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秋篠宮妃・紀子さんのルーツを訪ねて

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 11月29日の朝、野鳥のヤマガラに餌を与えようと居間のカーテンを開けると、ウッドデッキに薄っすらと雪が積もっていた。これまで雪が舞うことはあったが、積もるのは今シーズン初めてだ。朝の気温はマイナス1度だった。

 こう寒いと、温泉に行きたくなる。先日、夫婦で回数券を買ってある清水温泉に向かった。生石山を下れば15分ほどで二川(ふたがわ)ダムの人工湖に突き当たる。ここを左折し、有田川沿いにしばらく走ると清水温泉に至る。

 温泉のある清水町(合併で有田川町)は、紀伊山地の奥地にあり、かつては陸の孤島だった。町を貫く有田川は毎年のように水害をもたらし、昭和42年に二川ダムが築かれた。

 これを機に、ダムや川に沿った道路は整備され、気持ち良く走れるようになった。昔は、断崖もある林道のような道しかなかったのだろう。車で走りながら、往時の人々の苦労を思った。

 温泉では1時間ほど過ごし、体がポカポカになった。帰るにはまだ早いので、気になっていたカフェを偵察することにした。この店は特産の山椒を使った料理や飲み物を出しており、土日だけ店を開いている。場所が確認できたので、さらに山道を奥へ進んだ。

 しばらく走ると、80歳半ばくらいのおばあさんが道を掃除していた。話しかけると、話好きのおばあさんのようだ。テレビばかり見ているご主人への不満やら60年前の大水害やら、次から次へと語ってくれた。

 そして「ここは秋篠宮紀子さんのご先祖が住んでいた」と胸を張った。もちろん知っているが、家の場所までは知らない。「折角だから行ってみれば。あの雲のあたりの山まで登って、少し下れば小さなお寺があり、すぐそばにご先祖さんの家があるよ」。「あの雲のあたり」という表現が、山で暮らす人の距離感が出ていた。

 雲のある山頂までは悪路で、結構遠かった。しばらく下ると、鐘楼もある立派な構えのお寺が現れた。美作山法仙寺といお寺で、観音堂には十一面観音が祀られているという。弘法大師ゆかりお寺だ。

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 そこからひたすら落ち葉で埋まった山道を下った。教えられた通り、小さな寺院があった。農家の主婦に家の場所を聞いてみた。すると、「この近くですけれど、詳しいことはいいじゃないですか」という歯切れの悪い答えが返ってきた。

 その話の前に、紀子さんの先祖について書いておこう。紀子さんの曾祖父は、この寒村の農家の三男として生まれた。明治の時代、奥地の村から東京師範に進学したほどの秀才だった。この人物に目を付けたのが、和歌山の庄屋の川嶋家で、彼を婿養子として迎えた。

 川嶋の家系は、まさしく華麗なる一族であり、紀子さんへとつながっている。東京で暮らした一族だが、紀州人としての誇りを継承するため本籍、菩提寺ともに和歌山にあるという。

 先ほどの話に戻ろう。曾祖父が生まれた家は分かった。今はその家の隣に新しい家を建て、子孫が暮らしている。詳しく書くのは憚れるが、要するに無人のその家は古びていた。

 あの農家の主婦が「もういいじゃないですか」と言ったのは、今の家の姿を見られたくなかったのだろう。紀子さんのご先祖への思いやりだったのだ。集落の人たちにとって、曾祖父は皇族につながるルーツであり、誇りなのだ。主婦の本心が分からず、言葉にトゲを感じた自分を恥ずかしく思った。

 秋篠宮第三子の悠仁親王は、皇位継承順位が三位である。男系男子の皇室典範が改正されない限り、いつか悠仁親王が天皇になる可能性は高い。だとすると、ここ清水の家は天皇家のルーツの一つになるかもしれない。一度、宮内庁職員は視察してみてはどうか・・・。

     ↓ 山の少し奥に曾祖父の家がある。写真の手前は有田川。
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柿の無人販売所が撤退・・・持ち逃げ相次ぐ

