ムベは無病長寿の果実・・・ムベなるかな

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 寒気が紀伊半島にも南下し、このところ一気に寒くなった。今朝の気温は3度だ。旧暦の二十四節気では、雪がちらつき始める「小雪」である。ここ標高800mの生石高原には、近いうちに初雪が降るかもしれない。

    (翌日の27日朝、雪が降った。朝の気温は今シーズン最低の氷点下1度だった)

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 寒くて億劫だが、健康のために散歩は怠らない。いつもは40分ほどかけて生石ケ峰の頂上まで歩くが、この季節になると北風がまともに吹きつけるので、風を避けて高原の南側の道路を歩くことにしている。

 この道沿いには、ムベの実が鈴なりになっている。寒さが強まるとともに、実の赤紫色は一段と深みを増している。身を乗り出してムベの蔓をつかみ、手繰り寄せて実をちぎってポケットにねじ込む。

 散歩の道すがら、この実を食べるのが楽しみでもある。実を割ると、ゼリーのようなものに包まれたつぶつぶの種が出てくる。これが実に甘く、それでいてサラッとしていて甘味が口に残らない。ゼリーを吸い取った後は種だけをプッ、プッと飛ばし、童心に帰る。

 アケビは秋に葉が落ちるが、ムベは常緑だ。葉は幼木のとき3枚、成長すると5枚になり、実が成る頃には7枚になる。だから「七五三」の縁起のいい植物なのだ。強心作用や利尿作用があるとされており、うれしいことに強壮の効能もあるという。

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 突然だが、ここでタイムスリップ・・・。時は7世紀の半ば、天智天皇が大津京に遷都した頃である。天皇はしばしば、琵琶湖の東に広がる蒲生野へ狩猟に出かけた。ここは、恋人の額田王が「あかねさす、紫野行き・・・」(万葉集)とう有名な歌を詠んだ場所である。

 物の本によると、天智天皇は蒲生野へ狩りに行った時、子供8人に恵まれた健康な老夫婦と出会った。天皇は「どうしてそんなに元気なのか」と問いかけると、「無病長寿の果物を食べているからですよ」と答え、その果物を献上した。

 天皇はさっそく口にし、「ムベなるかな」(なるほど、もっともである)と言って得心したことから、無病長寿の果実はムベと名づけられた。このような伝説が伝わる蒲生ではムベの栽培が行われ、戦後一時中断したが、皇室への献上が続けられているそうだ。

 私たち夫婦は毎日のようにムベを食べているが、蒲生野の老夫婦のように無病長寿にあやかればいいのだが・・・。
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大阪維新が完勝・・・やってみなはれ

 大阪府知事と大阪市長のダブル選は、「おおさか維新」の完勝に終わった。「そりゃー、そうだろう」というのが私の率直な感想であり、大阪に愛着のある私にとってこの結果は良かったし、溜飲も下げた。

 そもそも、自民の候補を民主党、共産党が影ながら支援するという構図は、奇妙であり、噴飯ものでもある。都構想をめぐる5月の住民投票では、経済や安全保障など政策や理念がまるで異なる自民と共産の幹部が手をつないで都構想反対を叫んでいた。この摩訶不思議な風景は、ブラックユーモアとしか言いようがない。

 先日、民主党の前原さんは、共産党との選挙協力などをめぐって、「共産党はシロアリみたいなもので、民主党の土台を壊す」と発言した。品のいい言い方ではなかったが、本心を言い表したものだろう。そして、今回のダブル選では谷垣自民党幹事長ら幹部多数が応援に駆けつけていたが、どう見ても本心から応援しているようには見えなかった。

 先の住民投票では高齢者の票が都構想反対に流れ、橋下維新が僅差ながら敗れた。選挙結果をめぐり、地下鉄の無料パスをもらえなくなるなど老人福祉に対する不安感が反映したとの分析もあった。社会的弱者に手を差し伸べるのは当然としても、もし目先の利益が投票結果を左右していたとしたら、実に嘆かわしいことだ。

