隙間風・・・

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      ↑ ここから冷たい隙間風が入って来る

 隙間風--。夫婦の間に吹く冷え冷えとした風のことではない。文字通り、障子や襖の隙間から入り込んでくる隙間風である。冬の季節、錐(きり)で刺すようなその冷たい風は耐え難い。

 30数年前、京都に転勤し、長岡京市に格安の家賃で一軒家を借りた。転居したのは2月下旬だった。家は相当古く、少し傾いていた。そのため、あちこちから隙間風が吹き込んできた。

 まだ結婚して数年だったから貧しく、石油ストーブを1台持っているだけだった。余りにも寒く、女房はすぐに家探しに走り回った。隙間風に追い立てられるように、3か月後にまた転居したのだ。

 「錐で刺すような隙間風」と書いたが、これは決して大袈裟な表現でない。雪国育ちの私にとって、厳寒期の隙間風はそのようなものだった。

 私は築7、80年くらいの古い家で育った。石油ストーブなどなく、炭火で部屋を暖めていた。それでも暖かくならず、掘り炬燵に潜り込んでいた。雪国の隙間風は、脳に刷り込まれた嫌な記憶なのだ。

 「ピシッと閉めるんだ。ピシッと」。父親の口癖だった。私たち子どもは部屋を出入りする度に、そう注意された。「すぐ戻るし、少しくらならいいじゃない」と言っても、「駄目だ。ピシッと閉めよ」と怒られたものである。

 私たち夫婦が暮らしている和歌山・生石高原の山小屋もひどく寒い。ドアや障子を閉め忘れると、昔を思い出させるほどの冷気が入り込んでくるのだ。

 しかし女房は、ドアや障子をピシッと閉めない。いくら注意しても駄目である。開けたのを忘れてしまうのか、幼少期からドアをきちんと閉めるよう躾されなかったのか。

 文句を言うと、「すぐ部屋に戻るんだから」と言う。しかしそういう問題ではない。開けたらピシッと閉める。それは、木造家屋に住み続けてきた日本人の文化なのだ。美しい習慣なのだ。

 「ピシッと閉めよ」--。遠い昔の父親と同じように、私は今日も女房を叱っている。きっと明日も、あさっても、冬の間ずーっと、そうしているだろう・・・。

   ↓ こちらも女房の閉め忘れ
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雨もいい・・・薪割り作業の骨休め・・・

 連休明けの月曜日は、未明からやや強い雨が降っていた。気象庁は1週間前にこの雨を予報していた。何という正確さだろう。ひと昔前までの天気予報は、信用ならないものの代名詞のように思われていたと思う。

 しかし近年、気象衛星や世界各地からの情報は、質、量ともに格段に充実したようだ。さらに、今年から運用されているスーパーコンピュータ「京」によるデータ解析が飛躍的にアップしたことが、予報の精度を上げているのだろう。「京」と言えば世界一の演算速度を誇り、技術立国の象徴でもある。

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 この雨は、私にとって体を休める恵みの雨である。これまで連日、4、5人の仲間とともに雑木林を伐採して薪作りを続けてきた。中腰でチェンソーを使い、玉切りにした重い丸太を運ぶので、腰への負担は大きい。腰を曲げないと歩けないほどだ。肩の付け根も少し痛み、ひょっとして白ろう病?・・・。

 これまでに10数本の大木を伐採した。その大半がクヌギという重くて堅い木で、半日もチェンソーを使い続けると刃が切れなくなるほどである。強力なウインチで引っ張って木を倒すのだが、枝の張り具合によって思わぬ方向に倒れることがある。こうした場合、木を解体し、引き上げるだけで一日がかりということもある。

 玉切りにした丸太は、生石高原に近い広場まで運ぶ。ここには、仲間で共同購入した薪割り機を置いてあり、油圧式の強力なものだ。木に節がある場合は、この機械でも容易に割れず、丸太をチェンソーで二つに切って割らなければならない。

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 伐採、玉切り、薪割りのどれをとっても手間がかかり、市販されている薪が驚くほど高価なのもよく分かる。薪を暖房用に使うのは費用的にも贅沢で、薪ストーブの設置費用を考えると灯油の方がはるかに安上がりかもしれない。

 薪割り機の広場に運んだ丸太は、軽トラ6杯分である。積み上げた山は大きく見えるが、実はこれだけで2か月分の消費量に過ぎない。私たちが暮らす生石山の森は寒く、6か月は薪ストーブを使う。だから、あと4か月分の薪を作らなければならないのだ。

