イノシシにサツマイモを食べられた・・・

 きのうの昼前のこと。外に出ていた女房が窓ガラスを叩いて、何か叫んでいる。窓を開けると、「やられた、早く来て」と言い、畑の方に走って行った。イノシシに畑を荒らされたに違いない。

 山小屋から20mほど離れた畑に行くと、サツマイモの蔓が巻き上げられ、畝がきれいに掘られていた。女房はサツマイモが残っていないか鍬で掘り返していたが、ただの1個も見つからない。

 無念の表情を見せる女房。奥歯が砕けるほど悔しがっている。植えたばかりの白菜の苗や大根も踏み荒らされており、女房は肩を落としながら、苗を植え直していた。

 畑は30坪か40坪の広さで、周囲に杭を打ってナイロン製のフェンスを張り巡らしている。下から侵入できないようフェンスを折り返した上、杉の丸太で押さえ付けていた。

 フェンスは太い糸で編まれているので、まず破られることはないだろう。高さは80センチほどだからイノシシが飛び越えることは出来ないはずだ。まさか侵入出来ることはないだろうと、高をくくっていた。

 ところが、フェンスを押さえ付けていた丸太が跳ね飛ばされていた。点検してみると、サツマイモの畝に接するフェンスが破られ、直径4、50センチほどの穴が開いていた。たくさん収穫できたはずのサツマイモを食べ尽くしていたから、中に入ったイノシシは1頭や2頭ではなかっただろうと思う。

 イノシシは、食べごろの時期を察知できる驚くべき能力を備えている。

 実は半月ほど前、この畑からカボチャ2個が何物かに食べられてしまった。背の高いシカが畑に首を突っ込み、食べたものと思っていた。しかしよく考えてみると、シカが畑に出没するのは考えられず、すると犯人はイノシシ以外に考えられない。その時からフェンスに穴が開いていた可能性が強いのだ。

 しかしイノシシはカボチャだけを盗み、サツマイモには目もくれていない。と言うことは、サツマイモはまだ食べごろではないと判断し、パスしたのだ。一番美味しい時期が到来するのを虎視眈々と狙っていたことになる。女房はこの日収穫作業をする予定だったと言い、その前夜に食べられたのだから余計に悔しい。

 3年前にも、別の畑で収穫直前のジャガイモをイノシシに食べられた。しかしこの時は、畝の半分だけを掘られただけで済んだが、今回は全部やられた。まったく可愛げのないイノシシである。しかも、敷地の何箇所かで笹ユリの球根を掘って食べた形跡もある。野生動物との共生なんていう美しい言葉があるが、とてもそんな気持ちになれない。

 収穫したサツマイモをアルミホイールで包み、薪ストーブの火の中に入れる。約25分でほかほかの焼き芋が出来上がる。遠赤外線効果というか、実に美味しく出来上がる。

 秋の夜長の楽しみだったが、それなのに・・・。おのれー、イノシシの野郎が・・・。

   ↓ このように、畑をナイロン製のフェンスで囲っていた。
vcm_s_kf_repr_351x468_20120928092827.jpg

   ↓ 蔓が巻き上げられ、一つ残らずサツマイモを食べられた。
vcm_s_kf_repr_351x468_20120928092915.jpg

   ↓ 大きな足跡が点々と。 
vcm_s_kf_repr_468x351_20120928093007.jpg

   ↓ フェンスを押さえておいた丸太を押しのけていた。
vcm_s_kf_repr_468x351_20120928093159.jpg

   ↓ 食いちぎったのだろうか、フェンスに大きな穴が開いていた。
vcm_s_kf_repr_468x351_20120928093251.jpg

   ↓ 笹ユリの球根も掘られていた。球根はイノシシの好物である。
vcm_s_kf_repr_468x351_20120928093328.jpg



 

 
スポンサーサイト

秋色の生石高原・・・赤色の反日デモ

vcm_s_kf_repr_468x351_20120925173959.jpg

 ここ紀伊山地の生石高原は、これからの季節が一年で一番にぎわう。関西では3本の指に入るススキの大草原が広がっている。穂が風になびき、それは波立つ大海原ように見える。