 和歌山の山中で暮らす私だが、大阪のことなどどうでもいいとは思っていない。第一に、関西人の一人として大阪を中心に発展してほしいと願っているし、第二には失われて久しい関西の心意気を復活させてもらいたいと思う。天才漫才師横山やすしに言わせたら、「なんじゃ今の大阪は、いてもたるで」と奮起を促すだろう。

 「大阪はこのままでいいのか」・・・。今、大阪に求められるのはこのひと言だろう。要するに、有権者も関西人も変革へのパワーを求めているのだ。1970年の大阪万博の頃は活気に溢れていたが、その後は大阪発祥の企業は次々と本社を東京に移し、プロ野球は近鉄、南海、阪急が関西から消えた。商都という誇りも風景も失われている。

 そんな大阪を復活させるため、有権者は「変化」を掲げる「おおさか維新」に希望を託したのだ。そして、橋下市長の突破力に期待したのだろう。大阪の自民党などは現状にあぐらをかき、さして目新しい政策もなく、「維新憎し」で政敵の民主党や共産党とタッグを組む。それでは選挙に負けるのも当然だ。

 私は今、北康利著「佐治敬三と開高健 最強のふたり」(講談社)という本を読んでいる。サントリー二代目社長の佐治と、私が敬愛する小説家開高の交流を中心に描かれるノンフィクション作品だ。二人とも大阪人である。この本の中に、大阪再興のヒントのようなものがあると思う。

 佐治は、酒造会社・寿屋(後のサントリー)を興した初代社長鳥井信治郎の次男だ。鳥井は松下幸之助も仰ぎ見た伝説の企業家であり、これを引き継いだ佐治はサントリー中興の祖である。開高は寿屋にコピーライターとして入社し、その後は佐治との人間関係を深めながら、戦後の激動期を共に歩んだ。

 この本には、松下幸之助、阪急の小林一三、森下仁丹の社長らそうそうたる経済人、文学者谷沢永一らが登場し、関西の人脈が縦横に描かれている。そこからは、昭和という時代の大阪の熱気が伝わり、そのむんむんとした雰囲気に息苦しささえ覚えるほどだ。今の大阪から、経済の熱気、成長の熱気、知の熱気が感じられないのは私だけだろうか。

 鳥井信治郎は社員や知人が相談に来ると、「やってみなはれ」というのが常だった。佐治もまた父親の思いを継いで人々の背中を押した。これこそ、サントリー発展の真髄だった。やっぱ大阪はこれでっせ。「やってみなはれ」・・・

紅葉の北近江・・・観音の里を歩く

 生石高原の山小屋から3か月ぶりに大津の自宅へ帰った。用事を済ませた翌日は、これぞ小春日和という暖かい日に恵まれたので、女房と一緒に紅葉を見に行くことにした。行く先は、北近江の紅葉の名所・鶏足寺である。

 琵琶湖畔の周遊道路を走ると、湖面に無数の渡り鳥が羽を休めていた。そのほとんどはカモだったが、すでにコハクチョウも飛来しているはずだ。湖国の冬は、10万羽とも言われるシベリアからの渡り鳥とともにやって来る。

 湖北を流れる高時川を渡ると、右手になだらかな己高山(923m)が見えてきた。この山には、奈良時代から平安時代にかけて仏教文化が花開いた。頂上近くにはいくつもの寺院が建ち並んでいたが、その後衰退し、今は礎石が残るだけである。

 その中心的な寺が鶏足寺で、行基によって開かれ、最澄が再興したと伝えられる。行基は鶏の足跡に導かれてこの地に寺を建てたという伝説だが、真偽はともかく「鶏足」という名前は洒落ている。浅井三代、徳川家康らに庇護されて栄えたが、その後火災で焼け落ち、己高山のふもとに移された。

 なぜこの奥地に仏教文化が栄えたのだろうか・・・。一説には、この地が京の都から見て鬼門に当たり、都を鎮めるために寺院を建立したとされる。もう一つは、日本海側からここを通り、京都、奈良へ大陸文化が伝えられた通り道だったという説もある。

