雪の竹野海岸でカニを食べる

 日本海の竹野海岸へカニを食べに行った。この1泊旅行は、娘が招待してくれた。焼きガニ、しゃぶしゃぶ、カニ味噌・・・。グルメ番組のタレントのように、「甘ーい」なんて月並みで安っぽいコメントはしない。本場のタグ付きのカニだから、美味しいに決まっている。

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 海岸に近い民宿を予約したが、そこに決めた最大の理由は、ペットと一緒に宿泊できることだ。この寒い時期に、愛犬ぴーちゃんを自宅で独りにしておくのは忍びない。ぴーちゃんはもう中年なので車の中でしゃぐようなことはなく、上目使いでわれらの会話に耳を傾けていた。

 まずは香住に向けて車を走らせた。「応挙の寺」で知られる大乗寺で、円山応挙や弟子たちによる襖絵を見るのが目的だ。入場料は800円で、寺の女性が案内しながら解説してくれた。まずは「孔雀の間」に通された。ほぼ原寸大と言われる大きな孔雀が描かれ、背景に金箔が貼られた豪華な襖絵だ。

 さすが応挙の作品だと思ったが、解説の女性は「デジタル再生画でございます」と付け加えた。最先端の技術を駆使した絢爛な襖絵だが、それはただのレプリカ、印刷物なのだ。「芭蕉の間」「山水の間」もデジタル再生画らしく、名画を後世に残すため本物を収蔵庫で保存しているそうだが、理由はどうであれ裏切られた思いだ。

 私のような素人でも、本物の絵を鑑賞する時、作者がそこにいるかのような息遣いを感じたいと思うものだ。絵の一本の線にしても、迷いのない技量を見逃すまいと見つめる。カニの例えで恐縮だが、ズワイガニは水揚げされた地名のタグが本物を証明してくれる。デジタル再生画なんて冗談じゃない。

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 次は、列車転落事故が起きた余部鉄橋に向かった。1986年12月28日午後1時半ごろ、鉄橋を通過しようとした7両編成の回送列車が強風に煽られ、40m下の水産加工場の上に転落した。工場で働いていた主婦5人と列車の乗務員1人の計6人が死亡した。日本海を望む風光明媚な余部は、一瞬にして惨劇の地となった。

 私が働いていたメディア関係の本社には、午後の遅くに事故の一報がもたらされた。前夜は泊まり勤務だった私は、この事故の取材でまたも泊まることになった。最初は「そんなアホな」と半信半疑だったが、事故の詳細が明らかになるにつれ、風速30mの風の威力に戦慄した。

 鉄橋には、駅に通じるエレベーターが設置されていた。高所恐怖症の私には、恐ろしい高さである。雪が積もるプラットホームからは白波を立てる日本海が一望できた。それは墨絵のようだった。ここには道路もトンネルも通すことが出来ない地形であり、鉄橋は苦肉の策だったのだろう。かつて「裏日本」という負をイメージした言い方をしたが、余部はまさにそんな土地だった。

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 2日目は朝から吹雪になった。城崎温泉の近くにある国の天然記念物「玄武洞」を見学した。噴出した火山のマグマが固まり、石垣のような形状になったものだ。ここは玄武岩を切り出した跡地だが、この地方の家庭では、ころあいの石を持ち帰り、漬物石として使っているらしい。

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 昼近くになり、出石の皿蕎麦を食べることにした。娘がスマホで調べた人気店に入ったが、正直言ってわれら夫婦が打つ蕎麦の方が格段に美味しいと思った。蕎麦には「角が立つ」という言葉がある。包丁で蕎麦を切ったとき、切り口が鋭いという意味で、茹でたてでないとこうはならない。この店の蕎麦は、茹でて時間が経っていたのかもしれない。

