さかなやの親戚・・・座布団3枚あげよう

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  生石山に降った雪はほぼ消えた。買い出しのため山を下りてスーパーに向かうと、里の桜は満開だ。車窓から風景を眺めていた女房が、「あれは面白い!」と言いながら笑っている。買い物をすませた帰りに、その「面白い所」に立ち寄ってみた。

 私も思わず笑ってしまった。小料理屋の店先に掲げられた看板に、大きな字で「さかなやの親戚」と添えられていた。店の名前より目立つところが面白い。有田川沿いの県道脇にバラックのような建物が建っており、食堂や居酒屋など4、5軒の店が軒を連ねている。「さかなやの親戚」はそのうちの1軒だ。

 このあたりはミカン畑が広がる田舎である。龍神温泉や熊野本宮大社に向かう車が素通りするだけで、わざわざ立ち寄るほどのお洒落な店ではない。農家の人たちが息抜きをするような食堂を兼ねた酒場なのだろう。

 それにしても「さかなやの親戚」とは、なかなか洒落っ気があるし、商売っ気がにじみ出ている。魚屋の親戚だから、いつでも新鮮な魚が安く手に入る・・・。絶妙の図式だ。「安い、うまい」とアピールするよりも、この方がはるかに説得力があるのは確かだろう。

 そう言えば、東北を旅行した時、一関市に「魚屋のお店」というのがあって、飲みに行った。珍しい貝や殻付きのウニなどがドーンと出てきて、旅情をそそられた。しかし今から思うと、鮮魚店直営の店という先入観にまどわされ、ありがたがった自分を少し恥ずかしく思う。

 大阪の中央市場に、女房お気に入りの寿司屋がある。ここも「市場の店」が売りである。私も女房に一度付き合ったが、1皿5貫で1000円。客は普通2皿か3皿食べるから、昼食にしては少し贅沢である。

 東京・築地の寿司屋をテレビで見たことがあるが、たいそう繁盛していた。これも「築地」が宣伝文句で、客はありがたがって食べている。ひねくれ者の私から言えば、どちらも「味」より「市場」を強調する目くらまし、もっと悪く言えば「催眠商法」みたいなものだと思う。

 虎の威を借る狐・・・。市場や魚屋は虎であり、店は狐である。ちと言い過ぎかもしれないが、市場、魚屋というだけでありがたがるのは、馬鹿げている。そこそこの値段で、そこそこおいしい店なら、市場までわざわざ出かけるまでもなく、町中にいくらでもあるだろう。女房には「交通費がもったいない」とケチなことを言っている。

 神田や銀座の有名寿司屋で食事するセレブから「さすがでござーます」などというセリフを聞くと殺意を感じる。半面、市場の寿司屋で舌鼓を打つ奥様方の姿は少し悲しく映る。

 はい、くだらない言いがかりでした・・・。

 
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春は意地悪、原口大臣も意地悪

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  昨日、私たちが暮らす生石高原で山焼きがあり、いよいよ春の幕開けだと書いた。しかし、これは大ウソで、今日月曜日は真冬に戻ってしまった。朝から雪が降り続いており、あたりは真っ白である。何が春か!・・・

 先々週、軽トラのスタッドレスをノーマルタイヤに入れ替えた。もう雪は降るまいと思ったからだが、判断が甘かった。そう言えば、昨年も桜が咲くころ、雪が降ったことを思い出した。春は一気にやって来ない。思わせぶりで、意地悪な顔ものぞかせる。

 寒くて外に出る気がしないので、パソコンの前にデンと座り、先日から気になっていたことを書こうと思う。

 「俺は聞いていない」「俺に恥をかかせた」--。

 この二つとも、部下、あるいは目下の人間に対して偉ぶってみせる代表的な言い方だ。権力的、権威的な臭いをまき散らす嫌な言動であり、自らの人間的な未熟さをさらけ出している。こういう人間は自己顕示欲が強く、密かに尊敬されたいと思っているが、逆の結果を生むことに気付いていない。

 先週、原口総務大臣は、官房の総務課長ら4人を更迭し、他の部署に配置換えした。本人は定期的な人事異動だと言っているが、冗談じゃない。そんなことを信じる人は誰一人いないだろう。

 原口大臣は予算委員会に二度も遅刻したことを、更迭した役人のせいにしているのだ。委員会開会時間の連絡ミスだったと言っているに等しい。「俺は聞いていない」、その結果「俺に恥をかかせた」という図式になるのだ。

 今回の唐突な人事異動は、要するに姑息な報復人事なのだ。人のせいにするのは最低である。人の上に立つ者は、連絡ミスがあろうがなかろうが、自らの行為に責任をとる胆力と心構えがなければならない。

