秘境へ・・・立山連峰-黒部峡谷-白山

  半月ほど前、夫婦で酒を飲みながらテレビを見ていた。やがて旅の番組が始まり、立山連峰の絶景を映し出していた。「行ってみたいなあ」 「おー、行こう、行こう」・・・。二人ともほどよく酔っており、酒の勢いであれよあれよと立山旅行が決まった。

 次の日から女房はパソコンの前に座り続け、計画を練り始めた。立山-黒部峡谷-白山の秘境を巡る2泊3日の旅程だ。なるべく安い宿に泊まり、その代わりに夜はその土地のグルメを楽しもうという旅である。振り返ってみると、女房の計画は緻密かつ完璧で、存分に旅を楽しむことが出来た。

 26日早朝、大津の自宅を車で出発した。日曜日だから高速料金はどこまで走っても1000円だ。渋滞もなく快調に走り、4時間後には立山ケーブルに乗った。終点の美女平でバスに乗り換え、いよいよ室堂ターミナルへ。

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 バスの車窓から立山連峰の絶景が迫って来る。弥陀ヶ原台地から流れ落ちる落差350mという日本一の「称名滝」が見えた。しばらくすると、長く人を寄せ付けなかった「剣岳」が見え始め、その威容が晴天の空にそびえていた。右手からは「薬師岳」の大きな山塊が飛び込んでくる。

     ↓ 中央が剣岳 
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 それにしても何という幸運だろう。標高2、450mの室堂は見事に晴れ渡り、360度の山岳パノラマは息を飲むほど美しい。女房は、はるか前方に見える「一の越」(2,700m)の小屋まで行こうと言う。室堂を散策するだけの予定だったが、計画変更だ。女房はすたこら歩いて行く。私も健脚だと思っていたが、空気が薄いので時々立ち止まり、呼吸を整えなければならない。

     ↓ はるか向こうのU字の底が「一の越」
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 富山名産の鱒ずしで腹ごしらえし、さらに歩き続ける。一時間半ほどでやっと「一の越」に到着した。東の方向に天を突く「槍ヶ岳」がくっきり見えた。左手には「雄山」(3,003m)が間近に迫り、右手には浄土山(2,831m)だ。またまた女房の大胆な提案である。浄土山に登ろうという。

     ↓ 槍はいつ見ても美しい。その右に穂高の峰が連なるが見えない。 
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     ↓ この雄山に登りたかったが、時間的に無理・・・
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     ↓ 立山カルデラ。その下は高所恐怖症のため身を乗り出すことが出来ない。
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 ここまで登ったのだから、もうヤケクソである。岩をつかみながら登り、女房のお尻が鼻先に触れそうになる。左手には立山カルデラ落ち込んでおり、高所恐怖症の私には恐ろしげな景色だ。

     ↓ 3羽のライチョウが遊んでいる。逃げようとしない。
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 きっと、私たちの日ごろの行いがいいのだろう。好天に続くもう一つの幸運が待っていた。ライチョウと出会ったのだ。それも5羽。2mほどに近寄っても逃げず、つぶらな瞳でじっと見つめている。母親と子供たちのご一行だろう。

 浄土山の南峰から北峰へと歩き、室堂へ下る。これがまたガレ場の連続だ。足を踏み外せば怪我では済まない。何とか室堂に着き、登ってきた浄土山を見上げると何とも言えない達成感が込み上げてきた。ああ、来て良かった・・・。

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 (次回は黒部峡谷です)

 
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ものぐさに暮らしたい

  谷崎潤一郎の作品に「懶惰の説」という随筆があるという。以前このブログで紹介したことがある辰濃和男著「ぼんやりの時間」(岩波新書)でその随筆を紹介しており、「懶惰(らんだ)」という難しい言葉を初めて知ったのだ。「ものぐさ」「億劫」という意味らしい。

 随筆によると、東洋人は年中あくせくして働く人を冷笑し、時に俗物扱いする傾向がある。西洋人は懶惰に批判的で、浮世を捨てて山の中に隠遁し、独り瞑想にふけっているような人物を高潔とは思わず、エゴイストに過ぎないと切り捨てる。

 そこでわが身を考えてみる。なるほど私は都会を離れて山奥で生活しているが、谷崎の言う「浮世を捨てて山の中に隠遁」している訳ではなく、いわゆる「田舎暮らし」の一つの形だ。ただ、社会的に意味のあるような生活をしていない私のようなタイプは、西洋人にとって「悪徳中の悪徳」と映るそうだ。

