三丁目の夕日・・・滂沱の涙

 女房が友達と旅行に行っていて、凍てつく山小屋に一人取り残されている。三度の食事を作るのは面倒だから、朝は食パンを焼き、昼はレトルト食品を電子レンジでチン。夜も冷凍食品で済ませる。

 それも飽きたので、ラーメンが食べたくなった。和歌山市にそこそこ美味しい店があるので、1時間余り軽トラを飛ばして食べに行った。ついでに書店にも立ち寄った。同じ建物の2階にあるシネコンを覗くと、「三丁目の夕日」を上映していた。第一作目を観ているので、ちょうど良かった。

 映画は3Dだった。映像が飛び出してきたり、遠近感があったりするので面白いが、画面が少し暗い。

 時代は昭和39年、東京オリンピックの年である。映画の舞台になっているスズキオート店はオリンピックに合わせてカラーテレビを買った。貧しい小説家竜之介の家は白黒テレビ。竜之介は「白黒の方が想像力が湧く」とむきになる。

 スズキオートの一家はつつがなく、この一家とともに暮らす集団就職の少女はすっかり娘さんになり、医師の彼氏が出来た。竜之介の女房小雪は子を授かり、お腹が大きい。竜之介に引き取られて育てられた少年は東大を目指す秀才に成長し、竜之介と小雪に見守られながら、つましいが幸せな生活を送っている。

 戦後もやがて20年。この昭和の社会には、新幹線が開通するなど活力がみなぎっていた。車も家電製品も人間もアナログだった。向こう三軒両隣の良き隣人がいた。人情があった。映像はそんな昭和の風景を描き出していた。

 さて竜之介だが、ある日「チチキトク」の電報を受け取った。しかし、自分を勘当した父親に会いたくなかったが、小雪にすすめられ渋々故郷に帰った。床に伏せる老いた父親は、竜之介の顔を見るなり「勘当したはずだ。帰れ」と声を荒げた。

 やがて父親は死ぬ。竜之介は葬儀に空々しい態度だった。伯母は「あなたはお父さんの本当の気持ちを知らない。お父さんはいつもあなたが連載していた本を買い、何回も読み返していた。半端な気持ちで小説家を目指してほしくないため、勘当してまであなたを瀬戸際に追い込んだのです」と語った。

 竜之介が自分の部屋に入ると、本棚には連載していた本が整然と並べられていた。本には父親が書いた感想文が挟まれていた。「よく書けている」などと律儀そうな文字に、父親が息子に向けた思いが込められている。竜之介は初めて、勘当の真意を思い知ったのだ。

 こういう場面になると、私の涙腺はもう全開だ。滂沱(ぼうだ)の涙である。鼻水も流れ落ちる。ポケットに入れていた小さなタオルは、ぐしょ濡れだ。隣の人に恥ずかしかったが、嗚咽も漏れた。

 近年、涙もろくなってしまった。テレビを見ていても、本を読んでも涙がこぼれる。老いて涙腺が緩んだのだろう。特にこの映画では「父親の真意」が描かれており、わが琴線に触れた。

 父親というものは、母親と違ってぶっきらぼうだし、理詰めで物事を語ろうとするから感情が伝わり難い。3人の子供の父親である私も、幾度かもどかしい思いをしたものである。それだけに、竜之介に対する父親の「真意」が胸を打った。

 こうしてブログを書きながら、あっ、また涙が出てきた・・・。
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変な夢・・・

 きのう、こんな夢を見た。

 --勤め先の会社の玄関を出ると、同僚がタクシーを待っていた。最寄りの駅まで送ってやろうと言うので、タクシーに乗った。送ってもらった駅は、いつも乗り降りしている駅ではなく、遊園地にあるようなへんちくりんな建物だった。

 電車が来たので2階のプラットホームへ急いだ。階段を上るが、なかなか前に進まない。大勢の人に次々と抜かれる。這うようにしてプラットホームに辿り着いたが、電車は走り去った後だった。

 次の電車を調べるため、時刻表を探した。売店の近くにあったが、真っ白で時間が書いていない。途方に暮れていると、電車が来たようだ。みんな3階のプラットホームへ駆け上がって行く。この駅はプラットホームが2階にも3階にもあるのだ。