 うがった見方をすると、役人は意図的に連絡していなかったのかもしれない。役人4人がそろって更迭されたのだから組織的な意図を感じざるを得ないのだ。もし、大臣に対する敵意のようなものが潜んでいたとしたら、大臣の人徳、器量を疑わなければならない。

 ミスター年金の長妻厚労大臣の不人気ぶりはつとに有名だ。役人に対し毎日膨大な指示書を出し、昼食は秘書官らと500円のサケ弁当を食べるらしいが、きっちり割り勘らしい。私がいくら貧乏でも、それくらいはおごってやる。徹底した合理主義者もいいが、部下へのそれとない気遣いがあってもいいではないか。

 原口大臣が弁当を割り勘で食べているかどうか知らないが、おそらく役人に対して横柄で、権力的で、内弁慶なのだろう。日頃からきちんと人間関係を築いておれば、こんな連携ミスが出る訳はない。

 今回の人事で、大臣自らを貶めることになったことは疑いない。それでも平然と「定期異動」と言ってのけるのは傲慢である。権力は、人間を傲慢にさせるし、腐敗させる。彼は勉学優秀らしいが、そういう人間にありがちな「世間知らず」の陥穽に転がり落ちた・・・。

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生石高原に春を呼ぶ山焼き

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  今日は生石高原の山焼きの日である。予定では先週の日曜日に行われることになっていたが、強風と雨で順延されていた。ススキの芽吹きを促し、害虫を駆除する山焼きは、本格的な春の訪れ実感させてくれる恒例の行事だ。

 点火式の前、地元の青年らによる太鼓の連打があり、気分を盛り上げる。午前10時、ススキの草原に火が放たれると、みるみるオレンジ色の炎が地を這うように広がった。次第に火が強まり、炎がちぎれて天を舞う。「ゴーッ」「バチバチ」と響く音はなかなかの迫力があり、見物に訪れた人たちから歓声が上がった。

 昼前、NPO「大草原保存会」がぜんざいを観光客に無料で振舞ってくれる。女房は食べたいと言って聞かなかったが、余りにも寒いので早々に引き揚げた。それに、昼は山の空き地で仲間らとバーベキューをすることになっている。

 冬の間、寒さの厳しい生石山は静まり返っているが、山焼きの頃から別荘を持つ人たちが山を上がって来る。バーベキューはこうした人たちとの再会の場でもある。いよいよ春の幕開けだ。

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3月26日の生石山は雪

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  女房の提案で、折りにふれて「今日の生石山」を写真で紹介することにした。

 朝6時に目が覚めると、ロフトの窓から霧氷が見えた。1時間ほどすると、細かな雪が降り出した。大陸から寒気が南下してきているそうだ。ここ紀伊半島に寒気はかかっていないが、それでも寒い。気温はマイナス2度。

 昨日まで3日間雨だったので、今日は体を思いきり動かそう。久しぶりに、高原を歩いてみたい。畑にエンドウのネットを張るための杭が何本か必要なので、間伐材を取りに行きたいとも思う。

 しかし、余りにも寒いので、そんな決意が揺らぐ。さあ、どうしようか・・・。

     ↓ クロモジの枝に霧氷が出来た
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     ↓ 山小屋裏の登山道も寒々としている
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     ↓ 畑の野菜も戻り寒波で委縮している
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     ↓ 積み上げた薪の上にも雪が・・・
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3日連続の雨で温泉に行く

  雨が降り出したのは3日前だ。薪作りの重労働をしていたので、たまの雨は骨休めになっていい。2日目も朝から激しい雨だった 。外に出られなくても、読みたい本があるし、釣りシーズンが近いので仕掛け作りにも励まなければならない。

 しかし、3日目も雨だ。雨だけならまだしも、時折雪が舞ってウッドデッキは真っ白である。もう、ええ加減にせい!と言いたくなる。山暮らしをしていると、3日も雨続きだと岡に上がった河童みたいなもので、息するのが苦しい。

 女房も同じ心境で、温泉へ行くことにした。近場には温泉がいくつかあるが、少し遠出することにした。私たちのお気に入りは隠れた名湯とも言われる「美山療養温泉館」だ。山小屋から45キロほど走らなければならないが、いい湯だから運転も苦にならない。

 有田川沿いに走って山をいくつか越えると日高川に出る。さらに椿山ダムに沿って走り続け、途中から細い山道を進むと温泉がある。私たちが暮らす山小屋は雪というのに、道中のあちこちに桜が咲いていた。ほとんどは五分咲きくらいだが、満開の木もあった。

