戦争法・・・山崎豊子さんの遺言

 街を歩いていると、「国民連合政府」を呼びかけるポスターがべたべた貼られ、「戦争法廃止」という文字も踊っている。ご存知、共産党の宣伝ポスターだ。昔の人なら、革命前夜か戦争前夜と間違えそうだが、このおどろおどろしいポスターを目にする度に、失笑せずにいられない。

 国民連合政府・・・。いやはやでっかく出たものだ。共産党の呼びかけで野党が結集し、戦争法を廃止する新しい政府を樹立しようというのだ。いいか悪いかはともかく、今は自民党一強の政治状況である。これを転覆できると本気で考えているのだろうか。あたかも実現できるという幻想を振りかざしているとすれば、共産党らしいプロパガンダである。

 毎日街を歩いているので分かるのだが、1週間ほど前にポスターが作り直され、「国民連合政府」という文字が目立たなくなっているのだ。共産党は野党各党に参院選の候補者調整を呼びかけているが、その際、「国民連合政府」構想を引っ込めると明言した。共産党アレルギーのある民主や維新の党に配慮したという訳だ。

 さらに、これまで各選挙区に候補者を立ててきたが、次回参院選では、民主党などと競合する選挙区では共産候補を引っ込めるという。民主党の岡田代表たちは奥歯で笑いを噛み殺しながら、共産党の話に耳を傾けているように見える。もうこうなったら、毒を食らわば皿までの心境だろうが、この毒の本当の怖さを知って知らないフリをするのは罪が深い。

 万にひとつ、連合政府が実現したとしよう。岡田さんの総理大臣はともかく、共産党の志井委員長が防衛大臣に就任したらどうなるか。自衛隊は憲法違反だから解散し、尖閣も拉致も対話路線の一辺倒。尖閣に五星紅旗が翻り、拉致は核で脅され、なかったことになる。防衛費1兆円は生活保護費にまわされ、街は勤労意欲のない人々であふれる。

 悪い冗談だが、そうとばかりは言えない。民主党が政権についていた時、尖閣諸島で日本の巡視船が中国の漁船(?)に体当たりされたが、漁船の船長は無罪放免、丁重に中国へ送り届けたのである。船長は中国に着くと、花束を掲げて英雄気取りだった。巡視船の修理代も取れず、踏んだり蹴ったり。どこが政権に就こうとも、国の安全保障政策がブレれれば、こうなるのだ。

 安全保障のことを書いたので、ついでに作家の故山崎豊子さんについて一言申し上げたい。私は山崎さんのほぼ全作品を読んでおり、彼女がいかに戦争と平和を考え、人生をかけて思いの丈を綴ってきたか、知っている。私が戦争と平和について書けば、何の重みもないが、山崎さんの言葉には血が滲んでいるように思えるだろう。

 遺稿となった小説「約束の海」の最後に、読者に向けて次のように書いている。これは、今となっては遺言である。

 「戦争に絶対反対ですが、だからといって、守るだけの力も持ってはいけない、という考えには同調できません。尖閣列島の話にせよ、すぐにこうだ、と一刀両断に出来る問題ではありません。自衛隊は反対だ、とかイエスかノーかで単純に割り切れない時代です」

 安全保障法を廃止しなければ、戦争が勃発するという共産党や社民党の政治的宣伝は本当なのか。「除菌しないと病気になる」というテレビCMに通じるものがある。戦争反対は誰でも言えるが、戦争から国を守るのはたやすくない・・・。
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軽トラの老夫婦に心優しい配慮・・・

 梅の便りに誘われ、奈良の月ヶ瀬梅林へ向った。桜もいいが、梅は日本人の感性をくすぐる情緒がある。物の本によれば、万葉集に詠まれた梅は、桜の3倍の120首に上るという。古来から梅は日本人に愛されてきたことを物語っている。私も年を取るにつれて梅の美しさに惹かれ、甘い香りにも早春の喜びを感じる。

 大津から国道24号線を走り、京都の木津のあたりから木津川沿いに遡ると、剣豪の里・柳生だ。ここは二度目なので素通りし、梅林へ。名張川の渓谷には10万本の梅が植えられていたらしいが、1969年にダムが造られ、多くが湖底に沈んだ。それでも1万数千本が残り、ダム湖の梅林として独特の美をかもし出している。

