明治村で見た家内の母校

 3月中旬、家内とともに青春18キップを利用し、長野県の浅間山と戸隠へ旅行した。青春キップは1冊5枚綴りになっており、うち4枚は長野旅行で使ったが、1枚残っている。家内が友人と旅行に行ったので、私はこれを使って岐阜へ行った。

 まずは犬山城へ行くことにした。天守が国宝に指定されているのは、松江城、姫路城、彦根城、松本城、そしてこのこの犬山城の五つしかない。犬山城以外はすべて行ったことがあるので、とりあえず私の国宝の天主めぐりはひと区切りとなる。ちなみに、弘前城など現存する天守のある12の城もすべて行った。

 青春キップはもちろん、鈍行列車の旅である。大津駅を午前7時過ぎに出発し、米原、大垣で乗り継ぎ、岐阜で高山線の電車に乗った。沿線では桜が満開になっており、白や黄色の花も咲き乱れ、例年より早い春爛漫である。ひたすら、車窓の風景に見とれた。

 9時半ごろ、犬山城最寄りの鵜沼駅に着いた。駅前から木曽川のほとりに建つ城の姿が見えた。威容を誇るといったものではなく、素朴でこじんまりした城だった。この名城もまた、戦国時代の戦乱に巻き込まれ、多くの血が流れた。

 お城へ行くには、道案内の標識など必要なく、ひたすら天守を眺めながら木曽川沿いの道を歩けばいい。道には満開の桜が覆いかぶさり、右手には木曽川の水が淀んでいた。半時間ほど歩き、石の階段を登ると、わが国最古の天守閣である。

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 どの城も同じだが、城内の階段は急である。手すりをしっかりつかみ、慎重に登った。天守に登ると、係員が「はい、右に一周して下さい」とせかした。そう言われても、高所恐怖症の私には難儀なことである。しかも、一周する板の廊下は、微妙に外側に傾斜しており、背後の壁にへばりついて歩いた。城主様に投書したいほどだった。

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 次は、「博物館明治村」の見学だ。明治時代の建物を移築し、1965年に開園したテーマパークである。実は家内から「見てきてもらいたい建物がある」と頼まれていた。それは家内が通っていた母校小学校の講堂である(下の写真)

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 名鉄の犬山駅から出ているバスに乗り、半時間ほど揺られて明治村に着いた。思っていたより広大な敷地で、全体を知っておくためチンチン電車に乗り、見て回った。明治時代に京都市内を走っていた本物の電車で、「これぞレトロ」という感じである。チンチンという音がまたいい。

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 園内は五つのエリアに分けられ、60以上の明治の建築物や灯台などが移築されている。幸田露伴や夏目漱石など文豪の家やホテル、銀行、派出所、はたまた監獄まである。じっくり見学すれば、とても1日で回ることは出来そうにない。

 さて、家内の母校の講堂である。ひと目見るなりその立派さと大きさに驚いた。講堂は目抜き通りの一等地にあり、ここでは年間通じて様々な展示が行われている。今回は、明治の近代化の歩みを錦絵で辿る企画が催されていた。

 予備知識がなければ、瀟洒なこの講堂は都会にある小学校を想像するかもしれないが、そうではない。大阪府で唯一の村である南河内郡千早赤阪村に建っていたのだ。ここは、後醍醐天皇を奉じた南朝の武将・楠正成の本拠であった以外は、これといって特筆するようなものもない村である。

 講堂は明治30年ごろ、大阪府立の尋常中学校の本館として今の堂島に建てられたもので、昭和4年、校舎の改築に伴って解体。千早赤阪村に移築された後は、小学校の講堂として使用されたという。明治期の洋風建築で、1階はアーチ型のデザインで、2階の窓は上下に開閉できる最新式だ。

