人生色々・・・人も色々

 ここ生石山の仲間が進めている「薪作りプロジェクト」は、いよいよ終盤に入った。連日の作業で、全員疲労の色が濃い。私も腰が重く、伐採現場の蔓に足を取られ、転んだりする。30センチほどに玉切りした丸太は鉛のように重く感じ、軽トラの荷台に載せる度に肩で息をする始末だ。

 伐採しているのは、良い薪になるクヌギの大木である。チェンソーで切り、ウインチで引っ張って倒す。次は枝を払い、玉切りにして一か所に集める。作業を終えたら、各自が丸太を積んで自宅へ帰るという日々である。

 このような作業を続けていると、おのずと役割分担が決まってくる。木の伐採は、リーダーのKと私。ウインチの操作はM。まとめ役のようなピーターは、時々現場に来て、高みの見物を決め込んでいる。玉切りは全員で行うが、もう一人のAはこれに加わらず、独自の世界で作業を進める。その訳は、後で・・・。

 ピーターは、伐採にかかる費用はきっちり払うのに、「オレ、丸太はいらないよ」と持ち帰らないのだ。薪として使うのは杉の間伐材オンリーである。今年の冬に使う分は十分蓄えているが、1年後、2年後の薪を確保しておこうという気はさらさらない。「来年?何とかなるよ」・・・。あくまでも楽観的で、それが彼の人生哲学なのだろう。

 十人十色、無くて七癖。人間百人集まれば、百の個性がある。仲間の一人Aの個性もまた、独特である。

 われわれが丸太を玉切りする場合、その長さは30センチくらいが目安である。チェンソーを連続運転しながら適当に切っているから、35センチの長さも、20センチの長さにもなる。薪ストーブの炉に入る長さであればいいのだ。燃えれば灰である。

 しかしAの場合は、きっちり27センチの長さでなければならない。彼はいつも木の棒で作ったメジャーを口にくわえている。これを丸太に当て、27センチの所に赤いマジックペンで印を付けて切る。斜めに切ってしまった場合は丸太を裏返し、それが1センチでも5ミリでもはみ出た分をチェンソーで削ぎ落とすのだ。なぜ、27センチなのかは謎である。

 しかも、曲がっている丸太は目もくれない。節があってもいけないのだ。しかし、そのような丸太は少ない。マグロで言えば、トロの部分に当たる。だから、作る薪も少なく、一回ごとにメジャーで測るから、スピードも遅い。私を含めた仲間は、これまでに軽トラ7、8台分の玉切りを作ったが、彼はまだ2台分にもならない。

 彼の薪は、ブラシで木屑や苔を落とし、さらに磨きをかけるという念の入れようで、工芸品のような出来栄えである。冬期は山を下りる彼にとってそれほど薪を必要としないが、そういう問題ではなく、徹底したきれい好きなのだと思う。仮に越冬生活で大量の薪を使うことになっても、同じように薪の工芸品をこつこつ作り続けると思う。

 われわれはそのような薪作りを見ながらクスクス笑っているが、彼の偉さはそんな失笑をまったく意に介さないところだ。きれい好きは徹底していて、伐採ごとに散らばる大量の葉をきれいに掃除してくれる。「落葉の季節だから、掃除しても焼け石に水」と言っては身も蓋もない。ともかく、奇特な人である。

 薪の長さにこだわらないし、汚れていても無頓着。雑木林の落ち葉も「風情じゃ」と掃除しない。私たちの方が、歪んでいるのかもしれない・・・。

    ↓ 仲間たちと共同所有している油圧式薪割り機。太くてもバシッと割れる
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    ↓ 割り終えた薪は、仮置きして乾燥させる
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    ↓ 積み上げた薪を眺め、ニンマリ・・・
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小春日和・・・畑で昼ご飯を食べる

 今日土曜日の朝はひどく冷え込んだ。ヤマガラに餌をやるためウッドデッキに出ると、床に霜が降りていて滑りそうになった。今年一番の冷え込みで、気温は氷点下1度だった。

 この日は、われら山の仲間が進めている「薪作りプロジェクト」の休養日である。これまでに作った薪の一部を山小屋の裏まで運び上げ、薪置き場に積み上げた。

 午前中に作業を終え、薪の美しいモザイク模様を眺めながら悦に入っていると、女房が「天気もいいし、お昼は畑で食べようか」と言った。このところすっきりしない天気が続いていたので、もちろん大賛成だ。

