薩摩の秘密留学生

  海外勤務を敬遠する。海外留学が少なくなっている・・・。若者たちの内向き志向が強いと言われる当世だ。出世にそれほどの関心はなく、ひと旗揚げようという大きな夢もない。競争を避け、そこそこの幸せであればいい。何か、人間が縮んでいるように思える。

 われわれ老いぼれも今の中年たちも、海外に目を向け、大いなる好奇心を持ち、熾烈な競争の世界に身を置いた。自慢じゃないが、懸命にオンナの尻も追っかけたものである。当節の草食系男性など、到底信じられない生態である。内向き志向と草食化は軌を同じくしているのだろうか。

 このような時代性に、一石を投じるような小説を読んだ。林望(はやし・のぞむ)、ことリンボウ先生の「薩摩スチューデント、西へ」(光文社文庫)である。ここに描かれているのは、幕末の日本に芽を出し、やがて大樹に育つ青春の群像である。今の若者たちに是非読んでもらいたい一冊だ。
 
 物語は、慶応元年(1865年)薩摩のひっそりした羽島の浦から一隻のイギリス蒸気船が、密かにロンドンに向け出航して行くところから始まる。そのころ、幕末日本はいよいよ風雲急を告げ、坂本竜馬が薩長同盟を実現させようと奔走していた。

 蒸気船には、薩摩藩の密命を受けた留学生15人、秘密使節団4人、計19人が乗っていた。留学生はいずれも屈指の俊英で、多くは20歳代だが、13歳、15歳、18歳の少年も含まれていた。使節団には、後の大実業家五代友厚、維新政府の外務卿寺島宗則も名を連ねている。

 言うまでもなく、当時密航は重罪だった。しかし五代は、来るべき新しい時代の人材を育成するため、家老の小松刀帯を通じ藩主に秘密留学の派遣を建議した。先進的だった薩摩藩はこれを許し、留学生に航海術、砲術、機械工学、医学など様々な分野を学ばせることにしたのだ。

 驚いたことに、土佐の参政吉田東洋を暗殺した土佐勤皇党の高見弥一が留学生の一員に加わっていた。高見は脱藩して薩摩藩に拾われ、当地の武家の養子となったのだが、元はよそ者でも優秀であれば人材として育てる薩摩の懐の深さをがうかがえる。しかも、渡航費、滞在費は億単位の金が必要だったはずで、教育には金を惜しまなかった。

 2か月に及ぶ航海中、船酔いに苦しみ、洋食になじめないながらも、猛烈に勉強した。シンガポール、インド、スエズなどを巡り、近代化した街並みや異文化に触れ、誰もが驚愕した。生麦事件、薩英戦争を知る留学生たちは強烈な攘夷思想の持ち主だったが、外国の見聞を広げるにしたがって攘夷に疑問を持ち始める。

 ロンドンでの留学体験や、帰国後の人生については本を読んでいただきたい。だから多くは書かないが、彼らには「お国(藩)のため」という痛々しいほどの使命感が貫かれており、この青春紀行の太い背骨になっている。

 ところで先ごろ、菅総理は日本国債の格下げをめぐり、「そういうことには疎いもので」と発言した。どのような趣旨でそう言ったかは知らないが、「疎い」という言葉を使うこと自体、一国の総理としてまことになげかわしい。薩摩藩が留学生や使節をロンドンに送ったのは、西洋に「疎く」て新しい時代を拓けないと考えたからだ。

 莫大な金を投じ、禁を恐れず秘密留学生を送り出した薩摩藩の先見性と決断力は、大したものだと思う。留学生たちもまた、今の内向き若者とは対象的だ。リンボウ先生の本を読んで、現代の政治も若者もひどく小さく見えた・・・。

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「平成の開国」なんて大仰な・・・

  今日も雪が降っている。山小屋は尾根に建っているので、「降る」というより山の斜面に沿って雪が吹き上がって来るのだ。昨日も新雪を蹴って生石高原を歩いた。日課だから今日も歩こうと思っているが、深々と降る雪を眺めていると、気持ちが萎えてくる。