 豊岡市出身の国民栄誉賞と言えば、登山家であり冒険家の植村直己である。実家の近くの里山に彼の名前を冠した「冒険館」があり、入館した。5大陸最高峰を踏破した登山用具や、北極圏で使用した犬ぞりなど多数の遺品が展示してあり、見ごたえがあった。

 彼が遺した言葉の数々も掲示してあり、その中に「冒険とは生きて還ること」とあった。しかし1984年、マッキンリー冬期単独登頂に成功したものの、下山途中に行方を絶った。「生きて還る」ことは叶わなかったのだ・・・。

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雪の山腹に小谷温泉・・・秘湯の中の秘湯

 長野と新潟の両県にまたがる妙高戸隠国立公園。その雪深い山腹にある秘湯・小谷(おたり)温泉に向かったのは、今月3日だった。この日は、放射冷却によって霜が降る寒い朝になったが、その代わり雲ひとつない晴天だった。

 自宅近くの桜の蕾は、薄い桃色に色付いていたが、まだ一輪も咲いていなかった。それでもわが家の小さな庭の一角では、福寿草が黄色い花を咲かせ、春はそこまで来ているようだ。それにしても西日本はなぜか気温が上がらず、桜の開花は関東に先を越されている。

 午前6時ごろ、米原行きの新快速電車に乗った。青春キップを利用する1泊2日の小さな旅だ。女房が詳細な計画を立てたので、それに従ってひたすらついて行くだけである。

 米原駅を過ぎると、朝日に照らされた伊吹山がヌッと現れた。伊吹山は西の斜面がセメント採掘でスパッと切り取られて痛々しいが、冬は雪に覆われ、何事もなかったように美しい姿をしている。

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 名古屋で中央線に乗り換え、北上を続ける。中津川までは車窓に気を取られるような風景は少なく、文庫本を読みふける。私は中津駅に着くと待ち時間を利用し、改札口を出て正面に鎮座する恵那山を眺めることにしている。日本百名山に数えられているが、余り人気がない。むしろ島崎藤村の故郷の山として有名かもしれない。

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 ここからの中央線は、よそ見が出来ないほど忙しくなる。車窓の左に、右に中央アルプスの名峰が現れるのだ。名前そのものも美しい空木岳、木曽駒ケ岳、今なお噴煙を上げる御嶽山・・・。

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 松本駅には昼ごろ着いた。駅ビルを出て右手すぐに蕎麦屋があり、松本に来たら立ち寄る店だ。「榑木野(くれきの)」という店だが、読み方が難しいので、何度来ても覚えられない。蕎麦の量も多く、美味しい。お焼きとのセットを注文した。

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 次に向かうのは信濃大町だ。学生時代から何度もここで乗り換え、白馬に行った。駅の右手に馬肉の専門店があり、馬刺しの塊を買った記憶があるが、大町の古老から「そんな店はないよ」と一蹴された。人間の記憶というものは、いい加減なものなのだ。

 松本を出ると、左手には常念岳の尖がった名峰が見えるはずだが、この日は雲が湧いており、まったく見えなかった。大町駅からは針ノ木岳、鹿島槍ケ岳なども見られるはずだが、これも雲の中。おまけに、大町市街を歩いていると吹雪になり、この天気の急変には参った。

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 電車が木崎湖、青木湖を過ぎる頃、雪は本格的に降り、みるみる雪が積もった。北アルプスの山岳風景も楽しむことが出来ず、終点の南小谷駅までは退屈だった。駅から温泉までは路線バスだ。半時間ほどかけて急な山道をノロノロと走った。ここには3軒ほどの旅館があったらしいが、今は山田旅館だけになっていた。

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 小谷温泉は、雨飾山(1963m)の登山口にあり、登山者のバイブル「日本百名山」を著わした作家深田久弥もたびたび訪れていた。深田は雨飾山に挑み続け、戦後、3度目の挑戦でやっと登頂を果たした。妻もいる彼は密かに別の女性と山田旅館に逗留したこともあり、その大人の恋愛余話は今も語り草になっている。

