娘に鮎を食べさせようと奮闘する父親だが・・・

 先日来の度重なる雷雨で、鮎釣りのホームグランド紀州・有田川は増水している。それでも2日か3日に一度川に入っており、そこそこの釣果が得られている。ただ、増水している川は流れの押しが強いため足を踏ん張らなければならず、結構疲れるものだ。

 腰が少しだるいけれど、今日も川に入った。娘2人にわれら夫婦の4人で小旅行に行くことになっており、その際、子供たちに鮎を食べさせてやりたかったからだ。少なくとも一人2匹づつ食べるとすると、計8匹は釣らねばならないが、それくらいなら簡単に釣れるだろう。

 この日は、今シーズン初めてのポイントに入った。一抱えもある大きな石が入っているこの場所は、お盆過ぎから本格的に釣れ出すはずだ。午前10時に釣り開始。オトリを流れに入れるが、流れがきつくオトリが川底に落ち着かない。

 そこで、竿を出している反対側の岸に流れのたるんでいる場所があり、そこへ行って竿を出してみた。5分ほどすると目印が走り、18センチほどの鮎が釣れた。この鮎を持って元の場所に移動。これをオトリに流れに入れると、さすが野鮎である。スイスイと潜ってくれ、すぐに2匹目が釣れた。

 オトリの循環もまずまずで、元気なオトリが次々野鮎を連れてきてくれる。午前中に10匹余り釣れたので、午後はいつも行っている場所に替わってみることにした。釣りの前に昼ご飯にした。先日大阪の釣り友が送ってくれた明石ダコのタコ飯である。何と旨かったことか。女房の畑からたくさん収穫できるキュウリのヌカ漬けも、生気をもたらしてくれる。

 食後の休憩をしていると、「バシャッ」という大きな音がした。中年の男性が竿を持ったまま手をバタバタさせ下流に泳いでいる。何事かと思ったら、玉網を流してしまい、追いかけて回収しようとしたらしい。残念ながら玉網は無情にも流れの中に消えた。増水の川ではこういうこともあるので、注意せねばならない。

 午後からは一時入れ掛りもあり、計22匹釣れた。子供たちには分からないだろうが、1匹、1匹、苦労して釣ったものだ。石に滑って尻もちをつき、掛った鮎が石を巻き、糸が切れるトラブルもあった。このような時は、大金を落とした様な情けない表情になる。鮎釣りを知らない人が見ていたら、笑い転げるだろう。

 ともかく娘たちに食べさせる鮎は十分過ぎるほど釣れた。しかし、「親の苦労、子供知らず」・・・である。旅行の計画を相談している時、娘は女房に「えっ、お父さんも来るの?」と言ったらしい。何と言う親不幸の子供だろう。女房に「お前も同じ考えか?」と聞いてみると、複雑な表情である。

 「ワシは意地でも行くでえ」。その一言で、結局ご同伴させていただくことになったが、邪魔にならないよう心がけようと思う。肩で風を切っていた一家の大黒柱も、無収入になった今は、ああ、切ないなあ・・・。

   ↓ おい娘たち、鮎を釣る父親の苦労が分かるか?
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絶品の明石ダコが届いた・・・

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 今朝、クール宅急便が山小屋に届いた。大阪の釣り友「亀丸」さんからである。箱には、釣りたての「明石ダコ」が入っているはずだ。彼は大きなプレジャーボートで釣りを楽しんでいて、この時期は、潮流の速い明石海峡大橋の近辺でタコ釣りに励んでいるはずだ。
 
 「明石のタコは立って歩く」と言われる。潮流に鍛えられた足の筋肉はどこのタコよりも強靭で、体を持ち上げて歩くからそう言われるのだろう。だから身が締まって美味しく、明石ダコは全国にその名が知れるブランド品である。タコは、暑い夏の今が旬である。

 箱はずっしりと重く、配達の人から受け取った時、落としそうになったくらいだい。開けてびっくり、キロ級が3杯、食べごろサイズの小型が2杯、計5杯も入っていた。親切なことに、ヌメリも取ってくれている。

 家で一番大きな鍋で茹でたが、最も大きなタコは頭がはみ出てしまい、おしゃもで押さえつけていた。鍋に塩を入れ、茹でること約7分。少し切り取って味見したが、うまく茹でられたようだ。茹でる前に足1本だけ切り落とし、今夜は生で食べる。明日は、われら夫婦の大好物、タコ飯にしよう。もちろん食べ切れないので冷凍保存し、これから長くブランド品の味を楽しむことにする。

 先月のことだが、久し振りにいい鮎が釣れたので、ダッチオーブンを使って燻製にした。亀丸さんは、私の作る鮎の燻製を大層喜んでくれたことがあり、大阪のご自宅に送って差し上げた。実は、これが彼に余計なプレッシャーを与えてしまった。

 お礼の電話をもらった時、彼は「近いうちに明石ダコを送りますよ」と約束してしまったのだ。昨年は船を出せば豊漁だったが、今年は不漁が続いているそうだ。亀丸さんにしてみれば、早く私に送りたいが、数も型も揃わない。悪戦苦闘していた様子が手に取るように分かり、気の毒なことをしてしまった。

