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生石高原_森に暮らすひまじん日記
 
第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。
  ここ数日、小春日和が続いている。きょう土曜日も朝から暖かい。シャツの上にベストを羽織っただけで散歩に出た。近くの森を歩き、ススキの草原が広がる生石高原まで足を伸ばした。

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 森の紅葉は、例年に比べてそれほどでもない。台風18号が尾根伝いのこの森を駆け抜け、紅葉しかけた葉っぱをあらかた吹き飛ばしてしまったのだ。しかし、低木のクロモジはその影響を受けず、黄色の葉が美しい。ハゼの木やウルシの怪しげな赤色にはドキッとする。

 女房が趣味にしている草木染めもそうだが、自然しか醸し出せない色合いがある。「癒される」という言葉は手垢がついて好きではないが、森や草原の色の変化を見ていると、ついそんな言葉を使ってみたくなる。

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 森はミステリアスでもある。突然、大きな羽音がして、キジが飛び立つ。遠くから、「コンコンコン」という音がする。キツツキが木肌をほじくっているのだ。時に、シカのような鳴き声も聞こえてくる。草むらがガサッという音を立て、思わず後ずさりする。野鳥か、リスか、マムシか・・・。

 森のクマノミズキ、アカカシ、コナラ、アカメガシワ、リョウブ、山桜、エゴなどは分かるが、むしろ名前を知らない木の方が多い。名前を覚え、それがどのような花を咲かせ、実を付けるのか、材は何に使われているかなど知りたいと思う。

 私たちが暮らす生石山の中腹に、ミカンを栽培している初老の男性がいる。朴訥という言葉がぴったりの人柄で、飾らない風貌である。時々、山小屋の前を通りかかり、ミカンや野菜を置いていってくれる。

 実はこの人、植物に大変詳しいのだ。学者顔負けという人もいる。経歴を聞いたことはないが、多分、独学だと思う。何十年も山や野を歩き、コツコツと積み上げた知識なのだ。図鑑や専門書とは違う生きた植物学と言うべきだろう。

 いつか彼と一緒に山を歩いている時、草むらで大きなマムシを見つけ、捕まえ方を教わった。マムシを踏みつけておいて、蔓で輪っかを作って首を縛るのだ。もう一つは、木の枝を蔓で縛ってハサミのようにして挟み付けた。

 その一連の所作は驚くべき早さだ。後ずさりしながら妙技に見入った。私はしばしばマムシに出くわすが、真似をしようとは思わない。私はひたすら逃げるだけである。

 森を歩いていると、私も彼のように「森の実学」を身につけたいと思う。そうすれば、ますます森が楽しくなるだろう。「森だ、緑だ」と言ってありがたがってる訳ではないし、自然を理屈っぽく語るエコロジストでもないが、今はつくづく、森の中に住んでいて良かったと思っている。

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  ちょっと面白い話なので、紹介しよう。それぞれの説話の書き出しが「今ハ昔」で始まる「今昔物語」からの抜粋である。平安時代の書物に親しむような博学、博識ではないので、単なる受け売りに過ぎない。

 信濃の国司が任期を終えて京に帰る途中のことだった。場所は信濃と美濃の国境の峠で、国司の乗った馬が橋を踏み外し断崖絶壁の谷底へ真っ逆さまに落ちた。

 家来たちは国司が到底生きているとは思わなかった。ところが、谷底から「籠に縄をつけて下ろせ」という国司の叫び声が聞こえた。命令通り籠を下ろしたが、引き上げる籠が軽い。中を見ると、ヒラタケがいっぱい入っていた。

 再び籠を引き上げると、国司がヒラタケ3株を抱えながら上がってきた。国司が言うには、途中の大木に引っ掛かり命拾いしたが、その木にたくさんヒラタケが生えていたので、手が届く範囲で採ってきたという。まだたくさんあったので、「宝の山を前に、もったいないことをした」とため息をついたのだそうだ。

