孫に会い、愛犬と遊び、映画を観る

  急に思いついて生石山を下り、大阪に向かった。しばらく会っていない孫の顔を見てみたい。ついでに娘の愛犬「ピー助」と遊ぼう。山奥で暮らしているので、たまには都会の空気に触れてみたいという気持ちもないではなかった。

 息子夫婦のマンションを訪ねると、男の孫は居間をしっかりした足取りで歩いていた。この前に会った時は、ようやく立ち上がれる程度だった。髪の毛も伸びていて、可愛くなっている。成長の早さに驚かされた。

 来る途中の釣り具店をのぞくと、ボート用の玉網の柄が格安で売られていたので買った。これを孫に持たせてやると、二本継ぎの柄を伸ばしたり、入れたりして無心に遊んでいる。むっ、これは・・・。今から釣り道具に馴染ませ、もう少し大きくなったら釣りに連れて行こう。そして釣り好きにさせたいと思う。

 釣りは、想像力を育む遊びである。海も川も水面の下は神秘的な世界だ。魚の生態も不思議である。釣り糸を垂れている時は、ボーっとしているように見えるが、実は目に見えない水中の神秘と不思議にありとあらゆる想像力を働かせているのだ。

 子供の頃の神秘体験が多いほど、豊かな想像力と創造力を育むという米国の社会学者による調査を読んだことがある。使われていない怪しげな部屋のある家で暮らす子供にも、同じ効果があると書いてあった。

 孫の頭を撫でてやり、次は娘のマンションへ。ドアを開けると、1年近く山小屋で暮らしていたピー助が飛びついてきた。夕方、近くの河川敷へ散歩に連れて行った。長い距離を歩かせたので途中で座り込んでしまい、抱っこして帰った。ピー助は私と女房の間を行ったり来たりし、健気に尻尾を振り続けていた。

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 翌日、女房は用事があるというので、映画を観ようと思った。映画好きの娘は、大鐘稔彦原作の「孤高のメス」を薦めてくれた。脳死移植がまだ法的にも確立していない頃の話で、主人公の医師は批判覚悟で、患者を救うため脳死の少年の肝臓を移植するというストーリーだ。

 主人公を演じるのは堤真一で、手術室に都はるみの演歌を流しながら難しい手術に挑むシーンが面白かった。しかし、看護婦役の夏川結衣の好演が主人公を凌いでいた。手術の場面は「はいっ」と言って器具を渡すだけだが、マスクの上に輝く目が巧みに演技する。こんな素晴らしい女優を久し振りに見る。

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 帰りに書店に立ち寄り、いい本に出会った。辰濃和男著「ぼんやりの時間」(岩波新書)だ。このブログでは、私の暮らしぶりを表現するのに「ぼーっとしている」と書いてきたので、この本のタイトルに飛びついてしまった。

 氏は私よりひと回り以上年上だが、かつての私と同じ職業で、しかも静岡県の山奥に山小屋を持ち、多くの時間をぼーっと過ごしている。名文家という点を除けば、共通点が多い人である。まだ序の所だけしか呼んでいないが、「ぼんやり」の時間を持つ心の豊かさを説こうとしている。機会があれば、ぜひこの本を紹介してみたい。

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 1泊2日の小さな旅から山小屋に帰ると、霧の中でササユリが咲いていた。この愛すべき花を眺めながら、ぼんやりとした時間を過ごそう・・・。

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桃色吐息に囲まれて・・・

  高橋真梨子が歌う。  「咲かせて咲かせて 桃色吐息 あなたに抱かれて こぼれる華になる」

 ちょっと気恥ずかしいが、私は高橋真梨子のファンである。コンサートがあればいそいそと出かけ、かぶりつきであの甘い声に痺れたものである。手元には、真梨子ちゃんが投げてくれたサイン入りボールがある。家宝なのだ。

 「桃色吐息」・・・。歌を聞くと、年甲斐もなく体の芯がうずく。彼女のような女性から桃色の吐息をフッーと吹きかけられれば、目がくらみ、平常心ではいられないだろう。

 今、そんな桃色吐息に囲まれている。いえ、そんな色っぽい話ではなく、山小屋の敷地で咲き始めた花々の話である。「桃色吐息の息づかいをご覧いただきたい」と言いたいところだが、何分にも写真が下手なうえ、連日の雨に打たれて花が美しくない。桃色吐息もこれでは興醒めだ。

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 まずは、こよなく愛するササユリだ。今にも咲き出しそうに花が膨らみ、ポッと頬を赤らめる十五の娘のようである。ササユリは清楚な花に似合わず、強い香りを漂わせる。まさに桃色吐息だ。男を惑わせる女性の魅惑の根源が、この花にある。

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 京鹿子の花は、綿菓子のようである。フワフワしていて、この花で頬を撫でられればゾクッとするだろう。こちらも男を引きつける怪しげな雰囲気がある。女性に例えると、聡明ではないが少しとぼけた味というか、隙のあるところがいい。

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 下野国で最初に発見されたことからそう名付けられたシモツケも咲いている。桃色の美しい花だ。数ミリほどの小さな花が密集し、その集まりが一つの花のように見える。宝塚歌劇のラインダンスのように、集団で美しく見せている。つまらないこじつのようだが・・・。

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 山小屋の階段沿いに植えたサツキも桃色を競っている。何という種類か知らないが、どこにでもある平凡なサツキである。それはそれで親しみがわく。

