エジプト・・・5000年の歴史にため息が出た

 エジプト旅行の2日目は、いよいよ古代エジプト5000年の歴史に足を踏み入れる。観光への出発まで時間があったので、ホテルからピラミッドに向かって散歩することにした。10分ほど歩くと鉄柵のようなものがあり、そこから格子越しに巨大なピラミッドが見えた。

 砂ぼこりのためか、少しかすんでいた。エジプトは国土の90%が砂漠らしく、砂ぼこりは日常的な光景なのだろう。ピラミッドの背後にも砂漠が広がっており、アラビアのロレンスがラクダにまたがり、疾走する映画のシーンと重なった。

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 そのラクダについてだが、ちょっとした余談がある。関西空港に帰ると、入国審査カウンターのあたりに「ラクダに乗った人、触った人は申し出て下さい」という貼り紙があった。ラクダと一緒に夫婦で写真を撮ったが、それほど親密な接触はなかったので、そのまま外に出た。

 しばらくして、気になることを思い出した。1ドル払ってラクダと写真を撮った際、私のカメラは性能が悪いので、添乗員がシャッターを押すまで少し時間がかかった。するとラクダが鼻先を私の首のあたりに押し付け、「ブル、ブル」と変な音を出した。思えば、その時鼻水が飛んだかもしれず、あれはヤバイかもしれない。

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 ピラミッド付近がかすんでいたため、予定が変更になり、先にエジプト考古学博物館を見学することになった。ホテルはナイル川の西岸、博物館は東岸にあり、バスでの移動には渋滞でかなり時間がかかる。カイロは慢性的な渋滞で、クラクションの音がすさまじい。

 やっと辿り着いた博物館の展示は「凄い」の一語に尽きた。ここはツタンカーメンの博物館としても有名で、誰でもが知っている黄金のマスクが展示されているほか、歴代ファラオ(王)たちの彫刻、棺、ミイラなど古代エジプトの全容を伝える文化財が所狭しと展示されている。

Tutanchamun_Maske[1]

 博物館の前庭には、紀元前の古代エジプトの彫刻があちこちに置かれいた。日本人からすれば無防備、無造作と思えるほどの展示で、手で触るのも自由だ。

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 館内に入ると、まず1階には「これでもか」というほど彫刻が展示されている。ツタンカーメンの部屋を除き、全館で写真撮影が許されている。日本の博物館では、カメラを構えたら係員が飛んできて怒られる。

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 古代エジプトについてまったくの無知だから、あれこれ偉そうなことは書かない。ただ、下の写真3枚のように、左足を前に出している像は生きている人物、両足がそろっているのはすでに亡くなっている人だそうで、これは古代エジプト入門のイロハらしい。

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 ツタンカーメンの黄金マスクもそうだが、ファラオたちはみなアゴに奇妙なものをぶら下げている。あれは何だろうと思っていたが、年末に京都で開かれていたエジプト展に行き、それが付け髭であることを教えてもらった。神はアゴ鬚を生やしていたと信じられており、神を真似することで「神の永遠の支配力」にあやかりたいという表れなのだ。

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 1階の中央あたりに「ロゼッタストーン」の複製が置かれていた。ファラオたちの付け髭のことも知らない私だが、ロゼッタだけはそれなりに知っている。吉村作治というエジプト博士のテレビ番組で知ったのだと思う。ロゼッタは1800年ごろ、古代エジプトの首都メンフィスで発見された石版だ。紀元前200年ごろに文字が刻まれたものという。
 
 つまりその頃、古代エジプト文字を読み書きできる人物が存在していたのだ。石版には、同じ内容の文章が古代エジプト文字、ギリシャ文字など三種類の言語で書かれていた。もしこれが見つかっていなければ、古代エジプト文字を解読することが出来なかったと言われる。エジプトの至宝だが、イギリスの大英博物館に収蔵、展示されている。

 ところで、旅行から自宅に帰り、たまっていた新聞に目を通していると、韓国の地方裁判所が韓国人窃盗団によって対馬の寺から盗まれた仏像について、日本側に引き渡さなくてもよいとの判決が載っていた。理由は「盗難や略奪などの不正な方法で対馬に安置された」というものだが、その証拠は何ひとつ示されていない。

