よい新年でありますように・・・

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  あと3日で今年も終わる。自然とともに山奥で暮らしをしていると、時間はゆっくりと流れているように思う。けれど、1年をまとめて振り返ると、星のまばたきほど速く過ぎ去ったように感じるのだ。スローライフなどと言う人がいるが、どのような心構えで、どのように生きようと1日は24時間であり、老い行く者にとって空虚な響きがある。

 健康であることが、何よりも幸せなことだと思う年齢になった。幸いこの1年、夫婦ともども医者にかかることはなかった。三度の食事も美味しくいただいた。女房は嫌な顔をするが、煙草もすこぶるうまい。晩酌を欠かすことはなく、酒は「百薬の長だ」とうそぶく1年だった。

 27日の朝、窓のカーテンを開けると、一面に雪が積もっていた。その後も深々と降り続き、10センチほど降り積もった。これからも寒波が次々と押し寄せて来るので、この雪は根雪になりそうだ。生石高原への道は、スタッドレス、タイヤチェーンが必要だろう。

 その午後には、まぶしい太陽が顔をのぞかせた。夫婦で登山靴をはき、高原の生石ケ峰(870m)をめざした。草原の雪道に私たちの新しい踏み跡を刻むのは気持ちがいい。しかし、すでに先行者の足跡があって、少し残念だった。

 山小屋から半時間で頂上に立った。東の方向に連なる大峰や護摩壇山の山々も真っ白だ。紀伊水道はオレンジ色に染まっていた。帰りは余り人の歩かない道を辿り、山を下った。一歩踏み出す度にパウダースノーが舞い上がり、私たちだけの足跡が点々と後に続いている。

 ここ生石山の森で暮らす仲間のほとんどは、冬になると山を下りてしまう。残っているのは私たちを含めて3組だけだ。冬の美しい風景と静かな白い森。健康であってこそ、そんな厳寒の山を楽しむことが出来る。来年もこうして元気でありたいと願っている。

    皆さんもお元気で。 よいお年をお迎え下さい・・・。

      ↓ 雪の中、ヤマガラが餌を催促している
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棒ダラに年の瀬を感じる

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        これで¥5000 高いなぁー

  「棒ダラの食文化圏」というのがあるのだろうか。女房は、和歌山の大きなスーパーで棒ダラを探したが、どこにも売っていないと言う。滋賀の百貨店でやっと手に入れ、おせち料理の準備をしている。

 北海道や東北、北陸などでは、昔から当たり前のように食べられてきたと思う。京都の円山公園には「芋棒」の有名店があるから関西でも馴染みのある食材だろう。それなのに、なぜ和歌山では売られていないのだろう。新鮮な魚介類が手に入るので、わざわざ保存食を食べる習慣がないのだろうか。

 干した棒ダラを水に浸け、戻すのに何日もかかるので、面倒な料理の筆頭格だろう。だから、共働きの多い最近の家庭では、こんな悠長な料理をしなくなったそうである。しかし、もったいない話だ。あの歯触りの良さ、煮しめて出せるタラのうま味・・・。これぞ日本の食文化だと思う。

 女房は、結婚当初からおせち料理の一品として棒ダラの煮しめを欠かしたことがない。年末になると、子供たちは幼いころから大好物だった棒ダラを送ってほしいと言って来る。「おふくろの味」をせがまれた女房はうれしそうに腕をふるうのだ。

 私にとっても懐かしい「おふくろの味」である。生家は雪深い田舎だったから、棒ダラは貴重な保存食だった。師走になると、きれいな水が注ぐ池に、縄で縛りつけた棒ダラが一匹丸ごと浸けてあったものだ。

 病弱だった母親は滅多に料理をすることはなかったが、棒ダラだけは七輪の前で気長に煮ていた。それは、私の小学生のころだったと思う。母親が鍋の中を覗いた時、みずばなを煮汁の中に垂らしてしまったのだ。多少塩っ気がきいていたかもしれなかったが、美味しく食べたはずである。