 西洋人から悪徳と言われようが、エゴイストと呼ばれようが余計なお世話である。むしろ、私がまだ「懶惰の域」に達していないことの方が問題だと思っている。もっと怠惰に、ものうい生活をしたいのだ。

 唐代の僧、寒山は「懶」という言葉を使った詩を書いているそうだ。要約すると、「何をするのも億劫だし、面倒だし、怠けて暮らすのがいい。地位、名誉、重責、使命、財産などという重いものは大嫌いだし、重いものを背負っていくような生き方は真っ平だ」となる。

 ほ、ほー、ここまで割り切れるものかと思う。高根に咲く一輪の花のようでもある。この寒山には拾得という友がおり、森鴎外は「寒山拾得」という短編で二人の人物像を描いているそうだ。読んだことがないので、「ぼんやりの時間」から要約して引用してみよう。

 拾得は寺で下働きをし、寒山は石窟に住んでいて拾得が持って来る食事の残り物で生活している。二人ともみすぼらしい小男だった。ある日、中国の高官が二人に会うため寺を訪ね、袖をかき合せてうやうやしく礼をした。すると、寒山と拾得は顔を見合わせ、笑い声を上げて寺を駈けて逃げた。

 小説はここで唐突に終わるのだが、なぜ逃げたのか。地位とか、官職とか、服装とか、偉い人とかはどうでもいいと言っているのだ。高い地位のある人物と相対し、真面目に話し合うのに耐えられなかったのだろう。奇人ぶりも半端でないだけに、むしろすがすがしい。

 ところで私は、雨の日が好きである。雨が降れば新聞か本を読み、居眠りするしかないからだ。こうして一日を怠惰に、ぼーっと過ごすのは、まさに絵に描いたような懶惰である。次の日も雨なら、また懶惰な一日となる。

 しかし、三日も雨が続くといけない。「何かしなければ」という強迫観念が頭をもたげるのだ。このあたりが私の中途半端なところである。懶惰になり切れないし、かと言って意義のある生活も出来ない。

 人生、これでいいのか・・・。雨の日に、「懶惰」に身を委ねながら、そんなことをぼーっと考えてみよう。

尖閣事件・・・紳士の沈黙が出来るか仙石官房長官

  ああ、心配でならない・・・。 尖閣諸島で中国漁船が日本の巡視船にぶつかって来た事件を巡り、中国が繰り出す非常識な強硬姿勢を心配しているのではない。菅政権の真の権力者とも言われる仙石官房長官の発言と、これからの腹積もりを心配しているのだ。

 今朝のテレビを見ていると、仙石長官が中国に対してハイレベル協議を呼びかけていた。船長の無条件釈放を求めている中国こそ、日本に協議を求めるのが筋ではないか。今回の事件で、日本が中国にお願いするものは何もない。暴力を振るわれた人が、その相手に話し合いをしましょうなどとヘラヘラしているのと同じだ。

 この仙石長官の呼びかけに対し、中国はあっさり拒否している。仙石長官は屈辱的な呼びかけと、その結果もたらされた赤っ恥をどう思っているのだろう。

 余計なことだが、中国政府の拒否を発表した女性報道官は、眼鏡越しにいつも柳眉を吊り上げ、絶対嫁にしたくないタイプである。中国の横柄さを象徴するような可愛げのない女性だ。アメリカの肩を持つ訳ではないが、ウイットに富み、愛嬌もある米政府の報道官とは対照的である。

 日本政府は先ごろ、韓国に対し日本の植民地支配を謝罪する談話を発表した。仙石長官が主導したことは周知の事実だ。平成7年、社会党首だった村山総理が出した談話を一歩踏み込んだ内容である。仙石長官は元社会党だったから、自虐史観の血が騒いだのかもしれない。

 仙石長官の心のどこかに自虐史観があるとすれば、今回の事件で道を誤る恐れがあるのだ。中国とは、戦争補償の放棄も含めて1972年の日中共同声明でケリがついている。まして、共同声明を巡る交渉の中で日本領土の尖閣諸島に異議をはさんだことはない。尖閣周辺の海底資源が確認された途端、欲ボケで領有権を言い出しているに過ぎないのだ。

 今月29日に漁船船長の拘留期限を迎え、検察の処分が決まる。本人が否認してもビデオなどの証拠があるので起訴されるはずだ。どう考えても、嫌疑なしの不起訴、あるいは起訴猶予はあり得ないだろう。法律に疎いので分からないが、船長が中国に帰ってしまっては公判が進められないので、身柄を仮釈放をすることはなかろう。

