森に暮らすひまじん日記

第二の人生を歩む私たち夫婦は、和歌山の生石高原に近い森の中で暮らしています。豊かな自然の恵みにあずかりながら、有機栽培で野菜を育てたり、近くの渓流や海で魚を釣ったりする気ままな日々です。そんな暮らしぶりを綴っています。 
 

シイタケ収穫は空振り・・・

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 年末に伐採したコナラの原木に、シイタケ菌を打ちに生石高原の山小屋へ行ったのはほぼ1週間前だ。その時、裏の杉林に立てかけているシイタケのホダ木を見て回ると、親指の先ほどのシイタケの゛芽゛がいくつも出ていた。

 過去に苦い経験がある。こんな小さな゛芽゛だから、当分大きくならないだろうと高をくくり、10日ほど経って山小屋へ行くとみんな傘が開いていたのだ。

 だから今回は早めに様子を見に行った。すると親指の先ほどの大きさは、ほとんど変わらないままだった。遠路4時間もかけて行ったのに、がっかりした。

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 シイタケだけでなく、キノコは気温や雨の影響を受けやすいと思う。ここしばらく、雨はまったく降らず、気温もそれほど高い日は少なかったので、゛芽゛は大きくならなかったのだ。

 キノコ栽培は、つくづく難しいと思う。秋に4、5日でも留守にすると、ナメコやヒラタケはとんでもなく大きくなっていることがある。シイタケも、こちらの都合に合わせて大きくはなってくれない。

 シイタケが空振りに終わったので、山菜の様子を見て回った。フキノトウはすでに開いていて、毎年作っているフキ味噌は断念するしかなかった。山ウドの根元には籾殻を盛っているが、4月中旬には籾殻の中から白いウドを掘り出せるだろう。

 タラの芽はまだまだ硬い。コシアブラは何となく色付いているようにも見えるが、食べられるのは2、3週間先だろう。東京ではサクラが開花したそうだが、ここ生石高原で春を感じられるのは2、3週間先だろう。

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神戸散策・・・ギリシャ展、南京町、港へ

 「古代ギリシャ展」が神戸市立博物館で開かれている。NHKが後援しているので、大々的にテレビでPRしている。「すべての始まり。神話の国ギリシャ」というのがキャッチフレーズだが、このように連日宣伝されると、つい、乗り遅れちゃいかんと思うようになる。

 駅近くの自販機で通常料金より安い「昼とくキップ」を買い、大津から新快速で神戸の三宮に向かった。往復で2000円ほどだが、ちょっと外出しても交通費に結構お金がかかり、年金生活者にはきつい。

 昼前に着いたので、昼食を食べようと南京町を歩いた。春休みのためか、若者でひしめき合っていた。言葉を聞いていると、中国や香港の若者も多く、日本に来てまで中華料理でもなかろうに思った。

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 有名な豚まんの店の前は長蛇になっていた。おそらく1時間ほども待たされるのだろう。色んな店を覗いてみたが、3品、4品のセット料理を出す店が多く、安くて量が多いだけでは食指が動かない。中華は食べる気にならず、近くの鯖の専門店であんかけ料理を食べた。1000円。

 この後、ポートタワーを見上げながら神戸港を歩いた。先日、テレビでクイーンエリザベス号が入港したと報じていたので、ひょっとしたらでっかい船が見られるかもと期待したが、すでに出航していた。その代わり、大型クルーズ船「にっぽん丸」が着岸していた。海を見ていたら、和歌山の暮らしが恋しくなった。

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 次に向かうのは本命のギリシャ展だ。港から高級ブティックが並ぶ街路を歩いたが、有名ブランドにはまったく関心がない。唯一目を引いたのは、スーパーカー・ランボルギーニの展示場だ。車体の美しさはともかく、何千万もするこの車にはどんな人物が乗るのか、その顔を見てみたいと思った。

 神戸市立博物館には多くの人が訪れていた。嫌味を言えば、印象派絵画というだけで人が集まるように、ギリシャを前面に押し出し、「特別展」と銘打ってとどめを刺しているので、集客効果は抜群ということだろう。そういう私もそんな一人であるが・・・。

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 ギリシャといえば、パルテノン神殿と古代オリンピックくらいしか知らないが、その神殿の壁面にはめ込まれていた彫刻が展示されており、最初に目に入った。結構大きなもので、それを見ただけで神殿がどれほどのものか想像がつき、ギリシャへ行った気分にもなった。

 純白の大理石の彫像は美しかった。アレクサンドロス王、腰をひねった女性像、筋骨たくましい男性像・・・。紀元前のものなのに、今しがた作られたような輝きがあった。両手に魚をぶら下げたフレスコ画は紀元前17世紀のもので、今回の目玉の一つらしい。黄金の装飾品や金貨も見ごたえがあった。

