鮎の初釣りは泣いて笑って

vcm_s_kf_repr_468x351_20100529082725.jpg

  さあ、鮎釣りだ。ホームグラウンドの有田川は26日に解禁され、3日待っての釣行である。オトリの鮎に鼻環を通し、流れに沈めたのは午前9時半。オトリはツ、ツーッと流れに向かって元気良く泳いでいる。何十年も鮎釣りをしているのに、初釣りはいつも少年のように胸が高鳴る。

 それにしても何と寒いことか。水も冷たく、手がかじかみそうになる。鮎も震え上がっているに違いない。水温が上がるまで、しばらくは釣れないだろう。案の定、ここぞと思うポイントにオトリが入っても反応がない。

 釣れなくても最初の1時間はまだ気持ちに余裕があった。シーズン当初はよくあることだ。しかし、2時間経っても釣れないと、腕が落ちたのか、場所が悪いのか、鮎がいないのか・・・疑心暗鬼が頭の中を駆け巡るのだ。

 鮎釣りはジタバタしてもいいことがない。じっくり構えればそのうち釣れることが多いのだ。それは分かっていたが、気持ちは「プチン!」と音を立てて切れた。今からでも遅くないので、支流の五村川へ場所替わりすることにした。ここは川の水が飲めるほどの清流で、鮎の味も絶品である。

 車を走らせ川を見て回ったが、解禁当初ということもあって釣り人が多い。かなり上流の場所に車を止め、川に下りると二人が竿を出していた。ここに割り込むのも気が引ける。水量が多いので、オトリが入らないような荒瀬なら空いているだろうと、100メートルほど下った。やはり、誰もいなかった。

 オトリを入れても、激しい流れに負けて浮いてしまう。ここはオモリをかましてオトリを沈めるしかない。しばらくすると、「ゴン!」という手ごたえがあり、2匹の鮎がもつれて下流に走る。タモでキャッチした今シーズン初の鮎はポッテリと肥えていていい香りがする。

 さすが河口から急流を遡上してきた海産鮎だ。養殖のオトリと比べて馬力が違う。速い流れをものともせずに潜って行く。オトリが天然に替われば釣れるもので、1時間余りで6匹が曳き舟に納まった。

 元気な鮎が手に入ったので、さらに100メートル下流の緩やかな瀬に移った。ここは対岸に木が覆いかぶさっており、糸が引っ掛かるなどトラブルが多いので釣り人が敬遠するポイントだ。それだけに掛る確率が高い。

 木に引っ掛からないよう竿を水平にしてオトリを引くと目印が走り、次々と掛って来る。いずれも背びれが長い海産鮎である。3回も天井糸を木に引っ掛け、糸の予備ががなくなったので午後4時前に竿をたたんだ。初釣りの釣果は計14匹だった。

 豪雨で石に付いた珪藻が洗われ、水量も多いこの状況を考えれば、いい釣りが出来たと思う。女房もかぐわしい若鮎を手に取り、喜んでくれた。塩焼きの鮎の味は「ふくよか」とい言葉がぴったりだった。いよいよ鮎釣り行脚が始まり、性懲りもなく泣き笑いを繰り返す。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100529082821.jpg

    鮎が反対向いてます。(女房)
vcm_s_kf_repr_468x351_20100529082852.jpg

 
スポンサーサイト

女房の新しい恋人・・・草刈り機!

  私たちが暮らす標高800メートル余りの生石高原は、里山より少し遅れて今が新緑の真っ盛りだ。若葉はむせ返るような匂いを発散させ、森には命の鼓動が満ち溢れている。野鳥のさえずりもにぎやかになり、ウグイスの鳴き声で目覚めることもある。

vcm_s_kf_repr_351x468_20100526204504.jpg

 女房の畑も活気づいてきた。エンドウの白い花が咲き始め、ジャガイモ、玉ネギは大きく育っている。ホウレンソウ、セロリ、ラディシュなどはすでに食卓に乗っている。昨日はキュウリとトマトの苗を植えた。これから様々な野菜が育ち、食事を豊かにしてくれるだろう。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100526204549.jpg


 畑は、山小屋の敷地と、約200メートル離れた知人の別荘地の一角にある。別荘地の畑は知人の好意で借りているので、せめてものお礼として年に何回か敷地の草刈りをさせてもらっている。

 敷地の草はかなり伸び始めており、そろそろ草刈りをしなければならない。作業は草刈り機を使うので私の仕事になっているのだ。以前は刃の付いた円盤を回していたが、今はナイロンか何かのロープを回してなぎ倒す方式にしているので、作業がはかどるようになった。