 小春日和といっても、標高の高い山中だから日中でも気温は6度止まりである。暖を取るため、まずは畑の端っこで焚き火を始めた。やがて女房がお昼ご飯を持って来た。塩鮭、おでん、梅干しのメニューだ。これで十分なご馳走である。

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 焚き火の煙が少し煙たいが、野鳥のさえずりを聞き、太陽の光をいっぱいに浴びながらの食事のひと時。ささやかな幸せを感じる。女房が育てる新鮮な野菜、私が釣って来る生きのいい魚を食べているので、健康にもいい。

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 ここ生石山の森に定住してから、夫婦ともども風邪ひとつひかない。まぁ、それなりに持病を抱えているが、安定した状態を保っている。森の木々が発散する物質には免疫力を高める効果があるに違いない。加えて、森の暮らしは人を大らかにしてくれる不思議な力があるようだ。

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 食事をしながら、「こりゃー、長生きするぞー」とつぶやいてみた。すると女房は「だらだらといつまでも長生きしないでね」と言う。これは彼女の口癖であり、早く死ねという意味ではなく、「ピンピンコロリ」と死んでもらいたいという願望なのだ。

 老いて寝たきりになった亭主の下の世話をしたり、スプーンで食事をさせたりする面倒な老後の生活に恐怖を感じているのだ。しかし、これは亭主の方が先に死ぬことを前提にしているのであり、その逆だってある。私なら、老妻が寝込めば親身に世話をしようと心に決めているのに・・・である。

 女房の言葉が本心かどうかはともかく、女房が私の男やもめの生活に危惧を抱いているのは確かだ。なるほど私は、食事をまめに作れない、洗濯は出来ない、掃除をしない・・・要するに無精者で、面倒臭がり屋なのだ。食事を作るくらいなら、毎日でもカップ麺を食べるという性格なのだ。

 だから女房よりも先に死にたいと思う。私の方が年上なので、その方が公平でもある。しかし、まだこの世に未練はある。女房は「だらだら長生きするな」と言うけれど、そうせかさないでもらいたい・・・。

愛犬「ぴぃ助」 / 放浪する痩せた猟犬

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 わが山小屋に、娘の愛犬が来て半月ほどになる。シーズの雄で、年齢は3歳。人間の年齢にすると、紅顔の美少年と言ったところだろう。名前は「ぴぃ助」である。娘に拝み倒し、ひと月預かる約束で拉致してきた。

 ここへはもう何回も来ているので、ぴぃ助にしてみれば山小屋は勝手知ったる場所である。日中は薪ストーブ前の特等席を占拠しているし、夜はムートンを敷いている椅子の上ですやすやと熟睡している。

 ぴぃ助の表情は生き生きとしていて、居心地が良さそうである。それもそうだろう。娘が働きに出れば、長い時間、ずっと一人ぼっちだった。しかも、防音の行き届いたマンションだから、無音の世界である。さぞや、寂しかったろう。

 そんな反動か、ぴぃ助はここへ来た時からしきりに体を寄せて甘えるし、じっとこちらの目を見つめ続けている。顔をペロペロ舐めるのには閉口するが、それでも森の山小屋暮らしをするわれら夫婦を慰めてくれている。

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 幸せそうなぴぃ助を見ていると、数年前に体験した苦い思い出が蘇って来る。

 それは、女房とともに山小屋前の路上にいた時だった。前方から1匹の犬がやって来た。足の長い白い犬だった。とぼとぼとした足取りで、時折こけそうになって歩いている。

 私たちに近寄って来た犬は、あばら骨が浮き上がり、白い毛は黒ずんでいた。やがて、ひざまずくように座り込み、悲しげで、卑屈な目で見上げるのだ。空腹のため体力が弱っているように見えた。

 汚れてはいるが、どこか気品のようなものが漂っていた。猟犬かもしれない。道に迷ったのだろうか、飼い主に捨てられたのだろうか。役に立たなくなった猟犬を捨てる無慈悲な人がいると、聞いたこともある。

 噛みつかれたら困るので、「あっちに行け」と手ぶりで追い払おうとしたが、後ずさりするだけで、離れようとしない。野犬のような獰猛さはなく、弱々しい目線に、人懐っこさがあった。次第に哀れになってきた。