 今も昔も、台所で棒ダラの料理が始まると、年の瀬を思う・・・。

伐採に心を痛める・・・

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  山の中で暮らしていると、樹木のお世話にならなければばらない。ストーブの薪、キノコのホダ木、畑を囲う杭、山の斜面の土留めに使う丸太・・・数えればいくらでもある。だから年中、木を伐り、利用させてもらっている。

 しかし、なるべくなら木を伐りたくないというのが正直な気持ちだ。もともと清い心など持ち合わせていない私だが、木の命を奪うことには、チクリ心が痛む。昔の人は、木に神が宿ると信じていた。それに似た思いがない訳ではない。巨木や老木を前にすると、厳かな気持ちにもなる。

 逆に女房は、木を伐ることに痛痒を感じることはないようだ。山小屋の周囲をすっきりしたい。遠くの海や山がよく見えるようにしたい。そんな思いで、暇があればノコギリ、剪定ばさみを使っているし、景観の邪魔になる木を私に伐らせようとする。 

 実は、山小屋のすぐ西側に山桜の大木がある。幹の直径は40センチを超える。枝が張り出し、山小屋の屋根を覆っている。家のためには良くないのだ。知り合いの大工や山暮らしの仲間たちから早く伐れと言われていた。女房もうるさかった。

 伐るか伐るまいか、もう3、4年も迷い続けていたが、やっと腹が決まった。一人で伐るには危険なので、仲間のピーターに助っ人を頼んだ。彼はカナダの森林で伐採の仕事をしたことがあり、チェンソーの魔術師だ。

 自分の手でこの大木を倒すのは、やはり罪悪感を感じてしまう。ピーターに伐ってもらおうと思ったが、彼は私の姑息な魂胆を見抜いているのか、「兄貴が伐れよ。ボクがロープで引っ張るから」と言ってきかない。

 まずは山桜の大木に手を合わせる。倒す方向に三角形の切り口を入れ、その反対側からチェンソーの歯を入れる。倒れる際に木が暴れて自分に当たると大怪我をするので、慎重に進める。

 怪力、巨漢のピーターがロープを引っ張っている。首の皮1枚を残すようにしておき、チェンソーを止めて二人で引っ張った。何十年も大地に根を下ろしてきた山桜は、大きな音を立て、倒れた。鉄砲で撃たれたゾウが前足を折ってつんのめる姿に似ていた。ウッドデッキで作業を眺めていた女房が手を叩いている。無邪気なものだ。

 とは言え、心が痛んだのはしばらくの間だけだった。おー、これでたくさんの薪が作れる。キノコのホダ木も確保出来た。桜はナメコ、ヒラタケの原木栽培に適しているのだ。細い枝は焚き付け用に使おう。このように喜んでしまう自分が情けない。

 山桜よ! 偉そうなことを書いて、ごめん・・・。

    ↓ 知らないうちに女房が不格好な姿を撮っていた。こら!
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訪問者5万人に・・・感謝です

   ひと月ほど前のことだったと思う。山小屋前の道路で軽トラから薪を下ろしていると、生石高原の方から乗用車がゆっくり近づいてきて止まった。「ブログを書いておられる人ですよね」。意外な言葉をかけられ、驚いた。

 「いつも読ませてもらっています。このような自然の中の生活に憧れているんです」。そう話されたのは、車を運転しておられる中年の男性で、助手席には奥さんが座っておられた。これも何かの縁だから、「どうぞ、お茶でも飲んでいって下さい」とお誘いしたが、固辞されて帰って行かれた。車は、大阪の堺ナンバーだった。

 ブログを始めて2年9か月。先日、訪問者数が5万人の大台を超えた。多くの人たちに支えられ、何とかブログを続けてこられた。声をかけていただいた堺ナンバーのご夫婦もそのうちの一人である。とりとめもないブログにお付き合いいただいた皆さんに、ただ、ただ、感謝である。

 大阪で眼鏡店を経営しているSさんも、ブログで知り合った一人である。1年半ほど前、ご夫婦で山小屋を訪ねて来られた。私たち夫婦の山小屋暮らしに興味を持たれ、その後、何回も山小屋に来られている。以来、お互いの家を訪問し合い、夫婦同士で交流を深めている。

