紫蘇の佃煮と割烹着の女性

 足を投げ出し、だらしなく本を読んでいると、女房が「ちょっと味見して」と、作りたての料理を鍋ごと持って来た。その粒々の食べ物を見て、一瞬うろたえた。この料理にまつわる話は、他愛のない小さな秘密である。

 京都で勤務していた頃、祇園の裏通りにある割烹店にちょくちょく顔を出した。その店のカウンターの中に三十路と思われる和服の女性がいて、料理を出し、酌をしてくれた。

 彼女は堂々とした獅子鼻の持ち主だったが、なかなか愛嬌があって、それなりの魅力を備えていた。いつも着ていた割烹着の白色がまぶしかった。生まれは、丹後の山奥だと言っていた。彼女と話すのは楽しく、ついつい店に顔をだすようになったが、断じて下心があった訳でない。

 ある夏の日、店の大将が「これ食べてみて」と小鉢を出した。そこに一つまみほどの粒々が盛られていた。するとその女性が「私の母が作ったの。お盆に帰った時、もらってきた」と言った。

 粒々は紫蘇の実で作った佃煮である。口に入れるとプチプチした食感があり、初めて食べたのに、妙に懐かしい味がした。彼女の話によると、丹後の山あいの村ではどこの家でも作っており、ご飯に振りかけて食べていたという。

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 女房が作った佃煮をつまんでみた。程よい甘さに香ばしさが加わって実に美味しい。この日の朝、女優が宿坊を訪ねるテレビ番組があり、精進料理の一つとして紫蘇の佃煮が紹介されていた。紫蘇なら山小屋の畑にいくらでも生えており、女房は早速ネットで調理法を調べ、作ってみたという。

 この紫蘇の佃煮は、20年ほど前に通った割烹店を思い出させてくれた。もちろん、あの獅子鼻の女性の顔も重なった。元気にしているのかなぁ。そう言えばもう何年も前、彼女が再婚したことを風の便りで聞いた・・・。

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ミカン山の仲間に加えてもらって・・・

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 私たちが暮らす生石山中腹のミカン畑の一角に、「ららこぱん工房」というパン屋さんがある。若い夫婦が古民家で店を開いており、パンは国産小麦、天然酵母にこだわっている。日曜日限定のお店である。

 この夫婦の呼びかけで、店の客たちが集まり、月1回の食事会を楽しんでいる。参加者は、ここ和歌山のミカン山に移住してきた人たちで、10人余りの小さな集まりだ。

 先日、私たち夫婦にも食事会へのお誘いがあった。会はこれまで数回開かれているが、私たちはもちろん初参加である。それぞれがおかず1品を持ち寄り、お酒を飲みながら雑談するという肩の凝らない食事会のようだ。

 おかず1品・・・さて何にするか。迷った末、冷凍庫に眠っているアオリイカを刺身にして持って行くことにした。今年5月に釣った3キロを超す巨大なイカである。味見してみたが、もっちりしていて甘く、味には申し分ないと思う。

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 ミカン山に太陽が沈むころ、今回の食事会の場を提供してくれたKさん宅に着いた。Kさん夫婦は兵庫県と和歌山を行ったり来たりしながら田舎暮らしをしている。わが山小屋に何度も遊びに来てくれ、家族同士で親しくしている。

 午後6時過ぎ、私たちに続いてNさん夫婦が到着した。Nさんは大学を退官して彫刻三昧の日々である。夫婦で大きな荷物を抱えている。赤飯、天麩羅、赤ワイン、ビールなど盛りだくさんだ。1品だけの私たちは少し肩身が狭い。まぁ、初参加だから仕方なかろう。

 次は、梅の栽培をしているYさん夫婦が来た。農業への思いが強く、各地を見聞したりインドにも足を伸ばしたりもした。和歌山の日高川流域に落ち着いたが、一昨年の大水害で被害を受け、ミカン山に移住したという。ヒツジを飼っているらしく、毛は織り物の材料にするのかもしれない。

