涼風と可憐な花の大和葛城山

 女房が車で実家の墓参りに行くという。それなら途中の水越峠で降ろしてもらい、大和葛城山(959m)に登ろうと思った。山頂のツツジの高原が有名な山だが、登るのは初めてだ。

 大阪と奈良の府県境には、金剛山と葛城山が並んでそびえている。先月下旬、その金剛山に女房と一緒に登ったが、私は体調不良のためほうほうの体で山頂に辿り着いた。だから今回の葛城登山では、リベンジしようという思いが強かった。

 水越峠の登山口で靴の紐を締めていると、中年の夫婦が下山してきた。「どれくらいの時間で登れますか」と聞くと、「1時間ちょっとで行けますよ」と言う。夫婦と私ではかなり年齢が違うので、10分以上は余計にかかると思った。

 ダイヤモンドトレールという登山道を登った。最初は、気持ちのいい石畳の道だ。10分ほど歩くと、急な木の階段が現れ、上の方までずっと続いている。気温は軽く30度を超えており、しかもサウナ風呂のような蒸し暑さである。この急坂を登るのは、正直辛い。

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 いったん平坦な道になってひと息ついたが、それも少しの間だけで再び急坂だ。すでに50分近い時間が経過しており、あと20分ほどで頂上に着くはずだ。しばらく歩くと道標があり、登山口の水越峠まで1・2キロ、頂上までは1・3キロと書いてある。なんと、まだ半分も歩いていないのだ。

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 自分の非力を嘆きながらトボトボ歩いていると、前方が開けてきた。やっと頂上が近いのだろう。道標には「頂上まで0・7キロ」とあった。長い道のりを歩く北アルプスなどでは、「ロッジもうすぐ」「小ヤまで20分」などといった看板があり、大いに励まされるものだ。「0・7キロ」の道標にも励まされた。

 しばらく歩くと、また道標があった。それには「頂上まで0・9キロ」とある。えっ、どういう意味だ?さっきの表示は0・7キロとあったのに。これじゃ、一歩前進して二歩後退した計算になるのではないか。

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 この調子だと、頂上までの所要時間は1時間半を超えそうだ。登山口で会った夫婦は1時間ちょっと言った。それは、健脚の人という条件付きだったのだろう。少しムッとしたが、勝手に解釈した自分が悪かったのだ。こういうのを八つ当たりと言うのだろう。

 ともかく、やっと頂上に着いた。ツツジとススキの高原に涼しい風が吹いていた。カワラナデシコがたくさん咲いていた。先月登った金剛山が大きな山容を見せ、大阪の街並み、橿原神宮の畝傍山なども見渡せた。急登の連続だったが、それまでのしんどさも一気に吹き飛んだ。

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 バーナーでお湯を沸かしてカップ麺を食べた。コーヒーも入れた。途中で買った荒川の桃の甘さが疲れを癒してくれた。風に吹かれながらうたた寝したあと、ゆっくり下山した。頂上から電話しておいたので、墓参りを済ませた女房が迎えに来てくれていた。有難かった・・・。
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ミドリバトの激突死・・・

 私が山小屋の裏でちょっとした作業をしていたら、女房が家の中から「どうかしたの?」と大声を上げた。「いや、何もしていないよ」と答えると、「今、大きな音がしたのよ」と言う。

 しばらくすると、今度は「ちょっと来て、来て」と叫んだ。ウッドデッキに駆け付けると、そこに大きな鳥が横たわっていた。どうやら、鳥はガラス戸にぶつかり、大きな音はその時の衝突音だったのだろう。

 鳥は半目を開け、少し痙攣している。全体に緑色、くちばしは空色でオウムのような形をしている。ハトと同じような大きさだ。ここ生石高原には様々な野鳥がいるが、これは初めて見る鳥だ。家で飼っていたオウムが逃げたのではないか。女房も同じ意見である。

