怠け者からの謝意・・・

 日々は、駆け足で過ぎ去った。この一年を振り返って、月並みではあるが、これが率直な印象だ。しかし、大きな病気もせず、毎日毎日、山道を早足で歩けた。案外、幸せとはそういうものかもしれない。

 テレビを見ていたら、今年鬼籍に入ったある文化人は次のように語っていた。「怠け者には哲学があるが、働き詰めの人にはそれがない」。働く人をけなしているのではなく、少し心の余裕を持ってもらいたいというパラドックスなのだろう。

 怠け者の私としては、いたく感じ入った。毎日、ダラダラ、ブラブラしているのに、哲学があるというお褒めの言葉。汗顔の至りである。怠け者は、なぜ自分が怠け者であるか、その正当な理由ばかりを考えている怠け者なのである。つまり、日がなボーっとしているようで、実は頭を使い考えているのだ。ただ、体は動かさない。

 ブログの更新も少し怠けていた。当初は月に20日以上更新していたが、次第に少なくなり、今年は平均月に8回くらいになってしまった。6年以上も書き続け、記事の数が843本ともなると、同じような事柄が多くなってしまう。目先を変えようと思うと、書くのが煩わしくなり、更新回数が減ってしまう。悪循環である。

 それでも、今年の秋にはアクセスの数が15万回に達した。訪問して下さる一人ひとりの積み重ねが、この望外の数になった。正直言って、ブログを止めようと思ったことは二度や三度ではない。しかしその度に、15万という数字の大きさに励まされ、続けてこれた。

 これからも紀伊山地・生石高原での暮らしを徒然に書き留めていきたいと思う。時々、フラストレーションに襲われ、過激な文章になることがあるかもしれない。不快な思いを与えてしまうかもしれない。そんな時は、年寄りのたわ言として赦していただきたい。

 この一年、「森に暮らすひまじん日記」にお付き合いいただき、有難うございました。どうか、良いお年を。新年に訪問して下さった皆さんには、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
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裏切り者と言われ・・・

 生石山を下る日が近付いてきた。滋賀の自宅で冬を過ごすためだ。琵琶湖を渡る風は冷たく、比叡下ろしも厳しいが、標高800mの生石山の寒さはこの比ではない。年齢を重ねる毎に、氷点下5、6度の暮らしは耐え難くなってきた。

 山を下る前にしておかなければならない作業がある。キノコのホダ木に菌を打ち込むのだ。これまでは2月ごろに作業をしていたが、今年は山を下りるので、その前に終わっておきたい。

 伐採しておいたホダ木(長さ90㎝)は、アベマキ34本、山桜5本、コナラ5本、ウリハダカエデ5本の計49本だ。アベマキは椎茸とクリタケ、山桜はヒラタケ、コナラとウリハダカエデはムキダケに使う。

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 買った駒菌は全部で1600個。ドリルでホダ木に穴を開け、木槌で叩き込む。これだけの駒菌を打ち込むには2日ほどかかるが、今年は女房が手伝ってくれたので、1日で作業を終えることが出来た。

 ホダ木は井の形に積み上げ、遮光ネットで覆った。木に菌を浸透させるための仮り伏せである。来年6月ごろ、ホダ木を杉林の中に寝かせる本伏せを行い、順調に菌が回れば2年後の秋にキノコが発生する。

 今回は、ムキダケに初挑戦だ。キノコの図鑑を見ていたら、何となく美味しそうだったので、原木栽培用の菌を取り寄せた。肉厚でツルッとした舌触りが良く、味噌汁、煮物、野菜炒めなどに合うらしい。加えて、体を健康にする成分がいっぱい詰まっているというから、収穫が楽しみである。

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 ともかく、キノコの作業が終わったので、山を離れる準備は整った。

 山小屋で暮らし始めて6年目だが、雪に囲まれる生活も楽しかった。新雪が積もれば生石高原に新しい足跡を付けてはしゃぎ回ったし、マムシの心配がないので、行ったことのない森の中を歩いた。

 山奥の暮らしは不便である。しかし、自然に囲まれる暮らしは、不便を差し引いても余りあるものがある。むしろ、不便を楽しんでいると言った方がいい。しかし近年、どうも寒さだけは身にこたえる。年は取りたくないものだ。

