大雨洪水警報・・・祖谷温泉へ

 ちょっとした用事が出来て、女房と一緒に香川県丸亀市へ行った。和歌山県の山奥からだと、かなりの遠征になる。行きは阪和道-中国道-山陽道-瀬戸大橋をひた走る。走行距離は約370キロだ。折角四国まで行くのだから、用事を済ませたら温泉へ行くことにした。

 丸亀で一泊したあと、徳島県の「祖谷温泉」を目指した。ここは四国の真ん中に位置する秘境で、渓谷の景勝地・大歩危にある。以前、娘と一緒に行ったことがある女房は「源泉かけ流しの素晴らしいお湯だった」と褒めるので、その気になった。渓谷にある露天風呂まではケーブルカーで降りるというから、これにも興味をそそられた。

 小雨が降る中、山間の国道を走った。次第に雨足が強まり、ワイパーをハイスピードにしても前が見えないくらいになった。とにかく地球の天井が破れたような降り方だ。何回も車を路肩に止め、様子を見ながら前進した。後で知ったが、大雨洪水警報が出ていたのだ。

 しばらくすると、吉野川に突き当たった。川を見て驚いた。濁流が渦巻き、木や竹が次々と流れてきて、今にも川があふれそうだ。吉野川は別名「四国三郎」。日本三大暴れ川として有名だそうだ。この川は四国4県すべてにまたがっており、それだけに水量も多いのだろう。

 このまま引き返したいと思ったが、女房は「もう少しだから」と言って前進するよう尻を叩く。死ぬような思いで「祖谷温泉」の近くまで辿りついた。左折して橋を渡ればあと2キロほど。その橋のたもとにある蕎麦屋があったので、とりあえずお昼ご飯にした。

 隣のテーブルで煙草をふかしていた3人の男女に声を掛けると、「私らは祖谷温泉ホテルの従業員なんです。温泉手前の道で土砂崩れがあり、通行止めなんですよ。待機していますが、行けないでしょうね」と言う。えーっ、折角ここまで来たのに、温泉には入れない・・・。

 お店では、温かい蕎麦を註文した。祖谷蕎麦は有名らしい。うどんくらいの太さがあり、腰のないのが特徴だ。箸ですくうとポルポロと切れてしまう。それでいて蕎麦の風味は豊かで、美味しかった。蕎麦湯で煮たというおでんは、イカ墨をまぶしたように真っ黒。玉子、コンニャク、厚揚げを食べたが、黒いだけで味は普通だった。

 すごすごと帰途につき、徳島と和歌山を結ぶ南海フェリーに乗った。先ほどの大雨が嘘のように晴れ渡り、2時間10分の船旅を楽しめた。和歌山に近づくと、私たちが暮らすひと際高い生石山が見えた。船が走る紀淡海峡はいつも山小屋から見ている風景だ。山の仲間の誰かが、私たちの乗る白いフェリーを見ているかもしれない・・・。

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和と義の政治・・・櫻井充、林芳正議員が語る

 先日、BSフジの「プライムニュース」を見た。この日スタジオに招かれたのは、民主党参院員櫻井充と自民党参院議員林芳正の二人だった。彼らは近く「日本型政治」を実現する議員グループを結成し、これには20人余りが参加の意向だという。

 櫻井議員は、「和」を尊び、「義の政治」を目指すと語った。日本にふさわしい「義の政治」とは、なかなかいいことを言ってくれるわいと思いながら耳を傾けた。その詳しい中身は分からないが、民主党の中にも骨のある政治家がいるのだなあと、少し感心し、少しホッとした。

 「義」は、日本人の精神的支柱の高みに光り輝くものだ。義は信義であり、義理であり、人情である。信義、義理は正義であり、人情は憐れむ心である。勝手な解釈かもしれないが、大きくは外れていないと思う。

 和を重んじ、義を貫くという櫻井議員の言葉はさして珍しいものではない。しかし、かくも新鮮に感じるのは今の政治状況が最悪だからだろう。日本の美徳を一人でぶち壊しているのは、言うまでもなく菅総理だ。

 彼の行動、言動を「和」と「義」に照らしてみれば、それが分かる。総理辞任を示唆しながら、嘘をついた⇒道義に反する。与野党が苦心してまとめた合意を「私は信じない」と言って反故にする⇒和の精神に反する。被災者優先の政策課題が差し迫っているのに、再生可能エネルギーの法案にこだわる⇒被災者を憐れむ心がない。

