女房元気で留守がいい・・・いや困った

 「亭主元気で留守がいい」--。何たる言い草かと思うが、逆の立場になると、なるほど一理あるなあとも思う。実は女房が生石山の山小屋を数日前から留守にしている。

 滋賀の自宅に帰り、近所の主婦仲間とランチしたり、亭主の悪口を言い合っているに違いない。続いて大阪の娘のマンションに泊まり込み、夜な夜な食べ歩きしていることだろう。

 女房を山小屋に縛り付けておくことには、多少忸怩たる思いがある。たまには羽を伸ばさせてやらなければならない。女房が山を下りると言った時、「ああ、行っといで。ゆっくりしておいで」と言いながら、女々しくも「但し、5日間だけだぞ」と怖い目で念を押しておいた。

 たまに、やもめ暮らしもいいものだ。何よりも、女房から小言を聞かなくていい。「そのお皿は使っちゃダメ」「そんな汚れた物をそこに置いてはダメ」「あれ、あれ、お味噌汁をこぼしている」・・・。一日の小言の回数は、両手の指を折っても足りないくらいだ。

 煙草を室内で吸うのも自由だ。外気が氷点下10度であろうと、女房は外に出て吸えと言う非情さである。晩酌が過ぎても文句を言われない。誰はばかることなく、高々と放屁の音を響かせることだって出来るのだ。

 加えて、静かに本が読める。女房は独り言の癖があって、本に夢中になっている時でも、「今日の天気はどうかなあ」「今日は何曜日かなあ」と言い、こちらとしては「えっ、何か言ったか?」と応えざるを得ないのだ。これでは気が散って、同じところをもう一度読まねばならない。

 朝食はパン、お昼は炊いておいてくれたライスカレー、夜は何種類かの冷凍食品をチン。2、3日はこれでいいが、飽きてきたので何か自分で作ろうと思った。

 そろそろ山菜の季節だから、散歩のついでにワラビを採ってこよう。まだ10センチくらいの長さだったが、懐石料理に添えられる柔らかそうなワラビである。灰で灰汁を抜き、油で炒めた後、砂糖、醤油、酒を入れて卵とじにする。

 晩酌はこのワラビ、海老しゅうまいと鰻の冷凍食品だ。ところが、ワラビは甘過ぎて食べられたものじゃない。仕方なくお湯を注いで味を薄めたものの、ヘンな味になってしまった。少し侘びしくなってきた・・・。

 女房の留守が長過ぎるのは困ったもの。台所の流しには食器がたまる一方だし、料理は作れないし、洗濯機の使い方も知らない。「早く帰れ」と言いたいが、「私は家政婦じゃない」と言い返されるのがオチである。

 男より女性の平均寿命が長いのは、男やもめを同情する神様の配慮かもしれない。本気でそう思う日々である・・・。

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山開きの餅投げ、今年も女房に負ける

 「明日、ヨコワと鯛の刺身を持って山に上がるよ~」--。生石山の麓で農器具店を営む社長の奥さんから、私たちの仲間ピーターに電話があった。「明日」とは、生石の森にある別荘地の山開きが行われる日である。

 山開きは、餅つき大会と餅投げが行われ、別荘地の人たちや麓の農家の人たちが楽しみにしており、なかなかの賑わいになる。冬の間は閑散としていた森に活気が戻って来るのだ。

 さっそく、我らのボスでもあるピーターから召集の号令がかかった。当日、ピーターの山小屋には10人余りが集まった。大皿には山盛りの刺身が並べられている。持ってきてくれた奥さんの親戚が南紀地方で遊漁船をしており、前日に釣ったばかりだから飛び切り新鮮だ。ヨコワは今が旬の魚である。

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 刺身と焼き肉を肴に、真昼の酒盛りである。前の道を多くの人が通りかかり、顔見知りが飛び入りして刺身や肉をつまんで行く。

 昼過ぎ、餅つきが始まった。ヨモギをたっぷり入れたつきたての餅をあんこときな粉で食べる。たちまち100人くらいの行列ができる。女房の好物だから私も並ばされ、女房の分をもらうのだ。皿には二個の餅が入っており、女房は平気で二皿平らげる。