 私は先ほどと同じように、這っても這っても辿り着けない。すでに電車は出発した後だった。次に来た電車に乗ることが出来たが、電車は自宅とは反対の方向に走って行く。かなり遠くまで来てしまった。

 自宅に連絡するため、携帯電話をかけた。電話のプッシュボタンは指が入るほどの穴になっていて、指を入れると電気がつくようになっている。電話番号を5桁ほど押すと電気が消え、また最初からやり直さなければならない。それを何回も、何回も繰り返しているうちに、目が覚めた。

 腹の底に鉛を抱えているような重苦しい夢だった。布団の中で、夢を反芻してみたが、思い当たることが一つあった。実は、ある事情で医師から処方された薬を飲んでおり、医師は「この薬を飲むと、変な夢を見ますよ」と言っていた。

 変な夢って、何だろう。医師は「人それぞれですからねえ」と口を濁していた。ひょっとして、若くて美しい女性が夢に現れるのではないかと、少し期待してみた。しかし、それは甘かった。電車に乗れない、電話をかけられないという、身をよじるような夢だった。

 変な夢を見る薬については、口が裂けても明かす訳にはいかない。思わせぶりで申し訳ないが、やはり今は言えない。このような重苦しい夢にうなされる日が続くと思うと、気が重い。振られてもいい、せめて夢に美しい女性が・・・。

冬のピークがやって来た

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 大寒が過ぎて、いよいよ冬のピークである。寒さは、まさに正念場だ。今日の外の気温はマイナス5度。

 先週は3日連続で雨になり、道を覆っていた雪がきれいに消えた。しかし今日は朝から吹雪になり、道路にもどんどん積もっている。山小屋から和歌山、神戸方面を眺めると、雲が低く垂れこめており、この雲がさらに雪を降らせそうだ。

 こんな寒さでも、ヤマガラとシジュウガラは元気である。合図の口笛を吹いてウッドデッキにヒマワリの種を置くと、すぐに10数羽がやって来た。冬は餌が少なくなるのか、ヒマワリの種をひっきりなしに食べに来る。

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 天気予報によると、この寒さは2月上旬まで続くという。厄介なのは水道だ。マイナス1、2度であれば凍結することはないが、マイナス4度、5度になると水道管はたちまち凍結し、破裂する。

 北海道などの寒冷地では、水道管に温熱線が巻き付けてあり、凍結を防いでいる。しかしわが家の水道管はむき出しのままになっているので、水抜きという面倒な作業をしなければならない。

 水道管には水を抜く栓が3か所ついており、元栓を閉めた後に水抜き栓を開けて水道管の中を空っぽにする。そうすれば、どんなに気温が下がっても破裂することがない。しかし、水抜き作業は寝る前に必ずしなければならないし、水道を使う時には水抜き栓を閉めて水を通さなければならない。

 寒い中、外に出てこの作業を毎日繰り返すのは、まことに面倒である。風邪の引き金にもなりかねないし、脳卒中を起こすかもしれない。

 先日、東北の仮設住宅で水道管の破裂が相次いでいると、テレビが報じていた。この住宅でも水抜きをするようになっていたが、水道管に傾斜がつけられていなかったので、水が完全に抜けず、破裂を引き起こしたのだ。

 急ごしらえの仮設住宅で、しかも建設業者が厳しい寒さを予測できなかったのだろう。さらに、水を抜くという意味を認識していなかったので、傾斜をつけるという発想がなかったのではないか。わが家ではこれまで何回も水道管の破裂を経験しており、水が出なくなった被災者のご苦労がよく分かる。

 今も雪は降り続いている。明日は、近くの生石高原も銀世界になるだろう。寒いのは辛いが、雪景色には捨て難魅力がある・・・。

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グルメ番組に、ちと申し上げる

 4年半ぶりに風邪をひいてしまったが、おとなしく寝ていたのでだいぶん良くなった。ひょっとしてインフルエンザだったかもしれない。ともかく、晩酌が進むようになったし、食事を味わえるようにもなった。

 ぶり返すのが怖いので、日がな山小屋に閉じ籠っている。ストーブの番人をしながら本をペラペラめくっているが、どうも長続きしない。微熱がまだあるのか、いつの間にか眠っていることが多い。

