カワハギの刺身を肝のタレで食べる

 ちょっと前まで暖かい日が続いていたが、ここに来て一気に冷え込んだ。今朝、玄関先にぶら下げている寒暖計を見ると6度である。霜が降るほどの冷気でないが、旧暦の二十四節気では「霜降」である。標高800mのここ生石高原では、来月初めには霜が降るかもしれない。

 ウッドデッキから紀淡海峡を眺めていると、西の空に十三夜の名残りを留める月が浮かんでいた。旧暦の本を広げると、そこに書かれた旬の食べ物は、自然薯とカワハギだった。つい先日、自然薯を掘ってとろろ汁を食べたので、次はカワハギを味わう番だ。

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 と言うことで、今回はカワハギ釣りの釣行記である。十三夜の早朝、軽トラにボートを積んで由良湾に向かった。生石高原を下ると、前方の湯浅湾の上空に大きな満月が出ていた。その月明かりに、収穫期を迎えた鈴なりのミカンが照らされ、実に美しい光景だった。

 狙う魚はカワハギだけではなく、その前にアオリイカを釣りたいと思っていた。湯浅の釣具店に立ち寄ると、店員が「イカは釣れんなぁ。餌の生きアジが売れなくて困っている」と言っていた。今頃の時期、いつもはイカ釣りの人で混雑する岸壁に人影が見えない。期待がしぼんだ。

 由良湾のいつものポイントで、サビキの仕掛けでアジを狙った。半時間ほどアミエビの撒き餌を続けたが、ウリボウなど餌取りの当たりすらない。少し移動して釣りを再開したが反応はなく、そろそろガシラ釣りに行こうとしたその時、女房が「来た!」と声を上げた。海面を覗くと、確かにアジが群れになって泳いでいた。

 すると竿が激しく引き込まれ、アジ特有の引きが伝わってきた。待望のアジである。上がってきたのは、丸々太り、全身が黄色の20センチほどのマアジである。伊豆方面の料理屋では、「黄金アジ」などと呼んでブランドのように宣伝しているが、釣ったアジも金色に輝いている。イカの餌にするのはもったいないくらいだ。

 しばらくすると、女房がアジに走られバラしてしまった。これを合図のように、まったく釣れなくなった。最低でも10匹は釣りたいと思っていたが、ブクブクの付いたバケツで生かしてあるのは5匹だけ。まぁそれでも釣れて良かった。さっそくエンジン全開でイカのポイントに向かった。

 着いてみると、南風がかなり強い。とりあえずアジを付けて飛ばした。やがて竿が少し曲がり、ジリッという音をたて、少しだけ糸が出た。しばらくして竿を持ち上げると、軽い。イカがアジを離したのだ。アジの首に噛んだ小さな痕があった。アジよりも小さいイカが食い付いたのだろう。

 白波も立ってきたのでイカを断念、カワハギ釣りのポイントに向かった。ここは背後の山が南風を遮り、ボートも揺れず釣りやすい。カワハギ専用の仕掛けを海底に下ろして10分ほど経ったころ、私の竿に「コツン」という小さな当たりがあり、すかさず竿を撥ね上げた。すると、グイーンと引き込まれ、右に左に走った。釣れたのは中型のカワハギだった。

 女房も順調にカワハギを釣っていた。やがて、竿を満月のように曲げた。やっと浮いてきたカワハはレギュラーサイズよりふた回りくらい大きく、腹が肝でパンパンに膨らんでいた。まことに美味しそうである。

 餌はアサリのむき身を使っていたが、なくなったのでスーパーで買っておいた缶詰のアサリを針に刺した。これがどうした訳か、さっぱり釣れなくなったのだ。缶詰のアサリはボイルしてあり、どうやら生餌でないと食わないらしい。少し未練があったが、午前11時ごろ帰港した。

 結局、二人で15匹釣れた。その夜は生石高原の中腹で田舎暮らしをしているご夫婦を招き、鍋を囲んだ。大きなものは刺身にし、肝を醤油で溶かしたタレで食べた。グルメ番組のバカタレタレント風に表現すると、「甘ーい」「コリコリしてるぅ」となる。軽々に使いたくないが、これ絶品。