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 私たちが暮らす生石山の東側を下ると、中腹に柿畑が広がっている。節くれだった柿の古木に、赤く色づいた柿が鈴なりだ。日本ならではの晩秋の風物詩である。

 今の時期は、何と言っても富有柿が美味しい。生石山に近い美里町(市町村合併で現在紀美野町)の柿はブランド品である。この町は寒暖の差が大きく、そんな気候風土が甘い柿を育むのだろう。

 ただし、われらは都会に出荷されるような高級品は食べたことがない。形がいびつだったり傷が付いたりした規格外の柿は道の駅などであちこちで売られており、これを買う。味に変わりはないのでお買い得なのだ。

 生石山のわが家から15分ほど下った所に、柿の無人販売所がある。ここで買うようになって5、6年になる。オレンジ色のネットの袋に12、3個入って200円。都会では考えられないような安さだ。しかもここの柿は大きくて甘い。

 今月初めごろ、無人販売所へ柿を買いに行ったところ、棚には一つも置いていなかった。そこで、販売所を開いている農家から直接買おうと、家を訪ねた。1000円で持ち切れないほどの柿を売ってくれたが、ここのご主人から意外な言葉を聞いた。

 「最近、お金を入れないで持って行く人がすごく多い。アホらしくて、もう止めたんだよ」。1年かけて柿を育て、朝早くから収穫し、販売所まで運ぶ手間を考えると、一袋200円では申し訳ないような気がする。それなのに、コインを入れずに持ち去る不届き者が多いとは、余りに情けない。

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 唐突だが、猪瀬東京都知事が行った五輪招致のプレゼンテーションを思い出す。彼はそれほど上手でない英語で、しかし雄弁にこう述べた。「東京では財布を落としても、すぐ持ち主に返ってきます」。安全な東京をアピールし、大いに点数を稼いだと思う。

 ただ残念なことだが、五輪招致の立役者の知事は今、医療法人徳州会から巨額献金を受け、弁明に追われている。あの時のプレゼンとは対照的に、弁明はシドロモドロである。視線、挙動にも落ち着きがなく、「嘘をついています」と顔に書いているように見える。

 ともかく、知事は日本人の美徳を世界に語ってくれた。もちろん財布がすべて返ってくる訳ではないが、世界では例を見ない正直さであろう。災害が起きても、商店からの略奪がないのも日本である。ところが、たった200円の柿の袋を持ち逃げする不逞の輩が横行しているのだ。日本社会が歪み始めているのだろうか。

 無人販売所は、人間の性善説を前提に成り立っており、このような販売所があるのは日本だけだとも言われている。野菜や果物を手に取って缶の中に硬貨を入れる。チャリンー。いい音である・・・。

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食品偽装・・・味覚の堕落?

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 案の定、薪作りで腰を痛めてしまい、午後からの作業を休んだ。一抱えもある大木をチェンソーで倒すのは私の役目で、中腰で切り込みを入れる作業は腰に負担がかかる。4日連続の作業で疲労がたまっていたのか、玉切りした丸太を持ち上げたところ、腰がギクッときた。

 鈍痛がする。座ったり、立ったりする時、思わず「痛っ、たたた」とうめき声上げてしまう。見かねた女房が「温泉で腰を暖めた方がいい」と言うので、早速、車で半時間ほどの清水温泉に向かった。

 丁度いい湯加減で、お客は珍しく私一人だけだった。誰に遠慮もいらないので、湯船のへりにタオルを敷き、その上に顎を乗せてそっくり返るようにして浸かった。この姿勢だと最初は腰が痛いが、そのうち気持ち良くなる。

 女房との約束の時間になったので、一旦風呂を上がった。休憩室の畳の上で30分ほど寝そべった後、再び湯船へ。じっくり湯に浸かり、足や腰を伸ばした。わが家の狭い風呂ではこうはいかない。鈍痛が少しやわらいだように思う。

 温泉の前に、レストランと地元産品を売る店があり、覗いてみた。懐かしいカヤの実が売られていた。50個くらい入っていて210円だ。ちなみに最高級品の将棋盤、碁盤はカヤの木で作られており、近年は乱伐されて少なくなったと聞く。だからカヤの実も珍しくなった。