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          ↓ 2階の講堂
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 驚いたことに、1階が屋内運動場になっていたことだ。今は床が板張りになっているが、当時は石畳になっていたといい、板張りの下に当時のままの石が残っているという。2階は御真影が掲げられた講堂で、家内が小学生の頃、壇上で日本舞踊を踊ったことが今なお忘れられないと言っている。岐阜への旅で、家内の思い出の建物に出会えて良かった。
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雪の戸隠・・・神域を歩く

 浅間山中腹の温泉宿に泊まり、翌日のこの日、小諸城跡などを回った後、しなの鉄道に乗って西隣の上田市に向かった。ここにはこれまで二度来たことがあったが、少年の頃に熱中した真田十勇士のお膝元であり、素通りするのもいささか味気ない。鈍行列車で行く気ままな旅だから、下車することにした。

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 到着したのは昼前であり、家内と相談して蕎麦を食べることにした。家内のスマホで蕎麦屋を探してもらうと、最初にヒットしたのが「刀屋」という老舗だった。駅前から5分か10分ほどの所にあり、その店はいまひとつ野暮ったい店構えだが、しかし得てして、こんな店に名店が多い。

 店の前には5、6人が店先の椅子に座って順番を待っていた。やはり、行列の出来る人気の店である。しばらくして2階の6畳ほどの和室に通された。80歳近い旦那衆5人と、東京から来たという中年の夫婦が注文した蕎麦を待っていた。

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 私たちはメニューを見て「大盛り」を注文しようとしたら、例の旦那衆から一斉に「多すぎて絶対、食べられないよ」と言われた。半信半疑で「並み」の盛り蕎麦を、女房も「並み」のくるみ蕎麦を注文した。やがて蕎麦が運ばれたが、その「並み」はピラミッドのようにうず高く盛られており、仰天した。三人前はありそうだ。

 蕎麦は太目で、腰がしっかりしていた。無骨な感じだが、実に美味しい。都会の蕎麦屋の有名店はもったいぶったように少量で、所詮蕎麦なのに何を勘違いしているのか、気取っている。嫌味を言うのはさておき、私たちは旦那衆の目が注がれているので、意地でも食べ切らなければならない。家内も身をよじりながら何とか平らげた。

 旦那衆は、佐久市から来た常連客で、「ここは池波正太郎さんが贔屓にしていた店だよ」と教えてくれた。池波さんと言えば歴史小説の大家であり、私は「真田太平記」「剣客商売」「鬼平犯科帳」はもちろん、かなりの作品を読んできた。また大変な美食家で、作品の中には季節の料理が織り込まれている。この旅で池波さんの足跡に触れることができ、幸運だった。

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 次は、列車で長野駅に向かい、ここでバスに乗り換えて「戸隠」へ行く。半世紀も前に遡るが、大学1年の冬、サークルで白馬の八方尾根へスキーに行った。その時に付き添ってくれた助教授から、北アルプスの山々のことを色々と教えてもらった。その大半は忘れてしまったが、戸隠連峰の姿だけは妙に記憶に残っている。

 白馬からはかなり遠くに見える戸隠連峰は、台形の上がギザギザになっている特異な形だった。しかも「戸隠」という名前は、隠れ里のようなミステリアスなイメージがあり、記憶に刻まれた。長野にはこれまで何十回となく足を運んだが、戸隠に行く機会はなかった。それがやっと、今回実現した。

 バスは雪深い飯綱高原を越え、山岳信仰の霊場・戸隠に着いた。終点のバス停は、戸隠神社「中社(ちゅうしゃ)」の石段の下で、木立の間から戸隠連峰が見え隠れし、もう興奮を抑え切れなかった。その全貌を見るのは翌日の楽しみとし、「高山坊」という宿坊にリュックを下ろした。

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 戸隠と言えば、これはもう蕎麦である。それぞれの家に蕎麦打ち職人がいると言われるほどで、古来、暮らしに蕎麦がなくてはならなかったのだろう。宿坊の食事にも蕎麦が出たが、上田市の蕎麦屋「刀屋」で吐き気がするほど食べたので、少し残した。

