森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

セブンイレブンのCM・・・生石高原のシーンは一瞬

 顔をつぶされた。顔に泥を塗られた。そんな文句の一つも言いたくなる。いやはや、面目ない・・・。

 4月29日の当ブログで、生石高原でテレビCMの撮影が行われたことを書いた。このCMでは、高原からの素晴らしい眺めが日本中に紹介されるはずだと思った。ここで暮らすわれらにとって誇らしく、鼻高々の気分だった。

 CMの撮影は、朝の6時ごろから3時間もかけて続けられた。撮影スタッフは約40人、車両は10台。山ガール3人が、高原の中央にある巨大な岩に腰かけ、どら焼きやバームクーヘンを食べるシーンが延々と撮影されていた。

 ブログでは、撮影スタッフから口止めされていたのでCMの会社名を伏せていた。しかし、CMは先日から流れているので、公にしてもいいだろう。コンビニ「セブンイレブン」のCMである。商品のスイーツの宣伝だ。

 CMはまず和歌山城のシーンから始まり、続いて山ガールが山や谷を歩く。次の場面に移る前に、商品の菓子が紹介される。最後は、若くてかわいい山ガールが生石高原で菓子を食べるシーンである。

 「あっ、生石高原だっ!」と思ったら、はい、それで終わり。期待のシーンは、ほんの一瞬である。1秒、長くて2秒である。高原から眺める絶景が全国に知れ渡ると思っていたのに、CMはあっけなく終わってしまったのだ。ぼやき漫才じゃないが、「責任者は出て来いっ!」・・・。

 たった数秒のシーンを撮影するため、遠くからガソリンを使って10台もの車両がやって来た。しかもスタッフは40人以上である。CM撮影とはそんなものかもしれないが、素人の目からすれば、何たる無駄かと思う。

 それはともかく、私としてはハシゴを外されたような気分である。ともかく、セブンイレブンのCMを見ていただきたい。生石高原のシーンは一瞬である。惨めな私の気持ちが分かってもらえるはずだ・・・。
   14:37 | Comment:0 | Trackback:0 | Top
 
 

高原の山蕗で佃煮を作る

vcm_s_kf_repr_351x468_20120513101220.jpg

 連休が終わり、多くの人でにぎわっていたここ生石高原は、潮が引くように元の静かな草原に戻った。それでも時折、山菜採りの人影がちらほら見られ、レジ袋の中身を見せてもらうと、結構ワラビを採っている。

 生石高原は山菜の宝庫だと、つくづく思う。連休中、あれだけ多くの人がやって来て山菜を採ったのに、その後もワラビは次々と芽を出し続けている。ここで暮らすわれらにとって、連休明けのこれからが第2ラウンドで、のんびりと山菜採りを再開するのだ。

 一昨日のことだが、朝食を食べ終えた頃、誰かが玄関ドアを叩いた。表に出ると、生石山の森で暮らす仲間の彫刻家である。「これ女房が作ったんだ。味見してみてよ」と言って、ビンに入れた山蕗の佃煮を持って来てくれた。

 その夜、味見してみた。「美味しいねぇ」・・・。珍しくわれら夫婦の意見が一致した。掛け値なしに、いい味だ。山蕗の風味に加え、エリンギとシメジが入っているので、食感もいい。佃煮のように辛くはなく、甘目に調理されている。

 実は、山蕗の佃煮は私の大好物であり、懐かしいお袋の味なのだ。母親は、私たち家族が採ってきた山蕗を庭の山椒と一緒に煮付けた。その味が忘れられず、女房には毎年、母親直伝の山蕗を炊いてもらっている。これぞ、初夏の味なのだ。

 しかし、彫刻家がくれた山蕗は、お袋の味、女房の味とかなり違う。そこで女房は翌日、彫刻家の家を訪ね、レシピを教えてもらって帰ってきた。調味料は、醤油、みりん、砂糖、日本酒など特別なものはなく、干しシイタケの戻し汁で炊くのがコツといえばコツなのだろう。