 最後の展示室には、紀元前数百年のオリンピックにまつわる品々が展示されていた。ガラスケースに収められた大きな壷には、筋骨たくましいオリンピックの競技者が生々しく描かれている。アテネ周辺のアッティカ地方で作られたこの絵壷に、私の目がしばし貼り付いた。

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 実は、この時代の絵壷には浅からぬ縁がある。私が40歳のころ、ある人の紹介で男性の画商と知り合った。画商は日本人だが、ヨーロッパを拠点に現代絵画を中心に手広く取り引きをし、そのかたわら、アッティカの絵壷も収集していた。

 渋谷の松濤にある自宅に招かれるほど親しくなり、ある時、彼はこんな話をした。「ギリシャをテーマにした展覧会に絵壷が何点か展示されているが、そのうちの1点がどうも偽物臭い。この分野の女性専門家がドイツに住んでおり、彼女に写真を送って鑑定してもらっている。こんな話は興味はないか?」

 このギリシャの壷は、れっきとした公立美術館に展示されていた。彼によると、ギリシャには偽物を作る工房がいくつもあり、専門家も騙されるという話だった。テレビの「なんでも鑑定団」ではないが、美術品や骨董は魑魅魍魎が渦巻く世界だ。私も少し勉強したので、ギリシャの壷にはそこそこ詳しくなった。

 結局、この話は大きなスキャンダルになることなく、真贋は灰色の世界に埋もれてしまった。今回の絵壷との対面は、私を懐かしい時代に引き戻してくれた。自宅に帰り、女房にギリシャ展の話をすると、女房はすかさず「ギリシャに行くなんて言わないで」とクギを刺された・・・。

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久しぶりに山小屋へ・・・キノコの菌を打つ

 重い腰を上げ、和歌山の山小屋に向かった。広葉樹の原木にキノコの菌を打ち込むためだ。例年2月下旬ごろ、この作業をしていたが、寒さの中で作業をするのが嫌でたまらず、先へ延ばしていた。

 この日は、和歌山の気温が久しぶりに12度を超えるとの天気予報。この機会を逃せばまた怠け心が頭をもたげ、作業はずっと先になりかねない。菌打ちのアシスタント嬢(女房)を軽トラの助手席に乗せ、京奈和道路(無料)を走った。

 天気は良かったが、道路に設置されている気温計は5度。予報に裏切られた。紀ノ川沿いに広がる桃の果樹園では、作業をする人の姿はほとんど見当たらず、桃のつぼみも色付いていない。ただ、ビニールハウスの中にはピンクの花が咲き乱れ、摘果作業が行われていた。

 山小屋のある生石高原を見上げながら、坂を上った。木々の新芽はまだ小さく、山は寒々としている。久しぶりの山小屋には異常はなかったが、階段の日陰には薄く雪があった。玄関先の温度計は1度で、バケツには氷が張っていた。兎にも角にも、薪を積み上げ焚き火をした。

 この別荘地では、昨年から道沿いの樹木の伐採が行われており、昨年末、キノコの原木になる山桜やカエデ、コナラなどの広葉樹を集め、長さ約90センチに切り揃えた。ナメコ、ヒラタケ、ムキダケの3種類は生木に菌を植えるので、12月中に作業を終えていた。

 今回は、3か月ほど乾燥させたコナラの原木にシイタケ菌を打つ。直径が10センチ前後の原木は計35本。用意した菌は1000個だから、その数だけドリルで穴を開け、トントンと木槌で菌の駒を打ち込むのだ。この日の内に作業を終えなければならないので、のんびりしてはいられない。

 私が専用のドリルで穴を開けると、女房が駒を打ち込むという夫唱婦随の作業だ。夫唱婦随とは、夫が何か言えば妻がそれに従うという意味だが、わが女房は文句タラタラ、偉そうなことも言う。

 自分でこしらえた専用の台に原木を乗せ、木を足で抑えて穴を開ける。最初のうちは良かったが、10本を超えたあたりから腰が辛くなってきた。原木がずっしりと重い上に、中腰での作業だから腰に負担がかかる。

 1本穴を開けたら、休憩しなければならないほど腰が痛い。穴開けを女房に代わってもらったが、そこは経験の違い。斜めに穴を開けたり、ドリルが食い込んで抜けなくなったりで、これではアシスタントにならない。

  それでも女房が駒を打ってくれるだけで時間が短縮でき、午後3時ごろには作業を終えた。 梅雨の頃、裏の杉林に原木を立てかけ、2年後の秋にはドンコの立派なシイタケが収穫できるはずだ。

 来たついでに山菜の生育状況を見て回った。4月の10日過ぎにならないと食べられないのは分かっているが、やはり気になる。敷地のタラの芽、コシアブラ、山ウドなどはそれらしき気配がなかった。それはいいとして、留守にしている間に玄関すぐ脇の草むらがあちこち掘り返されていたのだ。イノシシめ・・・。

