やっと、ネットに繋がった・・・

 昨日の夕方、待ちに待った宅配便が届いた。ネットで申し込んでおいたレンタルのWiFi機器である。思ったより簡単に設定することができ、インターネットにつながった。パソコン音痴の私にとって、飛び上がりたいほどうれしかった。

 女房にこれを知らせると、大いに喜んでくれたが、その後のセリフがふるっていた。「もうこれであなたの不機嫌な顔を見なくて済むわ」・・・。確かにこれは当たっている。

 和歌山の山小屋から大津の自宅に転居したのは今月17日だった。標高800m余りの山の暮らしは物凄く寒く、冬の間だけ大津に疎開した形だ。山小屋ではADSL回線でインターネットを利用しているが、ほとんど空家の大津の自宅には電話回線を引いていない。ではどうすればパソコンを利用できるか、無知な私には難題である。

 東京の娘に相談すると、使わないスマホがあるので、これにレンタルのSIMカードを装着すれば接続できるはずと言った。そこですぐカードをレンタルし、スマホと格闘して設定を試みたが、ダメだった。カードの会社に問い合わせると、ドコモのスマホは使えない言う。しかし、ネットの説明書には「一部ドコモの回線を使っている」と書いてあったのだが・・・。

 数千円をどぶに捨てたようなものだが、立ち止まってはいられない。ネットでWiFiレンタルの3か月プランを見つけ、申し込んだ。ところが送られてきた機器はウンともスンとも言わない。会社に問い合わせると、私が住んでいる場所は、電波が飛んでいないエリアらしい。「最初からそう言え」と言いたかったが、飲み込んだ。

 代替の機器として送られてきたのが冒頭に書いたWiFiで、今やっと、こうしてブログの更新が出来るようになった。ネットを使えなくなってわずか11日間だけだったが、実に不便な毎日だった。ネットは生活の一部に入り込んでいるのだ。

 先日は京都国立博物館に行ったが、すでに年末年始の休館日になっていた。ネットで調べれば、こんな無駄足を踏まなくて済んだはずだ。ネット通販で 中古本やコーヒー、食料なども買えるようになった。ネットの有難みをしみじみ感じる・・・。 

 
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自民党が仕掛けた強襲・・・

 総選挙は自民党の圧勝で終わった。この選挙戦を眺めながら、桶狭間の戦いを思い浮かべた。

 駿河の戦国大名・今川義元は2万5千の大軍を率いて尾張に攻め入った。迎え撃つ織田信長の軍勢は5千ほどしかなく、どう見ても不利な戦いだった。しかし信長は豪雨の中、義元の本隊に奇襲攻撃をかけ、義元を討ち取った。

 そもそも奇襲は、少数の軍が不意を突いて大軍を攻撃する戦法だろう。しかし今回の選挙は、圧倒的な大軍を擁する自民党が、少数野党に奇襲攻撃をかけたのだ。いや、奇襲というより、強襲だった。桶狭間の逆パターンである。

 「まさか解散・・・」と油断していた野党が敗れたのも当然だった。民主党の海江田代表は選挙を前に、「堂々と受けて立つ」と豪語していたが、定数の半分も候補者を立てられず、政権交代を争点にすることが出来なかった。しかも総大将の自分が馬上から転げ落ちてしまった。

 民主党の敗退が確実になり、枝野幹事長は記者会見でこう語った。「前回選挙で政権を手放す結果になり、今回はゼロからの出発だった」。だから、候補者の準備が整わなかったと言いたいのだが、余りにも情けない言い訳だ。少なくても、野党第一党の幹事長が口にする言葉ではない。

 政治の世界は「常在戦場」だという。常に戦場にある心を持てという意味であり、政治家が好んで使う。新潟・長岡藩の藩風でもあり、戊辰戦争で戦死した河井継之助や連合艦隊司令長官の山本五十六が座右の銘とした。