 さっそく、山蕗を採りに行った。この森の中を歩けば、いくらでもある。蕗は高地に自生しているのでそれほど太くはないが、柔らかくて風味は濃厚である。6月中旬くらいまでいい蕗が採れる。

 蕗採りから帰ると、彫刻家から電話がかかってきた。九州から取り寄せた醤油があるので、1本あげると言う。女房によると、スーパーなどで売られているキッコーマンなどの醤油は塩っ辛過ぎて、ほんのりと甘い味には仕上がりにくいと言う。どうやら、醤油も調理のポイントの一つらしい。

 女房が調理を始めた。蕗を水でよく洗い、3センチくらいの長さに切って茹でる。水にさらしてアクを抜いたら、調味料、山椒粒、エリンギ、昆布とともに弱火で3時間ほど煮詰める。出来上がった蕗の佃煮は、彫刻家からもらったものとは微妙に違うが、味に遜色はない。

 蕗独特の風味にキノコの歯ざわりが絶妙で、実にうまかった・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120513101303.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120513101334.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120513101414.jpg
   11:22 | Comment:4 | Trackback:1 | Top
 
 

禁煙・・・釣りで我慢できれば本物だ!

 禁煙を始めて、100日を超えた。禁煙外来の門をたたき、処方された薬を飲みながらのチャレンジだったが、それでもよくぞここまで来れたものだと思う。今は、禁煙を成し遂げられるという自信が日ごとに深まっている。

 実はひと月ほど前まで、喫煙生活に後戻りするのではないかという不安の方が強かった。朝起きた時の一服を我慢するのは辛かった。ご飯やコーヒーの後は手持ち無沙汰だった。女房から小言を聞かされる時は、やたら煙草が欲しかった。このように、吸いたくなることが度々繰り返されたものだ。

 しかしその度に我慢できた。これは奇妙なパラドックスなのだが、新品の煙草をテレビの上と車の中に置いていたからだと思う。つまり、吸いたくなったらいつでも吸える状態にしておいた訳である。そんな時は煙草をにらみ付け、「煙草の封を切ったら本当に駄目男だ」とつぶやいた。

 朝イチと食後の一服を辛抱し、女房の小言にも耐え抜いた。ブログを書くときも煙草を手放せなかったが、これも何とか乗り越えることが出来ている。

 後は釣りの時である。釣りは余り動かず、じっと当たりを待つだけだ。煙草がないと間がもたない。魚が釣れなければ、立て続けに2本、3本と煙草に火を付ける。釣れれば釣れたで、喜びと安堵感で煙草が欲しくなる。

 釣りで煙草を我慢でき、しかも吸いたいと思わなければ禁煙は本物なのだ。

 4月25日のブログでも書いたが、その前日、今年初めての釣りに行った。ボートからアオリイカを狙ったが、幸い2・5キロと1キロの2杯を釣ることが出来た。当たりを待つ間も、大物が釣れた時も煙草が吸いたかったが、耐え難いほどではなかった。この釣りで、「よし、禁煙出来るぞ」という自信が持てるようになった。

 そして昨日の8日、今年2回目の釣りに出かけた。同じようにボートからのイカ釣りである。イカが生きたアジに食いつくのをひたすら待つ釣りであり、この時期は、1日に2回か3回当たりがあればいい方である。釣果は1キロを超える良型のイカが2杯釣れて満足だった。しかも、前回の釣行よりも煙草を意識しなくなったのが良かった。

 半世紀近くも吸い続けてきたニコチンへの呪縛、煙草の習慣を解き放つのはそれほど簡単なものではない。「吸いたいか?」と聞かれれば、躊躇なく「吸いたい」と答えるだろう。しかし、悪魔の1本を吸った途端、これまでの辛抱が水泡に帰すので我慢しているのだ。ただし、女房に次のような遺言を言ってある。