 最後に着いたのは「ららこぱん」の夫婦である。ご主人は森林組合に勤める森の人であり、週末だけパンを焼いている。この会食のために焼き立てのパンを持って来てくれたが、お世辞ではなく、こんなに美味しいパンを食べたのは久し振りである。

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 Yさんもパン屋さんもいわゆる中年だが、私たちから見れば羨ましいほどの若さにあふれている。そしてどちらも、会社などの組織に安住することなく、自らの生き甲斐を求めて挑戦している。

 これに対して私は当たり前のように就職し、定年まで不安もなく、人並みの暮らしをしてきた。私たちの業界は競争が激しく、昼も夜もなく働き続けたが、その代わり、大きな失敗をしてもクビになることはなかった。人生を左右するような挑戦は一度も経験することがなかった。

 そんな自分の人生と重ね合わせながら、新しく出会った人たちと語らった。持ち寄った心づくしの料理を楽しみながら、随分と酒もすすんだ。ミカン山の自然に抱かれた楽しい一夜だった・・・。

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ガシラ釣りは愚直に・・・

 前日の事だ。アオリイカを12杯釣り、意気揚々と港に帰ると、馴染みの漁師がイセエビ漁の網を手入れしていた。明日は女房とガシラ釣りに来るので、彼に「ボートを漁船にを繋がせてほしい」と頼んだ。

 すると漁師は「それはいいけど、今朝、地元の人がガシラ釣りに海へ出たが、ほとんど釣れなかったと言っていた。もうガシラはおらんのか?」と、海に詳しいはずの漁師にしては妙な言葉を口にした。

 翌朝、由良に向かう車の中で、女房にこの話を聞かせると、「えっー、そうなの。神奈川の友達にガシラを送ってやると約束したのに・・・」と落胆している。ガシラは年中釣れるので、そんな心配はいらないだろうと慰めたが、胸のどこかにしこりとして残った。

 この日も海は静かだ。いつものポイントでボートを流し、仕掛けを投げ入れた。じっと竿先に神経を集中させる。船頭役の私としては、女房の友人への約束を果たさせてやりたいと思う。責任重大である。

 しかし、まったく当たりがない。「ガシラはおらんのか?」・・・。きのう漁師が言った言葉を思い出した。半時間ほど経ったが、ガシラは沈黙したままだ。「あかん、場所を変えよう」。ポイントを100mほど西へずらして流した。

 するといきなり、女房が「来たぁー」と叫んだ。ギリギリとリールを巻いている。浮いてきたのは、赤い立派なガシラだ。続けてまた釣った。そして、またまた釣ってしまったのだ。5匹連続だ。その間、私は1匹も釣れず、ただ指をくわえて見ているだけ。焦りで脂汗が滲んできた。

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 女房は時々、私の釣りを見物している。余裕である。私の妙技を勉強するのも悪いことではないと思っていたら、師匠のこの私にとんでもないことを言った。「合わせが早過ぎるのよ」・・・。「技術的なことを言うな。10年早いわい」と口から出かかったが、釣果ゼロではそれも言えない。私のプライドはぼろ雑巾のようである・・・。 

 それにしても、どうしてこんなに差がつくのだろう。多分それは、女房が私の教えた通りに、忠実に、愚直に釣りをするからだろう。女房は、曲がり角を直角に曲がるような性格である。悪く言えば融通がきかないし、教条主義的なところもある。

 それに対して私は、良く言えば向上心、探究心、好奇心が強く、悪く言えば助平根性が染みついていて、色々と釣り方を試したり、小細工をしたりするのだ。だから本命のガシラが釣れず、この日も鯖フグやアコウのようなハタ科の魚、コチ、トラフグなど外道ばかりを釣ってしまう。

 さて、前半の釣果は、女房が13匹、私が4匹だった。大きなベラも結構釣れているので、女房の友人に送る分は確保できた。しかし、わが家で食べる分がない。しかも餌のサバが少なくなったので、女房を港で下ろし、近くのスーパーへ塩サバを買いに行ってもらった。その間に私は、新しいポイント開拓のため、ボートを走らせらせていた。