 選挙の大義について色々と言う人がいるが、政治は理想社会を実現するための手段であり、そのための主導権をめぐる戦いが選挙である。勝てると読んだ時に解散に打って出る。これが出来るのは総理だけであり、だから解散権を伝家の宝刀と呼ぶのだ。

 勝てばいいとは言わないが、大義がないと叫ぶだけでは引かれ者の小唄に等しい。自民党に対峙できる経済政策、安全保障政策、社会福祉政策、エネルギー政策などを具体的に訴え、堂々とした論陣を張るべきだ。その意味で、共産党が批判票の受け皿になったのも当然だった。

 野党は今後、離合集散を重ねるだろう。特に民主党は大きな岐路に立たされると思う。この党は、いかなる政策も一致団結できない人々の集まりである。ましてや憲法改正は、党を空中分解させる時限爆弾になる。これからの安倍政権4年間は、憲法改正の是非が軸となって動くと思うが、どうだろう・・・。

 このところ寒い日が続いている。開票翌日の今朝は氷点下3度だった。道路は雪が凍結し、散歩もままならない。そろそろ生石の山を下り、大津市の自宅に疎開しようと思う。ホーム炬燵に潜りこみ、今後の政局を見守ろうと思う・・・。

織田信成の泣きっぷり・・・

 年末ジャンボ宝くじのテレビCMは痛快だ。何たって、フギュアスケーター織田信成の号泣シーンは、抱腹絶倒である。今年は兵庫県議の号泣会見が話題になったが、こちらは自己弁護の空々しい涙だった。これに対し織田の泣きっぷりは実に見事で、清々しささえ感じた。これはもう彼の芸である。

 民俗学者の柳田 国男は戦後、「明治初期の人はよく泣いたが、今は余り泣かなくなった」と語っている。確かに、明治維新の群像を描いた司馬遼太郎の著作では、登場人物の号泣場面が多く出てくるし、藤沢修平や山本周五郎などの時代小説にも泣き虫が多い。

 柳田国男という碩学、大家がそう言っているのだから、当時の人は本当によく泣いたのだろう。昔の日本人は感受性が豊かだったのだと思う。思わず目がしらを熱くするのは、素直な感情表現だろう。しかしいつの頃からか、人前で泣くのは恥ずかしいことだと言われるようになった。とくに「男は泣くな」と言って育てられた。

 ところが近年、泣かない日本人がよく泣くようになったと感じる。そう思うのは私だけではないだろう。おそらく、3・11の東日本大震災を境に顕著になったのではないか。

 あの震災は、世の無常感や儚さはが私たちの胸に深く突き刺さった。過酷な震災を乗り越えようとする人々のけなげな姿も感動させた。新聞記事の行間に、テレビ映像に涙する・・・。震災をきっかけに、人々は泣くことに躊躇しなくなったように思う。長く眠っていた日本人の涙が蘇ったと思うのは、うがった見方だろうか・・・。

 私も震災後、一層涙もろくなってしまった。映画やドラマで泣くのは昔からだが、近年は泣いている人を見ただけで、涙の理由も分からずに涙ぐんでしまう。女房はそんな私をいぶかり、不審の目で見ている。年寄りの涙など美しくも可愛くもないが、それにしても織田信長の末裔の泣きっぷりはすごい・・・。

目標こそ生きがい・・・

 午前1時半ごろ、トイレを催して目が覚めた。この時間にトイレへ行くのはいつものことだ。ロフトの窓から外を見ると、雪が舞っていた。この分だと、外気は氷点下3度か4度になっているだろうと思った。

 水道管の凍結を防ぐため、前夜は水をチョロチョロ出しておいた。ちゃんと水が出ているか、蛇口をもう一度確認してロフトに上がり、電気毛布にくるまって目を閉じた。しかし凍結が妙に心配になり、なかなか寝付けない。

 不眠症という訳ではないが、眠れないことが年に数回はある。その度に、「羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹・・・」と数えて眠ろうとする。この夜も羊を30匹くらい数えたが効果はなかった。悶々としていたが、1時間ほどでいつしか眠っていた。