 たまたま、デッキの下の道を仲間のPとMが通りかかったので、鳥を見てもらうことにした。野鳥好きのMは、ハトに似ているが、名前は分からないと言う。しばらくそっとしておいたら、元気になることがあると言った。

 山小屋裏のベンチでコーヒーを飲み、1時間ほどして鳥の様子を見に行くと、目を閉じ、足を体の前で丸めていた。Pは、足をこんな形にしたら死んだ証拠だと言う。確かに、死んでいた。脳震盪だと思っていたのだが・・・。

 それから2時間ほどそのままにしていたが、息を吹き返すことはなかった。この山小屋にガラス戸がなかったら死ぬこともなかったと思うと、不憫でならない。近くの森に深い穴を掘り、丁重に埋めて手を合わせた。

 その夜、女房はパソコンの前に腰を据え、「緑色の鳥」「ハトに似た鳥」などの文字を打って検索を繰り返した。そしてやっと死んだ鳥が「ミドリバト」と分かった。本州などの高い山に棲むハト科アオバト属のハトなのだそうだ。

 ネットには、海の岩場で群れになっている写真が多く見られる。丹沢の森から駿河湾にしばしば飛来するとも書かれていた。海水のミネラルを摂取しないと生きていけないのだろう。わが家で死んだミドリバトも紀伊水道で海水を飲んで帰る途中だったのかもしれない。

 こんなことを書くのは気がすすまなかった。こんな写真を載せるのもかわいそうだと思った。しかし、この出来事も私たちの暮らしの中で起きたことであり、日々を徒然に語るブログの一節として取り上げることにした。野鳥の激突死は珍しいことではないが、それでもやはり忸怩たる思いが残る・・・。

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高所恐怖症は健全な本能だ

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 木の家が好きで、ここ生石高原にログの山小屋を建ててちょうど20年になる。ログ材は、定期的に木材保護塗料(キシラデコール)を塗っておけば、それほど劣化しない。最近では、5年前に足場を組んでもらい全面的に塗った。

 ただ、西側の屋根付近は足場が低かったためオーバーハング状態で塗らなければならず、われら夫婦は高所恐怖症なので怖くて手抜きしていた。このためカビが目立ち、このまま放置しておけば、いずれ木が腐るかもしれない。

 「兄貴、早くクスリをかけないとダメよ」。仲間のPはわが家を見上げ、大袈裟に苦々しい表情をして見せた。彼は保護塗料のことを「クスリ」と呼び、「オレがクスリかけてやるよ」と言った。それは梅雨入りした頃だった。

 そして梅雨が明け、空気も乾燥してきたので、塗装作業をすることにした。2段の梯子を伸ばし、屋根の直下に立てかける。石や煉瓦などを使って梯子の根元を安定させた。

 「さぁ、兄貴登ってよ。支えているから安心よ」。Pは私の高所恐怖症を知っていて、こんな意地悪を言う。試しに登ってみたが、5段目以上には足を掛けられない。Pは100キロの巨体である。軽業師のように、15段ほどの梯子をあっという間に登ってしまった。わざと梯子を揺さぶってふざけている。

 落ちれば怪我では済まない。梯子が倒れないよう、必死になって押さえ付けた。Pは余りにも危なげな姿勢で作業をするので、気が気でない。「気を付けてよ」と声を掛けるが、「黙っててよ」と意に介さない。

 私はお金をもらってもこのよな作業は出来ない。極度の高所恐怖症なのだ。

 小さい頃、家の柿の木に登り、枝が折れて転落、一時気を失ったことがある。しかし、その後も高い所を怖がることはなかった。学生時代、友人たちと越前の東尋坊へ行ったことがあるが、断崖に平然とたたずむ私の記念写真がアルバムに貼ってある。そこは、今では考えられないような恐ろしい場所なのだ。

