森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

秋色求め、生石高原を歩く

 ここ生石高原は、めっきり秋らしくなってきた。その様子を写真に撮るため、高原を歩くことにした。わが山小屋の階段を下る途中、敷地の斜面に目をやるとホトトギスが咲いていた。紫のまだら模様がかわいらしい。

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 高原までは500mほどの距離で、木々に囲まれた沿道には様々な花が咲いている。目に付いたのはアザミだ。あの美しい蝶アサギマダラが好んで蜜を吸うらしく、その姿を見かけたことがある。花には棘のようなものが生えており、花に触れるのがためらわれる。

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 ノコンギクも咲き始めている。ノコンギクではなく、そっくりのヨメナかもしれない。背筋をピンと伸ばして咲いている。その姿勢がいい。今、花の色は白っぽいが、本来は薄い紫色で、自然でしか生み出せない鮮やかな色彩だ。

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 道端には、背の低い草が葉を赤く染めており、そこはかとなく秋を感じさた。私はそれらを「雑草」と呼んでしまうが、昭和天皇は「雑草なんていう草はない。みんな名前が付いている」とおっしゃった。崩御されて間もなく30年。月日は光陰矢の如しだ。私の昭和は遠くなりにけり・・・。

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 見上げると、山桜が色付き始めていた。もうしばらくすると赤い葉がはらはらと宙を舞う。この森で暮らしていると、紅葉の女王は何と言ってもウリハダカエデだと思う。ここにはたくさん自生しており、秋の深まりとととに黄色から深紅に染まり、そのグラデーションは見事だ。

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 歩いて10分ほどで生石高原に着いた。名物のススキは、つい先日まで穂が赤味を帯びていたが、今はもう銀色になりつつある。風になびくススキは海原のようだ。

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 高原の最高峰・生石ケ峰(870m)をバックにススキの写真を撮っていると、高齢の男性から声をかけられた。ご婦人2人を連れておられ、奥さんとお友達のような感じだった。

 和歌山県内の人で、ススキの季節になると毎年ここを訪れているという。この見知らぬ御仁もなかなかの話好きで、草の上に座って話をした。山でぽつんと暮らしていると、何日も女房としか話をしないことが多く、この日はいつになく長話になった。

 男性は82歳だそうだ。私はそれよりはうんと若いが、「元気そうですね。それにしてもお若い」とおだてられ、肛門のあたりがむずむずした。

 「どうしてここに住んでいるの?」「退屈しないの?」「奥さんは喜んでいますか?」などと次々と質問され、山の暮らしについて色々と話をした。最初は風采の上がらない私をいぶかるようだったが、「お元気で」と言って別れる時にはすっかり旧知のような仲になっていた。秋に向かう草原での一期一会だった。

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豪雨の前に鮎の大漁・・・燻製を作る

 天気はままならないものだ。有田川では鮎が本格的に釣れるようになったと思ったら、12日に大雨が降り、濁ってしまった。幸いその前日の月曜日には大釣りすることが出来たが、今度は台風18号が追い打ちをかけ、またまた釣りが不能になりそうだ。

 その月曜日だが、実に好調だった。大きな岩が沈むトロ場に入り、退屈しない程度に釣れた。ただ思ったように釣果は伸びず、物足りなかった。この場所には連日多くの釣り人が入っているため、釣り場が荒れているようだ。

 このポイントを見切り、300mほど上流に移動した。ここには釣り人がおらず、腰を落ち着けて攻めることにした。下流から順に石の周りにオトリを泳がせると、次々掛かった。22cmを超す大物も釣れるが、13、4cmの小型もかなり混じった。午前中だけで32匹の釣果に欲が出て、午後も1、2時間釣ることにした。

 車で下流に移動し、長い瀬に入った。すでに5人の先客が竿を出しており、これでは釣れるポイントが限られるはず。盲点とも言える足元の石を攻めると、順調に掛かった。入れ掛かりの時もあり、1時間余りで11匹釣れた。このころから腰が痛くなり、やむなく釣りを止めることにした。

 釣果は計43匹で、今シーズン最多だった。おすそ分けしても結構手元に残るので、燻製を作ることにした。実は私の姉が色々と世話を焼いてくれるので、たまにはお礼をしたいと思い、鮎の燻製を作って送ることにした。参考になるかどうか分からないが、鮎の燻製の作り方を書いておこう。

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 私はダッチオーブンを使うが、普通の鍋でもよい。まず水洗いして鮎のぬめりを取り、腹に切れ目を入れて内臓を取り出す。手に塩をまぶし、鮎の表面と腹の内側にすり込む。この塩加減が味を左右するが、慣れればそれほど難しいことではない。扇風機で乾燥させれば手っ取り早く、表が乾けば裏返し、合わせて2時間ほどで乾く。

