憂国のひまじん・・・

  きのう日曜日の朝、山小屋のウッドデッキでヤマガラに餌をやっていると、すぐ近くの梢でウグイスが鳴いていた。今年初めて聞く鳴き声だ。去年もちょうど同じ2月27日に初鳴きを聞いている。ウグイスがカレンダーを見ながら鳴く訳はないが、それにしても野鳥の体内時計の正確さに驚かされる。

 明けて今日の朝は、昨夜から降り出した雨が降り続いている。山小屋は霧の中に沈んでおり、今日は終日雨だろう。ウッドデッキの床の上で飛び跳ねる雨粒を眺めていると、いささか気分が重くなる。

 朝寝坊の女房よりひと足先に朝食を摂るのが日課である。朝食と言っても、トースターで食パンを1枚焼くだけである。バターを塗り、牛乳で胃袋に流し込む。一人で食べる朝食は、いつものことだから侘びしくはない。女房が嫌がる煙草もプカプカ、オナラだって遠慮することはない。朝のこのひと時、気楽でいいものだ。

 食後は、外を見ながらぼーっとしていることが多い。NHKの連続ドラマは面白くないし、テレビのキャスターや評論家のつまらない時事解説にも興味がない。この朝は、久し振りに加古隆のCDをかけてみた。音楽好きという訳ではないが、どこか憂いのある加古のピアノはいいなあと思う。

 CDの4曲目は「パリは燃えているか」である。以前ブログでも書いたことがあるが、この曲はNHK特集「映像の世紀」のテーマ音楽だ。これが流れると、敗戦国日本の生々しいシーンを思い出す。それがどこの場所だったか忘れたが、道端にいた10人余りの人たちが、通りかかったアメリカの進駐軍の車列にくるりと背を向ける映像だ。丸坊主に半ズボンの子供も背を向けた。

 その映像を見たとき、胸が熱くなった。大名行列にひれ伏すような卑屈さは微塵もなく、日本人が見せた不服従の姿に感動したのだ。進駐軍に背を向けたあの人たちが特別だったのだろうか。いやそうではあるまい。敗戦は事実とし受け入れるが、屈辱だけは受け入れないという多くの日本人の心意気を示したのだと思う。

 あれから65年が経った。はっきり言って、占領時代から今日に至るまで、アメリカにはいいようにされているという思いが強い。アメリカは脱脂粉乳を配り、核の傘を提供し、民主主義を最大の価値観だと喧伝し、グローバルスタンダードを押し付けた。この圧倒的な影響力のもと、いつの間にか日本人らしさを失ったように思う。

 日本とは、日本人とは何か--。棺桶に半分足を突っ込んでいるわが身だが、人生に残された宿題のように、最近そんなことを考えることが多い。はい、柄にもなく・・・。
スポンサーサイト

フキノトウに春の足音を聞く・・・

vcm_s_kf_repr_468x351_20110224184942.jpg

  2月中旬までの寒さが嘘のように、このところ暖かい日が続いている。気温が10度を超える日も珍しくない。日蔭ではまだ雪が残っているが、これも数日のうちには消えるだろう。いよいよ三寒四温の季節。春の足音が遠くから聞こえ、気持ちが浮き立ってくる。 

 地中の虫が動き出す「啓蟄」は3月6日ごろだが、人間の方は、虫よりひと足先に動き出している。ここ生石山の別荘地にはチラホラだが、人影が見えるようになった。静まり返っていた生石高原の駐車場にも車が増え、草原を歩く人を見かける。

 天気が良いので、山に暮らす仲間から「バーベキューをやろう」という声が上がった。森の広場に集まったのは全部で9人。皆が食材を持ち寄り、ビール片手に大いに食べた。これだけ多くの人が集まるのは久し振りで、まさに虫が這い出してきたような観がある。

 仲間の中に、奈良から通って来る夫婦がいる。昨年秋、自分たちの山小屋に隣接する100坪の区画を買った。奥さんの鶴の一声で土地購入を決めたというかかあ天下の一家である。「わたし、ベネシアさんになるの」という奥さんの話を聞きながら、肉をほうばった。

