良い新年を迎えられますよう・・・

  「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

 江戸の人はうまいこと言ったものである。昔は年齢を数え年で数えたから、元日を迎えると誰もが1歳年を取ることになる。若い人にはめでたいことだが、年寄りはまさに「冥土の旅の一里塚」を実感するのだ。

 明日、その一里塚の新年を迎える。今年を振り返ってみると、おおむね楽しい一年だった。それほど思い悩むことはなかったし、夫婦とも健康だったのが何よりだった。息子夫婦に初孫が生まれ、すくすく育っているのもうれしい。

 そんなことを思いながら、昨日、いつもの散歩コースである生石ケ峰(標高870m)への山道を夫婦で歩いた。道には霜柱が立っていて、踏みしめるたびにサク、サクという乾いた音がする。

 キツネ色のススキの草原は、強い北風になびいていた。その中を頂上への道が続いている。女房はすたこらと速足で歩いていく。私たちの山小屋から30分ほどで登れるのでそう遠くはないが、上りの山道は長いなあと思う。

 女房の後を追いながら山を登り、道についてあれこれ考えた。

 思えば、私はこれまで目の前に敷かれている道を歩いてきたように思う。学校で勉強し、就職し、結婚し、子どもが生まれる。そして、家族が平穏に生きていくために働き続けた。幸いにも道を踏み外さずに済んできた。

 その人生の道は、自分の努力で切り拓いたものではなかった。成熟した日本社会では、人々が歩む幾つかの道を用意してくれていたように思えた。時代も良かったのだろう。多少不真面目でも、それなりの努力をし、健康であれば、無事、道を辿ることが出来たのだ。

 しかし、仕事を辞め、自由の身になった時、私の前に道はなかった。それは草原のようであり、足跡のない雪原のようでもあった。どこかに冥土という道の終点はあるのだが、どっちの方角に歩んでもよい。急ぐ必要もない。

 社会貢献の道を行く人、もう一度勉強する人、畑を耕す人、旅行を楽しむ人・・・。もちろん、生活のために働き続けなければならない人もいるが、働き終えた人たちは重荷を下ろして新たな道を歩み始める。

 私の場合は、とりあえず15年前に建てた山小屋で女房とともに暮らしながら、先のことを考えようと思っていた。しかし、そんな思いとは裏腹に、今の生活が気楽で楽しく、このままでいいのではないかと考えるようになってしまった。

 私が踏みしめた足跡だけが道であり、その先に道はない。足跡を楽しむように歩けばいい。これからの歩みに価値があるかどうかなど、余り意味があるとは思えない。自然の移ろいに身を任せ、土を耕し、時に天空の青い星を眺め、好きな本を読み、魚釣りに興じる・・・。新しい年もそうでありたいと願っている。

 私の好きな作家開高健は、こんな言葉を残している。

 「遠い道を ゆっくりと けれど休まず歩く人がある」

 ブログを訪ねて下さる皆さんにとって、いい年でありますように。来年もまたブログでお会いしましょう。

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部活の女子に教えられた礼儀、礼節

  朝6時、山小屋を出発してまだ暗い山道を下った。大阪・泉南に用事が出来たのだ。和歌山市内に入ると、少しお腹がすいてきた。キョロキョロしながら車を走らせ、食事の店を探したがなかなか見つからない。

 やっと、「松屋」という超安い24時間営業の店があった。中に入ると、U字型のカウンターに紺のジャージーを着た高校生らしい女子10数人が座っていた。胸に「魁」という文字が入っており、何かの運動部の選手みたいだ。全員がおかっぱで、ほっぺがリンゴのように赤い。早朝練習をして朝ご飯を食べに来たのだろう。

 しばらくすると、女子選手に次々と朝定食が運ばれてくる。選手は手を合わせ、「いただきます」と小さな声を上げて食べ始める。食べ終わると、「ごちそう様でした」と挨拶をして、素早く外に出て他の選手を待っている。

 きちんと挨拶をし、きびきびとした行動・・・。朝から気持ちのいい光景を目にしてうれしくなった。つい私も、運ばれてきたライスカレーに「いただきます」と言い、彼女らのように背筋を伸ばして食べた。

 若者だけとは言わない。いい年の大人もきちんと挨拶の出来ない人が多いように思う。私の元の職場でも、こそこそと出勤してきて、押し黙ったままの社員が何人もいた。彼らには嫌味だったかもしれないが、私は元気よく「おっはよー!」と声をかけるようにしていた。

 自慢するつもりはないが、末の娘は食事の度に「いただきます」「ごちそうさまでした」と声に出して言う。娘は小さいころからスポーツをやっており、大学でもバリバリの体育会系だった。選手生活の中で監督コーチや先輩から礼儀をたたきこまれたのだと思う。

 先の女子選手たちも、親からしつけられたというより、部活を通じて挨拶の習慣を身に付けたのだろう。幼稚園や小学校の子どもたちは大きな声で挨拶しているのを見かけるが、大きくなるに従って挨拶をしなくなる。どうしてだろう。周囲の大人が悪いのだろうか・・・。

 そもそも日本人は礼儀正しく、礼節を重んじる民族だ。日本を訪れる外国人はまず礼儀正しさと清潔な生活環境に驚く。江戸時代や明治時代に書かれた外国人の見聞記にもそんな記述が多い。

 しかし戦後、日本の美徳である礼儀、礼節が軽んじられるようになった。平等や同権をうたう民主主義教育だけではなかろう。大量生産、大量消費の時代の中で、礼儀や礼節に代わる価値観が世にはびこっていったのだろう。核家族化で子どもや孫に良き伝統をを教えるおじいちゃん、おばあちゃんが同居しなくなったのも理由の一つかもしれない。

 そんな中で、礼儀、礼節を教えるスポーツ教育はそれなりの役割を果たしていると思う。

 礼儀や礼節の根っこにあるのは「感謝」「敬う」の気持ではないだろうか。「いただきます」は食べ物を作る人たちと、作物を育てる自然への感謝だろう。礼節の一つ「長幼の序」は敬いの心だろう。

 年寄りのお説教のようなことを書いたが、日本人の美徳を忘れがちになっている自分自身に向けて叱咤しているのだ。残りの人生を美しくありたいと思うのだが・・・。
 

 