 女性でも簡単に扱えるので、女房に「やってみるか?」と言ってみたが、「女に危ない作業をやらせるなんて、どういう神経しているの?」と取り合わない。「まあ、そう言わずにちょっとだけ」と草刈り機を首にかけてやると、おっかなびっくり、草を刈り始めた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100526204636.jpg

 次第に要領が分かって来たのか、「結構面白いねえ」と夢中になっている。「もう代わろう」と言っても聞かず、カラオケでマイクを独占するのに似ているではないか。

vcm_s_kf_repr_351x468_20100526204723.jpg
       ↑ 刈った草が飛び散り、こうなった

 午前9時ごろから正午まで刈り続け、一応作業は終わった。女房は、お昼を挟んで2時ごろから再び草刈り機を持って出て行った。様子を見に行くと、広場のそばにあるお大師さんの祠やゴミ捨て場の周辺を刈っている。

 これで終わりかと思っていたら、今度は山小屋に引返し、前の道路、さらには敷地へと作業を広げるのだ。正直言って、私より作業は丁寧だし、なかなか機械の扱いも上手だ。夕闇が迫る6時半、やっと山小屋に帰って来た。午前、午後合わせて7時間余りもエンジンを回していたことになる。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100526204819.jpg
      ↑ 夕闇が迫る中、ウッドデッキの下を刈っている。暗いのでフラッシュをたいた

 いやはや、女房はすっかり草刈り機に取りつかれてしまった。そんな姿を見ていて少し背筋が寒くなった。それほど面白いものなのか、性格が一途なのか・・・。これ、女の怖い一面かもしれない。

 まあ、私にしてみれば草刈りは面倒な作業だから、これからは女房が喜んでやってくれるだろう。万々歳なのだ。しかし、不意に悪魔がささやいた。「草刈り機がよその男でなくて良かったね」。 な、なんてことを・・・。

鮎釣り解禁・・・直前の豪雨

  ここ紀伊山地でも激しい雨が降っている。昨日も一日中降り続いていた。今日の昼過ぎにかけて雨足は一層激しくなるとの予報だ。各地で土砂崩れや河川増水による被害が出るだろう。せめて死傷者が出ないことを祈りたい。

 不謹慎だが、私の心配はもう一つある。和歌山の多くの河川では26日が鮎釣りの解禁日で、川の増水で釣りが出来なくなることを心配しているのだ。しかも、砂や泥まじりの濁流は、鮎の餌となる石の珪藻を洗い流してしまう。そうなれば1週間以上は鮎が掛らない。

 鮎の解禁日は、ファンにとって心が躍り、新たな気持ちで臨む元旦のようなものである。この日からほぼ5か月にわたる狂気の日々が始まるのだ。だから降り続く雨が気が気でない。降り始めからの雨量は200ミリ以上と予想されているので、本流での釣りは無理かもしれない。

 きのう、雨が気になるので有田川の様子を見に行った。まだ濁りは出ていないが、かなり増水していた。馴染みのオトリ屋に立ち寄り、今シーズンの様子を聞いた。抱卵する落ち鮎の簗漁を3年間禁止しているので、河口で産まれた鮎は例年になく多く、遡上も順調とのことだ。

 「足の踏み場もないほど」とオトリ屋が言うように、川の中に見える鮎はおびただしいという。ただ、鮎の数が多ければ1匹当たりの餌の量が少なくなるので、その年の鮎は小さい。逆に少なければ、珪藻をたらふく食べるので20センチを超える良型が揃うのだ。だから痛し痒しだが、まあ、小さくてもよく釣れる方が楽しい。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100524095403.jpg

 市販の仕掛けを買う人もいるが、多くは自分流の仕掛けにこだわり、自作する。私も自分流だ。今は仕掛け作りの真っ最中だ。4本イカリの掛け針は1回の釣りで10本近く使うから、シーズン中に500本前後使うことになる。仕掛けはこの他、水中糸、ハリスなど4つのパーツを作らなければならないので、長い時間がかかる。

 余談になるが、私の鮎釣りの師匠は大阪で銭湯を経営しており、番台に座りながら仕掛け作りに励むのだそうだ。私なら女湯に目が行ってそれどころではない。師匠は、釣りをシュミレーションしながら仕掛けを作るのが釣り上達の道だと言っていた。見慣れているとはいえ、女性の裸に動じず無心に仕掛けを作るのは、さすが鮎釣りプロである。

 今日も仕掛け作りに励まなければならないが、ますます激しくなる雨足が気になる。このままだと、2日後に迫った解禁日はお預けになりそうだ。神様、仏様、お天道様、早く雨を止めて・・・!