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 これが終わると、餅投げである。紅白の幕を張った櫓から、もち米6俵分にもなる餅がばらまかれ、絶叫、歓声が渦巻くメーンイベントなのだ。誰もがレジ袋を手にし、一つでも多く取ろうと目が輝いている。
 
 女房に対しつまらない競争心を抱いている訳ではないけれど、拾う餅の数は今年こそ女房に負けられない。情けないが、毎年私は連戦連敗なのだ。これでは、亭主として、男として、沽券に関わる。

 広場の地面は、前日の雨で水浸しだ。転ばぬよう気を付けねばならない。女房は少し離れた所で、足踏みしながらウォーミングアップしている。落ちて来る餅をダイレクトにキャッチしていては多くを取れない。地面に這いつくばって、こぼれた餅を拾うのがコツである。

 バラバラと餅が投げられ始めた。しゃがんで落ちて来るのを待つが、なかなか拾えない。目の前に落ちてきたと思ったら、子供にかすめ取られてしまう。やっと手にした餅を隣のババアが力ずくでねじり取ってしまうのだ。

 中盤に差し掛かると、十個くらいの餅が目の前に落ちてきた。覆いかぶさったところ、後ろにいたババアが私を押し倒したのだ。ズボンはびしょ濡れ、水がパンツまで染み込んで冷たい。私の手には1個が握られているだけだった。それからは自尊心もかなぐり捨て、子供の手からも奪い取ってやった。我ながら情けないと思ったが・・・。

 餅投げの狂騒は数十分で終わった。みんな、私より重そうなレジ袋をぶら下げている。やがて、女房も泥だらけになってやって来た。袋を見たところ、いい勝負かもしれない。投げられる餅はビニール袋に二個入っており、袋の数を数えてみると、女房20袋、私が17袋。ああ、また負けた。

 敗因は、自尊心を捨てるのが遅過ぎたのだ。格好つけていては拾えなと、今年もまた教えられた。それでも夫婦で37袋、計74個もの餅を拾えた。年金生活者にはまことに有難い…。

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「生きているだけで」・・・被災者の辛い春

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 落ち葉の間から芽を出したスミレが、可憐な紫色の花を付けている。うっかりすると、踏みつぶしてしまいそうな小さな花だが、凛と存在を主張しているように見える。

 山桜はやっと咲き始めた。白い花と赤い葉が混じり合って美しい。ソメイヨシノほど花のボリュームはないが、楚々とした山桜の方が好きである。

 クロモジの黄色い花は、今が満開だ。その花の間から伸びる新芽は兎の耳のように長く、天に向かって直立している。

 エゴの木も芽吹いてきた。芽はまだ5ミリほどの長さだが、緑の点を散りばめたようでこれまた美しい。女房が植えたラッパスイセンが、色彩に乏しいこの時期の山小屋に彩りを添えている。

 私たちが暮らす生石山の春は、標高が高いので里より半月以上も遅れてやって来る。4月も後半になるが、数日前にはアラレ、ミゾレが降った。今だに薪ストーブの火を絶やすことが出来ない。

 しかし草花は、暑くても寒くても、律儀に日時を守って春の到来を告げてくれる。

 私たち夫婦は、厳しい冬を山小屋で過ごしてきた。好き好んで山小屋生活をしているのだから文句は言えないが、それでもやはり、寒さが和らぐ春の訪れはうれしい。森から伝わる生命の鼓動に耳をすましている。

 春を迎える喜びの裏側に、何故か、漠たる寂しさ、不安のようなものがべっとりと張り付いている。それは、残り少なくなる人生の時間と無関係ではないと思う。胸がはずむ春をあと何回味わうことが出来るだろうか、来年もまた今のように健康でいられるだろうか・・・と。

 いや、そんな贅沢は言えない。東日本を襲った巨大地震で幾万の人たちが死亡し、今なお行方不明になっている。幼い子供たちも犠牲になり、孤児となった子供は100人を超すと報道されている。