 寒気と雪に閉ざされると、山小屋でぐーたら過ごす時間が長くなる。国会論戦が始まったのは、格好の暇つぶしである。いや、暇つぶしなどと言うと不謹慎かもしれない。この国の行方を占う論戦に、耳の穴をほじくって聞くことにしよう。

 論戦を聞くまでもなく、民主党政権は袋小路に追い詰められている。かつての自公政権の行き詰まりもあったが、有権者は民主党のバラ色のマニフェストを信じて一票を投じ、圧勝させた。それからまだ1年半も経っていないのに、にっちもさっちも行かない有様である。

 マニフェストを実行したい、しかし財源がない。その結果、来年度予算案は歳入より国債発行の方が多くなるという結果を招いた。子供手当てや高校無償化にかかる莫大なお金は、将来この子たちが返済しなければならないのだ。マニフェストの根幹を修正すれば、民主党が政権を担う大義が失われるのだから、難儀なことだろう。

 まあ、こんなことは国民の多くが知っているし、賢明なる菅総理も、とっくにこの矛盾と行き詰まりを自覚しているはずだ。それにしても、菅総理が連発する安っぽいキャッチフレーズは何だろうと思う。菅総理の言葉に対する底の浅さが感じられて仕方がない。

 政権発足当時、まずは「奇兵隊内閣」と言った。幕末、高杉晋作が組織した倒幕義勇軍の名前からとったものだ。身分の上下なく農民たちも参加した点が気に入ったのだろうが、内閣は奇兵隊のような神出鬼没、八面六腑の活躍とはほど遠く、晋作が生きていたら何と評するだろう。

 所信表明演説にも出てきた「最小不幸社会」「不条理を正す政治」「有言実行内閣」「熟慮の国会」も言葉だけが踊っていて、特別の意味があるとは思えない。どれも、そう言われてみれば、「はい、ごもっとも」と言う程度だ。最小不幸の社会とは、弱者の不幸をなくそうとするものだろうが、そんなものは言わずもがなである。国民に媚びた嫌な臭いがする。

 首をかしげるのは「平成の開国」だ。舌を噛みそうな「TPP」。環太平洋諸国による関税撤廃協定に参加し、国を開くという意味だろう。協定に参加すれば、日本農業の競争力が失われると反対する人も多い。貿易立国の日本にとって悩ましい問題である。

 しかしどうして、「開国」などという文言を使い、大上段に振りかぶるのだろう。そもそも、菅総理が「明治の開国」と同列に置くこと事態に滑稽さを感じるのだ。幕末、列強から国を守るため、力を失った幕府に代わる強い国家体制を作り直す戦いが繰り広げられ、多くの血が流れた。

 強い新政府の樹立なくして開国はあり得ないという危機感こそ、維新の原動力だった。国の基礎を固めて初めて開国へと踏み出したのであって、そのドラスチックさに比べれば、平成の開国なんて屁のようなものである。それを「開国だ」「元年だ」と騒ぎ立てている。日本は明治以来とっくに開かれた国なのだ。

 「開国」への決意を見せ、強い総理像を作り出そうとしているのだろうが、セコイ話だ。やたらキャッチフレーズを振り回しても、国民は言葉の軽さを見透かしている。菅総理は、舌鋒鋭く、立て板に水だった野党時代の姿を取り戻したらどうだろう。とろーんとした目つきも、シャキッとするだろう・・・。

風邪をひかない山暮らし

  年末以来、ずーっと寒い日が続いている。これまでの最低気温はマイナス10度。日中でも氷点下の日が多い。雪深い山村生まれの私だが、こうも寒いと少々滅入ってくる。

 昨日は天気が良かったので、山小屋に至る長い階段の雪にお湯をかけ、溶かす作業をした。雪の下は氷になっていたが、何とか取り除く事が出来た。これで滑らなくて済む。しかしそれも束の間、今朝起きてみると、また雪が降り続いている。元の黙阿弥である。

