高価なサプリより、セロリのジュース

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  山小屋裏の畑で、女房はたくさんセロリを栽培している。高地なので、野菜は里の平地より育ちが悪いが、なぜかセロリはすくすく育つ。毎年、セロリの種を採って栽培しているのがいいのか、ここの気候が合っているのか・・・。

 私たち夫婦は、毎朝欠かさずセロリのジュースを飲んでいる。セロリは茎より葉っぱの方が栄養価が高く、ジュースは葉っぱをたっぷり使う。牛乳にバナナやリンゴなどを加えているので、甘くて美味しい。

 このジュースが健康維持に役立っているのだと信じている。ビタミンや食物繊維などが多いし、採りたての新鮮さだから、一気に飲み干すと生命が躍動するように感じる。それに、精神を落ち着かせる沈静効果があるらしい。小言の多い女房には私の二倍も三倍も飲ませたい。

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 このセロリジュースのような青汁を始め、蜂蜜やコラーゲンなど健康食品、サプリメントの広告がテレビや新聞に氾濫している。これはもう狂騒の様相だ。広告をやめると、ぴたりと販売が止まるというから、販売元は広告を続けるしかないのだろう。

 長引く不況でテレビ、新聞、雑誌などは広告収入が激減し、経営が悪化していると聞く。健康食品やサプリメントの広告費で食いつないでいるのが実情だろう。かつてサラ金広告があふれていたが、いまではサプリメントがこれに取って代わったようである。

 テレビで見るサプリメントや健康食品のコマーシャルは、首を捻るようなものも少なくない。健康でありたい、美しくなりたい、美白になりたいという消費者の弱みにつけ込み、強迫観念を煽っているようにも思えるのだ。

 気持ち悪いほど若づくりをした老女が軽快にダンスをして見せる。顔面整形をしたような女性がつるつるの肌を自慢している。元気過ぎるじいさん、ばあさんを登場させ、あなたもこれを飲めば長生きできますよとささやく。八千草薫さんのような往年の美女をコマーシャルに引っ張り出すのも、どこかズルイ。

 昔は、化学的に合成したような商品はなかった。先人の知恵に学び、野草を煎じたり、梅干しや生姜をかじったりして健康を気遣った。コマーシャル通りのような効用があれば、人間みな100歳まで生きるし、ツルツル美人ばかりになるではないか・・・。

  

 

 
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欲をかくと罰が当たる・・・負傷

  生石山の中腹に小さな別荘地があり、その一角の所有者から立木の伐採を頼まれた。私たち山の頂上近くで暮らす仲間5人が請け負い、作業に当たった。ボランティアみたいなもので、その代わり、伐採した木は薪としてもらうことにした。

 木はいずれも直径30~50センチもある大木だ。木の枝にロープを掛け、軽トラで引っ張りながらチェンソーで伐り倒すのだが、ロープが切れたり、思わぬ方向に倒れたりするなど難儀な作業になった。

 倒した木の枝を払い、薪の長さに切り分ける作業は何日もかかる。私は3日連続で作業に加わり、薪作りに励んだが、絶好のシーズンになっているアオリイカ釣りにも行きたい。「薪はもういらない」と宣言して翌日から2日間、釣りに出かけた。

 薪は欲しいし、イカも釣りたいというのは欲張りというものだろう。2日間の釣りで、1日目の大アジ釣りは不発に終わったものの、2日目のイカ釣りでは良型8杯が釣れたので満足した。しかし、私が釣りをしている間に、仲間は私の3倍以上の薪を作っているはずだ。釣りから帰ると、次第に焦ってきた。

 標高が800メートルを超すわが山小屋は寒く、9月下旬から薪ストーブを燃やし続けている。しかも、今年買い替えたストーブは大型なので、燃やす薪の量はこれまでのストーブより倍近くにもなる。薪は2、3年分の蓄えがあるが、日ごとに薪がどんどん減っていくと心細くなってしまう。

