秋が素通りして冬になった・・・

 今年は、秋らしい日和が少なかった。ここ生石高原だけではなく、全国的にも同じだったのではないか。紀伊半島には、台風21号と22号が相次いで襲来、その前後から雨の日ばかりだった。そして今月中旬あたりからは急に寒くなり、秋を素通りしていきなり冬が来た。

 生石高原の初雪は11月19日だった。この日は雪というよりあられだったが、翌20日には5ミリほど積もった。気温は氷点下1度だった。

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 例年だと、このころからシイタケが収穫できるが、今年は10個ほどとれただけだ。原木を見回しても発生する気配が見られない。これ以外にナメコ、ヒラタケ、クリタケ、ムキダケを栽培しているが、クリタケ以外はわが家で食べる分だけしか発生せず、親類や知人に送ることが出来なかった。

 こんなことは過去になかった。キノコが発生するメカニズムはよく知らないが、台風前後の長雨が原因ではなかったと疑っている。キノコは秋の味覚だが、その秋をすっ飛ばして初冬が来てしまったので、これも原因の一つかもしれない。

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 悲惨だったのは、干し柿作りだった。生石高原の中腹で農業を営む知人の好意で、ヒラタネという渋柿を採らせてもらうことになった。柿はたわわに実っており、私は「もうやめとけ」と言ったが、女房は欲を出して200個ほど高バサミで切り取った。

 女房は干し柿が大好きで、異様な情熱を注ぐのだ。夜なべして柿の皮をむき、一連5、6個づつビニールのヒモにくくり付けた。カビを防ぐため、熱湯に数秒くぐらせ、私も手伝って軒下にぶら下げた。軒下には冷たい北風が当たるので、一段と甘みが増すはずだった。

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 ところが台風22号が紀伊半島を直撃し、横風が吹いて干し柿に雨が降りかかった。油断していたため屋内に取り入れるのが遅れ、多くの柿がびしょ濡れになった。200個のうち半分が溶けるようになってしまい、泣く泣く捨てた。

 残りは再び熱湯にくぐらせ、干し直した。上出来とは言えないが、何とか干し柿らしくなったのは不幸中の幸いだった。キノコも干し柿も、秋の恵みだと当たり前に思っていたが、自然はどっこい、人の思うままにはならないのだ・・・。
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生石高原のススキは終盤・・・3連休でにぎわう

 ここ生石高原は、一年中で最もにぎわう季節を迎えている。文化の日の11月3日、高原の最高峰・生石ケ峰(870m)を目指して歩いた。わが家から頂上までは半時間ほどだから、登山というより散歩のようなものである。このところ好天が続いており、空には秋らしい雲が漂っていた。

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 高原に通じる道路の両側には、落葉樹のウリハダカエデが群生している。ウリハダカエデは、この一帯の紅葉の主役である。黄色からオレンジ色に紅葉していく様は実に見事だ。今は黄色に色付き始めており、気の早い木は燃えるような赤色に染まっている。

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 高原の駐車場はほぼ満杯状態で、他府県ナンバーが多い。子供たちが段ボールを尻に敷き、高原の斜面を滑り、歓声を上げていた。お大師さんの祠がある笠石のそばでは、女性が簡易テントを立て、くつろいでいた。

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 ここには空中に張り出すような大きな岩があり、その向こうには幾重もの山並みが横たわっている。ここでは、テレビCMの撮影が行われたことがあり、結婚式の前撮りをするカップルもよく見かける。最近では、インスタグラムというのが流行しているそうで、投稿する写真を撮る若者が多い。

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 生石高原といえば、ススキの大草原だ。ススキと紀淡海峡に沈む夕日ををカメラに収めるため、アマチュアカメラマンがたくさんやって来る。ススキはそろそろ終わりを迎えているが、やせ細るススキの穂を目にすると、1970年代に流行した「昭和枯れすすき」を思い出し、甘酸っぱい青春時代が懐かしい。