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 私の小さい頃、父親は知人からしばしばカヤの実をもらってきた。この人は、私たちの集落よりもっと奥に住んでいて、カヤの大木があったのだと思う。木の実は、両側が金網になっている器具でこんがりと煎った。

 火鉢の縁に実を置き、太めの鉄火箸でコンと叩けば、殻が簡単に割れた。独特の苦みがあり、じわっと脂が滲み出て、落花生に似ていた。何と美味しかったのだろう。

 あの味が懐かしく、カヤの実が売られていると必ず買った。しかし、その度に裏切られた。もっと美味しかったのに、それほどでもないのだ。今は美味しい物などいくらでもあり、もはやあの程度の美味しさに感動しなくなっているのかもしれない。

 それを「舌の進化」と言ってしまうと、ちょっと寂しいものがある。それなら、大きな社会問題になっている有名ホテルの食品偽装をどう見たらいいのだろう。弁解出来ない詐欺的行為に違いはないが、「有名ホテル」の料理というだけで喜んだお客がいたのも事実だ。

 サイコロステーキに脂を注入した偽装もあったそうだ。例えは良くないが、シリコンを注入した大きなお乳に、そうとは知らずに歓喜する男性に似ているではないか。偽物が優れていても、所詮は偽物である・・・。

 

薪作り始める・・・ふぅー重労働

 ここ生石山では、先日の未明に初雪が降った。積もるほどではなかったが、わが家のウッドデッキの床がシャーベット状になっていた。暦の上では、もうすぐ「小雪」である。

 コナラなど落葉広葉樹が黄色に色づき、この季節を待って山で暮らす私たちのグループは薪作りを始めた。全員が暖房用として薪ストーブを使っており、燃料となる薪作りは欠かせない作業なのだ。

 薪にする木は毎年、山の中腹の森から伐り出している。土地の所有者に雀の涙ほどの謝礼を払い、伐らせてもらっているのだ。現場まで車で入って行けるので、まことに便利である。

 この森には、アベマキという樹木がたくさん生えている。ブナ科コナラ属の落葉高木で、クヌギと区別がつかない。「コルククヌギ」という呼び名もあるそうで、樹皮のコルクが分厚い。

 ここのアベマキはひと抱えほどもある太さで、樹齢は何十年と経つだろう。物凄く堅く、重いから火持ちがよく、薪としては最高の樹木なのだ。ただ、チェンソーの刃を半日で研ぎ直さなければならないほどの堅さだ。

 作業は、今のところ3人で行っており、そのうち6人全員がそろうはず。ここでの伐採は3年目で、次第に森の奥の方で伐採しなければならず、丸太を引き出す作業はきつくなってきた。

 アベマキは高さが20mを超え、倒すのも一苦労だ。伐採して枝を払い、長さ3mほどに切り分ける。これをワイヤーでくくり、ガソリンエンジンのウインチで引っ張り出して来る。

 この丸太を30センチほどの薪の長さに玉切りし、われらが暮らす山の上に軽トラで運び上げるのだ。作業はこれで終わらない。薪割り機で割ってそれぞれの家に持ち帰り、倒れないよう積み上げるのだが、1年分の薪を確保するためには、何回もこの作業を繰り返す。

 下の写真は、3日間の伐採作業で持ち帰った玉切りした丸太である。約6、70個ほどあるが、真冬なら3週間くらいでなくなる量である。だから、薪作りはまだ緒についたばかりなのだ。

 実のところ、重労働の薪作りをいつまで続けられるか不安だ。山の斜面での作業だから、コロンと簡単に転んでしまうし、丸太を軽トラに載せる作業は下手をすると腰を痛める。これら一連の作業は働き盛りの男でもきついはずだ。

 しかし、それでも薪ストーブにこだわる。炎を見つめていたいし、柔らかな暖かさも格別だ。仲間が集まれば、「あぁしんど、来年からは石油ストーブやなぁ」と冗談を言い合っているが、さてどうなるやら・・・。

