森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

等伯の松林図に会えた・・・

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 長谷川等伯の生涯を描いた作家安部龍太郎の小説「等伯」を手にした時、表紙を飾る水墨画「松林図屏風」に大きな衝撃を受けた。あれ以来この絵が目に焼きつき、いつか実物を見てみたいと思い続けていた。

 絵画についてまったく素養のない私だが、どこにでもあるような松林に吸い込まれたのはなぜだろう。絵から押し寄せてくる静寂感、松林の向こうに広がる果てしない空間・・・。しかし何より、「切なさ」とか「はかなさ」という無常観が迫ってきて、私の心は震えた。

 この絵を見たいと思い、「松林図」がどこに所蔵されているか調べてみた。等伯の故郷・能登半島の七尾美術館ではなく、東京国立博物館に収められていることが分かった。わざわざ和歌山から東京の上野公園まで出向くほど裕福ではないので、見るのを半ば諦めていた。

 ところが、京都国立博物館で開催されている「国宝・特別展」に展示されていることを知った。会期は10月3日から11月26日までで、210件もの国宝が順次展示され、「松林図」は期間中ずっと展示されるとのことだった。会期末が迫ってきたので、女房とともに京都へ車を走らせた。

 午前9時半の開場に間に合うよう、京都駅から臨時バスで博物館に向かった。臨時バスが出るくらいだから、物凄い人出である。それもそのはず、桁外れと言ってもいいスケールの大きい国宝展なのだ。教科書に出てくるような国宝ばかりで、漢委奴国王印(金印)は余りにも有名だし、源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、雪舟の山水図、源頼朝像、油滴天目茶碗など目白押しである。

 国宝「松林図屏風」は、近世水墨画の最高傑作にふさわしく、2階展示室の最も目立つ場所に展示されていた。6曲1双の屏風の前に立った時、余りにもあっけなく私の前に現れ、今そこにあるのが信じられなかった。私を探していた女房に腕を引かれ、やっと屏風の前を離れた。

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 この松の林は、等伯の郷里七尾の風景だろう。50歳代の円熟期の作品と言わる。等伯30歳代の初め、郷里に妻子を残し、京都で絵の修行を積むため能登を出奔した。妻子は後に呼び寄せるが、もはや後戻りできない等伯の決意と、故郷に決別する切ない気持ちが込められているように思う。

 故郷の風景を記憶しておきたいと思うのは、誰しも同じだろう。石川啄木は「ふるさとの山に向かひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」と、故郷の岩木山を詠んだ。凡庸な私だって、故郷の湖を見ると、帰省して遠くへ帰る日、母親が見せたすがるような視線を思い出す。そんな万感の思い込めて、屏風を見た・・・。

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手作りの生ハムは芳醇な味わい・・・

 初めての生ハム作りに取りかかったのは、9月23日だった。あれから50日、豚肉の塊を冷蔵庫の中でじっくり熟成させた。そして満を持して、1日がかりでスモークした。完成した生ハムは、深みのある味に仕上がった。塩っ辛い安物の生ハムしか知らなかったので、それは別物だった。

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 精肉店で新鮮な肩ロースを1㎏買い、7対3の割合で塩と砂糖をすり込んだ。この肉を「ピチット」という脱水シートで包み、最初は3日、次は1週間ごと、その後は10日ごとにシートを取り替えた。脱水シートは肉に含まれる水分を取り除き、肉を熟成させる優れものらしいが、うまくいくか半信半疑で見守り続けた。

 なるほど、シートを取り替える度に、わずかだが水分が取り除かれていた。そしてひと月ほど経った頃、恐れていたことが起きた。肉の表面に白いカビのような斑点が付着するようになったのだ。肉に触れる場合はアルコールで手を消毒し、慎重に扱っていたが、それでもカビのようなものが発生してしまった。

 ナイフで白い斑点を削り取ろうとした時、女房が「待った」をかけた。女房がネットで調べると、斑点は有害な細菌から肉を守り、熟成が進むにつれ表面がびっしりと白くなるというのだ。つまり、熟成が順調に進んでいる証拠だという。

 ひと月ほど経過したらスモークする予定だったが、熟成期間が長ければながいほど、美味しくなると専門書にかいてあったので先延ばししていた。生ハムの燻製は「冷燻」という方法で、燻製器の中の温度を10度、高くても20度以下に保たなければならない。気温が低くなったので、スモークに踏み切った。

