西国霊場・・・雪の湖北

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 女房の西国三十三か所巡礼は、今年で11年目である。残す霊場は4か寺だけになった。女房は、1番青岸渡寺から2番紀三井寺、3番粉河寺と順番に参っている。どこかへ旅行した時、ついでに参拝することはしない。要するに、融通がきかないというか、真っ正直というのか・・・。だから人の二倍も三倍も時間がかかっている。

 今回の巡礼は、琵琶湖の最北端に浮かぶ竹生島の30番宝厳寺である。私は運転手として同行したが、昔の記憶を呼び覚ましてみたいという気持ちもあった。おそらく小さい時に1回、結婚してからもう1回、合わせて2回来ているはずだ。

 大津の自宅を出て、景色が素晴らしい「さざなみ街道」を北上した。湖面には、無数の水鳥が浮かんでいた。 水鳥と言えばカモかコハクチョウくらいしか思い浮かばないが、飛来するカモは十種類以上もいるという。お寺参りの途中にカモ鍋の話とは生臭いが、昨年湖畔の料理屋で食べた天然マガモは本当においしかった。

 彦根城を過ぎてしばらく走ると、真っ白の伊吹山がヌッと現れた。標高は1377mしかないが、日本アルプスの名峰にひけをとらない堂々たる姿だ。日本百名山だけのことはある。左手の湖面は穏やかで、春先のような陽光が射し込んでいた。竹生島行きの船が出る長浜港はすぐそこだ。

 港に着くと、二階建ての結構大きな船が横付けされていた。乗客は20人ほどで、午前10時15分に出航した。竹生島までは約30分。さすが湖北は雪深く、岐阜や福井の県境にまたがる山々は真っ白だ。湖上から眺める冬景色はなかなか風流で、素晴らしいクルーズである。

 竹生島が目の前に迫ってきた。周囲2キロほどの切り立ったこの小さな島は、どうして誕生したのだろう。水中でも岩が切り立っていて、このあたりは琵琶湖で一番深く、水深は100mという。それを物語るように、水の色は不気味なほど深い緑色だった。

 島に降り立ったが、どうも記憶が蘇らない。女房は「ほれ、この長い石段を登ったでしょう」と言うが、「うん、まあ」とあいまいにしか答えられない。前日の晩ご飯さえ忘れるくらいだから、毎日毎日、脳細胞がプチプチと壊れ、記憶を消しているのだろう。

 宝厳寺は日本三大弁才天の一つに数えられている。奈良時代、聖武天皇の命によって行基上人が創建したと伝えられる。行基上人といえば貧民救済に生涯を捧げた偉い坊さんだが、琵琶湖北端のこの島にまで足跡を残していたとはちょっと感動である。重文の観音堂や国宝の唐門など見どころも多かったが、それも記憶になかった。

 正午過ぎ、竹生島を後にし、長浜港に向った。大津への帰りは来た道を辿るが、途中に31番長命寺があり、お参りすることにした。今回が3回目の参拝で、お寺のたたずまいなど結構覚えている。前回はお寺まで808の石段を踏んだが、今はそんなパワーはなく、車で上がった。

 十一面観音など三体の秘仏が納められている本堂で手を合わせた。いつものことだが、女房は長い間お祈りする。子供や孫など家族縁者ひとりひとりの顔を思い浮かべ、健康をいのるのだそうだ。そして最後に、私の「ピンピン、コロリ」を願うのである。巡礼は安土の観音正寺と岐阜・谷汲の華厳寺だけとなり、満願は近い・・・。

            ↓ 竹生島へ
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          ↓ 長命寺
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愛犬「ぴー」が噛んだ・・・女房逆上

 昨夜、ちょっとした出来事があった。晩ご飯の鍋を始めるため、女房がガスコンロにボンベをセットしようとしたところ、ボンベの赤いキャップを床に落としてしまった。キャップはころころ転がり、居眠りしていた愛犬「ぴー」の鼻先に当たった。

 すると、「ぴー」は素早くキャップを口に入れた。女房が「キャップを食べた、はよ取り出して」と慌てている。私が口に手を入れようとしたら、指を噛まれた。代わって女房が近づくと、「ウーッ」とうなり、女房の指も噛んだ。噛むと言っても、痛いほどではない。

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 「あんた、噛んだな!」。女房は逆上し、頭を叩こうとした。するとまた「ウーッ」とうなった。女房に叩かれまいと食卓の下に隠れ、やっとキャップを吐き出した。そもそも「ぴー」は普段から吠えることはしないし、初対面の人にもすり寄るおとなしい性格だ。うなるなんて、余程女房の顔が怖かったのだろう。