 ああ、見苦しいほどの権力欲だ。このような権力者は、歴史に名を残したいというケチなことを考える。そのためには、信義も義理も道義もへったくれもないし、与党民主党の和を乱しても平気である。日本の近年の政治土壌が、菅総理のようなモンスターを生み出してしまったのだと思う。

 一国の総理に失礼な言い方だが、学校に筋違いの無理を押し付けるモンスターペアレントに似てはいないか。政治家、ましてそのトップは、日本人の美徳の体現者であってもらいたいし、政治に「義」を貫く美しさも見せてもらいたい。子供たちに道理、義理、条理、人情の大切さを教えていかなければ、日本が誇ってきた精神の衰退がますます進むだろう。ならば一体、誰が手本を示すのか。

 一匹狼としてのし上がってきた菅総理に、人の和を説くのは空しいかもしれない。市民運動家だった彼にとって、「個」の開放こそ至上の命題なのだ。だから、共同体社会の中で培われてきた「義」は古臭い考えなのだろう。

 もし菅総理に、人情や信義、義理といった心があれば、ここまで追い詰められることはなかっただろう。野党時代の彼は、相手をとことん追い詰めた。猜疑心も強かった。野党との間に「武士の情け」のような情を通わせることもなかったので、「顔も見たくない」という事態を招いているのだ。

 ねじれ国会を克服し、まともな政治を取り戻すには、与野党を超えて信義を重んじなければならないと思う。櫻井、林両議院が唱える「和と義の政治」とはそういうことなのだろう。その反対側にいるのが菅さん、あなたですよ・・・。

菅総理の高笑いは「引かれ者の小唄」か・・・

 安土桃山時代に出没した盗賊の石川五右衛門は、京の三条河原で茹で釜に入れられ、子供とともに処刑されたという。その時の様子は諸説あるらしく、子供を持ち上げて自分が先に死んだという泣かせるような説、いやそうではなく、熱いのに我慢できず子供を踏み台にしていたという説もある。笑いながら茹でられたという嘘のような話もあるようだ。

 茹で釜で五右衛門が笑っていたというのは、虚勢を張る「悪人の美学」のようなものを感じる。刑場に引かれる悪人が鼻歌を歌う「引かれ者の小唄」と相通じるところがあるようだ。斬首の時も笑って斬られてこそ、悪人らしい最期だと言うのだろう。これに対し武士の場合は、騒がず、泣かず、粛々と死を受け入れるのがあるべき作法とされてきた。

 私の好きな山本周五郎の戦前の短編「城中の霜」に、武士の死に際が描かれている。これは、伊井直弼が断行した安政の大獄にまつわる作品だ。越前藩士橋本左内の処刑を終えた奉行は、直弼に「まことにあっぱれな最期でございました。従容として辞世の詩をしたため、帰するがごとく・・・」と報告した。

 その日の夕方、左内ゆかりの者と名乗る若い女性が奉行の屋敷を訪ね、左内の死に際を教えてほしいと願い出た。奉行は直弼への報告と同じように、「微笑さえ含んであっぱれな最期を遂げられた。さすがは一代の傑物と申す者もいました」と答えたが、女性は納得した様子ではなかった。左内とは幼馴染で、将来を約束した女性だった。

 遺体を引き取りに行った藩士が、刑場の役人から意外な話を聞いて藩邸に帰って来た。それによると、左内は首を斬られる直前、「暫らく待て」と言い、藩邸の方に手を合わせて拝み、声を忍んで泣いたと言うのだ。すると藩士たちは「死に臨んで泣くとは未練極まる。武士らしい死に方を知らない」といきり立った。

 これを聞いていた件の女性は「強盗殺人の罪で斬られる無頼の者は、笑いながら刑を受けると申します。それが真の勇者と申しましょうか。泣く勇気は左内さまだから出来たのです。本当の命を惜しむ武士の泪ではないでしょうか」と語ると、藩士たちは頭を垂れ、涙したと書かれている。

 石川五右衛門が笑おうが、橋本左内が泣こうが、昔の事だからどうでもよいと言えばどうでもよい。。言わせてもらいたいのは、菅総理が市民運動家の集会に参加し、はしゃぎ回っていたあの笑いのことだ。日本国中から総理失格の烙印を押されながら、高笑い出来る神経が分からない。

