湯川渓谷の紅葉・・・

 晩秋の「湯川渓谷」へ紅葉を見に行った。ここ生石高原から小一時間ほどで行ける。有田川沿いを走り、清水町の三叉路を右折して支流の湯川を遡った。途中で車を止め、ここから歩いて深い谷に分け入るのだ。

 湯川には、毎年夏に何回か鮎釣りに来る。川の水はそのまま飲めるほど美しく、香り豊かな鮎が釣れる。ここは真夏でも涼しく、たまに大釣りすることもあるが、貧果の方が多い。

 この日は朝から晴天で、まさに小春日和だった。紅葉は今が真っ盛りで、川面に鮮やかな色彩を映していた。

 トンネルを抜け、しばらく歩くと、商店があった。これより先に民家のないこんな場所で商売がやって行けたのだろうか・・・。しかしこの寒村ではかけがいのない商店だったのだろう。

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 右手に滝が見えてきた。「下がりの滝」である。湯川渓谷には三つの滝があるが、落差25mのこの滝が一番大きい。京大の演習林を歩いたあと、護摩壇山に向うため、途中で引き返した。

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 高野龍神スカイラインを目指して走った。道沿いの畑で羊が3頭飼われていた。羊は来年の干支である。年賀状の写真に使おうとカメラを向けたが、汚れていてモデルとしてはふさわしくなかった。

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 護摩壇タワーの駐車場にはたくさん車が止まっていた。ここでトイレを済まし、奈良の十津川方面に向かう林道を走った。稜線を走るまさに天空の道で、紀伊山地の深さを実感させられる素晴らしい眺めだ。

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 やがて伯母子岳(1344m)の登山口があった。この山は、日本二百名山の一つである。頂上まで5・7キロとあり、片道2時間以上かかりそうだが、登ることにした。しかし最初の威勢はどこへやら、途中であっけなく断念してしまった・・・。

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高倉健さん、どうぞ安らかに・・・

 高倉健さんが亡くなった。83歳だった。昨日、テレビのテロップに訃報が流れ、大きな衝撃を受けた。健さんの映画は、私が大学時代を過ごした1960年代を思い出させてくれる。それは、怠惰で倦怠感に満ちた時代だった。

 当時の映画館は、スナックやホルモン焼き、パチンコ店などが散在する猥雑な街の一角にあった。裏道に少し入れば文化アパートが軒を連ね、ホステスが多く住んいてた。彼女たちとすれ違うと、いい匂いが鼻孔をくすぐり、田舎者の私には刺激的だった。

 映画館はオールナイトで営業しており、記憶は定かでないが、5本立て100円か150円くらいではなかったかと思う。おもに観たのは任侠映画である。もちろん健さん主演の「網走番外地」、「日本侠客伝」、そして「昭和残侠伝」の各シリーズである。館内は煙草の煙が立ち込め、スクリーンの下を大きなネズミが走っていたのを覚えている。

 ヤクザシリーズの健さんの目は純粋だった。あの目元がたまらなかった。そして、ドスで相手を追い詰めた時の鋭い目には不思議な興奮を覚えた。自分も侠客になったような余韻を引きずりながら下宿に帰り、煎餅蒲団で眠った。思えばあの時代、朝まで映画を観て、気分次第で講義を受ける怠惰な生活を送っていた。

 「純粋と暴力」・・・。これは、あの時代独特の風景だったように思う。学生運動、ベトナム反戦、三島由紀夫の割腹、ビートルズ、ヒッピー。これらと健さんの任侠映画は、どこかでつながっていたのかもしれない。

 時代は高度成長時代を迎え、やがてバブル経済、その崩壊の道を辿る。健さんの映画は1970年代以降、「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」「南極物語」「鉄道員」が作られた。これらはすべて観たが、健さんの視線は時代とともに柔和になって行ったと思う。年齢や役柄もあったと思うが、果たしてそれだけだろうか。

 健さんの冥福を祈りながら、思い出を書かせてもらった。安らかに・・・。

 

