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トルコ⑤・・・モスク、国旗、煙突

 トルコ12日間の旅は、これから後半に入る。それまでに感じたトルコの印象を無理やりまとめると、「モスク」「国旗」「煙突」の三つになる。

 まずモスクについて。イスラム教の国を旅行したのは、今回のトルコ、その前のエジプトの二か国である。エジプトではピラミッドやスフィンクスなど圧倒的な石の構造物を目の当たりにし、イスラムの雰囲気を感じる余裕はなかった。

 しかしトルコでは、目からも耳からもイスラムがどっと流れ込み、日本人にはなじみの薄い独特の世界に引き込まれるのだ。朝目覚めると、どこからともなく、くぐもった声が流れてくる。1日5回のお祈りを呼びかけるアザーンというモスクからの放送だ。あの抑揚のきいた声を聞くと、つい厳粛な気持ちにさせられる。

 ドーム状のモスクは、バスで移動しながらいくつも見てきた。大都会では大きなモスクがそびえ、小さな村にはこじんまりとその風景になじんでいた。鉛筆のような尖塔がいくつもあるモスク、1本もない小さなモスクもあった。尖塔の数は、モスクの建築資金の多寡によって決まるようなことをガイドが言っていた。

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 余談になるが、私の若い頃、あるテヘラン駐在の特派員が帰国し、国内の記者クラブで共に仕事をしていたことがある。彼は顔中ひげに覆われていた。聞くところによると、イスラム教に入信して帰ってきたそうだ。イスラムの空気が充満している国に3年も生活していたことを考えると、彼が入信したのも分からない訳でない。

 当時、彼から面白い話を聞いた。特派員でも商社員でも、イランに赴任すると大きな壺を買い求めるそうだ。ここにブドウなどの果物を放り込み、発酵させて酒を造るのだ。イランは厳格な戒律によって飲酒が禁じられており、やむなく密造酒を造るのだ。彼は敬虔なイスラム教徒になったのだから、密造などやるはずはないと思う。

 さて、トルコの国旗・新月旗だが、いたる所に掲げられていた。政府機関や公的な施設だけではなく、アパートのような建物の各部屋にも垂れ下がっていた。面白かったのは、車の窓の泥をなぞって国旗を描いていたことに、国民の国旗に対する強い愛着を思い知らされた。

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       ↓ 映像最後に国旗が投影された
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 トルコは第一次世界大戦のころ、オスマントルコ帝国との独立戦争をし、勝利した。これが国民の誇りとなり、国旗こアイデンティティの拠りどころを求めているように思う。アメリカを始め、独立戦争を戦った国は特に国旗への誇りが高い。今月は日本の建国記念日だが、日本ほど国旗を掲げない国も珍しいだろう。

 日本は独立戦争の経験がなく、明治維新はただの内戦だった。戦後、国旗は軍国主義に結び付くものとして忌避される風潮もあった。だから、国旗・国歌を日の丸・君が代と言い替えるのだ。今年の正月、日の丸を国旗と認めたがらないある野党の代表が、天照大神を祀り、国旗を高々と掲げる伊勢神宮を参拝したが、どのような魂胆があるのだろう。

 カッパドキアは後日訪問することになるが、その前に、当地で行われたプロジェクションマッピングのことを書いておこう。岩肌に映像を映すもので、ストーリーはトルコの国の成り立ちをを描いていた。映像と音響効果は迫力にあふれ、そして迎えたラストは、たなびくトルコ国旗が大きく映し出された。さすがトルコである。

 最後は、無骨で愛すべき煙突である。私の山小屋にも黒い煙突が立っていて、山小屋のシンボリックな存在だと思っているのだが、トルコでは、煙突のない民家など1軒もなかった。1軒に何本も煙突のある家も当たり前のように見かけた。そんな煙突を見て、思わず親近感を抱いてカメラを向けた。

 土産物店の何軒かでストーブを見せてもらったが、北欧やアメリカによくみられる鋳鉄製ではなく、多くは鉄板で出来た薪ストーブだった。日本のだるまストーブに似ているものや、ただの円筒形のストーブもあった。ストーブの上には薬缶が置かれ、湯がチンチンと沸いていた。おそらく民家では、これで煮炊きもしているのだろう。

 ストーブの値段は1万5000円から2万数千円とのことだ。ちなみに日本で普及している北欧やアメリカ製は30万円以上もするが、性能は高い。薪を二次燃焼するので、煙も薄い。

 燃料は多分、薪や廃材だと思うが、家の周りに積み上げている家は1軒もなかった。日本では、薪ストーブのある家では軒下に何年分かの薪を積み上げており、私などは強欲に6年分もの薪を備蓄している。国民性かもしれないが、トルコの人は薪についても先の事は心配せず、呑気なところがあるのかもしれない。

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           ↓ この型が多い
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      ↓ 円筒型は値段が安い
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トルコ④・・・遺跡を踏み越えて

