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耳に快い高橋アナの語り

 毎週日曜日の朝9時、NHKのEテレ「日曜美術館」を見るのが楽しみだ。私は絵が下手だし、絵画芸術の素養もないが、テレビに映し出される美しい絵をぼんやり眺める朝のひと時が心地いいのだ。

 それともう一つ、実を言えば、番組の司会を務める高橋美鈴アナウンサーの大ファンである。40歳代らしい落ち着きのある美人で、清楚な雰囲気の中にも艶やかさがある。控えめな態度も好感が持てる。

 彼女のナレーションは素晴らしく、NHKの女性アナウンサーで彼女の右に出る人がいるとは思えない。歯切れが良く、時にささやくように語り、彼女独特の抑揚もまた魅力である。

 NHKテレビの紀行番組「新日本風土記」も彼女がナレーションを務めていた時期もあった。5、6年前だと思うが、今はBSで再放送されており、改めてその映像を楽しみながら彼女の語りに耳を傾けることが多い。

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 ナレーションと言えば、かつてNHKの重鎮だった加賀美幸子アナウンサーだろう。もう80近いお年だろう。何と言っても大河ドラマのナレーションが印象深い。声のトーンは低く、映像に緊張感を醸し出す。ニュースを読ませても、視聴者に安心感を与えた。

 昨年12月にテレビの4K、8K放送が始まったが、NHKの看板番組として放送されたのは「ツタンカーメンの秘宝 」(3部作)だった。そのナレーションを担当したのも高橋アナだった。まさにエースの起用だった。

 渾身のナレーションは、黄金の秘宝にふさわしい荘厳さを感じさせた。ただ残念なことに、3部作の第1部しか録画しておらず、その後再放送もない。NHKエンタープライズに問い合わせたが、今のところCDの販売予定はないという。残念至極。

 最後に、いつもの嫌味で恐縮だが、それにしても今どきの女子アナには、物事を伝える仕事をどう考えているのか疑問だ。お笑い芸人と一緒に馬鹿笑いし、タレントを気取るような女子アナも少なくない。高橋アナの爪の垢でも煎じて飲んでは如何か・・・。
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恋に疲れた女がひとり・・・

 京都に数年間も駐在していたのに、西の郊外に点在する高山寺や神護寺、清滝などに行ったことがない。そこで春の陽気になった昨日、家内と一緒に古刹を訪ねながら15、6キロの道のりを歩いた。家内はこれまでに2回来ているので、私の案内人である。

 京都駅からバスで1時間余り、栂ノ尾の高山寺に着いた。この古刹は、鎌倉時代の名僧・明恵が開山した。明恵は和歌山県有田川町の平家の一門に生まれた。私は春から年末まで同じ有田川町の山小屋で暮らしており、明恵上人とは同郷の縁である。

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 駐車場から急な裏参道を歩きながら、1960年代にデューク・エイセスがヒットさせたご当地ソング「女ひとり」を口ずさんでみる。1番は京都三千院、2番が「♪京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた女がひとり」・・・。私はデュークより、渚ゆう子の歌の方が切なくて、好きである。まぁ、どうでもよいことだが。

 受け付けで拝観料800円を払い、明恵上人時代の遺構「石水院」(国宝)に入った。高山寺の宝物と言えば、歴史の教科書にも載っている鳥獣戯画だ。全4巻のうち最も有名な「甲巻」を所蔵しているが、ガラスケースに入れて展示しているのは複製品だ。

 もう一つの国宝「明恵上人樹上座禅像」も複製品だった。石水院を丹念に見て回ってもほんの半時間ほど。800円払って有難く複製品を見せていただき、はい、それでおしまいだ。複製品は偽物であり、それ以上でも以下でもない。やらずぼったくりとは言わないが、余り品のいい話ではない。

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          ↓ 鳥獣戯画は複製である
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          ↓ 明恵上人の樹上図も複製
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 今、大阪の美術館で「明恵の夢と高山寺」という展覧会が開かれている。こちらは鳥獣戯画や座禅像などの本物が多数展示されており、料金は1300円。これなら普通の料金だろう。複製品を見せる高山寺の言い分はこうだろう。「紙の美術品は管理が難しいので仕方なく」・・・。

 明恵上人ゆかりの古刹は色あせて見えてしまい、足早に弘法大師が暮らした神護寺に向かった。そこまでは20分ほどだが、上りの石段が続き、息が上がる。拝観料600円を払って境内へ。しつこいようだが高山寺より200円安い。見るものはこちらの方が多いし、境内も広い。

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 神護寺の景観を代表する長い石段を登ると、朱に塗られた金堂が目に入る。堂々としたたたずまいだ。本尊の国宝・薬師如来像が正面の厨子に安置され、鋭い視線をこちらに向けていた。薬師さんを守るように、両脇には数々の仏像が並んでおり、内陣に入ってそれらを間近に拝観することができる。

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 この寺にも昨年9月の台風24号の爪痕が残っていた。和歌山のわが山小屋にはスギの大木が屋根に倒れかかり、大騒ぎしたが、こちらは境内の木々がなぎ倒され、復旧もままならないほどの大きな被害だ。つくづく、あの台風の強烈さを思い知った。