 その間に炭を熾しておき、オーブンを五徳の上に置き、熱しておく。鍋の底にアルミホイールを敷いて、その上にチップをひとつかみほど載せる。鮎を載せる網はチップから5cmほど離しておくといい。私は、廃棄するガスレンジの五徳を敷き、その上に網を置いている。

 網には乾燥させた鮎を6、7匹載せ、スモークを始める。ダッチオーブンは鉄に厚みがあるので、チップが煙を出し始めるまで時間がかかる。スモークの時間は半時間ほどだが、火力によって違いが出る。

 時々、蓋を開けてスモーク具合を確かめる。鮎が美しい黄金色になっていれば、出来上がりだ。鮎は塩焼き、天麩羅、甘露煮が定番料理だが、燻製は別格の美味しさがある。クリーミーな味わい、燻製の風味が何とも言えない。手間隙がかかるので、燻製に挑戦する人はごく少ないと思う。

 姉からお礼の電話があり、「美味しかった。今でも燻製の匂いが部屋に漂っている」と言っていた。

     ↓ 鮎を洗い、塩をすり込む
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     ↓ あらかじめ炭を熾し、五徳を置く
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     ↓ 鮎を扇風機で乾燥させる
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     ↓ ダッチオーブンを五徳の上に置き、熱しておく
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     ↓ 少し黄色く色付いてきた
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     ↓ 出来上がった鮎の燻製
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旧友と北アルプスの涸沢に行く(後編)

 北アルプス登山の二日目は、上高地から2時間ほどの徳沢「氷壁の宿」で朝を迎えた。朝日が峰々を赤く染めるモルゲンロートを見ようと、夜明け前から外に出て、その時を待った。カレー男はすでに来ており、さすがアウトドア派として要点を押さえている。

 この日も晴天だ。午前5時30分、朝日が顔を出した。明神岳(主峰2931m)はみるみる赤味を帯び、次第にモルゲンロートは峰の中腹へと広がっていく。登山でしか味わえないドラマチックなひと時だ。

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 7時半ごろ、涸沢に向かって歩き出した。涸沢は氷河が削り取った日本最大級のカールだ。奥穂高岳や北穂高岳に登る人たちで賑わうが、カールの絶景を写真に撮ったり、絵を描くためだけに来る人も多い。上高地から涸沢へのルートは、北アルプス登山の初心者コースである。

 前夜、酒を飲んだ割にはさわやかな気分だ。みんなの足取りも軽い。しかし登山では、勢い余って早足になるのは禁物だ。「ゆっくり歩こう」と呼びかけたが、材木商は終始先頭を歩いた。彼は関西弁で言う「いらち」であり、ゴルフをしていてもチンタラ歩く私の尻を叩くのだ。

 カレー男も材木商に遅れまいと後を追い、一番後ろを歩く私と近江商人との差は広がるばかりである。あれは10年以上前、薬師岳(2926m)に登った時だった。高齢の女性二人が実にゆっくりと前を歩いていた。追い抜いたけれど、太郎平小屋に先に到着したのはあの女性たちだった。彼女たちは休憩しないのだ。

 われらは1時間後、横尾に着いた。吊り橋を渡れば涸沢、そのまま直進すれば槍ヶ岳方面で、この三叉路は多くの登山者がリュックを下ろして休む。ここから本谷橋という吊り橋までは1時間ほどで、余り起伏のない楽な道だ。左手にそびえる垂直の屏風岩を眺め、谷川のせせらぎを聞きながら歩く。

      ↓ 屏風岩
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 本谷橋に到着し、橋のたもとの岩に腰掛けて休んだ。ここから先が本格的な登山道で、段々に組まれた石を踏みしめて登るのだ。この夜泊まる涸沢小屋までのコースタイムは2時間ほどだが、高齢のわれらはもっとかかるだろう。

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 次第に、元気が良かった材木商とカレー男の調子が落ちてきた。手ごろな岩があると、腰掛けて休むことが多い。逆に、近江商人は意外としっかり歩いている。一応登山に慣れている私は順調で、いつの間にか先頭に立っていた。登山道脇には遅咲きのハクサンフウロが咲いていたが、彼らの目には入っていないだろう。

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 やがて、前方に涸沢カールの全貌が見えてきた。そしてその上に、前穂高岳、吊り尾根、奥穂高岳が圧倒的な姿を見せている。右手前方には今夜泊まる涸沢小屋が見えてきた。標高は2000mを超え、空気も薄い。このあたりからが胸突き八丁だ。彼らの悪戦苦闘ぶりを撮影しようと、先回りして悪意ある写真を撮った。