 これだけ遠出するのだから、昼食はどこかで美味しいものを食べるのが普通だろう。しかしわが貧乏夫婦は弁当持参である。温泉に入る前、まずは待合室に陣取り、腹ごしらえである。もはや恥ずかしがる年ではない。おにぎり、玉子焼き、コロッケ、ウインナーソーセージの豪華なメニューだ。

 お腹も膨らんだので、どっぷり湯に浸かった。湯船は5、6人も入れば窮屈なほど狭いが、湯はヌルヌル、ツルツルだ。ナトリウム・炭酸水素泉で、薬効の高い泉質とされている。「鰯の頭も信心から」と言うではないか。その効能を信じ、倒れそうになるまで湯を楽しんだ。女房も満足したようで、ツルツルになった顔を赤らめている。

 帰るには時間が早いので、「不老長寿の水」へ足を伸ばすことにした。道幅の狭い山の悪路を20分ほどで到着した。この雨だから、水を汲みに来ている人はいなかった。

 私に水の味はよく分からないが、なにしろ万民の夢である「不老長寿の水」である。「不老」の方は手遅れのように思うが、何が何でも長生きはしたいので「長寿」のご利益を信じてガブ飲みした。

 連日の雨で落石がゴロゴロしている道を辿り、龍神温泉に回り道して帰途についた。3日連続の雨で山小屋を飛び出し、温泉に向かったのはいい判断だった。少し、気分が晴れた。

     ↓ 温泉はこんな山あいにある   
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     ↓ 武家屋敷のようなたたずまい
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     ↓ 弁当持参・・・豪華か?
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     ↓ 湯はヌルヌル、ツルツル。疲れがとれる
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     ↓ ヨモギなどのアイスクリーム。女房は二つもペロリ。
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     ↓ 不老長寿の水。
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女房のスクープ写真・・・5連発

  「豚もおだてりゃ木に登る」の例えがあるが、女房にそんなセリフは口が裂けても言えない。

 それはともかく、先日来女房に「高校の写真クラブにいただけあって、写真がうまいなあ」と、しつこいほどおだて続けている。小動物に食べられる白菜、油圧式薪割り機をブログに書いたが、写真はいずれも女房だ。私の褒め言葉が効いたのか、えらく意欲的に写真を撮っているのだ。

 努力は、いつか報われる。その成果が早くも表れたのだ。下手な文章を書くよりも、まずは百聞は一見に如かず--。特ダネ写真を5連発で・・・。

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 この一連の写真は、山小屋のウッドデッキに飛んできたヤマガラを撮ったものだ。ヤマガラは干していたムートンの毛を盛んにほじくっている。動物の毛などを集めて巣作りを始めたのだ。女房は、急いでカメラを持ち出して連写したのはいいが、何ぶんにもカメラが安物のためピントが甘い。

 その後も何回かムートンの毛をくわえて山小屋裏の巣箱に運んでいた。女房は、巣箱に入る決定的瞬間をものにしようと相当粘っていたが、ヤマガラの俊敏な動きには勝てず、シャッターチャンスを逃し続けた。

 写真の構図もピンとも今一かもしれないが、ヤマガラがムートンをほじくる珍しい場面を撮った女房は偉い!と思う。日ごろからの心構えが生かされたのだろう。日がな、ボーっと過ごすわが身を少し反省した。

油圧の力って凄いなあ・・・薪割り

  それは、2トントラックに乗せられ、私たちが暮らす生石山の広場にやって来た。鉄の塊のような代物である。キャタピラー付きの自走式だが、赤ん坊がよちよち歩きするほどのスピードしか出ない。ただし、この機械のパワーたるや半端じゃない。子どもが喜ぶガンダムのように勇ましい。

 今から30年ほど前、全国紙の地域版で、この機械が紹介された。その正体は油圧式の「薪割り機」である。当時はサラリーマンだった機械好きの男が、エンジン、油圧機など様々な部品を組み合わせて自作したので、ニュースになったのだろう。

 この人はその後、脱サラして農機具店を開いた。私たちはこの店でチェンソーや部品を買っており、懇意にしている。大量の丸太をタダでもらうことになったのも、この人が骨を折ってくれた。薪作りに励んでいるのを見て、薪割り機を貸してくれることになったのだ。

 今、せっせと輪切りにしている丸太は、杉以外すべてカシである。材質が堅くて火持ちがいいので、これ以上薪に適した木はない。直径25センチ前後の太い丸太だが、斧を振り下ろすとスパッときれいに割れてくれる。