 京育ちの貴族は、任地に赴いて初めて食べたヒラタケが余程おいしかったのだろう。木にぶら下がりながら、命がけでヒラタケを採る光景はまことに滑稽だが、平安の昔からヒラタケの美味しさを物語る話だろう。

 前置きが長くなったが、わが山小屋で栽培しているヒラタケが出始めたのだ。大人げないが、少々興奮気味である。というのは、ホダ木に菌を植えてふた夏過ぎないと出てこないと言われるのに、1年目から出たので喜びもひとしおなのだ。多分、ホダ木を短く伐って埋め込んだのが良かったのだろう。

 顔を出したヒラタケはまだ500円玉くらいの大きさだ。黒っぽい灰色で、表面が光っている。食べられるまであとしばらくかかりそうだ。天麩羅にするか、炊き込みご飯の具にするか、鍋に入れるか・・・。ネットでレシピを調べてわくわくしている。

 山の仲間の所では一足早く収穫出来たらしい。どこで習ったのか知らないが、油で炒めたヒラタケの上にチーズとパン粉をふりかけてオーブンで焼いた。「いやー、うまかった」という同じ話を4回も5回も聞かされているので、まんざら嘘ではなかろう。

 市販されている「シメジ」はヒラタケで、おが屑で栽培されているらしい。野生のものとは味はもちろん大きさも歯ざわりも劣るだろうが、それでも原木栽培のヒラタケは市販のそれと比べて雲泥の差があると聞く。

 木枯らし第一号が吹いて、標高800メートル余りのわが山小屋にも薄っすらと雪が積もった。足早に秋が深まり、キノコが活性化する。ナメコは終わったが、存分に風味と舌ざわりを楽しませてくれた。シイタケはかなり大きくなっている。次はヒラタケである。「香り松茸、味シメジ」の言葉に心が躍る・・・。

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  4日連続となった野外の宴会も16人が参加して盛況だった。

 生石山の広場に常設しているドラム缶に丸太を放り込んで火を熾す。私が持ち込んだ大鍋は、ドラム缶にすっぽりはまり、ちょうどいい具合だ。30分もすると、鍋が煮立ってきた。

 女性たちが刻んだ白菜やシイタケ、菊菜、大根、ゴボウに、各自持ち寄った豚肉を入れる。勢いよく湯気が上がったところで大量の味噌を溶かせば出来上がりだ。

 誰かが特大のウイスキーの瓶を持ってきた。缶ビールもふんだんにある。食べては飲み、飲んでは食べてテンションが上がってくる。

 そこへ、学校の先生をしている独身女性2人が「仲間に入れて〜」と年に似合わない黄色い声を上げてやって来た。ここに工房を持っている彫刻家も「いつもすみません」と言って仲間入り。

 学校の先生がブリキ缶を一つ持ってきた。前々から燻製の仕方を教えてほしいと言われていたのだ。缶に穴を開けたり、切り取ったりしなければならないが、仲間の一人が自宅に持ち帰り、加工して帰ってきた。ゆで卵と蒲鉾を入れて、お試しのスモークをしてみた。上出来とはいかなかったが、まあそれなりに燻製の味と香りがする。

 鍋には締めくくりの即席ラーメンを入れた。いい出汁が出ているので、これがなかなか美味しいのだ。奥さんが不在の仲間の一人は、羽根を伸ばし過ぎて酔っ払い、ラーメンを半分こぼしブツブツ言っている。

 鍋は三分の一ほど残っており、夕方、雑炊をしようということになった。となると、宴会は5連続である。もうこうなったら乗りかかった舟だ。とことんやるで〜。

 あたりが薄暗くなったころ、再び集まりだした。ドラム缶を囲むように軽トラを止め、ヘッドライトをつけて明るくする。山小屋暮らしの私たちは、保存食として餅を冷凍しているが、まずはこの餅を鍋に入れる。

 十三夜の月明かりを楽しみながら、餅を食べ、卵を入れた雑炊を楽しむ。十数人がドラム缶を囲んで立ち食いする光景は、知らない人が見れば異様に思うだろう。山賊一家の集まりか、終戦後の闇市か、はたまた日比谷の派遣村か・・・。

