背筋が伸びる「蜩の記」

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 今年もあとわずかとなった昨日、憚ることなく涙を流し、一冊の本を読み終えた。「蜩の記」(葉室麟著、祥伝社刊)である。蜩(ひぐらし)の鳴き声が聞こえる中、一人の武士が切腹して果てる物語だ。

 つい先日、和歌山市の書店に立ち寄った。歴史小説のコーナーでふと目に止まったのがこの本である。表紙に描かれた武士の姿が印象的だった。武士は背筋を伸ばし、筆を使っている。障子越しには、黄昏の近い西日が射し込んでいる。大好きな藤沢周平の小説と重なるような雰囲気が漂っていた。

 しかし、本の題名が妙だなあと思った。時代小説に「鯛の記」とはどこかしっくりこない。老眼の目をこらすと、題名の下に小さな字で「ひぐらしのき」と書いてあった。魚の鯛ではなく、蝉だったのだ。恥ずかしながら、私には「蜩」を「ひぐらし」と読めるほどの素養がなかった。

 それはともかく、表紙の絵に心を惹かれて買うことにした。帯に「鳴く声はいのちの燃える音に似て」と書いてあり、これも背中を押した。夏の終わりに「カナカナカナ」と鳴く蜩の声を聞くと、私は、人の命や世のはかなさというのか、寂寥感に心を揺さぶられることがある。蜩の鳴き声と、その武士の生きざまとを重ね合わせる物語の行方は・・・。

 九州は豊後の小藩で奥祐筆を勤める壇野庄三郎は、城内で刃傷沙汰を起こした。切腹は免れたが、山村に幽閉され、藩史の編纂を続ける元郡奉行戸田秋谷の監視と編纂の手伝いを命じられた。

 秋谷は、前藩主の側室と密通した罪で幽閉され、10年後には切腹するよう言い渡されていた。それまでは藩史編纂が課せられ、命を区切られた人生を生きて行く。庄三郎が秋谷の幽閉先に赴いたのは、切腹まで残り3年に迫っていた。

 庄三郎は、秋谷の凛とした生き方に心を動かされ、不義密通にも疑問を持つようになった。妻と子供二人は秋谷の生き方を信じ、切腹までの残された日々を見つめながら健気に生きて行く。

 正直言って、この物語は美し過ぎるきらいがある。清冽な川の流れのような生きざまに感動する半面、人間がそれほど潔く死を受け入れることが出来るものなのか、疑問も湧く。

 物語の中で、貧しい農家の少年が、友人である秋谷の息子をかばい、郡吏の拷問にかけられ死んだ。この少年の最期を描くことで、作者は凛とした生き方が何も武士に象徴されるものではないと主張しているように思える。秋谷が美化され過ぎているので、少しホッとする部分である。

 「蜩の記」は、日本人の美意識を朗々と謳い上げている。この一年、隣国を含めて諸外国の不作法や勝手な振る舞いを見てきただけに、清々しい思いにさせてくれた。東日本大震災の際に見せてくれた被災者の我慢強さや節度も、日本人の精神性の高さを思い知らされた。

 そんな1年を締めくくるにふさわしい、読み応えのある本だった。読み終えると、ピンと背筋が伸びた・・・。

 

 
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雪や凍結を甘く見る無謀な車・・・

 ここ生石山は、連日、冷凍庫のようだ。朝の気温がマイナス4、5度、日中でも氷点下のままである。ただ、雪は大したことがなく、5センチほど積もっただけだった。

 体の芯まで冷えるので、このところ温泉通いが続いている。一番近いのは、車で20分ほどの有田川沿いにある町営の「二川温泉」だ。入浴料は600円だが、回数券を買えば半額の300円とお得である。

 昨日も夫婦で温泉に向かった。1キロほど下ると、乗用車が道を塞いでいて通れない。犬を抱いた女性が駆け寄ってきて、「車が雪でスリップして動けないのです。助けて下さい」という。車の運転席には夫らしい男性がいて、「もう、どうしようもありません」と青ざめていた。