 私たちの車は、大津から1時間半ほどで鶏足寺のある古橋という集落に着いた。さすが紅葉シーズンで、臨時駐車場が設けられるほどのにぎわいである。古橋は関が原の戦いで敗れた石田三成が捕らわれた場所としても知られる。

 集落を抜けて鳥居をくぐると、そのすぐ先に仏像や古文書を収蔵する己高閣があった。鶏足寺の本尊十一面観音もここに展示されている。そばの古びた薬師堂と大日堂にも参った。格子越しに堂内を覗くと、薄暗いお堂に何体もの仏像が安置されており、かつて栄えた仏教文化の片鱗を目の当たりにすることが出来た。

 ここから田んぼ道を歩いて鶏足寺へ向かった。このあたりは実に美しい田園風景で、「まほろば」と呼ぶにふさわしい日本の原風景である。しばらく行くと、山に向かって石段の参道が続き、紅葉のトンネルになっていた。今年の晩秋は暖かかいせいか、紅葉の鮮やかさは今ひとつだった。

 石段を登りきり、鶏足寺に参拝した。次は石道寺(しゃくどうじ)まで足を伸ばすことにした。この寺には、国の重要文化財の十一面観音がある。平安中期の作で、ヒノキの一木作り。唇には鮮やかな紅が残っている。井上靖の小説「星と祭」では、その美貌から「村の娘さん」と称えられるほどの有名な観音さんだ。私はこれで3度目の拝観である。

 ここ北近江は「観音の里」と呼ばれるように、人々の観音信仰は篤く、多くの十一面観音像が伝わっている。私は各地の観音巡りを続けているが、戦渦にまみれた北近江の観音さんには特別の思いがある。

 ここはかつて、織田信長が浅井長政を滅ぼした地である。比叡山を焼き討ちしたように、寺院に火を放った。村人たちは燃え上がる寺院から観音像を運び出し、土に埋めたり、川に沈めたりして戦火から守った。その後、集落に観音堂を建てて今に伝えているのだ。

 そんなことに思いを巡らしていると、ふと、シリアのパルミラ遺跡を破壊し続けるイスラム過激派ISを連想してしまった。信長とISを一緒にする訳ではないが、一面において五十歩百歩という気もしないではない。信長が戦国時代を終わらせたという評価はそれとして、私にとっては嫌いな歴史上の人物の一人である。

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小春日和、アオリイカ、ガシラ、海緋鯉・・・

 きのう8日は立冬だった。これからは西高東低の気圧配置が強まり、冷たい北西の風が吹く。海には白波が立ち、われらボート釣りの愛好家にとっては、釣りに恵まれる日がうんと少なくなる。

 先週のことになるが、木曜と金曜は波静かな小春日和の予報だった。これが今年最後のボート釣りになるかもしれず、欲張って連チャンで行くことにした。一日目は私単独でアオリイカ、二日目は女房を連れ出してカワハギを釣りたい。カワハギと言えば鍋料理だが、11月7日は「いい(一、一)、な(七)べ」の語呂合わせで「鍋の日」である。

 と言う訳で、毎度バカバカしい釣行記である・・・。

 生石高原を下り、橙色のミカン畑を眺めながら由良湾に向かった。途中の衣奈漁港でアオリイカの餌となる生きアジを仕入れた。昨年の今頃は確か1匹70円だったが、今年は100円。国道沿いの釣具店では140円もする。20匹も買えば、イカ釣りも結構高くつくのだ。

 由良湾は予報通りのベタ凪だった。20分ほど走った岩礁地帯でアンカーを下ろした。何の根拠もないが、釣れるような気配を感じない。「気配」「空気」というのは時々当たるから不思議である。2時間経っても反応はなく、悪い予感が当たってしまった。

 場所替わりする前、試しにアジをルアーのように引いてみた。すると一瞬、竿先がクッと重くなった。イカがアジに抱きついたシグナルかもしれない。しばらくすると、リールから糸が出続け、どうやらイカがアジを抱いて逃げているようだ。