 日本最大の梅干しの産地・和歌山に住んでいるので、わざわざ梅林に行かなくても、梅林はそこらじゅうにある。そのほとんどは南高梅など梅干しの実を採るためだが、月ヶ瀬の梅は紅花染めの原料として栽培されていたらしい。戦後は合成染料に取って代わられ、今はおもに観光の梅林となっている。紅梅、白梅はダム湖の水に溶け合い、趣がある。

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 次は、伊賀上野に向かった。月ヶ瀬からは半時間もかからない。目的は田楽豆腐だ。20数年前、末の娘を連れて食べに来たことがある。場所は上野高校の前あたりと覚えていたが、あの古びた店が見当たらない。それもそのはず、立派な古民家風の店に立て替えられていた。暖簾をくぐると、味噌を焼く香ばしい香りが充満していた。ちなみに店の名前は「わかや」。

 私の北陸の田舎でも家で田楽を焼く風習があり、時々、無性に食べたくなることがある。この店の田楽は確かに美味しい。しかし、私の脳と舌が覚えている田楽は、焦げ目がついてどこか野趣があったように思う。朱色の容器に並べて出てきた田楽は洗練されていて、少し甘すぎた。この世で一番美味しい食べ物は、幼少の頃の記憶の中にある・・・。

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 お腹が膨れたので、散歩がてら上野城を歩くことにした。駐車場の前で、しばらく、駐車料金「500円」と書かれた看板を覗き込んでいた。上野城はこれで2回か3回目で、何が何でも入りたいとは思わなかった。すると、駐車場の係りの人が窓を叩き、「ここから少し先に消防署があり、その近くにも駐車場がありますよ」と教えてくれた。

 そこへ行くと、平日は無料となっていた。係りの人は無料だとは言わなかったが、貧乏人への心優しい配慮だと受け取った。考えてみれば、和歌山ナンバーの軽トラの運転席で、年寄り夫婦が恨めしそうに顔を見合わせている姿は、なるほど同情を引いたのだろう。無料はうれしかったが、少し寂しくもあった。

 裏の城山の道を登った。その中ほどで、先を歩いていた女房が絶叫した。「へ、へびやー」。石の階段に、長さ1メートルほどの蛇が長々と横たわっていた。木の枝を投げると背中に命中したが、動かない。死んでいるのかもしれない。枯れ葉をつかんで投げつけたところ、今度は鎌首をもたげた。生意気な奴だ。

 虫が冬ごもりから目覚める「啓蟄」は3月初旬だが、いくら何でも蛇が出てくるのも早過ぎる。女房も、まさか蛇が出るとは思わなかったので、絶叫も当然だろう。蛇自身、土から出たものの、季節を間違えたと後悔していたのか、動きが鈍く、目つきもうつろだった。蛇の姿が脳裏に焼きついたまま、とんだお城見学となった・・・。

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法隆寺界隈を歩く

 各地に春一番が吹いた数日前、斑鳩の法隆寺に行った。修学旅行の定番コースだが、私は一度も行ったことがなかった。半年ほど前、近くを通りかかったついでに拝観しようと思ったが、拝観料が1500円もしたので、女房が「この次にしましょう」とケチなことを言い出した。

 今回は、女房に昼ご飯をおごる約束で、再訪することになった。法隆寺の駐車場に車を入れ、まずは藤ノ木古墳に行った。未盗掘の石室から馬具や装飾品が出土し、考古学ファンを驚かせたのは30年ほど前だ。その当時、私もそれなりに驚いたが、それ以上のものではなかった。最近は古代にまつわる本も少しは読んでいるので、往時への想像が膨らんだ。

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 駐車場でもらった地図によると、この近くに龍田神社があり、ここに「金剛流発祥の地」の石碑があると書かれていた。能に興味を持っている私としては、ぜひ行ってみたくなった。法隆寺から歩いて西へ20分ほど歩いた所に、それほど大きくはない社があり、境内の端っこにその碑があった。何の変哲もない碑である。

