新撰組と民主党

 司馬遼太郎原作で新撰組の短編を集めた「血風録」がドラマ化され、NHKテレビで放映されている。全12回で、これまでに半分ほどが放映済みである。日曜日の午後1時過ぎから始まる45分ドラマで、日曜が来るのが楽しみだ。

 私は、若い頃から新撰組ファンである。1970年ごろ、同じ司馬遼太郎の「燃えよ剣」がドラマ化され、テレビにかじりついて見たものだ。今回の新撰組血風録も、あの頃と同じように気持ちが高ぶるのを抑えられない。

 昭和の「燃えよ剣」は、主役の栗塚旭が土方歳三を演じていた。剣を構えた時に見せる栗塚の視線の凄味に圧倒された。栗塚は確か、京都の「哲学の道」の近くで喫茶店かレストランを経営していて、その頃、わざわざ行ったことがある。たまたまその時に彼がいて、妙に色気のある優しそうな目が印象的だった。

 「燃えよ剣」はかなり昔に読んだが、文句なしに面白かった。現代作家では浅田次郎に新撰組を書かせると、これまた実に面白い。「壬生義士伝」「輪違屋糸里」「一刀斎夢録」・・・。

 ちなみに壬生義士伝は、南部藩を脱藩して新撰組に入った吉村貫一郎の物語だ。郷里に残した妻と子を回想する下りは、涙、涙である。一刀斎夢録は、三番隊組長の斉藤一が、自分の半生を近衛師団の若手将校に語る物語である。戊辰戦争では会津で新政府軍と戦い、西南戦争が起きると薩摩に一矢報いたいと、斬り込み隊として最前線に立った。

 新撰組はラストサムライだった。近藤勇も土方歳三も農民の出身だったが、彼らは本物以上の武士になった。京都の治安を守るため身命を賭し、ボロボロになりながら戊辰戦争や函館戦争を戦った。土方歳三は、函館を死に場所と決め、降り注ぐ銃弾に立ち向かい戦死した。

 新撰組は強かったが、その運命を思うと、切なく、やるせない。

 彼らは、命がけで守ろうとした徳川幕府によって翻弄された。将軍慶喜は鳥羽伏見の戦いを尻目に江戸へ逃げ帰った。譜代の藩も次々と新政府軍に恭順。いざという時、徳川を守るべき旗本たちは腰抜けだった。幕末史でもてはやされる坂本龍馬、西郷隆盛 桂小五郎もいいが、私は強烈な光彩を放った新撰組が好きである。

 私は、新撰組ブームが起きてほしいと願っている一人である。教科書に書かれている幕末史は通り一遍で、子供たちは明治維新を日本の夜明けのように美しく教えられる。京都は陰謀が渦巻き、テロリズムの街だったのだ。子供たちに、新撰組を通し幕末から明治にかけての歴史を多面的に読んでもらいたいと思う。

 こんな風にブログを書いていると、テレビニュースで野田総理と元民主党代表小沢さんが会談すると伝えている。不退転で消費税の値上げを断行したい野田さんと、それに反対する小沢さん。どうせ妥協点などないのだから、会談の行方に何の興味もないが、新撰組の近藤勇と芹沢鴨の関係を連想し、つい笑ってしまった。

 新撰組がまだ壬生浪士組と名乗っていた頃、組長は芹沢鴨と近藤勇の二人がいた。芹沢は水戸浪士で、酒乱の気があったし、資金を商人に強要するなど粗暴な男だった。浪士組を預かっていた京都守護職会津藩の意向もあったらしいが、隊の規律を守るため芹沢一派の排除は不可避だとして、土方や沖田は酒に酔った芹沢の寝込みを襲い、暗殺した。

 政策が違う野田さんと小沢さんが、民主党に並び立っているのが不思議でならない。別に小沢さんを芹沢鴨のように悪く言うつもりはないが、新撰組に倣って二人は袂を分かつべきだと思うがどうだろう。