 強がりの笑いか、開き直りの笑いか、意気軒昂の現れか・・・。一国の総理を刑場に引かれる極悪人と一緒にしたくないが、私には虚勢を張る「引かれ者の小唄」のように思えてならない。往生際が悪い、見苦しいと思う国民は少なくなかろう。

 しかも、自然エネルギーを買い取る法律が成立するまで総理を辞めないとも言っている。この法律を人質に延命を図ろうとしているというのが、大方の見方だ。悪人が若い娘の首に匕首を突きつけ、「寄らば刺すぞ」という場面とどこがどう違うのか。政治の場で人質という言葉が飛び交うこと自体、異様だ。

 こんな政治は一刻も早く終わらせてもらいたい。まして、東北の震災を人質に権力闘争をするなど論外だ。これらを収束するためには、みーんな菅総理が一刻も早く辞職するしかないと思っている。歴史に名を残したいと思っているそうだが、すでに「悪あがきの宰相」として名を刻んでいるから、あとは安らかに・・・。

四面楚歌のような暮らし

 明日は梅雨の晴れ間になりそうだと、テレビの天気予報が伝えている。連日の雨にうんざりしていたから、釣りに行きたいと思った。急いで仕掛けを作り、ボートを軽トラに積み込んだ。

 翌朝、由良湾に着いて空を見上げると、薄雲がかかっていて雨の心配はなさそうだ。波も静かだったが、大雨で川から泥水が流れ込んだのか、少し濁っているように見えた。水潮といってアオリイカ釣りの条件としては芳しくない。

 しかし、何とか1杯釣りたい。産卵のため大型が接岸するシーズンは終わりに近く、この時期の最後のチャンスになるかもしれない。まずはイカの餌となるアジを釣り、そのついでに今が一番おいしい麦藁イサギも釣れれば、もっけの幸いである。

 深さ40メートルの海中に仕掛けを落とすと、いきなりグイッと魚信が伝わってきた。釣れたのは手の平くらいの鯛だった。腐っても鯛と言うけれど、吸い物の具くらいにしかならないこのサイズでは、少しもうれしくない。

 30分ほど経ち、やっとアジが釣れた。忘れたころに1匹釣れるという具合で、10匹余り確保するのに2時間余りもかかった。イサギもまったく釣れない。アオリイカ釣りのポイントに移動し、生きたアジを泳がせるが、これまた当たりが出ない。

 昼の弁当を食べ、足を投げ出してしばらく眠った。目が覚めると、馴染みの漁師の漁船が近付いてきて、「釣れるか?」と声を掛けてくれた。「さっぱりや」と情けない顔をしていると、船の生け簀から釣ったばかりのイサギを網ですくい、クーラーボックスに入れてくれた。ヘボ釣り師に同情していつも気を遣ってくれる。有難いことである。

 それから2時間ほどやってみたが、一度も当たりがなく、港に向かった。釣果は小鯛一匹だけ。漁師がくれたイサギ7匹がせめてもの救いだ。

 週間天気予報には雨マークがずらり付いており、退屈な日々が続く。しかも、女房は「悪いわね」と心にもない言葉を残して旅行に行ってしまった。姪とランチし、息子夫婦の家に泊まり、続いて友人と飛騨高山へ。まあ、女房が元気なのは何よりだが・・・。

 この時期、鮎釣りに出かけたいところだが、近くを流れる有田川は濁流が渦巻いていて川に入れる状況でない。釣りは駄目、女房は留守--。まさに、四面楚歌である。菅総理の気持ちが、よーく分かる・・・。

政治家に読ませたい「名君の碑」

 菅さんが総理の椅子にしがみついている。「辞めろ!辞めろ!」の大合唱・・・。普通の人間なら、人格をも否定されるような罵詈雑言に嫌気がさし、さっさと椅子を投げ出すのではないか。

 しかし政治家という特別の生き物は、普通の人間にとってそれほど意味のない「名分」や「名誉」にこだわるのだ。菅総理に名誉ある辞任の「花道」を用意してやれば、「一定の道筋がついた」とか何とか言って総理の椅子を手放すだろう。晩節を汚すことに変わりはないが・・・。

 遅かれ早かれ、菅さんに代わる総理が選ばれ、新しい内閣がスタートするだろう。これらの人たちに、是非読んでほしいと思っている本がある。直木賞作家の中村彰彦著「名君の碑(いしぶみ)-保科正之の生涯」(文藝春秋)である。10年以上前に出版された1冊である。

