薪ストーブを焚く・・・鮎の有田川は濁流

 台風10号が北上した30日朝、いつものように5時ごろ布団から出た。ロフトの窓から外を見ると、北寄りの風が木々の枝を揺らしていた。階下に下りてテレビの前に座ったが、ひどく寒い。玄関先にぶら下げている寒暖計を見に出ると、14度しかなかった。

 薪ストーブに火を入れることにした。つい先日、煙突掃除をし、ストーブ本体もきれいに磨いた。薪はいつでも燃やせるよう室内に運び込んである。炉に薪を積み、杉を細く割った焚きつけの上に着火剤を置き、火を付けた。うまく燃え上がり、次第に暖かくなった。

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 今回は、西日本の上空に寒気が入り込んだため、気温が下がったらしい。この時期にストーブに火を入れることはほとんどなく、近年では4年前の8月31日がこれまでで一番早かった。まだまだ残暑は厳しく、ストーブを本格的に使うのは10月に入ってからだろう。

 それにしても前日の29日は雨がよく降った。屋根に当たる雨音でテレビの音声が聞こえないくらいだった。気になるのは、有田川の水位だ。高ければ鮎釣りは不能だが、それよりも困るのは、鮎の餌となる石の珪藻が濁流によって飛んでしまうことだ。

 珪藻が削り取られると石は白くなり、川底が白く見える。これを白川と言い、珪藻の付いていない石に鮎は縄張りを作らないから、白川になると釣れなくなるのだ。川の濁りが取れ、珪藻が付き出すまで1週間ほどかかる。

 バケツをひっくり返したような降り方だったので、大方の予想はついたが、それでも自分の目で川を見ておきたかった。山道を15分ほど下り、二川ダムに出た。ダム湖を目にした瞬間、絶望的になった。水は黄色く濁っていた。

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 さらに下流に走ると、ダムから物凄い量の水が放出されていた。川幅は通常の倍以上も広がり、濁流が岩を噛んでいた。私が通うポイントには岩が点在するが、それも水面下に隠れていた。鮎はこれほどの大水でも流されることは少なく、岩などの反流する場所を選び、難を逃れているはずだ。

 馴染みのオトリ屋さんに寄ってみた。オヤジさんは老眼鏡をかけ、鮎の仕掛け作りに余念がなかった。「あかんなぁ」と声をかけると、「当分、あかんやろねぇ」と返してきた。オヤジさんは鮎やアマゴ釣りの名手であり、いい加減な情報を言わないから信用が置ける。「新アカ(珪藻)が付いたら、入れ掛かりやでぇ」とうれしいことを言ってくれた。

 家に帰り、デッキに出て紀淡海峡を眺めた。遠く紀ノ川も黄色く濁っており、濁流は太い帯びのようになって海峡に流れ出していた。おそらく、和歌山県の大きな河川は、鮎釣りが全滅だろう。川が回復するまで、せいぜい英気を養っておこう・・・。

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やっと釣れ出した有田川の鮎・・・鬱憤晴らす34匹

 鮎の釣行記を書くのは、今シーズン初めだ。ホームグラウンドにしている有田川はまったく不調で、釣りに行くのがアホらしくなっていた。ちなみに、これまで3回釣りに行ったが、釣果は全部合わせてもたったの9匹、うち1回はゼロだった。こんな釣果では、ブログを書く気にならなかったのだ。

 有田川で本格的に釣れるのは、お盆明けからだ。河口で生まれた海産の鮎が成長し、縄張りを持ち始めて追い出すのだ。肌がきめ細かで、天然遡上の鮎にふさわしい。他の河川ではそろそろ終盤に差しかかるが、有田川は10月いっぱい釣れる。半分負け惜しみだが、有田川の鮎釣りはこれからなのだ。

 リオ五輪が終わり、暇つぶしも兼ねて鮎釣りに行くことにした。不調だったこれまでのポイントを敬遠し、これより1キロほど下流に入った。残暑が厳しく、川の水は生ぬるい。このポイントには先客3人がいたが、釣れないのか下流に場所替わりして行った。川が静かになるので、内心しめしめと思った。