薪作り・・・いつまで続けられるか

 暖房用の薪を作り続けて21年にもなるが、今年は薪への熱意が急速に冷めてしまった。体力的な問題もあるが、それだけではない。要するに面倒くさくなったのだ。これが老化というのだろうか・・・。

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 ここ数年を見てみても、毎年、がむしゃらに薪を作った。仲間数人とともにお金を出し合い、ここ生石高原の中腹で木を伐採させてもらっている。アベマキというクヌギに似た大木を伐採するのだが、この木は薪としては高級品である。

 薪作りの作業は、かなりの重労働だ。伐採した木を軽トラの近くまで運ぶだけでも骨が折れる。チェンソーで薪の長さに切って、油圧の機械で割る。これをわが家の薪置き場に積み上げる。こうした作業を10日ほど続け、やっと1年分の薪を備蓄できるのだ。

 薪ストーブで燃やす薪の量は、1年で3000本を下らない。ストーブを使うのは、おおむね10月から翌年の6月ごろまでだが、寒さが厳しい12月中旬から翌年3月までの薪の使用量は格段に多い。日ごとに薪が少なくなっていくのを見ていると、恐怖感さえ覚えた。

 実は昨年から、冬を大津市の自宅で過ごすことにした。生石高原は標高が800m以上あり、平地の気温に比べると5度くら低い。いくら比叡下ろしが吹く大津が寒いといっても、氷点下が普通の生石高原とは比較にならない。年をとるとともに寒さがこたえるようになった。

 大津で冬を過ごせば、当然薪の使用量が減る。3000本のところを1000本で済むのだ。先日、山小屋の敷地の木を何本か伐採したが、それほど薪を使わなくなるので、薪作りの気合が入らない。作った薪の量は、ご覧の写真のように例年の10分の一にもならない。女房は「今まで薪ストーブの暮らしを自慢していたのに、堕落したわね」と嫌味を言う。

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 しかし、薪の備蓄は3年分くらいあり、今年少々サボっても万全である。軒下などには、薪が山と積み上げてある。それにしても、老骨に鞭打って、よくぞ作ったものだと感心する。ただ、もうこれだけの馬力はないと思う。何年か先、薪ストーブは炎を楽しむだけで、暖房は灯油にとって代わっているかもしれない・・・。

習近平の仏頂面・・・

 ネパール旅行から帰ってきて、毎日ボーっと過ごしている。旅行の余韻を引きずっているのか、カルチャーショックが大きかったのか・・・。何もする気が起きないのだ。 これは私の持病のようなもので、時々このような症状に陥る。達成感が大きければ大きいほど、日常のことが些細な事柄に思え、やる気をなくしてしまうのだ。 

 これから冬支度をしなければならないのに、何も作業が進んでいない。落葉するこの時期、敷地の邪魔になる木を伐採し、薪として備蓄する。鮎釣りが終わったので、片付けもしておく。ヤマガラやシジュウガラの巣箱を木から下ろし、消毒しておかなければならない。うんざりするほど、仕事が多い。

 朝ご飯を食べ終わると、今日こそこれらの作業をしようと思うが、やはり億劫になってしまう。テレビの前でうたた寝を始める私に対し、女房は「何でもいいから、何かやりなさいよ」と苛立っている。しかし重い腰を上げられない。

 日がなテレビを見るか、本を読んでいるかである。しかし本には集中できず、テレビを見ることの方が多い。ドラマは辛気臭いし、バラエティー番組はお笑い芸人の馬鹿笑いに閉口してしまう。だから主に報道番組を見る。

 最近のニュースでは、APEC会場で安倍総理と習近平が握手する場面が面白かった。習近平は握手が終わるや否やプイと顔そむける。その仏頂面に思わず声を出して笑ってしまった。バラエティー番組も顔負けである

 習近平もちょっとぐらい笑顔を見せれば、世界に恥をかかなくて済んだと思う。中国の新聞さえ「大人げない」とのニュアンスを滲ませたし、世界の国々も失笑した。ただ、韓国の新聞だけが、中国の日本冷遇に快哉を叫んでいたが・・・。

