が待つ徳沢へ向かうのだが・・・。その辺のことを講釈師よろしく語って聞かせたが、耳を素通りしてる様子である。

     ↓ 明神岳
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 さすが徳沢園は、食事も寝る所も普通の山小屋と違い、ホテルに近い。学生時代富士山に登ったカレー男は別にして、他の2人は山小屋に泊まるのは初体験だ。「涸沢小屋にも風呂はあるんだろう?」と言ったかと思えば、「俺は個室でないと眠れない」とほざき、登山をなめきっている。

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 その夜、暇人はウィスキーを片手に外に出て、満月の夜空を眺め続けた。他は、布団の上でスマホをいじっていた。翌日は本格的な登山になるが、さて、どうなるやら・・・。

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                                       (続く)

 

 
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