春を呼ぶ雪・・・もうすぐウグイスの初鳴き

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 今年は閏年だから、2月の最後は29日。その日の朝、目覚めて窓を覗くと一面雪景色だった。前夜からの雨が雪になったのか、5センチほど積もった。東京でも雪が降ったようで、テレビは槍が降ったような騒ぎ方をしていた。

 冬に別れを告げるような雪である。イタチの最後っ屁のようでもある。ここ生石山では、4月でも雪が降るから3月の雪も珍しくない。それにしても、今年の冬は例年になく猛烈に寒かった。備蓄しているストーブ用の薪がごそっ、ごそっと減り続け、恐怖さえ感じた。

 日記をめくると、ウグイスの初鳴きを聞いたのは昨年が2月27日、一昨年が2月28日だった。今年もそろそろと思っているが、どうだろう・・・。天気予報によると、午後から気温が上がるそうだから、今日か、明日にも聞けるかもしれない。

 ウグイスは、最初から「ホー、ホケキョ」と上手に鳴けないらしい。「ケケ、ケキョ」と聞こえることがある。しばらくは発声練習をするだろう。しかし、どのような鳴き声でも、心をうきうきさせてくれる。ウグイスが鳴けば、春に手が届くのだ。

 昨日は、山小屋裏の森に巣箱を架けた。巣箱を掃除する度に感心するのだが、苔や獣の毛を運び込み、実に見事な巣を作っている。勿体無いがこれを取り除き、水できれいに洗い流す。一から巣作りする方がいいらしい。

 もう少し暖かくなれば、ヤマガラかシジュウガラが巣箱の下見にやって来る。気に入れば、苔などをくわえ、ひっきりなしに巣箱に入り、巣作りを始める。巣箱を架けて何年にもなるが、これまでのところ入居率は100%である。 

 山小屋裏のベンチに座り、巣箱に出入りする野鳥を眺めるのは楽しい。巣箱で育つ雛はやがて、ウッドデッキにしつらえている餌台に飛来し、ヒマワリの種をついばむ。われら山小屋の家族の一員となるのだ・・・。

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トン、トン、トン・・・キノコのホダ木を作る

 禁煙外来の医院へ行ったついでに、近くを流れる貴志川沿いを半時間ほどぶらぶら歩いた。川は、数日前に降った雨でやや増水しており、薄緑色の濁りが出ていた。気のせいかもしれないが、川面に春の気配が漂っていた。霞がかかった空からは柔らかい日差しが降り注ぎ、一陣の風にも春を感じる。

 このような季節を迎えると、キノコのホダ木作りを始めるのが毎年恒例の行事である。年末、原木栽培用のクヌギ、山桜、モミジの木を伐採し、シートをかぶせて乾燥させてきた。キノコの菌を植えるのに、今が丁度良い季節なのだ。

 長さ90センチに切った原木にドリルで数十個の穴を開け、種駒というキノコ菌を木槌で打ち込む。わが山小屋裏の森に、「トン、トン、トン」という乾いた音が響き渡ると、「あぁ、もうすぐ春だ」と実感する。

 ♪ 与作は木をきる ヘイヘイホー ヘイヘイホー

   こだまは かえるよ ヘイヘイホー ヘイヘイホー

   女房は機を織る トントントン トントントン

   気だてのいい嫁(こ)だよ トントントン トントントン

   与作 与作 もう日が暮れる

   与作 与作 女房が呼んでいる ホーホー ホーホー

 ご存知、北島三郎が歌う「与作」の歌詞である。のどかな山里の風景が浮かぶこの歌詞が好きだ。昔、酔っ払うと、スナックのカウンターでよく熱唱したものである。しかし今は、キノコの種駒を打ち込む作業をする時、つい口ずさんでしまう。「トン、トン、トン」という木槌の音が、「与作」のリズムに重なるのだ。