 お迎えが来たら、火の付いた煙草を1本、口にくわえさせてもらいたい・・・と。

    ↓ 5月8日の釣果
vcm_s_kf_repr_468x351_20120509180123.jpg
   18:06 | Comment:0 | Trackback:1 | Top
 
 

山の達人が教えてくれた蔓人参

 若芽が出てくるこの季節、散歩の楽しみは蔓人参を見つけ、その蔓の先端部を食べることである。蔓をちぎると、その断面から真っ白のお乳が出てくる。タンポポから出る乳液と同じだ。少し癖はあるが、乙な味である。

 この植物は、山の斜面に自生している。葉はきれいな四葉になっていて見つけやすい。根は朝鮮人参に似ているらしいが、そのような強い薬効がある訳ではなく、辞書には「滋養強壮、疲労回復」とだけ書いてある。蔓には、顕著な効果はないらしい。

 しかしわれら夫婦は、蔓人参の薬効を信じている。と言うのは、これを食べるよう薦めてくれた人物を信じているからだ。その彼は「植物の茎から乳液が出るものは、何でも体にいいんだ。タンポポも同じだよ」と言う。

 彼は、私たちが暮らす生石山に時々やって来る。72、3歳のはずだが、顔や肌には張りがあり、目には高齢と思えない光がある。アスリートのような筋肉の持ち主でもある。その歳で、精力絶倫のようにも見える。

 彼は山そのものを良く知っているし、山の幸の効用も利用法も熟知している。蔓人参はその一つで、理屈ではなく経験で健康に役立つことを知っているのだ。食前酒として欠かせない蔓人参の焼酎が、彼を元気にしているのだろう。

 以前、出身地を聞いたことがある。「甲州の山奥だよ。奈良田温泉って知っているかなあ」と言っていた。秘湯で名高い奈良田温泉なら行ったことがある。南アルプスを源とする川沿いにあり、まさに秘境のような場所だ。

 あの奈良田の生まれなら、彼が山の幸を良く知っているはずで、信用も出来る。小さいときから山菜や薬草を採取したり、薪を作ったりして小遣いを稼いでいたのだという。

 彼はマムシ捕りの名人でもある。マムシの頭を踏んづけて首根っこつかみ、ビンに入れてマムシ酒を造る。これが蔓人参プラスαの元気の素に違いない。二つの食前酒を毎日続けているのだから、肌の艶、炯炯と光る目、絶倫そうなオーラも納得がいく。私なら鼻血ブーで、昏倒しそうだが・・・。

 マムシは遠慮したいが、山の達人推奨の蔓人参は体にいいはずだ。その四葉の若芽を探す散歩は、楽しい・・・。

     ↓ きれいな四葉になっている蔓人参。
 vcm_s_kf_repr_468x351_20120505091613.jpg

     ↓ 若芽をちぎると、乳液が出てくる。
vcm_s_kf_repr_468x351_20120505091641.jpg
   09:22 | Comment:0 | Trackback:1 | Top
 
 

えびね温泉へ・・・車中で色々思ったこと

 紀伊半島の南部に注ぐ日置川。そのほとりに「えびね温泉」がある。かつて、このあたりにえびね蘭が群生していたので、そう名付けられたと言う。湯は硫黄の香りがし、肌にまとわり付くような柔らかさで、ツルツルになる。

 源泉かけ流しである。どこの蛇口をひねっても温泉水が出てくる。飲用としても人気があり、ポリタンクをたくさん積んだ車が連日やって来る。1リットル10円。この温泉水でご飯を炊いたりコーヒーをいれたりすると、まろやかな味になる。糖尿病の人も愛飲しており、血糖値が下がるらしい。

 連休谷間の1日、夫婦で「えびね温泉」に出かけた。車にはもちろんポリタンクが積んである。片道3時間ほどの長距離ドライブだ。女房に運転してもらい、私は助手席から萌える新緑を楽しんだ。

 有田川沿いに走っていると、川に立ち込む釣り人の姿が見えた。そういえば、この日は鮎の解禁日である。これまでは5月25日ごろが解禁日だったが、昨年から5月1日になった。この日は曇り空だったので肌寒く、まだ水も冷たい。釣り人は雨具を着込んで寒そうにしていた。