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山小屋へ帰るのか、行くのか・・・女房と私の温度差

 地中の虫が蠢き始め、春が近づいてきた。冬の間だけ大津の自宅で過ごしていたが、そろそろ和歌山の山小屋へ移動する時期を決めなければならない。例えば郵便物の転居届けは1週間ほど前に出しておかなければ、ちゃんと山小屋に配達してくれないのだ。

 つい先日、女房に「和歌山へいつごろ帰ろうか」と話しかけた。すると女房は「帰ろうではなく、和歌山へ行くでしょう」と語気を強めた。何もそんなにむきにならなくてもよいと思うのだが、女房に心境の変化が起き始めているのだと感じた。

 つまり、和歌山に「帰る」と「行く」では、和歌山と大津のどちらに生活の軸足を置くかという問題なのだ。私は言うまでもなく、和歌山が生活の拠点だと思っている。野鳥と遊び、山菜を採り、魚を釣る。自然の移ろいに身を任せ、日々を過ごしたいと願っているのだ。

 もちろん女房も、山の生活を楽しもうという思いは同じである。畑を耕して野菜を育てるなど山の生活の楽しみ方は、お互いが共有している。ただその強弱、温度差、濃淡は微妙である。

 標高800mの山の生活は、それなりに大変である。買い物に行くには1時間以上かかるし、病院はもっと遠い。いつまでこの暮らしを続けられるか、不安がない訳ではない。いずれ大津に軸足を置く日が来るだろうが、なるだけ長く山小屋に居たいと思っている。

 しかし女房は、将来を見越して準備を始めたのだ。2階の部屋と部屋の壁をぶち抜き、10畳ほどの部屋にリニューアルし、自分の城にしようという魂胆である。早速、知り合いの大工さんに電話し、あれよあれよと工事が始まったのだ。

 壁紙も張り替え、見違えるようにきれいになった。趣味の機織機やソファを運び込み、小さな絨毯も敷いた。物置に入れていた額入りの絵を壁に掛け、自分の布団もここに移動させた。「私の城よ」と自己主張しているようで、夫婦の仲なのに思わずノックして入室してしまった。

 このように生活の拠点作りを進める女房にとって、和歌山は「帰る」場所ではなく、あくまでも行くという位置づけなのだ。改装したこの部屋は、女房の趣味を楽しむ「城」であり、あえて言えば、私の死後をも見据えている可能性が強い。何か恐ろしい・・・。
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琵琶湖畔を歩く・・・遠くに白い伊吹山

 琵琶湖畔を歩いた。天気は良かったが、湖面から吹いてくる風は冷たく、春はまだまだ先のように感じられた。

 和歌山の山小屋から冬の間だけ大津で暮らしているが、その間は二日か三日に一度くらい湖畔の遊歩道を歩いている。遊覧船が出る浜大津港から大津プリンスホテルまで往復1時間ほどの散策である。あたりの景色を見ながらぼんやり歩くのが好きだ。

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 プリンスホテルに向かって歩いていると、琵琶湖東岸のずっと奥に伊吹山が見えた。普段は靄(もや)がかかっていてなかなか見えないが、こんな日は珍しい。伊吹山は私の故郷の山である。標高は1377m。さほど高い山ではないが、どっしりとした存在感のある山容だ。日本百名山の一つに数えられている。

 作家の司馬遼太郎は、四十数巻に及ぶベストセラー「街道を行く」の旅を近江から始めている。「どうにも近江が好きである」と書くほどのファンである。近江を代表する伊吹山については、「塗料を塗ったような」とも表現している。なるほど、雪の伊吹山はその通りに見える。

 近江ファンでは人後に落ちない随筆家白洲正子さんは著書「近江山河抄」の冒頭で、「岐阜を過ぎてほどなく汽車は山の中に入る。やがて関ヶ原のあたりで、右手の方に伊吹山が姿を現わすと、私の胸はおどった」と記している。今日はその伊吹山がきれいに見え、私の心も躍った。その対岸には、雪を頂いた比良の山並みが横たわっていた。

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       ↓ 比良の山並み
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 湖畔を歩いていて、近年ある異変を感じている。琵琶湖に飛来する渡り鳥といえばカモ類が圧倒的に多く、何百羽が群れていることも少なくないが、いつの頃からか随分少なくなったという印象が強い。

 その代わり、真っ黒の羽に白いくちばしの鳥が幅を利かせているのだ。忍者が白いマスクを付けているような姿で、どこか不気味ないでたちである。気になったので調べてみると、中国あたりから飛来するツルの仲間で、「オオバン」という名前だそうだ。

