薪割りにも美がある・・・幸田露伴

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 10月29日、近畿地方に木枯らし1号が吹き、一気に寒くなった。朝の外気は5度を下回る日もある。わが家は、標高800メートル余りの山に建っているので、平地との温度差は5度ほど低い。薪ストーブに火を入れておかないと、かなり寒く感じるのだ。

 その薪ストーブだが、薪があれば燃えるという訳でない。木の枝や木片で作った焚き付けに火を着け、その炎で薪を燃やすのだ。うまくやらないと、なかなか燃えてくれない。ちょっとしたコツと経験が必要である。

 なくてはならないのが焚き付けなのだ。かまどや風呂を薪で焚いていた時代でも、そのかたわらに焚き付けの束が置いてあった。私は杉の丸太を長さ20センチくらいに切り、これを斧で大雑把に割り、鉈(なた)で細かく割って焚き付けを作っている。

 焚き付けは毎日使うものだから、大量にこしらえなければならない。この時期になると、暇があれば鉈を振るうのだが、これがなかなか楽しいものなのだ。

 スパッと割れれば気持ちが良い。しかし、力を入れ過ぎると、二つに割れた木片が遠くに飛んでしまい、拾い集めるのが面倒である。要するに力加減が重要で、割れる寸前に力を抜く技も必要だ。厄介なのは木に小さな節がある場合だ。頑迷と言うべきか、ちょっとやそっとで割れない。

 小さい頃、私の家では薪で風呂を沸かしていた。父親の薪割りを手伝っていたから、コツは体が覚えている。何年か前、薪割りをしていると、通りかかった地元の人が「上手やなあ」と褒めてくれたことがある。

 彼は私が都会育ちだと思っていたらしく、一刀両断で丸太を割るのが意外だったらしい。山村の生まれだったことを明かすと、うれしそうに頬を緩めた。

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 文豪・幸田露伴の一人娘で、随筆家、小説家の幸田文(あや)のエッセイに「なた」(鉈)という一文がある。彼女は少女時代に母親と死に別れ、露伴から口やかましく料理から掃除まで様々なことを叩き込まれた。「なた」は、薪割りについて露伴から教えられたことを回想しているのだ。

 実は、幸田文の本など一冊も読んだことがない。明治大学教授斎藤孝の著作「理想の国語教科書」に「なた」が掲載されていて知ったのだ。斉藤さんは、声に出して本を読む国語教育でよく知られる。この本には、選りすぐりの散文が数多く収録されており、なるほど、口に出して読むと日本語の美しい響きを体感できる。

 露伴は文が風呂の焚き付けを作る作業を見ていて、「力の出し惜しみをするな」と叱りつけ、「薪割りをしていても女は美でなくてはいけない。目に爽やかでなくてはならない」と難しいことを言い、彼女を辟易させるのだ。

 さらに、「えいと(鉈を)切りおろすのだ。一気に二ツにしなくてはいけない。二度こつんとやる気じゃだめだ。からだごとかかれ。横隔膜をさげてやれ。手の先は柔らかく楽にしとけ。腰はくだけるな。節のありどころをよく見ろ」・・・。

 露伴は、娘に体ごとぶつかるようにして様々な事柄を伝えた。その父と娘の対決には、鬼気迫るものがある。文が薪割りを通して父から教わったのは、生き方の美学であろう。「父の教えたものは技ではなく、これ渾身ということであった」と書いているのだ。

 渾身・・・。それは、何事においても力の出し惜しみをするなということだ。渾身の力を込めた行動には美があるとも説く。美しい日本の文化は、気合を込めた身体の文化として伝承されてきたのだ。露伴は、腰を浮かせて薪を割る娘を後ろから蹴飛ばしたという。恐ろしい父親である。

 私は時々、女房に薪割りをやらせてみるが、一向に上達しない。女だから仕方ないと思っていたが、この「なた」を読んで、文の真剣さに打たれた。今度女房が腰を浮かせて鉈を使っていたら、蹴飛ばしてやろう・・・。