 肉を燻製器の中に吊り下げ、クルミのスモークウッドで燻すことにした。朝9時からスタートし、夕方に中を覗くと、ウッドは途中から消えていたので再び火を着け、ひと晩そのままにしておいた。翌朝取り出すと、しっかりと香りが付き、いい具合に仕上がっていた。

 半日ほど風に当て、肉をナイフで削って味見した。肉は弾力があり、ねっりとした歯ごたえがたまらない。噛めば噛むほどに旨みが滲み出し、自分で言うのは何だが、極上の味わいである。生ハムの味わいの余韻が残る舌の上で、取って置きのシングルモルトを転がす。あぁー、幸せ・・・。

     ↓ 脱水シートで包み、熟成する
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     ↓ 白カビが・・・熟成が進んでいる証拠
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     ↓ クルミのスモークウッドでじっくり燻製
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北斎展は連日の大混雑・・・疲労こんぱい

 いつから日本人の多くが、葛飾北斎の芸術に目覚めたのだろうか・・・。大阪のアベノハルカス美術館で開かれている「北斎-富士を超えて-」を観に行ったが、そこはまるで北斎フィーバーの坩堝(るつぼ)だった。地中から湧き出すように、ファンが続々と集まっていたのだ。開幕以来こんな状態だという。

 女房が病気の姉を見舞うため大阪に行くというので、車で同行することにした。私の目的は、冒頭に書いた北斎展に足を運ぶことである。近鉄富田林駅で降ろしてもらい、阿倍野橋に向かった。緑色のアベノハルカスの超高層ビルを真下から見上げるのは初めてだ。風が吹けば倒れてきそうな高さである。

 大きなエレベーターで会場の16階に着くと、数十人の人の塊が吐き出された。そこはもう、立錐の余地がないほどの人の渦である。何か分からずに列に並んだら、そこは入場者の列で、その前にチケットを買わなければならないという。1500円のチケットを買うためだけに、50分待ちなのだ。

 次は入場者の列に並ぶが、こちらは1時間待ちである。すでに正午前になっており、昼食を食べて列に並んだ。テープで仕切られた列はくねくねと何列にもなり、前の方で並んでいたお年寄りは気の毒なことに、列を外れてトイレに行き、また最後尾から並び直したようだ。

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 やっと入場したが、そこはもう鑑賞という場所ではなく、芋の子を洗う桶の中のようだった。展示の壁際に張り付いていないと、人が割り込んで来る。ある時は、ババァが、いや失礼、高齢のご婦人が私の鼻先に頭をこすり付け、まんまと割り込んだ。その時、椿油のような匂いがし、はからずも亡き母親を思い出した。

 北斎を代表するブルーの波も赤富士も見た。北斎の娘お栄が描い吉原遊郭の絵も見たが、見たというより人の肩越しに見えたというのが正確だろう。

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 ↑ 富嶽三十六景の代表作「神奈川沖浪裏」(ネットから借用)

 そして、長野県・小布施の「北斎館」が所蔵する祭屋台の天井絵に再会した。北斎館を訪ねたのは10年ほど前のことだ。改めてその「濤(なみ)図」を鑑賞すると、ブラックホールに吸い込まれるような気分になった。80歳を超えた北斎老のこの力作には、命の深淵を見つめる老の死生観が表現されているように思えた。

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      ↑ 祭屋台の天井絵(北斎館のホームページから拝借)

 私はずっと以前、小島政二郎の小説 「葛飾北斎」を図書館で借りて読んだ。1960年代に書かれた上下巻のこの大作は、飾り気のない文体で北斎像を浮かび上がらせていた。私には絵画をうんぬんする眼も教養もないが、この作品によって北斎の人間性に惹かれ、ファンの一人となった。

 北斎は九十歳の天寿を全うしたが、本物の絵描きになりたいので、百歳、いや百十歳まで長生きしたいと心から願っていた。ただ長生きしたいのではなく、自らの絵を追い求めるためにそれだけの年月が必要だと考えていたのだ。生涯に90回以上も引越ししたと伝えられるのも、新しい画境を拓くためだったのだと思う。

