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2009年12月21日 森に暮らすひまじん
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  1週間ぶりに和歌山の山小屋に帰って来た。寒波襲来で覚悟していたことだが、やはり雪が15センチほど積もっていた。雪を踏みしめて山小屋への階段を上がり、外に懸けている寒暖計を見るとマイナス1度だった。

 屋内も凍えていた。机の上に、花を生けて置いていた備前焼の徳利が割れていた。中の水が凍ったのだ。徳利はそこそこ有名な作家の作品だったから、ショックだった。

 明けて今日も朝から吹雪だ。気温はマイナス5度。前夜から水道水をちょろちょろ出しておいたが、水が出ない。調べてもらったら、湧水を汲み上げるポンプが故障していた。軽トラのタイヤをスタッドレスに取り換えるなど、朝からドタバタしてゆっくりする暇がない。ポンプの修理が終わるまで、水のない生活が続くのだ。

 しばしの東京滞在だったが、東京国立博物館で開かれていた「国宝 土偶展」に行けたのは良かった。土偶といっても中学校の教科書程度の知識しかない。けれど、昔から縄文時代に心を惹かれていたので、その時代を代表する物言わぬ土偶と対面し、縄文人の精神世界に触れたかったのだ。

 会場には、国宝に指定されている3点すべてと、重文など計67点が展示されている。一歩足を踏み入れると、そこは幽玄の世界だった。一つ一つの土偶の前に長くたたずんだ。それらの群像には、日本人の魂を揺さぶる不思議な力があった。震えるような感動を覚えた。

 縄文人の表現力は何と豊かなのだろう。現代人が思いもつかない造形ばかりだ。「縄文のビーナス」と名付けられる土偶は、さすが国宝に指定されているだけあって、完全な形で現代に息づいていた。

 これは紀元前3000年から2000年に作られた女性像だ。目は吊り上っているが、ポカンと開いた口がユーモラスで、表情のアンバランスが面白い。垂れ下がった下腹が妊婦だと教えてくれる。くびれた腰に、豊かなお尻。横から見ると、驚くほどの出っ尻である。おおらかな造形に、気持ちが和む。

 祈りを捧げる像、ゴーグルをかけたよな奇妙な顔、三角形の仮面をつけた像などすべてが興味深かった。そして、縄文人が土偶に寄せる思いのようなものが、伝わって来た。安産を願い、木の実や狩猟の恵みを祈り、死者への思いを込める・・・そんな土偶の数々。そこに、現代人が失った死生観が浮かび上がってくるのだ。

 エジプトやインド、中国など大河のほとりに花開いた古代文明はすごいと思う。古代ギリシャの彫像やガンダーラの仏像なども端正で、美しいと思う。無知かもしれないが、「すごい」「美しい」と思うだけで思考はそこで止まってしまい、私の想像力はそれほど広がらない。

 しかし、土偶にはめくるめく想像の世界がある。そして、縄文人の生活の臭いさえ漂ってくるのだ。ユーラシアの東の果て、極東の日本列島に1万4000年も前から素晴らしい土偶文化が存在したことは驚きであり、日本人として誇りにも思う。

 いよいよ厳しい冬になった。山小屋に閉じこもる日が多いだろうが、会場で買った土偶の図録をゆっくりと見る楽しみがある。

  


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