 この場所から先は急カーブの下り坂が連続しているので、先へは進めば大変なことになる。バックして生石山の南側の道を通れば、何とか下りられるとアドバイスした。

 しかし、このあたりは路面がスケートリンクのように凍結して光っている。車のサイドブレーキを引いても、ズルズルと滑り下る。幸い、近くの道端に融雪剤の塩カリが3袋置いてあった。これをまけば脱出できるだろう。融雪剤の威力はすごく、たちまち路面の氷が溶け出した。

 通りかかった人たちも協力して車を押し、雪のない場所まで移動することが出来た。最初の車の男性は「助かりました。住所と電話番号を教えて下さい」と言って感謝されたが、「こんな時はお互い様」と手を横に振り、私たちは温泉に向かった。

 それにしても、標高800mを超えるような山に、ノーマルタイヤで来るのは無謀だ。雪や凍結の山道を甘く見ているとしか言いようがない。毎年、このようなケースに出くわし、脱出に手を貸すことが少なくない。

 今年の冬、わが山小屋に「車が横向きになって動けなくなった」と男性が駆け込んできた。仲間にも呼び掛け、1時間がかりで雪のない場所まで誘導したことがある。彼は涙を浮かべて「いずれお礼に伺います」と言い、奥さんと子供を乗せ、帰って行った。

 脱出できた安ど感と喜びからつい「お礼を」と言ったのだろうが、その後音沙汰はなかった。お礼など鼻から期待している訳ではないが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはこのことだろう。国語辞典には「苦しいことも過ぎてしまえば、その苦しさや恩も簡単に忘れてしまうこと」と書いてある。

 年が明ければまだまだ雪が降り、立ち往生する車が続出するだろう。雪景色を見に行きたい気持ちは分かるが、道を塞いでしまえば、他の車に大きな迷惑をかけるのだ。凍結した道路は恐ろしいのだ・・・。
 

山暮らし仲間の忘年会

 年が押し迫り、ここ生石山の別荘に通う人たちが、一人、また一人と山を下って行く。

 先日は、近所の奥さんが「良いお年を。来年の春までお別れです」と言って挨拶に来られた。ご主人は電動工具をたくさん買い込み、いつも大工仕事に励んでおられるが、冬の間は下界でどのように過ごされるのだろう。余計な心配だが、つい気になる。

 この森でノミをふるっている彫刻家も、間もなく山を下ると言っていた。彫刻教室で4人に教えているが、その教室も冬の間は閉じるとのことだ。隔週でここにやって来る奈良のご夫婦も、「凍死しないようにね」と言い置いて帰って行った。

 ここ標高800m余りの森には間もなく本格的に雪が降り、4輪駆動にスタッドレスタイヤを装着していないと、上がってくるのが難しくなる。だからこの時期、人影が少なくなり、本来の静けさが戻ってくる。

 昨日の晩は、ここに居残っているほんの数人で忘年会を開いた。いずれも薪ストーブの薪をたっぷり蓄えて越冬する仲間たちである。こんな寒い所で我慢しなくても・・・という人もいるが、雪景色が美しいし、静かなのもいいものである。

 鍋を囲んだ忘年会では、誰が言い出したのか、クリスマスシーズンのイルミネーションが話題になった。近年、住宅を電飾で飾り立てる人が多くなった。私の自宅のある住宅街でも、遊園地に迷い込んだように錯覚するほど、派手な電飾がまばたいている。

 忘年会に集まった仲間は、都会の喧騒に背を向けているようなところがあり、好んでこの山中で暮らしている。だから、けばけばしい電飾を快く思っていない。

 日本は不思議な国である。戦後、すんなりとクリスマスを受け入れ、それケーキだ、イヴだとはしゃぎ、日本中をイルミネーションで飾り立てる。半面、正月や祝日に国旗を掲げる家は少なくなった。日本の風景はどこへ行ってしまったのだろう。

 そんなことを思いながら、憤慨する仲間の話を聞いていた。明日はそのクリスマスイヴだが、この山奥まで不可思議な喧騒は聞こえてこない・・・。

年の瀬は寝て過ごす

 新年まであと10日余りとなった。昔は年末恒例の大掃除をしたものだが、それも億劫である。こんな山奥に年始の客がある訳でなく、おせち料理はちょこっと作るだけだ。普段の生活と変わらず、年の瀬という実感がまるでない。

