【夫の日記】 使い物にならない大工仕事

  長い階段を登らなければならないわが山小屋。大量の薪や重い荷物を運び上げるために、相当オンボロではあるものの、ミカン畑などにあるモノラックを取り付けた。

 道路沿いには高さ1メートルほどの大きな石垣が組まれており、モノラックの荷台はその上に止まることになっている。そこで女房は、荷物を石垣の上に運ぶための階段をつけてもらいたいと言う。ごもっともな要望であり、さっそく階段作りの大工仕事に取りかかった。

 杉の丸太4本を支柱にし、これに横板をはめ込んでステップにする。構想自体は間違っていないし、廃材などを利用するので、安上がりだ。

 丸太に横板をビスで取り付けるのだが、丸太なので微妙に曲がっており、組み立ては難航した。手伝ってもらっている女房は「あっちも、こっちも菱形になっているやないか」とうるさい。確かに、上から見ても下から見ても正方形でないと、安定が悪いのは分かっている。

 悪戦苦闘の末、一応完成したがガタガタと揺れる。でも支柱に石などをかませれば何とかなるだろう。石垣に取り付けようとしていると、同じ山に住んでいる彫刻家が車で通りかかった。「これは危ない!ひっくり返るので使ってはいけません」と辛辣なことを言う。

 次はログハウスを建てるログビルダーが訪ねてきて、「そもそも階段はステップの高さが18センチ以下でないと危ない。しかもステップが2枚だけというのは無謀。4、5枚は必要だ。何時間もかけて廃棄物作ったの?」。何たる言い草か。いたく自尊心を傷つけられた。

 言っておくけれど、私の兄は本職の大工が尻尾を巻いて逃げるほどの器用さで、寺のお堂まで建ててしまった。いとこはパリで創作活動をしている彫刻家だ。姉は七宝焼きの先生である。その同じ血を分かち合う私だけが、なぜこうも不器用なのか。

 実は思い当たる節がある。私は、車をバックで車庫入れするとき、どうしても真っ直ぐ駐車出来ない。チェンソーで丸太を切っても斜めになってしまう。ノコギリで板を切るのも同じだ。

 私の脳細胞がショートしているので、視覚情報がうまく脳に伝わらないのだと思う。性根が曲がっている訳ではなく、脳の病気なのだ。三半規管もおかしいのかなあ。

 容姿端麗な私に、天は二物を与えないのだ。へっ、へっ、へっ・・・。虚勢を張る「引かれ者の小唄」か?

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【夫の日記】 木のことをもっと知りたい/キノコ栽培

  考古学者の森浩一さんの対談集に、「欧米ではたった10種類くらいの木を見分けられれば一人前の大工」と書かれていて、びっくりした。森さんは、四季とともに暮らす日本人の自然についての知識や関心がいかに深いかを強調するため、こう書いたのだと思う。

 私が何種類くらいの木を見分けられるか、これまで考えもしなかった。名前を聞いたことがあるが、葉や花、実、樹皮などからそれがどのような木かを判断するのは、そう簡単ではない。白い花を咲かせるウツギにも5種類くらいあって、私にとってはどれも同じウツギに見える。

 それでも、たいていの日本人は杉、檜、梅、桜、銀杏、ケヤキなど何十種類かの木を知っているはずだ。私は山に囲まれた田舎で生まれ、育ったので、人よりも多くの木を知っているし、見分けることができる。

 ところが、キノコ栽培を本格的に始めるようになって、知らない木が多いなあというのが実感だ。インターネットに「きのこ栽培に適する樹木」というサイトがあって、42種類の木が紹介されている。このうち、種類を判別できる木は25種類だった。アサダ、タブノキ、ドロノキなど知らない木が意外と多い。

 以前はコナラとクヌギの区別がつかなかった。生石山に山小屋を建てる前は、エゴノキもミズキも知らなかった。それに、キノコの種類によってどのような木が適するかも詳しくは分からなかった。1昨年、コナラにヒラタケの菌を植えたが、発生を見ることが出来なかった。無知からくる失敗だった。

 今、キノコに菌を植え付ける作業をしている。このところ雨の日が多いのではかどらないが、30本ほどのホダ木を作った。ヒラタケはサクラ、ネムノキで12本。クリタケ8本、シイタケ12本はいずれもコナラである。専用のドリルで穴を開け、木槌で種駒を打ち込む。コーン、コーンという音が心地よい。