 雪の量は、東北や山陰などに比べれば大したことはないが、そのような土地ではすぐに除雪車が出動する。しかし、私たちが暮らす山奥にまで除雪車など来てくれない。だから道路の雪が溶けるのを待つしかないのだ。

 このように愚痴ってはいるが、雪は大好きなのだ。キリッとした空気が快いし、真っ白な草原を歩くのも楽しい。だから、生石高原から生石ケ峰(870m)に登る日課は欠かすことがない。

 生石山の山小屋に定住して三度目の冬を迎えているが、不思議なのは一度も風邪をひかないことだ。女房も同じである。働いていたころは、夫婦そろってよく風邪をひいたものだ。寒いと人間の免疫力が低下するので、冬は風邪をひきやすいし、空気の乾燥も影響があると聞く。

 ここ山小屋はひどく寒いし、乾燥もしているのに、どうして風邪をひかなくなったのだろう。まさか、高地には菌がいないという訳ではなかろう。毎日1時間ほど寒風の中を歩いているのがいいのか、森の木々が発散する有用な物質が免疫力に作用しているのか・・・。どちらにしても、体内に風邪をはねのける力が備わって来ているのだとしたら、有難いことだ。

 風邪といえば、坂本竜馬は京都三条の近江屋で暗殺されたその夜、風邪をひいていたと言われる。今読んでいる浅田次郎の最新作「一刀斎夢録」にそう書かれているし、別の本でも読んだことがある。あっ、そういえばNHK大河ドラマの「龍馬伝」でもそのように描かれていた。

 いつの時代でも、風邪は誰もがかる厄介な病気である。だから、「風邪をひいた。熱がある」と言われれば、「お大事に」となる。悪く言えば、仮病にはもってこいの病気だろう。会社を休む口実に使ったり、約束を反故にしたりする時は、まことに都合がよい。

 降りしきる雪を見ながら、このような他愛もないことを思い浮かべている。今さっき、雪道を走って運動をしてきた犬のピー助が女房に連れられ帰って来た。ピー助は一目散に薪ストーブの前に走り寄り、特等席で暖をとっている。この雪では、今日の散歩は少し億劫だ。

 どっちみち「ひまじん」である。何をしなければならぬこともない。雪を見て缶ビールをすすり、昼寝でもしようか・・・。

     ↓ 雪道の散歩から帰り、暖をとるぴー助
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煙突修理・・・これぞドブレの炎

  薪ストーブの煙攻めで、私たち夫婦の仲が険悪になっているとの記事を先日のブログで書いた。これを読んだ馴染みの薪ストーブ専門店「憩暖」(河内長野市)のK社長が驚き、雪道を走って生石山の山小屋に駈けつけてくれた。

 16年使い続けたストーブが破損したため、昨年秋、「憩暖」に「ドブレ760CB」(ベルギー製)という大型の機種を設置してもらった。K社長にすれば、「ストーブを納入した手前、放ってはおけない」という訳である。

 K社長は山小屋に着いて休む暇もなく、拳で煙突を叩き続けた。「うーん、こりゃーいかん。煙突にかなりクレオソートが付着してまっせ」。さっそく室内の煙突を取り外し、屋外に出して煙突の一方に火を付けた。白煙が噴き出し、やがて「ゴーッ」という音を立てて炎が舞い上がった。こびり付いたクレオソートを燃やして除去したのだ。

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 屋外の煙突も掃除しなければならないが、長年ズボラしてきたのでトップが外れない。このため下から棒でつついてクレオソートを落とした。山小屋は相当寒いので、屋内も二重煙突にして保温すれば燃焼が良くなると言う。しかし、今は繁忙期なので作業の予定が詰まっており、とりあえずこの冬は応急処置でしのぐことになった。

 それはまるでギブスを付けた怪我人のようだ。煙突にセラミック断熱材を巻き付け、アルミ箔のようなもので覆う。見た目には不格好だが、煙攻めから逃れられるならどうにでもしてくれという心境である。