 薪をもっと蓄えたいと思うのは、薪ストーブユーザー共通の思いだ。積み上げたたっぷりの薪を眺めてニヤニヤするのも同じだ。薪がたくさんあれば自慢のタネにもなる。仲間の一人は、寒くなれば山を下りて自宅に帰るので、それほど薪は必要ではないが、それでも薪を作り続け、倉庫の床が抜け落ちそうになって大工から注意されたほどである。

 彼は「薪作りの鬼」と呼ばれているが、私だって目くそ鼻くその部類だろう。釣りから帰って仲間に聞くと、現場にはまだ少し丸太が残っていると言う。釣りの疲れもあるし、寒いので迷ったが、薪作りに出かけることにした。確かに木はわずかだったが、それでも薪にして100本余りの量を確保できた。

 山の斜面を見上げると、シイタケの原木となるコナラの木が横たわっていた。仲間たちは転がり落とすのが面倒で放置していたのだろう。ホダ木になる木が欲しかったので、苦労しながらら90センチの長さに切って何とか軽トラの所まで運んだ。

 その直後、災難に見舞われた。軽トラに載せようとしたコナラの丸太が荷台からずり落ち、足の指を直撃したのだ。丸太は20キロ以上の重さがあり、これが落ちたのだから痛くて息が詰まった。その場で靴下を脱ぐと、親指の爪の間から血が滲んでいる。骨が折れたと思った。

 恐る恐る指を動かしてみたが、幸い動いたので骨折は免れたようだ。その夜は指が疼いてよく眠れないほどだった。しかも、腫れ上がって紫色になっている。好きな散歩も出来なくなった。

 薪が欲しい、シイタケの原木を手に入れたいという抑え難い欲望にかられ、その挙句がこの始末である。私たちの年代は、両親から「罰が当たることはするな」と言って育てられてきたが、今回の負傷は、無理をして薪作りに出かけことが天のお咎めを受けたのだろう。ああ、まだ痛い!!!

   ↓ この丸太が足の親指を直撃した
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   ↓ 100本余りの薪を作ったが、代償は激痛・・・
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秘密主義の蔓延が危うい

  朝から小雨が降り続いている。空を見上げると、厚い雲が垂れ下がっており、今日は終日雨だろう。このような日は、ひたすら惰眠をむさぼり、その合い間に本を読むくらいしかすることがない。

 そんな天候と重ね合わせる訳ではないが、今の世相に少々息苦しさを感じるようになっている。あれは駄目、これも駄目という小うるさい社会は住みにくいし、健全な社会とは言えないと思う。人々の行動や言動を縛るのは、中国や北朝鮮のような独裁国家の特徴的な社会だ。

 自由社会の良さは、余り小うるさい事を言い合わず、それぞれが自由で、自律的な暮らしが送れることだろう。もちろん身勝手や無節操はいけないが、言論も信教も自由だし、みんながお互いの生き方を認め合う社会は気楽でいい。

 ずばり言うと、民主党政権はどうも隠し事が多いし、言論の封じ込めや責任転嫁も目につく。それは自由主義社会の姿ではなく、閉そく感が満ちていたスターリン時代のロシアを思い浮かべてしまう。その寒々とした光景が日増しにこの国を覆い始めていることに危機感を覚えるのだ。

 尖閣事件のビデオ問題は、政権の本質をよく表していると思う。ビデオを公開して国民や世界に粗暴な中国をアピールするのは当たり前の事だ。公開しないのは、中国に派遣された細野議員が密約してきたのかもしれない。中国を刺激したくないという政府の思惑もあるだろう。

 しかし、それらは本質ではないと思う。菅総理、仙石官房長官を中心とした政権は、「物事を隠す」という考えを持っているのだ。そもそもビデオは秘密でも何でもないし、国民とともに共有してこそ価値ある情報のはずだ。「隠す」は秘密主義であり、社会主義政権が体制を維持するための常套手段である。世界を見回してみれば一目瞭然だろう。