vcm_s_kf_repr_468x351_20100524095615.jpg

女房の友人に食べさせたいアオリイカ

vcm_s_kf_repr_351x468_20100522080626.jpg

  紀伊水道にボートを浮かべ、波に揺られてすでに7時間が経つ。今ごろ女房の友人が山小屋に到着している頃だ。彼女は滋賀の自宅のご近所さんで、私もよく知っている。山小屋への来訪は二度目だ。前回もそうだったが、私が釣った魚や山菜を喜んで食べてくれた。

 女房は「魚を釣って食べさせてあげて。それに、家でゴロゴロされては掃除もできないし・・・」と言って送りだされ、釣りにやって来たのだ。狙いはアオリイカで、その釣りの合間にガシラやベラなど根魚を釣ろう。ただ、イカはこの時期そう簡単に釣れない。

 波が静かだったので、由良湾の沖に浮かぶ蟻島に向かった。2時間余り粘ったが当たりはない。釣らねばという使命感のようなものを背負っているので、次第に焦ってくる。

 場所を移動することにした。湾の奥に実績ポイントがある。ガシラやベラはよく釣れたが、イカの気配は感じられない。再び移動だ。次のポイントも以前よく釣った場所である。釣り人の多くは、成功体験が脳に刷り込まれていて過去に釣れた場所にこだわるものだ。

 女房の友人は、釣りたてのイカを持ち帰ればびっくりするだろうし、美味しいと言って食べてくれるだろう。そんな思いが頭から離れず、4度目の場所移動を決行することにした。次の場所はかなり沖合いで、全速で走っても30分くらいかかる。最後のチャンスをここに賭けた。

 しかし、イカの餌となる生きアジは残り少ないし、どれも弱っている。磯際から50メートルほど離れた所にアンカーを入れた。アジを弱らせないよう優しく操作しながら泳がせる。やがて当たりがあった。しばらく待って竿を持ち上げると、軽い。糸が根元から切れている。イカの仕業ではない。

 生きアジは残り2匹だ。いよいよ最後のチャンスになるだろう。しばらくすると、ピンと張っていた糸が緩んだ。イカがアジに食いつくとリールから糸が出て行くが、糸が緩むのも当たりだ。3分ほど待って糸を巻き、竿先で聞いてみると重い。感触からしてイカに間違いなかろう。即、ヤエンという掛けバリを投入する。

 慎重にヤエンを海中に送って行く。数分後、いきなりイカがジェット噴射し、猛烈に潜ろうする。イカが針に掛ったのだ。胸が高鳴る。玉網に入れるまでは油断できない。何度も何度も潜られたが、やっと浮いてきた。玉網ですくったイカは1キロほどありそうだ。

 残り1匹となったアジを泳がせる。10分くらい経過しただろうか。糸が左から右へ移動しており、先ほどと同じように糸が緩んでいる。よし、イカが乗っている!ヤエンを入れるため糸をたぐると、猛烈に走られた。

 装着したヤエンは空中でブランコのように揺れ、前に進まない。糸のヨレの所で止まっているのだ。一か八か、竿をあおると、うまく海中に潜って行った。イカへ到達するまで長い時間がかかったが、合わせを入れるとガッチリ掛った。

 先ほどのイカより引きは強い。ボートの近くまで寄ってきたが、それからのジェット噴射が激しい。釣り客を乗せた渡船が近寄ってきて、イカとのやり取りを見学している。無事玉網に納まったので渡船に手を振って声援に応えた。今度のイカは1キロを超えているだろう。

 餌のアジがなくなったので、思い残すことなく帰路についた。山小屋に帰ると、女房と友人が外に出てきてクーラーボックスを開けた。「ぎゃ、はは!」。この声を期待していたのだ。頑張った甲斐があった。昨夜はイカの半身を刺身にして、うまい酒に酔った。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100522080729.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20100522080827.jpg

歩けば果報・・・山ウドの大株を見つけた!

  犬も歩けば棒に当たる--。出歩けば犬だって災難に遭う、行動しなければ幸運にも巡り合えない。この格言は、そのどちらの意味にも使っていると思うが、どちらが正しいのだろう。

 果報は寝て待てという言い方もあるけれど、行動して「幸運」をつかむ方が人間の生き方としてはいいと思うが・・・。

 実は先日、女房と散歩していて思わぬ幸運をつかんだ。大金を拾った訳ではない。山ウドの大きな株を見つけたのだ。普通は一つの株からせいぜい2、3本出るだけだが、それは見たこともない太い根を地中に張っていて、長さ10~20センチほどの茎が20本ほど出ているではないか。

 この大きな山ウドは、生石高原の落石を防ぐフェンスの内側にあった。車で通りかかっただけでは目に付かない場所である。普段からこの道を散歩している私たちだからこそ見つけられたとも言える。日々、散歩を励行するご褒美のようなものだ。