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 今はかろうじて、薪を作る体力が残っている。しかし年を取り、いつまでも続けられる訳ではない。作ることの出来る薪が4か月分、3か月分と減っていけば、残りの期間を灯油に頼るか、しまいには厳冬期、山を下りることになるだろう。

 丸太の山を眺めていると、つい将来に不安を感じる。気持ちも萎えてくる。これが老化現象と言うのだろか。いや、これではいけないのだ。明日からまた頑張ろう・・・。 

女3人、四万十川へ

 3連休初日の早朝、女房は鼻歌を歌いながら車で出て行った。大阪と東京で暮らす娘二人と合流し、ドライブ旅行に行ったのだ。「楽しんでおいで」と送り出してはみたものの、仲間外れにされた私としては少し寂しい。

 女3人だけの旅行は気楽なのだろう。女房や娘にとって、現役で働いていたころの私は、何かにつけて口うるさいと思われていた。指示したり、命令したり。旅行の行く先も勝手に決めたりもした。だから今は、私のいない所でこっそり相談し、女3人だけの旅を楽しんでいるのだ。

 男にとって、会社を退職するということは劇的な変化なのだ。退職の次の日から、大黒柱としての権威も権力も一挙に失った。身をすり減らす競争社会で働き、仕事も愚痴も家庭に持ち込むことはなかったが、勤続40年のその挙句、私の存在感は次第に薄れ、へらへらと卑屈な笑いを浮かべるだけの男になってしまった。

 まぁ愚痴はそれくらいにして、彼女たちの旅行先は四国の四万十川である。行く先を決める時、長女が次女に「どこへ行きたい?」と尋ねると、「四万十川」と即答したというのだ。次女は典型的な体育会系で、自然に対する教養などないはずだが、なぜこの日本の清流に行きたかったのだろう。

 私の想像は、父親としての願望である。私は休みが取れると、家族を引き連れて各地の名だたる清流を巡った。川の近くにテントを張り、川遊びに興じた。私が釣った鮎の手づかみをして遊んだこともあった。川が増水してあわてて撤収したこと、みんなで料理を作ったこと、木の枝が落ちてテントが壊れたこと・・・。

 家族のみんなに、川と過ごした記憶が残っているはずだ。、次女が、旅行先として四万十川を提案したのも、父親に手を引かれて川と遊んだ幼いころの記憶がそうさせたと信じたいのだ。

 しかし次女の答えは、存外そっけないものだろう。「四万十って、一応有名だから。理由なんて、別にぃ」。ま、そんなところだろう。さて、女の一行は今ごろどこを走っているのだろ。瀬戸大橋あたりかもしれない。オヤジ抜きの旅行は、さぞかし楽しかろうよ・・・。
 

500円の人品・・・

 先週金曜日のことである。朝ご飯を食べながらテレビの天気予報を見ていると、この日は久し振りに晴天になると言っている。前日と前々日はアラレが降って震え上がったから、小春日和の予報がうれしい。日差しを浴び、のんびりと釣りを楽しもうと思った。

 急遽、釣りの準備をし、バッグにカップ麺とクッキング用バーナーを放り込んで車を走らせた。玄関を出る時、女房から「また釣りですか。ご苦労様です」という嫌味を言われた。フン、亭主の留守がうれしいくせに・・・。

 アオリイカを狙うので、行きつけの漁港で生きたアジを20匹買った。遠回りだが、紀伊水道沿いの道を走った。海は青く、キラキラと光っていた。軽トラの窓を半分開けると、11月とは思えない爽やかな風が入ってきた。

 由良湾の漁港に着いたのは10時半ごろだった。波止場の先端に年配の男性と若者が竿を出していた。親子だろうか。息子らしい青年は「ハ、ハハハ、ボラしか釣れません」とぼやいていた。

 私の方は、竿を出してすぐに小型のイカが釣れた。ちょうどその直後、60歳くらいの男性が波止場にやって来た。身なりはなかなかお洒落である。竿など道具類も高級品だった。どうやら私と同じアオリイカ釣りのようだ。

 彼は私にこんなことを聞いた。「ここは駐車料金を徴収しに来るのか?」・・・。漁港では、清掃協力金という名目で1台500円の料金を徴収するところがあり、この漁港でも委託されたおばさんが徴収に来る。ゴミを捨てるマナーの悪い釣り人が多く、清掃費として使われているらしい。

 私は、波止場で遊ばせてもらっている場所代だと割り切って、特に抵抗もなく払っている。しかし彼は「そんなもの、払わなくていいんだ。県庁に聞いてみたが、はっきりした返事はなかった」と言った。私は「500円くらい払って上げなさいよ。その方が気持ちよく釣りが出来るじゃないか」と、やんわり話しておいた。

