絶品のシラスを食べてもらいたかったが・・・

 今日27日、冷蔵の宅急便がわが山小屋に届いた。前夜、私のパソコンに一通のメールが来ていたので、宅急便がこの日午前中に届くのは分かっていた。メールには「ご友人の方々とご賞味いただければと思い、和歌浦のシラスをお送りしました」と書かれていた。

 送り主は、ブログを通じて懇意になった「イレグイ号」(リンクしている)さんからである。先日、イレグイさんがここ生石高原に山菜採りに来られた際、わが家にも寄っていただいた。その時、雑談の中で、数日後に東京などから7人のお客があることを話していた。イレグイさんはこれを覚えていて、和歌山名産のシラスを送ってくれたのだ。

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 ところが、お客7人のうち4人が身内の不幸と体調不良のため、生石高原行きが中止になってしまった。シラスは大きなパックに二つあり、一行が来られないので、あり余る量である。冷凍して保存するにしても、わが夫婦の胃袋に入ってしまうことになり、冷や汗がでるほど恐縮してしまった。

 一行は東京、名古屋、滋賀に住む人たちで、2010年以来、高原での山菜採りと、わが家での昼食は今年で7回目になるはずだった。せっかく遠路はるばる来てくれるので、せめて紀伊水道の旬の魚や山菜を食べてもらおうと思っていた。

 今回も、海の幸を求めて女房とともにボート釣りに出かけた。魚屋で買えば簡単だが、それでは折角のもてなしも味気ないものになるし、「この魚は夫婦で釣ったものです」と自慢もしてみたい。旬のアオリイカの刺身、今や高級魚のガシラの味噌汁は毎年喜んでもらえるので、この二兎を追ってボートを出した。

 由良湾のマイポイントというべき岩礁地帯にアンカーを下ろした。30分ほどすると、泳がせていたアジにイカが食い付き、ヤエンという掛け針を投入して引っ掛けた。引きは強烈で、取り込むまで長い時間がかかったように思う。イカは2キロ近い大物で、お客の7人でも食べきれないだろう。2回目の当たりは、藻に引っかかって取り込めず、残念だった。

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 イカの当たりも遠のいたので、ガシラ釣りに転戦した。こちらもお客1人に2、3匹は行き渡るよう釣らねばならない。ところが釣れないのだ。2時間くらいは何の反応もなく、ガシラのもてなしが不安になってきた。午前10時ごろからたまに当たりがあり、女房3匹に対し、珍しく私が4匹の計7匹。これでは1人1匹というみすぼらしいことになってしまった。

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 ところがこの日、一行から生石高原行きを中止するとの電話が入った。1年ぶりの対面を楽しみにしていただけに残念だったが、アオリイカはともかく、ガシラが思うように釣れず、中止の連絡に救われたような気持ちにもなり、複雑な心境だった。

 山菜のタラの芽、コシアブラ、ハリギリなどは採らずに残しておいたが、その必要もなくなったので、採って食べることにした。ところで、下の写真のハリギリをご存知だろうか。タラのように針があり、ぬめりのある立派な山菜である。結構美味しい。女房が裏の杉林で5株見つけ、食べられると教えてくれた。

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 これはお世辞ではなく、シラスは絶品だった。シラスの本場に住んでいるので多少口は肥えているが、塩味が実に絶妙だ。女房もこんなシラスは初めてと褒めちぎた。早速、焚きたてのご飯にシラスを山盛り、カツオ節を振りかけて食べた。一行の皆さんに食べてもらいたかったが、残念と言いつつ、頬が少し緩んでいる自分が浅ましい・・・。
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藻の中からアオリイカを引きずり出した・・・

 1週間ほど前、アオリイカ釣りの耳寄りな情報を聞いた。場所は、由良湾の沖の一文字に近い所だ。そのポイントでボート釣りをしていた人が、中型のイカを3杯釣ったという。春イカは秋のようにたくさん釣れないから、3杯は大釣りといってもいい。

 これを聞いて、血が騒いだ。風の強い日が続き、春イカ釣りにはまだ行っていないので、さっそく挑戦することにした。一度幸運に恵まれたからといって、次も幸運があるとは限らない。つまり、柳の下に二匹目のドジョウはいないと言うが、二度あることは三度あるとも言う。