 ♪ 貧しさに負けた  いえ世間に負けた・・・花さえも咲かぬ、二人は枯れすすき

 息を切らして頂上に着くと、十数人が360度の景観を楽しんでいた。空気が澄んだ日なら紀淡海峡に浮かぶ沼島や遠く徳島県の蒲生田岬も見えるが、この日は靄(もや)のようなものがかかっていた。生石高原には間もなく、冬が足早にやって来る・・・。

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やはり超大型台風だった・・・22時間も停電

 台風21号は事前の予想通り、やはり超大型だった。台風の中心が日本列島からかなり離れていたが、22日の日曜日は未明から強い雨が屋根を叩いていた。ここ和歌山の生石高原では、これまで1週間も雨が降り続いており、うんざりした気分に輪をかけた。

 雨だけでなく、風も強かった。わが家は四方を森に囲まれており、「ゴー」という風の音が続いた。吹き飛ばされた小枝が屋根を打ち付け、不気味だった。30年ほど前だったか、台風で大木が倒れ、もう少しで屋根を直撃するところだった。これがトラウマになり、台風が来る度に心配になる。

 この日は衆院選の投開票日で、刻々伝えられるテレビの開票状況を見るのを楽しみにしていた。ところが午後5時半ごろ、電気が消えた。停電は珍しくないし、これまでほとんどが10分か20分で復旧した。今回もそのうちに復旧するだろうと高をくくっていた。

 しかし、いつまで経っても電気がつかない。すでに外は真っ暗だ。ロウソクを何本も立てたが、もし停電が長引くようなら、ロウソクの残りを計算して使わなければならない。晩ご飯は少ない明かりの中で、女房が作っておいたおでんを食べた。暗闇の中で、風と雨の音だけがやけに大きく聞こえた。

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 開票状況の報道が始まる午後8時になっても停電は復旧しない。古びたラジオを持ち出し、開票状況に聞き入った。自民党の圧勝、立憲民主党の健闘を伝えていたが、当選者の名前や地域別の各党得票など細かいことまで分からない。当選にわく選挙事務所の臨場感も伝わってこない。

 台風が迫ってきているので、選挙報道はしばしば中断、主に西日本の被害状況を伝えた。テレビではレーダーの画面や警報などを別画面で映し出すが、ラジオはそうはいかない。近頃物忘れがひどくなり、ラジオで聞いた尻から選挙状況も台風状況も忘れしまうのだ。

 夜が更けるとともに風雨は強くなり、気が気でない。雨戸がガタガタと音を立て、なかなか寝付けなかった。翌日午前3時ごろには目が覚め、期待を込めて枕元の電気スタンドのスイッチを入れたが、やはり停電は続いていた。風雨の音を聞きながら布団の中で悶々と明るくなるのを待った。

 女房のスマホで関西電力の電話番号を調べてもらい、携帯で停電の状況を問い合わせた。19分待ってやっとつながったが、有田川沿いの山間部ではかなり停電になっており、復旧の見通しは分からないとのことだ。こうなったら、気長に待つしかない。おまけに、問い合わせに時間がかかったため、携帯の電池が底をつきかけていた。

 結局、復旧したのは22時間後だった。つくづく、電気の有り難味が身にしみた。ただこの停電で、いかにわれら現代人がテレビに依存した生活をしているかが分かった。学生時代、テレビのない下宿の部屋でラジオばかり聞いていたが、情報不足を感じたことはなかったし、不便も感じなかった。

 しかし今は、いくらラジオで近隣の洪水が報じられてもなかなか実態を把握出来ない。総選挙の状況もラジオだけでは頭に入らないし、そこで繰り広げられえる悲喜劇も伝わって来ない。矛盾するようだが、映像に頼り過ぎた社会は逆に、テレビが人々の想像力を削いでいるようにも思う。今回の停電がそれを教えてくれた。