 金剛流は法隆寺に近いここ戸坂郷で発展したという。このあたりの地図を調べていると、そのずっと東側に、「結崎」という地名があった。世阿弥の生涯を描いた「華の碑文」(杉本苑子著)という小説があるが、その冒頭に観阿弥・世阿弥の一座があった「結崎」という地名が出てくる。やっとその地名に巡り合え、長らく喉につかえていた物が取れた気分だ。

 わが家の本箱からかび臭い「華の碑文」を取り出してみた。冒頭には、薄汚い宿場に星占い、白拍子、歩き巫女、曲舞など漂泊の旅芸人がごろごろしいていたと書かれている。そんな中で暮らす結崎座の猿楽芸人は、近郷はもとより、伊賀、伊勢、河内、和泉、紀伊を渡り歩いた。この斑鳩の地で、世阿弥が成長していったのだと思うと、感慨もひとしおだった。

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 法隆寺の見学は午後にゆっくり回ることにし、女房がネットで調べた店で昼食をとることにした。ここは法隆寺に近い住宅街の一角にあり、店の敷地には歴史的建造物のような民家が保存されている。店の名前は「cafe布穀薗」で、竜田揚げが名物らしい。写真のようなメニューで、女性受けする店だ。定食は1500円で、結構おいしかった。

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 さて法隆寺だが、さすがユネスコの世界遺産にふさわしく、中身が濃い。結論から言うと拝観料1500円は決して高くはなかった。土塀越しに見る五重塔や金堂などの伽藍からは、飛鳥時代の風が感じられる。旧一万円札(聖徳太子)の透かしにあった「夢殿」も印象的だ。夢殿の一万円札は、高度成長の昭和の記憶を呼び覚ます。

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 楽しみにしていたのは、金堂の釈迦三尊像と薬師如来像だ。私は割りと多く様々な仏像を拝観してきたが、それらはみな、丸みを帯びたふくよかな仏さんである。これに対し、釈迦と薬師の像は極端な面長だ。以前から、異相の仏像を見てみたいと思っていた。初めて対面し、顔立ちがスキージャンプの葛西紀明選手とそっくりなので、思わず噴き出してしまった。

 金堂から連子窓の回廊へ歩いていると、甘いいい香りが漂ってきた。回廊のそばに梅の木が一本植えられており、満開の花が放つ芳香である。この日は、上着を脱ぎたくなる暖かさで、梅の花をめでながら春の気配を感じた。

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 次に拝観するのは、異様な姿の百済観音だ。飛鳥時代の作らしく、極端な細身で、九頭身くらいのスタイルの良さである。観音さんは人々を救う菩薩だが、この像の前に立つと、こちらが手を差し伸べたくなる。元から法隆寺にあったものではないらしく、各地を転々としたことから流浪の観音さんとも呼ばれた。近年、法隆寺の大宝蔵院に百済観音堂が建立され、安住の地を得た。

        ↓  百済観音
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 最後に、あの一万円札の夢殿を拝観し、3時間にわたる法隆寺の見学を終えた。見るべき建造物や仏像が多過ぎて3時間でも足りなかったが、正直、くたくたになった・・・。

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能「安達原」に女の心の闇を見る

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 ひと月ほど前、散歩中に大津市伝統芸能会館の前を通りかかると、能公演のポスターが貼られていた。能面を公募し、その面を掛けて能を演じるという企画だった。興味があったので、会館に入ってチケットを買った。すでに良い席は埋まっていたが、脇の最前列にぽつんと1席だけ空きがあり、ラッキーだった。

 伝統芸能など似合わない私だが、能には多少の縁がある。実は、重要無形文化財保持者の観世流シテ方(故人)と知己を得たことがあり、いつも能公演のチケットを女房の分と合わせ二枚づつ送ってくれていた。公演の度に女房と一緒に出かけ、これがきっかけで他の公演も観に行った。

 最初は退屈することもあったが、鑑賞を重ね、多少の勉強もしたので面白さが分かってきた。能の多くは死者の世界を演じるもので、夢幻能と呼ばれる。室町時代に人気のあった平家物語や今昔物語から引いた演題も多く、主人公には、神、亡霊、狂女、天狗、龍神などが登場する。能には人間の業のようなものが凝縮されており、味わい深い。

