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藤田嗣治の裸婦を見る

 先々月だったか、ふと見たテレビで藤田嗣治の没後50年を記念する作品展が開かれているのを知った。会場の京都国立近代美術館は、大津の自宅から1時間もかからないので、和歌山の山小屋から大津に帰ったら是非行ってみたいと思っていた。

 パリ画壇で活躍した藤田画伯は教科書にも載っていたし、おかっぱ頭に丸い眼鏡が印象的だったのを覚えている。自画像にはピアスも描かれていて風変わりなおっちゃんだが、結婚歴5回を数えるモテモテ男だったらしい。

 会場には120点もの絵画が展示され、よくぞこれだけの名品を集めたものだと感心した。作品の多くに猫が描かれているのは有名だが、私は幼少のころ猫に足を引っかかれ、そのトラウマから今なお敵意さえ抱いているのだが・・・。

 さて、会場の中ほどに進むと、乳白色の下地に描かれた裸婦の数々が登場する。これは藤田を代表する作品群であり、余り大げさに言いたくないが、しかしこれはもう圧巻である。ピカソも激賞したという藤田ワールドである。

 乳白色の下地に浮かび上がる裸婦は、陶磁器のような透明感があり、墨による線描がその白さを際立たせている。この白さは何だろうと思う。西洋人の女性に接した時、その白さに驚愕し、興奮し、それを素直に表現したのだろう。

 もし、私が紅顔の美少年のころ、生々しい裸婦の作品を目の当たりにしていたら、それこそ顔を赤らめていただろうが、今はもうすっかり枯れてしまったので、雑念なく豊満な裸体の美しさに感動するのだ。

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 展示が後半に入るとまず、それまでの趣と一変する作品が登場する。太平洋戦争を描いた「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞」の2点だ。目をそむけたくなるような戦争の惨状が、リアルに暗い色調で描かれている。絵の大きさは天井にまで達するような大作だ。

 しかしこの絵を巡り、藤田は戦争責任を問う人たちから戦争協力者として非難された。多分、そんな風潮に嫌気がさしたのだろう、1949年に日本を離れ、フランスに移住した。再び祖国の地を踏むことはなかった。

 彼はこんな言葉を残している。「絵描きは絵だけ描いて下さい。仲間喧嘩をしないで下さい。日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」。そして渡仏後、仲間たちに「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と語っていたという。

 戦後日本の偏狭な人々によって、日本が誇る天才画家にこのようなことを言わせてしまったことに、後世を生きる一人として心が痛んだ。

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カモシカに見送られ

 8か月を過ごした生石高原の山小屋から、大津の自宅に戻る日が来た。これから冬の4か月を大津で暮らしたら、来年春には例年通り、再び山小屋へUターンする予定だ。

 住まいを変えるのだから、鍋釜はもちろん、衣類やパソコン、プリンター、趣味の蕎麦打ち道具など何かと荷物が多くなる。軽トラの荷台にぎっしり積み込んだので、大八車の時代なら夜逃げと間違われるかもしれない。

 山小屋の電源を切ったら、最後に水道の水抜きを行う。これからは氷点下の日が多くなり、水道の水を抜いておかなければ凍結でパイプが破裂する。今年の1月から2月にかけては例年になく寒さが厳しく、この辺りでは破裂による漏水れが相次いだ。

 午前10時ごろ、後ろ髪を引かれながら帰途についた。数百メートル走ると、家内が「カモシカがいる」と声を上げた。高原の駐車場のあたりで、右手の斜面にカモシカがたたずんでいた。20mほど行き過ぎて車を止めたが、カモシカそのままの姿勢でこちらを見ている。

 家内がカメラを手に、車を降りてカモシカに近づき、「お見送りしてくれるの?」などと言いながら、話しかけた。カモシカは人間を恐れる風もなく、キョトンと見つめ続ける。何と愛嬌のある野生動物なんだろう。言うまでもなく、日本の天然記念物である。