 尊大、横柄、幼稚、恥知らず・・・この国は、つくづく異形の国だと思った。強大な権力を持ちながらも、ネットユーザーや共産党反日強硬派の顔色をうかがい、日本の総理を笑顔で迎えることが出来なかった。裏を返せば、習近平の政権基盤がそれほど強くないことを物語っていたと思う。

 国内に目を転じれば、テレビはにわかに吹き始めた解散風を報じている。野党は大義なき解散だと批判しているが、本当のところは、野党に「まさか解散」という油断があったのでないか。そもそも大義とは、与党が捻り出す都合のよい言葉なのだ。

 民主党の海江田代表は「やれるものなら、やればいい」と開き直り、本音は解散してほしくないという口ぶりだった。そして、「堂々と受けて立つ」と勇ましいところも見せたが、失礼ながら、負け犬の遠吠えのように聞こえた。他の野党も周章狼狽、右往左往、どこかやけくその感がある。

 ま、素人評論はこれくらいに・・・。今朝起きて驚いた。ここ生石高原の気温は2度。冬支度を急がなければならないが、こう寒くてはやってられない。作業はしばらく様子を見てからにしようと思う・・・。 

ネパールの旅・・・混沌の町に魅せられて

 ネパールの旅は、あとわずかを残すだけになった。無性に寂しい。旅をする者の一時の感傷かもしれないが、この国には人の心をわしづかみにする何かがある・・・。

 首都カトマンズは混沌とした町だった。多くの人種と言語が混在し、宗教はヒンズー教徒が圧倒的だが、キリスト教やイスラム教の人たちもいる。人々の多くは貧しく、信仰とともに心静かに暮らしているように見えた。街に寝そべる犬の額にもビンディーという赤い印が施されている。敬虔な信仰の町なのだ。

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 反面、喧騒の町でもあった。日がな車やバイクの騒音がけたたましい。道路を横断するのは命がけである。バスはほとんどが満員で、助手の青年が大声で客を引く。土埃が舞い上がり、トイレなども不衛生である。観光地では土産物を売る人が付きまとい、「チャイナは偉そうにしている。日本人が好き」などとお世辞を言う。

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 余談になるが、私の郷里に「鮒寿司」という食べ物がある。琵琶湖でとれるニゴロブナを塩漬けにし、ご飯にまぶして発酵させるなれ寿司の一種である。匂いがきつく、ひと口食べて吐き出す人もいる。しかしこれは、日本三大珍味の一つに数えられ、一度食べたらクセになる。例えは適当でないが、ネパールはそういう国である。

 カトマンズは「人の数より、神が多い」と言われるそうだ。ヒンズー教やチベット仏教の寺院、それらにまつわる彫像などをいたる所で見かけた。スワヤンブナートという丘の上にも行った。ネパール最古の仏教寺院で、ストゥーパという白い仏塔があり、マニ車を回しながら周回し、祈る。

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 ボダナートのストゥーパも見に行った。こちらはネパール最大で、高さが36m。塔の中心にはブッダの骨が入っている。周囲に取り付けてあるマニ車を回しながらお参りする。時間があったので、健康長寿と金運を願って3回も回った。

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 ネパールは王政の国だったが、2008年、毛沢東派が議会第一党となり、王政が廃止された。ギャネンドラ国王は王宮を退去したが、今回の旅では何か所もの王宮を見学した。多くが世界文化遺産に登録されている。建物は東洋的な美が詰まっており、神秘的な彫刻も施されていて素晴らしかった。

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 ダルバール広場の寺院にも行った。これも世界文化遺産だ。ぶらぶらしていると、笛や太鼓のにぎやかな演奏が聞こえ、行列がやって来た。先頭は、江戸の火消しのまといのようなものを振っている。続いて、着飾った女性たちが二台の駕籠を曳いている。

 駕籠に乗っているのは、77歳を迎えたお年寄りの夫婦である。ネパールで77歳といえば大変な長寿であり、子供や孫たちがこのようにしてお祝いをする。行列に出くわすのはまことにラッキーらしい。