 
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水潮に苦戦したが・・・アオリイカ釣り

 私は、雷が結構好きな変人である。自然の不思議な現象に興味があり、興奮したりする訳ではない。雷好きだけあって、雷が鳴り出すとテレビやパソコンのコンセントを引っこ抜くなど安全対策は一応万全である。その上でじっくり、天を切り裂く稲妻を観察するのだ。

 それにしても、先日の雷は凄かった。わが「観察人生」五本の指に入る壮絶さだった。午前7時半ごろ、窓際に立って観察していると、目の前で太い火柱が落ちた。その瞬間、網膜がハレーションを起こし、何も見えなくなった。ほぼ同時に「ドドーン」の大音響。家が揺れ、窓ガラスが割れんばかりに振動した。

 ロフトで寝ていた女房は「ギャー、何よ」と叫びながら、階下へ下りてきた。それから2発、同じような雷が落ちた。わが家は標高800mにあるので、稲妻が目の前から下へ走る様子がよく分かるので迫力満点なのだ。ここ生石山の中腹では、電気が消え、テレビが壊れたという話も聞いた。お気の毒に・・・。

 回りくどい書き方だが、今回はアオリイカ釣りがテーマである。この雷の日を挟んで3日間、和歌山地方には激しい雨が降り続いたのだが、この雨で海水の塩分濃度がかなり薄まったはずである。イカは「水潮」になると活性が落ちるので日を置いて釣行すべきだが、我慢できなかった。

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 雷の3日後、由良湾にボートを出した。生きたアジでイカを誘うヤエンという釣り方だ。朝一番の好ジアイなのに、まったく当たりがなかった。2時間が経った頃、出会いがしらのように1匹釣れた。しかし後が続かず、別のポイントに移動した。しばらくするとそこそこ大きいイカが掛かった。ここもそれっきり当たりがなく、三度の場所移動だ。

 次のポイントは漁港に近く、海底は岩の漁礁になっている。ここでも当たりがない上、腹も減ってきた。帰港しようと、アンカーロープを引いたところビクともしない。エンジンを吹かせて引っ張っても駄目だ。アンカーに直結しているチェーンが岩の間に食い込んだのだろう。万策尽き、ロープを切断するしかなくなった。

 すると、こちらに漁船が向かって来るではないか。懇意にしている漁師が、悪戦苦闘する私の様子を見ていて、助けに来てくれたのだ。強力なエンジンを積む漁船だから、一発でアンカーが外れた。あぁ、助かった・・・。

 この日の釣果は2匹だけ。やはり水潮の影響だろう。ボートを漁港に係留し、翌日、リベンジすることにした。

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 次の日も好天に恵まれ、波も静かだ。しかし最初のポイントは当たりがまったくなく、次のポイントに移動した。そこから300メートルほど湾奥に潜水艦が停泊していた。クレーンの付いた船が横付けされており、どうやら荷物を積んでいるようだ。

 イカの当たりもないので、その様子をぼんやり眺めていた。荷物を積む作業が終わると、次はランチャーのような船が横付けされ、乗組員が整列する中、数人の自衛官が潜水艦に乗り移った。彼らは艦長などのエライさんだろう。

 幹部を乗せると、潜水艦は後方から「プシュー」という音とともに水煙を上げ、動き出した。その間の動作は、巨体の割には俊敏だった。大量の荷物を積んだところを見ると、長い航海なのだろう。ひょっとして、尖閣周辺に潜るのかもしれない。

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 潜水艦を眺めている間にも当たりがない。もう帰ろうかと迷っている時、由良で暮らす古老の話を思い出した。「昔からイカが溜まる浜がある」・・・。そこは小さな小石の浜になっており、何度も通りかかったことがあるが、どう見ても釣れそうにない。古老には悪いが、そこで竿を出すことはなかった。