 それ以外は、見たくもないテレビで時間をつぶしている。こんなに長時間テレビを見るのも珍しい。今さら言うまでもないが、何とくだらない番組が多いことか。お笑い芸人が出てきてゲラゲラ笑うだけ。タレントが時事評論をのたまう軽薄さ・・・。

 中でも、グルメ番組は噴飯ものだ。レポーターの10人中10人が、食べ物を口に入れた途端、「おいしーっ」と叫ぶ。食物を味わうということは、よく噛んで、舌の上で転がし、喉を過ぎるまでの総合評価である。口に入れてすぐ本当の味が分かる訳がない。

 しかも、出演するタレントたちのボキャブラリーは、まことにもって貧弱だ。「甘ーいっ」「柔らかーいっ」の二つしか知らないのではないか。たまに気のきいたのがいても、せいぜい「食感がいい」と言うのが精いっぱいである。

 先日、ある業者がネットに紹介されている食べ物店に、有利な書き込みを有料でしていたと報じられていた。どこかへ食べに行く時、ネットの書き込みを参考にする人が多いのだろう。女房も「食べログ」に首っ引きで、書き込みの内容をそれなりに信用しているようだ。

 さして美味しくもない店がサクラを使う。書き込みで儲ける業者がいる。ネット上のグルメ界では、そんな持ちつ持たれつが実態なのだ。ならば、テレビのグルメ番組はどうか。口に入れた途端、タレントに「おいしい」と言わせるのは、サクラ行為に等しいと言うべきだろう。

 番組は視聴者への情報なのだから、レポーターが言う「おいしい」の中身をもっと分かるように知らせるべきだと思う。表現に困ると、彼らの常套手段は、「秘伝のスープ」とか「秘伝のタレ」と言って秘密の世界に逃げてしまう。「秘伝」「極上」「逸品」など抽象的な表現しかできないのが、今のグルメ番組と言えるのではないか。

 それにしても、何とグルメ番組の多いことか。多分、制作費が安くつく割に視聴率を稼げるのだろう。視聴者を馬鹿にしたような質の低さがに腹を立てているのは、私だけだだろうか。女房に同意を求めてみると、「そんなに真剣に怒ることか?」と軽くいなす。私一人が騒いでいるだけか?・・・。

あぁ、風邪でダウン・・・

 不覚というか、風邪をひいてしまった。風邪の症状が出た最初の日は咳が出た。次の日は腰の回りが痛くなり、頭がボーっとして体がフワフワした。山小屋には体温計がないので、熱があるかどうかは分からない。風邪の常備薬もないし・・・。

 女房のおでこに私のおでこをくっ付けると、女房が「熱い」と言う。かなり熱があるのだろう。腰が痛くなるのはインフルエンザの症状と聞いたこともある。それに、年寄りの肺炎は命取りになるので怖い。

 病院に行けばいいのだが、山の中だから近くに病院はないし、雪の山道を行くのも億劫だ。寝ていたら治るだろうと、毎日、眠りこけた。5日ほど経ち、やっと物が食べられるようになった。ブログを書く気力も少し出てきた。

 このブログで以前、ここ生石高原の森に移住して以来4年余、私も女房も風邪をひいたことがないと書いた。森の木々が発散する物質に、免疫力を高める効用があると信じていた。自然豊かで、人も少ない山中で暮らしていたら、風邪なんてひくものかと、公言していたのだ。

 しかし今回の風邪は、そんな私の大言壮語を吹き飛ばしてしまった。「不覚にも」--と書いたのはそのことである。ただ、風邪をひいたくらいで、森の不思議な力に疑問を持ったりはしない。それは私にとってある種の信仰でもある。大学の研究でも、森林と免疫力の関係が証明されつつあるそうだ。

 それにしても、どうして突如、風邪の菌が暴れたのだろう。年をとって免疫力が衰えたのか、疲れていたのか、緊張感が足りなかったのか。発症した数日前、用事で人ごみの中を歩いたので、その時、風邪の菌を拾ったのだろう。油断は禁物だ。