 Sさんは眼鏡店の経営と、木工の二足のわらじをはいている。外来の珍しい木を加工してステッキや靴べらを作る木工だ。田舎暮らしが夢だったようで、半年ほど前、和歌山北部にある中古の民家を買い、大阪から引っ越してこられた。敷地の一角に、念願の自室を兼ねた作品展示室も建ててしまった。

 その新築の建物は、木の香りが漂う小じんまりした平屋である。この部屋に薪ストーブがないと、画竜点睛を欠くと思った。昔、「クリープのないコーヒーなんて」というレテビCMが流行ったが、まさにそれである。ご本人もそう思っていたらしいく、私が紹介した大阪・河内長野の「憩暖」と話が進み、このほど薪ストーブが取り付けられた。

 木工をするような人は、とことん形にこだわるのだろう。ストーブはモルソー社製で、側面にはリスの彫り物が施されていて、なかなかお洒落だ。奥さんによると、Sさんは深夜までストーブの前に座り、炎を見つめながら長い時を過ごしているらしい。

 新築と薪ストーブ設置のお祝いにと、軽トラで2回、薪を満載して持って行った。私が生石山に山小屋を建てた当初、薪の確保にずい分苦労したので、薪が一番喜ばれると思ったのだ。それに、私は薪の大富豪だから、お金がかからない・・・。

 先日お邪魔した時も、ストーブに火が入っていた。しかし、薪を節約しているのか、火力が弱い。少し偉そうだと思ったが、「ガンガン燃やさないと、薪ストーブの値打ちがないよ」とアドバイスした。いや、そういう私も最初はそうだった。何度も言うが、私は薪の大富豪だから、惜しげもなく燃やしているのだ。

   ↓ お洒落でマニアックなSさんの薪ストーブ
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   ↓ リスの彫り物が施してある
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   ↓ この椅子に座って薪ストーブ生活を楽しんでいる
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   ↓ これくらい燃やさないと・・・
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西郷どんとは同好の士・・・アオリイカ

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  西郷どん吉之助は幕吏の目から逃れるため、奄美大島に身を隠した。島での3年間、退屈で憂鬱な日々を過ごすのだが、ささやかな楽しみは魚釣りとウナギ突きだったと以前読んだ本に書いてあった。

 私を驚かせたのは、吉之助がイカ釣りの名手だったことである。木片を魚の形に削り、尾に掛けバリを付けて餌木(ルアー)を作る。糸も自分で撚った。これを小舟で曳いてイカを掛けたという。

 掛ってくるイカは、間違いなくアオリイカだろう。吉之助が興じたこの釣りは、今でも和歌山など各地で行われているアオリイカ釣りの漁法なのだ。私の知っている漁師も、夕方になると磯の際を流しながらたくさんのアオリイカを釣ってくる。

 アオリイカは、イカの王様と言われるほど美味である。吉之助のことだから、釣ったイカは貧しい島の人たちに分け与え、残りは焼酎の肴として舌鼓を打っていたに違いない。

 吉之助は、弱きを助け、義のために命を投げ出す私心のない人間だった。彼と比べようのない小さな私だが、イカ釣りが趣味という点では同好の士なのだ。あのアオリイカの強い引き、ほのかな甘い食味を共有していると思うと、うれしくなる。

 珍しく暖かい朝、由良湾の岸壁から竿を出した。左手が砂浜、右手にテトラポットがあり、水深は浅い。釣りには難しいポイントだが、実績のある場所だ。

 朝の7時半ごろ、イカが生きたアジの餌に食いつき、リールから糸を引き出して行く。テトラの方に向かう最悪のパターンだ。ここに潜られれば、まず取り込むことが出来ない。案の定、糸がテトラの貝に引っ掛かり、切れてしまった。手応えの感じでは、かなり大きなイカだろう。