 天気予報によると、昼前から風が強くなるらしい。午前中3、4時間が勝負だ。由良湾の漁港からボートを走らせ、南に向かった。多少波気はあったが、問題はない。又聞きの情報だから、一文字波止の近くと言っても広過ぎて、ポイントはよく分からない。

 岩礁が張り出していて、いかにも釣れそうな場所にアンカーを下ろした。生きたアジを泳がせ、アオリイカに食い付かせる。食い付けば数分待ち、糸に「ヤエン」という掛け針を通して海中に送り込んで引っ掛けるのだ。結構難しい釣法である。

 釣り始めて20分くらい経っただろうか、フリーにしているリールから激しく糸が出た。イカがアジに食い付いたのだ。「もう勘弁してくれ」と言いたくなるほど、走られた。イカを驚かせないよう手前に寄せてくるのは容易ではない。

 寄せては走られ、走られてはまた寄せる。息詰まるような一進一退は、アオリイカ釣りの醍醐味でもあるが、心臓に悪い。この時期は、長く伸びた藻との闘いでもある。イカが藻の中に逃げ込めば、万事休すである。だから、多少強引に、イカを藻の上まで引き上げておかなければならない。ヤエンを入れるのはその後だ。

 手元から20mほどの距離に寄ってきた。イカはそこそこ浮いているはず。ヤエンを投入することにした。ヤエンは糸にぶら下がるようにして進んで行く。糸を張ったり、緩めたりすると、ゆっくりだが前に進む。やっとヤエンが海中に入った。そろそろヤエンがイカに到達しているはずだ。

 少し斜めに合わせを入れると、竿先が絞り込まれ、重量感が伝わってきた。よし、掛かったと思ったが、竿をあおってもビクともしない。イカが藻の中に逃げ込んだか、ヤエンの針が藻に引っ掛かったかのどちらかだろう。こんな時の落胆は、筆舌に尽くし難い。

 強く引っ張れば糸が切れ、イカはもちろん、1500円もしたヤエンも失うことになる。こうなったら、イカとの根気比べをしてやろうと思った。ただこれまでの経験からして、成功の確率は数%だろう。それでも数少ないチャンスを何とか生かしたい。

 10分くらい経った。直接糸をつかみ、引っ張ってみた。何となくだが、糸の張りに弾力を感じた。イカが藻から出たのかもしれない。余分な糸を巻いて、竿の弾力でイカを引き出すことにした。すると、イカは逃げようとして走った。ヤエンに掛かっているのは間違いない。引きは強いが、これ以上糸を出せば、また藻に引っ掛かる。

 強引に寄せた。黄色味を帯びたイカが姿を現した。墨を吐いて逃げようとする。逃がしてたまるかと、玉網を入れた。イカに身をかわされ、また潜ぐられた。やっと網に入ったアオリイカは、贔屓目に見て1・5キロほど。藻の中から引きずり出せたのは、大げさではなく、奇跡に近い。天に昇るような気持ちだった。

 それから1時間ほど、まったく当たりがない。次第に、先客が釣った場所はここだったのだろうかという疑心暗鬼が湧いてきた。場所を替わることにした。そこでも当たりがないので、半時間もしないうちに、また場所替わり。もはや疑心暗鬼のかたまりのようになり、4回もポイントを替わった。

 午前10過ぎから風が吹き出し、退散することにした。結局この1杯だけに終わったが、幸運に恵まれて手にしたものだ。それなのに、もっと釣りたいと欲を出し、ポイントの情報も信じられず、疑心暗鬼になって走り回った。空回りである。まだ修行が足りない・・・。

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由良湾でガシラ釣り・・・女房との勝敗は

 生石高原で山の暮らしを再開させて間もない先週土曜日、満を持して今シーズン初のボート釣りに行った。もちろん女房同伴だ。場所はホームグラウンドの由良湾で、ガシラを狙う。釣り場に向かう軽トラの助手席では、女房が神妙に目を閉じているが、頭の中ではあれやこれや釣りのことが駆け巡っているに違いない。

 何度も書いているが、私は女房に釣果で連敗中である。3連敗や4連敗はよくあることだが、10連敗以上となると、笑って済まされない。釣りの経験も実績も、女房は私の足元にも及ばない。それなのにこのザマである。まぁ、下手くそと言われればそれまでだが、それにしても、女房が時折見せる見下すような視線は気に食わない。