 この秋には、短木栽培のヒラタケが収穫できるはずだ。シイタケは来年春に、クリタケは来年秋に恵みをもたらしてくれるだろう。すでに栽培しているシイタケの原木からは、150個ほどの芽が出ている。秋にはナメコが昨年に続いて顔を出す。

 森の生活は木との共存である。木は薪となって暖をもたらしてくれる。キノコは樹木の恵みだ。木をもっと知らなければならないと、強く思う日々である。

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    ↓ キノコ小屋。口の悪い仲間は1年で倒れると言うが・・・
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    ↓ コナラにクリタケの種駒を植えた
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【夫の日記】 山小屋に百人力のモノラック

  15年前、ここ紀伊山地の森に山小屋を建てる時、景観か利便性かを迷った。つまり、山の斜面の上に建てると前の木々が邪魔にならず、見晴らしが良くなる。逆に、下にするとそれほど階段を上がらずにすむので楽チンだが、眼下の景色が見えにくい。

 その頃はまだ体力もあったので階段を上がることが苦にならず、結局、上の方に建てることにした。お蔭で、紀伊水道や美しい夜景を楽しめるようになった。しかしこのところ、山小屋に至る30段の階段を上がるのが正直しんどくなった。

 毎度くどくど薪の話を書いているが、来年の冬に備えて1000本を超える薪を作り、階段の下に山積みしている。これだけの量を山小屋まで運び上げるのは大変なことで、絶望的になることさえある。

 この山の斜面にエスカレーターのようなものを取り付けると、問題は一気に解決する。最近知り合いになったMさんに相談してみた。彼は面白い男で、大手企業でロケットなどの設計をしていたが、もうアイディアが絞り出せなくなったとあっさり退職し、紀伊山地に自分でログハウスを建て、奥さんとともに住みついた。

 最初の頃は鱒やアマゴを養殖していたが、それだけでは食べられない。そこでカナダの高名なビルダーの手ほどきを受けて、ログハウスの建築を手がけるようになった。なかなか器用な男である。

 彼が私に提示した運搬手段は三つ。一つ目は鉄パイプを斜面に敷いてその上に荷台を置き、ウインチで引っ張り揚げる。二番目は、瓦を揚げる屋根葺き用の梯子を使う。最後はミカン畑などでよく見かけるモノラックを取り付ける。ただ、これは費用がかかり過ぎるのが難点だ。方法はMさんに任せて、設置を頼んだ。

 そして昨日、Mさんが軽トラにレールのようなもの積んでやって来てた。モノラックの中古が見つかったので、今から工事を始めるという。山の仲間に助っ人を頼むと、たちまち4人が駆けつけてくれた。

 モノラックはモノレールのようなもので、ギザギザの滑り止めの付いたレールの上をガソリンエンジンの動力で動く。鉄パイプを地中に打ち込み、レールを固定する工事は手際よく進んだ。最後にエンジンと荷台を取り付けた。

 さあ、試運転だ。かなりくたびれた代物だが、エンジンは簡単にかかlり、青い煙を出して爆音を響かせる。ギアを入れると、快調に、力強く上へ、下へ。荷台は大きく、大人が4、5人乗ってもビクともしないパワーだ。本当は荷台に人が乗ってはいけないが、仲間や女房たちは代わる代わる乗り込み、大はしゃぎだ。

 これがあれば、まさに百人力だ。薪の運搬はもちろん、これまで散々苦労したプロパンのボンベ運びも楽になる。焼酎や食糧の買い物袋はポイと荷台へ。海水を入れた重い釣り用のクーラーボックスも勝手に運んでくれる。

 私たち夫婦は体が動く限り、山小屋に住み続けたいと思っている。いや、多少不自由になってもモノラックの世話になりながらこの森で暮らしているだろう。古びた機械だが、私たちにとっては光り輝いている。

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【夫の日記】 清水温泉に行く

  朝5時に目が覚めた。激しい雨が屋根をたたき、大きな音がする。いつもだと、起きる時間なのだが、もう少し眠りたい。

 きのうの夜は、私たちと同じ生石山に移住して20年以上になる木の工芸品を作る岩さん夫婦、元M重工の技術者で今は近くの山に住んでいるMさん夫婦、そして私たち夫婦の6人で鍋を囲み、日付が変わっても飲み続けていた。だから一旦目覚めても、また深い眠りに落ちてしまった。