 その奥さんは、京都・大原に暮らすイギリス人のベニシアさんの大ファンである。日本の暮らしを愛するベニシアさんは、NHKの番組がよく取り上げる有名人だ。庭にハーブを植え、暮らしに工夫をこらす生活スタイルに憧れる人が多いのだそうだ。新しく買った土地にハーブ園を作るという奥さんは、大張り切りである。人の夢を聞くのは楽しいものだ。

 バーベキューが終わりかけた時、女房が「明日はカレーをするので、みんな来てね」と言った。仲間からいつもご馳走になっているので、お返しをしたかったのだろう。

 この日も天気がよく、暖かい。女房が作るメニューはカレー、牡蠣フライ、豚カツだ。誰かが「フキノトウを天麩羅にしよう」と言い、付近の草むらを歩いてフキノトウを探した。落ち葉を払いのけると、美しい黄緑色の芽が出ており、20個ほど摘んできた。

 熱々のフキノトウの天麩羅を口に入れる。たちまち、ほんのりした苦味が広がった。春を凝縮したような味わいである。仲間のドイツ人ピーターは「どうして日本人はこんな物を食べるの?」というような表情をしている。日本に四季折々の「食の風流」を楽しむ文化が根付いていて、うれしい。

 思わぬメニューに加わったフキノトウ。ああ、もうすぐ春だなあ・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110224185056.jpg
vcm_s_kf_repr_468x351_20110224185158.jpg

パンダ騒動・・・これは何だ!

  中国からパンダ2頭が上野動物園にやって来た。NHK夜9時のニュースはこれをトップニュースで伝え、民放、新聞も大きく報じている。この大騒ぎ、馬鹿騒ぎは、一体何事か!

 たかだかパンダが日本に来ただけで、それがどうしたと言うのだ。もはやパンダなんか珍しくもなかろうに。目の周りが黒く、ぬいぐるみのようにコロコロしているので、なるほど可愛いかもしれない。しかし、ヒグマ、ツキノワグマ、北極グマだってよく見れば同じように可愛い。

 パンダは、かつて日中友好の象徴として来日した。一風変わった姿を見ようと、動物園には長蛇の列が出来た。その日中友好だが、そんなもの元々存在しなかったし、今では尖閣事件などで一層悪化している。パンダなど見たくない、餃子は死ぬまで食べない--などと中国を嫌う人も少なくない。

 もし嫌中派筆頭格の櫻井よしこ女史が口を開けば、「パンダは異形の中国が放つ工作員みたいなものですのよ。オ、ホホホ・・・」と、上品かつ辛辣におっしゃるに違いない。パンダは可愛い毛皮を着たプロパガンダの先兵なのか。まあ、そこまで言わなくとも、中国にしてみれば格好の外交の道具だろう。

 パンダが可愛いからというだけでテレビや新聞が大騒ぎするのは、いかにも見識がない。トピックスとして小さく扱えばいいのだ。もし大きく報じるなら、中国のパンダ外交の裏側を掘り下げるような工夫が必要だろう。

 中国に支払うパンダのレンタル料を聞いて、またムッとした。年間8000万円、これを10年間続けるという。総額8億円ですぞ!その金はパンダ保護のために使うそうだが、そんなもの誰の懐に入るか分かったものでない。

 しかも、パンダに与える1日の餌代が1万5000円。竹とか笹を食べるそうだが、それにしてもべらぼーな金額だ。これが貧困に苦しむ国の話なら、エジプト、リビア並みの暴動が起きるのは必定だ。爪に火をともすわれら年金生活者は、上野動物園の檻に入って生活したいくらいだ。

 パンダが来れば、動物園の収入アップになるだろうし、グッズなどの経済効果も大きいかもしれない。子供たちに夢を与える・・・などという理屈も成り立つだろう。しかし、失業や格差が問題になっているこのご時世、これだけの大金をはたくことに納得できない。