 鮎の燻製を送ったのは、露骨にタコの見返りを期待していた訳ではない。しかし、心のどこかに期待がまったくなかったと言えば嘘になる。だから宅急便が届いたとき、好物であるだけに「しめ、しめ」と笑いが込み上げたのも事実だ。

 鮎で明石ダコを釣ってしまった。しかし、お互いが釣りの獲物を交換することで、お互いがつながることも事実だ。釣りはこんな縁をもたらしてくれる。来年も鮎の燻製を送ることになるだろう。そう、先制攻撃。人の良い、大らかな性格の亀丸さんを困らせることになるかもしれないが、それほど明石ダコは美味しいのだ・・・。

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薬師岳のあと・・・せせらぎ街道を走る

 随分昔のことだが、「馬瀬川」の鮎は日本一と言われた。馬瀬川は、岐阜県北部を流れる中程度の川である。なぜ日本一なのかは分からないが、まず水がきれいなこと、鮎を育てる珪藻が良質であることぐらいしか思い浮かばない。

 その馬瀬川へ釣行したのは20年以上も前のことだと思う。当時は車にキャンプ道具を積んで、家族とともにあちこち走り回っていた頃である。事前に、女房や子供に鮎釣りをするとは言っていない。河原にテントを張ると、「晩ご飯のおかずを調達する」と言って、鮎釣りに夢中になり、家族からひんしゅくを買ったものである。

 鮎はそれなりに釣れたが、日本一の味だったかどうかは判定のしようがなかった。鮎に限らないが、お国自慢はどこにでもあり、おらが川の鮎は日本一と言うことになるのが相場である。馬瀬川の鮎は、高名な釣りエッセイストが書いたものだから、たちまち有名になり、尾ヒレもついた。

 何日か馬瀬川で過ごし、次のキャンプ地に向かった時、これまで見た事もない美しい道に出た。馬瀬川の上流部に当たり、郡上八幡に通じているようだった。道の名前は「せせらぎ街道」--。高山市から郡上八幡に至る道で、馬瀬川に沿って走るので、「せせらぎ」の名が付いたのだろう。

 何が素晴らしいかはうまく表現できないが、森の中に吸い込まれるような雰囲気があるのだ。木々の間を泳いでいるような錯覚にも陥った。

 この道に魅入られ、その後、もう一度訪れたことがある。そして今回の薬師岳登山の帰り道、また走りたくなったのだ。20年ぶりに走る「せせらぎ街道」は、昔に比べると雰囲気は少し違ったが、今なお美しい街道であることに変わりはなかった。

 街道沿いには、別荘や何かの工房のようなものが点在していた。どの家も薪ストーブを使っているようで、軒下などに薪が積まれていた。私も同じ薪ストーブの愛好家だが、薪の量は私の方が圧倒していた。どうでもよいことだが、金持ちになった気分になった。

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 車を運転していると、女房が「そこに止めて!」と言った。ログハウスの喫茶店である。行き過ぎたのでUターンして駐車場に車を止めた。店の前に、デゴイチ(D51型蒸気機関車)の本物のプレートが掲げられ、店の名前も「でご」だった。

 中に入ると、大きなテーブルに私たちより年配と見られるご夫婦と、店の経営者のご夫婦がおしゃべりの最中だった。「よかったら同じテーブルにどうぞ」とすすめられ、おしゃべりの仲間入りをさせてもらった。

 愛知県から来たというご夫婦は、海抜マイナス2mの住宅街に住んでいて、津波に怯えているという。こうして高地に来ると気分が休まるので、たびたび遠出をしているのだそうだ。

 私が近江の出身だと話すと、その愛知のご主人は「実は私、近江の大ファンなんですよ」と話し出した。琵琶湖の西部・高島地方にある棚田の一口地主で、田植えから刈り取りまでするので、高島に通いづめだそうだ。私より近江のことをよく知っておられ、とくに高島の地酒についてはびっくりするほど詳しかった。

 遠く離れた山あいの喫茶店で、故郷近江のファンと巡り会ったのも、何かの縁である。

 この店のご主人が会社を定年退職した時、なぜこの地にログハウスを建てたかを聞いて、驚いた。「ええ、馬瀬川で鮎掛けをしたかったのですよ」。私が18年前、和歌山の有田川に近い生石山に山小屋を建てたのも、同じ理由からだった。好きなせせらぎ街道で同好の士と出会え、うれしくなった。

 ただ私と違うのは、ログハウスを喫茶店にしてしまった才覚の持ち主なのだ。私などは、ただぼーっと日々を過ごす怠け者である。今から真似てみても遅いし、客が来るような所でもない。鮎は売れるほど釣れないし・・・。

 この「でご」で2時間近くもおしゃべりに興じてしまった。これも、旅の楽しみである。せせらぎ街道には、またきっと来ると思う。そして、「でこ」には必ず立ち寄るだろう。「いつの日か、このお店で」・・・。そう挨拶して帰途についた。