 家を流された被災者は「生きているだけでいいんです」と語る。苦境に耐える人の何と謙虚な言葉だろう。「漠たる寂しさ、不安」などと言ってはいけない。春の訪れを素直に喜べばいいのだ・・・。

「嫌菅」と言われるようでは情けない

 あいつとは口もききたくない。絶対、友達にしたくない。そんな嫌われ者が、職場にも身の回りにも一人や二人いるだろう。気の毒な事に、菅総理は「嫌菅」というレッテルを張られ、いまや嫌われ者の代表格に祀り上げられている。

 東日本大震災の被災、復興、原発への対策は、与野党を超えて進めなければならないが、野党の多くは「菅総理とだけは一緒にやりたくない」と言っているそうだ。本来仲間であるはずの民主党の中からさえ、「好かん男」という露骨な声が聞こえて来てくる。

 どうしてこうも嫌われるのだろう。権力闘争とは少し違うような気がする。指導力がない、言葉に力がない・・・などは一応まともな批判だが、笑顔がキモイ、目が死んでいる、性格が悪いといった非難には、人間性や生理的な嫌悪を感じる。これでは菅総理も立つ瀬がなかろう。しかし・・・。

 菅総理は若いころ、参院選に市川房江女史をかついで頭角を現した。金権政治を批判し、反戦平和を訴える市民運動のリーダーだった。国家権力の歪みを正し、政治を監視し、市民の権利を守る市民運動は、自由主義社会の健全な姿だと思う。

 市民運動家は、権力の対極にいなければ存在価値がない。だから、菅総理が権力を批判しているうちは良かったが、幸か不幸か、総理という最高権力者に登り詰めてしまった。それからがおかしくなったようである。

 同じような思想信条を持つ社会党の村山富市さんも総理になったことがある。しかし彼は総理の椅子に恋々とすることはなかったし、「わしは分からんからのう」と言って有能な人物に仕事を任せた。しかも朴訥なあのキャラは憎めなかった。

 しかし菅総理は、市民運動家の経歴を持ちながら、非常に強い権力志向を持っていることが明らかになってきた。総理の椅子にしがみつき、誰が何と言おうと権力を手放さない姿勢がありありとうかがえる。国民にも権力亡者と映るのだ。

 総理という椅子は、蜜のように甘美な世界なのだろう。面従腹背であろうが、回りがペコペコするし、一応言うことも聞いてくれる。SPが何人もついて政府専用機だって思いがままである。「君臨」することは、身をよじるほどに快いものなのだろう。

 「嫌菅」と揶揄される理由の一つは、そんな権力亡者の姿だろう。加えて、よく怒る、イライラしている、仲間ばかりでつるむ・・・。そして何より、日本の重しとなるような重量感がない。人徳がない。

 彼は、歴史が正しく評価してくれると思っているのだろうが、それは甘い。国民は、未曾有の国難を打開する「今現在のリーダー」を求めている。歴史なんて悠長な事態ではなく、切迫しているのだ。「嫌菅」が蔓延するようでは、国の先行きが危うい。

 人間とどのつまり、「人徳」だと思う。四国遍路で修業したつもりの菅総理だろうが、いまだ「人徳の力」に気付いていないのではないか・・・。

女房、感極まる・・・野外のお誕生会

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 ここ標高800メートルの生石山の冬は厳しく、越冬生活をしていたのは私たち夫婦を入れて4人だけである。やっと春の陽気になり、生石山から遠ざかっていた人たちが少しずつ姿を見せ始めた。

 この季節を迎えると、恒例の「お誕生会」を催すことにしている。越冬組のピーター、ファマーM、わが女房の3人に加え、冬の半分をここで暮らしているSさん夫婦のご主人の計4人。いずれも、4月生まれなのだ。これだけ誕生月が同じなのも珍しい。

 お誕生会は、この森の仲間が集まるいい機会である。久し振りに姿を見せる人たちとの再会はうれしいものであり、バースデーを祝うと言うより、集うことそのものが楽しいのだ。