 高原は夕日の名所でもある。オレンジ色の大きな太陽が、紀淡海峡に落ちる様は実に美しい。ススキと夕日のコラボ。そんな秋の風情を写真に収めようと、アマチュアカメラマンも大勢やって来る。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120925175229.jpg

 主峰の生石ヶ峰(876m)をいただく高原は、紀美野町と有田川町にまたがっている。紀美野は柿、有田川はミカンの産地で、これら秋の味覚を求めて生石高原に来る人も少なくない。高原の売店でも、果物や地元産品がびっくりするほど安く売られている。

 見ごろを迎えているのが、萩の花だ。薄紫の可憐な花は、日本の秋の風情そのものである。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120925175316.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120925180253.jpg

 このところテレビでは、毒々しい赤色ばかり見せられてきた。反日デモが打ち振る中国の五星紅旗である。その赤一色に辟易してきただけに、気品に満ちた萩の色合いに気持ちが安らぐ。

 それにしても、どうして中国は赤色が好きなんだろう。寺院も家の玄関も、仏像まで赤色を塗りたくる。チャイナドレスは赤色と相場が決まっている。ロンドン五輪のユニフォームも中国は赤一辺倒。対する日本はシックな紺色だった。

 中国人にとって赤は、吉兆のしるしであり、金運を招来する色だそうだ。金運というあたりが、いかにも中国人らしいのだが・・・。ともかく、世界で最も赤色が好きな民族とも言われる。日本人の色彩感覚は「侘び、寂び」にも通じているので、中国人の赤好みとは相容れないものがある。

 そんなことはともかく、日ごとに秋が深まり、あたりの風景は秋色に染まり始めた。日が暮れると、一斉に虫たちが鳴く。古来、日本人は秋の情景に物思う・・・。

レコーダー買って、楽しみが増えた・・・

 ちょっと恥かしい話だが、この度、初めてテレビ番組を録画する機械を買った。取り扱い説明書には「ブルーレイディスクレコーダー」と書かれている。説明書を読んでいる最中だが、まず「ブルーレイ」という意味が分からない。

 すったもんだしながら、やっとレコーダーとテレビを繋ぐ事が出来た。アンテナのケーブルをレコーダーに繋ぎ、さらにテレビ本体に繋げて初めてテレビが映るという当たり前の原理を理解するのに長い時間がかかった。

 ともかく、テレビが映り、録画することが出来るようになった。説明書の読解力がない上、機械音痴の私がわずか半日でそこに到達出来たのは、奇跡のようなものである。

 レコーダーを買うことになったのは、変ないきさつからだ。

 実は、モデルの押切もえさんが槍ケ岳に挑む特番が、NHKの中京地方限定で放映された。愛知県に住んでいる友人が、山好きの私のためにこれを録画し、ディスクにコピーして送ってくれた。友人は私がレコーダーを持っているものと思っていたのだろう。残念ながら、そのような文明の利器を持ち合わせていなかった。

 そこでパソコンで再生しようとディスクを入れてみたが、ウンともスンとも言わない。ディスクそのものに障害あると思い、家電量販店で再生してもらうと、何ときれいに録画されているではないか。従業員の説明によると、パソコン側に地デジ番組を再生する機能が備わっていないのだそうだ。それならレコーダーを買うしかない。

 以前から欲しかったこともあり、すぐ買った。押切もえちゃんの槍ケ岳は何回も見たし、ワンタッチで録画できるのがうれしくて、やみくもに録画してみた。

 BS番組の山田洋次監督「家族」も録画予約した。これは初めて見る映画で、懐かしい光景が次々と展開し、家族というものを改めて考えさせる作品だった。

 長崎の鉱山がある小さな島に住んでいた家族が、北海道の大地で酪農をしようと移住する物語だ。1970年の日本社会を映し出しながら、北海道までの旅を描いている。モータリゼーションの波、活気ある製鉄所、新幹線、大阪万博、東京砂漠・・・。今思えば、家族や地域社会のほころびを予感させる内容にもなっている。