 では、いつから高所恐怖症になったのだろう。おそらく40歳くらいからで、次第にひどくなるばかりだ。大阪梅田のヒルトンホテルは中が吹き抜けになっているが、1階ホールを見降ろす場所に立った時、足がすくんでしまった。初めて味わう異様な感覚だった。それが40歳くらいの頃で、今もその時の恐怖が蘇るのだ。

 人間は誰でも高い所が恐ろしい。それは、防衛本能だろう。もしこれがなかったら、人類は次々高い所から落ちて、とっくに滅亡していたかもしれない。ただ、高い所が恐ろしいという一般的な感覚と、われら高所恐怖症とは異質のものだと思う。つまり、気が狂いそうになるのだ。死ぬより怖いのである。

 しかし不思議である。登山に行くと断崖絶壁に梯子や鎖がかけられているが、狂いそうなほどの恐怖はない。槍が岳の頂上にはほぼ垂直の梯子が二段あり、合わせて48段を登らなければならないが、発狂も失禁もしなかった。火事場の馬鹿力と同じなのか、山ではそんな異常な精神状態が起きるとしか考えられない。

 ところで、高所恐怖症を根本的に治す薬はないそうだ。恐怖心を和らげる薬もない。なるほど、それはそうだと思う。薬で恐怖心をなくしてしまえば、転落死が続発しかねない。高所恐怖症は命を守る本能なのだ・・・。
 

北アルプス喜作新道

 この夏も、出来れば北アルプスへ行きたいと思っている。安曇野の中房温泉から合戦尾根を登り、燕岳から北アルプス表銀座縦走路、東鎌尾根の切り立った難路を辿り、槍が岳をめざす計画を立てている。

 このコースは、健脚なら1泊2日、われらのような高齢者でも2泊で槍が岳に到達できる。これは大正9年秋に開通した「喜作新道」のお陰である。それまでは、燕小屋から大天井岳、横通岳、常念小屋を経て一旦槍沢に下り、槍が岳に登らなければならなかった。最低でも3、4泊くらいの行程だった。

 大天井岳から槍が岳に直登するこの登山道を拓いたのは、地元の猟師だった小林喜作である。大正時代は北アルプス登山の黎明期であり、新道開削はそんな時代を象徴する難工事だった。登山道の岩肌には喜作の業績を讃えるレリーフがはめ込まれており、登山者は感謝と敬意の念を込めて喜作像を仰ぎ見ている。

 私は、今度の登山で歩く喜作新道と小林喜作という人物についてもっと知りたいと思った。早速ネットで「喜作新道 ある北アルプス哀史」(朝日文庫、昭和61年発刊)を取り寄せた。著者は「ああ野麦峠 女工哀史」で知られる山本茂実である。

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 喜作は、今の安曇野市牧の猟師で、北アルプスの山岳地帯を駆け回り、カモシカ、猿、熊などを狩っていた。猟師は耕す田畑もない社会の底辺で暮らす人の仕事だった。そんな極貧の生活から這い上がろうと、喜作も命を賭けて断崖絶壁を駆け回った。

 彼の猟師としての腕前は、ピカ一と言われた。猟による獲物が人より多かった上、仲間から毛皮を買い取って転売したり、雷鳥のはく製を小学校などに売ったりして金を稼いだ。次第に豊かになり、田畑も買って財を築いた。このため周囲から嫉妬を買い、がめつい、金のためなら何でもするという芳しくない噂が広まった。

 折しも、登山ブームが起きていた。北アルプスは彼の猟場であり、山を知り尽くしていた。登山の案内役も引き受け、学習院大学の金持ち学生らから高額の案内料を取っていた。そんな経験から、槍が岳への便利な登山道を開削し、槍が岳直下に山小屋を建てれば儲かると踏んだ。

 彼は息子と二人で3000mの絶壁で登山道開削に取りかかった。からみついたハイマツを鉈一本で伐り、邪魔になる岩石を砕く。人夫を雇っても余りの重労働に耐えられず、2、3日で逃げられた。全長7キロの道を拓くために3、4年かかったという。