季節外れのナメコが出た

  寒波で積もった雪がほとんど消えたので、久しぶりにキノコを栽培している山小屋裏のスギ林に入ってみた。すると、今年の早春に菌を植えた桜の原木から季節外れのナメコが出ていた。夫婦二人で食べるには十分な量だった。その隣の原木にも、少しばかり小さなナメコが出ていた。

 3年前の原木からは10月から11月にかけて、そこそこの量を収穫できた。普通、菌を打って二度の夏を過ぎないと出てこないとされているが、今年の原木の2本から出てきたので驚いた。木が細いので、菌が回るのが早かったのだろうか。

 キノコの発生具合は、その年の気候などに左右されるのか、よく分からないことが多い。それに結構デリケートな生き物らしく、風通しや水はけの良し悪しなども大きな影響を受けるという。

 それにしても、この秋はシイタケの出が例年になく悪かった。わが家だけでなく、山の仲間も同じことを言っている。原木は40本ほどあるのだが、収穫したシイタケはたったの10個ほどだった。例年は食べきれないほど出てくるので、干しシイタケにしたり、知人に送ったりしていた。

 私の兄はシイタケが大好きで、とくにわが家のがおいしいと褒めてくれる。兄は先日、近江牛を送ってくれたのだが、先手を打ってシイタケとの物々交換を促す狙いがあったのだろう。しかし、思いもよらない不作でシイタケを送ることが出来ず、困ってしまった。自然の成り行きに委ねるキノコなどの作物は、不確実なものである。だから安請け合いはできない。

 シイタケがこの秋に不作だった分、活力みたいなのもが蓄えられているので、来年の春にはたくさん出てくる予感がする。せいぜい、楽しみにしながら春を待ちたい。

 来年もシイタケ、ナメコ、ヒラタケの菌を植えようと思っている。先日、原木となるコナラを手に入れた。20本ほどあり、これはシイタケの栽培用だ。ナメコとヒラタケは桜が適しているので、敷地の桜の大木を伐る計画だ。2月、3月はまだ寒く、ドリルで原木に穴を開け菌を打ち込む作業は辛いが、収穫の楽しみはそれに勝るのだ。

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また言ってしまった鳩山一家への苦言

  今日はクリスマス。私は仏教徒なので、イエス・キリストの生誕を祝うことはしない。

 昨日の未明、釣りに行くため車を走らせていると、民家の庭にクリスマスの電飾が輝いていた。都市近郊の新興住宅地では、これが日本かと目を疑うほどの電飾のオンパレードである。信仰心とは関係なく、どうも、その豪華さを競っているように見える。

 宗教におおらかな日本はいい国である。キリストの生誕を祝った1週間後、今度は神さんと仏さんに初詣し、手をたたいたり、手を合わせたりして、盛りだくさんのお願いをする。まあ、とやかく言うことではない。冬の風物詩と思えばいいのだ。

 そろそろ年賀状作りも尻に火がついている。毎年思うことだが、年賀状は実に悩ましい。もうこの人に出すのはやめようか、いやいやとりあえず出しておこうなどと、パソコンに保存している住所録を前に躊躇を繰り返すのだ。

 会社に勤めていたころの年賀状は何百枚にも上った。正月が明ければ顔を合わす職場の人にも、バカバカしいと思いながら出していた。差し出す大半は儀礼的なものだった。

 年賀状はかくかるべきという思いがある。やはり、自分や家族の近況を伝えてこそ意味があると思う。だから私はパソコンで作った近況の文章に、自筆で一筆加えることにしている。「謹賀新年」の文字に干支が入っているだけの年賀状が結構多く、味もそっけもない。しゃーないから出していますと、その人の顔に書いてある。

 今は賀状の数を減らすため、相手の文面を見て出す、出さないを決めている。そうすると、100枚以内になるからかつてのように手間もお金もかからない。これから数年かけて、差し出す賀状を4、50枚にしたいと思っている。鼻白むような儀礼にこだわらず、簡素な生き方がいいと思う。

 年賀状の文面に頭をひねっていると、女房が散歩に行こうというので付き合った。朝日がまぶしく、冷気が気持ちいい。先日来の寒波で20センチ近く積もった雪は、その後の好天でほとんど溶けた。生石高原を経て標高870メートルの生石ケ峰に登ると、珍しくはるか向こうに雪をかぶった大峰の山々が見えた。

 散歩から帰り、お昼ご飯を食べた後、ブログを書いている。文章の後半に入ると、言うまい、書くまいと思っていたことが頭をもたげてきた。昨日、ラジオで聞いた鳩山総理の記者会見だ。これを書き出すと、長い文章が一層長くなるのでちょっとだけ・・・。

 お母様が鳩山さんにあげていた12億円の大金は、贈与税隠しの臭いもする。そのお母様は「自分の腹を痛めた子を助けるのは当然のこと」と、言っているようだが冗談じゃない。鳩山さんはそのお金でフランス料理店なんかで優雅にナイフとフォークをヒラリ、ヒラリとやっている。庶民の「困っている」のとは次元が違うのだ。

 言っておくが、昔の金持ちは文化や芸術を支援してきた。今風に言うと、メセナである。だから、日本には素晴らしい文化芸術が今に伝わっている。村に貧しい子がいると、篤志家たちは金を出し、教育を受けさせた。日本はそうした良き伝統があるのに、鳩山という政治一家には、社会や人を支援する、あるいは惻隠の情というものがないのだろうか。

 こんなことは本来隠しておくことだが、腹立ちまぎれに書いておく。わが家は長い間、ボリビアの子、続いてアフリカの子の里親としてわずかながら毎月送金し、教育を受けさせてきた。別に珍しいことではなく、多くの日本人が同じようなことをしている。

 鳩山さん、お母様、預金通帳にある有り余るお金は、どうか、その一部を本当に困っている人のために使って下さい。今からでも遅くない。

 

【夫の日記】 節度なき新政権に一言

  私だって、村会議員、町会議員くらいになれるのではないかと思う。お母様からたっぷり政治資金をもらい、「住民税を半額にする」「医療費は5割補助する」などと、人に優しい公約を掲げて選挙運動をし、めでたく当選する・・・。今の日本を描く風刺漫画の一コマのようである。