 そもそも鮎釣りは夏の釣りである。強い日差しの下、大きく育った鮎と渡り合うのだ。鮎の餌は川の石に付く珪藻である。夏の太陽で珪藻が育ち、これを食べて鮎が肥り、スイカとかウリの香りを漂わせるのだ。5月初旬に釣れる鮎など、本来の鮎ではない。解禁の繰上げは、早くから釣り人を呼び込もうとする漁協の金儲け主義である。

 私は鮎を釣りたいがため、滋賀から有田川の近くに移住して来たほどである。鮎を語らせば人語に落ちないと思っているし、早く釣りたいのも山々である。しかし、十分成長していない鮎、香りの薄い鮎など釣りたくない。意地でも5月下旬まで竿を出す気はない。

 「精神の劣化」と言えば大袈裟かもしれないが、解禁日の前倒しを決めた漁協にそのようなものを感じる。動機は金儲けしかなく、川、強いて言えば自然に対する尊厳が感じられないのだ。

 車に揺られ、精神の劣化に思いを巡らせていると、難航する瓦礫処理の問題が頭に浮かんだ。安全と言われている瓦礫さえも受け入れない自治体や住民。ここにも、日本人の荒涼とした精神世界を見る思いがした。「絆」と言いながら、何が「「絆」かと思う。あの大震災の時、我慢強く、節度ある姿を見せてくれた東北の人たちに合わせる顔がない。

 鮎の解禁問題と何の関連もないが、次は昨今の原発再稼動へと飛躍し、どうにも止まらない。こういうのを八つ当たりと言うのだろう。原発問題は難しく、私がとやかく言えるような事ではないが、滋賀、京都の知事の言葉尻にどうも違和感を感じるので、一言・・・。

 原発被害に責任を負わなければならない立場だから、政府の再稼動に条件を付けるのはよく分かる。しかし、福井から送られてくる電気を使ってきたのは、ほとんど発電施設を持たない滋賀であり、京都である。再稼動に注文をつけるのに異議はないが、滋賀、京都はそれに代わる電力を自らの地域で作る覚悟も示すべきと思うし、立地住民の心にも配慮すべきと思うが、どうだろうか。

 この二人の知事は頭が良さそうだし、如才もない。言語明瞭でもある。だから、私のような素人の批判を封じるため、知事は二人とも「駄々っ子のように言っているのではない」と予防線を張っている。

 物事を判断したり決めたりするのは、論理的であるか、合理的であるかである。しかしそれだけではいけない。日本人としての行動や判断の基準にかなっているかが重要だと思う。それは自然に対する感性、人に対する慈愛とか誠実、正義、惻隠、恥などである。うまく言えないが、論理的に決めたことでも、心に響かなければならないのだ。西洋人との違いである。

 このような事に思いを巡らせているうちに、眠ってしまった。目覚めると、車は中辺路のあたりを走っていた。女房によると、いびきをかいていたようだ。いい気なものである・・・。
   12:55 | Comment:2 | Trackback:1 | Top
 
 

テレビCMにも登場・・・生石高原で山開き

 ここ紀伊山地の生石高原では、毎年4月29日に山開きが行われる。標高800mの高原では春の訪れが遅く、この時期になってようやく暖かくなり、草原を渡る風にも爽やかさが感じられるようになる。

 今年の山開きは晴天に恵まれ、多くの人たちが高原に上がってきた。駐車場には車が入り切らず、路上にもあふれるほどだった。和歌山ナンバーにまじり、大阪など関西方面のナンバーもかなり見られた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120429164628.jpg

 わが山小屋から高原までは歩いて15分くらいで、昼過ぎに出かけてみた。シートを敷いて弁当を広げるグループが目立った。みんなのお目当ては、餅投げである。和歌山では、行事や祭りに餅投げは付きものなのだ。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120429164718.jpg