 防衛省の次官通達も同じだ。政権を批判するような人は防衛関係の集会などに呼ぶなという趣旨である。しかも、招く人の発言を事前にチェックしておけというとんでもない通達だ。自由な言論の封殺、事前検閲である。都合の悪いテレビニュースを黒く塗りつぶす中国の手法とそっくりだ。

 この政権は、日米密約を明らかにする調査に血道を上げた。国民の知る権利に応える情報公開は賛成だし、歴史を掘り起こすことに異論を差し挟まないが、自民党政権時代の悪をあばくことに軸足が置かれていたことに違和感を持った。それはそれとして、ビデオの非公開、政権批判の封じ込めなど、にわかに秘密主義がはびこるようになったのはなぜだろう。

 仙石長官は、自衛隊を「暴力装置」と言った。すぐに「実力集団」と言い換え、前言を訂正した。人のお金を盗んでおいて、返せば文句なかろうという言い草である。泥棒の再犯率は極めて高い。それは体に染みついた盗み癖なのだ。同じように、「暴力装置」は仙石長官の思想なのだ。

 国家は国民を収奪するもの。自衛隊は憲法に反する暴力装置。それらの言葉は「国家は悪」という考えに基づいており、「国家観」と言えばすぐに軍国主義と結び付けたがる。これが旧社会党の党是でもあった。その党に所属していたのが仙石長官であり、暴力装置と言っても何の不思議もない。

 わが国は思想、信教の自由を保障しているので、どうぞご自由にである。しかし、自衛隊の最高指揮官である総理を補佐する官房長官の発言としては不穏当極まりない。彼が官房長官になってから秘密主義が際立ってきたのだ。社会主義国家の手法を用いて政権維持に汲々としているとしか思えない。

 経済が停滞し、若者の雇用が進まず、わが国の空気は重苦しい。その上、都合の悪いことを隠し、政権批判を封じ込める現政権が、なおもこのような事を繰り返せば、もっと暗い世の中になる。その行きつく先は、国民の手足までしばる社会に至る。政権の根っこにある「体質」が不気味で仕方がない。

 ああ、またつまらないボヤキを書いてしまった・・・。

アオリイカ8杯・・・女房のアジ釣りは不発

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  先日、由良湾のある漁港に立ち寄ると、サラリーマンを定年退職してこの海辺に住んでいる知人と出会い、しばらく世間話をした。すると知人は、耳寄りな情報を教えてくれたのだ。「息子が大きなアジを釣って来たよ」。釣れたのは夕方、場所はこれこれしかじか・・・と。

 今年、由良湾でさっぱりアジが釣れないので、心踊るビッグニュースだ。家に帰ってこの話をすると、女房は「本当に大アジが釣れるなら、一緒に行ってもいい」と言う。女房の気持ちが変わらないうちに日取りを決め、ボートを出すことにした。

 港に着くと結構風が強い。由良湾の奥に向かったが、向かい風のためしぶきがまともに飛んで来る。ボートの前に座る女房はびしょ濡れだ。私は女房の背中に隠れ、しぶきをよける。悲鳴を上げる女房に「大きなアジが釣れるから、もう少しの辛抱や」と叱咤激励する。

 午後1時ごろ、教えてもらったポイントに着いた。まだ時間が早いので、とりあえず五目釣りだ。カワハギや小さな鯛などが釣れるが、アジは現れない。「勝負は3時ごろから」と言い聞かせるが、その時間はとっくに過ぎた。馴染みの漁師が漁船で様子を見に来て、「今日は諦めた方がいいよ」と切ないことを言う。

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 まだ未練はあったが、帰港することにした。女房の衣服は濡れたままで、大きなアジも釣れなかったので憮然としている。「釣りとはこういうものだ。いい時も悪い時もある。運がなかっただけ」。こんな理屈で女房が納得しないのは当然だろう。釣れると約束したので、心苦しい。漁港にボートを繋いで翌日は私だけでアオリイカを狙うことにした。