 しかし、現場からこれまでに持ち帰った輪切りのコロは、少なくとも400個くらいはあるだろう。これをいちいち斧で割っていては、腰がだるいわ、手首が痛いわで、閉口する。だから薪割り機は願ってもない助っ人である。

 油圧機の先に長さ10センチほどのクサビが付いていて、これを押し付けて油圧の強力パワーで一気に割るのだ。直径30センチの丸太でも、「バシッ!」という大きな音とともに、真っ二つになる。その半分を二分するので、計4本の太い薪が出来る。

 作業は、ドイツ人ピーター、ファーマーM、私の3人で行った。一人が油圧機を操作し、もう一人が台に丸太を載せてクサビの方向を調節する。3人目は割れた薪を軽トラの荷台に放り込む。3人の呼吸が合えばスピーディーに作業が進むのだ。

 私たちの仲間は、重い斧を振い続けるほど若くはない。「薪割り機が欲しいなあ」が本音だ。子供がオモチャを欲しがるのに似ている。ただ、市販品を買えば10万円前後もかかるので、頭が痛い。農器具店のオヤジに泣きついて、作ってもらおうか・・・。

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白菜をかじる謎の小動物

  女房もたまにはいいことを言う。「あんたの理屈っぽい文章など、それほど読まれていないと思う」。ちょいと癪だが、当たっているだろう。「だから・・・」と女房は続ける。「ブログに期待されているのは生石高原の様子だから、その時々の写真を添えたらどう?」と提案するのだ。

 うん、それもそうだ。頑固な私も珍しく耳を傾ける。女房は高校時代写真部にいたので、私より写真は上手である。「いい写真だねえ」とおだてておけば、喜んで写真を撮る。私の手間が省けるので、一石二鳥でもある。

 早速、女房は写真を撮ってきた。何の変哲もない白菜の写真だ。昨年植えたものだが、寒さのためか生育が悪いまま年を越した。これから出てくる花芽をおしたしにすると美味しいので、そのままにしてある。

 女房が言うには、若い葉っぱが何者かに食べられているそうだ。写真をよく見ると、なるほどかじられている。白菜は10株ほどあるが、そのすべてが被害に遭った。少し離れた別の畑に植えてある白菜は無事なのだ。

 さて、犯人は何者なのか。山小屋の周辺では、タヌキやリス、ネコを見かけたことはあるが、野菜を食べるとは思わない。ヤマガラ、シジュウガラ、カケスなどの野鳥はどうだろう。素人が頭をひねっても答は出ない。

 そう言えば、私が悪ガキのころ、小学校で飼っていたウサギの世話をしていたことがある。餌としてニンジンや菜っ葉を与えたように思う。となると、ウサギしか考えられないのだが、人の気配がする山小屋の周辺をうろうろするのだろうか。うーん、分からんなあ・・・。

 熱心に野菜作りをしている女房は「寝ずの番をして正体を突き止めてやる」と腹を立てている。しかし私は、妙にほのぼのとしたものを感じるのだ。夜中にわが山小屋を訪問し、密かに白菜をかじる謎の小動物。新鮮野菜でビタミン摂取し、空腹を満たしているのだろう。

 テンがケージに忍び込み、トキを噛み殺すのとは訳が違う。本気で怒る気にならない。

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薪作り・・・人間観察は面白い

  しばらく前のブログで、今後決して「薪」のことは書くまいと誓った。

 本当の金持ちは、自分から金持ちだと言わない。同じように、薪の大富豪になった今、ことさら富豪ぶりを誇示することはない。それに、薪ドロボーに目を付けられても困る。そもそも薪の話など面白くもおかしくもない。書かないと心に決めたのはそのような理由からだった。

 その舌の根も乾かないうちに、また薪のことを書く。二枚舌と言われても仕方がない。ブログのネタに困っている訳ではないし、私の森の暮らしが薪を中心に動いている訳でもない。しかし、山の仲間とともに連日続けている薪作りを見ていて、人の性格の面白さに改めて感じ入り、前言を翻した次第だ。

 私たちが薪作りをしているのは、山を車で20分ほど下った広い空き地である。造成工事などで伐採された丸太が山と積まれている。土木会社の社長さんの好意で、すべて持ち帰ってよいことになっている。死ぬまでと言っては大袈裟だが、数年分の丸太があり、これまでのように丸太探しの苦労をしなくて済む。

 作業しているのは、私を含めて4人である。最初に取り上げるAさんは、なかなか人間が出来た人である。いつもニコニコしていて誰にでも気さくに話しかける。労をいとわず、私たちが暮らす森の道路を掃除してくれる。何より、几帳面さときれい好きは到底真似が出来るものではない。