 イスタンブールを出発し、トロイ、ベルガマ、エフェソスと古代都市の遺跡を巡ってきた。バスの走行距離は1000キロ近くに達しているかもしれない。この間ずっと、バスの窓から畑で栽培されているオリーブの木を眺め続けてきた。トイレ休憩で立ち寄った店には、石鹸など様々なオリーブ製品が並んでいた。

 どうも私は味音痴なのか、オリーブオイルも実もそれほど美味しいと思わない。海外生活の長い女性から「美味しさが分からないの?」と偉そうに言われたことがあり、ちょっと悔しい思いをしたことがある。「日本にはそれに代わるエゴマ油がある」と言いかけたが、倍返しが怖いのでやめた。ただ、家内が現地で買ってきた石鹸で体を洗ったら、いい匂いがした。

 さて、これまではエーゲ海を右手に見ながら走ってきたが、エフェソスから進路を東にとり、内陸部に入った。今回四つ目の世界遺産アフロディシアスを訪ねるのだ。 紀元前2世紀から6世紀まで栄えた古代都市の中で、最も壮大な規模を誇ったひとつといわれているそうだ。

 近くに大理石の採石場があり、この街には多くの石の彫刻やレリーフが残されていた。まずは遺跡へ。そこへ行くための輸送は仰天ものだった。幌付きの荷車に乗り、これをトラクターが引っ張るのだが、運転手がトラクターを猛スピードで3回転、4回転させ、われら観光客に黄色い声を上げさせるのだ。荒っぽい歓迎である。

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 着いたその場所には石棺がいくつも並べられていた。彫刻が施された立派な芸術品である。保存状態のいいものは博物館に収められているそうだが、ここにある石棺も重文級だろう。近年、インスタグラムとかいう写真投稿サイトがはやっているそうだが、自分もこの石棺の中に寝ころび、ニタッと笑う気味悪い写真を投稿してみたいと思った。

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 遺跡は広大だった。その中央に建つ神殿をしばし見つめた。祭祀を執り行う金髪の卑弥呼のような姿を妄想する。そして、圧巻なのは3万人が収容できるという競技場だ。これも妄想だが、競技場にトラやライオンを放ち、罪人を食いちぎさせる残酷な場面が浮かぶ。当時、おそらく遠くの町からも人々がやって来て、屋台なども出てにぎわっていたことだろう。

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 さて、下の2枚の写真を見ていただきたい。

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 1枚目はエフェソスの遺跡、2枚目はこの日の記事で取り上げたアフロディシアスの遺跡で、石の柱やレリーフを踏み付け、またいで歩く家内の姿を撮影したものだ。傷つけない限り、蹴飛ばしても罰せられる訳ではない。下の写真は野積みにされた建物の柱、次は通行人がひと休みするため椅子代わりに石柱が置いてある。

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 石の文化の国では珍しくない光景だろうが、日本から見れば信じられない管理の仕方だ。エジプトにも行ったが、紀元前のファラオの石像が野ざらしで、触り放題。考古博物館でも国宝級に触ることが出来た。写真撮影は、さすがツタンカーメンの黄金マスクだけは禁止だが、これ以外はすべて撮影OKだった。

 嫌味を言う訳ではないが、日本の博物館では多くが写真撮影禁止。手で触れるなどとんでもない話だが、トルコで立ち寄った博物館の研究者は「歴史を知る上で触るということは大切なこと。ここでは出土品を触ってもらえるようにしています」と話していた。日本は触れてはいけないなど「禁止用語」ばかりである。文化行政の違いを痛感した。

 ちょっと恐縮だが、こんな話を紹介したい。私は京都・先斗町のお茶屋の女将と懇意にしていた。お茶屋遊びをするほどの身分ではないので、近くでお茶するだけの仲だった。

 彼女はある時、「この前、お客さんが酔ってドスンと壁に当たらはりました。ちゃんとした土の壁ですと、ほんまに、へこむんどす。お茶屋の一見さんお断りというのは、信用の問題もありますけど、お茶屋の作法も身に付けたお人でないとねぇ」と語った。

 このように、「一見さんお断り」という閉鎖的な面が色濃い京都は、日本文化の中心でもある。だからと言う訳ではないけれど、お寺さんも文化財に関わる人も、表面は慇懃(いんぎん)だが、どこか「見せてやる」という上から目線が感じられる。例えば仏像も、厨子の中にしまわれ、お目にかかれないケースも少なくない。

 トルコと日本を簡単に比較出来ないのは百も承知だが、しかし日本ももう少し文化財の見せ方におおらかさがあってもいいのではないかと、と思うのだが・・・。

トルコ③・・・世界遺産の石と対話

 私たちのトルコ旅行に同行してくれた現地ガイドは、40歳前後の知的で誠実そうな男性だった。エーゲ海を望むトルコ西部の古代都市イズミルの出身で、首都アンカラの大学で歴史を学んだという。世界遺産の解説には、持ち前の豊かな知識を駆使しながら分かりやすく話してくれた。学者のような風貌だが、なかなか愛嬌もあった。