 予算編成の大詰めを迎えた新政権を見ていると、「財政が苦しいので」の一点張り。そんなことは初めから分かっていたことで、何を今更だ。どうやら、わが国には「無節操という妖怪」が跋扈しているようだ。

 ひところ、モンスターペアレントという言葉が話題になった。今も、健在だろう。学校に無理難題を吹っ掛け、平気な顔をしている馬鹿な親たちだ。これぞ無節操の極みであるが、次々と約束を破る新政府だって目糞鼻糞の類である。

 こういう親たちのもとで、まともな子供が育つとは思えない。子供には長い時間をかけて「節操」という意味を教えなければならない。それは人間としての、あるいは生き方の根幹なのだ。約束を守る、義を重んじる、親孝行をする・・・。論語の教育をせよと言うのではなく、人間としての最低の規範を教えるのだ。

 「ガソリンの暫定税率廃止」「高速料金の無料化」などの公約破りは、そもそも倫理観が欠如しており、人間としての規範からも外れていると言っておきたい。おまけに、「国民の健康を守る」というもっともらしい理屈をこねて煙草税を値上げし、愛煙家から金をむしり取る。政治は「人の嗜好」に口出ししてはいけない。それは独裁国家のやることで、危険な思想だ。

 新政権の本質が透けて見えてきた。ポピュリズム、無節操、唯我独尊。図体は大きくなったが、背骨を失っている。もはや「ガソリン」も「高速無料化」はどうだっていい。最も大事なことは、「約束は必ず守る」の一点である。約束の前に、特段の事情も、理屈もいらない。

 「熟慮に熟慮を重ね」た結果、事情が変わったので約束が守れない。鳩山総理はそう言った。国の最高権力者が、事の次第では約束を破ってもいいということを天下に公言しているのだ。鳩山さん、「君子豹変する」などと気取ってはいけない。「誤りは素早く改める」というのが真の意味である。

 普天間基地の移設問題でも同じだ。前政権が米国と交わした約束を吹っ飛ばしてしまった。ロシア革命のレーニンは言った。「帝政時代に外国と交わした約束は守る」と。帝政からプロレタリアの政治に180度転換しても、約束は約束なのだ。日本の新政権は外国からも、国民からも「約束を守らない」と、すでに見られている。

 わが子にプラモデルを買ってやる約束をしたとしよう。親は金がないという理由で約束を破る。子どもは大人になっても、事情があれば約束を破ってもいいのだと思うようになる。そのような子どもが育つのは身の毛がよだつことだ。金がないなら一汁一菜の食事で我慢して、プラモデルの約束を果たさなければならない。親とはそういうものだ。

 私は女好きで、酒好きで、遊び好きであるが、子どもには「人との約束は破るな」と言ってきた。馬鹿でもなんでも「約束を守る」だけで、それは立派な人間だと思うからだ。

 ここで武士道を持ち出すのはどうかと思うが、武士は社会の最上位の階級であったから、自らに厳しい規範を課した。それが武士道なのだ。政治家は健全な国家、社会を作るために自らが範を示さなければならない。守れない約束など最初から言ううなと言いたい。

 国家百年の計は教育にある。それを言う政治家が無節操をさらけ出し、子どもに節操を説くのはどう見てもおかしくはないか?

【夫の日記】 魂を揺さぶる縄文の土偶

  1週間ぶりに和歌山の山小屋に帰って来た。寒波襲来で覚悟していたことだが、やはり雪が15センチほど積もっていた。雪を踏みしめて山小屋への階段を上がり、外に懸けている寒暖計を見るとマイナス1度だった。

 屋内も凍えていた。机の上に、花を生けて置いていた備前焼の徳利が割れていた。中の水が凍ったのだ。徳利はそこそこ有名な作家の作品だったから、ショックだった。

 明けて今日も朝から吹雪だ。気温はマイナス5度。前夜から水道水をちょろちょろ出しておいたが、水が出ない。調べてもらったら、湧水を汲み上げるポンプが故障していた。軽トラのタイヤをスタッドレスに取り換えるなど、朝からドタバタしてゆっくりする暇がない。ポンプの修理が終わるまで、水のない生活が続くのだ。

 しばしの東京滞在だったが、東京国立博物館で開かれていた「国宝 土偶展」に行けたのは良かった。土偶といっても中学校の教科書程度の知識しかない。けれど、昔から縄文時代に心を惹かれていたので、その時代を代表する物言わぬ土偶と対面し、縄文人の精神世界に触れたかったのだ。

 会場には、国宝に指定されている3点すべてと、重文など計67点が展示されている。一歩足を踏み入れると、そこは幽玄の世界だった。一つ一つの土偶の前に長くたたずんだ。それらの群像には、日本人の魂を揺さぶる不思議な力があった。震えるような感動を覚えた。

 縄文人の表現力は何と豊かなのだろう。現代人が思いもつかない造形ばかりだ。「縄文のビーナス」と名付けられる土偶は、さすが国宝に指定されているだけあって、完全な形で現代に息づいていた。

 これは紀元前3000年から2000年に作られた女性像だ。目は吊り上っているが、ポカンと開いた口がユーモラスで、表情のアンバランスが面白い。垂れ下がった下腹が妊婦だと教えてくれる。くびれた腰に、豊かなお尻。横から見ると、驚くほどの出っ尻である。おおらかな造形に、気持ちが和む。

 祈りを捧げる像、ゴーグルをかけたよな奇妙な顔、三角形の仮面をつけた像などすべてが興味深かった。そして、縄文人が土偶に寄せる思いのようなものが、伝わって来た。安産を願い、木の実や狩猟の恵みを祈り、死者への思いを込める・・・そんな土偶の数々。そこに、現代人が失った死生観が浮かび上がってくるのだ。

 エジプトやインド、中国など大河のほとりに花開いた古代文明はすごいと思う。古代ギリシャの彫像やガンダーラの仏像なども端正で、美しいと思う。無知かもしれないが、「すごい」「美しい」と思うだけで思考はそこで止まってしまい、私の想像力はそれほど広がらない。