       ↓ 右手に涸沢小屋。ここからが遠い。
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       ↓ 重い足取り。後ろの2人の姿は見えない。 
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 まさに青息吐息・・・北アルプス登山が初めての3人は、何とか涸沢小屋に到着した。彼らににぜひ絶景を見てもらいたいと、私は天気予報を小まめにチェックし、登山日を決めた。それが的中し、今その絶景が目の前に迫っている。宿泊手続きをしたあと、標高2350mの展望デッキに出て生ビールで乾杯した。

 絶景なら映像でも写真でも見られるが、自分の足でそこに到達し、そこに漂う空気感とともに絶景を自分のものにする。これが登山の魅力であり、えもいわれぬ達成感がある。その場に立てば、非日常の世界をひしひしと感じるはずだ。

 カールを見上げれば、ゴジラの背中のようなごつごつした前穂高岳、そこから弓なりに続く吊り尾根、そして日本第4位の高峰・奥穂高岳。友人は3人とも饒舌ではないが、「凄いなぁ」という短い言葉で感激を表現した。登山を計画した私にとって、そんな簡潔な言葉から十分感動が伝わってきて、うれしかった。

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       ↓ ゴジラの背中のような前穂高岳
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       ↓ 三角形の百名山の常念岳
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 そして次に、意外な人との出会いが待っていた。日本百名山と二百名山を一筆書きで踏破したプロアドベンチャーレーサー田中陽希さんが、デッキに現れたのだ。実は前日の午後、宿泊した徳沢園で彼を見かけ、彼は横尾山荘で泊まると言い残して走り去った。
  
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 その後どうしたのか気になっていたが、彼はこの日、横尾山荘から一気に槍ヶ岳の頂上を踏み、さらに凄いのは、そこから南岳を経て大キレットを踏破して北穂高岳に立ち、涸沢小屋に下りてきたのだ。ベテランでもどこかで1泊するが、午後の早い時間に涸沢に達していたのだ。もはや超人としか言いようがない。

 陽希さんの番組をいつも見ていたから、何やら初対面のように思えず、いろいろと話をした。今回はSONYの依頼で、登山の時に装着するビデオカメラの宣伝用に登山の様子を撮影したという。ファンを大切にする気さくな対応に、一層好感を持った。

 ひと息ついたので、カールをもう少し登ってみようと提案したが、「行く」と言ったのはカレー男だけだった。材木商と近江商人は「疲れた」「足が痛い」と泣き言を並べ立てた。カレー男と一緒に半時間ほど登ると、三角形の涸沢槍が間近に見え、涸沢の景色は大きく変貌した。雪渓を渡り、岩を越え、2時間ほどアルペン気分を味わった。

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       ↓ ナナカマドが涸沢を赤く染めるのは間近
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 涸沢での一夜が明けると、朝から強い雨が降っていた。滑らないよう慎重に下ったが、近江商人は疲れのためか、3回も尻餅をついた。一気に上高地へ下り、シャトルバスで平湯へ。ここから新穂高温泉の旅館に直行し、プールのように広い露天風呂に体を沈め、至福の時間を過ごした。かくして年寄りの大冒険は終わった・・・。

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                                                (終わり)

 

 
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旧友と北アルプスの涸沢に行く(前編)

 今回のブログに登場する人物は4人。いずれも私の高校時代からの友人である。食品会社でカレーの開発一筋の「カレー男」。商社マンとして海外で木材の買い付けをしていた「材木商」。高層のビジネスホテ2軒を保有する「近江商人」。暇人を名乗る私はマスコミのクズ。

 一人を除いて現役を退き、おおむね大人しく第二の人生を歩んでいる。10年ほど前、同級会で何十年かぶりに再会した。高校時代はいつもつるんでいたので、たちまち意気投合し、年3、4回、泊りがけでゴルフをするようになった。

 今年6月、ゴルフを終えて雑談していると、カレー男が「お前の趣味の山に連れて行ってもらえないか」と言った。近江商人は「俺も行く」と同調したが、材木商は「あんな苦しい登山なんか行きたくない」と断固拒否の姿勢だ。「じゃ、3人で行こう」となり、計画を始めた。

 私は、ぜひ北アルプスの絶景を見せてやりたいと思った。山の初心者だから、比較的楽に登れる涸沢カールを目指すことにした。涸沢は日本最大のカールであり、ナナカマドなどの紅葉の名所でもある。シーズンになれば、紅葉と登山者のテント村の写真が新聞の1面を飾る。

 登山計画は随時メールで送った。情報を共有するため、念のため登山拒否の材木商にも送信しておいた。すると、彼から「やっぱり俺も行くわ」というメールが届き、一同のけぞった。絶景に興味を引かれたのか、のけ者にされるのが嫌だったのか分からないが、ともかく4人がそろった。

 9月初旬、名神の養老サービスエリアで合流した。新品の登山靴にリュック姿。まぁ、それなりに登山者の装いだ。運転手役は近江商人で、車は彼のレクサス最高級車だ。乗り心地は暇人の軽トラとは雲泥の差である。東海北陸自動車道で高山を経由、上高地への玄関口平湯温泉に向かった。