 20分くらいすると、15センチほどの鮎が釣れた。大きくはないが、魚体は真っ黄色だ。このような鮎は縄張り意識が強く、侵入者を蹴散らすほど戦意が高い。オトリをこれに換え、少し泡立つチャラ瀬に入れた。オトリはツ、ツーと上流に泳いだ瞬間、ピンクと黄色の目印がぶっ飛んだ。

 針に掛かった鮎はオトリを引っ張って対岸に走った。竿を立てると、今度は下流に走った。2歩、3歩下って引きに耐えた。流れの緩い所に誘導し、一気に引き抜いた。玉網に飛んできた鮎は推定18センチ。程よい大きさで、1年ぶりに味わう鮎釣りの醍醐味である。

 その後は、13センチほどの小さな鮎が結構混じった。このサイズは何とかオトリとして使えるので、釣れた鮎をオトリに使う循環が途切れることはない。午前中に20匹近く釣れ、気分がいい。普段は午前中だけで釣りを終えるが、この日はそれほど疲れもなく、やる気満々だ。ポットに入れたお湯でカップ麺を作り、午後に備えた。

 釣れるポイントの本命は、水深が20センチ~30センチのチャラ瀬だと判断した。このような場所で泳いでくれる鮎は元気でなくてはならない。そこで、午後は大きな岩の周りで良型を確保することにした。運よく18センチクラスが3匹釣れた。これを曳き舟に納め、チャラ瀬に移動した。ここは全長40メートルほどで、バレーボールほどの石が入っている。

 しばらくすると、空が暗くなってきた。目印が見えにくいほどだ。幸い雷は鳴らず、まずは安心だが、いつ雨が降り出してもおかしくない。しかし、爆釣劇はここから始まった。鮎は雨を予感して活性化したのか、それとも淵に溜まっていた鮎が大挙して瀬にはみ出したのか・・・。ひとシーズンに幾度もない入れ掛かりが始まった。

 チャラ瀬にオトリを入れ、竿を立てるともう掛かっている。オトリを替え、足元から泳がすと、3メートルほど前方の石裏から鮎が飛び出してきて掛かった。オトリが野鮎に追われ、水面から飛び出すこともあった。よく掛かる範囲は10メートル四方という狭い範囲だった。釣れる鮎は定規で測ったように18センチ前後で、引きはすこぶる強かった。

 釣れた鮎を入れておく曳き舟は10メートル以上も上流に石を置いて沈めてある。釣れてからそこへ走るのがこれまた大変。蹴躓いて転びそうになったり、息が切れたりし、もう休む暇がないのだ。曳き舟を手近な場所に移せば済む話だが、その時間が惜しかった。

 やがて、顔にぽつんと大きな雨粒が当たった。南の空に黒い雲が湧き上がり、頭上に迫っていた。そして雨は、あっという間に来た。まるでスコールだ。雨粒が顔に当たると痛い。入れ掛かりの真っ最中なので、釣りを終えるのは残念だったがやむを得ない。竿を仕舞っている間にずぶ濡れになり、川を渡り、道を走ってやっと車にたどり着いた。

 午後からは14、5匹の入れ掛かりで、息つく暇がなかった。釣果は計34匹。これまでの貧果の鬱憤を一気に晴らすような釣りだった。そしてようやく天然鮎の美味を楽しむことが出来た。塩焼きの他に、鮎の炊き込みご飯も作った。はらわたの苦味が独特で、食味をそそった。夢のような入れ掛かりを思い出しながら、キンキンに冷えたビールを流し込んだ・・・。

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リオ五輪が終わった・・・ちょっと虚脱感

 リオ・オリンピックが終わった。毎日テレビを見て興奮していたので、今は虚脱状態である。と同時に、テレビからアナウンサーの絶叫が消え、やれやれといった気分でもある。これ以上競技が続くと、体に悪い。

 それにしても、よく泣いた。もともと涙もろい「体質」だが、加齢とともにさらに涙腺が緩み、女房に馬鹿にされるほどティシュを使った。しかし、泣いたはずの選手の名前が余り思い出せないのだから、世話はない。

 一番泣かせてくれたのは、バドミントン「高松」ペアの金メダル。大逆転勝利でコートに倒れ込んだ姿に目頭が熱くなった。二番は重量挙げの三宅選手。バーベルに頬ずりした仕草から万感の思いが伝わってきた。三番は銅メダルのカヌー選手。あの男泣きにもらい泣きした。