 桃色吐息。美しい日本語だと思う。「あなたに抱かれて こぼれる華になる」。たった四文字が、男と女のほのかな情景を浮かび上がらせる。せめて、そんな白日夢に身を委ねたい・・・。

釣った魚を届ける・・・律儀な返礼

  昨日は梅雨がひと休みし、由良湾に浮かべたボートの上で爽やかな一日を過ごした。このところずっと雨が続き、山小屋の中で悶々としていただけに、太陽を浴びる喜びはひとしおだった。海も穏やかで、そよ風に吹かれているうちに寝てしまい、もうちょっとでボートから転げ落ちそうになることもあった。

 広い海の上で、魚が釣れるポイントに船を止めるのは難しい。漁師たちは「山立て」という三角測量の方法で位置を定めるのだが、GPSのような驚くべき正確さだ。だから私は、いつも由良湾に出漁している漁船を探し、その近くにすり寄ることにしている。

 この日は、民宿と漁師を兼業している馴染みの漁船が来ていたので、「おはよう。釣れるかー」と様子を聞き、その横にアンカーを放り込んだ。魚の活性は良くないが、それでも結構大きなアジがポツリ、ポツリと食った。さすが漁師が選んだポイントである。

 しばらくすると、当たりを取る人差し指に大きな魚信が伝わった。すかさず合わせると、なかなかの手応えだ。深さ38メートルから糸を手繰り上げるのは時間がかかる。やがて黄色味を帯びたイサギが姿を現した。イサギは麦秋のこの時期、「麦わらイサギ」と呼ぶ旬の魚だ。

 午前中にイサギ4匹、アジ10数匹、小鯛3匹を釣り上げた。生かしておいたアジでアオリイカを狙うことにしたが、シーズンが終わりかけているので期待はしていなかった。案の定、当たりはなかった。太刀魚だろうか、糸を噛み切られることが何度かあり、折角釣ったアジなのにもったいないことをした。

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 おいしいイサギが釣れたので、ぜひ届けたい人がいる。この人は、私たちが暮らす生石山の中腹で農業をしている。豊かな知識と工夫で、ひと味もふた味も違うミカンやキュウイを育てるので有名だ。

 彼はどこにでもいる土だらけのお百姓さんだが、大学の先生と渡り合うほど植物に詳しい凄い人である。山や野を歩き、独学で知識を深めたと聞く。植物観察会のグループに属していて、実地の集まりがあるといつも山小屋のポストに案内パンフを入れてくれる。魚の差し入れは、お世話になっている感謝の気持ちである。

 魚を届けて山小屋に帰り、イサギの煮付けでお酒を飲み、早目に寝た。午前3時半から始まるサッカーのデンマーク戦を見るためだ。早朝の釣りで鍛えているので、難なく時間通りに目が覚めた。放映していたテレビ局は、映りが悪いので音声に頼らざるを得ない。情けない話、3発のシュート場面もアナウンサーの絶叫がなければ分からないほどの映りなのだ。

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 ともかく日本は快勝し、決勝に進んだ。選手たちの態度もコメントも、Jリーグ発足当時に比べると随分成長したなあと思う。世界を相手に戦うサムライブルー・・・。選手たちの心の成長を見たような気がする。

 朝6時半ごろ、うとうとしていると外で人が呼んでいる。なんと、きのう魚を届けた彼が立っているではないか。「これ、いま採ってきた」と大きな袋を手渡された。ひとつ一つ紙に包んだ木なり完熟のセミノールだ。

 さっそく食べてみた。皮をむくと果汁がボトボトと滴り落ちる。甘い、甘い。魚の返礼として朝採りの果物を届けてくれる・・・。彼の律儀さに頭が下がった。

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作務衣を着る蕎麦屋を皮肉る

  近ごろ私は、禅僧のようないでたちでひとり悦に入っている。女房の前で神妙な表情を作って見せ、「どや、人格者に見えるか?」としつこく問うている。女房は「あ、はは、蕎麦屋のおっちゃんや」と酷評する。 う~ん・・・。

 普段、山小屋の中で過ごす時は禅僧の作務衣を着ているのだ。この作務衣はちょうど20年前、京都のさるお金持ちから戴いた藍染である。おそらく何万円もするだろう。

 以前、福井の永平寺にお参りした時、紅顔の修行僧が作務衣を着ていて、いいなあと思ったものである。境内を掃除したり、廊下を拭いたりする時に着る禅僧の作業着なのだ。簡素で、機能的な日本らしい衣服だと思う。

 先日、箪笥の中をかき回していた女房が、これまで一度も着ることがなかった戴き物の作務衣を引っ張り出したのだ。私も女房もすっかり忘れていた。山の中で生活していると衣服が汚れることが多く、10年前、20年前に買ったボロ着ばかり着ている。見るからに風采が上がらないので、ちょっとお洒落な作務衣を着ようと思ったのだ。

 作務衣をもらった当時は、これを着るのが照れくさかった。しかし今は、半ば仙人のような生活をしているし、これを着てもそれほど違和感のない年齢になった。しかも今の季節は少し肌寒いので、この一枚でちょうどいい具合である。時々鏡の前でポーズをとっているが、風貌にどこか枯淡の味が出ていて、大いに気に入っている。

 そんな私の思いをくじくように、女房は「蕎麦屋のおっちゃん」と笑い飛ばすのだが、なるほどそう言われれば、蕎麦屋の主人が作務衣を着ているのをよく見かける。まるで陶芸作家を気取っている風にも見え、どこか滑稽である。