 女房はまだ腹の虫が治まらないのか、キャップを吐き出した後も追い回いている。私は「やめえとけ。悪気はないんだから」と割って入った。すると女房は「こういう時はきちんと怒っておかないと、また噛むわよ」と言う。

 確かにそれは正論だが、もうちょっと情愛があってもいいのではないか。いつも大きな瞳で私たち見つめ、癒してくれているのだ。人間の子供を甘やかすとロクなことはないが、犬は愛を真正面から受け止めてくれる。

 親バカのようで笑われるかもしれないが、「ぴー」は賢い犬である。シーズのオスで、7歳だ。元々は娘が飼っていたが、転勤になってペットを飼えないマンションに入居したため、わが家で引き取った。孫のようなものである。

 「ぴー」とは一緒に寝ているが、朝は時間になると前足で私たちの顔を引っ掻き、起こしてくれる。お腹がすけば、アイコンタクトでそれを知らせ、散歩をしたい時もじっと見つめて催促する。

 多くのペットも同じだろうが、人間の言葉をある程度理解している。車での外出は大好きだが、「お留守番」と言えば決してついて行こうとしない。餌を皿に入れてやっても、「よし」の声がかかるまで絶対食べないし、「待て」もよく守る。

 「ぴー」の知能や理解力は驚くほど優れている。だからボンベのキャップを口に入れても、飲み込むようなアホでないのだ。遊びのつもりだったのだろう。私は、少し悲しげな目で見上げる「ぴー」を抱きしめた・・・。

 

大文字山を越えて・・・皿うどん

 なぜ山に登るのか・・・。英国の登山家マロリーはかつて、「そこに山があるから」と面倒くさそうに答えた。山を歩くこと自体に喜びを感じる人もいるが、私の場合は、馬の鼻先にぶら下げる人参のようなものが欲しい。

 と言う訳で、今回の山歩きの楽しみは、下山して「皿うどん」を食べることである。

 朝9時前、JR大津駅で電車に乗り、次の山科駅で降りた。閑静な住宅街の坂道を登り、20分ほどで天台宗毘沙門堂に着いた。ここを左に行くと大文字山だ。例年8月16日に行われる五山の送り火では、左大文字が赤々と燃え上がる。

 この山には、毎年のように登っている。標高は460mほどだから、手軽なハイキングコースと言ってよい。谷川に沿って杉林の中を歩く。1時間ほど行けば、如意が獄との分岐点。左に曲がり、急斜面を登ると大文字山への尾根に出る。

 コナラやリョウブの雑木林を歩いた。登山道のすぐ右側では、道路を建設中だった。どこからどこへ通じるのだろう。必要な道かもしれないが、東山三十六峰の景観を壊すのではないかと心配になった。

 登山道には所々雪が残っていおり、少しぬかるんでいた。山科駅から2時間ほどで頂上に着いた。いつもなら何人かの登山者がいるが、今日は誰もいなかった。曇り空から時折晴れ間がのぞき、眼下の古都を照らし出していた。

 ふと、前日観に行った黒澤明監督の映画「羅生門」を思い浮かべた。作品に登場する羅生門は建物の半分が焼け落ち、飢饉や疫病で荒廃した都の象徴のように映し出されていた。羅生門は都の内と外を区切る門だったようだが、目の前に広がる古都のどのあたり門があったのだろう・・・。

 しばし、そんな空想にふけった。汗が引き、寒くなってきたので下山することにした。15分ほど下ると、「大」の文字に配列された火床が現れた。ここに薪が積み上げられ、火が付けられる。送り火の夜には、巨大な大文字が夜空を焦がすのだ。

 急な坂を下り、銀閣寺に下山した。門前の通りは思っていたより観光客が少なく、人力車をひく若者は手持ち無沙汰のようだった。ここから今出川通りを西へ15分ほど行くと、目的の店がある。皿うどんと長崎ちゃんぽんの専門店「まつお」である。無性にこの店の皿うどんが食べたくなり、わざわざ大文字山を越えてやって来た。

 この店を初めて訪れたのは、もう20年以上前である。それ以来夫婦で時々食べに来た。最初のころ厨房に立っていたのは年配のご主人だったが、何年か前に若い人に代わっていた。息子ではなく、どうやら縁者のようだった。

 元のご主人が作る皿うどんは、あんかけの具は山盛りで、程よい塩味が絶妙だった。しかし代が変わると、微妙に味が変わった。作り手が変われば味も変わるのは当然だろう。山越えした後の胃袋には格別の味だった・・・。