 芹沢が排除された後、浪士組は新撰組と名を改め、鉄の規律によって運営された。天下にその名を知らしめたのは、むしろそれ以降のことである。ならば野田さんも歴史に学んではどうだろう。支持率が上がるかもしれない。新撰組の話が、民主党へのお節介へと変なことになってしまった・・・。 



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今シーズン初の鮎釣り・・・愚痴だらけ

 満を持して、鮎の初釣りに出かけた。ホームグランドの紀州有田川は5月1日が解禁日だったが、私はこの日まで20日余りも竿を出さずに我慢してきた。決してやせ我慢ではない。

 その理由は二つ。寒さに震えながら鮎釣りをする馬鹿らしさ。もう一つは、金儲けのため解禁を大幅に前倒しした漁協への抗議である。私一人が意地を張っても無意味だろうが、自分自身へのケジメなのだ。

 初釣りは、落胆の連続だった。

 午前9時過ぎ、例年まず竿を出すポイントに行ってみた。川の相が変わり果てていることに驚いた。川沿いの道はよく通るので、ある程度予想はしていた。しかし実際に川に入ってみて、これほどひどいとは思わなかった。

 昨年9月の台風12号による豪雨で、そこにあるはずの岩石が流されている。川底は砂利で埋まって浅くなっている。ちょうど良い流れは、激流になっていた。上流で河川改修工事が続いているため、薄い濁りも出ている。

 鮎は石に付く珪藻を餌にしているため、大きな石がゴロゴロしている場所が好ポイントになるが、それがあちこちで失われていた。台風被害の大きさを改めて思い知らされると同時に、悲しくなってしまった。

 ともかく、大きな石の周りにオトリ鮎を誘導して泳がせた。ツッ、ツッーと小気味よい動きを見せる。この時の気分は最高である。あぁ、今年も元気で鮎釣りが出来る。そんな幸せな気分なのだ。

 しかし、幸せは長続きしない。オトリが川底に引っ掛かってしまった。深みのため手で外すことが出来ず、足で何度も引っかいているうちに糸が切れた。オトリは残り1匹。しかし、しばらくすると天然鮎が掛かった。これをオトリにして泳がせていると、また底掛かりである。また足で引っかいた。また糸が切れた。私の頭も切れた。

 腹が立って場所変わりした。ここも右岸の河原が削られ、見るも無残である。1時間ほどしてやっと1匹掛かったが、その後鮎は沈黙したままだ。他の川よりもひと月も早く解禁にするような無定見な漁協に、ますます怒りが込み上げる。釣れないのは、早くから釣り人が川に入ったため、釣り荒れているのだ。

 その後、出会い頭のようにして6匹掛かった。全部併せてたったの7匹。情けない釣果である。しかも、13、4センチほどのビリ鮎ばかりである。目印を激しく引き込むような当たりはなく、釣ったという実感がない。天然遡上の鮎は、まだ十分育っていないのだ。

 初物の鮎は、塩焼きにした。私が4匹、女房が3匹の配分である。漁協がけしからん、鮎が小さいだの文句ばかり書いたが、鮎は変わらぬ味わいだった。兎にも角にも、鮎の季節の幕開けである・・・。

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山小屋に大挙8人のお客が・・・

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 兄の友人たち男女8人が生石高原のわが山小屋にやって来た。一昨年に続いて2度目の訪問である。一行は東京や愛知など都会で暮らしており、自然と温泉を楽しむ旅の途中に立ち寄ってくれた。

 日ごろ静かに暮らしているわれら夫婦にとって、大挙8人ものお客は珍しくもあり、楽しくもある。そのうちの何人かが私のブログの熱心な読者である。書いた本人が忘れている2年前、3年前の記事でもよく覚えてくれていて、うれしい限りだ。

 ブログによって心が通い合っていると思うと、余計に親しみを感じる。これはもう盛大にもてなさなければならないと思うが、こんな山奥では気のきいた食べ物も用意できない。畑で採れる野菜、高原で採れる山菜、冷蔵庫に眠っている私が釣った魚。どれも自前の物ばかりである。