 以上、老いぼれの愚痴である。パンダに罪はない。ごめんね・・・。

梅の花が咲き、キノコの種駒を打つ

vcm_s_kf_repr_468x351_20110221174828.jpg

  太陽の力って凄いなあと、当たり前のことに感心している。30センチほど積もった雪が、ここ数日の暖かさで8割ほど消えた。暖かいと言っても5度以上にはならないが、それでも少しずつ雪を溶かしてくれる。

 私たちが暮らす生石山を南側に下ると、中腹にはいたるところに梅林があって、いま美しい花が咲いている。顔を近づけると、ほのかな甘い香りが漂う。この気品に満ちた梅の花は、日本人の心を揺さぶる「美の原点」のようなものがあるように思える。思わず車を止め、下手な写真を撮ってみた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110221175004.jpg
vcm_s_kf_repr_468x351_20110221175045.jpg

 山小屋の周りの雪がほぼ消え、裏の空き地で作業が出来るようになった。そこで、遅れていたキノコの種駒菌の接種を始めることにした。今回用意した原木はシイタケ用のコナラ22本、ナメコ、ヒラタケ用のサクラ20本だ。種駒はシイタケ800個、ナメコ、ヒラタケがそれぞれ400個である。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110221175203.jpg
vcm_s_kf_repr_468x351_20110221175231.jpg

 専用のドリルで1本の原木に30~60個の穴を開け、種駒を木槌で叩いて埋め込んでいく。「コン、コン、コーン」という音を響かせていると、寒い冬もあと少しで終わりだなあと思う。今年の冬は例年になく寒かったので、春を待ち焦がれる気持ちはとても強い。

vcm_s_kf_repr_351x468_20110221175314.jpg

 今回種駒を接種した原木からキノコが出て来るのは、来年の秋である。原木の管理は結構難しく、特に高温になるのを避けなければならない。原木を伏せている山小屋裏手の杉林は、風通しがよく、木漏れ日が漏れる程度の日影なので、キノコの栽培に適している。

 1本の原木からは、3~4年にわたってキノコが発生する。種駒を接種してから発生まで2年かかるので、毎年原木に種駒を植え、ローテーションしながら原木を増やし、たくさん収穫出来るようにしている。今では5種類のキノコを栽培しており、原木は200本近くにもなった。

 キノコも作物だから良い年もあれば、不作の年もある。昨年秋はナメコが大豊作だったが、シイタケは不作だった。山の仲間も同じようなことを言っている。さて2年後、今回の原木からたくさんキノコが収穫できるだろうか。えらい先の話だが、楽しみである・・・。

ヤマガラの飼いつけは・・・

vcm_s_kf_repr_468x351_20110219075703.jpg

  先日、生石山に住んでいる仲間のピーターが、わが山小屋へ遊びに来た。コーヒーを飲みながら話していると、ピーターはやおら立ち上がり、「兄貴、鳥の餌がないよ。かわいそうだよ」と言い、袋に三分の一ほど残っていたヒマワリの種を残らずウッドデッキの餌台に出してしまった。

 「やめてよ!」と言う私に、ピーターは「ケチだなあ」と、鼻で笑っている。彼の山小屋にはベニヤ板半分ほどの大きな餌台があり、いつも大量の餌を置いているので、一日中ヤマガラが群がっている。2キロ入りのヒマワリの種は1週間ともたず、しょっちゅう餌の買い出しに行くのだ。とにかく、ピーターは何事につけ気前がいい。

vcm_s_kf_repr_351x468_20110219080103.jpg

 「ケチ」と言われたので反論したかったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。実は、野鳥のヤマガラにたっぷり餌を与えていいのかという疑問があるのだ。ヒマワリだけでは栄養が偏るし、自分で餌をとる能力も低くなるのではないか。野鳥が野鳥でなくなる・・・そんな心配をしている。