 蕎麦の粉を厳選し、打つのはそれなりに年季が必要だろう。意地悪な見方をすると、作務衣を着たがるのは「オレが打つ蕎麦はそんじゃそこらの蕎麦じゃねえよ」という自己主張なのかもしれない。

 私は蕎麦好きで、旅先では必ず美味しい店を探して食べに行く。その経験から言うと、作務衣を着る店は、老舗よりも新興の店が多いようだ。店主は「一家言らしき」ものをもっており、講釈が多い。店内には店を紹介する新聞か雑誌の切り抜きが貼ってあったりするのだ。

 しつこいようだが、そのような蕎麦屋を高慢にさせる客も悪い。通ぶったりして、出された蕎麦を褒めちぎったり、店主の講釈をありがたがったりする。卑屈になって食べてどこがうまいのかと思う。

 蕎麦に金粉を振りかける笑止千万の店もあるらしいが、魯山人の器に盛っても蕎麦は蕎麦。それ以上のものではない。大衆の食べ物なのだ。小腹を満たしたら、チャリーンと硬貨を置いて店を出るのが、蕎麦の正しい食べ方だ。

 作務衣の話が、横道にそれて蕎麦屋いじめのようになってしまった。禅僧のような身なりで悦に入っている場合ではない。まだまだ未熟者。人間修業が足りないようだ・・・。

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野菜の収穫・・・みな小さめ

  このところ梅雨らしい梅雨が続いている。シトシト降っていたと思ったら、ザーッと横殴りの雨が降って来る。山小屋は標高800メートル余りの山の上にあるので、もう何日も雲の中だ。女房は洗濯物が乾かないと愚痴っている。

 こんな天気だから、家の中で過ごす時間が長くなる。テレビではサッカーワールドカップの放送が流れていて、一流選手のプレーを見るのはそれなりに面白いが、ブブゼラとかいう民族楽器がうなり続け、耳の中で虫が暴れているように聞こえる。

 女房が耕す畑は、いよいよ収穫の季節である。玉ネギは雨が続く日に収穫しては良くないらしいが、茎が腐り始めているのでそうも言っておれない。きのう、雨が少し止んだので、引っこ抜いた。

 全部で100個以上だが、どれも情けないほど小さい。ゴルフボールよりは大きいが、野球のボールより小さい。去年も同じような大きさだった。ここは気温が低いし、森の木に遮られて日当たりもいいとは言えない。女房は「肥料が少ないのかなあ」と首をひねっている。

 丹精込めて育てた玉ネギだ。小さくても有機栽培だから安全だろう。私は「うま味が濃縮されているのだから、小さくともいいではないか」と女房を励ましている。ポトフ、肉じゃが、野菜スープ・・・刺身に添えても美味しい。

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 ジャガイモは昨年、イノシシに半分食べられ悔しい思いをしたので、今年も襲われるのではないかと戦々恐々だ。網で囲っている畑もあるが、そうでない畑もある。イノシシにやられる前に収穫しようと、試しにひと株掘ってみると、これまた小さく、スダチくらいの大きさである。まだ収穫には早いようだ。

     ↓ ジャガイモの美しい花が咲いている。
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 ニンニクは3、40個ほど収穫できた。こちらも市販のものよりひと回りもふた回りも小さい。国産ニンニクは結構値段が高く、つい中国産に手が伸びそうになるが、農薬が気になる。だからニンニクは自分の手でと女房は栽培を続けている。

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 今のところまともなのはエンドウだけだ。豆ご飯にしたり、かき揚げの具に入れたりして食べている。冷凍保存するので、年中エンドウが食卓に乗る。正直、女房ほど好物ではないが・・・。

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 毎年、作物が大きく育たないので、女房は昨年から堆肥作りに情熱を燃やしている。秋には日暮れまで落ち葉を集め、米ぬか、生ゴミなどを入れて、せっせと混ぜ合わせるなど、根気のいる作業を続けている。

 堆肥に手をかざすと生ぬるい熱が伝わってくる。寒い日には湯気が立つほどだ。いい具合に発酵しているのだろう。堆肥はこの秋、冬野菜の栽培にたっぷり使うらしい。大きな野菜が育てよと、女房に声援を送っている。

     ↓ 落ち葉で作った堆肥
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ツチノコを見た!

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     ↑ ネットで拝借したツチノコの写真

  朝早く、この同じ森に住んでいるドイツ人ピーターから電話がかかってきた。「ボク、見たよ!見たよ!」と興奮している。朝の挨拶は、大抵ジョークから始まるが、今回はいきなり驚くべきことをまくしたてた。

 話はこうだ--。ピーターの山小屋裏手の雑木林で「ボクの手首の太さくらいで、長さが30センチか40センチの蛇」がいた。飛びかかるように威嚇する。カメラを取って戻ると、その奇怪な蛇は姿を消していたと言う。

 その直後にピーターの山小屋を訪ねた地元の人から、正体は「ツチノコ」だと教えられたという。和歌山のこのあたりでも以前見たという人がいるし、全国各地で目撃例はたくさんある。いずれも「太くて短い」奇怪な姿形で、ピーターの目撃談とそっくりだ。

 ピーターの妄想か、幻か、少しボケてきたのか。もしかしてツチノコのことを知っていて、驚かそうと嘘をついたのだろうか・・・。私は一応疑ってみた。しかし、ピーターの口調は真剣そのものだったし、誠実な人柄なので嘘をつくような人間ではない。もちろん、ボケてもいない。