 次は、槍が岳直下に「殺生小屋」と名付ける山小屋の建設だ。自ら重さ60キロものトタンを担ぎあげ、人夫を叱咤して工事を進め、大正11年、開業にこぎつけた。すると、登山客が殺到し、笑いが止まらないほど儲かったという。

 冬を前に小屋を閉め、猟を再開した。しかし翌年3月、仲間と猟をしている最中に雪崩に遭い、死亡した。獲物の分け前を巡って争いになり、殺されたという説もあるが、真相は闇の中である。

 著者は「あとがき」で、「野麦峠を越えて働きに行った女工が哀史というなら、百姓は何と言ったらいいのか?工女よりもまずいものを食い、もっとひどい重労働をして工女の三分の一も収入がない。そういう農村の中に鉄砲撃ちと呼ばれる人がいる。つまり猟師は一番貧乏人だった」と書いている。喜作もそんな境遇から這い上がった人物である。

 槍が岳の山頂に立つと、その直下に赤い屋根の「殺生ヒュッテ」が見える。かつて喜作が建てた同じ場所だろう。そのちょっと上の岩場に「ヒュッテ大槍」の建物も見える。そこになぜ二軒の小屋があるのか不思議に思っていたが、この本を読んで小屋同士の競争など、さまざまな思惑や事情があることを知った。

 人が歩けば道になると言う格好いい言葉があるけれど、山岳の登山道はそんな生易しいものではない。汗みどろで開削した人がいるし、補修を続ける人たちもいる。予定通り北アルプスに行けたら、「喜作新道」を踏みしめながらその苦難の歴史に思いを馳せたいと思う。そして、道に感謝したい・・・。
 


 

梅雨明け、鮎釣りに走る

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 ↑ 梅雨が明け、亭主は川へ鮎釣りに、女房は梅干しを天日干し・・・。

 紀伊半島の梅雨は、あっけなく明けた。真っ青の空に入道雲が湧き上がり、当たり前のことだが一気に夏である。ギリギリと絞った弓から矢が放たれるように、早速軽トラを飛ばし、有田川のダム上流へ鮎釣りに走った。

 これまでずっと、川は増水して鮎釣りが出来なかった。しかも、鮎の餌となる石の珪藻(アカ)が洗い流され、鮎が石に付かない状態が続いていた。しかし次第に水位も下がり始め、石に新アカも付き出している。

 あちこち川を見て回ったが、どこも梅雨明けを待ちかねた鮎釣りファンが大勢入っていた。川岸の細いコンクリの道を下ると、3台ほど駐車できる場所があり、ここへ入ろうと思った。ところが他府県ナンバーの車が入り口を塞いでおり、「ここには来るな」というサインのように思えた。もしそうなら、随分と意地悪である。

 別の場所に車を止め、このポイントに入った。一人で釣りをしている人がいたので、「あんな所に車を止めては迷惑だよ」と注意すると、「すまん、すまん」と平然としていた。分別もありそうな中年の男だった。

 石が沈んでいる緩やかな瀬で竿を出した。オトリを上流に泳がせると、すぐ鮎が掛かり、オトリとともに2匹がもつれながら下流に走った。引きからして小型のようだ。竿をあおると鮎は簡単に浮いてきた。体長13センチほどの小さな鮎をタモで受けた。

 続いて、大きな石に挟まれた水路のような場所にオトリ鮎を誘導すると、一発で追って来た。今度はそこそこの引きを見せ、少し下流に足を運んで引き抜いた。18セントほどだった。

 釣れる鮎は総じて小さく、鮎の色も青っぽい。しかも追いが弱いので針の食い込みが浅く、時々外れることがあった。もっと石にコケが付くと、鮎の縄張り意識が強まり、本来の攻撃的な気性を見せて激しく追ってくる。これが鮎釣りの醍醐味なのだが、そうなるのはもう少し先のことだろう。