 大きなおにぎりを二つ与えた。犬はむさぼるように食べた。空腹を満たしたらどこかへ行くだろうと思って、私たちは山小屋に戻った。何時間かして表に出るとあの犬が寝そべっていて、哀れを誘うような目を向けてくるのだ。

 私たちが山小屋に定住する前のことだったので、この日夜には自宅へ帰らなければならない。しかし、この哀れな犬を残して帰るのは忍びない。どこか人家のある場所に連れて行けば、誰かが食べ物を与えてくれるのではないかと思った。

 そこで、すき焼きのお汁をまぶした美味しそうなおにぎりを何個も作り、これを車の窓から犬に与えながら、山のふもとの集落まで走った。うまく誘いに乗ってついてきた。集落の広場で車をUターンさせ、全速力で走った。犬はついて来なかった。

 山小屋に帰って1、2時間すると、軒下から「クゥーン、クゥーン」という鳴き声が聞こえた。あの犬が、健気にも長い道のりを帰って来たのだ。思わず、熱いものが込み上げてきた。われら夫婦はなんと非情な仕打ちをしたのだろう。

 しかし、自宅へ連れて帰る訳にはいかない。ここ別荘地の管理会社の社長に頼み込んで、犬の面倒を見てもらうことにした。後日、管理会社の玄関に繋がれていた犬を見た人が、引き取って帰ったという。しかし今も、忸怩たる思いは晴れていない。果たして、元気にしているだろうか。

 森を放浪していた痩せたあの白い犬。わが膝の上で寝そべるぴぃ助。人間の勝手な思いだが、それぞれの犬が辿る運命のようなものに複雑な思いがする・・・。

   

節々が痛い・・・重労働の森林伐採は中盤へ

 ここ生石山の中腹で進めている「薪作りプロジェクト」は、序盤から中盤にさしかかった。伐採するクヌギが太く、高さは15メートル以上もあり、悪戦苦闘の連続だ。

 4日間で伐採したクヌギは15本。計算通り倒れることもあれば、幹の傾きや枝の張り具合でうまく行かないケースも多い。しかし、木を引っ張る強力な機械に助けられて、一応順調に進んでいる。

 この機械は、エンジンの力でワイヤーを巻き取るウインチのようなものである。伐採はまず倒す方向にV字の切り込みを入れ、その反対側からチェンソーで切って行く。「ミシッ」という木が割れる音がしたら安全な場所に逃げ、後は機械でワイヤーを引っ張り、倒すのだ。

 私は、ひと際大きな木の伐採にかかった。「こっちに倒せ」と、仲間のMが方向を指示する。ウインチで引っ張り、指示通りの方向に倒れた。ところが思ったより木が高く、Mの頭上に覆いかぶさって来た。間一髪、Mは逃げることが出来たが、踏みつぶされたカエルのように這いつくばっていて、気の毒だが笑ってしまった。

 最も厄介だったのは、倒す方向とは逆に倒れ、しかも隣の木に寄りかかったままになってしまった。幹の下を切ってみたが、それでも倒れない。ウインチで方向をかえようとしたら、鋼鉄のワイヤーがあっけなく切れてしまった。もう一度試みたものの、また切れた。太いワイヤーに張り替え、やっと倒すことが出来たが、この間、2時間もかかった。

 これまで毎年木を伐採し、薪を作ってきた。しかし、そんな経験は知れたものである。伐採のリーダーKさんは、長年炭焼きのためおびただしい木を倒してきた。生石山で暮らす仲間のピーターは、かつてアラスカかカナダで森林の伐採に携わった経験の持ち主である。この二人の知識と経験は奥が深い。

 木を倒す、これを引き揚げるという一連の作業にも学ぶべきノウハウが多いが、しかし彼らは「身の安全」をすべてに優先させるのだ。われらは全員が還暦を過ぎた老いぼれである。若い人に比べて動作は緩慢だが、リーダーたちのお陰で今のところ死傷することなく作業を進めることが出来ている。

  きのう金曜日から雨が降り始め、今日土曜日は雨足が強まっている。この二日間は、疲れ切った体にいい骨休みだ。節々の痛みも少しほぐれてきた。来週からは天気が良さそうで、伐採作業の再開だ。