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 神護寺を後にし、京都一周トレイルの道をたどりながら紅葉の名所・清滝に向かった。道沿いを流れる清滝川は、飲めるほどに澄んでいた。やがて美しいスギの木立が現れた。見事な幾何学模様だ。神護寺から1時間20分ほどで清滝に着いた。ここの小さな店で、大きな餅が二つ入ったぜんざいを食べ、腹ごしらえをした。

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 清滝の峠を越え、トンネルを抜けると嵯峨野である。昔、この地に庵を結ぶ尼僧を訪ねて行ったことがある。名前は書かないが、誰でも知っている小説家だ。ある裁判にまつわる原稿を依頼したが、原稿料が高く、くだらない内容だったので腹を立てた。今でも尼僧がテレビに映ると、チャンネルを変えたくなる。余談だが、秘書の若い女性は美人だった。

 あだし野の念仏寺も拝観した。8000体を数える石仏、石塔はこの地に葬られ、無縁仏となった墓石である。おびただしい石仏を眺めていると、何か無常感にさいなまれる。地蔵盆の夜、石仏にロウソクを供ええる千灯供養は、嵯峨野の夏の風物詩だろう。

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 嵯峨野からさらに1時間以上かけ、JR嵯峨嵐山駅まで歩いた。家内のスマホの万歩計は2万歩を軽く超えており、かなり足が疲れた。それにしても、外国人観光客の多さに驚いた。人力車も土産物店も大いに繁盛し、レンタル着物店も笑いが止まらないだろう。嵐山の渡月橋のあたりでは人が多く、まともに歩けないほどだった。

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 静かだった嵯峨野の風情は失われ、もはや日本の風景でなくなった。インバウンドなどと言って、喜んでいていいのだろうか・・・。

山小屋の春は遠い

 今年はかなりの暖冬だった。大津ではひと冬に何回も雪の積もる日があるが、この冬は年末に薄っすらと積もるだけだった。桜の開花時期も早まりそうだという。やはり気になるのが好物の山の幸、山菜の状況である。

 そこで先日、4月始めごろに移住する生石高原の山小屋へ様子を見に行った。ここは標高が800m以上もあるので、まだまだ冬の名残りを留めていた。気温は5度前後だったので、到着するとまず薪ストーブに火を入れた。

 山小屋の周りを歩いてみると、タラの芽はまだまだ芽は堅く、コシアブラはほとんど芽を出していなかった。ワラビやゼンマイ、山ウドは地中深くで眠っているのだろう。

            ↓ タラの芽はこんな具合
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            ↓ コシアブラも
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            ↓ シイタケは少し出てきた
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 過去のブログを見てみると、昨年は4月15日、一昨年は4月16日に山菜の収穫を記事にしていた。どれも立派な山菜の写真を添えていた。今年は暖冬だったから幾分早く採れるかもしれないが、例年とそんなに変化はないと予想するのが無難だろう。

 手ぶらで帰るのもさみしいので、フキノトウを採った。山小屋の周辺でもかなりあったが、ほとんどは芽が開いていた。そこで日陰になっている場所に行き、開き切らない小さなものをザルにいっぱい採った。

 家内がこれをフキノトウ味噌にしてくれた。鼻を近づけると、ぷーんと春の香りがした。口に含むめばほのかな苦みが広がり、山菜の季節の到来に心が踊った。今年もまた、元気に春を迎えることができ、喜びもひとしおだ。

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 この日は山小屋で泊まった。翌朝、玄関の温度計を見ると、マイナス2度だった。部屋の中から紀淡海峡を眺めていると、晴れの空がにわかに真っ黒になり、雷が鳴り出した。

 すると、激しい勢いで雪が降り出し、あれよあれよいう間にあたりが真っ白になった。フキノトウを摘んで春の先駆けを喜んでいたのに、この雪である。春はそれほど素直に来てはくれない・・・。

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わが子は天才か・・・思い出の湯村温泉へ

 昔話になるが、小学生の頃、父に連れられて時々京都に行った。北陸から京都までの車中、家々の壁に貼られた「仁丹」の看板がいくつあるか、一つ二つ三つと数えたのをよく覚えている。多分、私が退屈しないよう、父がそのように数えさせたのだと思う。いつも、何枚あったかを父に伝えた。

 昭和20年代から30年代にかけての記憶だが、その頃、仁丹の看板はものすごく多かった。仁丹に飽きると、清酒の看板なども数えたことがある。そのような少年時代の経験からか、今でも電車やバスの車窓の風景を眺めるのが好きで、折角持ってきた文庫本を読みそびれる。

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 今頃の季節、私は家内と一緒にJR青春切符を利用し、毎年のように鈍行列車の旅に出る。信州や山陰地方へ行くことが多く、何度も通った路線でも新しい発見がある。民家の庭先には季節の花が咲き、家のたたずまいや屋根の色などは地方の特徴を表している。鮎釣りが趣味だから、川の相を見るのも楽しい。