 カモシカを目撃するのは今年の4月以来だ。その時は、山小屋のすぐそばにたたずんでいた。数分間見つめ合うと、カモシカは森の中に消えて行った。行動範囲からみて、今回のカモシカと同じだったかもしれない。だとすれば、旧知の仲ということになる。

 余りにも愛らしく、ずっと見つめ合っていたかったが、先を急ぐので5分ほどで車を発車させた。カモシカはずっと、私たちの軽トラが走り去るのを目で追っていた。カモシカが見送ってくれる訳はないが、山を離れる日にこんな出会いがあったのは幸運だった。

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 和歌山を出て4時間ほどで自宅に到着した。荷物の運び込みが終わると、さっそく、私が過ごす部屋にホーム炬燵を運び込んだ。本やテレビに飽きたらそのまま炬燵でうたた寝出来る。まるで独身時代のだらしない下宿スタイルである。

 さて、この冬をどのように過ごすか・・・。毎年、同じことを考えるが、結局、のんべんだらりと過ごしてしまう。今年も一応目標らしきものを考えているが、さてどうなるやら・・・。

わが分身よ、さようなら

 山小屋を数日、留守にしていた。大津の自宅近くの歯医者で歯を抜いてもらうためだ。ちょっと前までは、歯医者に行けば普通に抜いてくれたと思うが、近年は日赤とか市民病院など大きな病院に行かないと、抜いてくれなくなったらしい。

 なぜだろう。万が一の医療事故に備え、大病院であればあらゆる手当てが出来るということかもしれない。病院に行くと、まず地域連携室で手続きをし、それから歯のレントゲン写真を撮る。本当に抜いていいかどうか判定するためだろうが、医院でも撮影しているから二度手間であり、元の写真で判断すればいいと思うのだが・・・。

 無駄とも思えるこのようなことはいくらでもありそうで、国の医療費が際限なく増え続ける要因の一つだろう。

 待合室で目を閉じていると名前が呼ばれ、治療室に入った。医師が3、4人いて、忙しそうにしていた。ドリルやヤスリが置かれた治療用の椅子が4台置かれており、その一つに座らされた。恐怖心はますます高まり、逃げ出したくなった。まな板の鯉は肝が座っていて決してじたばたせず、偉いと思う。

 担当医師は「それでは抜きます」と事務的に言った。「少し、チクッとします」と言って歯の周りに麻酔の注射を打った。「チクッ」どころではなく、物凄く痛い。注射の痛みを和らげる麻酔を打ってほしいくらいだ。それほど痛いのだ。

 麻酔が効くまでしばらく待たされた。やがて椅子の傍らに医師が立ち、「口を開けて。はい、あーん」と言った。いきなり、何かで歯をはさんだような感じがした。麻酔が効いていて痛みは感じないが、歯を引っ張っているようだ。

 どうやら、なかなか抜けないのだろう。そのうち、医師は「うっ」という気合のような声を発した。それでも抜けない。痛くはないが、地獄で閻魔さんに舌を抜かれるような気分だ。やがて、「コツッ」という金属音がした。抜いた歯をステンレスの皿の上に置いたのだろう。

 医師は抜いた歯を私に見せ、「持って帰りますか?」と尋ねたが、私は即座に「いえ、結構です」と答えた。歯には長さ5ミリほどの赤い根っこが付いており、これでは抜くのに難儀したはずだ。

 帰途、抜いた歯のあたりを舌でなめてみた。ヌルッとしていた。いつもそこにあるはずのものがないのは、不思議な感じだ。わが分身よ、さようなら・・・。

本を読めば、健康で長生き・・・

 NHKテレビの番組で、健康寿命について特集していた。番組が活用したのは人工知能(AI)という最新の技術で、健康寿命を保つためには、運動や食事ではなく、読書だという意外な結論を導き出していた。