 ふと思いついたことだが、羊の数を数えるより、先日打ち上げられた「はやぶさ2」の宇宙の旅を想像した方が楽しいし、睡眠効果があるように思えた。次の眠れぬ夜には、衛星の52億キロの旅を思い描き、効果の程を確かめてみよう。

 その「はやぶさ2」は、順調なら2020年の12月に帰還する。満身創痍で帰って来た1号機には大きな感動をもらったが、2号機の帰還も今から楽しみだ。あと6年である。同じ年には東京五輪のビッグイベントもある。

 年をとると、「目標」はすごく大切なものになっていく。一線で働いていたころは、仕事に忙殺されながら日々が過ぎ、目標を持つ余裕はなく、それほどの意味もなかった。しかし第二の人生では、目標は大きな生きがいである。そう思うのは、私だけではないだろう。

 東京五輪、はやぶさの帰還・・・。それまで「もう6年しかない」と思うか、「まだ6年もある」と思うか、人それぞれだろう。私は後者の楽観主義者だが、ともかく、健康でその日を迎えたいと思う。

        ↓ 生石高原の雪(わが家から)
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本音を語らぬ識者たち・・・総選挙

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 ここ生石高原は2日朝、薄っすら雪化粧した。初雪である。朝の気温は氷点下2・5度。毎年、12月に入れば雪が降るので驚きはしない。ただ、寒さに強いと豪語していた私だが、近年、ひどく寒さがこたえるようになってしまった。

 この日は衆院選の公示日で、候補者が一斉に走り出した。こんな山奥に選挙カーが来ることはないが、テレビや新聞で見る限り、どうも緊張感に欠けているように思う。野党に最初から政権交代の意気込みはなく、そもそも力量もないからだろう。

 日曜の朝、民放で時事問題の討論番組を放映していた。かつての滋賀県知事の武村さんと、鳥取県知事だった片山さんが出演し、二人とも今回の解散に疑問を呈していた。片山さんは民主党政権時代の総務大臣だったから、民主党寄りと言っていいかもしれない。

 番組で片山さんは次のように語っていた。「自民党は選挙でアベノミクスの是非を問いたいと言っている。しかし与党は議席の三分の二もあり、アベノミクスを思うように推進できるはずだ。なぜ、解散する意味があるのだろうか」・・・。

 いかにもリベラルらしい発言である。もし野党の政治家がこう言えば、共感を得ることも出来るだろう。しかし彼は大学教授という立場のコメンテーターである。誰が見ても解散の核心は別のところにあるを分かっているのに、それを言わずに解散を語るのはどうかと思う。

 これを「かまとと」と言う。今風に言えば「ぶりっこ」である。どちらも「うぶ」な振りをする女性を指す言葉だが、この際、男女どちらでもいい。「かまとと」は、蒲鉾が「とと(魚)」で出来ているのに知らない振りをすることである。

 近年、「かまとと」は死語に近い。かつて貞淑な女性が美徳だったからこそ、貞淑ぶるのにも意味があった。しかし今の女性は恥ずかしげもなく開けっ広げで、貞淑をバカにしたりする。世も終りである。

 まぁ、それはどうでもよい。要するに、解散の核心は安倍総理が「今解散すれば勝てる」と思ったからだ。アベノミクスに対する国民の信を問うというのは、あくまでも建て前だ。大義が正しければ選挙に負けてもいいという潔い政治家が一体何人いるだろう。そんな理想論が通用する世界ではないだろう。

 なのに片山さんは、解散に対する政権の本音を知っているのに、知らない振りをしてコメントする。それはまるで、飢餓を前に道徳を説く聖職者のように見える。選挙を断行して勝利に賭けるのは、与野党を問わず、政治家として当然のことだろう。今後4年間、政権を手に入れることが出来るからだ。

 右寄りでも左寄りでもいいが、このように本音を語らず、識者として有権者に変な印象を与えるのは良くない。テレビによく顔を出す「識者なる者」はポピュリスト、つまり「かまとと」が多のだ・・・。

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