 この記事では「カワハギ」と書いているが、私たち関西人は「マルハゲ」と呼んでいる。菱形をした魚の形が丸いので、そう呼んだのだと思う。ただ女房が「マルハゲ」「マルハゲ」と呼ぶと、イラッとする・・・。

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自然薯を掘る・・・とろろ汁は秋の味

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 これはちょっとした土木工事だ。なお且つ、遺跡の発掘調査のように根気が求められる。滋味豊かな自然薯を手にするには、深さ1mもの穴を掘らねばならないのだ。初めて挑戦するイレグイさんは、私のそんな例えに少し驚いた様子だった。

 彼は、ブログで知り合った友人だ。サラリーマンながら漁船のオーナーで、紀淡海峡で釣りを楽しんでいる。なかなかの読書家でもあり、開高健を人生の師と仰ぐ。今年の春、彼が山菜採りに生石高原のわが家を訪れた際、「秋は何と言っても自然薯掘りですよ」と誘った。

 彼とは先日、淡路島の近くで太刀魚釣りをする予定だったが、高波のため中止になった。そこで急きょ、生石高原で自然薯掘りをすることになった。自然薯を掘る目安は、ハートの形をした葉が黄色くなり、ムカゴもパチンコ玉ほどの大きさになる頃である。ここでは11月初旬がベストシーズンだが、霜が降りてしまうと蔓が飛び、見つけるのが難しくなる。

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 彼を軽トラの助手席に乗せ、ゆっくり走りながら自然薯の蔓を探す。講釈ばかりで恐縮だが、まず大きな芋を手にするには太い蔓を探さなければならない。地面を垂直に掘っていては疲れるので、斜面に生えている蔓を見つけ、手前の土をかき出しながら掘るのが理想だ。さらに、同じような葉でも、芋のないものもあり、騙されてはいけない。

 私は日々、だてに散歩している訳ではない。いい自然薯の蔓がないか目を光らせているのだ。秋が深まり、霜が降りる前には、これといった蔓の根元に目印を巻いた棒を立てておくこともある。

 目をつけておいた蔓は少し黄色に色づいていた。蔓から蔓へと辿って行くと、45度ほどの斜面に根を伸ばしていた。これなら申し分ない。掘るのは私よりもふた回りほど若いイレグイさんで、私は口を出すだけの現場監督のようなものだ。穴を覗きながら、「もっと手前から掘る、芋の背面は土にくっ付けたまま掘り進める、小石はドライバーの先で取り除く」・・・などとアドバイスする。

 さすが体力のある彼は、半時間ほどで掘り終わった。しかし、芋は残念ながら四つに折れてしまった。私が子供の頃、父親と掘りに行くと「絶対折るな」と言われた。土に埋めて保存するのだが、折れていると芋はそこから腐るからだろう。折らずに掘るのは、芋掘り人のこだわりであり、「美学」でもある。

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 彼は泥だらけになりながら5本ほど掘った。いずれも、長さが40センチ前後の中程度の芋だった。私も2本掘ったが、どちらも小さかった。次の日の昼、これでとろろ汁を作った。出汁でのばすのが普通だろうが、わが家は大根おろしだけを混ぜ、砂糖と醤油で味付けする。母親譲りの方法だ。

 山で掘った自然薯のとろろ汁は、最高の秋の味覚である。ほんのり山の土の香りがし、無骨な味である。秋の山の幸で、これの右に出るものはないと思う。今回の芋掘りは時期が少し早かったため芋が若く、少し風味に欠けた。それでも秋を感じさせるに十分な味わいだった・・・。

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美しく柿を採る・・・

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 ここ生石高原の中腹で田舎暮らしをしているご夫婦から、吊るし柿用の柿採りに誘われた。夫婦が懇意にしている農家から許しを得ていると言う。渋くて舌が曲がりそうな本格的な渋柿ではなく、少し熟せば甘くなる種類だ。

 実は、高原の山頂近くにあるわが家では、良い吊るし柿が作れない。寒暖の差が柿を甘くするとも言われるが、その条件をクリアしている代わり、ここは霧に包まれる日が多く、青いカビが生えてしまう。何年も吊るし柿を作り続けたが、失敗ばかりだった。

