【夫の日記】 ニホンカモシカが現れた

  見た!本当に見たのだ!私たちが暮らす森で、ニホンカモシカを。今年二度目の目撃である。

 軽トラを走らせ、女房と日帰り温泉に行く途中だった。生石山を1キロほど下った所で、女房が「車を止めて!」と叫ぶのだ。「いる、いる、ニホンカモシカがこっち見ている」と声を上ずらせている。

 車は急に止まらない。20メートルほど行き過ぎた。女房は「ほれ、あそこにいる」と言うが、すぐには分からない。やっと気づいた時には、立ち去る後ろ姿をチラッと見ただけだった。

 しかし女房は数十秒間にわたり、しっかり見たのだ。山の崖のような所にたたずみ、じっと女房の目を見ていたと言う。その距離は約30メートルだから、見間違えることはない。

 体長は80センチくらい、頭に小さな角がある。黒みがかった灰色の毛がふさふさしていた。つぶらな瞳に敵意はなく、むしろ友好的だったらしい。去り際も逃げるというのではなく、悠然と木立の中に姿を消した。

 実はその1か月ほど前、女房が借りている畑から車で帰る途中、高原の急斜面から道路を横切り、谷の方に向かう「動物」を目の前で見た。急ブレーキをかけるほどの至近距離だった。

 私は「ニホンカモシカの子供や」と言ったが、女房は「イノシシと違うの?」と言って信用しない。イノシシなら六甲山で何回も見ているので、そうではない。その姿かたち、毛の色から見て、ニホンカモシカ以外には考えられなかった。

 二度も目撃したのだから、やはり、このあたりにニホンカモシカが生息しているのは間違いない。国の特別天然記念物に指定されている野生動物が身近に徘徊していると思うと、妙にうれしくなる。ニホンカモシカが「ここは暮らしやすい」と、生石山の森に太鼓判を押してくれているようだ。

 カモシカの毛皮は水を通さず、保温性にも優れる貴重品だったので、昔から盛んに狩猟が行われていたらしい。明治の中頃、命中率の高い鉄砲が作られるようになると乱獲が進み、次第に個体数が減り続け、一時は全国に3000頭ほどしかいなかった、と物の本に書いてある。

 このため1955年、国が特別天然記念物に指定して保護に乗り出し、今では7万から10万頭いると言われる。一部の地域では農作物を食い荒らす被害が出ているようだ。

 ところで、戦後しばらくしてニホンカモシカの切手が発行されたのをご存じだろうか。私は少年のころ、切手を収集する真面目な良い子だった。実は、私のみすぼらしいコレクションの中にこの8円切手が1枚加わっていたことを思い出したのだ。

 当時よく使われていた切手で、それほどの価値はなかった。雪原にたたずみ、遠くを見つめているような図柄だったように思う。私たちの前に姿を現したニホンカモシカは、切手に夢中になっていた遠い昔を思い出させてくれた。  (写真は借り物です)

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【夫の日記】 森の中から「遷都」を想う

  私たちが暮らす山小屋では、NHK以外の地上波テレビが映らない。まあ、映ったとしても、お笑タレントたちがゲラゲラ笑うだけの民放番組など見たくもない。

 でも、BSにはいい番組もある。なかでも、平日の午後7時から始まるBSフジの「プライムニュース」は毎日見ている。時事問題について専門家の話を聞く番組である。

 先日、地方分権について中田横浜市長と、神奈川県の小さな町の町長がゲストとして呼ばれ、意見を聞いていた。最後にゲストに提言を書かせるのが恒例になっている。

 中田市長は「参加」と書いた。住民の政治、自治への参加が大切だと訴えるのだが、別に目新しくもなく、なーんだという感じだった。ところが、この町長は意表を突く2文字を書いた。

 「遷都」--。政治や経済は東京から移転出来ないが、天皇に京都へ帰っていただくことは出来るというものだ。しいては、文化の発信基地を京都に移そうという大胆な発想である。小さな町の町長の提言だが、なかなかの見識をお持ちのように感じた。

