五輪サッカーの活躍を祝し・・・

 いやー、日本のサッカーはすごいな。

ナデシコ、サムライの活躍に、ド、ドーンとお祝いの花を・・・。

ここ生石高原で咲き出したカワラナデシコがエールを送っている。

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0B会・・・40数年ぶりの再会

 新幹線岐阜羽島駅のコンコースに、男女10人ほどの集まりが見えた。改札口を出た私は、その集団が40数年ぶりに再会するかつての仲間たちであると直感し、近付いて行った。

 「おー、ご無沙汰。みんな生きていたか~」。素っ頓狂な声を上げ、少しおどけて見せた。仲間の何人かが「昔のお前はいつも尖がっていたが、えらく丸くなったなぁ」と口をそろえた。「世間の荒波をくぐり、真面目に生きてきた証拠だよ」と言ってはみたものの、夜の宴会でたちまち化けの皮がはがれてしまったから、世話はない・・・。

 われらは、大学時代を文化系の同じサークルで過ごした仲間である。この日はいわゆるOB会であり、男7人、女4人の計11人が集まった。小さなサークルだったので、これでもよく集まった方だろう。

 OB会は3、4年前から始めたらしいが、山奥に移住した私の連絡先だけが分からなかったようだ。だから仲間と顔を合わせるのは、実に大学卒業以来である。新幹線の車中で、顔が分かるだろうかと心配していたが、顔を見た瞬間、長い歳月が逆回転するように、すぐ記憶が蘇った。

 車で移動しながら古刹、名刹を巡り、夜は宴会のあと長良川で鵜飼を見物した。川からホテルに帰って二度目の宴会となり、それぞれの人生を語ったり聞いたり。日付が変わるまで飲み続けた。

 今回の幹事をしてくれた女性は岐阜在住で、若くして夫と死別。再婚して会社を興し、二人の子供を育て上げた。現役の経営者として手腕を振るっており、まだ若々しい。学生時代と同じように、浴びるほど酒を飲んでいた。

 同じ学年の男は、奥さんの在宅介護を始めて7年目である。クモ膜下で倒れ、最近では痴呆の傾向も出てきたという。奥さんは不自由な口で「ごめんなさい、ごめんなさい」と大声を上げるのだという。夫への詫びの気持ちがそう言わせるのだろうか。彼は「近所の人に、俺が女房をいじめているように聞こえるので困るんだよ」と語っていた。

 後輩の女性は、学生時代目立つ存在ではなかった。しかし、経歴は人を変えるのだろう。女性刑務所の所長をしていたこともあり、話しぶりも飲みっぷりも食べっぷりも豪快そのもの。余りの変身にあんぐりと口を開けてしまった。楚々とした、あの乙女がねえ・・・。

 もう一人の同学年の男は、何年か前に心筋梗塞で倒れた。数年前には足の血管が詰まり、歩けなくなった。どちらも回復したけれど、ヘビースモーカーで、大酒を食らう。「酒も煙草もやめる気はないね。女房より先に死ぬ練習をしているんだ。女房が死に、俺だけの人生は想像できない」。彼は、昔から破滅的な性格だった。

 2年後輩の男には腹が立った。髪の毛は真っ黒でふさふさ、男前である。どう見ても50歳くらにしか見えない。まぁ、それくらいなら許せるが、再婚した相手が32歳だとか。都会と田舎暮らしの家を往復しながら、新婚生活を楽しんでいるらしい。酔ったついでに、「お前、何考えてんだ」と言ってやった。

 翌日は金華山に登り、郡上八幡の街を歩いた。すっかり仲間と打ち解け、昔にタイムスリップした。顔のしわが増えただけで、それぞれの人の根っこは何も変わらない。人生長いようで短いものだ。これからも長く、OB会が続けられたらといいねえ・・・。そんな言葉を交わしながら、ひとまず別れた。

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漁港で小魚と遊ぶ・・・豊漁だ

 梅雨が明けて天気が安定してきたので、久し振りに近くの漁港へ釣りに行くことにした。女房は豆アジ、私は木っ端グレやバリコ(アイゴ)を狙う。日中は暑いので、夕方の2、3時間だけの釣りである。