 落胆している場合ではない。アジを付けて沖に投げる。しばらくすると当たりがあり、イカは同じようにテトラに向かった。テトラの上に渡ってイカとやり取りするのは危険だが、同じ失敗をする訳にはいかない。危なっかしい姿勢で竿を操作し、掛けバリのヤエンにうまく掛った。

 締めているドラッグからジリジリと糸が出るので、これは大型だろう。何度かの抵抗をかわし、ようやくイカを浮かせた。ギャフで引き揚げたイカは1・6キロ。この秋に釣った中で最大のサイズだった。先ほどの失敗が帳消しになり、喜びというよりホッとした。

 その後、中、小型のイカを3杯追加したが、その後、当たりが遠のいた。午前10時半ごろだっただろうか、イカとは違う当たりがあった。大きく合わせてみると、根掛りしたように重い。生きたアジに食いつくのは、ハマチ、エソ、ヒラメなどが考えられるが、もちろん高級魚のヒラメだといいなあと願う。

 やがて、こげ茶色の平べったい魚影が姿を現した。大きなヒラメだ! もう頭の中で薄作りの刺身を思い浮かべているのだから、口が卑しい。竿を持ったまま砂浜に走り、波に乗せて引き揚げた。43センチの良型だった。

 その夜は、ヒラメの刺身を堪能した。次の日も刺身と唐揚げにして余すところなく胃袋に納めた。吉之助なら、人を呼んで美味を分かち合うだろうが、私はこっそり独り占めにした。西郷どんとは同好の士でありながら、人間のスケールは悲しいほど違う・・・。

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燭台の贈り物・・・17年ぶりの消息

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  山小屋に届いた宅配便は、意外な人からだった。送り主のYさんは、八ヶ岳の別荘で週末を楽しんでおられる会計士さんだ。17年前、学生時代からの友人の紹介でYさんの別荘にお邪魔したことがあり、それ以来の消息である。

 その当時、友人やYさんたち八ヶ岳の人々から歓待を受けた。Yさんから「この日の記念に」と、戦前のものと思われるピッケルを頂いた。このことは今年1月7日のブログで書いているので、暇な人は読んでいただきたい。

 骨董品とも言えるピッケルは、薪ストーブの持つ雰囲気とよく合うので、その傍らにいつも立てかけている。Yさんたち八ヶ岳の友人から背中を押されるように、私たち夫婦は生石高原に山小屋を建て、3年半前からここに定住することになった。身近に置いているピッケルは、山小屋建設を決意させた当時を思い出させてくれるのだ。

 宅配便の箱を開けると、鉄で作られた面白い形の燭台が出てきた。枝つき蝋燭台と言われる形で、これも骨董品のようで、Yさんのアンティーク趣味が伝わって来る。山小屋裏のテーブルに蝋燭台を置き、蝋燭の明かりでくつろいでもらいたいとのメッセージである。

 鉄で作られた台は黒光りしており、手作りの味わいがある。女性が両手を掲げているような形で、どこか縄文時代の土偶のフォルムに似ている。もうすぐクリスマス・イヴだが、蝋燭の灯りで聖夜の真似ごとをしてもいいだろう。テーブルの前に座る女房がもう少し若ければ・・・。 あっ、それは言うまい。

 Yさんの別荘に招かれた当時、ご本人は「女房が虫嫌いで、一緒に来てくれないのですよ」と嘆いておられた。そのことを1月のブログで書いたところ、これを読んで下さった奥さんが「子育てや家事で忙しいので行けなかったのよ」とおかんむりだったという。幸い今は、ご夫婦で別荘生活を楽しまれているそうで、まことに喜ばしいことだ。

 それにしても、奥方を別荘に連れて行くのは、なかなか骨が折れるものである。私たち山暮らしの仲間3人の奥方は、ほとんど来た試しがない。蚊や蜂が飛び回り、蛇もマムシも出没する。そんな所へ行くよりは、ご近所の奥さん仲間とランチしている方がいいと思うのが普通だろう。