 北斎の絵は通常の倍の値段が付いたといわれたが、金銭には無頓着で、シラミがわくような粗末な衣服を着ていたらしい。無作法で気位は高く、酒は飲まず、食事は出前で済ましていた。特筆するとすれば、相当な好色だったこと。二度も若妻を死なせたのは、夜の秘め事が尋常ではなく、疲れ果てて命を縮めたという説もあるが、与太話の類かもしれない・・・。
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生石高原のススキは終盤・・・3連休でにぎわう

 ここ生石高原は、一年中で最もにぎわう季節を迎えている。文化の日の11月3日、高原の最高峰・生石ケ峰(870m)を目指して歩いた。わが家から頂上までは半時間ほどだから、登山というより散歩のようなものである。このところ好天が続いており、空には秋らしい雲が漂っていた。

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 高原に通じる道路の両側には、落葉樹のウリハダカエデが群生している。ウリハダカエデは、この一帯の紅葉の主役である。黄色からオレンジ色に紅葉していく様は実に見事だ。今は黄色に色付き始めており、気の早い木は燃えるような赤色に染まっている。

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 高原の駐車場はほぼ満杯状態で、他府県ナンバーが多い。子供たちが段ボールを尻に敷き、高原の斜面を滑り、歓声を上げていた。お大師さんの祠がある笠石のそばでは、女性が簡易テントを立て、くつろいでいた。

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 ここには空中に張り出すような大きな岩があり、その向こうには幾重もの山並みが横たわっている。ここでは、テレビCMの撮影が行われたことがあり、結婚式の前撮りをするカップルもよく見かける。最近では、インスタグラムというのが流行しているそうで、投稿する写真を撮る若者が多い。

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 生石高原といえば、ススキの大草原だ。ススキと紀淡海峡に沈む夕日ををカメラに収めるため、アマチュアカメラマンがたくさんやって来る。ススキはそろそろ終わりを迎えているが、やせ細るススキの穂を目にすると、1970年代に流行した「昭和枯れすすき」を思い出し、甘酸っぱい青春時代が懐かしい。

 ♪ 貧しさに負けた  いえ世間に負けた・・・花さえも咲かぬ、二人は枯れすすき

 息を切らして頂上に着くと、十数人が360度の景観を楽しんでいた。空気が澄んだ日なら紀淡海峡に浮かぶ沼島や遠く徳島県の蒲生田岬も見えるが、この日は靄(もや)のようなものがかかっていた。生石高原には間もなく、冬が足早にやって来る・・・。

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   16:19 | Comment:0 | Trackback:0 | Top
 
 

満天の空に、宇宙ステーションが見えた

 きのう、近畿地方に木枯らし1号が吹いた。今日も強い風が吹き、雨戸がガタガタと音を立てている。朝7時の気温は3・5度で、この秋一番の冷え込みだ。今回のブログは5日前のことだから、少々鮮度が悪い。

 台風21号に続き、22号がまたも紀伊半島を襲った。22号が来る前にボート釣りをしようと思ったが、21号の余波で波の高い日が続いていた。しかし幸運なことに、10月27日だけは波の高さが1m以下で天気もよく、このワンチャンスをものにすべく女房とともに由良湾へ出掛けることにした。

 私はアオリイカを狙い、女房はガシラを釣る計画だ。イカ釣りは生きたアジを使うので、まず湾内でアジを釣らなければならない。アジは釣り餌店で売っているけれど、1匹140円もする。朝早くポイントに着けばアジが釣れる確率は高いし、費用も節約できるので、午前4時45分ごろ山小屋を出た。

 空を見上げると、満天に星が輝いていた。その星の数の多さは、標高の高い生石高原でも滅多に見られないほどだった。星の奥に星があり、その彼方にも星がある。無限の宇宙空間を見ていると、なぜか恐怖感に襲われる。説明が出来ない不思議な感情である。

 私には、二つの星空が目に焼きついている。一つは30年ほど前、八ヶ岳に行った時だ。人家の明かりが届かない中腹の草原に寝転んで夜空を見上げると、天の川のあたりに、ぼんやりと宇宙のガスのようなものが見えた。普通では見えないかもしれないが、しかし確かに見えた。花火の後の煙のようだった。