 7時半ごろ起きてストーブの前で暖をとっていると、女房も起きてきた。私は同じ姿勢で飲んでいたためか、背中がひどく痛い。女房は左腕が思うように上がらない四十肩(?)で今朝も痛がっている。


 互いに患部をマッサージし合ったが、どうも女房の力の入れ具合が昔とは違うと思った。私は若い頃肩こりがひどく、女房は10分、20分、黙々と健気に揉んでくれた。今はほんの数分で終わってしまう。背中に伝わる気配に、長い歳月の流れをしみじみ思うのだ。「あれから30年!」・・・綾小路キミマロの漫談が、グサリと胸に刺さる昨今でございます。

 ま、厭味はこれでおしまい。痛みを和らげるのに温泉がいいだろうと話が決まった。近くにはいくつも日帰り温泉があるが、半額の入浴券を持っている清水温泉に行くことにした。車で20分ほどの近場だ。

 有田川の青い流れを見ながら車を走らせる。午前11時に到着すると、入浴は正午からだという。仕方がないので、温泉の近くにある高齢者支援施設で行われていた和紙作りを見学させてもらった。お年寄り10人くらいが専用の器具を使って、コウゾウの木の皮を処理していた。

 コウゾウはミツマタほど白くはないが、質感があって丈夫らしい。ここで透かれる和紙は「保田和紙」と呼ばれ、皇室にも献上された。清水の町は、秋篠宮妃紀子さんの曾祖父の生まれ故郷として一時有名になった。紀子さんも和紙作りを見学され、その時の写真が貼ってあった。

 正午になったので温泉に入った。一番風呂なので気持ちがいい。湯は透明で、肌がつるつるする。湯につかると、手と足の先っぽがジンジンと痺れ、有効成分が体内に吸い込まれるように感じる。どうして温泉は人を幸せな気分にしてくれるのだろう。

 帰りの車の中で、ポッと頬を赤らめた女房は「肩が少し楽になったみたい」とご機嫌だった。私は「いい湯だったが、やはりお前のマッサージの方が効果があるなあ」と、持ち上げてみた。女房はこちらの真意を見透かしたように、いやーな顔をしていた・・・。

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【夫の日記】 山猿が歴史に挑む/全16巻

  初孫の顔を見るため、和歌山の山小屋から滋賀の自宅に帰り、久しぶりに大型の本屋に立ち寄った。探していた本があったので、迷うことなく買った。

 「日本の歴史」(小学館)の第1巻「列島創世記」だ。全16巻の全集である。これからこの大作に挑もうと思っているが、途中で投げ出すかもしれない。これまでも、決意新たに様々な大作を読破しようと試みたが、道半ばで挫折している情けない男なのだ。

 ここしばらく、好きな本を気楽に読んでいたが、心のどこかに忘れ物をしたような気分になっていた。そう、私には歴史観というものがないのだ。青二才の頃、唯物史観をかじったことはあるが、いまはもう忘却の彼方にある。

 歴史小説は好きだし、近代史や現代史をめぐるノンフィクションもよく読む。それはそれなりに面白いと思うのだが、本の中身を歴史的にどう位置づければいいか、自分なりの確たる思想も哲学もない。早い話、歴史の教養がないのである。

 この年になって今更どうでもいいと思うが、その一方、アホのまま人生を終えていいのかという思いもある。チャランポラン人生の反動がここに来て、少し真面目に考えようとしているのかもしれない。

 歴史は途切れることなく続く一本の線である。線に描かれた出来事や人々の営み、文化など全てを知ることは不可能だが、まずは通史としておおまかに日本の生い立ちからこれまでを知ることから始めなければならない。歴史を辿れば、歴史の見方というか、その方法論が見つかるだろう。そして、その線上に現代を理解する手がかりが得られるかもしれない。

 きのう買ったばかりなので目次しか読んでいないが、第1巻はホモサピエンスが列島に足を踏み入れた4万年ほど前から始まる。そして、モノや社会を作ったヒトの心を解き明かしていく。

 賢そうなことを偉そうに書いているが、所詮は山の中で、魚を釣り、薪を作り、畑を耕している男である。社会参加も社会貢献もせず、ただぶらぶらしているだけで、人様に自慢できるような信念も理想もない。

 そのうち化けの皮がはがれて、分厚い本を枕に高いびき・・・。いや、いや、今度こそちょいと根性を出してみるか。

  ↓ 日本の歴史・全16巻に挑む。右は焼酎のお湯割り。先が思いやられる。
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【夫の日記】 初孫が生まれた!

