あぁ懐かしい・・・へしこの味わい

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 「へしこ」をご存知だろうか。新鮮で脂の乗った鯖を糠で漬け込んだ食べ物だ。越前から丹後にかけて作られる冬の保存食で、醗酵食品独特の香りと強烈な味わいがある。この味に慣れると、クセになる。

 先日、高校時代の同級生と1泊2日のゴルフを楽しんだとき、総合商社を退職して北陸の実家にUターンした友人がお土産として「へしこ」をくれたのだ。同じ北陸育ちの私にとって、実に懐かしい食べ物だった。

 毎度の昔話になるが、私は小さな農村で育った。集落には食料品店が1軒だけあったが、母親は手足の病気で買い物に行くことが出来なかった。このため、食料品は行商のおばさんから買うことが多かった。

 行商のおばさんは、風呂敷包みの大きな荷物を背負い、福井の敦賀から汽車に乗って数日置きに来ていた。外出が出来ない母親はおばさんが来るのを楽しみにし、村の様子などを聞いていた。

 その大きな荷の中には、へしこをはじめ、焼き鯖、カレイやキスの一夜干しなどが入っていた。まだ小さかった私は母親の横にペタンと座り、二人が話すのを聞いたり、荷の中を覗き込んだりしていた。今でも、行商の「敦賀のおばさん」の面影を思い出すことが出来る。

 おばさんから買ったへしこは、焼いてお茶漬けの上に乗せて食べたように記憶している。今から思えば懐かしい味だが、しょっちゅう食べさせられたから、多分食傷気味だったと思う。

 高校を卒業して都会に出て、トンカツやハンバーグなど新しい味と出会い、田舎の食べ物から遠ざかった。同級生がくれたへしこは、実に半世紀ぶりの再会だった。「これを食べて故郷を思い出せよ」というメッセージだったのだろうか・・・。

 やがて社会人になり、食については生意気になった。神戸牛のステーキだの、寿司だの。あそこの中華がどうの、イタリヤ料理店がどうの。田舎者がいきなりキンキラキンの服飾をまとった成金のようでもあり、身の程知らずだった。

 このごろは、田舎の食べ物の方が贅沢だったと思うようになった。小指ほどの太いゼンマイ、赤カブの漬物、焼き鯖と煮付けた素麺、釜の底にこびりついたご飯のおこげ・・・。思い出せば枚挙にいとまがない。

 それらは何も懐かしいだけではなく、そこに本当のおいしさがあるように思えるのだ。フランス料理や中華料理はなるほどおいしいけれど、心を震わせる何かが足りない。その「何か」は、生まれ育った土地の伝統や風土が育んだ味であり、DNAが記憶している味覚なのだ。

 同級生からもらったへしこは、三枚に下ろして軽く焼き、熱々のご飯の上に乗せて食べた。わがDNAを刺激する懐かしい味だった。街にあふれる美食の味はすぐ忘れるが、おふくろの味のように脳細胞に刻まれた昔の味は忘れない・・・。

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お前は逃げているんだ・・・旧友の言葉が耳に残る

 先日、高校時代に仲の良かった私たち4人が、関西圏にあるゴルフ場に集まった。ゴルフ場には温泉が併設されており、プレーの後は湯につかり、夜は鍋を囲んで昔話に花を咲かそうという訳である。

 集まったのは、食品会社でカレーの研究一筋に歩んできた「カレー屋」、総合商社で木材の買い付けに世界を飛び回った「材木屋」、脱サラでホテルチェーンのオーナーになった「ホテル屋」。そして、紀伊山地の山奥に引きこもっている私。

 1日目は晴天に恵まれ、絶好のゴルフ日和だった。2日目は一転、冷たい雨が振り続け、時々雪も舞う散々な天気だった。しかしわれらのゴルフは、天候が良かろうが悪かろうがどっちみち同じで、胸を張れるような内容ではなかった。

 夜の宴会は、高校時代のマドンナの話題で話が盛り上がり、後半はそれぞれの暮らしについて語り合った。カレー屋が「お前はどうして山奥で暮らしているんだ?」と聞いた。私に気の利いた答えなどはなく、「さあなぁ、気楽な生活をしたかっただけだよ」と話した。