 武田信玄の家臣が見つけたという温泉は、標高850mの山腹にある。ひなびた趣があり、秘湯の中の秘湯だ。湯が滝のように浴槽に落ちて来る。加水もしていない正真正銘の源泉掛け流しだ。泉質はナトリウム炭酸水素塩泉で、家に帰ってからも肌がヌルヌルしていた。

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 若い人はともかく、私たち年寄りにはこたえられない旅館だ。明治、大正の古い建物はギシギシときしむが、炬燵に足を入れて湯の余韻を反芻していると、ほっこりする。塩漬けで保存されたワラビは絶品だった。昨年は中仙道・妻籠の蕎麦屋で塩漬けの方法を教えてもらったが、失敗した。今度こそと思い、山田旅館の女将から根掘り葉掘り聞いた。

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 翌日、朝食をすませると女房が風呂に行ったので、私は散歩することにした。前日とは打って変わって晴天である。2、3mもある雪の壁を見ながら通行禁止の道を登った。カーブを曲がった所で雪が低くなっており、滑りながら除雪された雪の上に立った。そこには絶景が広がっていた。北アルプスの峰々が神々しく光っていたのだ。

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 旅館の主人に写真を見てもらうと、百名山の鹿島槍ケ岳、五龍岳だという。山は方向によって随分形が異なるものだ。帰りのバスからは、白馬鑓、杓子、白馬の「白馬三山」が見えた。2年前の夏、2泊3日で三山を縦走したので思い入れが強く、感動した。バスの運転手さんは、はしゃぐ私のために2回もバスを止めてくれた。感謝、感謝!

      ↓ 白馬三山
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 帰りの電車からも、次々と北アルプスの名峰が現れ、目を楽しませてくれた。双耳峰の鹿島槍を始め、針ノ木岳、爺岳のピラミッドが青い天を衝いていた。次第に雲が湧いてきたが、常念岳の頂上が一瞬見えた。

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      ↓ 雲間から見えた常念岳のてっぺん
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 乗り継ぎの塩尻駅で名物の釜飯を買い、車中で食べた。昔は陶器の器だったが今はプラスチックだ。若い頃、何かの役に立つと思い、陶器を持ち帰ったこともあった。ケチな性格だった。

 奈良井宿と木曽福島を歩いて帰途についたが、それにしても木曽路は欧米の旅行者が多い。日本の原風景を探訪するのが目的だろう。知らない小さな駅で大勢が降りたが、どこかへ向かうのだろう。ぜひ、穴場を教えてほしいものだ・・・。

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エジプト・・・ピラミッドは想像を絶した

 エジプト旅行記の最終章は念願だったピラミッドの見学で締めくくりたいが、その前に余り愉快ではない話から始めたいと思う。

 砂漠の中にそびえるギザのピラミッド群を見上げながら、ぶらぶら歩いていた。石をまたいで通路に戻ろうとすると、首から身分証明書のようなものをぶら下げた肥満男が近づいてきて、「そこを歩いてはいけない」と身振り、手振りで先に進むよう促した。

 ここのスタッフと思い、仕方なく前に進むと、男はまた近寄ってきて自分を指差して「ナゴヤ、ナゴヤ」と言った。どうやら、名古屋に行ったことがあると言いたかったようで、盛んに握手を求めた。余りにしつこいので、男を不審に思うようになった。

 すると今度は別の男がやって来て、私からカメラを取り上げると肥満男とのツーショット写真を撮った。私は男から無理やりカメラを取り上げ、ツアーの仲間がいる場所に戻ろうとしたが、「チップ、チップ」と言って執拗についてきた。

 私は相手にせず、ツアー仲間の所に戻った。ここには現地ガイドや添乗員もいたので、男たちは諦めて姿を消した。実は、われらにはツアーポリスが同行していたが、その時は姿が見えなかった。ポリスは政府が派遣した私服の警察官だ。
    