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     ↓ 即席のスモークも・・・
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  きょう金曜日まで3日間、暖かい日が続いた。来週は冬型の気圧配置になり、寒くなるそうだ。標高の高い山間部には雪が降るとの予報だが、さて、ここ生石山は大丈夫だろうか。

 この好天に誘われて、水曜日は生石山に暮らす仲間たちが集まり、バーベキューをした。私のブログが縁で親しくなった大阪のSさん夫婦も加わるとのことだったので、肉を多めに用意した。

 正午、森の広場に次々と軽トラが乗りつけてくる。ドイツ人Pは午前中からドラム缶に火を熾し、薪がガンガン燃えていて暖かい。彼はそういう心遣いができる優しい男だ。

 玉ネギ、ジャガイモ、カボチャ、シイタケなどの具材はすべて自家製だ。肉は、オージービーフのステーキ肉。2枚で1000円もしない。みんなつましい生活をしているので、国産和牛など贅沢はしないし、オージービーフは脂が少ないので、体にもいい。

 他愛もない話をしながら、よく食べた。通りかかった顔見知りにも食べてもらう。しかし、Sさんは用事があって来られないというから肉がたくさん残った。誰かが「あしたもバーベキューだ」と言い、女房も「やろう、やろう」と調子のいいことを言っている。

 私は釣りに行く予定だし、2日連続の肉なんて勘弁してほしいというのが本音だ。「奥さんが参加するのだから、あんたはお好きなように」と、やや棘のある仲間の言葉に甘え、由良湾でボート釣りをした。アオリイカが3杯釣れたから、まずまずだった。

 女房の話だと、バーベキュー2日目も生石高原のレストハウスで働く女性たちが参加してにぎやかだったらしい。「明日は鍋をやろうよ」と、またまた誰かが言い出し、3日連続の野外パーティーと相成ったのである。

 この森に暮らす仲間は天気が良ければ、こうして集まることが少なくない。互いの仲間意識を高めるのに役立っていると思う。雨や雪が降ったりすると、誰とも話さない日が続くこともある。私は人里離れたこの静かな環境が好きなのだが、たまに集まるのは楽しいものだ。

 3日目はカワハギ、エビ、ホタテの鍋である。参加者は飛び入りを含めて11人。「野外で食べると何だってうまいなあ」とフーフー言いながら、ビール片手にこの日もよく食べた。私が釣ったアオリイカの刺身も好評だった。

 「寒くなったら、ちゃんこ鍋がいいなあ」と仲間の奥さんが言い出した。すると女房は「うちに大きな鍋があるわよ」と水を向ける。この鍋は廃業した料亭からもらったアルミ製の大鍋で、軽く50人前くらいの味噌汁が炊けるのだ。

 「話は決まった。明日はちゃんこ鍋や」と怪気炎を上げる酔っ払いたち。えーっ4日連続なんて、いくらなんでも・・・と思ったが、とても異議を差し挟む空気ではない。先の奥さんが「冷蔵庫の大掃除よ。何でも持って来てよ」と号令している。

 いやはや、とんだ事になった。大失業時代、格差社会、不況、新型インフルエンザ流行・・・厳しい世相をよそ目に、4日連続の白昼の宴会である。私の心はチクリと痛むのである。

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      ↓ 前日釣ったアオリイカの刺身は好評だった
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  刈り取られた田んぼのあちこちから煙が上がっている。その白い煙は、もみ殻を焼いて燻炭を作っているのだ。深まる秋を実感させる光景である。

 わが山小屋からも、連日、燻炭作りの煙が上がっている。女房が耕作する畑に使うので、かなりの量が必要なのだ。女房からの受け売りだが、燻炭は土を清浄し、保温や保湿、保水の効果もある。有機肥料と混ぜて使うと、野菜の根を丈夫にし、元気に育つから野菜作りに欠かせない。

