PM2・5にかすむ万葉の里・・・十一面観音巡り

 少し春めいてきたので、かねて行きたいと思っていた奈良県桜井市の聖林寺に向かった。ここには、天平の傑作と言われる国宝の十一面観音が安置されている。1月から十一面観音巡りを始めているが、これまでに拝観したのは9体で、聖林寺の観音さんは10体目となる。

 京都からJR奈良線に乗り、奈良駅で「万葉まほろば線」のワンマンカーに乗り換えた。天理を過ぎるとビルも少なくなり、平野が広がるようになった。万葉の里は春霞に包まれ、まほろばの雰囲気である。ところが後で知ったのだが、春霞の正体は何とPM2・5だ。中国は何かにつけて問題をまき散らす。

 桜井駅から聖林寺までの道のりは3キロほど、歩くことにした。途中に陰陽師安倍晴明公ゆかりの「安倍文殊院」があり、1キロほど遠回りになるが寄ろうと思う。本尊は、鎌倉時代の快慶作、国宝「渡海文殊菩薩群」(6体)が祀られている。半時間ほど歩くと、古墳のすぐそばに文殊院があった。

 なかなかにぎやかな寺で、商売っ気もありそうだ。案の定、拝観料は700円と高い。窓口の女性が「抹茶とお菓子が付いています。サービスです」と言う。居酒屋などで「先付け」を出す店がある。食べたくもない皿を強制的に出し、結構な料金が上乗せされる。抹茶サービスもそれと同じかなぁと思った。

 私の十一面観音巡礼は北近江が中心で、拝観料はどこも300円である。案内してくれる人は「よう、お参りされましたなぁ」とねぎらいの声をかけてくれるし、丁寧に観音さんの由来を話してくれる。北近江の観音さんにはひなびた良さがあり、どこかそっけない観光寺院とは違う。

 本堂に入ると、照明に照らされた仏像群が現れ、演劇の舞台のように見える。中央に、獅子の上で胡坐をかく文殊菩薩があり、高さは7m。左右には2体ずつの像が並んでいる。文殊菩薩は美しい顔立ちで、他の像もさすが国宝の風格があった。ただ、抹茶を飲まされたことを根に持っていて、有難みも半分といった感じだった。

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 聖林寺に向けて再び歩き出した。お昼も過ぎたので少し空腹だ。ファミレスなど食べる店がないので、コンビニで弁当を買い、小さな神社の境内で隠れるようにして食べた。ひさしを借りたお礼という訳ではないが、お賽銭を入れた。100円・・・。

 里山の中ほどに聖林寺はあった。左手の畑からは草か何かを焼く白い煙が上がっており、のどかな田園風景だ。山門からは三輪山が見える。寺は、中大兄皇子とともに大化の改新を成し遂げた鎌足の長子が建立したと伝えられる。

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 十一面観音の国宝は全国に7体あり、そのうちの1体が聖林寺のこの観音さんだ。西暦760年代の天平時代の作である。木心乾漆という製作方法だ。簡単に言えば、木で大まかな像を彫り、その上に麻布や大量の漆で塗り固める技法で、なめらかに仕上げることが出来る。だから「優美」「流麗」と呼ぶにふさわしい像である。

 明治時代、厨子を開けて観音さんを調べたフェノロサと岡倉天心は最高傑作と絶賛し、その後、彼らの助言で像の修復がなされた。ただ、美術史家の一人は「そうでもない」と辛口で、評価は分かれているが、国宝級であることには変わりないだろう。

 しばらく観音さんの前に座り、見上げていた。金箔がかなり残る顔は威厳に満ちている。ふと、中学時代に習った女の先生を思い出した。良くしてもらったが、よく怒られもした。「最近成績が落ちたのはどうして?」という言葉が今も忘れられず、観音さんの顔が先生と重なった。先生は遠の昔、雪下ろしをしていて亡くなっている。