 昼過ぎ、顔馴染みのおばさんが徴収にやって来た。彼は「何で払わんといかんのや」と言い張っている。おばさんは案外あっさりと引いてしまった。私の耳元で「たまにこういう人がいるのよ。面倒なことになったら困るから、それ以上は言わないのよ」と話し、顔をしかめて帰って行った。

 そう言えばこんなこともあった。4年前のことだが、この波止場で時々一緒になる60歳くらいの男性と知り合いになった。いつも彼は車から釣り道具を下ろすと、車をどこかの空き地に駐車するため走り去った。そうすれば駐車料金500円を払わなくてすむからだ。

 この彼も、釣り道具を高級品でそろえていた。「いい竿やねえ」と水を向けると、「うん、7万円もするんや」と自慢していた。駐車場料金が払えないのではなく、払いたくないのだろう。彼の姿は2年ほど前から一度も見なくなったが、どこか無料の波止場で釣りをしているのだろうか。

 この日、赤ちゃんを抱いた若い夫婦が釣りに来ていた。年齢からみて生活が楽という訳ではないだろうが、駐車料金は好きな釣りのコストと割り切って、当然のように駐車料金を払っていた。そして片や、分別もあるはずの高齢の釣り人が500円を渋る。

 このイカ釣りの彼は、1匹も釣れず5時間ほどで帰って行った。「わずか500円くらい」という私の言葉が気に障ったのか、「お先に」とは言わず、無言で立ち去った。嫌らしい言い方だが、私の釣果は5匹だった・・・。

「解散」に安倍さんものけぞった

 昨日、野田総理が党首討論の席上で衆院の解散を明言した。自民党の安倍総裁はその瞬間、ちょっとあわてて「約束ですよね、よろしいんですね」と念を押していた。それほど唐突だった。

 野田さんが「近いうち解散」を約束してから3か月余り。そしてついに、「やりましょうよ」の決断・・・。胸を張り、大見得を切る総理だったが、それまでの長い空白期間を思えば、何と空虚な解散宣言だったのだろうか。

 「近いうち」をめぐり、野田さんは「嘘つき」と非難されていた。政治家にはプライドの高い人が多いから、野田さんもこの「嘘つき」のレッテルは耐え難い言葉だったのだろう。

 そこで、党首討論でわざわざ持ち出したのが「正直の上に馬鹿が付く」の発言だった。彼は小学生の頃のことを回想し、次のように語ったのだ。「私の成績がひどく下がったけれど、父親は怒らなかった。なぜなら、通信簿に野田君は正直の上に馬鹿が付くと書かれていたからです」。

 つまり父親は、息子の成績より「馬鹿正直さ」がうれしかったのだ。野田さんはこんなエピソードを語り、自分は小さな時から嘘をつく人間でないと強調したかったのである。間 寛平さんのギャグ「クサーッ」ではないけれど、クサイ言い回しだ。わざわざ語ったところに、彼の後ろめたい気持ちの表れが読み取れる。

 今つくづく、政権交代は何だったのかと思う。

 確かにボロボロだった自民党より、民主党は新鮮に映ったはずだ。しかも、子ども手当て、高速道路の無料化、農家への補償、高校無料化などうれしいマニフェストが並んだ。バナナの叩き売りのような公約に有権者がこぞって民主党になびき、政権交代へと導いたのだ。

 私はこのブログで、これを「大衆迎合」「ポピュリズム」と書き、「ミンイ(民意)、ミンイ」と鳴く蝉のようだと揶揄したことがある。ただこれほどひどい政権になるとは思わなかった。

 民主党というだけで、見識も経験もない人物がゾロゾロと当選し、国会の赤じゅうたんを肩で風切って歩いた。そして政権交代の高揚感から、何でも思うままになると錯覚した。すぐに前言を翻す稚拙さを見せることもあった。中でも政権の誤った対応で、尖閣問題などで次々と国益を損なった。

 そもそも、財源の裏付けのないマニフェストに無理があった。結果的に、有権者を騙すマニフェストによって政権を取ったことになる。騙された有権者も悪いが、騙した方はもっと悪いだろう。それでは、有権者との信義もへったくれもない。

 近江商人の家訓に「売り手よし、買い手よし、社会によし」という言葉がある。嘘をついて儲けてもそれは長続きせず、いずれは信用を失ってしまう。そして商売は、社会に貢献しなければならないという意味である。それは政治も同じだろう。政治に求められているのは、揺るぎのない信義の精神だと思う。