 ここ生石山には山ウドがたくさん自生していて、シーズンになると山ウドを目あてにした山菜採りの人たちが大勢徘徊し、競争率は高い。ここに住む私たちは毎年芽を出す場所を知っているし、山小屋裏手の畑で栽培しているので、いつでも手に入る。

 ただ、美味しい山ウドをもっともっと食べたいので、畑の株数を増やしたいと思っていた。そこで、散歩を中断して鍬とスコップを取りに山小屋へ引き返した。少しばかり株を頂戴し、移植しようという訳だ。根付くか心配だったが、うまくいったようだ。

 ワラビ、ゼンマイ、タラ、コシアブラ、フキなど山菜はどれも美味しいが、山ウドこそ「山菜の王様」だと思う。市販の白くて長いものとは似て非なるものだ。クセの強い風味は私も女房も大好物で、食卓で争奪戦になることもある。

     ↓ 山小屋裏で栽培している山ウド
vcm_s_kf_repr_468x351_20100520100104.jpg


     *   *   *   *

 昨日からの強い雨は、朝になって降りやんだ。煙草を吸いにウッドデッキに出て口笛を吹くと、さっそくヤマガラが餌をねだりにやって来た。子育てを終えたヤマガラの食欲は旺盛だ。生まれたばかりの子供にも口移しでヒマワリの種を与えている。微笑ましい。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100520100156.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20100520100234.jpg


 山小屋の斜面にある西洋シャクナゲが淡いピンクの花を咲かせている。霧の中に浮かび上がる花は、ハッとするほど美しい。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100520100327.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20100520100402.jpg

ヘリの爆音に驚く由良の魚・・・

vcm_s_kf_repr_468x351_20100517125820.jpg

  早朝、紀伊水道へボート釣りに向かった。生石山の中腹まで下ると、棚田が朝日を浴びて鏡のように光っていた。思わず車を止め、その美しい光景に見入った。すでに田植えは終わっていたが、天候不順のため例年に比べて遅れ気味らしい。

 由良湾を右に見ながら走った。風はなく、海は穏やかだ。今日はかなり沖まで出ることが出来るだろう。イサギや大きなアジが釣れてくれればいいが・・・。

 20分ほどボートを走らせ、沖合のポイントに到着した。すでに5隻の漁船やボートが来ており、様子を聞いてみると「あかんなあ」の答えばかり。やがて小さな漁船が私のボートのすぐ隣にアンカーを下ろし、ちょうど向かい合うように釣りを始めた。

 漁船のおいやんは話好きの78歳。10年前大病を患い、漁師を引退したらしい。気が向いたらこうして釣り糸を垂れ、魚が釣れても釣れなくてもそれでいいと言っている。「今日は潮が澄み過ぎている。これでは釣れんなあ」と、30分ほどであっさり釣りをやめ、寝そべりながら私の釣りを見物している。

 私は40号のオモリを付けた胴付き仕掛け。餌は沖アミで、カゴを沈めてアミエビの撒き餌をする。水深は38メートルで、30メートル付近で当たりがある。すぐに手のひらほどの小鯛やマルハゲが釣れてくる。2時間ほどで12匹釣れたが、その後は当たりはあるものの針に乗らない。

 場所替わりしようと、おいやんに挨拶しようと思ったら、こっくりこっくり舟を漕いでいる。かつて海の男だったこのおいやんは、日和が良ければ子供のころから馴染んだ海に出て幸せな半日ほどを過ごすのだろう。将来、私もこうして波に揺られながら、昼寝をしているかもしれない。

 ガシラでも釣ろうと、磯際に向かった。そのころから、空が騒がしくなった。自衛隊の双発の飛行機が低空で飛び回っている。P3Cという対潜哨戒機だろうか。由良基地には2隻の潜水艦が出入りしており、紀伊水道に潜航しているのを探索しているのだろうと想像してみる。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100517130053.jpg


vcm_s_kf_repr_468x351_20100517125934.jpg

 やがて、大型ヘリが何機も飛来し、これも低空を飛んでいる。やかましい上、すぐ上空を飛ぶので、釣りに集中出来ない。静かになったと思ったらまたやって来る。午後2時ごろまで飛び続けていたので、操縦士は昼食抜きのはず。さぞや腹が減っているだろうと、余計な心配をする。

 鳩山総理が夢見る東シナ海の「友愛の海」は、最近怖いことになっている。韓国の哨戒艦が北朝鮮(?)による魚雷攻撃を受けて沈没したし、中国海軍は日本領海を牽制するように徘徊している。