 もう一つは、昨年9月のこと。ペルーの天空都市マチュピチュから帰る途中だった。インカ帝国の首都・クスコ(標高3400m)に近い峠で、漆黒の空を見上げた。その天頂に四つの明るい星が見え、身震いした。それを線で結ぶと十字になり、南十字星だと思った。ひと際明るく、青白い光を放っていた。南半球には似た星があるらしいが、私は南十字星だと信じている。

 出発しようと軽トラに乗り込むと、女房が外からコツコツと窓をたたいた。「あれ、人工衛星と違う?」と言うのだ。そんなものが見える訳がないと思ったが、車から降りて見上げると、なるほど明るい点がおおむね北の方向から南の方に動いていた。

 スピードは飛行機のように速いが、飛行機が放つ点滅の明かりが見えない。ここから関西空港に離着陸する機影がよく見えるのだが、明らかにそれとは違う。女房は「ほれ、あれなんて言うの?ステーションじゃないかしら」と言った。

 ひょっとしたら国際宇宙ステーションかもしれない。後から調べたが、高度は400キロ、大きさはサッカー場ほどらしく、夜明け前に見えることもあるらしい。その明かりは少し赤味を帯びているように見えた。夜明けの太陽が当たっているのかもしれない。

 理系に弱い私は、宇宙ステーションが飛んでいるのではなく、あの速度は地球が回っているスピードだと思っていた。しかし実際は物凄いスピードで地球を回っているらしい。ちなみに、秒速7・7キロ、時速だと2万7千キロだという。もし静止していたら、地球の引力で墜落するらしい。調べてみて、勉強になった。

 さて、この日の釣りだが、余り書きたくないというのが本音。アジは入れ食い状態で、20匹ほど生かしていつものポイントへ向かったが、まったく反応がなかった。給油を二回繰り返し、沖の一文字などへも走り回ったが、一度の当たりもなく万策尽きた。この間に女房がガシラを5匹釣ってくれたので、晩のおかずにはなった。

 これだけでは物足りず、アジのポイントで再び竿を出した。期待はしていなかったが、アジは入れ食いで、女房は一人で160匹も釣った。私はカワハギ釣りを試みたが、たまにチャリコやアジが釣れただけだった。それにしても、なぜイカが釣れなかったのだろう。長雨で塩分濃度が低くなっていたのかもしれない。

 ま、宇宙ステーションが見えたのは良かったが、釣りはまったく納得していない・・・。
 

   11:14 | Comment:0 | Trackback:0 | Top
 
 

「排除」のどこが悪いのか・・・

 今回のブログは大きな非難を浴びるかもしれないが、あえて書きたいと思う。

 私は、希望の党を立ち上げた東京都知事の小池百合子氏が大嫌いである。典型的なポピュリズム政治家であることが最大の理由だ。耳障り良い言葉を並べ立て、注目を集めようとする。例えば、希望の党を立ち上げた時の「12のゼロ」がそれである。

 (1)原発ゼロ(2)隠ぺいゼロ(3)企業団体献金ゼロ(4)待機児童ゼロ(5)受動喫煙ゼロ(6)満員電車ゼロ(7)ペット殺処分ゼロ(8)フードロスゼロ(9)ブラック企業ゼロ(10)花粉症ゼロ(11)移動困難者ゼロ(12)電柱ゼロ

 この中で、国民の反対を招きそうな項目があるだろうか。しかし逆に、実現可能なものがあるだろうか。もはや、花粉症ゼロは笑うしかない。どのようなスケジュールでゼロのにするのか、財政の裏付けがあるのか・・・。これに何も答えていない。これがポピュリズムの正体なのだ。小池氏の正体でもある。

 しかし、誤解を恐れずに言えば、総選挙の際に彼女が明言した「排除します」のどこが悪いのか、私にはまったく分からない。排除とは、希望の党の安全保障政策や理念、政策に同調できない候補者は受け入れないという趣旨なのだ。

 この一言が希望の党の退潮につながったとされているが、私は彼女が珍しく正論を語ったと思っている。。確かに、「排除」はきつい言葉だが、「ご遠慮願います」とソフトに言えば良かったのか。事の本質は、政治の世界において政治理念や政策をあいまいにすることなく、明確化することなのだ。

 安倍一強を許し、野党を駄目にしたのは民進党だろう。そもそも民進党には、かつて社民党にいた辻元清美さんを始めとする左寄りの人、その対極として自民党より右寄りの人たちもいる。だから憲法問題、安全保障政策などは意見がまとまらない。内部矛盾を抱えた政党は、なかなか国民の支持を得られてこなかった。