 半時間ほどすると、女房がスーパーのレジ袋をぶら下げて帰って来た。これで餌も十分。後半戦の開始だ。新しいポイントでボートを流すと、私の独壇場となった。釣れない女房は「場所を変わろう」とせっつき、勝手なものだ。

 前半戦で女房に大差をつけられていたので、追い越すことは出来なかったが、この日は女房が15匹、私が10匹、計25匹で上々の釣果だった。これ以外に大きなベラなど外道が多数。女房の活躍もあったが、それより何より船頭の功績を忘れてはならない・・・。

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     ↓ 私が釣ったサバフグなどの外道は鍋で食べた
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秋のアオリイカ釣り開幕・・・期待以上の12杯

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 夜が明け始めた午前5時半、軽トラに釣りのボートを積んで生石高原の山道を下った。森を抜けると、眼下に紀伊水道の島々が浮かんでいる。その西の空には、中秋の名月である。今夜は十五夜だ。

 車を何度も止め、まんまるの月を眺めた。何と幻想的で、美しい色だろう。唐突に、高村薫の小説「照柿」が頭に浮かんだ。そうだ、この月の色は「照柿」だと思った。赤色でもない、黄色でもない、柿が熟した「照柿」という色なのだ。

 回りくどい書き方だが、今日はアオリイカのご機嫌を伺いに由良湾に向かっている。いよいよ秋イカのシーズンだが、まだ少し早い。重さ2、300グラムの小型が多いだろう。漁港で生きたアジを20匹買い、いざ、出陣である。

 海は天気予報通りの秋晴れである。釣りにいい日和は、少し波気があって曇天がいいとされるが、海の底が見えるほどのベタ凪だ。少し不安がよぎる。港から15分ほどの小さな島の近くにアンカーを入れた。

 生きたアジを付け、10mほど前方に第一投。期待が高まり、少年のようにドキドキする。30分ほどすると、イカがアジに抱きついた。リールからジーッという音とともに糸が出て行く。

 3分ほど待ってじわりじわり引き寄せた。時折沖に逃げるが、手応えは弱く、多分小型だろう。しかし、ジェット噴射して潜る力はさすがアオリイカで、たじたじさせる。掛けバリのヤエンを投入して、めでたく今シーズン1杯目をゲットした。

 しかしその後はまったく当たりがない。100mほど西の磯に移動した。するとすぐ糸が出た。ヤエンを入れ、頃合いを見て軽く合わせた。見事、空振りだ。その次も空振りだった。しばらくしてやっとこの日2杯目を取り込んだ。

 するとまた当たりがあり、イカが浮いてきた。何と、イカの足1本だけがヤエンに引っ掛かっている。その足が今にも切れそうだ。慎重に寄せたが、イカがすごい力で潜った瞬間足が切れてた。これで3度目の失敗である。

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 この場所に嫌気がさし、思いきって場所替えすることにした。そこはどこにでもあるような平凡な浜なのだが、これまで何回もいい思いをした場所である。最初からそこへ行けばいいのだろうが、最後の切り札として残しておきたかった。好物から先に食べる人もいるが、私は最期まで残しておく慎み深い人間なのだ。

 アンカーを下ろして5分も経たないうちに、怒涛の爆釣が始まった。それなりに失敗もあったが、2時間くらいの間に10杯がクーラーボックスに納まった。時間を追うごとにイカが大きくなり、500グラムを超えそうなものが数杯混じった。

 餌のアジも最後の1匹だけとなり、祈る思いで仕掛けを投入した。それが通じたのかイカが乗った。ヤエンもうまく掛ったが、傷でもあったのか糸が切れてしまい、イカも1000円のヤエンも海の藻屑と消えた。しかし計12杯という期待以上の釣果だったので、気分良く竿を納めた。

