LCCで鹿児島に行く

 初めてLCCの飛行機に乗って、われら夫婦と娘の3人で鹿児島を旅行してきた。格安航空と言うだけあって運賃は信じられないほど安い。関空-鹿児島間の往復運賃はたったの7000円である。

 飛行機は、機体が濃いピンク色に塗られたピーチである。機内の飲み物など一切のサービスはないが、十分快適だった。国際線はともかく、こんなに安ければ、国内線はいずれLCCに席巻されるだろうと思った。

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 夕方、鹿児島空港に着いた。レンタカーも旅館もみな娘がネットで予約しておいてくれた。スケジュールはすべて娘が組み、車の運転も彼女である。楽チンな旅行だ。娘はレンタカーのカーナビにこれから3日間の目的地をすべて登録しておき、それに従って車を走らせるのだ。旅行の達人である。

 最初の宿泊地は霧島温泉だ。さすが名湯霧島である。とろりとしたいい湯だった。食事には特産の黒豚が盛られ、美味しかった。私はもちろん薩摩の芋焼酎。「大森林」という銘柄だ。お湯に焼酎を注ぐのが正しいお湯割りの仕方である。これを逆にやると本場の通に笑われるだろう。薩摩で飲む芋には格別の味わいがあった。

 翌朝は、予約しておいた赤松林の中にある露天の家族風呂に行った。先に女房と娘が、次に私が入った。雪がチラついており、ダイヤモンドダストのように輝いていて風情があった。露天風呂は旅館の建物から100mほども離れており、浴衣で歩いているうちに湯冷めしてしまった。

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 朝食を食べてすぐ観光に出発した。温泉のあるあたりは標高800mくらいで、朝は氷点下だった。神話が多く残るこの地を代表する霧島神社には多くの観光客が訪れていた。ちょうど2年前、隣接する宮崎県の新燃岳が爆発し、一帯に火山灰が降り注いだ。神社の近くで、新しい待避壕の完成式が行われていた。

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 霧島から一路南下し、桜島に向かった。この日は風が強く、路上に積もった火山灰が舞い上がっていた。このような土地で暮らしている人たちが気の毒に思えたが、多分それは余計なお節介だろう。途中、大正3年の大噴火で埋まった「埋没鳥居」にも立ち寄った。桜島の山容は、あいにく曇っていて見えなかった。

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 フェリーに乗って鹿児島の中心街へ。女房と娘は私に車の番をさせておいて、地元では有名なかき氷を食べに行ってしまった。この後、島津家の別邸として建てられた名勝・仙厳園に行った。屋敷は、錦江湾と桜島を借景にした美しい庭園を備えていた。

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 併設されている集成園には、島津斉彬が琉球貿易で儲けた資金で工業や兵器の近代化を図った事業の数々が展示してあった。ただ土産物店やレストランがやたら多く、商売っ気がみなぎっていた。質素を旨とする西郷どんが嘆きそうである。

 ここからは、スピード狂のような娘の運転に閉口しながら、一気に指宿へ走った。夜は小料理屋で地元の味を堪能したが、とにかく勘定間違いかと思うほど安かった。もう一軒はしごするため街を歩いたが、さすがここは全国区の観光地、ネオンの輝きにも力があった。さぁ明日は、内容の濃い一日になりそうだ・・・。

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                                       (続く)
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大文字山を越えて・・・

 女房と一緒に、近くのスーパーへ買い物に行った。女房は「いやー、懐かしいわぁ」と言って、商品棚からラーメンの袋を手に取った。京都・銀閣寺の近くにある「ますたに」のラーメンである。近年、有名店のラーメンをパックにした商品がよく売られており、これもその一つだ。

 京都に転勤してすぐの昭和54年の春ごろ、美味しいとの評判を聞いて家族で食べに行ったのが最初だった。ここの先代の親父さんが独自に作り出したこってり味のラーメンは、当時京都では特に有名だった。私の職場が京都だったこともあって、月に1度や2度、足を運んだものである。