 すると、材木屋が「お前は山へ逃げているんだよ」と言った。それは、鋭い一撃だった。滋賀の自宅を空けたまま山奥に移住し、畑を耕し、魚を釣り、キノコを栽培し、社会貢献とは無縁の勝手気ままな生活を送っている。もっともらしい理屈などはなく、その一撃に反論のしようがないのだ。

 材木屋は長男であり、退職後、田舎に帰った。代々の家を守らなければならなかったのだ。母親の世話をし、集落の役員も務め、お寺や神社の行事にも参加する。近隣との付き合いも多く、出費もかさむ。

 そんな彼からすれば、気楽な私は「逃げている」ことになるのだろう。私は次男だから郷里に帰る理由はないが、「郷里ときちんと向き合っているか?」と問われれば、答えに詰まる。カレー屋もホテル屋も次男であり、郷里とは別の都市に住んでいる。しかし二人とも、私なんかより故郷への愛着は強いように思う。

 その意味で、私は故郷への気持ちが希薄なのかもしれない。故郷に良い思い出もあるが、ほろ苦い思い出もあり、そこは複雑である。むしろ、今暮らしている紀伊山地の山奥が故郷のように思え、そこに安住している訳だ。

 さて身内の話で恐縮だが、実の兄が地域の文化や町おこしに貢献したとして県の「文化大賞」を受賞し、ゴルフの翌々日、その受賞を祝うパーティーに参加した。限界集落もある辺境の地で、毎年、集落の人たちとともに手作りのオペラを制作上演し、その旗振り役として表彰された。

 兄が郷里に根を下ろし、何がしかの社会貢献をしている。その弟は、郷里と縁を切るように遠く離れた山中で、余り社会と関わりなく暮らしている。長男と次男の違いがあるにしても、対照的である。パーティーの会場では、スポットライトを浴びる兄に対し、私はどこかすね者のような心境にもなった。

 同級生と旧交を温め、兄のパーティーにも参加し、郷里、故郷というものについて改めて考えさせられた。「お前は逃げているんだよ」。材木屋の声が、私の耳の奥に残っている・・・。

梅の花見、彼岸の父を思い出す・・・

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 先日、春の訪れを告げる奈良東大寺のお水取りが終わった。そして今日は春分の日である。暑さ寒さも彼岸まで・・・。しかし今年の彼岸は真冬に逆戻りしたように寒い。わが山小屋の早朝の気温は、氷点下3度だった。

 彼岸までに風速8メートル以上の南風が吹くと、春一番と呼ぶらしい。それが今年は冷たい北風が吹き、春一番が吹かないまま春四月を迎えそうである。われら夫婦が生石山の山小屋で越冬生活を始めて4回目になるが、こんなに寒い冬が長く続いたのも初めてだ。

 春の気配といえば道端に芽を出すフキノトウくらいだが、生石山の中腹まで下れば梅の花が満開だろう。お彼岸の朝は久し振りに晴天だったので、女房と連れ立って梅の花見に出かけた。と言っても、車で10分ほど走るだけだが・・・。

 紀州和歌山は全国一の梅の産地である。どこに行っても梅林がある。生石山にも梅の畑が広がっている。予想通り、梅はちょうど見ごろだった。昨年2月21日のブログで満開の梅林を紹介しているので、ほぼひと月遅れということになる。

 毎年花見するお気に入りの梅林に近づくと、甘い香りが漂って来た。今年の冬から禁煙しているので匂いに敏感になっており、おやっ?と思うほどの甘さだった。

 年を取ったせいか、梅の花の美しさに感じ入るようになった。桜と違って、この花には凛とした素朴な味わいがある。木の幹には力強さがある。梅の実を収穫しやすくするため木を低くするよう選定を繰り返した結果、風格のようなものが備わっている。私には、力士が土俵入りをしている姿のように見えるのだ。

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 梅を見ると、父親に連れられて湖北長浜の盆梅展を見に行ったことを思い出す。父親と外出した数少ないを思い出の一つだが、小学生だったか、中学生だったかは思い出せない。