 以前、信州で暮らすブログの友人から手作りの吊るし柿を送ってもらったが、高級和菓子といってもいいほどの美味しさだった。わが家のものとは似て非なるもので、それ以来、アホらしくなって吊るし柿作りをやめてしまった。

 しかし今年、知人から柿採りを誘われ、リベンジするこにした。何も新しい方法を考えた訳ではなく、近いうちに大津の自宅に持ち帰り、琵琶湖を渡る冷たい風に晒し、干し直すことにしたのだ。

 さて柿採りの当日は、雲ひとつない秋晴れである。女房は一足早く軽トラで出かけ、私は歩いて中腹の畑に向かった。1時間半後に着くと、すでに柿採りは終わっており、ちょっと気まずかった。コンテナ一杯の柿を軽トラに積むのを手伝っただけである。

 女房は夜なべして柿の皮むいた。私は見ていただけだが、軒下の高い所に吊るしたのは私である。吊るしたのは全部で115個。うまく出来たら、娘や孫に送ってやろうと思う。

 余談になるが、柿採りに誘ってくれた奥さんの話によると、農家の人から「美しく採って下さい」と言われ、ドキッとしたらしい。「ええ、それはもうちゃんと採らせてもらいます」と答えたところ、「いえ、全部採ってもらっていいんです」という予想外の返事だった。 つまり「美しく採る」とは、全部採るという意味なのだ。

 実は方言で苦い経験がある。北陸の片田舎から都会の大学へ進学した時、同級生に「いかい」という言葉をよく使った。「あいつは体がいかいなぁ」「あのビルはいかいなぁ」という時の「いかい」であり、大きいという意味である。そんな時、同級生は返事に困っていた。

 「いかい」は私の郷里にしか通じない方言だと思い、目から火が出るほど恥ずかしかった。田舎者と思われないよう、私はそれ以来、禁句にしてきた。一度だけ百貨店で、田舎の姉と話していてつい口にし、女房から「恥ずかしいので使わないで」と注意され、いたく傷付いたことがある。

 このブログを書いていて、ネットで「いかい」という方言を調べてみた。すると、静岡、山口でも同じように使われていると書かれていた。私が紅顔の美少年だった頃、恥ずかしい思いをしたことが今になって晴れたのだ。なぜか、仇を討った気分である・・・。

公務員の入れ墨・・・そんなアホな

 私がゴルフに血道を上げていた10数年前、練習場で一人の中年男性と知り合った。彼は目つきが鋭く、頭髪は五分刈り。しかし時折、人懐っこい笑顔を見せる。打席の後ろのベンチには、若い男が身じろぎもせずに座っていた。ヤクザの親分とボディーガードの若い衆である。練習場の駐車場には、黒光りの高級車が止められていた。

 親分は真夏でも長袖のシャツを着ていた。さぞや暑かろうと、うかつにも同情していた。ところが、ハッと気付いた。ヤクザの親分だから入れ墨を入れており、人に見られたくなかったに違いない。後日、人づてに聞いたところ、腕から膝までびっしり彫り物が入っているのだと言う。

 唐突にこんなことを書くのは、大阪市が職員を対象に入れ墨調査を実施し、その是非をめぐる大阪高裁判決が出たからだ。この裁判は、女性看護師と交通局職員の二人が「差別につながる情報の収集であり、違法」として訴えていた。1審判決は違法性を認定していたが、高裁判決は「調査の目的は正当」との逆転判決を言い渡したのだ。

 看護師らの原告は即上告し、「主張が認められるまで闘う」とコメントした。常識的に考えて、彼女らの主張に違和感を覚えるのは私だけではないだろう。果たして、入れ墨は差別につながる個人情報だろうか。ヤクザの親分が長袖シャツで入れ墨を人目に晒さないのは、心のどこかでヤクザが反社会的な存在であることを認めているからだ。

 2審裁判長も、「入れ墨を見た人が不安感を持つことは、不当な偏見ではない。他人に見せないよう制約することは社会的に容認されている」と述べている。

 調査のきっかけは、幼稚園か保育園の職員が、園児に自分の入れ墨を見せびらかしていたことが分かり、橋下市長が調査を指示したものだ。例えば、市役所窓口の職員の袖口から入れ墨がチラッとでも見えたら、市民はどう思うか。市バスの運転手でも同じだ。市当局が、入れ墨職員を市民の目に触れないよう配置転換するのは当然だろう。