 子供の頃は、正月が楽しみだった。母親が枕元に置いてくれた新しい下着を身に着けるのがうれしかった。今も思い出すのは、やはり枕元に置かれていた草色のジャンパーだ。「正月から着るんだよ」と買ってもらった。少し得意げに、ガキ大将たちにジャンパーを見せびらかしたものである。

 今は、そんな遠い昔を懐かしむだけで、年の瀬も正月にも特別の感慨はない。近年は大晦日の紅白歌合戦など見る気もしない。見た事もない歌手が訳のわからない歌詞を絶叫し、興醒めだ。除夜の鐘を聞いても、「また年を喰った」・・・。ただそれだけで、新年の決意などあろうはずがない。

 さて、ここ生石山に雪が降る日は近い。今朝も氷点下1度で寒い。今週末から寒波がやって来るとの予報で、さらに冷え込みが厳しくなりそうだ。

 雪が積もる前に、キノコのホダ木を作り終えたので、まずは一安心だ。伏せてある原木はたくさんあり、今年は一服しようと思っていたが、女房が「道の駅で売るほど作れ」と言うので、原木を用意した。シイタケ用のクヌギが20本、ナメコの桜が11本。来年2月ごろにキノコ菌を植え、2年後から収穫が始まる。

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 残る仕事は、薪割りである。ひと月ほどかけ、仲間たちと進めて来た薪作りのための伐採作業は終わった。ほとんどを割って積み上げたが、まだ20個余りの玉切りした丸太が残っているので、これを片付けねばならない。機械で割るので半日もあれば終わり、あとは寝て過ごす。

 話は変わるが、この冬から寝ていて足が冷えるようになった。血の巡りが悪くなったのだろうか。そこで重宝しているのが湯たんぽだ。これを使うのは、子供の時以来である。節電志向とかで、飛ぶように売れているそうだ。

 湯たんぽは、冬に生まれた末娘のために女房が買い求め、20数年も捨てずにおいたものだ。電器ごたつより柔らかな暖かさで、気持ちが良い。薪ストーブの上で、いつもお湯がチンチン沸いているから安上がりでもある。

 故(ふる)きを訪ね、新しきを知る。湯たんぽが「温故知新」を教えてくれた・・・。

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舞う雪を見ながら、年賀状の文面を考える

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 雪がチラチラ舞い出すと、「さぁ、冬だ」と身が引き締まってくる。雪に反応して、身も心も寒さに「覚悟」を決めるようで、それほど寒く感じないから不思議である。

 17日の土曜日、ここ紀伊半島も寒気に包まれた。朝起きて、煙草を一服吸うため外に出ると、寒暖計はマイナス4度を指している。昨夜は強い風が吹いたのか、先日崩れて積み直した薪がまた崩れ、立てかけておいた梯子が横倒しになっていた。朝8時過ぎからは、雪が降り出した。

 薪ストーブに薪を入れるのが、朝一番の仕事である。炉には結構たくさん熾き火が残っており、ゴーッという音を立てて勢いよく燃え出した。それでも室内が暖まるには時間がかかるので、ストーブの前でコーヒーをすすりながら、今日一日をどう過ごすか思いを巡らせる。

 そうだ、そろそろ年賀状を書かねばならない。年賀状には、夫婦の近況を書くことにしているが、さて、今年はどんな年だったのか・・・。

 東日本の大震災、原発事故による放射能汚染、台風12号による紀伊半島の水害。未曾有の悲しい年だった。年賀状の冒頭に、謹賀、迎春など新年を祝う文字を使うことが憚られるようにも思う。

 実際、そのような風潮のようだ。とくに、被災者に出す賀状には配慮が必要かもしれない。今年の世相を表す漢字に「絆」が選ばれ、清水寺の坊さんが大書した。迎春などの代わりに、その「絆」を書く人が多いらしい。

 それはそれで結構な話だと思うが、へそ曲がりな私は行き過ぎた「自粛」に複雑な思いを抱く。あの震災の時、日本中が自粛ムードに覆われた。立ち上がろうとする被災者にとって、そんな後ろ向きのムードは決して元気づけることにはならないだろうと思った。

 論語か何かに「過ぎたるはなお及ばざるごとし」とある。年賀状を差し出す相手が、生きて新年を迎えることを慶びたいと思う。自粛が過ぎた賀状の文面は、どこか白々しくて嫌な感じがするが、どうだろう。よし、例年通りの年賀状にしよう・・・。

    ↓ 今朝はマイナス4度。寒暖計は風で傾いている。
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    ↓ 昨夜は強風だった。薪がまた崩れた。
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    ↓ ガンガン燃やさないと、寒くて、寒くて・・・。
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雪男はいるのか?

