柚子が三つ・・・

 生石高原の山小屋から、2か月ぶりに大津の自宅に立ち寄った。小さな庭は草ぼうぼうになっていた。その片隅に植えてある柚子の木に実が三つ付いていた。これまでに実を付けたのは、確か3回目である。

 十数年前、柚子の木の苗をホームセンターで買って植えておいた。すぐにでも実が生(な)ると思っていたが、10年以上も沈黙していた。それもそのはず、古来から「桃栗3年、柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大バカ18年」と言われたらしい。

 「18年」は大げさかもしれないが、何とも気の長い話である。和歌山では古座川が柚子の産地として有名で、山の斜面にへばりつき、たわわに柚子を実らせているのを見たことがあるが、そんな長い年月が必要だとは思わなかった。

 「桃栗3年・・・」の後に続く言葉が傑作である。「女房の不作は60年、 亭主の不作はこれまた一生、あーこりゃこりゃ」だそうだ。女房の不作も気の毒だが、亭主が一生不作と言われれば立つ瀬がない。

 柚子の木の隣にあるブナは、葉が黄色に染まっていて、実に美しかった。このブナは20数年前、京都府南丹市美山町にある京都大演習林「芦生の森」をトレッキングした時、落ちていたブナの実を100個ほど拾い、自宅の庭で生育させたものだ。

 3本だけ芽が出て庭に植えたが、大きくなり過ぎたのでやむなく1本だけにして育てた。幹の太さは両手の指の輪と同じくらいで、高さは8mほどだ。女房は、ブナの根が水道管などに巻き付くので伐れと言うが、極寒の地でもない大津で育つ健気さを思うと、そんな気分になれない。

 さて、今年の冬至は12月21日だ。その頃には大津の自宅に帰り、冬季限定の生活をしているはず。冬至にはカボチャを食べて柚子湯に浸かるのが日本古来の慣わしで、今年実を付けた柚子を風呂に入れようと思う。柚子の強い香りが邪気を払うらしいが、是非そうあってもらいたい・・・。

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桃印のマッチ工場が撤退・・・

 ちょっと気になる新聞記事を見つけたのは、9月下旬のことだった。全国紙の経済面の片隅に、「マッチの製造販売から撤退」の見出しが付いていた。1段見出しのいわゆるベタ記事である。その小さな扱いが、マッチ産業の衰退を表していた。

 マッチ箱やラベルを収集するマニアがいるらしいが、私にそんな趣味はない。ただ、小さい頃からマッチを使っていたし、4年前までタバコを吸っていたので、マッチのお世話になっていた。マッチに火がついた時、鼻にツンと抜けるあの刺激臭が好きだった。

 山の中で生活しているので、マッチは必需品だ。週に1、2回は焚き火をしているが、ライターで火をつけようとすると、風向きによって火が親指を直撃し、火傷しそうになる。風が強くてライターを長くつけたままにする時も、金属部分が加熱して危ない。マッチはその点便利だ。軸が燃える間に紙などを載せれば、簡単に燃えてくれるのだ。

 薪ストーブの薪を燃やす時は着火剤を使うが、焚きつけの下に置いた着火剤に火をつける時も、軸が長いマッチは便利なのだ。わが家の石油ストーブはアナログタイプで、マッチで火をつけている。爪楊枝や耳かきの代用になるのはもちろんである。仏前に供える線香やロウソクに火を付けるのもやはりマッチだろう。百円ライターでは何か気まずい。

 マッチ産業が撤退するというベタ記事は、昭和がますます遠ざかるようで寂しかった。真っ先に浮かんだのは、桃のマークのラベルだ。桃の他にも燕、馬、象などのデザインも記憶に残っているが、赤地に真っ白の桃の図柄はほのぼのとしていて好きだ。これらは明治時代から変わらず使われているそうだ。

 製造と販売から撤退するのは「兼松日産農林株式会社」で、国内最大のマッチメーカーだ。淡路島に工場があるが、施設の老朽化で撤退を決めたという。製造は来年3月まで続けられるそうだ。同社商標の桃や燕、馬の図柄は譲渡先の会社に引き継がれるというから、まずは安心である。

 撤退の記事が載った直後、徳用マッチの買いだめをしようとネットで調べたが、何と売り切ればかりだった。特に、桃の図柄はやはり人気のようだ。その後、あちこち調べてやっと注文することが出来、先日、桃印の徳用3箱が届いた。