 私は京都には2回、通算6年勤務していたことがあり、天皇にお帰り願う声をたくさん聞いた。京都の政財界も機会あるごとに働きかけをしている。京都にとって「遷都」は長年の夢なのだ。

 と言うのも、明治天皇は東京に向かうとき、「ちょっと行って来る」と言われたという。だから市民は「ちょっと」だから、すぐに帰って来られると信じていたのだが、あれから140年ほど経ってしまった。市民たちは「もうそろそろお帰りを」というのが正直な気持ちだろう。

 そもそも、天皇が堀で隔てられたお城の中に住まわれているのは気の毒である。京都御所は市民が暮らす同じ地平に建てられており、一段高い所から見下ろすというたたずまいではないのだ。京都には、天皇ととも歩む風土が深く根付いていると思う。

 旧皇室典範には「即位の礼と大嘗祭は京都において行う」と書かれているが、これは明治天皇の強い指示であったと聞く。東京に移ってもそれは仮の住まいであり、京都御所こそが本来の住まいということだろう。天皇に直接聞いたことはないが、本音は「帰りたい」とおっしゃるのではないか。

 このように書くと、日章旗を掲げて参賀する右翼っぽい人物のように思われるかもしれないが、私は山の中で日々ぼーっとしている信念のない男である。ただ天皇にお帰り願う京都こそが、文化発信の中心にふさわしいと思っているだけだ。

 何もかも東京に一極集中する日本の姿はやはりおかしい。京都は千年の都であり続け、日本の根っこにある文化を培い、育んできた。しかも先取の気風が強く、文化はもちろん学問、思想など新しい価値観を発信する力は、東京とは違う力強さがあると思う。

 「遷都」がバネになり、京都から多様な文化が発信されるようになると、その相乗効果によって独自の文化を持つ地方も活性化するのではないか。日本文化が一気に花開いた室町時代は遠い昔だが、遷都というダイナミズムがその再来を予感させる。さて、どないやろ・・・。

 

【妻の日記】 鮎の甘露煮は料亭の味

 梅雨の晴れ間をぬって、ひまじん夫がたくさんの鮎を釣ってきてくれました。夫は久しぶりに甘露煮が食べたいと言い出しました。

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 十数年前、鮎の甘露煮の炊き方がわからないで困った私は、比良山の麓にある「鮎料理の比良山荘」に電話して、甘露煮の炊き方を教えてもらった事があるのです。今から思えば面識のない私によくぞ教えて下さったものです・・・。

 残念ながらそのレシピは大津です。長く炊いていないので、番茶でコトコト煮るぐらいしか思い出せません。でもね・・・今はインターネットで簡単に料理の仕方が分かるのですよね。圧力鍋を使って時間短縮の炊き方です。

 鮎は全部で17匹です。内臓を取り出すと書かれていますが、内蔵を出せば天然鮎の値打ちがないではありませんか。内臓の苦味がおいしいのに・・・。しかも有田川の支流で、清流五村川の鮎です。

 内臓を出さず塩でヌメリをきれいに洗い落し素焼きにしました。焦げ付かないよう鍋底にクッキングシートを敷いて、鮎を並べます。番茶を注ぎ日本酒、砂糖、しょうゆ、みりんで味付け。25分加圧して10分後ふたをあけます。後は弱火でコトコト煮ながら、山椒の実を加え好みの味付けをします。

 関西では有名な塩昆布「神宗」の塩昆布煮汁を少し入れてみましたが、これがグーでした。ひまじん夫は「これは売れる!」「うまい!」を連発です。

 はい、料亭の味が再現できたのです・・・。

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【夫の日記】 長梅雨に女房が殺気立つ

  ここ関西はなかなか梅雨が明けない。太平洋高気圧が弱くて、梅雨前線を北に押し上げてくれないらしい。長期予報を見ても、ここ1週間は雨と曇りのマークが続いており、梅雨明けは8月に入ってからのようだ。

