台湾旅行・・・願いを込めたランタンが失速

 5泊6日の台湾旅行中、楽しみの一つは早朝の散歩だった。台北市の繁華街の同じホテルに泊まっていたが、私は女房や娘たちより1時間は早く起き、散歩に出かけた。朝の街は静かだし、台湾の素顔もそれなりに知ることが出来る。

 私はひどい方向音痴なので、女房から「真っ直ぐ行って、真っ直ぐ帰って来ること」とやかましく言われている。そこで毎朝、ホテルを出て右へ真っ直ぐ行き、その先にある「国父紀念館」の公園に行った。公園までは15分ほどの距離で、太極拳や武術、ダンスを楽しむ人たちを眺めながら、ここで半時間ほど過ごした。

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 ところで台湾の「国父」とは誰だろう。私はてっきり蒋介石だと思っていたが、孫文なのだ。蒋介石は共産党との戦いに敗れ、台湾に逃げて国民党政府を樹立した。しかし辛亥革命で清朝を倒した孫文はそれほど台湾と関係がない。蒋介石は二・二八事件で台湾人を弾圧したので、国父にふさわしくなかったのだろう。

 散歩の道すがら、ビルの看板を見ながら、そこに書かれた漢字の意味を推理するのも面白かった。しかし、ほとんど意味が分からなかった。台北は美容整形の看板がやたら多く、整形大国・韓国にも劣らないのではないかと思った。看板の文字から色々推測してみたが、「隆乳」という文字だけがストンと胸に落ちた。

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 さて今日の観光は、盛りだくさんである。地下鉄とバスを乗り継いで、まずは「十分」という町へ。山間のひなびた町である。うだるような暑さの中、川沿いに30分ほど歩くと滝があった。日本人の感覚で滝といえば、那智の滝のような高度差に感激するが、ここの滝はナイアガラそのものだ。幅が40mと小型だが、美しい滝だった。

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 ナイアガラの見物を済ませ、さらに歩け、歩け。半時間以上は歩いただろうか、線路の両側に軒を連ねる商店街に着いた。ここが有名なランタンを揚げる場所なのだ。ランタンは紙で出来ていて、その四面に墨で願い事を書き、油をしみ込ませた燃料に火を付けて飛ばすのだ。

 もちろん私たちも飛ばすことにした。私は「夫婦で長生き、娘に良縁を」と書いた。娘は「お金と」と露骨なお願いである。ランタンに火を付けると、順調に上がった。中には建物に衝突するものがあったが、こちらは順調に上昇気流に乗った。しかし、どうした訳か他のランタンよりも手前で降下していった。願いは叶うのか・・・。家族みんなで苦笑した。

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 ランタンの町から電車に乗り、瑞芳という駅で降りた。観光地の玄関のような町で、小さな商店がたくさんあり、屋台を集めた食堂で昼食を摂った。私は女房たちとは別の屋台に入り、現地の人が美味しそうに食べていた同じ焼きそばを注文した。エビ、貝、レバー、豚肉などごちゃ混ぜだが、美味しかった。

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 午後の観光は、バスで「金瓜石」地区へ行く。このエリアには黄金博物館があるように、昔から金が採掘されていた。日本統治時代も盛んに採掘され、日露戦争の戦費にも使われたとのこと。坑道や精錬所の他、日本人の社宅「四連棟」など統治時代の建物などが保存されている。四連棟の外観や居室も日本の懐かしい作りになっていた。

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 金鉱のある「金瓜石」からバスで下りて行くと、一気に前が開け、眼下に台湾でよく見かける美しい寺院があった。

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 寺院のすぐ近くにセブンイレブンがあり、この脇を入ると土産物店が所狭しと建ち並ぶ商店街だ。日本人観光客の定番コースらしい。宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」に出てくる赤い提灯などの風景は、ここを参考にしたらしい。

 娘は何年か前にここを訪れ、烏龍茶を飲みながらボーッとしていたらしい。この日も同じ店で烏龍茶を飲んだ。お茶好きの娘には飲み方など一家言があり、口うるさい。私は味音痴なのか、烏龍茶を特別美味しいとは思わなかった。娘の烏龍茶の品定めに付き合った後、長い石段を登り、帰途についた。