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 拝観の願いが叶った聖林寺を後にし、1時間ほど歩いてJR桜井駅に着いた。まだ少し早いので電車に乗り、纒向古墳群の真っ只中にある纒向駅に降り立った。ここが初期ヤマト政権発祥の地なのか。卑弥呼も散歩した邪馬台国だったのか。

 古墳群の盟主として鎮座する箸墓古墳を一周し、ホケノ山古墳にも足を運んだ。箸墓は卑弥呼の墓とも言われている。古墳群の背後には、聖なる山とあがめられてきた三輪山がなだらかな山容を見せている。知ったかぶりで色々書いているが、三輪山と聞いて「三輪素麺」しか思い浮かばない自分が情けない・・・。

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         ↑ ホケノ山古墳から三輪山を望む     

 

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ソチ五輪、記憶に残るシーン

 ソチ五輪が閉幕した。トップアスリートの度肝を抜く技やスピード、日本人選手の活躍を大いに楽しませてもらった。

 あれは確か、スキー競技だったと思う。カナダの男子選手が滑り降り、メダルが確定した。彼は一目散、観客席に駆け寄った。そして一人の男性に抱きつき、そのまま柵を越えて持ち上げ、雪の上に下ろした。

 その場で二人はひしと抱き合った。抱き上げられた彼は泣いていた。脳性マヒのお兄さんなのだ。お兄さんの曲がった足がもつれていた。弟は、メダルを獲得した自身の戦いの場に立たせてあげたかったのだろう。

 こうしてブログを書いていても涙が滲む。41歳葛西選手の涙も、フリー演技を終えた浅田真央ちゃんの涙も感動的だったが、障害者の兄を抱き上げた場面は、私にとって最も忘れられないシーンとなった。真の「絆」とはこういうことなのだろう。

 フィギュアの新星、ロシアのリプニツカヤはキャンドルスピンで一躍有名になり、金メダル候補に躍り出た。しかしフリー演技は不本意な結果に終わった。演技を終えてメディアゾーンに現れたた彼女は、テレビのマイクを突き付けられ、「今日はいい練習が出来たわ」と言い放った。続けて「メディアが邪魔だった」と睨みつけた。

 彼女は15歳の少女である。過熱するメディアに対して胸のすくような言動だった。まことにあっぱれだ。試合に敗れた悔しさを笑顔で包む選手もいるが、彼女には物を投げつけるような激しさ、険悪さがあった。

 これに対し、ジャンプの高菜沙羅選手は金メダルを期待されながら4位に終わり、「お世話になった人に申し訳ない」と頭を下げた。「和」や「謙譲」を尊ぶ日本人そのものである。リプニツカヤの個性もあるだろうが、やはり文化の違いだろう。日本人選手の優等生的発言が多い中で、15歳の辛辣さ、率直さは妙に親近感を抱かせ、記憶に残った。

 五輪が終わり、テレビにかじりつくような生活も終わった。ちゃんとした日常を取り戻したいと思う・・・。

真央ちゃんを腫れもの扱いするな・・・

 フィギュアスケートの浅田真央ちゃんは、返す返すも残念だった。ショートで精彩を欠き、しかしフリーでは一転して渾身の演技だった。その落差が余りに大きかっただけに、落胆も倍である。

 まだ14、5歳の真央ちゃんが氷上に現れた時、国民もメディアも日本の「国宝」と称賛し、いずれ金メダルをとるだろうと期待した。しかし前回バンクーバーでは銀に甘んじ、今回ソチでも夢は破れた。

 前夜のショートの成績が悪すぎたので、私は未明のフリー演技を見ずに寝てしまった。彼女の表情が痛々しく、見るに堪えなかったのだ。朝起きてきた女房は開口一番、「真央ちゃん、すごかった。泣いてしまった」と言っていた。

 私は真央ちゃんが好きだ。まだあどけなさが残る顔はかわいいし、礼儀正しく、話ぶりに誠実さが滲んでいる。なにより、演技がエレガントで美しい。しかしショートで転んでしまい、つい「何やってんだ」と悪態をついた。今も半分は怒っている。