 まずは、私が紀伊水道で釣ったイサギとアオリイカの刺身。「麦わらイサギ」は麦秋の今が旬である。程よく脂が乗っている。ねっとりとした歯ざわりのイカも甘くて美味しいはずだ。昨年秋、近くの有田川で釣った天然鮎の冷凍が20匹余りあったので、天麩羅で食べてもらった。先日釣って一夜干しにしておいたアジは、軽く火に炙って・・・。

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 山ウドは天麩羅で出したが、採る時期が遅く、本来の味とは程遠いだろう。前日採ったワラビには、鰹節とマヨネーズかけたオーソドックスな一品である。敷地にニョキニョキと顔を出しているミョウガの若芽も出してみた。金山時味噌をつけて食べると、乙なものである。女房が畑で栽培しているラディシュも添えた。

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 最後は、ガシラの味噌汁である。魚から出る濃厚なスープを味わってもらう。以上がお出しした料理である。あっ、そうそう、女房の得意料理であるイタドリの煮付けと山蕗の佃煮もつまんでもらった。これに、みんなが持って来てくれた焼肉とローストビーフが加わる。ともかく、みんなの食欲は驚くべき旺盛さで、話も弾んだ。

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 女房が作る料理を順番に運ぶ私は、民宿の亭主みたいである。土曜日にやっている「人生の楽園」というテレビ番組があるが、ほれ、あれに出てくる民宿の主人のようだ。彼らの多くは奥さんに比べて迫力不足であり、これも似ている。ただし、頭にバンダナを巻くようなキザなことはしない。

 2時間余りの食事を楽しんだ後、生石高原へワラビ採りに出かけた。連日多くの人がやって来るので、採れるかどうか心配したが、杞憂だった。みんな、太いワラビをたくさん採っていた。山蕗が採れる場所にも案内した。風味も柔らかさも申し分ないので、美味しい佃煮が作れるだろう。

 わずか半日の滞在だったが、われら山暮らしの一端を味わってもらえただろう。「美味しかった」とお礼を言われたが、まぁ、お世辞半分としても、一応満足してくれたようだった。一行が紀伊山地の秘湯・龍神温泉に向かうと、山小屋は潮が引くように静かな日常に戻った・・・。

金環日蝕の時間、魚は釣れない・・・

 太陽が欠け出すと、ひんやり寒くなった。太陽が元の姿に還ると、暖かく感じるようになった。金環日蝕の日、私は知り合いの漁船に乗っていた。太陽のエネルギーというのはすごいものなんだ・・・。そんな小学生の感想文みたいな事しか書けないが、それが正直な実感だった。

 金環日蝕の前夜、釣り友から「そろそろイサギが食い出すはずだから、船釣りに行かないか?」と誘われていた。私たちが暮らす生石高原は360度の展望が開けているので、ここから観測しようと思っていたが、今が一番美味しい麦わらイサギの誘惑に負け、船に乗せてもらうことにした。

 誘ってくれた仲間は、釣り好きが高じて漁船まで買ってしまった男である。船は由良湾に係留してあり、当日は知り合いの漁師の息子が操船し、3人で釣りをすることになった。朝5時45分、紀伊水道に向けて出発した。ここは、金環日蝕の軌道のど真ん中にあたり、完璧な金環が見られるはずである。

 この日の朝は、時折青空は見えるが、かなり厚めの雲がかかっていた。特殊な観測用眼鏡を持たないわれらにとってこの天候が幸いした。太陽を直接見ないようテレビでやかましく言っていたので、それを守った。しかし、太陽に雲がかかるとまぶしくなく、チラッと見ながら太陽が欠ける様子をしっかり見ることが出来た。

 そして7時27、8分ごろ、厚い雲の向こうにはっきりと黄色のリングが浮かんだ。それから数分、リングが見えたり隠れたりした。われら3人のうちの誰かが「今や!」と叫ぶと、一斉に空に目を向ける。「見えたな」「うん、見えた」「すごいなぁ」・・・。まるで、子供のような会話である。もう、釣りどころではなかった。

