何が秘伝だ・・・グルメ番組の言葉の貧困

 先日、テレビのグルメ番組を見ていたら、女性レポーターが行列のできるラーメン店のスープをすするや、「奇跡の味です」と叫んだ。気のきいた感想を言ったつもりだろうが、一体どんな味なのか分からない。

 「奇跡」は、千にひとつも、万に一つもない数奇な事柄だ。地球は「奇跡の星」であるし、砂浜でダイヤの粒を拾うのもそうだろう。 たかがラーメンと言えば失礼だが、何を大袈裟なと思う。

 私はラーメンがどのような味なのか、固唾を飲んで見守っていた。それなのに、「奇跡」と言われて肩透かしを食い、腹が立った。ギャラをもらって出演するレポーターは、味の急所を突くような表現をしてもらいたい。

 同じような変な表現の一つに、「秘伝」がある。かば焼きのタレも焼き肉のタレも秘伝、ラーメンのスープも秘伝、何でもかんでも「秘伝」なのだ。秘伝とは、長い年月をかけて生み出された知恵と工夫の結晶であり、どこにでも転がっている訳ではない。

 それなのに、新参に過ぎない店主が「このタレは秘伝です」と胸を張る。バカバカしい。秘伝と言った途端、料理人の底が知れるというものだ。店によって独自色というものがあって当たり前。そんなものをいちいち秘伝など言うのはおこがましい。こけおどしのようなものである。

 このほかにも、「極上の一品」「絶品の味」「新珠の逸品」というグルメ番組の常套句が氾濫している。空虚で抽象的な形容詞ばかりで、一向にどんな味か分からない。

 そもそも、このような言葉を有難がる視聴者が少なくないのだ。視聴者は、秘伝、極上、絶品と言われれば、食べた事もないのに、きっと美味しいはずと思い込んでしまう。そして平気で「さすが秘伝だわ」「極上なのよ」「絶品だったわ」と常套句の共犯者になってしまうのだ。

 しかし最も罪深いのは、テレビ局の側である。お笑い芸人などろくなレポーターを使わず、常套句を連発させるのだ。一種の詐欺的行為だ。「甘ーい」「コリコリしている」「しゃきしゃきしている」などは、まだしも具体的である。その程度なのだ。テレビ側には、映像だけでは味は分かるまいという横柄さが沁みついている。

 昔、テレビに流れていたサントリーウイスキーのCMはこの年になっても鮮明に記憶している。作家の開高健氏がモンゴルの草原で、夕陽を浴びながらウイスキーを飲む。 そして一言。「馥郁(ふくいく)たる香り」とつぶやくのだ。

 恥ずかしながら、「ふくいく」の意味は分からなかったし、漢字も書けなかった。辞書で調べて、梅のような匂い立つ様であることをを知った。一つの言葉が、私の心を突き刺した・・・。
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パンの先生にガシラを送る

 「いつも美味しいパンを焼いてくれる知人に、私が釣ったガシラを送ってやりたい」と女房は言う。知人とは30年来の付き合いで、パンの先生である。和歌山から大津に一時帰宅すると、いつも焼き立てパンをいただく。

 パンが焼き立てなら、こちらは釣りたての魚である。「そらぁ、喜ぶよ」と賛同し、軽トラにボートを積んだ。目指すはいつもの由良湾である。午後から風が強まるとの予報だが、午前中にはノルマのガシラが釣れるだろう。

 その翌日は凪の予報なので、ボートを漁港に繋いでおいてアオリイカを釣ることにしていた。今年は指の怪我などもあって、イカ釣りをしていない。あの独特の引きを想像して悶々とする日々が続いてきただけに、大いに楽しみだ。

 まずはガシラ釣り・・・。少し風が強いのでアンカーを入れてボートを固定した。鯖の切り身を針に刺し、10号のオモリで海底に下ろした。じっとしていると海底の岩に引っ掛かってしまうので、よそ見などしてはいけない。