 しかしこのままでは釣果ゼロである。藁をもすがる思いでそのポイントに移動した。結論はよく釣れたのだ。1時間に5匹の釣果。失敗したが、これ以外に2回当たりがあった。古老の話が本当だったのか。たまたまジアイだったのか・・・。手のひらを返すようだが、古老の知識に敬意を表したいと思った。

 釣りが佳境に入った時、強風で帽子が飛ばされた。気に入っていた帽子なので、追っかて回収することにした。波に翻弄されて苦労したが、どうにか手元に帰ってきた。波も高くなってきたので、ここが引き際だろう。帰港の途中、新しいポイントの発見に思わずニンマリした。誰にも教えないぞ・・・。

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城ガ森山へ、龍神街道を登ったが・・・

 日ごろから気になっていた山がある。和歌山で3番目に高い「城ガ森山」(1269m)である。わが山小屋の裏手に出ればよく見えるので、一度登ってみたいと思っていたのだ。

 紅葉にはまだ早いようだが、天気もいいし行ってみることにした。山と渓谷社の「分県登山ガイド」を参考に計画を立てた。家から車で40分ほど走ると登山口に着く。あたりは「湯川渓谷」と呼ばれ、実に美しい。

 午前8時20分、林道に軽トラを止め、歩き出した。20分ほど歩くと、古びた案内板が木にくくりつけてあった。そこから転げ落ちそうな急斜面を下る。それが登山道かどうかも判然としないほどだ。何とか沢にたどり着いた。ガイドブックによると、この沢を渡らなければならないが、増水していて渡れる場所がない。

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 流木をかき分けて進み、50mほど遡ってやっと渡ることが出来た。いきなりヒノキ林の急斜面に取り付くのだが、すでにエネルギーを使い切ってしまったような感じだ。1時間10分ほどで968mの山に至るとガイドブックに書かれている。山の名前は分からない。城ガ森山はそこからさらに2時間以上歩かなければならない。

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 登山道は荒れていて、標識もない。不安にかられながら登り続けた。2時間ほど歩いたが、そのピークらしきものはなかった。依然としてヒノキ林の急な斜面が延々と続いている。道を間違えたのだろうか。

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 ピークを過ぎた地点から登山道は龍神街道との名前がついている。ピークを見落としていたとすると、われらはすでに龍神街道を登っていることになるが、道は街道と呼べる立派なものではない。ガイドブックによると、その昔、紀州藩主がこの道を通って龍神温泉に向かったらしい。しかし今はその面影はなく、荒れ果てている。

 歩き始めて3時間を過ぎているが、相変わらずヒノキ林で、まったく見通しのきかない暗い道だ。すると、いきなり尾根のような場所に出た。登山道らしき踏み跡が三方向にあるが、標識がないのでどの道を行けばいいか分からない。三方向を歩いてみたが、暗い道が延々と続いていているだけだった。

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 女房は「何よこの山は」とぶつぶつ言っている。登る途中、われらが暮らす生石高原がチラリと見えただけで、あとはヒノキ林の中を歩き続けてきたのだ。少しでも景色が見られれば励みにもなったが、われらの忍耐もこれまでだ。三つの道のいずれかを辿れば城ガ森山に到達できるはずだが、それは危険でもあり、帰ることにした。

    ↓ 途中、われらが暮らす生石高原がチラッと見えただけ。
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 ある登山者のブログに次のようなことが書かれていた。「山に甲乙は無い、すべて名山。どんな山でも登れば楽しい、楽しくなければ登山じゃない 山は楽しい。これが私の登山スタイルだ」。立派なご意見である。でもお言葉を返すようですが、ぜーんぜん、楽しくなかった。やはりわれらは、未熟者なのだ・・・。

 結局6時間余り歩き続けただけだった。おにぎりとカップ麺を食べ、コーヒーを飲むためだけに来たようなものだ。口数少なく、黙々と下山した。

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 お口直しというのもヘンだが、下山後、渓谷美を楽しむため車を川の上流に走らせた。5キロほど行くと、素晴らしい滝に出会えた。帰りがけ、近くの清水温泉で汗を流した。