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 今にも桃太郎が生まれてきそうな桃の図柄に、「品質優良」のレトロな文字がいい。わざわざ「MADE IN JAPAN」の文字が印刷されていることからみて、戦前の輸出の花形だったことがうかがえる。現在もマッチの9割が兵庫県産だそうだ。神戸港に近く、原材料も輸入しやすかったからだという。兼松日産の工場が淡路島というのも納得できる。

キノコは便秘の良薬

 ここ生石高原の森は、一夜にして紅葉が始まった。「一夜」とは大げさだが、しかし今年は秋が短く、いきなり晩秋が到来したようなものなのだ。山桜は紅葉する前に強風で葉が散ってしまったが、黄色から赤色までのグラデーションが美しいウリハダカエデは例年になく鮮やかだ。

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 木々が色づき始めると、キノコ栽培の樹木を伐採する時期だ。私たちが暮らす森では道路に覆いかぶさる樹木の伐採が行われており、わざわざキノコ用の木を伐らなくても、道路沿いから集めればホダ木は十分な量になる。

 キノコの種類によって樹種は異なり、シイタケやムキダケ、クリタケはコナラが最適だ。ナメコはサクラ、カエデがいい。ここの森にはどの樹種も豊富に自生している。集めてきた原木を長さ90センチほどに切りそろえ、ドリルで開けた穴にキノコの種駒を打ち込む。これが原木栽培のホダ木である。

 木はいくらでもあるので、欲を出し過ぎ、70本ほど持って帰った。シイタケは2か月ほど乾燥させるが、それ以外は生木に種駒を打ち込むことにしている。木の本数に合わせて種駒をネットで注文したが、例年より3割り増しの1万円ほどになった。でも、2年後の秋にはキノコがたくさん出てくるので、安いものである。

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       ↑ 木槌でトントンと種駒を打ち込む

 最近、キノコは便秘の良薬だと改めて認識させられている。汚い話で恐縮だが、私はかなりの便秘症である。ところが、10月中旬にナメコを初収穫して以来、クリタケ、ムキダケ、ヒラタケなどキノコを口にしない日はなく、便通は極めてよろしいのだ。

 キノコの食物繊維質がいいのかもしれないが、繊維質の食べ物なら他にいくらでもある。何か秘密がありそうに思うが、どうだろう・・・。

かき餅は昭和の味・・・

 先ごろ、友人がかき餅を送ってくれた。かき餅はそもそも、鏡餅を薄く切った煎餅のようなものだ。今の若い人で本物のかき餅を知っている人はごく少ないと思う。むしろ、「おかき」と呼ぶ方が一般的だろう。

 鏡開きは地方によって異なるが、正月が開けると神仏に供えていた鏡餅を下げ、かき餅を作るのが日本の風習であり、正月開けの風物詩でもある。昔はそれぞれの家で餅をつき、鏡餅を作っていたが、今はスーパーなどでパック入りの小さな鏡餅を買うことが多いだろう。

 郷里のわが家では、昭和の終わりごろまでかき餅を作っていたように思う。餅を切るのはなかなかの力仕事で、男の仕事だから私も手伝っていた。包丁は、両端に木の柄が付いた特殊な刃物で、どこの家にもあったはずだ。これに体重を乗せて押し切りにするのだが、刃が跳ねることもあり、危ない目にあったこともある。

 友人がかき餅を送ってくれた時、まず最初に餅を切るあの刃物を思い出した。わが家の包丁は、片方の柄に虫食いの跡があり、反対側は柄がとれて布が巻いてあった。布の柄が手のひらに食い込み、痛い思いをしたことも思い出された。友人のかき餅は厚さが2、3ミリと薄く、餅を薄く切る便利なアイテムを使ったのだろう。

 火鉢を囲み、家族でかき餅を焼くのは楽しいひと時だった。親父が言っていたことを懐かしく思い出す。「乞食は餅やかき餅を焼くのが上手だ。乞食は早く食べたくて、裏返したり表にしたり、小まめに世話するからだ」。それが本当かどうか知らないが、乞食の気持ちは分かる気がする。

 わが家には小さな囲炉裏があるので、炭を熾し焼いてみた。友人は凝り性なので海老風味、カレー風味など様々に味付けしており、なかなか味わえない懐かしい味だった。

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干し柿200個、北風に吹かれて熟成中・・・

 半月ほど前のこと、地元産品を売っている有田川町の「どんどん広場」という店で、女房が干し柿用の柿の品定めをしていた。そこへ、70歳前後と思われる3人の男性もやって来て干し柿談義を始めた。そして、その内の1人が「去年はここで200個買ったが、全部失敗して捨てた」と話した。