 前置きが長くなったが、今年の青春切符の旅行は山陰の名湯と言われる湯村温泉(兵庫県美方郡新温泉町)へ行くことにした。大津駅を朝8時過ぎの電車に乗り、京都駅で駅弁を買って一路日本海側へ向かった。亀岡、園部、綾部といった主要駅を過ぎ、福知山駅で緑色のレトロな電車に乗り換えた。

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 やがて電車が兵庫県境に近づくと、「下夜久野」「上夜久野」という駅に停まった。夜久野という地名はどこかミステリアスだ。妖怪が飛び出して来そうな雰囲気があり、美しい星空も連想させる。かつて、漆の生産が盛んだった古い集落だそうだ。

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 まだ昼には少し早いが、駅弁を広げることにした。缶ビールをグイッと飲んだら、幕の内弁当をつつく。やはり駅弁はおかずが多い幕の内に限る。新幹線こだま号のビュッフェは出張帰りの楽しみだったが、廃止になって久しい。最近は、列車の車内販売もめっきり減った。逆に、駅で売られる駅弁が充実したのは喜ばしい。駅弁は日本の食文化だ。

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 日本海が見えてきた。風が強いのか白波が立っていた。列車はしばらくすると、地上40mにある空中の駅・余部駅に着いた。もう30年近く前になるが、私が勤める新聞社の編集局に衝撃の一報がもたらされた。回送列車が強風にあおられて転落したのだ。車掌と、直撃を受けた海産物加工の従業員の計6人が死亡した。

 見るからに危なっかしい橋梁だったが、事故は本当に起きてしまった。私は、夕刊勤務を終え、ホッとしたのもつかの間、電話取材に忙殺されたのを思い出す。昨年2月にもこの地を訪れたが、下から鉄橋を見上げ、余りの高さに頭がくらくらした。明治の終わりごろに建設されたらしいが、鉄道開通によって陸の孤島に住まう人たちに新しい生活が開けたのだ。

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 列車に揺られて7時間、浜坂駅に着いた。湯村温泉の玄関口である。駅の正面には、昭和のひなびた商店が軒を連ねており、私のような寅さんファンにとっては、今にも本人が現れそうなロケーションである。映画なら、温泉街の大衆劇場の踊り子に恋をした寅さんは恋破れ、切なく街を去るストーリーだろう・・・。

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 湯村温泉を訪れるのは、これが二度目である。最初は40年ほど前で、私が岡山に赴任していた頃だ。その前年に長女が生まれ、まだ這い這いしか出来ない娘とともに買ったばかりの車で山陰旅行をし、湯村温泉に泊まった。その旅館は家内が覚えていた。今はリゾート会社に買収され、派手な外壁に塗り替えられていた。

 今回、湯村温泉に決めた理由は、次のような思い出があるからだ。部屋に通されてゆっくりしていると、娘は部屋のドアまで這って行き、鍵を鍵穴に差し込もうとしたのだ。まだ1歳である。初めての子にしてこの賢さだ。私たちはトンビがタカを産んだと思い、喜び合った。しかしその後分かったことは、凡庸な私たちの血は争えないということだった・・・。

 バスで温泉に着き、まだ時間が早かったので、長い階段を下りて湯が湧き出す「荒場」に行った。この温泉は、平安時代、慈覚大師によって発見されたとされる。98度の熱湯が大量に湧出しており、生卵を湯の中に吊るしておくと、10分ほどで茹で上がる。私たちも卵を三つ茹でてみたが、味は普通だった。

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 湯村温泉は、1980年代のNHKドラマ「夢千代日記」三部作の撮影場所だ。被爆という暗い過去を背負った芸者(吉永小百合)の哀歓を描いた作品で、脚本は作家の故早坂暁さんだ。私は仕事の関係で早坂さんと知り合い、住まいとしていた渋谷のホテルの1階喫茶店でよく打ち合わせをしたものだ。そんな縁から「夢千代日記」には思い入れが強い。

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 湯煙が漂う道を上って行くと、「湯村温泉劇場」という看板を掲げた建物があった。今は空き家だった。大衆劇場かストリップ劇場だったのだろう。このたたずまいは、まさに昭和の情景である。先に登場願ったフーテンの寅さんは、ここの踊り子に恋したと想像したら、何だか実感が湧く・・・。

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 温泉は、夕食までに2回、食後に1回、翌朝1回、計4回は楽しもうと思う。元を取ろうというケチ臭い考えだ。ナトリウム炭酸泉で、まぁ、何にでも効く。湯量は豊富で、家内が泣いて喜ぶ源泉かけ流しだ。無色無臭でさらりとしたお湯である。少し春めいてきたので、どっぷりと露天風呂に浸かった。

 食事は、カニに丹波牛、その他もろもろ。料理の写真を載せたり、こまごま書くと嫌味なので、省く。私たちが泊まる旅館は大抵、大広間で食べるスタイルだが、ここは部屋まで運んでくれた。昔、父は仲居さんに心づけを渡していたが、今はそんな時代でもなかろう。この夜はしたたかに食べて、飲んだ。