 今年は珍しく女房が種駒の打ち込み作業を手伝うと言ってくれた。シイタケ、ナメコ、ヒラタケの種駒は計1600個。結構時間がかかる作業だが、私がドリルで穴を開け、女房が種駒を打ち込んでくれるから作業は随分はかどる。

 「与作」の歌詞にある「女房は機を織る」を「女房は木槌振る」と替えてみると、ぴったりである。歌詞は「気立てのいい嫁だよ トン、トン、トン」と続く。あっ、その先は言うまい・・・。

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餌を催促する知恵者のヤマガラ

 朝起きると、真っ先に薪ストーブの残り火で薪を燃やす。居間が暖まるまでしばらく時間がかかるので、座椅子に座ってストーブの前に足を投げ出し、ぼんやりとした時間を過ごす。

 体が温まるのを待って、座椅子の左手にあるガラス戸のカーテンを開ける。すると、これを待っていたかのようにヤマガラが十数羽やって来る。ウッドデッキの手すりにとまって、ヒマワリの種の餌がもらえるのを待っているのだ。

 その中に、なかなか知恵のあるヤマガラが1羽いる。ガラス戸の向こうに置いているベンチの背もたれにとまり、ガラス越しに餌を催促するのだ。ヤマガラと私の距離は、ガラス1枚を隔てて30センチほどしかなく、当然目と目が合う。うまい方法だなあと思う。

 ヤマガラの目を見つめながら、「お腹がすいたか?」「食べたいか?」などと話しかけるのが日課である。ヤマガラは時々首をかしげながら、辛抱強く餌を待っている。少しじらしてヒマワリの種を与えるのだが、このひと時は実に楽しいものである。

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電車に揺られ、遠くへ行きたかった・・・

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 女房はインターネットの共同購入サイト「ポンパレ」と「グルーポン」に入れ込んでおり、毎日チェックを欠かさない。レストランや旅館などが格安料金を設定し、これらのサイトで予約販売する方式で、まとまった申し込みがあってはじめて共同購入が成立する。たくさんのお客を集め、薄利多売で儲けようというインターネットならではの商売だ。

 10日ほど前、女房は京都丹後地方の民宿が売り出した宿泊プランを予約した。カニとアワビの夕食付きで、料金は通常の半額。しかも、源泉かけ流しの風呂付きである。売り出しから5日ほどすると数十組の申し込みがあり、共同購入は成立した。さっそく予約を入れ、夫婦でカニを食べに行くことになった。

 松葉ガニ、越前ガニなどと呼ばれる日本海のズワイガニは1杯2万円も3万円もする。これ見よがしにタグが付いており、「貧乏人は食べるな」と威張っているみたいだ。われら年金生活者にとっては高嶺の花であり、今回の宿泊プランの料金が料金だけに、タグ付き松葉ガニが食べられるとは思っていない。多分、紅ズワイガニが出てくるのだろう。

 やせ我慢ではなく、私たちにはそれで十分なのだ。しつこいが、われらは年金生活者である。城之崎温泉かなんかの高級旅館にタクシーで乗り付け、大きな松葉ガニを無造作にかぶりつくような金持ちとは違う。

 そもそも年金生活者がそんな贅沢をしてはいけない。今もらっている年金は、現役世代が支えてくれているのだ。しかも、年金制度は税収不足で行き詰まっている。「税と年金制度の一体改革」は喫緊の課題であり、野田総理ら諸先生方が苦労されている。今のご時世に、年金生活者がカニだの、フグだの、贅沢を話題にすることすら不謹慎だろう。

 もちろんわれらの旅行は、特急電車を使うような贅沢はしない。北の果てであろうと、南の果てであろうと、どこまでも鈍行電車で行く。どうせ暇だから、急ぐ必要もないのだ。ジパングの会員になっているのでJR運賃は3割安いし、青春18切符を使うこともある。年金生活者にふさわしい安上がりで楽しい旅になるよう心を砕いているのだ。