 法律より国民感情を優先させるとんでもない判決で、反日色の強い韓国マスコミでさえ疑問を投げかけていた。国連で文化財の返還をめぐり様々な論議がなされており、エジプトもロゼッタの返還を求めているかもしれない。しかし、韓国裁判所のような奇妙な判決が出たという話は聞かない。もし、大英博物館が外国の文化財の返還に応じれば、収蔵庫は空っぽになるだろう。

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      ↑ ロゼッタストーンの複製

 次は博物館の2階を見学しよう。ツタンカーメンの別室には、未盗掘の墓から見つかった若きファラオの黄金マスクや棺、遺品の数々が展示されており、ここだけ写真撮影が禁止されていた。

 ツタンカーメンは紀元前14世紀のころの王で、幼くして即位し、統治期間は9年とされている。ミイラが残っているのでDNAや血液型、さらには足の病気を患っていたことが分かっている。使用の形跡がある杖が130本も見つかっており、ツタンカーメンは杖にすがり、足をひきずっていたのだろう。死因には諸説あるらしいが、毒殺が有力との事。王位をめぐる権力闘争が熾烈だったのかもしれない。

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       ↑ ミイラが納められていた純金の厨子のようなもの

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 何年か前、台湾の故宮博物院に行き、最も人気のある「翠玉白菜」を見た。高さが20cm足らずの小さな彫り物だが、形といい、色合いといい、白菜そっくりだ。これを見るためには長い列に並ばなければならず、やっとガラスケースの前に辿り着いても後ろから押され、わずか10秒か20秒くらいしか見ることが出来なかった。

 それに比べ、ツタンカーメンの黄金のマスクの前には人だかりがなく、ぐるり四方からゆっくり見ることが出来た。ケースの前に誰も人がいない時さえあった。マスクの知名度は、台湾の白菜よりは数段上だと思うが、要するに観光客が少ないので混雑しないのだ。テロの脅威や政情不安を象徴的に表す光景だと思った。

                                                          (続く)
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エジプト・・・初めてのアラブ世界に触れて

 ナイル川のほとりにヤシの木が数本、その木陰で旅するラクダが体を休め、砂漠の向こうにピラミッドが天を衝いている・・・。エジプトと言えばこんな風景をいつしか頭に刻んでいる。多分、幼少期に見た絵本の残影だろう。

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 そんなピラミッドの国に行ってみたい思っていたが、女房から格安のエジプトツアーがあると聞いた時、一瞬戸惑った。関西空港を飛び立つ飛行機はトルコのイスタンブールに向かい、ここで乗り換えてエジプトのカイロに行くが、トルコもエジプトもテロの多発地帯だ。外務省はレベル1の渡航情報を出し、注意を呼びかけている。

 しかし、行くことにした。危険はあるが、まさか自分たちに限ってという安易な気持ちがある。災難というものは天から降ってくるもので、旅行に行かずとも、道を歩いていてビルから外壁が落ちてくるという運命的なものもある。もう、わが人生それほど思い残すこともないし、万一の時に備えて旅行保険にも入った。

 深夜に関西空港を飛び立ったトルコ航空は、一路イスタンブールへ向かった。トルコまでは13時間半ほどの長旅だ。そこからカイロまでさらに2時間余り。計16時間近くかかるが、エジプトは一見の価値があるから、多くの日本人がピラミッドの国を目指すのだろう。

 実は、関空のトルコ航空カウンターに衝撃的な貼り紙があった。関空-イスタンブールは週7便運行されていたが、2月からすべてを運休するという告知である。テロの続発で旅行者が減り、採算に合わないのだろう。その証拠にわれらが搭乗した飛行機は空きが目立ち、3席を独占して寝る人もいた。

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        ↑ 今月いっぱいで関西空港からこの翼が消える(トルコ上空)

 カイロ市内を歩いていていると、添乗員がリッツカールトンホテルの高層ビルを指差し、「ごく最近、売却されたらしい」と言った。これも観光客の減少が引き金になったのだろう。観光地の各所では自動小銃を手にした警官が警戒しており、人が集まるショッピングモールでもセキュリティーチェックが行われていた。厳戒態勢は観光立国としては当然のことだろう。

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       ↑ リッツカールトンも売却されたらしい

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 中東のアラブの国に入るのは、今回が初めてだ。まったくと言っていいほどアラブ人のことを知らないし、イスラム過激派ISのように怖いイメージがあるだけだ。エジプトで見た彼らは大きな声でしゃべり、まるで喧嘩しているみたいである。でも、肩を叩き合い、握手を繰り返し、笑い声は闊達で、笑顔は人懐っこい。