 それだけに、年が改まった今回の釣りには期するものがある。女房には感度の良い竿を使わせているが、私のは先が折れて短くなったものだ。「弘法筆を選ばず」との例えあり、私の技量で何とかなると達観していたが、そんな楽観論では現状を打開で出来ないと思い直した。そこで、30年ほど前に買った竿を引っ張り出し、これで心機一転、女房をやっつけることにした。

 釣りの本題に入る前に、書いておきたいことがある。釣りは「一にポイント」、「二にポイント」、「三、四がなくて、あとは運」というのが釣り歴40年のたどり着いた至言である。技量も大切だが、魚のいない場所に釣り糸を垂れていても、千年経っても釣れないのは当たり前。だから、仕掛けをポイントに入れるのが大切なのだ。

 巨人の長嶋さんは、3塁から1塁へ送球したあと、右手をヒラヒラさせるパフォーマンスが好きだった。あの気持ちがよく分かる。私も低いライナーで仕掛けを思った場所にキャスティングした時、思わず手をヒラヒラさせたくなる。ボートからのガシラ釣りでは正確なキャスティングは必要ないが、それでも釣りも美学である。

 それが女房はどうだ・・・。投げれば、あっちゃにポチャン、こっちゃにポチャン。その度に女房は「あっ、しもた」「ま、いいか」などと笑い、反省の色がない。しまいには、リールから糸が出ず、針から外れた餌だけが飛んでいく。普通20mほど先に投入するのだが、女房は竿の弾力を使う方法を会得出来ず、腕を押し出すように飛ばすから、見るからにみっともない。

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 さて、釣りの本題に入ろう。由良湾は天気予報通り、ベタ凪だ。しかし、ピンポイント予報によると、11時前後から風速5mの風が吹くらしい。そうなれば白波が立ち、4時間ほどしか釣りが出来ない。それを覚悟で来たのだから、それまで全力を尽くそうと思う。

 いつもの岩礁地帯にアンカーを入れ、サバの切り身を針に刺し、仕掛けを海底に下ろした。釣りは5か月ぶりだから、胸が高鳴る。しかし期待とは裏腹に、2、30分経っても当たりがない。海水に手を入れると、少しひんやりする。魚の食い気を促すほどの水温でないのかもしれない。女房に「余り期待するなよ」と、クギを刺しておいた。

 この場所を見切り、海底に大きな起伏があるポイントに移動した。磯際に向かって30mほど仕掛けを飛ばした。10秒ほど経った時、グィという引きが伝わってきた。すかさず竿をはねあげ、合わせを入れた。手元に魚の手応えがあった。慎重にリールを巻いていると、海中に赤い魚影が見えた。ガシラである。スーパーで買えば600円はする中型だ。

 しかしここでの当たりはこの一度だけで、移動することにした。実はこの時、ここで風が吹けば釣りは終了となり、1対0で私の勝ちが確定するという思いにとらわれた。「貧すれば鈍する」という言葉がある。貧しければ、心も貧しくなるという名言だが、私もその類の一人である。人間追い込まれると、本心が出る・・・。

 その後、沖の島まで遠征し、さらに2か所で竿を出したが反応なし。結局、元のポイントに帰って来た。するといきなり女房がガシラを釣った。次もまた女房が釣った。相変わらず、あっちにポチャン、こっちにポチャンとやっている。それでも当たりを着実に拾い、数を伸ばし、結局女房は6匹釣った。大きな声では言えないが、私は3匹。

 天気予報の通り、11時前に強い風が吹き、白波が立ち出した。せめて僅差の勝負で終わりたかったが、この波ではもはやこれまで。この日は水温が低く、まだガシラの活性は低い。防波堤には7、8人のアオリイカ狙いがいたが、坊主のようだった。海釣りはあと少しで本格シーズンに入るはずだ。

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 夜は囲炉裏端にガスレンジを持ってきて、ガシラと山菜の天麩羅をした。なるべく女房と目を合わせず、釣りの話題も避けた。女房が釣った一番大きいガシラを譲ってもらったが、美味しくて悔しい複雑な味がした・・・。

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山の生活を再開・・生石高原

 朝5時半ごろ、目が覚めた。一瞬、大津の自宅かと思ったが、ロフトの窓から見慣れた森の木々が見え、そうだ、生石高原の山小屋に移って来たのだと合点した。目覚めた時、今なぜ自分がここにいるのか分からないことがよくあるが、それと同じだ。