 ここ生石山の一角では、4人の仲間が厳しい寒さに耐えながら越冬する。私たち夫婦も一昨年までそうしてきたが、ついに脱落してしまった。仲間は山を下りる私たちを笑顔で見送ってくれるが、腹の中では「裏切り者」「卑怯者」と思っているはずだ。すまん・・・。 

鯛釣りは無念の延期

 12月20日朝、雪が舞っていた。積雪は1センチ弱。風も強い。午前8時ごろ、にわかにガスが晴れ、紀淡海峡が見えるようになった。双眼鏡で覗くと、海に白波こそ立っていないが、島の磯際は打ち寄せる波で少し白い。

 実はこの日、紀淡海峡の加太沖で鯛釣りをする予定だった。ブログを通じて交流が始まった「イレグイ号」さんから誘いを受けていたのだが、荒天が予想されたので前日に釣行の中止を決めていた。その判断は正しかった。

 北西の風が強く吹くこの季節は、釣り船を出す機会になかなか恵まれない。彼から誘いを受けた時、船を出せるかどうかは五分五分より確率が低いと思っていた。人知が及ばない自然が相手だから、これも仕方がない。

 とは言っても、そんな分別はただのやせ我慢。速い潮に鍛えられた真鯛の刺身に未練はある。昆布〆もいい。湯引きも思い描いていた。未練は絶ち難いが、またの日を楽しみにしよう。待てば海路の日和あり・・・。

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紀淡海峡の真鯛に挑む・・・

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 朝、野鳥のヤマガラに餌を与え、続いて双眼鏡で紀淡海峡や紀伊水道を眺める。これが私の1日の始まりである。標高800mの山の上に建つわが家の居間からは、海と島々が下の方に見渡せるのだ。

 双眼鏡を覗けば、海岸に打ち寄せる白波の程度によって、海が荒れているか、凪かが分かる。釣り好きの私にとっては、漁船がどのあたりで漁をしているか、釣り船がどこに集まっているかが見えるので、いつも興味津津だ。漁船は、ひと目見て100隻ほどが群がっていることもあり、なかなか壮観である。

 淡路島と和歌山にまたがる紀淡海峡には、友が島、沖ノ島、地ノ島があり、海峡が狭いので潮の流れが速い。ここには真鯛を始め、アジなどの青物、根魚など様々な魚が集まり、関西屈指の漁場になっている。

 前置きが長くなったが、もうすぐこの海で魚を釣る予定なのだ。ブログを通じて知り合った「イレグイ号」さんの招きである。彼はサラリーマンだが、2隻の船のオーナーであり、休みの日には紀淡海峡で釣りをしている。

 彼のブログ「イレグイ号クロニクルⅡ」(リンク)には、釣りと読書の文章が綴られている。春から夏にかけての釣行は散々な様子だったが、最近はイカ、鯛、アジなど俄然調子が出て大漁続きである。

 どうやら紀淡海峡は好調らしい。二つ返事で「行きまっせ」とメールを送った。本命ポイントの加太沖で真鯛を狙うという。鯛カブラという釣り方で、初めての体験だ。ネットで釣り方を調べると、かなりの熟練が必要なようだ。

 ビニールのヒラヒラの付いた疑似餌を海底に落とし、ゆっくり巻き上げながら食い付かせる。「コツ」という小さな当たりがあっても合わせず、鯛が完全に竿に乗るまでリールを巻き続ける。掛ればポンピングせず糸を張ったまま巻き上げるという。

 このように書いていると、もう釣った気分である。水面近くでギラッと身を返すピンク色の魚体。食卓に並ぶ刺身、塩焼き、アラ炊き・・・。まさに、真鯛の満漢全席である。

 イレグイさんからのメールには、鯛の後にマアジを狙うとも書かれていた。そして「この時期のマアジは真鯛よりも美味しいです」という殺し文句。今年を締めくくるにふさわしい海のご馳走が目に浮かぶ。

 えっ、捕らぬ狸の皮算用? 結末はまた・・・。

生石高原は雪景色

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 雪の不意打ちを喰らった。12日早朝、居間のカーテンを開けると、外は真っ白だ。積雪は2、3センチくらいで、この冬二度目の積雪である。前夜の天気予報では雪が降るような感じではなかったのだが・・・。