 その前に、県立海南高校美里分校の太鼓部による太鼓演奏が行われた。部員10人が打ち鳴らす太鼓が新緑の高原に響き渡り、初夏の空気を震わせた。太鼓部は、全国大会にも出場するほどの実力があるという。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120429164804.jpg

 餅投げは、絶叫、悲鳴、歓声が交錯する中で盛大に行われた。私たち夫婦は、先日行われた別の持ち投げ大会で大量ゲットしたので奪い合いに加わらず、高みの見物を決め込んだ。よく見ていると今回もやはり、最前列で座り込む熟女陣が一番たくさんの餅を拾っていた。彼女たちは地面にだけ目を向け、落ちてくる餅に覆いかぶさるのだ。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120429164845.jpg

 話は変わるが、山開きの前日、われら夫婦は早朝からワラビ採りに出かけた。すると、高原にある巨大な岩の上でテレビCMの撮影が行われていた。スタッフは40人もいる大掛かりなものである。

 CM撮影はライバル企業のこともあるので、秘密で行われるのだという。その趣旨はよく分かるので詳しいことは書かないが、出演しているのは山ガールである。彼女たちの背後に、生石高原から見える七重、八重の山並みが映し出されているはずだ。

 このCMは誰でも知っている有名企業のもので、しばらくすると全国で流れるという。CMを見て生石高原からの眺めの素晴らしさを知ってもらえるのは、ここに住む私たちとしても誇らしい。

 山ガールが出演するテレビCM。ご注目を・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120429164937.jpg
   16:52 | Comment:4 | Trackback:0 | Top
 
 

黄砂の海、アオリイカが釣れた

vcm_s_kf_repr_468x351_20120425182704.jpg

 ようやく、今年初めての釣りである。情けない話、年をとると何事につけ億劫になる。4月の声を聞けば釣りに出かけていたが、今年は寒くてその気になれなかった。例年より3週間遅れの釣行となったが、さて釣果のほどは・・・。

 行く先は由良湾である。軽トラにゴムボートを積み、暗いうちに出発した。産卵のため岸近くの藻場にやって来るアオリイカを狙う計画だ。秋イカのように数は出ないが、キロクラスの大物が期待できる。

 天気予報通り、暖かい朝だった。軽快なエンジン音を響かせ、沖に向かった。しばらく走ると東の空が明るくなったが、いつもとは様子が違う。黄砂である。朝日が黄色くぼやけ、見通しも良くない。

 20分ほど走り、小さな島に近い私の好きなポイントに到着した。生きたアジを付け、岸に向けて30mほど飛ばす。アジを自由に泳がせながら、アオリイカが捕食するのをひたすら待つ。

 釣りには、海中を想像してみる楽しみがある。魚が餌を食べる一部始終が見えれば、まことにつまらない遊びなのだ。当たりを待ちながら、あれこれ想像し、あれこれ釣りの工夫をする。そうしながら日がな一日を過ごす。釣れればうれしいが、釣れなくても「潮が悪かった」とあきらめる。まだ枯淡の域には達していないが、そんな日もあると思えるようになっている。

 朝の7時半ごろだった。リールが音を立て、糸が出て行った。間違いなく、アオリイカがアジを食った。3分ほど待って、竿先で様子を聞いてみると、ギューンとイカが走った。重量感があり、かなりの大物だろう。

 一進一退を繰り返し、そこそこ寄って来た。掛け針のヤエンを糸に装着し、海中に送っていく。しばらくやり取りしていると、まったく糸を巻けなくなった。何かに引っ掛かったらしい。強引にリールを巻くと、大きな海草の房がヤエンに引っ掛かって上がってきた。もちろんイカはアジを放してしまっている。数少ないチャンスを逃してしまった。

 しかし1時間半後、再びチャンスが巡ってきた。同じような当たりがあり、ジリッ、ジリッという音を立て、リールから糸が出て行く。先ほどは海底近くでイカを掛けたため、ヤエンに海草がからまったのだろう。イカを浮かせなければならない。

