【夫の日記】 な、なんと4日連続、白昼の宴会

  きょう金曜日まで3日間、暖かい日が続いた。来週は冬型の気圧配置になり、寒くなるそうだ。標高の高い山間部には雪が降るとの予報だが、さて、ここ生石山は大丈夫だろうか。

 この好天に誘われて、水曜日は生石山に暮らす仲間たちが集まり、バーベキューをした。私のブログが縁で親しくなった大阪のSさん夫婦も加わるとのことだったので、肉を多めに用意した。

 正午、森の広場に次々と軽トラが乗りつけてくる。ドイツ人Pは午前中からドラム缶に火を熾し、薪がガンガン燃えていて暖かい。彼はそういう心遣いができる優しい男だ。

 玉ネギ、ジャガイモ、カボチャ、シイタケなどの具材はすべて自家製だ。肉は、オージービーフのステーキ肉。2枚で1000円もしない。みんなつましい生活をしているので、国産和牛など贅沢はしないし、オージービーフは脂が少ないので、体にもいい。

 他愛もない話をしながら、よく食べた。通りかかった顔見知りにも食べてもらう。しかし、Sさんは用事があって来られないというから肉がたくさん残った。誰かが「あしたもバーベキューだ」と言い、女房も「やろう、やろう」と調子のいいことを言っている。

 私は釣りに行く予定だし、2日連続の肉なんて勘弁してほしいというのが本音だ。「奥さんが参加するのだから、あんたはお好きなように」と、やや棘のある仲間の言葉に甘え、由良湾でボート釣りをした。アオリイカが3杯釣れたから、まずまずだった。

 女房の話だと、バーベキュー2日目も生石高原のレストハウスで働く女性たちが参加してにぎやかだったらしい。「明日は鍋をやろうよ」と、またまた誰かが言い出し、3日連続の野外パーティーと相成ったのである。

 この森に暮らす仲間は天気が良ければ、こうして集まることが少なくない。互いの仲間意識を高めるのに役立っていると思う。雨や雪が降ったりすると、誰とも話さない日が続くこともある。私は人里離れたこの静かな環境が好きなのだが、たまに集まるのは楽しいものだ。

 3日目はカワハギ、エビ、ホタテの鍋である。参加者は飛び入りを含めて11人。「野外で食べると何だってうまいなあ」とフーフー言いながら、ビール片手にこの日もよく食べた。私が釣ったアオリイカの刺身も好評だった。

 「寒くなったら、ちゃんこ鍋がいいなあ」と仲間の奥さんが言い出した。すると女房は「うちに大きな鍋があるわよ」と水を向ける。この鍋は廃業した料亭からもらったアルミ製の大鍋で、軽く50人前くらいの味噌汁が炊けるのだ。

 「話は決まった。明日はちゃんこ鍋や」と怪気炎を上げる酔っ払いたち。えーっ4日連続なんて、いくらなんでも・・・と思ったが、とても異議を差し挟む空気ではない。先の奥さんが「冷蔵庫の大掃除よ。何でも持って来てよ」と号令している。

 いやはや、とんだ事になった。大失業時代、格差社会、不況、新型インフルエンザ流行・・・厳しい世相をよそ目に、4日連続の白昼の宴会である。私の心はチクリと痛むのである。

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      ↓ 前日釣ったアオリイカの刺身は好評だった
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【夫の日記】 もみ殻で燻炭を作る

  刈り取られた田んぼのあちこちから煙が上がっている。その白い煙は、もみ殻を焼いて燻炭を作っているのだ。深まる秋を実感させる光景である。

 わが山小屋からも、連日、燻炭作りの煙が上がっている。女房が耕作する畑に使うので、かなりの量が必要なのだ。女房からの受け売りだが、燻炭は土を清浄し、保温や保湿、保水の効果もある。有機肥料と混ぜて使うと、野菜の根を丈夫にし、元気に育つから野菜作りに欠かせない。

 もみ殻は知り合いの農家からもらっている。先週と今週の2回に分け、軽トラに満載して運んだ。女房はそれでもまだ足りないという。燻炭を園芸店などで買うと、50リットルで700円ほどもするのだから、女房が欲張るのも無理はない。

 盛り上げたもみ殻の中央に窪みを作り、そこに落ち葉を置いて火を付ける。やがてかすかな煙が上がり始めるが、決して燃え上がったりはせず、次第に黒く燻されていく。50リットルほどのもみ殻が燻炭になるまでには丸1日かかるので、なかなか面倒な作業である。

 落ち葉集めも女房の日課だ。山小屋裏に囲いを作り、ここに生ゴミやヌカを混ぜて積み重ね、シートをかぶせて寝かせておく。これも有機栽培に欠かせない栄養たっぷりの肥料となるのだ。

 日本三大美人湯で知られる龍神温泉の旅館の支配人から聞いた話だが、秋になると落ち葉を拾う人が次々と来て、あたりの落ち葉がすっかりなくなると言うのだから驚きだ。有機栽培を目指す人たちが増えている証拠だろう。ここ生石山にも大型トラックで集めに来る人もいるが、まだまだ無尽蔵にあるので心配はない。