 確かに、私たちのような素人には、干し柿作りは難しい。何年か前まで毎年干し柿を作っていたが、青カビを生やしてしまい、失敗を重ねていた。噴霧器で焼酎を吹っかけるなど手を尽くしたが、やはり駄目だった。

 こんなことを何年も続けて馬鹿らしくなり、干し柿作りをやめてしまった。ところが去年、農家の好意でヒラタネ柿を採らせてもらうことになり、これを干し柿にした。すると、叶匠寿庵やたねやの和菓子に勝るとも劣らない絶品に仕上がったのだ。

 今もって成功の原因は分からない。ただ、霧の日が少なかったように思う。わが家は標高800メートルを超す山の上に住んでいるので、雲に覆われる日が多い。これが青カビの元凶なのだろう。しかも、寒気の日が続き、これも良かったのだろう。これまでの経験から、朝の気温が15度以下にならないと良い具合に仕上がらないと推測出来た。

 去年の成功体験に気を良くした女房は、俄然やる気を出したようだ。夜なべで皮をむき、柿の蔕(へた)を紐でくくる。そんな根気の要る作業を繰り返し、これまでに3次にわたって干している。第1次は名前を知らない渋柿を50個干した。種があり、1個25円だった。ネットで調べたところ、「皮をむいたら熱湯に5秒浸す」と書いてあったので、その通りにした。

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 キリッとした北風が当たる軒下に吊るした。雨の日は家の中に移した。女房はこの柿をもみほぐすのが日課である。柿は次第に黄色からあめ色になり、1週間もすれば食べられた。もっちりした干し柿はすこぶる甘く、カビも生えず大成功だ。

 第2次は、100個を「どんどん広場」で買い、吊るした。種なしのヒラタネという種類で、去年成功したのと同じ種類だ。1個8円と格安である。ほっぺが落ちるほど甘い。そして第3次は同じヒラタネ50個で、こちらはひと回り大きく、1個20円だ。

 干し柿は全部で200個吊るした。柿はこのところの冷え込みで熟成を増している。私は軒下に吊るすのを手伝うだけで、後は温かく見守るだけだ。女房がここまで情熱を燃やすのは、干し柿食べたさその一念だろう・・・。

落花生は酒飲みの友・・・豆炒器で極上の味に

 落花生は、酒飲みの友である。私もこれがないと、何となく口が寂しい。いつの頃からか、本当に美味しい落花生が少なくなった。中国産が輸入されるようになり、安さに対抗するため国産もレベルが低下したのだと思う。農薬汚染の心配もある中国産を食べるのは論外だが、本命の千葉産は値段が高い割りに、それほどの味でない。

 ピーナッツと落花生は同じだろうか。植物学的にはよく分からないが、ピーナッツと言えばバターピーナッツくらいしか思い浮かばない。ピスタチオやアーモンドなどと一緒に袋に入っていて、酒コーナーに百円均一でぶら下げてある。こんな物をかじるくらいなら、塩をなめるほうがいい。

 そんなに文句を言いたいなら、自分で栽培すればいいと言われそうだが、実は今年から落花生の栽培を再開したのだ。20年くらい前まで、女房が大津の自宅近くに借りていた畑で栽培していたが、畑を返上して以来、栽培しなくなっていた。その時の落花生は実に美味しかった。

 5月ごろ種を播いた。1週間ほどすると芽が出始めた。株の数を数えると40株あった。1株で20個採れれれば、800個も収穫できる計算だ。夏ごろ、黄色のきれいな花が咲いた。牛糞を入れているので土は栄養たっぷり。幹も太くなった。10月下旬ごろ、葉が少ししなびたので、収穫時期だろう。

 株の根元を持って引き抜くと、網目がはっきりした殻がいっぱいぶら下がっていた。ひとつ割ってみると、ピンク色の大きな実が入っていた。申し分ない出来である。葉っぱを付けたまま軒下で10日ほど乾燥させた。殻を振ってみると、カラカラという音がし、乾燥完了の合図だ。

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 私は殻付きの落花生を買ってきて、そのままでも食べられるが、これを炒って食べることにしている。その方が香ばしくて美味しいのだ。玉子焼き器で炒っていたのだが、焦げ付かせてしまい、女房に怒られた。今は新しい玉子焼き器を買い、古いのは落花生専用として使っている。