  孫が生まれた。私たち夫婦にとって初孫である。息子のお嫁さんNちゃん、あっぱれだ!予定日より1週間ほど早く、体重は2900グラムだった。母子ともに健康で本当によかった。あ、そうそう、男の子だ。

 Nちゃんのお母さんから電話があり、翌日、和歌山の山小屋から大阪の病院に向かった。付き添っているお母さんに案内されて周産期センターに行くと、Nちゃんがベッドに座り、育児かなにかのパンフレットを読んでいた。

 「ご苦労さま。元気な子でよかったね」と、ねぎらいの言葉をかけると、「痛かったわー。死ぬほどやった」と笑顔を見せた。生涯の大仕事を果たした満足感がその表情にあふれていた。

 やがて、ベッドに寝かされた孫が連れてこられた。私も、女房も覗き込む。すやすやと眠っており、時々ピクリと頬の筋肉を動かしている。鼻が高く、耳が大きい。欲目を差し引いても、かわいい顔をしておるわい。女房は「仏さまみたい」と感無量である。

 帰りの車で、「ばあや」「じいや」と呼び合い、年甲斐もなくはしゃぐ私たちだった。孫が片言を話せるようになると、「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶだろう。もう、そんな歳を迎えているのだ。孫を抱き上げる好々爺の姿を思い浮かべてみるが、まだしっくりこない。

 息子夫婦はこの子にどのような名前をつけるのだろう。あらかじめ相談があったので、「耕」という文字を組み合わせたらどうかと言っておいた。息子の名前は「拓」の文字を使っている。息子が「拓き」、その子供が「耕す」という意味なのだ。

 ここ何十年か、子供にヘンな名前をつける親が多い。とても読めないような名前だったり、突拍子もない当て字だったり。日本語の本来の美しさが感じられないのだ。「耕す」は日本の原点であり、目をつむればその原風景が広がる。ま、これは手前味噌だが・・・。

 誤解を恐れず言わせてもらうと、ヘンな名前の流行と、家庭教育の崩壊が重なっているように思えてならない。名前をファション感覚でしか捉えない風潮ともいえる。一部の親は、子供の名前に込めた願いを棚に上げ、家庭教育や躾を放棄して自分勝手で享楽的な生活を送っている。

 名前が人格を形成してくれる訳ではない。礼儀や作法も自然に身につくはずもない。まずは親の責任であり、社会や学校が補完的な役割りを果たすのだ。勝手な親ほど社会や学校に責任をなすりつけるのだ。

 孫が元気にすくすく育ってくれることを願うばかりだ。母になったNちゃんは穏やかで聡明な女性なので、良い子に育てるだろう。願わくは、孫を時々、私たちの森の山小屋に連れてきて欲しい。

 虫や魚と遊び、風に吹かれ、木々に触れさせる。きっと、感性豊かな子に育ってくれるはずだ。小遣いもあげるし・・・。

【夫の日記】 ネコとの友好親善/釣りは不発

  今にも桜の花が咲きだしそうな陽気である。風も弱く、海面は穏やかだ。季節はずれの春霞なのか、早くも飛来した黄砂なのか、遠く紀伊水道を行く船がかすんで見える。

 由良湾の漁港で釣り糸を垂れている。アオリイカを釣るのが狙いだが、さっぱり当たりはない。バケツで水を汲み、手を浸けてみると、ひどく冷たい。多分、12、3度しかないだろう。これではイカの活性は悪く、深みでじっとしているに違いない。

 こんないい天気なのに、波止には私一人だけだ。釣れないと分かっていて来るのは余程釣り好きか、暇人のとちらかなのだが、私はその両方だから世話はない。やせ我慢ではなく、釣れなくてもいいのだ。2月半ばというのに、この暖かさである。海を見ながら、日がなボーッとして過ごすのはいいものだ。