 もう一度確かめるためピーターを訪ねると、ちょうど買い物で山を下りるところだった。その動物は、頭と胴が同じ太さで、尻尾は急に細くなっている。鱗があり、汚い黒色だった。口は逆八の字のように吊り上っており、棒でたたくと、鼠のように「チュー、チュー」と二度鳴いた。手首の太さと言っても、ピーターは巨漢だから私の腕くらいの太さになる。証言は実に具体的だった。

 30年、40年前は、あちこちでツチノコを目撃する人が続出した。近年は余りそうした話は聞かなくなった。当時、広島かどこかで、ツチノコ探検隊が結成されたと聞いたことがある。「生け捕りしたら100万円」の懸賞金を出すなど、町おこし、村おこしに利用するようなケースもあったと記憶している。

 本当に実在するのだろうか。外来の大型トカゲと見間違えているのではないかという見方もあるらしい。ピーターが見たのはこのトカゲなのか、本物なのか・・・。トカゲの場合は足があるが、ピーターは「足、なかったよ。あれは蛇よ」と言い、外来トカゲ説を強く否定するのだ。

 グロテスクであるが故に、怖いもの見たさの心理が働いて人々の想像が作りだした架空の生き物かもしれない。しかし、それにしては目撃者が多過ぎる。真偽のほどは分からないが、この世にツチノコが実在すると信じる方が、愉快だと思う。

 ネス湖のネッシーだけでなく、日本各地でも河童やカワウソなどの伝説が多くある。UOF、火の玉、幽霊を見たと言う人も少なくない。実は私も子供の頃、自宅の裏庭にロケットが着陸したのを目撃した。長くそう信じていた。荒唐無稽かもしれないが、今でもその場面を鮮明に思い出すのだ。

 ツチノコはいる。ネッシーも河童もいるのだ。人々の心の中に、神や仏がいるのとさほど変わりはないと思うのだが・・・。

 

  

消費税・・・新内閣を操る財務省

  サッカーワールドカップで日本がカメルーンを破った。日本中、お祭り騒ぎである。テレビでは、朝から晩まで本田選手の胸がすくようなシュートを流し続けている。めでたい、めでたい! オランダ戦でも得点してもらいたい。

 この大騒ぎにかき消されるように、参議院が解散される。野党は、新しい総理と内閣がスタートしたのだから、会期を延長して予算委員会でその政策を正す必要があると主張する。与党は、参院選で信を問えばいいではないかと反論する。

 要するに、「支持率」をめぐる思惑の攻防だ。与党は支持率が急上昇している間に参院選を行いたいし、野党は国会論戦で与党がボロを出し、支持率が落ちるのを期待している。ただ、新総理の所信に対して予算委員会での審議を行うのは憲政の常道であり、民主党の暴走と言われても仕方がなかろう。

 菅総理は、与党で過半数の議席を獲得するのにかなり自信をお持ちのようだ。しかし、もし過半数割れした場合、衆院を解散して改めて信を問うのだろうか。ねじれ国会で法案が通らなくなればそうするしかなかろうが、300を上回る議席を有する衆院を解散するとは思えない。

 まあ、このようなつまらな私の素人評論はどうでもよい。ここで言いたいのは、財務省の恐るべき力だ。財務官僚にとって、民主党の政治家など手のひらで踊る人形のように思っているのではないか。以下は私の想像だが・・・。

 子供手当て、高校無償化、農家への個別補償などマニフェストを実現したい民主党は、かつてない水膨れ予算を組んだ。財務省は史上最大の借金予算に、一応苦渋の表情を作って見せたが、内心ニヤニヤしていたと思う。

 国民は、ギリシャの何倍もの借金財政を心配するようになった。いずれ日本国は破綻するとマスコミも煽る。これは財務省が仕組んだ深謀遠慮なのだ。1年目は好きなようにさせて、2年目からはそうはさせない。つまり消費税値上げへの布石である。

 4年間は消費税を値上げしませんという民主党は、昨年の総選挙で圧勝した。マニフェスト実現の財源は、無駄を排除すればすぐ出てくると言っていた。しかし、その舌の根も乾かないうちに、菅内閣はマニフェストに反して消費税の値上げを含む増税路線に180度転換した。鳩山内閣で財務大臣だった菅総理、副大臣だった野田大臣は財務官僚に取り込まれたのだろう。

 確かに、消費税の値上げなくして日本の財政は立ち行かなくなる。しかし、これまで消費税を値上げした内閣はすべて倒れている。そこで菅総理は考えた。日本の危機だから「超党派で論議しましょう」と。自民党も消費税値上げを言っているので、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という算段なのだ。

 かくて消費税問題は、参院選の大きな争点にならないだろう。財務省が何年にもわたって画策した増税路線は成就しつつあるのだ。「官僚は大バカだ」と言っていた菅総理は前言を翻した。見かけは政治主導に見えるが、内実は財務省などの官僚に操られている。

 ベストセラー「国家の品格」を書いた藤原正彦は文芸春秋7月号の「日本国民に告ぐ」でこう書いている。「大半の政治家に比べ、中学、高校、大学、国家公務員試験という難関をくぐり抜け、門地貧富を問わず選抜された官僚の方が知識、経験、見識について上のことが多い」。

 そこまで言うのは気の毒だし、政治主導も正しいと思うが、ただ官僚排除という政権交代当初の狭量さは子供じみている。何だかんだと言いながら、結局、事業仕訳も消費税論議も財務省の思惑通りに進んでいる。まだまだ日本の政治家は官僚をコントロールするに至っていないと思うのだが・・・。

