クリタケのグラタンを作る

  急に気温が下がり、このところ冬のような寒い日が続いている。そこへ台風の接近だ。今日29日、台風は私たちが暮らす紀伊半島の東海上を北上している。影響が心配だったが、森の木々が少し強く揺れる程度で、雨もたいしたことがない。

 山小屋の中で所在なげに小説を読んでいると、女房が「薪ストーブでグラタンを作ろうか?」と言う。昨日収穫したばかりのクリタケを入れれば、食味も増すだろう。フーフー言いながら、熱々のグラタンを食べるのは、やはり寒い季節がいい。

 そのクリタケだが、栽培に失敗したと諦めていたのに、うれしいことに発生したのだ。コナラと山桜の原木にクリタケの菌を打ち込んだのは、3年前の冬だった。普通、キノコは2回の夏を過ぎた秋に発生するものだが、このクリタケだけは昨年の秋、沈黙したままだった。

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 今年はキノコが豊作といい、条件が良かったのかもしれない。原木は11本あり、そのうち9本から発生し始めている。名前のように、栗のような色合いで、姿もどこか似ている。

 クリタケを入れたグラタンはあらかじめ調理しておき、最後にチーズとパン粉を振りかける。ストーブの熾き火の上にホーローの鉄板を置き、その上にグラタンの容器を乗せる。

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 しばらくすると、ぷくぷくと煮立ってきた。チーズが焦げると美味しいので、懐中電灯で炉の中を照らしながら様子を見守る。10分ほどでいい具合に焦げ目がついたので、さあ出来上がりだ。

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 クリタケはキノコ独特の風味があり、とても食感がいい。クリーミーなグラタンとの相性が良く、美味しかった。
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日本に背骨があるのか

  尖閣諸島の漁船衝突事件のビデオが国会に提出された。しかし政府は、国民への公開を渋っている。中国の顔色をお伺いするこの卑屈さ。日本には国家の背骨とも言える「原理」があるのかと問いたい。

 事件直後、日本政府は「法にのっとり、粛々と処理する」と言っていたのに、舌の根も乾かないうちに漁船船長を処分保留で釈放してしまった。「粛々」と事をあいまいにしただけである。

 日本政府の腰抜けを見透かすように、中国では今なお反日デモが相次いでいる。江沢民の反日教育を受けた若者たちが、訳も分からず「反日」を叫び、フラストレーションを晴らしているだけだ。もっとやれやれ! そのうち、自分たちのバカバカしさに気付くだろう。

 現政権はもちろんだが、日本はずっと以前から国家の原理を見失っていたと思う。戦後、何かの外交問題が生じた時、毅然と日本の姿を見せたことがあっただろうか。政治家たちが念仏のように唱える「国益」とは、揺るぎない国家の原理がその背後になければ、ただの空念仏に過ぎない。

 これは司馬遼太郎の本で知ったことだが、なかなか面白い話である。明治政府は日露戦争の仲裁を頼むため、イギリスとアメリカに密使を送った。イギリスに行ったケンブリッジ出の枢密院顧問官は、日本を宣伝するため「投資の対象になるいい国だ」と自慢したが、方々で冷笑を買ったらしい。

 一方、アメリカに送られた金子という人物はルーズベルト大統領と会った。アメリカは日露戦争に不介入の立場だったが、大統領は「君のためになりたいが、日本をどう宣伝したらいいのか。日本の原理を教えてくれ」と言ったらしい。

 そこで金子は新渡戸稲造の「武士道」を手渡すと、大統領は一晩でこれを読み、「日本人のことがよく分かった。アメリカ人に宣伝してみよう」と請け合った。要するに、国と国が向かい合う時、それぞれの国の原理がいかに大切かを言わんとしているのだと思う。

 司馬遼太郎は、日露戦争の頃までは日本にサムライの原理が働いていたと言っている。つまり日本の原理は、徳であり、義であり、恥は万死に値するという価値観を共有していた。幕末から明治にかけて日本にやって来た西洋人は、サムライ社会が持っていた原理に驚き、畏敬の念を持ったと言われる。

 原理を持たない国は見下される。それは世界の常識だろう。中国はまさに原理が働かない日本を見下しているのだ。その点、中国は確固とした原理をお持ちのようである。チベット、ウイグル、台湾、南シナ海の島々の例を上げるまでもなく、「他人の物は自分の物」というお考えである。

 「愛国無罪」もうるわしい原理だ。国を愛する行為なら少々無茶をしても赦す。特に、反日の名がつけば、暴動を煽ってさえいる。だから無知な若者は図に乗り、日本大使館に石を投げ、日本商店のガラスを割って英雄面しているのだ。もちろん中国のこれらは品格も糞もないが・・・。