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 先日の早朝、JRの紀州路快速に乗って大阪駅に向かった。さらに丹波路快速に乗り継ぎ篠山口駅へ。ここまでは快速なのでそれなりに速かったが、ここからは各駅停車の鈍行だ。福知山駅で北近畿タンゴ鉄道に乗り換え、宮津駅経由で目的の網野駅を目指した。泣き砂で知られる琴引浜の民宿に着いたのは、家を出てから9時間余りが経過していた。

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 実は今回の旅行だが、カニ料理を食べるのが目的ではなかった。極端な言い方をすれば、料理はどうでもよかった。電車に揺られて遠くに行きたかったのだ。私たち夫婦が暮らす生石山は氷点下の日々が続き、山小屋に引きこもっている。山の住人もたったの4人。妙に人恋しくなり、無性に遠出をしたくなったという訳である。

 宿の料理は、予想したよりも良かった。カニにタグは付いていなかったが、刺身、茹でガニ、味噌などがふんだんに盛られ、夫婦無言で食べ続けた。ズワイのメスのコッペガニも付いていたし、ちゃんとアワビの刺身も食べられた。結局鍋用のカニは食べきれず、冷凍してもらって持ち帰った。二夜連続でカニが食べられ、得をしたような・・・。

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 鈍行電車ならではの旅でもあった。文庫本をリュックに入れていたが、車窓に目を奪われてほとんど読むことはなかった。篠山口から福知山に至る山村の風景は、懐かしく心にしみる自身の原風景だった。ひなびた駅舎と乗り降りするお年寄りの姿は、映画のシーンを見るような思いだった。

 宮津から網野の沿線は、おびただしい雪だった。今年は記録的な大雪と言われるが、その通りだった。屋根から落ちた雪が山になり、庭先は雪の下に埋もれていた。密度の濃い雪が降り続いており、雪と格闘する住人の苦労がしのばれた。「お前、カニを食べている場合か?」。そんな辛らつな言葉が、どこからか聞こえてきた・・・。

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情緒不安か・・・泣いたり笑ったり

 禁煙を始めてちょうど3週間になる。その間、まだ1本も吸っていないが、別に自慢できる話ではない。医院で処方されたチャンピックスという禁煙に効果のある薬を飲んでいるからだ。

 この薬は、脳細胞に作用し、ニコチン依存を緩和してくれる。確かによく効くが、薬の成分が血管を通って脳に運ばれ、脳細胞にペタンと結合する様を想像すると、どうも気色が悪い。

 多分その副作用だと思うが、時々吐き気がして、寝つきが悪く、便秘気味である。しかし、どれもそれほど辛いものではない。むしろ、情緒不安に陥っているような兆候があり、そちらの方が心配だ・・・。

 ところで先日、和歌山市内の書店に出向き、浅田次郎の短編集「五郎治殿御始末」など数冊の本を買って帰った。この本は10年余り前に書かれ、その後文庫本になった。6編が収録されている。

 「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」。そんな御一新後の世を、武士は矜持を失わず、どう生きたかが描かれてる。荒唐無稽の物語だが、涙あり、笑いありのまさに「浅田ファンタジー」である。

 早速、1編目の「椿寺まで」から読み出した。江戸、つまり東京で大きな呉服問屋を営む小兵衛は、10歳になる丁稚の新太を連れて甲州街道を旅した。新太は旅の目的を知らされていない。

 旅籠の風呂に入った時、新太は小兵衛の背中におびただしい刀傷を見た。翌日には、道中で「おめいを供にしたのにァ、のっぴきならねえわけがあるのさ」と言われ、不安な気持ちを抱く。

 やがて多摩川を渡り、「椿寺」という寺の門をくぐった。新太が境内で待たされていると、寺男が出てきて小兵衛の過去や新太の出自を語り始めた。小兵衛は旗本八万騎の一人で、慶喜が水戸に去った後も上野のお山で戦い、大怪我を負った。