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   ↑ 周囲に目を光らる私服のツアーポリスだが・・・
 
 別の場所では、同じツアーの年配の女性がアラブ人からこれまた「チップ」を取られそうになっていた。男は頼まれもしないのに砂漠の砂をすくってきて押し付け、チップを執拗に要求したのだ。気丈な女性は撃退したので良かった。

 ガイドの話によると、ラクダを引く男たちが一番悪質らしい。10ドルほどでラクダに乗せるが、砂漠の遠くまで行き、帰るならもっと金を出せと吹っかけるそうだ。ネックレスや絵葉書を売る男たちもしつこく付きまとう。途上国の観光地に何度か行ったことがあるが、これほどひどい物売りはいなかった。

 今思えば、ツアーポリスは物売りとグルかもしれない。物売りがたくさんいる所に肝心なポリスがいないのだ。政府にすれば、トラブルが多いという理由でツアー会社にポリスを雇わせる。雇用が生まれ、確実な収入源になるのだ。ポリスも物売りも同じエジプト人なので、そこは持ちつ持たれつの関係だろう。

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 文句はこれくらいにして、いよいよピラミッドへの大接近である。ピラミッドは遠くから見るより、近寄って見上げて初めて巨大さが分かる。まずはギザ三大ピラミッドで最大のクフ王のピラミッド。底辺の長さが230メートル、高さは138・8m。頂上部分が崩れているので、本来は146・6mあった。崩れた頂上に避雷針が立っていた。

 ピラミッドに使われた石は石灰岩で、1個平均2・5トン、全部で300万個が積み上げられたという。紀元前2000数百年ごろの建造だ。当初はピラミッドの表面に化粧石が施され、すべすべしていたが、今はそれらが崩落し、底辺の部分に残されているだけだ。

 これだけの石をどうして積み上げたのか。傾斜した道を作って運び上げ、徐々に道を延ばして高度を上げていくのだ。完成まで2、30年かかったらしい。この途方もなく大きなピラミッドを目の当たりに、ただ「おお」という感嘆の声を上げるのが精一杯だった。その存在感は想像をはるかに超えていた。

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      ↑ 基部に残っている化粧石。すべすべしていた

 このピラミッドの中にチケットを買って入った。入場制限があるらしいが、すんなり入れた。入場制限を強調するのもエジプト人のはったりだろう。入り口は底辺から5、6mほど上にある穴まで巨石を越えて行かねばならない。手で石を触り、ピラミッドの大きさを実感することが出来た。

 内部に設けられた通路は人がすれ違うのがやっとの狭さで、しかも急傾斜だ。石の天井が低いので、かなり腰をかがめても頭をぶつけてしまう。最後の急な階段を登ると、20畳か30畳ほどの空間があり、ここが棺を納めた「王の間」である。天井が高く、石棺が一つ置かれただけの殺風景な場所だ。ここへ来るまでに、汗びっしょりになった。

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     ↑ 黒くなった穴から内部に入る

クフ王通路
     ↑ 内部の構造

 次はバスに乗ってギザ三大ピラミッドが一望できる場所に行った。カフラー王のピラミッドは、父クフ王のピラミッドよりも少しだけ低く、頂上部分に化粧石が残っている。化粧石は自然に剥がれたのではなく、カイロ市街の舗装用に使われたと聞いた。棺が納められた王の間は、ピラミッドの基部にあったらしい。

 このピラミッドの右にある小ぶりなピラミッドが、クフ王の孫にあたるメンカウラー王のピラミッドだ。他のピラミッドの半分ほどの大きさだ。財政難で縮小されたらしい。19世紀、ここから発見された棺は船で大英博物館に運ばれたが、転覆して海に消えた。ツタンカーメンの墓の発掘に関わった多くの人が死んだと言われるが、どちらも墓を掘り返したため呪わたという風説が流れた。