 私はてっきり原告二人が入れ墨を入れていたと思っていたが、どうやらなかったらしい。それはどうでもいいが、原告は「入れ墨の有無は仕事と関係がなく、調査に応じない」として処分された。理屈と鳥もちはどこにでもくっ付くというが、彼女たちは権力とか当局とかがやることは何でも反対する人たちだろう。

 アメリカのプロバスケット選手や海外のサッカー選手はいたる所に入れているし、確かレディーガガも入れている。それがファションであったり、お国柄であったりすれば、入れる入れないは自由だろう。しかし日本の公務員は別だろう。反社会的な匂いがする入れ墨を受け入れるような社会ではないし、まして公務員は論外である。

 お前は何者だと言われそうだが、ヤクザの話をもう一つ。あれは阪神大震災が起きた三日後、ちょっとした仕事で山口組の本部に行った。中庭にはテントが張られ、その中には全国の組から寄せられた生活物資が山のように積まれていた。

 支援物資を求める被災住民が、本部を取り囲むように列を作っていた。物資を運んだり、手渡したりする組員は全員が軍手をしていた。なぜ全員が軍手なのか。賢明な読者のみなさんのお察しの通りである。彼らの多くは小指がない。不始末を重ね、指二本がない組員もいる。当時、軍手の小指がぶらぶら揺れていたのが印象的だった。

 ヤクザの肩を持つ訳ではないが、小指のない手を晒し、被災民を不気味がらせてはいけないという配慮なのだろう。ヤクザでもそうであるように、行政が公務員の入れ墨を市民の目に触れさせないようにするため、調査するのは当たり前で、法律以前の問題である。何でもかんでも個人情報を振りかざす社会は、どこかおかしいのだ。

 なるほど、あの北町奉行の遠山の金さんも公務員である。肩には桜吹雪の入れ墨を入れている。「この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねぇ」と、片肌脱いで啖呵を切るのがドラマの見せ所。味噌と糞を一緒してはいけない・・・。


アオリイカ5杯、アジ多数、カワハギも・・・

 私が釣りに行くのを逡巡していると、女房が尻を叩く。「もっと元気出して、イカを釣らんとあかんやろ?」・・・と。確かにアオリイカの冷凍備蓄は少なくなっており、ベストシーズンの今釣らねばならない。女房の本心は、近年釣りにそれほど積極的でない私を励まそうとしているのだ。まことに、美しい話である。

 と言う訳で、先日の未明、軽トラにボートを積んで由良湾に向かった。この日はやけに星が美しかった。何年か前、八ヶ岳の友人の別荘に泊めてもらった夜、原っぱに寝っころがって見上げた星空が忘れられないが、それに次ぐくらいの美しさだった。目を凝らせば、天の川の星雲が見えたかもしれない。

 漁港からボートを出したのは、午前6時半ごろだった。まずはイカの餌となるアジを釣らねばならない。前回は朝のうち5匹しか釣れず、イカ釣りは空振りに終わった。しかし今回は、仕掛けを下ろすといきなり釣れた。体長は20センチほどの良型で、尾びれが黄色いマアジだ。脂が乗っていて美味しいだろう。

 イカ用の15匹ほどをブクブクの付いたバケツで活かし、後は持ち帰り用だ。女房は何軒かにおすそ分けするため、懸命に釣り続ける。40匹ほど釣ると、パタリと食いが遠のいた。これを機にイカ釣りに転戦したかったが、女房は「これでは足りないわよ。回遊してくるまで待ちましょう」と言う。

 なるほど、15分ほどすると再び釣れ出した。2連で釣れることもあり、かなりの群れが回ってきたらしい。しかし、アジ釣りに時間を食われると、アオリイカが釣れる朝のジアイを逃すかもしれない。アジは釣れ盛っていたが、女房を説得してイカのポイントに向かった。

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 イカ釣りの第一投は、いつも興奮する。アジの尻尾に針を刺し、20メートルほど前方に投げた。アジを自由に泳がせ、イカが食いつくのを待つ。今ごろ釣れるイカは7、800グラムもあれば上々である。しかし、これくらいのサイズでも引きは物凄く強い。