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 日本野鳥の会の調査によると、琵琶湖では42種約19万8400羽の野鳥が確認され、そのうちオオバンは過去最多の約8万5千羽に上ったという。何と、野鳥の4割以上を占めるという。2013年ごろから越冬のため琵琶湖全域に姿を現すようになったが、なぜ大幅に増えたかは不明という。

 やはり私の印象は間違ってはいなかったのだ。オオバンは琵琶湖の風景を一変させたと言っても過言でない。色とりどりのカモ類を蹴散らし、忍者のような黒ずくめのオオバンがわがもの顔で泳いでいる。オオバンに罪はないが、少し横柄に見える。

 遊歩道を歩き、大津プリンスの手前まで来た。この当たりにはいくつもシバザクラの花壇が作られており、目を凝らすと、1輪、2輪、ピンクの花が咲いていた。春の気配が少しだけ感じられる散歩だった・・・。

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人は理想を失う時に老いる・・・幻の詩人ウルマン

 エジプト旅行のことをブログに書いたところ、高校時代の友人からメールが届いた。彼は大手商社に就職し、最初の海外出張がエジプトのカイロだったという。懐かしくブログを読ませてもらったと記されていた。

 メールによると、当時のエジプトはアメリカと断交中で、会社の先輩はソ連圏への出張を嫌がり、新人の自分にお鉢が回ってきた。縫製工場を立ち上げるのが仕事だが、イスラエルとエジプトなどアラブ諸国による第4次中東戦争(1973年)が勃発し、逃げ帰ったという。

 当時のエジプトは治安が悪く、食べ物も貧しかった。ご馳走と言えば、ナイル川で捕れたナマズか鳩の肉だったらしい。ピラミッドがあるギザの大通りにテントのキャバレーがあり、ナマズを食べながらベリーダンスで盛り上がったと書かれていた。あの頃、このような商社マンが世界で活躍し、高度成長の一翼を担っていた。

 メールには「あんたたち夫婦、ペルーのマチュピチュに行ったと思ったら、次はエジプト。その好奇心と行動力に脱帽だ」とも書かれていた。そして、私たちの行動を見ていると、サミュエル・ウルマンの詩「青春」を彷彿させたとも記してあった。何かこそばゆい思いがした。

 私は、そのサミュエル・ウルマンという詩人を知らなかった。友人からメールが届いて1週間ほど経った頃、私が購読している全国紙の日曜版の1面に、そのサミュエル・ウルマンの記事が掲載されており、彼のことを詳しく知ることになった。

 記事によると、ウルマン(1840~1924)は、米アラバマ州で教育や人道の活動をしていた。「青春」という詩は78歳の頃書かれたが、米国でも知る人の少ない幻の詩人と言われた。戦後、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、日比谷のビルの自室に「青春」の一節を貼り、座右の銘としていたらしい。

 詩を読んでみたが、これがまた実にいい。「若さ」と「老い」を対句にしながら語りかけるのだ。老い行く人々を励ます応援歌であり、つい引き込まれ、そうだ、そうだと何度も膝を打ってしまった。解説じみたことを書くより、以下、読んでいただきたい。声に出して読むと、一層いい感じだ。

    年を重ねただけで人は老いない
    理想を失う時に初めて老いがくる

    青春とは人生のある期間をいうのではなく
    心の様相をいうのだ

    歳月は皮膚のしわを増すが
    情熱を失う時に精神はしぼむ

    人は信念とともに若く
    疑惑とともに老ゆる

    人は自信とともに若く
    恐怖とともに老ゆる

    希望ある限り若く
    失望とともに老い朽ちる
   08:03 | Comment:4 | Trackback:0 | Top
 
 

「私を見つけてくれて有難う」・・・アニメ・この世界の片隅に

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  アニメ映画「この世界の片隅に」を観に行った。アニメを劇場で観るのは初めてだ。正直言って、アニメは漫画本の延長みたいに思っていたので、余り関心がなかった。しかしそれはとんでもない認識不足だった。アニメにしか出せない味わいがあり、すごく面白かった。

 この作品は、「キネマ旬報」で日本映画作品賞に選ばれ、片渕須直監督はアニメ作品では史上初となる映画監督賞も受賞した。これは後から知ったことで、私は主役「すず」の声を演じた「のん」(能年玲奈)さんの大ファンであり、彼女を応援する気持ちで劇場に足を運んだのだ。

 彼女が主演したNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」は、毎朝欠かさず観ていた。後日の再放送をすべて録画し、そのDVDは私のちょっとした宝物である。女房がいない時、こっそり観たりしている。何が原因か知らないが、「のん」さんは芸能界から冷遇されている。稀にみる豊かな才能を摘んでしまう芸能界に義憤を感じているのだ。