 しかし、土偶にはめくるめく想像の世界がある。そして、縄文人の生活の臭いさえ漂ってくるのだ。ユーラシアの東の果て、極東の日本列島に1万4000年も前から素晴らしい土偶文化が存在したことは驚きであり、日本人として誇りにも思う。

 いよいよ厳しい冬になった。山小屋に閉じこもる日が多いだろうが、会場で買った土偶の図録をゆっくりと見る楽しみがある。

  


【夫の日記】 女が走る、特別セールの狂想曲

  恐ろしいといとも、凄まじいとも言える女たちの姿を見た。「そんなもの何よ、今更珍しくはないわよ」という人もいるだろうが、私には初めて見る光景で、ドタバタ喜劇を見ているようだった。

 それは、ある有名ブランドの社員とその家族だけが入れる特別セールである。女房は東京で暮らす娘に誘われ、これまで何回かそのセールに行き、買い物をしている。今回、女房と娘は珍しく「お父さんも一緒に行こうよ」と誘ってくれた。喜んでお供をしたのだが、その時は彼女らの陰謀を知る由もない。

 会場は皇居に近い大きなビルで、入り口には人の長い列が出来ていた。入館するには警備員の厳しいチェックを受けなければならない。入館が始まると、みんな脱兎のごとく駆け出す。デパートの福袋を買いに走る光景とそっくりである。

 会場は体育館のような広さで、ひと目であのブランドだと分かる衣料品やバッグなどが並べられている。客のほとんどが女性で、男性は1割にも満たない。女性たちはみんなオシャレだ。和歌山の山奥で暮らしている私には目の保養になる。

 しかし、そんな見目麗しい女性が豹変した。客の多くはまずバッグ売り場に向かう。時間をかけての品定めをするかと思いきや、とんでもない。入り口に用意してあった大きなビニール袋に、ポンポンとバッグを放り込むのだ。1人が五つも、六つも・・・。

 転びそうになりながら女房の後を追うと、女房もバッグを5個ほど袋に入れた。「そんなに買ってどうするんだ」と怒鳴ると、「とりあえず入れておくの。後で返せばいいのよ。頼まれている分もあるし」と言う。「しばらく、どこかで待ってて」と、追い返されてしまった。

 客はコートやセーター、シャツなどを押し込んだビニール袋を二つも三つも引きずっている。それでも、袋に押し込むのをやめないのだ。すでに女性たちの額には薄っすらと汗が滲み、柳眉がますます逆立っている。

 娘から携帯電話がかかってきて指定された場所に行くと、友だち2人と一緒だった。「袋が7個あるから、しばらく番をしといてね」と言ったまま、どこかへ行ってしまった。

 確かに驚くほど安いのだ。例えば、ウン十万円のコートがウン万円なのだ。女性が群がり、先を争うのは分かる。しかし、それにしてもだ。不況の世の中なのに、この貪欲さと購買力は何だと思う。私の目に、そんな女性がガバーッと口を開けたカバのように見えた。

 今度は女房からの電話だ。場所を教えると、袋を二つ引きずってやって来た。そして、またもこの袋の番を押し付けられた。なるほど、私をここに引っ張ってきたのは、袋の番人役なのだ。うかつにも、女房と娘の陰謀にひっかかってしまった。娘のマンションで本でも読んでおけばよかった。

 袋の番を何回も繰り返し、彼女らが帰ってくるまで長い時間を待たねばならなかった。椅子などはなく、立ったままだからとても疲れる。帰ってくると、試着室に移動して品定めが始まる。「貴重品もあるので、目を離したらあかんよ」と命令され、踏んだり蹴ったりだ。

 女房は自分と孫だけの買い物をするので申し訳ないと思ったのか、「何か欲しいもの買えば?」と殊勝なことを言う。不思議なもので、私も何か買いたくなる。これって、催眠商法みたいなものかもしれない。寒い山小屋暮らしだから、ダウンジャケットが欲しくなった。物凄く軽くて、暖かい。女房とお揃いで買った。

 不況をよそに繰り広げられる買い物狂想曲。いやー、凄かった・・・。
 



 

 

 

 

【夫の日記】 無人島は誰のものか

  広島県呉市沖の瀬戸内海に「三ツ子島」と呼ばれる無人島があるという。島は二つに分かれており、このうち北側の島が一般競争入札で売りに出されると新聞に出ていた。財務省は財源確保のため国有地の売却を進めていおり、その一環で売り出されることになったのだ。

 この北側の島は、南北280メートル、東西は最大で40メートルほどあり、ひょうたんの形をしている。戦前は旧海軍の施設があったらしい。瀬戸内海国立公園の中にあるので、誰かが買っても開発には色々と規制がかかるとされる。

 新聞に出ていた写真を見ると、いかにも魚が釣れそうだ。釣り好きの私には垂涎の的である。一体、いかほどの値段で落札されるのだろうか。年末のジャンボ宝くじで3億円を当てるしかないが、これまで何回も宝くじを買って300円当たったのが最高だから、島を買うなんてまさに高根の花である。

 でも、夢を見るのは自由だろう。ここに家を建て、毎日釣りに行く。たくさん釣れれば市場に魚を持って行き、煙草代でも稼ごう。あっ、これは話のスケールが小さいなあ。昔、この近くへ釣りに行ったことがあるが、メバルがクーラー一杯釣れた。鯛、黒鯛、ハマチ、鰆などもうようよいるはずだ。

 無人島にはロマンを感じる。多分、そこが男と女の違いだろう。女はシンデレラのように王子様の出現に胸をときめかせるが、男は美しい女性が漂着してくるのを夢見るのだ。私の介抱で息を吹き返したこの女性との原始の暮らしは想像するだに楽しい。天女伝説に憧憬を覚えるのと同じだろう。

 さて、この無人島の記事を読んだ時、私はとっさに、先ごろ亡くなった森繁久弥さんとの些細な一件を思い出してしまった。

 それは20年以上前のことだ。森繁さんは香川県の沖にある無人島を所有していて、自身の大型クルーザーで関東からここへクルージングしていた。私は、仕事のことで森繁さんの秘書と連絡を取り、その無人島で森繁さんと会う約束を取り付けた。

 指示された港には白い立派なクルーザーが停泊していて、年配の秘書と息子さんが出迎えてくれた。この船に乗って無人島へ行くことになっていたのだが、そこへ森繁さんが船上に現れて、意外なことを言った。「俺はそんなことを聞いていないぞ。乗せないよ」。えっー、約束が違うではないか。こちらも遠路はるばる飛行機で飛んできたのだ!