 私にとっては、阪急百貨店や阪神デパート、地下街の雑踏など大阪の風景が懐かしかった。今では、阪急のビルは新しくなり、阪神は阪急と一緒になって一つの会社になっている。地下街は多少当時の面影は残っているものの、随分きれいになっている。この映画を観て、隔世の感を味わうことが出来た。

 それにしても、倍賞千恵子は何と美しかったのだろう。演技力もにも感心した。さすが山田洋次一家の役者であり、寅さんの妹だけはある。レコーダーのお陰でこんな映画も見られるようになったし、普段余り見ない教養番組なんかにも触れることができるようになった。

 まるで子供のように、チャンネルをいじくりながらレコーダーと遊ぶ今日この頃・・・。

健さん、映画「あなたへ」を観るのが辛かった・・・

 「健さん、お久し振りです。それにしても随分、老けられましたなぁ」・・・。

 高倉健主演の映画「あなたへ」を観に行った。健さんがスクリーンに映し出されると、ついそんな言葉が口を突いて出た。私が映画で健さんを最後に見たのは何年前、いや何十年前のことだろうか。

 健さんの映画は、私の冴えない青春そのものであり、鬱々とした青春のはけ口でもあった。

 大学時代、マージャンに飽きると3本立て100円か150円の映画を見に行った。映画館は下町の一角にあり、オールナイトで上映していたので、われら勉強をしない大学生の暇つぶしの場所でもあった。

 この下町の映画館は、任侠路線の一辺倒だった。その主役は鶴田浩二であり、高倉健だった。「日本侠客伝」、「網走番外地」、そして健さん人気を決定付けた「昭和残侠伝」シリーズ。思い出すだけで、血が騒ぐ。

 それはともかく、「あなたへ」の映画は、正直言って少し退屈だった。

 先立たれた奥さんの遺言で、刑務官の健さんが長崎の海に散骨するため、ワゴン車で旅をするというストーリーである。道すがら出会う人たちは個性があり、確かに面白い。ラストシーンは泣かせる設定となっているが、勘の悪い私にも容易に想像できる結末だったので、意外性はなかった。

 この映画を観ながら、ずっと違和感を感じていた。健さんが主演する理由が分からなかったのだ。西田敏行や役所広司といった俳優の方がはまり役だと思った。健さんは出演を喜んで引き受けたらしいが、古くから彼を慕う私たちにとって、健さんをこの役に引っ張り出すのは酷なのだ。

 分かるかなぁ、この気持ち。つまり、私たちが健さんに抱いたイメージが壊れていくのだ。鉄道員(ぽっぽや)や居酒屋兆治、八甲田山など任侠シリーズ以外の映画を知らない訳ではない。律儀で一本気、信念を貫き通す。それが健さんのイメージであるのは言うまでもない。

 しかし、忘れてはならないのは、「てめーっ」と言って相手を刺したあの「目」なのだ。

 理屈っぽくなってしまうが、あの「目」は昭和40年代の日本社会を突き刺した。70年安保の時代であり、三島由紀夫が割腹した時代だ。そして、高度経済成長の真っ只中だった。そんな時代に青春を過ごした私にとって、健さんが吼えた「てめーっ」は余りにも刺激的だった。

 「あなたへ」を観るのは辛かった。右足を少し引きずっていたね、健さん。居酒屋で乾杯するシーンがあったけれど、あの時見せた目つきに、昔の「目」の片鱗があった。でも、ほんの一瞬だけだった・・・。

鮎釣り3日連続・・・有田川

 有田川の鮎が活気付くのは、9月に入ってからだ。他の河川では網が入り、鮎釣りは終わる。しかしこの川では、成長した天然遡上の鮎が本格的に掛かり出すのだ。今が本当の鮎のシーズンと言える。

 9月初旬は北アルプスに登っていたので、川に入る機会がなかった。山から帰ってしばらく体を休めていたが、どうしても鮎が気になり、4、5日経つとそわそわし出した。

 辛抱たまらず、水曜日の午前中に釣りの仕掛けを作り、午後から有田川に向かった。釣り始めたのは午後2時ごろだ。このポイントはいつも人が多いが、この日は3、4人が竿を出しているだけだった。