 スカーフで頭髪を隠すヒジャブをまとうアラブの若い女性は、目が大きく、顔の彫りが深い。世界の事情にうとい私が感想を言うのはおこがましいが、どんな民族よりも美しいと思った。肩が触れた時に見せた笑顔もこれまた見たことのない艶っぽさで、卒倒しそうになった。ただ、中年以上の女性の下半身はズバリ偉大であった。

 目だけを出すニカーブという服装は何度もテレビで見ているが、実際にすれ違うとドキッとする。テロの切迫に怯えるフランスやドイツでは、メッシュで目元を隠すブルカという服装を禁止する風潮が強い。女性たちはお洒落もしたいだろうが、それよりも信仰という精神性を重んじるのだ。敬虔な彼女たちを目の当たりにして、不気味と思ったことを恥じた。

 現地ガイドに連れられてカイロの町を歩いた。

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落花生

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 どこからかコーランの祈りの声が聞こえてきた。あのくぐもった大音響こそ、イスラム圏に足を踏み入れた実感だ。名前は忘れたが、二つのモスクを見学し、二つ目のモスクの中に入った。3、400人ほどの人たちが聖地メッカの方向にひざまずき、礼拝していた。

 女性が中に入るには、スカーフを頭からかぶるか、すっぽり体を覆う緑色のマントのようなものを借りなければならない。女房は持参のピンク色のスカーフをかぶった。夜鷹などとふざけたことは言わないが、怪しげであった。緑色のマントをまとった女性たちもまた、魔法使いの女のいでたちだ。

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      ↑ 女房のピンクのスカーフは怪しげ・・・

 時間を数時間前に戻す。イスタンブールからカイロに向かう機中で、窓際に座っていた女房が「見えた、見えた。カメラを」と私の体をつついた。首を捻じ曲げて後方を見ると、確かにピラミッドが三つ見えた。下の写真では分かりにくいが、画像の右下に陰影のある正四角錐のピラミッドがある。

 生まれて初めて見るピラミッドだ。なるほど向こうに砂漠が広がり、手前には市街がすぐ近くにまで迫ったいる。事前に学習した通りのロケーションだ。これを見るために13時間半の旅を続けてきた。

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 その夜は、ナイル川西岸のギザにある大きなホテルに泊まった。中庭にはプールがあり、部屋も広い。ベランダに出ると、ピラミッドが二つ見えた。砂ぼこりのためか少しかすんで見えるが、ともかく大きい。うれしくなってビールを買いに行き、女房と乾杯した。明日はもっと近くで見ることが出来るのだ・・・。

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                                                           (続く)

年は取っても純愛はいい・・・三島由紀夫の潮騒

 私の部屋の壁紙を張り替えるため、別室に運び出していた書籍を本棚に戻す作業をしている。思い出のある本を手にすると、ページをめくったり、読み返したりして、作業は遅々として進まない。

 そんな時、ふと手にした本が「三島由紀夫全集」だった。昭和46年12月の発行だから、30歳前後に買った本だろう。「潮騒」「金閣寺」「憂国」など代表作10編が収められている。多分、そのうちの3、4編くらいしか読んでいないと思う。

 そもそも純文学というのは、肩が凝ってどうも苦手である。しかし「潮騒」は、すらすら読めたような記憶がある。齢を重ね、あの甘酸っぱい青春の純愛小説がやけに懐かしく、その場に座り込んで読みふけった。

 小説の舞台は、伊勢湾に浮かぶ歌島(実際は神島)という小さな島である。漁業を手伝う18歳の青年は、父親の都合で養女先から島に帰された少女と出会う。やがてお互いは惹かれ合い、恋仲となった。いじらしいほどの純愛物語である。

 改めて読み返すと、三島由紀夫の美学の何たるかが少し分かった。青年が外航船に乗った時、台風の海を泳いで船をロープで固定し、危機を救ったことがある。それは強靭な肉体がもたらした結果であり、彼の心はかつてない誇りに満たされた。

 強く美しい肉体にこそ三島の美学があり、自らもボディービルで肉体を鍛え上げていた。実は学生時代、同じような男がいた。彼は、部室が並ぶ中庭でひとり黙々と木刀を振っていた。寒い日でも、上半身裸のことがあった。