 私などは、免疫力を高めたり、血液をサラサラにしたりする食材に注目し、家内もまたそのような食事を心がけて作るようにしていた。そして運動も怠らないようにし、雨が降らない限り、1時間前後の散歩を励行している。

 それもこれも、健康で長生きし、ピンピンコロリとあの世に行きたいがため、それなりに努力をしているのだが、運動や食事よりも読書が大事というのだから、何か意表を突かれたような感じで、えっ本当?と半信半疑になった。

 しかし幸いなことに、私は本を読むのが好きだ。と言っても、勉強熱心な読書人ではなく、肩の凝らない本を読んでいるに過ぎない。もちろん、知的好奇心をくすぐられる本にも興味はあるが、根気が続かず、途中で投げ出すこともしばしばである。

 ところで、米・イェール大学が発表した「読書と寿命」という論文があるそうだ。それによると、50歳以上の3600人を「本を読む人」と「まったく読まない人」のグループに分け、12年にわたって追跡調査したところ、「本を読む人」の方が2年近く寿命が長かったそうだ。

 私はブログを書いているが、読書と文章を書くことに共通点はあるだろうか。もし、文章を書くことも健康寿命につながっているとしたら、喜ばしい。ブログに何を書くかは毎回悩ましく、小さな脳味噌をこき使っているのだが、脳の活性化という意味では、読書に共通しているかもしれない。

 ブログは2008年3月から始め、もう10年が経った。これまでに書いた記事は1338件で、こんなに長く続けられるとは思っていなかった。ブログを始めたきっかけは、ブログが評判になれば広告収入があるという娘の甘言に乗せられたからだが、そんなに甘いものではなく、一円の収入もなかった。

 書き出してしばらくして、ボケ防止のためにやろうと前向きに考えるようになった。娘の思惑も同じだったのだろう。すでに物忘れなどボケの初期症状が出始めており、前夜のご飯のおかず、人の名前や読んだ本の中身を思い出せない。夫婦の間でも、言った言わないの小競り合いが勃発する。

 ブログを10年以上も続けているとマンネリになり、あれも書いた、これも書いたという場面に出くわす。10年ひと区切りの言葉もあるので、そろそろブログをやめる潮時かと思うこともある。しかし、有難いことにちゃんと読んで下さる人もいて、背中を押されている。ブログを書くことが健康寿命につながるのであれば、その先にピンピンコロリ・・・。

不老長寿のムベを食べている・・・

 私は1年のうち8か月を和歌山で、残り4か月を大津の街の中で暮らしている。和歌山の家は標高800mの尾根に建っているので、冬は氷点下の日が多く、まだしも寒さがましな大津に冬の間だけ住まいを移している。ただし、住民票は大津にあり、一応、滋賀県民ということになる。

 その滋賀県は昨年、男性の平均寿命が81・78歳となり、日本一になった。5年連続で1位だった長野県(81・75歳)をわずかに上回り、逆転したのだ。滋賀県は琵琶湖が日本一というくらいで地味な存在。それだけに、県民としては大いに鼻が高いし、統計的には、他県の人より多少なりとも長生きできるという理屈が成り立つから、うれしい。

 先日、朝の民放テレビで滋賀の長寿について特集していた。参考までに、その理由を列挙しておこう。まずは、県民一人あたりの図書館の貸し出し数は東京に次いで2位。読書好きなのである。近江牛の産地だから当然かもしれないが、1世帯当たりの牛肉の年間購入額も全国2位だ。

 スマホの普及率は全国1位。光回線の普及率も日本一なのだ。シニアたちはインターネットを駆使して、友人作りに余念がなく、株取り引きする人も多い。情報に敏感な近江商人の県民性も、長寿日本一にひと役買っているのかもしれない。

 スポーツの年間行動率が全国で4位だから、よく運動する県民でもある。たばこ喫煙率の低さ、ボランティアへの参加、パソコンやカメラ、食器洗い機などの所有数も日本で1位である。テレビでは「琵琶湖があって、公園があって、おっとりした生活が長寿に結びついているようだ」と結んでいた。