 長い梅雨のため、山小屋は毎日のように霧に包まれ、湿気が体にまとわりついて気分が晴れない。女房は、衣類や布団がかび臭くて殺気立っている。

 喜んでいるのは雑草だ。十分な水分を吸って伸び放題である。女房は暇を見て草むしりをしているが追いつかない。幸い今日は天気が良さそうなので、草刈り機の出動だ。

       ↓ 伸び放題の雑草
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       ↓ これでも一生懸命です
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 新しい刃に入れ替えたので、気持ちよく切れる。しかし、私たちが暮らす生石山はその名の通り石が多く、草刈り機の刃が石に当ってすぐに駄目になる。それに、石の破片が飛んできて危ない。

 草刈り機の音が聞こえたのか、山の仲間のドイツ人ピーターが草刈り機を持ってやって来た。「これ使ってみなよ。便利だから」と貸してくれた彼の草刈り機は、2本のビニールロープが草をなぎ倒す仕組みになっている。石に当たっても危なくない。

 ロープ式の草刈り機があるのは知っていたが、使ったことはなかった。試してみると、これはすごい。刈り取るスピードが倍くらい早いし、木の根っこなど隅々まで刈り取ってしまう。回転するヘッドの部分だけを取りかえることが出来るので、早速買うことにした。

 貴重な梅雨の晴れ間である。午後からは冬に備え、近くの山から間伐材を運んだ。山の持ち主から許可をもらっているので、取り放題である。木はすべてヒノキだから、薪にするのがもったいないくらいだ。

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 山小屋から1キロほど下ると、軽トラがやっと通れるほどの細い林道に入る。イノシシかシカが今にも飛び出して来そうな鬱蒼とした山で、そこにはおびただしいヒノキが転がっている。チェンソーで適当な長さに切って積み込み、2回往復して40本ほどを運び上げた。これで4、500本ほどの薪が出来るだろう。火力を上げたい時に2、3本放り込めば、よく燃えてくれるから有難い。

 あと1週間くらいで梅雨は明けるだろうが、夏が来たと思ったらもう秋である。高地の秋の訪れは早いのだ。そして厳しい冬が来てまた一つ齢を重ねる。時間との駆けっこのようだ。あー、あ・・・。

【夫の日記】 物悲しく、ひぐらし蝉が鳴く

  滋賀の自宅から和歌山の山小屋に帰ってきた。車から降りると、ひぐらし蝉が鳴いていた。「カナカナカナ、カナカナカナ・・・・」。

 山小屋を一時離れた1週間前には、まだ鳴いていなかった。蝉はここ数日の間に地中から這い出し、鳴き始めたのだろう。

 ひぐらし蝉の鳴き声は、梅雨の終わりと真夏の到来を知らせてくれる。それなのに、どうして物悲しい鳴き方をするのだろう。「カナカナカナ、カナカナカナ」と・・・。

 私の好きな句がある。飛騨高山の俳人が残した多くの句の中の一つである。

    「かなかなや 暮れゆく岸に 釣れのこる」

 鮎釣りに夢中になり、ふと気がつくと日が暮れてひぐらし蝉が鳴いている。何人もいた釣り人はいなくなり、自分一人になっていた--という句である。

 私は山小屋の近くを流れる有田川に通い、時に時間を忘れて鮎釣りをする。流れに抗する1本の杭のように、川の中にたたずむ。いつしか日が暮れ、ひぐらし蝉の鳴き声が聞こえてくる。すでに、上流、下流にいた釣り人の姿はなく、自分一人になっていることに気づく。

 そんな時、背中の方からどっと寂寥感が押し寄せて来るのだ。急いで竿をたたみ、「カナカナカナ、カナカナカナ」の声に追われるように、河原をとぼとぼと歩きながら家路を急ぐのだ。

 何とも言えない寂しさ、孤独感・・・。それは何なのだろう。ひぐらし蝉の声が余りに悲しげであるためか、日暮れが人の命と重なるためなのか。

 童謡「赤とんぼ」の歌を聞くと、なぜか熱いものが込み上げてくる。野に山に、日暮れまで遊んだ子供の頃を思い出すのだ。そういえば、ひぐらし蝉の鳴き声は、帰りを急きたてる時計のようなものだったように記憶している。