 リールをフリーにしておき、イカがアジに食い付けば糸が引き出されるが、糸が緩むのもイカがアジに食い付いたシグナルだ。そんな兆候が表れたのは釣り始めて数分後だった。

 しっかり食いつかせるため3分ほど待ち、そろり、そろり、イカを寄せ始めた。やがて、茶色のイカの姿が竿先の真下くらいに見えた。これでは掛け針のヤエンが垂直になり、掛からない。理想は、ヤエンが水平に泳ぐイカの腹の下に潜り込むのがいいのだ。

 テンションをかけて沖に出そうとしたが、逆にボートの下に向かってきた。仕方なくヤエンを装着し、無理やり合わせたが、やはり空振りだった。すかさず元気なアジに交換し、前方に投げた。しばらくすると竿先が曲がり出し、ジーッという音とともに糸が引き出された。

 餌のアジが大きいので、短時間で食い切れないはずだ。焦らずにゆっくり待ち、イカの寄せにかかった。寄せては糸を引き出され、なかなか距離が縮まらない。ここは我慢のしどころだ。やがて、何とか寄ってきたのでヤエンを装着し、竿を操作しながらイカへと送り込む。ヤエンが水平になるよう竿を下げ、軽く合わせた。

 海中を見つめていた女房が「墨を吐いた」と声を上げた。墨を吐いたということは、ヤエンの針がイカに刺さった証拠である。海面に近づくと何度も潜られ、その度に大量の墨を吐き、海中が真っ黒になった。やっと玉網ですくったイカは700グラムはありそうだ。

 それから2時間ほどの間に4回の当たりがあり、一度も失敗せずに取り込みに成功、計5杯を釣った。サイズは小さくても500グラムはあった。短時間でこれほど釣れるとは、正直思わなかった。

 この間、女房はガシラが釣れず、もっぱらイカ釣りの見学だ。女房は「想像以上に難しいのね」と、率直な感想を漏らした。私はイカの寄せ方、引いた時の対処、ヤエンの入れ方などを教えた。いずれ女房をイカ釣りの仲間にしようという魂胆である。

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 イカはまだ釣れると思ったが、女房を退屈させては気の毒だ。カワハギが釣りたいというので、場所を変えた。カワハギ専用の仕掛かけを使い、餌はアサリのむき身である。私はイカを釣って気分が良かったので、、餌の付け替えなど女房の釣りをサポートすることにした。

 カワハギ2匹とアジを少々釣り、そろそろ納竿しようとした時、女房の竿が海中に突き刺さった。グイグイと絞め込まれており、かなり大きそうだ。釣り上げたのは手のひら以上もある大物のカワハギで、女房はこの1匹で溜飲を下げたようだ。

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 女房に尻を叩かれて釣行し、アオリイカやマアジなどがたくさん釣れた。するとたちまち、やる気も元気も出てきた。やはり、釣りは楽しい・・・。

秋本番・・・鮎を釣る

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 ここ生石高原は秋の真っ盛りだ・・・。ススキの穂が風になびき、それはまるで白波を立てる大海原のようだ。太陽が西に傾くと、穂は逆光によって銀色に浮かび上がる。草原にはノコンギクが咲いている。田舎の道端に咲くありふれた野菊の一種だが、妙に童心をくすぐるものがある。

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 わが家の近くの森には、アケビが鈴なりになっている。1週間ほど前から実が二つに割れ、食べごろだ。跳躍してアケビの蔓をつかみ、手繰り寄せながら二つ三つ、実をもぎ取る。種を包む真っ白の果実を口に含むと、ジュワと上品な甘みが広がる。種だけを舌の上に乗せ、プップッと一気に飛ばす。

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 まだ紅葉には早い。山桜やウルシが一足早く、少しだけ赤みを帯びている。ウリハダカエデが黄色や赤に色づけば、生石の森は一気に晩秋へと向かう。

 半月ほど前、原木栽培しているシイタケが五つ出た。シイタケが本格的に発生するのはまだ先で、あわて者である。今は、クリタケを収穫し、冷凍保存している。2、3週間もすれば、ナメコ、ヒラタケなどが出てくるだろう。