 「友愛の海」も「お話合い」もいいけれど、これからは海洋権益を守らなければならない時代だ。自衛隊は平和憲法に翻弄されながら、それでも有事に備えて日々訓練しているのだろう。政治が毅然としていないのが気の毒である。

 航空機の轟音のせいではあるまいが、釣果がはかばかしくないので早目に釣りを切り上げた。その夜、小鯛やマルハゲ、ガシラの鍋をつつきながら、ふと外を見ると下弦の月と金星(?)が寄り添っていた。ランデブーというのだろう。

 私も女房に代わって写真を撮ったが、酔って手が震え、どれも蛍が光の尾を引いているようにしか写っていなかった。だから女房の写真を採用。それにしても、今日は空に縁のある日だった・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100517130143.jpg

ウイスキー片手に焚き火の季節

     vcm_s_kf_repr_468x351_20100515115009.jpg
          ↑ ここに座れば至福の時間

  週間天気予報を見ると、ようやく暖かくなるそうだ。もう、お天道様が心変わりすることはあるまい。光る新緑を眺めながら、山小屋裏のベンチやウッドデッキでお昼を食べたり、お茶をすることが多くなる。

 もう一つの楽しみは、焚き火である。夕暮れ時、乾燥した杉の葉に火を付け、薪を燃やす。あたりが暗くなると、ウイスキーの瓶を持ち出し、ストレートでチビチビやるのだ。降り注ぐ満天の星を眺めるのもいいものだ。この頃になると、北斗七星はちょうど頭上に輝いている。

 焚き火の赤い炎、青い炎は、遠い昔に連れて行ってくれたり、茫漠と広がる思索の世界へ誘ってくれたりする。思索と言っても哲学者のようになる訳ではなく、間もなく解禁となる鮎釣りのことや女房のご機嫌、孫のことなどとりとめもないことばかりだ。

 この場合、やはりウイスキーに限る。日本酒や焼酎ではいけない。荒野で焚き火をしながらウイスキーを飲む開高健の昔のテレビコマーシャル。そう、あの世界なのだ。彼は静かに語りかける。「男は黙ってサントリー」・・・。

 石で組んだ焚き火サイトは、私の第二の居間なのだ。そこに木株を四つ並べて椅子代わりにしている。この木株はもう10年ほど使っているので少し朽ちてきた。そろそろリフォームしなければならない。

 ひと月ほど前、知人から杉の大木をもらった。直径30センチを超える太い奴だ。これで椅子を作ろうと、チェンソーで四つに切り分け、サイトの四隅に据えた。なかなか風格があり、座り心地もいい。焚き火が一層楽しくなりそうだ。

 「国際焚火学会」なるものが結成されたのは1994年のことである。「国際」も「学会」も駄洒落なようなもので、作家椎名誠、写真家浅井慎平、俳優滝田栄らといった文化人が酔狂で立ち上げたものだ。彼らが文章を寄せ、出版した「焚火の時間」(コソモヒルズ)という本はすぐ買って、読んだ。

 本の内容は少々理屈っぽいが、日本人の焚き火好きをよく表している。ただ、焚き火するのにいちいち理屈はいらない。人類は原始以来、火を燃やしたい動物である。各地に火祭りが伝わり、とんど焼き、左義長の風習もある。薪能だってそうだ。

 火事を見てやたら興奮する輩は別として、火や炎には日本独特の精神世界がある。私もその世界の隅っこで焚き火を楽しむのだ。開高健の表現を借りるなら、ふくいくたるウイスキーの香りを楽しみながら、至福の時間を過ごす・・・。




アケビの花を浮かべる

vcm_s_kf_repr_468x351_20100513131839.jpg

  寒気が日本列島に入ってきたようで、ここ生石山の朝は気温が4度と低く、冬のように寒い。そろそろ薪ストーブの煙突を掃除し、お役御免にしてやろうと思っていた。そんな矢先の寒さで、昨夜から薪を燃やし続けている。地球の温暖化って、ほんまかいなと思ってしまう。今年の気候はどうもおかしい。

 しかし、自然界は暦通りに歩みを進めている。山を少し下れば、例年と同じ時季にミカンの白い花が咲き始めている。淡い紫色の藤の花、それより少し濃い桐の花が満開だ。植物は少々の気温の変化に四の五を言わず、着実に体内時計を回している。

 花を眺め、植物の成長を見守るのは楽しい。子供の頃は、藪の中にユリの花を見つけると、ドキッとした。母親とタンポポやツクシを摘んだことも思い出す。しかし大人になると花への関心は薄れ、酒場にとぐろを巻く妖艶な花にうつつを抜かした。時々、棘が刺さった。