 試合が終わった朝、ひと通り各局のテレビを見た。共通して言えたのは、まるで腫れものにさわるような報道ぶりだった。わずか一日で体勢を立て直し、これまで最高の滑りをしたと賞讃し、胸を張って帰国してほしいとねぎらいの言葉をかけた。しかし私は、メディアがいくら耳障りの良い言葉を並べても違和感を覚える。

 冷たい言い方をすれば、この競技はショートとフリーの合計点で争うものだ。フリーだけが良くてもいけない。テレビの報道ぶりは、この事実を正面から受け止めていない。良い点だけを取り上げ、悪い点に目をつむろうとするのは、公平でない。その根底にあるのは、いつものポピュリズムだ。

 視聴者の反感を買うのが怖いのだ。評論家と呼ばれるコメンテーターも元アスリートも、まるでガラス細工を手にするような扱いである。スポーツはもちろん、演劇でも音楽でも、海外の批評家は辛らつだ。日本の評論家は、甘ったるいことばかり言わず、真央ちゃん不振の真実に迫るべきだと思う。

 調整に失敗したのか、それとも、精神をコントロールできなかったのか・・・。いやそれだけではないかもしれない。海外勢を見れば、歴然とした差があったと思う。本質を語らない専門家がちゃらちゃらするテレビ番組では、バラエティー番組と変わらない。厳しい批評があり、それに耐えられるスポーツ文化がなければならないと思う。

 真央ちゃんが不振だっただけに、スノボー女子大回転の銀メダリスト竹内智香選手が余計に輝いて見えた。彼女は30歳で、海外で修業を積んむ雑草魂がある。スケート選手が純粋培養されているとは言わないが、マイナーなスノボーは練習環境も良くない。それでも彼女は銀、女子スキーハーフパイプの小野塚彩那選手25歳は銅である。

 それに比べれば、真央ちゃんはまだ若い。燃え尽きるには早過ぎる。本心を言えば、次の五輪も目指してほしいと思う。しばらく普通の女の子のように遊び、その後、気が向いたら再起したらいい。それだけの実力はあると思うが・・・。
 
 
 

五輪の後に、万葉の里へ・・・

 ソチ五輪は後半に入った。毎日のように、日本人選手の活躍が伝えられている。フィギュア男子では羽生選手が金メダル、ジャンプの41歳葛西選手が個人と団体で銀、銅のメダルを獲得した。ノルディックの渡部選手は銀メダルだ。メディアの過剰な期待はともかく、スノボーの若者をはじめ日本選手は健闘していると思う。

 私が注目したのは、フィギュアの高橋大輔選手に贈られた盛大な拍手だ。成績は6位だったが、観客は彼こそが男子フィギュアを引っ張って来た選手だと分かっている。高橋選手への感謝の拍手は感動的であり、それは日本が品位ある、成熟した国の証しでもあった。

 それはともかく、私はテレビ観戦しているだけなのに、いささか疲れた。夜は早目に寝て、未明に起床するような生活が続いているためだ。寝不足は昼寝でそこそこ補えるが、どうもホームごたつはいけない。体を横にすると、腰骨がこたつの木枠に当たり、ぎこちない姿勢になってしまう。気楽なことを言うようだが、腰がだるい。

 そこで気分転換のため、どこかへ行こうと女房と相談した。私は今、図書館で借りた井上靖著「額田女王」を読んでおり、彼女ゆかりの場所へ行ってみたかった。女房は、それなら額田女王の歌にある「蒲生野」に行こうという。ここは近江の東部に広がる原っぱで、いにしえの貴族が狩猟を楽しんだ地である。

 琵琶湖の湖周道路を走り、近江八幡に向かった。湖面にはおびただしい渡り鳥が羽を休めていた。その背後には、雪をいただいた比叡山が鎮座している。水郷の近江八幡を経て、八日市から永源寺方面に向かう国道を走っていた。

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 すると女房が「止めて」と叫んだ。小高い山の麓に神社があり、かなり通り過ぎて空き地に車を止めた。女房が神社から帰ってくると、「ここが船岡山よ」と興奮している。目指していた額田女王ゆかりの地に、たまたま通りかかっただけなのだ。