 彼の経歴が面白かった。若い頃から日本に興味を持ち、日本人にトルコを知ってもらうため日本一周の自転車旅行を計画した。トルコ政府から資金援助を受け、鹿児島から北海道までペダルを踏み続けた。各地の地元新聞社を訪ね、一周旅行を記事で取り上げてもらった。各地のグルメにも詳しくなり、もちろん日本語はペラペラである。

 さて、彼が率いるわれらの世界遺産の旅は、木馬で有名なトロイ遺跡から始まった。そもそも世界史は高校で習ったが、ほとんど忘れてしまっている。特に、西洋の古代史は苦手だ。トロイ戦争と聞いても、誰が何のために起こした戦争だったのか、今一つ分からない。

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 ガイドからトロイの勇将の名前などを説明されても、一応分かったような顔をしているが、実はチンプンカンプンである。しかし、遺跡を見学するのは楽しい。巨石をどのようにして運び、どのような道具を使って加工したのだろう。さらに、人の背丈の何倍もの高さまでどのように引き上げたのだろう。そして、そこで何が行われていたのか。興味は尽きることがない。

 ガイドに質問したいことはいっぱいあったが、自分の無知が恥ずかしいので言い出せない。まぁ、どうせすぐ忘れるからそれでいいのだ。物言わぬ石を指でさすり、時々叩いてみたりして古代と対話する。

 ギリシャ神話にも出てくるというトロイの木馬の模型にも登ってみた。その昔、苦戦のギリシャ勢は敵対する相手の陣地に木馬を運び込み、その中に潜ませた兵士によって攻撃を仕掛け、敵陣を陥落させた。木馬は敵を欺く装置であり、相手を陥れる罠として語られることが多いが、あながち荒唐無稽な作戦とは思えない。

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 世界遺産の見学は、エーゲ海に面するベルガマ、さらにエフェソスへと続いた。ベルガマでは丘の上に建つアクロポリス神殿、古代の医療施設アスクレピオンを見学した。この医療施設ではセラピーなど様々な医療を施していたそうだが、敷地に水が流れる場所があり、精神を病んだ人に対する療法として水の音を利用していたそうだ。日本の水琴窟なんかいいかもしれない。

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       ↓ 水の音で精神を癒した
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 古代ローマ時代、地中海貿易の中心都市として栄えたエフェソス。ここには神殿跡のほか、巨大な半円状の大劇場、蔵書十数万冊という図書館、水洗トイレ・・・。見るべきものはたくさんあったが、帰国すると詳しいことは忘却の彼方へ。アメリカの有名歌手もコンサート開いたという大劇場で、われら一行の女性が音響効果を確かめようとしたのか、奇声を発したのが面白かった。

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        ↓ 図書館
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        ↓ 見れば分かる
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 遺跡には、大理石を敷きつめた1本の長い道があった。ここをかのクレオパトラが歩いたそうだ。大理石の白い道をさっそうと歩く絶世の美女。さぞや見栄えがしただろう。そのクレオパトラとは仲が悪かった妹はここエフェソスに幽閉され、墓もある。NHKの番組で知った受け売りだが・・・。このほか、有名ブランドのエルメス、スポーツ用品ナイキのマークの由来となった二つの石板も見た。

        ↓ クレオパトラが歩いた道     
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        ↓ エルメスゆかりの石板
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        ↓ こちらはナイキ由来
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 ところで、このように見学を続けていると、ぜひ行ってみたいと思っていたギリシャへの興味が失われていった。わざわざ旅行しなくても、ベルガマやエフェソスの遺跡はギリシャのそれとそれほど違いはないだろうと思うのだ。古代史に詳しい人からは「分かっとらんなぁ」と非難されそうだが、素人の私にとっては五十歩百歩だと思う。

 実は以前、NHKが放送したギリシャの首都アテネの旅番組を見たことがあり、アテネの街に大いに失望した。一つは街にゴミが散乱していたこと。もう一つは、変な文字の落書きが多いこと。いや、多いなんてものじゃない。落書きに塗りつぶされた街と言ってもいいのだ。

 すぐそこにあのパルテノン神殿があり、その姿の美しさや文化財価値は大きいかもしれないが、足元の汚さは目を覆うばかりだ。トルコの世界遺産の街はおおむね清潔で、落書きもほとんど見られなかった。アテネ市民の意識が低いとまでは言わないが、EUのお荷物とも言われるギリシャは経済が低迷しており、人々の気持ちがすさんでいるのかもしれない。
 

トルコ②・・・橋の上から魚を釣る人たち

 関西空港からドバイまで11時間の飛行、5時間のトランジットの後、さらに5時間かけてついにイスタンブールへ。長旅に少々くたびれた。イスタンブールと言えばアジアとヨーロッパの交差点でもある。1970年代にヒットした庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」の甘酸っぱい歌声が耳に残っていて、口ずさんでみたくなる。