 さて、リベンジの2日目。昨日とは一転して波が静かだ。沖の小さな島に向かった。これまで良く釣っているマイポイントだから、すぐにイカが乗って来るはず。そう確信しながら生きたアジを泳がせるが、まったく反応がない。見切り千両という言葉もあるので、場所変わりすることにした。

 別の島を1周してポイントを探していると、広い入り江が目に入った。アンカーを投げ入れ、竿を出した。30分ほどすると、イカが乗った。ヤエンという掛け針を装着してイカを寄せる。軽く合わせを入れると強い引きが伝わって来たが、すぐに外れてしまった。

 どうやらイカは大きく、ヤエンの寸法が短過ぎるようだ。同じ場所に生きアジを投入すると、すぐに反応があった。長めのヤエンを海中に送り、じっくりと寄せる。何度も糸を引き出され、緊張が続く。ヤエンにイカが掛ると、強烈に締め込んでくる。イカは大漁の墨を吐きながらようやく寄った。1キロほどありそうな良型だ。

 それからは鼻歌が出るほど当たりがあり、ほとんど失敗もなく計8杯を釣り上げた。餌の生きアジがなくなったので2時過ぎに竿を納め、港に向かった。小さなイカも混じったが、多くは食べごろと言われる中型だった。イカの型が大きくなり、秋の深まりを実感する。

 釣りは、いい時もあれば悪い時もある--。昨日、女房に言い聞かせた言葉通り、このようにいい時もあるのだ。女房にイカが入ったクーラーの中を見せると、嫉妬に似た目線を投げかけてきた・・・。

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小春日和、紅葉、おでん・・・

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  もう、11月も半ばである。人影の少ない山の中で、自然に触れながら暮らしていると、1日の時間はゆっくりと流れている。しかし、1年を振り返ってみると、それとは逆に光陰矢のごとく駆け抜けて行ったように思う。歳月は無情に過ぎて行くものだ。

 毎朝、まだ暗いうちに起きるのが日課である。山小屋のウッドデッキに出て煙草に火を付ける。このところ小春日和が続いているが、それでも朝はかなり冷え込む。私の姿を見てヤマガラが餌を求めて次々飛んで来た。

 デッキから山の斜面を見下ろすと、薄明かりの中に色づいた木々が浮かび上がっている。薄墨の絵が次第に淡い色彩の世界に変化していく。寒さに震えながら、しばらく見入っていた。

 ひと際鮮やかなのが、ここ生石山に群生しているウリハダカエデである。樹皮がウリの模様に似ているので、そう名付けられたのだろう。山地ならどこにでもある落葉高木樹である。

 これほど色彩豊かな樹木も珍しいと思う。カエデの一種だが、葉の長さが10~15センチもある。最初は黄色に色づき、オレンジ色、赤色に染まっていく。朝日を浴びると、炎を上げて燃えているように見えるのだ。

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 爪楊枝になるクロモジの葉も黄色く色づいている。これも、生石山に群生している木である。ウリハダカエデは着飾った女性のような華やかさがあるが、クロモジは楚々とした味わいがある。

 今日は、女房の呼びかけで「おでんパーティー」を催すことになっている。熱々のおでんを食べながら、仲間とともに過ぎ行く秋を惜しむ集まりなのだ。女房は、いつも私より2時間ほど遅くれて起きてくるが、今日はおでんの準備があるので珍しく早いお目醒めである。

 おでんは、知り合いの料理屋からもらった大きな鍋で煮る。鍋は広場に置いているドラム缶の炉にすっぽり収まり、なかなか具合がいいのだ。昼前になると、仲間が三々五々集まって来た。参加者は全部で8人。