 完全治癒まで、今しばらく大人しくしていよう。ただ、微熱があるのか、本を読んでも長続きしないし、テレビもお笑い芸人のくだらない番組ばかり。退屈な日々である。あっ、そうそう、このブログで紹介した葉室麟著「蜩の記」が直木賞に決まった。まことにめでたい。

犬になつかれて、一緒に歩く雪の道・・・

 きのうは、この冬一番の寒さだった。朝の気温はマイナス7度。外に出ると、顔がピリピリと刺すように痛い。しかし、この冷たさが快くも感じる。雪国で生まれ育ったので、私のどこかに厳しい冬を懐かしむようなところがある。

 このような日は、思いっ切り歩きたくなる。女房を誘って外に出た。山道は凍結しているので、登山靴をはいた。生石高原の頂上生石ケ峰(870m)に登り、少し下った所にある生石神社にお参りする。そして山をぐるっと巻いて山小屋に帰る約2時間半のコースである。

 何回か転びそうになりながら山道を登ったり、下ったり。生石山を回り込んだ所に、養鶏場があり、ここでは新鮮な卵を売っている。「たまご牧場まきば」という店で、有名ケーキ店がここの卵を使っており、そこそこ知られた店だ。

 年末、同じコースを歩いていた時、この養鶏場から1匹の犬が走り出てきた。養鶏場では、鶏が獣に襲われないよう用心棒の犬5、6匹を飼っており、この犬もそのうちの1匹だ。名前を知らないので、一応「ポチ」と呼ぶことにする。

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 ポチは、雑種の雄である。まだ幼さが残っており、1、2歳かもしれない。なかなか愛嬌のある犬で、頭をなでてやると仰向けになって甘える。ひと時、夫婦でポチと遊び、親しくなった。

 そしてこの日、養鶏場まで来ると、あのポチが駆け寄ってきた。知り合いになったのは半月も前なのに、覚えていたのだ。ポチにとってわれら夫婦は遊び相手の友人と思っているのかもしれない。何回も飛びついて親愛の情を表現し、仰向けになって前足を曲げる。心を許しているポーズなのだろう。

 しばらく相手にしてやったので、帰ることにした。名残り惜しいのか、ポチがついて来る。前を走る時は、立ち止まって私たちを待っている。ゴソゴソという音を立てて雑木林の中に入ったかと思うと、すぐに私たちの所に帰って来る。

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 そのうち養鶏場に帰るだろうと思っていたが、いつまで経っても離れない。もう2キロほど歩き、わが山小屋が近づいてきた。女房は何度も「帰りなさい!」と言って追い払おうとするが、その声に喜んでますますなついてくる。

 そのうちポチの姿が見えなくなった。山小屋に帰りつくと、なんとポチが姿を現した。道路の上の雑木林を走って先回りしていたのだ。妙に愛おしく感じ、頭をなでてやった。

 彼は養鶏場の用心棒であり、長い時間、職場放棄させては迷惑をかける。私たちは山小屋の中に入り、ポチが帰るよう仕向けてみた。しかし、窓から覗いてみると、ポチは玄関の所に座っている。随分、なつかれたものである。

 半時間ほどすると、ポチの気配がなくなった。職場復帰したのだろう。無垢な目で私たちを見つめるポチ。私たちに楽しい時間を与えてくれた。また、会いに行きたい・・・。

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関門海峡の風に吹かれて・・・(後編)

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 女房、娘とともにやって来た下関の旅は二日目--。ホテルから歩いて唐戸市場に向かった。途中、武蔵と小次郎が決闘を繰り広げた巌流島に行く黄色い船が停泊していた。島へ行く気はなかったが、「今日だけ半額の400円だよ~」という言葉につられ、乗ってしまった。「今日だけ」という掛け声は疑わしいが、やはり「半額」には弱い。

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 島に上陸すると、竹藪の中から丸々と太ったタヌキが2匹現れた。いつも観光客から餌をねだっているのだろう。女房は、意地汚く持ち歩いていた腐りかけのパンを与えると、喜んで食べた。野性のタヌキだから人間との距離を測り、2m以上は近寄らないのだ。奈良の鹿と違って、可愛げがない。