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 温泉旅の締めくくりは、湯村温泉からバスで15分ほどの所にある「七釜(しちかま)温泉」だ。この辺りでは最も効能が高いとされるナトリウム・カルシウム泉である。少し黄色く濁ったお湯で、何だか効能がありそうだ。ここでも露天風呂にはゆっくり浸かり、風呂を出ても長く体が火照っていた。 

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 鈍行列車の旅も終わりに近づいた。豊岡市内の蕎麦処で手打ち蕎麦を食べ、駅近くの喫茶店でサイフォンコーヒーを飲んだ。あとは鈍行に揺られながら忍耐の帰り道である。来年からは、往路だけ青春切符を使い、帰りは急行か特急にしようと、家内と話し合った。歳を取りたくないものだ・・・。

ゴーンさん、姑息だよ・・・

 あの映像は、テレビのバラエティー番組を大いに喜ばせたはずだ。日産自動車の元会長ゴーン被告が、東京拘置所から保釈された時の変装である。拘置所職員に囲まれ、玄関に姿を見せた作業員風のゴーン被告。どのように変装しようと、帽子の下からのぞく抜け目ない眼光は隠せない。

 変装は奇策というより、姑息であり、滑稽だった。実際、現場中継のライブ映像を見て笑ってしまった。一体、誰が考えたのだろう。ゴーン被告の弁護人は、「無罪請負人」とマスコミがはやし立てる弘中惇一郎弁護士だが、彼の了解を得ずしてこの奇策に打って出るとは考えにくい。

 何か深い訳でもあるのだろうか。色々と考えてみたが、凡夫の私には何も思い浮かばない。そもそも、世界的企業の経営トップを務めたゴーン被告に、建設現場の親方のような格好をさせる方が人権侵害だと思うが、どうだろう。ゴーン本人も異国の地で変な格好をさせられ、深く傷ついているだろう。

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 案の定、テレビのバラエティー番組は、ゴーン、ゴーンと除夜の鐘のごとくである。ある民放のコメンテーターは「いよいよゴーン側の逆襲が始まった」とうれしそうに語っていた。その逆襲の意味は、長期拘留した検察側を暗に批判する響きがあるし、双方の対決をはやし立てる下品さも垣間見えた。

 ゴーン事件の核心は、50億円とも言われる報酬の虚偽記載と日産に被害を与えた特別背任罪が有罪か無罪であり、今秋にも始まる裁判の行方に関心が集まるだろう。しかしその前に、ゴーン被告が行った行為が事実かどうかであり、その行為が違法かどうかはその後の話だと思う。

 日本人の私には、ゴーン被告が日本企業を食い物にしたという憤懣がくすぶっている。しかし、そのことと法廷の場における法律論とは別だということは、百も承知である。

 そこで思い起こすのは、30年も40年も前に読んだ1冊の本である。本棚を探したが本は見つからず、本の名前も忘れたが、書いてあったことは「負の職業」というフレーズだった。それは、弁護士や税理士を指しており、その反対の「正の職業」は物づくりの人たちや会社員、公務員、農業などに携わる人たちだ。

 誤解を恐れずに書くが、負の職業とされる税理士とは、要するに節税のアドバイスをするのが仕事だろう。節税は法律違反ではないし、納税者のれっきとした権利である。しかし、事業者が他人の領収書をもらい、経費として落とすという話をよく聞く。税理士がそのような経理処理を勧めている訳ではなかろうが、結果として国庫に入る金が少なくなり、負の側面がないとは言えない。

 弁護士もまた、人々の権利を守る大切な職業である。例えば刑事事件の被告人を弁護し、えん罪を晴らしたケースもある。しかし逆に、被害者の権利がおろそかになり、集団的な過熱報道を引き起こす場合もある。腕利きの弁護士が殺人事件で無罪勝ち取ったが、釈放されてすぐその男が殺人を起こすという稀なケースも過去にあった。

 裁判では、法的に無罪だとしても、社会正義、あるいは道義という観点から釈然としない場合も少なくない。勝訴した弁護士は評価される反面、そんな負の部分も背負っているから、大変な職業である。ゴーン事件では、法的にも社会正義にもかなうような結論になってもらいたいと思う。弁護士の手練手管を面白がる必要はない・・・。

「ファースト・マン」を観た

 米映画「「ファースト・マン」を観てきた。人類初の月面着陸を果たしたアポロ11号の船長、ニール・アームストロングの人生を描いた作品だ。快挙は1969年、あれからもう半世紀が経った。「一人の人間にとって小さな一歩だが、人類にとって大きな飛躍だ」。アームストロングの第一声は、私の記憶にもしっかり残っている。

 この映画は、私のような閉所恐怖症、高所恐怖症の人間が鑑賞するにはそれなりの覚悟が必要だ。月へ向かうカプセルに3人が押し込まれ、身動きもままならない。試験飛行では、制御不能になったカプセルが奈落に落ちていく。ロケットが大気圏を抜け出す時には、金属のきしむ大音響が耳をつんざくのだ。