 釣り始めて15分後、大きな石の回りで「コン」という当たりがあり、オトリと掛かり鮎がもつれて一気に下った。このところ不調と聞いていたので、幸先が良い。慎重にあしらいながら鮎を浮かせ、引き抜いた。

 飛んできて玉網に収まった鮎は、20センチ近い良型だ。胸の追星もヒレも黄色の海産鮎である。肌はきめ細かく、後半に入った鮎とは思えない若々しさだ。

 さすが天然鮎で、これをオトリにすると、上流に向かってスイスイと泳ぐ。こうなれば鮎は掛かり易く、10分に1匹の割合で釣れてくる。途中、大石に足を取られて首まで水に浸かり、寒くて寒くて・・・。あと1時間ほど釣りたかったが川から上がった。釣果は2時間ほどで12匹。これなら満足できる。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120915113103.jpg

 小気味いい鮎の引きを楽しむことが出来た。翌日も釣りに行きたい気分である。2時間ほどの釣りだったから、体力的にも余裕がある。そこで翌日も川に向かった。われながら鮎が好きだなあと思う。

 朝8時ごろ家を出た。20年近い付き合いのあるオトリ屋に行った。オヤジさんは鮎やアマゴを釣って生計の足しにする川漁師である。たまにわが山小屋の前をバイクで通りかかり、色々と川の情報を教えてくれるから、頼り甲斐のあるオトリ屋なのだ。

 彼のアドバイスに従い、流れの緩いポイントに入った。目ぼしい石を攻めると、順調に釣れた。ただ型が小さく、物足りない。しかも釣れない時間が続き、やる気もなくなり、11時半ごろ竿を納めた。3時間半の釣果は15匹だった。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120915113150.jpg

 家に帰ると、女房が明後日から娘の所へ遊びに行くという。それなら娘にぜひ鮎の塩焼きを食べさせてやりたいと思った。子供たちは私が釣った様々な魚を食べて大きくなった。鮎など川魚だって大好きである。

 そこで3日連続の鮎釣りになったという次第である。例のオトリ屋に行き、「娘に食べさせるんだ」などと話をしていたら、「あそこならいい型の鮎が釣れるかも」とポイントを教えてくれた。

 竿を入れてみると、それほど大型ではなかったが、順調に釣れた。3時間ほどの釣りで18匹も釣れ、昼前には納竿して帰途についた。3日間とも短時間の釣りだったが、それほどの疲れは感じなかった。それが何より、うれしかった・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120915113258.jpg


 

奥穂高岳の天空へ・・・㊦

 奥穂高岳の山頂を目指し、まずは全長50mほどの垂直と思えるほどの岩場をよじ登り、無事稜線に出た。岩屑を踏みしめて歩くこと半時間ほど、右手に穂高連峰で最も危険で、最も美しい「ジャンダルム」(3163m)が見えた。その姿は縁起でもないが、殺気さえ漂わせている。

 そう言えば、先ごろからヘリコプターが何機も飛び交っている。「荷揚げだろう」と気にもとめなかったが、後から聞いて分かったことだが、北穂高岳から南岳に向かう大キレットで56歳の男性が150m転落して死亡した。ヘリコプターは救助のため出動していたのだ。現場は奥穂の北の方向で、ここからそう遠くない。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909124732.jpg


 この先を回り込むと、再びジャンダルムが間近に迫っていた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909125628.jpg


 ジャンダルムとはフランス語で憲兵の意味。北アルプスの盟主・奥穂高岳を守る前衛の兵ということだろう。せり上がったドーム状の岩がジャンダルム、その左がロバの耳、続いて馬の背と続く。言うまでもないが、われらが近寄れる山ではない。熟達の登山者だけに許される岩峰である。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909131605.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909125834.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909125901.jpg


 ようやく前方に北アルプスの最高峰・奥穂高岳の頂上が見えた。団体らしい20数人の人たちが群がっている。入れ替わり立ち替わり、記念撮影に大忙しだ。「もう死んでもいいわょー」。そんな女性の叫び声も聞こえてくる。高揚したその気持ち、よーく分かる。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909132446.jpg