 新太は、小兵衛ともに戦い、討ち死にした戦友の子供だった。新太の母親はかつて小兵衛と浅からぬ縁があった。母親はその夫の死に悲観して赤子の新太とともに死のうとしたが、小兵衛は新太を奪い取って、丁稚として育ててきた。

 寺男が話し終えた時、寺の庵主が境内に出てきた。それは小さな尼僧だった・・・。ここで私の涙腺は全開し、号泣した。女房が「どこか具合でも悪いの?」と私の顔を覗き込むほどの泣き方だった。

 小説を読み進め、次は4編目「遠い砲音」である。主人公の土江彦蔵は長門の支藩の氏族で、御一新後に近衛連隊の中尉として職を得た。彼は時間感覚に乏しく、遅刻の常習で顰蹙を買っていた。

 将校に下賜された西洋時計になじめず、彼の生活は「明け六つ」「暮れ六つ」が基準という古い人間である。連隊では、時間を「アウワーズ」、分を「ミニウト」、秒を「セカンド」と呼んでいる。彦蔵はそもそも、せわしく動く秒針というものが理解できない。

 ある日、砲撃と歩兵の共同訓練が行われた。砲撃を指揮する彦蔵と歩兵小隊の指揮官の二人が時計の秒針まで合わせ、訓練に臨んだ。砲撃は歩兵が伏せている時に行うが、彦蔵は時計の読み方を間違え、歩兵が匍匐散開するその時に「撃てー」の号令を発してしまった。

 砲弾の破片は、歩兵の頭上に容赦なく降り注いだ。訓練はただちに中止され、司令部参謀が彦蔵に躍りかかり、大隊長などはサーベルを抜いて斬りかかった。「おまん、腹ば切れ」という怒号も飛び交った。

 まんまと浅田次郎の術中にはまり、ここで腹を抱えて笑ってしまった。文字通り「抱腹絶倒」である。

 以前であれば、涙を流しても嗚咽することはなかった。笑いの場面でも、ニヤリとするが笑い転げることはなかった。しかし最近は、恥ずかしいほど感情が昂ぶる。年をとって感情を制御できなくなったのか。いや、禁煙の薬が招いた情緒不安という恐ろしい副作用なのか・・・。

山は逃げないが、年が逃げる・・・らんぼうさんの名言

 先日の雨で雪が消えたと思ったら、また寒波がやって来て、雪が舞っている。外へ出る気も起こらず、ストーブの前で背を丸めている。楽しみといえば、日本百名山の本や北アルプスなどの地図を広げ、仮想の登山をすることだ。

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 登る山を決め、次の山までの縦走路を想像してみる。そのコースと地図を重ね合わせると、山岳風景が浮かんでくる。ここからだと、こっちの方向に槍や穂高が見えるはずだ。あっちには野口五郎岳だ。ゲーム感覚でこんな楽しみ方をしている。

 登山の計画を立てるのも楽しい。今年の夏も最低2回は遠征したいと思っている。八ヶ岳に挑戦してみたいが、われら夫婦の実力では少し難しそうだ。甲斐駒ケ岳も魅力はあるが、取りつきの急登はしんどそうだ。

 そんな心配をしたり、胸を弾ませたり。結局、年齢相応、実力相応の山に落ち着くのだが、想像の世界なら急峻な山に取りつくのも自由である。難しそうな山を選んで計画してみるだけでも、楽しい時間が過ぎて行くものだ。

 先日の新聞のコラム欄で、シンガーソングライター、みなみらんぼうさんの山行記が紹介されていた。ポンと膝を打ちたくなるような文章なので、引用しておこう。

 ≪中年のうちは、山は逃げない。また次に登ろう、というのが当てはまるが、高齢者には、山は逃げなくても年が逃げて行くので、中年と高齢者では山に対する切実さが全然違う≫