 仕掛けを手前にゆっくり引きながら誘いをかけるのも重要だ。当たりがあれば竿先で聞いてみるか、糸を送るかして針に乗せる工夫が必要だ。しかし、そんなテクニックのない女房がいつも私より多く釣ってしまうのが不思議である。長年にわたって積み上げてきた私の釣りの技を愚弄されているようで、不愉快である。

 言い訳になるが、ボートを操ってポイントに付けるのは私の役目だ。女房が仕掛けを絡ませれば直してやり、ガシラが仕掛けを飲み込めば、ペンチで外してやる。要するに女房は大名釣りなのだ。そろそろ自立してもらいたいと思っているが、態度は改まらない 。

 ガシラを最初に釣ったのは私だった。25センチほどの良型だ。続いてそれより少し小さいガシラが3匹釣れた。余裕で朝ご飯を食べていたら、女房が猛追し、追い抜かれてしまった。この日は25、6センチの大型が多く、強い引きを楽しませてくれた。

 午前9時ごろになると、風が吹き出した。30匹ほど釣れたので、知人に送る分は十分確保した。私は翌日のイカ釣りもあるので、これでやめたかったが、女房はまだやる気だ。9時半ごろ白波が立ち出したので、女房は渋々竿を納めた。結局、釣果は30匹のままだった。私の計算では、私が女房に2匹勝った。

 港のスロープに近づいたのでエンジンを止め、オールで漕いだ。ここで初めて気付いたのだが、ゴムボートの左側の空気が少し抜けている。しかも、エンジンのキャブレター付近から燃料が漏れていた。帰港していたからいいものの、二つのトラブルに見舞われ、滅入ってしまった。

 翌日のイカ釣りを諦め、帰宅してボートを点検した。ボートの底が貝殻で傷付いたのか、少量の空気が漏れていた。よくあることなので、修理キットで穴を塞いだ。キャブレターからの燃料漏れは、ネジの緩みが原因だった。どちらも大したことでなく安心したが、イカ釣りへの意欲は一気にしぼんでしまった。

 何はともあれ、知人にガシラをたくさん送ることが出来たのは良かった。帰宅して宅配用の箱にガシラを詰めたが、まだ生きていた。ガシラの生命力って凄い・・・。

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干しゼンマイを作る

 ここ生石高原では、ゴールデンウィークが終わると山菜採りの人がめっきり減ってしまうが、今年はまだたくさんの人が訪れている。しかし、ワラビは丈が伸びる暇もないほど採り尽くされ、それほど多く収穫できないようだ。

 先日、女房と連れ立って高原へ散歩に出かけた。もしワラビが出ていたら、晩ご飯のおかずにしようと、ズボンのポケットにレジ袋をねじ込んでおいた。しかし案の定、ワラビは小さく、採るに忍びない。

 ひょっとしたら、ゼンマイの採り残しがあるかもしれないと、高原の脇道に向かった。すると、立派なゼンマイがいっぱい生えていた。町の人は、ワラビは喜んで採るが、ゼンマイは食べ方や保存方法が分からないので、案外残っているものだ。

 半時間ほどでレジ袋がパンパンになるほど採れた。まだまだ生えていたが、これ以上採ると処理が面倒なので、帰ることにした。干しゼンマイにすれば大変美味しい保存食になるので、シーズン中にはかなりの量を作ることにしている。

 干しゼンマイは結構高価なものだ。山形産などの手揉みゼンマイは100グラムで2000円近い。スーパーなどでは中国産が安く売られているが、正直、買う気にはなれない。

 私が作る干しゼンマイは、有名産地の手揉みに比べれば品質は劣るが、それでも美味しいと思う。こんなエピソードがある。5年ほど前、高校の同級生がわが山小屋へ遊びに来た。友人は私と同郷の田舎育ちのなので、よく干しゼンマイを食べたはずだ。さぞ懐かしかろうと、煮付けにして酒の肴として出した。

 ゼンマイは大きな鉢に山盛りにしておいた。友人に「ゼンマイの鉢を回してくれ」と言うと、申し訳なさそうに「もうない」と言う。えーっ、鉢一杯食べてしまったのか? 「懐かしいし、おいしかったので・・・」と苦笑いしていた。