    ↓ 喫茶「でご」はこんな素敵なお店だった
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薬師岳のあと・・・山の村から新穂高へ

 薬師岳からの帰りを番外編で・・・。

 折立登山口に無事下山し、その夜の宿泊地・平湯温泉に向かった。有峰湖に沿って神岡方面に向かうのだが、その途中、「山の村」という地域がある。ここにはずっと昔の思い出がいっぱい詰まっており、その地をもう一度訪ねるのがこのコースを選んだ理由である。

 それは22年前。私たち夫婦と子供3人の一家は、車にキャンプ道具を満載して信州を回り、安房峠(今のようにトンネルはなかった)を越えて飛騨地方に出た。子供たちに素晴らしい北アルプスの山岳風景を見せてやろうと、新穂高ロープウェーに向かったが、強風のため運転を中止していた。

 やむなく、あてどもなく車を走らせていると、「山の村キャンプ場⇒」という小さな看板に目が止まった。「行ってみようか」と話がまとまり、細い道に入った。それはデコボコの砂利道。おまけに、道路にまで雑草が覆いかぶさっていた。子供たちは車が激しく揺れるのに閉口し、引き返そうと言う。

 車を運転する私も、次第に不安になってきた。とっくに集落はなくなっており、うねうねと山道が続いた。こんな山奥にキャンプ場があるのだろうか。すれ違う車は1台もない。戻ろうと思いかけた時、急に明るい草原が現れた。そこがキャンプ場だった。

 その時の不安の連続と、やっと辿り着いた安堵感が、一層思い出を深くしている。女房は神岡の小さな商店で買った土地独特の大根漬けが忘れられないと言い、子供たちは怖かったと口をそろえる。たったそれだけの思い出に過ぎないが、山の村キャンプ場は家族それぞれの心に今も残っているのだ。

 そのキャンプ場を訪ねようとしたが、道路は広いアスファルトになっており、昔辿った道は見つからなかった。日本の国土は、20年も経つと随分変わってしまうものだなあと、改めて思った。その土地に住んでいる人には申し訳ないが、隠れ里のような奥地が開発されずに残ってほしいと思うのは、身勝手だろうか。

 平湯温泉に泊まった翌日、女房は新穂高ロープウェーに是非乗りたいと言う。女房の独身時代には霧か強風のため乗れず、例の22年前は強風。今回が三度目の正直という訳である。それが、やっと実現した。

 標高2156mの展望台に出ると、雲が下からモクモク湧きだし、槍や穂高連峰が今にも隠れそうになっていた。しかし、何とか間に合った。槍と小槍、目の前に圧倒的な岩陵を見せる西穂高、振り向けば焼岳がきれいに見えた。そこから右に目を転じると、白山の山並みも見えた。

    ↓ 槍が岳
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    ↓ 覆いかぶさるように迫る西穂高
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    ↓ こちらは雲が少なく、焼岳は目の前に
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 笠の形をした笠ケ岳はもうほとんど雲に隠れようとしていて、残念だった。実は密かに、来年はこの山に登りたいと思い、色々とした調べもしていた。山の形の美しさもさることながら、昔読んだ新田次郎の小説が印象深かったからだ。

    ↓ 雲に隠れる寸前、笠ケ岳の姿が見えた
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 小説の題名は「槍ケ岳開山」。主人公の念仏僧「播隆上人」は、各地の人々から尊敬を集めていた。笠ケ岳の麓に滞在していた時、集落の人たちとともに笠ケ岳への道を開拓、信仰の山として再興を果たした。

 展望台で、雲に隠れようとする笠ケ岳を眺めながら女房に小説の話をした。この後、展望台を下りて森の散策道を歩いた。すると、その中ほどに播隆上人の像が建っているではないか。少年のような顔立ちで、小説で想像していたイメージとはまったく違った。

 上人像は、左手で指を指していた。自らが死を賭して開山した槍が岳の方へ導こうとしているのだろうか。この像の前で、またも播隆上人による槍が岳開山のウンチクを開陳したが、女房は「ふーん」と相槌は打つものの、聞いている風ではなかった・・・。

     ↓ 偶然というか、播隆上人像と出会った
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薬師岳(その5)・・・山頂に立つ

 さあ、今日は薬師岳の山頂に立つ。天気はどうだろう。まだ薄暗い外に出ると、すっぽりとガスに包まれていた。それでも午前4時過ぎから、ご来光を拝もうと多くの人が続々と山頂を目指して行った。

 私たちは朝ご飯を食べながら様子を見ることにした。「もう少し待ってみる?」と女房。「いや、帰りの道のりが長いので、行こうよ」。濃いガスの中、まなじりを決して5時40分、山荘にリュックを置いて出発した。

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 登り始めてしばらくすると、ご来光を見に行った人たちが長い列を作って下りてきた。「頂上はどうでした?」「なーんも見えません。寒いし風も強かったですよ」。うーん、そうかあ。楽しみにしていた北アルプスの展望は諦めざるを得ない。これもまた、不確実要素の多い登山の現実なのだ。