 私は女房に「畑の楽しみを奪ってはいけないから」と屁理屈をこね、農作業には手を出さない。ただ、落ち葉集めだけは結構な労力が必要なので、渋々手伝っている。新鮮で、美味しい野菜を食べさせてくれるので仕方なかろう。

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【夫の日記】 ブログ仲間のご訪問・・・不覚、釣りで留守

  今週はよい天気が続き、空気も乾燥している。山小屋に防腐剤を塗る絶好の日和だ。塗装は今年の宿題になっていたので、意を決して作業にとりかかった。

 山小屋は建てて16年になる。太い丸太を使った立派なログハウスではない。和歌山県の龍神森林組合が開発した間伐材の角ログの家である。見栄えはそれほど良くないが、さすが森林組合の建築だから、惜しみなく木が使われている。

 木の家は手入れ次第だ。定期的に防腐剤を塗っておけば、孫の代まで十分使える。私たちが暮らすこの森には放置に近い家が何軒かあり、壁に穴があいてムササビか何かの棲み家になっている家もある。分譲されて40年ほどになるので、家主の高齢化でこのような惨状を呈しているのだろう。もったいない話だ。

 高所恐怖症の私にとって、塗装作業は苦手である。腹をくくって臨んでいるのだが、梯子を3メートルほど登ると目まいがするのだ。「なぜもう一段登れないの?」と下から叫ぶ女房とよく喧嘩になる。

 幸い私たちの仲間に高所を怖がらないとび職のようなピーターがいる。すすんで作業を手伝ってくれたので3日がかりの作業は無事終わった。私が塗った面積はピーターの半分にも満たなかった。

 人は笑うが、高所の作業はストレスがたまる。明けて金曜日、ぼーっと1日を過ごすため釣りに行くことにした。山小屋から4、50分走った所に、滅多に人が来ない磯場がある。道路脇の階段を下りれば、すぐ釣り場である。

 狙いはアオリイカだ。生きたアジを泳がせ、ひたすら待つ釣りである。空には美しい飛行機雲が漂い、すがすがしい天気だ。待った甲斐があった。昼前、2回当たりがあり、イカ2杯を手にすることが出来た。

 浮き浮きして鼻歌でも歌いたい気分だった。そんな時、携帯電話が鳴った。女房からである。「今、ハカマさんご夫婦がおいでになっているのよ」。えーっ、あのハカマさんが・・・。

 ハカマさんとはブログ仲間である(リンクの煙樹ケ浜にアクセスしてみて下さい)。ご夫婦は長い砂浜が続く景勝地・煙樹ケ浜の近くに住んでおられるのだ。関西の自宅を売って、この地に田舎暮らしを実現された。滋賀の自宅を残したままにする私たちと比べて、移住への覚悟のほどが違う。

 ブログを拝見していると、ハカマさんは野菜の栽培、釣り、燻製作りなどを、奥さんは陶芸を楽しんでおられ、田舎暮らしを満喫しておられる様子。専門知識を生かした洋風のご自宅も立派である。

 同じく和歌山に移住した者同士で、親近感がある。ぜひお会いしたいと思っていたが、ハカマさんに先を越された。女房が電話を代わったので、「今すぐ帰ります。待っていて下さい」とお願いしたが、先の予定があるとのことだった。

 次は私たちが煙樹ケ浜をお邪魔する番だ。女房は「気取ったところがなく、すごく感じのいいご夫婦だった。あんたと違って真面目な方よ」と感激していた。ハカマさん、ありがとうございました。

   ↓ 塗装が終わって少しきれいになった
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   ↓ イカは3杯。ハカマさんへのお土産と思っていたが・・・
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【夫の日記】 対等と平等・・・民主党と夫婦関係

  私は亭主関白である。いや、かつて亭主関白だったと言うべきだろう。

 現役で働いていたころは、女房をアゴでこき使っていた。「ご飯」「風呂」「酒や!」・・・。子育ても全面委任である。女房の家事が、私の給料の半分くらいに相当することは知識として知っていたが、家事の大変さを理解する寛容な心を持ち合わせていなかった。

 私の給料は毎月女房の手元に届き、一家が何不自由なく暮らしていけた。だから、「誰のお蔭で食っていけるのか」との思いが強く、亭主関白にさせていたのだと思う。

 しかし、現役を退いたその日から、私と女房の力関係は劇的に変化したのだ。女房は「対等で平等な関係」を求めたのである。これからお金を稼ぐことがなくなる私は気弱になり、卑屈になり、女房の要求を呑まざるを得なくなった。

 以来、少しずつではあるが、食事の用意を手伝ったり、食べた後の食器を流し台に運んだり、それなりに気を遣うようになった。しかし女房はもっと働かせようとする。「対等で平等の関係」とは何と煩わしいものか・・・。