 

梅雨入り・・・草花が瑞々しく

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  ここ紀伊山地も昨日、梅雨入りした。早朝、霧のような雨が降っていたが、やがて晴れ間がのぞいた。木の緑がにわかに瑞々しくなったように思う。

 ウツギの花が咲き出した。この森には、道路にかぶさるようにたくさん自生しており、満開になると雪が積もったように見え、風情がある。その花の白さは、花嫁の白無垢のようにまぶしい。

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 ウツギと歩調を合わせるように、金銀花の花も咲いている。白い花が数日すると淡い黄色になるため、そう呼ばれるようになったと言う。

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 ウツギも金銀花も、川に跳ねる若鮎の姿と重なるのだ。16年前、生石高原に近い森に山小屋を建て、ここから麓を流れる有田川へ鮎釣りに通った。山を下る道端に名も知らない美しい花が咲いており、それがウツギだった。この花が咲くと、鮎釣りの季節を思う。

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 木イチゴの実が甘さを増してきた。私たち夫婦は毎日のように1時間ほどの散歩をするが、その道すがら木イチゴを食べるのが楽しみだ。棘に刺されないよう手を入れて実をもぐと、掌に転げ落ちる。ほんのりとした甘さが口に広がる。

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 このブログで毎度お馴染のササユリ。楚々とした花を咲かせる季節は間もなくだ。山小屋の敷地に自生するササユリは40株ほどあり、花芽が日に日に膨らんでいる。花は、竹久夢二が描く古風な女性のようであり、年甲斐もなく胸が時めくのだ。

 ただ困ったことに、何本かの花芽がちぎれてなくなっている。朝起きて山小屋の裏手に出ると、ササユリが生えているあたりから山鳩かカケスが大きな羽音を立てて飛び立って行くのだ。多分、これらの野鳥が食いちぎったに違いない。

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 雨の恵みで、畑の野菜も順調に生育している。女房はエンドウが大好物で、たくさん植えている。鞘ははち切れそうになっているものもあり、もう食べられる。女房の定番料理は、高野豆腐と一緒に煮るのだが、私はそう好きではない。やはり豆ご飯がおいしい。

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 梅雨はこれからひと月余り続く。釣りや畑仕事などで外に出られる日は少なくなるが、のんびり出来るのでそれもよい。

イカ3杯、麦秋のイサギも釣れた

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  ここ和歌山も来週あたり梅雨入りしそうだから、その前に釣りに行っておきたい。女房は友人たちと旅行に行って、しばらく留守である。思いっ切り、羽を伸ばそう。11日の木曜日、アオリイカを狙うためボートを積んで由良湾に向かった。海は穏やかで、天気も申し分ない。

 今年、紀伊半島の沿岸で異変が起きている。アジが極端に少ないのだ。5月、6月は大型のアオリイカのベストシーズンで、生きたアジを餌に使うのだが、餌店では漁師からアジが入ってこないので頭を抱えている。和歌山の大手の餌店は従業員総出で釣りに行かせ、アジの確保に躍起になっているほどだ。

 釣りに行く前夜、5軒の餌店に電話を入れたみたが、どこもアジはない。こうなれば、自分で釣るしかない。由良沖のポイントに着くと3隻の漁船がアジ釣りをしていた。さっそく仕掛けを下ろすが、まったく釣れない。漁師も苦戦しているが、そこは職業漁師、ポツリ、ポツリ釣れている。

 漁師にアジを売ってほしいと頼んでみた。「民宿の釣り客の分を確保するのが精いっぱい。こちらが売ってほしいわ」と断られる始末だ。別の漁船に行くと、「イカ釣りでアジがないのか。うーん、気の毒やなあ」と、10数匹を分けてくれた。これで一安心だが、すでに昼を過ぎていた。

 やっと手に入れた貴重なアジだ。大切に、優しく操りがらイカ釣りを始めた。日が傾くまでまったく当たりがない。帰り支度を始めた時、やっとアジにイカが乗った。強烈な引きに耐え、網ですくった。1・2、3キログラムはありそうな立派なアオリイカだった。

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 港に帰ると、顔なじみの漁師が煙草を吸っていた。「ほほー、いいイカやなあ。アジが余っているんだったら、明日もやってみなよ。ボートはうちの漁船に繋いでおいたらいいよ」。そう言われれば、俄然やる気が起きてきた。山小屋に引き返し、翌日も釣りをすることにした。

 2日目。生かしておいたアジでイカを狙うが、当たりがない。退屈なのでアジ釣りの様子を見に行くと、馴染みの漁師の船も来ていた。その漁師が貸してくれた仕掛けを下ろすと、いきなり30センチを超える良型イサギが釣れた。その後2匹を追加したが、スマガツオは入れ食いだ。それほど美味しくないので5本だけクーラーに入れ、後は釣ってポイ、釣ってポイ・・・。

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 「回って来たぞ!」。漁師の大声が上がった。本カツオが回遊してきたのだ。私のボートの前で、あの漁師が大きく竿を曲げ、歯をくいしばっている。やっと姿を現したのは、横縞鮮やかな大きなカツオだ。別の漁船でもカツオが上がり、大騒ぎだ。私はそのような竿も仕掛けもないので、ただ指をくわえて見物するしかなかった。