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       ↑ カフラー王のピラミッド

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 人間の頭とライオンの胴体をくっつけたスフィンクスは、カフラー王のピラミッドの守り神だ。紀元前2500年ごろ、ピラミッドと同時期に作られたらしい。日本の神社の狛犬のようなものだろう。全長73・5m、高さ20m。この世界最大の彫刻の前には大勢の観光客がいたが、不思議と物売りの姿は見られなかった。

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 スフィンクスでこの日の見学が終わった。夜はオプショナルツアーになっており、ナイル川をクルーズしながらディナーを楽しむ。料金は一人9000円。アフリカ大陸を二分するナイル川、しかもここから人類最古の文明が起きた。世界に冠たるナイルのクルーズは土産話にもなる。ただし、川は相当汚染していた。

 100人以上は入れるフロアで、ショーが始まった。まずはフランクシナトラのような甘い歌声が流れる。映画007シリーズに出てくるようなシチュエーション。ジェームズボンドが、妖しく美しい女性から色目を使われているシーンを想像してしまった。

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 なんたって、私の密かな楽しみはベリーダンスだ。エジプトが本場だそうだ。腰、腹、お尻を扇情的に回し、激しく震わせる。腰の蝶つがいが外れるのではないかと心配した。下腹部の筋肉、これはもう芸術的で、今もまぶたに焼き付いている。ダンサーは各テーブルを回り、濃厚なダンスを延々と続けた。そしてナイルの夜は更けた・・・。

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 翌日は、まず古代王朝時代の首都メンフィスへ向かった。カイロからバスで1時間ほどの距離だ。バスは、ナツメヤシの林が延々と続く運河沿いの道を走った。私は人々の営みや生活の匂いが伝わってくる農漁村が大好きで、ずっと窓に顔をくっ付けていた。

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 やがてメンフィス博物館に着いた。小さな博物館で、紀元前14世紀ごろのファラオ・ラムセス大王に関連する文化財が多く展示されていた。大王は90歳まで生き、息子111人、娘69人の子宝に恵まれた。王妃や側室がたくさんいたとしても、よくぞこれだけ産ませたものだ。絶倫・・・。

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      ↑ メンフィス博物館はこじんまりしていた

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 昼食のため立ち寄った食堂で、婆さんと孫娘(?)がパンを焼いていた。石窯で焼くので、外はカリッとして、中はふんわり。パンにスパイスのきいたマヨネーズのようなものを挟むが、そのまま食べた方が美味しかった。エジプトは総じてパンが美味しい。

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 次は、ピラミッドの原型となった「階段ピラミッド」を見に行った。ここはギザから10km南のサッカラという場所だ。紀元前27世紀に建造された最古のピラミッドで、6層になっている。高さは62m、東西125m、南北109m。階段状になっているのは、ファラオが天に昇るためだそうだ。

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 ミイラを作るときに取り出された内臓は壷に入れられ、ピラミッドから少し離れた場所の地下深くに安置された。穴の底を覗いたが、10m以上あった。これは盗掘用の穴だそうだ。

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 ピラミッド見学は大詰めだ。屈折ピラミッドと赤いピラミッドがあるダハシュールの町へ。カイロから40km南にある。ここも見渡す限りの砂漠。この二つのピラミッドは紀元前2500年代、クフ王の父が建造したという。

 赤いピラミッドは、使われた石が赤味を帯びていたのでそう呼ばれた。高さは104m、エジプトのピラミッでは3番目に高い。傾斜は緩く、底辺は220メートル。

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 エジプト旅行の最後に現れたのは、何とも奇妙な形をした「屈折ピラミッド」だ。高さ105m、底辺189m。どうしてこのような形になったのだろう。

 同じ時期に建造していたピラミッドが崩壊してしまったので、途中で建造方法を変更し、傾斜を緩くしたという説。また、建造中に王が病気になったので、完成を急ぐため高さの目標を下げたという見方もある。

