森友学園の嘘と真実・・・ある殺人事件を思い出した

 何十年も前、知り合いの弁護士から次のような話を聞いたことがある。ただ、記憶が薄れており、正確でない部分があるかもしれない。

 その話とは・・・。ある地方都市で女性が殺害され、家に放火される事件があった。警察は数日後、無職の中年男性を逮捕した。取調べに対し、男性は犯行を自供し、起訴された。この弁護士は、国選弁護人として男性の弁護に当たった。

 事件は物証に乏しく、裁判は犯行を自供した捜査段階の供述について、信憑性が争われた。弁護士は、犯行前後の男性の足取りなどについて徹底的に調べた。しかし、警察は殺害方法など犯行の核心にこだわり、弁護側のように事件の枝葉については捜査をおろそかにしていた。

 検察の供述調書によると、被告は犯行後、市内の公園のベンチで寝たとされていた。ところが弁護側によると、その夜は雨が降っており、ベンチで寝ることは考えられなかった。また、逃走経路についても矛盾が多いのに、検察側は供述を鵜呑みにしていた。

 弁護側は、供述の嘘や矛盾を列挙し、犯行の自供だけが正しいとする検察側の主張には大きな無理があると批判した。判決は弁護側の主張を認め、無罪判決を言い渡した。この弁護士は、後に弁護士会の会長を務めたほどの凄腕の人だった。

 数多くの嘘をついているのに、核心の一つだけは信じてくれと言っても、普通の人はそれほどお人よしではないだろう。今、国会で同じことが起きている。大阪の国有地払い下げをめぐる森友学園の籠池理事長の発言である。

 森友学園に天皇陛下が訪問された。安倍総理も来られた。安倍総理の名前で寄付を集めた・・・。彼の発言には嘘がいくつもあるのでいちいち覚えていないが、一番大きな問題は「安倍総理から100万円の寄付をいただいた」という証言だ。

 学園の理事長室で、安倍総理の昭恵夫人から直接、「主人からです」と手渡されたという。その際、昭恵夫人から秘書に席を外すよう言われたらしい。100万円の授受を目撃しているのは籠池理事長ただ一人である。総理も夫人も秘書も否定しているので、真偽は不明である。

 籠池理事長による多くの嘘が判明しているので、100万円の寄付はにわかに信じ難いし、心証は良くない。偽証には刑事罰が科せられる証人喚問だが、これをいくら繰り返しても証拠のない100万円授受の真相は分からないだろう。また、補助金の疑惑も理事長が証言を拒否すれば同じ結末になるだろう。

 安倍総理は国有地払い下げに関わっていたら総理も議員も辞めると言っている。野党はここぞとばかり攻勢に出ているが、今のところ決定打不足はいなめない。そもそも、籠池理事長夫婦が保守系議員や有力者に抱き付き、利用しようとする筋の悪い騒動である。マスコミは熱心だが、果たして一国の総理を辞めさせるような問題なのか、正直疑問に思う。

 保守系の人たちは、北朝鮮の核開発やEUの混迷、トランプ政権の脱線など内外に多くの問題を抱えながら、国会は何をしているのかと苦言を呈している。確かに、北朝鮮が日本に向け何発もミサイル発射しているのに、呑気な国会だとつくづく思う。与野党攻防は仕方ないとしても、「筋の悪い」騒動にいつまでも振り回されていたら、外国からも笑われるだろう。
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シイタケ収穫は空振り・・・

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 年末に伐採したコナラの原木に、シイタケ菌を打ちに生石高原の山小屋へ行ったのはほぼ1週間前だ。その時、裏の杉林に立てかけているシイタケのホダ木を見て回ると、親指の先ほどのシイタケの゛芽゛がいくつも出ていた。

 過去に苦い経験がある。こんな小さな゛芽゛だから、当分大きくならないだろうと高をくくり、10日ほど経って山小屋へ行くとみんな傘が開いていたのだ。

 だから今回は早めに様子を見に行った。すると親指の先ほどの大きさは、ほとんど変わらないままだった。遠路4時間もかけて行ったのに、がっかりした。

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 シイタケだけでなく、キノコは気温や雨の影響を受けやすいと思う。ここしばらく、雨はまったく降らず、気温もそれほど高い日は少なかったので、゛芽゛は大きくならなかったのだ。

 キノコ栽培は、つくづく難しいと思う。秋に4、5日でも留守にすると、ナメコやヒラタケはとんでもなく大きくなっていることがある。シイタケも、こちらの都合に合わせて大きくはなってくれない。