 「カナカナカナ、カナカナカナ・・・」。今日は日食だ。日暮れと勘違いして鳴き出すのだろうか。

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【夫の日記】 秒読みの梅雨明け

  高校時代の友人が、わが山小屋で9日間過ごして昨日帰って行った。この間、雨が降ったり、曇ったりのあいにくの空模様だったが、皮肉にも彼が帰えるのを待っていたように晴れ上がった。

 そこで昼前、久しぶりにアユ釣りに出かけた。有田川の本流は先日来の雨で濁っていたが、支流の五村川は清流が復活していた。この川のアユは美しくて、おいしい。夕方まで粘って23匹が釣れた。その晩、8匹を天ぷらにして食べたが、塩焼きとは違った味わいがあった。残りは、例によって燻製にしてみた。

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 食事など友人の世話で忙しかった女房にも日常が戻り、さっそく草木染めを始めた。生石高原でススキを刈り取っていたので、少しもらってきて原液を煮出す。ススキは淡い黄色に染め上がり、女房のお気に入りの草木である。

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 高原のススキは、強い南風にあおられて波打ち、まるで緑色の大海原のようだった。標高800メートル余りの山の上だから、風は台風並みである。吹き飛ばされそうになって、まともに歩くことが出来ないほどだった。

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 この風の中に立っていて、ふとテレビの女性レポーターのことを思い出した。台風の実況中継で、レポーターは「強い風です。立っていられません!」などとわめきながら、わざとよろめいたりしている。自分も真似をしようと、たたらを踏んでいたら本当に転んだ。アホや!

 間もなく梅雨が明けるので、仮伏せしていたヒラタケの原木を本伏せにし直した。短木を包んでいた遮光ネットを外すと、切り口が真っ白になっていてキノコの菌がしっかり回っていた。この秋には、たっぷり食べられるだろう。クリタケ、ナメコ、シイタケも同時に出てくるので、キノコ四重奏である。

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 30個もの花芽がついていた笹ユリは、そのすべての花を咲かせた。自分で言ううのもなんだが、圧巻である。イノシシに球根を食べられなければ、来年も見事な花を咲かせてくれるだろう。

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 ブログの更新は1週間ほどお休みです。皆さん、暑気あたりなどされませんよう。 

 

 

【夫の日記】 感激、感動、友人の温泉通い

  私たちの山小屋に長期滞在している友人は、近場にある温泉に通い、すっかりはまり込んいる。和歌山県内には76の温泉があり、関西の「温泉天国」とも言える土地柄なのだ。

 まず彼に紹介したのは、紀美野町にある「だるま湯」である。成分が濃いので、関西では数少ない「療養温泉」に指定されているのだ。車で40分ほどの谷川のほとりにある。

 帰ってきた彼の第一声は「うーん、参った」のひと言。要するに、お湯が良かったらしい。私たちも何回か行っているが、それほどでもないと思うのだが・・・。

 次に薦めたのが「美山療養温泉館」だ。日高川の椿山ダムから山道を走ること10分、深い山に抱かれた一軒家の温泉で、ここも「療養温泉」なのだ。私たち夫婦が最も好きなお湯である。

 ナトリウムが主成分で、お湯につかると誰もが感嘆の声を上げる。体がつるつる、ぬるぬるになるのだ。それも尋常ではない。しかも、湯の表面をよく見ていると、プチプチと湯が弾けている。不思議な現象である。

 彼は今度もため息をついて山小屋に帰ってきた。「いやー、恐れ入りました。お湯にノックアウトされたよ」。八幡平の「玉川温泉」に次ぐ名湯だと感心するのだ。何度も湯船に入り、「体重が1・7キロも減った」と喜んでいるが、単にメタボ体形だから減りしろが大きいだけだろう。