 やがて、「ツツピー」、「ツツピー」というシジュウガラの鳴き声がにぎやかに聞こえてきた。しばらく耳をすましていると、ウグイスなどさまざまな野鳥のさえずりも聞こえる。街中と違って、山の朝は実ににぎやかである。

 階下に降りてデッキに出ると、わが家の常連客とも言えるヤマガラがすかさず一羽飛んできた。ヒマワリの種を餌台に置くと、一つくわえて近くの梢に止まり、器用に中身を食べている。続いて2羽、3羽とやって来る。長らく留守をしていたが、ヤマガラは餌をくれる私をちゃんと覚えていたのだ。

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 昨年12月5日から、高原の寒さを逃れて大津の自宅に帰っていたが、今こうやって4か月ぶりに山小屋生活を再開させた。まんが悪いことに、山に上がった11日と翌日の12日は冬のような天気だった。外に出していたバケツの水が薄く凍っており、気温は1度だった。

 寒いけれど、山桜は今が満開だ。若葉と一緒に花を咲かせる山桜は、ソメイヨシノより花の数が少ないものの、日本古来の風雅を感じさせる。西行法師が「願わくは花の下にて春死なむ」と詠んだ桜は、山桜だったはず。往生際の悪い私には、そんな気分になれないが・・・。

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 引越しの荷物を解く手を休め、生石高原へ散歩に出た。草原では3月に山焼きが行われたらしく、今はススキの新芽が10センチほどに伸びている。ふと、逆U字型をした緑色の芽が見えた。ワラビである。もう出ているのだ。よく探さないと見つけられないが、それでも30分ほどで10センチにも満たないワラビがひとつかみほど採れた。

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 わが山小屋が誇るタラの大木は、新芽が膨らんでいた。1週間もすればもっちりしたタラの芽が食べられそうだ。木が太いので、芽は大きくふっくらしており、天麩羅にして塩で食べれば最高だ。

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 コシアブラも鮮やかな新芽が顔を出していた。こちらも1週間ほどで食べられるはずだ。天麩羅にすれば、独特の香ばしさがある。お隣さんの畑には、山ウドの芽が1本だけ出ていた。わが家の敷地にも山ウドが自生しており、株の周りを見てみたが、まだ芽は出ていなかった。山菜の女王山ウドが食べられる日は、そう遠くない。

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 間もなく山菜採りで忙しくなる。水ぬるみ、魚釣りも行かねばならない。女房もやる気満々だ。ボート釣りでは、女房に10連敗以上の惨敗ぶりだ。今年こそ勝ちたいが、どうなるやら。これからも、ボケ防止のため山の生活をレポートしたい。どうか、駄文にお付き合いを・・・。

外国人が押しかける中山道の宿場町

 
 この春、しばしばJRの「青春18キップ」のお世話になった。特急や新幹線を除く電車なら、1日乗り放題で2370円というお得なキップだが、これを考えたJR職員はなかなかの知恵者だと思う。知恵というのは乗り放題のことではなく、1枚ずつバラ売りせず、1冊5枚綴りにしたことだ。

 春夏冬の学校が休みの期間、鈍行電車に乗れば一目瞭然だが、18キップを利用するそれらしき旅行者の多くは中年以上の夫婦である。夫婦が1冊買って1泊2日の旅行をすると、1枚余ってしまう。もったいないので、もう1冊買って旅行したいと思うのが人情だろう。このように、もう1冊買わせるのが知恵者の狙いだったと思えて仕方がない。

 私たち夫婦は、18キップが使える春休みの期間中、長野県の善光寺と湯田中温泉へ1泊2日の旅行をした。1枚余ったのでもう1冊買い、今度は2泊3日で山陰の温泉へ旅行に行った。そして、余ったキップ2枚を使い切るため、日帰りで木曽路を歩くことにした。5枚綴り2冊分で合計2万3700円。ずいぶん遠くまで、何度も旅をさせてくれたので、何だかんだ言っても有難いキップだ。

 木曽路を歩いたのは、4月5日だった。ネットをつなぐWIFIの契約期限が切れたので、この旅のブログをアップするのが遅くなったが、そのころは多くの地域で桜が満開になっていた。桜並木を歩きながらJR大津駅へ向かい、午前6時前の快速電車に乗った。米原駅と名古屋駅で乗り継ぎ、岐阜県の中津川駅に着いたのは午前9時44分だった。