 風采の上がらない男女が、煙を上げるドラム缶を囲んでおでんに食らいついている。この光景を知らない人が見れば、ホームレスか何かの炊き出しと勘違いするかもしれない。まあ私たちは、他人の目を気にするほど若くはない・・・。

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一家の大黒柱が決断したビデオ流出

  私が43歳の頃は、どうだっただろうか。3人の子供がいて、世間並みの家庭の団らんがあるごく平凡な家庭だった。懸命に働き、この家族を支えなければならないと思っていた。

 その頃は中間管理職で、それなりの責任を負っていた。正しいことのため、あるいは正義のために職を投げ打ち、家族に悲しい思いをさせる覚悟があっただろうか。多分なかったと思う。会社にしがみつき、あらゆる理屈をこねて正義から逃げていただろう。

 中国漁船の衝突映像を流出させた疑いで取り調べを受けている神戸の海上保安官は、働き盛りの43歳である。彼の一家は公務員宿舎に住み、そこにはささやかな幸せな暮らしがあっただろう。一家の大黒柱は今、国家公務員法違反に問われ、その家族が揺れている。

 民主党の原口前総務相は、珍しく正論を述べている。「もっと早くビデオを公開していれば、この海上保安官のような人を出さずに済んだ」。まさにその通りだ。彼こそ政府の誤った判断の被害者だと思っている。

 彼がビデオの流出を打ち明けた読売テレビの報道が、いまのところ一番詳しい。彼は「国民にビデオを見てもらいたかった」と語っているそうだ。素朴な言葉だが、これが彼のすべてだろう。中国漁船の無法ぶり、それを取り締まる海上保安官の活動を見てもらいたかったのだ。

 刑事責任を問われれば職を失う。ビデオを公開しなければ尖閣の真実が覆い隠される。この双方を行ったり来たりしながら悩んだ末に、ビデオの流出を決断したはずだ。決して軽はずみな行為ではなかったと信じたい。

 法律家は色々と意見を述べている。そもそもビデオは秘密に当たらないという見方、守秘義務違反は明確とする意見・・・。法律論はともかく、ビデオ流出が国民と国家のために良かったのかどうかだと思う。

 国民はビデオを見て、あー、なるほどそういう事件だったのかと納得したはずだ。領土を守る海上保安官の最前線の活動を目の当たりにすることも出来た。加えて、理不尽な主張を繰り返す中国を黙らせる手段の一つだったはずだ。その証拠に、中国は早くビデオ問題を解決してほしいと言っている。

 もう一つは捜査が「公平」かどうかだろう。中国船長を処分保留で釈放したのは無罪放免と同じである。海上保安官に対して法律を厳格に適用して罪を問えば、公平性が損なわれる。どちらが悪質かは自明だろう。国民は「不公平」「不平等」に敏感だ。

 中国船長を国内法で裁くという当たり前のことをしなかったばかりに、このような問題が起きている。世界の国々は、無法を繰り返す中国に配慮する日本に対し、不信感を募らせている。政府と司法の誤った判断は、最も罪が重いのではないか。

 取り調べを受ける海上保安官は職を失うのだろうか、家族はどうなるだろうか・・・。そればかりが気がかりだ。彼の覚悟とわが身を重ね合わせて、恥ずかしい思いをしている。
 

クマが徘徊・・・おののく森の住人

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  私たちが暮らしているここ生石山は、物騒なことになってきた。近くでクマが出たのだ。先日、高原のレストハウスに立ち寄ると、「クマが出ました」という紙が張ったあった。

 支配人に聞いてみると、高原から3キロほど下った札立峠で1頭が目撃されたという。その数日前には、峠から南に下った二川ダムの近くで3頭が歩いていたらしい。どちらも人に被害はなく、幸いだった。

 生石山には以前クマが棲んでいたらしい。そのころ捕獲された2頭が中腹のレストランで飼われており、何度か見に行ったことがある。その後クマがどうなったか知らないが、多分、どこかで飼われているのだろう。