 座敷のような所に展示されていた盆梅の奇妙な形ばかりが記憶に残っている。白い花、紅色の花が、恐ろしいほどの古木に咲いていること自体が不思議だった。そして、障子から薄明かりが差し込んでいる展示場の光景が印象に残っているのは何故だろう。薄墨で描かれた絵のように蘇って来るのだ。

 今から思えば、父親には風流を好むようなところが多々あった。桜が咲くと母親にちらし寿司を作らせ、縁側に座って家族で花見をした。モミジが色づいても同じことをした。朝顔を栽培するのも趣味だった。

 梅の古木を前に、そんな父親の姿を思い出した。彼岸の日に、この世の向こうの彼岸から父親が現れたのだ。ただ、切ない思いが付きまとうのは、どうしてだろう・・・。

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ウサギ被害・・・畑をフェンスで囲う

 ひと月余り前の早朝、山小屋裏の薪置き場へ薪を取りに行った。すると、すぐ前方でウサギが雪を蹴飛ばして逃げて行った。まさに、脱兎のごとくである。ウサギを見るのは珍しくないが、この茶褐色のウサギはひと回り大きく、よく肥えていた。

 は、はーん、犯人はこいつだろう。実はこの冬、山小屋の南西側にある畑に植えていたブロッコリー、白菜、小松菜、ホウレン草、ラッキョなどがきれいに食べられてしまったのだ。食べ方からみてウサギの仕業に違いない。

 逃げて行ったあの大きなウサギがたまたまこの畑を見つけ、冬の餌場として自分のテリトリーにしたのだろう。栄養価が高い野菜ばかりを食べていたのだから、あれだけ太っていたのだ。

 丹精込めて栽培している女房の怒りは、相当のものだ。畑を見る度に頭から湯気を上げるので、こちらはうんざりである。「畑をフェンスで囲うしかないよ」・・・。自分でそう言ってしまったから、面倒でも作業をしなければならない。

 この生石山で暮らす仲間のMは農業のベテランで、女房の先生でもある。彼にウサギの話をすると、長大なフェンスをくれた。畑の周りに杭を打ち込み、竹を二段に渡せばフェンスを張れる。

 そこで、知人の農機具店の社長に竹が欲しいと頼むと、すぐに大量の竹を用意してくれた。山の中で暮らしていると、人の力を借りることが多い。幸い私たちは仲間に恵まれ、知恵の足りないところや非力なところを補ってもらえるので、有難い。

 昨日は久し振りに暖かくなったので、作業を開始した。あらかじめ作っておいた杭を打った。そして竹を鉈で二つに割って、杭と杭の間に渡した。ナイロン製のフェンスをかぶせてみると、バッチリである。

 畑の外側にフェンスを広げておき、その上に杉の丸太を置いておけば、イノシシの侵入も防げるはずだ。もちろん、あのウサギも入って来れない。気の毒だが、これからは食べ物に困るだろう。

 作業が終わるまでにまだ数日はかかりそうだが、女房はご満悦である。畑に立って毎度、毎度、地団太を踏む女房の姿を見ないで済むから、当方の精神も穏やかになるだろう・・・。

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禁煙の波紋・・・

 人の噂は、面白くもあり、恐ろしくもある。半月ほど前、近くのパン屋さんで、久し振りに知り合いのご夫婦に出会った。その奥さんは、私が太っているのに驚いた様子だった。後で分かったのだが、彼女はその時の印象を友人の主婦に話し、それが回り回って生石高原で暮らす私たちの仲間にも伝わった。

 さっそく、この話を聞いた仲間のピーターから電話があった。「兄貴、病気らしいね」。「とんでもない、ピンピンしてるよ。そんな噂があるの?」・・・。

 ピーターから話を聞いて、おおよそのことが分かった。つまり、「太って顔が丸くなっていた」という目撃証言が、どこでどう間違ったのか、「顔がむくんでいる」となってしまった。話はさらに飛躍し、「あの顔の腫れ方は病気に違いない」と尾ひれがつき、とうとう病人にされてしまったという訳である。

 確かに、体重が2、3キロ増えた。そのほとんどが顔に集中したような太り方である。顔がまん丸だった幼少の頃に戻った感じであり、自分でもびっくりだ。五十路を超えてからは特に顔の肉が削げ落ち、貧相だった。それがここひと月の間にみるみる福々しくなり、周囲が不審に思ったのも無理はない。