 「ますたに」の名前を目にして、無性に食べたくなった。JR大津駅から京都駅に行き、銀閣寺行きのバスに乗れば店まで1時間とかからないが、ただラーメンを食べに行くだけではつまらない。山歩きを兼ね、五山送り火の大文字山を越えて行こうと思った。それなら腹もすくし、美味しくラーメンが食べられるだろう。

 山科駅から毘沙門堂を経て銀閣寺へ抜けるコースは、これまでに二度歩いたことがある。ざっと3時間半の行程だ。午前10時、山科駅を出発した。なだらかな上りの道を歩き、琵琶湖疏水の橋を渡れば毘沙門堂が見えてくる。

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 境内を右に見ながら杉木立の中を谷伝いに歩く。夜のうちにかなりの雨が降ったのか、登山道はぬかるんでいた。京都側から下りて来る人や、山科側から登る人とたまに出くわすくらいで、静かな山歩きである。

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 歩き始めて1時間40分、頂上に着いた。京都市内がほぼ一望でき、見事な眺望だ。この眺望は当たり前のことで、市内のどこからでも大文字の「大」の字が見えるから、この山が送り火のメインに選ばれたのだろう。

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 頂上は20人ほどの登山者でにぎわっていた。70歳を超すような女性が多く、大文字山の常連さんのようだ。よくしゃべり、よく食べ、実に達者なものである。5分ほど山頂にとどまって、下山した。こちら側の道はさらにひどい泥道で、急な下り坂。油断しているとスリップしそうで、カニのように横歩きで下った。

 15分ほどで「大」の火床に下りてきた。火床は結構大きなものだ。毎年8月16日、リフトで運び上げられた薪がこれらの火床に積み上げられ、一斉に火が放たれると夜空に「大」の字が浮かび上がるのだ。ただ、現地に立って火床を繋ぎ合わせてみても、「大」には見えない。それほど大きいということだ。

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 滑りそうになりながら、1時間余りで銀閣寺のすぐ北側に下りてきた。門前の通りは、平日というのに観光客でにぎわっていた。今出川通を少し西に歩くと、その北側に見覚えのある「ますたに」の店が見えてきた。昼時のこの時間、当時はいつも人が並んでいたが、この日はすぐに入店出来た。周辺にたくさんラーメン店ができ、客が分散したのだろうか。

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 さっそくチャーシューを頼んだ。ほどなく出てきたラーメンは昔と変わらない濃厚なスープだ。味は少し薄くなったかなぁという感じだった。ラーメン好きの私は結構いろんな店を食べ歩きしており、それなりに味にうるさい。だから、当時ほどの美味しさは感じなかったが、それでも十分懐かしい味だった。

 大文字山を越えてラーメンを食べに行くなんて、ちょいと酔狂である・・・。

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もし、生まれ変わったら・・・

 先日の昼ご飯の時、女房が笑いながら「ちょっとこれ読んでみてよ」と言って、大判の本を差し出した。この本は、娘が10数年前に小学校を卒業した時の記念アルバムである。

 娘は私が40歳の時の子供で、上の息子とは10歳も離れている。年を取ってからの子供は可愛いと言われるが、その通りである。上の子供たちには何かと口やかましかったが、この末娘は自由にさせていた。娘の我儘な性格は、そのせいだと大いに後悔しているのだが・・・。

 卒業アルバムは、クラスの仲間や運動会、修学旅行、クラブ活動の写真が入ったありふれたものである。卒業文集の他に、「(宝くじで)一億円当たったら」と「もし生まれ変われるなら」の「もし」にクラス全員が答える欄も収められている。

 女房は、知人から娘の同級生の消息を聞かれ、久しぶりにアルバムを引っ張り出して調べていた。そのついでに「もし」の欄を読んでみたらしいが、これが何とも傑作で、爆笑したというのだ。