 こうしてパソコンのキーを叩いていると、腰のあたりが重い。体を動かすと、方々が痛い。老骨に鞭打つ伐採は先が長い。痛っ、あいたたたっ・・・。

     ↓ 樹高20m近いクヌギを倒す
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     ↓ まずは倒す方向にV字の切り込みを入れる
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     ↓ チェンソーで首の皮一枚を残して手動のウインチで引っ張る
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     ↓ 木が倒れる瞬間だ
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     ↓ 強力なエンジンが付いたウインチ
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     ↓ 私が持ち帰った丸太。1か月半くらいの燃料になる
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田原総一郎氏の怪しい発言

 つい先日、新聞の社会面に載っていた小さな記事に目がとまった。「田原さんが控訴断念」との見出しが付いる。この裁判は、北朝鮮による拉致被害者、有本恵子さんの両親が、テレビキャスター田原総一郎氏を相手取って起こした損害賠償訴訟である。

 田原氏は、外務省高官から聞いた話として「恵子さんは生きていない」と発言したのが訴訟の発端だ。両親は根拠のない「死亡説」は無責任で、被害者家族を傷付けるという主張である。

 死亡説の根拠としている外務省高官は存在するのか、存在しているならその名前を明かすべきだ--と有本さん側が主張したのに対し、田原氏は「ジャーナリストとしてニュースソースは明かす訳にはいかない」と反論した。

 しかし判決は1審、2審とも死亡説の根拠は信頼できないとし、田原氏に300万円の損害賠償を命じた。田原氏は「判決は不服だが、裁判を長引かせたくない」として控訴を断念し、判決が確定した。

 田原氏は潔かったのか、それとも裁判を続けても勝ち目がないと考えたのか。多分、後者だったのだろう。勇ましく拳を上げたものの、振り下ろすことが出来ないような判決に、もっともらしい理屈を付けて体面を保とうとしたに過ぎないと思う。

 今から4、5年前、田原氏の講演を聞いたことがある。演題は「アジア情勢」だったように思うが、まことに退屈な内容だった。新聞を読んでいる人なら誰でも知っているような分析ばかりで、高い講演料をもらっていると思うと馬鹿らしくなった。

 講演の最後に、もったいぶってこう発言した。「ここだけの話ですが、私の友人である中国政府高官の情報によると、中国政府が後ろから糸を引いて、北朝鮮のキムジョイル体制を転覆させる計画がある」とかなんとか言っていた。

 そんな謀略説は珍しい話ではない。ただし、これが中国政府高官の話であれば別である。果たして、田原氏にそんな重大な情報を明かす中国政府高官が存在するのか、はなはだ疑問だ。

 ニュースソースの秘匿はジャーナリストや取材記者の責務と言えるだろう。これが守られないと、重要なニュースや不正について証言する人がいなくなる。だからと言って、みだりに政府高官、有力議員、関係筋、党首脳・・・など匿名証言に頼るのは、発言や報道の信用性を損なうだろう。

 田原氏が、しばしば外務省高官、中国政府高官などの匿名証言を口にするのは、自身の顔の広さを誇示し、ジャーナリストとしての価値を高めようとしているとしか思えない。匿名の証言を得たとしても、しっかりその裏付けを取るのが、本当の責務だと思う。有本さんの裁判では、彼のそうした弱点を見抜かれたのではないか。

 いや、田原氏だけを批判しようというのではない。テレビなどに出ている評論家やジャーナリストたちも、「情報源は言えないが」と前置きして、いい加減な論評をしているケースが少なくない。それに腹が立つので、敢えて田原氏を引き合いに出したまでだ。

 それらの人物を出演させるテレビ局にも問題があると思う。しゃべりがうまい、話が面白い、テレビ映りがいいなどという出演の判断基準があるとしか思えないのだ。しかも、タレントごときとまでは言わないが、それらにしたり顔でコメントさせていることにも耐えられない。

 ジャーナリスト、評論家と名乗る人たちは、自分の足と目と耳で正しく物事を取材しているのだろうか。怪しげな輩が多いと思うが、どうだろう・・・。

薪のある豊かな暮らしへ・・・森の伐採

 「おっ、これは宝の山だよなあ」--。雑木林に集まった仲間の一人がそう言った。金や銀が出る訳ではない。珍しいキノコが採れる場所でもない。両手で抱え切れないほどの大きなドングリの木がいっぱい生えているのだ。

 ここ生石山で暮らす私たち6人は、雑木林の所有者の好意でこれらの木を伐採させてもらうことになった。もちろん、薪を作るためである。全員が薪ストーブで家を暖房しており、薪は生活必需品なのだ。