 時には、こんな登山もある。徒労だなんて思わないことにしよう・・・。

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生石高原は秋の盛り・・・

 先日は、生石高原の登山口の近くにある農家へもみ殻をもらいに行った。この家では、誰でも持ち帰れるよう、道路脇に積み上げてくれている。袋に詰め込んだもみ殻は、軽トラ一杯分にもなった。

 もちろん、もみ殻で薫炭を作るのだ。これは畑の土作りのために欠かせない優れものである。排水性や通気性が良くなり、作物の成長を促す。微生物が増えるので連作障害の緩和にも役立つと言われる。

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 盛り上げたもみ殻の真ん中に、火の着いた小さな炭を置いておくと、もみ殻は少しずつ炭化して行く。朝に薫炭
を始めると夜には出来上がる。この作業には1週間ほどかかる。

 薫炭の青い煙は、わが山小屋を包み込む。臭いは割りと強烈で、鼻にツンと来る。この季節、田んぼや畑の一角から立ち上る燻炭作りの煙を見ると、私が少年時代に見た秋の原風景と重なるのだ。

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 秋は、まさに本番である。山桜など木々の葉が色づき始め、秋の虫たちもにぎやかに鳴いている。

 山小屋裏の杉林で栽培しているナメコも次々と出てきている。市販されているものよりうんと大きい。友人や山暮らしの仲間にお裾分けしているが、それでも食べきれないので、小分けにして冷凍保存している。

 毎日ナメコを食べているが、飽きることはない。鍋や味噌汁に入れれば最高だ。大根おろしにポン酢で食べてもおいしい。濃厚な味ではないが、プリプリした食感とヌメリが何とも言えない。

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 ヒラタケも少し出てきた。灰色の房状の芽は日ごとに大きくなる。ツルンとした肌のヒラタケはいかにも美味しそうである。古来からヒラタケはグルメとして有名で、今昔物語にも命がけで採取する場面が描かれている。

 炊き込みご飯にすれば美味しいし、シチューやグラタン、天麩羅にもよく合う。ただ、例年に比べて発生が遅いように思う。しかも、数が少ないのが心配だ。いつものように、たくさん採れればいいのだが・・・。

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 このところ朝晩は冷え込み、朝起きると薪ストーブに火を入れるのが日課である。居候している娘の愛犬「ピー助」(シーズの雄)は寒がりで、ストーブの前から離れようとしない。ここ生石高原に晩秋が迫っている・・・。

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登山の後に襲われた虚脱感・・・

 先日、このブログでアオリイカ釣りについて書いた。私は毎年10月の声を聞くと、イカ釣りに行きたくてウズウズするのだが、「今年は今一つ意欲が湧いてこない」という内容である。

 すると、これについて一通のコメントが寄せられた。発信者は、鳥取県のある町で森林セラピーのボランティアをしている団塊世代の男性だ。彼とはこの9月初旬、穂高連峰の涸沢岳(3110m)の頂上で出会った。私たち夫婦が頂上に着くと、彼が岩の上に寝転がっており、私たちもその横に座ったのが縁で話が弾んだ。

 彼からのコメントによると、釣りへの意欲が湧かないのは「穂高登山の後遺症だ」と断じている。ご自身も登山から帰ると何もする気が起きなくなり、「心にポッカリと穴が空いたようだ」と言うのだ。

 あっ、そうなんだ。彼も同じだったのかぁ・・・。

 この夏は、8月初旬に槍ケ岳(3180m)の頂上に立ち、9月には北アルプスの最高峰・奥穂高岳(3190m)と隣の涸沢岳に登った。この夏山の遠征を終えると、確かに虚脱感のようなものに襲われた。