 シイタケが空振りに終わったので、山菜の様子を見て回った。フキノトウはすでに開いていて、毎年作っているフキ味噌は断念するしかなかった。山ウドの根元には籾殻を盛っているが、4月中旬には籾殻の中から白いウドを掘り出せるだろう。

 タラの芽はまだまだ硬い。コシアブラは何となく色付いているようにも見えるが、食べられるのは2、3週間先だろう。東京ではサクラが開花したそうだが、ここ生石高原で春を感じられるのは2、3週間先だろう。

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神戸散策・・・ギリシャ展、南京町、港へ

 「古代ギリシャ展」が神戸市立博物館で開かれている。NHKが後援しているので、大々的にテレビでPRしている。「すべての始まり。神話の国ギリシャ」というのがキャッチフレーズだが、このように連日宣伝されると、つい、乗り遅れちゃいかんと思うようになる。

 駅近くの自販機で通常料金より安い「昼とくキップ」を買い、大津から新快速で神戸の三宮に向かった。往復で2000円ほどだが、ちょっと外出しても交通費に結構お金がかかり、年金生活者にはきつい。

 昼前に着いたので、昼食を食べようと南京町を歩いた。春休みのためか、若者でひしめき合っていた。言葉を聞いていると、中国や香港の若者も多く、日本に来てまで中華料理でもなかろうに思った。

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 有名な豚まんの店の前は長蛇になっていた。おそらく1時間ほども待たされるのだろう。色んな店を覗いてみたが、3品、4品のセット料理を出す店が多く、安くて量が多いだけでは食指が動かない。中華は食べる気にならず、近くの鯖の専門店であんかけ料理を食べた。1000円。

 この後、ポートタワーを見上げながら神戸港を歩いた。先日、テレビでクイーンエリザベス号が入港したと報じていたので、ひょっとしたらでっかい船が見られるかもと期待したが、すでに出航していた。その代わり、大型クルーズ船「にっぽん丸」が着岸していた。海を見ていたら、和歌山の暮らしが恋しくなった。

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 次に向かうのは本命のギリシャ展だ。港から高級ブティックが並ぶ街路を歩いたが、有名ブランドにはまったく関心がない。唯一目を引いたのは、スーパーカー・ランボルギーニの展示場だ。車体の美しさはともかく、何千万もするこの車にはどんな人物が乗るのか、その顔を見てみたいと思った。

 神戸市立博物館には多くの人が訪れていた。嫌味を言えば、印象派絵画というだけで人が集まるように、ギリシャを前面に押し出し、「特別展」と銘打ってとどめを刺しているので、集客効果は抜群ということだろう。そういう私もそんな一人であるが・・・。

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 ギリシャといえば、パルテノン神殿と古代オリンピックくらいしか知らないが、その神殿の壁面にはめ込まれていた彫刻が展示されており、最初に目に入った。結構大きなもので、それを見ただけで神殿がどれほどのものか想像がつき、ギリシャへ行った気分にもなった。

 純白の大理石の彫像は美しかった。アレクサンドロス王、腰をひねった女性像、筋骨たくましい男性像・・・。紀元前のものなのに、今しがた作られたような輝きがあった。両手に魚をぶら下げたフレスコ画は紀元前17世紀のもので、今回の目玉の一つらしい。黄金の装飾品や金貨も見ごたえがあった。

 最後の展示室には、紀元前数百年のオリンピックにまつわる品々が展示されていた。ガラスケースに収められた大きな壷には、筋骨たくましいオリンピックの競技者が生々しく描かれている。アテネ周辺のアッティカ地方で作られたこの絵壷に、私の目がしばし貼り付いた。

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 実は、この時代の絵壷には浅からぬ縁がある。私が40歳のころ、ある人の紹介で男性の画商と知り合った。画商は日本人だが、ヨーロッパを拠点に現代絵画を中心に手広く取り引きをし、そのかたわら、アッティカの絵壷も収集していた。

 渋谷の松濤にある自宅に招かれるほど親しくなり、ある時、彼はこんな話をした。「ギリシャをテーマにした展覧会に絵壷が何点か展示されているが、そのうちの1点がどうも偽物臭い。この分野の女性専門家がドイツに住んでおり、彼女に写真を送って鑑定してもらっている。こんな話は興味はないか?」

 このギリシャの壷は、れっきとした公立美術館に展示されていた。彼によると、ギリシャには偽物を作る工房がいくつもあり、専門家も騙されるという話だった。テレビの「なんでも鑑定団」ではないが、美術品や骨董は魑魅魍魎が渦巻く世界だ。私も少し勉強したので、ギリシャの壷にはそこそこ詳しくなった。