 彼は熱烈な三島ファンだった。いや、ファンなどという軽いものではなく、教祖のような存在だったらしい。当時は学生運動全盛の時代で、皇国を崇めていた彼は、あの時代の異端だった。ふらふら生きていた私に対し、彼はいつも「理屈などどうでもいい。体こそ鍛えよ」と手厳しく批判していた。

 あれから何十年も経った。久しぶりに三島文学に接し、あの男はどうしているだろうと懐かしく思った。大学卒業と同時にぷっつりと消息を絶ったが、きっとどこかで師の教えに従い、国を憂いているに違いない。

 先日、全国紙の1面トップで「三島由紀夫の肉声テープ」の発見が報じられていたが、彼はこの記事を読んだだろうか。三島はテープの対談で「平和と言えばその内容は問わない。これこそが偽善だ。その偽善の根本は平和憲法にある」と語っている。あの男はさぞや得心していることだろう。

 ところで間もなくトランプ氏が米大統領に就任するが、三島由紀夫の名言を付記し、祝意を表しておこう。「現代では崇高なものが無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある」。滑稽も野蛮も、トランプ氏の辞書にはないかもしれないが・・・。

女房の深謀遠慮・・・

 春に和歌山の山小屋に戻るまで、例年のことだが、大津の自宅で過ごし、その間私は玄関脇の10畳間に引きこもっている。この10畳間は当初、お客を招き入れる部屋にしていたが、いつの間にか私の書斎にしてしまった。ホーム炬燵やソファーベッド、座椅子、テレビなどを運び込んで、これはもはや独身時代の下宿部屋である。

 女房はこれが気に入らない。「友達が来ても、お茶するのは台所。2階の部屋に移ってほしい」と、追い出しを画策しているのだ。その手始めに、部屋の壁紙が汚れているので、知り合いの業者に張り替え工事を発注。その間は2階に移らなければならず、それを既成事実化しようという魂胆である。

 確かに、壁紙の汚れはひどい。客人が来れば恥ずかしい。この家を建築してから30年になるが、その大半はこの部屋でタバコを吸っていた。友人が集まればタバコを吸って談論風発、北京の大気汚染を笑えないほどの視界不良になる。このニコチン部屋に女房が我慢ならなかったのも分からない訳でない。

 張り替え工事のため、本箱の本を移動させたが、本を立てていた所とそうでない所との汚れ具合は一目瞭然。改めて「これはひどい」と驚いた。

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 タバコの話になるが、今はタバコを吸っていない。2012年1月に禁煙を始めて丸4年になるが、わが人生で最も自慢できる決断だったと思っている。大学生の頃吸い始め、以来この年になるまで禁煙に挑戦したのは5回や6回でない。最も長く続いたのは1週間くらいで、後は朝に決断し、夕方には禁を破った。文字通りの朝令暮改・・・。

 意志薄弱な私が禁煙に成功したのは、ひとえに薬のお陰である。禁煙にあれほど苦労していたのに、あっけないくらい簡単に止められた。薬は3、4週間ほど飲み続けるのだが、最初の1週間くらいはタバコを吸ってもよい。次の週あたりから本数を減らし、私の場合は3週目に男らしく決然と禁煙した。もし薬がなければ、今も吸い続けていると思う。

 ニコチンや煙で汚れた壁紙を見ていると、肺の中も同じように汚れていると思う。禁煙に挑戦していた時、口の悪い人たちは言った。「肺の中は真っ黒。今更もう遅い」。確かに、何十年もタバコを吸い続けた肺は死ぬまできれいにならないと、聞いたことがある。禁煙したことに後悔はないが、今なお、心のどこかにタバコの誘惑に負けそうな自分がいることも確かだ。

 壁紙の張り替えが終わり、部屋は見違えるように美しくなった。早く2階の部屋からここへ移りたいが、そのためにはもっともらしい理屈をこねる必要がある。どうなるやら・・・。

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中国映画「山の郵便配達」・・・

 中国湖南省の少数民族が暮らす山岳地帯。その長く険しい道を郵便配達の父と息子が歩いて行く。父は長い間郵便配達を勤めたが、足を痛めたため一人息子に跡を継がせた。息子は最初の配達の旅に出発し、父が道案内として同行する・・・。

 これは、1980年代の寒村を描く中国映画「山の郵便配達」の場面である。つい先日、往年の名作を順次上映している「午前十時の映画祭」で女房と一緒に観た。1999年の制作で、海外の映画祭にもノミネートされた作品だ。