 小池さんの「排除」発言によって民進党は分裂し、個々の候補者の色分けがはっきりした。未だに煮え切らない人や、今更恨み節を言う人もいるが、それでも中道の希望の党と、左派の立憲民主党が生まれ、政治が分かりやすくなった。その意味で、小池発言にはインパクトがあったと思う。

 ただし、「排除」は政治の世界にだけ通用する言葉だ。弱者を排除するのは許されないし、人種も宗教も同じだろう。今回の総選挙で、世論は「排除」の言葉に過剰に反応し過ぎたと思うが、どうだろう。批判覚悟の駄文でした。
   10:22 | Comment:0 | Trackback:0 | Top
 
 

やはり超大型台風だった・・・22時間も停電

 台風21号は事前の予想通り、やはり超大型だった。台風の中心が日本列島からかなり離れていたが、22日の日曜日は未明から強い雨が屋根を叩いていた。ここ和歌山の生石高原では、これまで1週間も雨が降り続いており、うんざりした気分に輪をかけた。

 雨だけでなく、風も強かった。わが家は四方を森に囲まれており、「ゴー」という風の音が続いた。吹き飛ばされた小枝が屋根を打ち付け、不気味だった。30年ほど前だったか、台風で大木が倒れ、もう少しで屋根を直撃するところだった。これがトラウマになり、台風が来る度に心配になる。

 この日は衆院選の投開票日で、刻々伝えられるテレビの開票状況を見るのを楽しみにしていた。ところが午後5時半ごろ、電気が消えた。停電は珍しくないし、これまでほとんどが10分か20分で復旧した。今回もそのうちに復旧するだろうと高をくくっていた。

 しかし、いつまで経っても電気がつかない。すでに外は真っ暗だ。ロウソクを何本も立てたが、もし停電が長引くようなら、ロウソクの残りを計算して使わなければならない。晩ご飯は少ない明かりの中で、女房が作っておいたおでんを食べた。暗闇の中で、風と雨の音だけがやけに大きく聞こえた。

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 開票状況の報道が始まる午後8時になっても停電は復旧しない。古びたラジオを持ち出し、開票状況に聞き入った。自民党の圧勝、立憲民主党の健闘を伝えていたが、当選者の名前や地域別の各党得票など細かいことまで分からない。当選にわく選挙事務所の臨場感も伝わってこない。

 台風が迫ってきているので、選挙報道はしばしば中断、主に西日本の被害状況を伝えた。テレビではレーダーの画面や警報などを別画面で映し出すが、ラジオはそうはいかない。近頃物忘れがひどくなり、ラジオで聞いた尻から選挙状況も台風状況も忘れしまうのだ。

 夜が更けるとともに風雨は強くなり、気が気でない。雨戸がガタガタと音を立て、なかなか寝付けなかった。翌日午前3時ごろには目が覚め、期待を込めて枕元の電気スタンドのスイッチを入れたが、やはり停電は続いていた。風雨の音を聞きながら布団の中で悶々と明るくなるのを待った。

 女房のスマホで関西電力の電話番号を調べてもらい、携帯で停電の状況を問い合わせた。19分待ってやっとつながったが、有田川沿いの山間部ではかなり停電になっており、復旧の見通しは分からないとのことだ。こうなったら、気長に待つしかない。おまけに、問い合わせに時間がかかったため、携帯の電池が底をつきかけていた。

 結局、復旧したのは22時間後だった。つくづく、電気の有り難味が身にしみた。ただこの停電で、いかにわれら現代人がテレビに依存した生活をしているかが分かった。学生時代、テレビのない下宿の部屋でラジオばかり聞いていたが、情報不足を感じたことはなかったし、不便も感じなかった。

 しかし今は、いくらラジオで近隣の洪水が報じられてもなかなか実態を把握出来ない。総選挙の状況もラジオだけでは頭に入らないし、そこで繰り広げられえる悲喜劇も伝わって来ない。矛盾するようだが、映像に頼り過ぎた社会は逆に、テレビが人々の想像力を削いでいるようにも思う。今回の停電がそれを教えてくれた。
   12:08 | Comment:6 | Trackback:0 | Top
 
 