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   ↑ 大喰岳から槍ケ岳を望む

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   ↑ 涸沢岳から奥穂高岳を望む

 釣りだけではなく、ちょっとした家の仕事もやる気がせず、一日中ボーッとしていたり、うたた寝ばかりしていた。好きな本も読む気がしなかった。これらを老化現象の現れと思っていた。うつ病さえ疑ってかかった。

 コメントを寄せてくれた彼が言うように、登山の後遺症だったのかもしれない。われら夫婦にとって、槍も奥穂も憧れの山に過ぎなかった。遠くから眺めるばかりのこの山に登ってしまったのだから、その達成感はかつてなく大きなものだった。やがて達成感は虚脱感へと変質し、心にポッカリ穴が空いたような気持ちになった。

 私は40歳くらいから女房を誘い、山歩きを始めた。家の近くの山や、比良、鈴鹿、大峰の山など日帰りが出来る山ばかりを登っていた。私の職業柄、連絡がつきにくい泊りがけの登山は出来なかったのだ。

 第二の人生を歩むようになり、自由の身になった。そこで、昔から見上げてばかりいた北アルプスの高嶺を歩きたいと思い、立山、薬師岳、黒部五郎岳、鷲羽岳などに登った。そんな時、はるか向こうに威容を見せ続けていたのが槍ケ岳であり、穂高連峰の山々だった。

 岩をよじ登るような槍も奥穂も、高所恐怖症のわれら夫婦にとって遠い存在だった。ところが女房が「登ってみようよ」と言い出し、この夏、槍と奥穂の岩峰に相次いで挑んだのだ。この頂上に立てたことに比べると、その他のことは小さく、つまらないことのように思えた。これが虚脱感なのだろう。

 幸い今では虚脱感から脱出し、体の中から湧き出る力を感じている・・・。

重い腰を上げ、アオリイカ16匹・・・由良湾

 秋10月、アオリイカ釣りの本格シーズンである。例年この季節、早く釣りに行きたくて、気もそぞろになる。ネットで天気予報をチェックし、波の静かな好天とあれば、軽トラにボートを積んで暗いうちから海へ走るのだ。

 しかし、今年は違う。釣りに行くのが少し億劫なのだ。体は元気なのに、どうしても一歩を踏み出せない。老化現象が進んでいるのだろうか。うつ病かもしれないと、疑ったりもする。

 アオリイカの釣り場を見て回ればその気になるかもしれないと、紀伊水道の沿岸をドライブした。途中、アジが釣れている漁港があった。アジを生かせておけばアオリイカの餌になる。釣り上げられる元気なアジを見ていたら、少しイカ釣りの意欲が湧いてきた。

 急いで家に帰り、アジ釣りの道具とアミエビを持って漁港に引き返した。もう時間も遅く、急いで釣らなければならない。何とか18匹釣れ、生簀に入れて港に吊るした。翌日これを回収してイカ釣りに行くことにした。

 朝6時、由良湾の漁港に着いた。少し明るくなってきたので、ボートを出した。沖に向かっていると、潜水艦が前を行く。先日、艦内で自衛官1人が死亡する事故があり、潜水艦は由良湾に停泊しているという報道があった。湾を出て行くこの潜水艦がそうなのだろうか。死んだのは若い隊員だった。

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 釣りの開始だ。生きたアジの尻尾に針を打ち、20mほど前方に投げた。「さぁ、釣れてくれ」・・・。釣りが億劫になっていたのに、今は胸が高鳴り、やる気満々なのだ。しばらくすると、フリーにしているリールから糸が出て行く。アジにアオリイカが食いついて逃げているのだ。息詰まるようなやり取りの末、無事タモに収まった。

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 釣れたアオリイカは500グラムほど。この時期にしてはまずまずの大きさである。2時間ほどで計4匹釣れたが、型は次第に小さくなった。そしてパタリと当たりが遠のいた。天気もいいし波も静かなので、クルージング気分で遠くのポイントを次々回った。しかし1匹も釣れなかった。