 まあ、日本も偉そうに言えない。「中国無罪」なのだ。明らかな中国漁船の犯罪も、相手が中国だから処分保留で無罪放免である。しかも、ビデオの公開をビビっている。こんな嘆かわしい国に誇りが持てるだろうか。かつての日本は、節度を重んじた。しかし、義に反するなら命を惜しまなかった。

 司馬遼太郎は40年前にこう言っている。「本当のところ、中国は日本を恐れているのだ。日本が過去のように破れかぶれになって倭寇になるのを知っているのだ」と・・・。古い昔の倭寇を持ち出すことはないが、しかし、日本は品格の裏側に見え隠れするある種の不気味さを持っていることは重要なことだと思うが、どうだろう。

 

クマさん出ないでよ~ 白馬山を歩く

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  私たち夫婦は、毎日のように生石高原の主峰・生石ケ峰(870m)に登っている。「登る」と言うのは大袈裟で、散歩気分で行けるなだらかな山である。山小屋から1時間ほどで往復できるので、適度な運動になる。

 頂上に立つと、360度のパノラマが開ける。東には高野山、護摩壇山、その向こうに大峰の山々が連なっている。その反対側に目を向けると、紀伊水道や紀淡海峡の島々が見え、遠くに四国の山並みも見渡せる。

 南側には、白馬(しらま)山脈が横たわっている。ひと際高く盛り上がっているのが「白馬山」(957m)だ。生石を歩く度、一度この山に登りたいと思っていたのだが、先日の朝、天気がいいので急に思い立ち、出かけることにした。

 麓までは車で4、50分ほどで、そこから林道を上って行く。途中でニホンカモシカが道を横切り、ぶつかりそうになった。8合目あたりの林道に車を止め、頂上を目指した。歩き始めてすぐ、木を伐採している人に会い、「クマが出るので気を付けて」と注意された。

 そう言えば、各地でクマが出没し、被害が相次いでいる。クマに遭遇したら逃げてはいけない。背中を見せず後ずさりする。大きな木と一体になる・・・など新聞に書かれていた教訓を反すうしてみた。女房は「クマさん、出ないでよ~」と大声を上げながら先を歩く。私も「チリン、チリン」と鈴の真似をして登った。

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 山の紅葉はまだ半ばだったが、気持ちのいい登山道だった。北側の斜面は自然林で、赤い木肌のヒメシャラ、トウヒ、カエデなどの巨木が天を突いていた。高度が上がるにつれて次第にブナが多くなった。道にはブナの枯れ葉がたくさん落ちており、クッションのようになって足に優しい。

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 小一時間で山頂に着いた。私たちが暮らしている生石山を見渡せるだろうと期待していたが、四方が木立に遮られていて残念だった。もう昼時になっていたので、女房が作ってくれた弁当を食べた。前夜の残り物だが、自然の中で食べればどんなご馳走より美味しい。

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 同じ道を下ったが、登山者を見かけることはなかった。登山口の近くで、林業会社の人が白馬山に向かって太いロープを張る作業をしていた。伐採した木を吊り下げて運ぶ全長600mほどのロープだそうだ。太くて重いロープをどのように渡すか不思議でならなかった。

 作業の邪魔になったが、根掘り葉掘り聞いてみた。まず、細いロープを鉄砲で撃って向こうの基点に届けさせる。そこに滑車を取り付け、細いロープをたぐりながら段々と太いロープに繋ぎ換えていくのだそうだ。この説明では良く分からないと思うが、要するにそういうことだ・・・。

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 ここは、まさに日本林業の最前線だ。伐採から運搬まで相当きつい作業だと想像がつく。林業の後継者が少ないうえ、国産材は安い外国材に押されて苦境に立っている。出来る限り国産材を使うようになればと、切実に思う。

 林業が盛んになれば森の再生になり、日本の美しい風景の復活にもつながる。白馬で出会った林業の最前線で働く若者に「頑張ってね」とエールを送りたくなった。

古い薪ストーブが蘇る

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  この夏、16年使い続けていた薪ストーブのメンテをしていて、本体と煙突をつなぐ部分に大きな亀裂があるのを見つけた。去年まで亀裂はまだ小さく、耐熱セメントで埋め、何とかしのいできた。それが一気に裂けてしまったのだ。

 この亀裂を溶接して延命させても、そう何年も使えるとは思えない。そして内心、これを機会にもっと暖かいストーブに買い替えたいという思いが強まって行った。私たちが暮らす生石山は、真冬になると氷点下10度近くになることも珍しくなく、壊れたストーブはパワー不足だった。