 団体さんに頂上を占拠されたので、裏手でしばらく待機した。そこは、賽の河原のような場所で、登山者が小石を積み上げたケルンがいくつもあった。ここにも別の祠があり、女房が何やら祈っていた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909153410.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909153451.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909153556.jpg


 やっと団体さんが下山したので、頂上の看板の前で記念撮影。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909160012.jpg


 すると、頂上の祠の上にいた青年が「さぁ、ご夫婦でここに上がって下さい。ボクが写真を撮りましょう」と親切に言ってくれた。それではお言葉に甘えて、ハイ、ポーズ・・・。

vcm_s_kf_repr_351x468_20120909160051.jpg


 頂上の祠にお賽銭の100円玉をチャリン。穂高の神様、仏様、有難うございます。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909160335.jpg


 槍ケ岳が再び姿を現し、シャッターを切った。奥穂は槍より10m高いが、あちらの方が高く見える。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909185337.jpg


 天空の絶景をたっぷり楽しんだので、下山することにた。正面の北穂高岳の向こうに連なる大キレットでこの日早朝、不幸が起きたのはすでに書いた。冥福を祈ろう。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910072305.jpg


 絶壁から見下ろすと、美しい涸沢カールが広がっていた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910072224.jpg


 難所も無事通過し、山荘前に下山した。女房と「とりあえず」の握手・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910072850.jpg


 お昼ご飯は、穂高岳山荘の食堂でカレーライスを食べた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910080348.jpg


 コル北側の涸沢岳(3110m)にも登ることにした。半時間ほどで頂上に立てるはずだ。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910081029.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910081136.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910081219.jpg


 頂上に寝転がっていたら、突然、女性の号泣する声が聞こえた。「ここまで来られたんです。アタシが、アタシが・・・」。本格的な登山は初めてだそうで、涸沢から北穂に登り、危険なキレットを通過して涸沢岳に来たという。無謀というしかないが、知らないベテラン登山者に誘導されて事なきを得たのだ。本人の承諾を得て写真を撮らせてもらった。このように、山には色々なドラマがある。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910082453.jpg


 頂上の斜面に寝転び、1時間余りの贅沢な時間を過ごした。目の前を雲が流れ、その隙間から顔を見せる穂高の絶景を目に焼き付けた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910084729.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910084804.jpg


 私たちのすぐ隣で、同じように寝転んでいた3人の男女と意気投合してしまった。せかせかと山に登るのではなく、こうして3000mの天空でぼーっと過ごすことに至福を感じ合うわれらである。穂高山荘で酒を酌み交わそうと約束し、下山した。

 下の写真が、白昼の宴会を催した板張りのテラスである。ここからは常念岳や大天井岳が見渡せる。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120910090421.jpg

 この3人は、鳥取県のある町で森林セラピーの活動をしている人たちだ。今回登山のリーダーはセラピーの会長さんで、登山の大ベテランだ。もう一人の男性は、大手自動車メーカーを定年退職したAさん。それに若き女性スタッフ。

 ビールやウイスキーを飲みながら、座は盛り上がった。特に。Aさんの話には皆が抱腹絶倒してしまった。Aさんは鳥取の大山に2回登って今回に備えたが、北アルプスは初めてだそうだ。会長さんから今回のハードなコースを聞き、恐ろしくて眠れぬ夜を過ごしたという。

 そして出した結論は、自分が所有している小型ボートのもやい用ロープをリュックの底に忍ばせておくことだった。つまり、命綱である。しかしどのように使うかまでは思い浮かばなかったと言うから傑作である。北アルプス登山を控え、その切羽詰った心境を洒脱な話術で聞かせてもらい、実に楽しかった。

 vcm_s_kf_repr_468x351_20120910095558.jpg


 今回の登山は、テレビで気象予報士の話を聞いて予定を一週間以上も繰り上げて決行した。つまり登山を予定していた1週間後からは雨続きになるという予報だったのだ。

 お天気キャスターの草分けでもある倉嶋厚さんはこう書いている。「最近の天気予報はコンピュータや気象衛星のおかげでよく当たるが、長期予報となるとあまり当てにならない。人生も同じ事で、先のことを思い患ってもどうしようもありません」。