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 これで一応の処置は終わり、火を入れようとした時、山の仲間たち4人が遊びに来た。みんなが見守る中、ストーブの炉内一杯に炎が燃え広がると、称賛の声が上がった。これを見届けてK社長は帰って行った。ところがしばらくすると、何としたことか、あっという間に火が消えてしまい、炉内に充満した煙が隙間から噴き出したのだ。

 仲間たちは「このストーブ、欠陥品じゃないか?」「薪が悪い」などとからかい、帰ってしまった。女房も「こんなストーブを買うからや!」と悪態をつく。こちらはもう頭に血が上るわ、疑心暗鬼が渦巻くやら。何とか燃やしてやろうと、夕方まであれこれやってみたが、ストーブはへそを曲げたままだった。

 万策尽きてK社長に電話すると、「面目丸つぶれやなあ。明日行きますわ」と言ってくれた。今度はベテラン従業員も同行している。さっそく屋根に上がり、煙突トップにへばりついている分厚いクレオソートをはがす作業を延々と続けた。

 「もう心配いりませんよ」と、K社長は太鼓判を押した。火を燃やすと、今まで見たこともない美しく、強い炎が広がった。煙突掃除をおろそかにしていたことを棚に上げ、ドブレストーブに不信を抱いたこともあった。女房も手のひらを返したように、「さすがこのストーブは優れものね」と言っている。

 それにしても、いいストーブ屋さんと知り合ったものだ。2日連続で遠く大阪から駈けつけてくれたし、料金はいりませんとまで言ってくれる。悪いのは、煙突掃除を怠りがちだった私である。知識としては良く知っていたが、煙突を甘く見ていたのだ。

 ストーブは力強く燃えている。煙も出ない。ガラスも曇らない。そして、われら夫婦仲は「とりあえず穏やか」になった。めでたし、めでたし・・・。

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雪で立ち往生した男が泣いた・・・

  夕方の4時ごろ、山小屋の玄関ドアを叩く音がした。宅配の配達予定を聞かされていたので、ハンコを持って表に出ると、30歳代と思われる男性が全身に雪をかむり、寒さに震えながらたたずんでいた。

 彼は開口一番、「助けて下さい」と言い、丁寧に頭を下げるのだ。事情を聞くと、ここ生石山の中腹あたりで乗用車が雪でスリップし、動けなくなった言うのだ。車には奥さんと小さな子供が乗っているらしい。

 男性がJAFに電話すると、同じような事故が相次いでいるので、何時に行けるか分からないとの返答。仕方なく消防署に助けを求めたが、「車が燃えていなければ行けない」とのことだったらしい。まあ、そうだろう。

 このような雪では通りかかる車はほとんどなく、近くに人家もない。しかも日暮れが迫っている。山の頂上付近に私たちの山小屋があるのを知っていたので、山道を2、3キロも歩き、助けを求めにやって来たというのだ。水鼻が垂れ、憔悴したような顔つきで、今にも泣き出しそうな表情だった。

 車は日産スカイラインと大きいが、幸い車輪は谷に落ちていないらしい。仲間のピーターとMに助っ人を頼めば何とかなるだろうと、軽トラに分乗して現地に向かった。スカイラインは、車体後部を山の斜面にぶつけたまま道を塞ぐように横向きになっていた。

 3人で車を押し、下り斜面に向かせようとするが、横滑りして制御がきかない。なおさら厄介なことに現場はヘアピンカーブだ。一つ間違えば谷に落ちるし、押しているこちらの身も危ない。時間はかかったが、何とか車を下り方向に向ける事が出来た。

 麓までの道はまだ数キロにわたって雪が積もっており、「はい、それではサヨナラ」という訳にも行かない。またトラブルが起きてはいけないので、私の軽トラに母親と子供を乗せ、雪のない所までついていくことにした。

 母親は、子供に雪を見せようと生石高原に行こうとしていたと言っていた。スカイラインは四輪駆動でないし、しかも普通のタイヤである。そのような車で雪の山道を登れる訳がなく、無謀と言うしかない。毎年こういうドライバーが後を絶たず、あちこちで事故を起こし、人に迷惑をかけているのだ。今回同様、助けを求められるのは、ひと冬に何度かある。