 そこで、ベルギー製の「ドブレ760CB」という大型ストーブに買い替えた。古いストーブは、親しくしている農器具店のKさんにもらってもらうことにした。Kさんは日頃から「薪ストーブはいいなあ」と言っていたので、このような人に引き取ってもらえば私としてもうれしい。

 Kさん本人の手で修理したストーブは、まるで新品のようになった。亀裂は煙突を一周するように1センチほどの穴が開いていたが、膨張率が違う鋳物と鉄を見事に溶接していた。本体には専用のワックスが塗られている。男らしくないが、少し後悔するほどの修復ぶりで、女房からは「どうして買い替えたの?」と詰問されそうである。

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 先日、ストーブの火入れ式をするという連絡を受け、生石山の中腹にあるKさんの家に行った。ストーブは居間にデンと置かれている。火を付けると、私たちを暖め続けてくれた美しい炎が蘇った。瀕死の患者が息を吹き返したように思え、うれしかった。

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 見事に復活したストーブを見ながら、自分のふがいなさを思った。40年ほど働いてきて、私に残ったのは一体何だったのだろう。多少の専門知識はあるが、そんなものは日常の暮らしに何ほどの役にも立たない。

 チェンソーや草刈り機のエンジンがかからなくなっても修理できない。簡単な大工仕事は失敗の繰り返しだ。水道のホースをつなぐ簡単な作業にも苦労する。女房からは馬鹿にされ、「私に任せなさい」と言われる始末である。

 それに比べてKさんはどうだろう。農機具を専門に扱う職業だから機械を修理するのはお手の物とはいえ、技術の応用がきくので、何だって出来るのだ。溶接はもちろん、ストーブの煙突も上手に取り付けた。以前、油圧式の薪割り機を手作りし、全国紙で紹介されたこともある。

 この生石山に暮らす仲間の中にも、色々と技術を持った人が多い。夫婦でログハウスを建て、今はゲストハウスの別棟に挑んでいる人。チェンソーなど機械の修理にめっぽう強いピーター。水道工事が出来る人もいる。

 手に職を持っている人が羨ましい。私たちのように山奥で暮らしていると、少々の事なら自力で解決しなければならない事も少なくない。それなのに、人のお世話になりっぱなしである。情けない・・・。

中国は後出しジャンケンの達人

  多分、中国の辞書には「恥」という言葉がないのだろう。相手が「グー」を出した後に「パー」を出す。ジャンケンの後出しは、最も卑怯なのだ。尖閣諸島の海域に豊富な海底資源が眠っている事が分かると、「ここは中国領土だ」と言い張る厚顔無恥。世界はそんな中国に唾を吐き、軽蔑している。

 中国船長逮捕の報復でフジタ社員を拘束し、反日デモをあおり、レアアースの輸出を渋る・・・。そんな馬鹿げた中国をあげつらうのは時間の無駄である。問題は日本政府の対応だ。「弱腰」と指摘された仙石官房長官は「柳腰」などという意味不明の言辞で煙に巻く。尖閣問題に対する日本政府の覚悟と胆力がまったく伝わって来ない。

 1982年のフォークランド紛争。これは明らかに「戦争」なのだが、なぜか日本では「紛争」と表記している。イギリスにとってさして価値ある島ではなかったが、アルゼンチン軍が島に上陸すると、鉄の女マーガレット・サッチャー首相は「武力によって解決する」と宣言して軍を出動させた。

 イギリス軍は、多くの犠牲者を出しながらも、圧倒的な軍事力で島を奪還した。だからと言って、日本が自衛隊を出して尖閣諸島を守れと言うのではない。情けない話、日本が独自で中国と一戦を交えて尖閣を防衛出来るかどうか分からないし、日米同盟も機能するかどうかも怪しいのだ。

 まあ、そんな物騒なことにならない方が良いが、ともかくサッチャーは国益のためなら強硬策も辞さないという毅然とした姿勢を示した。そもそも国家は、国民の生命と財産を守るためにあり、政府はいざという時にその姿勢を示さなければならないのだ。今、日本人が苛立ち、危うさを感じているのは、現政権の中国に対するふがいなさである。

 ところでアメリカの中間選挙を前に、前回大統領選で共和党の副大統領候補だったサラ・ペイリン前アラスカ州知事が大活躍しているそうだ。女房が、彼女と同じ日本人デザイナーの眼鏡をかけているからという理由ではなく、私はペイリンの美貌と胸のすくような言動、政治姿勢が好きである。

 彼女は共和党候補の集会でこう呼びかけた。「中間選挙はオバマの誤った政策を非難し、排斥し、破棄することだ。次の大統領選では国民の開拓精神を取り戻す」。そして別の会場では、余りの超保守姿勢を危ぶむ共和党指導部に対し「ぐずぐず言ううな!」と一喝したらしい。