 ここから中山道の馬籠宿行きのバスに乗った。最初に乗り込んだのはわれら夫婦だが、しばらくすると外国人が次々乗ってきた。大きなリュックをかついでおり、若者のカップルもいれば、家族旅行の人たちもいた。アジア系は一人もおらず、青い目の西洋人ばかりだ。外国人の数を数えてみると、全部で25人、日本人は私たち夫婦ともう一人の3人だけ。バスは満席だった。

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 馬籠宿に着くと、これまた驚いた。平日なのに、土曜、日曜のようなにぎわいだ。しかも西洋人の旅行者が圧倒的に多い。他の観光地では中国、台湾、韓国などアジア系が目立つが、ここでは少数派だ。もちろん日本人も少なくはないが、図体が大きく、派手な装いの西洋人はどうしても目立つ。彼らに古い町並みを通し、日本への理解や興味を深めてもらうのはいいことだ。
 
 昨年の訪日外国人は、ほぼ2000万人だった。私たちは1年のうち8か月を和歌山の山奥で生活しているので、外国人の多さを実感することはない。冬の間だけ大津に戻っているが、たまに京都に出かけると、確かに外人観光客は多かった。しかしそれは、京都が観光の中心地だから別に不思議に思わなかった。ところが木曽路に来てみて外国人の多さに驚き、日本人にしか分からないと思っていた地方の伝統や文化が大きな観光資源であることに、遅まきながら気付かされた。

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 馬籠宿に来るのはこれで3度目だが、歩いてその先の妻籠宿に行くのは初めてだ。約8キロの道のりで、その三分の一は結構急な上り坂。これを上り切ると、後はだらだらとした下りが続く。沿道には椿が多く、花が散り始めていた。椿の花は根元からコロンと落ちるので、首を落とすようなこの花は武士にとっては縁起がよくない。そんな花が、中仙道を往来した参勤交代の時代にも植えられていたのか、少し気になった。

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 木曽ヒノキに囲まれた沿道には民家が点在し、庭先にはスイセンなど様々な花が咲いていた。かなり昔のことだが、江戸末期に日本を旅した英国人女性の紀行文を読んだことがる。そこには、花が咲き、掃除が行き届いた民家の庭先の美しさが、驚きとともに記されていた。英国といえばガーデニングの国だが、そんな国の彼女が日本の素朴な美に感動していたことに、へぇー、そんなものかと思った。

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 歩き始めて3時間ほどで妻籠宿に着いた。中仙道には六十九の宿場があり、妻籠は江戸から数えて四十二番目の宿場だ。馬籠は明治時代に家並みが全焼し、その後復興されたが、妻籠宿の人たちは宿場を守るため、「売らない、貸さない、壊さない」という住民憲章を制定し、江戸時代の町並みを守ってきたという。その一角にある蕎麦屋で昼食をとり、再び鈍行電車に揺られたて家路についた。座りっ放しで、尻が痛かった・・・。

山陰の名湯を行く・・・世界遺産

 旅行2日目は、俵山温泉の旅館のご主人に車で長門駅まで送ってもらい、萩に向かった。萩は明治維新の象徴的な地で、定番の松下村塾や伊藤博文の家などを見て回った。長州といえば、戊辰戦争の後も会津藩にひどい仕打ちをした。会津と新撰組に心を寄せる私にとって、子供じみているが、この地にやや含むところがある。

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 私は初めてだが、女房にとっては3度目の訪問だ。40年前、友人と旅行し、毛利家菩提寺の東光寺を訪れたという。墓所が印象的だったらしく、もう一度行ってみたいと言った。墓所には藩主や夫人、家臣の墓が500基余り、まるで中国の兵馬俑のように立ち並んでおり、なるほど壮観だった。このスケールはさすが雄藩毛利家だ。女房は当時一緒に旅をした横浜の友人に、写真を撮ってメールを送っていた。

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 萩を見物した後、山陰線の赤い電車に乗って東に向かう。益田で乗り換え、さらに東へ進み、浜田駅に着いた。ここは、島根県石見地方で最も大きい地域だろう。乗り換えの時間があったので、駅前を散策した。