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 到着後、直ちにバスに乗ってボスポラス海峡に向かい、美しいモスクを望む土産物店街を歩いた。店の男たちが観光客を呼び込むため声をかける。私たちにも「ニイ・ハオ」と声を掛け、笑顔を振りまいた。日本の人口1億2千人に対し中国は13億人だから、東洋人を見たら「ニイ・ハオ」と一応声を掛けた方が当たる確率が高い。なるほどである。

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 続いて金閣湾に架かる全長490mのガラタ橋に行った。ここで釣り好きの私の目は、橋の上から出された釣り竿の放列に釘付けになった。その数ざっと200本、いやもっとあるかもしれない。水面まで10m前後の橋の両側に竿が並んでおり、1人が5、6本並べ、1本だけは上げ下げして魚に誘いをかけていた。

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      ↓ 下から見ると・・・
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 仕掛けはアジを釣るようなサビキである。最初の人にバケツの中を見せてもらうと、マアジが1匹だけ入っていた。潮回りが悪いのだろうか。そんなことを思いながら通り過ぎたが、次の釣り人、その次の人も大漁である。魚をひけらかすように、数十匹もの魚をバケツに入れていた。魚はすべてボラだった。

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 ほぉ、トルコの人もボラを食べるんだと連帯感のようなものを感じた。日本でもよく釣れるが、近頃は余り食べられない魚である。何十年も前の話だが、ある有名料理店の料理長から食べ方を教えてもらったことがある。三枚に下したボラの身に味塩を刷り込み、ラップして冷蔵庫で寝かせる。味塩を使うのがミソで、熟成された白身はなかなか美味しい。

 イスタンブールにも、私のような釣り好きの暇人がたくさんいるのだ。親近感を抱いた。それにしても、こんなにたくさん釣ってどうするんだろうと思ったが、しばらくしてその訳が何となく分かった。橋の階段を降りるとシーフードの店がたくさん並んでおり、ここに売って小遣い稼ぎをしているのではないかという推測だ。
 
 シーフード店の店先に並べられた魚を見ると、ボラやチヌ、舌平目のような魚、名前は忘れたが和歌山でもよく見かける赤い魚などが並んでいた。ボラは釣り人から安く買い付けたものかもしれない。ここでも店員から「ニイ・ハオ」と声を掛けられ、少々気分を悪くした。

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 実は旅行中、いくつかのホテルでバイキングを食べたが、ボラの塩焼きが盛り付けてあった。食べてみると、そこそこの美味しさだった。ややクセのあるトルコ料理に辟易していたので、口に馴染んだのかもしれない。

 旅行の最終日、ボスポラス海峡のクルーズに参加し、釣りをしている船を見かけた。漁師の船か遊漁船か分からなかったが、どうやらここは好漁場なのだろう。日本でも明石海峡や紀淡海峡は漁船がひしめくほどの漁場であり、魚も身が締まっていて美味しい。ボスポラス海峡も波立つほど潮が速かった。

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 そのボスポラス海峡に美しい夕日が落ち、トルコの一日目を終えた。

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トルコ旅行① 厄介な隣人

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     ↑ トルコ軍艦はこの浜で遭難した
 
 明治23年、和歌山県の串本沖で、オスマントルコの軍艦エルトゥールル号が難破し、乗組員587人が死亡・行方不明になるという最悪の海難事故が起きた。しかし、残り69人は地元の人たちによって救助され、後日、明治政府が生存者全員をトルコに送り届けた。

 それから95年後の昭和60年、イランイラク戦争でイランに取り残された日本人約200人を救出するため、トルコ政府が救援機を飛ばしてくれた。戦火をくぐる決死の飛行によって、日本人は無事出国することが出来た。トルコ駐日大使館は「エルトゥールル号の借りを返しただけ」という短いコメントを発表した。

 恩義あるそのトルコに向け、関西空港を飛び立ったのは13日前の深夜だった。私たち夫婦は旅行社のツァーに参加し、12日間にわたってトルコ国内を周遊するのだ。一行は総勢19人で、アラブ首長国連邦のエミレーツ航空に搭乗、乗り継ぎのドバイまでは11時間余り、そこからイスタンブールまでさらに5時間という長旅だ。

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 機内で赤ワインを飲んで眠ろうとしたが、目は冴えるばかりだった。トルコ旅行ということで、3年前のちょうど今頃に観た日本とトルコ合作の「海難1890」という映画を思い浮かべた。映画は海難事故とトルコ航空機による日本人救出劇の両方を描いたものだった。トルコ政府の好意によって日本人駐在員が九死に一生を得た場面が感動的に映し出されていた。