 平湯のあかんだな駐車場に車を止め、シャトルバスに乗り込んだ。すると、近江商人のスマホに「車の窓が開いている」とのメールが送られてきた。高級車はこんなシステムが装備されているのだ。出発直前だったので、近江商人は80キロの巨体を揺らしながら全力疾走で駐車場を往復した。登山のいい練習になったことだろう。

     ↓ 上高地行きシャトルバスの向こうに笠ケ岳
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 上高地は晴天だった。河童橋に立つと、穂高の峰々が美しい姿を見せていた。明神までは梓川の右岸を行き、清流を泳ぐ岩魚などを見ながら歩いた。暇人はここぞとばかり知ったかぶりを披露し、日本アルプスを海外に知らしめた宣教師ウェストン卿のことを語り、彼を山に案内した上條嘉門次の小屋に案内したが、3人はさも興味なさそうに聞いていた。

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     ↓ よく見れば岩魚が泳いでいる         
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 垂直に切り立つ3000m近い明神岳を見上げながら、その夜泊まる徳沢園までゆっくり歩いた。この宿は井上靖の小説「氷壁」の舞台となった山小屋で、「氷壁の宿」として有名だ。主人公が荒天の穂高を登り、恋人が待つ徳沢へ向かうのだが・・・。その辺のことを講釈師よろしく語って聞かせたが、耳を素通りしてる様子である。

     ↓ 明神岳
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 さすが徳沢園は、食事も寝る所も普通の山小屋と違い、ホテルに近い。学生時代富士山に登ったカレー男は別にして、他の2人は山小屋に泊まるのは初体験だ。「涸沢小屋にも風呂はあるんだろう?」と言ったかと思えば、「俺は個室でないと眠れない」とほざき、登山をなめきっている。

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 その夜、暇人はウィスキーを片手に外に出て、満月の夜空を眺め続けた。他は、布団の上でスマホをいじっていた。翌日は本格的な登山になるが、さて、どうなるやら・・・。

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                                       (続く)

 

 
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濁りが薄れてきた有田川・・・鮎29匹

 ここ生石高原にも秋の気配が漂い始めた。おびただしい数のトンボが空を舞っている。赤トンボも飛んできたので写真を撮ったが、ピンボケだった。列島を縦断するアサギマダラも時折見かけるようになった。この美しい蝶は秋の深まりとともに、わが山小屋にもしばしば姿を見せてくれるだろう。

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 鮎釣りは、これからが本番である。鮎は6月ごろ各地で解禁になるが、ホームグラウンドの有田川下流は盆ごろから本格的に釣れるのだ。鮎の多くは、河口で生まれた天然遡上の鮎で、これぞ本物の天然である。それが大きくなって川底の石や岩に縄張り持ち、侵入してくる鮎を攻撃するのだ。

 有田川は盆前の大雨で濁流になったが、やっと濁りが取れ始め、今は薄濁りの状態だ。鮎の餌になる石アカも付いてきた。この好機を逃したくない。わが家から約20分、いつものポイントに入った。200m上流に2人、100m下流に2人が竿を出しており、その中間に入った。

 半時間ほどはまったく釣れなかったが、オトリがやっと対岸の石に近付いた時、目印が小さく揺れた。竿を立てるとグリグリという手ごたえがあったが、すぐ軽くなった。針が外れたのだ。気を取り直してオトリを泳がせていると、また当たりがあった。しかしこれまた外れた。このような現象は珍しくないが、鮎の活性が低いのだろう。

 この場所を諦め、50mほど上流に替わった。ここは大きな岩が水面にいくつも顔を出しており、いわゆるトロ場である。オトリを岩と岩の間で泳がせると、すぐに掛かった。これでやっと元気なオトリが手に入った。さぁ、これからだ。養殖のオトリとは違って、元気よく岩の回りを舐めるように泳いだ。

 すると、いきなり目印がストンと水中に入った。あっという間に、掛かり鮎とオトリは対岸に達していた。電光石火、凄いスピードだ。鮎を水面に浮かせても、しぶきを上げながら右に左に走り回る。なだめるようにして引き抜き、タモで受け止めた。22cmはある大物で、オトリにするには大き過ぎるが、鮎釣りで最も大切なのは元気なオトリを循環させることだ。

 この日は珍しくよく釣れる。オトリは思った場所に行ってくれるし、普通は行ってくれなややこしいポイントでも泳いでくれる。激しい当たりもあれば、弱々しい当たりもあったが、鮎のサイズはどれも20cm前後と大きい。

 ここのトロ場を行ったり来たりし、一つ一つの岩を丹念に攻めた。時計を見ると午前11時半で、少々疲れた。時々川の石に足を取られるようにもなった。とりあえず、曳き舟からタモに鮎を出し、数を数えてみた。21匹もいた。上出来だ。