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自分は日本人だから・・・黒田投手

 昨年12月27日、広島カープファンに吉報がもたらされた。ヤンキースの黒田博樹選手が、8年ぶりに古巣カープへ復帰すると発表したのだ。黒田の男気にファンは胸を熱くし、そのはしくれの私にも熱いものが込み上げた。

 2007年、黒田のメジャー移籍が取り沙汰された時、広島市民球場の外野席に大きな横断幕が掲げられた。幕には「我々は共に闘って来た 今までもこれからも…  未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる」と書かれていた。

 ファンは黒田のメジャー挑戦に背中を押し、球団も四の五の言わず、温かく送り出した。黒田のまぶたにあの文字が焼き付いていたに違いない。メジャーの年俸20億円に未練を残さず、4億円のカープに戻る決断をした。彼の胸中に、まだ力があるうちにファンとの約束を果たしたいとの思いがあったのだろう。黒田は男だ、浪花節だ・・・。

 筋金入りとまで言わないが、私は古くからのカープァンである。ファンになった理由は単純明快、弱かったからである。中学生のころ、試合に勝っても新聞に2行のイニングしか報じられないカープが不憫で、応援を始めた。広島に何の縁もないただの判官贔屓だが、いつも密かに心を熱くしていた。

 あれは2002年ごろだったか、カープの春季キャンプを見に行った。キャンプ地の日南市へは宮崎市からバスに乗り、何時間もかかった。選手たちが練習していたのは、小さな市営の天福球場だった。

 スタンドの最前列で練習を見学した。高校の球児が練習しているような雰囲気だった。土と汗にまみれ、大声を上げながら反復練習を繰り返していた。巨人や阪神など金持ち球団の派手さや華やかさはなく、市民球団にふさわしい質実さがあった。

 ブルペンにも足を運び、金網越しに投手の仕上がり振りを見た。4、5人の選手が投げており、球がミットに収まる音はさすがプロの響きだった。しかし、一人だけその音が違っていた。皮のムチを空中で鳴らすようなすさまじい音だった。それが黒田だった。

 球が速いだけであんな音は出ないと思う。よく分からないが、多分、回転がきいた球を投げていたのだろう。解説者が口にするように、「球が重い」という感じなのだ。まだ若いのに、エースとしてのオーラを放っていた。

 その後の彼を見ていても、寡黙であり、言葉にも気取りがない。今回の復帰でも、「自分は日本人だから」と言葉は少ない。難しい言い回しをする同じメジャー選手もいるが、あれはどうも肩が凝る。

 赤ヘル旋風が巻き起こったのは1975年。あれ以来6回のリーグ優勝を数えたが、ここ20数年は優勝から遠ざかっている。しかし近年はチームに勢いがあり、そこへ黒田の復帰である。今年こそ、カープ女子もむせび泣く年になるはずだ。必ずや・・・。

苦悩する大仏さん・・・

 東大寺の大仏さんに参拝するため、大津駅からJRで奈良に向った。自宅のある大津の市街には正月に降った雪が残っていたが、京都から奈良にかけてはまったく見られない。やはり大津は北陸の尻尾のような所だと、つくづく思った。

 小一時間で奈良駅に着いた。正月休みも明けたのに、たくさんの観光客がぞろぞろと東大寺方面に歩いて行く。ここでもやはり外国人観光客が多い。150円のシカせんべいも飛ぶように売れ、商売繁盛のようである。

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 最初に大仏さんを拝んだのは、小学校の修学旅行だったように思うが、遠い昔のことだから記憶は怪しい。アルバムを引っ張り出して調べると、興福寺の五重塔をバックにした記念写真があり、確かに奈良を訪れていた。この写真は、数少ない小学時代の一枚で、懐かしかった。

 その後も何回か東大寺を訪ねたことはあるが、それは普通の観光だった。しかし今回は、ある一冊の本に描かれた大仏造営の物語に触発され、東大寺行きを思い立った。

 この本は、帚木(ははきぎ)蓬生著「国銅」(上下、新潮文庫)で、2003年に出版された長編小説である。主人公は、長門(山口県)の銅山で鉱石を採掘し、銅を作る奴隷のような作業に従事する青年だ。

 青年はある日、仲間15人とともに大仏造営の人夫として奈良に派遣された。瀬戸内海を舟で渡り、難波津から平城京に入った。都で見るものはすべて珍しく、とくに巨大な仏像造営の最新技術の現場は刺激的だった。様々な人間模様を織り交ぜながら飾り気のない筆致で天平の世が描かれている。帚木作品としては、唯一の古代の物語だ。

 「国銅」というタイトルは、聖武天皇の「国中の銅を集めて盧遮那仏(大仏)を造る」という詔から付けられたと思う。西暦745年から7年にわたり、山を削り、土を盛り、銅を作り、木材を運んだ大事業だ。苦役に人々は疲弊し、費用は今のお金で5000億円近くかかったと言われる。