 昼前、荷台に水槽を積んだトラックがやって来て、運転していた40歳くらいの男性が小舟でどこかへ走り去った。しばらくして帰って来ると、きさくに話しかけてきた。

 「イカ釣れるかい?」 「いや、一度も当たりがないわ」 「そうか、水温が下がっているので、漁もさっぱりやからなあ」。

 そう言って駐車場に向かい、すぐに戻ってきた。「これ、晩のおかずにしなよ」。差し出された発泡スチロールの箱の中で、大きなアジが5匹も跳ねている。トラックの水槽からとって来てくれたのだ。今朝がた、定置網に入ったばかりだという。

 気前のいい漁師さんだ。しょぼくれ釣り人に同情してくれたのか。思わぬ好意がうれしかった。5匹もあれば、刺身に塩焼き・・・。女房には自分で釣ったとウソは言えないが、これで少し胸を張って帰れる。

 依然として当たりはない。コンビニ弁当を食べることにした。向こうから顔見知りの野良ネコがやって来た。白と灰色の子猫だ。おかずをやると、おいしそうに食べる。旧知の仲だから、安心して足元にまとわりつき、ニャオーン、ニャオーンとおかずをねだる。

 私の子供のころ、ネコに足を引っ掻き回され、それ以来、ネコに敵意を持ち続けてきた。石を投げつけたいと思うこともあった。しかし、この漁港のネコと知り合いになり、釣った外道の魚をやったりして友好的になった。ネコも私を善人として認めている。

 護岸の階段で昼寝をしていると、ネコは私の脇腹に体をあずけ、目を細めている。風采のあがらない男と猫が寄り添って昼寝をしている光景は、多分異様だろう。

 やがて日が傾き、潜水艦が大量の蒸気を噴き上げながら入港してきた。これを潮に竿を収めた。釣果はなかったが、代わりに大きなアジをもらった。ネコと遊び、親善を深めた。柔らかい日差しを浴びて昼寝もした。こういう日もあっていい。

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【夫の日記】 女房の草木染めが売れた!

  「あのこと、自分でブログに書いたらどう?」と女房に催促すると、「いややわー、恥ずかしい」。何を今更、年頃の娘のようなことを言う。「私が書いたら何時間もかかるわよ。代りに書いて。お願い!」と珍しく頭を下げるので、仕方なく・・・。

 瓢箪から駒という言葉があるが、今日の話題はまさにそれ。冗談半分の話がころころと意外な方向に転がり、ついには女房が「工芸作家」になるという話だ。

 女房は、ここ生石高原の森に山小屋を建てた15年前、草木染めと織りを始めた。周辺には様々な種類の木や草がいくらでもある。お湯を沸かす薪にも不自由しない。布を洗う水は美しい湧水だ。それ以来、アカメガシワ、山桜、ネムノキ、ススキ、ヨモギなどの草木を採り、染めを続けている。

 昨日、女房が親しくしてもらっているT子さんが、おやつを持って私たちの山小屋へ遊びに来てくれた。T子さんは私たちと同じ生石山で20年以上も暮らしている大先輩だ。

 女房は先日滋賀の自宅に帰った際、自分で染めた草木染のショールやランチョンマット、毛糸などをごっそり持ち帰っていた。これらをT子さんに見せながら、染めの話で盛り上がっていた。

 「これ、売ってみたら?」。T子さんから思いがけない言葉が飛び出した。実は彼女、生石高原にあるレストラン「山の家おいし」でアルバイトしている。ここでは、土産物や地元の果物も売っている。その一角に草木染めを置いてみたらという提案だった。

 女房は「そんな、未熟な染めを・・・」としきりに断っていたが、T子さんは「値段は私に任しておいて」と言い、染めとともに、先日女房がアケビの蔓で編んだ籠も持ち帰った。

 ところが何と、店頭に置いたとたん、男性客が「マフラーとして使えるなあ。気に入った」とショールを買ってくれたのだ。毛糸を何種類かの草木で染め、自分で織ったもので、それなりの値段が付いていた。

 その話を聞いて、女房は恐縮しきりだった。染めのほとんどを友人や身内にやってしまうので、残っているのは気に入らないものばかり。それが多少なりともお金になるのだから、うれしさ半分、恥ずかしさ半分といった心境なのだ。

 ランチョンマットやショールが数点置いてあるが、この先、買ってくれる人がいるかどうかは分からない。けれど、染めをする喜びが一つ加わったのは確かだろう。亭主としては女房に「染めの道」を深めてもらいたいと願っている。ついでに、売れたら私にも少し小遣いを・・・。

 ※ 「山の家おいし」はNPO法人「生石高原の大草原保存会」が運営している。高原はススキの名所で、年間5万人近い観光客が訪れ、2万5000人ほどが「山の家」を利用している。ぜひ、お立ち寄り下さい。

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【夫の日記】 キノコ栽培で小銭を稼ぎたい?