 私の小さい頃、家には丸い網が上下二つに割れる網があった。これでカボチャの種を炒って食べたのが懐かしい。栗や銀杏、ムカゴも炒った。あれが欲しいと思い、ネットで調べるとあった。マルカという会社から豆炒器として1263円で売られており、すぐ注文した。昔のものは網が丸みを帯びていたが、機能は同じだから満足だ。

 今日か明日にでも株から落花生の殻を取ろうと思う。殻付きのまま豆炒器に入れ、薪ストーブで炒ってみるのが楽しみだ。網の中でカラカラという音をたてて転がし、殻が少し焦げれば出来上がり。その味は、誰が何と言おうと、極上のはずだが・・・。 

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光明皇后と出会う・・・法華寺十一面観音

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 新聞の文化面に小さな記事を見つけた。奈良の法華寺で、秘仏の十一面観音が公開されるという。またとない機会なので、女房とともに奈良へ向かった。

 何年か前、井上靖の小説「星と祭」を読み、十一面観音に興味を持つようになった。小説の舞台は北近江で、ここには戦国時代の戦火をくぐり抜けた十一面観音がキラ星のごとく点在し、その多くが集落の人々の篤い信仰によって守られてきた。小説では、琵琶湖で遭難した娘の父親が、娘の姿と重ねるように十一面観音を巡拝する姿が描かれている。

 北近江の数奇な運命を辿ったこれらの観音菩薩を訪ねる私の小さな旅は、2013年の年末から始まった。これまでに小説に登場する十一面観音の多くを巡り、今は国宝に指定されている7体の十一面観音を巡拝している。残すは、大阪・道明寺と今回訪ねた法華寺だけとなっていた。

 法華寺は静かな住宅街の中にあった。平城宮跡のすぐ東側で、歩いてもたいしたことのない距離だ。このあたりは平城京の昔、権勢を誇っていた藤原不比等の広大な邸宅があった場所らしい。

 不比等の娘の光明子が土地を相続し、ここに法華寺を開基したとされる。光明子は聖武天皇の妃で、皇族以外の人が皇后になる先例となった。法華寺は各地に建てられた国分尼寺の総本部である。ちなみに総国分寺は大仏さんの東大寺だ。

 小さな山門をくぐって境内に入った。拝観料は1000円。いくら秘仏といっても少々高い。左手に十一面観音を本尊とする本堂があり、その甍(いらか)は唐代の様式なのだろう。優美な姿である。

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 靴を脱いで本堂に入ると、中は意外と狭く、50畳くらいかもしれない。秘仏公開とあって10人前後が座り、神妙な顔つきで拝観していた。秘仏は想像していたより小さく、高さは1m。史料によると、カヤの一木造りで、色彩が施されない。それがこの観音さんの魅力の一つだろう。ただ厨子の中は薄暗く、前に身を乗り出してもよく見えないため、少し物足りなかった。

 ひとつ皮肉を言わせてもらえば、同じ国宝で最高傑作とされる北近江・向源寺の十一面観音像は、至近距離から360度ぐるっと回って拝観できる。このため一番後ろにある「暴悪大笑面」も拝見できる珍しい展示形態だ。観音さんの慎み深い表情には感動するが、それとは真逆の邪悪な大笑面は一見の価値がある。なお、拝観料は300円である。

 不信心者の皮肉はさて置いて、私はご本尊を拝見してガンダーラの石像に似ていると思った。私のような素人の直感など当てにならないが、実は、それは当たらずとも遠からずだった。パキスタン北部のガンダーラ地方から派遣された「問答師」という仏師によって、平安時代初期に彫られたのだという。どこかガンダーラの気配を感じても不思議ではなかった

 観音さんのモデルは、光明子と伝えられている。昔、この時代の本をよく読んだことがあり、その多くは、光明子について貧困や病気の弱者に手を差し伸べる慈悲深い人として描かれていた。反面、父の不比等は持統天皇に近づき、藤原一族の隆盛を築いた有能な人物だが、権謀術数の人物として強調する本も少なくなかった。気の毒ではあるが、歴史には必ず明暗が宿る。

 法華寺で十一面観音像の写真を三枚買った。厨子の中が暗かったので、今はその写真をまじまじと見つめ、目に焼き付けている。光明子ゆかりの像というだけで、限りなくイメージが広がる・・・。

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