 ここ蒲生野で詠んだ額田女王の歌は有名だ。

  ≪茜(あかね)さす、紫野(むらさきの)行き、標野(しめの)行き、野守(のもり))は見ずや、君が袖振る≫

 国語の教科書にも載っているそうで、女房はそらんじているが、私は全部忘れた。解説などを読むと、男女の三角関係の歌のようである。蒲生野の猟に同行した額田女王は天智天皇の妻だが、以前は天皇の弟の大海人皇子から寵愛を受け、皇女をもうけていた。その大海人皇子が、天皇に隠れて袖を振り、求愛している。皇子の首が飛ぶような物騒な歌である。

 なだらかな船岡山を歩いてみた。金属のプレートに刻んだ万葉の歌碑がいたる所に立てられていた。その近くには「茜さす・・・」の場面を描いた巨大な絵巻が設置されている。白い花を摘む額田女王に、大海人皇子が馬上から袖を振る絵である。万葉集にはちんぷんかんぷんの私だが、少しだけ恋歌の世界に引き入れられた。

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 せっかくここまで来たのだから、湖東三山の西明寺まで足をのばした。屋根に雪が残る国宝三重塔はなかなか趣があった。西明寺、金剛輪寺、百済寺の天台の古刹では4月から2か月間、秘仏が公開されるという。湖東三山には何回も訪れているが、これは滅多にない機会だ。何としてもお参りしたい。再び蒲生野を走り、帰途についた・・・。

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若き修行僧のようなメダリスト・・・スノボー

 やっと、ソチ五輪で日本人がメダルを獲得した。スノーボードハーフパイプの平野歩夢選手が銀、平岡卓選手が銅のダブル受賞である。まことにめでたい。同じくらいすごいのは、この少年二人の落ち着きぶりだ。まるで修行僧である。

 実は私は以前から、スノーボードを苦々しく思っていた。あのだらしない服装は何だ。お尻の割れ目が見え、パンツも見える。だぶだぶのズボンのベルトは腰骨のあたりにあり、今にもずり落ちそうである。

 息子がスノーボードをやり始めた時、「真面目な服装でやれ」と怒ったことがある。雪国生まれの私は幼いころからスキーに親しみ、自慢したくはないが上級者である。ゲレンデでは、人に迷惑をかけないよう礼儀正しく滑っていたし、ちゃらちゃらしたスキーヤーたちを見下していた。

 私のような人間は、若者文化にケチを付ける頑固者で、心の狭い年寄りなのだろう。私が若かったころは、髪の毛は肩まで垂らし、ジーパンで地べたに座っていた。いわゆるヒッピー全盛時代だったから、若者を批判するのは目くそ鼻くその類だろう。

 スノーボードと女子ジャンプをを徹夜で観戦していたが、平野、平岡選手の技と度胸に驚いた。二人とも、後のない決勝の2本目で成績を上げたのだ。ヤケクソで滑ったのではなく、勝算あっての滑りだったのだろう。これが15歳と18歳の少年なのかと思った。

 さらに、メダルが確定した時の二人の表情だ。抱き合う事もなく、控え目な笑みを見せただけである。あとはポカンとしていた。決して放心状態ではなく、冷静にあたりの空気を見つめていた。外国選手が成績に興奮してボードを投げ飛ばしていたのとは、大違いである。

 少年は、風雪に耐えた修行僧のように見えた。テレビのコメンテーターは、二人の記者会見を見ながら「テンションが低いですねぇ」と言っていたが、そうではないだろう。異様に興奮しているのはテレビ側だけなのだ。

 女子ジャンプの高梨沙羅ちゃんは残念だった。さぞ、悔しかろう。しかし彼女もまた、メディアに対し冷静さを保とうとしていた。それが終わってコーチと抱き合い、ワッと泣いた。心中察するものがある。