 イカを引き寄せるが、その分だけ糸が出て一進一退である。それでもやがて距離が縮まり、掛け針のヤエンを装着して海中に落とした。糸を張ったり緩めたりしながらヤエンを送り込み、イカへ近付けて行く。

 ヤエンがイカの胴体の下に潜り込めば、掛けることが出来るはずだ。しかし、海中のことだからヤエンが届いているかどうかは分からない。そこは「勘」である。ここぞと思った時、斜めに竿を引いて軽く合わせた。確かな手応えがあった。網ですくうと、ヤエンは胴にがっちり掛かっていた。よく引いた割には小さく、600グラムほどだった。

 しばらくここで頑張ってみたが、「見切り千両」という言葉もある。波が静かだったので、もっと沖にある島のポイントに向かった。ここは案外確率が高く、これまでも困った時はここに来ていた。海に突き出た小さな磯を狙って仕掛けを投げ続けた。1時間ほどたってやっと当たりが出た。

 無事に取り込んだイカは、これも600グラムほど。午前中に同じようなサイズを4杯釣り、二桁は成らなかったが、まずまずの釣果だった。当たりの数に対し失敗はゼロだったので、いくらか気分がいい。心地よい風に吹かれ、ボートの上で弁当を食べた。急に眠くなり、小一時間昼寝してしまった。

 別のポイントも試してみようと、湾内のポイントで竿を出した。しばらく粘ってみたが、反応は皆無だった。餌のアジはたくさん残っていたが、二日目の釣りもあるのでアジを海に帰し、早目に帰港した。命拾いしたアジは喜んでいるだろう。一日一善・・・。

 二日目は女房と一緒にカワハギ釣りだ。この秋、3回のカワハギ釣りをしたが、ボウズはなかった。だから、釣れて当然という慢心があった。ところが、ウリボウ(イサギの子供)のような小魚さえおらず、時折、仏頂面のフグが釣れるくらいだった。一体ハゲはどこに行ってしまったのだろう。

 仕方なくガシラ釣りに転戦した。いつものことだが、女房は立て続けに2匹釣って好調だ。私はゼロ。へそを曲げた訳ではないが、ハゲ鍋に未練があり、無理やり、ハゲのポイントへUターンした。しかし駄目な日はダメ、1匹も釣れなかった。

 再度、ガシラ狙いである。いきなり、女房が竿をしならせ、刺身サイズの大物を取り込んだ。その後も当たりをうまく合わせ、5匹釣った。それに対し、私は2匹だけ。亭主の私が言うのも何だが、女房は上手である。

 そろそろ釣りを終わろうとした時、女房がまたも竿を曲げた。右に左に走られており、やっと姿を見せたのは真っ赤な派手な魚だ。長く釣りをしているが、初めて見る魚である。それにしても海の下には色々な魚がいるものだ。これを潮に、正午前、港へ帰った。

 女房は帰宅するとパソコンの前に座り、自分で釣った魚を調べ続けた。やっと判明した魚の名前は「ウミヒゴイ(海緋鯉)」。魚の姿そのままである。「赤い魚」をキーワードに検索して行き着いたと言う。太平洋沿岸の深い岩場に生息し、口の下に1本の髭がある。クセのない白身で、近年は市場で高値で取り引きされているという。

 その晩、さっそく煮付けにして食べたが、ほんのりと脂が乗り、なかなか美味である。女房に遠慮しながら口に入れた時、少々、卑屈になった・・・。

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洲本沖で太刀魚を釣る・・・雪辱の指4本半

 漁師も顔負けの大きな漁船に乗せてもらい、太刀魚釣りに行った。船のオーナーは、ブログが縁で親しく交流している「イレグイ号」さんである。漁師だった祖父から引き継いだ漁船だが、本人はれっきとしたサラリーマンである。

 私の太刀魚釣りはこれで二度目だが、一回目は惨敗だった。女房に「絶対釣れる」と言って釣れ出し、由良の岸壁に行った。釣具店で仕掛けや電気ウキなど一式をそろえた。店員から「当たりがあってもしばらく待ち、餌を食い込ませること」と教えられた。