 いつもは昼までで釣りを終えるが、この日は欲が出た。昼ご飯を食べ終わり、気になっていたポイントへ車で移動した。先客が2人いたが、しばらくするとどこかへ行ってしまった。午前中に釣ったばかりの元気なオトリを3匹生かしておいたので、流れの速い瀬でも泳いでくれるはずだ。

 オトリを沈めると、一発で掛かった。サイズは16、7cmと少し小さめだが、次も、その次も、そのまた次も・・・5匹連続で釣れた。これを「入れ掛かり」と言うが、5匹連続は今シーズン初めてだ。やがて、それが嘘のように釣れなくなった。

 午後の日差しは強く、しかも逆光だから目印が見えない。糸の張りを確かめながら手探りのような釣りを続け、退屈な時間が過ぎた。やがて、ゴン、ゴンという強烈な当たりが手に伝わった。かなり早い瀬なので、鮎は流れに押されて下流に走ったと思ったが、姿が見えない。

 竿がどちらに倒れているか確かめると、上流に向かってしなっている。ということは、この速い瀬をオトリを引っ張りながら、少なくとも10m近くも遡っていたのだ。驚くべき怪力である。やっと石に付き出したアカをたっぷり食べ、体力が付いたのだろう。

 午後2時半ごろまで釣りをし、このポイントで8匹釣れた。午前中の分を合わせると釣果は計29匹で、珍しく大漁だった。気分よく帰り仕度をし、川を渡っていると石に足を取られ、尻餅をついた。起き上がろうとしたがうまくいかず、今度は横向きに水没した。眼鏡のレンズが水に濡れるなど散々だったが、不思議に腹が立たなかった・・・。

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   06:28 | Comment:9 | Trackback:0 | Top
 
 

山葡萄の苗を植える

 町のスーパーで食料や日用品の買い出しをし、軽トラで生石高原のわが家へ向かっていた。すると、前方から知り合いの奥さんが歩いてやって来た。窓を開け、「いやー、お久し振り」と挨拶を交わすと、彼女は「山葡萄の苗があるけど、持って帰らへん?」と意外な言葉が飛び出した。

 山葡萄と聞けば、無関心でいられない。私にとって、山葡萄は東北や北海道の森にひっそり自生する植物という印象が強い。北陸の田舎で生まれ育ったが、見たことも食べたこともない。今は紀伊山地で暮らしているが、山深いここに自生しているという話は聞かない。私の生活エリアから縁遠い果物だけに、その野生の味に興味津々だった。

 なぜ彼女が山葡萄の苗を持っているのか・・・。彼女は、大学の教授を定年退職したご主人とともに、、山の中腹で田舎暮らしをしている。娘さんが北海道に嫁ぎ、牧場を経営しているそうだが、娘さんから牧場に自生している山葡萄の苗が送られて来るのだそうだ。

 彼女が何年か前に自宅の庭に植えた山葡萄は大きく育っており、黒紫色の房がいくつもぶら下がっていた。味見させてもらうと、ほとんど甘味はなく、もの凄く酸っぱい。それはひどいものだったが、味を知ったことは貴重な体験だった。今回もらうことになった苗は、やはり娘さんから最近送られてきたらしい。

 標高が高く、涼しいわが山小屋は東北の気候に似ており、苗はうまく育つと思う。ただ、山葡萄は雌の木だけでは実はならず、雄の木がないといけないらしい。もらった苗は3本あり、雌雄そろっているよう願っている。ともかく苗を上手に育てようと、俄然やる気になっている。

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 田舎生まれの私にとって、自然の食べ物には目がない。小さい頃、アケビを見つけるとかぶりついたし、砂糖をまぶした様なイワナシ(岩梨)も夢中で食べた。酸っぱかろうが何だろうが、自然の贈り物と思えばうれしいものだ。近年、山葡萄はワインやジャム、ジュースの原料として活用する動きが活発だそうだ。

 苗は山小屋の敷地の斜面に植えた。蔓が伸びれば居住空間でもあるウッドデッキに這わせようと思う。秋になれば、山葡萄の葉は赤くなり、とても美しいらしい。実がつくまで何年かかるか分からないが、鈴なりになる日が待ち遠しい。

       ↓ 将来は山小屋のデッキに山葡萄を這わせたい
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 山葡萄と聞けば、青森県にある秘湯・青荷温泉を思い出す。別名ランプの宿と呼ばれ、ひなびた温泉である。この宿に泊まったのは12年前で、女房は旅館の売店で売られていた山葡萄の蔓で編んだバッグが気に入った様子だった。

 女房に1本の薔薇も贈ったことがない私だが、旅情に浮かれていたのか、私の小遣いでバッグをプレゼントした。値段は言わぬが花だが、決して安くはない。使えば使うほど味が出ると言い、女房は今も大切に使っている。山葡萄と聞いて、バッグを買ったランプの宿を思い出す。