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一椀のとろろに涙する・・・

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 先日、高校時代からの古い友人が自然薯を送ってくれた。彼も私も山深い田舎の生まれで、家の近くの山にはたくさん自然薯が自生していた。私たちにとって、それは故郷の味でもある。

 子供のころ、父親から自然薯の掘り方を教わり、よく掘りに行った。長い芋を折らずに掘ってくれば、親から褒められた。それがうれしくてまた掘りに行った。

 母親は芋をすりおろし、辛みのある大根おろしに卵の黄身を混ぜ、砂糖と醤油で味付けした「とろろ」を作った。女房は早速、友人から届いた自然薯で「とろろ」を作ってくれた。昔の味と同じだった。

                        *      *      *

 「父上様、三日とろろ美味しゅうございました」・・・。

 このような書き出しで始まる遺書を残し、昭和39年の東京五輪マラソンで銅メダルに輝いた円谷幸吉選手は、自殺した。昔読んだ沢木耕太郎著「敗れざる者たち」の中の「長距離ランナーの遺書」にその全文が載っている。

 円谷選手は福島県須賀川市の出身である。この地方には、正月三日の朝にとろろを食べる習慣があり、「三日とろろ」と呼ばれている。一年の息災を願う意味が込められている。

 遺書には「美味しゅうございました」と繰り返し書かれており、それが物悲しい。身内の一人ひとりに別れを告げる律儀さ。もう走れなくなったと訴える悲壮感。その一字、一字が余りにも切ない。

 そして最後の一行に、万感の思いが込められている。読み終わって私は滂沱(ぼうだ)の涙を流した。


    【遺書】

父上様、
 三日とろろ美味しゅうございました。
 干し柿、もちも美味しゅうございました。

敏雄兄、姉上様、
 ブドウ酒、リンゴ美味しゅうございました。

巌兄、姉上様、
 しそめし、南ばんづけ美味しゅうございました。

喜久造兄、姉上様、
 ブドウ液、養命酒、美味しゅうございました。

幸造兄、姉上様
 往復車に便乗させて頂き有難うございました。

正男兄、姉上様
 お気をわずらわして大変申し訳ありませんでした。

幸雄君、英雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、
敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、
芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。

父上様、母上様、
 幸吉はもうすっかり疲れ切って走れません。
 なにとぞお許し下さい。
 気が休まる事もなく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。

幸吉は父母上のそばで暮らしとうございました。

悪天の前に・・・イカとガシラ

 「来週は冬型の気圧配置になり、荒れ模様になる」。天気予報が、そう繰り返している。「それ、今がチャンス!」・・・。釣りのボートを積み、紀伊水道に面した由良湾へ向かった。

 連チャンで釣りをすることにし、1日目は私だけ、2日目は女房が同行することになった。私一人だけの釣りなら、ラジオでも聞きながら、のんびりアオリイカを狙おう。

 ボートの準備をしていると、漁港の近くで暮らす知り合いがボートに乗って帰って来た。手を頭にかざし、くるくる回している。ボウズの合図だ。彼によると、暗いうちに海に出てイカを狙ったが、まったく当たりがなかったと言う。

 悪い予感はしたが、ともかくべた凪の海を走り、ポイントをめざした。ここは、長い岩礁地帯で、ボートから海底が丸見えのとても浅い場所である。必ず釣れるという確信めいたものがあり、生きたアジを泳がせながら胸を躍らせる。

 しかし、半時間経ったがイカの気配が感じられない。「気配」とは、つかみどころのない言葉だが、釣り人にとっては結構重要な感覚なのだ。要するに「ピンと来る」という感じで、それが当たることの方が多いように思う。

 その「気配」にこだわり、40分で早々とこの場所を諦め、潮が淀んでいるような小さな湾にアンカーを下ろした。ここが大当たりだった。面白くもない実況中継はやめておくが、2杯目のイカは1・5号の糸が切れそうなほど引いた。この秋最大の1キロを軽く超す大物だった。計4杯釣れ、明日に備えて昼前に帰港した。

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 2日目は女房がボートに乗り込んだ。「たくさん釣って家計の足しにしたい」・・・。女房の口癖である。