 スマガツオに辟易させられたので、午後2時過ぎ、イカ釣りのポイントに向かった。釣れる時間には早かろうと思っていたら、早々と当たりだ。リールから糸が引き出され、イカはアンカーロープの方向に向かって行く。ロープに糸が絡めばそれで終わりなので、強引にロープから引き離す。何とか難を逃れて1キロ弱のイカを仕留めた。

 それから半時間後。竿先が海中に沈んだまま動かない。これはおかしい。そーっと、糸を引くと猛烈に走られた。イカが乗っているのだ。数分してヤエンという掛け針を装着した。うまく掛ったようだが、それからが大変だ。大量の水を吐き出しながらジェット噴射を繰り返し、潜ろうとする。

 竿を支える左手が痛い。無茶をして身切れや糸切れによって逃げられれば、ショックで2、3日寝込むかもしれない。数分のやり取りの末、ガバッと水を割ってイカが浮いた。網を差し出すと、また潜られた。また一からやり直しである。フー、フー言いながら、やっと取り込んだ。2キロと予想していたが、それでも1・6キロの大物だった。

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 釣った魚を山の仲間に配るため、早目に釣りを切り上げ、帰宅を急いだ。私は、今が旬の「麦わらイサギ」を刺身にしてみた。しっとりした脂が乗っていて、美味しかった。旬の肴を口に運びながら、女房が留守の一人酒を飲むのもなかなか乙なものである。年甲斐もなく2日連続で釣りに興じ、幸せだった・・・。

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いざ菅内閣・・・

  新年の株式大発会のように、菅直人さんの内閣にご祝儀相場がつき、支持率はウナギ登りだ。まことに、めでたいことである。鳩山さん、小沢さんを追い詰めてきた自民党などの野党は、予想されたこととはいえ、さぞや苦虫をつぶしているに違いない。

 有権者は、資金疑惑を持たれたツートップが排除されたことをまずは評価したのだろう。次は景気や生活が良くなることを期待するはずだ。菅内閣はまだ具体的な政策を打ち出していないが、それ次第で支持率は曲折するだろう。そのまた次は政策の実行力を問われよう。

 景気が良くなる、生活が豊かになる、暮らしやすく、将来に不安のない社会になる・・・。どのような国でも国民の最大の、切なる願いだろう。しかし、私のように年を取ると、それだけが関心事ではない。正直言って、美味しい物を食べ、海外を見聞し、美しいご婦人とご縁を結ぼうなどと今更考えない。今の生活は豊かではないが、明日にも路頭に迷うことがないので、こんな呑気な事が言えるのだ。

 生活や経済の政策もさることながら、その政治が「日本の在り様」をどう考えているか気になるのだ。それぞれの国は、先人から受け継いできた「固有の価値観」によって成り立っている。もちろんその価値観は個人を束縛するものではないが、しかし国の底流に脈々と流れていることまで否定できないだろう。

 アメリカは、独立戦争によって新しい国家を樹立した。だから国の歴史は浅い。昔、変な先生にケネディー大統領の就任演説を嫌々読まされたことがある。独立戦争以来の歴史に触れながら、アメリカがあなたがたに何をするかではなく、あなたがたがアメリカに何が出来るか--というような事が書かれていた。国に対する忠誠こそがアメリカの最大の価値なのだと思った。

 ただ皮肉にも、戦後日本はそのアメリカの占領政策と、進歩的文化人らによって国に対する忠誠心を骨抜きにされた。占領軍は主君への恨みを晴らす忠臣蔵さえ上演を禁止した。近代日本では天皇への忠誠が国への忠誠であったし、それ以前は藩と主君に対する忠誠を重んじるという歴史を辿っているので、どうも私には日本人の国家観について良く分からないことが多い。

 しかし日本には、困っている人を助ける憐みの心、四季の自然とともに生きる自然観、儒教、仏教、武士道などがもたらした人生観、これらが一体となった道徳観・・・。このような固有の価値観が国の根っこになっている。世界に類まれな深い精神世界こそ日本の誇りであり、私はこれらを大切にする政治を密かに期待しているのだ。

 菅さんは市民運動家から政治家になった人だ。おそらくベトナム戦争反対運動がきっかけだったのだろう。彼の若かりし頃は全共闘運動が全盛で、反米を掲げた社会運動、市民運動が繰り広げられた。ヒッピーの若者たちも反戦と自由をうたい、ナショナリズムを排した。

 菅さんも「ナショナリズムは悪」、「国家は悪」と考えていた時期があったと思う。菅さんの本を読んだこともないし、調べたこともないので、誤解があるかもしれない。しかし、大胆な宗旨替えをして、国への忠誠とか、古来からの道徳心を政治家としての軸足にしているとは思えない。

 いや、別に菅さんを悪く言うつもりはない。国会中によく居眠りをするのでマスコミに批判されるが、私は器の大きな人物だと思っている。あの西郷隆盛だって、幕府重臣と江戸城引き渡しの会議中、居眠りをしていたというエピソードが残っているのだ。居眠りは、人間の器量を計る物指しかもしれない。

 菅さんの船出にエールを送るつもりが、少し出鼻をくじくようなことを書いてしまったが、別に他意はない。ただ、「1位ではなく、なぜ2位ではいけないのですか?」などと、日本のプライドを傷つけた閣僚を選挙の顔として起用したのはいただけない。これからも、「日本の誇り」を踏みつけるようなことをしてもらいたくない。

 私心なしと誰もが認める西郷さんは、自らが成し遂げた維新政府に反旗を翻し、西南戦争で命を絶った。なぜか。あるべき国家像に殉じたのだと思う。それはともかく、今度の人事で排除されたグループが、萩の乱、佐賀の乱、はたまた西南戦争を起こしかねない不穏な空気だ。