 私はまず、「1億円が当たったら」の「もし」を読んでみた。「宇宙に行きたい」「北海道に牧場を作って馬と暮らしたい」「家をたてて犬5匹ほど飼う」「フランスの上等なワインをのみまくる」「無人島を買い取る」など、それぞれが大きな夢や小さな夢を語っている。

 こんな書き込みもあった。「5万円ほど使ってあとは貯金する」「将来のため残しておく」「半分は貯金して、残ったお金でほしい物を買う。家族にも何円かあげる」「今よりちょっといい生活をする」

 うちの娘は「1000万円は体の不自由な人に寄付、ローンを返してあとは貯金する」と書いている。娘も薄々わが家のローン苦を知っていたのだろう。

 続いて「もし生まれ変われるなら」のページを開いた。一番多かったのが「鳥になりたい」だった。やはり空を飛びたいのは、古今、人の夢なのだ。「天皇陛下」と書いているのが二人いた。「金持ちの家に生まれ、お嬢さまと言われたい」というのもあった。

 私が特等賞をあげたいと思ったのは「大きな木になってじっとしていたい」である。女の子の作である。どっしりと大地に根を下ろし、その木の高みから変転する社会を見つめていたいという願望なのか。虚無的のようだが、物凄くスケールの大きい夢だと思うが、どうだろう。

 さてわが娘はどう書いたのか・・・。「私はこのままでいい」。たったそれだけである。思わず噴き出し、ずっこけてしまった。みんな子供らしい夢を綴っているに、「このままでいい」とは余りにもそっけない。夢がないというか、やる気がないというか。

 夢はしょせん夢。「そんな事、考えるのは邪魔臭い」という本音かもしれない。しかし、いい方に解釈すれば、「今が幸せ」「満たされている」というシグナルにも読める。本人に確かめる事も考えたが、「忘れた」と言うに決まっている。

 実はこのアルバムを見るのは初めてだった。娘は自分の部屋に仕舞い込んでいて、親に見せたくなかったのかもしれない。アルバムに写っている娘は、どれも小首をかしげている。そんな癖や仕草が可愛かった。

 しかし今はどうだ。年末に東京から帰省した娘は野太い声で、「お父さん、老けたなぁ。ガ、ハハハ」と笑った。あの頃の娘はどこへ行ったのか・・・。

酒どころ伏見の街を歩く

 居酒屋の席に座ると、「とリあえずビール」と言ってビールを注文する。いきなり日本酒や焼酎を口にする人は少ない。お膝元に酒どころ伏見を抱える京都にとって、「とりあえずビール」は少し困った風潮である。

 そこで京都市は「とりあえず清酒で乾杯」する条例を定めたという。伏見の日本酒をもっと飲んでもらいたいという切なる願いである。もちろんこれに反したからといって罰せられたりはしない。

 これを知ったのは、先日のテレビニュースである。年末から和歌山の山小屋を離れ、冬の間だけ大津で暮らしているが、近くの山を歩くか図書館通いが日課であり、少々飽きてきたところである。このニュースを見て、「伏見の酒」もいいなあと思った。思い立ったが吉日である。

 JR大津駅から京都までは10分。近鉄、京阪と乗り継ぎ、伏見桃山駅までは半時間ほど。そこはもう酒蔵の街で、月桂冠や黄桜の酒蔵は実に広壮で立派である。しかも、この界隈に足を踏み入れると、何とはなしに酒の匂いが鼻をくすぐるのだ。

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 街の見学もそこそこにして黄桜酒造のレストランに入った。黄桜と言えば、中島功画伯が描く河童がトレードマークだ。昔のテレビCMに、豊かな乳房をさらす若い女の河童が登場し、何とも色っぽかった。その印象が余りにも強かったので、ふらふらと黄桜に足が向いてしまったのだ。