 以前、ウッドデッキに出てぼーっとしていたら、一羽のヤマガラが空中で虫を捕獲するのを見た。その俊敏さは、まさに野性そのものだった。親は子供に餌の獲り方を教え、子供は親の後を追い、おいしい木の実、食べられない実の区別を知る。人間が無暗に餌を与えるのはどうなのだろう。

 そうは言いながらも、餌に寄って来るヤマガラは可愛い。朝、ウッドデッキに立つと、2、30羽が飛来し、肩に止まったり、目の前でホバーリングしたりして餌をねだるのだ。1回に50個ほど与え、これを1日に3回くらい繰り返す。老いぼれの私にとって、この野鳥との触れ合いのひと時は結構楽しいものなのだ。

 勢いの衰えた年寄りが、若いおなごにお金を与えて喜んでいるのに似ているなあと思うこともある。もちろん、謹厳実直、石部健吉の私にそんな経験はないが、おなごに金を与えるのも、野鳥に餌を与えるのも、人間の奥に潜む寂しさの一面ではないかとも思える。

 もし餌をやらず、餌の切れ目が縁の切れ目になっては、山暮らしの楽しみの一つがなくなってしまう。小鳥の野性が失われない程度に、少しずつ与えようと思っている。ピーターから「ケチ」と蔑まれようが・・・。

 

雪を楽しむ風流もよし

vcm_s_kf_repr_468x351_20110215161100.jpg

  きのう夕方、テレビの天気予報を見ていたら、近畿地方で和歌山県だけに風雪注意報が出されていた。和歌山といえば、有田ミカンが育つ気候温暖の地である。それなのに全域で雪が降り続いた。ミカンの木は綿帽子をかぶり、高速道路が閉鎖されたり、スリップ事故が相次いだりもした。

 私たち夫婦が暮らす山小屋も雪に囲まれている。除雪車など来てくれない山奥だから、積雪が30センチくらいになると、車は横滑り、蛇行して危なく、買い出しに行くのもままならない。ウッドデッキの下に積んでいる薪は横殴りの雪をかぶっており、一旦薪ストーブの傍らで乾燥しなければ燃やせない。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110215161140.jpg

 先日、旅行から久し振りに山小屋へ戻ると、山小屋への長い階段が雪に埋まっていた。女房が足を取られて転んだので、早速階段の雪かきをした。しかし翌朝にはまた雪に埋まり、どこが階段か分からなくなっている。またまた雪かきをした後、近くの温泉に行ったのだが、帰るとまた雪に埋まっているといった有様である。

vcm_s_kf_repr_351x468_20110215161240.jpg

 生石山の森に山小屋を建てたのが17年前、ここに定住して3年半になるが、これほど雪が積もるのは珍しい。冬でもこの森の別荘に来る人は少なくない。しかし、この深い雪だから誰ひとり姿を見せない。雪に閉ざされて生活しているのは、私たち夫婦、仲間のピーター、Mのたった4人だけだ。

 豪雪地帯で苦労されている人たちには申し訳はないが、山に残っているわれわれはみな雪が好きなのだ。粉糠雨のような細かな雪、深々と降る密度の濃い雪、空から舞い降りる牡丹雪・・・。様々に形を変えて降る雪に、何とも言えない風情を感じる。この日本には、花をいつくしむのと同じように、雪を愛でる豊かな感性が培われてきた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110215161353.jpg

 雪の景色もいい。枯れ葉の積もった山肌やイノシシが掘り返した大きな穴など、すべてを雪が覆い隠す。けがれのない無垢の世界が広がるのだ。「雪ぐ」、「雪辱」という言葉には、「新しくする」という響きがあり、日本語ならではの言葉の奥行き、深さを感じる。

 昨晩は、Mの山小屋でちゃんこ鍋を囲んだ。帰り道、「雪灯り」を頼りにわが家まで200メートルほどを歩いた。曇り空で月も出ていないが、道はほのかに明るい。いにしえの人々は、「雪灯り」という心憎いほど粋な言葉を編み出してくれた。自然にあがらうことなく、その四季とともに暮らしてきた日本民族は、雪ひとつにも深い愛着を寄せる豊かな文化性を秘めていると思う