 片渕須直監督は、何かのインタビューで「主人公すずの声を演じるのは、のんさん以外に考えられなかった」と語っていた。私ものんさんの才能に改めて驚嘆した。スクリーンに映し出される絵も素晴らしかったが、この映画に魂を吹き込んだのは、間違いなくのんさんだった。

 映画は、広島市内で屈託なく暮らす浦野すずの幼少期から始まる。絵を描くのが得意で、友だちに瀬戸内海の白波をウサギのように描いて見せた。やがて軍港に近い呉に嫁いだ。夫は鎮守府の書記官で、思いやりのある優しい人だったが、小姑のお小言に耐えなければならなかった。

 やがて呉も戦争に巻き込まれて行く。戦況の悪化で配給が乏しくなり、野辺で野草を摘んだり、4匹のめざしを分け合ったりしながら、不器用ながらもささやかな暮らしを懸命に守っていく。しかし昭和20年6月の空襲で時限爆弾が爆発し、一緒にいた姪の少女が死亡し、自らも右手を失った。

 8月6日には広島に原爆が投下され、15日に天皇陛下の玉音放送によって終戦となった。ラジオ放送を聞いたすずは外に飛び出して号泣した。翌年、夫ともに広島を訪ねたすずは、廃墟の中で夫に「この世界の片隅で自分を見つけてくれて有難う」と語りかけた。そして、この世界の片隅で出会った戦災孤児の少女を連れて呉に帰った。

 この映画は、戦争に翻弄される家族を描いているが、グリグリと反戦を押し付けるような映画ではない。主人公のすずは、どこかぼんやりとした性格で、少女をそのまま大きくしたような人物だ。すずは、戦争を鼓舞するような当時の風潮に疑問を持つこともなく、ちっちゃな体でその苦難の時代を受け入れていた。

 のんさんのほんわかとした独特の語りによって、すずを血の通う生身の人間として生き返らせた。これはもう見事である。もちろん絵も素晴らしかった。中でも、冒頭の絵のように、食事の足しにと野草を摘むシーンは健気さが溢れていて印象的だった。市井のどこにでもいる普通の人間を、けれんみなく描いた良い作品だった。
   16:30 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 

日米首脳会談・・・国益か対米追従か

 安倍首相とトランプ米大統領の首脳会談が終わり、その後二人はフロリダに移動し、ゴルフをしながら交流を深めたようだ。それに合わせるかのように北朝鮮がミサイルを発射し、冷水を浴びせた。

 日本共産党の志位委員長は首脳会談についてさっそく「トランプ大統領への追従が際立つ」と批判した。さらに今回の会談は「海外で戦争をする国を作ろうと約束したことにほかならない」ともこき下ろした。

 対米追従を唱えるのは志位委員長だけでなく、民進党や社民党など野党も「トランプべったり」と批判した。日本としての主体性がなく、米国の意向を重視する外交姿勢だと言うのだが、右翼団体も同じような主張をしていることを思うと、少し笑えた。

 東西の冷戦が終わり30年ほどになるが、従来の親分子分の関係もまた崩壊した。国益も安全保障も複雑化し、どの国を相手にしても一筋縄でいかない時代になった。日本は「アメリカのポチだ」という自虐的な批判は、一面的で時代遅れだろう。

 対米追従への非難とは別に、日本の「抱き付き戦術」を批判する人もいる。変な例えだが、誰かと喧嘩する時、相手に抱き付いてしまえば身動きできず、殴られることもない。外交でも同じように、相手国の懐に飛び込んでしがみ付くと、相手はなかなか反撃しにくくなる。

 昨年12月、安倍首相が世界の首脳に先駆けてトランプタワーを訪問したことを、野党は「アメリカに抱き付き、みっともない」と批判した。政権側は意に介さず、金のドライバーまでプレゼントした。そして愛娘のイバンカさんからも褒められた。

 抱き付き戦術は確かに成功したかに見える。トランプさんは尖閣諸島の防衛に協力すると明言し、自動車の輸出、為替操作などの懸案も余り口にしなかった。日本側は胸をなで下ろし、ゴルフまで付いた首脳会談は100点満点と胸を張った。

 ところがどうした訳か、逆にアメリカが日本に抱き付いたのだ。

 トランプさんは大統領選中、在日米軍の駐留経費について日本側の負担を増やせとまくし立て、応じなければ米軍は撤退するとまで言っていた。しかし今回、「この機会に言っておきたいが、日本の国民が米軍駐留を受け入れてくれていることに感謝する」と語りかけたのだ。

 唐突の感謝に日本側は「ウソだろう」と思ったかもしれない。確かに日本負担の駐留経費は75%ほどで、ドイツや韓国などに比べてダントツに高いけれど、この手のひらを返すような発言は何だろう。そう言わせた安倍さんも偉いが、アメリカ側の抱き付き戦術にも魂胆があるかもしれない。