 本当にその通りだ。登りたかった山は、年をとるごとに体力や脚力が落ちて頂上に立つのが難しくなる。まさしく、年が逃げて行くのだ。若い頃は、高い所に恐怖心はなかったが、今は極度の高所恐怖症になってしまった。山岳ガイドの本に、「鎖場、梯子の連続」などと書かれていると、そのような山には尻込みしてしまう。

 山岳遭難者が最も多いのは60代という。続いて70代、50代だ。年齢とともに目標の山にこだわる余り、無理をして進み、引き返す判断を誤らせているのだろう。自分の場合だって、この山に挑戦できるのは今年が最後になるかもしれないという焦りがある。

 らんぼうさんはこうも書いている。 ≪あるピークを越したらゆっくりと安全に下山に向かわねばならない。これがルールである。なんと人生のやり方に似ていることだろう≫

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 下山と人生を重ね合わせるところに、練れた彼の人格を思う。登る時はピークに向かって必死だが、確かに下山の時の方が一帯の景色がよく見えるし、登山道脇に咲く高山植物にも目が向く。峠を越えた下りの人生も、下山と同じようにゆっくりと歩き、人生の機微を楽しみたい・・・。

 

禁煙は続くが、悪魔のささやきも・・・

 禁煙への挑戦は、今回を入れて4、5回になるかもしれない。禁煙を決意する度に、「男に二言はない」と大見栄を切って見せたのだが、最長で5日ほど、最短は半日しか続かないという体たらくだった。

 煙草は、朝の起きがけに1本、コーヒーや食事の後に1本、女房に小言を言われれると立て続けに2本、飲み屋ではチェーンスモーカーとなる。喫煙を我慢する度に、胃が収縮してキリキリと痛む。イライラして何かに八つ当たりもしたくなる。

 なぜ、こんなに我慢してまで禁煙しなければならないのか。喫煙者で長生きしている人も多い。肺がんになるとは限らない。自分の人生、他人に迷惑をかけなければ、好きな煙草を吸ってどこが悪い。色々と理屈を付けて、つい1本・・・。禁煙はあっけなく破られるという繰り返しだった。

 転機が訪れたのは昨年12月初旬のことだった。生石高原のレストハウスで知人と出会い、一緒にコーヒーを飲んだ。彼は声をひそめて「禁煙してるねん。医者でもらった薬が良く効くんだ」と語り、医院を紹介してくれた。いつかは煙草をやめたいと思っていたから、それこそ渡りに舟のような話だった。

 よし、禁煙外来の門を叩こう。そして薬の力を借りて禁煙しようと決意した。禁煙開始は、新しい年の誓いともなるので1月とした。冬の間は家に閉じ籠っていることが多く、人との付き合いも少ないので、静かな環境で禁煙出来るという目算もあった。

 まず、吸っている煙草のニコチン量を次第に減らすことにした。これまではニコチン量が8mmgのマイルドセブンライトを吸っていたが、次に6mmgの銘柄に替え、これに慣れた頃、3mmgに落とした。

 そして迎えた1月18日。女房に「では行って来る。もう煙草は吸わない」と約束し、まなじりを決して医院に向かった。応対した若い医師は「この薬を飲みながら、1週間は煙草を吸ってもいいですよ」と言う。「えっ、吸っていいんですか?」・・・。

 家を出る時、残っていた煙草をゴミ箱に捨ててきたばかりだ。吸ってもいいのなら我慢することはない。帰りがけに二箱買って帰った。車だってアイドリングが必要だし、マラソンの後はクールダウンする。何事も一気にというのは良くないのだ。医者が「1週間は吸っていい」と言ったのは、そいう意味だろう。そんな風に、自分を納得させながら喫煙した。

 医者から言われた完全禁煙は薬を飲み始めて1週間後である。その1月25日がやって来た。しかし、これまでの薬が効いたのか、朝起きてもそれほど吸いたくはなかった。確かに、日に何度か吸いたくなる時もあったが、深呼吸したり、外に出て外気に触れると、吸いたい気持ちが和らいだ。