 少し暗くなった頃、電気ウキが水中に消えた。じっくり待って合わせたが空振り。その後もひんぱんに当たりがあるものの、どうしても針に乗らない。しかし、岸壁に並んだベテランたちは次々と太刀魚を釣り上げた。空中で落としたものもあったが、結局ゼロに終わった。この日の体験がトラウマとなり、太刀魚釣りに敵意さえ抱くようになった。

 あれから5年、二度目の太刀魚釣りは、雪辱という二文字を胸に秘めている。午前5時45分、和歌山市内の港から淡路島に向けて出発した。紀淡海峡の友ケ島にさしかかると、東の空がオレンジ色に染まり出した。島の周辺には鯛釣りの船が群れになっていた。

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 島を回り込んで進むと、そこはもう淡路島の洲本沖だ。港から1時間かかった。水深は80~100mあり、太刀魚のポイントになっている。イレグイさんによると、やがて大阪方面からも太刀魚釣りの船が大挙やって来るという。なるほど、日が上がると、接触しそうになるほど船がひしめいた。

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        ↓ 洲本沖で釣る。手が届きそうな距離だ。
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 まずはイレグイさんから釣りのコツを聞く。仕掛けには冷凍のイワシを針金でくくりつけ、海底まで落としたらゆっくりリールを巻く。当たりがあれば一呼吸置いて大きく合わせる。太刀魚は海底近くにいるので、仕掛けがちゃんと底に着いているかどうかが重要なのだという。

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 いよいよ雪辱戦の第一投だ。リールのゲージが水深100mを示すと、仕掛けが底に到達した手応えが伝わってきた。すかさず、リールをゆっくり巻いて餌のイワシが泳いでいるように見せかける。20回くらい巻いた時、グイッ、グイッと竿先がおじぎした。はやって合わせてはいけない。5年前のトラウマが蘇る。

 1、2、3、4、5・・・。満を持して大きく合わせた。グイーン。重量感のある魚の引きが伝わってきた。さあ、それからが大変だ。リールを巻けども巻けども魚は寄って来ない。重く、しばしば魚が潜って竿を絞り込む。巻く手を休めば、糸が緩んでバラす危険もある。何しろ100m近く巻き続けるのだから、これはもう重労働だ。

 糸をギリギリまで巻いて、船上に太刀魚を落とし込んだ。ドサッという音がした。それはまるで太古の剣が蘇ったように輝き、背びれがゼンマイ仕掛けのように軽快に波打っている。何と美しく、大きいのか・・・。雪辱を果たしたのだ。

   ↓ 雪辱を果たした一匹(イレグイさん撮影)
151103洲本沖 001

 太刀魚の大きさは、指の本数で言い表す。三本の幅があれば小型、4本は食べごろの中型、5本になると大型の称号を与えられる。いきなり釣ったサイズは、細かいことを言うようだが、「4本半」である。写真をご覧いただきたい。

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 鼻高々の釣り談義を聞かされるほど馬鹿らしいことはない。だからその後の釣りは詳しく書かないが、結局、大型4匹、中型3匹、小型2匹の計9匹だった。今回の前半の釣りは、イレグイさんを焦らせるほどの好調さだったが、後半は失速し、反対にイレグイさんは13匹の大漁だった。潮が緩んでいた時は当たりが取り易かったが、潮が速くなれば慣れているイレグイさんの独壇場となった。

 大きく揺れる船での釣りは、結構疲れるものだ。家に帰ったら、バタンキュー。魚は女房がさばき、刺身、押し寿司、みりんの一夜干を作ってくれた。特に押し寿司にすると、太刀魚の身の分厚さが際立った。その美味しさは、月並みな言葉で言いたくない・・・。

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  《追記》

 太刀魚のブログをアップしてすぐ、女房が作った丼の昼食を食べた。鰻丼のように見えるが、太刀魚の蒲焼である。黙っていれば、味も鰻に間違えられるかもしれない。肉厚でホクホクの食感だ。

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