 作るのには結構な手間がかかる。まず、ゼンマイの綿毛を取り除くのだが、これは根気のいる作業だ。次は大きな鍋で茹でる。大体5、6分茹でると、ゼンマイは鮮やかな緑色になり、しんなりする。お湯がきれいな赤紫色になるのも茹で上がりの目安だ。

 次は、茹でたてのゼンマイに薪ストーブの灰を振りかけて柔らかく揉む。この後、水洗いしてザルに乗せて天日干しにするのだが、時々手の平で揉んでやる。繊維の多いゼンマイを柔らかくする大切な作業なのだ。2日ほど乾燥させると、完成だ。これを小分けにして、食べたい時に水で戻し、コンニャクなどと一種に煮付ける。ミネラル、ビタミンいっぱいの食べ物だ。

 余談だが、この友人は先月初め、関東から奥さんを伴って泊まりに来た。前回と同じように、干しゼンマイを鉢に盛って出した。友人はいたずらっぽく頭をかいている。「すまん、また食べちゃった」。こんなに喜ばれれば、本望である・・・。

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       ↑ これだけあれば、2、3回は料理が出来る

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       ↑ 綿毛を取るのが面倒だ。2時間半もかかった

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       ↑ 採ってすぐ、たっぷりのお湯で茹でる

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       ↑ 灰を振りかけ、手揉みする

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       ↑ 天日で乾燥させる。時々手揉みする

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       ↑ これで出来上がり。野趣あふれる食べ物だ 


 

夫婦でガシラ釣り・・・43匹

 久し振りのボート釣りだ。この時期、例年だとすでに何回も釣りに出ているはずだが、4月上旬、薪割りをしていて左手親指に怪我をし、竿が握れない状態が続いていた。やっと傷が癒えたので、今回は快気祝いの釣りである。

 今日は、由良湾でガシラを狙う。同行した女房の鼻息は荒い。ここ生石山の中腹で田舎暮らしをしている知人夫婦も誘ってみた。ご主人は知り合いから手漕ぎのゴムボートを譲ってもらい、ぜひ由良湾で試し釣りをしたいと言っていた。

 天気予報通り海は静かで、薄曇りである。知人夫婦はオールで漕いですぐ近くにあるテトラの一文字に上がった。私たちは15分ほど走り、海底が岩場になっているポイントでエンジンを止めた。ほとんど無風のためシーアンカーを入れる必要はなく、ぷかぷかと浮かびながら釣りをすることにした。

 竿に糸を通していると、200mほど沖を潜水艦が出て行った。私の乏しい知識だが、形から見て最新鋭のそうりゅう型の潜水艦だろう。神戸で建造された潜水艦は、由良湾に停泊しながらテストを繰り返すらしい。今、南シナ海で中国が無茶苦茶をしているが、この潜水艦もいずれ領海防衛の任務に就くのだろう。

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 そんなとりとめもないことを考えながら、仕掛けを海底に下ろした。しばらくすると、ゴンゴンという当たりがあり、すかさず合わせた。20センチほどの赤いガシラが大きな口を開けて上がって来た。

 うれしいことに、5匹連続で中型のガシラが釣れた。女房にも小さな当たりはあるらしいが、針に乗らない。すっかり意気消沈しており、話しかけても小さな声でぼそぼそ返事をするだけだ。「腕の違いだよ」と言いかけたが、やめた。

 手を休め、テトラで穴釣りをしているご主人の携帯に電話してみた。「自分にはまだ釣れていないが、ガシラ釣りは初めての家内が2匹も釣りましてね」との返事だ。女房にその話を聞かせると、「あら、良かったわね」と言ったが、少し口元が歪んだように見えた。内心穏やかでないのだろう。

 しかし釣りとは分からないものだ。女房が俄然調子を上げてきた。朝食で休憩した時には8対10で逆転されてしまったのだ。まぁ私としては、正直、女房に釣れた方がうれしい。また次も行きたいと思わせることが重要なのだ。ただ釣り歴40年というプライドもあり、大差で敗れることだけは避けなければならない。