 ヤエンに掛かる距離までイカが寄って来た。軽く合わせを入れると、竿先が海中に突き刺さった。うまく掛かったようだ。イカが強く引けば竿でいなし、引きが弱くなればリールを巻く。これを何回も繰り返し、やっと姿を見せた。大きい!墨を吐いて潜ろうとする。あと一息だ。

 玉網ですくおうとしたが、網からはみ出てしまい、また潜られた。針はがっちり掛かっているので、慎重にやり直す。今度はうまく入った。玉網の中で横たわる黄色の巨体に、しばし見入った。後で漁師に計ってもらったら、2・5キロあった。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120425182757.jpg

 幸運はこれで終わらない。正午前には1キロのイカも釣れた。今年最初の釣りで、良型2杯の釣果である。満足感、いや達成感と言った方がいいかもしれない。餌のアジは残っていたが、もうイカを釣る気はなくなった。午後はガシラを相手に遊び、そこそこ釣れたのを潮時に納竿した。

 うん、いい釣りだった・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120425182850.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120425182935.jpg

 
   18:31 | Comment:4 | Trackback:0 | Top
 
 

ワラビが採れて、本物の春が・・・

 きのうの午後、日課の散歩に出かけた。いつもは生石高原を歩くのだが、途中で行き先を変更し、高原の南側の道を下ってみた。そろそろあの場所で、ワラビが出ているのではないか。そんな期待を抱いた訳である。

 今年は4月になっても寒い日が多く、度々、雪も降った。例年だと、今頃は生石高原でもワラビの走りが採れるが、今年はさっぱりである。山菜だけでなく、季節は1週間以上は遅れているように思う。

 さて、ワラビが採れそうな、あの場所に向かった。ウグイスが盛んにさえずり、枯れたススキの穂を揺らして小鳥が飛び立って行く。ようやく春を感じさせる陽気である。山小屋から2キロほど下って目的地に着いた。

 やや急な草の斜面である。南側に面していて、日当たりが良い。滑るので、草をつかんでよじ登る。目を凝らしてみるがワラビは出ていない。いや、これは毎年のことで、ワラビに目が慣れないうちはなかなか見つけられないものなのだ。

 しばらくすると、緑色の茎が長く伸びた立派なワラビが見つかった。目が慣れたので、ぼちぼち採れるようになった。シーズンが始まったばかりなので量は少なく、半時間ほどで一握り採れただけだった。しかし、夫婦で食べるには十分である。

 帰りの上り坂を歩いていると、散歩中の女房が向こうからやって来た。ワラビを見せると、「やっと出たんだわねぇ」と、うれしそうにしていた。 家に帰るとさっそくストーブの灰を振りかけ、熱湯を注いで灰汁抜きをした。女房が卵とじを作ってくれ、晩の食卓に載った。独特の粘りと風味がこたえられない。山の中に暮らす贅沢かもしれない。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120422112321.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120422112351.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120422112914.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120422112530.jpg

 ワラビが採れ、やっと生石山にも本物の春が来たのだ。朝晩は薪ストーブの世話になっているが、それでも日中はセーターを着ないで済む。山桜は五分咲きくらいで、数日で満開になるだろう。山小屋の斜面に植えてあるラッパ水仙は見事な黄色で、道行く人が足を止めて見てくれる。生石山の森に多いエゴノキにも小さな新芽が出てきた。

 女房の畑を見て戻る途中、ふと足元を見ると、笹ユリの芽が出ていた。周囲を良く見ると、早くも10ほど出ていた。あぁ、もうそんな季節なのだ。うれしくなった・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120422112625.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120422112705.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120422112745.jpg

vcm_s_kf_repr_351x468_20120422115435.jpg

 
   11:43 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 

会津への旅(3)

 会津の市中を歩くと、歴史的な建物が意外と少ないことに気が付く。戊辰戦争はすさまじく、なだれ込んできた新政府軍によって焼かれ、壊されてしまったのだ。有為な人材や若い命も失われ、そうした墓石ばかりが目立つ。