郵便配達

 郵便配達は、3泊しながら村々を巡回する過酷な旅であり、父親はこれを40年も続けてきた。村人との温かい交流が味わい深い人間模様として描かれていく。そんな旅のシーンには、日本の原風景に似た美しい農村風景が映し出され、心を打たれた。

 二人はある村で一人暮らしをしている老婆の家を訪ねた。老婆は目が見えず、都会に出て行ったただ一人の肉親の孫が帰る日を待ち続けている。父親は老婆を訪ねる前、息子に配達に来れば必ず立ち寄ってやってほしいと頼んだ。

 父親は、老婆宛ての封書を手渡した。彼女は封を開き、同封されていた1枚の紙幣を胸にしまうと、手紙を読んで欲しいと頼んだ。父親は「お婆さん、元気ですか。僕も元気です。なるべく早く村に帰ります」などと読んで聞かせた。

 そして息子に手紙の続きを読むよう促した。息子は手紙を見て困惑した。手紙は白紙なのだ。息子は父親の秘めた思いを悟り、続きを口にした。老婆を不憫に思った父親は長年、お金を同封して孫からの手紙のように装って届け続けてきたのだろう。

 このシーンの中ほどから、私たち夫婦は涙をこらえ切れなくなった。館内からは嗚咽の声も漏れた。中国の映画やドラマと言えば、乱暴狼藉を働く旧日本兵が登場し、しまいに人民によって撃ち殺されるというお決まりの反日映画である。悪意に満ちた反日映画があふれる中にあって、郵便配達の人情に救われる思いがした。

 この映画の主題は、父と息子の関係にスポットを当てることだ。出張や転勤で家を留守にすることが多かった父に対し、息子はずっとなじめずにいた。素直に「お父さん」とも呼べず、日本語なら「あんた」に等しい言葉を使っていた。

 そんな父と子の関係は、ともに1本の遠い道を歩く中でほぐれて行った。父は自分の人生や仕事について語り、息子は遠く離れた集落から嫁いだ母の苦労などを語る。ある時は、息子が父を負ぶって川を渡った。焚き火をして濡れた体を暖めるうち、二人の気持ちが通じ合い、息子は生まれて初めて「お父さん」と呼んだ。

 下手な文章でこのように書くと、安っぽい人情物語になってしまうが、人々は豊かな自然に抱かれてこそ寛容になれることを暗示している。中国の沿海部は工業化が進み、拝金主義がはびこっているが、内陸には美しい自然が残り、穏やかな人間社会が営まれているのだ。

 作家開高健に私の好きな言葉がある。「遠い道をゆっくりと、けれど休まずに歩いて行く人がある」。郵便配達の父と子の姿が、この短い言葉と重なり合う。この映画で、「歩く」ことの意味を考えた・・・。

「お父さん、顔が引き締まったみたい」

 つつがなく、正月三が日が過ぎた。年末から娘二人が帰省し、正月には息子夫婦と孫がやって来た。みんなが女房の手料理を楽しみ、潮が引くように帰って行った。そして再び、私たち夫婦にいつもと変わらない静かな日常が戻った。

 平成29年の新しい年を迎えても、改まって誓いや目標を立てることはない。若い頃は、禁煙を誓ったり、何か勉強しようと思ったりしたが、何一つ叶えることは出来なかった。この年になるともはや、日々の平穏を願うだけである。

 新年早々、一つ良いことがあった。帰省したばかりの息子の嫁さんが、ホーム炬燵に足を入れるなり、「お父さん、顔が引き締まりましたねぇ」と言った。嫁さんはお世辞を言うようなタイプではなく、多弁でもない。

 それだけに、「顔が引き締まった」はうれしかった。「それなら前はどうだった?」と聞くと、「うーん、どこかぼやけていたというか・・・」と率直過ぎる感想だった。「ぼやけていた」には少し落胆したが、この年になってキリッと見えるのはまことにめでたいことだ。

 彼女が私の表情や顔つきに変化を感じてくれたのはなぜだろう。女房にこのことを話すと、腹を抱えて笑い、相手にしなかった。夕食の時、私は彼女に「さっき言ったことを、みんなに聞かせてやってほしい」と言うと、娘たちは身をよじって笑った。

 苦笑なのか、嘲笑なのか、はたまたせせら笑いなのか。どれでも良いが、笑う門に福来る。正月早々、まことにめでたい・・・。

               *        *        *

      ということで、元気に新年を迎えました。今年もどうぞよろしくお願いします。




 

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