 朝食後しばらくすると、女房は「これは大きい」と言ってギリギリとリールを巻いた。浮いてきたガシラはゴルフボールがすっぽり入るほどの大きな口を開けており、由良湾では大物サイズである。後で測ったら体長27センチあった。これに気を良くしたのか、女房の口も滑らかになった。

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 それからも当たりはぼちぼち続き、私と女房の釣果はシーソーゲームとなった。最終的には私の21匹に対し女房が22匹の僅差。一応、女房に花を持たせる結果である。ガシラは小型が多かったが、ベラを加えた二人の釣果は計43匹で、納得である。波が静かなため、知人は湾の中央部まで漕ぎ出し、私たちとともに釣りを楽しんだ。

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 翌日、女房はクーラーボックスにガシラを入れ、大阪にいる息子夫婦の元へ届けた。唐揚げにしたらしいが、その夜に届いたメールには、孫が喜んで何匹も食べたと書かれていた。大きくなったら、孫にもガシラを釣らせてやろう・・・。 

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山菜採り・・・わが家へ8人のご一行様

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 生石高原のわが山小屋へ、総勢8人の一行がやって来た。毎年この季節に訪ねてくれる「常連さん」である。顔ぶれは、医師やサラリーマン、お坊さんなどまちまちで、東京など遠方の人たちである。実兄の紹介が縁で、ここ和歌山の奥地に足を運んでくれるようになった。

 山菜採りと新緑を楽しもうというアウトドア志向の人たちである。遠路はるばる来てくれるのだから、なるべく山の幸、海の幸でもてなしたい。下手な手を加えず、なるべく素材の味を楽しんでもらえればと思っている。

 毎年同じだが、まずは山菜を食べてもらおう。前日の夕方、歩いて5分ほどの高原へ山菜採りに行った。もう少なくなっていると思っていた山ウドが、意外やたくさん採れた。家の周辺では、コシアブラやタラの芽もたくさん手に入った。

 イチ押しは、何と言っても山ウドである。味噌を付け、白い部分を生でかじるのだ。味噌は、女房が京都・山城の手作り味噌と、熊本県の味噌を合わせて作る。生の山ウドは独特の風味があり、これが味噌とよく合う。自分で言うのも何だが、市販されているウドとは似て非なるもので、実に美味しい。

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 海の幸は、ここからも近い紀伊水道の魚だ。当日の朝早く、由良の浜に出かけた。旬の魚と言えば、麦藁イサギである。一本釣りで釣ったものを生け簀に生かしてあった。大きなものを2匹選び、その場で絞めてもらった。

 真鯖も2匹買った。馴染みの漁師はその場で神経絞めしてくれた。この絞め方は、脊椎の中心に針がねを通して即死させるもので、身を新鮮に保つ究極の方法だ。魚は絞められる時、体温が上がるので10分ほど氷水に浸けておくのもコツだという。

 イサギ、鯖、自分で釣ったアオリイカの三種類の刺身を食べてもらったが、どれも喜んでもらえた。

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 3時間近い宴会の後は、お目当てのワラビ採りである。しかし、生石高原には連日大勢が山菜採りに入っており、それほど残っていないと思っていた。ところがうれしい期待外れで、取りこぼしのワラビがいっぱい採れた。

 それにしても人間の目はいい加減なもので、足元に生えている何本ものワラビを見逃してしまうこともある。灯台もと暗しである。女房は私の目を節穴と批判するが、それはお互い様だ。つまり山菜採りはそういうもので、いくらでも取りこぼしがある。

 一行は、ワラビや山ウドを手に、近くの温泉のバンガローに向かった。その夜は自炊して再び山菜料理を楽しむという。本当に山菜が大好きな人たちである。お客が返ると、潮が引いたように静かになり、少し寂しくなった・・・。

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5年ぶりの「茶わん祭」・・・滋賀最北の上丹生で

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 滋賀県最北端の山間に「上丹生」という集落があり、ここに「茶わん祭」という奇祭が伝えられている。陶器で飾り付けた山車が集落を巡行するこの祭りは、県の無形民俗文化財に指定されている。5年ごとに開催されており、連休の5月4日、8000人の観客が見守る中、行われた。