 宿坊の主人は実に親切な人で、翌日、車であちこちを案内してくれた。特に、私たちの山好きに配慮して、戸隠連峰とその後ろに連なる北アルプスがよく見えるポイントへ車を走らせてくれた。

 スキー場の近くから見た戸隠連峰には朝日が当たり、岩峰に張り付いた雪がまぶしかった。美しいと思うと同時に、何か不気味でもあった。ふと、東北旅行で行った青森県下北半島の霊場「恐山(おそれざん)」を思い出した。溶岩がむき出しになった恐山の光景は地獄のようであり、戸隠にも同じようなことを連想した。

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 連峰の北東の端には、鋭い三角形の日本百名山「高妻山」(2352m)がそびえていた。この近寄り難いオーラは一体何だろう。神宿る山とは、このようなことを言うのだろうか・・・。

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 戸隠に漂う最も濃厚な神域は、樹齢400年とも言われる杉木立の参道だそうだ。その一番奥にある戸隠神社「奥社」まで歩こうと思ったが、宿坊の主人から「雪が深いので、さぁ、行けるかどうか・・・」と言われた。途中で引き返すつもりで大鳥居の前に立った。

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 ここから奥社までは約2キロ、その中間に朱色に塗られた藁葺きの「随神門」がある。とりあえずそこまで歩くことにした。雪は踏まれているが滑りやすく、参道が真っ直ぐ続いていた。見上げると、前方には戸隠の山が覆いかぶさっていた。

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 半時間ほど歩いただろうか、前方に随神門と思われる建物が見えてきた。実に鮮やかな朱色で、神域を守るような威厳があった。一礼して門をくぐり、もう少しだけ歩こうと思った。ここからは参道の両側に杉の古木が立ち並び、厳かな雰囲気だ。

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 もう少し、もう少しと思いながら歩いた。やがて参道は急になり、家内は滑って転んだ。多分雪の下は石段になっているのだろう。息を切らして登ると、社殿の屋根だけが見えた。これが奥社だろう。奥社は、岩屋にかくれた天照大神を外に出てもらうため、岩戸を開けた神が祀られているという。

 急坂をよじ登ると、鳥居は上だけを残して雪に埋まっていた。奥社の社殿も軒下まで雪が積もっていた。鳥居の上に100円玉を載せ、二拍手してお参りした。その左側には、別の社殿がほとんど雪に埋まっていた。水を司り、歯の神様でもある九頭竜社だ。(下の写真)

 戸隠神社は、「奥社」、その横の「九頭竜社」、バス停がある「中社」、最古の建物「宝光社」、芸能の神様を祀る「火之御子(ひのみこ)社」の5つの社によって構成されており、このすべてにお参りした。半世紀を経て、白馬から見たあの戸隠の地に立つことが出来た・・・。

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浅間山の赤い湯にほっこり・・・㊤

 噴煙を上げる浅間山(2568m)の中腹に、赤茶色の湯がこんこんと湧き出る温泉があるという。時はまさに、青春18キップを利用して旅人が行き交う春3月。われら夫婦は鈍行に揺られ、長野県と群馬県にまたがる浅間山に向けて小さな旅を始めた。

 午前5時58分、大津駅で新快速電車に乗り、乗り換えの米原駅へ。そう言えば去年の今頃も、青春キップで長野県北部の小谷温泉に向かっていたが、松本を過ぎると雪になり、震え上がった。しかし今年は東の空がオレンジ色に染まり、春のような陽気である。

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 湖北の伊吹山(下の写真)に見送られ、名古屋から一路、長野を目指す。

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 中津川のあたりからは、日本の原風景ともいうべき風景が続き、いつまでも見ていたいと思う。赤いトタン屋根の民家が点在し、木曽川が右に左に。中津川出身の島崎藤村は、名著「夜明け前」の書き出しで「木曾路はすべて山の中である」と書いた。川端康成の「北国」の冒頭と同じように、情景を彷彿とさせる。