 そして昨日。推奨した熊野本宮に近い「湯の峰温泉」に行くというので、私たち夫婦も行くことにした。片道3時間ほどの距離だ。山を越え、川を越える。カーブが多いので酔いそうになるうえ、二日酔いである。負け惜しみではないが、彼のベンツはそれほどクッションが良いとは思わない。

 世界遺産の熊野古道の標識がひんぱんに出てくると、いよいよ目的地は近い。湯の峰温泉は1800年前に見つかり、日本最古の温泉として知られる。熊野詣の折に、歴代の皇族らもこの湯でくつろいだという。

 名物は、巨岩の深い穴に造られた「つぼ湯」で、足もとから熱いお湯が湧いてくる。定員は2、3人で、順番待ちをしなければならない。若いカップルや夫婦が入る姿をよく見かけるが、私はつい余計なことを想像してしまうので困ったものだ。

 私たちは以前に入ったことがあるので薬湯につかり、友人には「つぼ湯」を体験してもらう。彼は頭から滝のような汗を流しながら出てきた。「この湯は何じゃ。もうたまらんなあ」と興奮している。いつも表現が大袈裟な彼だが、嘘ではなかろう。

 1800年前といえば弥生時代だ。当時の人々がこの同じ湯につかりながら農耕や狩猟の疲れを癒していたのだと想像すると、有難味も一段と増すではないか。

 日本人の風呂好きは今に始まった訳ではなく、太古の昔から民衆の楽しみだったのだろう。公衆浴場の歴史も古く、8世紀ごろには「施浴」という言葉が生まれ、寺院が社会的弱者のための慈善事業として風呂を沸かしていたらしい。

 ところで、私の疑問はただ一つ。太古の風呂は混浴だったのだろうか・・・。

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【夫の日記】 友にアジを釣らせる

  東京からやって来た友人が、ここ和歌山のわが山小屋に滞在して4日になる。毎日、雨、雨だから、口には出さないが少々退屈しているのだろう。

 水曜日の天気予報だと、午後から曇りになりそうなので釣りに出かけることにした。そのついでに、紀伊水道の美しい海を見せてやろう。

 醤油の発祥の地で知られる湯浅から延々と海岸の道を走る。都市圏や関西圏は道路が整備されているが、紀伊半島の道は見劣りする。それでも、半島の振興策か、南海、東南海地震への備えからか海岸の道路はまずまず整備されている。

 私の愛車は登録から10数年が経過しているスズキの軽トラだが、彼は生意気にもベンツに乗っている。これに乗せてもらって軽快に走り続ける。

 「関東の海はゴミが多いけれど、ここはきれいだなあ。」と感嘆の声を上げている。1時間ほどで景勝の白崎海岸に着いた。石灰岩の白い奇岩が海から突き出ている。ここではスキューバダイビングの人をよく見かける。海の透明度が高いのだろう。

 近くの大引漁港を覗いてみると、5、6人がアジ釣りをしていたが、1匹も釣れていなかった。女房が少し離れた船だまりに仕掛けを下ろすと、すぐ豆アジが釣れた。「さすがアジ釣り名人!」と、友人が感心している。

 釣れるスピードが遅いので、思い切って日の岬に近い阿尾漁港に転進することにした。ここは黒潮に近く、水温も高いのだ。案の定、10センチほどの豆アジが入れ食いになった。

 友人は初めてのサビキ釣りなので、最初は難儀していた。針が6本も付いているので、指に針が刺さって外そうとすると、今度はシャツに刺さる。次はズボンに・・・。

 それでも慣れるに従って次々釣れるようになり、大いに童心をくすぐられたようだった。結局、3時間ほどで200匹ほど釣り上げた。山小屋に帰り、一口サイズの刺身、唐揚げにして食べてもらったが、「うまい、うまい」を連発し、むしゃぶりついていた。

 彼の山小屋滞在はあと5日だ。野鳥のさえずりを聞きながら、森の緑と清々しい空気を存分に楽しんでもらいたいと思っている。

 わが山小屋を訪ねてくれる友人や知人も、多くが自然との触れ合いを満喫して帰って行く。しかし、滞在が2日か3日だけなので、珍しさも手伝って新鮮さを感じるだろうが、ここに長期滞在するとまた違った感想を持つに違いない。不便に辛抱できない人、都会の文化的生活が恋しくなる人、飛び交う虫に辟易する人・・・。