 「雪男は向こうからやって来た」--。その本のタイトルを目にしたのは、新聞の書評欄だった。おっ、これは面白そう。さっそく新聞を切り抜いて、財布の中に入れた。いや、入れたはずだった・・・。

 ひと月ほど後、書店に行って財布から新聞の切り抜きを取り出そうとしたところ、見つからない。物忘れがひどいため、すでに本のタイトルを忘れていた。店員に「雪男のキーワードで検索してほしい」と頼んだが、多くあり過ぎて本に辿り着くことが出来なかった。

 それから半月ほどして、大阪の「MARUZEN・ジュンク堂書店」に立ち寄った。この店は、今年オープンした日本最大の蔵書を誇る書店である。先の書店と同じように、検索を頼んだ。若い店員は「たくさんありますねえ」という返事だ。

 すると隣にいた店員が「確か最近、ノンフィクションでそんな本が出版されました」と言うや、先の若い店員が走り去った。すぐに戻ってきて、「ありました。2階のカウンターに置いておきました。ご覧下さい」。やっと探していた本が見つかった。さすが日本一の書店だけあって、サービスも一流である。

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 前置きが長くなったが、この本は期待にたがわぬ面白さである。著者は角幡唯介。まだ35歳の若手だが、文章はこなれていて、取材力にも長けている。朝日新聞記者を5年ほどで辞め、大学時代から続けている探検の道に入った。チベットの峡谷を探検した著書で、開高健、大宅壮一両ノンフィクション賞を受賞している有望株だ。

 雪男と言えば、白い毛におおわれ、人間よりもっと大きな二足歩行の類人猿を思い浮かべる。少年時代か、それより少し後か、そのようなイメージ図を何度も見た記憶がある。当時は、ヒマラヤに棲息する恐るべき雪男を思い浮かべて、胸が高鳴ったものである。

 しかし年を取るにつれ、その間に夢やロマンを失い、現実的にしか事物を見ないようになり、「雪男なんているはずがない」と思うようになっていた。そんな時に、「雪男が向こうからやって来た」という刺激的な本のタイトルを目にし、焼け没杭に火が付いたという表現がいいかどうかともかく、遠い昔に夢見たロマンの世界に引き込まれたのだ。

 雪男について、著者も最初は懐疑的であったと書いている。しかし、ネパール雪男探索隊に参加して、次第に肯定派に傾いていく。この探索隊には、実力派の登山家が参加しているし、雪男らしい姿や足跡を目撃した多くの登山家にもインタビューしている。

 それらの証言者は、芳野満彦、小西浩文、田部井淳子らの他、ルパング島で残留日本兵小野田寛郎を発見した冒険家鈴木紀夫ら錚錚たる顔ぶれだ。鈴木の場合は、雪男探索のため6回もヒマラヤに通い、雪崩に遭って死亡した。外国人登山家やシェルパの多くも、「イエティ(雪男)はいる」と断言している。

 さて、大がかりな探索隊に同行した著者は雪男にめぐり会うことが出来たのか・・・。それは本書に譲るが、私は読み進むうちに、「実在しても不思議でない」と思うようになって行った。忘れかけていた「ロマンの心」を揺さぶるいい本だった。今夜も夢の中で、ヒマラヤの雪原をさまよい、雪男を探そう・・・。

 

酒で盛り上がり、ゴルフで落胆する・・・同級生4人組

 冷たい北風が吹いていた4日前の夕方、関西圏の中都市に建つホテルに、4人の男が集まった。「カレー屋」「木材商」「ホテル王」「ゴロツキ」と呼ばれる男たちだ。40数年前、北陸の小さな高校を卒業したかつてのクラスメイトである。

 先月の同級会で顔を合わせた際、ゴルフをしようと約束し、こうして集まった。積もる話もあるので、ホテルの近くに予約していた料理屋で前夜祭を開き、気勢を上げることにした。