 結局、この話は大きなスキャンダルになることなく、真贋は灰色の世界に埋もれてしまった。今回の絵壷との対面は、私を懐かしい時代に引き戻してくれた。自宅に帰り、女房にギリシャ展の話をすると、女房はすかさず「ギリシャに行くなんて言わないで」とクギを刺された・・・。

久しぶりに山小屋へ・・・キノコの菌を打つ

 重い腰を上げ、和歌山の山小屋に向かった。広葉樹の原木にキノコの菌を打ち込むためだ。例年2月下旬ごろ、この作業をしていたが、寒さの中で作業をするのが嫌でたまらず、先へ延ばしていた。

 この日は、和歌山の気温が久しぶりに12度を超えるとの天気予報。この機会を逃せばまた怠け心が頭をもたげ、作業はずっと先になりかねない。菌打ちのアシスタント嬢(女房)を軽トラの助手席に乗せ、京奈和道路(無料)を走った。

 天気は良かったが、道路に設置されている気温計は5度。予報に裏切られた。紀ノ川沿いに広がる桃の果樹園では、作業をする人の姿はほとんど見当たらず、桃のつぼみも色付いていない。ただ、ビニールハウスの中にはピンクの花が咲き乱れ、摘果作業が行われていた。

 山小屋のある生石高原を見上げながら、坂を上った。木々の新芽はまだ小さく、山は寒々としている。久しぶりの山小屋には異常はなかったが、階段の日陰には薄く雪があった。玄関先の温度計は1度で、バケツには氷が張っていた。兎にも角にも、薪を積み上げ焚き火をした。

 この別荘地では、昨年から道沿いの樹木の伐採が行われており、昨年末、キノコの原木になる山桜やカエデ、コナラなどの広葉樹を集め、長さ約90センチに切り揃えた。ナメコ、ヒラタケ、ムキダケの3種類は生木に菌を植えるので、12月中に作業を終えていた。

 今回は、3か月ほど乾燥させたコナラの原木にシイタケ菌を打つ。直径が10センチ前後の原木は計35本。用意した菌は1000個だから、その数だけドリルで穴を開け、トントンと木槌で菌の駒を打ち込むのだ。この日の内に作業を終えなければならないので、のんびりしてはいられない。

 私が専用のドリルで穴を開けると、女房が駒を打ち込むという夫唱婦随の作業だ。夫唱婦随とは、夫が何か言えば妻がそれに従うという意味だが、わが女房は文句タラタラ、偉そうなことも言う。

 自分でこしらえた専用の台に原木を乗せ、木を足で抑えて穴を開ける。最初のうちは良かったが、10本を超えたあたりから腰が辛くなってきた。原木がずっしりと重い上に、中腰での作業だから腰に負担がかかる。

 1本穴を開けたら、休憩しなければならないほど腰が痛い。穴開けを女房に代わってもらったが、そこは経験の違い。斜めに穴を開けたり、ドリルが食い込んで抜けなくなったりで、これではアシスタントにならない。

  それでも女房が駒を打ってくれるだけで時間が短縮でき、午後3時ごろには作業を終えた。 梅雨の頃、裏の杉林に原木を立てかけ、2年後の秋にはドンコの立派なシイタケが収穫できるはずだ。

 来たついでに山菜の生育状況を見て回った。4月の10日過ぎにならないと食べられないのは分かっているが、やはり気になる。敷地のタラの芽、コシアブラ、山ウドなどはそれらしき気配がなかった。それはいいとして、留守にしている間に玄関すぐ脇の草むらがあちこち掘り返されていたのだ。イノシシめ・・・。

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山小屋へ帰るのか、行くのか・・・女房と私の温度差

 地中の虫が蠢き始め、春が近づいてきた。冬の間だけ大津の自宅で過ごしていたが、そろそろ和歌山の山小屋へ移動する時期を決めなければならない。例えば郵便物の転居届けは1週間ほど前に出しておかなければ、ちゃんと山小屋に配達してくれないのだ。

 つい先日、女房に「和歌山へいつごろ帰ろうか」と話しかけた。すると女房は「帰ろうではなく、和歌山へ行くでしょう」と語気を強めた。何もそんなにむきにならなくてもよいと思うのだが、女房に心境の変化が起き始めているのだと感じた。

 つまり、和歌山に「帰る」と「行く」では、和歌山と大津のどちらに生活の軸足を置くかという問題なのだ。私は言うまでもなく、和歌山が生活の拠点だと思っている。野鳥と遊び、山菜を採り、魚を釣る。自然の移ろいに身を任せ、日々を過ごしたいと願っているのだ。