 現役を離れると、子供の時のように植物への興味が蘇ってきた。年を取って、神や仏に寄せる思いに似ているなあと思う。トルストイだったか、無神論者だった彼も老境に入るに従って信仰を深めていったとどこかに書いていた。自然への回帰、信仰への回帰・・・年を取るというのはそういうことなのだろうか。

 先日、女房が出してくれたお茶にはアケビの花が浮かべてあった。紫色のアケビの花を摘み、梅酢に漬けこんだものだ。粋で風情がある。一椀の茶に初夏を感じた。 

vcm_s_kf_repr_468x351_20100513131938.jpg

 山小屋の敷地には稚児ユリも咲いている。親指の爪ほどのかわいい白い花だ。下向き加減に咲くところが楚々としている。生石山はスミレが多く、わが家の周りにもたくさん咲いている。腰をかがめて見ていると、花の方から話しかけてきそうな錯覚にとらわれる。

vcm_s_kf_repr_351x468_20100513132017.jpg

 このブログで毎度おなじみのササユリは、日に日に茎を伸ばしている。花芽の付いていない若いユリも何本かあり、今年初めて地上に姿を現したのだろう。周囲の雑木を伐って日当たりを良くしたので、ここ2、3年で株数が一気に増えたように思う。

 一つの株に10数個もの花を咲かせるササユリが2本あるが、今年は困ったことに荷物を運ぶモノラックの真下に太い芽を出している。昨年はレールから少し外側だったので良かったが、これではまともに荷台に引っかかってしまう。茎を紐か何かで引っ張ってやらねばならないだろう。

 西洋シャクナゲは赤とピンクの2本あり、赤の方は満開、ピンクはもうすぐだ。殺風景な山小屋に彩りを添えてくれる。隣の敷地ではヤマブキの花が散り始め、あとしばらくするとウツギの白い花が咲く。

 ゆっくりと流れる時間の中で、巡る季節を感じることが出来る。そんな年になったのだ・・・。

 

シュロの草木染め・・・感動の色合い

  連休が明けた日、生石高原のレストハウスで働いているおばさんが山小屋にやって来た。女房が出迎えると、「連休中に草木染めが全部売れたのよ。売り場がさみしくなるので、早く商品を置いてもらえない?」と言うではないか。「ひぇー、うれしい」・・・。女房は大喜びだ。

 と言っても、売れたのは10点くらいなもので、商売繁盛という訳ではない。女房の草木染が売れるのは人出の多い秋のススキの季節だが、今年は例年より連休のお客が多く、その人たちが買ってくれたらしい。

 レストハウスに頼まれ、昨年からスカーフやショールを展示して売っている。「生石山の草木で染めています」というタイトルに目をとめてくれる人もいるが、ボチボチ売れるだけだ。女房も商売っ気はなく、専門店より大幅に値を下げている。だから儲けはほとんどないが、自分で染めた布を知らない人が使ってくれることに喜びを感じているのだ。

 さっそく、店に並べる染物を作らなければならない。草木なら何でも染まるが、新緑の初夏は染まっても色が薄いらしい。どのような草木を材料に染めるか、専門書を読んだり、ネットで調べたりしながら思案していた。

 「そうそう、和歌山はシュロの産地。シュロならいっぱいあるので、試してみようと思うがどう思う?」。どのように発色するか予想もつかないが、なかなかのアイディアだ。その土地、土地の植物を材料にして特有の色合いが出れば、草木染めはいっそう面白味が増すだろう。

 夫婦でシュロの葉を取りに行った。ここ生石山を中腹まで下れば、道端や雑木林にシュロが群生している。かつて和歌山は日本一のシュロの生産地で、ほうきやタワシなどが盛んに作られていたが、戦後、化学繊維が普及すると手間のかかるシュロ製品は姿を消して行った。

 女房は染めに取りかかる。シュロの葉を刻み、炉にかけた大きな鍋で煮出す。煮出し液に布を浸し、焙煎液に入れると、感動的な色が浮かび上がった。女房も驚いている。

 黄色と表現してはどこかそっけないし、黄緑色でもしっくりこない。大袈裟に言えば「命の鼓動が聞こえる新緑」の色合いだ。荒れ地に放置されたままのシュロの木が、染めによって蘇った。自然を相手にした草木染めは、計算通りにはいかない半面、このように意外性もある。

 さて、高原のレストハウスに並べるシュロ染めのスカーフに、命の鼓動のようなものを感じてもらえるだろうか・・・。

    ↓ 写真の色合いはくすんでいるが、実物はもっと鮮やかです(女房)
vcm_s_kf_repr_468x351_20100510145245.jpg

喫煙者を吊るし上げる紅衛兵

  ある新聞の書籍広告を見て、思わず中国の文化大革命を思い出してしまった。

 毛沢東が密かに組織した紅衛兵が地主、金持ち、反動分子、悪徳分子らを公衆の面前に引っ張り出し、吊るし上げた。それらの子供たちにも類が及び、何百万人、何千万人が死亡したとされる。現代中国が覆い隠したい忌まわしい時代だ。