 後日、映画にまつわる民放の報道番組を見たが、救援機で救出された男性がインタビューに対し、「飛行機が国境を越え、機長が『ようこそトルコへ』とアナウンスした時、私は泣きました」と答えていた。祖国日本から救援機を飛ばすことが出来なかった憲法上の制約に対するもどかしさ。彼は安堵と同時にその悔しさに涙したのだと思った。

 トルコへの旅は、順調にスタートした訳でなかった。ドバイに到着したすぐあと、一行の60歳代の男性がパスポートを紛失したのだ。日本のパスポートは20万円とか30万円という高値で取り引きされているとのことで、ひょっとして盗まれたのかもしれなかったが、幸い見つかったらく、1日遅れで合流することになった。

 ところが、翌日もまたパスポートを紛失したらしい。ドバイ到着後の記憶がすべて飛んでしまっており、どこでどうしてなくしたかが分からないとのことだ。残念ながら合流することなく一人帰国されたらしいが、紛失はある種の記憶喪失によるもので、不幸としか言いようがない。ツァー仲間を一人失った後味の悪さが残った。

 後味の悪さではこんなこともあった。ドバイに向かう飛行機では、3列の席の窓側が家内、私がその横、通路側が40、50歳代の男性だった。家内と一緒にトイレへ行くため、その男性に立ってくれるよう頼んだが、男性は「今行かなくていいだろう」と無茶苦茶なことを言い、これ以上もないほどの嫌な表情で睨まれた。

 結局、男性に立ってもらいトイレを済ませたが、不愉快な思いをしたくなかったのでドバイ到着まで11時間、トイレはこの1回だけで我慢した。彼は普通の旅行者のように見えたが、要するに変人の部類に入る人物だったのだろう。飛行機の通路側の人には気の毒だが、「袖振り合うも多生の縁」であり、機内では気持ちよく譲り合いたいものだ。

 指定席なので隣席の人を選べない。どこの国とも言わないが、隣国もまた選ぶことが出来ない。帰国して新聞に目を通したが、相変わらずその隣国は、日本に対し敵視政策を取り続けているようだった。政権が変わるとかくも対応が異なるものかと感心した。半面、その国の若者たちは日本への旅行を好み、関西空港にあふれていた。皮肉である。

 このように、旅のスタートはギクシャクしたものになったが、しかし先々でトルコと日本の友好関係がいかに深いものかを目の当たりにすることが出来た。ヒッタイト帝国時代などのカマン・カレホユック遺跡を見学したが、日本の学者や学生が大きな学術成果を収めていたのもその一つだ。

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     ↑ 日本政府の援助で設立された考古学研究所

 イスタンブールでは、サッカーの香川真司選手がトルコ1部リーグ・ベシクタシュに加入したことを伝えていた。現地テレビでは、「ボスポラスのサムライ」と呼んで歓迎し、サッカー好きの現地ガイドを大いに喜ばせた。私たちが2連泊したリッツカールトン(本当の話)からは、本拠地ボーダフォン・アリーナを見下ろすことが出来た。

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 ツァーは、イスタンブールを起点にトロイ遺跡やカッパドキアなどトルコの世界文化遺産を巡るもので、横に長いトルコの西半分をぐるり1周し、バスの走行距離は2500キロに及ぶはずだ。ブログではしばらく、面白くもない他人様の旅行記になることをお許し願いたい・・・。

琵琶湖に移住? 黒い鳥

 二十四節季の大寒の真っただ中というのに、寒さはそれほどでもない。今日も好天だ。家の中で丸くなっているのがもったいないので、カメラを持って散歩に出た。

 眺めのいい琵琶湖岸を歩くことにした。わが家から10分ほど歩くと湖岸に出る。例年だと手袋をつけたくなるほど冷たい季節だが、今年は暖冬なのか、それほどでもない。

 城の形をしたな琵琶湖文化館を左に折れ、大津港の方に歩いた。少し行くと、小鮎が一番早く釣れる場所があり、2月中頃から釣り人でにぎわう。気の早い3人が竿を出していたが、ウキはピクリともしない。暇を持て余すお年寄りの遊び場なのだろう。

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 対岸に白く横たわるのは、雪を頂いた比良山系だ。例年に比べて雪が少ないようだが、青空とのコントラストが美しい。大津に越してきたころ、家内と一緒に縦走したり、雪山にも登ったりした。標高はせいぜい1200メートルほどだが、結構タフな山である。

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 次はUターンし、湖畔の遊歩道を東へ歩いた。遠くに白い山容が見える。日本百名山の伊吹山だ。ここからどれくらい離れているのだろう。50キロ、いや100キロはあるかもしれない。そこはもう北陸地方で、中山道と北国街道が交わるあたりだ。

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 その手前に「近江富士」の名が付く三上山が見える。和歌にも詠まれる由緒ある山だ。近江は古代から交通の要衝で、京都や伊勢、北陸、中山道への道が交わっていた。三上山は対岸の湖西からもよく見えるため、旅人の道しるべになってきた。