 だから裁判が終わるまで中国側は何だかんだと口うるさいと思う。証拠として提出されるビデオなども、ねつ造と言い張るに違いない。恫喝、すり替え、屁理屈など品性に欠ける言辞を聞いていると、北朝鮮のピョンヤン放送を聞いているみたいである。

 それはそれとして、政府のスポークスマンである仙石官房長官は、今後いちいち中国に反応するようなことを言ってもらいたくない。あくまでも紳士的に無視すればいい。もともと共産主義に理解がある人だけに、口が滑るということもあり得る。それが怖いのだ。

 小沢元幹事長の資金疑惑の時、民主党の一部に検察を牽制するような発言や動きがあった。今回は日本国の主権にかかわる問題だから、いくら政権慣れしていないとはいえ、あの時のようなことはないと思う。今一番大切なのは、政治家も報道機関も過剰反応をげんに慎むべきだろう。

 あっ、そう言えば、当ブログこそ過剰反応しているし、偉そうなことを書いていると思う。心配性で、疑り深い性格なので、つい筆が走ってしまうのだ。まあ、山の奥から声を張り上げても、詮無いことで・・・。

中国漁船の衝突・・・日本を分からせるいい機会

  今、中国はピーチク、パーチクやかましいが、これは日本にとって良い機会である。民主国家とはこういうものだ、日本にも気骨はある、侮ってはいけないと 、彼らに教えるまたとない機会なのだ。また、そうしなければ、中国はいつまでも他人の家に土足で上がり込んで来るし、唯我独尊の屁理屈を振り回し続けるだろう。

 尖閣諸島で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりし、中国人船長が公務執行妨害の疑いで逮捕された。故意に衝突させたことを否認している船長は拘留中で、起訴に向けて検察の取り調べを受けている。日本の領海で、日本の法律に違反したのだから、起訴されることは間違いなかろう。

 ここまでの経過は連日報道されているので、ご承知の通り。不思議でならないのは、船長のかたくなな否認だ。海上保安庁は退去勧告から衝突までをビデオ撮影をしていたと言い、当然、このビデオを船長に見せながら故意の衝突を追及しているはずだ。まあ、そのうち中国は「ビデオはねつ造」と言い出すだろうが・・・。

 普通の漁師、あるいは船乗りなら、一目瞭然のビデオを見せられれば犯罪事実を認め、帰国を望むはずだ。それなのに強く否認しているのだから、この船長はある意味で筋金入りと見るべきだろう。自供すればお国に帰りづらい事情もあろうが、しかし、中国当局によって指示を受けていたという疑念がぬぐいきれないのだ。

 しかも衝突の激しさだ。当時、この海域では多くの漁船が違法操業していて、海保の退去勧告を受けると、さっさと逃げて行ったらしい。それなのに、この漁船だけは逃げ遅れた様でなく、また逃げるために衝突を図ったようにも思えない。衝突することが船長の任務だったのではないか。

 スパイ小説好きの私としては、船長は中国当局の意を受けた工作員と見る。国際機関が尖閣周辺の海域に豊富な海底資源があると公表した途端、中国と台湾が領有権を主張し始めた。今回の衝突事件は、権益を見境なく漁り続ける中国が日本の実効支配を揺さぶり、既成事実を積み上げようという極めて意図的なものだろう。

 しかも、民主党が代表選で揺れるその時期に、狙いすましたように事件を起こした。くどくど言いたくないが、鳩山前総理は東シナ海を平和の海にする言い、東アジア共同体構想を謳いあげた。小沢前幹事長は130人を引き連れて朝貢し、中国を喜ばせた。

 中国は、このような民主党政権の足元を見ているのだ。対米、対中など世界戦略が定まらず、安全保障の軸足もどこにあるか怪しい。今回のような事件を起こしても、強くは出てこないだろうと踏んでいたはずだ。

 共産党独裁国家の中国は、「三権分立」という民主主義の死活的な原則を理解できなのだろう。中国であれば司法判断など政府のさじ加減でどうにもなるが、わが法治国家は、憲法上、政府の介入で被疑者を釈放したり、不起訴にしたりすることが出来ないのだ。

 中国は、外交の非礼を繰り返している。横柄な中華思想に凝り固まる国だから、恥知らずの言動と行動は今に始まったことではないし、黙らせようとしても無駄だろう。彼らが声を大にすればするほど国際社会の冷笑を浴びるだけである。