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 いつものことだが、中央線は車窓に目を奪われ、席を行ったり来たりと忙しい。やがて右手に純白の山並みが見えてきた。中央アルプスの名峰・空木岳だろうか。何と美しい名前を付けたのだろう。白い花を咲かせるウツギは幹が空洞になっており、だから「空木」の文字を当てたのだと、勝手に思っているのだが・・・。

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 左手には、数秒間だけ大きな白い山塊が見えた。噴火で多くの犠牲者を出した御嶽山だ。3年前、大雨に降られて途中から引き返した苦い経験がある。もう一度、挑戦する日がくるだろうか。

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 塩尻駅で乗り換えの時間が少しあったので、弁当とビールを買った。この駅は昭和57年に駅舎が移転し、それまでのスイッチバックが解消された。大学1年の時、夜行列車に乗っていて、気が付くと列車が反対方向に走っており、驚いた。スイッチバックという言葉も知らないウブな学生だった。

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 弁当を食べながら、山岳風景を楽しんだ。車窓の右手には、南アルプスの甲斐駒ケ岳が姿を見せ、文字通り、将棋の駒の形をした名峰だ。左には八ヶ岳の岩の山々。リュックには単行本を入れてきたが、車窓に気を取られてまだ1行も読んでいない。

 小淵沢駅から小海線に乗り換え、小諸駅を目指すのだが、家内はこの小海線に思い入れが強い。若い頃、職場の友人と八ヶ岳に登り、下山して乗ったのが小海線で、もう一度乗りたいと思い続けていたという。家内は遠い昔を見つめていた。

        ↓ 甲斐駒ケ岳(上)、八ヶ岳(下)
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 田園地帯を走る列車の先に大きな山が見えた。浅間山だ。運転席の窓際に走り寄り、シャッターを押した。いい年をしてまるで子供のようなはしゃぎぶりだ。浅間山が見える場所にはこれまで何回も来たことがあるが、いずれも雲でよく見えなかった。今回初めて山の全容を見ることが出来た。

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 小諸駅には、旅館の人が車で迎えに来てくれていた。宿泊するのは「天狗温泉浅間山荘」という宿で、標高1400mの所にある。旅館で迎えてくれたのは、お尻が妙になまめかしい放し飼いの豚だった。親近感を持たれたのか、鼻をならして擦り寄ってくるのだ。豚でも何でも好意を寄せられるのはうれしい。

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 食事の前、あたりの山を散歩した。谷川が赤く染まっていた。お湯は透明だが、空気に触れると酸化して色が変わるという。温泉も下のような色。硫黄の匂いもして、効能がありそうだ。安っぽい常套句になるが、本当にポカポカして湯冷めしない。一風呂浴びたら夕食だ。山の食材が盛られおいしかった。

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 2日目は、小諸市観光の定番「懐古園」を駆け足で見て回った。ここは小諸城の跡で、立派な門があった。城郭の石はのづら積みで、自然石を加工せずに使った素朴な味わいがあったが、それ以外は失礼ながらそれほど見るべきものはなかった。桜の城として有名らしいが、つぼみはまだまだ固かった。

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 私たちは宿場町をぶらぶらするのが好きで、機会があれば足を運ぶことにしている。今回は小諸駅からふた駅ほど先にある「北国街道 海野宿」を歩いた。江戸時代に栄えた宿場で、立派な旅籠や民家が100軒ほど軒を連ねる美しい町並みだ。ゴミ一つ落ちておらず、地域住民の保存への熱意が伝わってきた。

 節句のこの時期、軒先に暖簾がかかっている家ではお雛さんが飾られており、自由に見ることが出来た。豊かな家々が多かったのだろう。「うだつ」のある家も何軒かあった。「うだつ」とは隣家との間に立派な防火壁のようなものが作られ、こうした家は金持ちで、逆にない家は「うだつが上がらない」となるらしい。

 宿場の風景は、中山道や東海道に目が行きがちだが、日本海側と江戸を結ぶこの土地にかくも立派な宿場があるとは、恥ずかしながら知らなかった。この後、上田市に向かうが、時代小説の大家池波正太郎ゆかりの美食と巡り合った・・・。(続く)

