早朝、パジャマ姿で山小屋の周辺を歩いた。森の冷気はすがすがしく、少し肌寒い。1週間ぶりに山小屋に帰ってきたのだが、下界の猛暑が嘘のようだ。隣の敷地をふと見ると、河原撫子が一輪咲いていた。多分、自生したものだろう。すらりと伸びた茎の上にちょこんと咲いているピンクの花。まことに清楚なたたずまいである。
気恥ずかしくて、大きな声ではいえないが、ひまじんが一番好きな花が撫子なのだ。やくざの親分が「リカチャン人形、大好き!」と言えば、子分どもはずっこけてしまうだろう。ま、これに良く似た話である。
撫子は、竹久夢二が描く女性のイメージと重なる。物憂げな目元、ほっそりした腰のくびれ、思わず抱擁したくなる。撫でたくなるからその名がついたらしいが、夢二の女性はまさしく大和撫子そのものである。
ちょっとした縁があって、ある茶道家がひまじんを正客とした茶事を催してくれた。前もって、色々と質問があって、その一つに「好きな花は何ですか」があった。恥ずかしかったが「撫子です」と答えておいた。
茶室に入ると、床の間の備前焼に撫子が一輪。しかも、ひまじんの干支にちなんだ軸が吊るされていた。この心配りに、熱いものが込み上げるほどの感動を覚えた。撫子を目にすると、いつもあの茶事を思い出し、撫子への愛着を改めて強めるのだ。
さて、ひまじんが言いたいのは、ここからだ。日本代表女子サッカー、またの名を「ナデシコJAPAN」。どこが撫子や?もう、こらえて頂戴な、と言いたくなる。
北京五輪を決めたイレブンはすごいと思う。それぞれの技も情熱も文句なしだ。容貌のことは言わないが、まあみんな個性的だし、太ももは逞しい。鳥の巣のようなヘアースタイルをした選手もいる。掛け声だって、断末魔のような響きがある。
一流のアスリートに間違いないが、だからと言って、いくらなんでもナデシコはないだろう。大和撫子は「清楚」の代名詞なのだ。どこ清楚や?とまでは言わないが、これはどう見てもミスマッチだ。
恐縮至極でございますが、うちの女房は若い頃、撫子のような女性だった。嘘ではありません。ただし、2008年時点、もはや例える花はございません。サッカー協会も、ひまじんくらい謙虚になり、ネーミングを反省していただきたい。ガンバレ!北京五輪。

本日は午後からアユ釣りに行った。これくらいしか釣れなかったが、型は良かった。