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 この寺院の一角にある「クマリの館」に行った。クマリとは生き神であり、歴代の国王もひざまずいてきた。その由来は謎だそうだ。クマリはヒンズー教の生き神だが、なぜか仏教徒から選ばれる。選ばれる条件は厳しく、まずは初潮前の少女で、怪我や病気の跡がないこと、利発であること。

 クマリは両親から引き離され、館で厳しい教育を受け、学校にも行かず生活する。初潮があったり、怪我をして血を流せば、その時点で普通の少女に戻る。町の邪気を払う巡行の時にしか顔を見られないが、時々、信者のために館の窓から顔を見せることがあると言う。ただ、写真を撮ることは固く禁じられている。

 夕暮れ時、館の中庭に入ると、二階の窓際に目つきの鋭い僧侶が二人、観光客を見下ろしていた。ひょっとしたら、クマリが現れるのかと思った。やがてこの僧侶はカメラを持つ人たちに、撮影禁止の仕草をした。

 息詰まるような時間が流れた。二階の窓に、盛装したクマリが姿を見せたのだ。そして手すりに両手を置き、信者や観光客を見下ろした後、顎をツンと上に向けたかと思うと、館の暗闇に姿を消した。この間、10秒くらい。キリッとした顔立ちだった。

 「あぁ・・・」。人々の間から何とも言えないため息が漏れた。私の隣にいた東洋人は涙を溢れさせていた。私も目がしらが熱くなった。不思議な感動とともに、7日間の旅を終えた。

          ↓ クマリの館とクマリ
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                                                     (終わり)

ネパールの旅・・・アンナプルナ連峰

 ネパールのポカラは、首都カトマンズに次ぐ第二の都市で、人口は30万人。カトマンズの西200キロ、チベットとインドの中間にあり、昔から交易で栄えた。旅の三日目、カトマンズ空港から飛行機でここに降り立った。

 そして四日目の朝--。まだ外は暗く、女房に「星を見てくる」と言ってホテルの部屋を出た。中庭で空を見ていると、目の前に何やら灰色の壁のようなものが立ちはだかっていた。不気味な姿だった。

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 少し明るくなって分かったことだが、それはヒマラヤの山塊だった。ポカラに着いた時、上空は曇っていたので山は見えず、まさかホテルからヒマラヤ山脈が望めるとは思っていなかった。ガイドブックをよく読んでいなかったのだ。

 すぐ部屋へ取って返し、女房を連れて外へ出た。するとホテルの警備員が「上へ行け」という仕草をした。走って屋上に駆け上がった。目の前に物凄い光景が広がっていた。女房も私も言葉を失い、ぼう然と立ち尽くした。

 遊覧飛行でエベレストを見た時、体が震えるほど興奮した。しかしそれは、高度6000mから見た展望だった。こちらは標高800mほどの所から7000m以上の高峰を見上げたのだ。富士山を二つ重ねたような高さであり、これはもう信じられない高度感である。

 私たちが屋上に上がった時、誰もいなかった。その後数人が上がって来たが、それでもみんなで5、6人である。ホテルには100人以上が宿泊しているはずだが、こんな光景を見ないなんて何ともったいないことか。

 私たち夫婦はヒマラヤの山を見たくて、ただそれだけが目的でネパールに来た。だから他の観光客たちと山に対する温度差が違う。宿泊客の多くはまだ寝ているか、モーニングコーヒーを楽しんでいたに違いない。年金をためて旅費を捻り出してここに来た私たちは、そのように鷹揚になれない。

 目の前に広がるのは、ヒマラヤ山脈中央に位置するアンナプルナ連峰である。先が尖ったマチャプチャレの奥の左右にアンナプルナ・SOUTH、Ⅰ峰、Ⅱ峰、Ⅲ峰、Ⅳ峰が連なっている。最も高いのは、Ⅰ峰の8091m。登山者の死亡率が高いため、別名「キラーマウンテン」と呼ばれている。

 やがて峰々は朝日に照らされ、熟柿色に染まっていく。それは数分間の感動の劇場である。登山用語でいうモルゲンロートだ。日本アルプスのそれも息を飲むほど美しいが、こちらはさすが別格である。