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この番組の中で、インタビューに応じたお年寄りが長寿の秘訣について、「そらぁ、ムベ食べているからや」と語った。何かわざとらしいコメントだが、滋賀にはムベにまつわる不老長寿の逸話があり、老人はこのことを言いたかったのだろう。ムベとは、アケビ科の蔓性植物で、アケビよりも甘い。ここ生石高原の森にはいたる所に自生しており、私たち夫婦も毎年たくさん食べている。

 さて、不老長寿の伝説とは・・・。時は天智天皇の時代だから、7世紀後半のこと。天智天皇が滋賀の蒲生野へ狩りに出かけた時、8人の男子の子を持つ老夫婦と出会った。天皇は「どうして元気で長生き出来るのか」と聞いたところ、「毎年秋に霊果を食べているからです」と答えた。

 その時、天皇は「むべなるかな(もっとなこと)」と言い、この霊果を「むべ」と呼ぶようになったと伝えられている。そして天皇は土地の役人に毎年献上するように命じたという。いつしか献上は途絶えていたが、明治時代、蒲生野に近い集落で栽培されていたムベが皇室に献上されるようになり、今も続いているそうだ。

 統計だけから見れば、滋賀県民の私はそこそこ生きられる計算になるが、ちなみに1年の大半を暮らしている和歌山の平均寿命のランキングは尻から数えて4番目の44位である。人の命は人それぞれであり、統計に惑わされ、一喜一憂しているようではまだまだ人間が練れていない。

太刀魚づくし・・・

 ブログが縁で交流しているハンドルネーム「イレグイ号」さんに誘われ、この秋2回目の太刀魚釣りに行った。釣行については後で書くが、その前にちょっと余談を・・・。

 韓国の「カルチ」という料理をご存じだろうか。私にとって初めて聞く名前だし、もちろん食べたこともない。太刀魚を焼いたり煮付けにしたりするご当地料理で、大変なご馳走だそうだ。

 太刀魚は、朝鮮半島の近海では獲れないらしく、韓国の業者は日本から高値で買っているらしい。日本一の漁獲量を誇るここ和歌山県の有田地方では、水揚げの8割近くを韓国に輸出しているとのことだ。

 東シナ海では乱獲がたたって漁獲量が減り、中国や韓国の漁船が日本のEEZ(排他的経済水域)を脅かしているのが現状らしい。そのような中、太刀魚の有力漁場の瀬戸内海、とりわけ紀淡海峡で釣りが出来るのは幸せである。

 さて、和歌山市内の小さな港を出たイレグイさんの船は、大阪府南部の釣り場に向かった。そこは、太刀魚の漁場として知られ、多くの漁船や遊漁船が集まる。友が島の狭い海峡を北に抜けると急に北風が強くなり、白波が立っていた。

 ここの水深は60~70m。餌のイワシをテンヤという仕掛けに巻き付ける関西特有の釣り方だ。私が1匹釣っている間に、イレグイさんは5匹釣るペースだ。言い訳がましいが、私の竿は重たい上、カウンターが壊れていて糸がどれほど出ているか分からず、腕の悪さも相まって悪戦苦闘である。

 波が荒いので船は大きく揺れる。水深のある場所へ移動中のこと。船首の段差のある所に腰を下ろそうとした時、船が突き上げ、お尻をしたたかに打ち付けた。悶絶である。左の尻を浮かせなければ座っていられず、バランスを保つのが難しかった。

 結局、魚の幅が指5本ほどもある大物が1匹、中型2匹、小型2匹の計5匹だった。イレグイさんは20匹以上釣った。いつものことだが、イレグイさんが釣った分を私のクーラーボックスに入れてくれており、帰って数えてみると13匹もあった。