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 しばらく歩くと、武蔵と小次郎の決闘シーンの銅像が建っていた。小次郎をじらす狙いなのか、武蔵は相当遅れてやって来た。それが本当なら、剣聖らしからぬことになる。砂浜には、武蔵の舟を連想させる小舟が置いてあった。臨場感を演出したかったのだろうが、いかにもわざとらしい。

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 唐戸市場は大変なにぎわいだった。何種類もの刺身を乗せた弁当が800円。女房は「二つ買うからまけてよ」とセコイことを言っている。すんなり750円にしてくれたが、そばにいるのが恥ずかしくなり、後ずさりした。見くびっていたその弁当は、意外や実に美味しかった。こだわり派の娘は、お好みの握り寿司を買い、缶ビール片手にご満悦だ。

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 次はバスに10数分揺られ、娘お勧めの長府へ行った。ここは繁華な下関とは対照的に、城下町らしい落ち着いた雰囲気が漂っていた。中心部の家々は黄土色の土壁に囲まれ、江戸時代を思わせるたたずまいだ。道行くご婦人を見ていても、豊かな土地柄を感じさせた。

 長府で有名なのは功山寺だろう。高杉晋作は同志を引き連れ、この寺に潜伏していた七卿落ちの公家を前に「これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す」と演説、倒幕に向けて決起したと伝えられる。国宝の仏殿を擁するこの古刹には、今にも高杉晋作が躍り出てくるような雰囲気が満ちていた。

 吉田松陰から薫陶を受けた長州藩士たちは、明治維新に向けて突き進んだ。起爆剤となったのは、高杉晋作が農民や商人ら身分に関係なく結成した奇兵隊と言われる。若い頃の私は、司馬遼太郎らの本を読み漁り、彼らの燃えたぎるエネルギーに心が躍ったものだ。もし私がその時代に生きていたら、志士たちの使い走りくらいはしていたかもしれない。

 決起の功山寺門前でたたずんでいると、ふと、菅直人前総理の言葉が浮かんだ。組閣の感想を聞かれ彼は「奇兵隊のような内閣です」--。よくもまあ、ヌケヌケと言ったものだ。奇兵隊は命をかけ、新時代への理想に燃えた。しかし、菅前総理は恋々と地位にしがみつくばかりで、奇兵隊の名に泥を塗った。

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 風雲の志士の息遣いを感じながらそぞろ歩きし、乃木神社にも立ち寄った。神社の一角に、将軍の遺品などを展示する無料の記念館がある。寸志を入れる箱があり、100円入れて入館した(ケチだなぁ)。乃木夫妻は明治天皇に殉じるように自刃したが、その刀の血を写し取った紙が展示してあり、明治人の覚悟のほどを生々しく感じた。

 高杉晋作や乃木将軍について、聞きかじり、読みかじりの講釈をしてみたが、女房も娘も上の空。それよりも、どこかでお茶をしたいらしい。そこで入ったのが、目抜き通りにある洋菓子とコーヒーの「でせえる三好」というお店。二人ともケーキセットには目がない。

 街の中央を流れる壇具川沿いを歩き、帰路についた。川にはたくさんの水鳥や錦鯉が泳いでいた。やはり、歴史のある街はいいものだ。小さな旅だったが、日頃口うるさい家族に連れられて、下関のグルメと歴史に触れることができ、うん、良かった・・・。

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関門海峡の風に吹かれて・・・(前編)

    ↓ さすが下関のマンホールはすべてこれ。
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 去年の年末、女房と娘が頻繁に電話で連絡を取り合い、ひそひそと話をしていた。彼女たちはこれまでもこのように相談し、あちこちを旅行しているので、またどこかへ出かけるつもりなのだろう。

 いつも仲間外れされているひがみもあって、旅行の話を聞かぬ振りをしていた。まぁ、女同士の旅行に男が加わるのは無粋かもしれない。私は散々好きな事をしてきたので、女房の旅行には口出ししないようにしている。女房自身も第二の青春とばかりに、娘や友人との旅を楽しんでいる。

 ところが、今回の旅行に私を連れて行ってくれるという思わぬ展開となった。娘が「たまにはお父さんも・・・」とうれしいことを言ってくれたらしい。しかも、すべての費用を娘が持つという気前の良い話である。