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 カウンター席に座り、料理と搾りたての純米酒を注文した。喉を転がり落ちる冷酒は、けれんみのない爽やかさである。次は吟醸酒を注文した。もちろんこれもすっきりした味である。これ以上飲むと酔っ払いそうだが、純米酒をもう一杯。ウエイトレスは「えっ」という表情をしていた。女優三浦布美子の何十年も前のレトロなポスターが「お一つどうぞ」と言わんばかりである。

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 飲みながら、鳥羽伏見の戦いに想いを巡らした。今コップ酒をあおっているこの地こそ、薩摩と京都守護職会津の兵がぶつかり、戊辰戦争が口火を切った場所なのだ。西国の藩は次々と薩長に寝返り、奥羽列藩を追い詰めて行く。徳川譜代の筆頭だった井伊彦根藩が真っ先に寝返ったことは、近江出身の自分として肩身が狭い。

 当ブログでも何回か書いたが、私は会津贔屓である。黄桜へ来る前、最初に「会津藩駐屯地跡」に出向き、手を合わせてきた。宿陣していた伏見御堂はすでになく、跡地を示す小さな石柱があるだけだった。

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 会津藩兵は命からがら敗走したが、将軍徳川慶喜は船で江戸に逃げ帰り、官軍に恭順の意を表してしまった。会津も桑名もいい面の皮である。思い出すだに腹立たしい。酔いも手伝って激してしまった。

 少しふらつく足で界隈を散策した。維新の舞台でもある船宿寺田屋の前を通りかかった。薩摩藩の常宿だったからといって、ここを素通りするのはいかにも料簡が狭い。

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 入場料を払い、柱に残る刀傷、坂本龍馬に難を知らせるためお竜が裸で飛び出した風呂釜などを見学した。それらが本当かどうかは分からないが、ここで薩摩の急新派9人が身内に切り捨てられた事実は、間違いのない幕末動乱の一コマである。
 
 酒と幕末の回想がごっちゃ混ぜになり、高揚したりして妙な気分だった。たまに街を歩くものも楽しいものだ。ただ、昼間の酒はこたえるなぁ・・・。

「おしん」と「おつね」

 NHKの連続テレビ小説「おしん」の再放送が始まった。30年前、「オシンドローム」 という流行語を生んだ国民的ドラマだったことは言うまでもない。当時私は毎日ほとんど欠かさず見ていた。今再放送を見ながら、その時代のことを色々と思い出している。

 私にとって当時は、仕事が最も忙しかった時代だったし、脂も乗り切っていた頃だと思う。私たちの業界の人間がたむろする場所が都会の一角にあり、そこに古びたテレビが1台置いてあった。昼ごろになると、テレビの前のソファに同業の仲間が集まってきて、毎日「おしん」を見ていた。

 真っ昼間からテレビが見られる結構な商売のように思われるが、業界は競争が激しく、夜も昼もなく互いに角付き合わせていた。しかし、各社の人間関係は結構良く、しばしば飲みにも行った。酒席で直接仕事の話はしないが、無駄口を叩きながら腹の中を探り合っていた。そんな会話の中で、私に「おつね」というあだ名がつけられてしまった。

 お察しの通り、「おつね」はおしんの奉公先である材木商の女中である。7歳で奉公に来たおしんに対し、過酷な仕事を押し付けるのだ。しかしおしんは、1年の年季奉公が明ける日を待ちながら懸命に耐える。その健気な姿は、お茶の間に大きな感動を呼んだ。

 逆に、おつねは憎まれ役である。彼女は、主人の好意で尋常小学校へ通わせてもらうことになったおしんに昼ご飯を食べさせない。50銭硬貨がなくなると、おしんのせいにした。一日中おしんを怒鳴りつけ、意地悪をし続けるおつねは、1億国民の敵となったのだ。そんな「おつね」のあだ名を頂戴したのだから、大いに迷惑した。

 その頃、東映の俳優が経営するラウンジのような店に通っていた。実はその店に、同じ「おつね」という名のホステスがいた。50歳前後と若くはないし、色気もなかったが、客あしらいは実に上手だった。私はいつも親愛の情を込めて「おつね婆さん」と呼んでいた。