 政治家は思想家でも哲学者でもない。直面する事態と将来に対し、どのような言葉と姿勢で国民に語りかけることが出来るか。その能力が問われているのだと思う。今の日本の政治家に、サッチャーのような強い意志、ペイリンのような歯切れ良い言葉を持つ人物がいるだろうか。

 尖閣事件で右往左往するばかりの菅総理は、足のない幽霊のようで、軸足が見えない。自民党の谷垣さんは勇ましいところを見せようとすればするほど、言葉の持つ響きが悲劇的である。サッチャー、ペイリンと同じ女性でも、民主党の蓮舫さんは、議事堂でファッションショーをするくらいだから軽過ぎる。

 日本には、聖徳太子のような知的で、ふてぶてしい政治家が必要なのだ。聖徳太子は「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや・・・」という書簡を遣隋使に持たせた。隋の皇帝は、周辺諸国を侮り、朝貢を求めて威張り散らしていたから、両国を対等とみなす書簡を「蛮夷の書」と言って怒り狂った。

 現代中国もそうだが、伝統的に天下のすべての国は皇帝の領土という考え方なのだ。聖徳太子の偉いところは、こうした当時の力関係を知っていながら知らない振りをしていたことである。聖徳太子は威張る隋に堂々と対等の書簡を送りつけ、泰然自若としていたことだ。

 このふてぶてしさが、今の日本の政治家に必要だろう。尖閣事件に苦慮し、あたふたする日本政府の態度は見るに堪えない。中国4000年の歴史を見れば分かるではないか。相手が背中を見せれば切る。引けば押してくる。あなたの物は私の物、私の物は私の物。そういう国なのだ・・・。

紅葉の大台ケ原を歩いた

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  近畿の屋根とも言われる奈良県の「大台ケ原」を歩いた。その前夜のテレビで、「明日は絶好の秋日和」と伝えていたので、急に思い立って出かけることにした。私は10年ほど前、大台ケ原から三重県側の大杉谷を下る1泊の山歩きをしたことがあるが、女房は初めてだ。

 第二の人生を歩む私たち夫婦は「毎日が日曜日」だから、天候を選んで出かけられる。うれしい特権である。朝6時、生石山を下って奈良に向かったが、明け始めた空は晴れ渡り、天気予報通りの好天になりそうだ。途中でお弁当の奈良特産「柿の葉寿司」を買ってリュックに詰めた。

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 かつて有料だった大台ケ原への山道は無料になっているから有難い。高度を上げるごとに紅葉の度合いが深まっていく。9時半ごろ、現地に到着した。標高が1600mほどあるので、結構寒い。

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 ビジターセンターで調べると、大台を回るには四つのコースがあった。その中で最も長いコースを歩く「東大台ケ原・完全クリアコース」に踏み入った。全長8・4キロ、所要時間は4時間。

 まずは日出ケ岳(標高1694m)をめざす。山頂に立つと、前方に熊野灘、後方には大峰の山並みが見えた。整備された道を歩きながら正木ケ原へ。トウヒの立ち枯れが林立する大台ケ原特有の風景だ。

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 手つかずの原生林がこのように無残な姿になったのは、50年前に大台を直撃した伊勢湾台風が原因だそうだ。台風で多くの木が倒れ、苔むしていた山は乾燥してミヤコザサが生い茂るようになった。すると、ササが好物の鹿が増え始め、木の葉や樹皮を食い荒らし、また木が立ち枯れるという繰り返しになっている。

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 険しい山道を登り降りし、絶景ポイントの「大蛇」に着いた。断崖に向かって滑り台のように岩が張り出しており、この上に立って谷底を眺めるのだ。鎖で囲っているので落ちる事はないが、女房は足がすくんで岩の上に立つことが出来ない。私はトカゲのように這いつくばって匍匐前進、やっとの思いで写真を撮った。

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 後半のコースは、シャクナゲに囲まれた道を下るのだが、かなりきつかった。吊り橋の上から美しい渓流を見ながらひと息ついたものの、ここからの上り坂は息が切れ、心臓が破裂しそうになった。

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 快晴の下で存分に大自然の紅葉を楽しみ、帰路についた。途中のダム湖のほとりに「入之波(しおのは)温泉」があり、大台帰りに立ち寄るのが定番である。私たちも湯につかり、汗を流した。湯は黄色で、いかにも効能がありそうだ。

 効能書きの一つに「婦人病(ヒステリー)によく効く」とあり、思わず笑ってしまった。他意はなかったが、女房に「この湯はヒステリーにいいらしいねえ」と教えてやると、「それがどうしたの?」と横を向いていた・・・。