 Aさんは、まず丸太に付いた泥などをきれいに拭きとる。次にメジャーで30センチごとにマジックペンで印を付けてからチェンソーで切るのだ。丸太にコブがあれば切り落とし、樹皮がめくれていればこれも削ぎ落とす。

 1本の薪が出来ると木屑を落とし、まるで仏様、神様へお供えするように、うやうやしく積み上げていくのだ。彼が作る薪は、工芸品のようだ。山小屋に持ち帰ると、奥さんがタワシで磨いて、地下倉庫に納めるのだ。

 一方、怪力の持ち主のBさんは、誰も手を付けたくない大木に挑みかかる。チェンソーの大音響を轟かせながら、薪の長さなど頓着せず、次々と切り落としていくのだ。

 丸太が太ければ、それだけ多くの薪になるのだが、割るのに一苦労する。しかし彼は怪力だから、斧を大上段に構えて一刀両断にする。見事なものだ。ただ、今回の作業で20年も使っているチェンソーが酷使によって動かなくなった。作業が進まず、意気消沈している姿は親に叱られた子どものようだった。

 さて私はと言うと、大雑把そのものだ。薪の長さなど気にしない。40センチの薪もあれば、20センチほどのものまである。丸太に泥が付いていても気にしないし、斜めに切ったりする。ただし、切るスピードは速く、Aさんより2倍、3倍も多くの薪を作ってしまうのだ。

 最後に登場するのはドイツ人ピーターだ。彼は私たちの尻をたたいて現場に行かせるが、自分はほとんど仕事をしない。手配師のような人物だ。彼には毎日のように助っ人がふらりと姿を現し、懸命に丸太を切る。その間、ピーターは煙草をふかしながら、野次を飛ばしたり、私たちの手伝いをしたりするのだ。

 助っ人が来るなどピーターには「人間の器量」があると思う。この前読んだ文芸評論家・福田和也の同名の新書には、こう書かれていた。今の世の中は、収入が多い少ない、学歴が高い低い、偏差値がどうのこうのと垂直にものを見る。しかし人間の器量は、水平に見る、つまり広さで判断するものだと・・・。

 ピーターの周辺には人が集まり、大きな人の輪を作り出している。誰かと話せば、たちまち友人になる。ちなみにガールフレンドも多い。平均年齢は75歳くらいだが・・・。彼女たちの肩に手をかけ、恋人のように話しかける姿は、人間の器量の大きさ、深さを感じさせてくれるのだ。

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原口大臣に気配りした課長補佐

  山奥に住んでいるので、新聞配達の人が来ない。だから、新聞は郵便局の配達人が午後3時ごろ届けてくれる。新聞を読むのは夕方になるから、すでにテレビで報道されている内容が多いが、それでも文字を追いながらニュースや解説、分析記事を読むのは楽しい。

 昨日、薪作りの作業を終え、へとへとになって山小屋に帰り、さっそく新聞を広げた。最初に目についたのは1面に掲載された「総務省 異例の報道照会」だった。新聞記事にいちいち腹を立てたりしないが、これには何か得体の知れない危うさを感じた。

 総務省の課長補佐が、女子中学生の自殺に関し、在京の民放テレビ5社に対し、報道の内容や取材手法を問い合わせるメールを送っていたというものだ。省庁の課長補佐は実務の大きな権限を持っている。特に、総務省は放送免許を与える権限を持っており、こうした問い合わせは報道への介入と受け取られかねない。

 しかし、私が気になるのは、上司と部下の関係だ。言いかえると、強い者と弱い者の間に横たわる「悲し過ぎる」関係である。

 原口総務大臣は、インターネットのツイッターという投稿サイトに書き込みをしているという。先日の予算委員会に遅刻したのも、ツイッターをしていたからだと本人が言っているそうだ。

 その投稿サイトに、原口大臣は「自殺をセンセーショナルに扱わない」とするWHOの手引きを書いている。そこで問題の課長補佐は、原口大臣の問題意識と歩調を合わせるように、民放テレビへの指導とも受け取られることをことをしてしまったのだろう。

 「おもんばかる」という言葉がある。漢字で書くと、「慮る」だそうだで、「おもいはかる」が転じたらしく、あれこれ思いめぐらすしたり、考慮したりするという意味だ。課長補佐の行為は、まさしく大臣を「おもんばかる」ことに端を発した行為だろう。

 なるほど、民放への照会は勇み足で、褒められた話ではない。しかし、役人の上司に対する「気の回し過ぎ」「胡麻すり」「気配り」という観点から見ると、私には悲しい役人の姿が浮かんでくるのだ。