 銅メダリストには二つの顔があった。銅メダルを手に取り、喜ぶ選手がいる反面、金を目指していたから銅は不本意だとあからさまに不満を口にする選手もいた。柔道選手に多かった。お家芸だから金で当たり前というのは、分からぬではないが、飴玉はいや、チョコレートがいい、と駄々をこねる少女みたいに映った。

 銅メダルへの不満は、金メダリストに対する敬意に欠けているように思う。ある外国人の女性選手は、表彰台に上がってまで泣き続けていた。実力不足を悔いているのか、不運を嘆いているのか・・・。大きなお世話だろうが、潔さこそスポーツマンシップだ。

 ところで、入れ墨を入れた外国人選手たちが目立った。誤解を恐れずに言えば、気持ち悪かった。ブラジルのヒーロー、ネイマールなどは首から背中まで総身入れ墨だ。飛び込み競技の中国女子選手は、首から背筋に沿ってお経のような漢字が彫られていて、おどろおどろしく思った。

 入れ墨を「タトゥー」と言い換えると、多少ファッションとして受け入れられるが、しかしそれでも素肌を見せるスポーツ選手にふさわしいとは思わない。日本人には、親からもらった体を傷つけるという罪悪感が潜んでおり、ヤクザ者、犯罪者、アウシュビッツなどを連想してしまう。NHK五輪番組の主題歌を歌っていた安室奈美恵は入れ墨で有名だが、こちらは歌手だから堅いことは言わない。

 閉会式では、安倍総理がサプライズで登場し、小池東京都知事はゴールドの帯をきりっと粋に結び、五輪旗を振った。さすがサマになっていた。4年後は東京だ。4年が長いか、短いか・・・。年寄りにとって、楽しみはなるべくゆっくり来てもらいたい。そして、元気でその時を迎えたい。

 

 

土倉鉱山の廃墟を訪ねた

 お盆、墓参りのため女房と娘2人を連れて帰郷した。その帰り、滋賀の湖北地方をドライブしていたところ、長女が「廃墟ツアーしてみる?」と言った。特に行くあてもなかったので、廃墟とやらに行くことにした。長崎の軍艦島が世界文化遺産に登録され、一気に廃墟ブームに火が付いたようだ。娘も多分、そんな付和雷同派の一人なのだろう。

 その廃墟は、「土倉鉱山」の跡だ。明治40年に発見され昭和40年まで銅を採掘していた。最盛期には1500人もの労働者が働いていたという。北国街道の宿場町・木之本から国道303号線を車で半時間ほど走ると、道路の左側に鉱山跡の看板が立てられていた。滋賀と岐阜の県境に近い山中だ。

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 国道を左折して未舗装の細い道を300mほど進むと、いきなり古代遺跡のような廃墟が姿を見せた。鉱石を選別していた建造物で、コンクリートで造られていた。急な山の斜面にへばり付いており、三階建ての構造だ。1階部分には、直径2m近い土管のようなものが埋められており、ここに水を流して選鉱していたのだろうか。

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 ここからさらに1・8キロほど歩くと、もう一つの選鉱跡があるらしく、娘らを残して一人で歩いた。その途中に坑道跡があり、入り口は鉄柵で封鎖されていた。左側を流れる谷川のせせらぎを聞きながら、ひたすら歩いた。この日も真夏日で、汗が噴き出した。やっとそれらしき場所に到着したが、「関係者以外の立ち入り禁止」の看板。へなへなと座り込みたくなった。

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 ここへ行く途中、アメリカ人の一行6人と出会った。日本で英語教師をしている一家で、廃墟ファンだという。帰りには、若いカップルなど4人とすれ違った。なるほど、廃墟ファン、廃墟マニアが多いのだ。全国に多くの廃墟があるが、土倉鉱山跡は隠れたスポットらしく、結構な人気だという。