 森繁さんの虫の居所が悪かったのか、秘書とうまく連絡がとれていなかったのか分からない。ともかく秘書は平謝りだった。結局、無人島まで行って森繁さんと話をしたが、機嫌は良くなかった。彼から見れば、私は鼻たれ小僧だろう。でも、約束は約束だ。その応対は礼を失していると思った。

 森繁さんの芸も話術も軽妙で好きだったが、その時、見てはならない姿を見てしまったように思った。舞台や映像は虚像なのか、癇癪を起こしたその姿が実像なのか・・・。以来、森繁さんがテレビに映ると、チャンネルを変えるようになってしまった。

 しかし、そう感じたのは若気の至りだったのだろう。恐らく、森繁さんは我儘な性格だったのだと思う。大物の役者だから周りがちやほやするし、年を取ると我儘がひどくなるという。森繁さんの言い草にカーッときた当時の自分が、今は少し恥ずかしい。

 やがて彼は文化勲章を受章した。演劇の世界で社会に貢献したことが評価された。最高の栄誉だから、その人間性も評価の一つに加えられているに違いない。そもそも、そのような人に噛み付くとは恐れ多いのだ。しかも、人間死ねばすべて仏様であるから、つべこべ言わないのが礼儀かもしれない。

 無人島売却のニュースが、とんだことを思い出させてくれた。貧乏人のひがみかもしれないが、冷静に考えると海も島も国民の財産だ。個人の所有はどうかと思う。財務省よ、国民の財産を勝手に売るな! 

  

 

 

【夫の日記】 地デジが映らない・・・どうする総務省

  責任者、出て来い!温厚な私が心底怒っているのだ。

 文句を言いたいのは地上デジタルテレビ、略して地デジのことである。テレビでは「2011年4月、テレビのアナログ放送は終了します」と盛んに宣伝している。総務省とNHKは地デジ推進に躍起だ。

 国民は尻に火がついたように地デジ対策をしている。家電量販店は専用コーナーを設け、アンテナ、チューナーの売り込みに懸命だ。総務省は国民にある種の恐怖感を植え付け、周知させようとしているし、NHKはこれを機会に受信料を取ろうと虎視眈眈である。

 世は何事もデジタルに向かっており、テレビのデジタル化も時代の流れかもしれない。地デジに切り替え、空いたアナログ放送の電波を防災などに活用しようというのだから、それはそれでもっともな計画だと思う。

 ところで私たちの山小屋だが、森に囲まれ、いく筋もの尾根が突き出ているためテレビの難視聴地区である。アナログ放送は民放がほとんど映らない。総務省は各地に中継局を建てているとい宣伝しているので、高性能アンテナとチューナーを買えば地デジを受信できると思った。

 さっそく、アンテナとチューナーを買った。1万6000円ほどの出費は痛かったが、どっちみち買わなくてはならない受信器具だ。女房がアンテナを持ち、私がテレビの前で受信状況を確認する。アンテナは180度回してみるが、映ったのは和歌山のNHKとサンテレビ、和歌山テレビの3局だけだ。何度やってもキー局の民放は映らず、詐欺に遭ったような気分になった。

 そこで、総務省の相談窓口に電話した。「この電話は60秒ごとに10円かかります」という音声が聞こえてきて不愉快極まりない。国が勝手に地デジを進めておいて、相談の電話が有料とはどういうことか。電話口に技術の職員が出てきて、あれこれ1時間ほどしゃべりまくり、電話代は600円だ。

 しかも、「あなたの場所は受信が難しいかもしれない」という結論である。それならそうと、10分くらいで結論を出せよと言いたい。ただ、支援センターの者を派遣すると言ったのが救いである。

 そして先日、大阪から「デジサポ」と名乗る男性2人が電波測定車に乗って山を上がってきた。車の天井にはアンテナが上下する装置が付いている。これなら電波をキャッチできる方向や高さが分かるはずで、心強い。女房は喜び勇んで彼らに昼食を振舞おうと準備を急いでいる。

 測定が始まると、山の仲間2人が見物にやって来た。山奥に住んでいると、救急車が走っただけでも血相を変える人種なので、測定車は物珍しい。測定は続いていたが、もう昼時だ。山小屋に上がってもらい昼食とした。見物の二人も「食べさせろ」とついてきた。

 自慢する訳ではないが、亭主の私も滅多に食べられないポトフに加え、アオリイカの天麩羅など豪華版だ。これでテレビが映るなら安いものである。再び測定が始まった。私たち夫婦も固唾を飲んで見守った。

 やがてリーダーが近寄ってきて、「あのー、お昼までご馳走になったのに、申し訳ありません。あきまへん。映りまへん」。何だとー、ポトフを吐きだせ! まあ、そこまでは言わなかったが、落胆半分、怒り半分の気分だ。

 ともかく説明を聞いた。「テレビ電波は水平に流れているのです。ここは標高800メートルですから、高過ぎてキャッチ出来ません。結局はここにお住まいの人たちと組合を結成してもらい、共同アンテナを建てるしかないのです。1戸当たり3万5000円の費用がかかります」。

 何だとー、イカの天麩羅を吐きだせ!とも言いたかったが、冷静を装って「ご苦労さんでした」とお帰りを見送った。しかしである。ここ生石山の山中に住んでいる人など何人もいないので、共同アンテナの組合を作るなんて非現実的だ。全国には同じような難視聴地区はいっぱいあるだろう。総務省はどうするつもりか。

 みみっちい話はしたくないが、私のように無用なアンテナ、チューナーを買わされた人もいっぱいいるだろう。散々、地デジを煽っているのだから責任を取ってほしい。費用1万6000円を返せ~。

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【夫の日記】 アオリイカ・・・ついに成就

  師走の街に、厳しい不況の風が吹きつけている。職を失ったまま越年する人たちは特に気の毒だ。加えて、鳩山政権の迷走、ドバイショック、デフレ・・・。わが国は大丈夫なのだろうか。