 西洋人は思ったことをズケズケと言い、自己主張も強い。今回の入国禁止措置についてイギリスやフランス、ドイツなどは遠慮せずに批判をしている。日本は難民をほとんど受け入れていないので偉そうなことは言えず、無言を貫くしかないし、首脳会談でも発言を控えた。

 日本は、他を批判したり非難したりするより、褒めるのが伝統的に得意なのだ。仮に抱き付き戦術が失敗した場合は、「褒めて褒めて喜ばせる」戦法がある。褒め殺しは右翼の戦術で逆効果だが、褒めて喜ばせるのだから罪はない。トランプさんには案外この戦法は効くかもしれない。

 とにもかくにも、日米首脳会談は平穏に終わった。うまく行き過ぎたので、これからを心配する声もある。トランプさんは平気で手のひらを返す人でもある。「一つの中国」問題では台湾の肩を持ったが、先日には一転して中国の習近平に微笑んで見せた。

 さて、これからの日米関係はどのように展開していくのだろう。フロリダ招待の費用はトランプさん持ちだそうだが、「ただより怖いものはない」という言葉もあるのだが・・・。


   14:08 | Comment:2 | Trackback:0 | Top
 
 

五輪ゴルフ問題・・・小池知事の発言に???

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      ↑ 洞川温泉の結界門

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      ↑ 吉野山から山上ケ岳への途中にも結界が

 山岳信仰の大峰山系(奈良県)を代表する 山上ヶ岳。その頂上には大峯寺があり、一帯の山とともに平安時代以来、厳しく女人禁制が守られている。天川村洞川(どろがわ)温泉の登山口や千本桜の吉野山の登山道にも「女人結界」の石碑が建てられ、女性の立ち入りを禁じている。

 女性差別だと言う人もいるにはいるが、これまで大きな問題になったことはない。平安時代の昔から女人禁制と決まっているので、しようがないとみな思っている。修行の山で男と女が一緒にいるとろくな事がないから、女人禁制という伝統には一理も二理もある。

 いや、女人結界のことを書きたいのではなく、2020年の東京五輪から正式競技になったゴルフの問題だ。会場は、埼玉県の名門ゴルフ場・霞ヶ関CCで、ここは女性の正式会員を認めていない。とは言っても、会員同伴であればプレーができるから、全面的に女性を排除している訳ではない。

 そこで東京都の小池百合子知事は「女性が正会員になれないことには違和感を覚える。ぜひ一考していただきたい。逆に言えば(女性の正会員を認める)いいチャンスではないか」と発言した。私に言わせれば、小池知事のご親切な進言は、余計なお節介である。

 霞ヶ関CCでの開催については、会場決定のプロセスが不透明であるとか、真夏に埼玉県の内陸部でゴルフをやるのは選手にとって酷ではないかという意見はもっともである。そして、霞ヶ関CCでの開催が五輪憲章に照らしておかしいのであれば、他の会場で実施すればいいだけの話だ。

 しかし会員でもない小池知事が、クラブ運営についてしゃしゃり出るのは越権行為だと思う。そもそも、会員制クラブは会員の自治や総意が尊重されるのだ。もちろん、霞ヶ関CCの理事会で女性会員を認めることになり、その結果として五輪会場に決まればそれはそれでいいと思う。

 自身のことを書いて恐縮だが、私はかつてシングルとしてプレーし、ゴルフ場の委員に推挙されて運営に携わったことがあった。その経験から言えば、どこもクラブの自主自尊は強い。ゴルフ場の規律や品位を守るため、来場時はブレザーを着用すること、入れ墨を入れている人の来場を拒否することなど、エチケットにいたるまでこまごまと定め、より良い環境作りに努力している。

 ゴルフ場には伝統を重んじる気風が強く、霞ヶ関が女性会員を認めないのもその表れだろう。聖地と呼ばれる英国セントアンドリュースは2015年に7人の女性会員を認めるまで女人禁制だった。米国男子ツアー・マスターズが開催されるオーガスタGCでも2012年に女性2人を正会員にしただけだ。

 世界の潮流は女性にも門戸を開こうというもので、歓迎すべきだと思う。しかし、小池発言のように外圧で改めるのではなく、本来、会員の総意で決められるべきものだ。どうも小池さんという人は、時々見当違いのことをおっしゃる。女性の社会進出や活躍を後押しするのはいいが、ゴルフ場の運営にまで口出しするのは、言葉が走り過ぎた感じがする。

 生前の社会党首土井たかこさんの口癖だった「駄目なものは駄目」、会津の「ならぬものはなりませぬ」というのも、ある意味で一つの見識であり、この世には理屈が通じない場合だってある。まさか大峯寺に「そろそろ女人禁制を解いてはいかが」とは言えまいし、女性が無理やり大相撲の土俵に上がることも出来はしない・・・。
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エジプト・・・ピラミッドは想像を絶した