 近年は、クマの姿を見かけなくなったと言う。ブナやコナラなどドングリの木が多いもっと南の山に移動したのかもしれない。しかし、今年は猛暑の影響でドングリの実りが少なく、クマは柿やミカンが栽培されている生石山へ果実を求めて移動してきたのだろうか。

 今年は野生動物の出没が活発である。山小屋裏の森では、夕方になると「ピュー、ピュー」という甲高いシカの鳴き声が盛んに聞かれる。すぐ近くの木の樹皮がきれいに食べられており、シカにとっても餌不足なのだろうか。

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 以前ブログでも書いたが、イノシシの出没は物凄く、あちこちが掘り返され、困ったものだ。中腹のミカン畑では枝ごと食い荒らされ、栽培農家は泣いている。

 生石山は和歌山県立自然公園で、鳥獣保護区になっているから、イノシシを鉄砲で撃つことが出来ない。そこで農家は今年に限ってイノシシ、シカの駆除を許可してほしいと県庁に直訴し、特例として認められたという。近く猟友会のメンバーが森に入り、猟犬を放って狩猟が行われることになった。

 駆除が認められたと聞いて目を輝かせたのは、100坪ほどの畑を耕しているMである。今年は3度もイノシシに荒らされ、怒りと恨みは尋常でない。さっそく知人から捕獲用の檻を借りてきて、畑の近くに設置した。

 檻は高さが1m、奥行きが1・5mほどで、イノシシが餌に釣られて檻の奥まで入ると、床に仕掛けた装置が作動して入口の柵が落ちるようになっている。餌は好物の米ぬかとサツマイモである。

 餌は、入り口と中央に置き、奥へと誘導しようという訳だ。Mは毎朝、今度こそ、今度こそと胸を高鳴らせて檻を見に行っているが、今のところ空振りに終わっている。しかも、入口と中央の餌は食べた形跡があるというのだ。

 イノシシは、奥まで入る危険を知っているのだろう。驚くべき賢さだ。「そんな罠には引っ掛かりませんよ」と嘲笑っているかのようである。「必ず仕留めてやる!」と敵意をむき出しにしているMには悪いが、私は密かにイノシシが檻に入らないよう願っている。イノシシに罪はないのだ・・・。

衝突ビデオの公開には公益性がある

  中国漁船の衝突ビデオが、インターネット上に流れた。漁船の悪質さを示す驚くべき映像であり、その悪質な船長を処分保留で釈放してしまった政府、検察の誤りが国民の前に晒された。「それ見たことか!」というのが率直な感想だ。

 法治国家らしく、最初からきちんと対応しておれば、このような問題は起きなかった。ビデオを見た世界の国々は、暴力に屈した日本が何とふがいない国家かと感じただろう。船長釈放を検察の判断などと言い繕っても、まぎれもない菅政権の意思だった。

 天に唾するとは、こういう事だ。国家の根幹をないがしろにした菅政権は国民の信頼を失い、世界から笑い者にされ、そう遠くない時期に自壊するだろう。国歌、国旗に一物を持ち、まともな国家観を持たない市民運動家上がりの菅総理に、国益に沿った正しい安全保障や外交を期待するのは無理というものだ。

 しかも影の総理として振舞っている仙石官房長官は、中国、ロシア、北朝鮮などと友好的だった元社会党の代議士だった。三つ子の魂百までとも言うから、日本を導く人物としてこれほどふさわしくない人はいない。その辺を皮肉ったのか、今回のビデオを発信したハンドルネームは「Sengoku38」だった。

 誰がビデオを持ち出し、誰がネットに流したか、犯人探しが始まっている。先ごろ、警視庁の公安関係の機密情報が流出し、日本の危機管理や機密保持について危うさが露呈した。ビデオの流出もネット社会の危うさを浮き彫りにしたもので、ゆゆしき事態だろう。