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 草木が生い茂る鉱山跡を歩きながら、芭蕉が奥の細道の平泉で詠んだ一句を口にしてみた。「夏草や兵どもが夢の跡」・・・。平泉は藤原三代が栄えた地だが、芭蕉が見た平泉は夏草が生えて往時の面影がない。一族の兵(つわもの)どもが追い求めた夢もまた、はかなくついえた。明治から昭和にかけて活気みなぎった鉱山の跡は、私にも寂しく映った。

 「国破れて 山河あり」・・・杜甫が詠んだ詩の一節である。唐の長安は、戦乱によって滅んだが、美しい山河は昔のままだという哀歓がこもっている。苦しいこじつけになるが、ここ湖北地方も戦国の戦乱によって蹂躙されたけれど、自然の美しさは変わらない。土倉鉱山の廃墟もまた風景に溶け込み、ある種の美を醸していた。

 廃墟からは感傷が生まれる。それが廃墟マニアの心を打つのだろう。人の命と同じで、形あるものはいつかは壊れる。滅びの美学である・・・。

旅する蝶・アサギマダラが帰って来た!

 朝の涼しいうちに薪を作っておこうと、わが山小屋の裏で丸太を割っていた。作業がひと区切りついたので、ベンチに腰かけ一服していた。すると、玄関先で蝶が舞っているのが見えた。もしかして、あの蝶かも・・・そんな思いが頭をよぎった。

 そっと玄関先に近づくと、蝶は物置のブルーシートで羽を休めていた。間違いなく「アサギマダラ」だ。羽は茶色に縁取られ、真ん中が薄いブルーである。アサギは、浅黄、浅葱とも書き、新撰組の制服の色に近い。実に美しい蝶である。

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 玄関のドアをそっと開け、家の中に駆け込んでカメラを手に取った。そして、日記をつけていた女房に「アサギマダラが帰って来た!」と興奮気味に知らせた。女房も驚き、一緒に玄関を出た。

 蝶はまだ玄関のあたりをヒラヒラ舞っていた。私たちが現れるのを待っていたように、ぶつかりそうになりながらまとわりついてくる。何とも人懐っこく、愛くるしい。ネオン街の蝶もこれほど友好的ではなかった。

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 4年ほど前、アサギマダラを取り上げたテレビ番組が放映されていた。これを見てすぐ、山小屋に飛来するあの蝶だとすぐ分かったが、それまで名前も生態も知らなかった。ただ、去年は姿を見せなかったので、どうしたのだろうと思っていた。いや、来ていたのかもしれないが、気付かなかっただけかもしれない。

 姿の美しさはもちろんだが、それよりも、この小さな体で2000キロも旅する健気さに感動する。涼しい日本の高い山で過ごし、秋になると暖かい台湾や南西諸島、八重山諸島、遠くは香港あたりまで移動するというのだ。海上で台風に遭遇したら、どうするのだろう。神秘的な蝶でもある。

 蝶を捕まえ、捕まえた年月日、その場所をマーキングして放す活動が各地で行われ、生態が分かるようになっている。2000キロを旅するというのも、そんな活動で裏付けられた。今までのところ南下の最長距離は、三重県松阪市から沖縄の与那国島まで直線距離にして2246キロとのことだ。

 アサギマダラは、好んでフジバカマの花の蜜を吸う。山小屋には、女房が友人からもらったフジバカマを植えていたが、誤って草刈り機で刈り取ってしまった。それでも、敷地の「シモツケ」の花に止まっているのを見たことがある。もっとアサギマダラが来てくれるよう、好物のフジバカマを栽培しようと考えている。

 この日飛来したアサギマダラは、朝8時半ごろから正午前まで山小屋の周りを舞っていた。何が気に入ってこれほど長く居続けたのだろう。森の涼しい風が気に入ったのかもしれない・・・。

蝶ケ岳を中止・・・乗鞍、御岳山へ

 北アルプスや南アルプスを抱える甲信地方の梅雨明けは、平年より1週間遅れの7月28日だった。山の天気は、梅雨明けから1週間ほどが最も安定するので、北アルプスの蝶ケ岳(2677m)に登るため、この日を今か今かと待っていた。

 梅雨明け翌日の29日には、生石高原の山小屋から女房とともに大津の自宅に向かい、ここで好天になるのを待った。しかし、今年の甲信地方の夏はすっきりしない天気が続いている。北海道の東側上空に居座る高気圧から冷たい風が吹き、天気を不安定にしているらしい。