 もちろん女房も、山の生活を楽しもうという思いは同じである。畑を耕して野菜を育てるなど山の生活の楽しみ方は、お互いが共有している。ただその強弱、温度差、濃淡は微妙である。

 標高800mの山の生活は、それなりに大変である。買い物に行くには1時間以上かかるし、病院はもっと遠い。いつまでこの暮らしを続けられるか、不安がない訳ではない。いずれ大津に軸足を置く日が来るだろうが、なるだけ長く山小屋に居たいと思っている。

 しかし女房は、将来を見越して準備を始めたのだ。2階の部屋と部屋の壁をぶち抜き、10畳ほどの部屋にリニューアルし、自分の城にしようという魂胆である。早速、知り合いの大工さんに電話し、あれよあれよと工事が始まったのだ。

 壁紙も張り替え、見違えるようにきれいになった。趣味の機織機やソファを運び込み、小さな絨毯も敷いた。物置に入れていた額入りの絵を壁に掛け、自分の布団もここに移動させた。「私の城よ」と自己主張しているようで、夫婦の仲なのに思わずノックして入室してしまった。

 このように生活の拠点作りを進める女房にとって、和歌山は「帰る」場所ではなく、あくまでも行くという位置づけなのだ。改装したこの部屋は、女房の趣味を楽しむ「城」であり、あえて言えば、私の死後をも見据えている可能性が強い。何か恐ろしい・・・。

琵琶湖畔を歩く・・・遠くに白い伊吹山

 琵琶湖畔を歩いた。天気は良かったが、湖面から吹いてくる風は冷たく、春はまだまだ先のように感じられた。

 和歌山の山小屋から冬の間だけ大津で暮らしているが、その間は二日か三日に一度くらい湖畔の遊歩道を歩いている。遊覧船が出る浜大津港から大津プリンスホテルまで往復1時間ほどの散策である。あたりの景色を見ながらぼんやり歩くのが好きだ。

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 プリンスホテルに向かって歩いていると、琵琶湖東岸のずっと奥に伊吹山が見えた。普段は靄(もや)がかかっていてなかなか見えないが、こんな日は珍しい。伊吹山は私の故郷の山である。標高は1377m。さほど高い山ではないが、どっしりとした存在感のある山容だ。日本百名山の一つに数えられている。

 作家の司馬遼太郎は、四十数巻に及ぶベストセラー「街道を行く」の旅を近江から始めている。「どうにも近江が好きである」と書くほどのファンである。近江を代表する伊吹山については、「塗料を塗ったような」とも表現している。なるほど、雪の伊吹山はその通りに見える。

 近江ファンでは人後に落ちない随筆家白洲正子さんは著書「近江山河抄」の冒頭で、「岐阜を過ぎてほどなく汽車は山の中に入る。やがて関ヶ原のあたりで、右手の方に伊吹山が姿を現わすと、私の胸はおどった」と記している。今日はその伊吹山がきれいに見え、私の心も躍った。その対岸には、雪を頂いた比良の山並みが横たわっていた。

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       ↓ 比良の山並み
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 湖畔を歩いていて、近年ある異変を感じている。琵琶湖に飛来する渡り鳥といえばカモ類が圧倒的に多く、何百羽が群れていることも少なくないが、いつの頃からか随分少なくなったという印象が強い。

 その代わり、真っ黒の羽に白いくちばしの鳥が幅を利かせているのだ。忍者が白いマスクを付けているような姿で、どこか不気味ないでたちである。気になったので調べてみると、中国あたりから飛来するツルの仲間で、「オオバン」という名前だそうだ。

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 日本野鳥の会の調査によると、琵琶湖では42種約19万8400羽の野鳥が確認され、そのうちオオバンは過去最多の約8万5千羽に上ったという。何と、野鳥の4割以上を占めるという。2013年ごろから越冬のため琵琶湖全域に姿を現すようになったが、なぜ大幅に増えたかは不明という。

 やはり私の印象は間違ってはいなかったのだ。オオバンは琵琶湖の風景を一変させたと言っても過言でない。色とりどりのカモ類を蹴散らし、忍者のような黒ずくめのオオバンがわがもの顔で泳いでいる。オオバンに罪はないが、少し横柄に見える。

 遊歩道を歩き、大津プリンスの手前まで来た。この当たりにはいくつもシバザクラの花壇が作られており、目を凝らすと、1輪、2輪、ピンクの花が咲いていた。春の気配が少しだけ感じられる散歩だった・・・。

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