 有田川では、間もなく落ち鮎の季節を迎える。今年は、初夏から残暑のころにかけて、天候不順が続いた。例年この期間は鮎釣りに通うが、川は濁流、増水に見舞われ、これまでに6回しか釣行していない。1万800円の年券の元は取ったが、不完全燃焼である。

 そこで、10月に入って2回釣行した。1回目は昼過ぎまでに23匹、その次も昼ごろまで釣って18匹とまずまずの釣果だった。この時期釣れるのは、天然遡上の海産鮎だ。まだ若鮎のように美しく、スイカのような芳香を放っている。当たりも引きも海産らしく強い。ただ残念ながら、魚体が一回り小さい。

 これから鮎のヒレが婚姻色に染まり、落ち鮎の時期になる。鮎は年魚と言い、1年しか生きられない。河口に下り、産卵して短い一生を終える。腹に子をはらむ鮎を釣るのは忍びない・・・。

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魚は釣れず、そして・・・最悪

 ちょうど1か月前の9月上旬、由良湾でガシラ釣りをし、13対4匹で女房に惨敗した。これに気を良くしたのか、以来、女房は釣りに行きたいと言い続けていた。台湾旅行から帰り、生活も落ち着いてきたので、ボートを出すことにした。

 私はアオリイカを釣りたかった。ガシラと同じようなポイントなので、女房は退屈しないだろう。実は紀伊水道の波止場で、イカの生き餌となるアジが釣れなくて、みんな四苦八苦している。餌店で買えば1匹130円もの高値だ。

 そこで、湾の奥のポイントでアジを釣ることにした。しかし、近くの漁師に聞いても芳しい情報はなく、釣れれば儲け物くらいの軽い気持ちで竿を出した。私が仕掛けをセットしている間、女房が手でアミエビを撒いてアジを寄せる手はずである。

 女房に竿を手渡すと、もうマアジが2匹釣れていた。簡単に釣れると思っていなかったので、驚くというより動転した。アジを生かしておくバケツにも海水が入っていない。慌てて私も竿を出したが、全部で5匹釣れたところで、当たりがピタリと止んだ。

 アジは回遊しているので、どこかへ行ってしまったのだろう。あと1時間早くここへ来ていれば、かなり釣れていたに違いない。生かしたアジは3匹だけ。これでは足りず、頑張ってみたがダメだった。その間に女房はいい型のカワハギ3匹とアイゴ1匹を釣った。結局私はここでアジ1匹だけ。女房は「今まで何してたん」と批難した。

 生かしてあるアジは3匹だけだが、ともかくイカを狙うことにした。例年この時期、イカが本格的に釣れ出すが、今年はどうも不調と聞く。そのせいか、波止場でイカを狙う釣り人は少ない。やはりと言うべきか、2時間粘ったが、まったく当たりがなかった。

 ガシラ釣りに転じたが、こちらも活性が悪い。しかも少し波が出てきて、ボートが上下するためアンカーの爪が岩礁に掛かりにくい。女房はガシラやベラを3匹釣っており、まだやる気満々だが、私は気力をなくした。漁港に引返して弁当を食べた。

 このまま帰るには、ちょっと消化不良気味だ。夕方まで待てばアジが釣れるのではないかと思った。何の根拠もないが、私のたまに当たる直感である。午後2時半ごろ、再び漁港を出発し、朝にアジを5匹釣った同じポイントに向け、ボートを走らせた。

 サビキの仕掛けを下ろすと、ウリボウ(イサキの子供)が湧いてきた。体長が10cm未満なので、釣っては捨て、釣っては捨ての繰り返しだ。半時間ほどすると、あれだけいたウリボウが姿を消した。これを合図に、いきなり竿先が海中に引き込まれ、糸がキュンキュン鳴るほど引いた。

 上がってきたのは、尾びれがが真っ黄色のマアジである。体調は20センチほどの立派なサイズ。よく肥えていて、しっかり脂が乗っていそうだ。わずか半時間ほどだったが、私は20数匹釣った。妙に女房の口数が少ないと思ったら、2、3匹しか釣っていないと言う。ま、経験の差だわな・・・。

 明るいうちに帰りたいので、エンジン全開で走った。15分ほど走ったところで、エンジンの調子がおかしくなり、やがて止まってしまった。スクリューを点検すると、白いレジ袋が巻き付いていた。これを取り除いて、エンジンをかけたが、何回試みてもかからない。