 がっかりしながら、ジグザグの道を登る。15分くらい経っただろうか・・・。

 おっ、あれは槍が岳か?天を衝くような岩峰がかすかに見えた。「おーい」と叫んで女房を立ち止まらせる。「運がいいかもね」と喜ぶ女房。つましく、悪事を働かずに生きる我らに神がほほ笑んでいるのだ。

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 みるみる雲が流れ、はっきりと槍が見え、その右に穂高の険しい岩陵が続いている。目を右に転じると、昨日見た黒部五郎がもっと鮮やかに見えた。その左は、形から笠ケ岳のようだし、奥に横たわるのは乗鞍かもしれない。

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    ↓ 威厳に満ちた黒部五郎岳。左は笠ケ岳?その奥は乗鞍岳?
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 振り返ると、薬師岳山荘が朝日を浴びている。やがて、薬師手前のピークに建てられている避難小屋に到着した。ここからは、後立山連峰の素晴らしい景色が見渡せた。

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 槍、穂高の手前には、水晶の峰がそびえている。雪渓を抱える広大なカール。地球の底にでも滑り落ちそうな斜面が続いていた。避難小屋から左手に進路をとると、その前方に薬師岳山頂が目に飛び込んできた。あともう少しだ。

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    ↓ 手が届きそうな所に山頂が。薬師如来の祠も見える
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 ついに、その時がやって来た。午前6時40分、われら夫婦は標高2926mの頂きに立った。

 夫婦がともに元気で登れたことが、何よりうれしかった。「よく歩いて来られたわねえ」・・・。それが女房の第一声だった。健康であることの素晴らしさをしみじみ噛みしめる。ベテラン登山者には何でもない山かもしれないが、私たちなりの達成感を存分に味わった。

    ↓ 女房が頂上の岩に足をかけ登頂
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    ↓ 後ろ姿で失礼します
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 お互いが記念撮影したあとは、長い間、黙って山岳パノラマに見入った。やがて北の雲が流れ、剱岳、去年登った立山も見え始めた。思えば、薬師に登りたいと思ったのは、立山から見えた大きく、大らかな山容に魅入られたからだ。今、その夢が叶ったのだ。

    ↓ 雲間から左に剱岳、右に立山の雄山、浄土山が見えた
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    ↓ にわかに雲が湧いてきて、絶景を隠してしまった
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 そうそう、これからの健康を願って、金の薬師如来像が安置されている祠にお参りせねばならない。その時、女房が岩の間に落ちていた100円玉を拾った。自分の財布を開いて100円玉を賽銭箱に入れ、拾った100円は「あなたの分」と言ってチャリン。なーんか、ご利益も半分になりそうな・・・。

 山頂には1時間も滞在した。その間、目の前に広がる光景に、ただ圧倒されていた。しかし、また雲が湧いてきた。山の天候は気まぐれである。私たちを待っていてくれたかのように、1時間半だけ北アルプスの峰々が姿を現してくれたのだ。感謝あるのみ。

 そろそろ下山しよう。薬師を後にすると、まぶしい朝日が、帰りの斜面に私たちの長い影を映し出した。今夜は平湯温泉だ。足取りは重かったが、素晴らしかった山頂の余韻を楽しむように、ゆっくり下った。無事下山し、登山靴を脱いだ時、もう次に目指す山のことを考えていた。

 「来年も北アルプスに来たいね」。そう話しかけると、女房は「お一人でどうぞ。私は絶対行かない」。もうこりごりという口ぶりだった。女房は黙っていたが、精根尽き果てたのだろう・・・。    (完)

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薬師岳・・・(その4)

 薬師平を後にした頃、にわかに空が黒くなり、雷鳴がとどろいた。そして、いきなり大粒の雨が降り出した。女房は心得たもので、さっと折り畳み傘を出して雨をしのぐ。私はリュックの中をごそごそ探すが、なかなかカッパが出てこない。ようやくカッパを着た時はすでに遅し、ずぶ濡れである。

    ↓ 空が次第に黒くなってきた。このすぐ後に雷雨に打たれる
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    ↓ 先行の女性が風に吹かれながら歩いている
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    ↓ タオルを頭に巻き、今にも倒れそうに歩いているのどなた? 
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 雷は鳴り続けていたが、雨は意外と早くやんだ。次第に空が明るくなり、薬師岳もきれいに見えてきた。なだらかな坂を登れば、今夜泊まる「薬師岳山荘」だ。雷の洗礼を受けたが、薬師平ケルンから1時間10分で標高2701mの山荘に到着した。時計は2時45分。折立登山口から7時間50分かかった。歩いた距離は9900m、標高差は1326m。

    ↓ いよいよこの日の最終「薬師岳山荘」が見えてきた
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    ↓ 少し早い到着だったので、登山者の姿はまばらだった
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 山荘は昨年建て替えられ、かすかに木の香りもする。受け付けを済ませ、濡れたカッパや衣類を乾燥室に吊るした。女房は歩いている途中、「あんみつが食べたい」と何度も言っていた。山荘のホームページに「白玉あんみつ」が載っていたのだ。早速二つ注文した。計1600円。とろけるような甘味が快い。疲れが飛んで行くようだった。