 いずれにしても、完璧な造形美を見せるピラミッドの中にあって、この異色のピラミッドはどこか親しみを感じる。そこには、古代人の挫折、悔しさが滲んでいると思った。「誰だって間違いはあるよ」・・・。そんな言葉をかけたい気分になった。このピラミッドに、クフ王の父が埋葬されることはなかった。

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エジプト・・・5000年の歴史にため息が出た

 エジプト旅行の2日目は、いよいよ古代エジプト5000年の歴史に足を踏み入れる。観光への出発まで時間があったので、ホテルからピラミッドに向かって散歩することにした。10分ほど歩くと鉄柵のようなものがあり、そこから格子越しに巨大なピラミッドが見えた。

 砂ぼこりのためか、少しかすんでいた。エジプトは国土の90%が砂漠らしく、砂ぼこりは日常的な光景なのだろう。ピラミッドの背後にも砂漠が広がっており、アラビアのロレンスがラクダにまたがり、疾走する映画のシーンと重なった。

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 そのラクダについてだが、ちょっとした余談がある。関西空港に帰ると、入国審査カウンターのあたりに「ラクダに乗った人、触った人は申し出て下さい」という貼り紙があった。ラクダと一緒に夫婦で写真を撮ったが、それほど親密な接触はなかったので、そのまま外に出た。

 しばらくして、気になることを思い出した。1ドル払ってラクダと写真を撮った際、私のカメラは性能が悪いので、添乗員がシャッターを押すまで少し時間がかかった。するとラクダが鼻先を私の首のあたりに押し付け、「ブル、ブル」と変な音を出した。思えば、その時鼻水が飛んだかもしれず、あれはヤバイかもしれない。

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 ピラミッド付近がかすんでいたため、予定が変更になり、先にエジプト考古学博物館を見学することになった。ホテルはナイル川の西岸、博物館は東岸にあり、バスでの移動には渋滞でかなり時間がかかる。カイロは慢性的な渋滞で、クラクションの音がすさまじい。

 やっと辿り着いた博物館の展示は「凄い」の一語に尽きた。ここはツタンカーメンの博物館としても有名で、誰でもが知っている黄金のマスクが展示されているほか、歴代ファラオ(王)たちの彫刻、棺、ミイラなど古代エジプトの全容を伝える文化財が所狭しと展示されている。

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 博物館の前庭には、紀元前の古代エジプトの彫刻があちこちに置かれいた。日本人からすれば無防備、無造作と思えるほどの展示で、手で触るのも自由だ。

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 館内に入ると、まず1階には「これでもか」というほど彫刻が展示されている。ツタンカーメンの部屋を除き、全館で写真撮影が許されている。日本の博物館では、カメラを構えたら係員が飛んできて怒られる。

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 古代エジプトについてまったくの無知だから、あれこれ偉そうなことは書かない。ただ、下の写真3枚のように、左足を前に出している像は生きている人物、両足がそろっているのはすでに亡くなっている人だそうで、これは古代エジプト入門のイロハらしい。

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 ツタンカーメンの黄金マスクもそうだが、ファラオたちはみなアゴに奇妙なものをぶら下げている。あれは何だろうと思っていたが、年末に京都で開かれていたエジプト展に行き、それが付け髭であることを教えてもらった。神はアゴ鬚を生やしていたと信じられており、神を真似することで「神の永遠の支配力」にあやかりたいという表れなのだ。

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 1階の中央あたりに「ロゼッタストーン」の複製が置かれていた。ファラオたちの付け髭のことも知らない私だが、ロゼッタだけはそれなりに知っている。吉村作治というエジプト博士のテレビ番組で知ったのだと思う。ロゼッタは1800年ごろ、古代エジプトの首都メンフィスで発見された石版だ。紀元前200年ごろに文字が刻まれたものという。
 