 知り合いの漁師に電話して助けに来てもらおうとも思ったが、幸い1キロほど逆に走れば別の港がある。しかも追い風だ。これなら手漕ぎで港に辿り着ける。全力で漕ぎ、汗が噴き出た。前に座っている女房は、「前に進んでいるので、そのうち着くやろ」とのんきなことを言っている。何とか半時間ほどで港に着いた。

 女房は通りがかりの車に乗せてもらい、隣の港へ軽トラを取りに行った。沖でトラブルにならず、不幸中の幸いだった。翌日、めっぽう機械に強い仲間のPに点検してもらったら、プラグがダメになっていた。いつも予備の新品のプラグを携行しているので、取り替えたが、慌てていてちゃんと根元まで差し込まれていなかったらしい。

 イカが釣れなかった上、エンジンが止まって手漕ぎで帰港する破目に。踏んだりけったり、弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂とはこのことだ。苦し紛れにあえて言えば、その夜食べたアジが美味しかったくらいだ・・・。

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台湾旅行・・・安心感に満たされて

 穏やかな台湾旅行だった。道行く人、店の人、タクシーの運転手・・・・みんな親切だったし、視線も柔らかだった。この安心感は一体何だろう。言葉はともかく、日本にいるような錯覚にとらわれることがしばしばあった。

 台湾の人たちをひとくくりに親日的と呼ぶほどノー天気ではないが、日の丸の旗を持って歩いていても、謝罪を求められたり小突かれたりすることはないだろう。東日本大震災の時、いち早く手を差し伸べてくれたのは台湾だった。かつて日本人は台湾の歌姫テレサ・テンの歌を口ずさみ、李登輝元総統に親しみを感じてきた。

 アニメ映画「千と千尋の神隠し」のヒントとなったと言われる町、九份の土産物店街を歩いていた時だ。オートバイで荷車を引いてきた青年が、駆け足で商店に荷物を配達した。彼の胸には「クロネコ」のマークが付いていた。テキパキとした配達ぶりは日本と一緒だった。階段の多いこの商店街に荷物を配達する日本式宅配は、台湾でも健在だった。

 海外旅行の経験が少ない私にとって、こんな風景を見れば心強い。台北市内ではセブンイレブンとファミマがいたる所にあり、車は7、8割が日本車で、黄色のタクシーは100%がそうだった。そのような雰囲気が安心感につながっていたのかもしれない。

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 さて旅行も最後になり、「龍山寺」という台北の歴史ある寺院にお参りした。創建270年で、本尊は聖観世音菩薩。道教や儒教など様々な宗教が習合されており、祀られている神は100以上に及ぶという。お参りすれば願い事が叶う台湾最強のパワースポットである。

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 台北市内を早朝歩いていると、街角のあちこちでおばさんがミョウガのようなものを売っていた。何だろうと思っていたが、龍山寺に行って分かった。神仏へのお供え物だったのだ。お寺の前には花や果物、駄菓子などともに供えられており、信仰の篤さがうかがわれた。

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 日本のお寺では、線香30円、ロウソク10円などと有料だが、ここは無料だ。入り口で線香3本をいただき、願い事をつぶやきながら供えた。娘二人も真剣な表情で拝んでいた。いい人の出現を願っているのだろうか。もしそうなら、背中を押してやりたい。

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 みんなでおみくじを引くことにした。その方法は独特で、二つの木片を床に落とし、木片が表・表か、裏・裏にそろうまで落とし続けるのだ。そろったら竹の棒を引き、そこに書かれた番号の引き出しからおみくじ引く。

 娘は二人とも、日本の神社でいう「中吉」と「小吉」だった。女房はおみくじに何も書かれておらず、ひょっとしたら「凶」かもしれず、うなだれていた。さて私は18番の引き出しからおみくじを引いた。写真のように、「上上」と書かれていた。もうこれ以上の「吉」はないという空前絶後のお札である。

 人生晩年を迎えて最高のおみくじだ。これから良いこと尽くめなのか、それともここで全ての運を使い果たしてしまったのか・・・。それは考えようでどうにでもなるが、最良のおみくじに変わりはない。気分良く旅を終えた。

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