 太陽、月、地球が一直線上に整列する。理論上は当たり前に起こることではあるが、しかしこの天体ショーを目の当たりにすると、これは奇跡としか思えない。小さい頃、ガラスの破片に蝋燭の火で煤を付け、部分日蝕を見たものである。あの時の興奮が、この歳になって、また蘇った。あの頃は、網膜症の危険について一言もなかったよう思うのだが・・・。

 さて釣りの方だが、結論から言うと日蝕の間中、イワシ一匹釣れなかった。釣れ始めたのは8時半ごろからで、3箇所目のポイントからだった。日蝕が魚の食餌行動に影響を与えたのだろうか。テレビ報道によると、動物園のサルが一斉に木の上に登るという異常行動が見られたという。地震の前にナマズが跳ねる。これにも一理あるかもしれない。

 釣果はイサギ5匹、中型のアジが60匹ほどだった。イサギが数釣れなかったのは残念だ。実は23日に8人のお客がわが山小屋を訪ねてくれる。絶品の麦わらイサギを堪能してもらいたかったが、たっぷりという訳にはいかない。アジの一夜干しでもかじってもらおう。

 金環日蝕という歴史的なその時、釣り船の上で潮風に吹かれ、記念すべきリングを見た。釣り好き冥利に尽きるというものだ。稀代の釣りキチにして風流人、江戸時代の画家英一蝶もこれにはかなうまい・・・。

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ツキノワグマ「太郎と花子」のこと・・・

 ツキノワグマの「太郎」と「花子」は、ここ紀伊山地の生石高原に近い獣舎で暮らしている。わが山小屋から獣舎までは歩いて半時間ほどの距離だ。時々、散歩がてら太郎と花子に会いに行き、ご機嫌を伺っている。

 話しかけても、口笛を吹いても、知らん顔をしている。大抵は獣舎の遊び場でごろごろしているか、昼寝をしていることが多い。人間への敵意もない代わり、媚びるような態度を見せることもない。クマらしく、威厳のようなものを漂わせている。

     ↓ 太郎
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 私たちが生石高原の近くに山小屋を建てたのは19年前である。その当時すでに、獣舎では太郎と、別の雄「けんた」が飼われていた。けんたはその後死亡し、長野県生まれの「花子」がやって来て、今日に至っている。太郎は23歳、花子は22歳である。

 太郎は幼い時、和歌山の森で保護された。花子の母親は猟師に撃たれ、孤児になった。幼いクマは母親がいないと生きられず、人間の手で育てなければならない。太郎も花子もこのような事情で、生石高原の獣舎で育てられているのだ。

     ↓ 花子
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 地元を中心にしたボランティアのグループ「太郎と花子のファンクラブ」があり、メンバーが餌を与えたり、獣舎の掃除をしたりするなど世話をしている。会員たちにとって、柵の中にいるクマを見るのは辛いに違いない。太郎も花子も行き場を失った野生動物なのだ。

 開発などによって森が破壊され、クマの餌となるドングリが少なくなった。クマは餌を求めて人里に姿を現し、出合い頭で遭遇した人間を襲う。クマは射殺されることもある。人間にとってもクマにとっても不幸なことで、そんなニュースに接すると、やりきれない思いがする。

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 クマに関する一冊の本がある。こちらも、本を読み終えると、やりきれない思いがする。羆(ひぐま)と人間の壮絶な闘いを描いた吉村昭のドキュメンタリー長編「羆嵐(くまあらし)」である。数ある吉村作品の中でも名作の一冊だと私は思う。

 本が手元にないのでうろ覚えである。間違っている箇所があるかもしれない。舞台は、北海道の日本海側、留萌に近い山間部だ。大正時代の初めごろ、何組かの貧しい家族が開拓のためこの土地に集団移住してきた。

 何年かが過ぎ、少し生活が落ち着いてきたころだった。冬眠の機会を逸した体長3mもの巨大な羆が集落を襲い、二日間に6人か7人かの男女を食い殺したのだ。数人のけが人も出た。クマによるわが国史上最大の惨事としてよく知られる。