 釣り場は、醤油発祥の地・湯浅に近い小さな漁港だ。わが山小屋からは車で45分ほどの距離で、色んな魚種がそこそこ釣れるので、週末は釣り人でにぎわう。私たちもこの港へ釣りに行くようになって十数年になる。

 釣り場に着くと、女房はさっそく竿を出した。すぐに、10センチほどの豆アジが釣れ、キラキラと空中を舞っている。その後も順調に釣れているようだ。女房のサビキ釣りの一連の動作は慣れたもので、安心して見ていられる。

 私はまず、撒き餌となるヌカ団子を練らなければならない。ヌカやアミエビ、集魚剤、砂などを調合するのだが、団子が海に沈んでいく途中でうまく割れるように練るのがコツである。

 釣り始めた頃、私と同じ年恰好の男性が隣に釣り座を構えた。港の近くで暮らしていて、暇があれば釣りに来ているという。やがて小学6年生の少年2人が加わった。この少年も地元で、隣の人と知り合いらしい。

 幸い私には、グレ、バリコ、チヌが順調に釣れた。しかし隣の人にはさっぱり釣れないのだ。それを見ていたのか、少年の一人が私のそばに来て、餌のつけ方、団子の握り方をじっと見入っている。

 「おじさん、うまいスね」。「和歌山弁をしゃべらんのか」。「こっちの方がカッコいいス」。「いつも来ているの?」。「うん、よく来ているよ」。「勉強もしろよ」。「へへへ、そうスね」・・・。こんな会話を交わした。

 この少年、私のことを「お爺さん」と言わず、「おじさん」と呼んだところが心憎い。少年にしては、年寄りに取り入るツボを心得ているのだ。小学校の高学年ともなれば生意気盛りだが、この少年には愛嬌もある。

 私は少年の針に餌を刺し、団子を握ってやりながら釣り方を教えてやった。すると、いきなり手のひらサイズのグレを釣り上げてしまった。それからというもの、少年は肩が触れ合うほどに近寄り、私から離れようとしないのだ。私の餌と団子を平気で使うところは、やはりまだ子供である。ただ、彼が釣ったのはこれ1匹だけだったが・・・。

 しばらくすると、少年は「何時ごろ帰るの?」と聞いた。「餌がなくなったら帰るよ」と答えた。それからも度々、「いつ帰るの?」としつこく質問を繰り返す。さては、私が帰れば余った餌と団子をもらおうという魂胆なのだろう。少年に皆まで言わせるのは可哀相だから、「さぁこれあげる」と言って餌と団子のすべてを進呈した。

 隣の薔薇は赤い--という例えがあるように、私には少年の気持ちがよく分かる。釣り人の心理は、よく釣れている人の近くにウキを入れたがる。餌も団子も特別のものと思いたがる。まして自分が釣れなければ、何事にも疑心暗鬼になる。少年は私の使う餌が羨ましかったのだろう。それが私も含めた凡庸な釣り人の心理なのだ。

 さてこの日の釣果は、女房が豆アジ240匹、私がグレ13匹、バリコ3匹、チヌ1匹の計17匹だった。豆アジは南蛮漬けに唐揚げ。グレは刺身に煮付け。バリコは一夜干し。

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男は度胸と言うけれど・・・煙突掃除

 大方の予想が外れ、あっけなく梅雨が明けた。ある気象予報士は7月24日と断言していたから、いい加減なものである。街角の易者の方がよく当たる--などと憎まれ口の一つも言いたくなる。

 さて、梅雨が明けたので、薪ストーブの煙突掃除をすることにした。去年の10月から今年の6月まで薪を燃やしてきたので、煙突には相当煤が付いているはずだ。煙突のトップを取り外し、専用のブラシを突っ込んでしっかり煤を落としておかなければ、ストーブの燃えが悪くなる。