 薪の在庫が多ければ安心するし、少なくなれば恐怖さえ感じる。そんな我々にとって、目の前に広がる雑木林はまさに「宝の山」と言うことになる。伐採するのは、この地方でドングリの木と呼んでいるクヌギである。クヌギは、火持ちの良い最高の薪となるし、キノコのホダ木としても広く使われている。

 伐採プロジェクトのリーダーは、山林の所有者と交渉してくれた農機具会社の社長Kさんである。彼は趣味で炭焼きをしており、木や山に詳しく、伐採はお手の物だ。伐採の前には必ず、塩と日本酒で清める儀式を行う。命ある一木一草にも畏敬の念を払うのだ。その敬虔な姿勢を見習いたい。

 まずは、丸太を運び出しやすくするため、県道から雑木林に入る道と駐車スペースを作らなければならない。そのために、クヌギの大木を10本ほど倒すことにした。ただ、クヌギはどれも直径が30~40センチ、高さは15メートル以上もある。

 倒す方向を間違えると、他の木にかぶさって完全に倒れない。ワイヤーを幹に掛け、ウインチで引っ張って伐採するのだが、なかなか計算通りにはいかないものだ。大木が倒れず、木に引っ掛かって斜めになったままでは、われらはお手上げである。

 そこでチェンソーの達人Kさんの出番である。地上から1mほどの所を巧みに切り落とし、また同じことを繰り返しながら倒して行く。これはかなり危険な作業で、突如として木が落下することもある。

 伐採した木の枝を払い、長さ30センチほどに玉切りして積み上げる。2日間の作業でかなりの量になったが、伐採作業はまだ始まったばかりだ。今後はユンボを入れて道路を作り、雑木林の奥へと伐採を進めていく。

 2週間もすれば、丸太の山はうず高くなっているだろう。仲間たちのこぼれる笑みが目に浮かぶ・・・。

     ↓ この雑木林を伐採し、薪を作る
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     ↓ クヌギの大木を倒す方向が決まったら、ウインチで引っ張る
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     ↓ 最高齢の仲間ピーターは肩で息をし、休憩中・・・
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     ↓ 他の木に寄りかかってしまった木は、Kさんが巧みに倒す
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     ↓ 伐採した丸太は、このように玉切りにする
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自然薯を掘る・・・イノシシとの争奪戦だ

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 晩秋のころを迎えると、母親は小学生だった私に「自然薯を掘っておいで」とよく言ったものである。それほど食糧事情がよくなかった時代だったから、栄養価が高く、すこぶる美味しい自然薯は貴重な食べ物だった。掘るのは、子供の仕事でもあった。

 掘り方を教えてくれたのは父親だった。まだ、小学校の低学年の頃だったと思う。近くの山に入り、黄色く色づいた自然薯の葉を探す。そして、太い蔓を見つけると、父親から褒められた。太い蔓には、立派な芋が地中に伸びているのだ。

 集落のガキ大将と誘い合わせ、山に入った。それぞれに子供なりの競争心があり、太い芋を掘り起こそうと躍起になった。一番大事なのは、芋を折らず、傷付けないことだ。完全な形で掘れば、鼻高々だった。

 しかし、それは容易なことではなかった。大きな芋になると、深さは1mほども掘り進めなければならない。太い根が張っていたり、大きな石が邪魔していたりして、簡単には掘れないのだ。大人でも閉口するほどの根気が必要だった。

 半日で4、5本も掘ればいい方だった。食べる分を除き、残りは地中に埋めて保存した。自然薯は、霜が降りると蔓が飛んでしまうので、あらかじめ見つけておいた蔓の根元に木の枝を突き刺しておき、次に掘る場所が分かるようにしておいた。このような知恵も父親から教えられた。

 芋汁と言えば、すり鉢ですった芋と出汁を混ぜ合わせるが、私の地方では出汁の代わりに大根おろしと混ぜ、砂糖、醤油で味付けする。家族みんなの大好物であり、ご飯を何杯もお代わりした。「おいしい」の声を聞けば、子供心にも鼻が高かった。

 前置きが長くなったが、ここ生石山では自然薯掘りの季節である。太い蔓がどこにあるかは、日頃から偵察しているので分かっている。しかし、のんびりしている訳にはいかない。イノシシとの競争なのだ。