秋深まり、キノコを楽しむ

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  秋が深まってきた。ここ生石山の朝の気温は10度。室内でもセーターをはおらないと寒く、買い替えたばかりの薪ストーブが大活躍している。山桜やウリハダカエデの紅葉も始まり、枯れ葉が路上を舞ってかさかさと音を立てている。

 今年は松茸が豊作だという。他のキノコ類も同じらしい。まあ、松茸が多少安くなっても、わが家ではまだまだ高根の花である。国産の松茸を最後に食べたのは、いつの事だったか・・・。食べたいのは山々だけど、安い中国産は思うところががあって買わない事にしている。 

 松茸の豊作と聞いて、雷を思い起こした。「雷が落ちた場所では、翌年、松茸がたくさん出てくる」--。父親が教えてくれたのか、他の人から聞いたのか忘れたが、少年のころの話なので、どうして豊作になるか疑問を持つことはなかった。迷信くらいにしか思っていなかったのだろう。

 そこで一度調べてみると、洋の東西を問わず、そういうことが言われているそうだ。ギリシャ時代にも同じことが書かれているというから驚きである。落雷によるショックでキノコの防衛本能が働き、子孫の増殖本能が活発になるという。日本の栽培農家では電気ショックを与えて増産に成功しているとか。

 わが山小屋裏の杉林では、100本以上のホダ木を並べ、5種類のキノコを栽培しているが、なるほどナメコは例年になく豊作だ。ヒラタケは少し出始めたが、本格化するまでにはもう少し時間がかかりそうだ。クリタケは発生の気配がなく、どうしたのだろう。シイタケは11月に入れば、たくさん収穫できるはずだ。

 ナメコは、次から次へと一斉に出てくる。発生の期間も短く、採らないでいると腐ってくるので毎朝収穫しなければならない。ナメコ汁、大根おろし、鍋、バター炒めにして食べている。スーパーで売られているものとは違い、新鮮でプリプリしていて、食感が何とも言えない。山の仲間にも配り、食べてもらっている。

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    ↓ ヒラタケも少し出てきた
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ヤマガラと熱いキス

  ひと月ほど前から、山小屋のウッドデッキに置いている餌台にヤマガラが次々とやって来るようになった。餌として与えているのはヒマワリの種で、ひとつかみほどの種はあっという間になくなってしまう。

 種を食べるのはほんのわずかで、ほとんどはどこかへ隠しているようだ。ヤマガラは冬に備えて餌を隠す習性があるらしく、秋の深まりとともに餌の保存活動が活発になっているのだろう。ただし、隠した場所を忘れてしまう頓馬なところもあると聞く。まあ、人間もヘソクリの隠し場所を忘れ、あとからゴミ捨て場からごっそり出てくることがあるので、ヤマガラを笑えない。

 朝起きて居間の椅子に腰を下ろすと、ヤマガラは人影を目ざとく見つけ、ガラスのドア越しにホバーリングを繰り返し、餌を催促するのだ。すっかり家族の一員のようになり、可愛くてしようがない。

 外に出て、お茶を飲んだり畑仕事をしていると、これまた近くを飛び回ったり、肩に止まったりする。だから私も女房も、ズボンのポケットにヒマワリの種を入れておき、手の平に乗せて与えている。

 女房は「ヤマガラとキス出来るかなあ」と言う。口に種をくわえ、これをヤマガラに取らせようという訳だ。つまりはキスをする形になる。さてどうだろう。ウッドデッキに出て試してみた。女房が種を口にくわえ、私が写真を撮る。さて、キスは実現できるだろうか・・・。

 口笛を吹いてヤマガラを呼ぶと、すぐにやって来てテレビのアンテナに止まっている。そのうちの1羽が女房の前でホバーリングし、餌を取ろうとする。そして、ついに熱い口づけである。大成功だ。これなら大道芸で銭が稼げるかも。

 以下は下手糞な連続写真である。アホなことをして遊んでおります・・・。

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イノシシが出没・・・あわててサツマイモ収穫

  イノシシがしきりに徘徊している。わが山小屋から200mほど離れた場所に畑を借りているが、畑から10mと離れていない道路脇が掘り返されたのだ。この畑では、イノシシの好物であるサツマイモを栽培している。畑をフェンスで囲ってはいるものの、相手は怪力なので破られるかもしれない。

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 畑を貸してくれているご夫婦のお孫さんに芋掘りをさせてやろうと思っていたが、猶予ならない事態になってきた。収穫するには少し早いように思ったが、仕方なく掘ってみた。

 土の中から出てくるサツマイモは小さく、手塩にかけて栽培してきた女房は情けない顔をしている。大きいイモもあるが、ほとんどは竹輪ほどの太さである。もう少し待って掘れば大きくなるのだろうが、イノシシに食べられては元も子もない。