 日本と中国は経済的に深く結び付き、日本側は中国の内需に依存するようになっている。緊張が続けば困る人は多いだろう。しかし、国の経済と尊厳のどちらが大切なのか--である。尊厳をなくした国が滅んでいったのは、幾多の歴史が証明している。

 船長を起訴し、公判で罪を明にすればいい。主権国家の当たり前のことを、当たり前に進めればいい。それ以上でも、それ以下でもない。中国との領有権問題を抱えるベトナムやマレーシアなど南シナ海の国々は、日本をじっと見ているのだ。

3連休の生石高原・・・秋風に吹かれて

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  高く、青い空に、秋本番の雲が漂っている。わが山小屋のすぐ近くに広がる生石高原では、赤みを帯びたススキの穂が、爽やかな風になびいている。秋の虫もにぎやかだ。

 いい天気に恵まれたこの3連休、高原は大勢の人でにぎわい、車が駐車場から道路にまではみ出るほどだった。無料のオートキャンプ場にも多くのテントが張られ、バーベキューのいい香りが漂ってくる。

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 女房と一緒に高原のピークである生石ケ峰(870メートル)を目指した。頂上までは駐車場から20分ほどで登れるので、散歩気分で歩ける。ヒールの高い靴で登る女性も少なくない。

 高原には、あちこちに大きな岩が露出しており、その一つ「笠石」にはお大師さんを祀る祠がある。私たちは、お大師さんにお参りするのがいつもの習慣である。私は「ナンマンダブ」のひと言だが、女房は百ほどお願いしているのか、長い時間手を合わせている。

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 ススキの草原には、可憐な黄色い花が咲いている。秋の七草のひとつ、オミナエシだ。万葉集には14首も詠まれているという。近年、この花を持ち帰る不届きな人が後を絶たないと、大草原保存会(NPO)のメンバーが憤慨していた。

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 ススキのトンネルをくぐるように歩くと、足元にフワフワした白い花があった。山小屋に帰って調べると、「ホソバノヤマハハコ」と呼ばれるらしい。ピンクの可愛いカワラナデシコは半月ほど前までよく見られたが、すっかりシーズンが終わったようだ。

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 山道の途中で振り返ると、紀伊水道の海が午後の日差しに光っていた。ここは私の釣りのホームグラウンドで、つい先日もボートを浮かべたばかりだ。石坂洋次郎の小説を映画化した「光る海」を思い出した。映画に出ていた小百合ちゃんは、その頃まだかわいい少女だったから、随分昔のことである。

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 山頂に着くと、子供3人を連れた若い夫婦が、高野山方面の山並みを眺めていた。お父さんに抱かれた子供は乳児のようである。風に吹かれながら家族がたたずむ風景は、ほのぼのとしていて映画のシーンのようだった。

 少子化の昨今、子だくさんの家族を見かけるのは本当に珍しい。山頂にいた家族を見てうれしくなった。これからの日本がどのような道を辿るか分からないが、この子供たちに「幸あれ」と願わずにいられなかった・・・。

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秋のアオリイカ2杯

  前回のブログで、女房の野菜作りを紹介したところ、たくさんの方々からコメントをいただいた。大阪の「亀丸」さんからは、次のようなコメントをいただいた。

 「ひまじんさんが海、川に魚介類の漁に行き、奥様が野菜を育てる・・・。すばらしいコンビネーションで自給自足が成り立っていますね」--。

 とても自給自足とはいかないが、それでも私が釣る魚はそこそこ家計を助けているのは確かだ。女房の野菜作りに負けないよう、さあ、私の釣りの番である。

 猛暑続きでボート釣りをする気にはならなかったが、暑さが一段落したので二か月半ぶりにボートを出すことにした。夜明け前に車を走らせ、由良湾に向かった。窓から吹き込む風は涼しいというより、少し冷たい。

 生きたアジを泳がせ、アオリイカを釣るのが今回の狙いだ。時期的にはまだ少し早いので釣れるかどうか分からないが、イカのご機嫌を伺おうという軽い気持ちである。

 由良湾は釣り物が少ないのか、漁船もボートも少ない。かなり沖合いの磯場にアンカーを入れ、アジを泳がせる。

 30分くらい経っただろうか、リールから糸が出て行った。イカがアジを捕らえたようだ。ヤエンという掛け針を糸に装着して海中に送っていく。この緊張感がたまらない。うまく掛ったようで、大量の墨を吐いた。タモに納まったイカは小型だが、やれやれである。