 この日はまったくの無風。波はなく、海は油を流したようだ。釣りは多少波気があった方がいいのだ。また「気配」にこだわるが、釣れるような気配を感じなかった。ところろが、女房は第1投目から特大のガシラを釣り上げた。偉そうに「気配」の御託を並べたが、まぁ、私の勘はこの程度である。

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 その後、ガシラやベラがボチボチ釣れるくらいで、釣果が上がらない。天気もいいし、波もなく、クルージング気分で沖の島を目指した。島を一周しながら竿を出したが、女房が1匹釣っただけだ。土曜日とあって、島の磯には多くの釣り人がいたが、ほとんどが暇そうにしていた。

 再び元の場所に引き返した。この夏ごろ、岸から100メートルほど離れた所に、ドラム缶ほどの黄色いブイが設置された。海底は起伏に富んでおり、最近はこのブイの周辺でガシラ釣りをすることが多い。ここにボートを止め、再チャレンジしたが、まったく当たりがない。

 しばらくすると、若い男女10数人を乗せた漁船がやって来て、あの黄色いブイに係留した。やがて男女は空気ボンベを背負い、次々と海に飛び込んで潜った。どうやら、ダイビング教室の一団らしい。黄色いブイはダイビングのために設置されていたのだ。

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 ダイビングするほどだから、あたりの海中には魚がたくさんいて、透明度もあるのだろう。ダイバーが泡を吐き出しながら海中を徘徊すれば魚は逃げてしまうだろう。これを潮に納竿することにした。

 釣果はいつもより少なく、ガシラ8匹、ベラ7匹、計15匹だった。まぁ、多少は家計の足しになった・・・。

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秋深まり、ヒラタケにナメコ・・・

 ここ生石高原を歩いていると、道端にノコンギクがいっぱい咲いている。薄い紫色の花びらには気品があり、日本人の心をくすぐる美しさがある。ありふれた野菊の一つだが、生石の山へ移住するまで名前を知らなかった。

 今ごろは、二十四節季の「霜降」。候は「楓や蔦(つた)が色づく」。旧暦の暦にそう書いてある。この秋は暖かかったこともあって、それほど紅葉が進んでいないが、それでも山桜はすっかり赤味を増し、秋の深まりを感じる。

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 先月まで、キノコの原木栽培をしている裏の杉林に足を運び、ため息ばかりついていた。ナメコが少し出ただけで、シイタケもヒラタケも発生の気配がなかったのだ。今年はこれで終わりかなぁと、心配ばかりしていた。

 しかしそれは杞憂だった。月末から、発生が始まった。ナメコはまるでブドウの房のように出てきた。ヒラタケもどんどん大きくなっている。ナメコに比べれば成長が早い。ヒラタケはシメジの仲間で、「香り松茸、味シメジ」とも呼ばれる。鍋、天麩羅、炊き込みご飯にすれば美味しい。

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 2009年のブログで、今昔物語に登場するヒラタケの話を書いた。なんぼ物覚えのいい人でも、もう忘れているだろうから、もう一度紹介しよう。ネタ不足の時に使う奥の手である。

 時は平安時代。信濃の国司を務め終えた貴族が京へ帰る途中、乗っていた馬もろとも谷底へ転落した。家来たちは国司が死んだと思っていたところ、谷底から「籠に縄をつけて下ろせ」という国司の叫び声が聞こえた。命令通り籠を下ろし、引き上げてみると、ヒラタケがいっぱい入っていた。

 再び籠を引き上げると、国司が乗っていて、ヒラタケの株を抱えていた。谷の大木に引っ掛かり命拾いしたが、その木にたくさんヒラタケが生えていたので、手が届く範囲で採ってきたという。まだたくさんあったので、「宝の山を前に、もったいないことをした」と、残念がったと言う。

 京育ちの貴族は、任地で食べたヒラタケが余りにもおいしかったので、命がけでヒラタケを採ってきたのだ。平安の昔からヒラタケはおいしいものとされ、それを物語る話だろう。

 女房が早速炊き込みご飯を作ってくれた。ヒラタケの滑らかな食感がいい。食欲の秋・・・。

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