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 冬の琵琶湖の風景が変わった。ずっと以前は、湖面に無数のカモが羽を休めていたものだ。しかし近年、「オオバン」というツルの仲間の水鳥が幅を利かせている。この鳥は全身が真っ黒で、くちばしだけが白く、不気味な姿だ。

 国内では琵琶湖がダントツに多い生息地で、ある統計では6万羽以上がいると言われる。元は中国の鳥らしく、餌の豊富な琵琶湖に移住してきたそうだ。散歩をしていると、美しいマガモはどこに行ったのだろうと心配になる。湖面を気味の悪い黒ずくめの鳥が闊歩している。

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強欲の結末は・・・

 ゴーン事件をめぐり、欧米メディアの論調が微妙に変わってきているように思える。メディアは当初、ゴーン被告の長期拘留ばかりを問題視していたが、彼の強欲ぶりが次々と明るみになると、振り上げたこぶしの下ろし所が見つからないようだ。

 その強欲ぶりは、実にひどいものである。5年間で100億円もの報酬があったのに、50億円少なく見せかける虚偽申告を始め、ブラジルやレバノン、パリなどに高級住宅を日産の金で買わせた疑いが持たれている。

 リーマンショックで個人的な投資に失敗すると、これを日産の損失として付け替えようとした。これが今回の事件の核心で、特別背任罪だ。有罪になれば、刑務所で臭い飯を食わねばならなくなる。裁判では腕利きの弁護人がシャカリキに反論するだろうが・・・。

 さらに住宅の改修費やシャンデリアの修理代などに何億という金を出させていた。ブラジルに住む姉には、実体のない業務に対し、毎年1千万円もの金が支払われていたほか、家族旅行の代金も日産に負担させていたようだ。ヨットクラブの会員権や高級家具などの代金も付け回していた。

 先日には、日産と三菱自動車が設立したオランダの統括会社から10億円の報酬を不正に受け取っていたと報じられた。取締役会の議決はなく、ゴーンの鶴のひと声で支払いが決まったというから、強欲ぶりに開いた口が塞がらない。

 故郷のベイルートの大学に寄付をしたとの報道もあった。確か、金額は1億円ほどだったと思うが、富豪のゴーンにしてみればスズメの涙、はした金である。しかも、自分の懐から出したとは信じがたく、日産の金だったかもしれない。

 時代小説の大家・ 藤沢周平の小説には、「吝い(しわい)」という表現が出てくる。要するに、しぶちんのことである。頭には細いちょんまげを乗せ、抜け目のなさそうな金壺眼(かなつぼまなこ)をしばたかせる欲深い年寄り。こんな場面描写は、藤沢小説の真骨頂だ。

 そんなケチと倹約家は違う。ケチのことを、吝嗇家(りんしょくか)、しみったれとも呼び、どこか蔑んだ意味合いがある。反対に、倹約家は質素な生活を心がけ、美風の趣さえある。

 蓄財に余念がないゴーンのような人物に対し、お金に執着せず、質素な生活を心がける人も少なくない。例えば、1980年代の昔、行政改革に辣腕を振るった土光敏夫さんのような人もその一人だろう。大企業の社長をいくつも務めた人だが、生活費以外のお金は教育に寄付し、通勤の足はバスや鉄道だった。メザシの食事は有名だが、真偽は分からない。

 私は滋賀に住民票があるが、この近江には「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」で知られる近江商人の哲学がある。肝心なのは、世間よしである。商売に成功しても、社会にとって良いものでなければならなのだ。ゴーンにそのような気概があったかは疑わしい。

 金銭欲は誰にでもある。そういう私にも欲がないと言えば嘘になる。ただし、その欲は実にささやかなもので、くじ引きで赤玉がコロンと出てくれば大喜びする程度だ。ゴーンの場合は、欲が欲を呼び、欲ボケに陥っているように見える。今後、刑事裁判だけでなく、巨額の損害賠償訴訟が待っているはずだ。欲張りの末路はどうなるのか・・・。

韓国に無礼だと言われ・・・言葉にも品位

 丸いメガネをかけ、ふくよかで人の良さそうな韓国国防省の女性報道官。その口から、「日本は無礼だ」という激しい言葉が飛び出した。いつも顔を合わせる近所の奥さんから、やにわに「あんた、無礼だよ」と言われたようなもので、一瞬、たじろいだ。

 「無礼者」という言い方は、威圧的である。時代劇の中でも、武士が町人を見下す場面でよく使われる。

 最近では、故人の鴻池祥肇・元参議員が森友学園の国有地売却問題をめぐり、陳情に来た籠池夫妻が封筒のようなものを渡そうとした際、「無礼者」と一喝したという報道があった。ご当人特有のパフォーマンスだったかもしれないが、日本では久しぶりに聞く無礼発言だった。

 韓国国防省のこの発言は、韓国艦船による射撃レーダー照射事件に端を発したものだ。日本側がレーダー照射を受けた証拠の周波数を示さずに、韓国側に駆逐艦のレーダー情報を要求したことが無礼だというのである。