 しばらくすると、また当たりがあった。掛け針を入れたが、イカまで到達していなかったのかアジを離してしまった。すかさず、頭をかじられ死んだアジを同じ場所に投げ入れる。食欲旺盛のイカなら食いつくはずだ。案の定、沖に走った。今度はうまく掛り、先ほどのより少し大きいイカが釣れた。

 ここまでは順調だったが、次からは失敗続き。アジに食いついたイカがボートの真下に入ったため、ヤエンで掛けることが出来ないのだ。次も同じようになって失敗。その次は水面を泳いでいたアジにイカが乗り、潜ってくれないのでヤエンを入れても失敗は目に見えている。

 結局、5回当たりがあり、取り込んだのは2杯だけ。午前9時を回ると当たりが遠のいてしまった。退屈なので、死んで使えなくなったアジの切り身でガシラを狙う。20センチを超える良型が2匹、小型が2匹釣れた。

 北風が強くなり、白波が立ってきたので昼過ぎに引き上げた。釣果はイカ2杯にガシラ4匹。大漁という訳ではないが、美味しい秋イカも手に入ったし、これでいい。女房の野菜とともに、2、3日は食卓がにぎやかになる・・・。

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野菜作り・・・女房の情熱が実る

  天高く秋らしい雲が漂い、厳しい残暑も終わったようだ。女房が耕している畑では、秋の野菜が実り、後しばらくすると収穫の季節を迎える。作物は正直なもので、女房が畑に注いできた情熱と手間に応え、大きく育っている。

 朝の楽しみは、露に濡れたアスパラガスの新しい茎をちぎって食べることだ。まだ3年目だからそれほど太くはないが、十分おいしい。これを毎日食べると免疫力が付くような気がする。何の根拠もないが・・・。アイコという品種の小さなトマトも、毎日3、4個赤くなり、口に含むと爽やかな気分になる。

 チンゲン菜は半月もすれば食べごろだろう。アオリイカと一緒に炒め、中華風あんかけにして食べる。女房の大好物である。冷凍庫にはイカのストックがまだあるが、そろそろアオリイカ釣りにせっせと通わねばならない。

 サツマイモもイノシシに荒らされず、無事だ。イノシシはすぐそこまで来ているらしいが、フェンスでがっちり防御している。この畑を借りている別荘のご夫婦が孫を連れて来た時、芋掘りをさせてやろうと思っている。ジャガイモを掘らせた時も、孫たちは宝探しのように楽しそうにしていた。

 キャベツも白菜も葉を巻き始めている。大根、赤カブも順調で、おいしい漬物になる。今年初めて植えたゴーヤは10個ほど実を付けた。チャンプルにすると珍しさもあって、それなりにいけるものだ。モロッコは2日に一度くらい収穫でき、胡麻和え、天麩羅などどのように料理してもおいしい。

 山小屋に定住して3年が過ぎ、女房の野菜作りは試行錯誤の連続だった。最初の1年は平地の感覚で種を播き、苗を植えていた。2年目は長野県の気候にならった。どちらも失敗したので、3年目は北海道での栽培を参考にしたところうまくいった。ここ生石高原の気候は結構厳しいのだ。

 山桜の葉が色づき、落ち葉が風に吹かれて舞っている。来年の有機肥料を作るため、これから落ち葉集めが忙しくなる。生ゴミと米ぬかと混ぜて1年ほど寝かせておくのだが、この肥料を使えば輪作がきくそうだ。農業の基本は土づくり。余計なことだが、人づくりは正しい教育・・・。ヘ、ヘヘ。

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鮎の炊き込みご飯を作る

  有田川の鮎は終盤に入った。これまでは、釣れる鮎が小さく数も少なかったが、ここに来てそこそこ釣れるようになった。終盤と言っても、鮎はまだ落ちに入っている訳でなく、錆も婚姻色もない美しい姿をしている。有田川では10月いっぱいまで釣れるから、長く釣りが出来る川なのだ。

 この時期になると、川から釣り人の姿が次第に少なくなり、一抹の寂しさを感じる。この小さな魚には、釣り人を夢中にさせる魔性のようなものがある。私の知人は、鮎釣りに対する思い入れが強い分、シーズンが終わると虚脱感に襲われ、しばらく寝込んでしまうのだ。

 先日、名残りを惜しんで川に入った。昼前からよく掛るようになり、30匹ほど釣れた。たくさん釣れれば、女房はお茶っ葉でコトコト煮込む甘露煮をよく作ってくれたものが、最近は手間がかかる料理をしなくなった。そこで私が腕をまくり、炊き込みご飯を作ってみた。