 4キロほど山を下ると道路の雪がなくなり、ここで別れることにした。男性は車から降り、「助かりました。有難うございました。いずれ、お礼に伺います」と声を震わせながら話し、眼鏡の奥に涙が浮かんでいた。

 男性が見せた涙・・・。われわれに対する感謝の気持ちもあろうが、それよりも安堵の気持ちが強かったのではないか。雪の道で立ち往生し、日も暮れてくる。さぞや心細かったに違いない。その緊張感が一気に緩んだのだろう。

 雪道を何の備えもない車で走る無謀は責められて当然だ。しかし、その後とった彼の行動は正しかった。家族を守るため、まごまごせず1時間も歩き続けて助けを求めた。亭主たるもの、家族の危機に対して敢然と立ち向かわなければならないのだ。

 それが男というものである。私を非力に思っている誰かさんに言いたい。「俺も男だ!」と・・・。

 

われら夫婦が燻製になる・・・

  このところ、夫婦仲が険悪になっている。事の始まりは、「臭い」であった。女房は自分のオナラの臭いに寛容なくせに、私のそれには鬼のような顔をする。いや、オナラだけではない。あらゆる臭いに敏感なのだ。臭いに鈍感な私にとって、女房の過剰反応が我慢ならない。

 険悪な事態を招いたのは、薪ストーブから出る煙である。私の一日は、薪ストーブを燃やすことから始まるのだが、杉の木を小割りにした焚き付けに火を付けると、最初はどうしても煙が出る。すると、二階のロフトで寝ている女房が「煙たい、煙たい!」と声を荒げるのだ。

 薪ストーブで暖房している限り、多少の煙は我慢しなければならない。しかし女房は、洗濯物や衣服に煙の臭いが染み付くのを嫌がるのだ。確かに私たち夫婦は、チップに燻された燻製のようなものだから、都会に出て息子夫婦や娘たちに会うと「山小屋の臭いがする~」と言われる。

 香り高きわれらスモーク人間・・・。それはそれでいいと思うが、最近そうも言っておられない異常な事態になってきた。ストーブから物凄い煙が出始めたのだ。女房の「煙たい!」の声は怒りに満ちている。もはや女房に「少しくらい我慢せい!」とは言えなくなってきたのだ。

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 この事態を説明するには、薪ストーブの機能について書かなければならない。炉内の薪は、給気口から送り込まれる新鮮な空気によって燃える。すると煙突が温まり、炉から煙突へと上昇気流(ドラフト)が発生し、給気口から大量の空気を吸い込み、薪が勢いよく、安定して燃えるのだ。

 要するに、ストーブにとって煙突のドラフト効果がなければ、何の役にも立たない鋳物の箱でしかない。ところが正月以降、私たちが暮らす生石山は猛烈な寒気に包まれ、今日16日朝の場合は氷点下10度といった具合である。だから、最近は薪を燃やしても煙突が温まらず、炉内へ流れ込む空気が少ないためチロチロしか燃えないのだ。場合によっては、煙が逆流して室内に充満することすらある。

 薪ストーブに関する本を何冊か置いているが、女房は夜な夜なこの本を読んでストーブの勉強を始めた。にわかに専門家のようなことを口にするようになり、生意気にもあれこれ指示するようになった。

 まあ、指示されなくても煙突掃除はまずやらなければならない。まずはストーブの火を絶ち、本体と煙突をつなぐ部分を取り外した。何と、その入り口付近を塞ぐように煤の結晶がこびり付いていた。「これじゃ、薪が燃えないわなあ。 あっ、は、は」・・・。これで一件落着、夫婦喧嘩も休戦となった。

 ところがである。思うように火が燃えないのだ。燃やそうとしてストーブの扉を何度も開けるので、煙がまたも充満する。女房は山小屋の窓を全部開けまくり、まるで冷凍庫のような寒さだ。「換気扇を10個くらい付けてよ!」とヒステリックに叫ぶ女房とは、また冷戦に逆戻りである。