 実は私と彼女は北陸のある村の同郷だった。店に顔を見せると婆さんはいつも私の横に座り、「今頃は雪かねぇ」「この前、あの店の醤油を買って帰った」などと、故郷の話ばかりしていた。色気も糞もないが、心が安らいだ。

 3年ほど前、そのラウンジのママから電話があり、「珍しい人の声を聞かせてあげる」と言った。あの「おつね婆さん」の声が聞こえてきた。「まだ生きているのかね」と言ったら、年に似合わない黄色い声を上げて笑っていた。涙が出るほど懐かしかった。

 あの「おしん」のドラマから30年である。その頃、テレビCMで「少し愛して、ながーく愛して」という大原麗子の甘い声が流れていた。夏目雅子が伊集院とか言う色男と婚約してがっかりしたこともあった。上司にせがまれ当時流行のノーパン喫茶にも行ったことがあった。その上司からの年賀状には、昨年1年間に58ラウンドもゴルフをしたと書いてあったから、私も年を取ったなどと弱音を吐いていられない。

 この正月、「おしん」全297話を4回にまとめたダイジェスト版が、4日間にわたって放送された。私はこれを毎日見た。そして毎日泣いた。30年前に「おしん」を見た時、一滴の涙もこぼさなかったと思う。30年の歳月は、私の涙腺をかくも弛緩させてしまったのだ。いいことではないが、過去を振り返って遠い昔にため息をついてしまう・・・。

山小屋の様子見に

 2週間ぶりに、紀伊山地のわが山小屋へ様子を見に来てみた。標高が高いここの冬はひどく寒いため、今年から空き家にしていた滋賀の自宅へ一時逃げ帰っているのだ。いわゆる、冬季限定の疎開である。

 案の定、山小屋は凍り付いていた。昼間なのに、室内の温度は氷点下1度である。薪ストーブをガンガン焚くが、そう簡単には暖かくならない。水道の元栓を開けると、水もお湯も出てきたのでひと安心と思いきや、流しも風呂も配管が凍っていて、排水出来ない有様だ。流しと浴槽にお湯を張り、暖めること小一時間、やっと水が流れ出した。

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 変わったことと言えば、縁の下に積んでいた薪が崩れていたことだ。年末、遊びに来ていた娘と女房が積んでくれたのだが、やはりそこは素人である。薪の形状を考えずにただ積むだけだと、とどちらかに傾いて崩れやすいし、隙間も出来て安定が悪い。薪と薪の組み合わせが肝心である。

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 ウッドデッキに面したガラス戸に私の影が見えたのか、野鳥のヤマガラがやって来て室内を覗き込んでいる。いつもヒマワリの種を置いてやっていたが、年末から留守にしていたのでひもじい思いをしていたのだろう。すぐに飛来したところをみると、ずっと待っていたのだろうか。いとおしくなる。

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 いとおしいと言えば、峠のワンちゃんもそうである。生石高原のわが家へ行くには、峠を越えてさらに山道を登らなければならない。ワンちゃんはその峠の一軒家で飼われている。車で通りかかると、いつもの場所に鎖でつながれていた。「おーい、元気か?」と言って近寄ると、尻尾をちぎれんばかりに振り、クーンと甘えた声を上げた。

 実はこのワンちゃん、少しアホである(ごめんネ)。散歩のついでに立ち寄ってパンをあげたり、車で通りかかれば窓を開けて声をかけたりしていた。どうも顔が覚えられないらしく、最初のころは、近寄ると後ずさりして怯えていた。何ヶ月もかかってやっと顔を覚え、今では言ってもいないのにお手をして愛嬌を振りまく。