 私にとって茶わん祭は、もどかしい記憶の中にある。子供のころ、祭りに行ったことがあるように思う半面、テレビで見た映像によって実際に見たと錯覚しているのかもしれない。そんなモヤモヤした思いをずっと前から抱き続けてきた。私はこの機会にどうしても、遠い昔の記憶を辿ってみようと思った。

 祭り前日、和歌山の山小屋から滋賀の自宅に移動、翌朝、琵琶湖西岸を北上して現地に向かった。湖北の知り合いの家に車を置かせてもらい、上丹生の集落まで6キロほどを歩くことにした。途中、祭りのシャトルバスや見物客の車に次々追い抜かれた。それにしても凄い人出だ。丹生神社に到着すると、祭典の神事が行われていた。

 茶わん祭の起こりは、室町時代まで遡る。上丹生地区には陶器に適した良い土があり、盛んに陶器が作られていた。陶工たちは、神から焼き物の技を授けられたことに感謝し、丹生神社に毎年、陶器を奉納した。これが祭りの始まりだった。ただ、陶器作りは何百年も前にすたれ、祭りだけが今に伝えられている。

 祭りはかつて、上丹生の人たちだけで行われていた。舞いをする稚児は最低でも12人が必要で、棒振り、笛、太鼓、鉦(かね)を務める者も地区の男子の若者が担ってきた。しかし、集落の過疎化と少子化は急激に進み、集落だけで祭りを運営できなくなった。このため、稚児も若者も他所から借り、女子高校生にも助っ人を頼むようになった。

 午前11時から、境内の舞台で稚児の舞いが次々と披露された。でんぐり返ったり、逆立ちしたりする場面もあり、可愛らしい稚児の仕草に大きな拍手が送られた。赤色に飾った傘を手にした華やかな踊りも繰り広げられた。1時間に及ぶ演舞が終わると、いよいよ神社を出て巡行が始まる。

 さて、奇祭と言われるゆえんだが・・・。全部で3基ある山車には、それぞれ茶碗や壺などの陶器で組み上げた高さ7メートルの飾りが掲げられる。巡行中は「さし」と呼ばれる2本の竹の棒で支えているが、3基が勢ぞろいする丹生神社と八幡神社の境内で「さし」が外され、これが祭りのクライマックスだ。

 支えを外された飾りは、風に吹かれて前後左右に大きく揺れる。倒れそうだが、それでも倒れない。弓なりになることもある。揺れるごとに、観客から悲鳴が上がる。陶器を針金も縄も使わないで、工匠が絶妙のバランスで組み上げる技は、他人はもちろん妻や子供にも言ってはならない秘中の秘なのだ。

 工匠は集落で9人に限られ、連綿と秘伝の技術が受け継がれてきた。工匠は2か月前から身を清め、茶わん祭会館の閉め切った一室で制作が始められる。祭りの度に、歌舞伎や浄瑠璃などから引いた芸題を決め、今回は永宝山が「牛若丸と弁慶」、丹宝山が「鍋島猫騒動」、寿宝山が「番町皿屋敷」で、飾りの一番上と下に二体の人形が掲げられる。

 丹生神社を出ると山車3基が合流、薙刀を先頭に神輿が続き、巡行が始まった。笛や鉦、太鼓が奏でるはやしは古式ゆかしく、稚児や花傘踊りの奴が練り歩く。山車を飾る錦の曳き幕は室町時代のもので、足利文化が再現されるのだ。

 行列は、やがて1キロほど離れた八幡神社に入った。稚児の舞いなどが披露されると、いよいよ陶器の飾りを支えていた「さし」が1基づつ外される。この日は風が弱かったが、それでも大きく揺れた。そのスリリングな様に観客の悲鳴と歓声が上がり、祭りは最高潮に達した。

 ここ上丹生は戸数106戸、人口300人ほどの集落である。そんな過疎の村人たちが、人手不足と資金難の中、よくぞ祭りを伝えてくれたものだ。私は祭りのクライマックスを目の当たりにし、胸を熱くした。祇園祭などと比べくもないが、こちらは素朴なだけに味がある。天下の奇祭だと思った。志納所には同じ思いの人が次々訪れ、私もいくばくかの寄付をした。