 もみ殻は知り合いの農家からもらっている。先週と今週の2回に分け、軽トラに満載して運んだ。女房はそれでもまだ足りないという。燻炭を園芸店などで買うと、50リットルで700円ほどもするのだから、女房が欲張るのも無理はない。

 盛り上げたもみ殻の中央に窪みを作り、そこに落ち葉を置いて火を付ける。やがてかすかな煙が上がり始めるが、決して燃え上がったりはせず、次第に黒く燻されていく。50リットルほどのもみ殻が燻炭になるまでには丸1日かかるので、なかなか面倒な作業である。

 落ち葉集めも女房の日課だ。山小屋裏に囲いを作り、ここに生ゴミやヌカを混ぜて積み重ね、シートをかぶせて寝かせておく。これも有機栽培に欠かせない栄養たっぷりの肥料となるのだ。

 日本三大美人湯で知られる龍神温泉の旅館の支配人から聞いた話だが、秋になると落ち葉を拾う人が次々と来て、あたりの落ち葉がすっかりなくなると言うのだから驚きだ。有機栽培を目指す人たちが増えている証拠だろう。ここ生石山にも大型トラックで集めに来る人もいるが、まだまだ無尽蔵にあるので心配はない。

 私は女房に「畑の楽しみを奪ってはいけないから」と屁理屈をこね、農作業には手を出さない。ただ、落ち葉集めだけは結構な労力が必要なので、渋々手伝っている。新鮮で、美味しい野菜を食べさせてくれるので仕方なかろう。

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  今週はよい天気が続き、空気も乾燥している。山小屋に防腐剤を塗る絶好の日和だ。塗装は今年の宿題になっていたので、意を決して作業にとりかかった。

 山小屋は建てて16年になる。太い丸太を使った立派なログハウスではない。和歌山県の龍神森林組合が開発した間伐材の角ログの家である。見栄えはそれほど良くないが、さすが森林組合の建築だから、惜しみなく木が使われている。

 木の家は手入れ次第だ。定期的に防腐剤を塗っておけば、孫の代まで十分使える。私たちが暮らすこの森には放置に近い家が何軒かあり、壁に穴があいてムササビか何かの棲み家になっている家もある。分譲されて40年ほどになるので、家主の高齢化でこのような惨状を呈しているのだろう。もったいない話だ。

 高所恐怖症の私にとって、塗装作業は苦手である。腹をくくって臨んでいるのだが、梯子を3メートルほど登ると目まいがするのだ。「なぜもう一段登れないの?」と下から叫ぶ女房とよく喧嘩になる。

 幸い私たちの仲間に高所を怖がらないとび職のようなピーターがいる。すすんで作業を手伝ってくれたので3日がかりの作業は無事終わった。私が塗った面積はピーターの半分にも満たなかった。

 人は笑うが、高所の作業はストレスがたまる。明けて金曜日、ぼーっと1日を過ごすため釣りに行くことにした。山小屋から4、50分走った所に、滅多に人が来ない磯場がある。道路脇の階段を下りれば、すぐ釣り場である。

 狙いはアオリイカだ。生きたアジを泳がせ、ひたすら待つ釣りである。空には美しい飛行機雲が漂い、すがすがしい天気だ。待った甲斐があった。昼前、2回当たりがあり、イカ2杯を手にすることが出来た。

 浮き浮きして鼻歌でも歌いたい気分だった。そんな時、携帯電話が鳴った。女房からである。「今、ハカマさんご夫婦がおいでになっているのよ」。えーっ、あのハカマさんが・・・。

 ハカマさんとはブログ仲間である(リンクの煙樹ケ浜にアクセスしてみて下さい)。ご夫婦は長い砂浜が続く景勝地・煙樹ケ浜の近くに住んでおられるのだ。関西の自宅を売って、この地に田舎暮らしを実現された。滋賀の自宅を残したままにする私たちと比べて、移住への覚悟のほどが違う。

 ブログを拝見していると、ハカマさんは野菜の栽培、釣り、燻製作りなどを、奥さんは陶芸を楽しんでおられ、田舎暮らしを満喫しておられる様子。専門知識を生かした洋風のご自宅も立派である。