 実は、女房への愚痴を言いたいのではない。ゲーツ米国防長官が来日したので、民主党が掲げる「対等で平等な日米関係」について一言申し上げようと思うのだ。そのために、恥ずかしながらわが女房との「対等で平等な関係」を例に上げたまでである。

 軍事力や経済力が他国に比べて劣っていても、いかなる国にも誇りはあり、いかなる国にたいしても対等である。国の大小にかかわらず、国連の場でも平等であることは言うまでもない。しかし、現実の世界で、国と国が対等で平等だとは誰も思っていないと思う。

 そのような理想を否定するつもりはないが、人類の英知を集めても対等と平等の世界を造り出せるとは思わない。だから私は「対等で平等」という言葉自体、空虚であり、胡散臭いと思っている。

 なるほど、日本は米国の「ポチ」という人もいるから対等の関係とは言えないのだろう。基地問題や条約を見ても平等ではないかもしれない。ただ私は日米関係の難しいことがよく分からないので、半端な知識で論じるのは控えたい。

 私が言いたいのは「言葉」の持つ「力」についてである。民主党はマニフェストに「対等で平等な日米関係」とあえて書き、政権についた後もそう言い続けている。まことに青っぽい言い方だと思う。言葉は独り歩きして、さまざまな憶測や疑念や軽蔑を招く怖さがある。外交の場において、「対等と平等」を言葉にした瞬間、見下されるし、外交の稚拙さを見破られるだろう。

 民主党は政権交代が現実となり、勢い余って前のめりになっているように見える。対米関係を改めようという民主党の思いはよく分かる。しかし、フーテンの寅さんじゃないが、「対等と平等」、それを言っちゃーおしまいよ。あくまでも胸に秘めおけばいいと思う。言葉は想像以上に恐ろしいということを肝に銘じるべきだと思うのだが・・・。

 ところで、女房が私に強要する「対等で平等」の関係改善は、ますます勢いを増している。鳩山さんが目をギロリとさせて「対等で平等」とのたまう度に、女房の顔が浮かび、心臓が縮むのだ。

 

【夫の日記】 粘って1キロのアオリイカ

  天気が安定しているので、月曜日、ボートを出すことにした。先週、大アジをたくさん釣り、いい思いをしたのが忘れられない。アオリイカも釣りたいという欲張りな計画だ。

 目覚まし時計を午前5時にセットしたつもりが、4時に鳴った。まだ老眼鏡のお世話にならずに済んでいるが、やはり見にくくなっているのだろうか。まあ、釣りは早朝が良いのですぐに出発、真っ暗の山道を下り由良湾に車を走らせた。

 漁港に到着すると、若者2人のゴムボートが出港していった。急いで準備し、まずは大アジのポイントへ。すぐにいい型のアジが4匹釣れたが、後が続かない。アオリイカを釣るには、20センチ以下の小アジを20匹ほど確保しなければばらないのに、まったく釣れないのだ。

 そう言えば、アミエビを買った餌店の店員が気になることを言っていた。「ハマチが物凄く回遊していて、アジが追われてどこかに消えた」。そうは言っても、イカを狙って1日を過ごすには、何としても釣らねばならない。

 あちこちうろうろしながら、わずかだが3匹の小アジを釣った。とりあえず、アオリイカを狙ってみることにしよう。最初のアジは速い潮に翻弄されて、泳ぐ力を失っている。お役御免である。

 2匹目のアジを付けて投げると、すぐにリールから物凄い勢いで糸が出て止まらない。多分、ハマチが食いついたのだろう。大きく合わせると、がっちり針に掛った。それからが大変だ。リールが逆転して悲鳴を上げている。巻き上げた分だけ、糸が引き出される。

 長い時間がかかり、やっと寄ってきた。チラッと魚影が見えた。でかい!ハマチに間違いない。玉網を手元に置き、最後のファイトに備えようとしたその瞬間、2号の糸が切れた。糸が細いので仕方ないだろう。それほど落胆はしなかった。

 問題は小アジが残り1匹だけになったことだ。このアジを泳がせ続けたが、イカは乗ってこない。このまま帰るか、それともアジを釣って再びイカを狙うか。迷った末、アジを探してボートを移動していると、ほんの数分間だけ、バタバタと釣れた。まことに幸運だった。

 すでに午後3時半だから、イカを狙う時間はわずかしか残されていない。入り江のような磯場にアンカーを入れた。半時間ほど経っただろうか、緩んでいた糸が張った。アジにイカが乗った予感がする。

 しばらくすると、糸がジリジリと少しずつ出て行く。イカの重みが竿先に寄りかかっており、こういう場合、大型が多いのだ。待つこと約3分。この緊張感がたまらない。少しずつ寄せ、ヤエンという掛け針をセットし、海中に下ろす。