 「歴史は繰り返す。一度は悲劇として、二度目は茶番として」--。管さんが薫陶を受けたかもしれないマルクスの有名な言葉である。そのグループの長は「壊し屋」の異名をとる。歴史は繰り返す。うーん、そうならないよう、菅さんの舵取りを見守りたい。

波に揺られて民主代表選を聞く

  やっと波の静かな日和が巡って来た。由良湾にボートを浮かべ、波に揺られて日がな一日を過ごそうと思った。あれこれ欲張りな釣りをするのではなく、アオリイカだけを狙うことにした。前回の釣行では、帰り際に起死回生の2杯のイカを釣って、意気揚々と引き上げたものだ。

 全速で30分ほどボートを走らせ、前回と同じポイントにアンカーを入れた。釣れても釣れなくても、この場所から動かないと心に決めた。生きたアジの尻尾にハリを刺し、海中に送り込む。しばらくすると、リールから糸が出て、イカがアジに食いついた。これは幸先がよい。

 イカを引っ掛けるヤエンという装置を糸に通し、海中に潜らせる。ヤエンを滑らせるように送り込み、イカに到達させるのが難しい。ヤエンは少しずつ前に進み、うまくいったようだ。軽く合わせを入れると、グイーンと竿がしなり、掛った。海底に張り付かれると一貫の終わりだから、強引に浮かせる。

 やがて前方10メートルほどの海面にイカが浮いた。しかしまだ油断できない。これから何回も潜られるのだ。やっと玉網に入った。海面にしばらく浸けておいて墨を吐かせた。もうよかろうとボートに引き上げると、イタチの最後っ屁のように大量の墨を吐き出し、服もボートも真っ黒。でもうれしい。重さ1キロを超すいい型のアオリイカだ。

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 しかし、その後は当たりがなくなり、ラジオのスイッチを入れた。NHKの「ラジオビタミン」が流れていた。駄洒落が面白い男性アナ、コロコロとよく笑う女性アナの掛け合いが面白い。よく聞く番組だ。この日は、民主党の代表を決める選挙があるので、11時前に選挙の実況に切り替わるという。

 代表選が始まり、400人を超す衆参の議員が次々と投票する。予想通り菅さんが当選し、国会の指名選挙で総理大臣に就任する。鳩山さんが現実味のない理想を掲げて混乱を招いた国政は、現実主義に近い菅さんの登場で少しは落ち着くことだろう。

 週明けには党と内閣の顔触れが決まる。「適材適所」は時の総理大臣の常套句だが、果たしてそうなるだろうか。民主党も自民党と同じように、最大派閥の小沢グループを始め、鳩山、前原、旧社会党系グループなど派閥がいっぱいある。適材適所か、派閥のバランスか、はたまた小沢外しか・・・。

 ラジオを聞いていて、随分昔のことを思い出した。私が勤めていた会社の幹部は内輪の話として、「犬でも尻尾を振れば可愛い」と言い放ち、人事もそのようにやった。この幹部はテレビにもよく出演し、弱者に優しく、清新なイメージを植え付けていただけに、「犬の尻尾」発言にがっかりした。

 有能なこの人にしてこれだから、魑魅魍魎が跋扈する政界で、本当に「適材適所」を貫き通せるのかはなはだ疑問だ。新しい顔ぶれは、政界の力学や様々な思惑が映し出されると思う。

 このような事を考えながら、何の変化もない竿先を眺めているうちに眠くなった。目覚めてしばらくすると、女房から電話がかかってきた。夕方、私たちが暮らす森の仲間たちと鍋を囲むことになったので、「早く帰れ」とのご指示である。

 夕方は釣れる確率が高いのだが、少し波も高くなってきたし、女房のご指示もあるし、後ろ髪を引かれるように港へ向かった。ボートは白波に打たれて大きな音を立てる。

 「本日、天気晴朗ナレド波高シ」である。ロシア・バルチック艦隊を迎え撃つ大本営への打電を思い浮かべる。打電は「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ」と続くが、それほど大袈裟ではないけれど、わが国の行く末と重ね合わせてみる。 

コメンテーターは何だ! 鳩山総理の演説で・・・

  今日は、わが山小屋に一挙7人ものお客が来る。ご一行は、私たち夫婦の山暮らしを見てみたいという人たちだ。鮎の塩焼きやバーベキューでもてなそうと、山小屋裏で焚き火をしたり、炭を熾したりしていた。

 すると、家の中でテレビを見ていた女房が叫んでいる。「鳩山さんが辞職したよ~」。当然だろうなあと思った。また女房が呼んでいる。「これから辞任の演説があるわよ~」としつこい。渋々テレビの前に座って拝聴したが、予想通りの内容だった。

 民放テレビの女性司会者は「いい演説でした。これを聞いて鳩山さんのおっしゃって来たことが良く分かりました」と感極まっていた。彼女はジャーナリストでも評論家でもないので、目くじらを立てるのは大人げないかもしれない。

 しかし、次に発言したコメンテーターの一言で血が逆流した。彼は鳥越某というジャーナリストである。何と言ったか。「名演説だと思います」。ジャーナリストたるもの、演説直後の生々しい感情を口にしていいのだろうか。一度その言葉を飲み込み、演説の本質、鳩山さんの真意を語るべきだと思う。