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 街のあちこちに石見神楽のポスターが貼られていた。私はポスターの写真に大きな衝撃を受けた。写真の撮り方がうまいのかもしれないが、石見神楽は人々を古代に引き戻す力があり、魂を揺さぶるものがあるように思う。神楽そのものをまったく知らなかったので、なおのこと、新鮮に映ったのだろう。

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 石見神楽は、室町後期にはすでに演じられていたという郷土芸能で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。一般的な神楽とは違って、軽快で激しい囃子と舞いが特徴だという。古事記にも出てくるような神話や平家物語が演じられ、大蛇(おろち)、日本武尊などが登場する。いずれ石見を再訪し、何としても神楽を観てみたいと思った。

 さて、この日に行く温泉である。ここまで来たのだから、有名どころでは玉造温泉と言いたいが、そうではない。ヒントは「銀」である。このあたりで「銀」と言えば、言うまでもなく石見銀山だが、ここに温泉はない。

 石見銀山は「銀山遺跡とその文化的景観」として世界文化遺産に登録されている。 実は私の無知だが、銀山、つまり銀を掘った坑道や精錬所が世界遺産だと思っていた。そうではなく、銀山とそこに連なる町並みが、江戸時代、明治時代そのままに保存されていることだと知った。

 同時に遺産登録された町並みは、ここから何キロも離れた港町こもある。北前船が寄港した「温泉津(ゆのつ)」という港で、精錬した銀を運び出した。温泉津といえば、もちろん「温泉津温泉」である。ここにも、江戸や明治の建物がそのまま残り、銀と温泉によって栄えた街である。

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 かなり昔から、この温泉地を訪れてみたいと思っていた。大学の1年後輩に温泉津出身の男がいた。学生運動やヒッピーの全盛期、多くの若者が肩までの長髪だったが、この男は高倉健さんのような角刈りだった。出身地を聞くと、「島根のゆのつですわ」と答えた。温泉に津と書いて「ゆのつ」という読み方が、妙に頭の片隅にこびり付いていたのだ。

 JR温泉津駅から歩いて15分ほどの所に温泉街があった。若者好みのチャラチャラした雰囲気はなく、ここもやはり昭和の香りが漂う日本家屋の旅館が軒を連ねる。俵山温泉の項で書いたが、温泉学の松田忠徳博士が作った全国温泉番付によると、温泉津は西の小結であり、知る人ぞ知る名湯である。

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 夕食前に、「薬師の湯」という外湯に出かけた。明治5年、山陰地方で大地震があり、湯が湧き出したのがこの薬師の湯で、日本温泉協会が全項目でオール5を付けたほどの最高基準の天然温泉だ。湯は含土類塩泉という種類で、確かに少し塩気がする。免疫力アップの効果があるという。湯は黄土色に濁り、湯船の周りは溶け出した石灰で波打っていた。

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 私たちが泊まった旅館では、割烹店から飛び出してきたような料理が並んでいた。女房は大喜びだったが、私のような男はお袋の味の方がいい。小芋の煮っ転がし、地元の魚やヒジキの煮物、山菜の胡麻和え・・・。最後にプリンなどのデザートなどが出てくると、うーんとうなってしまう。男のわがままだろう。

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 翌日は石見銀山を見学した。観光客の半分くらいは電動式の自転車をレンタルしていた。これなら楽チンだろうが、われらは健康志向派、歩け、歩けだ。史料によると、銀山で働く人は、鉱毒が原因なのか、30歳くらいまでしか生きられなかったらしい。何事にも光と影があるが、この影の部分は重い。

 2泊3日の温泉めぐりは終わった。温泉博士が最高位に選んだ俵山温泉、銀山の関係者や北前船の船乗りでにぎわった温泉津温泉。どちらも少し時代に置いて行かれた雰囲気があるが、それがまた味わいであり、お湯も風景も心にしみた。もう一度来たいと思った・・・。

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山陰の名湯を行く・・・水素の湯

 中国地方にある二つの温泉を巡る旅にでかけた。計画は、女房がパソコンの前に何日も座り、電車の時間、バスの時間を組み合わせて作り上げた。ジグソーパズルのような根気のいる作業だ。交通の便の悪い所へ行くので、スケジュールがひとつ狂うと、旅館到着が深夜になることもある。道中、女房に尻をたたかれながら旅をすることになった。