 ヤエンがイカに到達するまでの時間は長い。竿に伝わる感触からかなり大きなイカだと確信する。ジェット噴射を繰り返すのをなだめながら、静かに、静かに寄せる。軽く合わせを入れると、一気に走られた。多分、掛っているだろう。

 それから一進一退のやり取りが続く。姿が見えると、墨を吐きながら一気に潜られる。その繰り返しだ。やっと浮かせて玉網ですくったが、錆びていた網の金具が折れてしまった。危ないところところだったが、無事、取り込んだ。

 この時期に釣れるイカは大きくて4、500グラムほどだが、目の前に横たわるイカは1キロはあるだろう。あの時、諦めて帰らずに良かった、良かった・・・。

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【夫の日記】 秋深まり、ナメコ収穫

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  肌寒い朝夕の気温で、深まる秋を感じる。しかし、木々の紅葉は例年に比べると少し様相が異なる。台風18号の強風で、紅葉しかけた葉っぱがあらかた吹き飛ばされて、残った葉はまだ緑のままである。

 ある一定の気温になるとキノコが活動を始めるのだが、油断をしていると、とんでもないことになる。1週間ほど前、久しぶりにナメコの原木を埋めている杉林に入ると、1本の原木からニョキニョキと出ているではないか。すでに開き切った傘の裏側が茶色に変色していて食べられない。

 それ以来、毎日見回るようにしている。きのうは食べごろのナメコを数十個収穫した。鮮やかな黄色で、ヌメリがピカピカ光っている。

 朝ご飯はナメコ汁、昼はうどんの上に載せた。夜は大根おろしにポンズでいただいた。大きいので食べ応えがあり、プリプリの食感が楽しい。

 ナメコには美白効果や骨粗しょう症を防ぐ成分が含まれているという。だから女房は大喜びだ。「ヌメリを顔に塗ったらすべすべになるかしら」などと本気になっている。

 これから10本の原木から次々と出てくる。とても私たち夫婦では食べきれない。それほど保存がきかないので、山暮らしの仲間におすそ分けすることになる。

 ナメコの次は、ヒラタケやクリタケが出てくるはずだ。最後はシイタケが大量に収穫できる。いずれも多くの原木があるので、売るほど採れるのだ。

 山小屋の近くにあある生石高原のレストハウスでは、色々な地元産品をかなり安く売っている。「1パック300円くらいで出してみるか」と冗談半分、本気半分で女房と話し合っている。獲らぬ狸の皮算用・・・。

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【夫の日記】 古里は合併の渦の中・・・ 

  私にとって50年ぶりの顔ぶれが多かった。昨日開かれた小学校の同級会である。「おー、ヨシオ」「お前、キヨシだよね」とすぐに思い出す人もいた反面、どうしても思い浮かばない人もいた。

 逆に私に対しては、多くの女性から「あんた誰?」と言われる始末である。故郷を離れて久しいということもあるが、かつてのかわいいお坊ちゃまの変貌ぶりが余りにも激しかったのだろう。これまでの人生の軌跡が顔かたち、風貌を激変させたのか・・・。

 同級会の会場は、琵琶湖最北端に位置する余呉湖畔の国民宿舎である。周囲4キロ余りの小さなこの湖は、秀吉と柴田勝家が戦った古戦場だ。羽衣伝説や菅原道真にまつわる言い伝えなどが残る伝説の湖でもある。

 北陸線余呉駅から国民宿舎まで3キロちょっとの距離だ。爽やかな秋晴れの中、会場まで歩こうと思った。田んぼの畦道を歩いたり、湖畔の細い道を辿ったり。「ふるさとの山は遠きにありて思ふもの・・・」。白秋の一節を口ずさみながら・・・。

 小さな桟橋に古老がいて、しばらく話し込んだ。「さっぱり魚が獲れなくなってねえ。水が悪いんだよ。民宿にはたくさんの客が来たが、今は車できて、帰ってしまうよ」。

 その古老が手にするバケツにブルーギルやブラックバスの外来魚が半分ほど入っていた。漁協が買い取ってくれるのだというが、いくらにもならない量である。わずかな小遣いだろうが、何回かためれば孫におもちゃの一つも買ってやれるのだろう。

 なるほど、湖面にはおびただしいアオコが浮いていた。子供の頃は底まで見えたのに、今は水が死んでいる。湖の中央に酸素を送る装置があるが、電気代がかさむので止めてあるという。地方は疲弊しているのだ。

 金木犀の甘い香りが漂う集落を過ぎると、深い森になった。秀吉軍の伏兵が潜んだ神社、血の槍を洗った湧き水の池など伝説の場所で足を止めながら歩いた。55分で国民宿舎に着いた。

 同級会の幹事で地方議員をしている旧友が出迎えてくれた。彼から意外な言葉が飛び出した。「12月からここは市になるんだよ」。国が進める平成の大合併である。村が町になり、そして今度は大きな市に吸収される。何と言うことだ。