 このポイントで5匹ほど釣り、300mほど歩いて上流の瀬に移動した。最初は私一人だけだったが、しばらくして二人連れがやって来て長さ30mほどの短い瀬で上と下から挟み撃ちにされるような形になった。すでに12匹ほど釣っていたので、このポイントを二人に譲り、車で15分ほどの別の場所に移動することにした。

 ここは支流の湯川で、これまでいい思いをしたポイントである。重いオトリ缶をかついで河原に下りた。さっそく仕掛けをセットしようと竿の穂先を引き出しところ、何と、先から15セントほどの所で折れかかっていた。これでは釣りを続けることが出来ない。

 それにしても、どうしてだろう。竿を置く時か、引き出す時に衝撃がかかったのだろうが、色々振り返ってみても、身に覚えがない。竿の保証書はあるが免責は6000円もするので、自分で修理することにした。竹を削って芯を作り、折れた穂先に挿入して接着剤で付ければ、元通りになるはずだ。

 釣り人に注意したり、穂先が折れたり。久し振りの鮎釣りは後味が悪かった。次はそんな思いをせず、スカッとするような釣りがしたい・・・。

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避暑の客・・・

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 娘が飼っている愛犬「ピー」が、わが山小屋へ避暑のためやって来た。ピーはシーズの雄で、6歳。紅顔の美少年である。「ワン」とも「スー」とも言わない無口な性格だ。

 ピーは、都会の高層マンションの一室で暮らしている。締め切った室内は蒸し暑く、娘はピーのためにエアコンを付けっ放しのまま会社へ出かける。最近のエアコンは省エネになっているとはいえ、もったいない話である。

 山小屋に到着したピーは、ピチャピチャと音を立てて水を飲んだ。かなり喉が渇いていたのだろう。自分の指定席と思っている椅子のムートンにアゴを付けたまま寝そべり、目だけを動かしてわれら夫婦の動きを見守っている。

 涼しい風が吹き抜ける山小屋のウッドデッキがお気に入りだ。余りに気持ちがいいのか、目を閉じてうとうとしている。時々、「ウイッ、ウイッ」と意味不明の寝言を言っている。幼い時からの癖なのだが、何か、夢を見ているのだろうか。楽しい夢ならいいのだが・・・。

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笑えない温泉場の珍事・・・

 わが山小屋から車で半時間ほど走ると、深い山あいに「清水温泉」がある。ここは、秋篠宮紀子さまのご先祖の地である。われら夫婦は、入浴料が半額(300円)になる回数券を買い、しばしば温泉に通っている。

 先日も夕方に出かけた。次の話は女風呂での出来事なので、私が見た訳ではない。それは女房の話である。

 脱衣場に二人連れの60歳くらいの女性が入ってきた。その一人が服を脱ぎ終わり、手拭いを前に垂らして「お先に」と言い、何と出口のドアを開けて出て行った。もちろん、手拭いを前に当てただけの全裸である。

 女性はすぐ、「はははっ、お風呂と間違えた」と言って戻り、反対側のドアを開け、風呂に向かった。この女性は、出口から一旦ロビーに出た訳で、公衆の面前に裸体をさらしたのだ。突如現れたヌードに、それを見た人は目が点になっただろう。

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      ↑ 本文とは関係のないわが家の笹ユリ。余りにも美しかったので・・・

 女房は、その目撃談を帰りの車の中で話し、何回も思い出したように笑い転げた。私は「バカモーン」と叱りつけた。なぜか・・・。この話を聞いた途端、女性が方向音痴であることを確信したのだ。

 方向音痴は、方向感覚を失う気の毒な病気であり、入り口と出口を間違えたことを同情こそすれ、笑ってはいけない。病気への無知や無理解は差別を生み、病気の人を一層悲しませる。実は何を隠そう、私自身もひどい方向音痴で、そのように笑われてきたのだ。