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台湾旅行・・・太魯閣の絶景に絶句した

 台湾旅行二日目は、東岸にある景勝地の花蓮市へ行く。電車で3時間もかかるので早朝に起き、眠い目をこすりながら台北駅で電車に乗った。座席を予約しておいたので座れたが、帰りは超満員のため3時間も立ちっぱなし。トレッキングのようなこともしたので、少々くたびれた。

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 朝飯抜きだったので、花蓮駅を降りると屋台のような店に駆け込み、みんなで海鮮ラーメンを食べた。長女は、次々声を掛けてくるチャーター車と交渉し、善良そうな運転手を選んで交渉成立。さっそく、太魯閣国家公園に向けて出発した。この太魯閣は日本の統治時代、「タロコ」と呼んでいたので、この方が日本人には馴染みがあるという。

 実は台湾旅行の最後の夜、中華レストランで打ち上げをし、それぞれが気に入った観光地ベスト3を挙げることにした。すると、4人全員がこの太魯閣を1番にした。侵食によって出来た大理石の渓谷は、天から垂直に切れ落ちている。黒部渓谷もすごいが、これとは比べものにならないスケールだった。

 チャーター車はまず清水断崖という景勝地に案内してくれた。ここの海の青さに驚いた。1000mという高さから崖が切れ落ち、その下の方に横の線が見える。これは古くからここに住んでいた人々が崖を削って作った生活道路だろう。

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 大理石で作ったゲートをくぐると、渓谷に入っていく。まずは足慣らしのため往復1時間ほどの渓谷沿いを歩く。この道も元は、現住民の生活道路だったのだろう。

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 車でしばらく走ると、トンネルの手前に「燕子口」と刻まれた石碑があった。ここからが太魯閣の核心部らしい。燕子口とは、長い歳月をかけて侵食によって作られた穴のことで、イワツバメなどがここに巣を作るのだそうだ。時期が悪かったのか、ツバメの姿を見ることが出来なかった。

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 燕子口を過ぎると、その前方に立ち塞がる断崖はすさまじい。「絶句」という表現は、決して大げさでない。崖の高さがどれほどか分からないが、見上げていると首が痛くなる。山が両側からスパッと切れ落ち、その間を渓流が蛇行している。崖は一枚岩で、上からの眺めを想像しただけで、お尻の穴がムズムズした。

 下の4枚目の写真をよく見ると、断崖の上の方にかすかに横線が見える。これは原住民が掘り進めた道なのだそうだ。

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 前を歩く娘に「もちろんこれ、世界自然遺産やろなぁ」と言ったら、笑われた。台湾は国連に加盟していないので、ユネスコが登録してくれないのだそうだ。遺産は後世に伝えなければならないが、登録のメリットといえば観光客が増え、地元に金が落ちるくらいしか思い浮かばない。日本の明治産業遺産に韓国が文句をつけるのを見ていて、私は世界遺産なるものに嫌気がさしていた。

 チャーター車の運転手の勧めで、緑水遊歩道という古道を40分ほど歩いた。歩道の入り口に「毒蛇注意」の看板が立てられており、少し緊張した。道の中ほどには、日本の統治時代に殉職した警官4人の慰霊碑が建てられていた。その脇に説明文が掲げられており、殉職警官への感謝が読み取れた。

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 下の写真のような景観を眺めながら、太魯閣観光を終えた。世界遺産というユネスコのお墨付きをもらえなくても、素晴らしいものは素晴らしい。

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  渓谷の古道で殉職警官の慰霊碑に巡り合って、ふと「日帝残滓」という言葉が頭に浮かんだ。韓国では当たり前に使われている言葉で、要するに日本による統治時代の文物は「残りカス」という意味である。だから戦後、朝鮮総督府などがことごとく解体され、棄てられた。朴大統領の言動もそうだが、韓国の怨念の感情は千年を経ても変わらないのだ。

 これに対し、同じく日本が統治していた台湾は、寛容である。もちろん日本統治の光もあれば影もある。いい所だけを見たいという日本人の心理も働く。それでも統治時代の総督府は今もそのまま使われているし、各地に「残りカス」がいっぱいある。娘の買い物で訪れた台北市の「松山文創園区」という文化拠点もそうだ。

 ここには日本が建設した煙草工場など多くの建物群が残り、近年はこの建物をリニューアルし、先進的な文化拠点として利用している。建物を解体する韓国、有効利用する台湾。この違いは一体何だろう・・・。

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台湾旅行・・・忠烈祠の衛兵は蝋人形?