 ウッドデッキから屋根に梯子を立てかけ、屋根に乗り移って作業をする。屋根の傾斜は大したことがなく、ひさしまでが3mほどだから、落ちても死んだりするほどの高さではない。しかし私にとって、これが死ぬほどの恐怖なのだ。

 私たち夫婦は、この夏、北アルプスの槍ケ岳に登る予定だ。槍の穂先は高所恐怖症の私にとって卒倒するほどの急傾斜である。わが山小屋の屋根に登れないようでは、槍への登頂は夢のまた夢である。だから、今回の煙突掃除は、いい練習になると思う。

 女房に「梯子をしっかり押さえておれ」と命令し、慎重に上った。屋根に手をかける所まで来たが、ここで立ち往生してしまった。女房は「何してんの。ほれ、あと2段だけよ」とせかすが、体が動かないのだ。

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 いったん梯子を下りて呼吸を整えた。そうだ、煙突にロープを掛けよう。、ロープにしがみつけば何とか屋根に乗り移れそうである。しかし、梯子の上からロープを何回も投げてみたが、なかなか掛からない。女房に代わってもらったら、女房は2回目で成功させてしまった。面目丸つぶれである。

 さぁ、再挑戦である。ロープのお陰で最初の時より1段上に登れた。しかし、もう一歩が踏み出せない。足を上げたり下ろしたり。もじもじ、もじもじ・・・。梯子を押さえる女房が叱咤する。「男でしょ。目をつむって上りなさいよ」。「うるさい!黙れ!」。

 しばらく考えた末、KOされたボクサーのように梯子を降りた。もはや、女房に「行ってくれ」と頼むしかなかった。女房も高所恐怖症だが、梯子を登って行った。私と同じように逡巡していたが、意を決したように屋根に乗り移った。そして煙突に到達し、ドライバーを使ってトップを取り外した。

 ともかく、女房のお陰で煙突掃除は無事終了した。今年こそ自分の手でと思っていたが、やはり駄目だった。私も女房も高所恐怖症だが、どこが違うのだろう。詰まるところは、「度胸」かもしれない。あぁ、男として恥かしい・・・。

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上野のパンダだけじゃない・・・太郎も花子も可愛い

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      ↑高原からすぐ近くで太郎と花子が暮らしている

 生石高原のツキノワグマ「太郎」と「花子」に会いに行くのは、久し振りだ。獣舎は、わが山小屋から高原の南側を半時間ほど下った所にある。散歩には丁度よい距離なので週に2、3回は出かけているが、このところの雨で足が遠のいていた。    (5月19日のブログで太郎と花子について書いているので、ご参考に)

 この日は、食パンと少々しなびた人参を持って出かけた。「おーい、太郎、花子」と声を掛けると、クマは餌をもらえるのが分かっているので柵の前に近寄って来る。お腹をすかしていたのか、おいしそうに食べてくれた。

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 獣舎の左側が花子、右側が太郎の部屋だ。フェンスで仕切られており、それぞれの部屋の前にはベンチが設置されている。いつもはここに座り、太郎、花子の遊ぶ姿を眺めながら半時間ほど過ごして帰るのが日課なのだ。

 太郎は花子に思いを寄せている。フェンスにもたれながら花子をじーっと見つめていることが多い。しかし花子は完全無視だ。いつものことだが、この日も太郎にお尻を向け、長々と放尿していた。その恥かしい姿に見入っている太郎の姿は、ひどく哀れだった。

        ↓ 花子がおしっこ中。太郎、見ないで。     
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        ↓ たくさん出るんだね。
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 同じクマでも、上野動物園の一連のパンダ騒動は狂気の沙汰だ。パンダに罪はないが、上野のパンダばかりを特別扱いするマスコミって何だと言いたい。赤ちゃんパンダが死んだ時も、テレビ局は動物園前から中継し、女性アナウンサーが声を震わせてレポートしていた。年間3万人もの人が自殺する不幸な社会にあって、このパンダ騒ぎはどこかおかしい。