 しかし、半世紀前を再現させた映像は、昔懐かしいアナログの世界だった。カプセルの扉を開閉する金属は無骨で、蒸気機関車をも連想させる。ビス一つとっても、饅頭のような丸い形で、妙にホッとさせてくれた。管制室では誰もが自由に煙草を吸い、かつて愛煙家だった私を羨ましくさせた。

 映画は、アームストロング最愛の小さな娘が病気で亡くなる場面から始まる。彼はこの苦悩を抱えながら宇宙飛行士の選考にチャレンジ、危機管理能力が評価され、船長へと上り詰めた。

 月面着陸を目指したアポロ計画は、ケネディー大統領の国威発揚のための公約でもあった。さらに当時、米ソ冷戦の真っただ中で、宇宙開発競争は熾烈を極めていた。しかし一方で、莫大な予算を必要とすることに議会から批判が噴出し、マスコミが益々批判を強めると、大衆からもそっぽを向かれた。

 アームストロングは月への出発を前に、息子二人に「生きて戻れないかもしれない」と正直に告白した。そして彼が搭乗したアポロ11号は順調に飛行、月の軌道に乗ると、着陸船は司令船から切り離され、月面に無事着陸した。この快挙に、議会もマスコミも国民も手のひらを返して賞賛し、全米が湧いた。

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 この場面は、私たち日本人にもたらされた「はやぶさ2」の快挙と重なった。この探査機は、地球と火星の軌道を回る小惑星リュウグウに4年ほどかけて到達、じわじわと降下し、石や砂などの資料を採取すると再び高度20キロに戻り、あと2、3回の採取に備えるという。

 これが凄いのは、地球から32億㌔の距離を飛行したのはもちろんだが、岩石が多いリュウグウに無事着陸を果たすため、6メートル四方の範囲にピンポイントで着陸したことだろう。高度20キロの所から、砂の一粒に矢を放つに等しい日本の高度な技術だった。まだ探査は始まったばかりで、地球に帰還するという目的を果たさなければならない。

 思えば、民主党の政権時代、事業仕分けが鳴り物入りで行われ、小惑星探査計画もまな板に乗せられた。その結果、予算を大きく縮減させられた。高飛車に事業仕分けを仕切ったあの女性議員は、来年末に「はやぶさ2」が無事帰還した時、どんなコメントをするのだろう。意地悪だが、楽しみである。

 政治の使命の一つは、人々に夢や希望を与えることだろう。事業仕分けを大声で唱えるのもいいが、目先の成果より未来に何を残すかが大切ではないか。アポロの映画を見てその思いを強くした。

挙動不審の男たち・・・

 陽気に誘われて、きのう(2月26日)の昼過ぎ、家内と散歩に出た。わが家から国道1号線を京都に向かって歩き、逢坂峠の「かねよ」という鰻専門店から漂ってくる香ばしい匂いをかぎながら、大谷という集落を抜ける。

 その先に乗馬クラブがあり、いつもはここで馬を見ながらひと休みするのだが、この日はお客がいないのか馬はいなかった。風邪が治ったばかりの家内は疲れて肩で息をしている。

 このあたりから山道になり、上り坂が続く。木立の間からJR東海道線を走る電車が見えた。しばらく歩くと展望台があり、ようやくひと休みだ。すでに歩き始めて1時間を超えていた。ここから緩やかな下り坂を歩き、長等公園にさしかかった。

 公園のベンチに登山の帽子をかぶった30歳前後の若者が座っていた。私たちが近づくと、彼は歩き出したが、そのあたりを行ったり来たりしていた。少し妙に感じた。その先にも散歩らしい男性がいた。

 50mほど下ると、左手に空き地があり、車が3台止まっていて、若い男性が4人いた。そこをやり過ごすと、家内が声をひそめて、「ちょっとあの人たちおかしいわよ。みんなイヤホーンをしていたわよ。登山帽の人もイヤホーンだった」と言った。

 「あの人たち刑事のように思う」。さすが家内は新聞記者の妻である。私は視力が落ちていてイヤホーンに気付かなかったが、若い頃、警察担当記者を数年していたので、彼らの眼つきと挙動に何かピンとくるものがあった。「要人警護じゃないか」とそれほど気にもとめず、2時間余りの散歩から帰った。

 翌日の今日、NHKの朝7時のテレビニュースを見ていると、指名手配の犯人が大津市内で逮捕されたと伝えていた。広島市内で86歳のお年寄りを殺害し、強盗殺人容疑で指名手配されていた34歳の無職の男だ。自転車で逃走している可能性が高いという。

 大阪のコンビニの防犯カメラにこの男が映っており、東京方面への道を聞いていたとの証言もある。男が東京に向かうとすれば滋賀県内を通るはずで、滋賀県警は各所に人員を配置し、網を張っていたのだろう。

 私たちが見たイヤホーンの男たちは張り込みの刑事だったに違いない。しかも、出会ったあの場所は、国道1号線に近いうえ、京都から大津に入る間道のような「小関越え」にも近い。

 逮捕されたのは未明の時間帯だった。逃走犯は普通、明るいうちは山などに潜み、夜に行動するものだ。もし犯人が私たちの歩いた山に潜み、暗くなるのを息を殺して待っていたとしたら・・・。
 