 実は、今回の釣りはこれで終わりでない。港にボートを繋いでおいて、翌日には女房とガシラを釣る。女房は神奈川の友人にガシラを送ってやりたいと張り切っているのだ。さて、どうなるやら。次回に続く・・・。

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台風一過、おぉ寒い・・・

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     ↑ 台風一過の紀淡海峡。茶色の帯は紀ノ川から流れ込む濁流 (わが家から)

 台風18号の余波か、16日から17日にかけて夜通し強い風が吹き続けた。普段は私が女房より先に起き、コーヒーを沸かし、野鳥のヤマガラに餌をやるのが日課だが、余りにも寒いので布団の中で丸くなっていた。

 いつもより1時間近く寝坊をし、階下の居間に下りると、女房は「早くストーブを焚いてよ」とせかす。外の気温は11度である。セーターを着ても寒く、これでは薪を節約している場合でない。

 ストーブに火を入れるのは今シーズ初めてだ。こういう時は、結構わくわくするものである。火を見ると、血湧き肉踊ると言えば大袈裟だが、ちょっと興奮する。不謹慎だが、赤馬(放火犯の隠語)の気持ちが分からぬではない。

 しかし、薪がうまく燃えてくれない。強風で煙突から空気が炉内に逆流してしまうのだ。

 薪ストーブは、炉内が熱せられて煙突内に上昇気流が起き、これによってストーブの吸気口から新鮮な空気を取り込み、燃える仕組みになっている。強い風が上昇気流の発生を邪魔しているのだ。

 着火剤を余計に使い、15分くらいで何とか本格燃焼させることが出来た。炉の温度が200度くらいに上がり、室内はみるみる暖かくなった。

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 今度の台風の被害と言えば、テレビのアンテナが倒れたくらいで、大したことはなかった。ただアンテナが倒れた際、櫛のようなパイプ部品が折れ、歯抜けのようになってしまった。このためいくつかのテレビが映らなくなった。

 それにしても、今時のアンテナは脆弱だ。パイプを繋いでいるのはプラスチックで、少しの衝撃でも折れるのだ。以前まで使っていた古いアンテナは少々叩きつけても壊れない。安く作ろうとすれば、こうなるのだろう。

 かろうじて見られるテレビからは、台風の大きな被害が映し出されている。多くの人が亡くなり、家や田畑が水に浸かり、人々は泥と闘っている。たかがテレビのアンテナぐらいでぐちゃぐちゃ言うことはない。被災地の皆さんに、お悔やみとお見舞いを申し上げる・・・。

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秋の足音・・・薪ストーブはスタンバイ

 二十四節季の「処暑」が過ぎて、今は「白露」。朝起きてわが山小屋のウッドデッキに出ると、天気のいい日はいつも床がしっとり濡れている。大気が冷えて露を結ぶ「白露」・・・。何と美しい時候を表す日本語だろう。

 きのう、いつものように生石高原へ散歩に出かけた。この1週間ほど真夏のような暑さが続いていたが、草原はすっかり秋の気配が充満していた。

 ススキの穂が淡い赤色に染まり、そよ風になびいていた。ススキの間からは、秋の七草オミナエシ(女郎花)が姿勢正しく佇んでいる。萩も美しい赤紫色に色づいてきた。

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 今日は台風18号の影響で激しく雨が降り続いている。天気予報によると、台風が通り過ぎれば秋らしい気候になると言う。標高800mのここ生石高原では、秋は駆け足でやって来る。

 1週間ほど前には、薪ストーブの煙突掃除を済ませた。二重煙突の効果か、ブラシで落とした煤の量は意外と少なかった。本体の部品も取り外し、煤をきれいに取り除いた。これで空気や煙の循環がスムースになるだろう。

 薪も3、4日分、室内に運び込んだ。寒ければ、いつでも薪ストーブに火を入れることが出来る。いや、寒くなくても火を焚いて、炎を楽しみたくなるはずだ。揺らめく炎は晩酌の友である・・・。