 警察官や猟銃の心得がある近隣の者が集められた。高揚した彼らは酒を飲み、猟の武勇伝を声高に語った。しかし実際は、巨大な羆の影に怯えていたのだ。羆の探索には腰が引け、猟銃の試射もまともに撃てず、夜中、家の薪が崩れた音でパニックに陥る。羆に立ち向かう気迫も実力もなかった。

 そこで集落の区長は、老練なクマ猟師に協力を求めた。猟師は村の誰もが口を利かない嫌われ者だが、そんなことを言っていられないほど、事態は深刻なのだ。偏屈者の猟師だが、協力を断らなかった。それは、長年羆と対峙してきた猟師としての矜持なのかもしれない。

 猟師は翌日、羆を追って区長だけを連れて雪深い山中に分け入った。やがて羆を見つけ、風下から接近を開始する。銃弾2発を発射し、ついに羆を倒した。その猟師の冷静な姿と、羆の影に怯え、狼狽する人々が対照的に描かれる。吉村昭らしい飾らない文章である。小説の最後は、読者をやりきれない思いにさせてしまうが、その結末はあえて書かない。

 野生動物を自然に帰す活動が続けられているが、その一方で、この小説が描くような悲劇は絶えない。人間が動物たちを追い詰めているのも事実だろう。しかし、野生がゆえに、時に牙をむく「野生」というものもある。

 今日も獣舎に一人の老人が現れ、「野生」だか何だかつぶやきながら、太郎と花子を相手に暇をつぶしている・・・。

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セブンイレブンのCM・・・生石高原のシーンは一瞬

 顔をつぶされた。顔に泥を塗られた。そんな文句の一つも言いたくなる。いやはや、面目ない・・・。

 4月29日の当ブログで、生石高原でテレビCMの撮影が行われたことを書いた。このCMでは、高原からの素晴らしい眺めが日本中に紹介されるはずだと思った。ここで暮らすわれらにとって誇らしく、鼻高々の気分だった。

 CMの撮影は、朝の6時ごろから3時間もかけて続けられた。撮影スタッフは約40人、車両は10台。山ガール3人が、高原の中央にある巨大な岩に腰かけ、どら焼きやバームクーヘンを食べるシーンが延々と撮影されていた。

 ブログでは、撮影スタッフから口止めされていたのでCMの会社名を伏せていた。しかし、CMは先日から流れているので、公にしてもいいだろう。コンビニ「セブンイレブン」のCMである。商品のスイーツの宣伝だ。

 CMはまず和歌山城のシーンから始まり、続いて山ガールが山や谷を歩く。次の場面に移る前に、商品の菓子が紹介される。最後は、若くてかわいい山ガールが生石高原で菓子を食べるシーンである。

 「あっ、生石高原だっ!」と思ったら、はい、それで終わり。期待のシーンは、ほんの一瞬である。1秒、長くて2秒である。高原から眺める絶景が全国に知れ渡ると思っていたのに、CMはあっけなく終わってしまったのだ。ぼやき漫才じゃないが、「責任者は出て来いっ!」・・・。

 たった数秒のシーンを撮影するため、遠くからガソリンを使って10台もの車両がやって来た。しかもスタッフは40人以上である。CM撮影とはそんなものかもしれないが、素人の目からすれば、何たる無駄かと思う。

 それはともかく、私としてはハシゴを外されたような気分である。ともかく、セブンイレブンのCMを見ていただきたい。生石高原のシーンは一瞬である。惨めな私の気持ちが分かってもらえるはずだ・・・。

高原の山蕗で佃煮を作る

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 連休が終わり、多くの人でにぎわっていたここ生石高原は、潮が引くように元の静かな草原に戻った。それでも時折、山菜採りの人影がちらほら見られ、レジ袋の中身を見せてもらうと、結構ワラビを採っている。