トルコ⑧・・・海峡にて(終わり)

 私たちのツァー一行を乗せたバスは、香料サフランの集積地として栄えた世界遺産サフランボルの街から一路西へ。出発から4時間余り、アジアとヨーロッパを隔てるラスボラス海峡が左側に見えてきた。旅はイスタンブールを振り出しに、エーゲ海沿いの遺跡の町々やトルコ山岳地帯を巡ってきた。広大な国土の西半分を1周した形だ。

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 とりたてて旅行社の宣伝をする訳ではないが、率直に言って12日間の旅行料金は安かった。それは観光のベストシーズンを外した閑散期の旅行だからだろう。世界遺産ではそれほど混まず、渋滞にも巻き込まれなかった。何よりも、今夜から2連泊したリッツカールトンやヒルトンなど、いずれも高級ホテルに泊まれた。

          ↓ リッツカールトン
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 リッツカールトンでは、朝食を済ませた後、ロビーのソファに座ってピアノ演奏を聞いていた。すると、10人ほどの一団がやって来て朝食の席に着いた。いかにも金持ちそうな黒人の夫婦と、へーこらする白人を含めた取り巻きたちだ。アフリカは地下資源が豊富で、利権も渦巻いている。そんな富豪なのだろうか・・・。バレないようカメラを向けた。

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          ↓ 金持ちらしい男性は何かにサインしている
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 さて、これから2日間にわたり、イスタンブール市内の観光だ。主にヨーロッパ側、つまりボスポラス海峡西側の旧市街で、宮殿やモスクなど見どころはたくさんあるらしい。最初に行った所は、ブルーモスクの名前が付いた美しいモスクだったが、由来などはほとんど忘れてしまった。確かに屋根は青かった。

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 この界隈を散歩するのは楽しい。トルコでもラッピングカーが走っていたし、楽しげな商店も多い。屋台の焼き栗やケバブを食べたかったが、一行はどんどん先に行き、買えなかった。ここが団体ツァーの泣き所。黒海産のカラスミが売られていたが、安いよと!言っていた割に高い。台湾の倍はした。

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 ローマカトリックの大聖堂アヤソフィアも見学した。ローマ帝国時代の建物だが、15世紀ごろ、キリスト教の痕跡が消され、モスクとして改修された。今ではキリスト教時代の色鮮やかな装飾が復活していた。日本でも、明治政府が廃仏毀釈という愚かな政策を進め、多くの仏教文化が失われた。以前登った北陸の霊峰・白山では仏教の痕跡が何もかも消され、ひどいものだった。

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 われら一行は、グランドバザールに向かった。ここは15世紀、オスマン皇帝の命で作られた市場。66もの街路が迷路のようになっており、4000の店があるそうだ。ガイドによると、迷路から抜け出せない人がいるとのことだ。案の定、中年女性の二人連れが迷い、集合時間に30分も遅れた。

 楽しみにしていたバザールだったが、ちょっと失望した。私は市場特有の臭い、猥雑な雰囲気を期待していたが、そんなイメージとはかけ離れていた。メインの通りはと宝飾店が並び、まばゆいばかりだ。路地に入ると、絨毯や香辛料を扱う店はあったが、肉や果物などを売る店は見つからず、日常生活の臭いはなかった。

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 夜は、待ちに待った日本食である。 10日近くもトルコ料理を食べていると、いくら何でも食傷気味になる。この店は、寿司カウンターもある日本食レストランだ。出てきた料理は、刺身に天ぷら、ナスの煮付け、味噌汁などで、涙が出るほど美味しかった。

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 夜の街に出かけてみた。ホテルから15分の所にステージが設けられ、それまで何かの催しが行われていたらしい。多くの店が営業中で、花屋や古本屋もあり、観光客が大勢出ていた。少し先に行くと、薄暗い公園の近くに長い行列が出来ていた。そこではホームレスや貧しい人のための無料の炊き出しが行われていた。世界中で見られる負の光景だ。

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 いよいよトルコ最後の日が来た。まず見学したのはトプカプ宮殿だ。15世紀から19世紀までオスマン帝国の君主が暮らした宮殿で、今は博物館として保存されている。オスマン帝国は東ヨーロッパから西アジア、北アフリカなど広大な地域を支配しただけあって、絢爛豪華だった。ハーレムもあった。

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 トプカプ宮殿や博物館には、自動小銃で武装した軍隊が配置されていた。トルコでは2015年以降、ISなどによるテロが続発した。彼らが狙うのは、観光地やレストラン、コンサートホールなど警戒が手薄ないわゆるソフトターゲットだ。厳戒は続いており、知人たちからエジプトやトルコなど危ない所によく行くなぁと言われるが、家にいても災いはある。

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 トルコ最後の観光は、ボスポラス海峡のクルーズだ。これはオプショナルツアーで一人7000円。参加したのはたったの6人だけだった。イスタンブールと言えば、ボスポラス海峡に尽きると思う。ここを知らずに帰るのは実にもったいない。