 民主党政権は脱官僚を声高に叫び、役人は委縮し、やる気をなくしていると言われる。しかも、原口大臣は小沢幹事長の資金疑惑の際、テレビ報道に対し「ニュースソースを明らかにせよ」といった内容の発言をしており、報道に対して偏った見方していることで知られる。

 だから、役人はなお一層、大臣を「おもんばかる」ことになるのだと思う。役人は国民に対して強権的で融通がきかない。しかし、上司に対しては長い物にまかれる習性を持っており、そのような事が勇み足に結びついたとしても不思議ではない。

 はっきり言って、部下がしたこととはいえ、原口大臣の責任だ。閣僚が自分の意見をツイッターに乗せて発信するのもどうかと思うし、部下に予断を持たせることにもなりかねない。総務省が持つ大きな権限に自覚があるかも疑わしい。

 原口大臣はエリートにありがちな如才のない振る舞いが目立つ。その半面、強権的な指向を内に秘めているようにも思える。部下に思いを致すなど、政治家は人間の器量を問われ続ける立場にあるのだと思うのだが・・・。

アカデミー賞「ザ・コーヴ」は真実か

  はっきり言って、この手の話に乗ってはいけないと思う。乗れば相手の思う壺である。しかし、話の舞台が私たちの住む和歌山なので、軽くジャブを出しておこう。

 米アカデミー賞のドキュメンタリー部門で賞をもらった「ザ・コーヴ」(入り江)のことだ。伝統的なクジラ漁で知られる和歌山県太地町を舞台に、イルカ漁の「実態なるもの」を撮影した作品だ。町当局の制止を無視し、湾内に隠しカメラを設置していたという。

 日本の調査捕鯨を執拗に妨害している環境保護団体?シー・シェパードと根っこは同じに見える。同団体の妨害は、明らかにテロである。しかし、この映画がドキュメンタリーに名を借りた映像によるテロまがいの行為だとしたら、権威ある賞にキズを付けることになるが、さてどうだろう。

 映画監督が自らの思想信条を表現するため、映画を作ることに何ら問題はない。真実を明らかにするため、隠し撮りも場合によっては許されてしかるべきだろう。イルカが血を流す場面もそれが現実のものであれば、映像化すればよい。

 しかし、ドキュメンタリーという分野は、そこに作為や悪意が入り込んではいけない。よくテレビで問題になる「やらせ」は、ある意図や作為があるから非難されるのだ。まして、意図を押し通すために事実を曲げることがあっては許されない。

 まだ日本では上映されていないので作品を見た訳ではないが、監督は受賞会見で「イルカの保護運動に弾みがつく。イルカを食肉用として虐殺してはいけない。水銀が多く含まれるイルカをクジラの肉として売っている」と述べている。

 イルカに関心を寄せるのはまことに結構なことで、保護運動に異論を差し挟むこともしない。ただ、アメリカ人だって偉そうなことは言えない。アメリカバト、旅行鳩とも言うが、北米に50億羽もいたのに、美味しいからと言って食べ尽くし、絶滅させてしまった。まだ100年ほど前のことである。

 そもそもわが国は、第5代将軍徳川綱吉様が「生類憐みの令」を出したほどだから、「殺生を慎む」ことに関して言えば先進国?なのだ。日本人はリンリンと鳴く鈴虫を殺したりしないし、その音色に「もののあわれ」を感じる感性豊かな国民性がある。「無用の殺生」もしない。

 この映画を支持する人たちに、食文化がどうのこうの言っても始まらないし、言えば疲れるだけだ。風俗や文化に貴賎はないし、それぞれの国や地域が長い年月を経て築き、根づかせてきた文化を分け隔てなく尊重するというのは、当たり前のことだろう。

 すぐれた作品は、人間の機微を照らし出し、場合によっては科学的根拠を示し、問題の背景を掘り下げ、公平な映像で表現しているものである。

 この作品では、なぜイルカを保護しなければならないか、なぜ食用として食べてはいけないか、イルカの肉をクジラと偽って売られていた事実があるのか、本当にイルカの体内に水銀が多く蓄積されているのか・・・など、きちんと納得できる説明がされているかがポイントだろう。

 伝統漁を続けている太地町の反発は大きいと聞く。その批判は、「イルカ保護」というストーリーがまずありきなのだとしている。日本の伝統や食文化について問答無用で切り込み、「イルカ殺すな」というだけの狭量な内容だったとしたら、ドキュメンタリーという名を辱しめるものだ。  