 地名には歴史の重みがあり、風土を今に伝えている。文化そのものなのだ。財政、行政の効率化というだけで、地名を消し去っていいのか。二つの町の名前を足して二で割ったような地名が乱立しているし、アルプスなどという珍奇な市名も出現している。

 廃藩置県を経て近代化への歩みを始めたわが国だが、今回の合併には「国のあり方」という観点が欠けているし、大義もないと思う。大合併で市町村の数が半分になったとも言われる。地名の響きから伝わる「日本の風土」。なにか、殺伐とした風景を見る思いがする。

 故郷を飛び出し、縁もゆかりもない和歌山の山奥に暮らす私に、古里の合併に異を唱える資格はないかもしれないが・・・。
 

 

【夫の日記】 アジ釣り2日目は・・・女房ご不満

  大アジ釣りの醍醐味がまだ生々しいその翌日、女房とともに再び由良湾に向かった。ボートには釣り具などを積んだまま係留しており、準備をせずに出港できるので少し遅めの出発だ。天気予報通り、雲ひとつない晴天で、釣り日和になるだろう。

 車中で女房相手に、大アジがいかによく引くか、少し、いやかなり大袈裟に説明してみせた。女房のテンションを上げようという魂胆だ。「本当に釣れるの?」というので、「絶対釣れる。腕が痛くなるで~」とさらに鼓舞する。

 由良湾は波が静かだった。ポイントまで20分ほどかかるが、昨日のように波をかぶることもなく目指す場所に到着。石ころのアンカーを放り込み、竿に仕掛けをセットして女房に手渡す。「水深は13メートル。底の方で食う。底やで」と念を押した。

 私はしばらく女房の釣りを見学し、アドバイスを送ることにした。三投目か4投目、女房が「来た!」と叫び、竿が満月のように曲がっている。ぐいぐい絞めこまれている。「竿を水中に入れ、引きをかわせ!」と指示するが、そこはまだまだ素人。1・2号のハリスがプッツン。あー、あ。

 女房は「はっ、ははは」と笑っている。普通、悔しがるものだが、おおらかなものだ。するとまた、竿が海中に突き刺さっている。アドバイス通り、リールをゆっくり巻いているが、こんどはゆっくり過ぎたのか、竿先がはねた。多分、アジの口が切れたのだろう。

 あわてて自分の竿を出す。すぐに掛った。自慢ではないが、女房とは竿さばきが違う。26、7センチの立派なアジを釣り上げた。今度は女房が同じ大きさのアジを何とか釣り上げるのに成功し、続いて2匹目も無事ゲットした。その間に私は計3匹を釣った。

 二人で計5匹釣ったところで、ぴたりと食い止んだ。1時間ほど粘ったが、ピクリともしない。女房は「腕が痛くなるほど釣れると言ったのは誰ですか?」と口を尖がらせている。「2匹バラしたから、胸が痛むだろう?」と冗談を言って誤魔化しておいた。

 その後はアオリイカの餌になる小アジを求めて右往左往を繰り返す。造船所の桟橋でやっと15、6匹釣ることができ、潮通しの良い磯場に向かった。生きたアジを付けて待つこと1時間余り。やっとイカが乗った。女房はこっくり、こっくり舟を漕いでいる。

 背中をつつかれて目覚めた女房はイカとのやり取りを見ながら、「そんなに時間をかけたら逃げるのじゃないの」と言うが、焦りは禁物だ。じっくりと寄せ、うまく針に掛けた。女房が掬ってくれたイカは、この時期にしてはまずまずのサイズだった。

 このころから波が高くなり、舳先にいる女房は時折波をかぶるようになった。まだ昼だが、釣りはこれまでだ。大アジ5匹にイカ1杯。まずまずの釣果だと思うが、女房は「腕が痛くない」と嫌味たらたらである。女が年を取ると、どうしてしこうもつこくなるのだろうか・・・。

   ↓刺身、塩焼きの残りは一夜干しに
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   ↓ベーコンを作るついでに一夜干しもスモーク
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   ↓出来上がったアジの燻製は絶品だった
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【夫の日記】 私だけになぜ大アジが・・・

  3連休初日の10日、新しい軽トラがやって来て、16年も走り続けた古い軽トラが引き取られていった。新しい車を運転してみたが、エンジン音は比較にならないほど静かだし、今度はパワーステアリングなので運転しやすい。

 翌日、試運転を兼ねて由良湾まで走る。荷台にはゴムボートが積んである。もちろん、釣りだ。アオリイカを狙うので、餌になるアジを釣らねばならない。湾奥のポイントに向かうが、台風18号のうねりが残っており、波をかぶる。眼鏡にかかったしぶきを拭きながら前に進む。

 ポイントには立派なクルーザーが来ていた。カンパチの餌のアジを狙っているが、さっぱり釣れないという。群れが回ってくるのを待つしかない。1時間ほど経ったころ、やっとポツリ、ポツリ釣れるようになった。

 20匹ほどのアジを確保してイカのポイントに移動した。ボートは上下に激しく揺れ、釣りにくい。1時間ほどしてイカ1杯を取り込んだが、次第に風が強まり、もう我慢も限界だ。