 こんな折も折、呑気に釣りのことを書くと、お前はアホかと言われそうである。ここは開き直って「はい、アホです」と言うしかない。

 新聞でもテレビでも「続報」というのがあって、書きっぱなし、放送しっぱなしは良くないので、後始末の「続報」を報じなければならない。そこで当ブログでも続報を書いておきたいと思う。12月5日の記事「アオリイカ釣りの初挑戦」の結末である。

 先週、アオリイカのヤエン釣法に挑んだのは大阪に住む釣り仲間の亀丸さんなのだが、その初挑戦は失敗に終わった。指南役の私も散々な結果だった。亀丸さんはみじめな結果に肩を落として帰って行った。

 そこで、再挑戦、雪辱戦を計画した。波止場よりボートで海に出た方が釣れる確率が高いので、私のボートを出して二人で釣ることにした。場所はいつもの由良湾だ。明け方に到着した亀丸さんは「ほんまに釣れますか」と不安を隠せない様子である。その気持ちが痛いほど分かるだけに、「今度こそ、絶対に釣れる」と励ましておいた。

 これまで私がよく釣っているポイントにアンカーを下ろした。何の変哲もない浅い磯場だが、ここにアオリイカが集まるのだ。私の1投目、早くもイカが生きアジの餌に乗った。リールから激しく糸が引き出され、イカは止まってくれない。どうしたことか、すぐにイカがアジをを離してしまった。

 地団太を踏んだが、しばらくするとまたイカが食いついた。慎重に取り込み、まずは亀丸さんのお土産は確保できた。しかし後が続かない。今日こそ亀丸さんに釣ってもらわねばならないのに、まったく当たりがないのだ。

 もはや転戦するしかない。亀丸さんも場所を変えたいような口ぶりだ。蟻島という小さな島をめざした。15分ほどで到着すると、顔見知りのボートが来ていてイカを狙っていた。こちらに手を振って「あかん、あかん」のシグナルを送ってくれた。

 案の定、魚信はなく、1時間余りでまた元の場所にUターンだ。まさしく右往左往である。焦りの程がお分かりだろう。このブログを読んで下さる人の中に「釣れるなよ!」と期待する意地悪さんがいるかもしれない。ところがどっこい、天は我らに「味方せり」なのだ。

 まずは私に当たりがあり、2杯目をゲット。続いて3杯目が釣れた。これだけあれば、亀丸ご一家の今夜の食卓は豪華になるだろう。しかし、肝心の亀丸さんが釣らなければ、この日の釣行の意味がない。

 そんな思いとは逆に、またまた私に当たり来た。「とにかくこの竿で釣ってみて」と、イカが乗っている私の竿を亀丸さんに渡し、イカ釣りの面白さを実感してもらうことにした。亀丸さんは震える手で竿を操作しながらイカを寄せる。1分、2分が経過。合わせを入れると、がっちり掛った。墨を吐き続けるイカが無事タモに収まった。亀丸さんが自身で釣ったイカの第1号なのだ。

 亀丸さんは「痛っ、たたた」と言って、ボートの中で半身を横たえている。「どないしたん」という問いに、「足がコブラ返りで・・・」と悲壮な表情だ。ボートの中は狭く、不自然な体勢を保ったままイカと格闘したため起きたらしい。

 すると、今度は亀丸さんの竿に当たりだ。もはやコブラ返りどころではない。イカがアジに食いつき、食べるのに夢中になるまで何分もかかるので、その間、じっと待たなければならない。亀丸さんは「緊張しますわ」と言いながら顔を真っ赤にしている。

 いよいよイカを寄せ始める。竿先がしなっており、正真正銘のアオリイカだ。時折、イカはジェット噴射をして潜ろうとする。やがて、ヤエンという掛け針に掛ったイカが浮いてきた。亀丸さんの2杯目である。「バンザーイ」「バンザーイ」と二人で叫んだ。いい年をした男二人が・・・無邪気なものである。

 もはや亀丸さんの感激の言葉を紹介するまでもなかろう。間違いなく言えることは、「イカ釣りの中毒患者」が一人増えたという事実だ。二人で釣った5杯のうち1杯を私が持ち帰り、その晩、焼酎をすすりながら刺身でいただいた。アルコールとともに、安堵感がじわーっと私の全身に広がった。

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【夫の日記】 鳩山さんは腹をくくるか

   どうやら煙草税が引き上げられそうな気配だ。愛煙家を社会の悪人に祭り上げ、ちまちまと税金をふんだくるとは如何なる料簡か。どうも新政権は姑息である。財源不足は鼻から分かっていたのに、耳障りのよいマニフェストを掲げたのがそもそもの間違いだ。

 私は、いよいよ腹をくくろうと思う。と言っても、吸う煙草の本数を減らすだけだが・・・。愛煙家は大なり小なり人様に迷惑をかけているので、こぞって値上げ反対を叫んでも大海にさざ波を立てる程度だろう。無力を分かりつつ、ブログを通じて抗議の小さな声を上げておきたい。

 腹をくくらなければならないのは、私なんかより鳩山総理の方である。人間誰もが、一生のうちに一度や二度、腹をくくることがある。例えは良くないが、結婚だってそうだ。男も女も一か八かで腹をくくるのだ。

 それがどうだ、鳩山さんの優柔不断さ。中でも普天間基地移転問題。「沖縄県民のお気持ち」と「米国とのお約束」の間を行ったり来たりして訳が分からない。「腹をくくる」の対極にある優柔不断の振る舞いは、いずれ国民から愛想をつかされよう。

 最近では、社民党の福島党首が基地の県外か海外への移転がなされなければ「連立解消」と言い出した。「社民党のお気持ち」の前にまた揺れている。沖縄の負担は気の毒だが選択肢は限られているし、安全保障は国益の最たるものである。

 ならば鳩山さん、離婚をちらつかせる福島さんに、「おー、そうかい、そうかい」とちゃぶ台をひっくり返すくらいの気合、気骨、勇気がないのかと言いたい。一国の総理なら、もはや腹をくくる時だろう。

 いやひょっとしたら、私の見方は間違っているかもしれない。そもそも民主党のマニフェストは明らかに社会主義的な傾向が強い。だから元社会主義政党の社民党と路線がそれほど変わらず、いわば気脈が通じていると見ることが出来る。社会主義が悪いとは言わないが、それなら腹をくくって「沖縄に米軍基地はいりません」と言うべきだと思う。