  朝5時過ぎに目覚めた。薪ストーブを一晩中燃やしておいたが、冷え込みが厳しく、室内は寒い。薪を取りに出たついでに寒暖計を見るとマイナス4度だった。

 女房のお目覚めまでに、室内を暖めておかなくてはならない。8時15分からの連続ドラマに間に合うように起きてくるので、3時間ほどの猶予があり、それまでには18度くらいにはなっているだろう。冬だから寒いのは当たり前だが、女房は「寒い、寒い!」と肩をすくめ、まるで私のせいのように言う。

 それはともかく、朝の冷え込みは好天を約束してくれるから、今日はキノコのホダ木置き場を別の所に移さなければならない。

 実は先日、ここ生石山に移住して20年になる先輩「岩さん」がわが山小屋にやって来て、貴重なアドバイスいただいたのだ。ホダ木を置いている場所を眺めながら、「ウーン」と唸りながら腕組みしている。キノコ栽培のベテランに何かがひらめいたらしい。

 「この場所はいかんなあ。ほれ、ここは風の通り道だから、ホダ木が乾燥し過ぎる。もっと杉林の奥に入れた方がいいと思う」

 なるほど、なるほど。そう言えば去年の夏、今の場所に移したのだが、シイタケもナメコも秋の収穫がそれほどでもなかった。もう何年も栽培しているのに、風の通り道とはうかつだった。やはりベテランは目の付けどころが違う。

 いま栽培しているホダ木はシイタケが24本、ナメコ11本、ヒラタケ5本の計40本だ。これとは別に、この春に菌を植える予定の原木22本を確保してあり、積み上げて乾燥させている。

 さらに、今年からクリタケを栽培しようと思っている。雑木林を伐採した際、ネムノキが何本かあったので、これを玉切りにしてとってある。ネムノキはクリタケに適しているらしい。鍋に良し、すき焼きに良し、楽しみだなあ。

 ホダ木を置く場所は、尾根から20メートルほど下った所だ。ここなら風は強くないし、木漏れ日が差す程度で、適度な湿り気もある。倒木を横に渡してシイタケのホダ木を交互に立てかけた。ナメコもこの近くを整地して、原木が3分の1くらい埋まるようにして並べた。

 ホダ木は70本くらいになるので、いずれ大量に収穫できるはずだ。生産者名を書いたシールを貼り、道の駅かどこかに出荷して小銭を稼ごうか。ま、これは冗談だが、親類、息子夫婦、友人、知人らに親善のあかしとしてお届けしよう。これ、微笑み外交・・・。

       ↓ シイタケのホダ木
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       ↓ ナメコのホダ木
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       ↓ このネムノキでクリタケを栽培する
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【夫の日記】 薪ストーブ愛好家の悲喜こもごも

  前回のブログでは、「木の気持ち」が分かったような不遜なことを書いて、少し恥ずかしい思いがしている。そして、その舌の根も乾かないうちに、今回は「薪の富豪」を見せびらかすような記事になってしまう。ご勘弁のほどを・・・。

 年末からこれまでのほぼひと月かけて、雑木林を伐採し、丸太を運び、薪にする作業に没頭してきた。下の写真のように、薪は敷地の道路沿いに積み上げた。大雑把な計算だが、大小合わせるとその数はゆうに1000本を超えているだろう。

 伐採は仲間3人で行い、木は公平に分けたから、他の2人も同じほどの薪を作った。薪の山を前に、3人とも「大富豪だ!」と無邪気に喜んでいる。これで来年は、何とか暖かく冬を越せるだろう。

 山の頂上付近に建つ山小屋はことのほか寒い。薪ストーブの暖房に頼る私たちにとって、薪はとても大切なのだ。備蓄量が多いと自慢になるし、少ないと焦る。そして、薪が少なくなってくると、ストーブに入れる薪を少なめにし、膝小僧を抱える始末なのだ。