 先日の公演当日は、早めに伝統芸能会館に行き、全国から応募された能面を鑑賞した。翁、般若、小面(こおもて)、鬼など様々な面が展示されており、作品を批評するような素養はないが、その出来栄えに感心するばかりだった。余談だが、面を彫るのは「打つ」と言い、面を付けるのは「掛ける」。どうでもよいが、米は「研ぐ」である。

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 開演の時間が来た。水を打ったように静かな会場に、空気を切り裂くような笛が吹かれ、続いて、「イヤー」という裂帛(れっぱく)の掛け声とともに大鼓が打たれ、乾いた音を響かせた。会場は一気に緊張に包まれ、この日の演目「安達原」が始まった。シテ(主人公)を演じるのは、観世流能楽師吉浪壽晃だ。

 能舞台には、那智を出て全国を行脚する阿闍梨とその従者が登場する。陸奥の安達ケ原で日が暮れ、あばら家の一軒屋で宿を乞うた。中には中年の女がおり、一度は断ったが、気の毒に思い招き入れた。女は乞われるままに糸車を回して見せながら、人の世の虚しさを嘆いた。

 夜は寒くなるので、女は山へ柴を取りに出かけたが、その際、絶対に寝屋を見てはいけないと念を押した。しかし従者の一人が
阿闍梨の目を盗んで寝屋の中を見てしまった。中には人間の死体や白骨が山積みされていた。見てはいけないという約束を破られた女は鬼となって舞台に現れる。

 シテは、公募で優秀作品となった般若の面を掛け、怒りをあらわに舞う。阿闍梨と従者は数珠をすり合わせ、祈りによって女の怒りを鎮めようとした。恐ろしい般若の面は、次第に悲しげな表情に変わっていく。そして追い詰められた女は舞台から姿を消した。会場には、言いようのない切なさだけが残った・・・。

 能は、約6m四方の板張りの舞台と、左手の橋掛かりだけで演じられる。それだけの空間に、幽玄の世界を作り出した室町時代の観阿弥、世阿弥親子は天才と言うしかない。無駄をそぎ落とした能のシンプルさこそ、日本の美そのものである。

 死体で埋まる寝屋は、現世に翻弄され、苦悩した女の心の闇だったと思う。能を鑑賞しての帰り道、般若の悲しげな表情が蘇り、切なさを引きずりながら歩いた・・・。

民主・維新・・・覆水盆に返らず

 確か、作家の中島らもさん(故人)のエッセイだったと思うが、「覆水盆に返らず」という名言をもじった一文がある。病気で入院中の患者が医師に「お盆には自宅に帰れますか」と尋ねると、医師は「腹に水がたまっているので、お盆には帰れない」と答えた。

 そして、腹水(覆水)盆に返らず--と言い直した。記憶はあいまいだが、そのような内容だった。中島さんらしいブラックユーモアである。20年か30年前に読んだその本を思い出し、改めて笑った。

 この名言は、古代中国の軍師太公望の言葉である。日がな釣りばかりしていたので、妻が離縁して家を出て行った。ところがその後、太公望はみるみる出世したため、妻は復縁してほしいと迫った。

 すると太公望は、盆に載せた器から床に水をこぼし、元妻にこの水を盆に返してみよと言った。一旦こぼれた水を元に戻せる訳はなく、夫婦の仲もこれと同じで元には戻れないと言い、復縁を断った。

 実は、民主党と維新の党との合流を巡って、「覆水盆に返らず」の故事、名言を連想してしまったのだ。つまり、維新の党には、かつて民主党を袖にした松野代表ら元民主党員が多く、今回の問題はいったんこぼれた水を盆に返そうという復縁騒動なのだ。

 維新の党は、双方が解党して新しい名前で出直そうと主張する。しかし民主党の主流派は、出て行ったくせに解党せよと偉そうに言うべきでない。入れて欲しかったら、つべこべ言わずにこっちへ来いというのである。

 野党第一党の民主からすれば、党を解党したら復縁するという維新の言い分は、いかにも勝手な理屈である。議員数では、民主は維新の5倍である。吸収合併が当然なのに、維新の党は対等合併を主張する。