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 それにしても、今年はイノシシの徘徊が大胆だ。稲をはじめ、植物の根や茎、球根なども好物らしいが、道路脇を掘り返すのはミミズを探しているのだろう。猛暑の影響か、ドングリや栗などの実りが少なく、食糧不足になっているのかもしれない。イノシシも猛暑の被害者なのか・・・。

 ところでイノシシは、シイタケなどキノコ類を食べるのだろうか。実は今年の春、一晩留守にしている間に、ホダ木のシイタケ4、50個が消えてしまっていた。昨年に続き、二度目の被害だ。誰か人が盗んだのか、それともイノシシ、あるいはウサギ、リスなどに食べられたのだろうか。

 肉厚のいいシイタケばかりを残しておいたのだが、一つ残らずきれいに取られていたのだ。人を疑う訳ではないが、人の手で取ったようにも思える。しかし、キノコを栽培している山小屋裏の杉林に人が入って来るとも思えないし・・・。

 キノコの季節になり、疑心暗鬼になってしまう。今、シイタケとヒラタケが少し出始めた。人を疑い、動物たちを警戒する森の生活もそう楽ではない・・・。

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鮎の朴葉焼き、焼き栗・・・

  朴葉味噌焼きは、飛騨地方の郷土料理だ。飛騨には何回も行ったことはあるが、まだ食べたことがない。先日、北陸を旅行した時に立ち寄った五箇山の道の駅で、朴葉味噌焼きのセットが売られていたので買って帰った。

 飛騨牛の朴葉焼きは有名だが、そのような高級品は手に入らないし、もったいなくて買う気も起きない。ネットで調べると、キノコの朴葉焼きは美味しいらしい。キノコならシイタケ、ヒラタケ、クリタケ、ナメコ、タモギダケの5種類を栽培しており、しばらくするとたくさん収穫できるはずだ。

 それまでは待てないので、釣りたての鮎を焼いてみることにした。囲炉裏の炭が熾る間に、乾燥朴葉を水につけて湿らせ、鮎は軽く焼いておく。

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 朴葉の上に敷いた味噌がぐつぐつと煮立ってきたので鮎を乗せた。しばらくすると味噌の香ばしい匂いがしてきた。そろそろ食べごろだろう。箸をつけてみた。味噌の甘さと、鮎のうま味がマッチしている。

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 しかし、飛び切り美味しいかといえば、そうでもない。と言うより、何も新鮮な鮎を朴葉焼きにすることはないと思う。やはり鮎は一に塩焼き、二に塩焼き、三、四がなくて、五に天麩羅だろう。でもまあ、何事につけ試してみることはいいことだ。

 昨日、生石高原の「山の家」をのぞくと、地元で採れた栗が売ってあった。毎年やっていることだが、薪ストーブの熾き火で焼き栗にしてみた。栗が破裂しないようあらかじめ穴を開けておき、ホーローの鉄板の上に乗せて焼くこと10分。

 こんがり焼けた栗は、甘くておいしい。茹で栗よりは甘味が強いのだ。200度くらいに熱せられ、遠赤外線を放つ薪ストーブならではの美味しさではないだろうか。石焼き芋と同じ効果があると思うが、どうだろう。

 この焼き栗は私たち夫婦の大好物だ。秋の夜長、黙々とむさぼり食べる。私が3個食べている間に、女房は10個くらいを食べてしまう。やがて、食べ過ぎた女房の周辺から妙な音が聞こえることもある。「プッ!」。 ああ、こらえて頂戴よ・・・。

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気合いだ! 2日連続のアオリイカ釣り

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  「旅行から帰ったばかりなのに、今度は釣りですか」・・・。女房は、釣りの準備をしている私を見てあきれている。釣りに行く気力があるうちは、それなりに健康ということだろう。有難いことである。

 パソコンで天気予報をチェックすると、5日、6日はともにいい天気で、紀伊半島沿岸の波の高さは1mと申し分ない。いよいよアオリイカの本格シーズンなので、、この好天を逃してはならない。5日朝、まなじりを決して由良湾に向かった。

 今年に入ってなぜかアジが不漁で、イカ釣りの餌となる生きアジは餌店になかった。仕方なく、少し遠回りだが阿尾という漁港まで買いに走った。

 由良湾の小さな漁港からボートを出したが、天気予報通り海は穏やかだった。沖の岩礁地帯にあるマイポイントまでフルスピードで走った。そう書くとカッコがいいが、船外機はわずか2馬力のエンジンだから、本当のところは亀の足である。