 そんなにパンダが珍しいのなら、われらが暮らす和歌山に来ればいい。白浜の「アドベンチャーワールド」には8頭ものパンダがいる。しかも、これまでに12頭の赤ちゃんが生まれている。中国の研究機関と共同繁殖に取り組んでいるそうで、中国も白浜の繁殖ぶりに注目しているらしい。

 それにしても、あんなにパンダ好きのテレビ各局が、どうして白浜のベビーラッシュを全国ニュースで取り上げないのか、不思議でならない。ニュースの東京偏重、地方軽視だろう。

 それはともかく、日本のマスコミはそろそろ行き過ぎたパンダ報道をやめたらどうか。パンダに限らず、動物はみーんな可愛いのだ。そもそもパンダは中国が世界の国に派遣している友好の使者(?)である。外交の道具に使われるパンダこそいい面の皮だろうが、それを無邪気に有難がるのはいかがなものか。 

 ついでに言わせてもらうと、日本パンダ保護協会というのがあって、あの厚化粧の黒柳徹子さんが名誉会長をしている。協会ではパンダの里親を募り、その会費は中国の保護研究センターに送金される。このお金は飼育費や研究費に使われるそうだ。

 中国は世界第二の経済大国だ。里親募集など言わず、ドーンとお金を出して保護し、繁殖させたらいいではないか。しかも、上野動物園のように8000万円ものレンタル料をとるのもセコイ。中国が太っ腹なところを見せれば、少しは尊敬されるはずだ。えっ、それは無理・・・?

今までに経験したことのない豪雨・・・

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 今日も激しい雨が降っている。テレビ画面に次々と気象警報のテロップが流れ、ここ和歌山にも大雨洪水警報が出ている。私たちが暮らしている生石山の南側を流れる有田川は、濁流が渦巻いているだろう。

 九州では大きな被害が出ているようだ。とくに熊本と大分の降雨量が桁外れである。気象台では「これまでに経験したことのない豪雨」という表現で注意を促している。

 「これまでに経験したことのない」・・・。これだと、実に分かりやすい。一般の人にとって、1時間当たり300ミリと言われてもピンと来ない。気象予報士がよく言う「バケツをひっくり返したような雨」も感じはつかめるが、何か切迫感に欠ける。「経験したことのない」と言われれば、避難しなきゃと思わせるほど言葉に力がある。

 東日本大震災をきっかけに、注意を喚起する表現に関係者たちは知恵をしぼっているように思う。今回の豪雨の注意喚起もその一つだろう。これまでは、お役所的もしくは専門的な表現が多く、一般人の心をつかむ工夫がなかった。日本語は、世界に例のない豊かな言語だ。言葉を大切に使う知恵がもっと広がればと、思う。

 午後3時ごろ、わが山小屋の周辺では雨が小康状態になった。退屈なので、新しく買い替えたカメラで花の写真を撮ってみた。下手な写真だが、どうぞ・・・。

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命を賭ける・・・小説「水神」と政治家の言葉

 先日、帚木蓬生(ははきぎ・ ほうせい)の小説「水神」(上下巻、新潮文庫)を読んだ。江戸時代の初期、筑後川に近い村々の5人の庄屋が立ち上がり、大河を堰き止めて田畑に水を引く工事に挑む実話の物語である。

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 この村は、川より高い台地にあるため大河の恵みを受けることが出来ない。川の水を桶で汲み上げ、それによって田畑を潤すしかなく、旱魃に苦しめられてきた。不作の年はワラビの根や松の皮を食べて飢えをしのいだ。

 5人の庄屋は、農民の苦難の歴史を自分の代で終わらせようと決断し、工事を求める血判の嘆願書を久留米有馬藩に差し出した。嘆願書には、工費として庄屋の財産を差し出し、もし工事に不手際があった場合は、磔(はりつけ)の刑を受けると明記していた。

 藩は普請奉行の指揮で工事に当たることにしたが、工事失敗の責任を庄屋に押し付けようとするかのように、堰の工事現場にわざわざ五つの磔台を掲げた。最初、工事には他の多くの庄屋が反対していたが、命を賭けた庄屋の決意が通じ、やがて反対したことを悔やみ、協力するようになった。