はさ掛けの米・・・炊きたては懐かしい味

 郷里の兄から新米が送られてきた。新米の季節になると毎年送ってくれるが、今年は「はさ掛け」の米だと言う。兄嫁は電話で「はさ掛けは風味があるので、早く食べてね」と言った。

 早速、袋を開けてその日のうちに食べた。炊飯器の蓋を開けると、立ち上がる湯気から懐かしい匂いが鼻腔をくすぐった。子供の頃、母親がかまどで炊いたご飯をお櫃(ひつ)に移す時に漂ったあの香りである。

 ついでに思い出したのは、鍋の底にこびりついたおこげをよく母親によくせがんだことだ。今どきの炊飯器はよく出来ていて、おこげが出来ることはまずないだけに、あの香ばしい味を思い出すと郷愁が押し寄せてきた。

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 郷里の実家では、知り合いの農家から新米をまとめて買い、親類や子供たちに送っている。今年は、その農家が自然乾燥させた「はさ掛け」の米を販売するようになったという。米農家も競争が激しく、付加価値を付けるなど知恵をしぼっているようだ。

 はさ掛けと言えば、昔は田んぼの畦に背の高い樹木が植えられ、美しい田園風景をかもしていた。木と木の間に木材や竹を渡し、これに刈り取った稲を掛けていた。「稲架」と書いて「はさ」と読むらしい。ちなみに、刈り取った稲をはさ掛けすれば光合成が続き、それが米の美味しさになっていると言う。

 そう言えば、郷里の北陸の田舎道を車で走っていると、田んぼに植えられていた樹木が姿を消していることに気付く。農家は手間のかかるはさ掛けをやめ、機械乾燥をするようになったためだろう。あの田園風景を懐かしがるのは、郷里を離れた人間の勝手な郷愁なのだろう・・・。

アサギマダラの旅の無事を願う・・・

 今日も雨が降っている。これで3日連続だ。しかもひどく寒い。
 
 下の写真は5日前に撮影したものだ。秋の深まりとともに、放射冷却によって雲海が発生し、家のデッキからしばしば見られるようになった。標高800mのわが家から紀淡海峡を見下ろすと、雲海は海峡に向かって連なる山と山の間に発生し、その雲の帯は大河のようにも見える。

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 NHKの朝の連続ドラマが終わると、愛犬ぴーを連れて散歩に出るのが日課である。ぴーは家の階段を駆け下りると、駐車してある軽トラのタイヤにおしっこをするのが習慣だ。ぴーとの散歩は、生石高原の方向に1キロほど歩いて帰ってくるのだが、これ以上歩くとぴーは足を踏ん張って動かない。

 今の時期、散歩の途中に、あの美しい蝶アサギマダラと出会うのも楽しみである。私のブログにしばしばアサギマダラが登場するが、「またかいな」と笑われそうだ。この蝶は人の心を癒す不思議な力があると思う。

 散歩コースの高原への道には、アザミやノコンギク、シシウドが咲いており、アサギマダラが羽を開閉させながら蜜を吸っている。最近では、多い時で10匹以上、少ない時でも2、3匹は見かける。

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 他の蝶のようにせわしく羽を動かすことはなく、グライダーが滑空するような飛び方をする姿は実に優雅だ。何よりも羽が美しいし、人にまとわりつくような人懐っこい性格もいい。

 しかしそれよりも、あの小さな体で1000キロも2000キロも旅する健気さに、私は心を打たれる。蝶の羽に捕獲場所と年月日を書き込むマーキング調査で、台湾や香港にまで飛んでいたことが分かっているのだ。

 気取った言い方だが、われらの人生もまた旅である。しかも片道切符である。アサギマダラは寿命が4、5か月と言われ、旅の途中で寿命を全うするから、こちらも片道切符の旅人なのだ。わが人生を、アサギマダラの途方もない旅路と重ね合わせると、何がしかの感慨がある。

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