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 3日間滞在して山小屋を後にした。峠に差しかかると、そのワンちゃんはちょっと間の抜けたいつもの表情で見送ってくれた。次に山に登ってくるのは何時になるだろう。山の仲間は風邪をひかないだろうか。水道は大丈夫だろうか。ヤマガラは無事に冬を越せるだろうか。心配すればきりがない・・・。

新年早々・・・大騒動

 大晦日、息子夫婦と孫がやって来た。元日の夜には帰るというあわただしい帰省である。孫の機嫌をとり、孫とのコミュニケーションを深めるためには、おもちゃ売り場へ行くのが手っ取り早い。

 そこでその日のうちに私と女房、孫の3人で京都のデパートに行った。孫は欲しいおもちゃを決めていたようで、仮面ライダーのピストルなど2種類をすぐ手に取った。代金は私のクレジットカードで支払った。

 年明け4日のことである。馴染みの眼鏡店から「注文いただいたメガネが出来ています」との電話があった。近ごろ乱視がひどくなり、目が見えにくくなっていたので、年末この店でメガネを作り直してもらっていた。

 女房と二人で片道2時間近く歩き、メガネを取りに行った。メガネの微調整をしてもらった後、料金を支払うため財布からカードを取り出そうとした。ところが、カードがない。女房は「そんな訳ないでしょ。落ち着いて探しなさいよ」と怒っている。

 財布から現金やカード類など一切合財を机の上に取り出し、何回も点検したが、やはりない。幸い持ち合わせがあったので、現金で支払った。帰り道、カードをどうしてしまったのか、あれこれ記憶をたぐった。しばらくして、思い出した。孫におもちゃを買ってやった時、カードで支払ったのだ。

 家に帰り、百貨店のおもちゃ売り場に電話をかけてみたが、カードの返し忘れや置き忘れはないないとの返事だった。当日着て行った上着やズボンのポケットを探し、関係のない食器棚まで調べた。女房もショルダーバッグや財布を捜している。

 やがて、女房が「あった」と小さな声を上げた。しかし次の言葉に落胆した。「おもちゃ代の明細書はあったけれど、カードはないのよ」。「明細書を持っているということは、カードもお前が持っているんだよ」。論理は飛躍しているが、私はそう言った。人のせいにするのは得意である。

 女房は娘に電話し、対処方法を相談した。すぐに返事があり、「兎に角、カードを使えなくすること」と言い、カード会社の電話番号を教えてくれた。そして、「そんなに慌てなくていいのよ。使われていたら補償もあるし、キャッシングは暗証番号があるので、多分大丈夫よ」と落ち着いたものだ。まずは電話してカードを無効にしてもらった。

 カード会社によると、おもちゃ代以外に使用された形跡はないとのことで、ともかくホッとした。しかし、カードは一体どこへ行ったのか。「もっと調べろ。お前が持っているはずだ」と女房を疑う。女房は「ボケが回って、どこかに落としてきたのでしょう?」と反論する。被害はなかったのだから、実に馬鹿馬鹿しい争いである。

 その翌日の5日、自宅からそう遠くないレンタルビデオ店へビデオを返しに行った。2日前、書店に行ったついでに隣のビデオ店をのぞき、ビデオ2本を借りていたのだ。その際、会員カードを持っていなかったので、身分証明となる免許証を提示してカードを作ってもらった。ビデオはこの日が返却期限だった。

 ビデオを返却して帰ろうとした時、無駄だと思いつつ、「カードの忘れも物はありませんでしたか」と尋ねてみた。電話で問い合わせをしていた女性従業員は「はい、カードがあったそうです」。しばらくすると問題のカードを手にした男性従業員が現れ、「お宅様の連絡先が分からず、とりあえず当方でカード会社に連絡しておきました」と言うのだ。

 それにしても、何ということだ。レンタル代は現金で払っているので、カードは使っていない。考えられるのは、免許証を渡した時、財布からカードも一緒に取り出し、それをカウンターに置き忘れたまま帰ってしまったのだろう。物忘れがひどくなったのか、われながら呆れて物が言えない。