    ↓ 女房が狂喜した白玉あんみつ
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 夕食までの時間が実に楽しい。気温が10度なので、フリースを着込んで外に出た。周辺を散策しながら記念撮影もした。峰々は雲に隠れたり、現れたり。突如、黒部五郎岳が見え始めた。山頂の形には威厳があり、神々しくも見える。

 黒部五郎の右奥に薄っすらと大きな山容が見えた。ベテランらしき男性に「あの山は・・・」と聞いてみた。「御嶽山だと思うんですが、間違っているかもしれません」と謙虚である。知ったかぶりの人もいるが、間違ったことを教えられると、ずっとそう信じて他の人に教えてしまうことにもなる。自戒、自戒・・・。

    ↓ 雲間から黒部五郎の雄姿が・・・右は御嶽山?
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 私は愛煙家である。山は風がきつかろうと思い、防風用のライターを持ってきたが、標高が2500mほどを超えると、火が付きにくくなった。薬師岳山荘ではまったく点火しないのだ。気圧の関係か、空気が薄いためか。難しいことは分からないが、このような高山では防風用ライターは役に立たない。普通のライターは何とか点火するようだ。

 煙草が吸いたいがライターが使えないので、山荘の外のテーブルで湯を沸かしていた人にガスボンベの火を借りた。煙草をくわえて炎に近づいた途端、ジュー、ジリジリ・・・。髪の毛が焦げたのだ。少なくなってきた髪の毛なので、もったいないことをしてしまった。

 私たちが到着して1時間ほどすると、二組の団体さんがなだれ込んで来た。併せて40人は超えている。全員中高年だ。山荘は大変な混雑ぶりである。この人たちは予約客なので、大広間に通されたが、飛び込みの私たちは布団部屋に押し込められた。足が伸ばせない狭い部屋で、ここに私たち夫婦と若い男性の3人が寝ることになる。

 夕焼けを見ようと、再び外に出た。見事な夕日が雲海に沈んでいく。薬師岳も赤く染まっている。ああ、ここまで登って来たのだなあという感動が湧きあがってきた。明朝の天候が大荒れにならない限り、あの頂きに立てるのだ。

    ↓ 赤い夕陽が雲海に沈む。この日の疲れを癒してくれる
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 外のベンチに腰かけコーヒーを飲んでいると、山荘の女将が食堂の窓から顔を出し、話しかけてきた。女将はホームページに出ている通り、なかなかの美人で、気取ったところがない。「いやー、その帽子素敵ですねえ。どこで買えばいいんでしょう。私も欲しい」。女房が山でも重宝している防虫ネット付き農作業用のあれである。この高山にも結構虫がいるらしい。帽子を褒められた女房は少し得意げだった。

 夕食は美味しく食べた。昔は人の手で食糧を運び上げていたが、今はヘリコプターで大量に荷揚げできるので、食材も豊かである。後は明日に備えてぐっすり眠るだけだ。ところが、泣きたくなるほどの災難に見舞われることになった。

 同室の若い男性の鼾と歯ぎしりが凄いのだ。とくに歯ぎしりは、ひと晩続けると歯が磨り減ってなくなくのでないかと思えるほどだった。1、2時間は辛抱していたが、もう耐えられない。リュックに入れていたティシュを取りに行き、耳栓を作ってねじ込んだ。しかし、「ギー、ギリギリ」は聞こえてくる。女房も「眠れんわ」と苦悶している。

 私はふた晩続けてまどろむ程度の睡眠不足である。明日は頂上に登り、そこから一気に折立登山口に下らなければならない。そんな心配が頭をよぎる。午前3時、他の登山客が起き出し、私たちも布団を抜け出した。外の天気はどうだろう・・・。

 

薬師岳・・・(その3)

 「太郎平小屋」を出発したのは12時20分だ。歩き始めて5時間余りが経過している。折立登山口から標高で約1000mを登り切り、約9400mを歩いたことになる。しかし、まだ2時間以上歩かなければ、宿泊予定の「薬師岳山荘」に辿り着けない。ともかく、あとひと踏ん張りである。

 山小屋を出るとすぐ木道になっていて、緩やかな下り坂だ。しばらくの間、涼やかな風を受けながら歩く。これまで上り坂の連続だったので、つい鼻歌が出そうになる。すると、つい今まで霧に覆われていた峰々が姿を現し始めた。

 おっ、あれは薬師岳に連なる稜線だ。やがて霧がもっと薄くなり、その全貌が姿を現した。手前のピークにある四角い箱のような建物が避難小屋のはず。そこから左側へ稜線を辿ると、目指す薬師岳の山頂だろう。愛知県の大学生13人は、この避難小屋を頂上と間違え、右側の谷を下って遭難したらしい。若者よ、安らかに・・・。

     ↓ 薬師岳の優しい陵線が少し見えてきた
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     ↓ おにぎりのような山の左手に薬師岳のピークが見える
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 薬師岳は圧倒的な大きさだ。そして、優しい姿である。「北アルプスの女王」の名をほしいままにするこの名峰は、「日本百名山」に数えられて当然だろう。「明日、そこへ行くぞ~!」・・・。そう叫びたくなった。