 同じく和歌山に移住した者同士で、親近感がある。ぜひお会いしたいと思っていたが、ハカマさんに先を越された。女房が電話を代わったので、「今すぐ帰ります。待っていて下さい」とお願いしたが、先の予定があるとのことだった。

 次は私たちが煙樹ケ浜をお邪魔する番だ。女房は「気取ったところがなく、すごく感じのいいご夫婦だった。あんたと違って真面目な方よ」と感激していた。ハカマさん、ありがとうございました。

   ↓ 塗装が終わって少しきれいになった
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   ↓ イカは3杯。ハカマさんへのお土産と思っていたが・・・
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  私は亭主関白である。いや、かつて亭主関白だったと言うべきだろう。

 現役で働いていたころは、女房をアゴでこき使っていた。「ご飯」「風呂」「酒や!」・・・。子育ても全面委任である。女房の家事が、私の給料の半分くらいに相当することは知識として知っていたが、家事の大変さを理解する寛容な心を持ち合わせていなかった。

 私の給料は毎月女房の手元に届き、一家が何不自由なく暮らしていけた。だから、「誰のお蔭で食っていけるのか」との思いが強く、亭主関白にさせていたのだと思う。

 しかし、現役を退いたその日から、私と女房の力関係は劇的に変化したのだ。女房は「対等で平等な関係」を求めたのである。これからお金を稼ぐことがなくなる私は気弱になり、卑屈になり、女房の要求を呑まざるを得なくなった。

 以来、少しずつではあるが、食事の用意を手伝ったり、食べた後の食器を流し台に運んだり、それなりに気を遣うようになった。しかし女房はもっと働かせようとする。「対等で平等の関係」とは何と煩わしいものか・・・。

 実は、女房への愚痴を言いたいのではない。ゲーツ米国防長官が来日したので、民主党が掲げる「対等で平等な日米関係」について一言申し上げようと思うのだ。そのために、恥ずかしながらわが女房との「対等で平等な関係」を例に上げたまでである。

 軍事力や経済力が他国に比べて劣っていても、いかなる国にも誇りはあり、いかなる国にたいしても対等である。国の大小にかかわらず、国連の場でも平等であることは言うまでもない。しかし、現実の世界で、国と国が対等で平等だとは誰も思っていないと思う。

 そのような理想を否定するつもりはないが、人類の英知を集めても対等と平等の世界を造り出せるとは思わない。だから私は「対等で平等」という言葉自体、空虚であり、胡散臭いと思っている。

 なるほど、日本は米国の「ポチ」という人もいるから対等の関係とは言えないのだろう。基地問題や条約を見ても平等ではないかもしれない。ただ私は日米関係の難しいことがよく分からないので、半端な知識で論じるのは控えたい。

 私が言いたいのは「言葉」の持つ「力」についてである。民主党はマニフェストに「対等で平等な日米関係」とあえて書き、政権についた後もそう言い続けている。まことに青っぽい言い方だと思う。言葉は独り歩きして、さまざまな憶測や疑念や軽蔑を招く怖さがある。外交の場において、「対等と平等」を言葉にした瞬間、見下されるし、外交の稚拙さを見破られるだろう。

 民主党は政権交代が現実となり、勢い余って前のめりになっているように見える。対米関係を改めようという民主党の思いはよく分かる。しかし、フーテンの寅さんじゃないが、「対等と平等」、それを言っちゃーおしまいよ。あくまでも胸に秘めおけばいいと思う。言葉は想像以上に恐ろしいということを肝に銘じるべきだと思うのだが・・・。

 ところで、女房が私に強要する「対等で平等」の関係改善は、ますます勢いを増している。鳩山さんが目をギロリとさせて「対等で平等」とのたまう度に、女房の顔が浮かび、心臓が縮むのだ。

 