 東京で働いている娘二人に誘われ、私たち夫婦は5泊6日の台湾旅行を楽しんだ。長女がインターネットを駆使し、観光、グルメ、宿泊などすべてを計画してくれたので、ひたすら金魚の糞のようについて行くだけだった。

 私たちはシルバーウィーク前夜、関西空港を飛び立った。娘たちは仕事を終えてから成田空港を出発、現地ホテルで合流することになっていた。ネットで予約するLCCの登場によって安価で手軽に旅行を楽しめるようになった。ちなみに台湾往復の運賃は3万円ちょっとだった。

 台湾までの飛行時間は2時間半ほどだが、2時間近く経った頃、窓際に座っていた女房が「わっ、すごい!」と声を上げた。私は窓に額を押し付け、下を見ると無数の明かりが海面を照らしていた。おそらく漁船の集魚灯だろう。そんな光景が点在しながら半時間以上も続いた。

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 場所は多分、尖閣諸島にも近い東シナ海のはずだ。石垣島の漁師は、日本の領土でありながら尖閣に近づくと中国漁船に邪魔され、漁が出来ないと言う。集魚灯を光らせる漁船の多くは中国漁民に違いない。これだけの漁船が「爆漁」を続ければ、東シナ海から魚が消える日はそう遠くないだろう。

 さて、一日目の観光は私が唯一リクエストした故宮博物院だ。台湾まで来て素通りしていては、わが一家の文化的水準が疑われる。中国共産党に追われた国民党が台湾に移した美術品は6万9千点。そのうち2万点の美術品が展示されているという。

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 最も有名なのは「翠玉白菜」と名付けられた彫刻だろう。そこへ辿り着くまでに長い列に並んだ。やっとガラスケースの前に着いたと思ったら、後ろから押されてはじき出され、10秒も見ていない。確かに、白菜そっくりの鮮やかな色彩だったが、白菜の上に彫られているというキリギリスとイナゴには気付かず、もう一度並び直して見に行った。

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 この白菜の制作には、秘められた意図があるそうな。花園に埋もれた白菜をよく見れば、野菜でありながら美しい。しかし権力者は白菜のような人材を見出す力量がない。そんな皮肉が込められているのだそうだ。清朝晩期は腐敗、堕落した王朝だったが、何か出来過ぎた話のように思える。理屈抜きに美しかった。

 同じ清朝時代の象牙の彫刻にも驚かされた。象牙を直径12cmの球形に加工し、その中をくり抜いて24層の球形を彫ったものだ。それぞれの球が回るという精巧を極めた作品で、とても人間業とは思えない。象牙工芸の代表作だが、そのガラスケースの周りは比較的ひっそりとしていた。

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 故宮博物院へ行く前、忠烈祠で衛兵交代を見学した。台湾のために斃れた人たちが祀られており、日本の靖国神社のようなものだろう。大門と大殿でははそれぞれ二人の衛兵が向かい合って守護している。彼らは陸海空の若きエリートたちで、この日は空軍の担当だった。

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 私は正直、衛兵はよく出来た蝋人形だと思っていた。肌の質感は人間のものだが、微動だにしないし、瞬きもしない。1時間もこのような姿勢を続けられる訳がない。そう言うと、女房たちに馬鹿にされた。台湾の英霊に敬意を表する衛兵たちに、品のない表現になるが、本当にたまげた。

 幸運にも衛兵の交代にも最初から見学できた。5人の儀仗兵が大門から大殿まで100mほどをキビキビと行進し、その靴音が響いた。衛兵交代は20分続き、その間、こちらも背筋がピンと伸びた。

 この空軍のエリートたちも、戦闘機に乗って任務に当たっているのだろう。旅行二日目、花蓮という東海岸の町に行ったが、迎えてくれたのは戦闘機の爆音だった。急降下してきた戦闘機が次々と近くの基地に着陸していった。その数は20機近い。

 台湾の街は平和そのものだが、一皮剝けば台湾と中国の軍事関係は緊張している。経済などの交流は進んでいても、中国は武力によって台湾統合を諦めておらず、双方のミサイルが向き合っているのだ。そんな現実に、われら平和ボケの心がチクリ痛む・・・。