 また元のポイントにUターンし、アンカーを下ろした。すると、いきなり当たりがあり、続けさまに3匹釣れた。餌のアジが底をついたので、11時半ごろ帰港した。小型だが、釣果は7匹。開幕戦としては上々である。かつてのように、俄然やる気が出てきて、翌日も釣ることにした。

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 さて翌朝--。目覚めると屋根を叩く雨音である。普通ならやる気が失せる状況だが、不思議なことに「行くぞ!」と前向きだ。激しく降る雨の中、軽トラを走らせた。途中の漁港でアジを15匹買った。

 由良湾の漁港に着くと、幸い雨が止んだ。前日と同じポイントに向かうと、雲の切れ目から青空がのぞいていた。これなら午後も釣りが出来そうで、もっとたくさんアジを買っておくべきだったと後悔した。

 一投目はいつもワクワクするが、そんな暇もなくすぐに当たりが出た。この釣りは「ヤエン釣法」と呼ばれ、和歌山では古くから行われている。アオリイカがアジに抱くつき、少しずつ食べ始める。2、3分待つとイカは夢中になり、少し引かれてもアジを離さなくなる。

 しかしテンションがかかると、高圧の海水を噴射しながら逃げる。寄せては逃げるの繰り返しで、この一進一退がこの釣りの魅力なのだ。イカが近寄ればヤエンという掛け針を道糸に装着して海中に下ろして行く。

 竿を操作しながらヤエンを送り込み、イカを引っ掛ける。ここが腕の見せ所で、上手と下手では釣果に大きな差が出るのだ。ベテランになれば当たりの数に対して8割くらい取り込める。

 それにしても、この日はよく釣れた。6時半ごろから釣り始め、9時には餌のアジを使い切ってしまった。釣果は9匹。餌があればもっと釣れたと思う。後ろ髪を引かれる思いで漁港に帰った。

 よく釣れたのもうれしいが、それよりも釣りに一歩踏み出せたことがうれしかった。荷車を引く時、最初は重いが動き出せば軽くなる。これと同じで、これからは天気が良ければためらうことなく釣りに出かけるだろう・・・。

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連休の生石高原は人、人、人・・・

 ここ生石高原は、3連休とあって大変なにぎわいだ。第1、第2駐車場に車が入り切らず、道路にも長い列を作っていた。ススキの草原で、秋を満喫しようという人たちである。

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 この季節、人が多いのは例年のことだが、今年は特に多いように思う。多分、テレビや新聞で何回も紹介されたからだろう。ネットを含めたメディアの影響は恐るべきだ。

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 話は変わるが、われらが暮らす生石高原から半時間ほどの山あいに、土曜日しか営業していないパン屋がある。きのう女房はその店に、ネットで評判のクリームパンを買いに出かけた。

 1時間ほどして女房が帰ってきた。「馬鹿みたい」と憤慨している。開店の半時間ほど前なのに、京阪神ナンバーの車が30台くらいが列をなしており、しかもクリームパンは一人2個しか買えないという。馬鹿らしくなって、何も買わずに帰ってきたのだ。

 多分美味しいのだろうが、しかし、山の悪路を走り、何時間もかけて食べに来るほどの価値があるのだろうかと、つい思ってしまう。別にケチを付ける訳ではないが、これもネットの恐るべき効果なのだろう。

 余談はともかく、生石高原に多くの人たちが訪れてくれることは、ここの住人としてもうれしい。「ようこそ」と声をかけたくなる・・・。

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ナメコが出てきた・・・

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 わが山小屋の裏手にある杉林では、シイタケ、ナメコ、ヒラタケ、クリタケの4種類のキノコを栽培している。杉林は風通しが良く、適度な湿気もあるのでキノコ栽培には良好な環境と言われる。