 ただ、私たちが日本を出発する少し前、このアンナプルナ連峰で、雪崩や大雪によって登山者20人が死亡したとの報道に接した。美しい山がもたらしてくれる感動の対極に、数々の悲劇があることを忘れてはならないと思った。

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       ↑ マチャプチャレ(6997m)

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       ↑ 左がアンナプルナ・SAOUTH(7219m)、右奥がアンナプルナⅠ峰(8091m)

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       ↑ 左がアンナプルナⅣ峰(7525m)、その右がⅡ峰(7939m) 

 早起きは三文の徳・・・。美しい光景を独り占めにした。百聞は一見にしかず・・・。下手な写真ですが、どうぞ。

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ネパールの旅・・・山岳で暮らす人たち

 エベレストの鮮烈な残像が頭の中で暴れ、日常の感覚に戻れないままバスに揺られ、ナガルコットの丘に向った。ここはカトマンズから35キロほどの距離にあり、標高は2100m。リゾート地として知られ、ホテルやコテージが点在している。

 丘からはエベレストやアンナプルナ、ダウラギリなどの名峰が見られると聞いていたが、到着した夕方にはスコールのような雨になり、何も見えなかった。しかし夜にテラスへ出ると雨はやんでおり、満天の星空が広がっていた。天の川だろうか、星雲の帯が横たわり、宇宙の神秘に触れたようで体がブルッと震えた。

 翌日の朝、暗いうちからホテルのテラスに出てヒマラヤの夜明けを待った。5時半ごろ、東の空が白み始め、北の方向に険しい山並みが浮かび上がった。それは絶海の孤島のようにも見えた。

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 それから半時間ほどすると、空がオレンジ色に染まり始めた。現地時間の午前6時前、ヒマラヤ山脈の頂きから真っ赤な太陽が顔を出し、峰々は頂上から中腹へとみるみる陽光に照らされて行く。テラスの正面に見える三つの峰がランタン、左の険しい山がダウラギリか・・・。山の名前は人によってまちまちで、よく分からない。

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 朝食を食べた後、女房と散歩に出かけた。山の斜面にはホテルらしきものが見える。煙を上げる農家も見えた。坂の下から鮮やかな民族衣装をまとった女性たちが登ってきた。しぼりたての牛乳が入ったアルミ容器を背負う女性がはにかむような笑顔を見せてくれた。山岳地帯で暮らす人たちの朝は早い。

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 ネパールの人口は2700万人、国土のほとんどが山である。人口の80%が農民で、様々な穀物や野菜を栽培し、自給自足の生活をしている。ガイドの話によると、山を開拓して農地を作ればそれが自分の土地になり、税金はゼロと言う。煮炊きは薪だが、暖房はない。寒ければ布団にくるまって一日を過ごすそうだ。

 後日、ネパール第二の都市ポカラでハイキングを楽しんだが、ここでも山で暮らす人たちの生活に触れることが出来た。 ポカラの中心部からバスで1時間余り走り、ハイキングの出発点となるシャザンゲートという三叉路に着いた。ここはバス乗り場になっているようで、一軒の駄菓子屋があった。

 他の地域でもよく見られたが、ネパールには実に駄菓子屋が多いのだ。娯楽の少ない山岳で暮らす子供たちにとって、甘い菓子を食べること自体が娯楽なのかもしれない。店先には土地の古老が椅子に座り、子供たちを見守っている。ここは村人たちの交流の場になることもあるのだろう。

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 ラムコットという小高い山頂を目指し、三叉路を曲がって山道を歩き出した。片道3キロほどの道のりである。私たちのすぐ先を、美しい衣装で着飾った5人の女性が坂道を登って行く。買い物を終えて家に帰るのだろうか。とにかく足が速い。いつの間にか姿が見えなくなった。

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 道はずっと上り坂。半時間も歩くと汗をかく。農家の庭先では女性が仕事をしており、男性よりも働き者なのだろう。屋根にはぺんぺん草が生えた家もあり、ほとんどが粗末なたたずまいだ。もちろんテレビのアンテナなど立っていない。電気が来ていない家も多いらしい。