 800兆円もの借金を抱えるわが国には米軍に代わる軍備を増強する金がないし、米軍にそっぽ向かれれば丸腰に等しい。「友愛」という美しい思想が、国益がぶつかる外交の場で通じるとは思えない。けれど国民がこぞって選んだ新政権のおやりになること。日々惰眠をむさぼる私ごときが苦言を呈しても始まらないだろう。

 ついでに言わせてもらうと、そもそも消費税を4年間封印したことが様々な無理を生んでいる。消費税をドーンと上げて年金や福祉の財源に充てれば、国民の将来に対する不安をやわらげることが出来る。マニフェストも実現できるから民主党の人気も上がるだろう。

 消費税は公平なのだ。私ら貧乏人が肉を買う場合、盆と正月を除いて安いオージービーフ一本やりである。しかし、鳩山さん一家のようなお金持ちは、近江牛や松阪牛などブランド品を召し上がる。一事が万事そうである。お金持ちは当然私たちより多くの消費税を払うことになるし、そんなものを屁とは思わない人たちだ。

 ここは腹をくくって「消費税を上げる」と宣言したらどうか。貧しい人たちには消費税を還元すればいい。友愛精神バンザーイである。あ、そうそう、消費税よりも先にお母様からの10億円ものヤミ献金、ヤミ贈与を受けた責任を取って、ここは腹をくくってもらわねばならないだろう。えっ、そうじゃないかい?

【夫の日記】 絶品の干し柿・・・ブログの友から

  お昼ご飯を食べ終わったころ、小屋で一緒に暮らす愛犬「ピー助」(シーズ)が「ワン」と鳴いた。誰か人が階段を上がって来たようだ。ピー助は人間の耳には聞こえないかすかな音にも反応するので、感度の高い感知機のようだ。ただし、誰にでも愛想よくなついてしまうので、番犬にはならない。

 訪ねてきたのは、馴染みの宅急便のおじさんだった。いつも、こんな山奥まで荷物を届けてくれる。箱の送り主の欄を見る。予感は当たった。「お~、来たぞ、来たぞ!」。急いで箱を開けた。中身はしばしお待ちを・・・。

 送り主はブログ「心何処」を運営しておられるハンドルネーム「アガタ・リョウ」さんだ。松本市にお住まいである。私たちがブログを始めた2年前、いち早くコメントをいただいたネット上の先輩であり、友人である。

 アガタさんは、お母さんの介護の様子や友人との交遊など日々徒然に綴っておられる。ピリ辛の時事放談、映画評論も面白い。時に色鉛筆の絵も添えられている。怪しげな白人女性が登場したり、身の回りの自然だったり。私も愛読者の一人である。当ブログのリンクにあるのでぜひ読んでいただきたい。

 さて荷物の中身だが、干し柿と熟柿である。アガタさんは家の渋柿をもぎ、お母さんとともに手塩にかけて干し柿を作っておられる。私も軒下に吊るしているが、その出来具合は足元にも及ばないと思う。アガタさんが作る干し柿に想像力が膨らみ、何度かコメント欄にも書いた。余程、物欲しげに伝わったのか、「送ってあげます」とのコメントが届いたのだ。

 干し柿には白い粉がふき、羽二重餅のように柔らかい。女房が私より先にガブリと口にした。「この甘さ、なぜ?どうして?」と。テレビの食べ物番組で感嘆の声を上げる馬鹿者タレントと同じセリフである。私も食べた。果肉がねっちりと口の中にまとわりつく。甘さが違う。私が作る干し柿と似て非なるものだ。

 これは、かける手間の違いか。渋柿の素材の違いか。松本の気候風土の違いか・・・。多分、この三つの要素が絡み合って絶妙の干し柿が生み出されるのだろう。戴いたからから言うお世辞ではない。

 実は、ぜひ書いておきたいことがある。干し柿と熟柿が入っていた箱のことである。アガタさんが適当な箱を探していると、お母さんも一緒に探してくれたとブログに書かれている。老いた母と介護する息子との何気ない光景に、私は感激するのだ。

 おそらくお母さんは何一つ粗末にせず、箱の類もきちんと取っておかれるのだろう。困った息子を助けてあげようとする細やかな母親の気遣い。アガタさんのブログのごく短い行間に、私の亡き母の「母ごころ」と重なる。母と息子の情景に、思わず熱いものが込み上げてきそうである。ありがとう、アガタさん・・・。

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【夫の日記】 人生も釣りも自然体は難しい

  自然体と平常心--。人生も、スポーツも、いや何事も、それは人間性や技を磨き抜いた極意の姿のように思う。自分をさらけ出し、ありのままに人と接することが出来るだろうか。私がこうしてブログの駄文を書く時も、余計な力が入っているに違いない。あらゆる場面で自然体と平常心を通すことは難しく、未熟な私には無理である。

 ちょっと理屈っぽい書き出しだが、何のことはない、先日の悔しい釣りについて書こうとしているだけだ。たかが釣りでも、自然体と平常心を保つことの難しさを痛感した次第である。

 私のボートの師匠で、当ブログを熱心に読んで下さる大阪の「亀丸」さんから「アオリイカの釣り方を教えてほしい」との申し出があった。ヘボ釣り師の私にうまく教えることができるか分からないが、ご一緒することにした。

 まだ暗いうちに私たちは由良湾の漁港に着いた。すでに先客が4人来ていて、竿を出していた。この寒さの中、前夜からアオリイカを狙っているというが、釣果はそれぞれ1杯かゼロとのこと。状況は良くなさそうだが、多分釣れるだろうと楽観していた。

 夜が明けてきて、いよいよ亀丸さんのアオリイカ釣りのデビューである。実際の釣りを紹介する前に、ちょいと講釈を垂れようと思う。この釣りは、生きたアジを泳がせ、これにイカが抱きつくと、ヤエンという掛け針を道糸に通して海中に下ろし、引っ掛けるというものだ。

 第一段階は、ともかくイカがアジに食いつかねばならない。これはおおむね運任せ。第二段階はうまくヤエンをイカまで到達させ、引っ掛ける。こちらは技術であり、腕の差が出る。初心者は10回当たりがあって取り込めるのは良くて2、3割。ベテランになると8割以上の確率だ。