はさ掛けの米・・・炊きたては懐かしい味

 郷里の兄から新米が送られてきた。新米の季節になると毎年送ってくれるが、今年は「はさ掛け」の米だと言う。兄嫁は電話で「はさ掛けは風味があるので、早く食べてね」と言った。

 早速、袋を開けてその日のうちに食べた。炊飯器の蓋を開けると、立ち上がる湯気から懐かしい匂いが鼻腔をくすぐった。子供の頃、母親がかまどで炊いたご飯をお櫃(ひつ)に移す時に漂ったあの香りである。

 ついでに思い出したのは、鍋の底にこびりついたおこげをよく母親によくせがんだことだ。今どきの炊飯器はよく出来ていて、おこげが出来ることはまずないだけに、あの香ばしい味を思い出すと郷愁が押し寄せてきた。

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 郷里の実家では、知り合いの農家から新米をまとめて買い、親類や子供たちに送っている。今年は、その農家が自然乾燥させた「はさ掛け」の米を販売するようになったという。米農家も競争が激しく、付加価値を付けるなど知恵をしぼっているようだ。

 はさ掛けと言えば、昔は田んぼの畦に背の高い樹木が植えられ、美しい田園風景をかもしていた。木と木の間に木材や竹を渡し、これに刈り取った稲を掛けていた。「稲架」と書いて「はさ」と読むらしい。ちなみに、刈り取った稲をはさ掛けすれば光合成が続き、それが米の美味しさになっていると言う。

 そう言えば、郷里の北陸の田舎道を車で走っていると、田んぼに植えられていた樹木が姿を消していることに気付く。農家は手間のかかるはさ掛けをやめ、機械乾燥をするようになったためだろう。あの田園風景を懐かしがるのは、郷里を離れた人間の勝手な郷愁なのだろう・・・。

   06:59 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 

アサギマダラの旅の無事を願う・・・

 今日も雨が降っている。これで3日連続だ。しかもひどく寒い。
 
 下の写真は5日前に撮影したものだ。秋の深まりとともに、放射冷却によって雲海が発生し、家のデッキからしばしば見られるようになった。標高800mのわが家から紀淡海峡を見下ろすと、雲海は海峡に向かって連なる山と山の間に発生し、その雲の帯は大河のようにも見える。

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 NHKの朝の連続ドラマが終わると、愛犬ぴーを連れて散歩に出るのが日課である。ぴーは家の階段を駆け下りると、駐車してある軽トラのタイヤにおしっこをするのが習慣だ。ぴーとの散歩は、生石高原の方向に1キロほど歩いて帰ってくるのだが、これ以上歩くとぴーは足を踏ん張って動かない。

 今の時期、散歩の途中に、あの美しい蝶アサギマダラと出会うのも楽しみである。私のブログにしばしばアサギマダラが登場するが、「またかいな」と笑われそうだ。この蝶は人の心を癒す不思議な力があると思う。

 散歩コースの高原への道には、アザミやノコンギク、シシウドが咲いており、アサギマダラが羽を開閉させながら蜜を吸っている。最近では、多い時で10匹以上、少ない時でも2、3匹は見かける。

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 他の蝶のようにせわしく羽を動かすことはなく、グライダーが滑空するような飛び方をする姿は実に優雅だ。何よりも羽が美しいし、人にまとわりつくような人懐っこい性格もいい。

 しかしそれよりも、あの小さな体で1000キロも2000キロも旅する健気さに、私は心を打たれる。蝶の羽に捕獲場所と年月日を書き込むマーキング調査で、台湾や香港にまで飛んでいたことが分かっているのだ。

 気取った言い方だが、われらの人生もまた旅である。しかも片道切符である。アサギマダラは寿命が4、5か月と言われ、旅の途中で寿命を全うするから、こちらも片道切符の旅人なのだ。わが人生を、アサギマダラの途方もない旅路と重ね合わせると、何がしかの感慨がある。

   15:38 | Comment:0 | Trackback:0 | Top
 
 

アオリイカ、そして鮎・・・2連戦の釣り

 女房が友達と旅行をするため、4日ほど留守にしている。この間、自分で毎日3食作らなければならないのが辛い。近くにスーパーでもあれば惣菜を買うことが出来るが、なにしろここは山の中。カップ麺で3日も4日も食いつなぐ訳にはいかない。