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 この夜は、刺身としゃぶしゃぶだ。刺身は三枚に下し、ガスバーナーで皮の方を炙る。焦げ目が付いたら冷水に浸して短冊に切る。程よい脂が乗った身は香ばしくて、美味しい。しゃぶしゃぶも乙なものだ。鍋にはわが家で栽培しているキノコや白菜を入れ、柚子をしぼって食べる。中型1匹をさばいたが、食べ切れなかった。

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熟成を待つ吊るし柿

 晩秋の今、わが山小屋の軒下に吊るした干し柿は、冷たい風に吹かれながら熟成の時を待っている。

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 家内の干し柿作りに対する熱意は、並々ならぬものがある。私には一切手出しさせない。山小屋で干し柿作りを始めて10年になるが、最初の4、5年は失敗ばかりだった。それだけに、美味しい干し柿を作りたいという思いが強いのだ。

 干し柿は、冷たい風に晒され、甘みが引き出される。わが家は標高800mの高地にあるので寒さは厳しく、晩秋は北風が吹き付ける。その代わり、山特有の霧が多く、カビが発生しやすいのだ。失敗のほとんどはカビだった。

 カビを防ぐあの手この手は後で書くとして、問題は柿の入手だ。道の駅のような地元産品を扱う店で買うことが多かった。昨年は、知人の紹介で生石山の中腹の柿畑で採らせてもらった。この年は豊作で、採り切れずにそのままになっていたのをタダでいただいたのだ。

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 柿の種類によって、出来栄えが全然違う。私たちが最高と思うのは、種無しの「ひらたね柿」だ。秋になると和歌山地方では、焼酎などで渋抜きをした合わせ柿が売られている。この渋いままのひらたね柿を干し柿にするのだが、甘さが半端じゃない。

 この前、柿畑を見に行くと、農家のご主人が柿を収穫していた。家内はご主人ににじり寄り、猛烈にアタックをかけた。すっかり友達になり、携帯の電話番号を交換するまでになった。もちろん柿をとらせてもらおうという魂胆からである。

 そして大津の自宅に帰った時、家内は大津名物の和菓子を買い、農家に届けるという如才なさである。するとご主人から家内に「柿を取りにおいで」という電話があった。特大の柿をコンテナ1杯も採っておいてくれた。お金はいらないというご主人だが、それなりのお金を包んだ。「来年もよろしく」という意味が込められている。それでも格安である。

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 今回作った干し柿は120個ほど。皮をむいて4個づつ紐に通し、吊るす前にはカビを防ぐため数秒間熱湯にくぐらせた。これらの作業はすべて家内が行い、私は軒下のフックに紐を引っ掛けるだけだ。だから貢献度が小さく、干し柿を食べる時、遠慮がちになる。

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 家内は毎日、天気予報をチェックする。雨や霧が出やすい天気だと、部屋の中に柿を移動させる。干して10日ほどしたら、カビを防ぐため焼酎を柿に噴射する念の入れようである。柿を柔らかくするため、優しく揉むのも重要だ。変な話、キン●マの柔らかさになれば上等である。

 間もなく干し柿は完成する。今年もカビを防ぐことができ、上々に仕上がったはずだ。テレビなんかでよく聞く「極上のスイーツ」なんて言わないが、これはもう高級和菓子である。甘い・・・。

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イノシシが暴れている

 これはもう、ひどいことになっている。わが家の前あたりから生石高原に向かう道路の両側は、イノシシに掘り返され、無残と言ってもいいほどだ。こんなことになり始めたのはひと月ほど前からで、イノシシは毎日のように荒らし回っている。

 被害は延長約500mに及んでいる。多分、イノシシはミミズを食べようと掘り返しているのだと思う。路肩はえぐられ、舗装面もぐちゃぐちゃの場所がある。道路沿いの斜面には牙を突っ込んだ跡があり、路上には大きな石が転がり落ちている。