 映像や写真、ノンフィクションと銘打つ書籍の中には、これまで眉唾ものや虚偽のものまでかなりあったと思う。プロパガンダに利用されたものも多いだろう。

 問題は、この作品を権威あるアカデミー賞になぜ選んだかだ。新聞記事によると、選考委員は6000千人近い映画関係者で構成され、その投票によって決まるのだそうだ。真実に迫る映像が秀逸だったのだろうか。環境保護の新しい境地を開いているというのだろうか。

 まさか、クジラを捕獲する日本人を「野蛮」と決めつけ、イルカ漁と重ね合わせた訳ではあるまい。もしそれが、投票の動機につながっているとしたら、審査員の知性なんて大したことない。改めて、「寛容の精神」を重んじる日本人と欧米人の違いを思う・・・。

一生安泰だ・・・薪の山

  私は今まで、何てアホな苦労をしてきたのかと思う。散歩の途中、薪になる丸太がないかキョロキョロする。関西電力の下請け業者が電線の邪魔になる木を伐りに来ると、その尻を追いかける。どこかで間伐作業をしていると聞けば駆け付ける。

 暖房用のストーブに使う薪は年間2000本以上も必要だ。女房も草木染めの煮出し用に多くの薪を使う。年中、丸太を集め、割って薪を作る。今年も4、5回は薪集めに行った。1年分の薪を確保するためには、体力はもちろんだが、女を口説くようなマメさ、情報を得た時の瞬発力と機敏さが必要なのだ。

 しかしこれからは、そんな苦労をすることもないだろう。とてつもない量の丸太が手に入ることになったのだ。薪不足の恐怖感から解放されることになるので、今は大店の旦那になった気分である。

 実は先日、私の山小屋に知り合いの農機具店の“おいやん”(和歌山弁でおじさんのこと)が遊びに来た。仲間のピーターたちにも声をかけ、コーヒーを飲みながら世間話をしていた。いつものことだが、薪集めの苦労が話題になった。

 すると“おいやん”は、「丸太?そんなもん、親戚の土木会社の空き地にいっぱいあるで~」と話し、後日、土木会社の社長を紹介してくれるというのだ。おー、宝の山ではないか。私たちは思わず目を合わせ、笑いを噛み殺した。

 3日後、途中で“おいやん”と合流し、仲間と一緒に丸太が山積みされているという場所に向かった。私たちが暮らす生石山から20分ほど走った所だ。脇道にはいってすぐの所に、山を削った大きな空き地があった。

 大袈裟ではなく、壮観だった。丸太が山と積まれている。カシ、シイ、クヌギ、スギ、ヒノキといった薪に最適な木ばかり。これらは、宅地造成や道路の拡幅工事のため伐られた木がここに集められているのだ。工事の度に運ばれて来るので、丸太の山が絶えることはない。

 土木会社の社長は、重機を使って丸太を積み上げていた。“おいやん”によると、腰が低く、太っ腹の人柄という。さっそく挨拶すると、「全部もらってもらえば有難い。こちらも処分に困っている。自由に出入りし、1本でも多く持ち帰ってほしい」というではないか。

 もう、死ぬまで薪の心配をする必要はなかろう。雑木林に転がっているチャチな丸太などフン!である。もう関西電力の下請け業者の後を追い、女の尻を追いかけるような真似をしなくてよい。この場所で、好きな時に、好きなだけ丸太を持ち帰ればいいのだ。

 降って湧いた夢のような話だ。このブログでは、これまで散々薪の話を取り上げてきたが、もうこれからは書くことはないと思う。われわれは富豪になったのだ。フッ、フッ、フッ・・・。ハッ、ハッ、ハッ・・・。

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ウグイスが鳴いた

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  ウグイスが鳴き始めた。今年最初に耳にしたのは、先週の土曜日だった。標高の高いこの森では例年の今ごろ、雪がちらつく日も少なくない。今年はこのところ暖かい日が続いているので、ウグイスも一足早くお出ましになったなのだろう。

 朝の早い私はフリースを着込み、まだ薄暗い山小屋裏の雑木林に出て一服を吸うのが日課だ。そんな時に聞こえてきたウグイスのさえずり。今年も夫婦そろって健康で春を迎える喜びがふつふつと湧き上がってくる。春は命の鼓動が蘇る。自らの命に重ね合わせると、安堵と喜びはひとしおなのだ。

 数日前、鳥の巣箱を熱湯で殺菌し、再びエゴの木に取り付けた。去年はこの巣箱にヤマガラが入居し、何羽かのヒナが巣立った。その後、今度はシジュウガラが巣を作った。そこいらの賃貸マンションより繁盛した。