 こうなれば、1台目、2台目のストーブを設置してもらった専門店「憩暖」(河内長野市)に相談するしかない。電話口に出た社長は「そちらは寒過ぎるのです。屋外に出ている煙突はダブル構造だが、室内の煙突もダブルに付け替えれば解決出来ると思いますよ」とのことだ。

 うーん、またも高額な出費になる。さて、どうするか・・・。女房は「最初にケチルからこうなるのよ。専門書を読まなかったの?」と、傷口に塩をすり込むようなことを言う。毎朝、本格燃焼まで2時間余りも給気口を開けたり閉めたり、色々と苦心しているのだ。

 私より3時間ほど遅く起きてくる女房は「プハー、今日も煙たいなあ」とほざいている。「バカモーン」・・・。

 

不注意の代償は・・・

  いやはや、とんでもないことが起きてしまった。意地悪な人なら拍手喝采しそうなこの話は後半に・・・。 

 去年の12月大阪梅田の茶屋町にオープンした日本最大の書店「丸善&ジュンク堂」に行ってみたいと思っていた。数日前から大阪の娘の所へ遊びに行っていた女房に「車で迎えに行ってやろうか?」と優しい言葉をかけたのも、この書店にぜひ行きたかっただけである。

 地下1階から7階まですべてが本売り場で、総面積2000坪、在庫本は200万冊を数えるとてつもない本屋さんである。話題の本が整然と並べられ、分野ごとの品揃えも豊富だ。ウキウキしながら半日も遊ばせてもらった。

 折角だから、発売されたばかりの浅田次郎著「一刀斎夢録」(上下巻、各1600円)を買った。新撰組きっての剣客と言われた斎藤一の血風録である。何年か前に出版された「壬生義士伝」「輪違屋糸里」に続く新撰組読本だが、特に「義士伝」は、笑わせ、泣かせる浅田節の真骨頂とも言える一冊だ。

 梅田の地下に「全席喫煙可」という喫茶店がある。今どきこのような店は珍しく、表彰状を差し上げたいくらいである。ここで買った本や雑誌を読みながら時間をつぶした。すぐ帰っても娘や女房に煙たがられるだけ。オヤジの威厳も地に落ちたものである。

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  さて問題の事件とは--。

 次の朝、娘の愛犬「ぴーすけ」(シーズ)を一時山小屋へ連れ帰ることになった。ぴーすけを軽トラの座席に乗せてやると、車が大好きなので飛び跳ねて喜んでいる。この日は大阪でも氷点下という寒さなので、エンジンをかけてヒーターを入れたままにして荷物を取りに娘の部屋へ行った。

 軽トラに帰ると、ドアが開かない。助手席は最初からロックしておいたが、運転席もロック状態になっているのだ。ぴーすけがロックする棒状のつまみを押してしまったに違いない。車の窓に足を掛けるのが癖なのだ。無邪気にこちらを見つめるぴーすけに罪はない。私の不注意である。

 両手に荷物をぶら下げて車に戻った女房は「アホや」と睨みつけた。言い訳を探しても見つかるはずがなく、「いやー、参ったなあ」と頭をかくのが精いっぱいだ。こうなればJAFに来てもらうしかない。コートや手袋は軽トラの中で、罰ゲームじゃないが、JAFが来るまで35分間、寒さに震えながら待ち続けた。

 さすがJAFで、ロック解除は数十秒の早業である。ところが請求金額は、会員ではないので1万2500ナリ。あっけないほどの早技と高額費用の不釣り合いが無念さを増幅させるのだ。年金生活の身には、この日の寒気のように、あー辛い・・・。

 余分な出費を強いられたため、山小屋への帰り道は高速を使わずに地道を走って倹約した。いつもなら昼食はファミレスかラーメン屋にでも入るが、気弱になっている私は女房に小さく言った。「すき屋の牛丼(250円)にするわ」・・・。