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ガシラもベラもよく釣れた・・・

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 爽やかな天気が続いている。 海上も穏やかで、秋の釣りシーズンが到来した。「ガシラ釣りでも行くか?」と女房を誘うと、やる気満々である。ガシラは、ゴンゴンと小気味よく竿先を震わせ、引きも強い。そして食べて美味しい。空振りの少ないこの釣りは実に楽しいものだ。

 東の空が明るくなり始めた午前5時半過ぎ、由良湾に向けて軽トラを走らせた。1時間ほどで、ホームグランドの小さな漁港に到着した。ゴムボートに空気を入れるなど準備に半時間ほどかかるから、結構面倒である。

 ポットの熱いコーヒーを飲みながら、鏡のような海面を滑るように走った。ポイントに到着すると、女房は禁断症状の麻薬中毒のように、すぐに仕掛けを入れた。私も海底を探ってみた。しかし、まったく当たりがない。

 ここを諦め、次のポイントへ。すると女房が立て続けに中型のガシラを釣った。1時間ほどで女房7匹、私3匹である。しばらくすると、私に強烈な当たりが来た。慎重にリールを巻くと、25センチは超えそうな良型が釣れた。これで面目が立った。

 ところがこの後、女房がこれよりひと回り大きいガシラを釣った。確かにこれはデカイ! 「うれしい。来た甲斐があった」とご機嫌である。女房を飽きさせない、次も行きたいと思わせる。これが船頭役の私の腐心するところである。

 ガシラに混じり、磯ベラもたくさん釣れた。ベラは唐揚げし、甘酢をかけて食べるのがわが家の料理方法だ。熱々を食べれば実にうまい。女房はガシラより美味しいと言い、ベラが釣れると喜んでいる。

 午前10時半ごろ竿を納めたが、この日の釣果は、ガシラ24匹、ベラ9匹、カマス1匹。港に帰ると知り合いの漁師がイサギ釣りに行って帰って来た。漁船にボートを横付けすると、イサギ4匹をすくってクーラーに放り込んでくれた。これは思わぬご馳走である。新鮮なイサギの刺身は、本当に甘い。

 あちこちおすそ分けしたが、それでも煮たり焼いたり、唐揚げにしたりで3日間はガシラ料理が続くだろう。魚好きだから飽きることはないが、実はそれまで数日にわたり、アジばかり食べていたのだ。

 5日ほど前、釣り餌店の情報では「さっぱり釣れん」ということだったが、近くの波止場へダメモトでアジ釣りに行った。ところが午後7時くらいから、アジが狂ったように釣れ、1時間ほどで100匹以上も釣れたのだ。

 アジは14、5センチと大きくなっていた。30匹ほどを南蛮漬けにしたが、結構脂が乗っていた。それはそれで美味しかったが、前日の晩の食卓にもアジが山盛り皿に乗っていた。さすが食傷気味である。

 家計をあずかる女房にすれば、われらが釣る魚は家計を助け、魚をクーラーに放り込めば「チャリン」という500円硬貨の音に聞こえるのだろう・・・。

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      ⇒ 先日のアジの釣果。女房がかなり大きいメバルを釣った。
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東京五輪・・・韓国は嫉妬しているのか

 2020年のオリンピック招致に東京が成功した。まことにめでたい。朝の3時半に起きてテレビにかじり付いていた甲斐があった。決定の瞬間、私は7年後の自分の姿を想像し、少なくともそれまでは健康であり続けたいと願った。

 報道番組では、東京の勝因について様々な意見が述べられていた。ロビー活動の成功や招致委員が一丸となったこと、国民の支持が高まったこと・・・それらの総合力が成功に導いたことは間違いなかろう。

 しかし私は、日本がやっと「普通の国」として自己主張したことが最大の勝因だと思う。「失われた20年」というが、1990年初めのバブル崩壊からこの間、日本は自信や誇りを失ってしまった。

 その結果、言うべき事も言えない国になり、どんどんと縮み志向になってしまった。尖閣諸島で中国の漁船に体当たりされても船長を放免したし、隣国から因縁を付けられても、「毅然」と言いながら穏便に済ませてきた。