 4人ともよく飲み、よく話した。高校時代の思い出は、実に懐かしかった。その後のそれぞれの人生には、苦労話があり、驚きがあり、興味深かった。ビール、日本酒、焼酎の杯を重ね、料理屋を追い出されるまで話し込んだ。

 「カレー屋」は、大学の農学部を卒業して食品会社に技術職として就職した。主力食品であるカレーの研究、商品開発一筋に歩んだ。社長の覚えめでたく、今なお会社の禄を食んでいる幸せ者だ。

 入社してすぐ、沖縄群島の小さな島に行かされたらしい。ここでカレーに適した原材料を栽培するため、まずは木を伐採し、岩や石を掘り起こし、畑作りから始めた。4年間の島暮らしによって、農学部で学んだこともプライドも打ち砕かれたろうが、その貴重な体験が彼を大きくさせたに違いない。

 「木材商」は商社に入り、木材の買い付けに奔走し続けた企業戦士である。その大半を東南アジアやニュージーランドの海外駐在員として過ごしたそうだ。それらの国は水事情が悪く、濃いキルク入りの水を飲み続けたため、歯がボロボロになり、1本の歯も残っていないという。「眠っていて歯がゴロンと抜け落ちるのよ」・・・。

 密林で大の用を足していたら、目の前に毒蛇がかま首を持ち上げていたという。動けば飛びかかって来そうなので、あられもない姿のまま睨らめっこをしていたらしい。その結末まで聞かなかったが、毒蛇は悪臭にたまらず立ち去ったのだろう。また、密林の島に向かったチャーターボートのエンジンが故障、2日間も漂流するという危ない目にも遭っていた。

 「ホテル王」は、脱サラの成功者だ。大学を出て機器メーカーに就職したが、一念発起してホテル経営に転じた。この夜泊まったホテルも彼のホテルチェーンの一つで、なかなか立派な建物だった。

 高校時代は、いつも控え目で大人しい男だった。こう言っては何だが、風采も今一つだった。しかし、今の彼はかつてのイメージを一変させていた。堂々としていて、明るく、風貌も上等だった。

 人間、それまでに歩んだ人生によって、外観も内面も大きく変わるものだとつくづく思った。顔も人生の履歴書である。旧友との再会は、変わった所、変わらない所が鮮明に見えて面白い。

 さて、4人目の「ゴロツキ」は私である。若い頃、私の職業について心ない人からそう蔑まされたことがあるので、自虐的に「ゴロツキ」としたのである。同級生は私について「お前はクラスで一番の自由人だったなあ」と口をそろえた。喜んでいいのか分からないが、今はゴロツキの足を洗い、紀伊山地の雲辺で自由人らしい生活を楽しんでいる。

 さて肝心のゴルフ・・・。当日は風が強く、ミゾレが降り、ひどく寒かった。そんな言い訳から始めなければならないほど、全員散々だった。武士の情けでスコアは聞かないでほしい。

 「今日のラウンドはなかったことにしよう」。無念の総括である。カレー屋が「絶対、リベンジだ」と言うや、ホテル王が「次は来年3月。前夜祭もやろう」と一挙に話をまとめた。どっちみち、プレーに大差ないと思うが・・・。
  

 

きっぱりやめたつもりのゴルフだが・・・

 かなり昔の話だが、伊丹空港からヘリコプターで島根県に向けて飛び立った。離陸してしばらくすると、レシーバーから機長の声が聞こえてきた。「ついでに、兵庫のゴルフ銀座をぐるっと回ってみますか?」「はい、お願いします」・・・。

 ヘリは神戸市から西宮、三木、三田方面を飛行した。眼下に次々とゴルフ場が現れる。その余りの多さにびっくりした。山の中にではなく、ゴルフ場の中に山があるといった感じだった。

 後で知ったことだが、兵庫県内のゴルフ場は150くらいあり、北海道に次いで全国2番目の多さだと言う。「ゴルフ銀座」という呼び名は、そのことを指しているのだろう。

 「よくもまあ、これだけ山を削り取ったものだ」というのが、正直な感想だった。ゴルフ場を建設するには、山をいくつも造成しなければならない。伐採された木は数え切れないだろう。美しい自然が破壊され、芝生に散布する農薬汚染が追い打ちをかける。ヘリから見下ろした光景に、憤りを感じた。