 ここ生石高原では、去年が12月9日、一昨年が12月17日に雪が積もった。だから今ごろの雪は珍しいことではない。2日前には軽トラのタイヤをスタッドレスに交換したばかりで、滑り込みセーフだった。

 外気はマイナス2・5度だ。それでも、わが友ヤマガラは元気に姿を見せ、餌をついばんで行く。雪が積もれば師走を実感する。そろそろ年賀状を書かねばならない。少し、気ぜわしくなってきた。

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金目鯛の目がにらんでいた・・・

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 熱海で温泉三昧の暮らしをしている友人から、大きな宅急便が届いた。発砲スチロールの箱を開けてびっくり、真っ赤な魚が横たわっており、金色の澄んだ目が私を見つめている。金目鯛である。

 友人にお礼の電話をすると、「魚屋をのぞいたら新鮮なのがあった。今が旬だから食べろよ」と言ってくれた。金目鯛は、房総半島の沖合から伊豆諸島、遠州灘の深海500mあたりに生息しているらしい。関西のスーパーでは滅多にお目にかからない高級魚で、私は食べたことがない。

 魚を捌くのはお手の物だが、まな板に乗せた金目鯛に包丁を入れるのがためらわれた。500円玉くらいの大きな目が、余りに美し過ぎるのだ。金目と言う通り黄金色で、ゼリーのお菓子のような透明感がある。この目で見つめられていると、包丁を入れるのが罪悪のように思われた。

 私は湯引きで食べたい。女房はしゃぶしゃぶで食べるという。夫婦で1匹丸ごとたべるという贅沢である。ネットで調理方法を調べ、湯引きに挑戦する。三枚に下ろし、身をキッチンペーパーで包んでザルの上に並べ、熱湯をかけた。身が反り返ったので、氷水に入れて締めた。残りの半身は、しゃぶしゃぶ用に薄く切った。

 湯引きは醤油で食べた。ほんのりと脂が乗っていて上品な味わいだ。魚は皮と身の間に旨味が詰まっており、湯引きはそんな味を引き出す知恵なのだろう。しゃぶしゃぶはもちろんポン酢味。これまた実に美味しかった。大吟醸の封を切り、杯を重ねた・・・。

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         ↓ 湯引きを作る

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NHK・家族で乾杯・・・ぶっつけ本番か

 すぐ近所の山小屋に、そこそこ年配のご婦人が1週間に一度ほど車でやって来る。畑をいじったり、草むしりをしたりして、ひと晩泊って帰って行く。お互いの畑が隣り合わせになっているので、もちろん顔見知りである。

 ある晩、女房と話していてその女性について話題になった。女房が「あの人、何歳くらいやろ」と聞くので、私は「お前より少し若いくらいかなぁ」と、気のない返事をした。これが女房の逆鱗に触れたのだ。

 「何よ、もう一度言ってみて。冗談じゃないわよ、私よりも年下なの?」。えらい剣幕である。「余り話したこともないし、じっくり顔を観た事もない。それは、ぱっと見の印象だよ」・・・。

 私の何気ない発言が、女房の怒りを買ってしまった。「ぱっと見の印象」と言ったのもまずかった。第一印象って結構正鵠を射る、つまり核心を突いていることがことが多い。女房の怒りに油を注ぎ、一層傷付けてしまった。

 先日、ご婦人をじっくり拝見したが、なるほど、女房よりはかなり年上に見えた。「お前より若そう」は誤りであり、女房に謝罪し、前言を撤回した。

 男性の場合、見かけより年齢を多く見られれば、「落ち着きがある」「枯淡の味わいがある」「分別がありそう」などと前向きにとらえ、それほど悪い気はしない。しかし女性の年齢問題は、時に琴線に触れ、炎上することもある。

 さて、話はころりと変わる・・・。

 NHKの「鶴瓶の家族で乾杯」は人気番組だ。笑福亭鶴瓶さんがゲストとともに各地を訪れ、地域の人々と交流を広げる。鶴瓶さんの軽妙な語りと機転で、番組はどんどんと面白くなって行く。

 「さぁ、ぶっつけ本番の旅のスタートです」。丸い顔をした女性アナウンサーが「ぶっつけ」を強調する。前触れもなく、鶴瓶さんが街に現れ、人々を驚かせるのだ。これが「ぶっつけ」の面白さである。