 そんな苦労をするくらいなら、石油ストーブにすればいいじゃないかと言う人もいるが、そうではない。薪ストーブは体の芯から温まるし、炎は見ていて飽きない。エコということではなくて、森に住む人間の妙なこだわりなのだ。

 それに、夫婦喧嘩をすれば、私はストーブの前に座って心を静める。酒もうまい。そういう効果もあることを強調しておきたい。

 話は変わるが、昨年夏、会社の役員を最後に退職したご主人が奥さんを連れて私たちが住む森に移住してこられた。「永住します」と覚悟のほどを語っておられたが、昨年末、余りの寒さに震えあがり、娘さんのマンションに帰ってしまった。

 家には立派な最新の薪ストーブが据えられ、敷地の木をたくさん伐採したので、冬を越せるだけの薪の備蓄も十分だった。しかし、標高800メートルの厳しい寒さを甘く見ておられたのだろう。

 ところが昨日、そのご夫婦がひょっこり帰って来られた。そして、わが山小屋前に積まれた薪の山を見て、目がギラリと光った。羨望と焦りが交錯する複雑な表情だった。雑木林の伐採などこれまでの経緯を話すと、他の2人の山小屋にも足を運び、薪の備蓄を見学された。

 そして今日の出来事だ。先日の強風でミズキの大木が倒れ、別荘地内の道路を塞いでしまった。管理会社に頼まれ、このご主人を含む4人がチェンソーで倒木を切り、道端に寄せた。

 雑木を山分けした例のわれら3人が日向ぼっこしながら雑談していると、倒木の現場あたりからチェンソーの音が聞こえてきたのだ。「誰かなあ」と首をかしげたが、見に行くほどのおっちょこちょいではない。

 夕方、あのご夫婦の山小屋前を通りかかると、やはりというか、倒木を細切れにした丸太が積まれていた。ご主人は、3人組の薪を見て、焦ってしまったのだろう。私たちは富豪なので、とやかく言うつもりはないし、痛いほどご主人の気持ちが分かる。確かに今のままでは、来年の冬は越せないだろう。

 これが薪ストーブにこだわる人間の習性なのだ。山暮らしの生態学なのだ。宮沢賢治ではないが、「東ニ倒木ガアレバ伐ツテヤリ 西ニ枯レタ木アレバ行ツテ背負ヒ」・・・。

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【夫の日記】 薪作り、木の叫びが聞こえた

  大袈裟かもしれないが、近ごろ、樹木に畏敬の念に似た感情を抱くようになっている。これまでにも、ブナやカツラなどの巨木を前に、厳粛な気持ちなったことはある。神仏が宿ると言われる大きなスギやヒノキに手を合せたこともある。しかし、このような気持ちとは少し違うのである。

 ここ連日行っている薪作りが、そのきっかけとなった。当ブログで何回も書いたが、地元の農家に頼まれて雑木林を伐採し、その木を薪にするため森の空き地に運び上げた。この丸太を薪の長さに切ったり、割ったりする日々なのだが、この作業は15年前から毎年続けていることで、別に珍しいことではない。

 クマノミズキという木をチェンソーで切った時だった。切り落とした直径10センチ余りの薪が地面に転がり落ちた時、「ピシッ」という金属音がした。次も、その次も、そんな音がした。

 どのようなメカニズムなのか分からないが、要するに丸太の中央にヒビが入ったのだ。ミズキは「水木」とも書くように、水分の多い木なのでヒビが入りやすいのかもしれない。

 私にはこの音が木の悲鳴に聞こえたのだ。感情が高ぶっていた訳ではない。この老いぼれ、少年のように多感であるもずもない。しかし、確かにそう聞こえた。

 そして、次は直径30センチくらいのハゼの木を長さ35センチほどに切り、斧で二つに割った。ウルシ科の木の中心部が黄色いのは知っていたが、その断面に現れた黄色の鮮やかさが目に焼きついた。

 長い歳月をかけて蓄積されてきた色素が、まるで生き物のように光彩を放っていたのだ。ウルシ同様、ハゼも触れるとかぶれるが、その黄色い木部から自らが生きるために毒素を絞り出しているのだろうか。