 止まっている小さなボールを飛ばすのが、そんなに面白いのか。直径10センチほどの穴にボールを入れて、それがどうした。自然を破壊しておいて、紳士のスポーツとは笑わせる。

 あれから10数年・・・。恥ずかしながら、私はゴルフに血道を上げていた。節操のない男である。年間のラウンド数は80以上に及んだ。それだけのお金を使ったのだから、腕も上がる。やがてシングルになり、さらにハンデを下げていった。

 しかし3年前、きっぱりゴルフをやめた。「惜しいなあ、なんでやめるの?」と、ゴルフ仲間から思いとどまるよう言われた。突然、自然保護に目覚めた訳ではない。ここ和歌山の森の中に暮らすようになって、一気にゴルフ熱が冷めてしまったのだ。自分でも不思議なくらいに・・・。

 滋賀のホームコースから遠く離れ、一緒にプレーする仲間もいなくなり、山の中だから練習場もない。これらもゴルフをやめる理由のひとつだが、ゴルフに興じるより、森の生活の方が格段に楽しかったのだ。のんびり暮らしているように見えても結構忙しく、日々飽きることがない。

 ところが・・・。先月、高校の同級会に出席したところ、旧友から「ゴルフをしよう」と誘われた。「3年もクラブを握っていないので、勘弁してほしい」と断わったが、「言い訳は聞かない。とにかくやろう」と強引に引き込まれてしまった。

 山小屋の納戸に放置していたキャディーバッグにはカビが生え、ウエッジも錆が浮いている。ちょっと恥ずかしかったが、それを持って練習場に行った。昔取った杵柄とは言いながら、情けないというか、当然というべきか、クラブヘッドの芯にボールが当たらず、泣けてきた。

 まさか同級生とプレーするなど考えもしなかったので、つい雑談で、「昔、シングルやった」と言ってしまったのだ。後悔しても始まらないので、何とか元シングルの片りんを見せなければならない。しかし、まったく自信がない。

 プレーは2日後に迫っている。あぁ、どうしよう。・・。 

美しい森を願う・・・

 先日の昼前だった。雨まじりの冷たい北風が吹いていた。引き戸が風圧で開けにくいほどの強風だった。ストーブの前でうとうとしていたら、「ドーン、ガラガラ」という異様な音がした。

 横殴りの雨の中、山小屋の外に出てみると、積み上げていた薪が崩れ落ちていた。しっかり積んだつもりだったが、強風に耐えられなかったのだろうか。もう一度積み直す面倒を思うと、うんざりする。

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 そんな大荒れの日の前は、何日も小春日和が続いていた。気持ちが悪いほどの暖かさだった。テレビのニュースでも季節外れの暖かさを伝えており、全国的な異変らしい。

 山小屋裏の杉林の中に伏せてあるキノコの原木からは、もう終わったと思っていたヒラタケが再び出てきた。例年、発生は11月下旬ごろに終わるのだが、今年は季節が逆戻りして、発生に適した気温になったためなのだろう。

 シイタケはこれまでに20個ほど採れただけで、仲間たちと「今年は駄目だったなあ」と言い合っていたが、こちらも豆粒ほどの芽がたくさん顔を出し始めている。キノコは気温に敏感な生き物だとつくづく思う。

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 嵐山など関西の紅葉の名所も、12月に入ってやっと紅葉が本格化したようだ。ここ生石山にはコナラが多く、濃い黄色に彩られた森は怪しいほどに美しい。モミジ、ウルシ、ナナカマドなどの真紅に比べると地味だが、コナラやミズナラ、ブナなどの色合いにも味がある。

 コナラと言えば、全国で「ナラ枯れ」の被害が広がっているそうだ。一昨年、黒部に行ってみて、そのひどさに驚いた。宇奈月温泉からトロッコ列車に乗ってしばらくすると、黒部川対岸のコナラやミズナラの葉が茶色になって枯れていた。見るも無残な姿だった。