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 山道を歩いていると、右に左にヒマラヤの高峰が見える。とにかく、山の高さが半端ではない。天空を衝くという表現がぴったりだ。山岳で暮らすこの人たちは、それらの峰々に神が宿ると信じ、大自然の恵みに日々感謝しているのだと思う。丘の上などに、四方を縄で囲んだ場所があった。日本と同じように、神域を意味しているのだろう。

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 1時間半ほど歩き、ラムコットの丘に着いた。ここにはヒンズーの女神を祀る小さな建物があり、四方に何十個もの鐘が吊るされていた。村人たちは鐘を鳴らしながら堂を巡るのだろう。お堂の前にいた古老からお賽銭を入れるよう催促された。

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 堂の近くに10人ほどの子供が遊んでいた。学校には行っていないようだ。こんな山岳地帯に学校はないのだろう。教育が重要なのはもちろんだが、日本からやって来た観光客が口にすべきことではない。

 子供たちはみんな彫りの深い顔立ちである。人懐っこい笑顔を投げかけ、親しげに手をからませてくる。美しい瞳、この天真爛漫さは一体何なんだろう・・・。

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                                                           (続く)

ネパールの旅・・・エベレスト編

 関西空港を飛び立った私たち夫婦は、10月25日の夜遅くネパールの首都カトマンズに到着、7日間の旅を始めた。その翌日の朝6時半、眠い目をこすりながらカトマンズ空港で小型プロペラ機が飛び立つのを待った。世界最高峰エベレストの遊覧飛行に向うのだ。

 峰々がよく見られるよう全員に窓際の席が与えられ、30人ほどが席に着いた。女房は往路から山が見られる左側、私は復路の右側の席だ。上空には薄い雲が漂っており、本当に絶景が見られるかちょっと心配である。

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 飛行機はカトマンズ盆地を見下ろしながら北東へ進んだ。若いころからヒマラヤにまつわる山岳小説やノンフィクションを読み、多くの映像も見てきたので、それなりのイメージは頭に焼き付いている。眼下には段々畑しか見えないが、早くもヒマラヤの絶景に私の胸ははち切れそうである。

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 やがて反対側の窓から白い峰が見え始めた。女房は窓に額を押しつけながら見入っている。山が見えない右側の席に座るわれらは、一人ずつコックピットに入れてくれた。私の番が回ってきて前方を見た。

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  「何だこれは!」・・・。たちまち私の目がうるみ、体が震えた。何十年も夢見てきた光景が目の前にある。「何だ」・・・。これが飾らない私の正直な言葉である。白い峰々は、誰が何と言おうと、これは「神の世界」だ。

 この地球にこれ以上高い場所がない8848mのエベレスト。ナイフで切り取ったような稜線が朝日に照らされ、陰影を際立たせている。当たり前だが、エベレストはやはり高いし、ヒマラヤ一帯を威圧し、睥睨(へいげい)している。その左にチョー・オユー、右にはローツエ、そしてマカルー。堂々たる8000m峰のそろい踏みだ。

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 東に進んでいた機体はやがて左旋回し、右座席の私たちがヒマラヤを見る番である。高度6000mあたりを飛行している。ゆっくりしたスピードで、絶景を心行くまで見ることが出来る。ヒマラヤには8000m峰が14座あり、今回の飛行で見られるのはほんの一部だ。2年前、竹内洋岳氏が14座すべてを制覇したが、あの時の驚きを新たにした。

 眼下には、見事な雲海が広がっていた。3000m級の日本アルプスの雲海も美しいが、こちらはスケールが違う。雲の上に浮かぶ山々はみな6000m以上だ。太古には海の底だったと言われても、とても信じることは出来ない。土産物店で売られるアンモナイトの化石が、かろうじてヒマラヤの奇跡を実感させてくれる。

 驚きと興奮のうちに1時間半のフライトを終えた。今は、余韻にひたるという感じはなく、ガツンと頭を殴られ、クラクラしたままである。あれは、現実だったのか・・・。

                                                      (続く)

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