 確かに、例の気象予報士の週間天気予報は見事に外れた。われらが最初に予定していた頃は、皮肉にも晴れ続きになっている。1週間先の天気予報に右往左往する私たちの馬鹿馬鹿しさ。人生も、倉嶋さんが言うように、一日一日を丁寧に生きて行けばいいのだ。

 翌日、そんな倉嶋さんの含蓄ある言葉を反芻しながら、雨の中を下山した。8時間かけて上高地に着くと、一転して晴れとなった。天気もそうだけど、先のことなど誰にも分からない・・・。


                                            (おわり)




奥穂高岳の天空へ・・・㊥

 雄大なカールを望む「涸沢小屋」で、奥穂登山二日目の朝を迎えた。朝ご飯を食べて外に出ると、穂高連峰の上に月が出ていた。前穂上空の雲が赤みを帯び、やがて岩の山肌が真っ赤に染まって行った。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908142658.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908142729.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908142756.jpg


 今日は涸沢カールを歩き、岩のザイテングラートに取り付いて白出(しらだし)のコルに建つ穂高山荘に向かう。一服した後、3190mの奥穂山頂に登るが、最初の50mほどは下の写真のように急峻な岩場である。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908143918.jpg


 実は、涸沢小屋の食堂で一緒になった人から怖い話を聞いた。この人は顔中が髭の「これぞ山男」という風貌で、二人の山ガールを連れていた。彼はきっぱりと「奥穂の取り付きは槍ケ岳よりも怖い」と言うのだ。高所恐怖症の私たち夫婦はこわごわ槍ケ岳の頂上に立ったことがあるが、それよりも怖いとなれば胸がキュンと縮む。

 まぁ、案ずるよりも産むが易し--という言葉もある。気を引き締め、涸沢小屋を出発した。急な登りが続き、ナナカマドの向こうに前穂が見える。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908150135.jpg


 続いて右手に涸沢槍。その形は槍ケ岳にそっくりだ。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908151705.jpg

vcm_s_kf_repr_351x468_20120908150422.jpg


 高山植物の季節はそろそろ終わりだが、イワツメクサは結構長く咲いている。花が散ったチングルマの綿毛が風になびき、これもまた風情があって好きだ。

vcm_s_kf_repr_351x468_20120908172626.jpg

vcm_s_kf_repr_351x468_20120908172656.jpg


 さぁ、涸沢名物とも言えるザイテングラートの岩登りだ。ドイツ語で、支稜線の意味。鎖場、梯子もある難所だが、急斜面のため一気に高度をかせげる。20数人の団体が前を行き、渋滞することもあった。

vcm_s_kf_repr_351x468_20120908173905.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908173958.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908174027.jpg


 標高は3000mに近い。空気の薄さを実感する。肩で息をしてしばしば立ち止まる。すると、一輪のイワギキョウが見上げていた。「もう少しだ。頑張れよ」。励まされているように思えた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908175018.jpg


 岩にペンキで「ホタカ小ヤ20分」。ホンマかいな・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908182543.jpg


 涸沢小屋を出発して3時間、穂高山荘に着いた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908183326.jpg

vcm_s_kf_repr_351x468_20120909093523.jpg



 半時間ほど休んだらリュックを山荘に置き、空身で奥穂山頂をピストンする。女房、私の順で岩場に取り付き、梯子を登る。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908182916.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908182944.jpg


 目もくらむような約50mの登りだったが、無事稜線に出た。顔中が髭の男性は「槍より怖い」と言っていたが、そうでもなかった。安全に登れたのだから、山男さんの忠告に感謝である。

 稜線に出ると、こんな岩屑の安全な道だ。その背後に涸沢岳(3110m)。頂上への登山道が伸びている。右は北穂高岳(3106m)。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908184314.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909092417.jpg