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 まずは鮎を塩焼きにする。こんがりと焦げ目がつけばOKだ。ミリン、醤油で味付けしたお米の上に昆布と焼いた鮎を乗せる。炊き上がれば、鮎の身をほぐし軽く混ぜ合わせれれば出来上がり。

 ご飯には鮎のいい出汁が沁みわたっている。苦味のあるはらわたもそのまま入れているので、味は濃厚である。鮎とご飯だけの素朴な料理だが、淡白な鯛飯とは違って「天然鮎だ!」という自己主張のようなものを感じる。

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 実は、鮎釣りに行って珍しい石を拾った。河原に腰を下ろし、昼ご飯のおにぎりを食べている時、股ぐらの間に卵より少し大きい石が転がっていた。それはまん丸で、下が平になっているので座りがいい。まるで饅頭のような姿だ。ここまで丸くなるのにどれほどの年月がかかったのだろう。何百年、何千年かもしれない。

 石を持ち帰り、女房に「これ、お土産」と言って手渡した。女房はお餅か和菓子を連想したらしく、「美味しそうな石やねえ」と手の上で転がしている。

 奇跡のような石の造形を見ながら、人間もここまで丸くなればいいなあと思った。心が丸ければ、醜い争いも起きることはないだろう。人物の味とは、丸みの事だろうか。長く生きてきてまだ角がとれないわが身と石を重ね合わせ、ため息をついている・・・。

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世界遺産「天野」・・・人と自然の風景が美しい

  曲がりくねった山道を走り、いくつかの峠を越えると、一気にのどかな山里がひらけた。一面に、まばゆいばかりの稲穂が実っている。ここは、真言密教の聖地・高野山の麓に近い「天野」という土地である。

 白州正子は、自著「かくれ里」(講談社文芸文庫)の中で、「ずい分方々を旅したが、こんなに閑(のど)かで、うっとりするような山村を私は知らない」と書き、さらに「出来ることなら私は、天野に隠居したいと思っているくらいである」と述べている。

 私も女房もこの本を読み、「天野」に大きな興味を抱いていた。女房のたっての希望で、昨年に続いて再びこの地を訪れたのだ。路傍の石に腰かけ、四方を低い山に囲まれた山里の風景を見ているだけで、心が和んでくる。

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 ここには、由緒ある丹生都比売(にゅうつひめ)神社がある。朱色に塗られた鳥居をくぐり太鼓橋を渡ると立派な神殿が建っている。社務所のパンフレットに「神が仏を受け入れた最初の神社」というような事が書いてあった。

 つまり、弘法大師空海が高野山を開山するに当たり、この神社で許しを請うたとされているのだ。ここ天野は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」にもなっていて、いわば西の入り口と言ってもいいだろう。

 余談だが、西行の妻と娘は尼さんになって高野山から天野に移り住み、全国を行脚した本人も晩年、ここで暮らしたという伝説が残されている。千数百年の歴史を感じさせる静かな山里である。

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 女房は、神社のすぐそばにある畑で足をとめた。畑では、初老のお百姓さんがピーマンを収穫している。真っ赤なピーマンは出荷しないらしく、畝の間に捨てられているのだ。女房が言うには、この赤いのは栄養が詰まっているらしく、お百姓さんに断って両手いっぱいに拾ってきた。主婦というのはなかなか目ざとい。

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 このお百姓さんもそうだが、この地の人々からはそこはかとない温かみが伝わって来るのだ。白洲正子も「こんな美しい所に住んでいると、人の心もしぜん和やかになるのだろうか」と書いている。長い歴史を刻みながら、ゆったりと生きてきた山村の人と自然の風景は心に沁みる。

 残暑も一段落し、実りの秋を迎えている。天野の地でも間もなく稲刈りが始まるだろう。

暑苦しくて、ごめんなさい

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  新しく買い替えた薪ストーブの前で、広い窓越しに見える炎を見ながら、ぼんやりとした時間を過ごしている。残暑厳しい折り、これで三夜連続だから馬鹿げた話である。 

 刑事の隠語に「赤馬」というのがある。「赤馬を追っている」と言えば、放火犯の捜査をしているのだ。昔から、干支の午(うま)の日に放火が多く、「赤馬を走らすな」と言われてきたらしい。これが隠語になった由来だろう。