 オリンピック招致のロビー活動でも、紳士的と言えば聞こえはいいが、遠慮気味だったと言われる。さらに政治はスポーツに深入りすることを嫌い、政治家の顔が見えなかった。前回の東京招致では、わずか6票しか取れなかったばかりか、10人のIOC委員から「東京に入れた」という嘘までつかれたと言う。

 しかし、今回はまったく違った。安倍総理を始めとして関係者が地球を一周するほどの戦略的な外交を展開した。招致委員会の竹田会長も、世界のIOC委員に接触し続けた。特に、高円宮妃久子さまが絶妙の役割を果たされた。

 日本は放射能汚染水の懸念はあるが、経済力、施設、運営能力、治安のどれをとっても世界のトップクラスであり、堂々と立ち向かえば世界は日本を選ぶのだ。もう、卑屈になったり、他国の顔色をうかがったりする必要はない。

 こんなことは書きたくなかったが、東京招致が実現したからもういいだろう。お隣の韓国の話である。東京招致を快く思わない韓国の新聞は、東京電力福島原発の放射能汚染を巡り、「東京はふさわしくない」と、盛んにネガティブキャンペーンを繰り広げた。日本は言論の自由がある成熟国家だから、新聞が騒いだくらいでとやかく言わない。

 しかし、福島県など日本の計8県の水産物を全面輸入禁止にしたのは韓国政府なのだ。それもIOC総会の2日前の事である。しかも海のない栃木、群馬両県を入れている。世界に放射能汚染の風評を流し、東京五輪を潰そうとする意図はミエミエなのだ。

 輸入禁止はせめてIOC総会が終わってからでも遅くなかったはず。それが隣国に対する礼儀だろうか。まぁ、韓国に礼儀とか礼節を期待するのはどだい無理な話である。東京五輪の招致が成功した今となっては、問題にするのもバカバカしいが・・・。

 

顔写真が合唱する・・・

 先週、親類の結婚披露宴に夫婦で出席した。新婦のご両親にお祝いの挨拶をすると、すぐにカメラを手にした男性が現れ、顔写真を撮らせてほしいと言った。出席者全員を撮影しているらしい。

 私も女房も、よそ行きの顔を作り、撮影してもらった。結婚式の記念アルバムか何かに使うのだろうと思った。やがて、若い二人の門出を祝って乾杯し、披露宴が始まった。

 新郎も新婦も緊張することなく、爽やかな笑顔を振りまいていた。友人らのスピーチもユーモアにあふれていた。二人の子供のころからの写真を繋ぎ合せ、人生の歩みをクリーンに映し出す楽しい演出もあった。

 今風の披露宴は、昔と随分違う。30数年も前の私たちの披露宴を思い出した。司会者はマスコミに勤める友人で、披露宴が始まって半時間ほどすると、事件が起きたと言って帰ってしまった。事件とは、ある地方銀行の女子行員が横領していた金を愛人に貢いでいたもので、その女子行員がマニラで捕まったというのだ。

 一方の仲人は、披露宴が始まる前から酔っ払っていて、新郎新婦の紹介も呂律が回らない。司会者のいなくなった披露宴はお通夜みたいになり、あちこちで私語が交わされるだけ。私は作り笑いをしていたが、多分顔が引きつっていたに違いない。女房の一生の後悔はこの時から始まったのだろう。

 さてこちらの披露宴は終わりに近づき、新婦が両親と姉に対する感謝の思いを語り始めた。それは会場の涙を誘い、私も目がしらにハンカチを当てた。

 続いて新郎の言葉だ。会場の末席に新郎のお姉さんが座っていた。彼女は障害者であり、弟に向けたその目から大粒の涙があふれいた。弟を祝福する何という美しい涙だろう。こらえていた私はついに嗚咽してしまった。

 新郎新婦から両親に花束が渡されると、司会者から「正面のスクリーンをご覧下さい」というアナウンスがあった。ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏するオーケストラが映し出された。