 いやはや新年早々のお恥ずかしい騒動だった。2013年、この先が思いやられる・・・。

「温泉の元」に涙が込み上げた・・・

 2013年の新しい年が明けた。和歌山の山小屋から空き家にしていた滋賀の自宅に帰って1週間になる。長く住んでいた自宅なのに、まだお尻がふわふわして落ち着かない。他人の家で暮らしているような感じである。

 標高800m余りの山小屋は余りにも寒いので、今年から5年ぶりに冬の間だけ滋賀で暮らすことにしたのだ。山小屋での朝は、野鳥のヤマガラにヒマワリの種を与えることから始まる。畑を眺め、キノコの出具合を確かめ、近くの高原や森を歩く。薪を屋内に運び込むのも私の仕事である。

 しかし滋賀の自宅での暮らしは実に退屈である。薪ストーブに火を入れなくても、石油ストーブのスイッチを押せば勝手に暖かくしてくれる。ホーム炬燵に潜り込み、テレビを見たり、本を読んだり。うたた寝をしていることも多い。女房から「もっと働け」と尻を叩かれるが、どう働けばいいか分からない。

 先日の朝、NHKテレビの「小さな旅」という番組を見た。昔訪れた土地をもう一度訪問し、人や風景など変わったもの、変わらないものを見つめ直そうという企画である。

 番組では、佐渡の北端にある「願(ねがい)」という小さな集落が取り上げられていた。ここには60人ほどが暮らしている。日本海の荒波が打ち寄せるすぐ先に、20戸ほどの民家が肩を寄せ合っている。その一角に、夫に先立たれたお年寄りが一人で住んでいる。

 この地を20年ほど前にここを訪ねた旅人は、NHKの加賀美幸子アナウンサーである。彼女には、時代劇に出てくる武家の妻女の趣がある。その低い声にいささかの軽薄さもなく、人々に安心感を与える響きがある。金切り声を上げるかつての同僚で元厚労大臣だった小宮山洋子女史とはえらい違いだ。どうでもよいことだが・・・。

 さてその女性には、息子と娘2人の3人の子供があり、いずれも東京に住んでいる。息子は一人暮らしの母親を東京に呼び寄せようとしたが、「佐渡で畑を耕したい」と言って断り続けている。畑で収穫する野菜を子供たちに送るのが楽しみなのだ。

 20年ぶりに訪れた加賀美アナウンサーはこのお年寄りと再会する。当時はまだ背筋がシャンとしていたが、80歳の半ばを過ぎた今ではすっかり腰が曲がり、手押し車の助けを借りて畑に通っている。

 東京の子供3人は話し合って、母親の好きな食べ物や衣類などを定期的に宅急便で送り続けている。テレビカメラは、その箱の中身を映し出していた。ミカンやお菓子がぎっしり詰まっている。その一番上に、「温泉の元」という入浴剤の箱があった。

 それを見た瞬間、さまざまな思いが去来し、私の目から涙があふれた。隣室にいる女房に聞こえないよう、嗚咽した。「温泉の元」・・・。なんという温かい心遣いだろう。「おふくろ、これで暖かいお風呂に入りな」。子供が母親に、遠く離れた東京から想いを寄せる。

 涙は、慙愧の涙でもある。30年ほど前に相次いで亡くした私の両親には、盆と正月、必ず帰省して土産を渡した。それらの品には、自分で言うのも何だがそれなりのお金をかけていた。しかし、「温泉の元」のように心がこもっていたかと問われれば、忸怩たるものがある。日頃の親不孝に対する免罪符のようだったかもしれないのだ。

 新年早々、つまらない事を書いてしまい、少し後悔している。しかし、それが「温泉の元」ではなく、ありふれた日用品だったら泣かなかったかもしれない。人には様々な記憶の中に、琴線に触れる何かがあると思う。私にとって「温泉の元」に思い当たるものはないが、何かあるはずだ。それを探り当てようと、あがいている・・・。

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