 しかし、シンガポールで行われた日韓協議で、日本側が収集した情報の一部を示すことを提案したが、韓国側はこれに応じなかった。韓国側が自艦のレーダー情報を明らかにすれば、余程都合が悪かったのだろう。国際的にも韓国側に非のあることは明らかになっており、報道官の逆ギレはムベなるかなである。

 お言葉を返すようだが、レーダー照射の方が無礼だと思うのだが・・・。

 ところで、北朝鮮の口の悪さ、いや「口汚さ」はご承知の通りだ。その代表的なものは、「ソウルを血の海にする」。何ともおぞましい表現である。「破滅的な結果を招くだろう」も常套句だ。いちいち覚えていないが、よくもまあ、あれだけ口汚くののしれるものだと感心する。

 北朝鮮だけかと思っていたが、韓国も変わりはなかった。「無礼者」なんて外交儀礼上もあり得ないし、まして隣国であり、多くの国民が行き来する友好国でもある。しかし、この一言で、もはや日本は敵国に等しい間柄であることが分かった。日本の水域で日本の航空機に射撃レーダーを照射するなんて、そもそも敵対的行為に他ならない。

 口汚さが、朝鮮半島の言語文化なんてことは言わない。そんな決めつけは、無礼そのものだろう。他国の子供のしつけをとやかく言わないが、日本の家庭では、特に言葉遣いの良し悪しを教える。言葉とは品位であり、言葉遣いはその人の品格であることを知っているからだ。記者会見で他国に「無礼」と言わしめた韓国は、ここまで来たのかと思う。

 

ゴーンさん、検察は甘くない

 ゲスの勘繰りだろうか・・・。フランスの司法当局は、東京五輪の誘致を巡り、日本オリンピック委員会の竹田恒和会長に贈賄の疑いがあるとして、訴追する手続きを開始したと発表した。日本では、仏ルノー会長カルロス・ゴーン被告の身柄を拘束し、捜査を続けており、仏当局がその報復に乗り出したと感じさせる絶妙のタイミングなのだ。

       *       *       *
 
 さて先日、東京地検特捜部は、日産の元会長ゴーン被告を特別背任などの罪で追起訴した。有価証券報告書の虚偽記載の罪で二度の起訴を経て、ついに事件の本丸である特別背任での起訴に漕ぎつけた。

 特別背任は、自分もしくは第三者の利益を図り、会社に損害を与えた時に成立する。懲役10年以下、もしくは1000万円以下の罰金に処せられる。起訴内容は、ゴーンが日産を食い物にしたとする趣旨で、その悪質性から裁判で有罪となれば執行猶予のない実刑になる可能性が高いと思う。

 ゴーンをめぐる報道は、実にひどいものだ。海外メディアは、ゴーンによる不正の事実よりも拘留の長さだけに焦点を当て、批判している。被告は推定無罪の身だから人権が守られるべきだとしても、国によって司法制度は異なり、正当な手続きで捜査が行われていれば何も違法ではない。

 どの国にも、積み上げられてきた法の歴史があり、法の執行もその国の事情がある。例えばフランス。パリ警視庁などの警察小説にもよく出てくるけれど、勾留は原則24時間だが、証拠を判断する予審の段階なのに最長4年もの勾留が認められている。どうも欧米メディアは、他国の人権意識を見下し、説教したがるのだ。

 そのフランスの高級紙と持てはやされるルモンド紙だが、ゴーン事件について「破滅的な原子力事故を起こした東京電力の指導者が獄中で暮らすことはなかった」と皮肉り、ゴーンの長期拘束を批判した。何の関係もない原発事故を引き合いに出すのは、高級紙の割には品位がなく、的外れである。

 この事件に対する東京地検の捜査は、「巨悪を眠らせない」の名セリフで名を馳せた「特捜部」の存亡をかけた戦いでもある。10年ほど前、大阪地検特捜部が厚労省局長・村木厚子さんを誤認逮捕するという大失態を犯し、特捜部廃止の声さえ上がった。今も検察のトラウマであり、ゴーン捜査は相当の決意と覚悟で臨んでいるはずだ。

 私は新聞記者の駆け出しの頃と、その数年後の二度にわたって検察の担当記者をしていた。現役時代は検察庁舎に入りびたりになり、検事の部屋のドアを叩くのが日課だった。今はどうか分からないが、その当時、検事が被疑者を取り調べている以外の時は、少しくらいなら話に応じてくれる検事もかなりいた。

 地検のある検事のことは、今でも忘れられない。その人は東京高検検事長にまでに上り詰めた優秀な人で、私はその検事の部屋をしつこいほど訪ねたものだ。私がいつものように「何かありませんか」とあいさつすると、検事は「あんた、御用聞きか」とひどく叱られ、「何か具体的な事柄をぶつけるのが新聞記者だろう?」と説教された。