 砲弾を浴びた鶴ケ城は取り壊され、今の優美な城は復元された建物である。一族21人が自刃した家老西郷頼母邸があった場所には石碑が建っているだけだ。藩校日新館は全国有数の師弟教育の場だったが、これも天文台の石の土台を残すのみである。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120418182120.jpg

vcm_s_kf_repr_351x468_20120418182150.jpg

 戊辰戦争で会津藩の敗色が濃くなると、江戸あたりの道具商や、たちの良くない男たちが姿を現した。戦火に追われる商家などから家具や漆器を買い叩くためにやって来たのだ。こうして、会津伝統の価値ある工芸品が散逸してしまった。

 再現された西郷頼母の武家屋敷があると聞き、行ってみた。建物の一角にある史料室で、思いがけない戊辰戦争の「遺物」を目にすることになり、驚いた。それは、味付け海苔ほどの大きさの赤い布切れである。

 紛れもなく、「泣血氈(きゅうけつせん)」だった・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120418182228.jpg

 JR会津若松駅から甲賀町通りを歩くと、城の手前に「白露庭」という武家の庭園がある。戊辰戦争が終結すると、この庭園の近くの通りに緋毛氈を敷き、新政府軍と会津藩との間で降伏式が行われた。

 藩主松平容保公がひざまずき降伏と謝罪の書を差し出すと、政府軍を代表して薩摩藩の中村半次郎が受け取った。彼は「人斬り半次郎」の異名で呼ばれ、会津藩にしてみれば、そんな格下の人物が代表を務めるのは屈辱的な仕打ちに映った。ただ、彼だけが敗軍の将に頭を下げ、敬意を表したとの説もあるのだが・・・。

 いずれにしても、屈辱の儀式だった。降伏状を書き、儀式を取り仕切った秋月悌次郎は、式場の緋毛氈を切り刻み、「この日の屈辱を忘れまい」との思いを込め、藩士たちに配った。これが、血の涙を意味する「泣血氈」である。

 額縁に入れられた「泣血氈」は、少し斜めに切られており、急いで刀で切ったように見える。緋毛氈はかなり上物だったようで、140年余り経っているが、緋色をとどめていた。

 布切れは、何を語りかけているのだろう。薩摩に騙され、将軍慶喜や徳川幕府から捨てられ、朝敵、賊軍の汚名を着せられた。「なぜだ!」と言う叫びなのだろうか。

 それから10年、西南戦争が起きた。会津にしてみれば、西郷隆盛たち薩摩兵相手に戊辰戦争の恨みを晴らし、一矢報いる機会が到来したのだ。続々と会津出身の士族が集まり、政府軍の一員として薩摩に向かった。

 その一人、佐川官兵衛は戊辰戦争の城外隊を率いた家老で、「鬼官兵衛」と呼ばれた猛将である。薩摩との戦を死に場所と決めていた節がある。抜刀して薩摩兵に斬りかかり、戦死した。ある小説では、鬼官兵衛は「薩摩の芋侍、恥を知れ」と叫びながら、白兵戦に挑んだとある。「薩摩よ、恥を知れ!」は、西南戦争に加わった会津人共通の思いだったに違いない。

 会津への4泊5日の一人旅を終え、ブログを書きながら司馬遼太郎の言葉を噛みしめている。

 「あの時代に会津藩というものがなく、三百藩すべてが利に走っていたら、私は日本という国を信じなかった」・・・と。

                                          (終わり)
 
   08:39 | Comment:4 | Trackback:0 | Top
 
 

会津への一人旅(2)

 会津若松近郊の東山温泉で泊まり、翌日、藩主保科正之公の墓参に向かった。磐越西線の電車で市内から半時間の猪苗代駅へ。会津のシンボル磐梯山には雲がかかっていたが、時折、急峻な頂上が姿を見せた。