 会場は森の広場である。水道屋、彫刻家、割烹の女将たち・・・久し振りの顔ぶれが集まってきた。手作りのお惣菜を持ち寄るのが慣わしである。

 メインは焼き肉だが、その他、タケノコご飯のおにぎり、めはりずし、山菜の煮付け。前日、私とMが近くの漁港で釣ってきたカタクチイワシの刺身・・・。なかなか豪勢なのだ。

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 まずは威勢よくシャンパンを空け、乾杯だ。ホームレスのような集まりにシャンパンとは笑えるが、割烹女将の心遣いはうれしい。暖かい春の風に吹かれながら食べるご馳走は、一層美味しいものだ。

 話題は、もっぱらこの冬の暮らしの事である。「寒かったか?」「うん、この数年で一番寒かった」「マイナス10度の日もあったなあ」「雪もよく降った」「薪は足りたか?」「みるみる減るので心細かった」・・・。

 それぞれが高齢に差しかかっており、健康問題も話題に上る。ほとんどの仲間が元気で何よりだったが、彫刻家の奥さんは体調不良で落ち込んでおり、女将のご主人は検査入院とのことだ。来年もこうしてお誕生会を楽しむには健康第一。最高齢のピーターがすこぶる元気だから、励みになる。

 宴もたけなわ。Sさんの奥さんが、軽トラから箱を持ち出してきた。「バースデーケーキを買ってきたよ~」。ケーキには4人の名前が書いてある。粋なサプライズだ。

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 4月生まれの4人がローソクの火を吹き消すと、「おめでとう」の声が上がる。何と、感極まって女房が涙を浮かべているのだ。「ああ、うれしいわ。主人は誕生日なんか忘れていて、こんなことしてくれない」。

 「おい、ちょっと待ってよ。俺の面目丸つぶれやないか」「でも、本当のことやないの」。いやはや、思わぬとばっちりが降りかかって来たものだ。言っておくけど私の場合、女房からここ何十年も誕生日を祝ってもらったことはない。「そんなもの、うれしいの?」と言っていたではないか・・・。

大きな麦わらイサギ・・・脂が乗ってうまかった

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 東日本大震災によって、魚釣りを自粛していた訳でない。ただ、釣りに行く気がしなかっただけだ。震災発生からひと月が過ぎ、重くて切ない気持ちが少しほぐれてきたので、気分転換も良かろうと今年初めての釣りに行くことにした。

 ボートを浮かべるのは、由良湾沖の紀伊水道だ。天候は初夏を思わせる汗ばむ陽気だった。波が静かだったので、かなり沖合いのポイントに向かった。紀伊水道はシラス漁の漁船がひしめき合い、その間を縫うように走った。

 まずはアジを釣らなければならない。そのアジを生かしておいて別のポイントに移り、産卵のため藻場に集まるアオリイカを釣る。イカは2キロ前後の大型で、掛れば強烈な引きを楽しめる。これがこの日の釣りの狙いである。

 アジ釣りは、鉄仮面という重さ100号の容器に撒き餌のアミエビを入れ、その先に付けたサビキ仕掛けを約40メートルの海底に沈める。糸を人差し指に掛け、魚の当たりを待つ。魚信はグッ、グッと伝わってくるので、それほど難しくはない。

 この沖合いのポイントには漁礁が沈めてあり、魚影が濃い。以前、知り合いの漁師の手ほどきを受け、集落の家、島、一文字波止などを手掛かりに、山立てという方法で位置を定めることが出来るようになっている。漁師ほど正確ではないが、大きく外れることはないないはずだ。

 煙草を一服吸い、気分が落ち着いたところでいよいよ釣りの開始だ。しかし、まったく釣れない。撒き餌のアミエビを無駄に消費するばかりである。1時間ほど経った頃、いつもここで釣りをしている漁船が近付いてきた。この漁師は、息子夫婦に渡船と民宿を任せ、自分はお客に食べさせる魚を釣っている。