 レーニン、スターリン時代のロシアでも、体制批判の人たちを反革命分子と称して拷問、虐殺し、多くの人たちを強制収容者にぶち込んだ。ノーベル賞作家ソルジェニーツィンの「強制収容所群島」で赤裸々に描かれている。世界にそのような例はいくらでもあるし、日本だって関東大震災の時、デマ情報によって在日朝鮮人を排斥、差別した。

 恐ろしいのは、大衆がこのような愚かな扇動に乗り、知らず知らずのうちに社会的なうねりを作り出してしまうことだ。特に、社会に閉そく感が漂うと、誰かを悪者に仕立てようとする傾向があると思う。悪者を差別することによって自分たちの優位性、正統性を誇示しようとする。

 さて、先の新聞広告についてである。割りと大きなスペースを使って「愛煙家通信」というシリーズ本を宣伝していた。タイトルは「禁煙ファシズムとも言うべき禁煙全盛の日本 愛煙家にも言わせてほしい」と勇ましい。

 よくぞ出版してくれた! 新聞広告に頬ずりしたくなる。日本は今、喫煙者をまるで犯罪者のように扱い、排斥しようとしている。それは、紅衛兵に吊るし上げられる悪質分子のようである。神奈川県だったか、海水浴場を全面禁煙にするという暴挙をしでかした。確かに砂浜に吸殻を捨てるのはもっての外だが、お天道様の下で煙草を吸ってどこが悪いのか。

 喫煙者の排斥は、まさしくファシズムである。酒飲みと愛煙家は高額納税者であり、国や社会に貢献する奇特な集団なのだ。それなのに、喫煙者を鬼か悪魔ように扱う風潮はおかしいと思う。ならば我らが納める煙草税は、ガソリン税が道路建設に使われてきたように、喫煙者のため、煙の迷惑防止のために使ってもらいたい。

 「愛煙家通信」に文章を寄せている面々は各界のそれなりの人物だ。

*変な国・日本の禁煙原理主義(養老孟司、山崎正和)
*枝葉末節な禁煙の理由(上坂冬子)
*嫌煙権を振りかざすのはいじめです(金 美齢)
*煙草のみを狙い撃つ空気への大いなる違和感(花岡信昭)
*たばこ「悪者論」の先に見えるモノ(養老孟司、西川りゅうじん)

 他にもいっぱいあるが書ききれない。煙草税の増税にも意見が寄せられている。

*税収に貢献する喫煙者のどこが悪い!(猪瀬直樹)
*税収不足補てん短絡的(黒鉄ヒロシ)
*増税は「格差社会」を助長(ジェームス三木)

 このほか、煙草は本当に健康に悪いのか--といったことも書かれている。見出しの一部を長々と羅列したのは、すべてにわたって私たちの気持ちを代弁し、胸がすくからだ。

 何事につけ、行き過ぎた権利主張、吊るし上げは良くないと思う。それらがまかり通ると、社会は息苦しくなる・・・。
 

連休の山小屋はにぎわう

  ゴールデンウィークは今日で終わり。期間を通じて日和は良く、暖かだった。ここ生石高原にもたくさんの人が来て、山菜採り、キャンプ、散策などを楽しんでいた。別荘からは子供や孫たちのはしゃぐ声が聞こえ、にぎやかだった。連休が終わると潮が引くように人影が消え、生石山は静かな森に戻る。

 私たちが暮らす山小屋にも訪問者が相次いだ。まずは、女房の兄たちが泊りがけでゴルフにやって来た。私も久し振りに2日連続のゴルフを付き合った。泥縄で練習した割にはまずまずのスコアだった。

 夜は今が旬の山菜料理を食べてもらった。ヤマブキの佃煮、スカンポのキンピラ風煮付け、ワラビの卵とじ、山ウドやタラの芽の天麩羅とフルコースである。お世辞も半分あるだろうが、好評だった。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100505090029.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20100505090127.jpg

 その翌日には息子夫婦と孫が遊びに来てくれた。このような山奥までご苦労なことだ。私たち夫婦に孫を見せる「義務」を心得ているのだろう。男の初孫は生後1年3か月。まだ危なげだが、歩くことが出来るようになっている。表情も豊かになり、仕草がかわいい。

 翌日は、生石高原のなだらかな斜面でソリを滑らせ、孫にスリルを味あわせた。息子に抱かれて生石ケ峰(870メートル)の頂上にも連れて行った。もう少し大きくなったらしばらく山小屋で預かり、自然を体験させてやりたい。きっと、心の成長にプラスになるだろう。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100505090225.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20100505090301.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20100505090548.jpg