 ピラミッドのような常念岳(2857m)が圧倒的な姿を見せている。北アルプスのシンボリックな山の一つだろう。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909083522.jpg


 岩屑の道を、ゆっくり、ゆっくり、北アルプスの山岳風景を存分に楽しみながら歩いた。すでに登った山を見つけるとうれしくなる。

 この日は残念ながら槍ケ岳(3180m)方面に雲がかかっていた。しかし、ほんのわずかな時間だが、雲の隙間からその槍が姿を見せた。登山者の間から「おーっ、見えたぞ!」という声が上がる。

 われら夫婦があの頂点に立ったのはひと月前のことだ。あの時の喜びと感動が蘇る。「やはり、でっかいなぁー」。これが率直な印象だ。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909090019.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909090051.jpg


 下の写真は、槍ケ岳の隣の大喰岳から7月31日に撮影した穂高連峰だ。その一番高いピークが奥穂高岳(中央)。もうすぐ、あの頂上に到着する・・・。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120909090907.jpg

                                              (続く)






  

奥穂高岳の天空へ・・・㊤

vcm_s_kf_repr_468x351_20120907210544.jpg
        ↑ 奥穂山頂(涸沢岳から)

 北アルプスの奥穂高岳は、体力、気力、脚力が多少なりとも残っている今の間に登っておきたい山である。槍ケ岳や笠ケ岳、黒部五郎岳、常念岳のように秀峰という訳ではないが、何たって3190mの北アルプス最高峰、日本で3番目に高い山なのだ。穂高連峰の主峰で、作家深田久弥が選んだ日本百名山でもある。

 私たち夫婦は、9月の第2週ごろに登山する計画を立てていた。その1週間ほど前の9月2日月曜日、たまたま民放の昼の番組を見ていたら、ベテランらしい気象予報士が最近の天気を解説していた。日本海の低気圧と太平洋の高気圧が複雑な動きを見せているため天気が不安定で、第2週は雨の可能性が高いと言う。

 それなら、晴れマークが付いているここ数日が勝負だろう。登山の決断は早かった。「1時間半後に出発しよう。準備できるか?」。女房は「えーっ」と絶句している。あたふたとリュックに雨具、ダウン、下着などを詰め込み、登山靴を車のトランクに放り込んで予定通りの時間に出発した。

 直前に宿を予約した奥飛騨の平湯温泉には深夜到着した。そして翌日の火曜日午前7時20分、上高地から涸沢経由で奥穂を目指して歩き出した。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908114257.jpg



 朝からあいにくの曇り空。梓川の上流はガスに包まれていた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120907185833.jpg


 多少遠回りになるが、われらは河童橋を渡り、川の左側の道を歩いた。池や小川があり、ロケーションがいい。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120907185913.jpg


 1時間ほど歩いて明神に到着。天気が良ければ明神岳を仰げるが、雲の中。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120907191219.jpg


 明神のベンチに座って休憩していたら、狸のようなヘンな動物が現れた。お見送り?

vcm_s_kf_repr_468x351_20120907191256.jpg


 3時間ほど歩き、北アルプスの十字路・横尾に到着した。この橋を渡れば涸沢カールへ一本道だ。右へ行けば槍ケ岳。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120907192033.jpg


 左手に絶壁の屏風岩。圧倒的な存在感だ。左へ迂回して進めば涸沢に至る。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908074147.jpg


 やがて本谷橋に到着。吊り橋は大きく揺れて、女性の黄色い声が飛び交う。ここでは多くの登山者が休憩する。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908111955.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908080310.jpg


 岩がゴロゴロする道をひたすら登る。標高が高くなり、ダケカンバやナナカマドが多くなった。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908081659.jpg

vcm_s_kf_repr_351x468_20120908113334.jpg


 色づいたナナカマドの葉は珍しい。今年は残暑が厳しく、紅葉も始まっていない。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908113247.jpg


 おっ、涸沢カールの一角が見えてきた。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908081735.jpg


 歩き始めて7時間余り、やっと今夜泊まる涸沢小屋に到着した。涸沢にはもう一軒の涸沢ヒュッテがあるが、何となく涸沢小屋で泊まることにした。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908082332.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908102443.jpg