 漁師が「ポイントがずれているよ」と大声を上げている。やはり、そうなのか・・・。漁船がアンカーを下ろすのを待ってその傍にボートを固定した。すでに漁師はポロポロとアジを釣り上げている。これでよし。あとはアジを20匹ほど確保すればよい。

 ところが私には釣れない。1時間、2時間と過ぎていく。漁師は「糸が太いのではないか。この仕掛けを使ってよ」と言って漁師手作りの仕掛けをボートに投げ入れてくれた。

 この仕掛けを下ろしてしばらくすると、糸をひったくるような当たりが来た。すかさず合わせる。海底からグイグイと強い引きが伝わってくる。イサギに間違いないだろう。海中に黄色い魚体が見えた。胸で抱えるようにして取り込んだイサギは35センチを超すような良型だ。

 次はモゾモゾとした微妙な当たりだったが、引きは同じように強い。これも同じサイズだ。1時間余りで4匹のイサギが釣れた。不思議なのは、アジがまったく釣れない。そして逆に、10メートルほどしか離れていないのに漁師にはイサギが釣れないのだ。

 釣れる度に、漁師は「いい型やなあ」と喜んでくれる。私の腕ではなく、漁師にもらった仕掛けのお陰である。いつもこの漁船にすり寄って釣りをしているが、漁師は嫌な顔ひとつしないどころか、気さくに声もかけてくれる。次は、一升瓶でも差し入れねばなるまい。

 早々と撒き餌がなくなり、後ろ髪を引かれる思いで港に向かった。アジが釣れず、イカ釣りは出来なかったが、予期していなかった大きなイサギが4匹も釣れ、いい一日だった。

 この時期のイサギは産卵を控えて脂が乗り、「麦わらイサギ」とも呼ぶ絶品の味わいである。その夜、イサギを3枚に下ろし、片身を刺身、もう片身をムニエルにして食べた。皆さんには申し訳ないほど美味しかった。山の仲間に一匹ずつおすそ分けしたが、その味の感想を聞く私の表情は、間違いなく得意げになっているだろう・・・。

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東北には震災復興の土俗的な力あると思う・・・

 東日本大震災からひと月が経った。地震発生時刻のきのう午後2時46分、被災地にサイレンが響き渡り、多くの人々が黙とうを捧げた。テレビに映し出された少女の頬に涙が伝っていた。これを見て、また、熱いものが込み上げてきた。

 被災地の映像や新聞報道に触れ、涙しない日はない。年を取って涙もろくなったのも事実だが、被災地の残酷な現実と支援の温かさに激しく心を揺さぶられるのだ。「男は泣くな!」と言われて育ってきたし、女房の前で泣くのも気恥ずかしいので、煙草を吸う振りをして外に出て涙をぬぐうこともある。

 一日も早く復興してもらいたいと願うばかりだ。それには多くの時間と資金が必要だし、政治の力も試される。しかしその原動力になるのは、被災地の人々の心にあるのではないかと思う。東北には古くから、静かで熱い土俗的な力が息づいていると信じている。「原初的エネルギー」とでも言うのだろうか・・・。

 2年前、紀伊半島の山奥を抜け出し、東京国立博物館へ「国宝土偶展」を見に行った。もちろん、それだけが目的ではなかったが、縄文の精神世界を見たかったからだ。写真でしか知らなかった数々の本物を目の当たりにし、縄文人のエネルギーを心に刻んで帰った。

 土偶は、紀元前7000年ほど前から同400年ほどの間に作られ、主に東日本から多く出土している。祭祀に用いられたと言われる。祈りを捧げる像、仮面を付けた像、妊娠している女性像など、どれも不思議な造形だった。

 画家の岡本太郎は生前、テレビCMで「芸術は爆発だ!」と叫んだ。この意表を突く言葉は、縄文時代に作られた火炎土器に触発されて生まれたと言う。火炎土器は、炎が燃え立つような飾りが施されている。なるほど、古代人のエネルギーが爆発しているように見えるのだ。