 このようにして、下関でフグを食べる1泊2日の旅行へ行くことになった。私が働いていたころの旅行は、私が「あっち」と言えば「あっち」、「こっち」と言えば「こっち」だった。しかし連れて行ってもらう今は、それは通じない。女房と娘の尻を見ながら、ひたすらついて行くだけである。

 下関の駅に着いて少し歩くと、そこはもう関門海峡だ。大潮のため潮流は川のように速く、その狭い海峡を大きな船が行きかう。岸辺では、私のように「毎日が日曜日」の老人たちが釣り竿を出していた。その一人が竿を曲げた。海底に沈めた疑似餌に、手の平ほどの甲イカがしがみついていた。

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 赤間神社にお参りした後、フグ料理店「春帆楼」に向かった。ここは、日本で初めてフグ料理を出したと言われる有名店だ。同時に、伊藤博文と李鴻章の全権大使が日清講和条約を結んだ建物としても知られる。

 「春帆楼」は私にとって二度目である。十数年前、九州の会社がこの店に招待してくれ、フグのフルコースを堪能したことがある。本社に帰った途端、ある役員と廊下で顔を合わせると、この役員は「知ってるぞ。春帆楼に行ったらしいなあ。贅沢三昧しやがって!」と羨ましがっていたほどの店なのだ。

 海峡を望む部屋に通され、コース料理が運ばれてきた。もちろん大皿にフグ刺しが威張るように整列していた。細いネギを巻いて食べる。いじけている訳ではないが、女房と娘にたくさん食べてもらいたいので、控え目に口に運んだ。

 情けない話、高価なフグなどここ数年、食べたことがなかった。まして、娘の招待でなければ、春帆楼の暖簾をくぐることはなかっただろう。下関では、フグを「ふく」と呼んでいるが、すこし呼び名を変えただけで、何か有難味が加わるような気分になった。

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 満腹の腹をさすりながら、平家滅亡の壇ノ浦を歩いた。海戦は潮の流れが勝敗を決すると言われるが、有利だった平家は潮変わりとともに総崩れとなったらしい。近くには、長州砲のレプリカ5門が海峡に向いていた。英仏など4か国連合の艦隊を迎え撃つ大砲だが、性能に劣る長州砲は完膚なきまでにやられた。攘夷の馬鹿らしさを思い知らされたのかもしれない。

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 この後、海峡トンネルを歩いて門司へ。全長780mだそうだが、閉所恐怖症の女房は「地震が起きたらどうしよう」と言いながら、速足で駆け抜けた。それにしても九州は近い。もし本州と地続きだったら、邪馬台国の成立はもとより、勢力地図、大陸貿易も姿を変えていたに違いないと思った。

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 門司では、レトロな建物群を見て歩き、連絡船でわずか5分ほどの下関に帰った。夜はイタリア風の居酒屋で食事した。お代は、感謝の気持ちを込めて、薄く痩せた私の財布から・・・。                (続く)

初詣・・・弘法大師ゆかりの道を辿り

 ここ紀伊山地の山小屋まで来てくれた息子夫婦と孫は、元日の夕方帰って行った。山の麓まで送りに行って帰宅すると、山小屋には潮が引いたような静寂が待っていた。夫婦で薪ストーブの前に座り、「いつもこんなに静かだったのかなあ」と言いながら、少し寂しくなった。

 明けて正月二日、初詣に出かけた。例年は、生石高原の中腹にある「生石神社」へお参りしているが、今年は生石山の麓にある同じ名前の「生石(しょうせき)神社」を目指した。

 山小屋のすぐ裏に里道があり、ここを下って1時間ほど歩けばこの神社があるはずだ。車で一度行ったことがあるだけで、里道を下って行ったことがない。麓の人に聞けば、神社の場所は分かるだろう。

 リュックに昼ご飯用のカップ麺とお湯を入れて歩き始めた。激しく雪が舞っている。風も強く、木々がこすれて、「ギー、ギー」と不気味な音が鳴っていた。雑木林には人の手が入っていないので、倒木が折り重なっている。

 この里道は、平安の初期、弘法大師空海が麓の集落から生石山で修業するため毎日通った道だ。山頂の生石ケ峰(876m)から遠く東に見える高野山こそ真言密教の聖地にふさわしい。そんな空海の高野山開山に至る言い伝えが残っている。里道沿いには、たくさんのお大師さんの石像が建てられている。