 つまりその頃、古代エジプト文字を読み書きできる人物が存在していたのだ。石版には、同じ内容の文章が古代エジプト文字、ギリシャ文字など三種類の言語で書かれていた。もしこれが見つかっていなければ、古代エジプト文字を解読することが出来なかったと言われる。エジプトの至宝だが、イギリスの大英博物館に収蔵、展示されている。

 ところで、旅行から自宅に帰り、たまっていた新聞に目を通していると、韓国の地方裁判所が韓国人窃盗団によって対馬の寺から盗まれた仏像について、日本側に引き渡さなくてもよいとの判決が載っていた。理由は「盗難や略奪などの不正な方法で対馬に安置された」というものだが、その証拠は何ひとつ示されていない。

 法律より国民感情を優先させるとんでもない判決で、反日色の強い韓国マスコミでさえ疑問を投げかけていた。国連で文化財の返還をめぐり様々な論議がなされており、エジプトもロゼッタの返還を求めているかもしれない。しかし、韓国裁判所のような奇妙な判決が出たという話は聞かない。もし、大英博物館が外国の文化財の返還に応じれば、収蔵庫は空っぽになるだろう。

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      ↑ ロゼッタストーンの複製

 次は博物館の2階を見学しよう。ツタンカーメンの別室には、未盗掘の墓から見つかった若きファラオの黄金マスクや棺、遺品の数々が展示されており、ここだけ写真撮影が禁止されていた。

 ツタンカーメンは紀元前14世紀のころの王で、幼くして即位し、統治期間は9年とされている。ミイラが残っているのでDNAや血液型、さらには足の病気を患っていたことが分かっている。使用の形跡がある杖が130本も見つかっており、ツタンカーメンは杖にすがり、足をひきずっていたのだろう。死因には諸説あるらしいが、毒殺が有力との事。王位をめぐる権力闘争が熾烈だったのかもしれない。

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       ↑ ミイラが納められていた純金の厨子のようなもの

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 何年か前、台湾の故宮博物院に行き、最も人気のある「翠玉白菜」を見た。高さが20cm足らずの小さな彫り物だが、形といい、色合いといい、白菜そっくりだ。これを見るためには長い列に並ばなければならず、やっとガラスケースの前に辿り着いても後ろから押され、わずか10秒か20秒くらいしか見ることが出来なかった。

 それに比べ、ツタンカーメンの黄金のマスクの前には人だかりがなく、ぐるり四方からゆっくり見ることが出来た。ケースの前に誰も人がいない時さえあった。マスクの知名度は、台湾の白菜よりは数段上だと思うが、要するに観光客が少ないので混雑しないのだ。テロの脅威や政情不安を象徴的に表す光景だと思った。

                                                          (続く)

エジプト・・・初めてのアラブ世界に触れて

 ナイル川のほとりにヤシの木が数本、その木陰で旅するラクダが体を休め、砂漠の向こうにピラミッドが天を衝いている・・・。エジプトと言えばこんな風景をいつしか頭に刻んでいる。多分、幼少期に見た絵本の残影だろう。

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 そんなピラミッドの国に行ってみたい思っていたが、女房から格安のエジプトツアーがあると聞いた時、一瞬戸惑った。関西空港を飛び立つ飛行機はトルコのイスタンブールに向かい、ここで乗り換えてエジプトのカイロに行くが、トルコもエジプトもテロの多発地帯だ。外務省はレベル1の渡航情報を出し、注意を呼びかけている。

 しかし、行くことにした。危険はあるが、まさか自分たちに限ってという安易な気持ちがある。災難というものは天から降ってくるもので、旅行に行かずとも、道を歩いていてビルから外壁が落ちてくるという運命的なものもある。もう、わが人生それほど思い残すこともないし、万一の時に備えて旅行保険にも入った。

 深夜に関西空港を飛び立ったトルコ航空は、一路イスタンブールへ向かった。トルコまでは13時間半ほどの長旅だ。そこからカイロまでさらに2時間余り。計16時間近くかかるが、エジプトは一見の価値があるから、多くの日本人がピラミッドの国を目指すのだろう。