 まして私たちのように、山奥に定住する場合は、まず女房を納得させなければならない。「つべこべ言うな!」と、いつまでも亭主関白は通じないし、かと言って、説得出来るような材料もない。女房にひたすら頭を下げ、気遣いを怠らず、時に歯の浮くようなお世辞も言わなければならなかった。山小屋生活は、奥方の機嫌を損ねてはいけないのだ。

 Yさんも、かつて別荘行きに気乗りしなかった奥さんに、同じような気遣いをされたに違いない。だが今では、アンティーク家具やお洒落な置物に囲まれたログの別荘で、蝋燭を灯してワイングラスを傾けておられるのではないか。頂いた蝋燭台を前に、そんなご夫婦の風景を想像してみた・・・。

干し柿作りを断念させた男

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  今年もうれしい干し柿が届いた。信州の冷たく、乾いた風に育まれたこの干し柿は、お世辞抜きに絶品である。送ってくれたのは、ブログを通じて知り合った「心何処」の管理人アガタ・リョウさんだ。

 彼は老いたお母さんを介護しながら、日々、膨大な文章を発信しておられる。苦労の多い介護だろうが、微笑ましく、さらりと綴っている。時事評論は激辛である。自身の好色に臆することのない文章が、大いに笑わせる。

 干し柿は小ぶりである。白い粉に覆われた果肉はもっちりしていて、上品な甘味が口の中に広がる。柿をもぎ、皮をむき、雨を気にしながら干す。高級和菓子のような干し柿は、相当の手間をかけて作られたものだろう。

 若い女性たちは「スイーツ」「スイーツ」と目の色を変えているが、要するに洋菓子を横文字にしただけである。そう言えば、以前もてはやされたティラミスやナタデココはどうなったのだろう。手を変え品を変えて次々店頭に並ぶスイーツは、年を取るとしつこくていけない。やはり、干し柿のような素朴な味わいがいい。

 私たち夫婦は、干し柿が大の好物である。秋になると渋柿を300個も400個も買い、干し柿を作っていた。しかし、青カビが出たり、野鳥につつかれたりして満足なものが出来た試しがない。それでも好きだから続けてきた。

 標高の高い所にある山小屋は霧が多く、どうしてもカビが生える。日がな野鳥を追い払うほど暇ではない。何よりも、手塩にかけるというマメさがなくなってしまった。

 昨年、アガタ・リョウさんから送られてきた干し柿と自家製を比べて、余りの違いに正直アホらしくなった。干し柿も漬物も風土によって熟成されるもので、ここ山小屋は干し柿を作る環境にないことを思い知らされたのだ。

 だから今年から、干し柿作りをやめた。これからもしない。アガタ・リョウさんの干し柿は、晩秋恒例のささやかな楽しみを打ち砕いた・・・。

 

桃の種をほうばる坊や・・・

  老衰で入院していた伯父が医師の治療を断り、自宅に帰ったという。この知らせに悪い予感がした。生まれ育った自宅で最期を迎えたいと希望したのかもしれない。急いで、遠く離れた伯父の家へ向かった。

 病床の伯父はもはや声が出ず、目で話しかけようとしている。以心伝心というか、「よく来てくれた」「お見舞い有難う」と言っていることがよく分かった。細い手をさすってやると気持ち良さそうに目を細めた。しかし、手は驚くほど冷たかった。

 長居は迷惑だろうと、半時間ほどで辞去することにした。襖を開けて振り返ると、伯父は左手を高く上げ、サヨナラの仕草をしていた。相当衰弱しているのに、そのような力が残っていることに驚いた。これならしばらくは大丈夫だろうと、少し安心もした。

 その4時間後、伯父の家族から電話が入った。少し前、伯父が息を引き取ったと言う。92歳だった。眠るような静かな最期だったとのことである。サヨナラと手を振ってくれた光景が目に浮かび、万感迫るものがあった。伯父は私を待っていてくれたのだろうか・・・。これで両親、伯父、伯母たちは全員が鬼籍に入った。