 彼からはそれほどの特ダネは得られなかったが、新聞社の先輩からよりも多くのことを教えられた。ある日、未公表の事件について話をぶつけると、彼はボソッとある弁護士の名前を教えてくれた。そこから取材が始まり、新人記者にとって身が震えるほどの特ダネを書くことができた。

 ゴーン事件を巡る週刊誌やテレビ、海外メディアの報道は、しばしば「検察のリーク」が意図的なものだと決めつけている。失礼ながら、民放の取材力は新聞の足元にも及ばない。確かにリークはあるかもしれないが、いきなり検事の所に行ってリークにありつけるほど甘い世界ではない。

 検事には公務員法による守秘義務があり、情報の漏洩があれば処罰されるのは言うまでもない。だから検事から話を引き出すのは容易ではなく、夜討ち朝駆けや日ごろからの信頼関係が必要だ。しかも多くの場合、一から十まで教えてくれず、ちょっとしたヒントから取材を重ね、全容を解き明かしていくのだ。

 ゴーン側は豊富な資金力で有能な弁護士を雇い、裁判に臨もうとしている。特別背任の構成要件である日産に損害を与えたかどうかについては色々言う人がおり、裁判での有罪を危ぶむ声もあるが、私はゴーンの有罪は揺るがないと確信している。日本の検察の威信がかかる捜査であり、司法取引による隠し玉もあるはずだ。まだまだ追い詰めなければならない・・・。

韓国の開き直り

 ♪ 指きりげんまん  嘘ついたら 針千本飲ます・・・。昔、女の子たちがそのように歌っていた。嘘は悪いことだとわらべ歌が教えたものだ。そして、私が大人になると、「嘘も方便」という奥ゆかしい言葉を知った。嘘をつくのは悪いことだが、時と場合によって嘘が必要なこともあるということである。
 
 例えばの話、妻に浮気がバレそうになった時、あくまでもシラを切る方が、それからの長い夫婦生活を考えると、まだしも傷は浅いとうことだ。ただし、見え透いた嘘は、夫婦の信頼関係を決定的に崩壊させることを思い知るべきだろう。

 なぜこんなことを言い出しかと言えば、韓国艦艇による日本の哨戒機に対して行ったとされる火器管制レーダー照射をめぐり、その真偽が問題になっているからだ。

 自衛隊は、戦争の引き金にもなりかねない危険な行為であるとして、韓国側に抗議した。すると韓国側は、遭難した北朝鮮の船を探すためレーダーを照射したと弁明した。しかし当時の海上は穏やかで、見通しも良かったのでレーダーを照射する必要がなかったと反論した。

 すると今度は一転して、レーダーは一切照射していないと否定した。そして、自衛隊機が低空飛行による威嚇を行ったから謝罪せよと迫った。問題をすり替え、開き直った感じだが、併せて韓国側が映像を公開したものの、独自の映像は10秒ほどで、他は日本の哨戒機が撮影した映像だった。低空飛行の証拠らしいものはなかった。

 新聞の情報だけだから何とも言えないが、日韓の応酬を見ていると、日本側に分があると思う。レーダー照射の際の映像があるのに対し、なぜか韓国艦艇が撮影しているはずの低空飛行の映像がない。危険を感じた自衛隊機からの呼びかけに、韓国側は「よく聞こえなかった」と、信じられないような答もした。

 ともかく、日本人の目からすると韓国の発言は嘘っぽく映る。一つ嘘をつくと、もう一つ嘘を言わなければならない。韓国側はそのような「嘘の連鎖」に陥っているように見える。

 それにしても、韓国の新聞報道はすごい。日本の動画公開に対し韓国側も動画を公表したが、韓国各紙は一斉に「日本に応戦」「挑発に反撃」などと勇ましく報じた。日本には保守系と左派系の立場の異なる全国紙があり、しばしば韓国の肩を持つ新聞もあるが、韓国には「反日」という一点で足並みをそろえる翼賛型新聞がほとんどである。

 韓国の事情を考えると、このような強硬な意見が出るのは予想できる。韓国は情緒優先の国であり、情緒という国民感情は司法や行政を凌ぐポピュリズムそのものである。韓国側がここでレーダー照射を認めれば、国民感情が許さない。まさに、韓国特有の「嘘も方便」であり、振り上げたこぶしは下せないのだ。

 レーダー照射の有無をはっきりさせるのは当然だが、韓国艦船が一体、日本の排他的経済水域で何をしていたのかも問題だ。遭難した北朝鮮の船を救助しようとしていたのか。それとも、何か大事な物を北の船に移し替えようしていたのか。あるいは、北に頼まれて脱北者を取り締まっていたのか・・・。

 昨年は、慰安婦財団の解散や徴用工に対する損害賠償の最高裁判決など、この厄介な隣人に振り回され続けた。そして今年もまた同じ道を歩み出した・・・。

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