 今回のビデオ流出について報道陣から問われた菅総理は、珍しく「決然」と捜査を指示していた。それは当然だが、本来決然とすべき漁船船長の処分で決然とせず、今更何を言っているんだとあきれ果てる。国民の多くは犯人探しなど期待しておらず、むしろ喝采を送っている。

 つまりビデオを持ち出した人物は、義賊みたいなものだろう。正義の味方の月光仮面か、はたまた正義の泥棒鼠小僧か・・・。義賊と呼ばれた鼠小僧は大金持ちの家だけに盗みに入り、江戸庶民の共感を得た。今回のビデオ流出も関係者の義憤に駆られた行為に違いない。

 ビデオ持ち出しは窃盗罪などに該当すると思うが、その行為は国民の知る権利に応えたのだから、公の利益、つまり公益性があったと言えるだろう。検挙された場合、心ある市民から減刑の嘆願書がわんさ出るだろうし、まして悪質極まりない漁船船長を釈放しておいて公益の人を処罰出来るはずがなかろう。

 ビデオ映像を見ていて、国境の最前線で働く海上保安庁職員は、日夜、命を張って働いているのがよく分かった。彼らには家族も親兄弟もいるだろうが、それが任務だから命がけの仕事をやり遂げる。しかし、その結末は政府と検察に歪められ、船長を釈放してしまった。さぞ、無念だったろう。

 今日のテレビに民主党議員が出演し、釈放しなければ「拘束されたフジタの社員はどうなっていたか。しかもレアアースが入って来ないし、経済にも大きな影響が出てくる。それ以外の方法はなかった」と断言していた。アホ言うな! 主権のために多くの血が流れた歴史を見ればよい。主権を守れない国は、国民の命も守れないのだ。そしてその国家は滅びる。

 ビデオを持ち出した人物は、今悩んでいることだろう。潔く名乗り出て思いのたけを語りたい。しかし、懲戒免職になるのも困る。それは犯罪行為に違いないが、ある意味で歪んだ政府判断の犠牲者とも言えるだろう。本人には気の毒だが、義憤の言葉を聞いてみたい。

ロシアの国是・・・火事場泥棒

  彼は、子供がそのまま大人になったような風貌だ。そんな幼さを隠すように虚勢を張っている--。わが北方領土を訪問したメドべージェフ露大統領を見ていて、そのように見えた。虚勢を張るガキ大将は、生意気で、可愛げがないものだ。ポカンと頭の一つもしばきたくなる。

 国後島では、大統領自身が日産のオフロード車を運転していたらしい。普通なら、日本の車は運転したくなかったろうが、多分、北方四島に目ぼしい日本以外の車がなかったのだろう。極東ロシアは、日本の中古車がなくてはならないそんな国である。

 まあ、そんなことはどうでもよい。日本政府の抗議をよそに、堂々と日本領土を訪問するとは無礼千万である。第二次大戦のどさくさまぎれに北方四島を不法占拠したロシアという国は、古来、火事場泥棒を国是にしている。

 幕末から明治にかけて、日本はロシアの圧力を受け続けた。サムライの志を持っていた明治の政治家や軍人は、朝鮮半島と満州に迫り、日本をうかがうロシアに戦いを挑み、わずかな勝利の可能性に賭けた。もし日露戦争に負けていたら、北海道や対馬を奪い取られていただろうという学者もたくさんいる。

 極東の島国・日本の勝利は世界を驚かせた。カエルがヘビの横っ腹に噛みつき、降参させたようなものである。国家の主権をかけた日露戦争の勝利は、植民地になっていたアジアやアフリカの人々を勇気づけたに違いない。

 このような歴史的意義のある日露戦争について、日本の教科書で詳しく教えているのだろうか。戦後教育を受けた私には、まったくその記憶がない。フィンランド、スウェーデン、インド、エジプト、トルコなどの歴史教科書には日露戦争が特筆されていると聞く。いまだに日本では、日露戦争を軍国主義の始まりという誤った考え方が根深い。