 ここにはキノコ菌を打ち込んだホダ木が250本ほどある。先日の台風17号の強風で杉林の葉や枝が吹き飛ばされて散乱し、ホダ木を覆ってしまった。

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 昨日はこの葉や枝を取り除く作業をした。すると、ナメコのホダ木からオレンジ色の「芽」が出ていた。キノコが本格的に収穫できるのは10月中旬からで、ひと足早く発生し始めたので、うれしくなった。

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 キノコの栽培は私の仕事である。秋には、ホダ木となるコナラや山桜などの原木を伐採、しばらく乾燥させる。翌年の2月か3月ごろ、キノコ菌を打ち込む。直径10センチくらいのホダ木なら、3年くらいはキノコが発生し続ける。安定的に収穫できるよう、毎年ホダ木を作ることにしている。

 梅雨明けの頃に、ホダ木を立てかけたり、地面に伏せたりする作業をする。日照りが続けば遮光ネットをかぶせ、時々水を撒く。手間をかければ、それだけのことはある。キノコの収穫は、童心にかえったようなワクワクした気分になり、実に楽しいものだ。

 一方の女房は、畑の管理者である。土いじりが大好きで、時間を忘れて作業に没頭している。色んな野菜を栽培し、季節の野菜を食卓に載せてくれるので、有難い。

 ただ私は、農作業が苦手である。土を耕し、草を抜き、水をやる。辛気くさいし、どうも性に合わないのだ。私が嫌な顔をするので、女房は手伝って欲しいとは言わない。その代わり、私も女房にキノコ作りを手伝ってほしいとは言えない。

 わが家に縄文人と弥生人が同居していると思えば、面白い。木の実を拾い、魚を釣り、キノコを採取し、自然薯を掘ったりする私は縄文タイプ。これに対し女房は、農耕の弥生人みたいだ。

 良く言えば、持ちつ持たれつ。悪く言えば、夫婦バラバラ。それはともかく、野菜たっぷりのキノコ汁は夫婦合作のたまもの。温かくて、うまいなぁ~・・・。

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山小屋が揺れた台風17号。

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 台風17号の足は速かった。正午のテレビニュースで台風の位置を確かめると、中心はまだ九州沖の太平洋上にあった。しかし、1時間もするとみるみる風が強まり、横殴りの雨が山小屋の屋根を激しく叩いた。

 2時ごろ再びテレビを見ると、中心は紀伊半島に接近している。台風といえば南風という固定観念があるのだが、今回は北風である。台風の風は時計の逆回りで吹くという理屈は分かっていても、やはり北風は変な感じだ。

 女房は「雨が漏れてきた」と言い、雑巾を持って走り回っている。雨は真横から吹き付けているので、窓ガラスのサッシの隙間から雨が入り、屋内にポタポタと落ちてくる。ポリ容器で雨を受けたが、すぐ一杯になった。築19年の山小屋だが、こんな事は初めてだ。

 雨と風の音でテレビの音が聞こえない。仕方ないのでロフトで本を読んでいると、時折山小屋が揺れるのだ。倒れはしないだろうが、屋根だけが吹っ飛んでいきそうな強風である。四方が森だから、木が倒れてくる心配もある。おちおちと本を読んでいる場合ではない。

 雨が降っているので気温もぐんと下がり、薪ストーブに火を入れた。あらかじめ薪を屋内に運び入れておいてよかった。娘の愛犬「ピー助」を預かっているのだが、台風の音にも動じず、ストーブの前の特等席で泰然自若・・・。

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 台風の足が速いので、夕方にはピタリと風が止んで一安心だ。その後は東海を経て北上し、多くの被害が出たようだ。当方は大したことはなかったが、被害に遭われた人にお見舞いを申し上げる。

 台風の後は晴れるものだが、こちらは雲の中。周囲を見回ってみると、梯子が倒れ、積んでいた薪が崩れ、畑の野菜がなぎ倒されていた。木の枝が引きちぎられ、路上は葉や枝が散乱していた。

 まあ、これくらいで済んで良かった・・・。

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