 この本を読んだ後、野田総理の言葉が思い出された。消費増税と社会保障の一体改革を成し遂げるために、「政治生命と命を賭ける」と表明したことである。「命を賭ける」という表現は、太平の現代に切腹が復活したようで滑稽に思えた。民主党にしては評価の高い野田総理だけに、出来もしないこの言葉だけは言ってほしくなかった。

 多分、野田総理にとって、ライオン宰相と呼ばれた浜口雄幸首相の存在が大きかったに違いない。政治家を志す人間なら誰もが知っている昭和初期の名宰相である。浜口首相は就任の時、家族に「決死の覚悟で仕事をしているのだから、途中で斃れることがあっても、それはもとより男子の本懐」と語っていた。

 そして昭和4年、首相は東京駅で右翼の凶弾を浴び、それがもとで死亡した。当時は、統帥権をめぐって軍部と政府の対立は先鋭化していた。身の危険を感じていた浜口首相は「身命は君国に捧げており、命が惜しくて何ができるか」と、側近に話していたと言う。

 野田総理は、浜口首相の「男子の本懐」を意気に感じていたのかもしれないが、テロが横行した昭和初期とは時代背景が異なる。今の時代、政治家が「命を賭ける」などと軽々に口にするのはいかがなものだろう。党内融和を求め、「心から、心から、心から」と訴えたこともあった。しかし結果は、民主党の分裂を避けることが出来ず、総理の言葉の軽さだけが残った。

 小説「水神」に話を戻そう。堰と水路の工事が完成し水門を開けたところ、水路の高低差が間違っていたため水が逆流、農民一人が死亡した。藩の設計ミスは明らかだったが、最年長の庄屋は事故の責任をとるため、磔の刑に服することを申し出た。

 そんな切迫した時に、一人の老武士が農民の苦悩を綴った藩主宛の遺書を残し、切腹して果てた。武士は郡奉行の補佐役で、日ごろから村の実情に深い同情を寄せていた。命を賭けて庄屋たちを守ろうとした老武士は、この小説の重きをなすキャラクターである。

 「命を賭ける」--。庄屋や老武士が見せたその覚悟と、政治家の言葉に空しいほどの乖離がある・・・。 

  

デジカメを買い換えた・・・

 人様のブログを訪問していて羨ましいのは、写真が美しいことだ。画素数が多い高性能カメラで撮影されたものだろう。それに比べて当ブログの写真は画質に滑らかさがなく、かなり見劣りする。

 5年前、それまで持っていたデジカメを登山の途中、岩の上に落としてしまい修理不能になってしまった。今使っているカメラはその時に買い換えたもので、かなりの安物である。画素数は700万、手振れ機能もついていない。花の写真を撮ろうとして近付きすぎると、ピンボケになってしまう。

 そこで先日、新たに買い替えたのがキャノンの「パワーショットSX150IS」という商品だ。1410万画素だから今のカメラの2倍、光学12ズームで、ハイビジョンの動画も撮れる。それでいて値段は1万5000円ほど。

 デジカメのほとんどはバッテリー式で、1回の充電で約200枚の撮影が可能だという。しかし、これでは少し不満だ。例えば、3泊、4泊の登山に出かければ何百枚もの写真を撮るが、自家発電の山小屋ではバッテリーを充電出来ない。いい景色に出会っても、バッテリー切れでは話にならないのだ。

 今度のカメラは、単3の電池式だ。これまでのカメラで使っていたニッケル水素電池4本と充電器そのまま使える。電池切れが心配なら、市販の電池を余分に持って行けばいい。何も、高価なバッテリーをいくつも買う必要がないので、良いカメラ選びだったと思う。

 ズームが12倍というのも気に入った。遠くの美しい山を手元に引き寄せることができる。花の写真なら1センチまで近付いて撮影できるのもうれしい。われら山好きにぴったりのカメラと言える。