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遅まきながら初詣

  1月4日、菅首相が伊勢神宮に参拝した。皇室のご先祖「天照大神」を祀る伊勢神宮は、いわゆる「国家神道」の頂点にある。市民活動家だった菅首相がうやうやしくこうべを垂れる姿はどうも似合わないし、違和感さえ感じる。

 進歩的な文化人や政治家たちは、伊勢神宮をして「侵略戦争遂行の精神的支柱」と言ってきた。根っから進歩的な菅首相はどのような気持ちで参拝したのだろうか。まさか、心は神に背を向けて--なんてことはないと思うが・・・。

 政権運営に苦しんでいる首相にしてみれば、思想信条はともかく、神頼みの心境だったのではないか。「日本の復活」を祈願したと言っているが、これは表向き。小沢切りで政権浮揚を図り、何が何でも政権維持などという権謀術数が胸中渦巻いてたに違いない。

 ところで私たち夫婦の初詣だが、温泉巡りをしていて松の内を過ぎてしまった。まあ、1月15日までが松の内という説もあるそうだから、神様も大目に見て下さるだろう。

 生石山に定住してからは、山の八合目ほどの森にある「生石(しょうせき)神社」にお参りすることにしている。山小屋から歩いて往復1時間半の距離だ。この森で生活させてもらっているのだから、感謝の意を捧げたいという思いもある。

 朝10時過ぎ、薄っすら積もった雪を踏みしめ、神社に向かった。それにしても今年の冬は例年になく寒く、連日氷点下である。体が温まるまでは、足や手の指の感覚がなくなるほど冷たい。

 神社の参道には人の足跡がなく、私たちはこの日最初の参拝者だ。地元の人は正月三が日に初詣を済ませているので当然だろう。菅総理に比べて私たちのお参りには邪念がなく、お願いもささやかである。

 初詣だけはお賽銭も奮発して100円玉をチャリン。「お金はいりません。家族が健康でありますように」・・・。ただそれだけである。女房は長々と頭を下げている。家族や友人、知人、娘の愛犬まで思い浮かべ、無病息災をお願いしているそうだ。

 遅まきながらお参りを済ませ、忘れ物をしてきたような重い気分が晴れた。

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グレンスフォシュ・ブルークスの斧

  「肥後の守」をご存じの方は、多分、50歳くらいから上の人だろう。私の小学生のころは、みんな筆箱の中に入れていた。この折り畳み式のナイフで鉛筆を削ったり、模型飛行機などの工作に使っていたりした。切れなくなると、コンクリにこすりつけて研いだものである。

 肥後の守の刃渡りは7、8センチ、先は鋭く尖がっていた。今の学校は、児童がそんな刃物を持つことを許さない。もちろん親も、目を吊り上げて取り上げるだろう。だから、ナイフで鉛筆を削れない、リンゴの皮をむけない子供が多くなってしまった。つまらない世の中になったものだ。

 私の手や指は、あのナイフの切れ味を覚えている。切れない刃物にイライラするのは、そんなせいかもしれない。人様に自慢できるような趣味ではないが、刃物を研ぐのが好きなのだ。だから女房が使う包丁はいつも良く切れるし、私が魚をさばく包丁もヒゲが剃れるほど刃が立っている。

 つい最近、以前から欲しかった斧を買った。スウェーデンの「グレンスフォシュ・ブルークス」というマニアの間ではかなり知られた斧である。100年以上の歴史があり、鍛冶職人が1本、1本手作りしているので、良く切れる。

 用途によって10種類くらいの斧が作られており、その中から「ワイルドライフ」を選んだ。柄の長さが35センチで、一番短いタイプだ。枝木を切り払ったり、乾いた杉の木を縦割りにしたりするのに適している。薪ストーブの焚き付けを作るのにとても便利で、ストーブライフにはぜひ欲しい道具である。

 中学の教科書にも載っていたが、棒の先に平たい石を縛りつけたのが斧のルーツだろう。この石器時代の道具に対し、刃渡りが長い鉈(なた)は鉄が普及したころ作られたと思う。鉈は日本の山村ならどこの家にもある。私も小さいころから木を切ったり、青竹を割ったりすのに使ったものだ。