 さて、釣りの開始だ。生きたアジを泳がせる。30分ほどすると、リールから「ジーッ、ジーッ」という音を立て糸が出て行く。イカがアジに食いついたのだ。ヤエンと呼ぶ掛け針を入れると、うまく掛った。胴長20センチほどのこの時期のレギュラーサイズである。

 その後2杯釣れたが、いずれも胴長15センチほどの小さなサイズだ。昼前から風が強くなると、当たりが遠のいてしまった。風はますます強くなり、糸が風に吹き飛ばされ、泳がせているアジが浮いてしまう。これでは釣りにならないので、一旦漁港に引き返した。

 色々と世話になっている漁師と世間話をしながら風が弱くなるのを待った。漁師は「今朝釣った太刀魚があるので持って帰るか?」と言って5匹もくれた。今夜は太刀魚の刺身とフライで一杯やろう。飲み助は、日頃から晩酌の肴のことばかり考えているいやしい人種である。

 午後2時半ごろ風が弱まり、元のポイントに引き返した。釣り始めるといきなり当たりがあり、1時間余りで4杯釣れた。これで計7杯になったので引き返すことにした。ボートを漁師の漁船に繋いでおいて翌日も釣りをしよう。「気合いだ! 気合いだ!」・・・。女子レスリングのお父さんのように雄たけびを上げ、ひとまず帰宅した。

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 2日目も海は穏やかだ。昨日と同じポイントで竿を出す。しばらくすると当たりがあった。ヤエンを入れて合わせを入れると、ヤエンが海中に張り出している岩礁に引っ掛かってしまった。のっけからの失敗だ。

 しかし、気落ちしている暇はない。生きのいいアジに付け替えたり、誘いをかけたりしながら当たりを待った。すると、アオリイカの活性が高まったのか、当たりが出始めた。以後はノーミスで5杯釣れた。この日は、胴長20センチを超すいいサイズがこの浜に回遊しているようだ。

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 昨日と同じように、午前11時ごろからまたも強風が吹き出した。2日目ともなると、気力も少し萎えてきたので帰港することにした。少し後ろ髪を引かれるようだったが・・・。

 実は、墨にまみれながらイカをさばくのは女房の役目だ。一切水を使わないのが美味しく食べるコツである。胴体、エンペラ、ゲソの部位に分けて冷凍する。こうして次第に冷凍庫が豊かになって行くのは、大きな喜びである。

旅の最終日・・・・秘湯にふさわしい「親谷の湯」

  女心と秋の空・・・。 この季節の天気は移り気で、二日連続の晴天も終わり、旅の三日目は朝からしとしとと雨が降っている。前夜は高岡市に泊まり、富山湾の魚介類を食べながら英気を養った。夫婦とも体調はいいので、旅は一層楽しい。

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 この日は、白山スーパー林道を目指す。その入口となっているのは合掌集落の白川郷だが、高速に乗るより庄川沿いの国道を走った方が安上がりだし、何よりも山深い土地の息遣いを感じることが出来るので、楽しいドライブになるはずだ。

 砺波市の田園地帯を走ると、大木に囲まれた豪壮な民家が点在していた。中世末から近世にかけ、広大な土地を開拓した人たちが農地の中心に家を建て、これが「散居村」として今に残っているのだそうだ。これほど見事な民家群を見るのは初めだ。

 しばらくすると、八乙女ダムが見えてきた。湖面に美しい霧が湧き立っており、思わず車を止めた。道はすいており、次々と現れる美しい山里の風景を眺めながら、二つの合掌集落がある五箇山に着いた。合掌集落は白川郷よりも素朴な感じがする。

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 加賀藩のために火薬の原料を作っていた重文指定「村上家住宅」を見学した。これも合掌作りで、豪雪に耐えた400年の歴史が柱や床板に刻まれていた。

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 村上家の前の橋を渡ると加賀藩の「流刑小屋」があるというので行ってみた。食事を差し入れる小さな穴を覗くと、裃を着て威儀を正す武士が座っていて、ドキッとした。もちろん人形だが・・・。ここに投獄された流刑人は、藩の体制から弾き飛ばされた正義感のある武士たちだったのではないか。そんな勝手な思いにとらわれた。

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 白川郷には来たことがあるので、ここをパスしてスーパー林道に入った。片道3150円は結構な値段だが、決して高くはないことが後で分かった。時々雨がぱらつく道をしばらく走ると、落差86mの「ふくべの大滝」が豪快に流れ落ちていた。ただ、雲がかかって白山連峰の全容を見ることが出来なかったのは残念だった。

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 しかし、次には至福の時間を過ごすことになるのだ。「姥ケ滝」の駐車場に車を止めると、谷川沿いに半時間ほど歩くと、「親谷の湯」があると書いてある。今にも雨が降り出しそうだったが、行ってみることにした。ただし、この湯は混浴である。