 何はともあれ、無事の到着を祝って生ビールでカンパーイ!。標高2350mの山小屋は寒く、ダウンをはおる。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908092233.jpg


 氷河が削った涸沢カール。日本有数のスケールだ。その全容に鳥肌が立つほどの感動を覚える。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908092309.jpg


 涸沢ヒュッテ前のテント場は閑散としている。9月に入ると登山者が少なくなるが、ナナカマドが紅葉する月末ごろからは再びにぎわうだろう。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908093858.jpg


 展望抜群の涸沢小屋からは、前穂高岳(3090m)の峻険な峰々が望める。前穂の右側から弓なりの吊り尾根が奥穂へと続く。(涸沢小屋のヘリポートから)

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908095533.jpg


 前穂をズームアップ

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908095737.jpg


 夕食はチキンや春巻きなど。信州の地酒「岩波」を熱燗で。さっぱりしていい酒だった。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908100600.jpg


 夕食を終えて外に出ると、稜線の上空は夕日に赤く染まっていた。明日は天気が良さそうだ。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908101217.jpg

vcm_s_kf_repr_468x351_20120908101248.jpg

                                               (続く)

シソの葉ジュースを作る

vcm_s_kf_repr_468x351_20120902114910.jpg

 女房が耕す畑ではピーマン、シシトウ、モロッコ豆など多彩な野菜が育ち、毎日の食卓をにぎやかにしてくれている。残念だったのは、糠漬けに欠かせないキュウリが不作だったことだ。女房も首をひねっている。

 オクラの花を初めて目にしたが、その派手さに驚いた。ネットで調べたら、原産地はアフリカと書いてあった。確かに熱帯の雰囲気がある。エジプトでは2000年ほど前に栽培されていたらしく、最も古い野菜の一つだそうだ。

 女房は知り合いからオクラの種をもらい、初めて栽培した。それまでは、ネバネバしていて余り好きではなかったが、新鮮なオクラを軽く茹でてそのまま食べてみて、たちまち好きになった。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120902115003.jpg

 ゴーヤには黄色い花がたくさん咲き、大きな実を付け始めている。ゴーヤはわが家の健康野菜で、毎朝ジュースにして飲んでいる。苦くて好きではないが、まぁ、健康のためなら・・・。

vcm_s_kf_repr_351x468_20120902115106.jpg

 傑作なのは、意外な場所からカボチャが育ったことだ。知人からもらったカボチャの苗にはいくつも花が咲いたが、一つも結実しなかった。ところが、植えた覚えもない場所から蔓が出て、立派なカボチャが二つも育っている。多分、堆肥の中に混じっていた種が発芽したのだろう。ちゃんとした苗より、こちらの方が強かったのだろうか。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120902115155.jpg

 畑には、たくさんシソが繁っている。梅干を作るために植えているのだが、ほおって置いたらいくらでも増える。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120902115236.jpg

 女房はこのシソに大きな関心を寄せている。実は、登山家の田部井淳子さんに影響を受けているのだ。田部井さんは山へ行く時、シソの葉で包んだ干し柿を携行しており、これを同行の人に食べさせてもいる。

 田部井さんが珍重するシソに何か不思議な力があるのだろうか。女性で初めてエベレストの登頂に成功し、女性で初めて7大陸最高峰も制した。そして73歳の今なお現役の登山家として活躍している。山好きのわれら夫婦は、田部井さんの元気にあやかりたいという思いもある。

 女房は、シソの葉を煮出して砂糖と酢を加えたジュースを作り、たくさん冷蔵庫で保存している。さらに、塩漬けしたシソの葉で羊羹を包み、登山に持って行くための試作品をこしらえた。どちらも、シソの爽やかな味わいがあり、なかなかのものである。

vcm_s_kf_repr_468x351_20120902115318.jpg

カレンダー

08 | 2012/09 | 10
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

月別アーカイブ

ブログ内検索

全記事表示リンク

訪問者数

ランキング参加中!

PR

PR

PR