 午前6時過ぎ、JR大津駅を新大阪に向けて出発した。ここで新幹線の「こだま」に乗り換え、広島まで行く。鈍行電車で行けば、時間がかかり過ぎ、ゆったり温泉にも入れない。女房は、「こだま」を1週間前に予約すれば、6割り引きというお得な乗車券を見つけた。これで目的地までの時間を縮めることができる。

 広島駅から先は鈍行電車で、青春18キップの出番だ。広島でアナゴ弁当と幕の内、もちろんビールも買い、のんびりした旅に備えた。電車の左側に瀬戸内海の美しい景色が過ぎて行く。やがて岩国駅に到着、ここで乗り換えてさらに西へ進んだ。昼前になるともう我慢しきれず、弁当を開いた。持参していたマグカップにビールを注ぎ、電車旅の醍醐味を楽しんだ。

 ほろ酔いになった頃、厚狭(あさ)駅に着いた。ここで美弥線に乗り換え、日本海側に向けて北上した。友人がこの冬、ミステリーツワーとい旅行社の企画に参加した。目的地を知らされずに旅を続けるもので、どこへ行くか分からないわくわく感が売りだそうだ。これに倣って、このブログでもぎりぎりまで温泉地を書かない。もったいぶっているわけではなく、興味を持ってもらおうという健気な趣向である。

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 さて、これから向かう温泉地とは・・・。

 ヒントの一つ目は「水素」である。水素は原子番号が1番で、もっとも小さく、軽い原子である。だから体によく浸透する。最近「水素水」を謳う商品が流行しており、肌に良いとか復元力に優れているというのが宣伝文句だ。このように、ここの温泉はまれにみる高濃度水素で、効能は著しいと聞く。

 二つ目のヒントは、安保法を「戦争法」と言い換える人たちが行きたがらない温泉だ。昭和の妖怪と呼ばれた岸信介は、戦犯で収容されていた巣鴨プリズンから釈放された後、この温泉で1年ほど療養生活を送っていた。その後総理になって日米安保条約を結んだ。その孫である安倍晋三総理もまた、昨年、新しい安保法を制定した。安倍さんもこの温泉をこよなく愛し、テレビ出演までしたほどだ。

 電車はひなびた農村の中を走り、厚狭駅から1時間ほどで長門湯本駅に着いた。駅の近くにある湯本温泉は有名だが、残念ながらここではない。半時間ほど待つと、バスが来た。われら夫婦と地元の婆さんを乗せ、峠を越え、山あいの道を走ること半時間、ようやく目的地に到着した。その名は「俵山温泉」。高層のホテルなど1軒もなく、昭和が色濃く残る温泉街である。

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        ↓ 時間通り乗り合いバスが来た
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 ここに、全国温泉番付がある。これを作ったのは全国2500の湯を渡り歩いた評論家の松田忠徳さんだ。その西の横綱が、何を隠そう「俵山温泉」なのだ。よくあるご当地温泉のランク付けではなく、ちゃんとした学術的なものだそうだ。ちなみに東の横綱は、山形県月山に近い肘折温泉である。7年前に行ったことがあるが、お湯の良さはもちろん、山菜の朝市が印象的だった。

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 俵山温泉は、療養泉として古くから親しまれてきた。泉源を保護するため湯を二つの共同浴場に集中させており、湯治客や地元の人はここに通うらしい。共同浴場は「白猿の湯」と「町の湯」があり、われらはまず、下駄をカランコロンと響かせ、白猿の湯に行った。無色透明で、少しぬるめ。肌にまとわりつくような湯だった。

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 ここの真打ちは、何と言っても「町の湯」である。夕食後と翌朝の2回、お湯を堪能した。ここも無色透明。地下深くから自然に湧き出す湯を直接入れ、掛け流しにしている。湯は高濃度の水素水で、体にじわり浸透する。夫の手を借りて入浴していたリウマチ患者は、10日ほどすると自力で入浴したという。伝説ではなく、実話だそうだ。

     ↓ ここの「町の湯」が俵山温泉の真打ち
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 私事で恐縮だが、私の母はリウマチだった。毎日、「痛い」「死にたい」と泣いていた。もっと早く俵山温泉を知っていたら、ひと月でも、1年でも湯治をさせてやりたかった。湯につかりながら、そんなことを思った・・・。

                                                             (次回に続く)

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