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 ついには、わが家の敷地にも侵入した。大きな被害はないものの、家に通じる道に牙の跡が多数見受けられた。そして「聖域」とも言える畑を蹂躙したのだ。畑の四方を網で囲っているが、破れた場所から侵入したらしい。ラッキョ、子芋、ピーマンが被害に遭い、掘り残しのジャガイモが食われた。

 このようなことは毎年起きているが、これほどひどい被害は近年珍しい。山に食べ物が乏しいのか、イノシシの数が増え過ぎているのか・・・。何とかしてもらいたいが、ここは鳥獣保護区になっていて、害獣に手が出せないのだ。

 古来、獣害対策は、のどかというより、風流でさえあった。竹筒に水が満たされると、竹が石を打ち付け、「コーン」というを音を発し、獣をびっくりさせる。いわゆる、「鹿(しし)おどし」だ。風に揺られて音を出す鳴子も案山子(かかし)も、効果のほどは分からないが、まぁ悠長としか言いようがない。

 今は電気柵で囲ったり、超音波を発したりとあの手この手だが、ついにロボットが登場したという。

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 このロボットは「スーパーモンスターウルフ」と名付けられている。すでに、甲信越や九州などでは導入されているらしいが、ここ関西では淡路島で初めて導入されたとテレビが伝えていた。

 モンスターウルフは北海道の電機メーカーが開発したもので、高さ65㎝、長さ75㎝というからオオカミを少し小さくしたような体形だろう。1体約40万円だから、費用対効果を考えれば、それほど高いとは思わない。

 このロボットにイノシシやシカが20メートル以内に近付くと、赤外線センサーが感知し、オオカミの声を発するほか、銃声や電子音、イノシシの悲鳴など計57種類もの音が流れる仕組みだ。さらに、目に組み込まれたLEDが光を発し、ウルフのような様相になるのが面白い。

 音声は1~2キロにわたって響き渡り、LEDの光も約200メートル離れた場所まで届くらしい。イノシシが近寄らなくても、40分に1回は自動で作動するというから、強力な撃退ロボットなのだ。製作したメーカーは「 圧倒的に出没回数が減っている」といい、効果てきめんらしい。

 遠くない将来、自動運転機能が搭載され、山中をパトロールするようになるかもしれない。

33年ぶりの開帳に違和感・・・櫟野寺

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 甲賀忍者の里に近い天台宗「櫟野寺(らくやじ)」を訪ねた。同寺の本尊で秘仏とされている「十一面観音座像」(重文)が、10月6日から12月9日まで、33年ぶりに開帳されているからだ。

 同寺のホームページには、「大開帳は、あなたの生涯で一度、もしくは二度巡り合えるかどうかの勝縁(ご縁)であります」と書かれていた。とすれば、次の開帳は33年後だから、私の場合は不老長寿の薬でも発明されない限り、これが見納めになると思い、和歌山から滋賀に足を運んだ。

 櫟野寺は三重県に近い田園地帯にあり、ここからは近くの油日神社のご神体・ 油日岳(694m)が見える。白洲次郎の奥さんで、エッセイストの白洲正子が生前、この地を隠れ里と呼んでこよなく愛した。「油日」という地名はどこかミステリアスで、霊気のようなものも感じられる。

 この本尊は平安時代の作で、高さが312センチ。十一面観音の座像としては日本最大である。像の前に立つと、まずはその大きさ、どっしりとした重量感に圧倒される。ふくよかな顔立ちは慈悲深く、伏し目がちに人々を見つめている。金箔は今なお鮮やかで、10体の頂上仏は輝きを失っていない。

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 さて、ここまで書いて一服し、インターネットで「滋賀の観光情報」というサイトを開いてみた。目を通してみると、一気に体の力が抜けた。それによると、今回は33年に一度の開帳を「大開帳」と呼び、これとは別に、毎年春と秋に1週間程度の「特別開帳」を実施しているとのことだ。えっ、何だこれは・・・。