 ブナの原生林を抜け、美しい渓谷をどんどんさかのぼる。すると、いきなり幾条もの白い滝が現れた。そして、その前に露天風呂がある。簡単な脱衣場があり、さっそく湯に入った。もちろん源泉掛け流しである。少し熱めだが、いい湯である。

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 目の前に流れ落ちる「姥ケ滝」は、落差76m、幅100m。老婆が白髪を振り乱しているように見えるので、その名がついたと言う。ダイナミックな滝を見ながら露天風呂に浸るこの贅沢は、何と表現していいのだろう。入浴料はタダなので、スーパー林道の通行料金は安いものである。

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 若い男性二人が来ていたが、湯にも入らず間もなく帰って行った。女房に「雨なので誰も来ないよ。お前も入れや」と言うと、モジモジしている。いい年をして恥じらいもへったくれもなかろうに・・・。やっと決心がついたのか、ヌードになった。別に女房の裸を見たくはないけれど、露天風呂に入らず帰るのはもったいないではないか。

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 二人でゆっくり湯を楽しんでいると、若いアベックがやって来た。女房はすでに開き直っており、「あんたらも入ったら?」とけしかけている。アベックは私たちのそばで足湯を始めたが、これがまたゆっくりしている。私たちは出るに出れず、湯当たりしそうになった。

      ↓ 頭にタオルを乗せ、湯上り気分でブナ林を歩く女房
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 私たちは温泉巡りが趣味だが、これほど絶景の露天風呂を知らない。テレビの番組を見ていると、やたら秘湯という言葉が氾濫している。しかし、これぞ本物の秘湯だろう。スーパー林道を経て福井県の大野城、朝倉氏の一乗谷に立ち寄って帰途に着いたが、この湯を楽しめただけでも来た甲斐があった。

旅の二日目・・・黒部峡谷の祖母谷温泉

  立山連峰の山岳パノラマを楽しみ、その感動の余韻に浸りながら宇奈月温泉に向かった。温泉で山歩きの疲れを取った後、温泉街の割烹料理店で地酒をチビチビやった。ここの女将は山好きで、話がはずむうちにかなり酔いが回った。

 さて、旅行2日目。有難いことに今日も晴天だ。トロッコ列車に乗り込み、終点の「欅平」に向かう。小学生の遠足のような気分になり、「ヤッホー」などと馬鹿をしてみたくなった。

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 黒部峡谷に沿って走るトロッコ列車は、高所恐怖症の私にとって逃げ出したくなる断崖の連続だ。足元から垂直に切り立っており、50mほど下を流れる薄緑色の黒部川をじっくり眺める勇気はない。このような深い峡谷を見るのは初めてだ。目もくらむような峡谷だが、目の前に迫る山の高さが凄い。

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 1時間20分トロッコに揺られ、やっと黒部の中心「檜平」に到着した。さあどこへ行くか・・・。「S字峡」という絶景を見たいが、往復半日ほどかかりそうな距離である。1時間ほどで行ける「祖母谷(ばばだに)温泉」に向かうことにした。

      ↓ 「檜平」から見る峡谷
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 左手に峡谷を見ながら歩くのだが、落石の危険があるので道中にヘルメットが置いてある。物騒な道を進み、長いトンネルを出ると、前方に祖母谷温泉が見えた。まさに秘湯のたたずまいだ。その背後に白馬、杓子に連なる峰が突き立っていた。

     ↓ このような渓谷を見ながら祖母谷温泉を目指す
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 さっそく露天風呂に入った。トロッコから多くの人が降りたのに、客は私たち夫婦だけだ。他人の目をはばかることもなく、秘湯を独占できる贅沢を存分に味わった。お湯は透明でほのかに硫黄の香りがする。露天風呂は谷底にあるので、四方から山々が迫っており、これぞ秘湯と呼ぶにふさわしい。

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      ↓ 露天風呂から秘境の雰囲気が・・・汚い足で失礼!
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 泉源にも行ってみた。河原のあちこちに湯煙が上がっており、火傷するほどの湯がこんこんと湧き出ていた。檜平から歩いて10分ほどの所に「名剣温泉」があるが、ここから温泉を引いているのだそうだ。

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 檜平に引き返し、まだ少し時間があったので、特別天然記念物になっている「猿飛峡」に足を伸ばした。渓流はなるほど見事だが、釣り好きの私は岩魚の姿が見られるかもしれないと、しきりに川底に目を凝らし続けた。

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 この日も好天に恵まれ、秘湯を独占するなどいい旅になった。明日は白山スーパー林道を走る・・・。

 

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