 私の先祖は、その赤馬ではないかと思えるほど火が好きなのだ。女房も同じである。真夏でも山小屋裏で焚き火をしながら、揺らめく炎を楽しんでいる。どうして炎は心を和やかにしてくれるのだろう。

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 火は原始の時代から生活の道具であり、人類のDNAに火への強い思いが刷り込まれているのだという人もいる。調べようがないのでその真偽は分からないが、そのように難しく考えることはないだろう。

 人が炎に惹かれるのは、理屈抜きに姿が美しいからだ。オレンジ、ピンク、赤、紫など様々な色彩が姿を変えて揺らめく。飽きることなく見続けているが、何か特別の事を考えている訳ではない。心に浮かぶのは他愛もない事柄ばかりで、しかも断片的だ。炎は、無駄な時間を過ごす贅沢を感じさせてくれるのだ。

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 新しくなった「ドブレ760CB」が見せてくれる炎の美しさは、古いストーブとは格段に違う。小さく割った杉の焚きつけで丸太に火を付け、30分ほどすると炉の全体に火が回る。やがて、不完全燃焼のガスが、炉の背後から送り出される空気に反応して二次燃焼が始まるのだ。

 この二次燃焼の炎は、薪から千切れて空中を舞っている。千切れては燃え、燃えては千切れる。その繰り返しはワルツを踊っているようにも見える。

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 昨夜、生石山に暮らしている仲間4人を招き、山小屋裏でバーベキューをした。夜の8時にもなると外は寒くなる。「山小屋の中へどうぞ」と誘った。密かにストーブに火を入れており、新しいストーブを自慢したいという子供じみた魂胆なのだ。仲間たちは「炎が素晴らしい!」と言ってくれた。焼き肉をご馳走になった返礼が半分、本音の感想が半分だろう・・・。

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ドブレ760CB・・・わが家族の一員になる

  今日は、新しい家族を迎える日である。午前10時前、男4人の乗ったワゴン車が山小屋前の道路に到着した。車の荷台に鎮座している新しい家族というのは、重さ210キロの鋳物の塊である。そう、新しく買い替えた薪ストーブで、はるばるベルギーから来た「ドブレ760CB」である。

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 男4人といっても、力士並みの重いストーブを急な階段の上にある山小屋まで担ぎ上げるのはきつい作業だ。そこで、天板などの部品を取り外し、本体をモノラックで運んだ。30分ほどで機材なども運び上げ、とりあえず一段落だ。

 ストーブを買ったのは大阪府河内長野市にシュールームを構える「憩暖」である。16年前、山小屋を建てた時に最初のストーブを設置したのも同じ会社だから、社長とは顔馴染である。この夏には、鳩山前総理の軽井沢の別荘に暖炉を取り付けるなど全国を飛び回っているそうだ。

 社長は開口一番、「いやー、涼しいですなあ。昨日は名古屋で工事したが、気温は36・5度だった。今ここの温度計を見たら24度。信じられませんね」と驚いていた。しかしその分、冬は猛烈に寒く、薪ストーブの世話にならなければたちまち凍死してしまう。

 古いストーブを運び出し、いよいよ「新しい家族」を居間のコーナーに取り付ける。高価な煙突はほぼ取り替えずに済み、費用の節約になったので有難い。よく働く従業員は、屋根に上がって煙突掃除までしてくれて、助かった。

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 女房の手料理で昼食をした後、火入れ式である。製鉄所の溶鉱炉に火を入れる儀式ほど厳かではないが、寒い冬を共にする家族の一員に命の火を吹き込むのだから、それなりに厳粛な気分になる。

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 炉内では順調に薪が燃え、幅50センチ、高さ30センチの超ワイドのガラス窓から炎の揺らめきがよく見える。ドブレを買った一番の動機は、「炎が楽しめる」であった。もちろん、大きさも同社最大のストーブであり、氷点下が続くここ生石山の冬をきっと暖かくしてくれるはずだ。

 薪ストーブは、鋳物を高温になじませるため、慣らし運転をしなければならない。200度くらいにして2時間ほど燃やす。これを4、5回続けてやっと本格使用できるのだ。まあ、うれしがって10回でも20回でも慣らし運転するだろう。

 多分、今日の夜には2度目の慣らし運転をするだろう。残暑が厳しいのにアホかと思われるだろうが、うれしくてしようがないのである。あいにく、シングルモルトのウイスキーを切らしている(これはウソ)。不本意ではあるが焼酎の水割りで我慢し、ちびりちびりやりながら、炎のひと時を楽しむとしよう・・・。