 今も2本の鉈を使っているが、先人の道具はたいしたもので、なかなか使い勝手が良い。これなくして山の生活が出来ないくらいだ。しかし斧に比べて軽いので打撃力が弱く、太い枝を払ったり、木を割ったりするのには力不足なのだ。そこで買ったのが「ワイルドライフ」という訳だ。

 女房は「また買ったの?」と、私の刃物好きにあきれている。確かに私は道具にこだわる。何事も道具から入る人と、道具に頓着しない人がいるようだ。山の仲間のMという男は、たった10センチ余りのアジを釣るのに、マグロかカツオでも釣れそうな丸太のような竿を使い続けている。私だったら我慢ならない。

 新しく買い求めた斧は、なるほど良く切れる。重みもあるので、杉の木がスパッと割れる。こだわりの道具だからこそ、使っていて気持ちがいい。青白く光る斧の刃を眺めていると、何やら血が騒ぐ・・・。

       ↓ 工芸品とも言えるグレンスフォシュ・ブルークスの斧
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       ↓ 長く愛用している鉈
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おめでとうございます・・・雪の山小屋から

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   新年を迎えた山小屋は、猛烈な寒気に包まれている。例年、夫婦だけでひっそりと元日を迎えているが、今年は息子夫婦と孫、山で暮らす仲間のピーター、ファーマーMも交え、にぎやかにお屠蘇を囲んだ。

 息子夫婦も来るというので、女房はお屠蘇に腕をふるい、棒ダラ、数の子、煮豆、海老、コンニャクなどが食卓に並んだ。まずは、越後の銘酒「久保田」で乾杯!! 窓辺にはヤマガラもやって来て、中の様子をうかがっている。

 1年10か月になる男の孫は、餌を求めてホバーリングを繰り返すヤマガラに興味を示し、ガラスの引き戸に顔をくっつけている。孫が山小屋に来たら、自分の手でヤマガラに餌を与えさせてやろうと思っていた。

 寒いので窓を少しだけ開け、その間から餌を乗せた手を出して食べさせる。ヤマガラの手触りがこそばゆいのか、孫はすぐ手を引っ込めてしまう。なかなかうまく行かなかったが、それでも目の前に飛んでくる小さな野鳥を飽きることなく見つめ、声を出して笑っていた。

 人間の記憶力は人によって異なる。私の場合など、昨日の晩ご飯に何を食べたかさえ思い出せないのだ。老化によって、記憶力はますます劣化して行く。しかし、若い頃の記憶は割り合いしっかりしていて、5、6歳くらいまで遡れるものもある。もっと幼いころを記憶している人も少なくないだろう。

 「三つ子の魂百まで」と言うから、記憶にあるかどうかとはともかく、幼いころの体験は心の奥の襞に刻まれていて、その後の人生に少なからず影響を与えているのだと思う。虐待を受け、深い心の傷を受けた子供は気の毒だ。

 教育熱心な親は一流のものに触れさせたいと、名画を見せたり、名曲を聴かせたりしているそうだ。それも悪くはないだろうが、しかしそれよりも私は「自然と遊ばせる」ことの意味は大きいと思う。優しい心、命の大切さを思う心、助け合う心、いたわる心・・・。自然との触れ合いの中でこそ学べることだと思う。

 それには確信がある。私は田舎で生まれ育ったので、名画も名作にも縁がなかった。その代わり、豊かな自然があった。山や小川で遊び、かまどや風呂を焚く柴を取りにも行った。カエルやヘビをいじめる悪ガキだったが、山に咲く白い百合を美しいとも思った。このように自然と遊んだお陰で、私は心優しい素直な人間に育ったのだ。揺るぎない確信である。

 孫がヤマガラの感触、冷たい雪の手触りなど山小屋での体験を心に残してくれればと願う。そして、私のように素直な人間に育ってもらいたいと思う。女房は私を指して「反面教師がそこにいる」と言うが・・・。

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