 そしてオーケストラの後ろに合唱隊が映り、歓喜の歌が響き渡った。歌っているのは、披露宴に参加した私たち一人一人であり、冒頭に撮影された顔写真が合唱しているのだ。

 スクリーンにずらり並んだ顔写真は右に左に動き、それぞれが口を大きく開け、目をパチクリさせて歌うのだ。一人ひとりのその表情は実に傑作で、会場は笑いの渦である。涙から爆笑へと転換させた見事な演出だった。若者たちとともに楽しいひと時を過ごさせてもらった。お幸せに・・・。

      *       *       *

 パソコンで「顔写真が歌う」の文字を入れて検索すると、「顔写真を3Dアニメ化する技術」などという項目が出てくる。どうやらこのソフトが、われらの第9の合唱に用いられたのだろう。
      

母のこと・・・

 お盆の前ごろだったか、高校時代の友人から長文のメールが届いた。それは、母親を追憶する内容で、母親の生い立ちから秘密めいたことまで詳しく書かれてあった。

 この一文を読んで、よくもまあ詳しく調べたものだと感心した。それに対して私は、母が亡くなって30年ほど経つが、母へのおぼろげな記憶があるだけで、文章にまとめるほど母親のことはよく知らないのだ。

 今回、友人からメールをもらってそのことに気付かされ、母に対する申し訳ない気持ちになり、胸がチクリ痛んだ。同時に、長い間忘れていたことを思い出させてくれた。確か、母からの手紙がそっくり残っているはずだと・・・。手紙は母親を知る手掛かりになるはずだ。

 ただ、この何十年か、手紙の束を解いて読み直したことはない。しかも、親元を離れて大学に入り、就職し、結婚し、何回かの転勤を繰り返し、引っ越しは12回を数えた。その度に手紙も場所を替えたはずだが、紛失せずに残っているかどうか、自信がなかった。

 先日、親類の結婚式で大津の自宅に帰り、納戸や押し入れなどを探した。やはり、ちゃんとあった。手紙はニッカウヰスキーの箱に入れ、押入れの天袋の奥にしまわれたてあった。私は若い頃、よくブラックニッカを飲んでいたから、身近にあったウイスキーの箱に手紙を入れておいたのだろう。

 母は、私の小学生のころから手と足が不自由になり、中学生の頃になるとほとんど寝たきりの生活になっていた。それでも不自由な手でペンを握り、親元を離れた私にせっせと手紙を送り続けた。まだ手紙の数を数えていないが、100通、いや200通くらいあるかもしれない。

 手紙は和歌山の山小屋に持ち帰ったが、数日経った今も手紙を読めないでいる。うまく書けないが、読むのが怖いのだ。母は私をどんな目で見ていたのか、何を伝えようとしていたのか、母の思いに応えない自分がいたのではないか・・・。そんな思いが、読むのを逡巡させている。
 
 とりあえず1通だけ取り出し、読んでみた。便箋2枚に細かい字がびっしり並んでいた。手が悪いので、字が曲がっていたりして達筆という訳ではなかった。文面も飾らない素朴な内容だった。ただ明治人らしく、難しい漢字を間違いなく綴っていた。

 恥ずかしいが、原文を書き出してみた。

 「昨日の日曜日に帰る事と思ひ、柿も井戸のそばの木に五、六つなっていますのでちぎらず残して、お布団も母ちゃんが苦労してぼちぼち三枚仕上げて、帰ったらこの仕立てだての暖い布団で寝さしたいものと待って居ました・・・」

 続けてこんな事も書かれていた。「炉に火を入れてもらって毎日一人ぼっちで留守番をして居ます」「昨晩ニュースを見ていたら同じ大学の学生が登山して転落死され、ドキッとしました」「この前帰って来た時は顔色が悪かったので心配していました」「まあ何より体が大事ですから夜ふかしをせないよう、又帰る日を待って居ります」

   ・・・ ・・・   
 
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