 さて、さて、釣りの行方は・・・。亀丸さんは釣りが達者なので手さばきがいい。緊張の面持ちでアジの動きでピクピク揺れる竿先を見続けている。やがて、波止場の先端で釣っていた人が、500グラムほどのアオリイカを釣り上げた。いよいよ地合いの到来か・・・。

 しかし、2時間、3時間が過ぎても私たち二人の竿にイカは乗ってこない。しびれを切らして亀丸さんがその場を離れたその時、亀丸さんのリールから激しく糸が出て行った。「乗った、乗った」と叫んで亀丸さんを呼び戻す。私が手を貸せば練習にならないし、釣った感激も味わえない。

 「1秒で1センチ寄せるくらいの感覚で竿を操作して」「リールは常にフリーに。引いたらすかさず糸を出して」とアドバイスする。イカは次第に寄ってきた。ヤエンは私がセットして海中に下ろした。あと一歩というところで、イカがジェット噴射して潜った。リールがフリーになっていなかったので、イカは抵抗を感じてアジを離してしまった。よくやるミスである。

 亀丸さんは悔しさの余り、波止にへたり込んでしまった。頭から湯気が出そうな形相である。私も心中穏やかでない。亀丸さんに釣らせたい、自分も釣りたい--という焦りと欲がごった混ぜになり、平常心が失われていく。自然体なんてどっかに吹っ飛んでしまう体たらくだ。

 こうなると、何もかもテンポが速くなる。泳ぐアジの操作が雑になる。アジ投入を頻繁に繰り返す。もう少しどっしりと構えればいいのだが・・・。そんな私を鎮めようと、亀丸さんはうどんを作ってくれたり、コーヒーを入れてくれたり。しかし、釣りたい、釣らせたいの思いが頭を駆け巡り、気もそぞろだった。

 結局、私の竿にイカが乗ることはなかった。あえて負け惜しみを言うと、この秋、ひんしゅくを買うほどイカ釣りに通ったが釣果ゼロは初めてだった。選りによって、初挑戦の亀丸さんとの釣行がこれでは情けない。

 アオリイカは私の焦りを見透かしていたのだろうか。釣りに焦りは禁物だし、かといって悠然とし過ぎてもいけないと思う。平常心の心構え、自然体の動作が肝要だと、改めて思い知る一日だった。まだまだ鼻ったれ小僧でして・・・。

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【夫の日記】 椿泊、伊島・・・若かりし頃の阿波の海

  カーフェリーに乗るのは何十年ぶりだろう。阿波徳島のゴルフ場に用事ができ、和歌山港から南海フェリーで徳島港に向かった。運賃は片道9000円ほどだから結構な値段だ。高速道路の無料化を掲げる民主党の政権公約が実施されると、フェリー業界は大打撃を受けるだろうなあと思った。

 船が紀淡海峡にさしかかる。私たち夫婦が暮らす生石山が見えてきた。すると、携帯電話が鳴った。女房からだった。「クリーム色の大きな船が出て行く。これに乗っているのよね」。山小屋のデッキから紀淡海峡が見えるので、女房は双眼鏡で覗いていたのだろう。

 これから2時間余りの船旅だ。退屈しのぎに本を持ってきたが、1行も読むことはなかった。少し肌寒いデッキに立ち続け、まるで子供のように右舷から左舷へと移動しながら景色に見とれた。

 海南の発電所から右に目を移すと、いつも釣りに行く由良のあたりが見え、日ノ岬へと陸地が連なっている。反対側のデッキからは目の前に沼島が迫っていた。ここで獲れる鱧は全国一と言われ、昔は仲買業者が漁船から直接買い付けて行ったと聞いた。鱧は祇園祭や天神祭のころが旬で、脂が乗った鱧の押し寿司は美味しい。

 実は、この小旅行でどうしても行ってみたい所があり、早い便に乗ったのだ。蒲生田岬の先端に近い「椿泊の港」である。遠い昔に見たこの港の光景が、今も鮮明にまぶたに焼き付いている。

 私も女房もまだ20歳代のころ、夏休みを利用して「伊島」へ行った。この島は蒲生田岬の先の紀伊水道に浮かんでいる。観光名所などはなく、石鯛などを狙う釣り人が訪れる島だ。もちろん私も石鯛竿を携えていた。

 ここへ行くには阿南市の橘港から1日1便の連絡船に乗る。その途中に椿泊に立ち寄るのだ。この小さなな港は、日本の漁港の原風景を見るようだった。深い緑色の海はまるで油を流したように静まり返っていた。おばあさんが釣り糸を垂れていたのを覚えている。セザンヌやモネたち印象派の画家なら、好んで絵筆をとりたいだろう。

 島には旅館が1軒あるだけだった。小さな商店でかき氷を売っていたので驚いた。余りに暑く、二人でむさぼるように食べた。島の人たちの目線に棘のようなものを感じた。島特有の排他性なのだろうか。石鯛を2、3匹釣ったように記憶している。見たこともない大きなタコも釣れ、旅館で料理してもらったが、硬くてまずかった。

 椿泊も伊島も若いころを思い出させてくれた。このあたりには、徹夜運転で通った釣り場が多い。ついでに、伊佐利、阿部、木岐の漁港へも足を伸ばした。漁師の家に泊めてもらい、定置網で獲れたばかりの魚をつつきながら漁師と酒を酌み交わしたことが懐かしい。

 翌日の用事を済まし、日和佐の大浜海岸にも行った。ここはNHK朝の連続ドラマ「ウェルかめ」の舞台になっており、ちょっとしたミーハー気分である。ウミガメは何万キロを旅するが、私も人生という長い旅の途中に思い出深い阿波の海に再び巡り合った。

   ↓ 海の向こうに私たちが暮らす生石山が見える
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   ↓ 鱧で有名な神話の島・沼島が迫ってきた
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   ↓ 懐かしい椿泊の港
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   ↓ かつて釣りに通った伊佐利の漁港
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   ↓ ウミガメが産卵に来る日和佐の渚
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   ↓ 満月を見ながら徳島港を後にする
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