 維新の党は、橋下大阪市長が率いた日本維新と、結いの党が合併して結成されたもので、旧結いの党の議員は、国会のルールで民主が党を解党しないと合流できないらしい。だから、このような無理強いをしているのだろう。

 しかし維新の言い分も分かる。民主党の看板のままでは夏の参院選に勝てる見込みはなく、別の名前で新鮮さをアピールしようというのだ。選挙の前になると、いつも野党の離合集散が取り沙汰される。要するに数合わせの画策なのだ。

 一方、民主党内の保守派は、維新の党との合流は政策や理念なき合従連衡だとして反対している。もっともな話だと思う。合流以前に、民主党は党内左派から保守まで幅広すぎて、いかなる党か分からない。そこへ維新の党を受け入れれば、もうごちゃ混ぜである。

 この騒動は、こぼれた水を元の盆に戻そうという奇跡を起こすような実験である。ケツをまくって出て行った女房を受け入れることが出来るのかどうか。それは、度量の大きさ、小ささではなく、まともな人間の節操の問題だと思うが、どうだろう・・・。

民主党は嫌いだけど、民主主義は守りたい・・・これ何?

 「 笑ってしまった」と言えば、失礼だろうか・・・。先ごろ民主党が発表した「民主党は嫌いだけど、民主主義は守りたい」というポスターのキャッチコピーである。元AKBの前田敦子さんがAKB総選挙で「私のことは嫌いでも、AKBは嫌いにならないでください」と訴えたあの名言を思い出した人も多かろう。本当に、笑わずにいられない。

 これを自虐ポスターと言わずして、何だろう。ポスターの発表会見で、民主党の寺田学広報委員長は「強い自信があるからこそ、このように大胆なポスターを外に出せる」と胸を張ったが、このコメントにも笑ってしまった。「強い自信」とは何を指しているのだろう。民主党が民主主義を守る政党として自信を持っているという意味だろうか。

 そもそも「民主主義」とは、耳障りの良い言葉である。誰も反対はしないし、反対のしようもない。それは、戦争反対、原発反対、人種差別反対、犯罪を許さない・・・なども同じだ。民主的な国の対極にあるのが中国や北朝鮮だが、日本国民の多くはそのような国になることを望んでいない。「民主」「民主」と叫んでおれば、無難なのだ。

 政権を担う自由民主党も民主、社民党も民主、ドイツのメルケル率いるキリスト教民主同盟も民主である。恐ろしいことに、世界で最も非民主的な北朝鮮の正式な国名は、何と「朝鮮民主主義人民共和国」である。言い過ぎかもしれないが、「民主」は毒にも薬にもならない空疎なスローガンだ。

 ポスターの「民主党は嫌いだけど、民主主義は守りたい」は、一生懸命やっているんだけど、国民に理解されていないという嘆き節のように聞こえる。恨み節、それも逆恨みという皮肉な見方をする人もいるだろう。

 そうかと思うと、寺田学広報委員長のように、党の政策や主張に自信があるからポスターを世に問うたと言う。つまり、民主主義を守ろうとする民主党はまだまだ有権者の支持を得ているという判断だ。虚勢を張っているとまで言わないが、これが本気の発言なら世間が見えていないと思う。

 最近の報道各社の世論調査によると、甘利大臣の辞任があったにもかかわらず、民主党の支持率は軒並み下がり、10%を切っている。反対に安倍政権の支持は数ポイント伸ばし、各社とも50%を超えた。今回のポスターには「1強打破」というものもあるが、自民党を1強にしたのは誰かという反省があれば、こんな文言は出て来ない。

 このように、民主党をこき下ろしているが、それは本意ではない。日本を良くするには、政治に緊張感がなければならないと思っている。甘利スキャンダルを追及するのは当然だが、国会論戦で政策と政策の緊張関係がなければ何も前に進まない。世論調査の結果も、有権者がそこのところを敏感に感じ取っているのだ。

 ともかく、右もいれば左もいる民主党は分かりにく党だ。キャッチコピーの「民主主義は守りたい」も理解を超えており、珍奇の極みである。今どき、民主主義を守りたくない政党などあろうはずがない。野球に例えるなら、変化球を投げたつもりが、すっぽ抜け。洒落にならない・・・。

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