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     ↓  やっぱり、ストーブを焚いた。女房は熱い!とお小言である
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日本一の明石ダコがやって来た

  しまった、遅れをとった! もし私が戦国武士なら、戦場に遅れたその不名誉は孫の代まで語られるだろう。ま、そんな大袈裟な話ではないが、それにしても不覚であった。

 今日木曜日の昼前、薪の原木を軽トラから下ろしていると、クール宅急便のトラックが止まった。荷物を受け取ると、ずっしり重い。何だろう? 送り主の欄には、私のボートの師匠である大阪の「亀丸」さんの名前が書いてある。

 階段を駆け上がり、箱を開けるとタコが4杯も横たわっているではないか。1キロクラスの大物もいる。

 は、はーん、前の日、タコ釣りに行ったに違いない。彼の会社は水曜日が休みなので、その日は大抵釣りに行っているのを知っている。道理でタコは、水盤が手に吸いつくほど新鮮なのだ。

 彼が釣るのは、日本一と言われる「明石のタコ」なのだ。瀬戸内・明石海峡の速い潮に鍛えられた身は、どこのタコよりも締まっていて、抜群に美味しい。

 一昨年の春だった。大阪のボート専門店で船外機付きのゴムボートを買った。店主を相手に値引き交渉していると、店の椅子に腰かけていた30歳代と思われる男性が人懐っこい笑顔を浮かべていた。この人が亀丸さんで、これがきっかけで親しくなった。

 ボート釣りのCDを何枚も送ってくれたり、実地でボートの指導をしてもらったり、この老いぼれを親切にしてくれるのだ。しかし最近、亀丸さんはゴムボートを卒業し、クルーザーを乗り回すようになったのだ。一緒にボート釣りを楽しんだ仲間だから、少し寂しい・・・。

 クルーザーは彼が勤める会社の社長の持ち物で、自由に使っていいと言われているそうだ。しかも燃料は会社持ち。社長からかなり信頼されているのだろう。毎週のようにクルーザーをぶっ飛ばし、淡路島や明石方面でガシラ、太刀魚、タコなどを釣りまくっているのだ。

 最初に「不覚」と書いたのは、鮎がたくさん釣れれば是非亀丸さんに送ってやろうと思っていた矢先だったからである。先を越されて、こりゃ、いかんなあー。何が何でも明日は釣りに行って、鮎を送ろう。釣れなければ、切腹だなあ・・・。

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 亀丸さんが送ってくれた日本一の明石ダコ・・・。ブログをアップしたのは正午過ぎだったから、その夜、どのように料理したかを報告しておこう。

 一番大きなタコの三分の一をさっと茹で、刺身にした。たくさんもらって気持ちが大きくなり、大胆にぶつ切りにした。残りは7分間塩茹でして冷蔵庫へ。明日からタコ飯、刺身、酢のものとタコ三昧である。多分それでも食べ切れないので、一部を冷凍した。

 流石に日本一である。下手な文章で、あーだ、こーだと味についてごたくを並べるまでもないだろう・・・。

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突然、照明が点灯しました

  キツネにつままれた気分である。先日、階段を照らすセンサー付き照明器具を取り付け、夜を待って点灯しようとしたところ、まったく反応しなかった。ところがその翌日、突然点灯したのだ。何もしていないのに正常に働き出したのだから、ホント、訳が分からん・・・。

 この失敗談をブログで書いたところ、たちまち慰めや励ましのコメントをいただいた。山小屋仲間の電気工事に詳しいご夫婦からは「修理に行ってあげる」というご親切なコメントまでいただいた。それなのに、次の日に点灯したのだ。マッチポンプのようなことになって、汗顔の至りである。

 昨日の夕方、生石山に住む仲間たちと天麩羅パーティーをすることになっていたので、その日釣った鮎を持って参加した。3時間余りの楽しいひと時を過ごした後、山小屋に帰った。ダメだと思っていたが、試しに階段の上り口に設置した照明のセンサーに手をかざすと、まぶしい光が階段を照らし出したのだ。

 私も女房も絶句した。新しい照明器具を買おうとしていたのだから儲けものに違いないが、どうして点灯するようになったのか不思議でならない。きっとそうなった原因があるのだろうが、機械音痴だから見当がつかないのだ。

 ともかく、「転ばぬ先の杖」となる階段の照明はその役割を果たすことになった。しかし、ブログを訪問して下さる皆さんに、余計な心配をかけて慙愧の念にかられている。そこで、急ぎ顛末を報告した次第でございます・・・。

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