 読む人に、これほど清々しい風を送ってくれる本も珍しい。政治とは何か、政治家の徳とは何かを教えてくれる。伝記小説だから脚色、誇張もあろうが、それを差し引いても余りある感動がある。権力欲、名誉欲にしがみつき、政争を繰り返す現代の政治家たちに読ませれば、自分たちの器の小ささを思い知ることだろう。

 会津25万石の藩主だった保科正之は、徳川二代将軍秀忠と側室お静の方の間に生まれた。嫉妬深い正室お江の方による様々な迫害を受け、不遇の幼年期を過ごす。やがて高遠3万石の養子となり、保科の姓を名乗ることになった。この高遠の地で藩主や側近から薫陶を受け、名君としての素地を築いていく。

 若くして高遠藩主となり、数々の善政を施す正之は、三代将軍家光に見出された。この二人は腹違いの兄弟であり、家光は日蔭に埋もれていた正之を弟として天下に知らしめ、ひとかけらの私心もない彼を幕政にも参加させて重用した。山形藩に転封となったあと、奥州の要として会津の大藩に移封された。

 正之の業績は、関ヶ原以降の武断の政治から民生の政治へと転換したことだった。家光の死後、遺言によって4代家綱の補佐役となり、その徳政は次々と花開いていく。しかし、それらの業績に驕らず、徳川家ゆかりを鼻にかけることもなかった。家光への恩に報いるため、ひたすら幕政改革に奔走した。

 この時代、東日本大震災に匹敵する大火災が起きた。江戸の町を焼き尽くし、死者10万を数えたという。この災害対策に力を発揮したのが正之だった。米が値上がりすると、江戸の人口を減らすことが重要と考え、参勤中の大名を国元に帰した。家中の者もいなくなるからその数は膨大で、たちまち米価は落ち着いた。

 徳川家の蔵に納められていた米や金を一挙に放出し、被災者の救済に当たった。野ざらしの屍も手厚く葬った。今の震災対策とは違って、目を見張るような素早さだった。江戸城の天守閣も焼失し、幕閣から家綱に天守再建の願いが出されたが、正之は「天主閣が戦の役にたったことは一度もない。無駄遣い」としてバッサリ。以来、江戸城には天守閣がない。

 今で言う少子高齢化対策にも異才を発揮した。会津藩では口減らしのための子殺しを禁じ、90歳以上の高齢者に差別なく米を与えた。親孝行の者を探し出し、褒美を与える制度も作った。とくに、飢饉に備えて米を備蓄する社倉制度も設け、餓死者を一人も出さなかった。これらの善政を頼って他藩からも人々が流入し、爆発的な人口増をもたらした。

 正之の食事は、常に一汁二菜だった。お客に出すのもせいぜい一汁三菜。質素倹約を身を持って家中に知らしめた。時代が違うとは言え、夜毎ホテルで酒を飲み、有名料理店で舌鼓を打つ現代政治家とは心がけが違う。朝廷からの官位引き上げを辞退し、将軍から強く薦められた徳川家「松平姓」を名乗ることも拒み続けた。

 50歳の半ばになると、白内障を患い、ほとんど目が見えなくなった。そこで世話をやいてくれる20歳そこそこの女性を側に置いた。いつのまにやら怪しい仲になり、59歳でこの女性に男児を出産させたのだ。名誉も名声も金もいらない「足るを知る」希有の名君だったが、あちらの方は世俗の人間並みにお盛んだった。還暦前の快挙に「恐れ入りました」・・・である。

 

三半規管の反乱・・・

 1週間ほど前のことだった。ロフトの窓から差し込む朝の光で、いつもの時間に目が覚めた。起き上がろうとして上体を起こしたところ、頭の芯がグラリと揺れ、右側に倒れた。もう一度起き上がると、同じように天井が回り、また転んだ。

 ロフトの階段にお尻をつきながら手すりを持って1階に降り、何とか居間のソファーに辿り着いた。目をつむってしばらくじっとしていると、目まいは少し治まった。しかし、軽い吐き気は続き、頭もぼーっとしたままだった。

 その時、6年前の出来事を思い出した。それは、今と同じ梅雨時だった。その日私は、ホームコースのゴルフ場で行われた関西シニア選手権予選会の手伝いに借り出されていた。4番ホールのティーグランドが持ち場だった。

 最初のパーティーが来るのを待っていると、急に体がぐらぐらと揺れ、その場に座り込んでしまった。そのうち座っていることも辛くなり、うつ伏せになって寝っ転がった。我慢できず、何回も吐いた。