 エジプト旅行記の最終章は念願だったピラミッドの見学で締めくくりたいが、その前に余り愉快ではない話から始めたいと思う。

 砂漠の中にそびえるギザのピラミッド群を見上げながら、ぶらぶら歩いていた。石をまたいで通路に戻ろうとすると、首から身分証明書のようなものをぶら下げた肥満男が近づいてきて、「そこを歩いてはいけない」と身振り、手振りで先に進むよう促した。

 ここのスタッフと思い、仕方なく前に進むと、男はまた近寄ってきて自分を指差して「ナゴヤ、ナゴヤ」と言った。どうやら、名古屋に行ったことがあると言いたかったようで、盛んに握手を求めた。余りにしつこいので、男を不審に思うようになった。

 すると今度は別の男がやって来て、私からカメラを取り上げると肥満男とのツーショット写真を撮った。私は男から無理やりカメラを取り上げ、ツアーの仲間がいる場所に戻ろうとしたが、「チップ、チップ」と言って執拗についてきた。

 私は相手にせず、ツアー仲間の所に戻った。ここには現地ガイドや添乗員もいたので、男たちは諦めて姿を消した。実は、われらにはツアーポリスが同行していたが、その時は姿が見えなかった。ポリスは政府が派遣した私服の警察官だ。
    
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   ↑ 周囲に目を光らる私服のツアーポリスだが・・・
 
 別の場所では、同じツアーの年配の女性がアラブ人からこれまた「チップ」を取られそうになっていた。男は頼まれもしないのに砂漠の砂をすくってきて押し付け、チップを執拗に要求したのだ。気丈な女性は撃退したので良かった。

 ガイドの話によると、ラクダを引く男たちが一番悪質らしい。10ドルほどでラクダに乗せるが、砂漠の遠くまで行き、帰るならもっと金を出せと吹っかけるそうだ。ネックレスや絵葉書を売る男たちもしつこく付きまとう。途上国の観光地に何度か行ったことがあるが、これほどひどい物売りはいなかった。

 今思えば、ツアーポリスは物売りとグルかもしれない。物売りがたくさんいる所に肝心なポリスがいないのだ。政府にすれば、トラブルが多いという理由でツアー会社にポリスを雇わせる。雇用が生まれ、確実な収入源になるのだ。ポリスも物売りも同じエジプト人なので、そこは持ちつ持たれつの関係だろう。

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 文句はこれくらいにして、いよいよピラミッドへの大接近である。ピラミッドは遠くから見るより、近寄って見上げて初めて巨大さが分かる。まずはギザ三大ピラミッドで最大のクフ王のピラミッド。底辺の長さが230メートル、高さは138・8m。頂上部分が崩れているので、本来は146・6mあった。崩れた頂上に避雷針が立っていた。

 ピラミッドに使われた石は石灰岩で、1個平均2・5トン、全部で300万個が積み上げられたという。紀元前2000数百年ごろの建造だ。当初はピラミッドの表面に化粧石が施され、すべすべしていたが、今はそれらが崩落し、底辺の部分に残されているだけだ。

 これだけの石をどうして積み上げたのか。傾斜した道を作って運び上げ、徐々に道を延ばして高度を上げていくのだ。完成まで2、30年かかったらしい。この途方もなく大きなピラミッドを目の当たりに、ただ「おお」という感嘆の声を上げるのが精一杯だった。その存在感は想像をはるかに超えていた。

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      ↑ 基部に残っている化粧石。すべすべしていた

 このピラミッドの中にチケットを買って入った。入場制限があるらしいが、すんなり入れた。入場制限を強調するのもエジプト人のはったりだろう。入り口は底辺から5、6mほど上にある穴まで巨石を越えて行かねばならない。手で石を触り、ピラミッドの大きさを実感することが出来た。

 内部に設けられた通路は人がすれ違うのがやっとの狭さで、しかも急傾斜だ。石の天井が低いので、かなり腰をかがめても頭をぶつけてしまう。最後の急な階段を登ると、20畳か30畳ほどの空間があり、ここが棺を納めた「王の間」である。天井が高く、石棺が一つ置かれただけの殺風景な場所だ。ここへ来るまでに、汗びっしょりになった。

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     ↑ 黒くなった穴から内部に入る

クフ王通路
     ↑ 内部の構造

 次はバスに乗ってギザ三大ピラミッドが一望できる場所に行った。カフラー王のピラミッドは、父クフ王のピラミッドよりも少しだけ低く、頂上部分に化粧石が残っている。化粧石は自然に剥がれたのではなく、カイロ市街の舗装用に使われたと聞いた。棺が納められた王の間は、ピラミッドの基部にあったらしい。