 葬儀が営まれるお寺まで最寄りの駅から歩いて30分ほどの距離である。バスもタクシーもあるが、歩いて行きたかった。この道は母親の実家にも通じ、何度も母親に手を引かれて歩いた道なのだ。田舎の街並みを過ぎると、古戦場だった川が流れ、その堤防沿いの道の先に葬儀が営まれるお寺がある。

 歩いていて、遠い昔の記憶が蘇ってきた。母親と一緒に堤防の路傍に身をかがめ、タンポポやツクシを摘んだことを思い出したのだ。私たち母子の上に、ひどく明るい日差しが降り注いでいたように思う。瞼に浮かぶその光景は、ハレーションを起こした映像のように輪郭がはっきりしない。

 母親は、私が小学生のころから難病に冒され、76歳で死ぬまで寝たり起きたりの生活を送っていた。だから、一緒に外出したことは少なく、あの堤防でタンポポを摘んだのも幼い頃の数少ない母親との記憶である。 

 葬儀を終え、兄の車で駅に向かった。その車中で、兄嫁が母親から聞いたという面白い話を聞かせてくれた。親元で桃を食べた私は、その種を駅に着くまでほおばり続け、口から出そうとしなかったらしい。母親はとても恥ずかしい思いをしたと言っていたらしい。そんな思い出話をする時の母親はうれしそうだったと、兄嫁は話していた。

 桃の種・・・。  母親の苦笑と、頬をポコッと膨らませるお坊ちゃんのあどけない顔を思い浮かべてみた。

    ↓ 1週間ぶりに帰った山小屋は雪・・・
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    ↓ 雪の中、やって来たヤマガラ
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さすが!美人の湯・龍神温泉

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  「紅葉でも見に行こう」と、私たち夫婦の意見が珍しく一致し、護摩壇山方面へドライブすることにした。ドライブと言っても軽トラックだから、車内は狭いしクッションも悪いので、快適とは言い難い。しかし、狭い林道を走るには、小回りのきくこれがいいのだ。

 秋篠宮の紀子さんの曽祖父が住んでいたという和歌山県清水町から林道に入り、高野龍神スカイラインへ出るコースである。林道の中腹までは、いまがコナラやモミジの紅葉真っ盛り。1時間ほどでスカイラインに出た。標高1000mを超えているので、ブナなどの広葉樹はほとんど葉が散っていて初冬の景色だった。

 護摩壇タワーの駐車場に車を止め、護摩壇山か龍神岳のどちらかに登ることにした。護摩壇山は、昔から和歌山県の最高峰とされてきたが、1、2年前、国土地理院の調査で隣にある龍神岳の方が1mほど高いことが分かった。測量技術の発達した現代で、今ごろ分かったというのがどうも腑に落ちない。

 女房は以前友達と龍神岳に登っているので、護摩壇山に向かった。遊歩道を500mほど歩けば頂上だ。道は、ふかふかの落ち葉の絨毯である。女房は落ち葉を集めて畑の堆肥を作るのが趣味で、どこへ行っても落ち葉があると目の色を変え、手にとって喜んでいるのだ。

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 そのまま帰るのはもったいないので、護摩壇山から近い龍神温泉に立ち寄ることにした。「日本三美人の湯」として良く知られる。これまで何回も知り合いのご婦人や女房と一緒に行ったが、風呂上がりの女性たちはそれほど変わり映えせず、にわかに美人になった訳でない。いや、失礼!

 なぜ美人の湯と呼ばれるようになったか不思議でならなかったが、今回やっとその理由が分かった。湯に浸かると、肌にヌメリがまとわりついて来るのだ。これまでは、それほどヌメリを感じなかったので、驚きだった。

 二度目の驚きは翌日。顔をなでてみると、まだツルツル、スベスベなのだ。女房も大喜びである。この温泉は自然噴出の掛け流しだが、どうやら日によって湯の状態が異なるようだ。わが山小屋の近くにある清水温泉や二川温泉でもヌメリ感の強い日とそうでない時があるので、美人の湯も同じなのだろう。

 しかし、やはり龍神温泉は特別の湯だと思う。同じ重曹泉でもその濃度や性質が違うのだと思う。すっかり見直した・・・。

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