 漁港に引き返すと、なじみの漁師と知り合いがいて、ボートを引き揚げるのを手伝ってくれた。「この風やから、帰ってくると思っていたわ。風が治まったら大きなアジを釣りに行こう」と誘ってくれた。

 雑談をしながら時間をつぶしていると、風が弱くなってきた。スピードの遅い私のボートが先行し、2人は漁船で追いつくという。さすが漁船は早く、ほぼ同時に到着だ。

 ここからが面白いのだ。漁師らは手釣りで快調に15~20センチほどの小アジを釣り上げる。私には小アジが一匹も釣れない代わりに、30センチ近い大アジが食いつくのだ。これがまたよく引く。アジの口は弱いので強引なやり取りはできないので、竿であしらいながら釣り上げる。

 プロの漁師が盛んに首をひねっている。すぐ隣で釣っているのに、私だけに次々と大アジが釣れるので、「えっ、またか」「でかいなあ」と感心している。そして、「どうも仕掛けが違うなあ。すまんが、その仕掛けをくれんか」と、プロが私の軍門に下ったのだ。

 仕掛けの違いかどうか分からないが、私は湯浅地方の漁師に教えられた特別の針を使っている。金針に白いふわふわした毛が巻いていある。これがなかなか手に入らないし、50本で1650円もする。面倒だが、4本針の仕掛けを自分で作っているのだ。

 漁師と知り合いに仕掛けを進呈すると、たちまち大アジを釣りだした。仕掛けの違いで釣果に違いが出るのは信じられなかった。多分、この日だけ大アジに気に入られたのだと思う。

 10匹ほど釣り上げたので先に帰ることにした。港に向かう途中、女房に「大きいアジが釣れるわ。面白いで。明日、行くか?」と電話すると、二つ返事で「行くでえ~」。漁師のもう一隻の漁船にそのままボートを繋ぎ、家路を急いだ。

 さて、翌日の女房との釣りは・・・。次回で報告しよう。

    ↓おすそ分けした残りの大アジ
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【夫の日記】 笑っちゃう!ノーベル平和賞

  オバマ米大統領にノーベル平和賞が贈られると、たった今、午後7時のNHKがトップニュースで伝えた。冗談じゃない!

 プラハ演説で核兵器廃絶を訴えたのが評価されたのだ。崇高な理想を訴えただけで平和賞が贈られるなら、メダルが何個あっても足りないだろう。

 まあ、過去の平和賞の顔ぶれを見れば、オバマ大統領がもらうのもそう驚くほどのことでもなかろう。いちいち平和賞の顔ぶれは浮かばないが、お隣の大統領はどうだったか。北朝鮮との融和などお笑い草だ。

 イスラエルとパレスチナの関係はがどうか。オバマ大統領はそれなりに骨は折ってはいるものの、和平は絶望的だ。わが佐藤栄作さんは、沖縄返還を実現しただけでもまだましである。

 オバマ大統領は、プラハで「核兵器を使用した同義的責任」とも言った。道義的責任とは何たる言い草かと思う。政治も人の道も、道義的であろうがなんであろうが、社会的、倫理的な責めを負う限り、まずは謝罪から始めるのが道理ではないか。

 戦後64年、米国の現職大統領は一度たりとも広島、長崎の被爆地を訪れていない。しかし、オバマ大統領は核廃絶でノーベル平和賞に輝くご仁である。11月の訪日の際は、真っ先に被爆地を訪れるべきだし、そうしなければノーベル財団は困惑するだろう。

 「あいつは風呂屋のおっさんや」という言い方がある。つまり「湯」(言う)だけなのだ。言うだけなら誰でも出来るが、多分、オバマ大統領は風呂屋のおっさんになると思う。ノーベルさんは、核兵器に勝る兵器が開発されるまで実現しない理想に栄誉を贈ったことに、苦虫をつぶすだろう。

【夫の日記】 台風直撃、生きています

  みなさん、台風18号の被害はございませんか。まずは、お見舞いを申し上げます。
 さて、私たちが暮らすこちら紀伊半島の生石山。台風はほぼ直撃のコースでしたが、幸い夫婦ともども生存しております。怪我もしておりません。

 昨日はパソコンの前に座り、気象庁のホームページで台風情報を見続けた。進路の中心線は紀伊半島のど真ん中に引かれていて、こちらへ真っ直ぐ向かって来る。風速50メートルに加え、大雨が降る。台風に備えて対策を急がなければならない。

 あちこちに置いている植木鉢をコンテナに収め、濡れては困る物にはブルーシートをかぶせて縛る。薪の小屋は倒れないようつっかえ棒をする。すべての準備を終えた頃、女房が旅行から帰ってきた。こういう場合、女房はそれほど頼りにならないが、それでも一緒にいれば心強い。