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古木に咲く盆梅・・・なーんか励まされる

 このところ、琵琶湖を渡る風に春の兆しを感じる。先日、そんな穏やかな天気になったので、湖北の長浜盆梅展を見に行くことにした。夫婦で軽トラに乗り、湖を東から西に一周する計画だ。日差しが強く、これまで手離せなかったダウンコートを着てこなかったのは正解だった。

 自転車で琵琶湖を一周する「びわ一」が人気だそうで、湖周道路に乗り入れると、各所でサイクリングロードの補修工事が行われていた。日ごろ湖岸を歩いていて、例年より渡り鳥が少ないと思っていたが、しばらく走ると無数の鳥が湖面で羽を休めており、安心した。やはり琵琶湖の冬の主役は水鳥だ。

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 琵琶湖大橋のたもとを少し北上すると、割と有名なビューポイントがある。雪の比良山系と手前の菜の花を一緒に撮影できる場所で、春の訪れを告げる一枚になる。早い時間なのでアマチュアカメラマンの姿はちらほらだったが、いま流行のインスタグラムにアップするのか、スマホを向ける若者の姿もあった。

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 右手に彦根城を見ながら走り、午前11時ごろ、盆梅展が開催されている長浜市に着いた。黒壁のある商店街をぶらぶらしていると、アーケードに曳山祭りの看板がかかっていた。高山祭、祇園祭とともに日本三大山車祭りに数えられ、世界遺産に登録されている。山車の上で演じられるこども歌舞伎が有名で、4月13~16日まで行われる。

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 昼食は色々迷った挙句、いつも食べる焼きサバ素麺になった。家内には悪いが、北陸生まれの私には郷愁をくすぐる料理である。焼きサバと素麺を甘辛く炊いたもので、北陸では祝い事や法事などに欠かせない。海外暮らしが長かった郷里の友人が和歌山に遊びに来た時、これを出してやると、泣きそうになりながら食べていた。それほど懐かしい味なのだ。

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 商店街から15分ほど歩くと、盆梅展が開かれている慶雲館だ。この建物は、明治天皇の京都行幸に際して建てられたもので、その名前を付けたのは当時総理大臣の伊藤博文だそうだ。庭園には、湖西から船で運んだという巨石が配してあり、国の名勝になっている。

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 慶雲館の玄関では、「仁寿」という樹齢150年の梅が出迎えてくれた。盆梅の背後には金屏風が立てられ、白い花が際立っていた。仁寿という名前は、「知者は人生を楽しみ、仁者は長生きする」という論語から命名されたという。この名前はまさに、ズバリ私の願いであり、ちょっとうれしくなった。

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 散り始めている梅もあり、少し時期が遅かったようだが、しかしそれでも、古木に花を咲かせる盆梅は見事というしかなかった。中でも「不老」と名付けられたこの盆梅は樹齢400年と伝えられ、鮮やかな赤色のつぼみを付けていた。枯れ木にしか見えない古木が花を咲かせる生命力。毎年多くのファン引き付けるのは、枯れても生き続ける不思議な生命力だろう。

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      ↑ 樹齢400年の「不老」

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 会場の近くで地ビールを買い込み、帰路についた。北へ行くにつれて雪景色になり、ここはまだ春の気配が感じられない。湖西線今津駅すぐ前の商店街で、琵琶湖名物の鯉の煮付けを買った。甘めに煮てあり、子がいっぱい詰まっている。その晩は、フルーティーな地ビールを飲みながら、鯉の濃厚な味を楽しんだ。

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雪の竹野海岸でカニを食べる

 日本海の竹野海岸へカニを食べに行った。この1泊旅行は、娘が招待してくれた。焼きガニ、しゃぶしゃぶ、カニ味噌・・・。グルメ番組のタレントのように、「甘ーい」なんて月並みで安っぽいコメントはしない。本場のタグ付きのカニだから、美味しいに決まっている。