 余りにも思慮が浅いではないか。鳩山さんの演説が「名演説」に値するかどうかは、その背景や中身を吟味しなければならないし、評価に長い時間がかかるかもしれない。彼が民主党支持者なら別だが、視聴者はジャーナリストとしてのコメントを期待しているのだ。こんなコメントなら、太鼓持ち、はたまたテレビ芸者ではないか。

 私は名演説などとは思わないが、しかし鳥越某に対するような怒りも覚えない。風呂の中でオナラをするような音にしか聞こえないのだ。鳩山さんは辞任の理由を二つ挙げた。社民党を政権離脱に追い込んだ普天間基地の移設問題、二つ目は政治とカネの問題だ。はい、ごもっともとしか言いようがない。

 普天間移設は自ら5月末の期限を設け、解決するために「職を賭す」と明言した。沖縄や徳之島の人たちに反対の火を付け、油を注いだ。米国との合意はまるで見通しがない。社民党の離脱は政権発足当時から分かり切っていたこと。まさに失政であり、辞職は当然だろう。

 これはまことに正しい判断である。しかし、政治とカネを辞任理由の一つにしたのは詭弁だ。彼はかねてから秘書の法律違反は議員の責任で、その場合「バッジを外す」とまで言っていたのだ。国民の多くは「今更なんだ。遅すぎる」と思っているに違いない。

 小沢幹事長に頭が上がらなかったので、この際、一撃を加えようとしたのか。参院選への配慮なのか。どちらにしても、自分だけが辞職するのは口惜しいという思いが、心のどこかにあったのだと思う。

 鳩山さんは辞職したので、これ以上つべこべ言わない。傷口に塩を塗ったり、水に落ちた犬をたたいたりするようなことは性に合わない。いろいろあったけれで、ご苦労様でした。細川元首相のように、心穏やかに土でも捻ったらどうか。

 ただし、ジャーナリストぶったり、評論家ぶったりする怪しげな文化人がテレビで軽率なことを言ってもらいたくない。何百万、何千万の人たちが見ているし、彼らのコメントに左右される人もいるのだ。視聴者によって淘汰されるかもしれないが、彼らは政治家のように自分の言動に責任を問われることはないのだ・・・。 

 

不謹慎ですが、政治パロディー・・・

  昨今の政治状況をパロディーにして遊んでみた。不謹慎のそしりを免れないだろうが、正直言って、真面目に意見を述べるのがアホらしいのだ。

 私は、外野席の最上段で抱腹絶倒の野球を観戦している。対戦は民主と自民だ。民主は昨シーズン、日本シリーズで初制覇を果たした。子供や農民に無料チケットをばらまくなどファンサービスは気前がよく、日本一の人気球団だ。しかし、最近はエラー絡みの試合が多く、人気は急落中だ。

 この日の試合は、民主のエース鳩山投手が登板。昨年は「最低でも20勝」と豪語していたのに、暴投あり、四球ありの体たらく。しかも、球を投げようとして転んでしまい、足腰の弱さを露呈してしまった。ファンから「最低でも20勝はどうした!」と野次が飛ぶと、「学べば学ぶほど野球が分かって参りました」と馬鹿丁寧に頭を下げる。

 しかも、とんでもないトラブルを起こしてしまった。相手は女性捕手の福島選手だ。別のリーグから員数合わせのため連れて来たので、もともと野球観が違う。鳩山投手はサインのチグハグに癇癪を起し、福島捕手をベンチに下げるどころか、球団から放り出してしまったのだ。

 そもそもスポーツ選手はハングリー精神がないといけない。しかし鳩山選手は球団の年俸とは別にお母様から月1500万円ものお小遣いをもらっており、球界きっての金持ちなのだ。エースピッチャーとして君臨しているのも「財力のお陰」という陰口さえ聞かれるのだ。

 球界を背負って立つ一流の投手は、投球術もさることながら言動も一貫していなければならない。試合前に約束したことを平気で破るし、朝令暮改は日常茶飯事。ナインから「強気で攻めよ」と言われれば「うん」とうなずき、別のナインから「打たせてとれ」と言われると、これにもうなずく優柔不断さ。しまいに米国人コーチが駆け寄ると、「トラストミー」・・・。

 鳩山投手には気の毒な一面がある。球団のオーナーでもある小沢監督がいつも睨みつけているので、自由に投球出来ないのだ。小沢監督は試合中でも野球帽をかぶらず、タオルを頭に巻き付けるのがトレードマークで、一般に「ほうかぶり」と言われるスタイルだ。

 主力選手もいい加減である。普通は投手を支えるものだが、わざとエラーをする意地悪もいるし、試合の進め方もてんでバラバラ。そもそもこの球団は、軟式の草野球から入団した者、郵便局員から身を起こした者、労働者ファンが多い貴族などが入り乱れており、試合運びはどうしても稚拙になる。

 攻撃側の自民チームも鳩山投手を打ちあぐねている。戦術に新味がないうえ、クリーンナップを打つような主力選手が退団したため、タイムリーヒットが出ないのだ。しかも、若手より年寄り選手を重用しているので、ヒット性の打球を放っても塁の手前で息切れして憤死してしまうのだ。

 7月にはオールスターの人気投票がある。民主のチームカラーはキューバ野球に似ており、中国などとの独立リーグを目指している。片や自民は自由放任、野放図な野球で、米大リーグ寄りだ。新興球団「みんな」の唯我独尊プレーも注目される。

 ファン投票の行方はともかく、日本の野球が笑いものにならないようしてもらいたいのだ・・・。

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