 この古い友には、自然の素晴らしさはもちろんだが、山の暮らしの実態を知ってもらいたいと願っている。山奥の暮らしはいいことばかりでない。冬は寒く、暖かくなればマムシが跋扈し、虫が体にまとわりつく。さて、彼はどのような思いを胸に帰っていくのだろうか・・・。

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【夫の日記】 わが山小屋の花鳥風月

  NHKの大河ドラマ「天地人」を見ていたら、千利休のお点前で徳川家康と直江兼継がお茶をいただく場面が流れていた。家康は秀吉の天下をめぐる生臭い話を兼継に語りかけていた。

 茶道に無知な私は以前、お茶事に招かれておどおどしたものである。茶室に入る前に、ある茶道研究家から「お茶室では政治やお金のことなどはお話にならぬよう。花鳥風月を話題にされたらよろしい」とアドバイスを受けた。

 うーん、花鳥風月か。とすると、侘び茶の完成者でもある利休の茶室で、家康の生臭話はその精神に反することになるが・・・。はて、どうなんだろう。

 それはともかく、こうしてブログを書くにあたって花鳥風月はまことに都合が良い。当たり障りがないし、風流である。それで今回は、わが山小屋の花々を少し紹介してみようと思う。ただ如何せん、写真がまずい。1万円くらいの安物デジカメのせいか、撮り方が稚拙なだけか・・・。

 まずは笹ユリである。若い株はすでに花が散っている。古い株は今が盛りである。当たり前の話だが、花にも個性があって面白い。ベランダの下にあるこの笹ユリは、異様にピンク色が濃いし、香り高い。白っぽいユリは楚々とした風情があるが、これは妖艶の趣がある。

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 いつも道行く人が見上げてくれるお化けのような笹ユリもある。6本の茎が密集していて、全部で30個もの花を咲かせるのだ。地中に余程大きな球根が鎮座しているのだろう。

 余談だが、この笹ユリは「アラフィ」か「アラカン」か。朝のNHKテレビで初めて知った新語でる。「アラフィ」は美しくなろうとする50代女性で、「アラカン」は還暦を迎えた女性だそうだ。厚化粧を見ていて少し気持ち悪かった・・・。

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 次は山紫陽花だ。品種改良された大きな紫陽花とは違って、山紫陽花には野趣があふれている。この淡いピンクの花びらは、ぽっと頬を赤らめる乙女ののようで、世の狼から守ってあげたい気持になる。

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 この他にも、山小屋の周辺には様々な花が咲いているが、その多くは名前を知らない。花を愛でる感性に乏しく、花鳥風月を解するほどの風流人でもないので、気取るのはこれくらいにしておこう。

 またまた横道に逸れるが、ここ生石高原の「山の家」に婦人雑誌から抜け出て来たような美しい女性が働いている。ちょうど50歳と聞くが、わが山小屋の妖艶な笹ユリのような「アラフィ様」である。先日から滞在している友人がぜひお目にかかりたいと言うので、これからお茶を飲みに行こうと思う。偉そうに花鳥風月なんて言っているが、まだまだ世俗から抜け出せない・・・。

【夫の日記】 アユの燻製を作る

  「お前はアユのことしか書かないのか」と言われそうだが、はい、今回も・・・。実は、わが山小屋に東京から遊びに来る友人に、冷凍のアユを塩焼きにして食べてもらうおうと思っていた。しかし、よく考えてみると、これは少し気の毒であるし、失礼ではないか。

 そこで、冷凍アユでもほとんど味が変わらない燻製を作ることにした。自慢ではないが、これ絶品、逸品、極上の珍味である。決して眉唾ではない。

 燻製器を使うほどでもないので、ダッチオーブンで燻すことにした。ストッカーから取りだしたアユ16匹を解凍し、塩を塗りこんで陰干しにすること2時間余り。その間に豆炭をいこしておく。