 私たちが伐り倒した木々に、なぜか「すまない」という気持ちが込み上げてくるのだ。これまでにも毎年木を伐り、1年分の薪を作ってきたが、そんなことを思ったことはなかった。魚を釣り、道端の草を踏みつけ、虫を殺す。同じようにそれぞれの命を奪っているのに、今、木に特別の感情を抱くのはなぜなのだろう。

 今回のことと少し関係するけれど、私は「自然との共生」「自然に優しい」という言葉に多くの疑問を感じている一人だ。自然を食い散らしながら繁殖してきたわれら人類は、自然の疲弊が顕著になってくると、「共生」などという言葉を持ち出して、自然との融和を言って見せる。ご都合主義の極みであり、そもそも言葉自体がインチキ臭い。

 森に暮らし始めて1年半になるが、「共生」も「優しい」も何と難しいことなのかと実感する日々なのだ。「共生」や「優しさ」に対して論破するほどの能力もないので、生意気な事は言わない。

 ただ、万物への「慈しみ」とでも言うのだろうか、そんな気持ちが今の生活を通じて少し分かるようになり、木への思いにつながったのかもしれない。

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【夫の日記】 拝観料が高過ぎる/三千院

  「一粒で二度おいしい」--。確か昔、そんなキャラメルのキャッチコピーがあった。今回の当ブログはこれに似たセコイ記事となる。

 先日、和歌山の山小屋から滋賀の自宅に一時帰宅した際、京都の大原方面へ出かけたが、この時のことを二度書いた。一度目は昼食で立ち寄った花折峠の鯖寿司店。値段ががえらく高いので、少々難癖を付けてみた。二度目は、女房が草木染めの「大原工房」をレポートした。

 そして今回が三度目の記事となるから、大原へのドライブはあのキャラメルの上を行く厚かましさである。決してネタ切れではなく、いつか書こうと思っていたが、ついつい先延ばしになっただけでして・・・。

 女房が「大原工房」で染めを見学し、布地を買い求めるので、1時間や2時間はかかるはずだ。そこで工房から歩いて20分ほどの三千院を訪ねることにした。

 川沿いに歩く。アマゴが棲めそうな清流だ。左手の山には寂光院。山あいの盆地に畑や田んぼが散在し、大原のひなびた風景が随所に見られる。大原女が花を掲げてぬっと現れそうな雰囲気を今なお残しているのだ。

 三千院は何度も訪れているが、拝観料700円はやはり高いと思う。地方の寺院はもちろん、鎌倉だって200円とか300円くらいだ。それに、本尊の薬師如来は秘仏になっているし、立派な仏像が大勢いらっしゃる訳でもない。

 お寺は「苔むした庭園をどうぞ」と言いたいのだろう。真冬というのに、瑞々しい苔は緑色に輝いており、日頃の手入れが行き届いている。確かに維持費もかかるだろう。何度も言うが、それにしても、それにしても高すぎる。

 寺院は「信仰の場」なのか「観光地」なのか。現実には、余りにも観光地化していて、本来の信仰の場としての姿が薄らいでいる。葬式仏教、観光寺院などと陰口をたたかれるゆえんだ。

 比叡山の延暦寺には、天台を開いた伝教大師の「一隅を照らす」という言葉が掲げられている。「これすなわち国の宝なり」と続くのだが、要するに社会に役立つ人間になれと言う意味である。この教えに従い、仏教の興隆を思うなら、僧は門を閉めて修行に励めと言いたい。

 あれは80年代初め、京都で古都税紛争が起きた。市が景観保全のため拝観料から税をとる構想を打ち出したところ、観光17寺院は拝観を拒否して対抗した。京都には「白装束に逆らうな」という古い言葉があるが、その通りになり古都税は頓挫した。

 当時、観光業者は大打撃を被って気の毒だったが、門を閉めた寺院は閑散として、皮肉にも本来の寺の姿に戻った。信者を人質にとるような寺の傲慢さを浮き彫りにしただけの大騒ぎだった。

 ところで、三千院のある魚山は、天台声明の発祥の地と言われる。声明の旋律「呂」と「律」から名づけられたのが三千院を挟ん流れる「呂川」と「律川」である。「呂律が回らない」というのも、ここから生まれたらしい。

 酒飲みの私は、毎晩のように晩酌が過ぎて「呂律」がまららない・・・。拝観料は高かったが、いいことを教えてくららはった・・・。

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