 夕方から風雨が激しくなってきた。山小屋は大きな木々に囲まれており、葉がこすれ合う音が大きくなるばかりだ。裏の杉林からは、ギシ、ギシという不気味なが音が聞こえる。

 台風は未明に接近しそうだから、焼酎を多めに飲んで午後9時過ぎに床に就いた。しかし、次第に大きくなる風の音と、屋根にたたきつけられる雨音でなかなか寝付かれない。何度も起き出して外の様子を見る。

 午前2時ごろになると、頭上に台風が来たかのように山小屋が揺れるのだ。倒壊しないだろうか、大木が倒れてこないだろうか。そんな心配が尽きず、眠れたものでない。薪ストーブの前に身をかがめながら、ひたすら時間が過ぎるのを待った。

 女房は嵐の轟音渦巻くなか、高いびきである。寝顔を見つめながら、なんと幸せな人間か、きっと100まで生きるだろうなあと思った。泰然自若のかけらもないわが身が情けない。

 午前4時15分、電気が消えた。電線に木が倒れたのだろう。町中と違って、こんな山奥では修繕も後回しだろう。案の定、復旧したのは8時間も経ってからだった。

 明るくなって外を見回ると、前の道路はちぎれた葉っぱで絨毯のようになっている。積んでいた薪も崩れ、あちこちで木の枝が折れている。ポリタンクも吹き飛ばされて路上に転がっていた。

 どれも、被害というほどのものではなく、幸いだった。停電が続いてテレビが見られず、後で分かったことだが、台風の進路は夜半に少し右に振れ、潮の岬をかすめて知多半島あたりへ上陸したという。その周辺の人たちには気の毒だが、わが山小屋は予想進路通りだったらこの程度では済まなかっただろう。

 明日は晴天らしい。山小屋周辺の後片付けが忙しくなる。

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【夫の日記】 やもめ暮らしの愚痴

  昨日の午後から降り出した雨は、今日も降り続いている。室内の気温は14度。少し寒いので、ストーブに火を入れた。やがて、ストーブに置いた薬缶からチリチリという音が聞こえ、湯が沸きだした。

 女房は友達と旅行に行っていて、ここしばらくやもめ暮らしが続いている。昨夜予約していたはずの炊飯器は動いておらず、あわててスイッチを入れた。台所のどこに、何があるか分からないので、食事の支度は右往左往するばかりである。

 ご飯が炊き上がるまでコーヒーをすすりながら、木々に遊ぶ野鳥を眺めたり、テレビのニュースを見たりして、退屈な時間を過ごす。朝ごはんのおかずは、きのう釣ったアユの塩焼きと冷奴だ。豆腐にはネギや生姜、茗荷などを載せるものだが、そんな面倒なことはしない。

 山の仲間はありがたいもので、一昨日は近くの奥さんが「不自由しているんじゃないですか」と、晩ご飯を届けてくれた。栗ごはん、ハマチのアラ炊き、煮豆、サラダ、漬物という豪華版だ。この奥さんは料理のプロのような人で、どれもおいしかった。

 先日から、40年ほど前に書かれた白洲正子の「かくれ里」(講談社文芸文庫)を読んでいる。私が生まれた近江は、彼女にとって心の古里のような所で、多くの作品に近江が舞台になっているので、いっそう親しみがわくのだ。

 よく知られるが、正子は骨董に造詣が深く、女性として初めて能舞台に上がるなど古典芸能にも精通している。歴史への博学ぶりは驚くばかりだ。彼女に一貫しているのは「日本人の心」を追い求めてやまない姿勢である。

 昨夜、その「日本人の心」が失われている現実を見せられ、愕然とした。NHKの「クローズアップ現代」で、「音」によるトラブルを取り上げていた。公園のラジオ体操の音楽、若者の嬌声、幼児の遊び声、風鈴の音・・・。これが騒音、雑音だとして、近隣住民の反発を招いているのだという。

 解説する大学の先生は、音を出す側と聞く側の「人の顔」が分からないというコミニケーションの欠如だと言っていたが、果たしてそれだけだろうか。私は「節度」「寛容」という日本人の美風が失われているのではないかと思う。

 音を出す側にももちろん節度は必要だが、直截的な抗議をする節度のなさに失われた「日本人の心」を見る思いがするのだ。音は耳で聞くが、心で聞くことだって出来る。少々うるさく思う音でも、心で聞けば想像力が広がり、人の息づかいや情景が浮かんでくる。

 いつから日本人は節度と寛容の精神を失ったのだろうか。節度のないマネーゲーム、寛容とはほど遠い弱肉強食の競争社会・・・アングロサクソンの感化だろうかと思ったりもする。

 ラジオ体操の音楽で夏休みの子供を思い、太鼓の音で秋祭り知る。芭蕉や蕪村の句からは自然や人々の音が聞こえる。様々な音を雑音、騒音としか聞こえない人間が生きている現代社会・・・。

   ↓ 名月の夜。やもめ暮らしには宴会がありがたい。
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   ↓ 差し入れて下さった晩ご飯
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【夫の日記】 愛着の軽トラが引退へ