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青魚の成分はボケ防止・・・アジ、イワシを釣る

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 先月、紀淡海峡に面する港を見て回った時、子供が5、6cmほどのアジをたくさん釣っていた。これくらいのアジを「豆アジ」と呼ぶが、小さいからと言って馬鹿にしちゃいけない。空揚げにすると実においしい。その豆アジも、9月も半ばを過ぎれば10cm以上に成長しているはずだ。そんな期待を込めて、女房を連れて港をあちこち偵察した。

 まずは湯浅湾の広港、唐尾、三尾川などを回ったが、釣れないのか釣り人の姿がなかった。近くの餌店では「暗くなれば釣れるかもしれないが、余り期待できない」という返事だ。そこで湯浅を北上、有田川河口に近い餌店に立ち寄ると、「初島あたりで、2、3日前から釣れ出した」という朗報がもたらされた。

 さっそく、この店で撒き餌のアミエビを300円分買った。軽トラにはちゃんと釣具一式が積んであり、準備には怠りない。釣れ出したという初島は、東燃ゼネラル石油の精製工場があり、巨大タンクが林立している。大きな港には直接車を乗り入れることが出来るので、人気がある。今頃はアジ、イワシ、カマス、グレなどが釣れる。

 3時半ごろ港に着いた。手前の岸壁では2人がアジを狙っていたが、1匹も釣れないという。少し沖合いの岸壁には、10人ほどがいた。朝から釣っていた人は、アジを50匹とウルメイワシを200匹ほど釣ったと言い、私たちと入れ替わるように帰って行った。

 岸壁の中ほどに陣取り、手製のサビキ仕掛けを入れた。すると、いきなりイワシが3連で釣れた。女房も順調に釣っている。それから1時間ほどすると、私にアジが釣れた。14、5cmはあり、豆アジと呼んではアジに失礼だ。

 イワシは女房がこれでもかと言うほど釣っているので、私はアジ釣りに専念した。と言っても、アジより先にイワシが食いついてしまうので難儀だ。イワシの当たりがあってもお構いなしに、アミの入ったカゴを海底まで沈め、当たりを待つ。すると、いきなりノべ竿が絞り込まれ、キューンと糸が鳴ってアジが釣れる。何とも小気味いい。

 私がアジを連続して釣るので、女房も大いに焦っている。次第に無口になり、しまいには「どうやって釣るの?」と白旗を揚げた。仕掛けを竿一杯に下し、海底で食わせる。カゴからアミを出したら、竿を静止させて待つ。これがコツだが、女房は辛抱できずに竿を上下させてしまう。ガシラはよく釣る女房だが、アジはどうも勝手が違うようだ。まぁ、10年早い。

 私はアジを40匹ほど釣ったが、女房は2、3匹だけ。ウルメイワシは数え切れないほど釣れた。少し暗くなり始めた頃、カタクチイワシの大群が押し寄せ、海面が泡立った。体調7cm前後だが、こちらも釣れた。

 渋る女房をせき立て、帰る準備をした。早く帰ってアジの寿司を食べるのが楽しみなのだ。面倒だが小さなアジを三枚に下し、握り寿司にする。上に載せるネギと生姜が味を引き立てる。アジは小さいけれど脂が乗り、おいしい。二晩続けて食べた。軽々しくこんな言葉を使いたくないが、これぞ絶品なのだ。回転寿司より断然上である。

 ところで、テレビの通販番組で「DHC」という言葉を聴かない日はない。青魚に含まれる成分で、血液がサラサラになると宣伝している。DHCを摂取すると脳の細胞膜が柔らかくなるそうだ。ボケが忍び寄る私にはいいかもしれないが、何もわざわざ通販で買わなくても、こうして釣ればいい。イワシもアジも一夜干しにすれば保存がきく。

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生石高原は秋の七草・・・

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 夜明け前、窓から空を見上げると、群青色の空が広がっていた。関東、東北は豪雨で悲惨なことになっているが、ここ紀伊山地は久しぶりの好天である。ひどく寒いので寒暖計を見るため外に出ると、気温は12度だった。そのついでに、森の木に肥やしをやるため立ちションをした。ブルッと震えた。