 生石山は禁猟区なのでイノシシが増え過ぎ、自然薯を巡ってはイノシシとの奪い合いが激化している。昨年は、目印をしておいた自然薯をすべてイノシシに横どりされて地団太踏んだ。まあ、この山の先住民はイノシシであり、横どりしているのは人間の方だが・・・。

 ともかく、先手必勝である。わが山小屋の横手に数本の太い蔓があり、ちゃんと目印もしてある。幸いイノシシに気付かれていない。大小の鍬2本、小さなノコギリ、ドライバーのフルセットを駆使して掘りにかかった。

 まずは蔓の根元の土を大きく除く。太い木の根っこはノコギリで切る。芋が見え始めたら、ドライバーで慎重に土を削ぎ落とす。そしてまた鍬で土を掘る。この繰り返しで掘り進んで行くのだ。

 1本目は大きな岩が行く手を阻んでおり、仕方なく途中で折った。2本目は、予想通りの大物である。80センチほど掘ったがまだまだ地下深く芋が伸びている。しかし、少年のころのような根気も気力もはなく、途中で折って掘るのを諦めた。

 それでも、何回か食べられるほどの自然薯が掘れた。さっそく女房が母親直伝の芋汁を作ってくれた。女房の畑でとれた青首大根の辛みが絶妙で、筆舌に尽くし難いと書けば大袈裟かもしれないが、絶品の味だった・・・。

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薪作りもまた楽しからずや・・・

 明日は立冬--。森の紅葉が鮮やかになってきた。そろそろ、薪ストーブ用の薪作りを始めなければならない。木を伐採し、丸太を30センチくらいの長さに切る。これを割り、山小屋の薪置き場に積み上げる。作業は来年の春ごろまで続く。

 ここ生石山の冬は厳しく、1年間に燃やす薪は数千本に上る。それだけの薪を作るのは重労働だが、ストーブのガラス越しに揺らめく炎を見ているのは楽しく、柔らかな暖かさも魅力だ。

 「エコやなあ」と人からよく言われるが、そんな高い志を持っている訳ではなく、薪ストーブが楽しいだけである。灯油や電気で暖房すればお金もかかるので、薪をうまく調達できれば、薪ストーブは安上がりの優れ物だ。

 薪の原木は、秋から冬にかけて伐採する。木が地下から吸い上げる水分が少なくなるので、薪は乾燥しやすく、カビも生えにくくなる。虫も付きにくいように思う。

 先日、畑の日当たりを良くするため、コナラなど4本の木を伐採した。薪に使えるよう、秋が深まるまで伐採を待っていたのだ。太い木が1本、細い木が3本だが、これだけで2週間分の薪を作ることが出来た。

 これから作る薪は、丸2年間乾燥させる。薪の水分含有率が25%以下になると燃焼効率が格段に高まるとされており、乾燥が最も重要だ。有に2年分の薪を蓄えており、いずれも十分乾燥させてある。薪に関してだけは裕福だ。

 ケチなことを言うようだが、これだけの薪を買うとなると、数十万円は下らない。火持ちのよいカシやコナラが多いので、価値が高い。いい薪だと、10本余りで700円前後もするから、結構高価なものなのだ。

 薪ストーブを使う人たちは、薪をタダで手に入れようと躍起になっている。生石山で暮らす仲間の一人は、毎日のように軽トラで森の中を徘徊して木を探し、伐採するチェンソーの音がすると駆け付ける。木をもらえることもあるが、空振りも多い。

 こうした努力の積み重ねで、ようやく1年分の燃料を手に入れることが出来るのだ。彼が積み上げる薪の山は日に日に高くなっている。逆にわが家ではすでにストーブを使っているので、薪は減って行くばかり。少し焦りを感じる・・・。

 しかし、案ずることはない。いい話が舞い込んできた。生石山の中腹で農機具店を営む社長が、雑木林の所有者と交渉し、伐採させてくれるようになったのだ。この指とまれに、たちまち山暮らしの仲間6人が名乗りを上げた。

 雑木林にはコナラなどの大木がたくさんあり、すべてを伐採するには何年もかかるだろう。ただ、軽トラが現場まで入れないので、張ったワイヤーに吊るして運び出すしかない。かなりの重労働にはなるが、薪が手に入るなら、いかなる苦労もいとわない。薪作りも、また楽しからずや・・・。

    ↓ 伐採した原木を玉切りし、割り、積み上げる。
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    ↓ 今回の作業でこれだけの薪が出来た。2週間分の燃料になる。
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