 生石高原は山菜の宝庫だと、つくづく思う。連休中、あれだけ多くの人がやって来て山菜を採ったのに、その後もワラビは次々と芽を出し続けている。ここで暮らすわれらにとって、連休明けのこれからが第2ラウンドで、のんびりと山菜採りを再開するのだ。

 一昨日のことだが、朝食を食べ終えた頃、誰かが玄関ドアを叩いた。表に出ると、生石山の森で暮らす仲間の彫刻家である。「これ女房が作ったんだ。味見してみてよ」と言って、ビンに入れた山蕗の佃煮を持って来てくれた。

 その夜、味見してみた。「美味しいねぇ」・・・。珍しくわれら夫婦の意見が一致した。掛け値なしに、いい味だ。山蕗の風味に加え、エリンギとシメジが入っているので、食感もいい。佃煮のように辛くはなく、甘目に調理されている。

 実は、山蕗の佃煮は私の大好物であり、懐かしいお袋の味なのだ。母親は、私たち家族が採ってきた山蕗を庭の山椒と一緒に煮付けた。その味が忘れられず、女房には毎年、母親直伝の山蕗を炊いてもらっている。これぞ、初夏の味なのだ。

 しかし、彫刻家がくれた山蕗は、お袋の味、女房の味とかなり違う。そこで女房は翌日、彫刻家の家を訪ね、レシピを教えてもらって帰ってきた。調味料は、醤油、みりん、砂糖、日本酒など特別なものはなく、干しシイタケの戻し汁で炊くのがコツといえばコツなのだろう。

 さっそく、山蕗を採りに行った。この森の中を歩けば、いくらでもある。蕗は高地に自生しているのでそれほど太くはないが、柔らかくて風味は濃厚である。6月中旬くらいまでいい蕗が採れる。

 蕗採りから帰ると、彫刻家から電話がかかってきた。九州から取り寄せた醤油があるので、1本あげると言う。女房によると、スーパーなどで売られているキッコーマンなどの醤油は塩っ辛過ぎて、ほんのりと甘い味には仕上がりにくいと言う。どうやら、醤油も調理のポイントの一つらしい。

 女房が調理を始めた。蕗を水でよく洗い、3センチくらいの長さに切って茹でる。水にさらしてアクを抜いたら、調味料、山椒粒、エリンギ、昆布とともに弱火で3時間ほど煮詰める。出来上がった蕗の佃煮は、彫刻家からもらったものとは微妙に違うが、味に遜色はない。

 蕗独特の風味にキノコの歯ざわりが絶妙で、実にうまかった・・・。

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禁煙・・・釣りで我慢できれば本物だ!

 禁煙を始めて、100日を超えた。禁煙外来の門をたたき、処方された薬を飲みながらのチャレンジだったが、それでもよくぞここまで来れたものだと思う。今は、禁煙を成し遂げられるという自信が日ごとに深まっている。

 実はひと月ほど前まで、喫煙生活に後戻りするのではないかという不安の方が強かった。朝起きた時の一服を我慢するのは辛かった。ご飯やコーヒーの後は手持ち無沙汰だった。女房から小言を聞かされる時は、やたら煙草が欲しかった。このように、吸いたくなることが度々繰り返されたものだ。

 しかしその度に我慢できた。これは奇妙なパラドックスなのだが、新品の煙草をテレビの上と車の中に置いていたからだと思う。つまり、吸いたくなったらいつでも吸える状態にしておいた訳である。そんな時は煙草をにらみ付け、「煙草の封を切ったら本当に駄目男だ」とつぶやいた。

 朝イチと食後の一服を辛抱し、女房の小言にも耐え抜いた。ブログを書くときも煙草を手放せなかったが、これも何とか乗り越えることが出来ている。

 後は釣りの時である。釣りは余り動かず、じっと当たりを待つだけだ。煙草がないと間がもたない。魚が釣れなければ、立て続けに2本、3本と煙草に火を付ける。釣れれば釣れたで、喜びと安堵感で煙草が欲しくなる。