 しかし最近、本当に「ぶっつけ」かどうか疑念を持ち始めている。あれは漁業の町を舞台にした収録だった。たくさんの女性が映像に出てきたが、彼女たちをよく観察すると、共通したものがあった。

 髪がみんな黒々としているのだ。髪の毛は50歳くらいから白髪が目立つようになり、70歳を超えて黒いのは珍しいと思う。それなのに、テレビに映る女性はみなさん髪の毛が黒く、奇異に感じた。

 誤解であれば許してほしいが、みなさん、髪を染めているのだと思う。山奥で暮らすうちの女房だって髪を染めているのだから、別に珍しいことではない。しかし、申し合わせたように髪が黒いのは、「家族に乾杯」の収録が街に知れ渡り、あらかじめテレビ映りのいいよう髪を染めていたとしか考えられないのだ。

 決して、非難している訳ではない。テレビに映るかもしれないのだから、髪を染めてきれいにしておきたいと思うのはしごく当たり前のことだ。女性は、骨になるまでオンナなのだ。美しさを願う壮絶な女心に乾杯・・・。

森の彫刻家の個展を見に行く

 生石山の森には、芸術家が一人いる。アトリエを構え、彫刻の創作にいそしんでいるのだ。弟子も3、4人いて、毎年、東京の展覧会にも出展している。この森の小さなコミュニティーの中にあって、文化人と呼べる唯一の存在である。

 私の周りには親しい仲間が十数人いるが、自然が好きでここに集まっているだけで、ごくありふれた普通の人々である。救急車が走れば何事かと詮索し合い、イノシシが出たと言って大騒ぎする。どちらかと言えば、文化とか芸術とかいう言葉に弱い。だから、この森に芸術家が住んでいるというだけで、少し鼻が高い。

 彼のアトリエはわが家からすぐの所にある。いつも弟子たちとともに黙々とノミをふるっている。時々覗いて創作活動を見守ることがあるが、軽々に言葉を発するような雰囲気ではない。「ウン、なるほど」なんて意味不明の言辞をつぶやくのが精いっぱいだ。

 つい先日のことだが、駐車している軽トラのワイパーに何かが挟んであった。彼の個展の案内状だ。彫刻展の題は「道」とあり、地元の地域交流センターが会場になっていた。早速夫婦で作品を観に行った。もちろん興味もあったが、仲間への義理立てみたいなものも否定はしない。

 ところで、私の従兄は花のパリで彫刻家として生計を立てていた。どの程度の技量かはよく知らないが、彼が一時帰国した折りに売りつけようとしたブロンズ像は100万円近かった。手に取ると随分重いという印象が残っただけで、お金もないし、価値も分からず、買わなかった。

 彼とは血を分けた間柄であるが、私には芸術を解する血は一滴も流れていない。有名な絵画を鑑賞してもそれほど心を打たれることがない。バッハを聞くより、石川さゆりや五輪真弓の方が好きだ。

 そんな私が彼の作品を批評したりするのはおこがましいが、作品を観ていると想像力が膨らみ、広大で不思議な世界に引き込まれる。女房に言わせると、私のはただの「妄想力」と言うのだが・・・。

 会場に入ると、すぐ海坊主のような五つの物体が並んでいる。題名は「古代からのメッセージ」。これまでに観た彼の作品には遺跡など「古代」をテーマにしたものが多い。「海坊主」なんて失礼な表現をしたが、古代人が整然と並び、道の彼方にいる私たち現代人に語りかけているように見える。

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 次に展示されている作品は「西の街道」。これを前に、しばらく考え込んだ。古代ローマの時代に作られたアッピア街道が浮かび上がった。街道の両側には、下枝を刈り取ったような奇妙な松の並木が続いている。作品の塔のようなものがその松を連想させた。石の轍(わだち)を疾駆する馬車の音が聞こえてきた。

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 最後の作品は、天空に延びる道である。海辺に端を発した道は、ナイフのような鋭さで天を衝く。道は、人や動物が通って初めて道になる。あの尖端の向こうに、これからどんな道が踏みしめられるのか。彼に聞いてみたいが、稚拙な質問をすれば、わが思慮の浅さを見抜かれるのでよしておこう・・・。

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