 そんな当時を想像しながら東大寺に向った。金色の甍(いらか)を戴く大仏殿は何と大きいことか。戦乱や地震、火災で何度も被害に遭ったが、復興され続けてきた。今の大仏殿は、創建当時より三分の二ほどの大きさだというから、当時の建築技術の高さに驚く。

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 大仏殿に足を踏み入れると、高さ15mの巨体に圧倒された。砂などで固めた外枠と中枠の隙間に銅を流し込んで作られた。なぜこれほどまでに大きいのか・・・。干ばつや飢饉、疫病に苦しむ人々を救おうとする聖武天皇の願いと、天皇自身の苦悩の大きさの表れかもしれない。

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 聖武天皇は精神を病んでいたとう説がある。蘇我系と藤原系の皇位を巡る争い、その挙句に起きた長屋王の変、藤原四兄弟の相次ぐ病死、身内の怪死などが天皇の心を痛めつけたようだ。呪われた平城京を捨てて紫香楽の宮に遷都しようとした。そして大仏はこの地の甲賀寺に造営する詔を発し、工事が始められた。

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 しかし付近で火事が相次ぎ、造営は平城京に変更された。火事は、大仏造営への民衆の反発が招いたとも言われているが、もちろん真相は歴史の闇の中。もし紫香楽に大仏さんが建立されていたら、その後の日本の歴史はどんな道を辿っただろう。帰りの電車で、歴史の「IF」を想像してみた…。 

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今年は一歩前に踏み出そう・・・

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 元日の昼過ぎから、大津は雪になった。娘二人と息子夫婦は吹雪の中、車に乗ってアウトレットへ出かけて行った。取り残された私たち夫婦は、腕白の孫を連れて近くの神社へ初詣に行った。孫が引いたおみくじは中吉だった。今年は真ん中くらいの幸せである。何事も中庸がいい。

 その帰り道、長い階段を登って名神大津インターのサービスエリアに立ち寄った。売店で孫にソフトクリームを買ってやった。すると孫は、ソフトをなめながら売り場の一角で足を止め、妖怪ウオッチのキーホルダーを見つめている。買ってほしいのだろう。妖怪の絵柄のドロップも一緒に買った。

 元日の午前中、バラエティー番組を見ていると、女性のお笑いコンビが出てきて「ダメよ~ダメダメ」と言って目をパチクリさせていた。「ダメよ~」は、昨年の流行語大賞に選ばれたらしいが、どんな意味か分からなかった。ある時、もう一つの大賞「集団的自衛権」とセットにすると、政治的な主張であることが遅まきながら分かった。

 「サブリミナル効果」という言葉を思い浮かべた。映像の一部に隠された映像を潜り込ませると、特定の主張を刷り込む効果ある。だからテレビCMなどでは禁止されている。要するに、ある種のマインドコントロールなのだ。昨年の流行語大賞は「集団的自衛権はダメ」という意識を大衆に刷り込もうという意図を感じ取ることが出来る。

 集団的自衛権は、社会を二分する大きな問題である。大いに論議されればいいが、流行語大賞という国民的な関心事を利用して、これを政治的に利用するのはどうだろう。鳥越俊太郎氏ら選考委員の顔ぶれを見れば、意図は明白だろう。マスコミが大賞をちやほや報道する無分別にも、私は言いようのない危うさを感じるのだ。

 正月早々、手厳しいことを言ってしまった。しかし反面、久し振りに帰省した末の娘からは「お父さんは丸くなったなぁ」と褒められた。かつての頑固おやじが、このように言われてみると、少し寂しい気もする。それは、精気に欠けるとも取れるし、もう好々爺の年に見えるのかという思いにもなる。

 私は元々、年頭に当たって誓いを立てたり、目標を立てたりする真面目な人間ではない。要するに大雑把で、いい加減なのだ。しかし今年はいつもの年と少し違う。「もっと積極的に生きよう」との思いを強くしているのだ。別に誓いというほど大袈裟ではないが、そんな心がけを持ち続けたいと思っている。

 昨年を思い返すと、暖房用の薪はちょこっとしか作らなかった。年に何十回と行くアオリイカ釣りには4回しか行かなかった。原木栽培のキノコのホダ木も少しだけ。燻製もほとんど作らなかった。これらはどれも大したことではないが、自分の行動の消極さを表している。

 これも老化現象かと思うが、気持を切り替えないとますます老いるのではないかという危機感がある。今年は何事にも、一歩前に踏み出そう・・・。

 

 

 

 

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