 ゴルフ場職員が驚いて救急車を呼んだ。担架で救急車に乗せられ、病院に向かった。その途中でも吐き続け、意識はもうろうとしていた。これが心筋梗塞なのだろうか。このまま死んでしまうのだろうか。そんなことを考えていた。

 病院でどのような処置を受けたか、よく覚えていない。少し眠って目が覚めると、点滴を受けていた。再び眠って目を開けると、ゴルフ場からの連絡で女房が来ていた。もうめまいも吐き気もなく、すっきりした気分だった。

 医師によると、三半規管が暴動を起こしたのだと言う。今後何もなければ、もう病院に来なくていいとも言った。洗濯機の中に放り込まれたような目まい。胃がでんぐり返るような吐き気。こんなことは初めてだった。

 それが数時間でケロリと回復したのだから、キツネにつままれたような気分だった。それから6年になるが、一度も目まいは起きなかった。そして今回の異変だ。あの時の病状とは比べ物にならないくらい軽いので、病院に行くほどのこともなかろうと思っていた。

 しかし、目まいは治まらなかった。何か別の病気ではないかと心配になり、総合病院の耳鼻科に行ってみた。あれやこれや検査を受け、医師の言葉を待った。医師は眉間にしわを寄せ、検査結果に目を通している。深刻そうにも見える。

 「メニエルではありませんね。三半規管にある石でバランスをとっていますが、その石がすぐに正常な位置に戻らず、目まいが起きるのです。まあ、10日もすれば治るでしょう」。この診断に、正直ほっとした。

 これも老化なのだろうか。老いの兆候は「目、歯、マラ」の異変として現れるとか。昔の人はうまいことを言ったものだ。私も軽い老眼になってきたし、歯もあちこち傷んでいる。もちろん、アチラの方も元気が失せて久しい。

 今回、三半規管が反乱を起こしたように、老いは誰にでも忍び寄る。これを受け入れるしかないのだ。ボート釣りに行って、海に落ちたらどうしよう。鮎釣りで川に流されたらどうしよう。そんな心配がないではないが、人生の残された時間を考えると、無為な時間だけは過ごしたくないと思うのだが・・・。

「二枚舌」「嘘つき」・・・国会議員には許される

 城中で武者たちが酒を飲んでいた。すると二人が口論の挙句、刀を抜いて斬り合いになった。相手を斬り伏せた武者は、止めに入った別の二人も追いかけて、背後から太刀を浴びせた。

 さてこの場合、どう裁かれるのか--。最初の斬り合いは喧嘩両成敗で罪は同じ。追いかけられて斬られた二人には同情の余地はなく、斬られ損ということになる。

 この例えが書かれているのは、甲州武田家の軍学を著した「甲陽軍鑑」のように思うが、記憶違いかもしれない。それはともかく、要するに背中を見せて逃げる武者に理はないという厳しい考えなのだ。

 このようなことが、現代の一般の人に通じるとは思わない。しかし国家を動かす政治の世界では、ここぞという時、背中を見せてはならない、逃げてはならない・・・これくらいの覚悟が必要だと、私は勝手に思っている。

 先の菅内閣不信任をめぐり、背中を見せて逃げたのは誰か? 不信任案に賛成することを公言しながら、土壇場で否決の票を入れたり、議場から逃げたりした議員たちである。民主党というのは、政治家としての矜持も覚悟もない集まりなのか・・・。情けなかった。

 彼らを方向転換させたのは、鳩山さんがしゃしゃり出て、菅総理の辞任を前提に丸く収めようと談合したからだろう。これによって不信任案を否決する流れへと一気に傾き、総理のとりあえずの延命につながった。鳩山さんが出て来ると、いつもろくな事がない。

 そもそも、土壇場で妙な談合をしたのもうなずけないし、この談合をこれ幸いとばかり、勇ましかった「反菅」の議員たちは緊張した戦線から背を向けてぞろぞろと逃げ出してしまった。菅総理の存在そのものが政治空白を生んでいるという認識はどこへいったのか。民主党だけではなかろうが、筋を通す議員がいかに少ないかをさらけ出した。

 兵が雲散霧消した戦場に一人取り残されたのは、松木議員だけだった。将たる小沢さんは戦場に踏みとどまることはなかった。代議士会で菅総理の発言を辞任と受け取った原口前総務相は、手のひらを返したように「菅さん、ありがとう」と頭を下げる無節操さだった。