 ここから黒海とエーゲ海がつながり、ヨーロッパとアジアが出会った地でる。世界地図を広げると、極東の日本から何と遠くまで来たもんだと思う。シルクロードの時代から日本ともつながるその遥かなる旅路を想うと、感慨ひとしおだ。

 イスタンブールは軍事的にも通商においても要衝であり、かつては海峡を制する者が勝者だったのだろう。クルーズ船からは、海峡を威圧する堅牢な要塞が見えた。海のエリートを育てた海軍兵学校はさすが瀟洒な建物だ。小高い丘には裕福な人が暮らす建物がひしめいていた。

 海峡をクルーズしながら、何世紀も前に人々がなぜこの地を選んで定住したのか、よく理解できた。美しく、物資に富み、世界につながっているいるからだろう。旅の最後にふさわしい景観だった。そして、波に揺られながら楽しかったトルコの12日間を終えようとしている。
 
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           ↓ 海峡ににらみを利かせる要塞
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           ↓ 海軍兵学校
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トルコ⑦・・・洞窟で暮らした人々

 カッパドキアと言えば、奇岩と洞窟の世界屈指の観光地だ。今回旅行六つ目の世界遺産である。カッパドキアの標高1000mほどの山の上に建つホテルに2連泊し、観光する予定だ。「洞窟ホテル」という名前が付いていたが、一部にそういう部屋があるのかもしれないが、私たち一行の部屋はすべて普通の作り。ただ、部屋はとても広く、高級感に溢れていた。

             ↓ ホテルの夜景
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 朝食の後、ホテルから下り坂を歩いて15分ほどの山腹に、実際、洞窟で生活する一家を見学させてもらった。家族が手作りしたスカーフやアクセサリーを売っており、それを生計の一部に充てているようだ。洞窟の中はかなり広く、真ん中に薪ストーブが鎮座していた。洞窟は暑くもなく、寒くもなく、快適とのことだった。

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 この次は、密かにキリスト教徒が暮らしていた洞窟を訪ねた。3世紀半ばのローマ帝国時代、イスラム教徒によるキリスト教徒への迫害が始まると、カッパドキアの奇岩地帯に逃げ、岩山を掘り進めて住居や教会を造り上げた。バスの窓からは、教徒が生活していた穴だらけの岩山が見えた。

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 バスはやがてギョレメ野外博物館に到着した。ここには岩山を削って造られたいくつもの教会があり、そこに描かれたパステル画は信仰の深さを物語っていた。「ギョレメ」という地名は、見てはならないものという意味で、いかにも秘密めいている。

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 地下8階、2万人以上を収容できる巨大な地下都市も見学した。常に人が住んでいた訳ではなく、イスラム教徒が攻め込んできた時だけ地下にも潜ったとされる。ここには馬小屋やトイレ、ワイン醸造所、台所など生活に必要な施設が整えられていた。

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 次はバスで移動し、キノコのような奇岩が林立する丘に行った。入り口あたりにラクダが4、5頭並んで客待ちをしていた。ラクダの目はつぶらで本当に可愛い。そのうち大柄の女性が現れ、苦労しながら梯子でラクダにまたがったが、その巨大なヒップを見上げていると、ラクダが少し気の毒に思えた。

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 旅行に行く前、どのようにしてキノコのような奇岩が出来たのか、少し予習して行った。それでもなかなか理解するのは難しかったが、理屈抜きでその自然の造形にただ驚くばかりだった。

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           ↓ ラクダ岩          
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           ↓ 3姉妹 
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 先ほどから目の端にらチラチラ見えていた山が、先に行くとはっきりと見えた。エルジェス山と呼ばれ、標高は3916m。富士山よい高い。実に美しい山で、ガイドは「トルコの富士山です」と自慢げに説明した。山好きの私はその美しさに感激し、何枚も写真を撮った。

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 岩壁が夕日に照らされるビューポイントにも行き、その帰り、私はトルコの若者に呼び止められた。大抵、「ニイ・ハオ」と言われ、中国人と間違えられるのだが、この青年は私が日本人であることを見抜いていた。日本語がなかなか達者で、「これからお茶を飲みながら、仲間と一晩中踊るんだ」と言っていた。、

 ここも世界遺産の中だが、焚火をしていても誰も咎めず、この大らかさが好きだ。あれするな、これするなという禁止ばかりの社会は息が詰まる。私に踊る勇気があったなら、日本語で話しかけてくれた青年たちと一緒に踊りたい気分だった。

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 翌朝、ホテルのテラスにでると、たくさん気球が飛んでいた。カッパドキア名物の風景だ。気球に乗る料金は60分で3200円ほどらしいが、私はその何倍のお金をもらっても絶対乗らない。ガスバーナーの火が気球に燃え移ったらどうするのか、カラスのくちばしが突き刺さったらどうするのか、こんな心配ばかりするのだ。

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 私たちのバスは、気球を眺めながらカッパドキアに別れを告げ、一路北上した。黒海に近いサフランボルという街を目指すのだ。450キロのドライブだ。この街も世界遺産に登録されており、高価な香料サフランの集積地として栄え、17世紀に栄華を極めたという。