 木道が終わると、一気に下り坂となる。下った分だけ登らなければならないので、何か損をした気分になる。下りきると、テント場でもある薬師峠だ。標高2307m。多くのテントが張られ、若者たちが昼寝をしたり、地図を眺めたりしてくつろいでいた。

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 峠からの登りは、見るからに辛そうだ。谷川沿いの道なき道だ。巨岩を乗り越え、谷川の水で濡れた石に足を掛け、ヨイショと体を持ち上げる。10歩も歩けば息が切れる。喉が渇き、谷川の水を飲んだ。顔も洗った。雪渓の一滴、一滴を集めた水は、手が切れそうなほど冷たい。

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 フー、フー言いながら、さらに登り続ける。下山してきた男性に、「もうすぐ登り切りますか?」と聞いてみる。私の情けない表情に同情したのか、「いやー、お気の毒ですが、まだしばらく・・・」という答えが返ってきた。ここが胸突き八丁だろうと、覚悟する。

 まだ先は長いので、岩に腰かけリュックを下ろした。急坂を見上げると、若い山ガールが下りてきた。タイツの上に黄緑色のミニスカートをヒラヒラさせている。前を通り過ぎる時、スカートの中が見えた。喜んだら、スカートとセットになった短パンをはいている。チェッ、ややこしい服を着るな!

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 若い女性に目が向くのは、まだ元気が残っている証拠だろう。散々苦労したが、標高差180mの沢を登り切って薬師平に到着した。太郎平からは1時間15分。薬師平は標高2475mで、一帯は高山植物の宝庫だそうだ。

     ↓ 薬師平のケルン。高山植物がいっぱい咲いていた
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 なるほど、あちこちに美しい花が咲いていた。高山植物の名前は馬鹿の一つ覚えで、「チングルマ」「ハクサンイチゲ」くらいしか知らない。人から教えてもらっても、その尻から忘れてしまう。覚えようとするのは無駄な努力というものだ。

     ↓ チングルマ
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     ↓ 白い花がハクサンイチゲ。黄色がシナノキンバイ(?)
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     ↓ イワギキョウ
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     ↓ 黄色がウサギギク。桃色の花は、???ハハコ? 
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 美しい花に見入っていたら、何やら雲行きが怪しくなり、東の方から雷鳴が聞こえてきた。宿泊予定の薬師岳山荘までは1時間余り。早く着きたいが、疲れて亀さんの足取りである。雷が近づき、「ピカッ、ドド、ドーン」。ああ、ナンマンダブ・・・。

薬師岳・・・(その2)

 薬師岳登山の第一日目は、標高2693mの「薬師岳山荘」に泊まる予定だ。標高1870mの「三角点」に到着したばかりだから、まだまだ長い道のりが待っている。午前9時15分、その三角点から再び歩き出した。次の目標「五光岩ベンチ」までは標高差326m、距離にして2760m。くたくたになった急登の「太郎坂」に比べれば、道は穏やかだろう。

 防虫ネット付き農業用の帽子をかむった珍しい姿の女房が、たくましく登って行く。服装はダサイが、女房の名誉のために書いておくと、OL時代は会社の山岳部に所属していて北アルプスなどを歩いていた。「今ある服装で何の支障もないのよ」と言うのが彼女の哲学である。何事も姿、形から入る私とは大違いだ。

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 私は二日酔いが覚め、足取りも軽くなった。少し霧が晴れ、山並みが見えるようになった。よく整備された歩きやすい道が空に向かって延びている。草原には黄色の花が咲いていた。何という名前の花だろう。帰ったら図鑑で調べてみよう。山の雰囲気に誘われて、年甲斐もなく花を愛でる乙女のような気分になって、我ながらおかしくなった。

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 少し疲れた。リュックを下ろして、今来た道を振り返ると、霧の間から有峰湖が顔をのぞかせていた。はっとするような美しい湖だった。しかし、ダム湖建設のため湖底にいくつかの集落が沈んだことを思うと、切ない。集落の人たちは、薬師岳を信仰の山としてあがめてきた。そして今、その有峰は登山の拠点となっている。

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 この先のことを考えると、体力を温存するように歩かなければならない。小休止を繰り返しながら10時55分、五光岩ベンチに到着した。三角点からの所要時間は1時間40分。ガイドブックに書いてあるより10分余計にかかっている。高齢者登山だから無理をせず、これでよいのだ。

 ここで5分休憩し、次の「太郎平小屋」に向かって歩き始めた。この山小屋は標高2330。五光岩からの標高差は134mで1700mの距離だ。このあたりでは、ニッコウキスゲが満開だった。この花の黄色は、神が与えた高貴な色だと思う。登山道のすぐそばに池溏(ちとう)があり、そこに一輪のニッコウキスゲが咲いていた。