 土曜、日曜は山小屋が混雑するので、月曜の8月1日に出発、その日のうちに上高地から徳沢まで歩くことにした。3日前の予報だと、この日は曇り時々晴れ。しかし次の日の予報では、晴れ、もしくはか雨という変な予報だ。

 そして大津を出発した朝の予報を見ると雨マークである。日ごとに変わる天気予報に振り回され、もうどうでもよくなっていた。女房と車の中で相談し、蝶ケ岳登山は中止し、その代わり乗鞍岳の頂上に近い畳平までバスで行くことにし、バスセンターがある高山市の朴の木平駐車場に向かった。

 道中は雨で、飛騨の山々は霧に包まれていた。朴の木平に車を止め、バスに乗り換えた。乗鞍スカイラインを走り、畳平まで約45分だ。森林限界を越え、ハイマツ帯に入ると、低く垂れていた雲の上に出たのか、青空が見え出した。尖がった最高峰の剣ヶ峰(3026m)が美しい姿を見せていた。

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 駐車場で登山靴の紐を締めていると、年配の夫婦に話しかけられた。これまでたくさん山に登ったが、高齢になった今は手軽な山を歩いているという。ご主人は何と83歳。「勇気をもらった」という変な日本語は使いたくないが、大いに励まされた。近年、何事につけて億劫になる自分を反省した。

 剣ヶ峰の頂上に向けて歩き出した。平均的なコースタイムは1時間半だ。火山で出来た山らしく、登山道には噴石がごろごろ転がっている。右手には、青い水を湛えた火口湖の権現池が見えた。一気に急坂になり、さすが標高3000mともなると空気が薄く、息苦しい。やがて鳥居をくぐり、頂上に着いた。

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 残念ながら、槍ヶ岳や穂高連峰は雲に隠れて見えなかった。頂上に10分ほど留まり、下山を始めた。30分ほど下ると、時折雷が鳴り、小雨も降り出した。すると女房が走り出した。雷嫌いは知っているが、全力で走っている姿を見て、笑ってしまった。

 後で知ったのだが、岐阜県のこのあたりには雷や大雨洪水の注意報が出されており、私たちが頂上に向かっていた時間帯だけ真空地帯のようになっていたのだ。雄大な山岳絶景が見られ、実に幸運だった。この夜は、平湯温泉の定宿に泊まり、広々とした露天風呂で雨に打たれながら湯に浸った。

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 翌日の2日は御嶽山へ行くことにした。御岳の7合目あたり、標高1800mの原生林の中に秘湯「濁河(にごりご)温泉」があり、女房は以前から是非行ってみたいと言っていた。ここにはミネラルいっぱいのお湯が湧き出し、もちろん源泉100%の掛け流しだ。

 濁河温泉には午前10時ごろ着き、時間もあるので、飛騨頂上(2798m)の五の池小屋を目指して歩き出した。御嶽山(3067m)では2014年9月、登山者58人が犠牲になるという戦後最悪の火山災害が起きた。現在も9合目以上の入山が禁止されている。登山同好の端くれとして、犠牲者に黙祷した。

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 張り切って歩き始めたが、小雨が降り始め、木道で滑って転びそうになった。だんだんと気力が萎え、1時間ほど登って引き返すことにした。帰りには、少し横道に入り、仙人滝を見に行った。落差30mの見事な滝だ。少し硫黄の匂いがした。この下流にも白糸の滝というのがあった。御岳の一帯は滝の名所だ。

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 濁河温泉の宿に入り、さっそく温泉に入った。御嶽山の地中から湧き出すお湯は少し黄色がかっており、これが「濁河」の由来なのだろう。浴室の向こうには、トウヒやダケカンバの鬱蒼とした原生林が広がっていた。

 その森の光景に見とれていると、白い光とともに、すさまじい雷鳴が天から降ってきた。窓ガラスが震え、浴室の電気が消えた。すぐ近くに落ちたに違いない。天が近いためか、雷のスケールは半端でない。そしてそのすぐ後、また落ちた。キン玉は縮み上がり、電気の消えた浴槽で膝を抱えながら、御嶽の怒りに身をさらした・・・。

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