 この女性と同じような失敗は枚挙にいとまがない。スーパーのトイレや映画館から出る時、反対側に行ってしまう。地下街の居酒屋にはトイレがなく、一旦店を出て共同トイレに行くと、その店に戻れないのだ。親類のお通夜に行った帰り、自宅とは反対の方向に延々と走り続けたこともあった。

 われら夫婦間のいさかいもまた、私の方向音痴が原因で起きることが少なくない。車を運転していて右に曲がろうとすると、女房は「左や」と怒り、左に曲がると「何をやってるの」と侮るような言葉を浴びせる。

 あの女性が全裸でロビーに飛び出したのは、そのドアが風呂へ通じていると確信したからだ。もし確信が持てなかったら、ドアを少し開けて確かめてみるはずだ。全裸で堂々とロビーに出たのが、その証拠である。方向音痴というのは、悲しいかな、そういうものなのだ。

 私は方向音痴の専門書を買ってきて勉強したことがある。この病気は、地図を頭の中に置き換えることが出来ないのだ。ある場所へ行くため、道の案内板を見ても、持参した地図を参考にしてもよく分からない。だから、地図を回したり、自分が立っている位置を変えたりして、やっと見当がつくという按配である。

 こんなに説明しても、多分、方向音痴の症状を分かってもらえない。女房と結婚して何十年にもなるが、今だ彼女の理解不足によって不愉快になる。それが悲しいのだ。ヌードを人目にさらしたあの女性は、照れ笑いしていたらしいが、湯船で悲しい思いをしていたに違いない・・・。

ロボットの達人は・・・

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    上の写真は、文章と何の関係もないわが家の笹ユリ。あたりに甘い香りが漂っている。

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 あれは20年ほど前だったと思う。女房と一緒に、大津の自宅近くにある釣り具店を覗いた。その店に、目鼻立ちの整った少年がいた。女房が「ほれあの子、娘の同級生なのよ」と言った。

 その後も店を訪れる度に、少年はいた。多分、店でアルバイトをしていたのだと思う。当時、高校2年か3年だったはずで、大学受験を控えていたが、釣りに熱中していたとも聞いた。

 先日の新聞に、世界初の会話ができるロボットが完成したという記事が載っていた。開発者の名前は「東京大特任准教授・高橋智隆」と書かれていた。あっ、あの子だ。釣具店にいたあの子なのだ。

 ちなみにこのロボットは、8月に種子島からH2Aロケットで宇宙ステーションに打ち上げられ、長期滞在する宇宙飛行士・若田光一さんの話し相手になるという。日本語を聞きとり、身ぶり手ぶりを交えながら会話できるのだ。

 彼のことをネットで調べると、ロボットの研究、設計、デザイン、製作を手がけ、世界からも注目されている人物らしい。米ポピュラーサイエンス誌では「未来を変える33人」の一人に選ばれた。

 比叡山中学、立命館高校、立命館大学へと進んだ。就職が決まりかけたが、子供のころからの夢であるロボットを作りたいと、予備校で勉強して京大工学部に再入学。今では世界的なロボットクリエーターとして名を馳せている。

 努力すれば夢は実現できるという成功体験をよく聞かされるが、それはごく稀な事だろう。努力しても報われない人の方がはるかに多いのがこの世である。彼の場合は、ほんの一握りの成功者だろう。

 釣り具店で見かけただけで、彼の事はよく知らないが、どうも彼には「汗と涙の努力」という言葉がピンとこない。どこか飄々としていて、受験生なのにアルバイトをし、釣りに夢中になる。しかしその分、発想が少年のように自由で広く、面白いロボットを作るのだろうと思えたりするのだ。

 それにしても、彼の両親も凄いなぁと思う。放任主義ではないのだろうが、息子の好きなようにさせたのだ。なかなか出来ることではい。振り返れば、私などはわが子を達観することが出来なかった。その結果が、あぁ・・・。

 

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