 当時、ロシアの南下を許せば、日本はみじめな植民地になっていただろう。日露戦争は、国家の独立と主権をかけ、アジアの小国が白人国家に挑む世界にも例のない戦争だった。国を守った先人の勇気は、この国の誇りである。

 尖閣諸島で中国に揺さぶられ、北方四島に土足で上がりこんでくるロシア。民主党政権は、中国に気兼ねして漁船衝突のビデオさえ公開しない。ロシアに対しては大使召還ではなく一時帰国という形をとっている。どこか腰が引けている。国を守る、領土を守るとはどういうことか。民主党のお偉方は、今一度、日露戦争の歴史を勉強するとよい。

 間もなく横浜でAPECが開かれ、胡錦濤やメドべージェフもやって来る。日本政府はそれらの首脳と会談することに腐心しているようだが、こちらからお願いして会談する必要はどこにもない。この国際舞台で、日本は領土に対する強い意志を発信し、それで中国、ロシアが席を蹴るならそれでよいという覚悟が必要だろう。

 おそらく、南シナ海で中国との領有権問題を抱える国々、ソ連時代から圧力を受けている諸国は、日本の対応をじっと見ているはずだ。日本が尊敬される国か、頼りになる国か・・・。

檻に入ったイノシシの鍋・・・

  各地でクマの出没が相次ぎ、人に大きな被害が出ているそうだ。猛暑の影響か、クマの餌となるドングリが不作で、作物を食べに里に出て来るという。射殺されたクマがテレビに流れると、かわいそうでならない。

 私たちが暮らしている紀伊半島の生石山では、クマの出没は聞かれないが、イノシシが例年になく盛んに徘徊している。これも餌不足が原因だろうか。大袈裟ではなく、イノシシのものと思われる痕跡は凄まじいのだ。道路という道路は、ミミズを獲るため道沿いの草むらが掘り返されている。

 さらに山の斜面では、自然薯を食べるため深さ50センチほどの大穴を掘っている。排水パイプが露出している場所や、掘り返した大きな石が路上に散乱している所もある。

 山小屋前の草むらも掘り返されている。私たちが眠っている間に、20mと離れていない場所に集団で来ているのだ。6、7頭のイノシシ一家が歩いているのを見た人も多い。夜間、外出するのは危なくてしようがない。

 この山に暮らす仲間の中には、畑を何度も荒らされ、ヒステリックになっている者もいる。去年の事だが、犬3匹と暮らすピーターは、犬がイノシシに牙で突かれて大けがをしたこともあって、敵意をむき出しにしている。仲間が寄れば、イノシシの話題ばかりである。

 そんな折も折、「イノシシが檻に入った。今晩、ぼたん鍋にして食べよう」という電話がかかってきた。生石山の中腹で農器具店をしているKさんからだ。イノシシは体長70センチくらいの子供で、メスだから美味しいらしい。

 どうも残酷なようで今一つ乗り気ではなかったが、人付き合いをうまくやるのも円満な山暮らしのコツである。集まったのは全部で8人。憎っくきイノシシを血祭りに上げようという訳ではないが、みんなの目が異様に光っているように見えた。

 イノシシの肉はボイルしておき、味噌味で食べる。白菜、ゴボウ、豆腐など具もふんだんに入れてある。煮立ってくると、先を争って肉を皿に取り込む。「コノヤロー」と気勢を上げながらほうばる人もいる。肉は思っていたより柔らかく、淡白で実に美味しい。最初は可愛そうと思っていたが、そんなことはいつの間にか忘れ、腹いっぱい食べた。

 餌に釣られて檻に入り、鍋の肉となってしまったイノシシは、まことに気の毒である。「人間の罠にかかっちゃダメよ」と呟きながら、その肉に舌鼓を打つ自分が切ない・・・。

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