 昨日、ベンチに腰掛けていると、ヤマガラが巣箱を遠巻きにしながら興味を示している。しばらくすると、巣箱の丸い穴にとまって中を見て飛び立った。続いてもう一羽が来て、同じことをした。この二羽は夫婦だろう。清潔な巣箱に満足したに違いない。間もなく動物の毛などを集めて巣作りを始める。

 この森には、爪楊枝を作る香り高いクロモジの木がたくさん自生している。4月上旬になると、黄緑色の小さな花が咲く。森の雑木では一番先に咲く可憐な花である。わずかに膨らんだ若芽は、三本指を広げたよな形をしていて赤く色づいている。

 シャクナゲにも26個の花芽が付いている。自生のものではなく、15年前に園芸店で苗を買い、植えておいたものだ。去年は花が少なかったが、今年はにぎやかに咲くだろう。こちらの蕾もピンク色が増しており、春を待ちわびているように思える。

 東大寺二月堂では修二会のお松明が始まっている。関西の春の訪れを代表する行事だ。お松明の火の粉を浴びると、この一年、息災のご利益があるという。松明をぐるぐる回しながら走る二月堂の様子をテレビで見ていると、近づく春に心が騒ぐ。

    ↓ クロモジの若芽(写真がまずいなあ・・・)
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    ↓ 26個も花芽をつけたシャクナゲ
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人間の器量を思う

  私たち夫婦は雨が降らない限り、毎日1時間ほどの散歩を励行している。健康維持が第一の目的だが、ただボーッと歩いている訳ではない。道端に、薪になる丸太が放置されていないか、抜け目ない目を走らせているのだ。

 冬の期間、関西電力の下請け業者が電線にかかる木を毎年伐っている。木の枝が風や雪で電線に倒れかかると、停電の原因になるからだ。伐られた丸太は山の斜面に積み上げてあるので、これを見つけて持ち帰るのだ。

 伐採の業者にしても、このように持ち帰ってもらえれば片付くので、薪を必要とする人たちとは持ちつ持たれつの仲なのだ。だから、業者はどの場所で作業をしているかも快く教えてくれるし、中には枝を払って薪にしやすいように切ってくれてある。

 先日、伐採が行われたとの情報を耳にしたので、軽トラにチェンソーを積んで出掛けた。あちこちを回ってみてみたが、細い枝ばかりで薪になるような太い丸太は見つからない。誰かに先を越されたに違いない。細い枝を10本ほど積んで帰った。

 そこへ仲間のドイツ人ピーターが通りかかった。彼は軽トラの荷台に転がっているわずかな木の枝を見て、「兄貴、たったこれだけかね」とゲラゲラ笑っている。「もっと朝早く行かないと、あの二人に取られてしまうよ」と言う。

 あの二人とは、薪集めの「鬼」とも呼ばれる私たちの仲間だ。そのうちの一人は、厳寒期を都会の家で過ごすのでそれほど薪を必要としないが、薪作りが趣味なのだ。後で二人の家をのぞくと、やはり丸太が山のように積まれていた。悔しがっても、後の祭りだ。

 その数日後、久しぶりに生石山の南側の道を散歩した。先を歩いていた女房が小走りで引き返してきて、「あるわ」とささやく。誰も聞いていないので女房の小声は滑稽だが、「誰かに取られてはなるまい」という気持ちが込められており、それは私も同じである。

 この場所は「薪の鬼」の目が届かないので、急ぐことはなかったが、後で軽トラを走らせた。夫婦で集めた丸太は荷台いっぱいになった。これで1週間分くらいの量になる。このような地道な努力を続けなければ、来年使う薪を確保できない。

 しかしピーターの場合はそんな苦労をせず、薪の方からやって来るのだ。陽気で人懐っこい性格だから人のネットワークが広がり、地元の人たちから丸太をもらっている。時には、トラック何台分もの丸太を運んでもらっている。そして、惜しげもなく私たちに分けてくれるのだ。

 ピーターには人徳がある。人間の器量が大きい。私のように、せっせと薪を集めているようでは、人間的にも未熟というべきかもしれない。

 新聞の書評を読んでいると、このような下りがあった。「器量は50歳をすぎても気持ちの持ちようで大きくすることができる」・・・。衰え、ボケとか老いを嫌うのではなく、人間は年をとっても成長し続けるのだとエールを送っているのだ。

 「元気をもらった」「勇気をもらった」の言い方は好きではないが、まあそれに近い心境になる。これから人間を磨き、薪があちこちからやって来るようにしよう。女房は「もう遅い」と言うけれど・・・。

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