 オーブンの下は中火、蓋の上は強火にし、チップはまろやかな味がするブナを使うことにした。25分ほど燻す。1度に5、6匹しかスモーク出来ないので、3回これを繰り返す。

 出来上がったアユの燻製は、黄金色に輝いている。「ちょいと味見しよう」と言って、女房と1匹ずつ食べた。身には脂がしっとり張り付いていて、クリーミーだ。女房からは「今回の出来はいいねえ」と珍しくおほめいただいた。

 このブログに毎回コメントをいただいている亀丸さんと明日ボート釣りに行くので、ぜひ味わってもらいたいと思う。2、3匹という訳にもいかないので、5匹持って行こう。すでに味見しているので、残りは9匹である。

 すると、私たちと同じ生石山に暮らしているご夫婦がやって来た。ご主人は野鳥や山野草に詳しく、いろいろと教えてもらっている。奥さんは当ブログの常連さんだ。自慢の燻製を味見してもらういい機会である。1匹ずつというケチなことになったが、お二人とも頭からかぶりつき、好評をいただいた。

 燻製の残りは7匹となった。私たちも食べたいので、友人へは3匹くらいしか出せない。「なーんや、たったの3匹か」。気の置けない友人だから、皮肉の一つも飛び出すかもしれない。ならば彼が滞在中、アユ釣りに行かねばならんなあ・・・。

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【夫の日記】 天然鮎、遠来の友に食べさせよう

  歌手の八代亜紀が歌っている。「雨、雨、降れ、降れ、もっと降れ」・・・。「うるさい!」と叫びたくなるほどの連日の雨だ。彼女の顔を見ていると、子供のころ読んだ絵本に出てくる魔法使いのおばあさんを連想してしまう。そんな憎まれ口のひとつもたたきたくなる今日このごろだ。

 まあ、梅雨だから仕方がないが、アユ釣りのホームグラウンド有田川の水位の行方にやきもきしているのだ。昨夜から今日の朝にかけて激しく雨が降ったので、本流は一段と増水し、濁流が渦巻いているだろう。これではアユ釣りは当分出来ない。

 実は7月5日の日曜日、友人がわが山小屋にやって来る。8日間の長期滞在である。本人は「居候だから気を遣わないで」と遠慮がちだが、遠来の友人にはアユをたらふく食べさせようと思っていた。

 だから早めに手を打っておこうと、先日、増水する前の有田川に出かけた。あいにく、しとしと小糠雨が降っていたが、釣らねばならないのだ。

 幸運にも初っ端からいいアユが掛った。「追い星」と呼ぶ黄色い胸のマークが鮮やかで、肩が張ってよく肥えている。そんなアユが20数匹釣れた。

 ただ、この新鮮なアユを日曜日まで保存できないので、冷凍するしかない。ストッカーのスイッチを急速冷凍にしたが、それでも冷凍のアユは風味も食味も落ちてしまう。

 しかし、市販されている養殖アユに比べれば、味は雲泥の差があるだろう。先日、スーパーで売られていた養殖物は2匹298円だった。有田川のアユ漁師によると、友釣りで釣ったアユは大阪の料亭で1匹350円で買ってくれるという。だから、皿に盛られて出てくると、1000円くらいはするのだろう。

 天然アユは川の石に付く珪藻類をはんで大きくなる。だから、ウリやスイカの香りが漂い、内臓はほのかな苦みがある。しっとりとした脂が乗っているので、身がぱさぱさの養殖と大違いなのだ。

 訪ねてくる友人は高校時代の同級生で、大学を出るとM商事に入り、世界を飛び回る絵に描いたような商社マンだった。海外生活が長いから天然のアユを口にするのは久しぶりだろう。冷凍であることは隠しておいて、「どや、うまいだろう」と食べさせよう。

 彼がどのような反応示すか興味があるが、いかんせん、彼も私もアユの本場琵琶湖の水で産湯につかった者同士。多分、冷凍を見破られるだろうなあ・・・。

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