 デジカメでも3万円、4万円という高価な商品もある。このようなカメラには、GPSとか防水とかの機能が付いているが、どうしても必要なものではない。今回買ったカメラは、機能的にも十分だ。

 これからはきっと、ブログの写真が良くなると思う。わが山小屋の周辺に咲く笹ユリを試しに撮影してみたので、どうぞご覧あれ。「あんまり、変わり映えせんなぁ」と言われると、ちょっと辛いが・・・。

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高所恐怖症が槍ケ岳に登れるか・・・

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 この夏の登山計画を立てるため、ガイドブックをめくっていた女房がつぶやいた。「今年は槍に行こう」。もちろん、北アルプスの槍ケ岳のことである。「えっ、冗談だろう?」と言いかけたが、女房の目は笑っていない。

 標高3180mの槍ケ岳は、北アルプスの盟主である。峰々からは、あの天を突く奇跡の岩峰を目にすることが出来る。われら夫婦にとっては、ただ遠くから眺めるだけの憧れの山でしかなかった。

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 この名峰は、それほど難易度が高いという訳ではない。登山テクニックを要する難しい山はいくらでもある。しかしわれら夫婦にとって、あんな絶壁をよじ登るなんて論外で、これまで考えもしなかった。

 つまり、二人ともひどい高所恐怖症なのだ。

 ちなみに女房は、吊り橋が渡れない。明石大橋や瀬戸大橋を車で走ると、目を塞いで震えている。若いころ山岳部の仲間と白馬縦走登山に挑んだ時、怖い目に遭ったらしく、それがトラウマになっているらしい。

 私の恐怖症はもっとひどい。わが山小屋の屋根には薪ストーブの煙突があり、毎年煙突掃除をしなければならないが、屋根の上にどうしても上れない。梯子から屋根に足をかけるその瞬間、失禁しそうな恐怖を感じるのだ。だから煙突掃除は、人任せである。

 吹き抜けのあるビルでは、上から下を見ることが出来ない。スキー場のリフトに乗っている時も、目を空に向け、鉄パイプにしがみ付いている。女房は意外なことに、山小屋の梁を渡りながら蜘蛛の巣を取ったりしているが、私にはとても出来ない。

 このような高所恐怖症は、生まれつきのもではない。ガキ大将のころ、畑の柿の木から転落して気を失ったことがあるし、今で言うツリーハウスのようなものを作って遊んでいた。高い所で遊ぶのが楽しかったのだ。

 高所を怖がるようになったのはいつの頃からだろうか。東尋坊の断崖を覗き込んで喜んでいる学生時代の写真が残っているので、それ以降だと思う。年を取るごとにひどくなり、今の私にとって梯子に登る限界高度は4mくらいだ。ただし、吊り橋や飛行機、山のゴンドラはまったく怖くないから、おかしなものである。

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 槍の穂先は、基部かから頂上まで約100m。登攀コースは、混雑を避けるため上りと下りの一方通行になっている。いったん岩に取り付けば、岩に足をかけ、鎖をつかみ、梯子を登り続けなければならない。引き返すと他の登山者に迷惑をかけるから、頂上直下の合流地点まで行くしかないのだ。

 勇気を振り絞って頂上直下に到達出来たとしても、最後に難関が待ち受けている。垂直に近い梯子が二段になっており、まず17段5mを登ると、続けて31段9メートルの梯子だ。これを登り切ると頂上だが、このように書いているだけで奈落に落ちるような恐怖感に襲われ、もはや槍ケ岳登山は絶望的に思えてくる。

 しかし女房は、頂上にこだわらない。「槍の直下に行くだけで十分よ」。つまり、穂先を見上げて無理と思ったら潔く諦める。女房が言うように、とりあえず行ってみるのもいいだろう。「敵前逃亡」と思うか、「勇気ある撤退」と解釈するか、そこは微妙であるが・・・。いや、頂上に立てる可能性だってあるのだ。

 われらの年齢を考えると、これが最後のチャンスになるかもしれない。行ってみるかぁ~。

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