 このような縄文土器もまた、東日本、とくに東北地方に多い。これらの土器も実用というより、祭祀のために作られたと言われる。縄文人の暮らしは、狩猟、採取、漁労によって成り立っていた。すべてが自然からの授かり物であり、人々は豊かな恵みを願って土器を作り、自然に向かって敬虔な祈りを捧げてきたのだろう。

 土偶や土器が発する不思議なエネルギー・・・。これらを生み出した東北地方には、人間の根源的なエネルギーやバイタリティーが脈々と流れていると思う。だからこそ、復興の大きな力になり得ると考えるのは間違いだろうか。

 関西で生まれた私は、遠い東北地方に関心を寄せて来た。5年前には、17日間かけて東北を旅したことがある。温泉に入り、山を歩き、博物館を覗くなど、ただの観光客に過ぎなかったが、東北を知りたいという思いが旅の動機だったことは間違いない。一層愛着を深めた東北だけに、今回の大震災は大きな衝撃だった。

 なぜ、私が東北に惹かれるのか・・・。良く分からないが、多分、かの地には人間のあるべき姿が見えるからかもしれない。大和朝廷に立ち向かった蝦夷の誇り高さとたくましさ。藤沢周平が描く東北武士の清貧さ。山本周五郎の「ながい坂」には粘り強い東北人が登場し、熊谷達也の「邂逅の森」では自然に抱かれるマタギの精神世界が描かれている。

 学生時代の友人に、岩手出身の男がいる。彼はひどく寡黙で、論争してかなりの時間が経ってから怒ったり、笑ったりするほどだった。どんなことがあろうと、エキセントリックになることもなかった。個人の資質かもしれないが、今から思うと、東北人の典型を見る思いがしている。そんな東北の風土と気質が好きである。

 私はどこにでも転がっているミーハー的な東北ファンにしか過ぎない。書けば書くほど無知をさらけ出しているようで恥ずかしい。ただこれからの復興に向けて、東北の精神文化が大きな力になることを願っているし、そう信じている・・・。

椎茸が大きく、若葉が芽吹く

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 久し振りに、ここ生石山の山小屋に帰って来た。山を下る前日まで雪が降っていたが、1週間経った今、森に春の気配が漂っている。ウグイスなど野鳥のさえずりがにぎやかになり、春一番に新芽を出すクロモジの木も黄緑色に彩られていた。

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 都会の山や街路の桜は満開だったが、こちらの山桜の花芽はまだまだ硬い。他の木々が芽吹くのもあと10日余りかかるだろう。裏の杉林で栽培しているシイタケが大きく育っていたのは、うれしかった。昨秋不作だった分、その反動で豊作になりそうだ。

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 山小屋を留守にしていた間、東日本大震災の事態に大きな前進が見られなかった。これだけの災害だから一足飛びに行かないだろうが、日本の重苦しさはこれからも長く続くと覚悟しなければならず、春の陽気に浮かれてばかりにはいかない。

 ただ、街を歩いていて「自粛」「自粛」のお知らせをよく見かけた。被災地をおもんばかる余り、自粛ばかりでは被災者も喜ばないだろう。

 生石高原では毎年3月下旬、ススキ大草原の山焼きが行われることになっているが、今年は行われなかった。赤々と山を燃やす行事は震災のこの時期にふさわしくないと自粛したのだろうが、いかにも小役人の発想である。誰も批判する人などいないはずだ。町役場の過剰反応にはあきれ果てる。

 そもそも山焼きは、害虫を駆除し、芽吹きを促すものだ。大草原を守るための大切な作業なのに、これでは本末転倒だ。こんな姑息なお役人意識が蔓延するようでは、日本は元気にならない。

 山小屋のポストに、一通の葉書が入っていた。有田川で鮎のオトリ店を営む馴染みの店からである。今年の鮎釣り解禁は「5月1日」とのお知らせだった。有田川では例年5月26日が解禁日だったのに、ひと月も解禁が早まったことになる。