 実は、関空のトルコ航空カウンターに衝撃的な貼り紙があった。関空-イスタンブールは週7便運行されていたが、2月からすべてを運休するという告知である。テロの続発で旅行者が減り、採算に合わないのだろう。その証拠にわれらが搭乗した飛行機は空きが目立ち、3席を独占して寝る人もいた。

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        ↑ 今月いっぱいで関西空港からこの翼が消える(トルコ上空)

 カイロ市内を歩いていていると、添乗員がリッツカールトンホテルの高層ビルを指差し、「ごく最近、売却されたらしい」と言った。これも観光客の減少が引き金になったのだろう。観光地の各所では自動小銃を手にした警官が警戒しており、人が集まるショッピングモールでもセキュリティーチェックが行われていた。厳戒態勢は観光立国としては当然のことだろう。

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       ↑ リッツカールトンも売却されたらしい

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 中東のアラブの国に入るのは、今回が初めてだ。まったくと言っていいほどアラブ人のことを知らないし、イスラム過激派ISのように怖いイメージがあるだけだ。エジプトで見た彼らは大きな声でしゃべり、まるで喧嘩しているみたいである。でも、肩を叩き合い、握手を繰り返し、笑い声は闊達で、笑顔は人懐っこい。

 スカーフで頭髪を隠すヒジャブをまとうアラブの若い女性は、目が大きく、顔の彫りが深い。世界の事情にうとい私が感想を言うのはおこがましいが、どんな民族よりも美しいと思った。肩が触れた時に見せた笑顔もこれまた見たことのない艶っぽさで、卒倒しそうになった。ただ、中年以上の女性の下半身はズバリ偉大であった。

 目だけを出すニカーブという服装は何度もテレビで見ているが、実際にすれ違うとドキッとする。テロの切迫に怯えるフランスやドイツでは、メッシュで目元を隠すブルカという服装を禁止する風潮が強い。女性たちはお洒落もしたいだろうが、それよりも信仰という精神性を重んじるのだ。敬虔な彼女たちを目の当たりにして、不気味と思ったことを恥じた。

 現地ガイドに連れられてカイロの町を歩いた。

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落花生

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 どこからかコーランの祈りの声が聞こえてきた。あのくぐもった大音響こそ、イスラム圏に足を踏み入れた実感だ。名前は忘れたが、二つのモスクを見学し、二つ目のモスクの中に入った。3、400人ほどの人たちが聖地メッカの方向にひざまずき、礼拝していた。

 女性が中に入るには、スカーフを頭からかぶるか、すっぽり体を覆う緑色のマントのようなものを借りなければならない。女房は持参のピンク色のスカーフをかぶった。夜鷹などとふざけたことは言わないが、怪しげであった。緑色のマントをまとった女性たちもまた、魔法使いの女のいでたちだ。

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      ↑ 女房のピンクのスカーフは怪しげ・・・

 時間を数時間前に戻す。イスタンブールからカイロに向かう機中で、窓際に座っていた女房が「見えた、見えた。カメラを」と私の体をつついた。首を捻じ曲げて後方を見ると、確かにピラミッドが三つ見えた。下の写真では分かりにくいが、画像の右下に陰影のある正四角錐のピラミッドがある。

 生まれて初めて見るピラミッドだ。なるほど向こうに砂漠が広がり、手前には市街がすぐ近くにまで迫ったいる。事前に学習した通りのロケーションだ。これを見るために13時間半の旅を続けてきた。

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 その夜は、ナイル川西岸のギザにある大きなホテルに泊まった。中庭にはプールがあり、部屋も広い。ベランダに出ると、ピラミッドが二つ見えた。砂ぼこりのためか少しかすんで見えるが、ともかく大きい。うれしくなってビールを買いに行き、女房と乾杯した。明日はもっと近くで見ることが出来るのだ・・・。

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                                                           (続く)

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