 実は、禁煙を始めて太り出したのだ。煙草を吸わなくなって50日になるが、その直後から口卑しくなった。まず三度のご飯の量が2割ほど増えた。口が寂しくなると、間食をする。夜中トイレに起きると空腹に襲われ、炊飯器から手づかみでご飯を口に入れることもあった。自分でもおかしいくらい、異様な食欲である。

 煙草は「百害あって一理なし」と言われるが、愛煙家にとっては余計なお節介だろう。煙草を吸う、吸わないは人生観の問題だ。煙草は気持ちを楽にしてくれるし、朝の一服、食後の一服は格別である。体に悪い、癌を誘発するなどと言われているが、それでも吸い続けるのは、それもまたその人の人生観なのだ。

 私もそのように強がりを言って吸い続けてきた。しかし悔しいが、もっと早くやめておけば良かったと思っている。禁煙して良かったことはいくつかあるが、何といっても山歩きや階段で息切れしなくなったことである。

 山を歩くのが趣味であり、日課でもある。わが山小屋から生石高原の生石ケ峰(876m)の頂上までは半時間ほどのコースだが、これまでは急坂の途中で1回休憩しないと苦しかった。しかし禁煙してからは、一気に登り切れることが出来るようになった。大袈裟ではなく、劇的と言ってもいいほどなのだ。

 禁煙はまだ道半ばだから偉そうなことは言えないが、思いもよらない新しい世界が開けつつあるのは確かである。息切れしない、空気がおいしい、ビールの風味が分かるようになった。もちろん、食事もおいしい。小遣いが減らなくなった。

 ただ、食欲が旺盛になり過ぎたのは困ったものである。まぁ、あちらの欲がなくなったわが身にとって、その代わりの食欲くらい、許されると思うのだが・・・。

フキノトウ味噌を作る・・・男の料理

 「これ、冷凍庫に残ってた」--。そう言って女房が晩酌の肴に出してくれたのは、2年前の春に作ったフキノトウ味噌だった。冷凍庫の死角にあったので、すっかり忘れ去られていたのだ。

 鼻を近づけると、作りたてのようないい香りがした。舌の上で転がしながら、山菜特有の風味を楽しんだ。実においしかった。冷凍庫で2年間眠っている間に、熟成されて味が増したたのだろうか・・・。

 そういえば、もうフキノトウが顔を出す季節なのだ。女房とともに、散歩がてらフキノトウが出ているかどうか、毎年摘んでいる場所へ様子を見に行った。やはり、出ていた。

 落ち葉の間から、目が覚めるような黄緑色の芽が顔を出している。蕾まだ開いていないので、この方が香りも風味も強いはずだ。50個ほど摘んで持ち帰った。

 フキノトウ味噌を作るのは、毎年私の役割である。主婦は料理のプロだから、それほど調理に失敗することはない。しかし男は、調理の手順も調味料の量もいい加減だ。その代わり、失敗も多いが意外性もある。主婦が出せないような味を作り出す可能性もあるという訳だ。失敗は多いが・・・。

 さて調理だが、まずはフキノトウをよく水洗いし、茹でてアクを抜く。私たちは苦味、えぐみが好きだから、サッと茹でるだけ。これを細かく刻み、ごま油で炒める。そこへ、味噌、みりん、砂糖を入れ、こねるように熱する。味噌やみりんの量は適当である。時々舐めて味を確かめればいい。このいい加減さが、稀にいい味を生み出すのだ。

 半時間もあれば出来上がり。ちょっとスプーンですくって味見する。うん、こんなものだろう。女房も指で丸を作ったから、合格点なのだろう。

 冬の間は、余り体を動かさないので、良からぬ物質が体内に蓄積されるという。フキノトやワラビ、ゼンマイ、山ウドなどの山菜は、このような物質を排出させる効果があるそうだ。季節の食材を食べれば体にいいというのは、ちゃんとした理由があるのだろう。