 豊臣への忠義を貫き、関が原で敗れた石田三成は近江の出身である。徳川方の多くは、三成が地位を利用して財をなしたと思っていた。しかし、居城だった佐和山城には銘木銘石の類はなく、調度品も質素極まるものばかりだったという。

 近江商人の家のたたずまいはつつましく、主の部屋は北向きに作られていたとも言われる。近江商人を見習えという訳ではないが、政治家は自らを律する能力がなければならないと思う。ママから巨額の支援を受けたり、怒鳴ってばかりの総理は、もう懲り懲りだ。次の総選挙では後悔すまい・・・。 

寄り添う波止場の男と女・・・

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 先日から仲間と一緒に薪作りを始めたが、この日は中休みで、由良湾の波止場へアオリイカを釣りに行った。現地に着くと、天気予報とは大違いで猛烈な西風が吹いていた。しかも、西高東低の気圧配置のため、風が冷たい。

 そんな強風の中、高齢の夫婦が釣り道具を持って駐車場から波止場に向かって行った。私は竿を出さず、しばらく風の様子を見守っていた。しかし風は一向に弱まらず、辛抱し切れず釣りを始めた。

 あたりはまだ薄暗く、泳がせている餌のアジの動きが分からない。しばらくすると、竿先がもたれるような当たりがあり、イカをゆっくり、慎重に寄せ始めた。しかし強風で竿があおられ、折角食いついたイカがアジを離してしまった。

 その次も同じような失敗をし、3度目の当たりでやっと1匹目を釣り上げた。その後2匹を追加することが出来、強風の中の釣りではまずまずのスタートだったが、午前8時を過ぎると、パタリと当たりが遠のいた。

 風は弱まるどころか、ますます強くなってきた。海には白波が立ち、通りかかる船が大きく上下していた。ガスバーナーで沸かしたコーヒーを飲むと、少し体が暖かくなった。

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 波止場の中ほどでは、あの高齢の夫婦が頑張っている。男性はカッパのフードで顔をすっぽり覆い、寒さをしのいでいる。撒き餌を詰めたカゴを沖に飛ばしているが、向かい風のため遠くに飛んで行かない。苦戦しているようだ。

 防寒着にマスクをした女性はパイプ椅子に座り、釣りはしていない。ひたすら頭を低く下げ、冷たい風に耐えている。黙って夫に寄り添う妻の姿からは、互いに心を通わせる温かさが感じられた。微笑ましく、羨ましくもある。

 翻って、わが夫婦はどうか・・・。女房はまずもって「日焼けする」と言って釣りについて来ない。よしんば同行しても、こんな悪天候の時は車の中に逃げ込んでしまうだろう。そもそも寄り添って、亭主の釣りを応援しようという殊勝な気持ちがない。

 さて、昼前になって久し振りに当たりがあった。しばらく待ってイカを寄せにかかったが、寄せては走られるの繰り返しである。これがイカ釣りの醍醐味で、実にスリリングだ。ようやくヤエンという掛け針に掛かり、タモですくった。この季節の平均的なサイズだった。

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 もう昼時である。寒いので車の中で弁当を食べた。クーラーの中にはイカが4匹納まっている。そこそこ釣れたのと風が弱まりそうもないので、これ以上釣りを続ける意欲が失せてしまった。帰る前に、寒風の中で奮闘する夫婦の様子を見ておこうと、波止場へ向かった。

 ご主人に「釣れますか?」と声をかけた時、おやっ?と思った。彼はカッパのフードを取っており、素顔が見えた。50歳後半くらいにしか見えない。奥さんと思っていた女性はマスクを外しており、皺の数から見て80歳は超えているだろうと思った。夫婦にしては年齢が離れ過ぎており、二人は母と息子に違いない。

 夫婦と思っていた私は一瞬頭が混乱した。同時に、言いようのない衝撃を受けた。冷たい風にひるむことなく、釣りをする息子に寄り添う老いた母親。そのすさまじいばかりの愛の深さに戦慄したのだ。

 寒々とした波止場に、温かい風景を見た・・・。 

薪作り始める・・・あぁ、先は長い

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 立冬--。ここ生石高原で暮らすPから、「兄ぃ、今日から薪作り始めよう」と電話があった。毎年11月に入ると、薪ストーブを使っているわれら6人の仲間は山の中腹にある雑木林を伐採し、薪作りを始めるのだ。

 リーダーのPから声がかかればいつでも出動できるよう、チェーンソーの刃を研いだり、燃料の混合ガソリンを作ったりして作業に備えているのだが、今年は何故かすっかり忘れていた。その朝、あわてて棒ヤスリで刃を研ぎ、燃料を作って現場に駆けつけたが、半時間の遅刻だった。