 釣りで煙草を我慢でき、しかも吸いたいと思わなければ禁煙は本物なのだ。

 4月25日のブログでも書いたが、その前日、今年初めての釣りに行った。ボートからアオリイカを狙ったが、幸い2・5キロと1キロの2杯を釣ることが出来た。当たりを待つ間も、大物が釣れた時も煙草が吸いたかったが、耐え難いほどではなかった。この釣りで、「よし、禁煙出来るぞ」という自信が持てるようになった。

 そして昨日の8日、今年2回目の釣りに出かけた。同じようにボートからのイカ釣りである。イカが生きたアジに食いつくのをひたすら待つ釣りであり、この時期は、1日に2回か3回当たりがあればいい方である。釣果は1キロを超える良型のイカが2杯釣れて満足だった。しかも、前回の釣行よりも煙草を意識しなくなったのが良かった。

 半世紀近くも吸い続けてきたニコチンへの呪縛、煙草の習慣を解き放つのはそれほど簡単なものではない。「吸いたいか?」と聞かれれば、躊躇なく「吸いたい」と答えるだろう。しかし、悪魔の1本を吸った途端、これまでの辛抱が水泡に帰すので我慢しているのだ。ただし、女房に次のような遺言を言ってある。

 お迎えが来たら、火の付いた煙草を1本、口にくわえさせてもらいたい・・・と。

    ↓ 5月8日の釣果
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山の達人が教えてくれた蔓人参

 若芽が出てくるこの季節、散歩の楽しみは蔓人参を見つけ、その蔓の先端部を食べることである。蔓をちぎると、その断面から真っ白のお乳が出てくる。タンポポから出る乳液と同じだ。少し癖はあるが、乙な味である。

 この植物は、山の斜面に自生している。葉はきれいな四葉になっていて見つけやすい。根は朝鮮人参に似ているらしいが、そのような強い薬効がある訳ではなく、辞書には「滋養強壮、疲労回復」とだけ書いてある。蔓には、顕著な効果はないらしい。

 しかしわれら夫婦は、蔓人参の薬効を信じている。と言うのは、これを食べるよう薦めてくれた人物を信じているからだ。その彼は「植物の茎から乳液が出るものは、何でも体にいいんだ。タンポポも同じだよ」と言う。

 彼は、私たちが暮らす生石山に時々やって来る。72、3歳のはずだが、顔や肌には張りがあり、目には高齢と思えない光がある。アスリートのような筋肉の持ち主でもある。その歳で、精力絶倫のようにも見える。

 彼は山そのものを良く知っているし、山の幸の効用も利用法も熟知している。蔓人参はその一つで、理屈ではなく経験で健康に役立つことを知っているのだ。食前酒として欠かせない蔓人参の焼酎が、彼を元気にしているのだろう。

 以前、出身地を聞いたことがある。「甲州の山奥だよ。奈良田温泉って知っているかなあ」と言っていた。秘湯で名高い奈良田温泉なら行ったことがある。南アルプスを源とする川沿いにあり、まさに秘境のような場所だ。

 あの奈良田の生まれなら、彼が山の幸を良く知っているはずで、信用も出来る。小さいときから山菜や薬草を採取したり、薪を作ったりして小遣いを稼いでいたのだという。

 彼はマムシ捕りの名人でもある。マムシの頭を踏んづけて首根っこつかみ、ビンに入れてマムシ酒を造る。これが蔓人参プラスαの元気の素に違いない。二つの食前酒を毎日続けているのだから、肌の艶、炯炯と光る目、絶倫そうなオーラも納得がいく。私なら鼻血ブーで、昏倒しそうだが・・・。

 マムシは遠慮したいが、山の達人推奨の蔓人参は体にいいはずだ。その四葉の若芽を探す散歩は、楽しい・・・。

     ↓ きれいな四葉になっている蔓人参。
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     ↓ 若芽をちぎると、乳液が出てくる。
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えびね温泉へ・・・車中で色々思ったこと