 雪見酒・・・。文化性などという難しいことはともかく、雪を見ながら一献を傾ける風流の方が分かりやすい。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110215161453.jpg

 

長い旅・・・湯河原で傷ついたプライド

  ふっ~、疲れた、疲れた。車で東奔西走し、8日ぶりに山小屋に帰って来た。走った距離は約1500キロ。目がかすみ、腰も痛い。女房も長旅で疲れたのか、雪に埋まった山小屋の階段ですってんコロリ。見事な雪だるまになってしまった。

 東京近郊に住んでいる末の娘から「引っ越しをするので手伝いに来てほしい」と言ってきた。「いつまでも親を頼るなんて、甘いなあ」と言いながらも、いそいそと東京へと向かう親馬鹿ぶりである。

 娘の部屋は泥棒が物色したような有様で、引っ越しの準備は進んでいない。大きな荷物は運送業者が運んでくれたが、衣類や台所用品などは乗用車に積み、都心の引っ越し先へ計5回も往復した。

 女房と娘は新しい部屋に運び込んだ荷物を片づけるのに忙しいが、男の私は手持ち無沙汰である。そこで、東京で暮らす学生時代の旧友と一杯やることにした。オヤジ二人が渋谷のハチ公前で待ち合わせるのは妙な風景だが、渋谷に友人が馴染みにしているドジョウ料理のうまい店があるという。

 老舗らしい店の暖簾には「どぜう」と大書してある。「どぜう」とは、いかにも江戸の昔の匂いがする。ゴボウとネギをたっぷり乗せたどぜう鍋などフルコースをつつきながら痛飲した。商社に就職した友人は世界を飛び回り、今は広尾の億ションで悠々自適だ。山小屋でみすぼらしく暮らす私たちとは対象的である。

 東京からの帰りは、予約してある湯河原温泉に向かった。高速代をケチるため甲州街道を走って相模湖へ。さらに、温泉とキャンプ場がひしめく奥道志の道を辿りながら山中湖に着いた。雪の富士山が圧倒的な山容を見せていて、私たち田舎者を感激させた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110212120528.jpg

 箱根の急坂を上り下りしながら湯河原を目指す。車中で女房が言い難そうに話した。「実は・・・今夜泊まる旅館の部屋にはトイレがないのよ。とても安いのでその部屋にしたの。でも、食事は豪華よ」。「お前にはプライドというものがないのか!」という苦言に、「プライドは結婚した時に捨てました」。「えっ、それはどういう意味や?」・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110212120441.jpg

 旅館に着くと、イケメン風の従業員がうやうやしく迎えてくれた。こちらはトイレのない部屋の客だから肩身が狭い。従業員は得意げに「今夜は部屋が空いておりますので、トイレのある部屋をご用意させていただきました」。アホ、大きな声で言うな!他の客に聞こえたら恥ずかしいではないか!

 案内された部屋は、申し訳ないほど立派だった。確かにトイレもある。青少年の客には不健全だが、無料の貸し切り露天風呂があり、遠慮なく夫婦水入らずで至福の時間を過ごさせてもらった。湯には貧乏根性丸出しで6回も浸かった。

 なるほど食事は豪勢だが、次々出て来る料理はどれもチマチマしていて苦手である。皿の数より、2品でも3品でもいいからドカーンと出てくる方がいい。旅館の料理は女性を意識したものだろうが、貧しく育った私にとって、満腹感のある民宿の素朴さがうれしいのだ。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110212120628.jpg
vcm_s_kf_repr_468x351_20110212120703.jpg
vcm_s_kf_repr_468x351_20110212120750.jpg

 帰り道、台風情報に出て来る御前崎にも寄ってみた。灯台から眺める太平洋は、確かに丸かった。最後に孫の顔も拝み、長い旅は終わった。さあ、寒い山小屋暮らしの再開である・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110212120850.jpg