  天気が安定しているので、月曜日、ボートを出すことにした。先週、大アジをたくさん釣り、いい思いをしたのが忘れられない。アオリイカも釣りたいという欲張りな計画だ。

 目覚まし時計を午前5時にセットしたつもりが、4時に鳴った。まだ老眼鏡のお世話にならずに済んでいるが、やはり見にくくなっているのだろうか。まあ、釣りは早朝が良いのですぐに出発、真っ暗の山道を下り由良湾に車を走らせた。

 漁港に到着すると、若者2人のゴムボートが出港していった。急いで準備し、まずは大アジのポイントへ。すぐにいい型のアジが4匹釣れたが、後が続かない。アオリイカを釣るには、20センチ以下の小アジを20匹ほど確保しなければばらないのに、まったく釣れないのだ。

 そう言えば、アミエビを買った餌店の店員が気になることを言っていた。「ハマチが物凄く回遊していて、アジが追われてどこかに消えた」。そうは言っても、イカを狙って1日を過ごすには、何としても釣らねばならない。

 あちこちうろうろしながら、わずかだが3匹の小アジを釣った。とりあえず、アオリイカを狙ってみることにしよう。最初のアジは速い潮に翻弄されて、泳ぐ力を失っている。お役御免である。

 2匹目のアジを付けて投げると、すぐにリールから物凄い勢いで糸が出て止まらない。多分、ハマチが食いついたのだろう。大きく合わせると、がっちり針に掛った。それからが大変だ。リールが逆転して悲鳴を上げている。巻き上げた分だけ、糸が引き出される。

 長い時間がかかり、やっと寄ってきた。チラッと魚影が見えた。でかい!ハマチに間違いない。玉網を手元に置き、最後のファイトに備えようとしたその瞬間、2号の糸が切れた。糸が細いので仕方ないだろう。それほど落胆はしなかった。

 問題は小アジが残り1匹だけになったことだ。このアジを泳がせ続けたが、イカは乗ってこない。このまま帰るか、それともアジを釣って再びイカを狙うか。迷った末、アジを探してボートを移動していると、ほんの数分間だけ、バタバタと釣れた。まことに幸運だった。

 すでに午後3時半だから、イカを狙う時間はわずかしか残されていない。入り江のような磯場にアンカーを入れた。半時間ほど経っただろうか、緩んでいた糸が張った。アジにイカが乗った予感がする。

 しばらくすると、糸がジリジリと少しずつ出て行く。イカの重みが竿先に寄りかかっており、こういう場合、大型が多いのだ。待つこと約3分。この緊張感がたまらない。少しずつ寄せ、ヤエンという掛け針をセットし、海中に下ろす。

 ヤエンがイカに到達するまでの時間は長い。竿に伝わる感触からかなり大きなイカだと確信する。ジェット噴射を繰り返すのをなだめながら、静かに、静かに寄せる。軽く合わせを入れると、一気に走られた。多分、掛っているだろう。

 それから一進一退のやり取りが続く。姿が見えると、墨を吐きながら一気に潜られる。その繰り返しだ。やっと浮かせて玉網ですくったが、錆びていた網の金具が折れてしまった。危ないところところだったが、無事、取り込んだ。

 この時期に釣れるイカは大きくて4、500グラムほどだが、目の前に横たわるイカは1キロはあるだろう。あの時、諦めて帰らずに良かった、良かった・・・。

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  肌寒い朝夕の気温で、深まる秋を感じる。しかし、木々の紅葉は例年に比べると少し様相が異なる。台風18号の強風で、紅葉しかけた葉っぱがあらかた吹き飛ばされて、残った葉はまだ緑のままである。

 ある一定の気温になるとキノコが活動を始めるのだが、油断をしていると、とんでもないことになる。1週間ほど前、久しぶりにナメコの原木を埋めている杉林に入ると、1本の原木からニョキニョキと出ているではないか。すでに開き切った傘の裏側が茶色に変色していて食べられない。