 被害は日本海側に多く見られるが、ここ和歌山でもナラ枯れが報告されているという。ただ、ここ生石山では、ナラ枯れらしい木は見たことがない。いつまでも健全な森であってほしいと思うが、さてどうだろう・・・。 

 キクイムシという甲虫が木に侵入して枯れるらしい。それにしても、なぜ奇妙な虫が大繁殖したのだろう。酸性雨、温暖化、大気汚染・・・そんな自然環境の変化と無関係ではないだろう。人の手の入らない森が広がり、荒れ放題になっていることも関係しているのではないか。森の生態は、絶妙のバランスの上に成り立っているはずだ。

 偉そうに言う訳ではないが、われら薪ストーブユーザーが薪作りに励むのも、森のためになっていると思う。森の地面をよく見ると、小さな芽を出した木がいっぱい育っている。大きな木を伐採すれば日が差し込み、若い木が大きく生育する。

 森の新陳代謝は、美しい国土を守ることにつながるはずだ。国産材で家を建てる。炭を見直す。ついでに言えば、薪ストーブの利用者が増えればいいと思う。節電、省エネになり、化石燃料の消費も少なくなる。ニコルさんじゃないが、結構真面目に森の再生を願っている・・・。



 

 

友人から届いた水墨画のはがき・・・

 現役で働いていた頃と、引退したその後を比べて激変したのは、郵便物の量である。現役時代は、帰宅して郵便物に目を通すのに時間がかかった。今では、携帯電話やカードの請求書、日本年金機構からの通知、旅行社からの案内が入っているくらいで、空っぽのことが多いポストに一抹の寂しさを感じる。

 先日、ポストに珍しく一枚のはがきが入っていた。高校時代の友人からである。はがきの上半分に風景画が印刷されていた。どこかで見たような景色だと思い、老眼の眼をこらすと、それは私が生まれ育った田舎のお寺の本堂だった。

 絵の下には、律儀そうな文字で近況が綴られている。それによると、絵はたまたま私の故郷を訪れた際に描いたと書いてあった。本堂の屋根の形や柱の一本一本、木々のたたずまいが実に巧みに描かれていて、懐かしさが込み上げてきた。彼にそんな絵心があったとは・・・。信じ難い思いで、文面を読み進めた。

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 彼は、孫の世代に美しい地球環境を残してやりたいと真剣に考えている。そして、昭和の古き良き時代を絵によって語り継ごうと2年前から水墨画を習い始め、絵を介して子孫との交流を深めているとのことである。

 先ごろ開かれた高校の同級会で、彼は福島の放射能汚染への憤りを露わにしていた。この危機感を伝えるため、わざわざ欧米の友人を訪ね歩いたという熱血漢だ。この地球のために、子孫のために、自分に何が出来るか自問しているようだ。そう言えば、高校時代から心優しい奴だった。

 そんな彼とは対照的に、私はただぼーっと山の中で暮らしている。地球環境や政治に関心がないわけではない。子供や孫を持つ身だから、彼らの将来を危惧もしている。しかし、人のために、社会のために役立つことは何もしていない。

 友人のはがきには、私たち夫婦の暮らしについて「桃源郷の世界が羨ましい」と書いてあったが、却ってその言葉は私の忸怩たる心に痛みを感じさせた。

 彼が始めた水墨画は、まさに六十の手習いだ。私の勝手な想像だが、昔の人は、生活に少しゆとりが出てきた還暦のころから文字を習い始めたのではないだろうか。習い事に年齢制限はないという意味にもとれる。

 「年齢制限はない」と言われれば、耳が痛い。私はよく女房から「手先が器用だから、何か物を作る趣味でも持ってはどうか」と言われるが、「薪を作っているがな」と洒落にもならないことしか言えない有様である。

 いや、何かを始めようという意欲がない訳ではない。陶芸はどうかと女房に問いかけたこともあったが、ガラクタはいらないと言われ断念した。絵と書道は子供のころから馬鹿にされていたので、二の足を踏む。私の従兄は彫刻家なので、その血を引いているから才能があるかもしれない。しかし、一夜にして崩落するような大工仕事しか出来ない不甲斐なさだ。

 友人が描いた水墨画に大きな刺激を受けたのは事実だが、何かを始めようという思いは膨らんだり、しぼんだりの繰り返しだ。ああ、情けない・・・。

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