 家の中に戻ると、ムートンの上で愛犬ぴーが寒さのため震えていた。毛布をかぶせてやったが、まだ震えている。薪ストーブに薪を3本入れ、火を付けた。この秋初めて使うから、うまく燃えてくれない。煙が逆流し、ロフトで寝ている女房が「煙たい!」と叫んだ。3年前は8月31日に薪を焚いたとメモにあるから、今年は少し遅い。

 座右の暦を開くと、今は二十四節気の「白露」である。残暑から本格的に秋へと移り、大気が冷えて草木に露を結ぶ。ここ生石高原では秋の七草が咲いているだろう。ススキ、萩、ナデシコ、オミナエシ、葛、藤袴、桔梗の七つだが、高原ではその多くが見られる。暦には、次の万葉集の句が載っていた。

     秋の野に咲きたる花を指折り
                かき数ふれば七種(ななくさ)の花 (山上憶良)

 朝食を済まし、女房と高原へ散歩に出かけた。すると、向こうから大きな音楽と歌声が聞こえてきた。巨岩の上で数人が歌い、それをテレビカメラで撮影していた。プロモーションビデオでも撮っているのだろうか。歌詞は意味不明で、曲も神主さんののりとのようなリズムだった。近頃の歌は、よく分からん・・・。

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 高原を歩いた。白露か、前日の雨か、ズボンの裾が濡れた。ススキは赤い穂を出したばかりで、肌寒い北風に吹かれていた。カワラナデシコはもう峠を越え、少ししか咲いていなかった。道沿いに土を掘った跡があり、ナデシコを株ごと持ち帰ったのだろうか。心無い輩が後を絶たない。

 秋の七草の代表格と言えばオミナエシ(女郎花)。ちょうど今が見ごろで、ススキの間から茎を伸ばすこの花は、立ち姿がなかなか粋である。萩はまだ咲き始めで、これから平安絵巻にも描かれる優美な花が咲きそろうだろう。万葉集では一番多く詠まれている花だという。ここ生石高原には、駆け足で秋がやって来る・・・。

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人の竿で釣った魚は誰のもの・・・

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 このところ秋雨前線が列島に横たわり、連日の雨だ。今日9日には二つも台風が発生した。それにしても、釣り好きにとっては散々の夏だった。長雨が続いた後は連日の猛暑。その上、双子台風の襲来。川は増水し、海は波が高い。鮎釣りもボート釣りも行けなかった。

 ボート釣りは、7月1日以来のご無沙汰だ。女房は波が高くても「釣りに行こう」とやる気満々である。すると先週の土曜日、悪天続きの中で、ポカッと穴が開くように奇跡のような釣り日和となった。悶々としていただけに、ここぞとばかりボートを軽トラに積んで出かけた。

 釣り場はホームの由良湾、狙うのはガシラである。日記をめくると、毎年9月は結構釣っており、30匹以上の釣果は珍しくない。漁港から10数分のポイントにアンカーを投入した。久しぶりの釣りに女房は鼻の穴を膨らませ、私から竿を受け取ると早々と釣り開始だ。

 いつも10分も経てば、夫婦どちらかに1匹目が釣れるが、この日はそれらしき当たりがない。この場所で1時間近く頑張ったものの、女房にベラが1匹釣れただけだ。こんな時は、気分転換にポイントの探索をするのもいい。なるべく潮通しの良い場所を選んでアンカーを入れ、竿を出してみた。結局4か所で試したが、何の反応もなかった。

 由良湾に通っているが、こんな日も珍しい。「潮が悪い」と言わざるを得ない。早朝出て行った知人の漁船が早々と帰ってきて、私のボートに近寄ってきた。釣果をたずねると、両腕で丸を描いた。イサギと鯖がたくさん釣れたらしい。潮のせいとばかりは言えないようだ。

 元の場所に帰り、シーアンカーを入れてボートを流すことにした。シーアンカーは風で流されるボートのブレーキのようなものだ。すると、たまに当たりがあり、ガシラが釣れるようになった。いつものことだが、釣れるのは女房ばかりで、女房が4匹釣った時点で私はゼロ。まぁ、弟子が釣ってくれれば、師匠としてはうれしい。