 それ以来、毎日見回るようにしている。きのうは食べごろのナメコを数十個収穫した。鮮やかな黄色で、ヌメリがピカピカ光っている。

 朝ご飯はナメコ汁、昼はうどんの上に載せた。夜は大根おろしにポンズでいただいた。大きいので食べ応えがあり、プリプリの食感が楽しい。

 ナメコには美白効果や骨粗しょう症を防ぐ成分が含まれているという。だから女房は大喜びだ。「ヌメリを顔に塗ったらすべすべになるかしら」などと本気になっている。

 これから10本の原木から次々と出てくる。とても私たち夫婦では食べきれない。それほど保存がきかないので、山暮らしの仲間におすそ分けすることになる。

 ナメコの次は、ヒラタケやクリタケが出てくるはずだ。最後はシイタケが大量に収穫できる。いずれも多くの原木があるので、売るほど採れるのだ。

 山小屋の近くにあある生石高原のレストハウスでは、色々な地元産品をかなり安く売っている。「1パック300円くらいで出してみるか」と冗談半分、本気半分で女房と話し合っている。獲らぬ狸の皮算用・・・。

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  私にとって50年ぶりの顔ぶれが多かった。昨日開かれた小学校の同級会である。「おー、ヨシオ」「お前、キヨシだよね」とすぐに思い出す人もいた反面、どうしても思い浮かばない人もいた。

 逆に私に対しては、多くの女性から「あんた誰?」と言われる始末である。故郷を離れて久しいということもあるが、かつてのかわいいお坊ちゃまの変貌ぶりが余りにも激しかったのだろう。これまでの人生の軌跡が顔かたち、風貌を激変させたのか・・・。

 同級会の会場は、琵琶湖最北端に位置する余呉湖畔の国民宿舎である。周囲4キロ余りの小さなこの湖は、秀吉と柴田勝家が戦った古戦場だ。羽衣伝説や菅原道真にまつわる言い伝えなどが残る伝説の湖でもある。

 北陸線余呉駅から国民宿舎まで3キロちょっとの距離だ。爽やかな秋晴れの中、会場まで歩こうと思った。田んぼの畦道を歩いたり、湖畔の細い道を辿ったり。「ふるさとの山は遠きにありて思ふもの・・・」。白秋の一節を口ずさみながら・・・。

 小さな桟橋に古老がいて、しばらく話し込んだ。「さっぱり魚が獲れなくなってねえ。水が悪いんだよ。民宿にはたくさんの客が来たが、今は車できて、帰ってしまうよ」。

 その古老が手にするバケツにブルーギルやブラックバスの外来魚が半分ほど入っていた。漁協が買い取ってくれるのだというが、いくらにもならない量である。わずかな小遣いだろうが、何回かためれば孫におもちゃの一つも買ってやれるのだろう。

 なるほど、湖面にはおびただしいアオコが浮いていた。子供の頃は底まで見えたのに、今は水が死んでいる。湖の中央に酸素を送る装置があるが、電気代がかさむので止めてあるという。地方は疲弊しているのだ。

 金木犀の甘い香りが漂う集落を過ぎると、深い森になった。秀吉軍の伏兵が潜んだ神社、血の槍を洗った湧き水の池など伝説の場所で足を止めながら歩いた。55分で国民宿舎に着いた。

 同級会の幹事で地方議員をしている旧友が出迎えてくれた。彼から意外な言葉が飛び出した。「12月からここは市になるんだよ」。国が進める平成の大合併である。村が町になり、そして今度は大きな市に吸収される。何と言うことだ。

 地名には歴史の重みがあり、風土を今に伝えている。文化そのものなのだ。財政、行政の効率化というだけで、地名を消し去っていいのか。二つの町の名前を足して二で割ったような地名が乱立しているし、アルプスなどという珍奇な市名も出現している。

 廃藩置県を経て近代化への歩みを始めたわが国だが、今回の合併には「国のあり方」という観点が欠けているし、大義もないと思う。大合併で市町村の数が半分になったとも言われる。地名の響きから伝わる「日本の風土」。なにか、殺伐とした風景を見る思いがする。

 故郷を飛び出し、縁もゆかりもない和歌山の山奥に暮らす私に、古里の合併に異を唱える資格はないかもしれないが・・・。