 このピラミッドの右にある小ぶりなピラミッドが、クフ王の孫にあたるメンカウラー王のピラミッドだ。他のピラミッドの半分ほどの大きさだ。財政難で縮小されたらしい。19世紀、ここから発見された棺は船で大英博物館に運ばれたが、転覆して海に消えた。ツタンカーメンの墓の発掘に関わった多くの人が死んだと言われるが、どちらも墓を掘り返したため呪わたという風説が流れた。

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       ↑ カフラー王のピラミッド

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 人間の頭とライオンの胴体をくっつけたスフィンクスは、カフラー王のピラミッドの守り神だ。紀元前2500年ごろ、ピラミッドと同時期に作られたらしい。日本の神社の狛犬のようなものだろう。全長73・5m、高さ20m。この世界最大の彫刻の前には大勢の観光客がいたが、不思議と物売りの姿は見られなかった。

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 スフィンクスでこの日の見学が終わった。夜はオプショナルツアーになっており、ナイル川をクルーズしながらディナーを楽しむ。料金は一人9000円。アフリカ大陸を二分するナイル川、しかもここから人類最古の文明が起きた。世界に冠たるナイルのクルーズは土産話にもなる。ただし、川は相当汚染していた。

 100人以上は入れるフロアで、ショーが始まった。まずはフランクシナトラのような甘い歌声が流れる。映画007シリーズに出てくるようなシチュエーション。ジェームズボンドが、妖しく美しい女性から色目を使われているシーンを想像してしまった。

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 なんたって、私の密かな楽しみはベリーダンスだ。エジプトが本場だそうだ。腰、腹、お尻を扇情的に回し、激しく震わせる。腰の蝶つがいが外れるのではないかと心配した。下腹部の筋肉、これはもう芸術的で、今もまぶたに焼き付いている。ダンサーは各テーブルを回り、濃厚なダンスを延々と続けた。そしてナイルの夜は更けた・・・。

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 翌日は、まず古代王朝時代の首都メンフィスへ向かった。カイロからバスで1時間ほどの距離だ。バスは、ナツメヤシの林が延々と続く運河沿いの道を走った。私は人々の営みや生活の匂いが伝わってくる農漁村が大好きで、ずっと窓に顔をくっ付けていた。

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 やがてメンフィス博物館に着いた。小さな博物館で、紀元前14世紀ごろのファラオ・ラムセス大王に関連する文化財が多く展示されていた。大王は90歳まで生き、息子111人、娘69人の子宝に恵まれた。王妃や側室がたくさんいたとしても、よくぞこれだけ産ませたものだ。絶倫・・・。

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      ↑ メンフィス博物館はこじんまりしていた

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 昼食のため立ち寄った食堂で、婆さんと孫娘(?)がパンを焼いていた。石窯で焼くので、外はカリッとして、中はふんわり。パンにスパイスのきいたマヨネーズのようなものを挟むが、そのまま食べた方が美味しかった。エジプトは総じてパンが美味しい。

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 次は、ピラミッドの原型となった「階段ピラミッド」を見に行った。ここはギザから10km南のサッカラという場所だ。紀元前27世紀に建造された最古のピラミッドで、6層になっている。高さは62m、東西125m、南北109m。階段状になっているのは、ファラオが天に昇るためだそうだ。

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 ミイラを作るときに取り出された内臓は壷に入れられ、ピラミッドから少し離れた場所の地下深くに安置された。穴の底を覗いたが、10m以上あった。これは盗掘用の穴だそうだ。

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 ピラミッド見学は大詰めだ。屈折ピラミッドと赤いピラミッドがあるダハシュールの町へ。カイロから40km南にある。ここも見渡す限りの砂漠。この二つのピラミッドは紀元前2500年代、クフ王の父が建造したという。

 赤いピラミッドは、使われた石が赤味を帯びていたのでそう呼ばれた。高さは104m、エジプトのピラミッでは3番目に高い。傾斜は緩く、底辺は220メートル。

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 エジプト旅行の最後に現れたのは、何とも奇妙な形をした「屈折ピラミッド」だ。高さ105m、底辺189m。どうしてこのような形になったのだろう。

 同じ時期に建造していたピラミッドが崩壊してしまったので、途中で建造方法を変更し、傾斜を緩くしたという説。また、建造中に王が病気になったので、完成を急ぐため高さの目標を下げたという見方もある。

 いずれにしても、完璧な造形美を見せるピラミッドの中にあって、この異色のピラミッドはどこか親しみを感じる。そこには、古代人の挫折、悔しさが滲んでいると思った。「誰だって間違いはあるよ」・・・。そんな言葉をかけたい気分になった。このピラミッドに、クフ王の父が埋葬されることはなかった。

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                                                           (終わり)

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