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 しばらく歩くと、今度はニッコウキスゲの群落が現れた。その遠くに、長い滝が流れ落ちていた。高山ならではの素晴らしい風景に出会えて、「ああ、来て良かったね」と素直な言葉が女房の口から突いて出た。

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 私たちはリュックに2本づつペットボトルを入れていた。しかし私は、二日酔いで脱水症気味だったのと、暑さのため2本とも飲み尽してしまった。女房はまるまる1本分残していたが、「少し飲ませてほしい」と言っても、「二日酔いになるなんて論外。飲ませてやるもんか」と非情である。 

 渇きに耐えながら歩いていると、木道の上で女房が両手を上げている。おっ、太郎平小屋が近いのだろう。目標地点に到着する喜びよりも、炭酸飲料のシュワーッにありつける喜びの方がはるかに強い。「炭酸! 炭酸!」と唱えながら力を振り絞って前進した。11時55分到着。五光岩ベンチからの所要時間は1時間。普通。

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 500円玉を握りしめ、太郎平小屋の売店に駆け込んだ。「CCレモン」の缶を震える指でプシュッ。一気に喉へ流し込むと、酸味と甘味が疲れた細胞に沁みわたる。生き返った気分だ。残った3分の1ほどは女房に飲ませてやった。そこが私と女房の優しさの違いである。

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 太郎平小屋からは、目指す薬師岳の一角や威厳に満ちた黒部五郎岳などが見えるはずだが、ガスに隠れていた。太郎平は山の交差点のような場所で、薬師、黒部五郎、雲の平などに向かう人たちでにぎやかだった。私たちはキツネうどんをすすって12時20分、薬師岳山荘を目指した。その途中、沢を登る難所が待ち構えているので、難儀するだろうなあ・・・。

 
 

薬師岳・・・(その1)

 北アルプスで最も大きな山塊と言われる薬師岳(2926m)。私たち夫婦はこれからこの山を目指す。夫婦の年齢を足すと120歳を大きく超し、人に言えるほどの経験もない。そんな私たちが頂上に辿り着き、無事下山できるのか・・・。

 薬師岳の玄関口になっている有峰林道のゲート前に到着したのは午前5時45分だった。開門は6時だが、すでに20台ほどの車が列を作っている。1800円の通行料を払い、折立登山口に向かう。みんな気がせいているのか、かなりのスピードで走っている。

     ↓ みんな、わくわくしながら有峰林道の開門を待っている
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 夏山シーズン真っ盛りだから、折立には車がひしめき、駐車場に入れない車が道路にまであふれている。ぐるぐる回って何とか駐車スペースを確保出来た。登山靴の紐をしっかり絞めていざ出発だ。6時55分。「ゆっくり行こう」「そう、亀さんのようにね」と誓い合い、最初から腰が引けている私たち・・・。

     ↓ 折立登山口に踏み込む。気取らず、愚直に千里の道も一歩から・・・
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 取りつきの「太郎坂」は聞きしに勝る急登だ。前日から夜通し強い雨が降ったそうで、木の根っこで滑ったりしながらぬかるみの中を登る。まだ20分ほどしか歩いていないのに、急に目が回り出した。少し吐き気もする。倒れ込むように、登山道脇にへたり込んでしまった。「そんな所に座っては迷惑よ」と女房が怒るが、どうしようもないのだ。

     ↓ 目まいがして登山道にへたり込んだ。前夜の雨で道も靴も泥だらけ
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 実は前夜、立山山麓の旅館で大酒を飲んでしまった。ビール、冷酒、焼酎のチャンポンだ。寝付いた途端、強烈な下痢に襲われた。しばらくするとおう吐が続いた。出る物は全部出て、おまけに眠れない。そんな最悪の状態で出発したのだから、登山のイロハが分かっていない。

 「北アに行く」と友人に告げたし、このブログでも書いたことがあるので、たった20分登っただけで引き返せば笑い者にされるだろう。こんな馬鹿な虚栄心こそ危険なのだ。ともかく、休息している間に宿で作ってもらった弁当を無理して食べた。ところが10分もしないうちに元気が出てきたので不思議である。

 女房が「あんなにお酒飲むのは大馬鹿よ」とプリプリしている。「すみませんね」と小さくなりながら、女房のお尻を追い続けた。急登は延々と続くが、意外と足が上に、前に動いた。この一帯はトウヒやブナ、檜の巨木が林立する樹林帯で、木々を見上げる余裕も出てきた。

      ↓ 深い樹林帯を登る。聞きしに勝る急登だ
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 深い樹林帯の前方が少し開けてきた。最初の目標地点「三角点」はもうすぐだろう。そう思いながら登ったが、なかなか到着しない。 相変わらず急な坂道が続いている。やがて人の声が聞こえてきた。やっと三角点に着いたのだ。時計はちょうど9時。

      ↓ 三角点で休憩する登山者。ピンク、ブルー・・・みんなおしゃれな服装だ
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 標高1367mの折立登山口からここ三角点1870mまでの標高差は503m。距離にして2480m。ここまで2時間5分かかった。途中体調不良で15分ほどのロスがあったが、まあ標準的な時間で歩いたことになる。二日酔いでよくぞ来れたものだ。自慢できることではないが・・・。