 紀伊半島の南部に注ぐ日置川。そのほとりに「えびね温泉」がある。かつて、このあたりにえびね蘭が群生していたので、そう名付けられたと言う。湯は硫黄の香りがし、肌にまとわり付くような柔らかさで、ツルツルになる。

 源泉かけ流しである。どこの蛇口をひねっても温泉水が出てくる。飲用としても人気があり、ポリタンクをたくさん積んだ車が連日やって来る。1リットル10円。この温泉水でご飯を炊いたりコーヒーをいれたりすると、まろやかな味になる。糖尿病の人も愛飲しており、血糖値が下がるらしい。

 連休谷間の1日、夫婦で「えびね温泉」に出かけた。車にはもちろんポリタンクが積んである。片道3時間ほどの長距離ドライブだ。女房に運転してもらい、私は助手席から萌える新緑を楽しんだ。

 有田川沿いに走っていると、川に立ち込む釣り人の姿が見えた。そういえば、この日は鮎の解禁日である。これまでは5月25日ごろが解禁日だったが、昨年から5月1日になった。この日は曇り空だったので肌寒く、まだ水も冷たい。釣り人は雨具を着込んで寒そうにしていた。

 そもそも鮎釣りは夏の釣りである。強い日差しの下、大きく育った鮎と渡り合うのだ。鮎の餌は川の石に付く珪藻である。夏の太陽で珪藻が育ち、これを食べて鮎が肥り、スイカとかウリの香りを漂わせるのだ。5月初旬に釣れる鮎など、本来の鮎ではない。解禁の繰上げは、早くから釣り人を呼び込もうとする漁協の金儲け主義である。

 私は鮎を釣りたいがため、滋賀から有田川の近くに移住して来たほどである。鮎を語らせば人語に落ちないと思っているし、早く釣りたいのも山々である。しかし、十分成長していない鮎、香りの薄い鮎など釣りたくない。意地でも5月下旬まで竿を出す気はない。

 「精神の劣化」と言えば大袈裟かもしれないが、解禁日の前倒しを決めた漁協にそのようなものを感じる。動機は金儲けしかなく、川、強いて言えば自然に対する尊厳が感じられないのだ。

 車に揺られ、精神の劣化に思いを巡らせていると、難航する瓦礫処理の問題が頭に浮かんだ。安全と言われている瓦礫さえも受け入れない自治体や住民。ここにも、日本人の荒涼とした精神世界を見る思いがした。「絆」と言いながら、何が「「絆」かと思う。あの大震災の時、我慢強く、節度ある姿を見せてくれた東北の人たちに合わせる顔がない。

 鮎の解禁問題と何の関連もないが、次は昨今の原発再稼動へと飛躍し、どうにも止まらない。こういうのを八つ当たりと言うのだろう。原発問題は難しく、私がとやかく言えるような事ではないが、滋賀、京都の知事の言葉尻にどうも違和感を感じるので、一言・・・。

 原発被害に責任を負わなければならない立場だから、政府の再稼動に条件を付けるのはよく分かる。しかし、福井から送られてくる電気を使ってきたのは、ほとんど発電施設を持たない滋賀であり、京都である。再稼動に注文をつけるのに異議はないが、滋賀、京都はそれに代わる電力を自らの地域で作る覚悟も示すべきと思うし、立地住民の心にも配慮すべきと思うが、どうだろうか。

 この二人の知事は頭が良さそうだし、如才もない。言語明瞭でもある。だから、私のような素人の批判を封じるため、知事は二人とも「駄々っ子のように言っているのではない」と予防線を張っている。

 物事を判断したり決めたりするのは、論理的であるか、合理的であるかである。しかしそれだけではいけない。日本人としての行動や判断の基準にかなっているかが重要だと思う。それは自然に対する感性、人に対する慈愛とか誠実、正義、惻隠、恥などである。うまく言えないが、論理的に決めたことでも、心に響かなければならないのだ。西洋人との違いである。

 このような事に思いを巡らせているうちに、眠ってしまった。目覚めると、車は中辺路のあたりを走っていた。女房によると、いびきをかいていたようだ。いい気なものである・・・。

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