       ↓ バッグはネットから拝借した
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ワラビの塩漬けを味見した

 この春に塩漬けしておいたワラビを初めて取り出した。口の広い陶器の容器にかぶせておいた紙を外すと、敷き詰めておいた塩はまるで雪のような白さだった。ワラビの灰汁のようなものが滲み出し、濁っていると思っていただけに、その白さは意外だった。

 しかし、取り出したワラビは茶色で、少しがっかりした。銅製の鍋に浸しておけば、きれいな色になるらしいが・・・。塩抜きをして麺つゆで食べると、独特のぬめりもあり、ワラビらしい風味を味わうことが出来た。ただ、保存食だから仕方がないが、やはり春に食べるワラビの味とは微妙に違った。

 私たちが暮らす生石高原では、いたる所でたくさんワラビが採れる。塩漬けにして保存する方法があることは知っていたが、旬に食べるワラビとは別物だと思っていた。つまり、見下していたのだ。

 ところが、これは違った。3年ほど前、中仙道の宿場町、妻籠宿に行った時、蕎麦を食べた。その店は妻籠の有名店で、もちろん手打ちである。注文したざる蕎麦にワラビが添えられていた。

 季節は晩秋だったので、そのワラビは塩漬けしたものだった。これが実に美味しかった。店の女将に聞くと、祖母が塩漬けしているそうで、その方法を聞いてもらった。作り方はうろ覚えだったので、翌年の春に作った塩漬けは実にまずく、すべて廃棄した。

 次にワラビの塩漬けと出会ったのは、今年4月初旬だった。信州の小谷温泉に行った際、泊まった旅館の料理に添えられていた。これがまた絶妙の味で、女将から執拗に作り方を教えてもらった。それが今回の塩漬けである。

 お陰さまで、塩漬けは一応成功した。しかし、妻籠の蕎麦屋のもの、小谷温泉の旅館のものとは明らかに違った。どこがどう違うかは表現が難しいが、ワラビ自体の風味を損なわず、「熟成させた味わい」があると言えるかもしれない。

 信州や東北には山菜の知恵がいっぱいある。そんな風土の中で育まれた塩漬けにも、伝統の重みがあると思う。たかだか1回や2回の素人が塩漬けの出来、不出来を云々するのはおこがましい。来年春には、工夫してもっといい塩漬けを作りたいと思う。

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変な虹・・・鮎釣りの吉兆か

 女房の朝一番の日課は、寝室の窓辺に立って紀淡海峡の風景をしばらく眺めることだ。その女房が「変な虹が出ている」と言った。デッキに出ると、なるほどきれいな虹が出ていた。しかし、普通の虹は弧を描いているが、この虹はストンと天から地に突き刺さるような感じだった。

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 これを吉兆と見るか、不吉と見るか。実はこの日、鮎釣りに行くことにしていたので、吉の兆しと思いたいのだが・・・。釣り人はとかくゲンを担ぎたがるものだ。

 10日ほど前に大雨が降り、ホームグラウンドの有田川は濁流となった。川の砂や小石が激流に流され、石に付いたアカ(藻の一種)を削り取ってしまい、川全体がが白く見える。この現象を「白川状態」と呼んでいるが、石のアカは鮎の餌で、それがなくなれば鮎が石に寄り付かないのだ。

 余談になるが、戦前戦後に釣りジャーナリストとして活躍した佐藤垢石という人がいた。鮎釣りに造詣が深く、「鮎は石を釣れ」という名言を残している。つまり、鮎は餌のアカが付く石を縄張りとし、侵入してくる鮎に体当たりして追い払う。友釣りはこの習性を利用し、オトリを石に近付けて針に掛ける釣法だ。ちなみにこの人の垢石という名前は鮎釣りに由来している。

 さて、大雨から10日以上も経ったので、もうそろそろアカが付き始めているだろうと思い、有田川のダム上流に車を走らせた。しかし、川に沈む石は白く、落胆した。ただ浅い岸の近くの石は若干だがコケが付き始めているように見えた。

 ともかく、押出という集落の川に入った。ここへは今年2回目で、前回は8匹釣れた。200mほどの瀬が続いており、上流には先行者がいたので、下流で竿を出すことにした。手で川底の石をなでてみると、少しヌルッした。これなら鮎が釣れるかもしれない。

 対岸に垂直に切り立った岩盤があり、ここならアカが残っているかもしれない。オトリをそこへ誘導して待つこと約10分、目印が揺れた。深場に潜った鮎を少しずつ浮かせ、引き抜いた。さらに10分後、少し下流の岩盤でもう1匹釣れた。どちらも18cmほどで、オトリには手ごろなサイズだった。