  買い物からの帰り、軽トラで生石山への急な坂道を上っていると、同じ軽トラに軽々と追い抜かれた。ノロノロと老骨に鞭打って走るわが愛車がかわいそうになった。ぼちぼち、引退させてやらなければならないと思う。

 愛車は16年間も走り続けている。時々故障するので、修理工場の社長から「度々、修理代をもらうのが辛いわ」とまで言われるほどのオンボロだ。新車を買うお金の余裕はないし、愛着もあるので、なかなか買い替える踏ん切りがつかなかった。

 しかし、半年前から走行中に度々エンジンが停止するトラブルが発生している。これまでに10数回を数え、危なくてしようがない。2、30分待っていると、再びエンジンがかかるのだから不思議だ。ガソリンタンクに問題がありそうなのだが、修理工場でもはっきりしたことが分からない。

 あちこちがくたびれているので、乗り心地はよろしくない。けれど、狭い山道を走るには便利だし、4WDだから雪道でも平気だ。薪の丸太を満載してもよく走ってくれた。山奥での暮らしには、小回りの利く軽トラは必要で、上等な乗用車は使い物にならない。

 突飛な話になるが、私は盲導犬に出会うと熱いものが込み上げてくる。目の不自由な主を導くその健気な姿に感動するのだ。わが軽トラと盲導犬を重ね合わせるのは無理があるが、しかし軽トラが日々の生活支えてくれているとの思いは強いく、こちらも健気なのだ。

 未練はあるが、もう買い替えの時期だろう。修理工場の社長に相談してみた。中古車なら3、40万円出せばそこそこの車が買えるが、社長は「今が新車を買う絶好のチャンスですよ」と言う。

 登録から13年以上経過した軽トラを買い替える場合、国から12万5000円のエコ還元金が出るそうだ。来年3月までの期限つきで、予算を使い切ればその時点で補助は受けられないらしい。うかつにも、軽トラもエコの対象になっているとは知らなかった。

 補助金は魅力だ。これまでそれなりの税金を納め続けてきたが、国から直接お金などもらったことがない。この際、その一部でも取り戻したいというケチな思いが湧いてくる。

 財布を握る女房も、ここでの暮らしに軽トラが必要なのは分かっているし、「エコ還元金」に魅力を感じている。今週中にも新しい車が届くだろう。これまでの働きに感謝しながら、後しばらく、優しく乗ってやろうと思う。

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【夫の日記】 迫る巨大地震・・・

  私は、老いてますます盛んである。勘違いされては困るが、好奇心である。先日来、生石高原にアンテナが林立しており、何をしているのだろうと思っていた。そこで、山小屋から歩いて10分ほどの高原へ様子を見に行ってみた。

 霧の向こうに自衛隊の幌付きトラックが何台も止まっており、空高くアンテナが10本ほど立っていた。近くでは発電機が唸りを上げている。戦争前夜はこのような雰囲気なのかとバカなことを思ったりした。

 隊員に聞いてみると、東南海・南海地震に備えて、通信の訓練をしているのだという。紀伊半島一帯で行われている大規模な訓練で、沿岸各地からの電波をここで中継し、兵庫県の司令部に電波を飛ばしていると説明してくれた。

 そういえば昨日、南太平洋のサモア諸島で大きな地震があり、日本でも津波注意報が出されていた。遥か彼方の地震だから大した影響はなかったが、これが東南海・南海地震だったらどうだろう。

 予測では、10メートルを超える津波が押し寄せ、17800人が死亡し、60万戸が倒壊、57兆円に及ぶ被害がもたらされるというのだ。太平洋プレートに蓄積された巨大エネルギーが引き起こす大地震は、刻一刻と迫っている・・・。

 明日起きるかもしれないし、数年先かもしれないが、それは神のみぞ知るである。

 あの阪神大震災を思い出す。震災から2日後に現地に入ったのだが、ビルがぺしゃんこになり、民家の屋根は地面にくっついていた。身内や知人を亡くし、家を失った被災者たちは途方に暮れ、うつろな目で惨状を見ていたのが印象的だった。地震のすさまじさに身が震えた。

 東南海・南海地震が起きれば、被害は阪神大震災を大きく凌ぐだろう。安普請の私たちの山小屋は倒壊するかもしれない。危うく逃げられても、森の大木が倒れて下敷きになるかもしれない。数人しか住んでいない山奥だから、誰も助けてはくれないだろう。

 心配事がもう一つ。由良湾にボートを浮かべて釣りをしている時に、地震が起きたら・・・。沿岸の防災用拡声器がすぐに知らせてくれるだろうが、2馬力のエンジンはスピードが遅く、津波に飲み込まれるかもしれない。

 考えただけでも背筋が寒くなるが、だからといって釣りをやめる気にはなれない。石ころにつまずいて死ぬことだってあるではないか。この人生、私は楽観的に生きたい・・・。

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