 冒頭で「茶わん祭はもどかしい記憶の中にある」と書いたが、祭りが終わりに近づくと、少年の頃、実際に見たという確信を持った。何の根拠もない。しかし、祭りの残像がまぶたに蘇り、今ここにある雰囲気が無性に懐かしく思えたのだ。自分の記憶に、やっと踏ん切りがついた。その結論に納得すればいいと思う・・・。

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ブランドの桜鯛を釣る・・・

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 桜鯛--。桜の花が咲くころの真鯛は脂が乗って美味しい。見た目も文字通りの桜色で美しい。明石海峡や鳴門の桜鯛は有名だが、紀淡海峡の速い潮に鍛えられた加太の桜鯛は、これらを凌ぐブランド品である。

 その加太の桜鯛を釣りに行くのだ。ブログの友である「イレグイ号」さんに招待されたのだ。午前5時前、彼の所有する漁船で和歌山市内の港を出航、紀淡海峡の加太沖を目指した。

 波は静かだ。船のスピードが上がると、顔に当たる風はまだ冷たい。半時間ほど走り、友が島の島々が目前に迫る漁場に着いた。そこには、白い三角帆を張った漁船や遊魚船が集結していた。100隻近くいるだろう。

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 まずは船上で、イレグイさんから釣り方を教えてもらった。仕掛けは細長く切ったビニールの疑似餌だ。40mほどの海底に仕掛けを下ろしたら、ゆっくり、ゆっくりリールを巻いていく。

 重要なのは、当たりがあっても「知らん顔」でそのまま巻くことだ。当たりに反応して速く巻いたり、巻くのを躊躇したりしてはいけない。それが鯛にとって違和感となり、餌を離してしまうのだ。

 さぁ釣りの開始だ。イレグイさんは漁師の邪魔にならない場所で船を止め、流し釣りを始めた。すぐにイレグイさんは「来ましたよ」と言ってリールを巻いている。竿先が小気味よく上下している。手の平サイズの小型だったが、幸先よい。

 しばらくすると、私に強烈な当たりがきた。グイッ、グイッという鋭角的な当たりである。ヘボな釣り師だが、経験年数だけは40年と長い。実はそれが災いし、当たりにすかさず反応し、竿を送ってしまったのだ。もちろん鯛は餌を離した。

 「当たりがあっても、知らん顔で巻き続ける」というイレグイさんが教えてくれた極意は、何と難しいことか。当たりに反応するのはごく自然な事だが、それがいけないのだ。産卵を前にした桜鯛は、違和感に一層ナーバスになっているのだろう。

 当たりが途絶えたまま、長い時間が過ぎた。イレグイさんは、ゴカイの餌でハマチを狙うため、数百メートル南に場所を変えた。すると、私に当たりが来た。グイッ、グイッ・・・。言われた通り、知らん顔で巻き続けた。

 ハマチにしては重量感はないが、竿は大きくしなっている。海の中をのぞいていたイレグイさんが「鯛や」と叫んだ。確かに、海中で赤い魚が揺らめいている。念願の桜鯛が釣れたのだ。ジャスト30センチと小ぶりだが、正真正銘の加太のブランド鯛である。何と美しい姿だろう。

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 するとイレグイさんが大物を掛けた。顔を赤くして強烈な引きに耐えている。これはもう格闘と言っていい。私は網を手に見守った。やっと、黄色い魚体が浮いてきた。一発で頭からすくい取った。50センチを優に超える見事なハマチである。

 イレグイさんは手慣れた動作で生き〆にした。そして、「どうぞ食べて下さい」と言って、私のクーラーボックスに放り込んだ。「もらえません」「いや、どうぞ」の押し問答の末、結局好意に甘んじることにした。

 その夜は、桜鯛とハマチの刺身を味わいながら、釣りの余韻を楽しんだ。長く釣りをしてきたが、ブランドの桜鯛を口にするのは初めてである。表現力に乏しいグルメ番組のレポーターじゃないが、桜鯛って本当に「あまーい」・・・。

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