 鮎釣りは第一にオトリ、第二に場所、その次が腕前である。死にかけたようなオトリを使っていては、1日頑張っても釣れない。そして、オトリ屋で買う養殖物より、釣りたての天然鮎の方が断然元気がいい。天然物のオトリは尻尾をよく振って縄張りの鮎を挑発し、針に掛けるのだ。

 しばらく岩盤で粘ってみたが後が続かない。天然のオトリが手に入ったので、増水気味の速い瀬で釣ることにした。対岸の浅いヘチにオトリを入れた。オトリはグイグイと上流に遡っていく。いいぞ思った瞬間、目印がぶっ飛び、強烈な当たりが手に伝わった。

 掛かり鮎はオトリを引っ張って下流に疾走した。増水で流れが速いので、石の上を走らなければ追いつけない。もたもたしていると竿が伸び切り、糸が切れてしまう。20mは下っただろうか、流れが緩い浅場に鮎を誘導し、糸切れが心配だったが、思い切って引き抜いた。鮎は水しぶきをあげて玉網に納まった。

 これがこの日の最長寸23cm。顔が小さい割りに肩が盛り上がる見事な鮎だった。この瀬を行ったり来たりしながら釣り続けたが、20cmを超す大型が混じり、その度に流れが緩い場所までよたよたと走り下った。時々、河原の石に腰かけ、呼吸を整えた。

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 昼を過ぎた頃、目印が上流に走り、鮎がかかった。針を食い込ませるため竿を立てると、フッと軽くなり、糸と目印が風に吹かれて中空を漂っている。糸が切れたのだ。オトリと掛かり鮎の2匹を失った。これくらい情けないことはなく、虚脱感が全身を覆う。もうやっておられない。疲れもしたし、これが潮時だと思った。

 釣果は計16匹。半日の釣りにしては上出来である。朝の虹は吉兆だったのだ。ただ惜しむらくは、アカが成長していないため黒っぽい痩せた鮎が混じった。天然鮎は別名「香魚」と呼ばれるが、ウリのよな匂がいまひとつなのだ。その晩は七輪に炭を熾し、「強火の遠火」で焼いて食べた。はらわたの苦味は少なく、物足りなかった。欲を言えば切りがないけれど・・・。

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娘たちとお盆を過ごす・・・山へ、フレンチへ

 お盆は娘二人が帰省するので、やむなく和歌山の山小屋を離れ、大津の家で過ごした。娘たちには、気温が5度以上も低い山小屋の方へ来るよう言ったが、「虫もヘビもいる山奥には行かない」とつれない返事だった。

 わが一家は、子供たちが小さい頃から山や川へ連れて行き、豊かな自然と遊ばせてきた。しかしそんな親心は子供たちに通じず、情操教育にも役立たなかった。今では都会生活にどっぷり浸り、ワインがどうの、ヨガがどうのとほざいている。

 娘は二人とも、誕生日や母の日、父の日に何もしてくれない。しかしその代わり、お盆に帰省した際、レストランに招待してくれる。一人1万円以上もする料理だから、年金生活のわれらには大変な贅沢で、娘たちにとっても親孝行という立派な名目で美味を味わう寸法だ。

 翌日には、大津からもそう遠くない伊吹山へ行くことにした。珍しく娘たちは、私の意見に異議を唱えなかった。麓から登る訳ではなく、ドライブウェーで頂上直下まで行く。8合目あたりから霧に覆われていたが、次第に薄れていった。さすが日本百名山だけあって山容には風格がある。

      ↓ 頂上から琵琶湖を望む    
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 道路沿いのあちこちに、アマチュアカメラマンが太い望遠レンズを構えていた。100人以上いたと思う。イヌワシが現れるのを待っているらしい。イヌワシは絶滅危惧種で、伊吹山に生息しているとは知らなかった。ネットには、伊吹山で小鹿を捕らえた写真が載っていた。

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 駐車場から標高1377mの頂上までは40分。花の盛りはほぼ終わっていたが、それでもピンクのシモツケソウなど高山植物がたくさん咲いていた。娘は1人がサンダル、もう一人がハイヒールといういでたちで、「足が痛い」「こけそう」と文句たらたら。心構えが出来ていない。われら夫婦は頂上のお花畑を一周した。

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 夜は蕎麦打ちを実演し、私が苦労して釣った鮎の天麩羅を振る舞った。これがお盆のハイライトだと思っていたが、娘たちはさほど感激もせず、スマホをいじりながら、時々箸を使う程度だった。「うまいやろ」と問うてみても、「まあね」と言うのが関の山だから、野暮な質問はしなかった。

 娘に招待されたレストランは、京都御苑の真向かいにあるフランス人シェフの店。5種類のワインを飲みながら料理を楽しむのだ。腰巻のようなものを巻いた女性従業員が料理の説明をしながら皿を置いていく。説明は難解で、小鹿の肉、サーモンなどの単語しか分からなかった。総じて美味しかった。