 年券はこれまで1万500円だったのが、前倒し年券は1万3650円となる。漁協は増収を狙って無粋極まりないことを仕出かしたのだろう。愚行としか言いようがない。

 解禁日は鮎の友釣りファンにとっ1年の始まり、つまりは元日みたいなものである。みんな、満を持しているのだ。それがひと月も前倒しになれば、待ち切れない釣り人が押しかけるかもしれないが、それでは川を守り、魚を育てるはずの漁協が鮎釣り本来の姿を率先垂範して崩壊させている。

 5月下旬ともなれば燃えるような新緑が川面に揺らぎ、川の水もやっとぬるんでくるころである。鮎も石の珪藻をはたっぷりはみ、香り豊かな「香魚」に育っている。これが日本の川の風物詩なのだ。

 しかし、5月1日ではまだ水も冷たく、鮎も十分成長しているとは言えない。寒い冬にイチゴを食べるような昨今の食事情と似たようなものだ。食べ物には旬があり、鮎にも旬がある。

 私は本来の5月26日の解禁日まで竿を出さない。ちょっと偉そうに言わせてもらえば、それが、川と鮎に対する礼儀だと思っている・・・。

安全な野菜を食べたい・・・われら開拓者

 女房と話していて、食物について男と女の考えの違いが大きいことに気付いた。今ごろ遅過ぎるかもしれないが・・・。

 福島第一原発から漏れ出た放射性物質が福島県や茨城県などの農作物に影響を与えているが、私は「農家を助けるためなら、少しくらい汚染されても食べるよ」と言ってみた。義侠心、つまり男気を出して見せたのだ。

 すると女房から猛反発を受けた。「女性は子供を産み、育てるから絶対そんなことは出来ない。口に入るものに敏感になるのは母性本能なのよ」。うーん、なるほどなあ。母性という防御本能なのか。

 過剰反応は良くないが、女房の意見はもっともだろう。とくに子供はこれから長く生きて行くから、将来どんな影響が出て来るか分からない。義侠心や男気はこの場合、軽はずみと言われても仕方がないだろう。

 女房が、野菜の有機栽培に精を出すのも、深いところで母性の防御本能とつながっているのかもしれない。土いじりが好きというだけでなく、安全な野菜を食べたいという思いが強いのだろう。亭主のためより、自分のためという疑念がない訳ではないが・・・。

 女房は、耕作面積を広げるため、山小屋の敷地のほとんどを畑にしてしまった。敷地は山の斜面になっているので、段々畑だ。山小屋を訪ねてくれる大抵の人たちは、十段以上に及ぶ段々畑を見てニヤニヤしている。苦肉の策が生んだ珍妙な風景がおかしいのだろう。

 山小屋の畑以外に、知り合いの別荘の一角を2年前から借りている。十分な野菜を収穫するにはそれでも足らないので、女房は隣接している地主さんに電話し、以前畑になっていた土地を貸してほしいとお願いした。

 幸い快諾してもらい、女房は大喜びだった。しかし、土地は背丈ほどの草や木が生い茂る荒れ地である。ここを畑として再生させるには大変な作業になるはずだ。女房の旺盛なフロンティア精神を前に、私は逃げ出したい気分だった。

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 チェンソー、草刈り機でなぎ倒した草木はその場で野焼きにする。消防のヘリコプターに見つかれば注意されるだろうが、量がおびただしいのでこうするしかない。更地にするのに4、5日もかかった。木の株に足を取られて転んだり、イバラの棘が刺さったり、ひどい作業だった。

 耕すと言っても、草木の根が密集しいる上、おびただしい石ころが埋まっているのだ。私が重いツルハシを振い、女房が鍬で畝を作る。1日でひと畝作ればいい方である。開拓を始めて2週間ほどが経ち、やっと五つの畝が出来た。まだ面積の三分の二くらいが残っている。

 「もうそれくらいでいいじゃないか」と言っているが、女房はまだまだやる気満々なのだ。いつまでもこき使われるのはかなわないが、安全でおいしい野菜のためには仕方なかろう。重いツルハシを振り下ろす日々が続いている・・・。

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