 先日はウグイスの初鳴きを聞き、その次はフキノトウ味噌と天麩羅を味わって季節の移ろいを実感した。また一歩、春が近づいてきた・・・。

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維新が踊り、有権者も踊る

 なんでも、野田総理と自民党の谷垣総裁がこっそり会っていたらしい。政界スズメによると、消費税値上げ法案を通す代わりに、話し合い解散をする。その相談だったらしいが・・・。どうやら、民主党も自民党も早いとこ総選挙をしたいらしい。

 つまり、国政への進出を目指す「大阪維新の会」の選挙準備が整う前に選挙をしないと、両党ともかなりの打撃を受けるという訳だ。そんな憶測が当たっているかどうかはともかく、橋下徹大阪市長が率いる「維新の会」の勢いと人気が高いのは事実だろう。
 
 今や「維新」は大阪の民意であり、橋下市長にとっては反対勢力に対する「踏み絵」でもある。坂本龍馬にちなんだ「維新八策」といい、「維新」のアドバルーンを揚げて民意を作り出した橋下市長の手腕と舌鋒はすごい。

 普通、維新といえば明治維新とか維新回天を思い浮かべ、日本の夜明けのイメージを抱く。多分、「維(これ)新た」という孔子か誰かの言葉なのだろう。これを「革命」に言い換えると、どこか血なまぐさいが、こちらの方はマイルドである。橋下市長が耳障りの良い「維新」を叫べば叫ぶほど、ポピュリズムの臭いが漂うが、どうだろう・・・。

 それはともかく、明治維新は薩長や公家の一部が幼い天皇を担ぎ上げ、大政奉還を迫った権力闘争だと思っているから、私なんかは維新という言葉に余りいいイメージを持っていない。

 明治維新の舞台だった関西では、維新の言葉そのものに違和感はなく、むしろもてはやす風潮があるのかもしれない。例えば京都に行くと、今でも、花街でふんだんに金を遣った薩長に対する人気は高い。攘夷を叫んでいた薩摩も長州もその裏で外国との密貿易で金を稼いでいたのであり、そんな金持ちの藩に京の町がなびいても不思議ではなかった。

 逆に、渋々京都守護職につかされた会津藩はその出費で財政が逼迫していた。藩士たちは薩長の派手な飲み食いを横目に、つましく長い京都滞在を余儀なくされた。花街の女将や女たちから心無い言葉も投げかけられたという。

 戊辰戦争を戦った越後にしても会津にしても、今なお「明治維新?それが何だ」という気持ちが強いと思う。特に、錦旗を戴いた官軍の略奪や女性への陵辱など、恨み骨髄である。会津は徳川への忠誠も強い反面、勤皇の志も高かったが、朝敵の汚名を着せられた。長岡藩だって、戦争を望んではいなかった。 明治維新の当初の志は理解されても、義は会津にあった。

 あっ、戊辰戦争のことを思うと、だんだん感情的になってくる。私の会津びいきもバレた。こりゃあ、まずい・・・。

 ともかく、明治維新だって、光と影がある。「維新」という言葉に惑わされてはいけない。橋下市長が唱える大阪都構想はそれなりに分かるが、「維新」が民意と言われると、それはどうかなあと思う。民意もまた多様であり、総意と勘違いしてはいけないのだ。

 総選挙が迫ると、議員が踊り、有権者が踊り、政策が踊る。何だかもうひとつ分からない「維新」も踊る・・・。

ウグイスの初鳴き

 ウグイスが鳴いた。多分、ここ生石山の峰では、今年の初鳴きだと思う。昨日のブログで、今日にもウグイスが鳴くのではないかというド素人の予測を書いたが、その通りになった。取り急ぎ、報告を。

 昨日降った雪が消え、気温も8度と高いので、キノコの原木に種駒という菌を打ち込む作業をしていた。午前10時過ぎ、裏の杉林で「ケキョ」という鳴き声が聞こえた。さてはウグイスか・・・。 しばらく耳をすましていると、今度はきれいに「ホケキョー」と鳴いた。半時間ほどすると、北側の雑木林からも聞こえた。

 私たち夫婦が暮らすこの森では、これからウグイスのさえずりがにぎやかになるだろう。三寒四温のこの季節、まだまだ寒い日もあるだろうが、ウグイスのさえずりは春の足音である。喜びがこみ上げてくる・・・。 

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