 目まいがして座り込んでいた時、二人の女性が追い越して行った。そのうちの一人は、つば広の帽子をかむり、短パンにスパッツ、靴から目が覚めるようなピンクの靴下がのぞいていた。これぞ山ガールの典型的なファッションである。形の良いお尻につい見とれてしまった。もう一人は地味な姿で、母娘の登山者なのだろう。

 このお二人は、三角点のベンチに座って休憩していた。ピンクの靴下が印象的だったのですぐ分かった。彼女のお顔を拝見して、思わずのけぞった!! 年の頃、60歳前ぐらいだろう。恐ろしいものを見てしまったような気分だった。山ガールファッションは若者だけのものではないのだ。

 おしゃれに山を登る--。私の若い頃では考えられないことだ。山で見かける女性たちは、真っ黒の顔にチェックのシャツ、ニッカポッカといういでたちだった。正直、近寄り難い雰囲気を醸し出していた。しかし今は、誰もがおしゃれなのだ。

 それに対して私たち夫婦はまことにダサイ。とくに女房はひどい。靴はくたびれた20年前のもの。シャツもズボンも普段着である。他の登山者から奇異な目で見られていたのは帽子だろう。虫よけネットが首まで垂れ下がっている農作業用の帽子なのだ。こんなものをかむる人は誰ひとりいないのだが、実は、後に山小屋の女主人に絶賛されるのだ。この話は後で・・・。

      ↓ 女房の防虫ネット付き農婦の帽子。実際、樹林帯には結構虫がいるのだ
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 三角点でひと息ついた後は「五光岩ベンチ」を目指す。このあたりからは穏やかな道が現れ、北アルプスの峰々を楽しむことが出来るはずだ。五光岩までは標高差320m、距離にして2760m。この日の最終地点は、標高2693mの「薬師岳山荘」だから、登山はまだ始まったばかりだ。辿りつけるのか・・・。 

鮎は石を釣れ・・・残りアカ狙いで24匹

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 増水していた有田川の水位が下がり、やっと鮎釣りが出来るようになってきた。

 6月から7月にかけて長雨が続き、追い打ちをかけるように台風が来て大雨を降らせた。川には濁流が渦巻き、鮎の餌となる石のコケを削り取った。水位が下がっても、石にコケが付かなければ、鮎は釣れないのだ。

 このところの好天でコケが2、3分程度付いてきたので、久し振りに鮎釣りに出かけた。私のように満を持していた釣り人がたくさん竿を出していた。状況を聞いてみると、石のアカが不十分なので、釣果は厳しいらしい。

 「鮎は石を釣れ」--。戦前戦後にかけて釣りのエッセイを書き続けた佐藤垢石の言葉である。鮎は石を縄張りにしているので、侵入してきたオトリ鮎を追い払うため突っかかり、掛けバリに掛るという寸法だ。だから目ぼしい石にオトリを誘導することに神経を注ぐ。

 この日入ったポイントは、いつも釣っている場所なのでどこにどのような石が沈んでいるか、大体分かっている。アカが残っている茶色の石を辛抱強く攻める。15分ほどすると、目印がストンと沈み、強い手ごたえが伝わってきた。

 水流がきついため、走る鮎の抵抗は倍増する。浅瀬に誘導しようと竿を寝かせるが、深みに潜ろうとする鮎はなかなか寄って来ない。少し川を下って掛り鮎との距離を縮め、引き抜いた。タモでキャッチした鮎は20センチほどの良型だった。

 午前中で竿を納めようと思っていたが、やめようと思えば釣れるの繰り返しで、午後3時ごろまで釣り続けた。釣果はそこそこの型がそろい、計24匹。アカがまだ十分付いていな状況の中、これだけ釣れれば文句はない。

 夜は久し振りの塩焼きを味わった。鮎の尻尾を切り、身をほぐして背骨を抜く。新鮮なので簡単に抜けるのだ。新しいアカを食んだはらわたはホロ苦く、うまい!ビールを飲みながら、女房と二人で10匹近く食べた。

 天然鮎の味わいは、程よい脂の乗り、はらわたのホロ苦さ、香りの三拍子である。女房が言うには、テレビのグルメ番組を見ていたら、若い女性リポーターが「この鮎、苦くなくないので、美味しい」と言っていたそうだ。本当の味を知らないリポーターに失笑してしまうが、そんな彼女を使うテレビ局スタッフも馬鹿者だ。

 最近やたら多いグルメ番組は、食べ物なら何でも見境なく取り上げ、何が本物の味なのかマヒさせている。タレントたちはテレビ局の意向を受け、味わう暇もなく、口に入れた途端「うまーい」「おいしーい」と唱えるのだ。馬鹿らしくて話にならない。

 年寄りのお小言はともかく、残った鮎はダッチオーブンを使って燻製にした。そこで、テレビのリポーターに申し上げたい。鮎の燻製こは本物の味がある・・・。

       *** なお、2日午後に猛烈なゲリラ豪雨があり、有田川の水位が上がった。

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