 伐採には5人が参加した。雑木林の木株に塩を盛り、清酒をかけて作業の安全を祈願した。風にあおられるなどして木が思わぬ方向に倒れるなど、伐採作業は危険である。このような神事はおろそかに出来ないのだ。

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 私が最初の木を伐採することになった。伐採する木のなるべく高い位置にワイヤーを掛け、強力ウインチに繋ぐ。木を倒したい方向にクサビ型の切り込みを入れ、その反対側からチェーンソーで切って行く。

 ある程度切れば、後は木に掛けたワイヤーをウインチで巻き取り、引っ張って倒すのだ。チェーンソーを止め、ワイヤーを巻き取りるよう合図を送った。すると、少しワイヤーを巻いただけで、木がいきなり倒れてしまった。幸い全員が逃げ、事なきを得た。どうやら木を切り過ぎていたようだ。

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 続いて倒した木を薪の長さに切る作業で、何台ものチェーンソーが一斉にうなりを上げるからやかましい。中腰での作業だから、10分も続ければ腰が痛くて仕方ない。仲間は全員同じような年齢だから、休憩ばかりである。

 伐採している木はクヌギであり、比重がとても重い。だから火持ちが良く、最高の薪と言える。直径25センチほどの丸太なら4分割すればいいのだが、この木の場合は6分割くらいにしないと1本、1本が重く、ストーブに入れるに難儀するのだ。

 玉切りにした丸太の長さも短めにしないと、重くて軽トラに積み込むのに苦労する。これまでは30センチくらいの長さに切っていたが、今年からは25センチくらいにしようと意見がまとまった。みんな老いを自覚し、1本の薪をもっと軽くしようという思っていたのだ。

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 1日の作業で、一人が半月分の薪を作るのが精一杯である。1年のうちに薪ストーブを焚くのは7か月くらいだから、これからそれだけの薪を作らなければならない。作業は12月中旬までかかりそうだが、雨の日も、雪が舞う日もあるだろう。薪作りは楽じゃない・・・。

 

波止場の猫

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 私が小学校の低学年のころ、家の庭先で猫の襲撃を受けたことがある。狂ったように半ズボンだった私の足にまとわりつき、引っ掻いたのだ。足のあちこちに血が滲んだように記憶している。

 それがきっかけで、私は猫が嫌いになった。子供心に殺意を抱いたこともあり、猫と出会うと石を投げたりもした。大人になってからは世間の目もあるので虐待を慎んでいるが、しかしそれでも子供の頃の記憶をひきずっており、敵意がくすぶっている。

 人間を鋭く観察する猫の不気味さは、夏目漱石の「吾輩は猫である」を読むまでもない。猫には人の心を読む独特の能力があるのだ。猫に笑顔を見せて優しそうに接しても、私の抱く敵意や悪意を見透かし、「ギャオー」と鳴いて威嚇するのだ。本当に可愛くない。

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 紀伊半島の小さな漁港に、アオリイカ釣りによく行く。生きたアジを泳がせ、これに食いつかせて引っ掛けるヤエンという釣り方である。この釣りをする人には、漁港を根城にする野良猫が次々と集まって来る。

 アジを長く泳がせていると弱ってしまい、使えなくなったアジを捨てるのだが、猫たちはこのアジを狙って集まるのだ。イカに頭をかじられたアジも捨てるので、野良にとっては大変なご馳走にありつける訳である。

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 猫好きの人は「おー、よしよし」なんて優しい言葉をかけてアジを食べさせている。しかし私は断じて猫にアジを与えず、海に捨てることにしている。

 われながら大人気ないと思うが、昔の出来事を根に持っているのだ。もう一つの理由は、猫に甘いところを見せると、不意にアジを奪われることがある。つまり、アジの尻尾に針を打つ時、跳ねて落とすことがあるが、猫はこの機を逃さず食い逃げするのだ。濡れたタオルを振り回し追っ払っているが、敵はひるまないから癪である。

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 こんなこともあった。針に刺したアジを沖に向けて飛ばそうとすると、糸がたるんでアジが地上すれすれになることもある。こんな時、猫はすかさずジャンプしてアジを奪い取るのだ。ケチな話だが、アジ1匹の値段は平均100円、高い店では126円もする。

 以前、猫の頭を叩いてやろうと、死んだアジでおびき寄せた。手を挙げかけたところ、逆に手を引っかかれたこともあった。挙句、アジだけ持って行かれた。可愛いい顔をしているが、油断も隙もない奴らである・・・。

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