 保科公は自ら猪苗代湖を望む磐梯山の山麓に足を運び、「この地に埋葬を」と遺言した。公は生前、「土津(はにつ)」という神道の号を授けられており、造営された墓所は「土津神社」と名付けられた。神社は、東北の日光とも言われるほど荘厳な建物だったが、戊辰戦争で焼け落ちた。

 駅から磐梯山に向かって緩やかな坂道が延びており、1時間余り歩き続けると真っ白の鳥居が見えてくる。これが土津神社である。さらに半時間ほど杉木立の参道を歩くと、奥の院だ。ここが保科公の墓所で、六角形の墓石が建っていた。

 一帯にはまだ雪があり、参拝するためには雪の道を歩かなければならない。足が雪に埋もれ、靴も靴下も濡れて冷たかった。「やっと来れました」・・・。墓前にたたずんで手を合わせ、神妙な気持ちになった。

 保科公は、将軍家綱を補佐して幕政を支えたが、会津でも次々と善政を敷いた。庶民が飢えないよう米を備蓄し、善行に対しては表彰してこれに報い、働けないお年寄りには米を支給した。

 謹厳実直、高潔な人格と言われる保科公である。しかし、50何歳かの時、目が悪くなったので若い女に身の回りの世話をさせたが、いつの間にやら手をつけ、子供まで産ませてしまった。名君と言えども、色を好むのは凡人のわが身と変わらず、親近感を持ってしまう。

 会津武士の心得「家訓十五か条」はよく知られる。徳川家への忠誠を誓わせ、賄賂、えこひいき、贅沢などを戒めている。面白いのは、4番目の家訓に「婦人女子の言、一切聞くべからず」とある。婦人団体が聞いたら腰を抜かすような家訓だが、誤解を怖れずに言うと、膝を打ちたい気分である。

 保科公がわざわざ「黙れ」と言った「会津女性」。実は、日本女性の鑑である。折り目正しく、控え目で、しかし芯の強さは折り紙つきである。だからこそ、戊辰戦争の時、多くの武家の子女が自刃するという悲劇を生んだとも言えるのだ。

    ↓ 西郷頼母邸で一族が自刃した再現シーン(武家屋敷跡)
vcm_s_kf_repr_468x351_20120417084547.jpg

 保科家の家紋を許されていた西郷頼母という幕末の家老がおり、その家老屋敷は子女惨劇の舞台となった。彼は、松平容保の京都守護職就任に強く反対し、家老を解任されたことがある。戊辰戦争の時は、白川口戦の総督として出陣したが、西軍に敗れてボロカス批判された。だから妻をはじめ家族もそうした負い目を感じていたのだろう。

 薩摩などの西軍が市中になだれ込んでくると、頼母の母や妻子たち一族21人は辱しめを受けまいと自刃して果てた。また、会津出身でありながら陸軍大将にまでなった柴五郎の祖母、母、妹二人も自害した。その母は五郎を親戚の山荘に疎開させ、柴家の後事を託した。

 これ以外にもおびただしい婦女が自刃したが、その一方で武器を手に戦った婦女もいた。美人の誉れ高い中野竹子らの「婦女隊」も戦闘に参加、死亡した。来年のNHK大河ドラマの主人公・新島八重子は、自ら銃を手に取り、果敢に戦ったと伝えられている。

 かくも会津女性は強いのだ。それなのに、保科公はどうして「女性の言を聞くな」と言ったのだろう。中国の故事に「雌鳥(めんどり)が鳴くと国滅ぶ」というのがある。女が出しゃばるとろくな事がないという意味だが、公はこれに倣ったのだろうか。

 どこかの国の総理大臣は、二代続きで「よく鳴く雌鳥」が寄り添っていた。道理で、国難を招いた。保科公に先見の明があったということだろう。さすが名君である・・・。            (続く)

vcm_s_kf_repr_351x468_20120417084627.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120417084657.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120417084730.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120417084808.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120417084847.jpg
 



 


 
   08:55 | Comment:1 | Trackback:0 | Top