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 海岸に近い民宿を予約したが、そこに決めた最大の理由は、ペットと一緒に宿泊できることだ。この寒い時期に、愛犬ぴーちゃんを自宅で独りにしておくのは忍びない。ぴーちゃんはもう中年なので車の中でしゃぐようなことはなく、上目使いでわれらの会話に耳を傾けていた。

 まずは香住に向けて車を走らせた。「応挙の寺」で知られる大乗寺で、円山応挙や弟子たちによる襖絵を見るのが目的だ。入場料は800円で、寺の女性が案内しながら解説してくれた。まずは「孔雀の間」に通された。ほぼ原寸大と言われる大きな孔雀が描かれ、背景に金箔が貼られた豪華な襖絵だ。

 さすが応挙の作品だと思ったが、解説の女性は「デジタル再生画でございます」と付け加えた。最先端の技術を駆使した絢爛な襖絵だが、それはただのレプリカ、印刷物なのだ。「芭蕉の間」「山水の間」もデジタル再生画らしく、名画を後世に残すため本物を収蔵庫で保存しているそうだが、理由はどうであれ裏切られた思いだ。

 私のような素人でも、本物の絵を鑑賞する時、作者がそこにいるかのような息遣いを感じたいと思うものだ。絵の一本の線にしても、迷いのない技量を見逃すまいと見つめる。カニの例えで恐縮だが、ズワイガニは水揚げされた地名のタグが本物を証明してくれる。デジタル再生画なんて冗談じゃない。

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 次は、列車転落事故が起きた余部鉄橋に向かった。1986年12月28日午後1時半ごろ、鉄橋を通過しようとした7両編成の回送列車が強風に煽られ、40m下の水産加工場の上に転落した。工場で働いていた主婦5人と列車の乗務員1人の計6人が死亡した。日本海を望む風光明媚な余部は、一瞬にして惨劇の地となった。

 私が働いていたメディア関係の本社には、午後の遅くに事故の一報がもたらされた。前夜は泊まり勤務だった私は、この事故の取材でまたも泊まることになった。最初は「そんなアホな」と半信半疑だったが、事故の詳細が明らかになるにつれ、風速30mの風の威力に戦慄した。

 鉄橋には、駅に通じるエレベーターが設置されていた。高所恐怖症の私には、恐ろしい高さである。雪が積もるプラットホームからは白波を立てる日本海が一望できた。それは墨絵のようだった。ここには道路もトンネルも通すことが出来ない地形であり、鉄橋は苦肉の策だったのだろう。かつて「裏日本」という負をイメージした言い方をしたが、余部はまさにそんな土地だった。

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 2日目は朝から吹雪になった。城崎温泉の近くにある国の天然記念物「玄武洞」を見学した。噴出した火山のマグマが固まり、石垣のような形状になったものだ。ここは玄武岩を切り出した跡地だが、この地方の家庭では、ころあいの石を持ち帰り、漬物石として使っているらしい。

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 昼近くになり、出石の皿蕎麦を食べることにした。娘がスマホで調べた人気店に入ったが、正直言ってわれら夫婦が打つ蕎麦の方が格段に美味しいと思った。蕎麦には「角が立つ」という言葉がある。包丁で蕎麦を切ったとき、切り口が鋭いという意味で、茹でたてでないとこうはならない。この店の蕎麦は、茹でて時間が経っていたのかもしれない。

 豊岡市出身の国民栄誉賞と言えば、登山家であり冒険家の植村直己である。実家の近くの里山に彼の名前を冠した「冒険館」があり、入館した。5大陸最高峰を踏破した登山用具や、北極圏で使用した犬ぞりなど多数の遺品が展示してあり、見ごたえがあった。

 彼が遺した言葉の数々も掲示してあり、その中に「冒険とは生きて還ること」とあった。しかし1984年、マッキンリー冬期単独登頂に成功したものの、下山途中に行方を絶った。「生きて還る」ことは叶わなかったのだ・・・。

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