 それより困るのは、話し相手の女房がいないことだ。 この山中で暮らしているのは数人いるが、こちらから訪ねない限り、まずしゃべる事はない。せいぜい、新聞を配達してくれる郵便屋さんに「ご苦労さん」と声を掛ける程度だ。

 そんな訳で、家に一人いるのは退屈するので、暇つぶしに釣りへ行くことにした。天気予報では、ここ数日好天が続くとのことである。そろそろ少し大きくなったアオリイカが釣れるだろうと、10月10日、ボートを積んで由良湾に向かった。

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 昨年、秋のイカ釣りを始めたのは10月2日で、釣果は9杯だった。今年は鮎釣りが忙しく、スタートがだいぶ遅れた。それだけに何とか二桁は釣り、冷凍庫をにぎやかにしたいと意気込んだ。

 イカ釣りは、生きたアジの尻尾に針を打ち、泳がせながら食いつくのを待つ。リールから糸が出て食い付いたのが分かれば、ヤエンという掛け針を道糸に装着してイカに近付け、引っ掛けるという独特の釣法だ。それなりに熟練が必要だ。

 ボートを走らせ、半時間ほどで岩礁地帯のポイントに着いた。アンカーでボートを止めて驚いたのは、潮が澄み切っていて海底の岩の起伏がきれいに見えるのだ。これではイカの警戒心を強め、釣れるかどうか疑心暗鬼になった。

 しかし10分ほどするとリールから糸が出た。しばらくして引き寄せにかかったが、それほど引っ張っていないのにイカはアジを離した。その次も同じように、ヤエンを投入する前にアジを離してしまった。イカはかなり小さく、警戒心が強いのだろう。

 次はやっとヤエンに掛かった。小型のようだが、生意気にも引きは強い。さすがアオリイカだ。タモを差し出すと、墨を吐きなら何回も潜ろうとする。一度はまともに頭から墨をかぶった。とりあえず今夜の酒の肴をゲットした。

 2時間ほどで場所替わりした。このポイントもよく来る場所だ。ここも海水が澄んでおり、底が丸見えである。それでもぼちぼち当たりがあり、3杯釣れた。この時期、二桁釣りは珍しくないが、どうも調子が上がらなかった。小さなイカにアジの首根っこを何回もかじられ、生きアジがなくなったので正午前に帰港した。計4杯の釣果だった。

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 家に帰り、小さなイカ1杯を刺身にし、残りは冷凍保存にした。刺身は透き通っていて盛り皿の模様が透いて見えるほどだ。甘くて美味しかったが、一人で飲む酒はどこか侘しい。テレビの天気予報を見ていると、翌日の11日もいい天気のようだ。どうせ一人だから、鮎釣り行こうと思った。

 海へ川へ、2日連続の釣りはどうかと思うが、まだ行こうという気力があるのはいいことだ。近くの有田川に向かい、オトリを買うためなじみの店に立ち寄ると、オヤジさんは「客が多くて釣り荒れている」と、多くを期待するなという口ぶりだった。

 川を見渡すと、上流に2人、下流に3人の先客がいたが、その間のトロ場がぽっかり空いていた。先客に声をかけると「さっぱりや」という答えが返ってくる。

 しかし大きな石のあるトロ場でオトリを泳がすと、10分ほどでいい鮎が釣れた。オトリが石の頭をなめるように通り過ぎた時、後ろから鮎がオトリを追い、針に掛かった。その瞬間をしっかり見た。釣果を左右するのは、元気なオトリがうまく循環することだ。その後は中型の鮎が次々と掛かった。

 この日は小さな虫が飛び交い、うっとしい。これにさされると物凄く痒くなる。帽子で払いのけるがキリがなく、釣りをするのに嫌気がさし、少し早かったが午前11時過ぎに竿をたたんだ。釣果は予想以上の19匹。釣り始めてすぐにオトリを確保したのが好釣果につながったのだろう。

 もちろん晩酌の肴は鮎。20cmほどの良型3匹を塩焼きにした。焼くとよく分かるが、腹の付近がオレンジ色の婚姻色になっており、落ち鮎の季節である。焼いた鮎の尾をちぎり、背中をほぐして頭から背骨を引き抜く。丸かじりすると、クリーミーな味が口に広がった。腹に子がいっぱい詰まっているのだ。落ち鮎は格別の味わいだった。

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