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 ここではたっぷり自由時間があり、街のあちこちを散歩した。何と言っても木造建築が美しく、窓の木枠が味わい深い。路上に出されたテーブルでトルココーヒーを飲んだ。銅製のカップを炭で温め、結構手間をかけていた。思ったほどクセがなく、美味しかった。

 この店の前の階段を高齢の女性二人が登って行った。息遣いが聞こえてきそうで、思わず写真を撮った。自分で言うのも何だが、高齢社会の人々の生活を切り取った好きな一枚である。

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            ↓ コヒーを売る屋台
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            ↓ お年寄りの息遣いが聞こえる
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            ↓ ここは公衆浴場
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 サフランボルは、落ち着いた街だった。土産物店の客引きは控え目である。路上に寝そべる犬も平和そのもの。この街に住んでみたいとも思った。そんな街にお別れをし、イスタンブールに向かった。旅はフィナーレに近づいた。

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トルコ⑥・・・トルコブルー

 トルコの旅のレポートは今回が6回目だ。イスタンブールを出発し、アフロディシアスなど世界遺産4か所を巡ってきたが、前回はひと息ついたので、「モスク・国旗・煙突」というタイトルごとに旅先で感じたことを書いた。今回からは旅日記に戻り、青色の水がきれいな石灰棚やベリーダンスなどを書こうと思う。

 トルコ西部のパムッカレという町に、その石灰棚がある。ありていに言えば、日本でいう棚田のようなものだ。雨水が石灰岩に浸透し、石灰を含んだ温泉水が作り出した自然の造形美だ。聞きしに勝る美しさだった。その色は、いわゆるトルコブルーだ。

 近年、その温泉水の湧出量が減ったらしく、私たちが行った時は、上から2段くらいは水がなかった。それでも、下に連なる5、6段には温泉水が満ちた石灰棚を見ることが出来た。

 靴を脱げば誰でも入ることができ、われらもズボンのすそをまくり上げ、ここへ入ることにした。温泉水だから温かいが、底の石灰岩は波打っていて足の裏が痛かった。一番下の棚まで行こうと思っていたが、真ん中より手前で引き返してしまった。足の皮が相当厚いのか、ある中年の女性は最後まで歩き通したと聞いた。

 ここには、ぐるり石灰棚を巡る木道が整備されている。ここを右回りに歩くと、水は枯れていたが、見事な石灰棚を見ることが出来た。これはもう、芸術作品といってもいい。

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 水のトルコブルーが目に焼き付いていたため、後日、イスタンブールのグランドバザールの店先で見かけた同じ色のクッションカバーを2枚買った。値切ったが、それでも2枚で約2000円だった。

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 翌日はカッパドキアを目指し、680キロに及ぶ長距離ドライブだ。雪の峠を越え、ひたすら東へ。やがてコンヤという大都市に入った。トルコで5番目の人口で、120万人。大学が三つもあり、小麦粉の生産が主な産業とのことだ。この街にあるモスクやイスラム教の博物館も見学した。

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 カッパドキアの手前あたりで、シルクロードのキャラバン隊が泊まる隊商宿を見学した。見るからに堅牢な石の建物だった。恐らく、山賊のような集団から隊員と高価な絹の荷を守るためだったのだろう。キャラバンといえば、平山郁夫画伯の絵が印象的だ。月明かりの中、黙々と歩くラクダ。静かな絵である。

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 その夜は、温泉付きプールがあるデラックスなホテルに泊まった。添乗員から、温泉に入るため水着を持ってくるよう連絡を受けていた。家内は娘のセパレーツの水着を持って行くと言い出し、スーツケースに入れていた。ホテルに到着して間もなくスコールのような雨が降り出し、結局温泉には入らなかった。家内は水着姿を敢行するつもりだったらしいが、元寇の時の神風?のようなもので、幸いそれは実現できなかった。

 夕方、やっとカッパドキアに到着した。夜は、オプショナルのベリーダンスを見に行った。ステージを囲んだレストランは超満員で、軽く100人以上は入っていた。民族舞踊の男女ダンサーが入れ代わり立ち代わり舞台に立ち、踊った。その間、何回かお客がステージになだれ込み、熱狂的に踊るのだ。阿波踊りのような手ぶりで、中国人が即興で上手に踊っていた。

 そしてクライマックスはベリーダンサーの登場である。30分以上も一人で舞台を盛り上げるのだから、その技量は大したものだ。このダンサーはお乳の下あたりにもう一つ関節があるのか、腰と胸がエロチックに折れ、かつ震わせるのだ。エジプトで見たダンサーの動き方は腰の関節がちぎれるほど激しく、トルコとは流派が違うのかもしれない。

 ダンサーは客席から6人を無理やりステージに上げ、ダンスを教えるのだが、これがまた傑作だった。最初の少女はサクラかと思わせるほど上手だった。最後の中年男性はヘソ丸出しで熱演、笑いの渦を巻き起こした。カッパドキアの第一夜はこのように更けていった。

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