懐かしい「えびね温泉」へ

  「えびね温泉に行ってみる?」と言い出したのは女房だった。今年最大の寒波が列島を覆った1月31日のことだから、少し前の話になる。ここ生石山の山小屋は冷凍庫のように凍りついていたので、温泉でポカポカになりたいと思うのは私も同じだが、二つ返事で賛成したのは別の思いがあったからだ。

 えびね温泉は、紀伊半島の南西部を流れる日置川のほとりにある。かなり大きいこの川は、かつて鮎釣りの名川として全国に名を馳せた。20数年前、鮎釣り名人として知られていたMさんが連れて行ってくれたのが日置川だった。それがきっかけで通いつめ、私のホームグラウンドになった。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110203090839.jpg

 当時、鮎釣りを終えると、川沿いにある「えびね温泉」の湯に浸かるのが楽しみだった。川の相はよく、鮎もよく釣れた。若い頃からの夢は、セカンドハウスを建て、そこを拠点に自然と遊び、釣りに興じることだった。温泉のある日置川は理想の土地だった。ただ、実際に山小屋を建てたのは有田川に近い森の中になったのだが・・・。

 女房が「えびね温泉」を提案した時、しばらく忘れていた日置川での日々を思い出し、無性に行きたくなった。山小屋からは100キロと遠いけれど、苦にはならない。生石山を下り、再び山間部に入ると猛烈に雪が降って来た。あちこちで車がスリップしたり、立ち往生したりしていた。しかし、4輪駆動の軽トラはスイスイと走ってくれる。

 1時間半ほど走ると、気候温暖な南紀地方である。ところが何と、横殴りの雪が降り、道路は凍結していた。あとで知ったのだが、観測史上最も多い雪だったという。日置川沿いの道路も所々に雪がたまり、凍結で不気味に光っていた。

 久し振りの日置川なので、川を見ながらゆっくり走った。バックミラーを見ると、ワゴン車が近付いて来る。道路わきに車を寄せ、先に行ってもらった。そこから200メートルほど進むと、追い抜いて行ったワゴン車がスピンし、反対向きになっていた。そこは断崖になっており、あとわずかで10メートルほど下の川に転落するところだった。

 運転していた男性は間一髪で命拾いし、震えていた。しばらくすると、近くで同じような事故のため来ていたパトカーが駆けつけた。車は断崖に落ちかかっており、レッカー車を呼ぶしかないとのことだ。気の毒だが、私たちは温泉へとそろり走った。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110203091023.jpg

 10年ぶりに訪れた「えびね温泉」は、きれいな建物になっていた。以前は、まるでお化け屋敷のようなボロ家だった。泉質はアルカリ性単純硫黄泉で、ほのかに硫黄の臭いがする。湧出量は豊富で、源泉かけ流し。洗い場の蛇口から出て来るお湯も温泉水だ。

 湯船につかりながら、温泉向かいの河原で家族キャンプしたことを思い出した。釣ったばかりの鮎をビニールの用器に入れ、娘たちにつかみ取どりさせると大喜びだった。川遊びで冷えた体は温泉で温めた。20年ほど前の懐かしい思い出だ。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110203091139.jpg
vcm_s_kf_repr_468x351_20110203091208.jpg

 温泉には、1リットル10円の湯を汲みに来る人が多く、大きな給湯の施設がある。大阪からワゴン車に20個のポリタンクを積んでやって来た男性は「毎月来ています。ここのお湯は特別で、コーヒー、料理、飲み水は全部これですよ」と話していた。私たちも20リットル買って帰り、コーヒーを沸かしてみたが、美味しいような、変わりないような。私には水の味が分からん・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20110203091250.jpg
 

カレンダー

01 | 2011/02 | 03
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 - - - - -

月別アーカイブ

ブログ内検索

全記事表示リンク

訪問者数

ランキング参加中!

PR

PR

PR