 息子夫婦が1泊して帰ると、今度は大阪の亀丸さんから釣りのお誘いだ。朝5時、由良湾の漁港で合流し、それぞれがボートを出した。連休中とあって、あちこちに釣りのボートが浮かんでいた。しかし、釣果ははかばかしくないようだ。まだ水温が安定せず、魚の活性が低い。

 波が静かだったのでかなり沖合までボートを走らせたが、ガシラ、小鯛など10数匹の貧果だった。亀丸さんに「今夜は山小屋に泊まって行かないか?」と水を向けると、魚より食いつきが良く、一緒に酒を飲むことにした。亀丸さんは当方のブログを熱心に読んでくれていて、ブログに書いている私たちの暮らしぶりを見てみたかったらしい。

 冷凍保存しておいた鮎やアオリイカ、山菜、焼き肉などを食べながら痛飲した。私は途中で床についたが、亀丸さんは女房と話しながら夜遅くまで飲み続けた。朝起きると、「途中から記憶がありませんわ」と頭をかいていた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20100505090351.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20100505090431.jpg

 彼が帰ると、昼は山の仲間と天麩羅パーティーだ。仲間の一人に山菜名人がいて、いつも中国の人民帽のような帽子をかむっている。毛沢東率いる農民兵士のようないでたちだ。山ウド、ワラビなど山菜の秘密の場所を知っていて、どっさり採って来た。これを天麩羅にして熱々を食べるのだ。

 今朝も天麩羅の油が口の中にまとわりついている。連休中、少々食べ過ぎたし、酒量も上がり気味だった。これからはどちらも控えよう。生石山の緑は日に日に緑を増している。野鳥のさえずりを聞きながら、静かにゆっくりとした時間を過ごしたい。

諌めることを恐れる政治家たち

  民主党の小沢一郎幹事長の政治資金問題で、検察審査会は「起訴相当」と議決した。多くの国民の意見を映し出した判断だろう。小沢さんは国会で一切説明をしていないのだから、公判廷に出てきて真実を明らかにすべき--というメッセージが込められていると思う。

 それにしても、この期に及んで民主党からどうして「幹事長辞めよ」の声が涌き上がらないのだろう。山岡国対委員長や輿石参院幹事長ら小沢さんの腰巾着は別として、有能で賢明な議員も多いだろうにほとんど声が上がらず、その体たらくぶりは情けないと言うしかない。

 政治家は有権者から選ばれた特別の身分だから、一般の国民より高い規範意識が求められよう。お金にまつわる疑惑はもちろん、理屈の通らない政策、国民との約束違反などに背を向けることがあってはならない。そのような場合、国民を代表する政治家は、相手が時の権力者であっても諌めることが大切だと思う。

 諌める--。難しい漢字で書くと「諌言(かんげん)」。目上の人に対して意見する意味である。私が「諌言」に深く感じ入ったのは、佐賀藩士山本常朝が書いた「葉隠」だった。若いころ読んだので、今ではもう細かいことまで覚えていないが・・・。

 要するに、主君に対する諌言こそが最大の忠誠だと書いてあった。古来から武士にとって一番乗り、一番槍が誉であるとされてきた。戦場では生きるか死ぬかのどちらかであり、まあ五分五分に近い危険を背負って赴くのだ。

 しかし、主君への諌言はそれ以上にリスキーなことだと、「葉隠」は説いている。主君が道を誤った時、家臣が諌言するのは相当な覚悟が必要だなのだ。戦場では自分一人が死ぬだけですむが、主君への諌言によって切腹を申しつけられたうえ、家族にまで類が及ぶ可能性もある。

 だから戦場で大活躍することよりも、主君への諌言の方が忠誠心は高いとしているのだ。主君が諌言を受け入れて誤りを改めれば、藩もお家も安泰となる。極めて明快な武士の心得なのだ。

 「葉隠」に書かれている諌言は現代にも通じる。社長がイエスマンばかりを側近に据えれば、社長は裸の大様になり、やがて会社は衰退する。私がわざわざ強調するまでもなく、分かり切った理屈だ。それなのに、何も言えない多くの民主党議員。ポスト、資金配分などの「仕返し」を恐れているのだろうか。

 何も江戸時代の「葉隠」を持ち出すまでもない。今こそ、混迷する日本の将来を見据えた「諌言」が大事なことだと感じている。

カレンダー

04 | 2010/05 | 06
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

月別アーカイブ

ブログ内検索

全記事表示リンク

訪問者数

ランキング参加中!

PR

PR

PR