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 娘たちは3泊して帰って行った。大津にいる間は連日の猛暑で、クーラーをつけていても寝苦しかった。だから予定を繰り上げ、逃げるように和歌山へ帰った。さすが標高800m余りの山小屋は空気がひんやりしていて、朝晩は肌寒い。一つ、また一つ、夏の「行事」が過ぎて行き、やがて高原に秋が忍び寄る・・・。
   07:07 | Comment:10 | Trackback:0 | Top
 
 

やっと鮎釣りの醍醐味・・・

 お盆には、子供たちが大津の家に帰省する予定だ。この春にわれら夫婦は蕎麦打ち道場に入門し、腕を磨いているので是非、打ちたて、茹でたての蕎麦を振る舞いたいと思っている。信州ブランドの蕎麦粉も取り寄せた。

 蕎麦はもちろん主役だが、それにどのような料理を添えるか・・・。それがパッとしないと、画竜点睛を欠く。私の趣味からしても、それはもう天然鮎の塩焼きか天麩羅だろう。鮎は夏の風物詩であり、これがまた蕎麦とよく合うのだ。

 とまぁ、そんな訳で、子供たちに食べさせるため、鮎釣りに行った。今シーズンはすでに4、5回釣行しているが、有田川の二川ダム下流は余りにも不調で、釣果1匹という日もあった。ふがいない釣果に、これまで釣行記を書く気がしなかった。

 台風が来る前の週、ダム上流へ向かった。ダム下流の釣り場まではは15分ほどで行けるが、上流は1時間近くかかるので、余程のことがない限りほとんど足が向かない。オトリ屋の女主人に状況を聞くと、「渇水になり、最近は釣れなくなった」と出鼻をくじかれた。

 押手(おしで)という集落の川を見て回った。長い瀬があったので、ここに入った。白波が立つ瀬にオトリを入れて当たりを待った。竿を立ててオトリを上流に泳がせようとしたら、針が底の石に引っ掛かった。外しに行くと、今度は糸が対岸の木に引っ掛かり、糸が切れた。

 幸先は良くなかった。しかし、少し下ってチャラチャラの瀬にオトリを入れると、ビューンと糸が上流に走り、掛かり鮎がオトリを引っ張って対岸に疾走した。20cmを超すような良型が玉網に納まった。この後、岩盤で3匹、背びれが見えるような浅場で2匹、100mほど下った瀬で3匹、計8匹が釣れた。余りに暑いので、正午前に竿を納めた。

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 それから3日後、今度はダムの下流に釣行した。いつも立ち寄るオトリ屋のオヤジからは「ぼちぼち釣れるようになった」と明るい情報が得られた。オトリ屋近くの大きな岩が沈むポイントで竿を出した。20分くらい経った頃、わずかに目印が揺れる当たりがあった。取り込んだ鮎は13cmくらいのミニサイズ。

 小さくてもオトリが天然鮎に替わった。鮎釣りはここからである。オトリが大きな岩と岩の間を通過した時、目印がストンと沈み、糸が走った。2匹の鮎はすでに対岸に到達していた。竿を倒して引き寄せるが、掛かり鮎は右に左に走り、引き抜くタイミングがつかめない。ハラハラしながらやっと引き抜くと、バサッという音をたてて網に納まった。

 釣れた鮎は軽く20cmを超えており、オトリには大き過ぎるし、もったいないので、先の小さな天然鮎に鼻カンを通してもう一度働いてもらうことにした。するとオトリはツ、ツーと上流に走り、波立ちの所に来たところで目印がぶっ飛んだ。ここで6、7匹釣ると当たりが止まり、下流のチャラ瀬に移動した。

 このポイントがこの日のハイライトだ。水深が30cmに満たないチャラ瀬は私の得意ポイントだ。これは私の師匠のM名人の影響である。竿を立て、テンションを加えながらオトリを泳がせる。すると、鮎が掛かり、上流へ5、6mも走った。秒速5mのスピードだ。それはまるで閃光のようだった。

 そのように、天然鮎の当たりはすさまじかった。これが鮎釣りの醍醐味だ。一度は4本イカリの針が2本抜け落ちてしまうほどだった。しかも鮎の型が20cm前後と申し分ない。この後、車で移動してチャラ瀬に入ったが、ここでは15cm前後の小型だった。結局、午前中だけの釣りだったが、計18匹の釣果だった。

 これまでが不調だっただけに、今回の釣行では大いに溜飲を下げた。子供たちに食べさせるに十分な数とサイズがを揃えることが出来て良かった。川に立ち込み、鮎と苦闘する父親の姿など知る由もないだろうが、せめて「美味しい」という素直なひと言を聞かせてもらいたい・・・。

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