 3人はまだ若い。この先に、もっと大きな夢があるだろう・・・。

円空さんの十一面観音・・・伊吹山の里

 伊吹山に荒ぶる神がいた。日本武尊(ヤマトタケル)はこれを退治するため山に登ると、白いイノシシが現れた。イノシシは神の化身だったが、無視されたため怒り、氷雨を降らせた。ヤマトタケルはこれがもとで病気になり、やがて死んだ。古事記、日本書紀に出てくる神話である。山頂や山麓などには、武勇のヤマトタケル像が建てられている。

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 時代はジャンプして、江戸時代前期のころ。伊吹山では、若い行脚僧が修行に励んでいた。後に12万体の仏像を彫ったと言われる円空(1632-1695)さんである。やがて北海道へ旅立ったが、58歳の晩年に伊吹に舞い戻り、一体の仏像を彫り上げた。これが「太平寺の十一面観音」である。

 伊吹山をめぐるヤマトタケルと円空仏を教えてくれたのは、エッセイストの白洲正子の著作である。彼女が暮らしていた町田市の「武相荘」を訪れた縁もあり、前々から彼女の足跡をたどり、伊吹山麓にも行きたいと思っていた。私は今年に入って十一面観音を訪ね歩いており、これがいい機会だと思い、円空さんの十一面観音を訪ねることにした。

 大津から琵琶湖の湖周道路を走り、米原あたりで中山道に入った。しばらくして左折し、山麓へと進んだ。天気が良ければ、伊吹山が覆いかぶさるように見えるはずだが、三合目あたりから上は雲の中だ。2時間余りで米原市春照という集落に着いた。ここに大平観音堂がある。

 まずは近くの「伊吹山文化資料館」を見学した。伊吹の歴史、文化、風土を伝える様々な史料が展示されていた。蕎麦好きの私はもちろん、伊吹が日本蕎麦発祥の地であることは知っている。昔、父親が背中から煙を出していたのは、伊吹特産のもぐさだったはず。小さい頃、石臼回しを手伝わされたが、ここで盛んに石臼作られていたのを初めて知った。

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 前もって拝観をお願いしていたので、世話役の男性が観音堂の玄関先で私たちを待っていてくれた。薄暗い堂内に入ると、身長180センチの観音さんがガラスケースの中に立っていた。円空仏独特の人なつっこい笑みがこぼれている。しかしどこか寂しげでもあった。お腹が異様に膨らんでおり、いつのころからか「安産の観音さん」と慕われた。

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 世話役の人は、ガラスケースの側面を開けてくれた。観音さんが載る台座は360度回るようになっており、自由に動かして写真を撮ってもよいとのことだ。ただ、安物のカメラなのでうまく撮れず、円空仏の魅力を伝えられないのが残念だ。

 像の裏側に、墨書がある。漢詩と和歌の他に、作像のいきさつが書かれている。それによると、元禄2年(1689年)3月4日に木(桜)を伐り、5日にお祈り、6日に作り、7日に開眼法要とある。何と、これだけの大作を一日で彫り上げたのだ。

 白洲さんは「円空は、花吹雪につつまれ、自然と混然一体となり、桜の木の中に、十一面観音が現れるのをその目で見たに違いない」と書いている。当時、円空さんが身を寄せ、観音さんを彫った太平寺は伊吹山の中腹にあったらしい。そこは、山桜や季節の花々が咲き乱れた美しい場所だったのだろう。

 昭和39年、太平寺があった集落には山崩れの危険が迫り、16戸の人々は十一面観音さんとともに、今の観音堂がある場所に集団移転した。案内してくれた世話役の男性もまた、山を下りた一人だったという。

 白洲正子さんは、歴史の教養と知識がほとばしるような人である。仏像や骨董、民具を見る目も確かだ。その彼女がここの観音さんを絶賛したのだから、押して知るべしである。円空さん屈指の名作であろう。

 「かつて伊吹村で、円空作の十一面観音に出会った時の感動が、私には忘れられない。作者の息づかいがじかに伝わってくるような、迫力に満ちた観音像であった。悲しいような、寂しいような微笑を浮かべた表情にも、孤独な人の魂が感じられる」(白洲正子・十一面観音巡礼)・・・

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