 実はこの日、海底にオモリや針がよく引っ掛かった。釣れないので、仕掛けを引きずるようにして誘いをかけるからだ。私は魚を釣るより、底掛かりした仕掛けを外す方がうまい。だから女房は当然のように、底掛かりした竿を私に渡す。私だって魚を釣ろうと必死で、忙しいのだ。

 女房がまた底掛かりさせた。私は仕掛けを投入したばかりの自分の竿を女房に渡すと、すぐいい型のガシラを釣り上げてしまった。この場合、その魚はどちらの所有になるのか。私が餌を付け、ここぞという場所に仕掛けを投入したのである。女房はただ当たりを合わせ、リールを巻いただけだ。全部とは言わないが、9割ほど私のものである。

 それだけで終わらなかった。またもそっくり同じような事態が起きた。女房は「釣りは合わせるタイミングが肝心なのよ。だから私のもの」と抗弁する。全部否定しないけれど、しかしやはり、人の竿で魚を釣っておいて自分の釣果だと開き直るのは、ロシアが北方領土を戦利品と主張するのに等しい。

 結局、釣果は女房13匹に対し、私は恥ずかしながら4匹。しかし、女房が私の竿で釣った魚を差し引くと、女房11匹、私が6匹ということになる。こんな計算をしているようでは、敗北の恥を上塗りしているようである・・・。

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五輪エンブレム・・・コメントする識者こそコピペ族

 東京五輪のエンブレムが白紙になった。新国立競技場のデザインも白紙になったばかりで、ダブルパンチである。折角誘致に成功したのに、これでは先が思いやられる。最初からケチがつき始めると、悪い方へ転がってしまうことが少なくない。二度あることは三度あるとも言う。

 エンブレムを考案した佐野研二郎氏の力量がいかほどのものか知らない。他のデザインと似ていると言われればそう思うが、デザインの世界ではよくあることとも聞く。ただ、白紙になったデザインは積み木を組み合わせたみたいで、日本らしさもない。招致活動で使った桜の花びらのデザインは良かったが、IOCの規約で使えないらしい。

 白紙撤回を決定付けたのは、羽田空港のロビーの天井にぶら下げたエンブレムの写真だ。これは、外国人女性のブログの写真を転用し、エンブレムを貼り付けた。渋谷駅前のビルに掲げられた写真も転用していた。エンブレムのデザインはともかく、このように他人の写真を転用してエンブレムを貼り付けるという手法は禁じ手だろう。

 これでは万事休す。だから佐野氏はデザインの提案を引っ込めたのだろう。デザインのヒントは、ネットで探せばいくらでもある。それらを寄せ集めて切ったり貼ったりすることも簡単で、そのような画像加工のソフトも色々ある。このようにして作られたデザインのどこからどこまでがオリジナリティーか、悩ましい問題だろう。

 近年の流行語である「コピペ」(Copy and Paste)は、コピーして貼り付けるという意味だ。実は、このコピペが深刻な問題だと思う。大学生はネットを駆使して論文やレポートをコピペで作る。新聞記者は、かつて大量の資料をかばん一杯に詰め込んでいたものだが、今はネットを検索すればそれなりに記事が書ける。

 しかし、ネットの情報が正しいとは限らない。やはり理系の学生は実験、文系でも文献や実地の調査が重要だ。新聞記者は足で情報を集めてこそ信頼性が高まる。理研の小保方問題も突き詰めれば、コピペがもたらした事件と言えるのではないか。

 私が一番腹立たしいのは、テレビに出演するコメンテーターたちだ。識者とか文化人と言われる人たち、元記者の看板だけにすがるジャーナリスト、臆面もなくコメントする芸能人・・・。テレビ局から事前に知らされるテーマについてネットで調べ、これを自分のコメントとして発言する。これは私の親しいマスコミ関係者の話である。

 本当の識者は、図書館に足を運んだり資料を読み漁ったりして専門知識を高めるものだ。ところがエセ知識人は、専門外の事柄を得々と述べて憚らない。彼らこそネット情報に頼るコピペ族なのだ。だから、いつかどこかで聞いた話が多く、オリジナリティーが感じられない。その逆手を取って、突飛な意見を述べて失笑を買う輩もいる。

 どのテレビのチャンネルを回しても、エンブレム問題でにぎやかだ。そして、お馴染みの識者や文化人が登場し、自分のコピペを棚に上げ、エンブレムのコピペを嗤っている。アホらしい・・・。

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