 それなら、ホームページに「一生に一度か二度のご縁」と書かれていたのは、明らかに間違いだ。拝観したければ、春と秋の特別開帳の期間に来ればいいのだ。「大開帳」と「特別開帳」という言葉を使い分けるのは、正直でないし、胡散臭さもある。

 拝観した当日、住職らしき僧侶は次のように説明していた。「33年といういのは仏教で大事な数字です。三十三間堂に三十三回忌、三十三か所巡りもそうです。33年に一度の開帳もそういうことなのです」・・・。こう言って33年ぶりを強調すれば、多くの人が滅多に巡り合えない開帳と思うはずだ。

 私はこのブログの冒頭で、「不老長寿の薬でも発明されない限り、これが見納めになる」と書いたが、今はそれがひどく恥ずかしい。よく調べて行けと言われれば、それはそうかもしれないが、寺で会った神奈川県から来たという夫婦も「これが最後の機会と思い、来ました」と話していた。そういう参拝者も多いはずだ。

 十一面観音の拝観を趣味としている私は、秘仏ということにそれほど無知ではない。毎年定期的に開帳している秘仏もあれば、数年から数十年に一度開帳されるケースもある。私の家の近くの園城寺の弥勒菩薩像は一度も公開されていない絶対秘仏であり、非公開の仏像はこの他にも数多くある。その代わりとして、お前立ち像が厨子の前に安置されている。

 それにしても後味の悪い参拝だった。もちろん、本尊の十一面観音が悪い訳ではなく、拝観するだけの価値はあると思う。寺の対応にいびつさを感じたまでだ。何事も擬人化して書くのは好きではないが、ご本尊様は私の本意を理解してくれるだろうか・・・。

せっせと薪を作る・・・

 金持ちは、自分のお金が減ることに恐怖心を抱く。だから、お金を貯める。ケチる。これ、洋の東西問わず、金持ち共通の心理だろう。私はこの金持ちの気持ちがよく分かる。と書くと、私が金持ちのように思われるが、そんな訳がない。

 私はお金の代わりに、薪をたくさん持っている。薪は、わが家の暖房用で、薪ストーブで燃やす。10月下旬ともなると一段と寒くなり、、薪の消費量がうんと増える。日ごとに薪の備蓄が減っていくと、6年分もの備蓄があるのに、金持ちが感じる恐怖心と同じ心境になるのだ。

 冬の4か月間、厳寒の生石高原から大津の自宅に住まいを移すので、山小屋で通年暮らしていた頃に比べて薪の使用量はかなり減った。しかしそれでも、9月半ばから12月初めまでと、4月から5月いっぱいまで薪ストーブを使うから、薪は結構な量が必要だ。

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 薪ストーブを使っている人はみな同じだと思うが、薪に対する欲は飽くなきものだ。私たちが暮らす生石高原の森では一昨年、道路にかかる樹木を伐採した。その中で、硬くて、火持ちの良いリョウブという木ばかりを大量に集め、山小屋の裏に積み上げた。

 今は、この直径10㎝前後の丸太を長さ25~30㎝に切っている。備蓄が6年分くらいあるので、今作っている薪は6年後以降に使うのだが、それまで生きているかどうかも分からないと思うと、何やら切ない。死んでしまえば、薪はほとんど価値のない遺産になる。

 9月4日には、台風21号がここ和歌山を直撃し、私たちが暮らす森では多くの樹木が倒れた。その多くは赤松だったが、薪になるリョウブも少しはあった。ちまちまと、そこまで欲を出さなくてもといい思うのだが、どうしても手が出てしまう。それでも、ちょっと軽トラを走らせるだけで、1週間分くらいの薪が集まるのだ。山で暮らすには、この欲が必要なのだ。

 このところ、寒い日が多くなり、朝晩だけでなく、日中も薪スト―に火を入れている。炉の中で薪が燃えるのを見ていると、妙に心が落ち着く。薪は、大胆に燃やすのが醍醐味である。そこが、ケチな金持ちと違うところなのだ・・・。

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