 原口という男は、やはりこういう人間だったのだと再認識した。テレビ番組ではヘラヘラ、ニヤニヤして視聴者に媚びへつらっている。しかし、議員としての発言を聞いていると、本質的には極めて権力的、強権的である。今は赤っ恥をかいて「反省しています」など言っているが、要するに期を見るに敏なセコイ人間なのだ。

 私は、ブログでしばしば武士道精神を持ち出すカビの生えた男である。ただ武士道が求める人間の徳は、庶民もそれに見習ったので、武士だけのものではなかった。「武士に二言はない」は、庶民の言葉で「二枚舌は卑怯」となる。今回の政界茶番劇は二枚舌の大合唱だった。

 「嘘をつかない」は、子供でも知っている当たり前の事だが、それでも武士道では第一の徳目として掲げている。それは道徳的なものではなく、戦場における嘘は多くの兵の命にかかわる切実な問題であるからだ。鳩山さんは菅総理を嘘つき呼ばわりしたが、ご自分の引退発言はどこへやら。

 二枚舌、嘘つきが闊歩する政界--。政治家が推奨する道徳の教科書には「嘘も方便」と書かれているに違いない・・・。 
 

梅雨の晴れ間にイサギ大漁

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 雨は森の緑を鮮やかにしてくれるし、のんびりもできるので、嫌いではない。しかし、こうも雨が何日も続くと気分が滅入ってくる。今年は平年より10日以上も早い梅雨入りだった。関西が梅雨明けするのは例年7月中旬だから、これからが梅雨の本番だ。ああ、気持ちが塞ぐ・・・。

 多少の雨なら好きな鮎釣りに出かけるが、先日来の大雨で、有田川は濁流が渦巻いている。とても釣りが出来る状況ではない。しかも、鮎が食べる石に付いた珪藻が洗い流されてしまった。珪藻が付き始めるまでは鮎は釣れず、少なくても1週間は竿が出せそうにない。

 私の憂鬱な気持ちを察したかのように、由良湾の漁師から電話が入った。「明日は天気がいいから、漁船に乗るか?」というお誘いである。紀伊水道で大きなアジを狙うのだ。悠々自適の漁師だから、漁にあくせくしていないし、気前もよい。一緒に魚を釣りながら、ワイワイ、ガヤガヤ、にぎやかなのが好きなのだろう。

 この渡りに舟の誘いを断る理由はない。日の出前の海を走って紀伊水道の「平瀬」というポイントを目指す。先の台風による多少のうねりが残っていたが、波はほとんどない。GPSが示す最高のポイントに漁船のアンカーを下ろした。ここは先日、やはり漁師の誘いで釣りに来て、35センチはある大型のアジを11匹釣った場所だ。

 水深は55メートル。仕掛けを下ろし、海底から2ヒロほど切った所で当たりを待つ。いきなりグイッという魚信が伝わり、25センチほどのアジが釣れた。2連、3連で釣れて来ることもあり、魚の活性はいいようだ。しかし、あの大型のアジはこのポイントから姿を消していて、中型のサイズばかりである。

 ひとしきりアジを釣ると、糸を引ったくるような当たりが来た。イサギに間違いないだろう。強い引きをかわしながら糸を手繰ると、黄色の大きな魚体が見えた。糸をつかんで引き抜くと、35センチはあろうイサギが船上を跳ね回る。頭と胸ビレは黄色というより、黄金の輝きだ。脂が乗って一番おいしい麦秋の逸品である。

 その後も釣れ続いた。漁師は「こんな日は珍しい。釣れるだけ釣れよ」とハッパを掛けてくる。生け簀に泳ぐ1本釣りの旬のイサギは結構いい値で取引されるから、漁師はご機嫌さんだ。私のクーラーボックスも満杯に近付いてきた。40匹くらいは釣れただろうか。腕が疲れてきたので船上に寝っ転がり、まぶしい空を眺めているうち眠ってしまった。昼寝付きの大漁だから、たまらない。

 大きなクーラーボックスは一人で持ち切れないほどの重さである。帰り道、友人や親戚の人たちに宅急便で送った。私たちが暮らす生石山の仲間にも配り歩いた。翌日は仲間たちとのバーベキューがあり、食べ切れないほどの刺身を作り、振舞った。仲間たちから「山にいて、新鮮な魚が食べられる。あんたのお陰や」とおだてられ、この日ばかりは鼻が高かった・・・。

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