 毎日朝と晩、チャンピックスという薬を飲み続けているが、確かに効果はてきめんなのだ。この薬は、脳に作用してニコチン切れの症状を緩和させる効果があるという。しかし、その副作用は決して小さくない。変な夢を見る。軽い吐き気もする。寝つきが悪い。便秘気味になる。

 薬は12週間飲み続けなければならない。その間、副作用に悩まされるだろう。まだ完全禁煙から13日しか経っていない。先は長いのだ。「それでも禁煙するか?」--。耳元で、悪魔のささやきが聞こえてくる・・・。

禁煙をくじく同級生の独白・・・

 白状すると、私は禁煙のための「チャンピックス」という薬を飲んでいる。先日のブログで「変な夢を見る」と書いたのは、その薬の副作用のようである。「変な夢」のブログを読んだ高校時代の同級生Oから早速手紙をもらい、「禁煙は楽しみながらやるものだ」とのアドバイスを受け、ふーん、そんなものかなぁと思い、勇気づけられもした。

 実は、そのOも同じ「チャンピックス」を飲みながら、禁煙に挑戦していることを以前の電話で知っていたのだ。彼は高校時代から強い信念の持ち主だった。その分、意志も強い男である。薬を服用し、禁煙を始めて2か月ほどになるはずで、「彼ならやり遂げるだろう」と信じていたし、身近な先駆者となってほしかった。

 今日、そんな彼から電話があった。

 「どう、禁煙続いているか?」

 「うん、何とか続いている。今日まで10日間、1本も吸っていない。ところでお前はどうなんだ?」

 「吸っている・・・」

 えーっ、どうなっているんだ。「楽しみながら禁煙に挑め」とアドバイスしてくれたではないか。しかも、信念の強い男なのだ。彼の様々な言葉にはいつも含蓄があり、尊敬もしていた。その彼が・・・。

 電話は1時間近くに及んだ。ほとんどが彼の独白だった。その間、私は笑い転げていた。

 独白--。   ちょっと前のことだけど、親類の間でもめごとがあって頭にカーッと来たのよ。それで親類からの帰り、ついパチンコ屋に入った。そうしたら知り合いがいて、そいつが煙草を吸っているのよ。それで、1本もらって吸った。いやーうまかった。分かるだろう?その気分。

 実はな、それから、ちょいちょい吸っているんだ。いや、そんなに多くはないんだ。パチンコ屋での1本は、物のはずみだったけど、本当は薬を飲み続けて禁煙するのにどれだけの意味があるのか疑問に思っているんだよ。

 お前と同じように変な夢ばかり見るんだ。怖いんだよ。薬を飲み始めて物の考え方が後ろ向きになるし、何事につけ積極性が失われてしまった。会社の用事でアメリカへ出張しなければならないのに、行く気がしなくてそのままにしてある。

 一番ショックだったのは、女房から「老人になった」と言われた事だった。確かに、妙に背中が曲がり、元気がなくなった。NHKのためしてガッテンとかいう番組で、薬で禁煙した人の一年後、その三分の二はまた吸い始めたと言っていた。煙草って、そういうものなんだよなあ。

 だから、薬に頼るのはいけないんだ。変な理屈だけど、薬を飲むのを止めた。そして、少し、本当に少しだけなんだけど、煙草を吸っている。そうしたら、積極性が出てきたし、毎日が楽しいんだ。変な夢も見ない。

 なあ、お前。この薬の害はまだ十分研究されていないんだ。それを承知の上で、服用しろよ。アメリカに出張することにしたが、あちらでは煙草が吸えないので、近く禁煙するんだ。いや、今度こそ本当に・・・。

 Oの電話は、私の禁煙を励ましているのか、それとも自分と同じ失敗に引き込もうとしているのか、よく分からなかった。いずれにしても、彼の独白には相槌を打ちたくなるような内容ばかりだった。苦悩する私にとって、罪な男である・・・。

                                        (続く)

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