 修験僧の空海は、おそらく飛ぶように登り下りしたのだろうが、われらは足元に気を付けながらゆっくり下った。1時間後、いきなり舗装道路に出た。神社の場所は分からなかったが、神の導きというのだろうか、歩いていると生石神社が見えてきた。

 杉木立の中にひっそりたたずむ神社には、参拝者の姿はなかった。境内の一角には、暖をとるための火が焚かれていた。二礼、二拍手、一礼の作法にのっとり、お参りした。女房が、年金生活者にしては過ぎるお賽銭を・・・。そして長い間、頭を垂れていた。ご利益にすがる思いが見て取れた。

 神社でも、お寺でも、参拝に際して「お願いしてはいけない」というのが私の考えだ。今ある自分にひたすら感謝あるのみ。ご利益を期待してもその通りになるほど、この世は甘くない。そして、ご利益という言葉の裏に、人間の身勝手を感じてしまうのは私だけだろうか。はからずも、立派なことを言ってしまった・・・。

 社務所の人に新年の挨拶をしていると、巫女さんのような人が現れて「寒いでしょう。さあ中でお茶をどうぞ」とお招きを受けた。出されたお茶には梅干しと昆布が入っている。懐紙の上には干したマンゴーのお菓子が載せられていた。新年にふさわしいもてなしに、身も心も温まった。

 カップ麺をすすって帰路についた。途中からは激しい吹雪に見舞われたが、1時間半ほどで山小屋に帰りついた。初詣をすませ、新年の始まりを実感する。この一年もつつがなく・・・・。

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新しい年を迎えて

 新年 明けましておめでとうございます。当ブログを訪問して下さる皆さんにとって、良い年でありますように。

 私たち夫婦は、ここ紀伊半島の山中にある小さな山小屋で新年を迎えています。大晦日には息子夫婦と孫が来てくれ、にぎやかな新年です。

 年末に降った雪は消えず、連日、氷点下の寒さです。しかし本格的な寒さはこれからで、春の風が吹くのは4月に入ってからでしょう。長く厳しい冬をしのぎ、健康で春を迎えたいものです。

 新年を迎えたからと言って、特別の決意をする訳ではありません。ただ、健康であることだけを願っています。高齢になれば、これが一番贅沢な願いかもしれません。

 昨年もまた、夫婦で北アルプスを歩くことが出来ました。8月には薬師岳、9月には双六岳、三俣蓮華岳を経て黒部五郎岳、鷲羽岳の頂上を踏みました。

 今年も北アルプスを目指そうと思っています。富士山、北岳に次ぐ3番目に高い奥穂高岳への登山を考えていますが、さて実現できるかどうか・・・。これもまた、健康であってのことです。

 いつも通りの生活スタイルが続けられれば、それだけで幸せです。2月に入れば、原木にキノコの菌を打ち込みます。3月には女房の畑仕事が本格化するでしょう。昨年開拓した畑に、イノシシの侵入を防ぐ網を張らなければなりません。

 4月の中旬になれば、ワラビやゼンマイを摘み、保存します。寒さが緩めば、私は釣りに通います。ガシラやイサギ、鯵、アオリイカ・・・。5月下旬には鮎の解禁です。ただ、有田川は豪雨災害で川の様子が変わり、難しい釣りになるかもしれません。

 その頃には、女房は畑仕事で忙しい日々が続きます。新鮮な野菜の収穫はこの上ない喜びです。秋になればキノコを採り、晩秋は薪作りに励まなければなりません。

 このようにして1年が過ぎ、また新しい年を迎えて一つ年を加えます。

 「森に暮らすひまじん日記」は、拙いながらもこのような暮らしを綴り続けます。単調な生活ですから、同じような事柄を書くこともあるでしょう。誤解や独断による文章が、不快を与えることがあるかもしれません。枯淡への道は遠く、なお未熟です。

 今年の早い時期に、ブログのアクセスが8万になりそうです。思いもよらなかった数字です。いつもブログを訪問して下さる皆さんに感謝しています。本年も、どうぞよろしくお願い致します。

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